884 :
名無しさん@一本勝ち:2006/08/01(火) 00:01:37 ID:5gpi2p4O0
なんだ。ここは数人のオタクの貸しきり場だな。
885 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 00:38:29 ID:gRRsE8KSO
・・・自分にどうしろと?(泣)
えーっと・・・
ドラちゃんも、三進さんも、
ナイファンチ、セーサン、サンチンの話は、
もう終了?
自分にはこの三つの立ち方が、
締め、ひいては空手の力の出し方(<?いや、循環かな?)
に関係してくような感じがしてて、
色々考えを進めようと
思っているところだったんですが・・・(泣)
886 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 01:41:24 ID:gRRsE8KSO
取り敢えず、戻ってくるのを待ちつつ、
考えまとめて行きます・・・
セーサン立ち、ナイファンチとサンチンのリンクになるやうな希ガス・・・
>>866だけど、自分は寧ろ
>>868>>872は逆だと思います。横の方が簡単で精度を上げやすいから。
で、それを前及び他の方向に使うと、そのまま二軸とかナンバとか呼ばれる動きになると思います。
889 :
名無しさん@一本勝ち:2006/08/01(火) 11:42:07 ID:TLxOs6BR0
無名って超教えてちゃんだよね。
書くならもっとはっきり自分の意見言えよ。
駄レスならイラネ
890 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 15:18:56 ID:gRRsE8KSO
正直スマンカッタ。
891 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 16:10:50 ID:gRRsE8KSO
最近、空手を新しく習いはじめてて、
何が良くて何が悪いのか、
自分の中で分からなくなっているところがあり、
ちょっと弱気になってしまったかもしれません。
スマンカッタ。
そこで、セーサン立ちは、ナイファンチ
(マリシーさんの言ってた古いヤツです)
で立って、横に向けたもの。
と言われました。
そして、セーサン立ちは、サンチン立ちを首里手に近い立ち方にしたものに感じる。
と、宮城長順のお弟子さんに習っていた方がゆってたんですね。
892 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 16:17:55 ID:gRRsE8KSO
自分の感覚的に、ナイファンチで立ってから横を向くと、
すごくギュッと絞られるというか、
締まる(?)感じがしました。
ただ、これが「締め」なのかどうかは、
まだ確信が持てていません。
なので、前に「セーサン」は特別、
って感じで言われていた、三進さんに、
どう考えているか聞きたかったのです。
893 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 16:34:33 ID:gRRsE8KSO
連投します><
ここで、妄想。
今習っているところのセーサンは、
サンチンよりも前後の立ち幅が広いようです。
つまりサンチン立ちは、
セーサンよりも近い間合い、
剛柔の特徴とよく言われる、
接近しての掴みとかからの攻撃
(まあ、剛柔流に限らず、
そういうのはあるんですがw)
、により特化した間合いのためのもので、
「手」から「唐手」に移行する過程の中で、
何かの理由でそう変化した。
とも見れるんジャマイカ?と。
894 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 16:37:14 ID:gRRsE8KSO
ふう。
言っちゃったw
よろしければ、
皆さんのご意見をお聞かせ下さいm(_)m
895 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 16:53:40 ID:gRRsE8KSO
劉氏の演武、あの手足に触れたら、
大変なことになるんでしょうね・・・
船越翁の残された言葉、
「相手の拳足を刃物と思え」
これは空手に限らず、
全ての武術・武道家が、
いざと言う時に心すべき事なのかもですね。
896 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 17:01:33 ID:gRRsE8KSO
かなり遅れましたが、
>>871マリシーさん、
>>872さん、
レス有り難うございますた!!^^
人間の体の構造的に、「強い」形の一形態、
それが空手のナイファンチ立ちや、
中国武術の馬歩なのかもですね。
897 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 18:58:28 ID:gRRsE8KSO
駄レスの連投になってるかな?(。。;
引き手ですが、
本部朝基氏は脇ですね。
自分こういうの不勉強なんですが、
那覇手系の方と親交があったとかは、あるのかな?
898 :
名無しさん@一本勝ち:2006/08/01(火) 19:11:00 ID:oO7/bAGF0
脇だったら那覇手ってことにはならないと思うんですが
>723
まぁ名前の残ってない先生にも習ってそうだし
「糸洲派は3つの手が混ざってるから首里手じゃない」と何度も力説されてる方がいますが
逆に混ざってないのなんてあるのかな?、と……
899 :
名無しさん@一本勝ち:2006/08/01(火) 19:14:02 ID:oO7/bAGF0
ナイファンチ立ちとサンチン立ちについて、
「攻防拳法空手道入門」には相互に即移行できると書いてましたな
さすが摩文仁先生ですかw
900 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 19:35:56 ID:gRRsE8KSO
>>898 喜屋武朝徳氏は、
親戚だったかな?
本部朝基氏ととても仲が良かったらしいですね。
因みに、
「本部朝基がやってるから引き手は脇がいい」
とか、
「本部朝基は那覇手だ!!」
とか、
トンデモ説を唱えるつもり無いので、
あしからずですw
ただ、本部氏が脇に取った理由は、
そう習ったのか、
後から取り入れたりしたのか、
純粋に興味があるんですよね・・・
901 :
名無しさん@一本勝ち:2006/08/01(火) 20:02:06 ID:oNzDa18z0
>ただ、本部氏が脇に取った理由は、
>そう習ったのか、
>後から取り入れたりしたのか、
それは、本部先生の師匠の松村、糸洲先生の引き手はどうだったのか、
と質問しているのに等しいわけですが、これについては全く文献が存
在しません。
ちなみに那覇手の引き手は腰だとの主張ですが、宮城先生と許田先生の
若い頃の組手写真では、許田先生の引き手は脇です。
902 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 20:07:37 ID:gRRsE8KSO
取り敢えず、ガンガンネタ投下していこうかな?
迷惑だったらすいません^^;
本とかに載らずに、地域で伝わっている話を集めた
(有志達の自費出版?ほぼ手作りw)
本に載っていたのを読んだんですが、
ある空手家が薩摩武士達とイザコザを起こしてしまい、
集団で闇討ちされた際、
そのうちの一人の懐に入り、
「攻撃」を入れて囲いを崩し、
家々の塀をピョンピョン飛び越えて逃げた。
もう大丈夫だろうというところで、
ふと気付いて手を見ると、引き千切った腹の肉を握り続けていた・・・
ってのがありました。
903 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 20:11:38 ID:gRRsE8KSO
ところで自分、「宇城厨」なんですがw
2ちゃんのどこかで、何か共通するような???
ことされた、
って書き込みを見た覚えが・・・
ちょっと気になってます。
904 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 20:21:07 ID:gRRsE8KSO
>>901 推測ではありますが、松村・糸洲の手は、
腰なんじゃないかなあ???
とは思うんですが。
どなんだろ?
>宮城・許田両氏の引き手
そ、その写真ミタス!!w
905 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 20:55:02 ID:gRRsE8KSO
・・・反応無いですねw
うーむ。
も一つ別のネタ投下しようと思ってたんですが、
やっぱ止めときます^^;
失礼しますたm(_;)m
906 :
名無しさん@一本勝ち:2006/08/01(火) 21:13:15 ID:0ces4CHN0
>>905 腰か脇かは、自分の流派や師匠に従えばいいのではないですか。で、
自分で、腰と脇で試してみて、もし師匠のやり方がおかしいと思う
なら、変えればいいんだし。
ちなみに、摩文仁先生と岩田先生の師弟が組手をしている有名
な写真がありますが、その写真では摩文仁先生は脇、弟子の岩
田先生は腰の位置に引き手があります。
907 :
摩利支天:2006/08/01(火) 22:02:02 ID:tiWRd2W7O
>906
岩田先生はまだ若かったから完成されてはなかったでしょう?
摩文仁賢和先代宗家は一番脂が乗りきった時期なわけで。
糸東流では一般的には脇と腰の中間と教えますが・・・
一枚の写真は貴重なものですが、全てではありません。
あの時代と現代では世相や時代背景が違います。
常に工夫をしないと時代に取り残されます。
空手は化石ではありません。
懐古主義もいいです。
そして、過去の先達を真似ることも重要ですが、
こだわると先人の遺産を食い潰す事になります。
空手は活きているものであります。
温故知新の心を忘れてはいけないと考えます。
908 :
某家の:2006/08/01(火) 22:50:11 ID:OfGHD/qo0
>>893 >今習っているところのセーサンは、
>サンチンよりも前後の立ち幅が広いようです。
あ、うちの系列ですと三戦立ちにおいては前後の立ち幅はかなり寛容で
じつは前後に多少広いのはOKと言われたことがあります。
当然理想的な三戦立ちというのはありますが、前後に広いのは無理には
直されませんでしたね。
ということで無名さんの今習ってるのは非常に興味深いです。
ナイハンチ・・・まったく無知なのですが興味がありますねw
909 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 22:56:59 ID:gRRsE8KSO
うーん。
自分の感覚ですが、
先人の残されたものは、
懐古趣味で片付く程甘いものではないというか・・・
引き手の位置の意味を知りたいとは思いますが、
だからといって、引き手の位置を
勝手に変えるようなこともしません。
それこそ十年早いですから。
むしろ、今の引き手の位置の意味をしっかりと掴んで、
鍛練に生かしたい。
と、考えています。
910 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 23:03:29 ID:gRRsE8KSO
>>908 >前後の立ち幅
おおお!!
ぼ、某家のさん、
マジっすか!!@@
自分も、全くサンチンを知らなかったので、
余計に興味があるのです!w
911 :
無名@携帯:2006/08/01(火) 23:54:33 ID:gRRsE8KSO
ナイファンチ、サンチン、
どちらも素晴らしいです。
これ(の原形?)を作り出した人達って、
一体どれだけの凄まじい技術と身体を持っていたのか・・・
912 :
名無しさん@一本勝ち:2006/08/02(水) 00:48:36 ID:ukw6TeKw0
>常に工夫をしないと時代に取り残されます。
>空手は化石ではありません。
改変してはダメとは言わないけど、原型保存は大切です。いにしえの人の
考えは、我々よりももっと違う次元で、物事を見ていたりする場合がある
から、軽々にいじってはだめだからです。
あと、空手の場合、流派で相違があるとき、「私の流派ではこうです」と
言えばいいのに、これが本来の糸洲のスタイルです」とか「これこそ、松
村先生の首里手です」とか、自分とこの流派こそ、真伝そのもので、他は
全部贋作みたいに言い出す人がいますしね。
そういう時に、古い写真とかが残っていれば、本当にそうなのかをチェック
することができる。
913 :
名無しさん@一本勝ち:2006/08/02(水) 01:12:09 ID:Vj62bAc50
>>902 無名@携帯
>本とかに載らずに、地域で伝わっている話を集めた 本に載っていたのを読んだんですが、
昭和32年11月発行琉球文庫第2編「琉球の武勇伝」石川文一著に同じような話がありますね。
914 :
無名@携帯:2006/08/02(水) 01:30:31 ID:8HE+YStEO
そうなんだ!!
良ければ、簡単にご紹介頂けないでしょうか!?@@;
県立図書館にそんな感じの本あったよ。
あと、土曜日に行った某書房の沖縄コーナーでも似たような本を立ち読みしました(^^;
916 :
無名@携帯:2006/08/02(水) 08:56:57 ID:8HE+YStEO
>だーやータソ
把握!!
917 :
無名@携帯:2006/08/02(水) 18:39:31 ID:8HE+YStEO
某所のは、
名人列伝ですた。昔読んだ覚えがあります^^
今度、図書館行ってみようか・・・
918 :
名無しさん@一本勝ち:2006/08/03(木) 09:09:24 ID:YGMaTSBH0
919 :
名無しさん@一本勝ち:2006/08/04(金) 19:56:21 ID:yrlBL6z/0
ヒマだなぁ。三進、何か書き込め。
920 :
名無しさん@一本勝ち:2006/08/04(金) 22:45:16 ID:V2yUyW410
>>918 船越先生の組手、なんでこんなに下手なの?
相手との間合いとか、全然考えたこともない人だったんですね。おそら
く50歳過ぎるまで、組手をしたことがなかったというのは、本当でしょ
う。
これで隠されていた空手って、隠すものは何もなさそうですね。
921 :
名無しさん@一本勝ち:2006/08/05(土) 07:06:40 ID:mWra8ywe0
そうか?
わざと二拍子でやってたりするように見えるが
分解の手法自体は参考になるよ
実際にやる時は1拍子で受けと崩しと攻撃を同時にやるんだなと推察出来るじゃん
922 :
名無しさん@一本勝ち:2006/08/05(土) 11:11:04 ID:Sp0tZY2i0
923 :
三進:2006/08/06(日) 01:32:26 ID:zVd31+Wp0
私のせいで、剛柔流空手と空手の奥義・弐と隠されていた空手3の3つのスレの流れ
を変えてしまったようで、申し訳ありません.
>>919 >ヒマだなぁ。三進、何か書き込め。
責任を感じて、最後の書き込みをします。
しかし、あくまでも、「三進さんの「体験に基づく確信」なのだろうと思います。」
ですからね。
まず、呉賢貴です。唐手研究倶楽部の一員であり、また数少ない寛量の弟子でも
有った許田重発は、呉賢貴のネーパイ(弐拾捌打)の型をそのまま伝えました。
許田重発は、実は摩文仁賢和同様に糸洲安恒の弟子でもありました。
また、比嘉世幸→福地清幸の系統には、呉賢貴の鍛錬法としての八歩連(糸東流に
伝わる型八歩連ではない)・中框(ちゅうこん)が伝わりました。
宮城先生は、新たな型や鍛錬法としては採用しませんでしたが、呉賢貴の影響で、
寛量に教えられた型三戦の交差運歩を円弧軌跡の八歩連運歩に変えました。つま
り、寛量が造った鍛錬型の三戦交差運歩を静的態勢にしかすぎないとして切り捨
ててしまい、八歩連運歩を実戦にも使える動的態勢と考えたのです。
摩文仁先生は、寛量から教えられた鍛錬型としての三戦は、立ち方・運歩を初め
「足開き」などの細かい点まで、一切変えなかったのです。
そして、ネーパイ・ 八歩連・中框の型や鍛錬法などをそのまま取り入れること
もしませんでした。その代わり、白鳥・二十八歩・八歩連と3つも型を新作しました。
ネーパイの型は、その内容を取捨選択した上さらに糸洲系の技を付加して構築し
直し独自の型とし、名前を白鶴拳にもあるネーパイの元型の二十八歩としました。
また、鍛錬法としての八歩連・中框からは、その内容的なものを熟考し、型にし
て白鳥・八歩連の2つを作りました。
924 :
三進:2006/08/06(日) 01:38:53 ID:zVd31+Wp0
寛量の数少ない弟子のうちの、許田重発・宮城長順・摩文仁賢和の3人は呉賢貴
の影響をそれぞれに受けながらも、許田重発はネーパイをそのまま伝え、宮城
長順は先師寛量の三戦を変え、摩文仁賢和は全く別に福建系として型を新作しました。
面白いことにその結果は、三人三様の姿となったのです。しかもそれぞれてん
でばらばらではなく、同倶楽部で合意のはずです。したがって、この倶楽部で
ルールーコーなる人物を捏造し、三戦・十三・三十六・一〇八以外の型を作っ
たという説は有り得ません。
それでは、何故摩文仁賢和は3つも型を作ったのでしょう。それは、糸洲的福
建系「二十八歩」、那覇的福建系「白鳥」、東恩納的福建系「八歩連」と表現
したかったからだと思います。
さて、猫足立は、首里手技法と那覇手技法の架け橋的存在と言いました。今で
は、唯一純粋に那覇手として残っている新垣派の壮鎮の初めは、猫足立で三戦
同様の諸手横受片手中段突き3回が前後2セット出てきます。この猫足立三進の
箇所は、摩文仁賢和が付け足したものと考えています。つまり、もともとは次
の後ろから押さえ込まれた時の体解きから始まっていたと。
まあ、賢和本人はここは体解きとは書いていませんが。
前に書いたダビィンチコード並の謎解きのことです。平上先生なんかが喜んで
飛びつく話です。
征遠鎮の四股立三進は後から付け足したことは前述しました。でもそれだけで
はないのです。
925 :
三進:2006/08/06(日) 01:40:20 ID:zVd31+Wp0
@最 破 手解結立三進 付け足し無し、原型のまま
A征遠鎮 体解+手解四股立三進
A三十六 手解+三戦三進
A十 九 手解+開手三戦三進
A一〇八 体・手解+三戦三進
B十 七 三戦三進+手解・関節蹴
B十 八 手解三戦三進+四股立
十 三 三戦三進+上段受・貫手+三戦三進
+○○が後から付け足した技なのです。もちろん付け足したのは寛量です。
十三だけが特殊だというのは、この分類方法からも言えます。さらに、この
分類方法からだけでもA群が那覇手技法だということが言えるのです。
那覇手の型は新垣派を含め必ず正面から始まり、さらには十三を除き全て
手解き・体解きが絡んでいるのです。
ただし、最破・十七・十八は那覇手ではなく初めから東恩納派であったと。
ウズウズ(`▽´)
927 :
三進:2006/08/06(日) 01:45:57 ID:zVd31+Wp0
もう、終わりだよ。
>>927 >もう、終わりだよ。
あなたの発言は信用が置けないので、まだ続くと思ってます。
929 :
名無しさん@一本勝ち:2006/08/06(日) 02:19:18 ID:7SpAeQQA0
「三人三様の姿となった」からって
ルールーコーなる人物を捏造したのがあり得ないとは?
別に関係のない話しのような
三人とも資質、個性が違うから違っても当然のはず。
摩文仁先生は東恩納先生にはあまり長い期間習えなかったとも聞きましたし
それぞれ違う路線にいこうとも勝手にすれば、くらいなもんでは?w
>猫足立は、首里手技法と那覇手技法の架け橋
「新垣派の型とされているニセーシは
劉衛流・糸東流・小林流・松涛館流どれを見ても同系と判るくらい似ているし、
同じく新垣派の型とされているウンスは
小林流は独特だが、糸東流・松涛館流は同系と判るくらい似ている。」
「猫の新垣」は東恩納先生の最初の師だそうですが、
その古流那覇手は、武士松村以前の首里手の時代から影響してたんじゃないですかね
930 :
名無しさん@一本勝ち:2006/08/06(日) 02:22:30 ID:7SpAeQQA0
> 422 名前:新参人 [] 投稿日:04/06/13(日) 00:38 ID:alq1R+No
>>> 415 アンプアン様
> お返事遅れました。今、稽古が終わり、ほろ酔いかげんです。古い弟子が本当に久しぶりに来てくれて
>酒が進みました。さてソーチンには、新垣小のソーチンと本部朝勇のソーチンという二系統があると聞いています。
>やはり違うと思います。前者は明らかに那覇手グループの範囲あるいは近縁と思います。東恩納翁は三戦、十三、三十六、百歩連
>のみを伝えたとのことが最近あちこちで証されていますが(たとえば平成7年沖縄県教育委員会「空手道・古武道基本報告書U」等)、
>それらを考慮するならば摩文仁氏へは東恩納翁以外の那覇手グループの誰かから伝わったとも考えられ、関心をそそられます。
>JKF糸東会のソーチンは、宮城氏の意向によっては剛柔流のカタログに入ってもおかしくない形だったとも言えるかもしれませんね。
>ところで指定型としてなにかと話題の十三ですが、最後の方の左引き受けから右・左・右の三連打のところ、四股立ちで引き受けしたのち、
>急速に三戦立ちになって、その勢いで三連打と、私は教わりましたがどうですか。
931 :
リターンズ:2006/08/06(日) 02:47:59 ID:h2oaoeeY0
まあ、三進さんの支持者もいるんで。
皆さん今晩は、今日も暑くて眠り辛いですね。
>>925 > A十 九 手解+開手三戦三進
↑恐らくこれはシソーチンのこと?
> B十 七 三戦三進+手解・関節蹴
↑これはクルルンファのこと?
色々と書いて貰うのはありがたいですが、
できれば糸東系での独得な呼び方ではなく、一般的な型名(カナで)でお願いします。
なんの型だろう?別の型なのかと思って混乱してしまいます。
そういえば、昔、創さんが摩文仁先生は警察官だったから捕縛術を使えた
と言っていましたが、上原先生によると、摩文仁先生に捕縛術を教えたの
は、本部朝勇先生らしいですよ。朝勇先生と摩文仁先生は沖縄唐手倶楽部
で交流がありましたから。