> Bさん
>だから、もう少し「私的言語は本当にあるのか」という問題に焦点を当てるべきじゃないかと思うんだ。
>私的言語とはこういうものだ!なんて話はまだ少し早いんじゃないかなぁ。
今日の議論は、この指摘を受けて書いたものです。
散々してきた議論のくりかえしなので、議論が後退しています。
ですから、今回の議論の後に、
>>10-14をもう一度みてもらえると
わたしの永井の議論の肯定の仕方がわかってもらえると思います。
>いずれにせよ言語とは「私の言語」でも「私的言語」でもありえないんじゃないのかな?
「言語とは」の「言語」とは公的言語のことですか? 意味がつかめないです。
永井の「私の言語」という表現は、「私の言語」が「私的言語」ではありえないこと
──言語ゲームに回収されてしまうこと──と、「私的言語」でしかありえないこと
──世界に同格の他者を想定しない言語、ゆえに無意味であること──の両義性を
示したものだと思っています。
>それでも、この言語が成立するためには本来的には語りえない「私的言語」が必要なはずだ、
なぜ、言語でなければならないのでしょうか?