1 :
名無しさん@一本勝ち:2006/06/07(水) 15:21:57 ID:ntB6v+c40
三戦
2 :
柔道ももも ◆3Pc3vtGjEo :2006/06/07(水) 15:26:21 ID:kUfD4pr+0
ワールドカップ予選は3戦
3 :
ハンゾー:2006/06/07(水) 18:31:27 ID:KzQ44duGO
懐かしき参戦
4 :
名無しさん@一本勝ち:2006/06/07(水) 19:27:04 ID:lT0uA7R/0
CR 「三戦」
さんちんちん?
6 :
名無しさん@一本勝ち:2006/06/16(金) 00:29:07 ID:XS+Zrm2L0
しもまとう
7 :
名無しさん@一本勝ち:2006/06/16(金) 04:33:29 ID:S5W6IDfhO
疲れるから嫌い
8 :
三進:2006/06/23(金) 15:19:42 ID:W/Hl6+Ok0
福州白鶴拳の三戦立ち、上地の落とし三戦立ち
首里手の三戦(松村三戦、大城三戦)
那覇手の三戦(新垣三戦、湖城三戦、城間三戦)
東恩納寛量の三進立ちはどれとも違う、改良進化した新しいもの
でも宮城長順の三戦立ちは、東恩納寛量の三進立ちが おかしくなってしまったもの
9 :
名無しさん@一本勝ち:2006/06/27(火) 23:17:45 ID:ZOq4Egm/0
奥が深いですね。宇城先生のは?
10 :
三進:2006/06/28(水) 01:09:00 ID:cClvFwvZ0
宇城憲治氏の三戦立ちの素性ははっきり云って分からない。写真で見ただけだし。
でも、沖縄では東恩納寛量が那覇手を台頭するようになってからは、それまで数種
あった首里手・那覇手の三戦立ちはなりを潜めてしまい、いいか悪いかは別にして
東恩納寛量の三進立ち一辺倒になってしまった。特に三戦裁判(本当の裁判じゃな
いよ)が有ってからは。この時の負けた相手の那覇士族の湖城何某は宇城氏とどう
関係があるのかは分からない。
宇城氏の三戦立について、足の形については今は触れない。両手について。
まず、泊手は現在有る所から突き・受けをするから引き手の位置は本来はどこで
もよい。
首里手・那覇手は周知のように腰です。でも、東恩納寛量の三進での突の場合の
引き手の位置は、ある特殊な技法のために腰ではなく必然的に結果的に乳の下とな
るのです。ヒントの一つはチンクチです。
11 :
三進:2006/06/28(水) 01:11:46 ID:cClvFwvZ0
宇城氏の三戦立は、引き手は腰だそうですね。次に両手での横受です。東恩納寛量の両手横受は
中段の高さで、両腕は下半身からの纏絲勁で両手首の捻りによって脇は締まる。結果、両拳は外
に開きすぎない。
宇城氏の両手横受は、高く脇も空いて拳は外に開きすぎている。これは、単に剛柔流の出来そ
こないでは無いでしょう。東恩納寛量が福州で学んだのは白鶴拳4派の内の鳴鶴拳であることは、
何も渡嘉敷氏の論を待つまでも無く、宮城長順と呉賢貴の関りから明らかです。ただし、東恩納
寛量の那覇手を越えた体系の成立のためには、鳴鶴拳以外の流派・門派が入っていたことも、技
法の上から確実です。
それはさておき、鳴鶴拳は残念ながら今は無く、食鶴拳だけが台湾で活躍しているようです。
その食鶴拳のほぼそのままの体勢で突を捌く実戦の両手構えの開手を握拳にすれば、高さも脇の
空きも拳の開きも、宇城氏の両手横受と同じなのです。よって、もし宇城氏の両手横受が、東恩
納寛量とは別ルートで福建から伝わった那覇手の三戦をそのままに伝えているのであればそれは
それですばらしいことだと思います。これは、実態は知らないけれど那覇手の城間流の三戦につ
いても同じことが云えると思います。
東恩納寛量の三進は、東恩納寛量の三進です。他の三戦はそれぞれに三戦としての意義がある
のです。外見だけで判断は出来ないことも有ると思います。
心道流のサンチンは、宇城氏の師である座波先生が習ったのが
宮城長順先生より年上のヒトかららしいから、
東恩納時代の影響が濃い、ということでしたかな
座波先生は、東恩納先生の高弟だったという人(守衛さん)から
三戦を習ったとあるけど。
>実態は知らないけれど那覇手の城間流
調べてもどういう系統なのか
さっぱり出てこなかった……