日本剣士vs西洋剣士 第2戦目

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276名無しさん@一本勝ち
605 名前: トゥハンド・ソード 投稿日: 2001/07/29(日) 00:10

ドイツやスイス傭兵の間で見栄を張るために流行した2メートル以上もある両手剣
パイクを切り払うために使われたと言われているが、
実際には戦闘前に槍兵の横陣の前に並ばせて威嚇に使ったり、
混乱した白兵戦で使われたのが実相らしい
似たような運用に上杉家の長巻衆がいる


そんだけ
2771/2:2006/07/24(月) 21:20:03 ID:Sfq+5PVt0
594 名前: 弾避けのお守り 投稿日: 2001/07/27(金) 16:11

ついでに防御力ついて

 中世ヨーロッパにおいて、投射兵科を中核とすることが防御を編成する上で
最も標準的なスタイルとなった
 そして、間断の無い射撃を保証するため、陣地と槍兵、必要とあらば下馬騎兵が
射撃部隊を守った
 古代ギリシアやローマの装甲歩兵の標準装備であった楯は次第に姿を消すことになった
 その過程で楯のみを装備した楯兵という兵科が発生したが、これも定着することなく
消滅する
 中世後期において、楯が標準装備として生き残った数少ない例外の一つとして
円楯と片手剣を装備したスペインの戦列歩兵が挙げられる
 マキャベリは彼らを古代ローマ軍団の精神の継承として絶賛したが、
時代遅れとするのが当時の軍事関係者の共通の評価だった

 射撃武器の脅威に楯で対抗しようとする兵士がほとんどいなかったことは
常識的に考えれば当然のことだった
 銃も槍も両手で扱わなければならなかったし、矢や銃弾から身を守れるような
大きくて強度の高い楯は重く、とても全ての歩兵に持たせる訳にはいかなかった
2782/2:2006/07/24(月) 21:21:16 ID:Sfq+5PVt0
 大砲の脅威も歩兵が楯を持つ動機にはならなかった
 大砲は実体弾や焼夷弾が一般的で、砲手がそれ程覚悟することなく
炸薬を充填した砲弾を発射出来るまでに砲と信管が品質と信頼性を高めるのは
18世紀を待たねばならなかった
 散弾も都合よく広い範囲に弾丸を撒き散らすことは出来なかった
円形に拡大する散弾は、必ずある程度の弾丸を上空と地面に無駄に撃ち込むことになるし、
貫通力に劣る散弾は前列のごく少数の不幸な兵士が弾丸を浴びるだけで、
砲手が予想した程多くの兵士を殺傷できる訳ではなかった
 中世ヨーロッパの野戦において最も現実的な砲撃は、放物線を描く砲弾を遠くに飛ばす
ことではなく、敵兵の密集陣の隊列の中を砲弾が転がり回ることによって
可能な限り広い殺傷ゾーンを築き上げることが出来るよう
近距離から低い弾道で隊列を斜めから砲撃することだった

 陣地への依存と歩兵の防御への性向が強まるにつれ、歩兵は手持ちの楯などより
よほど堅固な地形や遮蔽物の後ろで身を守ることが出来た
 一般に、中世ヨーロッパの歩兵は楯を持つくらいならばより重要なものを担ぐことを
選択した


そんだけ
279名無しさん@一本勝ち:2006/07/24(月) 21:25:48 ID:Sfq+5PVt0
498 名前: お馬さんで逝こう 投稿日: 2001/07/24(火) 23:11

 装備や戦術の進歩を続けた騎兵は、緩慢ながらもその戦術的有効性を
向上させていった
 6〜7世紀頃に鐙がヨーロッパに伝えられ、9世紀に蹉跌、11世紀に拍車、
11世紀末には騎座と呼ばれる特殊な鞍が生まれ、瞬く間に普及した
様々な試行錯誤を経て交配を繰り返した軍馬は、敏捷性を損なわずに
大型で力強くなっていった
 かつては斬る、突く、薙ぐ、叩く等、人間を殺傷する万能道具だった騎槍は、
13世紀には、その多用途性を捨てて右脇に抱えられて刺突に特化した武器となり、
15世紀には完全に固定されて騎兵と一体化した
 これは、騎兵の戦術的役割が突撃に専門化していく過程である

 文学の騎士達と違い、少なくとも13世紀頃から、
現実世界の騎兵は貴族階級の占有兵科ではなくなっていた
傭兵、奴隷、平民たちが、高価な武装と優れた軍馬を与えられ、
貴族と並んで戦っていた
 その頃には、装甲槍騎兵を戦術遂行の中核と位置づけられており、
騎兵を大量に供給する必要に迫られていた
 騎兵を臨戦態勢で維持するための莫大なコストは、
平時からの周到な準備が必要であり、現地調達で解決できるほど
生易しいものではなかった


そんだけ
280名無しさん@一本勝ち:2006/07/24(月) 21:26:49 ID:Sfq+5PVt0
499 名前: お馬さんが逝く 投稿日: 2001/07/24(火) 23:13

 装甲槍騎兵に期待された任務は、敵軍の隊列を崩して混乱させることだった
 そのため、騎兵は緊密な隊形を組んだまま可能な限り速く機動することが要求された
 騎兵は、突撃前進の最後の50〜100メートルしか、
最大戦闘速度(厳密には全力疾走ではない)で突進しなかった
 それ以上の距離になると、敵の隊列を崩すために必要とされた
 緊密な隊形を維持できなくなる恐れがあったからだ
 騎兵として成功するためには、騎士文学が賞賛した個人的活躍や武勇を
否定する必要があった
騎兵に求められたことは、複雑な戦術機動においても常に僚友と隊形を
組み続けることだけだった
 そうして、騎兵は戦闘において、他の兵科では成し遂げられない
勝敗を決する決定的な役割を独占したのだった

 13世紀以降、決戦兵科として完成の域に達した装甲槍騎兵だったが、
他の兵科を圧倒する絶対的な存在であった訳ではなかった
単純な騎兵の突撃のみで勝負を決した戦闘は中世ヨーロッパでも例外だった
 他の兵科との緊密な協同と予備的な戦術行動が、「騎兵突撃」を
演出する上で必要であった
 突撃戦術に特化してしまった騎兵は、むしろ最も他兵科の支援を必要とした
兵科であった


そんだけ
281名無しさん@一本勝ち:2006/07/24(月) 21:28:10 ID:Sfq+5PVt0
500 名前: クロスボウ君 投稿日: 2001/07/24(火) 23:14

 10世紀、ヨーロッパで携行投射兵器としての弩が再び戦場に復活した
 1096年からの第1次十字軍の頃には、記録や絵画に頻繁に登場している
 弩が普及した最大の理由は、近距離ならば鎖帷子の鎧を
貫くことが出来たからであった
弩は、十字軍の戦闘においてしばしば主役を演じ、13世紀には
投射兵器の主力となった
 弩兵は、1199年のシャリューの攻城戦でリチャード獅子心王を射殺し、
1250年のマンスラの戦でサラセン騎兵の突撃を破砕して橋頭堡を確保し、
欠くことのできない兵科としての地位を確保した

 野戦において、弩を用いて装甲槍騎兵の突撃を喰い止めた戦例は少ない
 騎兵は弩の脅威に完全被甲と重装甲化で対抗した
 そして、その鎧を貫くためにより強力な弩が開発され、14世紀には絶頂に達した
 それまで木製や腱製の弓が鋼鉄製に変わり、強くなった弦を引くために
精巧な仕掛けが施されるようになり、理想的な環境では毎分最大4本の発射速度を
期待できた
 しかしながら、弩が騎兵との競争に勝利することはなかった
 弩が精度と威力を期待できたのはせいぜい150メートル程度だったが、
装甲槍騎兵の突進はトロットで毎分250メートル、ギャロップなら
その倍近くに達したからだ
 結果、弩兵は突撃する騎兵に対して一斉射しかできなかった
 このため、一度騎兵が突撃を開始すれば、弩兵に喰い止めるためには、
圧倒的な大兵力の弩兵と騎兵の足を止める障害物が必要だった
 一般には、騎兵が突撃の態勢を整えるのを見た弩兵は後退しか生き残る道は
なかった


そんだけ
282名無しさん@一本勝ち:2006/07/24(月) 21:29:11 ID:Sfq+5PVt0
501 名前: イングランドの長弓射手君 投稿日: 2001/07/24(火) 23:15

 長弓射手は、中世ヨーロッパにおいて極めて特殊な兵科であった
 合成弓の技術が普及しなかった中世ヨーロッパでは、弓は威力を増すためには
極端な大型化の傾向をとらざるを得ず、結果、弩ほど戦場では普及しなかった
 イングランドの長弓も、恐らく狩猟のために使われていたと思われる
 全長約2メートル、材質はニレ、後にはスペイン産のイチイの単材であり、
その長大な全長の関係で、射る矢は約90センチと極めて長かった
 長弓の有効射程は弩に比べていささか短かったが、120メートルまでなら
鎖帷子を貫通することができたという
 そして、長弓は毎分10本以上の発射速度という弩を圧倒する利点を備えていた
 そして、イングランド軍はウェールズやスコットランドとの戦いに
この長弓を持ち込んで出血を払いつつ戦場での運用を学び、百年戦争で
その成果を大陸に持ち込むことになる


そんだけ
283名無しさん@一本勝ち:2006/07/24(月) 21:34:25 ID:Sfq+5PVt0
790 名前: 騎槍 投稿日: 2001/08/10(金) 21:20

>>789
 初期の頃には薙ぐ、払う、叩くといった多機能に使用できた騎槍は
13世紀には右脇にしっかりと抱えこまれ、最終的に15世紀には
胸甲に装着された支持具の上に置かれて固定されるようになった
 突撃に特化した装甲槍騎兵の突撃は個々の乗馬と兵の重量と突進のスピードによる
運動エネルギーを利用して槍兵の緊密な隊列を打ち破ることにあった
 槍の変化は、その穂先に運動エネルギーを集束しやすいようにした結果だった
 比較的短く軽い武器を振り回して槍襖を掻き分けて槍兵の隊列に押し入るより、
速度と重量を利して遮二無二前進する方がはるかに合理的だった

 馬上試合や模擬合戦で見られるような騎兵戦は、野戦場では余り目にすることはなかった
 騎兵戦力で劣勢な側は、敵の騎兵にまともにぶつかって消耗するより、
騎兵を下馬させ、装甲歩兵のように槍兵の隊列に組み込むほうを選んだ
 完全な鎧を着用し、士気旺盛で、よく訓練された下馬騎兵を槍兵の隊列に
組み込んだ利点は、緒戦で敵の騎兵に蹴散らされるよりも遙かに大きかった
 この方法は、ダプリン・ムーアで成功を収め、百年戦争で一般化し、
以後、防御側が採用するスタンダードな戦術となった

 もっとも、行軍中の部隊が敵の騎兵の攻撃に晒された事態などに対処できる
機動力を備えた兵科は騎兵だけだったし、スペイン騎兵は貴族とその郎党
のみで編成されていたため、指揮組織の中でも高度の独立性を保っており
下馬して戦うことを拒否する場合もあった
 しかし、一般的には大規模な騎兵戦は両軍の騎兵戦力が拮抗した状態以外ではあまり
生起するものではなかった

 結局、中世ヨーロッパの装甲槍騎兵が強襲戦術に特化したことに伴い
騎槍は槍兵の隊列を突破するのに最も適した武器として進化したのだった