私は、矛は収めたつもりでした。
きっと、あの先生は、慢心を戒め、明らかに他流派の尊厳を損なった発言を即座に訂正されると信じていました。
私は、あの先生に何度も書き込みました。
武術の館長たる人物が、他流の批判などしてはならない。それは、争いを生む。平和を求めるべき「武」の心に反すると。
が、昨日やりとの後、今日、自分は昼休みにあのホームページの掲示板を見ました。そこには、相変わらず○○さんと、そのお仲間の方。
そこが結構好きで出入りしていた自分への誹謗・中傷としか取れない書き込みが残ったままでした。
自分は、職場の昼休みに書きました。何故、私(と、私の敬愛する○○さんとその仲間の方々)の名誉回復をしないのか、と。
しかし、実のある答えはありませんでした。
その先生は書きました。
>とりあえず、他流批判の件ですが、まさにこれはボストマン氏がいみじくもご指摘された通り、他流批判ではなく、自己批判です。
>私も曲りなりにも松濤舘流を40年近く稽古してきた人間です。今でも当然やっております。知人もたくさんいます。名前を聞けば多分、H氏も貴方もご存知の方が多いと思いますよ。
>その私が松濤舘を愛する余りの私個人の自己批判としてつい筆先がほとばしってしまったとご理解ください。
と。
しかし、それは真っ赤な偽りです。
この先生は、松濤館流をないがしろにしております。
自分はこれから、この掲示板ほか、幾つかの掲示板に書くつもりです。
何を?真実を、です。
この先生は、あろうことか。
松濤館流を学んでいる○○さんに、流派の名をを傷つけるメールを送りつけていました。
自分はその先生が、自分宛に転送してもらったメールを持っています。
この○○さんは、ほんの軽い気持ちで自分にそのメールを送ってくれたようです。
その先生は大人です。そのようなメールをもらっても、何一ついっていないようです。ですが、自分はもう我慢なりません。
○○さん、勝手にそのメールを公開するご無礼をお許し下さい。
○○さんの名誉のために書きます。私はこれから書くことについて、一切○○さんに相談していません。全て、私が行ったことです。
(続)
(承前)
この先生は、武の心に反する言動を行いました。罰は受けるべきです。
その先生のメールを勝手に公開する自分も、それなりの罪はありましょう。
が、そもそもはこの先生の「慢心」より生じたことです。
この先生は「孫子の兵法」を標榜されています。
が、兵法を知らない。
先生、良いですか?孫子の兵法は、絶対に勝てる状態になってから戦うものです。あなたは、最初から負けています。
あなた自信の「慢心」によってです。
重ねて書きます。先生、あなたは、
>他流批判ではなく、自己批判です。
>その私が松濤舘を愛する余りの私個人の自己批判としてつい筆先がほとばしってしまったとご理解ください。
と、書きましたね?
では、○○先生宛に送ったメールに書いてある、この文面を何とするのです?
>(他流はともかくとして)とりわけ松濤館の型からは武術的な原理は絶対に出てこないと言うことであります。
これが、松濤館流と、松濤館流空手を真剣に学んでいる○○先生への誹謗・中傷でなくていったいなんですか?
私はあなたを、決して許しません。
マスク・ザ・レッド
今から、その全文を書きます。
○○さんに迷惑がかかるので、全て名は伏せさせていただきます。
いちおう、その先生の名も伏せておきますか。
Date: Sun, 16 Jan 2005 11:49:54 +0900 (JST)
Subject: Fwd: 差し出がましいようですが
○○です。
いつもお世話になります。
http://kodenkarate.jp/index.html ここのBBSで孤軍奮闘されていますね。
その方から以前メールをもらっています。
松濤館の型では武術的なものは出てこないという趣旨が書いて
ありました。
流派も不明、師伝も不明の変な人ですね。
埼玉県のことなので、××先生に確認したところ、
剛柔流もどこの伝が不明で、話題にもなっていない道場との
ことでした。
転送メッセージ [ ファイルを保存 ]
Date: Tue, 30 Mar 2004 11:44:39 +0900
Subject: 差し出がましいようですが
(続く)
(承前)
拝啓 ○○さま
私は、孫子兵法と空手(松濤館流も含みます)を指導している者です。わけあって
武道関係のページは全く見ない者ですが、別な理由から検索していたところ、偶
然、貴ページが目に止まりました。
現代の空手に多大の疑問を抱かれ、何とか解明しようとされている意欲と情熱は
立派なものであります。とかく、武道関係者には自分の頭で物を考えるという知
性が欠落されているようですが、貴殿に措かれましてはそのような傾向が微塵も
感じられなかったので好感が持てました。
さて、結論を先に申しますと、本当に空手の秘伝が分かってくるとめったなこと
で口外したくないと言う気持ちになります。もし、口外するとすれば、本当に斯
道に邁進し、求道の精神があり、人格・識見ともに優れた人物にと思うのは人情
です。逆に言えば、自分の持っているものに真の価値を見出しているからであり
ます。ましてや、古来、琉球武士の特権として秘密に伝承されてき空手(正確には
徒手空拳術と武器術)にあっては、同じ琉球人の間でも簡単に口外・伝承されたい
たものとは思えません。敢えて言えば、日本に空手を移入された方々が本当に口
伝を受けていたのかどうか、ということでありすま。
もし、然りとすれば、日本の空手はもっと違った形になっていたであろうし、そ
もそも貴殿が疑問に感じられるような奇怪な現象は起きていなかったはずです。
同じ日本人だからといって、秘伝を盗もうという野心に溢れた見知らぬ剣術修行
者が、たとえば、柳生石舟斎を尋ねたとしとしても、「はい、いいですよ」と言
って簡単に教えないのと同じことです。むしろ、無礼者と言われて門前払いされ
るのが落ちであり、そもそも、そのような安直な分かりきった方法で他人の秘伝
を盗もうと考えること自体、兵法者にあるまじき者と言わざるを得ません。
(続く)
(承前)
要するに、秘伝を継承していた少数の琉球人は、広く、一般の日本人に空手の奥
義を(特別な理由が無い限り)伝えようとする気持ちなどさらさらなかったという
ことであります。現代スポーツ空手風に言えば、アンフェアーということでしょ
うが、そもそも武術の継承にはそのような「お人好し」の概念はないのです。娯
楽・レジャー・歌舞音曲の類のスポーツの概念と生と死の局面に立って術理を組
み立てている武術的な概念とは似て非なるものなのです。それは日本の武術であ
れ、琉球の武術であれ、武術と名のつく以上、普遍的な原理であると解すべきで
あります。
一般に、「無い袖は振れない」と言います。ビンの中に少しでも水が残っていれ
ば、逆さにすればたとえ少しでも水は出てきますが、初めから空っぽであれば逆
さにしても水は来ないのとおなじことであります。理屈からいっても無いものは
いくら振っても出てこないのです。つまり、日本に移入された、(他流はともかく
として)とりわけ松濤館の型からは武術的な原理は絶対に出てこないと言うことで
あります。その意味では、(技法と普遍の原理を無限に伝えるものとしての)型と
いうよりも、有限の個人が織り成す一代限りとしの形、それもスポーツ競技用の
ものと言うべきであります。
それはさておき、陰陽の中国思想に立脚する琉球武術の観点から言えば、次によ
うに言えます。
(続く)
(承前)
1、受けには片手攻防もあれば、両手攻防の両方があります。いずれを用いるか
は状況即応ということです。両手攻防という意味から言えば、左手で額の前(もと
より額の前とは限りませんが、この場合はの意)に構えることは、下記に説明する
術理の関係上、当然のことなのです。
2、平安二段の最初の形は、クーシャククー(観空)から取ったものであり、「中
段拳槌打ち落とし」と言います。拳槌打ちと言っても単に横に打ち込むのではな
く、口伝があります。また、どのようにして動作するのかも口伝です。原則は上
記の通りでありますが、言われる通り、応用の所作として、右手で受けて左手で
攻撃する場合もあります。つまり相手がこちらの想定する中段攻撃をせずに上段
攻撃を仕掛けた来た場合、そのように対処する方法もあるということです。
3、平安初段から五段の型は、クーシャンクー・パッサイのみならず、色々な型(
一般的伝承型としては四十一あります)の要素を取り入れております。ただ、技の
口伝が無いというだけです。ピラミッドという形がそこにあるからといって、誰
しもが、直ちに、なぜそれがそのような形で造られたかを理解することができな
いのと同じことです。逆に言えば、正確な古伝があればたちどころにその所以が
分かるということであります。
(続く)
(承前)
4、ナイファンチン(鉄騎)初段の型の解説は、古伝の解説ではなく、合気道など
の知識があれば誰でも思いつくようなものであり、特に空手でなければならない
というものではありません。古伝の真髄に触れる為には、これまでもっている空
手観を根底から変えていく作業が前提になります。その上にたって虚心坦懐に吸
収してゆくということであります。実は、武道家にとって最も重要な資質は、こ
の頭の柔軟さにあるということです。一般的に、現代空手家は、あまりにも偏頗
な自己の思想に固執し、理解力と謙虚さがなく、虚仮脅し的に外見のみを飾るこ
とに汲々としているように見受けられます。
貴殿は、そのような類の方ではないとお見受けしたゆえに敢えてメールした次第
です。他意はありません。妄言多謝。
敬具
See you later.
孫子塾 △△ △△
以上で、全文です。
メールのラストにあった先生の名前、電話番号は消しました。
支離滅裂で読みにくいですが、
私も松濤館流も学ぶ者のひとりとして、
>つまり、日本に移入された、(他流はともかくとして)とりわけ松濤館の型からは武術的な原理は絶対に出てこないと言うことであります。
などと、言うメールを、松濤館流を学んでいる人間に送りつける人間を武術家として認められません。絶対に。
この先生が空手・琉球古武道を40年学んできたのはいったいなんのためだったのか.....自分には判りません。
皆さんの意見をお聞かせくださいm(__)m
(自分が、「他人が他人に宛てたメールを勝手に公開した卑怯者」という評価も、甘んじて受けますm(__)m)