『論座』1月号や文庫版『制服少女たちの選択』の対談で
宮台が司会者にかつての援助交際問題についての発言の
誤りについて追及されています。しかし適当に誤魔化すだけで
社会における性道徳はどうあるべきかという見解を全く示そう
としない宮台真司。あまりにも無責任ではないですか?
宮台は『VOICE』での斉藤環との対談で
「結婚は正当な性愛関係」と言っている。
となるとお前のしてきたナンパというのは
不当な性愛関係、つまり犯罪ということだな。
どうして犯罪者がデカいツラしてるんだよ。
おかしいよな。終始一貫してもらわないと。
他者危害の原則に反しなければ
自殺でもクスリでもウリでもOKだという主張であったはず。
徹底した寛容放任・自由主義の帰結だが
わずか数年でやっぱりうまく行かないとか言ってあとつけの言い訳を
言うのはどういうことか?快楽主義の帰結として
当然割と多くの人に弊害が出る。
そんなことは最初からわかっていたはずだ。でも自由主義でいいじゃないかという
主張だったはず。
思うに宮台はノイローゼ気味であり、鬱憤晴らし
社会に対する愉快犯的動機から煽ったのであった。
それが年取って世間に鬱憤晴らししたいという強烈な感情もうすれ
日和ったとみる。まず感情ありきの議論である。
>>502 論理的にハチャメチャだな
>「結婚は正当な性愛関係」と言っている。
>となるとお前のしてきたナンパというのは
>不当な性愛関係、つまり犯罪ということだな。
なんで結婚が正当だと即ナンパが不当になるのか?
なんで不当がすぐに犯罪になるのか?
支離滅裂だな。頭大丈夫か?
>>504 >快楽主義の帰結として当然割と多くの人に弊害が出る。
>そんなことは最初からわかっていたはずだ。
宮台は『限界の思考』でも自由な性はとても有害だと言っている。
しかし性の自由化をとことん推し進めればどんな弊害をも
上回るメリットが社会にもたらされると考えていたんでしょう。
革命幻想ですよ。しかしその考えは間違いで弊害だけが残った。
>>504 「理論展開がない」ね。
といっても、たまに鋭いことも言っていて、例えば80年代後半の
新しい少女文字である角張った「ノッポ字」は、それまでの
完結した若者共同体(その象徴が丸文字)を突き破ろうとする
ものだ、という話には感心した。
それと団塊親がニューファミリー幻想を無邪気に信じ切っている
のに対し、団塊ジュニアは単に家族内の役割を演じているだけの
同床異夢の関係にある、というのもなるほどと思った。
>>507 もともとサヨの宮台は、エンコーに象徴される社会崩壊を見て
「これだ!」と思ったの。それは、サヨが切望していた社会革命に
繋がる倫理崩壊だから、これを肯定することが、更なる社会主義革命
に近づく一歩だと。まあ、自覚しない反日エージェントそのままですな。
しかし、革命は来なかった。
行き場の無くなった宮台の終わりなき地獄の日常はそれから始まったのです。
>>500 >どういう理由でなるほどと思えるのか?
よく団塊ジュニアは団塊とひっくるめて非難されるが
その内実は大きく異なることを指摘した点で。
団塊世代は社会の規範を否定し、その子どもの世代が
それを実行(例:援助交際)したとは言うものの
ジュニアは決して確信的に規範を破壊したわけではなく
ただ世のサヨク的ムードに流されてそうなっただけであって
小林よしのりの右派マンガが出ればこんどはそっちへ流される。
(ただし小林はフリーセックスを実践する悪質なサヨク)
世代によって内面は異なるということで言えば学校での問題が
80年代前半の校内暴力が後半のイジメへと変遷した理由も解ける。
つまり校内暴力というのは学校はこうあるべきだという理想を
持った生徒が教師や教育体制に正面から挑戦したものだったのに
対し、イジメの時代にはもう教育への理想はなく生徒は規範なき
空間で力関係のみによる秩序を形成するしかなかった。
>>506 まともな人間は宮台の仕事を受け継いだりしません。
しかし元援交少女の中山というのは外見が荒廃してて悲惨だ。
(少し前の『論座』で見た)。あの外見で売春してたことを
告白すると一生気持ち悪がられるぞ。宮台の口車に乗せられて
世間に生き恥を晒した最大の犠牲者だな。