少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第38章

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219名無しさん@一本勝ち
君の封建主義理解は民主主義的だ。

民主主義的な意味での革命は、政体、制度の転換を意味する。
しかし、封建主義革命は、思想、倫理、生き方の転換なんだ。

わかるか?
政体も制度も法律もほとんどいじくらずに革命を成し遂げてしまえるんだよ。
呉さんには民主主義をよくしようなんて気持ちはないさ。
ないけれど、結果的によくなってしまうんだよ。

民主主義の根本理念ってなんだ? 
人民を人民のために人民によって統治。自由、平等、友愛。それだけだ。
実は、呉さんはこのこと自体には批判の矛先を向けているわけではない。
呉さんの批判の対象は、時代思潮だ。
>夫子の民主主義批判は民主主義の根本理念にまで及ぶんだぜ?
そうなると、具体的にどうなるかわからんか?
民主主義政体でありながら、封建主義的であることは、十分に可能だ。

ひとつヒントをだしておいてやろう。
福沢諭吉について、呉さんがなんていってるか調べてみな。
220名無しさん@一本勝ち:2007/03/24(土) 01:51:18 ID:eLoGkeht0
以前のレスでも触れられていたが、もう一度こだわりたい。
例の『現代人の論語』文庫版あとがきの件で。
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 好評をいただいた読者の中には高名な人も多かった。私の教え子が、こんなところに
も出ていますよと知らせてくれたのが、細川護熙元首相の『不東庵日常』(小学館)で
ある。幼い頃からの古典読書歴をふり返った箇所に、こう書かれている。
「呉智英『現代人の論語』(文藝春秋)を知ったが、これもたいへん優れた『論語』理
解の一書だと思う」
 細川元首相が読書家であり教養人であることは話に聞いていたが、私の著作にまで目
を通されていたとは嬉しい驚きであった。
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一人でも多くの読者を持つことが喜びである、というのは分かる。
自分の本を具眼の士に評価してもらえるのは嬉しい、というのも分かる。
だけど、なにか違和感がある。
その正体を見極めようと、
既に引退した政治家だから権力に阿っているわけではないな、とか、
佐幕派の呉先生だから殿様には好意的であるのもまた然りか、とか、
何となく思いつく辺りを挙げてみる自問自答を幾度かしてみたが、
どうにも解消できない居心地の悪さが残ってしまう。
この感じは、一体、なんなんでしょう?