「海行かば」について
「海行かば」の出典のひとつは、続日本紀(*)である。
天平勝宝元年(西暦749年)の春、聖武天皇が奈良・東大寺に行幸あそばされた際に、
中務(なかつかさ)省の長官であつた石上朝臣乙麻呂(いそのかみ・あそん・おとまろ)が儀式の席上で、
天皇への忠誠の厚い大伴宿禰(すくね)・佐伯宿禰の両名を天皇がおほめあそばされてゐるといふ趣旨で、
両名の先祖を賞賛、両名を激励するときに伝へたことばとされる。
もうひとつの出典は万葉集である。
万葉集4094番には、上の様子が長歌のかたちで収められてゐる。
ただし最後の句は、続日本紀では、
長閑には 死なじ (のどには死なじ)
となってをり、
万葉集では、
かへりみはせじ
となつてゐる。
大東亜戦争中によく歌はれ、戦後は神風特別攻撃隊のフィルムなどで背景に流れる曲は、
信時潔作曲のものであり、歌詞は万葉集の方を採用してゐる。