えーと電磁波でググると電磁波には時間的に未来に向かう波と過去に向かう波の2種類があるらしい。
>>251 いや、届いてたよ。
俺もその場に居合わせたけど、金ちゃん顔真っ青になってた。
怖くて振り向けなかったんだね。
あの後、頭抱えてガタガタ震えてたよ。
t
test
このスレいつ消えるん
もうすぐ
まだか?
まだなん
274 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/04(日) 15:51:57 ID:0Mm16VU+0
age
275 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/05(月) 12:59:21 ID:kqZ4UaWz0
気なんてないです。
ないんです。
276 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/05(月) 16:16:15 ID:arP0kgptO
氣ならあごひげ先生に聞けば!
力の流れをして気と呼ぶのならそれは間違いなく存在するだろ。
丹田だってそうだと思う。丹田という器官は存在しないが丹田という場所は存在する。
279 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/07(水) 04:22:42 ID:WBAUf1p70
気を信じている人は
ハゲ、オカマ、インポの方がほとんどのよう。
信じているからハゲ、オカマ、インポになるのか?
ハゲ、オカマ、インポの人が気を信じるようになるのかは不明
280 :
休養中 療養中:2005/09/07(水) 05:35:43 ID:voMokt340
もはや、気が存在する事は、疑いようも無い事実だと思うけどね。
282 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/07(水) 15:29:56 ID:WBAUf1p70
どうして気はあると思い込むようになったのか?
ここで気があると主張している人たちの「気」とは実体が同一のものだと
・・・・いえるのか?
283 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/07(水) 15:51:04 ID:MeznZUmD0
>>208 賛同。
なんか視線を感じて、振り返ってみたら、やっぱり見てる人がいたっていうのは、
誰でも体験した事があると思います。これは、気ではないでしょうか。
284 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/07(水) 15:52:59 ID:97EqZOed0
小生、気というのは「勘」や「感性」のことと捉えております。
「気」の力でパワーを増加する、なんてことはできる。
しかし、科学的に分析していくと、筋肉の有効な使い方と技術の集合体、と言う結論になる。
>>283 後ろの人が同じ方向に歩いているとしたら、その人は前にいる君の方向を向いているよね。
前にいる人が振り向いて、君の方を見たら、君もふと目線を会わせるだろ?
で、普段から「気」のことを気にしてたら、「気があった」ことが印象づけられて、
あわなかった時のこと(後ろに誰もいないetc)などは記憶にとまらずに
経験からは揮発するか矮小化される。そして「気」の存在を確信するようになる。
人間の記憶ってホントいい加減なものだからね。都合の良いように記憶を修正しちゃうこともあるし。
君たち、足りない知識で語り杉。
一度真面目に仙道道教の本読んでみると良いよ。
先人たちの叡智を垣間見れるよ。
288 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/08(木) 01:47:30 ID:o1TIfDB40
>287
?知識?
気は知識で、あると証明できるものなのか?
289 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/08(木) 03:41:33 ID:o1TIfDB40
>287
仙道道教などで説かれるような「気」は実在するのかという論なんだよ。
わかりまつか
290 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/08(木) 03:54:53 ID:DqhliYLC0
気でどうこうしようなんて無理だね。
>>288 君って真性だね
何故知識も無いことを証明する
>>289 ならまず始めに仙道道教の見解を調べるのが筋だろ
解るかねぇ?
無知であることを強みにするこの愚鈍はいったい・・・
292 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/08(木) 07:45:39 ID:o1TIfDB40
>291
気とやらは、知識でとらえれるものではないでしょう。
知識で理解したりするのは、簡単です。
道教によらず、いくらでも本なんていっぱいでていますから。
>ならまず始めに仙道道教の見解を調べるのが筋だろ
解るかねぇ?
わかりませんね。
あなたが、まず提示すべきでしょ。
道教などにおいて、どのように気の存在を証明してるのか。
わかりますか?
ここは、気が存在するかを論じているのですよ。
気が存在したとしても、気は知識ではないでしょ。
本などでかかれているのは、気ではありません。
あと無知な君にいっとくが日本と中国では気にかんする概念はまったく違うものです。
>無知であることを強みにするこの愚鈍はいったい・・・
あの〜道教などはかじったことはありますよ。
293 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/08(木) 07:46:56 ID:o1TIfDB40
気は知識なのか?
知識がないと証明できないのか?
道教を読まないといけないか?
294 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/08(木) 07:52:07 ID:o1TIfDB40
>君たち、足りない知識で語り杉。
こいつはたんに、道教などを読んだことがあり、それが正しいと思ってる
だけだよね。
それがどうして正しい=気が実在するかを論ずるところなの。
道教を読むところでもないし、同郷を肯定するところでもないの。
道教の気についえて語りたいなら、まず
道教に
おける気の定義をまず、提示するのが筋だろ。
なんで、いきなり道教を読めなどといわれなくちゃいけないのか?
無知なのはこいつじゃないか。
295 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/08(木) 07:59:42 ID:NQzKKpE+0
やっぱかめはめ波が使えたらベストだろう?
296 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/08(木) 08:00:41 ID:o1TIfDB40
もっとわかりやすくいうと、
道教などは気を肯定している立場の書であり、
ここは気の実在を問う場であり、気にたいして肯定者も否定者もいる。
その場、いきなり気を肯定している道教を読めというのは、まったく無礼なこと。
否定者は、道教などの気の知識など得ているかもしれず、それでも否定しているのだし、
道教の気をもとに肯定したいなら、道教においては、どのようにして
気の実在を証明しているのかを提示するべきなのだよ。
道教などの知識があっても否定する人は否定するんだから。
道教などの知識がなかったら気についてかたれないなどというのは暴言も暴言。
もし気が実在するなら、道教など知らない人でも、感じたりとらえたりするだろうし、
その体感や体験、また体験にもとずく見解などは、知識がなくとも十分にできることであろう。
297 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/08(木) 08:06:33 ID:o1TIfDB40
あとさ、ついでにいっておくと
中国における気と日本における気の概念は違うのだよ。
中国にける気をいきなりもちだして本よめなどという奴は・・・。
> 中国における気と日本における気の概念は違うのだよ。
断定意的に言うからには論拠も示めせ。
おめェの脳内だけの話じゃないのかw
299 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/08(木) 10:56:10 ID:o1TIfDB40
>298
違うに決まってるじゃないか。文化、歴史が違うのだから
武術などを見ればよくわかる。
中国武術、仙道などでは、積極的に呼吸法で気を発生させ身体にめぐらせようとしていく。
物質的、即物的なものとして気はとらえられている。
日本の武術、武道は仙道などのように、単独(自分一人)で気を養成したりりしない
常に相手とのなかで身体をつくり、相手とに関係や状況の中にあるもの・・・・気
気の妙術(加来耕三著)より
実際、中国的な「気」と、日本人が慣用的に使ってきた「気」は言葉の意味
からして違う。「気持ち」「気が合う」「気分がいい」「気にいらない」
「気が重い」「気を配る」「気が抜ける」「気になる」「気を晴らす」
日本語に含まれる「気」の概念と言えるものは、個人的な感情や心の状態を指すものと
その気はイを差す場合が非常に多い。どちらにしても、即物的な実体をともわわない感覚的
なものがほとんどであり、エネルギーという概念ともあまり近くない。・・・・
300 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/08(木) 10:59:38 ID:o1TIfDB40
中国の気と日本の気との違いを考察した書物はいくらでもあると思うよ。
同じだと思うほうがおかしい。
このスレッドをみても、同じ肯定派でも立場はちがっている、
同じ日本人でも気という言葉たいするイメージや観念は様々であろう。
ましてや、国、言葉、文化、歴史が違えばなおさらのことだ。
301 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/08(木) 11:02:51 ID:o1TIfDB40
>>299 >その気はイを差す場合が非常に多い。
その気配をさす場合・・・・
に訂正
本能があるんだから気もあってもいい気がするけどな。
疑う事を放棄するのは妄信に他ならないが
レスの量で理論武装して・・・
知らない人と付き合いたいなら軽くネ。
オーレの超古代文明の超力にくらべてカーレのクルマジックパワーは素晴らしかったな。
ばかばかしさがよかった。
> 中国の気と日本の気との違いを考察した書物はいくらでもあると思うよ。
あ〜。了解。書物の知識なのねんのねん。
> 違うに決まってるじゃないか。文化、歴史が違うのだから
文化・歴史wwww
>>292 > あの〜道教などはかじったことはありますよ。
かじったカジッタ齧ったかじったカジッタ齧ったかじったカジッタ齧った
>>293 知識無しで君は何を始めようというのか。
何も始めないのか、そうか。
>>300 > 中国の気と日本の気との違いを考察した書物はいくらでもあると思うよ。
あると思うあると思うあると思うあると思うあると思うあると思うある。
相手したくなぃ。。。
307 :
35:2005/09/09(金) 01:29:53 ID:/VcTyGDO0
は何を言いたいのかな?文章かけないのかな? お馬鹿さんなのかな?
>あ〜。了解。書物の知識なのねんのねん。
知識が必要だと主張する人がいるから、知識レベルの話をしただけで、
身体レベルでの気の話でもよろしいですよ。まあ、私のレベルはあなたの
レベルに劣るかもしれませんがね。
>知識無しで君は何を始めようというのか。
何も始めないのか、そうか。
だから、ここは道教・儒教の専門スレではないのです。
まずあなたが道教・儒教における気の意義なりを提示しなければならないのです
。知識がないとダメなレベルならはじめから割りこんでこなければいいのです。
道教などの知識がないと気が語れないというのはあなたの暴言ですね。
>あると思うあると思うあると思うあると思うあると思うあると思うある
あります。いくらでも。
>相手したくなぃ。。。
相手されたくありません。
ここは、気を肯定するにしろ、否定するにしろ道教に限らずいろんな
立場で、道教の知識がなくても、気の体感などなくても、
自由に発言できる場でしょう。
まともな意見もいえないような方に相手されたくないので。
308 :
35:2005/09/09(金) 09:40:50 ID:/VcTyGDO0
このスレの雰囲気が悪くなる可能性があるので
撤退させていただきます。
私も厨が引き篭もるまで放置させていただきます。
310 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/10(土) 07:19:45 ID:GszS8gL/0
>>299はたぶんちゃんと分かってる。
漏れも武術気功はできるけど、日本人相手には気という言葉は
使わないようにしてる。誤解されるから。
日本人は「気」という言葉を武術で言う「意」と混ぜこぜにしている。
気はどっちかと言うとハードウェア寄りの概念。意はソフトウェア。
気は体に触れば体験できるけど、意は気や力をコントロールするための
ソフトだから確認しようがない。
書いてて思ったけど気と電気って位相的に似てるんじゃないかな。
プログラムとハードウェアとを繋ぐものとしての。
311 :
名無しさん@一本勝ち:2005/09/10(土) 07:30:59 ID:GszS8gL/0
あれ、イって意じゃなくて気配の話?
それだとなんかよう分からんぞ。
やる気だとか気持ちだとかそういうのは中国武術だと意に分類される。
312 :
名無しさん:2005/09/10(土) 16:44:31 ID:ufBQcCCQ0
気なんてもんじゃなくて、木でバカ藤倉のあたまう地つけてやりてえぜ。
あの豚、早くしねばいいのにな。信金高速にまたなれ。はやくしね、しね、しね。
中国から文化を拝受していた日本は気についても学んだ。
しかし、実態を知るに至らなかった。
そこで元気とかやる気とか精神的なものと判断して日本
独特の解釈になった。 しかし気は実態のあるものだと
いうことが近年(でもないか)知られるようになった。
こんなとこだ。(チャンチャン