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三進:
宇城氏の三戦立は、引き手は腰だそうですね。次に両手での横受です。東恩納寛量の両手横受は
中段の高さで、両腕は下半身からの纏絲勁で両手首の捻りによって脇は締まる。結果、両拳は外
に開きすぎない。
宇城氏の両手横受は、高く脇も空いて拳は外に開きすぎている。これは、単に剛柔流の出来そ
こないでは無いでしょう。東恩納寛量が福州で学んだのは白鶴拳4派の内の鳴鶴拳であることは、
何も渡嘉敷氏の論を待つまでも無く、宮城長順と呉賢貴の関りから明らかです。ただし、東恩納
寛量の那覇手を越えた体系の成立のためには、鳴鶴拳以外の流派・門派が入っていたことも、技
法の上から確実です。
それはさておき、鳴鶴拳は残念ながら今は無く、食鶴拳だけが台湾で活躍しているようです。
その食鶴拳のほぼそのままの体勢で突を捌く実戦の両手構えの開手を握拳にすれば、高さも脇の
空きも拳の開きも、宇城氏の両手横受と同じなのです。よって、もし宇城氏の両手横受が、東恩
納寛量とは別ルートで福建から伝わった那覇手の三戦をそのままに伝えているのであればそれは
それですばらしいことだと思います。これは、実態は知らないけれど那覇手の城間流の三戦につ
いても同じことが云えると思います。
東恩納寛量の三進は、東恩納寛量の三進です。他の三戦はそれぞれに三戦としての意義がある
のです。外見だけで判断は出来ないことも有ると思います。