>>530 だからなんで黒田泰治が王樹金より上よw
黒田泰治が王樹金に勝てるとしたら、
王樹金が腹を殴らせる時実は暗器で突くとか、
考えられるのはそのぐらいだろ。
あーそれでも内臓に届かないかもな、あの腹じゃw
>>543 馮志強老師はおもしろいほどからだが動いてるけど、
瀬戸師範は全然からだの動きがみえない。
レベルがちがうとおもわれる。
579 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 19:19:12 ID:9CP/gwic0
>>345 千葉道三郎を千葉周作の弟と書いておられるが、千葉周作の三男が正しい。(
>>344で書いた誤記に釣られたならゴメン
下江秀太郎は道三郎の弟子であり(周作は秀太郎が7歳の時亡くなっている)1866年18歳にして玄武館塾頭となる。
十代の塾頭天晴れ、ということで宇都宮藩主・戸田忠恕から表彰された。
松崎浪四郎との激闘は剣道史に於ける語り草である。
明治の世になり秀太郎に師事した高野茂義は、師につけて頂いた稽古の様子を振り返り述懐している。
「突きをお見舞いしようかの」
言われるが直後、ズン、と喉に食らう。
必ず宣言されてのちであるのにけしてかわすことが出来ず、また、食らったら3日は唾が飲み込めなかった。
かと思えば、時にはゆっくりと竹刀を振りかぶる。
「柳生流、上段参る」
スゥーッ、と振り下ろされる竹刀をどうしてか絶対にかわせず、小手をポンと打たれる。
軽く打ったようにしか見えないのに、食らったらその日1日は竹刀が持てなくなり稽古が出来なくなった。
580 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 19:41:15 ID:9CP/gwic0
中山博道を破った高野茂義にしてこれである。
幕末の名剣士達が生きていた世界はどうやら現代とはかけ離れた次元にあったようだ。
榊原健吉は下江秀太郎に一方的にボコられたそうだが、まともにやり合えてる時点ですごい。
秀太郎と二度対戦して二度引き分けだった松崎浪四郎、その松崎浪四郎に接戦まで持ち込んだ
鐵太郎の次元が伺い知れる。國井善弥は茂義の義父・佐三郎を破りはしたが、接戦だったため、茂義ならわからなかった。
581 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 19:57:05 ID:9CP/gwic0
鐵太郎も秀太郎も勝ちを得られなかった松崎浪四郎の道場に、「練兵館の閻魔鬼神」佛生寺彌助が訪れた。
初め、浪四郎は「それが誰であるか」知らなかった。
いきなり小手を取られた浪四郎は、「何の、そんな軽い打ちは効いてない」と言い放つ。
彌助、何を思ったか床に顔を近づけ道場内をウロウロし始めた。
「今切り落とした手首から先はどこにいった」
浪四郎は本気になり、立ち合い再開。
しかし、彌助が宣言してのちに繰り出される上段がけして防ぎ得ず、手も足も出なかった。
「松崎先生、上段まいります」
宣言してくれてから振り下ろされるのに唯の一撃も防げないのである。
立ち合いが終わったのち、来訪者が佛生寺彌助であったことが告げられ、また一つ彌助の伝説が加わることとなった。
582 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 20:10:08 ID:9CP/gwic0
>>569 >風が吹けば桶屋が儲かる
面白い。
>>331と合わせてつないでみる。
瀬戸敏雄先生は靖国神社で煉功されてる、と以前のスレで読んだ覚えが。
佛生寺彌助虎正の居た練兵館の跡が靖国神社である。
兵どもが夢の跡。
身長は白井亨、佛生寺彌助、瀬戸敏雄ともに168cmと聞く。
583 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 20:44:43 ID:9CP/gwic0
>>567 >鉄舟は大きな悟りは数百回、小さな悟りは無数経験しなければならないと説いてるな
山岡鐵太郎は1836年7月23日生まれで、江戸城無血開場のための西郷隆盛との会談という大役を
任されたのが1868年4月5日、鐵太郎31歳の時だった。
既にその年齢にして江戸随一の「ハラ」の持ち主と判断されたわけである。
しかしその鐵太郎を以っても中西道場出身の豪傑・浅利又七郎義明にはまるで歯が立たなかった。
1865年に師事し始め奮励刻苦して15年、1880年3月30日鐵太郎43歳の時、師・又七郎を超えたと伝わる。
鐵太郎はその時のことを「大悟」と位置づけており、以後に悟りがあったかは書き残していないと思う。
松崎浪四郎と立ち合ったのは「大悟」以後の話。
鐵太郎は1888年7月19日に51歳で亡くなった。(考えてみれば随分若いと思う
>>575 セトさんはよく知らないけど、王樹金氏いわく内功の技が身につく目安は十年だって。
もちろん全伝を受けて、理論派に耽溺することなくヒタスラ黙々と行じた場合に限りだろうね。
585 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 22:11:29 ID:Wu7o/juC0
>>577 以下の黒田泰治の逸話が真実なら、
王樹金より明らかにランクが下ということはないと思う。
・大陸で馬賊に襲われた時、相手を小銃ごと真っ二つに斬った。
・暗闇のなかで円陣を組んだ目録・免許の人間の面、篭手をすべて受け応じ、打ち返した。
・真っ向から切り込んでくる真剣を扇の要で受けることができた。
・あるときその扇の要が割れてしまった。おっと危ないと頭を左に避け、肩に傷をおった(要が割れてから真剣が頭に達するまで数十分の一秒)
・米俵ほどの太さの巻藁二つ(中に砂の詰まった孟宗竹が三本)を、刃のついていない刀で一息に切って落とした。
・力士五人に押さえつけられた状態からいとも簡単にすっくと立ち上がった。
・鳥獣店の高級金魚に気を当ててすべて気絶し、ひっくり返して浮かせた。店主が慌てていたところ、また気を当てて元に戻した。
↑さんは王樹金氏の異様な肩の落ちが見えないですか?
587 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 22:26:11 ID:Zr87h/Jl0
逸話で誰誰より上とか下とかってランク付けするのも唖然だが、さらのその逸話が事実ならっておまけ付で話されたんじゃー・・・
588 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 22:29:02 ID:Zr87h/Jl0
さらの→さらに
身長は白井亨、佛生寺彌助、瀬戸敏雄ともに168cmと聞く。
はいはいワロスワロス ( ゚д゚)
590 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 23:02:00 ID:v2qzVCSQ0
shitarabaに貼ってあったから来てみたらイタい書き込み見つけたよ・・
>>406 >130kgの力士なら出来るでしょうw
同じ現役幕内力士を壁まで放り投げることの出来る力士がいるなどと、本気で思ってるのだろうか・・
まともに体を動かしたこともなく試合に出た経験も無い人間がこういうヲタになるんだな。
力士を神格化し過ぎだ。ヲタクだなァ、ホント・・ 現役引退したばかりの戦闘竜が
瀧本誠にバンバン投げられてた事実を知らないらしい。
俺は高校大学とスポーツ推薦校の柔道部だったからトップアスリートの現実をよく見知ってるから
力士やプロ格闘家や柔道選手やトップアスリートを神格視していない。
それだけに俺らや彼らを超える古の達人を生々しく理解出来るし認めようって気持ちになる。
591 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 23:19:17 ID:qTvq4spk0
黒田家は有名どころと接してないから実力が測り辛いんだよね。
強いて言えば中山博道が空道館に訪れたのと正郡が榊原健吉道場に赴いたことくらいでしょうか。
「中山博道氏が訪れた際には流石に免許の方じゃないと相手にならなかった」でしたっけ。
榊原健吉は正郡とやろうとしなかったから余程怖れてたことがわかるくらい。
>>587 夏休みなんで、中学生が自由研究にランキング作っているんでしょう。
・力士五人に押さえつけられた状態からいとも簡単にすっくと立ち上がった。
これぐらいオレでも出来ますよ。
大の字に寝れば手の返しがつかいやすいしね。
ようはトリックが効きやすくハッタリの効きやすいパフォーマンスです。
基本の合気上げ遊びのほうが難しいですよ、人間じゃ出来ないぐらい。
打撃に対し先を取って、触れた瞬間くずす王老師の得意技のほうがどんなにか達人芸か。
あータイミングがわるかったw
>これぐらいオレでも出来ますよ。
これ直前のレスを受けての不真面目なものじゃありません、あしからず。
厳密に正確に、体験的勘違いを決して含まずに体験的に、逸話のたぐいは検証していきたいですね。
595 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 00:09:15 ID:cdOGjGCh0
>>591 敢えて考察してみる。(ネット情報も多分に縫い合わせる
富山藩に聞こえし空道館に於いても、猫が斬れたのは黒田正郡龍心齋ただ一人だったと読んだ。
泰治には出来なかったことと思われる。(出来たなら報告があると考えられる
「猫を斬る」という芸当が如何程に難しいのかを読み解こう。
猫は動きが犬とは比べられぬ程敏速であり、地上で人が通常接しを持つことが出来る動物では
「鶏」等の鳥類を除けば捕獲や斬殺が最も難しいのだと言う。
だが、武田惣角はこの「鶏」をしかも棒で打ち殺してのけたそうな。
正郡とは敢えて比較しないが、少なくとも泰治では及び得ない剣遣いを持っていたと言えよう。
武田惣角は、武術の「芸当」的な部分を専門に磨いた人ではなく寧ろ黒田家のほうがそうした芸当は専門性高きゆえ、
こと実戦に於いては、惣角は泰治に大きく優ると言えそうである。
>>571 私は荒らしなんかしてませんよ。薫風さんと言う人と勝手に勘違いされては困ります。
センター論は瀬戸先生と直接の関係がないので、専門スレを立ててはどうかというのが
そんなにおかしい主張でしょうか?
どうも信じて頂けないみたいですが、私以外にもそういう人はいるようですね。
>以後はいくらでも「俺も嫌ってるぞ」と自作自演できるから説得力なし。
「俺は気にしないよ」というのも自作自演できるわけで、そういう不透明さを避ける意味でも
2ちゃんの基本ルールに則って住み分けるのが一番だと思うんですが。
分派についてですがセンター理論の詳細は知りませんから、私は取りまとめられませんし
センター理論を詳述できる方に議論を深めて頂いたほうが良いと思います。
caNh6KtQ0さんによると、やがて瀬戸先生と繋がってくるという話ですが
センター理論によほど詳しい方でないと真偽は判断できないでしょう。
そのためセンター理論の説明にレスを多く消費することになるでしょうし
それなら別のスレで行ったほうが理解の効率が良いと思いますよ。
>>591 泰治先生の時代は振武館でなく空道館という道場だったんですか?
598 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 00:33:04 ID:mp/YHrPU0
>>596 アナタのこのスレでのいままでの発言を書き並べて下さい。
荒らしかどうかはまずはそれで判断できるでしょう。
599 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 00:38:29 ID:dCkoBMI50
スルーっと
600♪♪
601 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 00:44:50 ID:3bqxIKux0
>>597 振武館は埼玉。空道館は富山。
中山博道が訪れたのは富山の空道館。
>>598 どうせ答えられっこないんだから荒らしはスルーしましょう。
できなければあなたも荒らしです。