1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
琉球武術である空手を日本古来の武術であるかの様に誤解している輩が結構多い。
しかも、日本を代表する伝統武術だと思い込んでいる節があるのでたちが悪い。
今一度、琉球文化と日本(大和)文化の違いを見直して見る必要があるのではないか。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/31 11:05 ID:cRkDB8Sb
2
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/31 11:08 ID:stlJgH/4
大和魂
まあ、確かにそうだね
うひーすいません誤爆しました…
一服の清涼剤のような誤爆ですね
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/31 11:48 ID:T6J7rDiT
唐手は琉球武術、空手は日本武道。
確かに琉球の武道なんだよな、空手。
本土固有の伝統武術とは分けるべきかもね。
前腕を使った内受けの動作なんかは、なんか琉球人特有の体使いを感じる。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/31 15:29 ID:4JzbmCy1
日本の国技は柔道と剣道
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/31 17:02 ID:EJtFomPT
琉球武術は中国拳法の影響が大きいため一人形により技を練る事を重視する。
これは後に本土に唐手が伝わり学生達の間で寸止め式の試合が行われるまで変わらなかった。
一方本土の武術、柔術や剣術などは二人形による対人形が基本になっている。
このため早くから乱捕りの概念が生まれ後の柔道、剣道に繋がっていったものと思われる。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/31 17:41 ID:mz4meD+8
極論持ち出せば、人類皆アフリカに起源を持つ同人種ということになるわけ
で、起源を持ち出すのは愚かな行為に等しい。要は、どう改良され進化発展
したかが、需要。その意味で、世界に冠たる日本武道<空手>でいい。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/31 17:41 ID:mz4meD+8
×需要
○重要
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/31 18:37 ID:MV84oLgR
インド起源で支那→琉球→大和という進化経路を辿った格闘術。
それが空手道である!
オリンピックに採用され形骸化するより、
銃器に対処可能な強さと精神性の両立を狙って欲しいものである。
某巨大団体の如く創始者を無批判に崇拝する老人のハッタリ芸能と化すのだけは、
何としても避けねばならない。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/31 18:45 ID:C2sAHiRo
武術と武道を近藤しないよ〜に気をつけましう
武道を逃げ口上にしてるよね。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/31 22:51 ID:9JksWh5g
>>11 そういえば古流で一人でやる形って聞いた事ないな。
一人でやる型は、体を練ることが主眼だからな。
泥臭く打突の威力や、スタミナ・耐久性の養成を重視するなら
二人でやらなくても構わないってことでしょう。
それに対して古流の柔術や剣術は体を鍛え上げるってよりも、
相手との拍子・間合いを重視してるから一人でやっても身につかない。
だから二人でやる型が基本。
そう考えれば、空手はやはり大陸寄りな体系だな。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 16:50 ID:IS1DC48h
そんなことはない
空手は日本の伝統であり、日本を代表する武道である。
この事を理解できない奴はもはや日本人ではない
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 17:07 ID:O04tLJas
大和といえば、確かに違うものになるだろう。
その当時は、国が違う。
だが、”日本”の一部になったのは、昨日今日ではない。
にもかかわらず、空手を日本文化でないというのは、沖縄に対する差別発言としか聞こえない。
>>1が中国人でなく、日本人だというのであれば、はっきり言って、まず、私は、
>>1を日本人としては、認められない。
他人の人権を無視するかのような発言をする者の、人権など認められない。
ましてや、自国の同胞を日本から切り離すような発言を平然とやってのける者など、認められない。恥部だ。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 17:17 ID:g99jVCvp
地球人ですが何か?
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 17:23 ID:6sGJxVvx
>>20 >大和といえば、確かに違うものになるだろう。
>その当時は、国が違う。
>だが、”日本”の一部になったのは、昨日今日ではない。
>にもかかわらず、空手を日本文化でないというのは、沖縄に対する差別発言としか聞こえない。
空手が日本古来の武術ではないのは確かな事ですよ。
空手は琉球が生み出した武術であり、その成立過程には島津藩への抵抗等が挙げられます。
琉球文化は沖縄の宝であり、本土文化との違いが沖縄のアイデンティティーでもあります。
逆にあなたは琉球文化の独自性を軽んじているように見受けられますが。
>>21 宇宙号地球丸にでも乗って外宇宙へ旅立ってください
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 17:41 ID:E2EJGSag
唐手は琉球発祥で一向に構わんのだが、それが内地に移入されて空手
となり、日本固有の武道として世界発信できる現実をおおいに誇るべ
き現象とおもうのだが。
例えばムエタイ=タイの国技と皆は認知してるわけだが、現地では、
独立性の強い地域発祥の格闘技と主張する一派もいるかもしれん。
でもそんなこと、他国の人間知る由もないわけで、細かく掘り下げる
必要性もなかろう。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 17:44 ID:E2EJGSag
視野狭窄もいたいが、視野拡大すぎるも及ばざるが如しか。
琉球唐手のもとねたは中華にあり、中華武術のもとねたはインド
格闘術にあるといえあれ、さらに探ればもとねたあるだろう。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 17:49 ID:6sGJxVvx
このスレの趣旨って >今一度、琉球文化と日本(大和)文化の違いを見直して見る必要があるのではないか。
ってことなんだよね。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 17:50 ID:fMqyirRa
>>1 おまいのような事いうのはチョンだ。
そんな事いったらきり無いわけで。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 17:50 ID:GpfR7Y/j
>空手が日本古来の武術ではないのは確かな事ですよ。
>空手は琉球が生み出した武術であり、その成立過程には島津藩への抵抗等が挙げられます。
は?薩摩藩占領以前から唐手は存在しますが?
それに現行の首里手の技術体系を作り上げたのは松村宗棍先生ですが、
松村先生が薩摩示現流で最高段位まで取得して首里手を作り上げたことは有名な話です。
誰がどこでどんな風に薩摩藩に対して抵抗したのか、具体的な話が皆無なままの決めつけはやめてください。
>琉球文化は沖縄の宝であり、本土文化との違いが沖縄のアイデンティティーでもあります。
何を言いたいんだかさっぱりわかりません。
日本国内で「沖縄」について話すときは、本土文化との違いを主張するのは当たり前でしょう。
それともあなたは、外国に対して沖縄が「ヤマトとは違うんだぜ」などと主張していると、本気で思っているんですか?
>逆にあなたは琉球文化の独自性を軽んじているように見受けられますが。
沖縄(琉球)は日本です。
創世神話はイザナギ・イザナミと同様な物があるし、沖縄であがめらている神は大和の生まれということになっているそうです。
沖縄の巫女さんたちは弥生文化で生まれた勾玉持ってます。
琉球語には大和の古語が残っています。
一体何をもって沖縄が日本ではないといっているんでしょう?
はっきり言ってあなたは、無意識のうちに差別主義者になっているんだと私も思います。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 17:53 ID:GpfR7Y/j
>>11 >>18 >琉球武術は中国拳法の影響が大きいため一人形により技を練る事を重視する。
嘘ですね。
二人で組んでやる練習は当たり前のようにやりますよ。
分解組手あっての一人型稽古です。
そういう意味では、むしろヤマトの武術に近い。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 18:08 ID:6sGJxVvx
やっぱり空手は日本古来(大和)の武術ではないということですね。
>外国に対して沖縄が「ヤマトとは違うんだぜ」などと主張していると、本気で思っているんですか?
なぜ沖縄が観光名所になっているか考えてみてください。
>沖縄(琉球)は日本です。
スレタイ見てください、日本古来(大和)になっていますね。
琉球は大和とは違うでしょう。
>一体何をもって沖縄が日本ではないといっているんでしょう?
いつそんな事言いましたか?
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 18:18 ID:77/vutzc
21がいいこといったと思うのは漏れだけか?
まあともかく、歴史だけ言うなら、本土に伝わってからの年月は柔道成立とさして変わらんだろう。
「唐手」が日本本土の文化というならともかく、空手は立派に日本を代表する伝統武術になっていると思う。
て言うと、柔道の元になった柔術は大和の武術だって反論があるだろうけど、「中国武術」として語られている太極拳だって、少し前までは大陸の一地方のローカル武術だったのに、いまや「中国」武術として語られている。
中国4000年なんて幻想で、支配王朝やその版図がどんどん変わっていってるんだし、文化は受け継がれていくもの、変わり続けてゆくものなんだからそれでいいと漏れは思う。
ラーメンは中国文化だけど、豚骨ラーメンは日本文化、ってことでいいんじゃない?
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 19:03 ID:GpfR7Y/j
>>一体何をもって沖縄が日本ではないといっているんでしょう?
>いつそんな事言いましたか?
・琉球は大和とは違う。
・日本古来=大和である。
以上から導き出されるのは、琉球は日本ではない、ということではないのかな。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 19:05 ID:GpfR7Y/j
日本古来は大和ではない。
日本の中に大和があったというだけである。
今は同じ国に括られているけども、
琉球独自に発展した素晴らしいもの、伝えるべきものもある。
そういう視点から見た場合
「今は同じ日本国なんだから、琉球文化も日本の伝統と言っていいんだよ!」
と、言ってしまうのは少々乱暴な気がしないでもない。
仮に国分け的に台湾まで日本の領土だったとしても、
やはり台湾独自の文化を日本の伝統だ、と扱ってよいものかは疑問だし。
独自性を尊重した考え方の場合、分けたほうがいい。
差別反対・同国の仲間を分けるな、という考え方の場合、日本の伝統に含んでもいい。
お互いの主張の論点によって線引きは変わるんじゃないか?
んじゃ、県ごとに分けるか?
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 19:34 ID:GpfR7Y/j
>「今は同じ日本国なんだから、琉球文化も日本の伝統と言っていいんだよ!」
>と、言ってしまうのは少々乱暴な気がしないでもない。
そんなことを行っているんじゃありません。
だから創世神話とかの話を書いたんですが。。。
今の日本の教育は、建国神話とか何も教えないから、
日本人の癖に天孫降臨について知らないのが普通になってしまっている。
だから創世神話とかに目が行かないのはそのせいなんですかね?
文化の話で行くならば、地域ごとにいろんな物があります。
琉球は地理的に離れているから大和と区別されやすい物が多いけれども、
文化の基礎は大和との共通点が多いです。
「観光名所になっているのはなぜ?」なんて馬鹿馬鹿しい考え方で区別するのはやめましょう。
観光名所は、観光名所じゃないところとは別になってしまうんですか?
上海は観光名所で、3-400q離れた南京の人が観光に行ったりします。
言語もかなり違います。でも南京と上海は同じ中国です。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 19:36 ID:GpfR7Y/j
これ以上書くのは蛇足かと思いますが、念のために書いておきます。
>国分け的に台湾まで日本の領土だったとしても、
>やはり台湾独自の文化を日本の伝統だ、と扱ってよいものかは疑問だし。
台湾は、本省人だろうが外省人だろうが、日本と言語的文化的な共通点はほとんどありません。
台湾原住の人はマレー系、そこに大陸からの支配者が入ってきています。
だから沖縄とはまったく状況が違います。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 19:45 ID:GpfR7Y/j
沖縄の文化に対して、薩摩の琉球進攻など政治的な面から語ること自体、考え方に問題があるように思います。
沖縄最古の歌集、大和の「万葉集」に例えられる「おもろそうし」に対する言及がまったく無いのはどうしたことでしょうか。
「おもろそうし」の歌の中には、繁栄の様子を表現するのに
「大和の鎌倉のようだ」という表現を使っています。
当時から中国や半島との交流があったにもかかわらず、
このような表現を使っているところに、昔の沖縄の人の意識が垣間見えるといっていいでしょう。
アンヴィヴァレンツで鬱陶しいな沖縄は。
日本古来といったら琉球の武術だと吠える。
日本古来じゃないといったらよそ者扱いの差別だと噛み付く。
日本古来の武術であり、そうでも無い。これで宜しいですか。
ふーむ。琉球文化に詳しい方のご意見は説得力ありますな。
地理的に離れていて中華風な色もありつつも
文化基盤は日本に近いということですかね。
でも空手に関しては広東系の南派拳法の影響が
物凄く強いと思うんですけど。
金鷹拳とか詠春拳とかあの辺りの「短橋狭馬」の感じが。
>日本古来といったら琉球の武術だと吠える。
誰が吠えてるんでしょうか?
私は実は沖縄人ではないので、沖縄でそういうことを言っている人がいるのかもしれませんが、
「琉球が生み出した日本古来の武術」だと主張しているだけではないですか?
>日本古来の武術であり、そうでも無い。これで宜しいですか。
日本古来の武術だと思います。
「琉球が日本ではない」とする論者の中に、文化的な面で言及している人がほとんどいないことなどでも明らかでしょう。
>>30のような部分的反論はあっても、
技術的に日本本土の示現流の影響があること、神話にも共通性があること、
弥生文化の名残があること、言語的にも大和に近いこと、
こういったことを見れば、「琉球は日本ではない」というのは、あまりにも表層的な見方としか思えません。
>空手に関しては広東系の南派拳法の影響が物凄く強いと思うんですけど。
これに関しては、那覇手についてはもう少し細かい考察が必要かもしれません。
でも首里手・泊手に関しては、たとえばナイファンチの原型が見つかっていないことから考えても
既に沖縄のものといってかまわないと思います。
言語が大和の方言である時点で判りきった事を・・・。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 20:09 ID:1UtqSiMf
>>41 あのねー琉球が大和の文化圏に内包されてるのは、間違いないのよ。
民族的にも大和に内包されてるのね。
でも琉球は、属国みたいな形ではあったが一応、君主国だったのね。
故に「琉球は、大和ではない」という話が出るのね。
国家の話と民族の話は、違うのね。
で、一応君主国だった頃に支那から伝播して発達した武術が唐手であるから
それは、当時の国家の視点から日本古来の物ではない、という事になるのね。
今日的視点から過去へ遡及して要するに沖縄県の歴史として語るなら、
確かに唐手は日本古来の武術といえるのね。あんたはこの視点で論じてるのね。
その場合なら特に反論は無いのね。
ID:GpfR7Y/jは琉球王朝と大和王朝に違いが無いと思ってるのか?
確かに那覇手以外の首里手・泊手に関しては
「短橋狭馬」とは一風違うのを感じますが、
明らかに薩摩経由で流入した本土の古流武術よりも
広東系の拳法の影響が大、いやほとんどのように見受けられるんですが。
鍛錬法にしろ、構えにしろ、見た目だけでも随分雰囲気違いますし。
確かに文化・歴史を紐解くと大和と琉球の接点もわかるんですけど、
こと空手に関しては、どうも「日本の」伝統武術と言うには
いささか歴史も短いし、他の本土武術と同列にするのは
あまりにも出身や系統が異なりすぎるのでは、と感じてしまいます。
>>43 一定の視点とは言え、ご賛同ありがとうございます。
ただ、
>でも琉球は、属国みたいな形ではあったが一応、君主国だったのね。
これですが、「君主国であったから日本ではない」というのはどうでしょうか。
幕藩体制というのは、言ってみれば連邦国家です。
それを、まるで中央集権制であるかのように幕府が日本を代表することで、
徳川家だけが得をしかねないという矛盾が明治維新の原動力となっています。
その連邦の中の一つの邦が会津であり薩摩であり、薩摩支配下の琉球王国であったと考えれば、
別に「別の国」というわけではないのではないでしょうか?
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 21:07 ID:GpfR7Y/j
>>45 >明らかに薩摩経由で流入した本土の古流武術よりも
>広東系の拳法の影響が大、いやほとんどのように見受けられるんですが。
広東系(福建系?)拳法の影響が大きいのは那覇手ではないでしょうか?
那覇手より首里手の方が正中線を意識した体捌きが強い気がします。
これは本土剣術の影響ではないでしょうか?
那覇手は体捌きより、中央から引っ掛けて外側に流す受け技が多いですよね?
また、鍛錬法に関して言えば、巻き藁は示現流の立ち木打ちがヒントという説が強いです。
構えなどに関して言えば、剣を携帯しなかったために素手の打撃術中心の武術が発達した結果であって、
剣があったために素手の打撃技が中心にならなかった本土の素手武術との比較は難しいと思います。
>「日本の」伝統武術と言うにはいささか歴史も短いし、
薩摩が琉球を征服した時点で、薩摩の文献に「唐手」の記述があるそうです。
手を近代的に体系付けた松村宗棍・糸洲安恒両先生は、
柔道の加納治五郎先生、竹刀剣術を体系付けた明治の先生などとそんなに時代が変わるわけでは無いと思いますが。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 21:08 ID:epygWeKz
別の朝廷だってことには言及しないの?
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 21:14 ID:GpfR7Y/j
>>48 今書こうと思っていたところでした。
>>44 >ID:GpfR7Y/jは琉球王朝と大和王朝に違いが無いと思ってるのか?
いえ、違いはあると思います。
しかし、例えば白河の関は、大和朝廷が蝦夷の南下を防ぐために設置した砦です。
じゃあ、仙台に伝わる柳生心眼流は日本の武術ではないのでしょうか?
そんなことは無いですよね。
幕府も松前藩も薩摩藩もすべて合わせて日本であり、
各地方に伝わるローカル武術はみんな「日本の武術」ということになっているはずです。
それなのになぜ、17世紀初頭に幕藩体制に組み込まれていた
琉球王国内に伝わる武術が日本の武術にならないのか、私には理解できません。
室町期の分裂騒動以降、大和全体がまとまったのは、16世紀末のこと。
幕藩体制が整ったのは、17世紀初頭。薩摩の琉球進攻も17世紀初頭。
政治的に見るのが正しい見方とは思えませんが、
政治的に見たとしても、琉球を日本の一部として語るのは、
それほど無理は無いのではないかと思うのですが。
>>50 幕藩体制に取り込まれた時点で空手が本土に広まっていたのならともかく、
明治期になってようやく沖縄から広まり、また本来の姿とは改変されて
いる点を考えると疑義を挟まざるを得ません。
私は何となく違和感を感じてしまいます。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 21:33 ID:epygWeKz
ここのスレタイみると
>空手は日本古来(大和)の武術ではないのだが
~~~~~~~~~~~~~~~~
ってなってますよね、つまりこのスレにおける日本古来や日本という表現は=大和と理解すべきじゃないかと思うんですが。
確かに沖縄は日本ですが、琉球は大和ではないと思いますよ。
ごめんなさい
>確かに沖縄は日本ですが、琉球は大和ではないと思いますよ。
は 確かに沖縄は現代日本ですが、琉球は大和ではないと思いますよ。に訂正。
>>51 >幕藩体制に取り込まれた時点で空手が本土に広まっていたのならともかく、
>明治期になってようやく沖縄から広まり、また本来の姿とは改変されて
>いる点を考えると疑義を挟まざるを得ません。
それがよくわからないのです。
日本の武術とされているものすべてが、本土全体に広まっていたわけではないでしょう。
ローカルに伝承されていて、明治以降に「日本の武術」となったものもありますよね。
だとすれば、疑義にはならないと思いますが。
でんべえさんは、はじめから「沖縄は日本ではない」という前提で考えているから、
「本土に伝わっていなかったから日本の武術ではない」という発想になってしまっているのではないですか?
まず前提をはずして考察するべきではないかと思いますが。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 21:39 ID:GpfR7Y/j
>>52 >つまりこのスレにおける日本古来や日本という表現は=大和と理解すべきじゃないかと思うんですが。
私は、これまで書いてきた沖縄文化の特徴を考えてみる限り、
「大和=日本」とするスレタイの書き方自体に間違いがあると思っています。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 21:43 ID:GpfR7Y/j
こういうスレ立てなら疑義はないです。
=======================
空手は大和の武術ではないのだが
1 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/07/31 11:01 ID:SmOncclY
琉球武術である空手を大和の武術であるかの様に誤解している輩が結構多い。
しかも、大和を代表する伝統武術だと思い込んでいる節があるのでたちが悪い。
今一度、琉球文化と大和文化の違いを見直して見る必要があるのではないか。
=======================
日本には、江戸以前にも歴史がある。そこに琉球はいない。
中世の琉球は、支那の冊封を受けていたが、
極一部の例外を除いて日本は、支那の華夷秩序とは古代で縁を切っている。
両者の国際社会での位置付けは、全く異なる。
近世への移行期に島津に従属したからといって、古来から日本はあるまい。
古代に日本ではなかった。中世にも日本ではなかった。
永く朝廷にではなく、支那の皇帝に従属してきた。それが琉球なのだ。
民族の話と国家の話は、違うと再度繰返す。
>>54 その琉球以外のローカルな地域は、永く朝廷の権威下に服属してきた。
だから全土に普及していようがいまいが日本古来の武術である。
17世紀に島津に従属し、19世紀に日本となった琉球とは違う。
江戸期の空手は、ガイコクでしかない琉球ローカルの”日本とは殆ど無縁な”武術であり、
近代に日本に併合されてから漸く日本本土で普及した。だから日本古来の武術ではない。
大和であろうが日本であろうがだ。
より厳密に書くなら
>近代に日本に併合されてから漸く日本本土で普及した。だから日本古来の武術ではない。
近代に日本に併合されてから漸く”日本”で普及した。だから日本古来の武術ではない。
空手は、近代以降の日本武術であり日本武道である。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 22:07 ID:8zj8nST/
>>55 >「大和=日本」とするスレタイの書き方自体に間違いがあると思っています。
大和+琉球=日本でしょうが、スレタイでは日本古来=大和のようですけど?
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 22:17 ID:JI57Ta6O
機内のヤマト政権から見れば、辺地蛮族征討した
東夷による防人の武技が香取鹿島によるものだが…
時代によって「ヤマト」の範疇は違うだろうね!
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 22:18 ID:GpfR7Y/j
>>59 それが間違いだ、ということです。
スレタイをすべて正義とするならば、「武心塾は地上最強」ということになってしまいますが、
そんなことが一般に通用しないのはわかりきったことでしょう。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 22:19 ID:GpfR7Y/j
>>57 >日本には、江戸以前にも歴史がある。そこに琉球はいない。
>永く朝廷にではなく、支那の皇帝に従属してきた。それが琉球なのだ。
そのように一方的な見方の歴史を語るのはいかがかと思います。
江戸期以前にも琉球はありましたよ。
朝貢の話をするならば、日本最初の国史である「日本書紀」、そして「続日本紀」にも
琉球の人が朝貢したという記録はあるとのことです。(7世紀前半)
あと、あなたは中国の冊封体制をかなり重視されているようですが、
あれは中国の世界観に過ぎないもので、今の国家概念とは ま っ た く 違うものです。
「天の下中華皇帝の土地でないものではない」という前提の、彼ら独自の世界観で、
日本論・沖縄論をする上で、それほど重視されるべきものではありません。
そういえば本土でも、15世紀に「日本国王臣源」が明に朝貢してますし、大内氏も明に入貢しています。
経済的に得があるからやっただけのことで、そんな話は国家論とはまったく関係の無いものです。
そんな話よりも、彼らの帰属意識と、大和がまとまった時期に琉球も日本に組み入れられて今に至っている、
という話のほうがはるかに重要です。
もっとも中国人が沖縄論を述べる場合には、冊封体制は重要なものになるかもしれませんが。(w
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 22:23 ID:GpfR7Y/j
あと1UtqSiMfさんは、
>>57でこんなことも書いていますが、
>17世紀に島津に従属し、19世紀に日本となった琉球とは違う。
島津の進攻は徳川幕府も承認済みです。
琉球が17世紀に島津に従属したのに、その後19世紀まで日本ではなかったというなら、
島津もまた19世紀まで日本では無かったということになります。
変ですよね。
>>63 従属と併合の区別も付かない半端な揚げ足取りしか出来ないか。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 22:31 ID:8zj8nST/
>>61 いや、それぞれのスレには話し合う前にそのスレ内で共通の定義が必要で、
それが必ずしも一般常識と合致するわけではないと思いますが。
武心塾のスレ内では「武心塾が最強」でいいんです。
このスレ内では日本古来=大和と捉えて問題ないんじゃないですか?
結論:基礎的な教養を欠いている。
日本を論じるに当って華夷秩序を無視できると書いた時点で通史的視点を欠いている。
相手にするのは、疲れる。
>>57-58の通りであり修正の必要も無い。
以後、吠えるなら勝手に吠えるがいい。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 22:33 ID:GpfR7Y/j
冊封を受けることによって朝貢することになり、経済的にメリットがある。
でもそれは中国皇帝の政治支配をうけるわけではない。
国家論に持ち込むのは変。
反論も無内容になってきたのでここら辺で終わりですかね。
ああ終わりだ。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 22:37 ID:OJUqIcBN
>>1のこの書き方のどこに問題がないというのか?
>日本を代表する伝統武術だと思い込んでいる節があるのでたちが悪い
この1文を読んで、1がいかに問題発言をしているのか、よく考えろ。
そもそも、”日本を代表する伝統武術”と言った以上、現代の日本を指してるんだろうが。伝統という以上は。
大和と琉球との違いだから、日本武術では、ないという発言は、どう考えても沖縄の人に失礼だ。
近代以前の人間からすれば、そういう言い方、見方も理解できるが、現代の日本人が、こういう発言をするということは、
沖縄を異端視している証拠だ。現代のわれわれから見れば、琉球の歴史も日本の歴史の一部として見るのが普通じゃないのか?
切り離して考えている時点でおかしい。
>空手は、近代以降の日本武術であり日本武道である
これは、沖縄の人の歴史を日本人の歴史として受け入れていない証拠で、
沖縄の人の伝統は、日本の伝統としては、認めないと言っているのと同じだ。
沖縄は、現代は、日本なのだから、沖縄の伝統も日本の伝統だ。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 23:04 ID:RPWIsMRl
>>71 少しは沖縄独自の文化を認めてあげたら?
沖縄の人に対して失礼だとは思わないかい?
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 23:14 ID:GpfR7Y/j
議論は終わったようなので、1UtqSiMfさんに、一言言いたいです。
私はこのスレの議論を通じて、
「琉球は日本である」という主張がどのような考え方を根拠にしているかを述べてきました。
関心がある方は、私の書込みから本を読むなりネットを検索するなりして、見識を広めることができるでしょう。
しかしあなたの書込みには見識を広めるヒントになる物が余りありません。
詭弁とか揚げ足取りとかの罵声を書くだけでは、議論の意味がありませんよね。
>>72 >少しは沖縄独自の文化を認めてあげたら?
>沖縄の人に対して失礼だとは思わないかい?
日本全体から見れば、当然沖縄独特の風土というものがあるでしょう。
しかしそれは「沖縄文化が日本文化でない」ということとは違います。
日本文化にも多様性がある、というだけの話です。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 23:15 ID:n7Mc7AaR
やっぱり視点の違う人達でループしてますね。
別に沖縄を認めてない、というより
琉球文化という独自性の強い、本土とは異なる風俗を認めること。
空手も単なる日本文化の一つというより
琉球という大陸・大和双方の影響を受ける特殊な地域だからこそ生まれ得たものとして
認めるのもありではないか?という考えではおかしいかな。
どちらかというと、琉球文化を単なる日本の一部として
軽んじてる空気もいくつかのレスには感じますけど。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 23:34 ID:n7Mc7AaR
あと那覇手・首里手に関しては、
やはり流派や伝承の違いを、型の解釈の差異や
単独演武の動作で分ける思想は中国的だと思います。
三戦立ちのような、別称船上立ちを重視する那覇手と
騎馬立ちや大きな動作を主体にする首里手は
海洋地域、内陸地域の違いで分かれたのではないかと思います。
しかしながら現代においては、日本以外の国には
既に「日本の武術」として浸透して久しく、
世界単位で考えれば「日本の」というくくりで受けとめられても違和感はありません。
ボクシングやレスリングも歴史を辿ればもっと複雑に考えられそうですし。
いわゆるレスリングはギリシャ発祥ですが、
グレコローマンスタイルは事実上フランスで作り上げられたように。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 23:34 ID:E2EJGSag
>>74 君は1だよな?少しは他人の見解受け入れたら?君はすべてこう反応してるな、
?私はそのようにいってませんが?と。だから君と議論しても<やっぱり視点の違う人達でループしてますね。>
と自分本位な結論に終始してしまうわけよ。
客観的にみて、沖縄文化蔑視論者は、すくなくともこのスレにはいないぞ、
皆一様に常識をもって議論してるように映るのだがな、おれには。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 23:38 ID:n7Mc7AaR
ちなみに>1ではありません。
時間差があるかもですが、
>>75が私の意見です。
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 23:50 ID:E2EJGSag
それはすまん。文体の雰囲気が似通ってたもんでつい。
じゃ君に問いたい。空手家、特に伝統派といわれる流派は、
琉球唐手を当然のように源流とみなし、リスペクトしてる
わけだが、部外者に問われたときこういえばいいのかな?
<これは日本古来の武術ですが、琉球という一地域に根ざした
文化がはぐくんだ武術です>と。
これもなーー、合気道が大東流源流説をひたかくすのと次元が
ちがうし、琉球唐手はリスペクトされてるとおもうんだけどな。
どうかな?
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/02 00:03 ID:xO5vZxXg
現状「日本の伝統武術」と呼ぶことに異義はありません。
しかしながらその出自は明らかに中国の影響が色濃く、
いうなれば大和武術の影響無しでも、中国→沖縄→沖縄内部のみで熟成、でも
現在の形は生まれ得るものではなかったかと思えるほどに。
中国の影響を少し加えた大和武術の沖縄版、
とはとても思えないほど中国的だと思うのです。
>>78 <これは日本古来の武術ですが、琉球という一地域に根ざした文化がはぐくんだ武術です>
私の場合、以前外国人に対してこんな説明したことがあります。
今まで書いてきたように沖縄は日本の一地域だという意見ではありますが、
地理的に離れているためにやや特殊なところがあるのは確かだと思うし、
空手についてつっこんで語るときには、そういったものを無視して語るつもりはありません。
>>79 中国武術はよく知らないのですが、
例えば棒と素手の技術が一緒、という特徴のある中国武術ってあるのですか?
空手の型は間合いや拍子を重視したカウンター技術の沖縄的な集大成だと思うのですが、
中国武術でもやはりそうなのでしょうか?
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/02 00:21 ID:gEXwzhjs
琉球はいつごろどのようにして本土の幕藩体制に編入されたんでしょうか?
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/02 00:23 ID:xO5vZxXg
>>81 私も中国武術内部の人間ではないので
詳細はさらに詳しい方にお願いしたいですが、
「武器は素手の延長」というのは、中国武術のどこでも口にするものと受けとめています。
単独演武を主とする場合「こうされたら、こう返す」という発想が必ずあるので、
中国武術もカウンター的なもの、と言ってもそう外れてはいないかと思います。
やはり詳細は修行中の人の方が的確かと思いますが。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/02 00:34 ID:yKJjD1gU
>>74 いいたい事は分かるけど、独自の文化様式を持っていたのは、
別に沖縄だけじゃないし、大和民族と言う概念自体が、
意図的に作られた考え方であって、沖縄だけが特別な訳じゃyないよ
例えば、柔道以前は日本の武道は柔術と呼ばれたという説が一般的だけど、
本当は、拳法、小具足、体術などさまざまな呼び名の武術が、
全く違った歴史を持って存在していたものを、単一民族論を取り入れた柔道によって歴史が書き換えられ、
現在のようになった訳で、唐手はその中の一つに過ぎないよ。
ただ、唐手は空手と名を変えて、柔道・柔術に匹敵するネームバリューを持ってるから特に違和感があるだけ
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/02 00:36 ID:xO5vZxXg
蛇足なお話かも知れませんが、
「アジアの格闘技」というカテゴリーがあった場合、
空手やシラット、ムエタイなどは、中国やインドの影響が強く残る形態をしている
といえそうで、本土の武術の方が独自発展の度合いが強い、
とも思うのですがいかがでしょうか。
>>82 1609年薩摩藩の進攻により制圧されました。
この後王国体制は存続しましたが、
検地を行ったり十五条の掟を申し渡したり琉球国内に在番奉行を置くなどして、薩摩の附庸国となりました。
この体制では、国王・摂政の承認権は薩摩が持ち、薩摩に対し年頭使を派遣し、
国王が即位すると江戸への賀慶・恩謝使を派遣しなくてはなりませんでした。
>>83 技術的内容は難しいですね。
正直、八極拳の技術書を読んでも、形だけはたしかに首里手の型の技と似ているものが多い気がします。
まあ、外見が似ているというだけでは、どこにも発展しようのないお話ですが、、、
>>85 あーそれはあるかもしれませんね。
中国のシュワイジャオが柔道の起源とかいうお話もありましたが、
途中の歴史がはっきりしないし。。。
琉球が日本の一部だって言ってる人がいるけど、それは本土の人の勝手なエゴだと思うよ。
今の沖縄が日本国の一部なのはあたりまえだけど、琉球は日本じゃなくて琉球だよ。
島津が侵攻してから日本の一部になったんだよ、それ以前は琉球っていう独立した国なのね。
琉球の文化は琉球の文化、日本の文化は日本の文化だよ、なんでも一緒にしないでよ。
>>87 ログの議論は、「琉球は日本の一部」の論拠がたくさん出ているのだから、
いまさら「琉球は日本とは違う」と連呼するだけじゃ、説得力無いと思うんですが。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/02 03:02 ID:ylu3dmcJ
90 :
777:04/08/02 03:19 ID:rshN9Flw
首里手が中国のパクリで、那覇手が日本オリジナルです。
民間人はサトウキビ刈るカマと舟のカイしか持つことを許されなかった
ので、その中でカポエラのように練られたものです。まったくの素手で
戦うという発想は、ここから生まれました。武器が素手の延長ではなく
素手が武器の延長として生まれたものです。対武器前提です。
と推理してみました。
私の道場の沖縄の人は「琉球は日本だ」って言ってました。
ネットではいろんなHP作ってる人いますけど。
92 :
777:04/08/02 03:33 ID:rshN9Flw
大阪は日本と違う。私は認めたくない。
93 :
777:04/08/02 03:36 ID:rshN9Flw
だが、大阪のおばちゃんが世界最強なのは認める。
日本人はサンカ、アイヌ等様々な混合民族なわけで…
>>81 中国武術を修行中の身から言わせていただきます。
太極拳、形意拳などは兵器と素手の技術が同じ、というよりも槍術から素手の技術が発生したと言われています。
実際に槍術の技がそのまま組手に応用できます。
柔術の技術も剣術を前提として組み立てられたと聞きますし、空手に限らず全ての伝統武術はその文化の武器術を前提として技術体系が構築されていると思いますよ。
沖縄唐手の源流といわれる白鶴拳は棒術に長けた門であったのかもしれませんね。(白鶴門には詳しくありません。ごめんなさい。)
また、間合い、拍子、カウンター技術は沖縄唐手、中国武術に限らず重視されていると思います。
中国武術は単独演舞を主とする、といった考え方がスレ内にいくつか見られますが、空手で言う約束組手や実戦組手もやっています。(これも門派によって異なるでしょうが)
あとスレ違いかとは思いますが、「中国武術」とひとくくりにされるのはどうかなあと思ってしまいます。
このスレをご覧の方だと、空手と唐手と首里手と那覇手を「KARATE」とひとまとめにして語られるのと同じような感覚だと思っていただければ。
>>95 太極拳って槍あったっけ?剣、刀、扇ぐらいだったような…
あと中国武術の門派による違いは空手と柔道と日本拳法を一括りぐらい言ってもいいと思う。
>>96 大槍あるよー。
というか槍がなかったら技法内容は全く違ってたかもしれないほど
大きな位置を占めてるよ。本来なら。
まあ、日本じゃあんまり見る事ないけど。
で か く て 邪 魔 だ か ら
電車もバスも無理です。
98 :
総合野朗 ◆YLcHzgivaU :04/08/02 06:09 ID:Rws2x1KI
ここのスレッド読んでふと思ったが、
サンカや、アイヌ民族などの江戸期まで異民族扱いだった彼らも、
伝統的な「武術(そこまで体系化しているかは?)」があったかもしれない。
いや、奥州なんかも「むつなんとかりゅう」という1000年の歴史のある武術とかも(W。
琉球は「属国」としての歴史がいろんな形を生んでいるんだね。
99 :
二モ:04/08/02 07:05 ID:0KHcjdrz
何か時間帯が合うからなのか、俺の開くスレの最後のレスが
総合野朗さんのレスという場合が何となく多い気がするなあw
コテコテの格闘屋って印象ありますが武道スレも覗かれるんですね。
>>98 サンカはウメガイという両刃の短剣が有名ですね。
アメ横のナイフ屋さんに売ってるの見ましたが…
昔はサンカ以外の人間がウメガイや天神(移動式の自在鉤)を
使ってる所を見られると、彼らに殺されたという話です。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/02 08:06 ID:uWeVMQSI
>>72よ
ピンアンがなぜ、平安になったかのいきさつをよく勉強しろ。
そして、当時の空手家が日本の武道として、空手が受け入れられたことをどれほど喜んだかを知れ。
それは、ただ単に空手が認められたと言うことだけを意味するものではないと言うことも考えろ。
お前が言っているのは、個人的な”感想”だ。
亡くなられた諸流派の流祖たちが、”空手は、日本の伝統武術ではない”と言われたらどれほど悲しむことか。
そういう視点から見ても、
>>1は、明らかに問題発言なんだよ。
第一、「琉球発祥じゃなくて大和発祥ですよ〜」なんて奪い取るようなことしてないしね。
『沖縄の歴史と文化』(中公新書)を参考に書いてみると…
主に東南アジアと東アジアの中継によって貿易国家としてやっていた琉球王国は、
大航海時代のヨーロッパ勢力に押されて16、7世紀には衰退しつつありました。
一方、外様の薩摩藩は幕藩体制の中では経済的に苦しく、そこで琉球の貿易に
目をつけて武力で制圧したわけです。
ただし、交易上の事もあって国家体制及び中国との関係は維持させました。
その後17世紀後半から18世紀にかけて、向象賢と蔡温というすぐれた政治家が
国家の立直しにかかり、また日本文化の積極的な導入につとめました。
現在に伝わる沖縄の伝統文化は、主にこの頃に確立されたものです。
しかし二重体制と貿易がダメなのとで決定的な改善には至らず、そうこうするうちに
本土では幕藩体制が倒れ、明治維新が起こっていました。
明治政府は、たまたま台湾に漂着した宮古島民が殺害されたのをきっかけにして、
清国に琉球人=日本人だという事を認めさせ、二重体制を清算して琉球を日本の
領有と明確に定めました。
その後明治政府が富国強兵政策を取るとともに、琉球にも国家主義的な考えが
取り入れられ、地方文化に対して否定的な見方がされるようになりました。
空手とのカラミで言うと、そもそも沖縄島民の間で空手が盛んになったのは
明治政府の徴兵制が敷かれた時に、空手をやっている者の体格が抜群に
すぐれていた事が注目されたのがきっかけだというのは有名な話ですが。
おそらく当時の空手家の心情としては、
>>101さんが言われるように
「本土の人に認められた」という事実が、何よりも嬉しかったでしょうね…
そしてまた、この時点で琉球=日本という意識は(経緯はどうであれ)完全に
確立していたと言ってよいわけですから、空手は日本の伝統武道であるという
見方には、何の障害もないと思います。
ちなみに明治維新前には、本土の人間も「自分は日本人である」という意識は殆どなく、
江戸のような都市に集まって来る人々であっても、皆自分の出身地の言葉を話し
同郷の人同士で固まって暮らしていたといいますから、後世の我々が想像するような
統一国家は存在していなかったのではないかと。
「昔の空手家が日本武術と認められて喜んだ」
「歴史背景的に琉球も日本である」
それらは間違いないのでしょう。
政治的区分けや、歴史的考察によるものとして。
もう少し技法上の成り立ちや、琉球外からの技術流入を聞いてみたいですね。
「琉球が日本に含まれた。だから空手も日本の物。嬉しい!」
は解るのですが、唐手(または手)成立までに
どれくらい本土からの技術流入があったか興味あります。
パンガイヌーン流や、今も残る上地流等は、
中国(広東?台湾?)に学びに行ってましたよね?
>>95 レスありがとうございます。
>沖縄唐手の源流といわれる白鶴拳は棒術に長けた門であったのかもしれませんね。
白鶴拳は那覇手の元になったものだったかと思いますが、那覇手ってあまり棒は見ないんですよ。
でもお話を聞くと、たしかに中国武術との違いよりは似ている部分の方が多い気はしますね。
どういう方向に議論が行くのかチョット気になっていたんですが、
「琉球は日本である。でも独自の色が強い文化を持っている地域である」
という健全な方向に進んでいるようで何よりです。
首里手・泊手は、福建の拳法に似た部分があるにせよ、
かなり沖縄ナイズされたものだとは思うのですが、上地や剛柔についてはよくわかりません。
が今の姿になるときに、どのように創始者の考え方が入ったか?
ということが問題になるかと思いますが、
「武術の流派とは何か?」という大きな問題につながってくるような気がしますね。
那覇手も琉球独自とはいいづらいんじゃ。
剛柔流の上段甲受けなんかはまんま白鶴拳にもあるみたいだし。
鍛錬法だって重なる部分があるみたいよ。
俺は空手の人間なので詳細を突っ込まれると弱いけど。
>>108 読み直したら書き方がまずかったです。
那覇手の方がはるかに中国武術チックです。
110 :
108:04/08/02 16:23 ID:z92rbB/n
>109
あ、すんません。
俺のは
>>90へのレスです。
紛らわしくて申し訳ないだす。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/02 19:58 ID:oZfs6l1D
日本じゃないってのは国風文化の影響が見られないって事け?
空手を一口に「日本の伝統武術」と言いづらい理由に、
「日本刀」の存在が大きくあると思われます。
本土の武術には、攻守いずれにおいても「日本刀」を中心とした体系があり、
それを含まない、それを敵として仮想しないものは無いでしょう。
しかしながら「空手(手・唐手含め)」の体系の中には、
対日本刀・操刀術などの「日本刀」の概念自体が希薄、いやほとんど無いと
言っても良いほどに欠けています。
武器術においても、棒・ヌンチャク(双節棍)・トンファ・サイ等の
本土には無い武器の操作法・組み手・対武器法が伝承されています。
これは空手に影響を及ぼした、もしくは空手の母体となったものが
本土の武術ではなく、東南アジア圏の格闘技と同じく
主に大陸系(広東・福建)の武術であるということだと思います。
歴史背景的に「琉球は日本」であることには異論はありませんが、
「空手」という闘争術に関しては「本土の伝統武術」と一括りにするには
あまりにも別体系である点は無視できないと考えます。
いかがでしょうか。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 11:39 ID:v9ueOLbU
>>112 空手の起源には薩摩示現流が関わっていて、その術理は対剣が前提になっているとか、
トンファーやサイなども元は剣に対抗する手段だったとか聞いた事があります。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 14:14 ID:JsRVZctQ
一撃必殺、巻き藁を何回も打って必殺の一撃を身に付けるって考え方は示現流から導入したものだと言われているし、
実際、唐手の大家・松村ソウコンは、示現流の皆伝者でもあった。
戦国期以前の剣術は「立ち木に打ち込む」位の稽古しかなく、
実際の斬りあいの呼吸は「斬り覚えに覚ゆもの」とされていたようです。
とくに示現流にその考えが濃く残っているとは思いますが…。
唐手(唐のティ)というほどのものが本土武術の影響の方が強い、とは
考えにくいのですが。
上記の沖縄古武道のHPからの抜粋。
>空手が古くは 「唐手」と記されたり、あるいは型の名称に
>中国語が多く見られることから、中国拳法を中心 とした外来武術が沖縄に伝わり、
>沖縄古来の武術、「手(=テイ−)」 に吸収され、独特に発達をとげたものであると
>推測されている。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 14:34 ID:JsRVZctQ
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 14:39 ID:JsRVZctQ
しかし、首里手が明確に一つの武術として形を成して来たのは、
示現流の名手であった松村が手に独自の工夫をした後だって話だよ。
那覇手はそのまま中国武術だけどね
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 14:43 ID:JsRVZctQ
>>119 中国武術の影響があったら日本の文化とは別だっていうなら、
柔道や相撲も中国武術の影響を受けてるから、中国文化の一部だね
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 14:48 ID:JsRVZctQ
ついでに言えば、仏教修行の一部として中国に伝わった少林寺武術は中国文化では無くインド文化かな。
影響の度合いや、独自発展性の話しです。
別に、前にも述べられたように「アジアの格闘技」で括る場合は
そのように考察しますけど。
ちなみに
>>120的に考えたら
ますます本土の武術に括られる要素が減ってしまいますね。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 14:53 ID:JsRVZctQ
あと、インドの仏教美術はギリシャ様式の影響を受けてるから、
インド仏教はヨーロッパ風だとも言えるから、
唐手に影響を与えた少林寺武術はインド仏教の影響を受けており、
そのインド仏教はギリシャ文化の影響を受けているから、
結局の所、君の論理の終着点だと空手はヨーロッパ文化だという事になる。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 14:54 ID:HBDPsIT5
極論をあえて。
日本語には漢字という外来字がつかわれる。
これはたしかに中国の影響だけれど、表音文字と組み合わせる使い方は日本独自とも言える。
漢字を使っているから中国文化だ!
いや、日本語は世界に類を見ないユニークな言語だ!
…どちらも正しく、どちらも間違いですよね。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 14:56 ID:JsRVZctQ
>>123 いや、松村ソウコンが示現流の達人だった事と、松村以後に唐手が島内で名声を得た事から、
示現流影響説は、沖縄系統の唐手を学んだ人の中にも唱えている人がいるんだよ。
私は中国以前までさかのぼろうとは考えてません。
唐手の発生に必要な要素はその辺で充分でしょうし。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 15:03 ID:JsRVZctQ
>>125 確かに、文化は衝突と融合の中から生まれるってのは、歴史の常識だけど、
武道の歴史にも同じ事が言えるんだよね。
特に、北や南の国境付近の文化は他国の文化と接する機会も多いから、
真ん中辺りの地域とは違った色が出てくる。
唐手も結局の所はその典型的な例の一つってこったろうね。
唐手は文化的には、本土、中国の武術的影響を受けながら、
沖縄において作り出され、その後、沖縄を含む日本全土で盛んに研究されて発達し、
世界中に広がったものだから、日本文化の一つと言っても良いんじゃない?
松村宗棍翁が示現流皆伝の腕前であったことや、
松村翁以降の唐手の隆盛は分かるのですが、
型の動作や沖縄古武道の武器術にどれだけ
示現流の動きが反映されているかは疑問がありますが。
一撃必殺思想や鍛錬法を、示現流から持ってきたと思われるとはいえ…。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 15:08 ID:JsRVZctQ
>>127 じゃあ、何が言いたい訳よ?
中国の影響云々するなら、当時の中国は巨大な帝國であらゆる国に大小の影響を与えていた(逆説的に与えられてもいた)訳だから、
中国の影響が認められるから、本土の文化とは言えないなんてのは無しだぜ。
131 :
訂正ね:04/08/03 15:09 ID:JsRVZctQ
本土の文化とは ⇒ 日本の文化とは
132 :
777:04/08/03 15:14 ID:oWd1vTuo
たぶん、表に出てない人物交流があんだよな。
だからやっかいというか解きようがない。。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 15:17 ID:JsRVZctQ
現代においては、巨大な帝国であるアメリカ文化は多大な影響を様々な面で与えていて、
武道の世界においても、ボクシングは全ての国の武術に影響を与えている。
全ての伝統武術において、試合はボクシングの試合方法を参考に創出されているし、
その鍛錬法にも、シャドーボクシング、サンドバッグ、ミットトレーニングが取り入れられているから、
500年後の人間で、アメリカ至上主義者なら、中国武術(サンダ)や空手は全てアメリカのボクシングを元に作り出されたって言い出すんじゃない。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 15:22 ID:JsRVZctQ
>>90 逆だよ。
那覇手は宮城長順が中国で習って来た拳法をそのまま教えたモノで、
首里手は由来も不明なほど、沖縄に根付いていた武術
時間差でレスがズレがちですが、基本的に
「空手も日本文化の一つ」と言うことに異論はありません。
現状を見ればおかしな所はさほどないでしょう。
ただし「本土の武術」とは出自が異なる、逆説的に
本土の武術の方が、日本の戦国期・江戸期に独特な発展を遂げ、
いわゆる「アジア圏の格闘技」という枠からはみ出ているように感じる、
ということです。
地域的な近さや文化の土台から見ても「琉球は日本」というのは
すでに過去レスで語られていますね。
しかし空手に関しては、独自発展し続けた本土武術よりも、
海洋貿易などの交流の深い大陸(広東・福建)や、東南アジア圏の格闘技との
繋がりの方が濃いでしょうと考察しているわけです。
名称・服装・人種・言語などを隠して、ヨーロッパ圏の人々に演舞を見せた場合、
おそらく空手は中国や東南アジアの物と一緒にされるのでは?
と想像します。
136 :
777:04/08/03 15:24 ID:oWd1vTuo
>>133 ボクシングって最初はアフリカの奴隷を素手で殴り合わせてた見せ物
だったんだよ。それに軍人が出るようになり、防具が開発され、興行となり、
スポーツとなった。だからアフリカが原産地。
まあどこかで「人間はアフリカの女性が起源」と言ってましたから、
なんでもさかのぼればアフリカあたりまで行っちゃいそうですけどねw
138 :
777:04/08/03 15:31 ID:oWd1vTuo
でも殴り合い自体は原始人の頃からあったんだよな。
といってみる。
139 :
777:04/08/03 15:33 ID:oWd1vTuo
誤爆
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 15:34 ID:JsRVZctQ
>>40 南拳ってのは船乗りが主体になって作ったんだよね?
しかし、船乗りってのは元々国境に支配されない海に属する男達なんだよね。
フランスのサファーデも、船乗り作りだしたモノで、東洋人との交流で影響を受けたって説がある。
だから、本当は、固有の国土の上でこれらの武術は生まれたのでは無く、
海の上で、どの国にも属する事無く生まれたってのが正しいのかもしれない。
141 :
777:04/08/03 15:36 ID:oWd1vTuo
農耕民族では組み技が、狩猟民族では打撃が発達しました。
142 :
777:04/08/03 15:38 ID:oWd1vTuo
沖縄は特殊な例です。
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 15:39 ID:JsRVZctQ
>>45 見た目や雰囲気が違うって言うなら、東北の武術も東京や京都付近の武術と違うぜ。
柳生心眼流、諸賞流、大東流、どれも特殊な雰囲気と構えを持った流儀だと思うけど。
144 :
777:04/08/03 15:41 ID:oWd1vTuo
>>140 素晴らしい説ですね。海賊から生まれたということですか?
>戦国期以前の剣術は「立ち木に打ち込む」位の稽古しかなく、
>実際の斬りあいの呼吸は「斬り覚えに覚ゆもの」とされていたようです。
>とくに示現流にその考えが濃く残っているとは思いますが…。
これは無いでしょう。
たしかに示現流の立ち木打ちは一つの重要な特徴ですが、それだけではありません。
武術素人が「空手」といえば「巻き藁突き」「拳ダコ」のイメージで、
空手技術の理についてはほとんど知らないのと似たようなものではないでしょうか。
日本文化というのは、起源を見ればいろんなものの寄せ集めです。
空手が中国や東南アジアの影響を受けているからと言っても、
「日本の武術ではない」ということにはならないでしょう。
ただし「成立ちが多くの本土武術とは違う」ということはできると思います。
モンゴル相撲のモンゴルは遊牧民族。
中国武術の中国は農耕民族でしね。
狩猟民族ちゅうとやっぱアフリカーナ?
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 15:42 ID:JsRVZctQ
>>136 ボクシングは古代ギリシャで行われた貴族同士のスポーツが出発点でしょ?
本来、武術ってのは、民族に属するものであっても
国に属するものでもないような気がするんですけどね。
中国系アメリカ人で中国武術をやっている人はいるでしょうが、
アメリカ的に改変を加えているのでなければ、アメリカ文化になるわけではないでしょう。
149 :
777:04/08/03 15:45 ID:oWd1vTuo
>>147 それは西洋人の捏造です。間違いない。
でも古代ギリシャ時代の壷に殴り合いの絵がありますね。裸ですが。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 15:45 ID:JsRVZctQ
>>144 俺独自の説になっちゃうけど、海の男達が同時期にお互いに影響を与えながら、
各自の国にどの国にもそれまで無かった武術を伝えているってのは事実。
ある意味、漫画とかで海賊が空手っぽい技使うのは、史実に忠実だって言えるのかもしれん(w
151 :
777:04/08/03 15:48 ID:oWd1vTuo
>>146 遊牧民族は微妙だなぁ。
半分ネタなんであんま気にしないでください。
すいません。
152 :
777:04/08/03 15:52 ID:oWd1vTuo
>>150 そういうロマンのある話しは非常に好きです。
なんだかでも妙な説得力のある話しですね。
立ち方から解明できないもんですかね?
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 15:52 ID:JsRVZctQ
>>148 民族に根ざすっても断言は出来ないんじゃない?
逆に国に根ざす事が無いっても断言出来ないしね。
例えば、警察逮捕術や自衛隊徒手格闘なんかは国に根ざすものだし、
少林寺は宗教、ボクシングは職業、といった集団を基盤としているでしょう?
少林寺やボクシングは、民族・国籍が違っても、宗教や職業が同じなら、
誰でも学べた訳だしね
>>145 天真正伝香取神道流開祖の飯篠長威斎直家は
「香取大神に千日の大願を立て斎戒沐浴、兵法に励み百錬千鍛を重ね粉骨の修行の後、
香取大神より神書一巻を授けられた」と言われており、それ以前の時代では
戦場における武術自体も対して重きを置かれていなかったし、
鍛錬自体も飯笹長威斎自身も「立ち木への打ち込み」が主だったと残しているそうです。
とはいえ、神道流の稽古は打ち込みをさほど重視してるように見えませんが。
むしろその分流である天真正自顕流が「打ち込み」を重視する流派で、そこから出た示現流が、
「打ち込み」に重きを置くのは不自然ではありませんね。
>>153 それは書こうかどうか実は迷いました。
>少林寺やボクシングは、民族・国籍が違っても、宗教や職業が同じなら、
>誰でも学べた訳だしね
少林寺の場合あくまでも漢民族の文化を学ぶわけで、
誰でも学べるから漢民族の文化ではないということにはならないでしょう。
ボクシングなどは基本的に競技なので、武術の範疇からは外しました。
警察逮捕術や自衛隊徒手格闘なんかはたしかに国に根ざすものですが、
歴史について論じている場だったので、近代国家の警察や軍は例外事項としました。
この例外扱いはまずかった家も知れませんが、基本的に近代以前の国家なら、
警察や軍の武術もやはり民族武術が中心になっていたと思います。
>>154 私よりお詳しそうですね。
でも示現流の型は、立ち木打ちと車の両輪とも言うべき存在のはずです。
カウンターのタイミングで夫婦手で正中線を抑える首里手の技術は、
中国武術より剣の理から受けた影響の方が大きい気がするのですが。。。
>>156 確かに夫婦手の動きは剣の術理がありそうですね。
詠春拳よりも白鶴拳に近いような動きに見えますが、
夫婦手は沖縄内部で剣の理を加えた動きのように思えますね。
>>155 他民族国家である中国では少林寺=漢民族ってのは違うのでは?
同様の理由で中国の他多くの他民族国家の軍は様々な民族によって成り立っていた訳だから、
中世以前の軍武術も国家が主体と考えた方が良いと思う。
それと、少林寺については現在では誰でも学べる訳ですが、
古い時代には、どの民族・国家の人間でも入門すれば学べたというだけで、
誰でも学べた訳ではありませんよね?
だから、国家・民族では無く、宗教に根ざしたモノだとした訳です。
ちょっとオマケ。
首里手系の説明。
>松村宗棍などから「セイサン」「ナイファンチ」「ワンシュウ」「パッサイ」「ゴジュウシホ」
>「チントゥ」「クーサンクー」の七つの型と、棒術では「徳嶺の棍」を伝授された喜屋武朝徳は、
>生涯にわたって型の無修正主義を貫き通した。仲里常延は、型が次々と変えられていく
>現代の空手界の風潮に対する反動として、この喜屋武朝徳の意思をくみ、
>"すべては源流に立ち返れ"と言う理念のもとに少林寺流と命名する。
立ち返る先は「少林寺」だと考えていたんですね。
>>160 >立ち返る先は「少林寺」だと考えていたんですね。
「ショウリン流」はもともと「昭霊流」のような字を当てられていて、
なんのことだったかわからなかったらしいです。
それがどうやら「少林寺」から来たということで、
仲里先生の場合は、型の不改変主義を示すために「少林寺流」を名乗った
というだけで、実際に少林寺に立ち返ろうとしたわけではありません。
せいぜい松村先生の首里手でしょう。
(実際には中里先生のナイファンチは立ち方が三戦っぽく改変?されてるそうですが)
首里手は結局小林流、少林流、松林流(止まり手に分類する人もあり)などの名称となっています。
>>146 それを言うなら、日本が農耕を始めたのは世界的に見てかなり遅い方だし、
むしろアフリカは農耕・牧畜そのものの起源では…
サハラが砂漠化する以前の話ですが。
昔の空手家もそれぞれ研究はしてただろうね。
でも自分らのやってることを辿れば
自然と、本土ではなく中国に向かって行くことは
体験的に知っていたと思われ。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/08 01:57 ID:I95yyMsd
足技メインの少林寺流の錬は北派の拳って事になるね。
馬上の足技からきた空手があるのなら、中国以外にモンゴル(相撲じゃない)の影響もありうるね。
近代空手(2、30年以内の)は何をモデルに作られたかを考えるとより複雑になる。
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/08 02:02 ID:bxihPaMI
なんかの記事で
近代の空手は柔道を手本に普及を目指し、
特徴をアピールするために突き蹴りを専らとするようになった。
、、、見たいな事を読んだな。ホントかどうか知らんが。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/08 02:13 ID:iXdvAJrj
俺もそれは聞いたことがある
「柔道との差別化」のために
打撃特化になったと
唐手は元々は組討ちを重視する技術だったという事?
沖縄の空手は本来立ち技総合。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/08 04:43 ID:pL2JYsQE
「琉球は日本とか行ってる人」がいるけど、沖縄が琉球と呼ばれていた頃にはどちらかというと、独立国の色合いが強かったと思うけど。国王もいたし。
ちなみに琉球と言うのは中国や日本などの外国が沖縄のことを呼ぶ際に使っていた名称で、
沖縄の人間は沖縄の事は「ウチナワ」と呼んでいたよ。
神話や民族伝承などの部分でもニライカナイの伝承など、やはり本土の神話・伝承とは違う部分が多いと思う。
日清戦争とかの比較的近年の時代でも、沖縄の人たちは中国が勝って薩摩藩の影響下から抜け出したいと思っていた人が多かったし、
当時清に渡った空手の始祖たちもそう思っていた人が多いと聞くよ。
ちなみに自分は沖縄の人間で空手をやってたけど、今は自分の事を日本人だと思うし、
別に独立すべきとは思ってないけどね。
空手の源流については、やはり本土の武術よりは大陸の武術の影響の方がずっと大きい。
那覇手や上地流はもちろん、首里手にしても基本的に中国武術の影響が大きいと思う。
巻き藁突きにしても、中国武術の鍛錬法に影響を受けたものだと聞くしね。
あと「空手は本土に伝わって発展を遂げた」と書いてる人がいるけど、
確かに競技人口的にはそうだけど、技術的な部分ではどうなのかな。。。
本土で発展を遂げた「空手」は、ただのキックボクシングに毛が生えたものになってる感じがしないでもないような。。。
だから「なんで型をやるんだろう」なんてよく議論されるんじゃない?
那覇手の達人たち、剛柔流の始祖はできたというコツカケ、今の剛柔流の修行者でできるという人いる?
もし空手が、突き蹴りの「素振り」をして、体力はウェイトなどでつけて、あとはスパーで打ち合って強くなる、というものだとしたら、
それはキックボクシングと何が違う?
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/08 05:05 ID:Y0VLnEWT
>>169
落ち着いて過去レス読み返すべし。
空 手 の 起 源 は 古 代 武 道 ジ ル ガ で す
あぼーん
>>169の歴史考証の部分は過去スレにお任せするとして、
>空手の源流について〜
以降の意見は至極妥当ですよ。普通に考えればその通りです。
大国主命と共に国づくりをし終えた少彦名神が帰った地、ミケヌが渡った地、
「日本書紀」「丹後国風土記」逸文において浦島太郎が訪れた国として
上代文学中に常世の国が描かれている。
少彦名神は現世に豊饒をもたらすものとされる穀霊的性格を持っている。
ミケヌ(御毛沼命)は本居宣長『古事記伝』によれば御食つまりは食物を司る神である。
つまり少彦名神と同じような性格を持っていると思われる。
以上のことから、常世国は穀霊の故郷と考えれる。
豊穣をもたらす穀霊は海の彼方の常世国から現世を訪れ、また常世国へと去って行くのである。
沖縄の伝承では海の彼方の世界ニライカナイから五穀の種子がやってきたというのがある。
また、海の彼方に向かって穀霊を招く仕草をする行事も残っている。
ニライカナイは常世国と似たような性格を持っていたのではなかろうか。
常世国とニライカナイとの関係については柳田國男・折口信夫によって為されている研究がある。
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/08 16:05 ID:Vv9aibUO
>>170 やっと沖縄の人の意見が得られたと言うのにそれはないだろう。
今までの話は沖縄の人の意見無しで進んできたわけだし。
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/08 16:09 ID:GfgxgRpj
取り合えず、現行の沖縄は日本領だし、
沖縄人達にしたって彼等の認識も自分達の事を「日本人」だと認識しているし、
その空手は日本の武術でいいだろ、そんな一々区分けしとったら別け解らん事に成るだろ。
そもそもが他の武術でさえ、源流を辿れば中国とかに行き着くと言われている物もある訳だし。
空手が日本の武術だと困る人間でもいるのか?
>>176 あなたが一番過去レスを読んでいないようですね。
うん。
読む程のテーマでもないと思うし。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/08 16:14 ID:aTsHUya/
困る。
日本古来の武術がすたれていってしまう。
現代の日本人はどうしてかくも自分の国のものに背を向けてしまうのか。
古来よりこの国の風土が育ててきた我々の国の武術にもっと関心を向けねば。
てか空手で鍛える手足は人を殺傷するためのものでしかない。空手じゃ神武不殺は体現できねぇのさ。
>>178 あなたが書き込むほどのテーマでもなかったのにw
廃れるのは別に空手の所為じゃないだろ。
空手が無ければ、柔道やボクシングやキックやテコンドーに行くだけの話だと思うが?
>「琉球は日本とか行ってる人」がいるけど、沖縄が琉球と呼ばれていた頃にはどちらかというと、
>独立国の色合いが強かったと思うけど。
会津も長州も薩摩もその他諸藩も多分そんな感じだったかと思います。支配者階級は。
明治十年まで、本土各地でさまざまな騒乱が起こっていますし。
>日清戦争とかの比較的近年の時代でも、
>沖縄の人たちは中国が勝って薩摩藩の影響下から抜け出したいと思っていた人が多かったし、
沖縄の方がこうおっしゃるのは軽視できないのですが、
だからと言って「日清戦争とかの時代」に「薩摩藩の影響下」というのも何か納得できません。
糸洲安恒先生の十訓には、師範学校や中学校で教える空手について、
「将来軍人社会での助けになる」
(師範中学校に於て練習致させ前途師範を卒業各地方学校へ教鞭を採るの際には
細敷御示論各地方小学校に於て精密教授致させ候へば十年以内には全国一般へ流布致し
本県人民の為而己ならず軍人社会の一助にも相成可申哉と筆記して備高覧候也)
「空手は個人の体育としてだけではなく国家社会のために尽くすという目的がある」
(唐手は体育を養成する而己ならず何れの時君親の為めには身命をも不惜義勇公に奉ずるの旨意にして
決して一人の敵と戦う旨意に非ず)
などといったことが書かれており、近代日本建設の一翼としての意識が垣間見えます。
糸洲先生がこれを沖縄県に提出したのは80近くなった年齢のころなのですが、
こういった思想の持ち主が当時の沖縄空手界で大きな力を持っていたことを考えると、
日本からの独立意識が沖縄の人たちの一般的意識だったとは考えにくいです。
取り合えず、なぜカレーやラーメンが今や日本国の国民食と迄言われる様になったのかを
少しは考えるべきだね。
フルコンや新空手あたりは、カレーやラーメンと同等かもね。
沖縄料理は「沖縄=日本」的な括りでいえば日本の料理かもしれんけど、
カレーやラーメン的に「日本の料理」っていったらおかしくなるわな。
フルコンや新空手がそうなら本土の所謂伝統派空手だってそうだな。
あと、手足の見かけの動きにこだわっている人が多い気がするなあ。
「中国武術が起源だから日本武術ではない」と言っている人は、
中国武術っていってもいろいろあるんだから、
なんの武術が元になっているのかはっきり言わなくては説得力が無いと思う。
例えば白鶴門が元になっているというのは那覇手の話だが、
白鶴門の三戦ですら上地や剛柔の三戦とはずいぶん違うことは、
昔月刊フルコン誌の特集でも言われていた。
首里手に至っては、「この門派が源流だ」という強い仮説すらない。
型の名前が、中国の役職の名前だったり人名だったりするから
中国起源だろうということは言われているが、
元になったとされる武術ってぜんぜん挙げられてないんだよね。
こんな状態で「日本のものというより中国のもの」「カレーやラーメン的に『日本』と言ったらおかしい」
などの説に説得力があるとは思えんのです。俺には。
日本本土の伝統派と言われている空手、協会や和道などのことですが、
これらをやっている人は、「根本では沖縄空手とやっていることは同じ」と主張する人が多いようです。
でも「中国武術と同じ」とは言わないから、彼らの主張は「中国武術≠沖縄空手≒本土伝統派空手」です。
本土の空手と沖縄の空手が違う、と主張する人でも新垣氏のように
「中国武術≠沖縄空手≠本土伝統派空手」というのが普通の主張でしょう。
しかしここのスレで「沖縄空手は日本というより中国のもの」と主張している方は、
「中国武術≒沖縄空手≠本土伝統派空手」と言っているわけです。
「中国武術≒沖縄空手≒本土伝統派空手」(根本は皆同じ)というならともかく、
そうじゃなくて一般に出回っている主張を覆そうとしているのだから、
ソースなりなんなりをはっきり示して欲しいと思います。
>>187 こういうことが書いてあるわけですが。
一つ目のリンク
>中国拳法を中心 とした外来武術が沖縄に伝わり、
>沖縄古来の武術、「手(=テイ−)」 に吸収され、
>独特に発達をとげたものであると推測されている。
二つ目のリンク
>沖縄古来の武術「手(ティー)」と、中国伝来の「拳法」が融合し発展したものが空手の原型と言われている。
>その空手が沖縄で大きく発達するきっかけとなったのは、尚真王(1477年〜1526年)の中央集権化による「禁武政策」と、
>薩摩の琉球侵攻(1609年)であると言うのが定説として今日に伝わっている。
つまり、中国武術というのは空手にとって「起源の一つ」でありはするものの、
日本国内の状況で日本的な解釈が行われた日本の武術ということですね。
劉衛流に関して言えば、近年まで「一子相伝」で受け継がれてきたものですが、
その起源に関してはいろいろと疑義が出されているはず。
少なくとも中国福建省で「劉龍公」という武術家の存在はいまだに確認されていません。
劉衛流をもって中国起源とする説は弱いと思います。
>白鶴門の三戦ですら上地や剛柔の三戦とはずいぶん違うことは
上地のメインは鶴じゃなくて虎です。
>>190 上地の三戦は系統がはっきりしてるんですかね。
たしかに周子和という武術家は福州にいたらしいけど。
でも上地流が中国武術の一派だったからと言って、
ほかの那覇手もそうだとは言えなさそうだし、
まして首里手となると・・・
だから、元々白鶴拳じゃないんだから、白鶴拳の三戦と上地の三戦が違うのはあたりまえでしょう。
>「空手は日本の武術」という主張
これが先にあるから、「白鶴門の三戦ですら上地や剛柔の三戦とはずいぶん違う」というような、引用に際して文脈を違えるようなことが起きるのではありませんか?
白鶴門の三戦が上地の三戦と違うのは貴方が主張する、「空手は日本の武術」というテーゼとは全く関係ありません。
貴方の、事例の引き方の傾向については、他の例でも同様のことが言えるのではないでしょうか。
あるなら指摘してください。
初歩的なミスをしているのだからわかるでしょうが、私だって真実を知っているわけじゃないです。
あるんじゃないですか?だけではあら捜しとしかこちらは取れません。
というか、
>>190の指摘はともかく、
>>193は明らかに単なるあら捜し→揚げ足取りでしょう。
「空手は日本の武術」という主張が先にあるというより、
「空手はもともと中国の武術」という主張におかしなところがあるから
「空手は日本の武術」という方に説得力を感じているのですが。
>あるなら指摘してください。
これは「間違いがあるなら」ということです。
ありますね。私も興味深く読みました。
すると不思議なのは「劉龍公」という人名は何なのか?という話と
その人名にちなんだ「劉衛」という流派名がなぜできたのかです。
本当のところ、劉衛流というのはいかなる伝承なんでしょう?
劉衛流については全く知りませんので判りません。
大陸→琉球の場合だけでなく、大陸でも、発音が似ていることから、違う字が当てられることはよくある事です。
だから、繋がりが無いとも限らないかも知れません。
空手は日本のものであるか否かについての個人的な感想は、
*上地流はほぼ中国武術そのものである。
*(沖縄の)他の流派も濃淡の違いはあっても、上地流との間に決定的な断層があるようには思わない。
*多くの流派の開祖や二代目が中国に渡って勉強してきている。
*日本の、というが、文化圏として沖縄は本土とはかなり隔たりがある。
大体こんな感じです。
上地に関しては反論が難しいですが、剛柔は宮城先生の時点でかなり変質していませんか?
首里手に関してはもう、完全に日本のものだとおもうのですが。
沖縄が本土と隔たりがあるというのは、あくまでも日本国内で見たときに特殊に見える部分があるということで、
さまざまな面で日本の一部であることはまず間違いないでしょう。
まして中国ではぜったいにあり得ません。
日本か中国か、ではなく、日本でも中国でもない(なかった)、と思うのですが。
上地流と他の沖縄空手との間にそれ程極端な違いがあるとは思いませんが、例えば、「本土の」剛柔流と沖縄の剛柔流には超えられない壁があると思います。
そういえば、中国から来た人がバッサイを打つ人を見て、「あれは太祖拳ではないか」と驚いたという話を大昔の雑誌で見たような気もします。
太祖拳がどんなものかは知らないのですが、それ程よく似ていたということなのでしょう。
中武が沖縄(琉球)ナイズされたもの。
沖縄以外の本土に中武が伝わっても、ああはなってない(楊心流など)。
本土内部の、すべてが「日本刀」につながる体系のほうが特殊な発展してる。
って過去レスがあったんだけど、
ほんとに全然過去レス読んでないみたいねw
沖縄空手は日本武術や中国武術というより
古式ムエタイやプンチャックシラットなど
東南アジア系の土着武術と同列のもの。
最近の小難しい理屈は沖縄空手本来の素朴さや泥臭さを
隠蔽し、歴史や技術体系の捏造を謀るものだと思う。
>>207 空手・シラット・ムエタイともに
インド・中国からの影響が残るもの、と捉えた方が早い。
体系化の順番からいってもムエタイやシラットも中武やインドから来てる。
とりあえず近代の創作型の「平安」を
「ピンアン」といってる時点でチャイナ入ってるよなw
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/12 14:32 ID:3ivRnj7h
沖縄は日本でいいんだけど、空手を説明する時に日本武術とだけ言って沖縄の話を抜くのだけはやめてくれ。
>>211 そこまでカリカリする必要はないでしょ。
わざわざ生まれた地方の説明までせにゃならんの?
「空手」の説明とかには必ず沖縄の話が出てくるんだから、それで十分でしょ。
それとも、沖縄からの抗議があったの?
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/12 15:13 ID:3ivRnj7h
自分が沖縄人だから気になるの。
>>211 空手の技術的な説明の場合、沖縄の話が抜きになるのは仕方ないでしょう。
空手の歴史を説明する趣旨の場合、沖縄の話を抜く人はいないでしょう。
時と場合によって抜いたり抜かなかったりするのは当然。
神経過敏すぎやしませんか?
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/19 18:34 ID:92jQvwg4
合気道とは、福島で生まれた武術をぱくった富山県人によって作られた武術である。
とかみたいに語れば良いの?
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/19 18:37 ID:9QDazQAv
「大和」という事であれば
千葉県も「大和」ではない
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/20 18:32 ID:W2xPXsSh
琉球朝廷は大和朝廷の子分ですか
中拳も所詮はインドのカラリパヤットの亜流だからね。
どちらも今や単なる儀式的舞踏と化して見るかげもないが。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/22 14:17 ID:Bkeqvodk
琉球武道というより新武道だろ。
それくらい空手の歴史の初歩じゃねーか。
まあテコンドーは新新新だけどな。
>>217 その時代なんてお互いに支配者名乗りあってるだけだろ。
珍走団のリーダーがどんなに珍走仲間に人望あっても
一般市民には馬鹿ガキ呼ばわりしかされないのと同じ。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 01:03 ID:2lt1bPeH
保守
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/16 00:14:04 ID:IYEGqo6T
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/16 00:43:56 ID:2jm0hrbz
今の国家として統一した中国というのは近代由来のもので、当時には中国という統一国家などなく、
今の国家として統一した日本というのも近代由来のもので、後から沖縄を国家に組み込んだのに由来も何もない。
ここから導き出される結論は、空手というのは中国の武術にも日本の武術にも由来していない。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/16 01:08:21 ID:8MxrsBeM
>ここから導き出される結論は、空手というのは中国の武術にも日本の武術にも由来していない。
これは??
>今の国家として統一した日本というのも近代由来のもので、後から沖縄を国家に組み込んだの
ここの部分は賛成
沖縄(県)って、日清戦争の時ころまで中国、日本、琉球王国になるのか
(あるいは分割されるのか)ゴタゴタしていたって、
いま話題の「猿・本部朝基」って小説に明確に書いてあるぞ。
まあ小説と事実は別かもしれんが!?
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/16 14:31:39 ID:mCgaMcmw
>>226・いま話題の「猿・本部朝基」って小説に明確に書いてあるぞ。
本部朝基は、{猿・本部朝基}に書かれているようには本当は最初に
大阪には行ってない。東京に行ったんだよ。
ただ、筆者の新垣氏は船越さんと本部さんの軋轢を知ってって、それを
避けたんだろうと思う。
まあ、すこし物語の筋道を面白くするために変更した部分もあるだろうし
沖縄のことに関して史的な事実に対して少し教科書的な書き方の部分も
ある。
けど{猿・小説本部朝基物語}は、凄い小説だと思ったよ。
良くも、ここまで書けたね!!と思う。
沖縄の歴史的な位置などの説明はサスガだよ。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/16 15:12:12 ID:iO1Ncub7
>
>>226・いま話題の「猿・本部朝基」って小説に明確に書いてあるぞ。
ちなみにこの本、アマゾンでは売り切れなんだよな。
おれ口座持てるのに……
まあ、ヤフーで手に入るってゆけど……
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/16 15:21:37 ID:PgmATU1L
>ちなみにこの本、アマゾンでは売り切れなんだよな。
壮Z社というs弱小出版社(ゴメン)から出した弱点だな…。
しかし、本はどこの出版社から出したかより、どのような本か
中身が問われるもんだから、猿のような一応中身が充実している
本はそれなりに話題になり、売れると思う。2ちゃんの武道版で
目にしたり、他のメデイアで徐徐に取り上げられて行くでしょう。
猿は、マンガにしてもグーという評価が出る本だよ。
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/17 03:46:57 ID:xRffhCah
>>ちなみにこの本、アマゾンでは売り切れなんだよな。
ありますよ、この本。アマゾンに。
まあ
>弱小出版社(ゴメン)から出した弱点だな…。
から出ってるって言うから、またすぐなくなるかもしれんが《w
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/18 15:55:20 ID:m1oAg1rJ
>>230 >ありますよ、この本。アマゾンに。
ああ…猿・本部朝基物語はヤフーでは常にある。
アマゾンにはまた入ってるよ模様。
ヤフーでの猿のリンクは、ここのスレまたは他スレで誰かがやってた。
(知りたい人間は、個々で探してくれ。)
以下はアマゾンのサイトだ。俺は直リンはしない主義だから、
個々で頭に「h」をつけてくれ… ではまた…
ttp://www.amazon.co.jp
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/18 16:05:18 ID:+rpG6gkA
>猿・本部朝基物語はヤフーでは常にある。
この本が板の趣旨である
>「空手は日本古来(大和)の武術ではないのだが」
とどのような関係があるのだ?
いや、別に煽りで無くて、純粋に興味があるのだ。
だれか、ちゃんと説明してくれ。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/19 02:13:13 ID:Pv3WJXqj
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/01 11:55:02 ID:2/yh66+i
空手の歴史書ってないんですか?
歴史書というほど歴史ないんじゃないのかな?
明治以前は内輪で細々と受け継がれた武術だったはずだから。
そのころの空手を知りたいというのなら、手に入るようなものはないと思う。
現在の形になったのは、明治以降本土(講道館が最初かな)に伝わった時に
本土の武道の影響を強く受けて変形したのと、
戦後、極真のような組織がムエタイの技術を導入したのが大きい。
原型を求めるのは、学問に近いと思う。
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/01 12:26:10 ID:S25pR7jD
>>234 >空手の歴史書ってないんですか?
『空手道歴史年表』
外間哲弘 /沖縄図書センタ−(エムティ出版) 2001/03出版
『沖縄空手道の歩み』
外間哲弘 /1985/05出版
主立ったところではこんな感じかな。かなり詳しい内容が書いてあるよ。内容も膨大。
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/12 14:03:39 ID:lXIoO8mk
>>1 沖縄の奴に一言。
誰でも彼でも、顔の彫りが深い人は皆沖縄系なんて勘違いすんな。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/12 14:07:00 ID:lXIoO8mk
ラルクアンシエルのハイドの様な整った顔立ちは沖縄には皆無です。
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/12 15:14:37 ID:BkZMN0RV
>アマゾンでは、『猿』また売り切れ(在庫切れ)のようですよ…。
まだその状態ですね。品薄なのかな?
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/14 15:30:03 ID:tYE2OT1c
中国人が考えて、
琉球人が真似た唐手(カラテ)を、
倍達(朝鮮人で帰化してなかったんだとか)が普及させて
日本人が習う・・・
結局外来文化ってことだよね。
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/16 15:53:18 ID:Cl+TZ5e7
>沖縄(県)って、日清戦争の時ころまで中国、日本、琉球王国になるのか
>(あるいは分割されるのか)ゴタゴタしていたって、
>いま話題の「猿・本部朝基」って小説に明確に書いてあるぞ。
いつから完全(?)に日本の領土になったのだ?
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/17 00:11:42 ID:sbgzI4G+
薩摩が支配したときから。
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/17 00:26:47 ID:9o+JcjUW
そのころも一応琉球王朝は存続してたんじゃない?
完全に日本の領土になったのは、江戸時代が終ってしばらくして、
日清戦争の後くらいか?よく知らん。
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/17 00:53:57 ID:lWAxr0YL
7世紀前半に琉球の人が朝貢したという記録が日本書紀にあります。
近代における国際的な認識の話をするならば、
「日清戦争の後」というのはとんでもないフィクションです。
明治7年に明治政府は台湾に出兵しています。
沖縄の漁民が台湾に漂着して原住民に殺されたのが原因です。
結局日本は清国から賠償金を取って解決しましたが、
「沖縄が日本の一部」ということはこの事件のときに国際的に確定しています。
(でなきゃ賠償金なんて取れないし)
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/17 00:57:58 ID:lWAxr0YL
言うまでも無いことですが、「琉球」は大陸の王朝による命名で、沖縄人の自称は「沖縄(うちなー)」です。
この語源は「沖(おき)にある漁(な)場(わ)」であるとするのが一般的です。
一説によれば「沖(おき)の島(なわ)」だとも言います。
(「那覇」の語源は「島」の意だと言われている)
当初の命名からして日本の古語で「沖の漁場」あるいは「沖の島」なのだから、
もともと日本固有という解釈が普通でしょう。
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/17 01:07:14 ID:Bfcn6jtv
確かに同じ日本だけど、文化は違うよね。
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/17 01:16:42 ID:lWAxr0YL
んー、、、文化が違うというなら、日本本土内でも違う文化はいろいろありますからね。
中国の影響を強く受けている、という点だけをクローズアップして日本の他地域と比較するのならば、
沖縄は独立した文化のように見えてしまうかもしれません。
が、中国との距離感とかだけを特別扱いするのではなく、
日本の中の多様性の一つとして見た上で近隣の大陸・半島・台湾・東南アジアを見れば、
明らかに沖縄というのは「日本」というくくりの中の一部だと思いますよ。
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/17 15:00:09 ID:P0kGNpdO
>>241 >中国人が考えて、
>琉球人が真似た唐手(カラテ)を、
>倍達(朝鮮人で帰化してなかったんだとか)が普及させて
>日本人が習う・・・
中国拳術が沖縄に伝わり「テ」と呼ばれていた。
明治時代に「中国武術のテ」という意味で「唐手」と呼んだ。
軍国主義や国粋主義の風潮の中で「空手」と当て字された。
在日コリアンの大山倍達や梶原一騎兄弟が興行的に広めた。
韓国では松濤館空手を元にテコンドー、それに大東流を
付け加えたものをハプキドーとして創作する者が現れた。
中国人ブルース・リーが「空手着を着ないカンフーこそ
真のカラテ」として銀幕で活躍し、世界にカラテブームが巻き起こった。
香川の少林寺拳法や極真会館、正道会館がブルース・リーブームに
相乗りして大きく成長した。K-1もそこから興った。
「北斗の拳」「バーチャファイター」もブルース・リー便乗でヒット。
俳優ジェット・リー(少林寺)や演出家イェン・ウーピン(マトリックス)は
ハリウッド映画に不可欠なビッグネームとなった。
>>225 >今の国家として統一した日本というのも近代由来のもので、後から沖縄を国家に組み込んだのに由来も何もない。
こういう主張の人って結構多いようですが、やはり国家というものに必要以上に反感を持ってきた左翼の主張に影響されているのでしょうか?
日本は古代から「日本」と名乗っていた事実を考えると、とても断言できるような内容ではないでしょう。
そして沖縄の人が「日本」とも「倭」とも呼ばずに、「大和」という古代の都の名前で本土を呼んでいたという事実は、
彼らが本土を見るときの感覚が「日本の外から」ではなかったと言うことを示しています。
「後から近代由来の『日本』に組み込んだ」という主張を裏づけするような強力な事実は、今のところ無いように思えます。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/17 16:27:17 ID:P0kGNpdO
沖縄とアイヌがトゥルー大和、ネイティブ日本人
俺たちはコリアンの血がたくさん入った外来種混血人
幕藩体制の日本は今の日本とつながっていない…
英米の真似をして近隣諸国蹂躙帝国たらんとし
戦前はロシア南下阻止と米国捕鯨基地確保のために
戦後はソ連南下阻止と中共東進阻止のために
英米から庇護された日本は…
日本帝国は孝明天皇暗殺の真相や
明治天皇の出自を含めて怪しいものだ
今は石油利権強奪のために
ムスリム虐殺の片棒を担ぐ傭兵役を
米英から押しつけられ始めている
国連での米英側1票のための常任理事国入り
米英側に変わって銃弾に倒れるための海外派兵…
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/17 17:14:04 ID:+amvjxR+
日本文化だ、そうでない、という議論は結論を下すのは難しいと思います。定義にもよるし。
相違点と類似点を指摘するほうが建設的。技術的なことはよく分からないけど、一つ思うのは、文化の担い手
剣道、柔道が源流とした剣術や柔術(など、無手の格闘術)は封建制度を前提とした武士階級が育んだもの。(戦国時代はちょっと違うけど)
打撃重視の柔術も、その点では変わらない。東北はかなり早い時期に封建制度に編入されており、武術の形成と体系化はその後でしょ?
空手は違う。特に、外国人にとっては侍文化が日本文化の代表(戦犯は新渡戸)だから、空手は違うっってこと教えてあげるのはよいことかも。
現代日本文化について理解を深めてもらうために。・・・間違ってたら速攻指摘してください。
>>253 んー、、、空手だって沖縄の士族階級(さむれー)が育んでできたものですよ。
まあ、明治になって体系ができた那覇手については諸説あるでしょうが。
首里手を体系付けた松村宗棍は薩摩留学時に示現流の最高位まで進んでいますし、
本土の侍文化の影響を受けていないとは思えません。
それに本土の武術だって、武士階級出身者が生み出したものばかりとは限らないですしね。
千葉周作などはその代表的存在でしょう。
むしろ階級を打ち破る手段としての武術、という意味合いもあったようですし。
技術的には、帯刀を前提とした日本の本土の武術と一線を画した体系であることは間違いないですが。
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/17 23:02:35 ID:IluoesdJ
253です。浅学失礼します。うら覚えの知識ですいません。
まず、武士以外が武術を発展させた例があることは、確かにそうです。
ですが、それを需要するのは、大多数が武士であり、武士以外の武術の発展における活躍も、
尚武の気風を重んじる武士がいなければその文化が存在しない点で、文化の担い手であったといってよいのではないでしょうか。
だから、明治以降、武術の改革が必要になった。
空手についてですが、すいません。まったく知りません。
ただ、僕は武士を鎌倉からの封建制度の後継者(江戸時代は微妙ですが)として捉えているので、
その点から言えば、さむれーがどういう人たちか(王の官僚か、封建領主か、傭兵か、海賊か)
が問題になります。もし、さむれーが日本の武士と大差ないものだとしたら、空手と本土の武術は社会経済的には
ほとんど同じ環境で育まれてきたものとして、僕の分け方はあまり意味が無いことになります。
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/17 23:09:36 ID:IluoesdJ
再び投稿。すいません。気になったもので。
類似点に関して、一つ。両者とも、実戦のための技術が土台になっていること。
スポーツ化が進む柔道でも、形を残していること、押さえ込みが首を切る時間を想定していること
などから、実戦志向の思想は見られます。
これは、モンゴル相撲やトルコのオイルレスリングのように、仲間内で力比べをする格闘技とは一線を画しているのではないでしょうか。
・・・またまた、間違ってるかもです。半端な知識ですいません。ただ、こうやって、要素を挙げていけば、議論は整理されるかと。
>>255さん
>ですが、それを需要するのは、大多数が武士であり、武士以外の武術の発展における活躍も、
>尚武の気風を重んじる武士がいなければその文化が存在しない点で、文化の担い手であったといってよいのではないでしょうか。
全くその通りであると思います。
武士以外の武術家だって、武士に憧れて武術を学ぶことが多かったようですから。
松村宗棍は琉球王の側近だったそうです。
何しろ実質人質として薩摩に留学させられていたわけですから、
琉球王国内でそれなりの地位だったことには間違いないでしょう。
新垣清氏が月刊空手道誌に書いていたところでは、
松村宗棍の下に集まった武士(ブサー)達はいずれも沖縄の政治経済の中枢を担ったエリートであり、
維新の原動力となった志士達が集った幕末の本土における江戸三大道場に例えられる、
のだそうです。
当時の沖縄の雰囲気については、私も理解できるほど勉強はしていないのではっきりとは書けませんが。。。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/18 00:54:48 ID:FbjS59Zz
>これは、モンゴル相撲やトルコのオイルレスリングのように、仲間内で力比べをする格闘技とは一線を画しているのではないでしょうか。
賛成です。
この分け方で言えば、空手は柔道タイプの武術に属すると思います。
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/18 01:18:38 ID:6YNfcz4g
>>257 >新垣清氏が月刊空手道誌に書いていたところでは、
前の部分でも出てきた同じ人、新垣清氏が書いた「猿 小説・本部朝基物語」
には空手の勃興期(のちょっと後か?)の雰囲気が良く分るのだが、残念ながら
松村宗棍などはのことは、本部の二世代(?)ほど前だからちょっとだけなんだよな。
ただ、沖縄のおかれた特殊(?)な政治的立場は良く分った。
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/18 23:58:13 ID:HZaHDv7X
>新垣清氏が書いた「猿 小説・本部朝基物語」
良書!。本部の活躍も面白いけど、空手伝承の時代背景が良くわかる。
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/19 00:56:57 ID:GEvokJu/
>>259 >沖縄のおかれた特殊(?)な政治的立場は良く分った。
「猿 小説・本部朝基物語」は読んだことがないのですが、
>>226にあるような
>沖縄(県)って、日清戦争の時ころまで中国、日本、琉球王国になるのか
>(あるいは分割されるのか)ゴタゴタしていたって、
>いま話題の「猿・本部朝基」って小説に明確に書いてあるぞ。
といった内容が書いてあるとすれば、その話はあまり信用しない方が良いと思います。
>>246にも書いたとおり、沖縄が日本に所属することは、沖縄漂流民殺害事件で清国が
「琉球の民は清国の民」という主張をしなかった時点で明白になっています。
無論日本が日清戦争で負けていれば、沖縄割譲ということもあったかもしれませんが、
それは「琉球の帰属がはっきりしなかった」ということとはまた別の話です。
空手小説は空手小説として空手史を読み取るのには良い資料ですが、
政治史の話は別に裏を取った方が良いでしょう。
新垣氏も歴史書ではなく、小説として書いたのですから、
そのあたりは慎重に解釈したほうが良いと思います。
それは、在るでしょうね。
猿は空手(武道)小説としては間違いなく良書ですが、歴史書として見た場合、
結構、偏っている感は在ると思います。
そこは、やはり沖縄人としての新垣氏の視点から見た歴史感と言う物が強く在るからなんでしょうね。
ただ、あの本の影響力はかなり強いです(笑
私も染まりました(笑
263 :
ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/10/19 01:02:41 ID:G5Lv8IAT
新垣の歴史観は必要以上に私感が入ってるから
頭っから鵜呑みにして信じてると変な事になるぞ。
>>36 なんでで君は「琉球に大和が似ている」言い方をしないで、
「大和に琉球が似ている」という言い方をするのかね?
君は大和中心主義者でありそういう物言いは琉球文化に対する侮辱だ。
どちらにどちらが似ているという問題でなく。根源が同じなのだよ。
琉球の文化、民俗に通じているので一言。
>>174 大和の創世神話と琉球の創世神話には共通性が見出されるということであって、
どちらが主従ということではない。どちらがどちらに似ているという言い方はやめろ。
また常世神話、ニライカナイのような概念は日本列島、琉球弧に限らず、
南方の島嶼で普通に散見されるのであって、大和や琉球民族オリジナルのものでもない。
琉球は7世紀頃に中国の文献に初登場し、その後日本書紀などでもそれと思しき場所が
登場する。当時は大和との交流があったと考えられ、大和を中央と考えていたと思しき
史料もあるが、その後は史料が失われ、大和との交流も絶えたと考えられている。
歴史に再び登場するのは12世紀。当時の琉球は戦国時代を迎えており、この頃から中国との
交流が地方有力者レベルで始まる。3つに分裂していた沖縄本島は、14世紀ごろに統一されて
琉球王国となる。琉球王国は当時世界最大の帝国である中国を宗主国とすることを選択し、
この頃から文化的にも中国の影響をいっそう強く受けることになる。対外文書や公文書の年号は
中国語、中国元号を用いる一方、口語や国内の文書には琉球方言(通説では7世紀頃に日本語と
源流を同じにする祖日本語より大和方言と別れたとされる)を用い、ひらがなも使っていた。
琉球王国は徹底して中央集権を進め、地方の有力武士(アジと呼ぶ)を首里に移住させて
階級制度に取り込むという政策を行い、武力も首里が一括管理した。
琉球王国は1608年に薩摩に武力制圧され、大和の幕藩体制に編入されるが、対外的には
独立国の体裁を保ち、一国二制度の地域として江戸末期まで残ることになる。
「手」はもともと琉球において武術一般を意味する言葉だった。「手」の創造期は推測の域を
出ないが、この12〜13世紀の戦国時代にあると考えていいと思う。
中国拳法の伝来もこの頃からあったと考えていいと思うが、現在に至る武術としての「琉球手」の
確立は主に薩摩に編入された17世紀以降に進んだと考えていいと思う。
というのは、まず琉球王国は14世紀ごろの統一以降200年間、比較的平和であったため、
武力を発達させる必要がなかったということと、対照的に1608年以降の薩摩のストレスが
手の発達を促したとするほうが自然だからだ。また那覇手の原型とされる白鶴拳などは
1630年代に創始されたという伝説があり、実際のところは、中国拳法といえど、それほど
歴史の古いものばかりではないということもある。
首里手は王府首里を守る武士が学んだ手であり、中国との交易で北京まで皇帝に拝謁しにいった
高級官僚などを中心に伝えたものとされ、北派拳法の影響があると考えられている。
那覇手は那覇周辺の武士が習得した手であり、中国が琉球に交易港として唯一認めていた
福建周辺の拳法が伝わった。主に南派拳法(小林羅漢拳、白鶴拳等)と考えられている。
(白鶴拳の薬功を記した文献が沖縄に伝わっていることはよく知られている)
泊手は泊周辺で発達した手。それぞれの手は別に薩摩との戦闘で生かされたわけでなく、
薩摩兵を目を盗む形で夜間や屋内で修練されていたと伝えられている。
琉球王国は江戸末期まで残るが、明治維新を経て、改めて琉球帰属問題が日中間で持ち上がる。
武士が土地を天皇に返すという大政奉還の理論は独立国だった琉球王国には用いることができず、
日本は警察隊を首里に送り込み、武力制圧して王国を解体した。中国との小競り合いは以後も
しばらく続き、先島分割案が成立しそうにもなったが、日清戦争を経て琉球の帰属は確定した。
>>246>>261 それはものの見方が逆。
宮古島人虐殺事件当時はまだ琉球藩があり、沖縄は一国二制度だった。
つまり日本にとって沖縄は琉球藩という自国領だが、
清にとって沖縄は琉球藩ではなく琉球王国であり家来の国だった。
その両者の主張は互角であり、どちらに帰属していたわけではない。
またそうした一国二制度を認めていたのはほかならぬ日本だ。
日本はこの沖縄の帰属を巡り、中国に対して明確にするため、漂流民殺害事件を奇禍とした、
というのが正しいものの見方だ。これを口実に日本は出兵し、これによって沖縄の帰属が
日本にあることを中国に対して誇示した。これが1871、74年のことだ。
そして、琉球処分が行われたのは、その後の1879年のことである。
そして、アメリカの仲介の元で、日中間で琉球の分割案が折衷案として成立したのが
1880年のことだ。
これが歴史上の正しい物事の順番だ。
つまり琉球の帰属は少なくとも1880年までは確定してないのだよ。
>>1の意見に戻ると、確かに空手の源流は大和にない。琉球のものだろう。
おおざっぱにいって、
土着の琉球武術(手)+中国武術=中世の琉球手だと思われる。
明治期以降の古流空手は
琉球手+日本武術=古流空手と考えていいのではないか?
薩摩による併合以降、日本武術は琉球にも流れ込んできているので、
沖縄の手が日本武術の影響を全く受けなかったということはない。これは確認もされている。
しかし、1608年以前に全く日本の武術の影響がなかったのかと言えばそうともいえまい。
貿易による文化的、人的交流は7世紀からあったのだから。
もっとも、それは日本武術にとっても同じことだが。
大雑把に言っては上記のようでいいと思うが、詳しく見ていくと、はっきりいってこの命題は
なにをもって空手の真髄とするかによって見解が変わると思われ。
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/19 14:38:50 ID:tl8DIi3A
>これが歴史上の正しい物事の順番だ。
>つまり琉球の帰属は少なくとも1880年までは確定してないのだよ。
だからさ〜 新垣清先生の「猿 小説本部朝基物語」を読めって言うの。
歴史本じゃ無くて小説だけかもしれん(物語だかんね)が、その時期のこと
がチャーンと書かれているんよ。
オレはこの本でアメリカの大統領(元?)が明治天皇と会見してたなんて
始めて知ったもんね。(それも沖縄のことを話題にしている?)
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/19 15:11:30 ID:6TJmUPNv
↑
釣りでは無いと思う。
確か南北戦争の英雄であった、グラント将軍(後に大統領=ダメで有名だった)
が大統領の任期終了後、中国・日本を訪ねている。そのときに天皇(明治帝だった
と思う)とも会見しているはず、日本人が余り知らないだけ
(ちょっとわたしも確証無し。だれか確認してくだされ)……。
サルという小説がそれに触れているなら、それだけでスゴイよ。
>>270 そんなものはただの物語だ。
それより沖縄の高校の沖縄・琉球史の副読本でも読んだほうがよっぽどマシ。
高良倉吉の本でもいい。沖縄のことを話題にしてるんだからよ。
>オレはこの本でアメリカの大統領(元?)が明治天皇と会見してたなんて
>始めて知ったもんね。(それも沖縄のことを話題にしている?)
そもそもそれがこの話と何の関係があるんだよ。
高良氏の「琉球王国」を読んだほうがお前が知らないことが山ほど載ってると思うぞ。
>>264 ID:vriiILyU
>
>>36 >なんでで君は「琉球に大和が似ている」言い方をしないで、
>「大和に琉球が似ている」という言い方をするのかね?
はあ?
>>36書いたの私なんですが、そんな文章がどこにあるのか具体的に指摘してもらえませんか?
>どちらにどちらが似ているという問題でなく。根源が同じなのだよ。
>>36で私はこう書きました。
>文化の話で行くならば、地域ごとにいろんな物があります。
>琉球は地理的に離れているから大和と区別されやすい物が多いけれども、
>文化の基礎は大和との共通点が多いです。
あなたの書き方とどう違うのか具体的に指摘してください。
>>264 ID:vriiILyU
あと、このスレは琉球について語っているのだから、琉球を主語に持ってくるのは普通の日本語の使い方です。
あなたの言い草だと「松浦亜弥ははしのえみに似ている」という人は「はしのえみ中心主義者」ってことですか?
くだらんいちゃもんは止めてください。
「琉球が大和に似ている」と書いたところで、別に大和中心主義とかの主義とは無縁です。
>>265 ID:vriiILyU
>大和の創世神話と琉球の創世神話には共通性が見出されるということであって、
>どちらが主従ということではない。どちらがどちらに似ているという言い方はやめろ。
これも同じですな。
>>174には「ニライカナイは常世国と似たような性格を持っていたのではなかろうか」という文章があるけど、
別に沖縄が柔なんて書き方はしていない。
>>174は
>>169の
>神話や民族伝承などの部分でもニライカナイの伝承など、やはり本土の神話・伝承とは違う部分が多いと思う。
という文章に対するレスなのだから、あなたの指摘にはあまり意味はありませんね。
批判のための批判ではなく、文脈を読んだ批判をして下さい。
あと、こういうこと↓
>また常世神話、ニライカナイのような概念は日本列島、琉球弧に限らず、
>南方の島嶼で普通に散見されるのであって、大和や琉球民族オリジナルのものでもない。
を書くなら、事例の一つくらいは出しなさいよ。
>>266 ID:vriiILyU
>3つに分裂していた沖縄本島は、14世紀ごろに統一されて琉球王国となる。
>琉球王国は当時世界最大の帝国である中国を宗主国とすることを選択し、
>この頃から文化的にも中国の影響をいっそう強く受けることになる。
>>38で既出ですが、「おもろそうし」が繁栄の様子を表現するのに
「大和の鎌倉」を引き合いに出しているのはスルーですか。
>対外文書や公文書の年号は中国語、中国元号を用いる一方、口語や国内の文書には琉球方言
>(通説では7世紀頃に日本語と源流を同じにする祖日本語より大和方言と別れたとされる)を用い、
>ひらがなも使っていた。
これこそまさしく冊封体制は地域の帰属先と関係無いことの証ですね。
あと、ひらがなは本土文化の生み出したものなので、「沖縄」と「大和」という関係で見るとき、
この場合明らかに沖縄が従になるのであって、平等扱いはかえっておかしいですよ。
>対外的には独立国の体裁を保ち、一国二制度の地域として江戸末期まで残ることになる。
一国二制度ではなく、薩摩の制度の中で薩摩の意思によって清を欺いていたのです。
一国二制度ってのは、一般的には香港や台湾の問題に関連して使われる用語で、
琉球王国に関しては一般的な用語の使い方ではありませんね。
「両属体制」とでも言っておくのが適当だと思いますが。
>>267 ID:vriiILyU
>武士が土地を天皇に返すという大政奉還の理論は
日本史の基本的な知識が欠如していますね。
中国の方なのなら仕方ないかもしれませんが、日本語の掲示板で日本史について述べたいのならば、
もう少し勉強された方が良いでしょう。「大政奉還」には土地は関係ありません。
「大政奉還」というのは、徳川幕府が朝廷に政権を返上する、ということであって、
武士が土地を天皇に返すことではありません。あなたの書いているのは版籍奉還でしょう。
琉球に対しては明治4年に廃藩置県で鹿児島県管轄とされ、翌明治5年に琉球国王を華族に列して藩王としました。
よって
>独立国だった琉球王国には用いることができず、
というのは書き方に問題があるし、その後すぐに
>日本は警察隊を首里に送り込み、武力制圧して王国を解体した。
という文章につなげるのは、恣意的にもほどがあると言うものです。
沖縄武力制圧は「沖縄は歴史的に日本ではない」とする論者がことさら大きく取り上げたがる事件です。
が、旧制度廃止に反対する地域に軍隊を送り込んで平定したのは、別に琉球に限った話ではありません。
統一国家を作る過程で、日本全国にあった話です。
>>268 ID:vriiILyU
>つまり日本にとって沖縄は琉球藩という自国領だが、
>清にとって沖縄は琉球藩ではなく琉球王国であり家来の国だった。
>その両者の主張は互角であり、どちらに帰属していたわけではない。
??
かなり偏った教育を受けた中国人がこう主張するのならば分らなくも無いのですが、、、。
中華秩序と言うのは土地や住民の排他支配を主張するものではありません。
清朝の朝貢国としては琉球、朝鮮、ベトナム、ラオス、タイ、フィリピン、ビルマなど周辺諸国はもちろん、
オランダなど西洋の国も朝貢を認められていました。イギリスやバチカンもそうだったという話もあります。
上記の事実から分るとおり、朝貢は清国支配権の主張の根拠にはなりえません。
ていうかそもそも「家来の国」ってなんですか?世界のどこの領土紛争に「家来の国」という概念が効力を持ったのですか?
「中華皇帝の徳を慕って周辺の国々が朝貢に来る」などというシステムは、
少なくとも現状では西洋発祥の近代国際社会システムになじんではいないわけであり、
現状において「両者の主張は互角であり」という主張をするのは無理があります。
>>268 ID:vriiILyU
>日本はこの沖縄の帰属を巡り、中国に対して明確にするため、漂流民殺害事件>を奇禍とした、
>というのが正しいものの見方だ。これを口実に日本は出兵し、これによって沖縄の帰属が
>日本にあることを中国に対して誇示した。
一体何が動機で、間違った話を使って日本に不利なことを書き散らすのでしょうか?
この漂流民殺害事件が発生したとき、日本はまずこの事件の責任を清国政府に問うています。
が、清の回答は「化外の民であり、教化の及ぶところではない」という回答でした。
だからこそ日本は出兵したのです。すると清は前言を撤回し「台湾は我が国領土」と言い出しました。
そこで清国による日本への賠償金支払となったわけです。
しかもこの出兵、日本政府は乗り気ではありませんでした。米英が不快感を示したからです。
日本が沖縄から台湾に至る諸島を領有化することは、欧米列強の中国へのアクセスをやりにくくします。
このため、米英を敵に回す可能性を持つこの出兵は、一度中止と言う決定すらなされました。
維新三傑の一人木戸孝允の辞任の原因にまでなったこの決定を、あなたは何故無視したまま書くのですか?
「漂流民殺害事件を奇禍として出兵し、沖縄の帰属が日本にあることを中国に対して誇示した」
というのは、ものの見方が逆と言うより、完全に間違っています。
>>268 ID:vriiILyU
>そして、アメリカの仲介の元で、日中間で琉球の分割案が折衷案として成立したのが
>1880年のことだ。
成立していません。分割なんてされていないじゃないですか。
そもそも仲介したのはアメリカではなく、旅行中に清国政府に頼まれた当時のアメリカ前大統領グラン
トです。
清国内の通商に便宜を得たかった日本側はグラントの助言もあり、八重山・宮古を清国に割譲すると言う案を提案しました
が、結局成立しませんでした。清国側が拒否したためです。
この程度の事実から何故
>つまり琉球の帰属は少なくとも1880年までは確定してないのだよ。
などという見解が出てくるのか分りません。
李承晩大統領は対馬が朝鮮から歳米を貰っていたことを根拠に「対馬は韓国領」と主張しました。
あなたの言い分だと、戦後になるまで対馬の帰属は確定していなかったと言うことですか?(w
でもこの主張も、ダレス米国務省顧問に一蹴されましたね。
もし日清戦争で沖縄が日本のものになったのだとしたら、それは大変なことです。
台湾を返還したように、沖縄も返還しなくてはならない。
あなたはそういう論者なのですか?
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/19 23:59:32 ID:eCKeodL9
>>278 >旧制度廃止に反対する地域に軍隊を送り込んで平定したのは、別に琉球に限った話ではありません。
>統一国家を作る過程で、日本全国にあった話です
詳細きぼん
>>282 萩の乱、佐賀の乱、西南戦争、神風連の乱、秋月の乱等々。
いずれも旧制度廃止に対する不平士族が起こした反乱で、
明治政府は各地域に置いた鎮台兵で鎮圧しました。
沖縄でも廃藩置県の際、士族が抵抗の準備をしたという記録があります。
>ID:GEvokJu/
>「琉球が大和に似ている」と書いたところで、別に大和中心主義とかの主義とは無縁です。
ならばいい。だがそういう言い回しは一方を中心とみなし、一方を従属するものとみなす
ものであって、価値観を相対化するものでないことは留意してもらいたい。
>を書くなら、事例の一つくらいは出しなさいよ。
必要かね? ポリネシア群島の開闢神話にも同類の説があると伊波普猷が発表している。
わざわざ引用はしない。知りたければ「古琉球」を読め。伝承も引用されている。
>
>>38で既出ですが、「おもろそうし」が繁栄の様子を表現するのに
>「大和の鎌倉」を引き合いに出しているのはスルーですか。
その一例を持って大和が中央であったという考え方はできない。大和側に琉球を従としていた
史料はない。また、7世紀ごろに大和に朝貢を行っというのは日本書紀にのみ見られる史料で
あって、大和側の恣意的な評価が入っている可能性もある。さらにそれは当時の琉球の
統一政権が行ったことという確証はなく、また7世紀の琉球のアジと、13世紀の地方アジの
歴史的継続性は確認されない。そもそも琉球が易姓革命の国であることを失念している。
>ひらがなは本土文化の生み出したものなので
起源を持ってどちらが主従かというのは全く関係がない。それは大和と琉球が民族的にごく
親しい関係にあったという証左でしかない。むしろ現在まで、祖日本語の特徴を多く残しているのは
琉球語だ。そういう意味では大和が琉球の従という言い方もできるではないか?
双方は源を同じとする兄弟の文化なのであって、大和が中心ではない。
>「両属体制」とでも言っておくのが適当だと思いますが。
同意。イメージしやすいように一国二制度と言い回したまで。
>中国の方なのなら仕方ないかもしれませんが
はぁ? 中国人ではないよ。君はアメリカ人かもしれないがね。
>琉球に対しては明治4年に廃藩置県で鹿児島県管轄とされ、翌明治5年に
>琉球国王を華族に列して藩王としました。
その経緯自体が薩摩の武力制圧を背景に、大和側の意図によって一方的に行われている
という歴史認識が欠如してますな。あなたの方がよほど恣意的だ。
警察隊を首里に送り込み、武力制圧したのは歴史上の事実で、それを書いたに過ぎないのに
その事実を軽視したいあなたのような方こそ、恣意的に歴史を語っているんですよ。
やはり、大和中心主義者としてね。
>統一国家を作る過程で、日本全国にあった話です。
琉球王国は独立国でした。国際的にそういう認識です。日本の一地方とは異なる。
琉球の王国としての独立性は極東はもちろん、欧米にまで認識されていたことです。
それは現在から沖縄を日本の一部として語るという、歴史的経緯に逆行するものの見方ですね。
>上記の事実から分るとおり、朝貢は清国支配権の主張の根拠にはなりえません。
あなたは文章をよく読んでいませんね。
>清にとって沖縄は琉球藩ではなく琉球王国であり家来の国だった
「清にとって」と書いているんですよ。あなたのように普遍性を語っているのではありません。
そもそも、中世極東の国際社会は超大国中国(明・清)主導で形成されていたのは歴史的
客観的事実であり、当時中国との朝貢関係のメリットは、国際舞台にデビューするという点が
ひとつあったのですよ。中国が嫌いなのかもしれませんが、当時の中国の国際的影響力を
客観的に語ってもらいたい。
また琉球国王が中国皇帝の孫と同格として扱われていた史実もお忘れなく。琉球王国は
中国と最も多く朝貢貿易を許されていた国のひとつでもあったのですよ。
>>280 それは単に見解の相違ですね。
>日本はまずこの事件の責任を清国政府
まずこの点からして日本はまだ帰属の明確でない琉球王国人を勝手に自国民とみなしている。
>化外の民であり、教化の及ぶところではない
それは台湾のことをいっているんですよ。琉球のことではありません。
>しかもこの出兵、日本政府は乗り気ではありませんでした
しかし出兵したのですよ。日本政府にはそれ以上のメリットを認めていたということです。
>成立していません。分割なんてされていないじゃないですか。
その後、それが実現しなかったことはその前の
>>267でいっていますが?
それは補完して読んでもらいたいですね。清国側が拒否したのは結果にすぎませんよ。
そもそもこの交渉は琉球の帰属権を巡る話であって、折衷案として分割案が出てきたという
経緯を無視しないでください。1880年までこうした交渉が行われていたのは事実であり、
そうした意味で、帰属が確定していたとはいえませんね。
>あなたはそういう論者なのですか?
対馬の歴史は知りませんがね。私はあなたのような排他的かつ独善的な大和中心の
歴史観には否定的というだけのこと。琉球民族というものがあるなら、民族自決を尊重するし、
日本全体を俯瞰しても大和と琉球という文化的歴史的多様性を尊重する。一方をいやしめたり
一方に好都合な歴史解釈はしないということです。
>>283 大和の地方領主と独立国であった琉球王国をどうして同格に論じられるのですか?
それが大和中心のものの見方だといってるんですけどね。
話を戻しましょうか。7世紀ごろから琉球が政治的継続性を持って(ありえないが)
大和に帰属していたとしたい人の歴史観では、空手は日本(大和)古来の武術
という主張になるのでしょうね。
琉球の歴史的独立性や文化的独自性を評価しているならば、空手が琉球手と
中国拳法を源流とする武術が大和に伝来したという主張になるでしょう。
もちろん私は後者の視点に立つものです。
>ID:GEvokJu/
それと、そもそもあなたは空手の帰属、起源について、どういう認識なわけ?
私は
>>266-267を通じて歴史的背景に沿って琉球手についての私見を述べてるけど、
そちらは、私のことを中国人といってみたり、そういう論者などといってみたり、ただ
反中国、大和中心、日本万歳という立場にこだわった歴史観を展開してるだけで、
空手について語る姿勢がどこかにいってるようだが。
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/20 13:31:16 ID:xqtPi1Lk
>>オレはこの本でアメリカの大統領(元?)が明治天皇と会見してたなんて
>>始めて知ったもんね。(それも沖縄のことを話題にしている?)
>そもそもそれがこの話と何の関係があるんだよ。
>高良氏の「琉球王国」を読んだほうがお前が知らないことが山ほど載ってると思うぞ。
沖縄の帰属問題には、このことは非常に関係あるよ。
すこしは勉強してから書き込めよ。
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/20 15:56:37 ID:uMmUycYb
>243から>289までの議論だけど
叱られるかも知れないけど、前に出てきた『猿』って
小説に詳しく経過が書かれてるよ。
アメリカの大統領や明治天皇それに中国の首相(?)などの名と経過も出てくるよ。
また叱られるかもしれんが、わたしのような人間には、
ここでの議論より、整理されて分りやすかった。
>>289 あのさ、こっちは沖縄の専門書を何冊も読んでるの。そんな1冊の小説を元に論じられても
歴史の大局は見えてこない。その小説の参考にした史書や文献を元に論じるならばともかく。
少しは勉強しろってのはこっちのセリフだよ。
そもそも帰属問題と空手にどう関係があるんだっての。
>>284 ID:7wTwk5NN
>そういう言い回しは一方を中心とみなし、一方を従属するものとみなす
>ものであって、
関係ありません。琉球の文化について語るときは、琉球を主語にして何の問題もありません。
>>「大和の鎌倉」を引き合いに出しているのはスルーですか。
>その一例を持って大和が中央であったという考え方はできない。
>大和側に琉球を従としていた史料はない。
別に「大和が琉球を従にしていた」などと書いていませんが。
>>38で「昔の沖縄の人々の意識」と書いているでしょう。
「
>>38に既出」とはっきり書いたのだからチェックして欲しいですね。
彼らが他のどこよりも大和に対し身内意識をもっていた、というニュアンスで書いただけの話です。
これは、そもそも「日本」とも「倭」とも呼ばずに「大和」という昔の都の名前で読んでいることや、
彼らの自称が「沖の漁場」あるいは「沖の島」という意味が発祥であることからも明らかです。
こういう主張を大和中心主義と呼ぶのは、あなたの過剰反応というものです。
脊髄反射レスもほどほどにしていただきたいですね。
「琉球という呼称にこだわっているあなたは中国中心主義」、という方が、まだ筋が通っていると思うのですが。
>>285 ID:7wTwk5NN
>その経緯自体が薩摩の武力制圧を背景に、大和側の意図によって一方的に行われている
>という歴史認識が欠如してますな。あなたの方がよほど恣意的だ。
別に欠如してませんよ。大和側の意図、と言いますが、やまとんちゅーの総意で行ったわけではない。
当時の旧大名はほとんど新政府によって強制されたのです。そういう歴史認識が欠如してますな。
薩摩なんて自分の金と兵隊で幕府を倒して新政府を樹立しながら、薩摩が送った御親兵の軍事力をバックに廃藩置県。
薩摩にしてこの扱いなのだから、他は押して知るべし。
>警察隊を首里に送り込み、武力制圧したのは歴史上の事実で、それを書いたに過ぎないのに
違う。君は歴史上の事実を書いただけではない。君はこの文章
>武士が土地を天皇に返すという大政奉還の理論は独立国だった琉球王国には用いることができず、
に続けて「武力制圧」を書いている。つまり君の書いた意味は、
「大政奉還で正当化できなかったから武力制圧した」という意味の文章になってしまっている。
これが恣意的で無くて一体なんであろうか。大政奉還で土地の接収を正当化できないのは、別に琉球に限った話ではなかった。
一例で言えば、戊辰戦争は、大政奉還後の徳川家に「天皇に土地を差し出せ」と命じたことが原因となったことをご存知無いのか。
>>285 ID:7wTwk5NN
>琉球王国は独立国でした。国際的にそういう認識です。日本の一地方とは異なる。
琉球王国が独立国なら薩摩藩も独立国ですな。幕府と関係無くイギリスと付き合ってたし。
反大和主義的な思想を持っているとその辺が見えないかもしれませんが。
>中世極東の国際社会は超大国中国(明・清)主導で形成されていたのは歴史的客観的事実であり、
当時は中世ではありません。もはや極東のみを切り取って国際社会を語るのは間違っています。
>当時の中国の国際的影響力を客観的に語ってもらいたい。
アヘン戦争で負けた(清国自身にそういう認識は無かったかもしれないが)清の国際的影響力は一気に落ちていました。
それに気づかず、華夷秩序から抜け出せなかった国々は併合されたり植民地になったりしました。
>>286 ID:7wTwk5NN
>まずこの点からして日本はまだ帰属の明確でない琉球王国人を勝手に自国民とみなしている。
日本側の見解を交渉の場で持ち出すのは当然ですが。
その見解がおかしいならば交渉の場で指摘すれば良い。
しかも沖縄人が日本に帰属しないことを理由に清国は無視したのならばわかりますが、そうではありません。
「台湾が化外の民であり、教化の及ぶところではない」から責任は取らない、と言ったのです。
清国は漂流民殺害の問題に対し、沖縄に関しても台湾に関しても一切の責任を回避しようとしたのです。
もはやこの時点で、清国が琉球の主権を云々する資格はないでしょう。
華夷秩序というのは、このように自分の都合によって責任を負ったり負わなかったりする程度のものでしかありません。
すでにアヘン戦争以降、「清国皇帝の版図」が「領土」でないことは清国自身が気づいていたはずです。
>>しかもこの出兵、日本政府は乗り気ではありませんでした
>しかし出兵したのですよ。日本政府にはそれ以上のメリットを認めていたということです。
まだ中央集権もろくに出来ていない混乱期の、岩倉・大久保・西郷従道といった一部指導者の独断なんですが。だから木戸公は辞任したんですが。
少なくともあなたの仰るように「日本政府が沖縄の帰属を明確にするために事件を奇貨とした」などというのは事実ではありません。
私が大和中心主義者なのではなく、あなたが反大和主義者なのではないですか?
ちなみに、政府がメリットを認めていたとして、それの何が悪いんでしょう?
漂流民が襲われる海運上重要な島の治安を誰も保たないのならば、派兵するのが普通の判断だと思いますが。
>>286 ID:7wTwk5NN
>それは補完して読んでもらいたいですね。
実現しなかった提案は「成立した」とは言いませんよ普通。
いかにも「係争中」であるかのようなイメージを勝手に持たれているだけではないかと思っただけです
。
>折衷案として分割案が出てきたという経緯を無視しないでください。
>1880年までこうした交渉が行われていたのは事実であり、
>そうした意味で、帰属が確定していたとはいえませんね。
確定とは全然関係ないですよ。
当時の通商/外交戦略の都合上、国境線の条件を一つ提示しただけでしょう。
前アメリカ合衆国大統領の面子を立てる必要もあったわけだし。
しかも出した条件だって、先島諸島だけで沖縄本島は関係ないし。
先島の人々にとってはたまったものではないですがね。
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/20 21:52:13 ID:49LcQEyw
空手の話はどうなった?
>>287 ID:7wTwk5NN
>大和の地方領主と独立国であった琉球王国をどうして同格に論じられるのですか?
>それが大和中心のものの見方だといってるんですけどね。
大和だって別に一枚岩だったわけじゃないんですが。
>日本全体を俯瞰しても大和と琉球という文化的歴史的多様性を尊重する。
>一方をいやしめたり一方に好都合な歴史解釈はしないということです。
が笑っちゃいますね。琉球至上主義で大和内部の多様性は認めないってことですか。反大和主義者っぽ
い思考ですね。
当時の対立は「琉球vs大和」ではなく、「新政府vs旧制度支持者」と言う軸で見るべきだと思います。
>話を戻しましょうか。7世紀ごろから琉球が政治的継続性を持って(ありえないが)
>大和に帰属していたとしたい人の歴史観
一体何時何処の誰がそんなことを書いていたんでしょう?
あなたはいつも人の意見を手前勝手な読み方して「大和中心主義」とかいうレッテル貼りをしますね。
大和だって大和全体が統一性を持って動いていた時期などあまり無いですよ。
ある程度統一性を持った連邦国家になったのが16世紀末、その数十年後に薩摩による琉球侵攻、
そして19世紀後半に中央集権化、その中で沖縄も中央集権化の波に呑まれる。
日本全体を俯瞰すれば、沖縄史が日本史の一部を占めていることは明らかです。
>>288 ID:7wTwk5NN
>それと、そもそもあなたは空手の帰属、起源について、どういう認識なわけ?
>反中国、大和中心、日本万歳という立場にこだわった歴史観を展開してるだけで、
ふざけんな、と言いたいんですが。
具体的な空手史をこのスレで持ち出したのは私が最初なんですが。
空手についての話題なんてことは君が
>>264で現れる遥か前に書いています。
>>274で
>
>>36書いたの私なんですが、
とカミングアウトしてるんだから、同じIDの
>>28の書き込み見れば分ることでしょう。
私のスタンスは「手と中国武術と大和の武術を源流として、沖縄で生まれた日本古来の武術」です。
>空手について語る姿勢がどこかにいってるようだが。
>>104で烏骨鶏 ◆rIdeRv3c96さんも指摘していますが、沖縄での空手の隆盛は、
廃藩置県・新しい教育制度そして徴兵制といった日本の近代化の波抜きには語れません。
支配者階級や金持ちの占有物でない、沖縄人みんなが誇れる沖縄文化としての空手は、
大和の琉球に対する開放政策無しにはあり得ませんでした。
(参考)
http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/html/b_contents/80010000.html とか書けばいいのかな?(w
>>288 ID:7wTwk5NN
>そちらは、私のことを中国人といってみたり、そういう論者などといってみたり、ただ
なんでそういうことを言ってるか、まだわからない?
俺が
>>36で
>文化の話で行くならば、地域ごとにいろんな物があります。
>琉球は地理的に離れているから大和と区別されやすい物が多いけれども、
>文化の基礎は大和との共通点が多いです。
こう書いているにも関わらず、君は最初の書込みの
>>264でこう書いてきた。
>なんでで君は「琉球に大和が似ている」言い方をしないで、
>「大和に琉球が似ている」という言い方をするのかね?
>君は大和中心主義者でありそういう物言いは琉球文化に対する侮辱だ。
>どちらにどちらが似ているという問題でなく。根源が同じなのだよ。
こういう「大和中心主義者」ってレッテル貼りをやりながら議論吹っかけてくる
あなたのやり方がウザかったから、こっちも似たようなことをやってみたってだけです。
ただ、あなたのことを中国人とは書いていません。「もし中国人だったら」と書いただけです。
今回は「反大和主義者」というレッテルでやってみました。(w
余談ですが、俺がやってるのはひたすら型と分解をやっていく古流の空手です。
沖縄人はほんの一部だが、泡盛をみんなで飲んだり(俺は酒飲めんが)、
稽古が終わるとみんなで沖縄料理の店に行ったりするような沖縄好きが多い。
あんたみたいに沖縄の話となると、条件反射的に大和中心主義だのと言ってくる奴見ると
ホントにウザったくなるのよ。
俺が知ってる沖縄人にそんなのいないんだけどな。
「琉球は日本ではなかったでしょ」みたいなこと言われるとみんな「(゚Д゚)ハァ?」だよ?
むしろ区別されることの方が心外のようで、「大和の波」とでもいうべきものに
対しては、「良い面も悪い面もあったんじゃない?」ってのが普通の態度。
喧嘩腰に突っかかってくる人などまずいない。
そういうことをやるのは、何故かみんな大和生まれの大和育ち。
ここまで読み飛ばした
>>288 ID:7wTwk5NN
あとさ、この
>>247でも指摘したけど、沖縄の人たちの自称って「沖縄(うちなー)」なんですよね。
これは歴史の話じゃなくて、今でもそう。
君は俺をいかにも沖縄文化を大切に考えているかのように振舞っているけど、
なぜか沖縄のことを琉球琉球としつこく呼んで、沖縄とは絶対に言わない。
沖縄の人たちの自称を無視して、中華皇帝から戴いた呼称だけを後生大事に使って
頑なに「沖縄」とは言わない態度をちょっと煽ってみたくなっただけ。
さらに、、、歴史について長々語る割には、「大政奉還」という基本中の基本の
日本史用語について何も理解していないところをつついてみたかっただけ。
で、一応、、、、、、中国人じゃないんですよね?
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/20 22:40:40 ID:hOS1PeFB
まずマナーとしてハンドルネーム付けろよ
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/21 00:59:34 ID:3FNVSDg0
>>291 >そもそも帰属問題と空手にどう関係があるんだっての。
答え
>沖縄での空手の隆盛は、廃藩置県・新しい教育制度そして徴兵制といった
>日本の近代化の波抜きには語れません。
>37nRtpI/
>彼らが他のどこよりも大和に対し身内意識をもっていた、というニュアンスで書いただけの
そういうことなら了解しました。
琉球という呼称にこだわっているから中国中心主義というのは偏見であり瑣末なこだわり。
そもそも「りゅうきゅう」という呼称は「琉求」として中国の史書「随書」で初出するわけだが、
その由来は不明であり、その「琉求」が沖縄を指していたのかも不明確とされている。
しかしその後中国は沖縄を琉球と呼称し、琉球側もそれを国際的にも自称とした。
これは客観的事実であり、琉球時代の沖縄を語る上で沖縄を琉球と称する事は
議論の上でも誤解を与えないために適切としたまで。沖縄やうちなーが自称であることなど
当然知っているが、当時の彼らのアイデンテティは「琉球王国」にあったと考えるべきだろう。
>やまとんちゅーの総意で行ったわけではない
そういうことをいうなら、貴方が台湾出兵に木戸氏個人の逸話を出したことも意味があるまい。
歴史は大局で語るべきでしょうよ。
>琉球に限った話ではなかった
「限った話でなかった」なら、別に琉球についてそう指摘することは間違っていないだろう。
ことに琉球は独立国だった(実質が日中両国の従属下とはいえ国際的には)のだから、
その武力制圧の持つ意味合いは日本国内の地方領地に比べて重みがあると考るべき。
>>294 薩摩へのイギリスの干渉は日本の地方領主への内政干渉というべきでしょうが。
当時の日本が天皇制下にあることは周知の事実ですよ。日本の王権は天皇に帰属する。
中世極東について語ったのは、琉球王国がなぜ中国を宗主国としたのか、またその国際的
意義(メリット)はなんであったのかということを語るためです。それが中国と琉球の関係の
原点であり、中国を嫌うからといってそのメリットに目を背けるのは間違った姿勢だ。
琉球王国はたしかに指摘の通り、時代情勢を読み違えた。それによって滅びたともいえる。
その視点には同意できますが、だからといって琉球王国のスタンスや中琉関係そのものを
否定的に見ることはおかしい。それは結果論から語っているに過ぎない。
307 :
つづき:04/10/21 02:28:27 ID:AxdRKUxN
>もはやこの時点で、清国が琉球の主権を云々する資格はないでしょう。
もう少しひいて話をしますが、それは現在の価値観に基づく評価ですね。
当時の極東は、欧米に比べ、国境線についての認識が遅れていたという情勢を忘れていませんか?
そして欧米進出に際して、国境線の確立が進められた時期でもあった。それまで日中、日韓、
日露、それぞれについて、国境線は曖昧だった。台湾出兵はその国境線確立の過程において
起こった事件であり、日中でその重要度の認識に差があったということですよ。
つまりあなたのいう華夷秩序が時代の流れにのり損ねていたという評価がされるべきであって、
現在の価値観に基づいて、領有権の主張ができないと論じるのは恣意的というべきですね。
>ちなみに、政府がメリットを認めていたとして、それの何が悪いんでしょう?
琉球王国の主権を犯す企図があった。
こうした指摘をすることが反大和といわれるのは心外ですね。
>漂流民が襲われる海運上重要な島の治安を誰も保たないのならば
琉球王国の治安力を奪ったのはどこの国でしょう? また倭寇以来、沖縄近海で
海賊行為を行っていた倭寇は日本人です。琉球王国は彼らから奴隷を買い上げ、
母国に送還するなどしていましたよ。また貿易で協力もしていましたがね。
いずれにせよ琉球王国は倭寇とうまく付き合っていたのですよ。
308 :
つづき:04/10/21 02:32:42 ID:AxdRKUxN
>大和だって別に一枚岩だったわけじゃないんですが。
天皇に国権を求められるのが大和です。大和の国家的アイデンテティは天皇に帰属する。
大和内部の多様性と琉球王国の差異を混同することは全く間違った考え方ですね。
琉球王国の独立国としての歴史、文化、蓄積を正しく評価することなく、一地方の一文化に
すぎないとみなす。それこそが大和中心主義ですよ。現在にも通じることです。
大和が琉球という異なった国を併合したという事実を正しく評価すべきです。
>当時の対立は「琉球vs大和」ではなく、「新政府vs旧制度支持者」と言う軸で見るべきだと思います
当時の具体的な対立については、それが軸であったという指摘には賛同しますよ。
>廃藩置県・新しい教育制度そして徴兵制といった日本の近代化の波抜きには語れません。
それは沖縄での空手の隆盛にとってではなく、本土への輸出について意味があった
ファクターですよ。また本土への沖縄手の輸出は、沖縄の拳法家の文化を残したいという
判断があったからです。またその引用は開放政策ではなく、当時の対沖大和同化政策と
関連して語られるべき論点ですな。
309 :
つづき:04/10/21 02:34:27 ID:AxdRKUxN
最後に。空手についての認識が多少違うことはわかりましたよ。
それと、そこらの沖縄人が沖縄・琉球に精通してると思ってるんですか?
貴方が飲んでいる相手に琉球の歴史を聞いてみなさい。
きっと誰も答えられない。沖縄・琉球について一番知らないのは沖縄県民
なんですよ。あなたがそういう環境に居るのは当たり前だ。
だが沖縄の優れた学者や愛郷家たちは沖縄学を起こし、大和に同化していく
沖縄県民に民族的アイデンテティと自負を持たせようとした。
あなたがいまどきの民族意識に無知で無自覚な若者達を相手にして、
沖縄を軽んじ、全てを知った気になるのは大和人の増長というもの。
ましてそれをいいことに、大和にとって都合のいい沖縄史を語ることは
決して真実にはならない。そのことはわきまえておくべき。といっておきましょう。
>>303 中国人がここまで日本と沖縄について語れたらたいしたもんだ(w
ところで、仮に中国人だとして、だとしたら意見の質が変わるんですかね?
あなたは発言者の人種や国籍で、意見の内容をゆがめて捉える偏向者だと
自分で告白しているわけだ。なるほどレッテル付けを好むわけだ。
そんな態度では、とうてい議論の相手にはなれませんな(w
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/21 12:16:38 ID:bb9xtit5
これって要するに外野同士の喧嘩だよね
2chならではの、暇な子や野次馬君だけでの世界の
お話でついてけません
ずっとやってて下さいね。そのうち病気になりますよ
左翼過激派同士のアジ合戦と同じ世界です。健全な精神構造からみたらあまりにも
異常な世界に見えます。意味もない、社会的問題でもない、普通、誰もそんな事気にしてない、
沖縄でも本土でも問題でなくこれからも問題でない、どうでもいい事に必死になってる
暇あるだけいいですね。暇は最高の贅沢ですね。まさか皆さん引きこもりじゃないですよね?
お父さんお母さんに大切にね。
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/21 14:00:25 ID:mAd+OfRs
うわー。あてられちゃったよー。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/21 23:25:36 ID:5ZE5NInm
随分昔に四段けど
沖縄の ティー(手)空手 は中国の武術を参考に沖縄独特な形に変えられた
その中国はインドから中国に渡ったダルマという名の人が伝えた
インドには、空手に似た格闘技が存在する。
インドが源流なんだってサ
>>311 >沖縄でも本土でも問題でなくこれからも問題でない、
>どうでもいい事に必死になってる暇あるだけいいですね。
すまん。まさしくあなたの言うとおりだと思う。
ただそう思うからこそ、あったかどうかすら定かではない民族意識を無理矢理作り上げようとする考えが納得いかんのだ。
悪いが、折角なので昼間書き込み準備したことの抜粋だけ書かせてくれ。
>あなたがいまどきの民族意識に無知で無自覚な若者達を相手にして、
>沖縄を軽んじ、全てを知った気になるのは大和人の増長というもの。
私の知識のネタ元は別に「いまどきの民族意識に無知で無自覚な若者達」だけではないです。
というか、その言い回し、沖縄の若者に対して非常に失礼ですね。
勝手に民族意識を持つことを期待して、誰も自分の期待通りに民族意識を持たないからといって
若者を「無知で無自覚」などと罵倒するなど傲慢すぎだと思う。
今時の若者が駄目なら当時の人々はどうでしょう?
例えば糸洲安恒先生。
士族の家に生まれた糸洲先生は明治維新の時にはすでに40歳近い御年です。琉球処分の時には50歳近い。
もし琉球民族意識というものがあったとすれば、出身階級的にも年齢的にも強い民族意識を持っていたはずです。
しかしどういうわけか、そういう人だったと言う話は聞きません。
それどころか、先生は近代日本で発展できるよう空手を編成しなおし、
先生の書かれた「糸洲十訓」には明らかに近代日本社会建設の一員としての意識が盛り込まれています。
その考え方が決して異端ではなかった証拠に、糸洲先生は首里手の中興の祖扱いされる沖縄空手史の大物として支持されていました。
また、琉球処分が1879年、そのわずか11年後に志願兵の募集が行われていますが、それには50名以上が応募しています。
学問身体検査を経た甲種合格はわずか3名のみでしたが、彼らは全員糸洲安恒先生の弟子でした。
そしてこの4年後に日清戦争が起きています。
このとき、所謂「頑固派」と言われた、明治政府の支配をよく思わない人たちも少なからず居たようですが、その一方では清国来襲に備えて師範学校で義勇軍が組織されています。
当時、明治政府はまだ沖縄の統治を薩摩時代からそれほど変えていなかったにも関わらず、です。
本当に琉球民族意識が強固であれば、10年や15年で所謂「開明派」がこういった力を持つことは無かったでしょう。
もし大和とは違う琉球民族と言うものが実態としてあったなら、上記のようなことは起こりえません。
教育と言うのは学校のみでなされるものではないのです。15年で同化などありえません。
数十年も統治していながら、ついに韓国人・台湾人・パラオ人などは日本人にはならなかったのです。
こう考えると、琉球処分のときの抵抗は民族意識に基づいたものだとは考えにくいです。
天皇に国権があったのは古代の話です。
また、基本事項ですが、大和と言う呼称は古代の日本の首都が由来です。
その大和にあった大王を中心とする勢力が、次々と周囲を征服して行くのが日本の歴史です。
沖縄が17世紀初頭に征服されたのもそういう歴史の一つです。
また、首里王府も大和王権と同様の歴史を歩みます。
尚王朝は1500年、独自の政治経済社会を築いていた八重山諸島に圧倒的な兵力で侵攻、
他島への強制移民や強制入植を行ったと言われ、またその後起きた独立運動も制圧しています。
こういった歴史に深く触れようとせず、八重山の民族意識云々などの主張はせず、
また大和も征服戦争の繰り返しで成立したことを無視して、
琉球と大和との違いだけを主張するような史観を俺は信用できません。
薩摩が琉球に侵攻したのは、尚王朝の八重山侵攻のわずか100年余り後、関ヶ原の9年後です。日本全国戦国時代だったわけです。
琉球王国は薩摩に侵攻された時点で幕藩体制に組み込まれました。薩摩の附庸国であったために主権もありません。
この時点で琉球王国は幕薩の思惑によって生かされていただけの体制で、薩摩以上に独立国であったとするのは無理があります。
そして薩摩に征服されるまで琉球社会は古代社会的なものが残っていたと言うのが定説で、
薩摩の支配下で無理矢理生かされている間に、何とか封建制のようなものを構築していくのが沖縄の歴史であり、
沖縄人が誇りとする今に伝わる沖縄文化も、多くは薩摩の圧制時代に成立したものだといいます。
>>100-101に似たようなこと書いてありますが。
沖縄でも士族階級などの間でしか行われなかった空手が、日本の同化政策により沖縄全体で盛んになった、
というあたりも事情は似たものがあります。
大和と沖縄はあまりいい関係ではなかった時期が長いです。
しかし文化がそのような環境の中で醸成されてきたという事実を隠蔽し、
あったかどうかすらさだかではない民族意識を、わざわざ作り上げることにどんな意味があるのかわかりません。
また、お互いが民族的違いを意識しているわけでもない現在、沖縄人にとっても本土人にとっても幸福になるとも思えません。
そういった意味で
>>311氏の指摘に同意です。
最後に気づいた点だけざっと指摘。
・中華秩序に入るために対外的に名乗っていることとアイデンティティは別。
対外文書で琉球王国と名乗ったことなど、ほとんどの沖縄人には無縁のこと。
・漂流民が殺害された事件は、海賊によるものではない。上陸してそこで殺された。
そして琉球王国が台湾の治安に力を持った時代はない。
・王権が天皇に帰属する体制じゃなかったからこそ、
欧米列強との接触で体制の矛盾が明らかとなり、幕末の騒乱に至った。
・華夷秩序が時代の流れに乗り損ねていたからこそ、清国は領有権の主張が出来なかった。
なお、「時代の流れ」というのは当時の価値観そのものである。
・俺は別に中国人を嫌いではない。仕事で滞在したときの経験から、むしろ好感を持っている。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/22 00:51:10 ID:m2rRI334
なんか、はじめの方しか見てなかったけど、随分な方向に来てるな。
何のスレですか、ここ…?
空手は古来の武術じゃありませんから。
首里手は19世紀の生まれです。100年くらいなんです。
「空手の起源の中国武術は…」とか言い出す人がよくいますが、
中国武術がどれだけ正確に沖縄に伝わったと思ってるのでしょうか?
沖縄から本土にすら、空手はうまく伝わらなかったというのに。
首里手以前の琉球の手は確かに中武を模したものだったでしょう。
しかし、それでは使えんと言うことで首里手ができたわけですから。
そういう意味では空手は中武の影響は確実に受けていますが、
素手による突き蹴りの文化、意味は解らないがカタチばかりの中武文化が
伝わって、それを沖縄で新たに組みなおしたのが空手と言えるでしょう。
その組みなおしに、示現流や沖縄で盛んだった棒術の理にしたがったというのが
有力な説です。
首里手系統の人は「日本伝」「日本生まれ」と言うところに誇りを持っていたそうです。
テコンドーは空手を母体とし、空手と似た技術もありますが、空手ではありません。
空手は中武の文化を土壌として発生し、似た技術も残ってるでしょうが、中武ではありません。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/22 00:53:46 ID:461vnr2d
沖縄で盛んだった棒術の「理」は、中国や日本の武術の理じゃないのか?
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/22 01:04:10 ID:m2rRI334
>中国や日本の武術の理じゃないのか?
じゃ、日本の理でってことでいいんじゃない?
要するに空手には沖縄固有の文化と、本土の剣術などの文化も入って出来たもの
ということを言いたい。
空手に関して言えば、沖縄武術であり、日本武術なんだよと。
どっかで聞いた話じゃ、中国で松村宗棍は棒術で試合して完勝したらしい。
(定かではないが)
中武の棒術がどんなんだか詳しく知らないけど。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/22 15:50:41 ID:TogqMr2C
↑ ↑ ↑ ↑ ↑
? ? ? ? ?
今までこのスレで議論されている沖縄と日本(大和?)&中国の政治的、
文化的な関係。それに空手の歴史(主に沖縄での…)それに「棒」のことまで
『猿・小説本部朝基』にはちゃんと書いてあるよ。
小説だから膨らませたとこや、削ったところはもちろんあるはずだが……
オレ的には小説だが『猿』の方が、ここでの議論(大部分の意見は非常に
一方的だと思いました)なんかより一番ためになったし、第一面白いよ。
小説は後味が非常に良いんだけど、正直いって「沖縄って大変だったんだな。」
とは思いました。少し参考書などでも読んで、勉強すべ〜かとも思っています。
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/23 02:18:23 ID:dIJyL9fO
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/23 11:31:56 ID:80cNMjKN
>>320 >「空手の起源の中国武術は…」とか言い出す人がよくいますが、
>中国武術がどれだけ正確に沖縄に伝わったと思ってるのでしょうか?
>沖縄から本土にすら、空手はうまく伝わらなかったというのに。
>首里手以前の琉球の手は確かに中武を模したものだったでしょう。
>しかし、それでは使えんと言うことで首里手ができたわけですから。
>そういう意味では空手は中武の影響は確実に受けていますが、
>素手による突き蹴りの文化、意味は解らないがカタチばかりの中武文化が
>伝わって、それを沖縄で新たに組みなおしたのが空手と言えるでしょう。
>その組みなおしに、示現流や沖縄で盛んだった棒術の理にしたがったというのが
>有力な説です。
>首里手系統の人は「日本伝」「日本生まれ」と言うところに誇りを持っていたそうです。
首里手はいいかもしれんけど(ちゅうか那覇手の人間としてはいう立場にもない)、
ほぼ中国武術の徒手技術が技術母体となっている那覇手や上地流は
形骸化した中国武術云々や示顕流云々は関係ないと思うんだけどね・・・。
中国武術を母にして、沖縄の風土の影響を受けて育まれたのですが、
やっぱりこれは空手なんですよね。
だから「空手は沖縄生まれの武術です。」とはいってもいいでしょうが
示顕流云々は首里手の話で、空手で括って話せることではないし。
中国武術の影響はあってもそれが主体かどの程度かどうかも流派次第。
なので「空手は沖縄の武術」にしといてください、どっちに帰属でもこれでいいじゃん。
で、沖縄の帰属問題は勝手にしてという感じ。
326 :
ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/10/23 11:55:39 ID:GvHWVTtY
>首里手以前の琉球の手は確かに中武を模したものだったでしょう。
そうか? 元々素手でぶん殴り逢う土着の武術(手)というものが
あっただけで、別に中武を模した訳じゃねーっしょ。
>しかし、それでは使えんと言うことで首里手ができたわけですから。
その使えんというソースは? 使えるけど中武の要素を取り入れた方が
もっと強力になるからくっついただけだろ?
>素手による突き蹴りの文化、意味は解らないがカタチばかりの中武文化が伝わって
素手による突きや蹴りなんて別に中国から伝わらなくても、普通に生活してれば
どの民族でも思いつくだろ。中武が伝わる前から沖縄では素手でやる風潮や風土が
浸透してただけでは?
>意味は解らないがカタチばかりの中武文化が伝わって
>それを沖縄で新たに組みなおしたのが空手と言えるでしょう。
那覇手や上地は言うに及ばずだから置いとくとして。首里手の佐久川や
松村、糸洲などの有名どころは皆中国に行って修行しているんだが。
この3人は意味が分からないけどカタチだけ憶えて持ち帰ったとでも?
そういえば、剣術や柔術の世界で見取り稽古ってのがあるらしいねえ。
また、ある程度の術理を修めた人はそれが初めて見る技でも何を根本と
してるのかだいたい推測する事ができるとも。合気道の専門家が空手の
人の技を見て、あの技はこういう術理が元になっている、と解説した実話
もあるし、そんな例はいくらでも転がってるだろう。
糸洲・松村・佐久川は中武を見て意味がわからない程レベルが低かったのかな?
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/23 11:58:00 ID:ient30p+
>首里手はいいかもしれんけど(ちゅうか那覇手の人間としてはいう立場にもない)、
少しは歴史を勉強ては? と思います。
これほど情報が豊富な時代ではどんなことを言っても……、
それが例え自分の学んでいる流派(それは首里手、那覇手、泊手などの、
どんな流派でも良いのでしょう)の正統性を主張するために、歴史を歪めることは
できない時代であると言うことだと思います。
そして、空手界はもうその時代に来ているんだと言うことでしょう。
素晴らしいことだと思いませんか!?
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/23 12:09:04 ID:GqkJV4D8
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/23 12:26:27 ID:IYesEC0V
>>326 >そうか? 元々素手でぶん殴り逢う土着の武術(手)というものが
>あっただけで、別に中武を模した訳じゃねーっしょ。
でっ、その根拠は?
自分の思いですが、個人の都合や、思いつきで空手を語る時代は
もう過ぎたのでは……!?と……激しく思っていますし、
こう言う思いは自分だけで無いでしょう。
>>327氏の
>歴史を歪めることは できない時代であると言うことだと思います。
>そして、空手界はもうその時代に来ているんだと言うことでしょう。
>素晴らしいことだと思いませんか!?
の意見に大賛成!! スンバらしい!!
これからは、そうなって行くと思いますよ。
330 :
ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/10/23 12:47:51 ID:GvHWVTtY
>>359 素手による突きや蹴りなんて別に中国から伝わらなくても、普通に生活してれば
どの民族でも思いつくだろ。中武が伝わる前から沖縄では素手でやる風潮や風土が
浸透してただけでは?
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/23 12:48:27 ID:zoqzXyDQ
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/23 12:53:35 ID:PcMXJrJG
>素手による突きや蹴りなんて別に中国から伝わらなくても、普通に生活してれば
>どの民族でも思いつくだろ。
ア○か?
>
>>359 もっと、ア○か?
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/23 14:27:52 ID:80cNMjKN
>>327 >
>>首里手はいいかもしれんけど(ちゅうか那覇手の人間としてはいう立場にもない)、
>
>少しは歴史を勉強ては? と思います。
>これほど情報が豊富な時代ではどんなことを言っても……、
>それが例え自分の学んでいる流派(それは首里手、那覇手、泊手などの、
>どんな流派でも良いのでしょう)の正統性を主張するために、歴史を歪めることは
>できない時代であると言うことだと思います。
>そして、空手界はもうその時代に来ているんだと言うことでしょう。
ですから、首里手の歴史に対して那覇手の人間がああだこうだ言うと不毛になる
というだけの話です。
当然那覇手には那覇手の歴史があり、これを学ぶには異存がないのですが。
ただ、空手として語るには流派ごとの違いがあるのでそこを考慮しないと
偏った話になる(示顕流の影響は首里手の話だし)ということを言いたいだけです。
沖縄の帰属問題は影響が0ではないでしょうが、流派ごとの状況の違いによる差のほうが大きいから、
それを持ってして、空手が大和の武術かどうかを語るのは問題があると言いたいわけです。
>>335 >空手として語るには流派ごとの違いがあるのでそこを考慮しないと
>偏った話になる(示顕流の影響は首里手の話だし)ということを言いたいだけです。
残念ながら、世の中にはそれが理解できないバカがいるみたいだよ。
>>326 >そうか? 元々素手でぶん殴り逢う土着の武術(手)というものが
>あっただけで、別に中武を模した訳じゃねーっしょ。
確かに殴ると言う文化はどこにでも発生しうるでしょうが、本土では
「当身」はあっても、空手のような「突き」をする武術はあまり無いと思います。
本土で空手のようなものが発生しなかったのも根拠の一つです。
それに沖縄の在来の手というのも、古くに中武が伝わり、ローカライズされたものというのが
有力な説です。
>その使えんというソースは? 使えるけど中武の要素を取り入れた方が
>もっと強力になるからくっついただけだろ?
まぁ確かに文献などが残ってるかどうかは俺は知りませんがね。
とりあえず沖縄で首里手といえば「松村の手」であること、
元々が武術として十分なものなら、首里手が松村の手一色になることは考えにくいこと、
その松村の手は示現流などの理をもとに在来の手を組み直したこと(有力説なだけですが)、
体使いに日本武術と共通する部分が多いこと、
中武としての確固たるものが沖縄に無いこと、
松村も中国に行ってますが、別に武術を学ぶことがメインだったわけではないこと、
意味が解っても、それを自分も採用するかは別問題であること、
などですかね、推論の根拠は。
それに沖縄から本土へ、偉人達人とされる人が空手を伝えに行きましたが、
やはりうまく伝わっていないようですよ?
つづき
>合気道の専門家が空手の人の技を見て、あの技はこういう術理が元になっている、
>と解説した実話もあるし、そんな例はいくらでも転がってるだろう。
>糸洲・松村・佐久川は中武を見て意味がわからない程レベルが低かったのかな?
そういう例はあるでしょうね。しかし、あくまで空手の人ではない以上、
真実である保証は無い。失礼な言い方だが、ある程度まで修めた人が「自分の感覚」で
語ってしまうことは往々にしてあることでしょう。
さらに言えば、例えば糸洲は若い頃、松村に認めらていません。「その頃の糸洲」は
その程度だったということです。
また先述したように、意味が解るのと、それを自分の手に組み入れるかどうかは別問題ですから。
最後に。那覇手や上地流は除いて話をしています。こんがらがるし、
これを日本伝とするのは個人的に違和感を感じるからです。
首里、泊、那覇をまとめるのも無理でしょう。無理にやればどれでもない別物が生まれるでだけです。
別は別、それでいいと思います。
>それに沖縄から本土へ、偉人達人とされる人が空手を伝えに行きましたが、
>やはりうまく伝わっていないようですよ?
これは蛇足でした。
340 :
ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/10/23 16:08:34 ID:GvHWVTtY
341 :
ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/10/23 16:16:12 ID:GvHWVTtY
342 :
ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/10/23 16:33:01 ID:GvHWVTtY
議論を進める前に聞いとくが、
>>320と
>>338は同一人物か?
もしそうなら話を進めるが、違うならめんどくせーからティムポ
立っちゃったって事でスルーしとけ。時間と体力と精子の無駄だ。
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/23 16:58:00 ID:P9mZ17ng
>時間と体力と精子の無駄だ。
あんたのレスが一番無駄でしょう。
この人のレスを無視して話し、進めましょうや。
ったく、このような真面目なスレをあんたのような
人間(?)がダメにする。
344 :
ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/10/23 17:02:38 ID:GvHWVTtY
>>337 >本土では
「当身」はあっても、空手のような「突き」をする武術はあまり無いと思います。
ただ、ちょっと興味を引かれたんでスレとは別に聞いとくか。
当て身と突きの技術的違いってなあに? まさか投げにつなげるのが当て身、なんて陳腐な
回答はしないですよね?古流の唐手は当てて体勢崩したところを投げるなんて戦法は定石で
すし(笑) 空手の「突き」と本土の「当身」の明確な「技術的違い」を教えてください。
>>343 ( `Д)< あ、ティムポ立っちゃった!
/(ヘ つ )ヘ
>>329 >それに沖縄から本土へ、偉人達人とされる人が空手を伝えに行きましたが、
>やはりうまく伝わっていないようですよ?
>これは蛇足でした。
ついでに、これもどうして蛇足なのかよろしければ教えてくださいな。
ちょっと出掛けてきます。|Д´)ノ 》 ジャ、マタ
>>344 >古流の唐手は当てて体勢崩したところを投げるなんて戦法は定石ですし
出掛ける前に訂正。
「古流の唐手は突いて体勢崩したところを投げるなんて戦法は定石ですし」に脳内変換しといて。
新説です。
大航海時代にポルトガル人がアジアに進出しています。
台湾を実質的に征服し、沖縄の糸満にも前線基地を設置していました。
このときポルトガル人が伝えた武術が「手」のはじまりの可能性があります。
詳しいことは不明ですがこの武術はキリスト教宣教師集団が自衛のために開発した武術です。
糸満にいたポルトガル人は琉球王朝内部にも接触していたことから、
「手」が王朝家で内々に伝えられてきたこととも一致します。
ちなみに仲間由紀恵など沖縄には珍しい色白美人は当時のポルトガル人の末裔です。
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/23 18:48:48 ID:80cNMjKN
>>338 >最後に。那覇手や上地流は除いて話をしています。こんがらがるし、
>これを日本伝とするのは個人的に違和感を感じるからです。
>首里、泊、那覇をまとめるのも無理でしょう。無理にやればどれでもない別物が生まれるでだけです。
>別は別、それでいいと思います。
了解です、それならば。
空手としての話じゃなく、あくまでここで話してるのは首里手ローカルな話で
限定されているということであればよいのじゃないですか。
ポルトガル人はキリスト教武術は伝えましたが
鉄砲は決して伝えませんでした。琉球侵略をねらっていたからです。
350 :
337:04/10/24 00:50:13 ID:345LDfvk
>>344 >当て身と突きの技術的違いってなあに?
さぁ、何ですかね? 正直よく知りません。空手しかやったこと無いので。
「当身」という字を使ったのは、本土ではそれで通ってることが多いかと思ったので
使ったまでです。
ただ自分で見た限りでは、本土の方は直線的な「突く」動作というより、
円弧の動きに沿って行う「打つ」「殴る」系の動作が多いと感じますね。
あと、言うなといわれましたが、予備段階としての扱いがメインというのは
やはり違う点だと思いますが?
空手にも突いてから投げるという戦法は存在しますが、突き蹴りでしとめる
ことがメインでしょうし、それほど精緻な投げ技、逆技を持っているわけはないようです。
空手の分解などで高度な投げ技を披露している人は、きっと他の武術からの移植が
多いのではないかと個人的には思っています。
まー興味ひいちゃったところを申し訳ないが、詳細な説明は出来んので、
それで気に食わなかったら、
「本土には突き蹴りをメインとして戦う武術があまり無いと思う」
と読み替えておいてください。
蛇足としたのは、ちょっと状況が違うかなと思ったから。
蛇ティムポの理由は別に知りたくもないんで説明してくれなくて結構ですよ
ポルトガル人の入植の歴史については沖縄ではほぼ隠蔽されている。
明治以前の空手の記録がほとんどないことと関係しているのかもしれない。
>>348 >空手としての話じゃなく、あくまでここで話してるのは首里手ローカルな話で
>限定されているということであればよいのじゃないですか。
同感であり同意。確かに那覇手や上地をまぜるとややこしくなるしな。
>>350 おう、説明ありがとな(`▽´)
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/24 08:50:08 ID:14xpoJje
>>347 >沖縄には珍しい色白美人
沖縄には韓国系も多いよ
色白ヒラメ顔は韓国にたくさんいる
北朝鮮にも多いし、満州にもいるよ
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/24 10:14:47 ID:UDwJZWIF
347や353見ると2chってやっぱり痛っす
仲間は本土生活長く、本土の高校時代から、いつも日焼けにかなり注意して
あそこまでなりました(本人がよく言ってた)。生まれつき黒い沖縄人など普通いません。紫外線、全国平均の2倍(2倍ですよ)
です。仲間ファミリー見た事ありますか?濃いっですよ。
沖縄は日本一韓国人少ない県です。残念!!
ちなみに沖縄はしょうゆ顔もゴロゴロいます
人類学的には弥生人にかなり近いのが現在の最新の学説です
アイヌうんぬんは大雑把な学者の説が広まっただけです。琉球王国の時代にはよく外国船が来て
彼らの見聞録も見た方がいいですよ。とにかく旅行でもしてみれば、勘違いに
気づくでしょう。
仲間由紀恵にも沖縄の血が混ざっている。
むしろそっちのほうが多い。当たり前だ。
しかし一般の沖縄人と違うのも見たら分かることだろう。
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/24 15:39:42 ID:UDwJZWIF
>355
お前は在日だろ
なんかハングルやらなんやらでやたら認定していつも叩かれてる類の奴
まぁ家族は皆コテコテ沖縄人なので妄想にふけっててくれ
それで寂しさが紛れるんだろうからお安いものだ
じゃあね寂しい在日君
ポルトガル人の特徴が親や祖父母を飛び越えて突然出てきたとも考えられる。
遺伝とはそういうものです。
仲間由紀恵はどうでも良いのですが、
現在、キリスト教武術と「手」の関連について調査中です。
どちらも資料がないので苦戦しています。
誰かご存知ありませんか?
キリスト教武術って何?
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/25 01:06:29 ID:pJexpErK
沖縄でキリスト教が普及したのは戦後だろ。
ただでさえ土着信仰(先祖崇拝)が生活に根ざしているので、関係がるとは思えんが。
361 :
はぁ:04/10/25 01:36:44 ID:QflxIEnf
なぜ、日本古来の格闘技が相撲であることを無視するのだろうか… 空手でも柔道でもない、相撲なんだよー。
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/25 03:18:39 ID:RRuxNG1B
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/25 23:11:44 ID:TTLekOAE
どーでもいいけど、中武が入ってくる以前に土着の「手」が
あったという話は何十年も前に地元の民族学者に否定されてるだろ?
本島の田舎にも離島にも突き蹴り主体の伝統武術の痕跡が全くない。
首里・那覇という琉球では都会にあたる場所に住む一部の士族階級が
清人から套路だけ習って秘密裏に伝えてきただけ。 近代に入って
唐手を普及するにあたって敵国の武術を堂々と広めるわけにいかない
から「土着の手があって云々」と希望的推測の混じった嘘を書いたの
が広まったんだよ。
俺は空手ではなく別の武術だが自分とこについて書かれた記事でよく
わかるよ、いちばん最初に本に書かれたことはそれが間違いでも一人
歩きして世の中では定説になっていくことを。
364 :
GSL ◆C41eDzGMf6 :04/10/25 23:50:44 ID:/DGEn9ru
土着の手って、この場合「角力」の事じゃないんですかね?
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/25 23:56:56 ID:TTLekOAE
↑どういう意味? 沖縄相撲(シマー)って韓国のシルムとよく似た
やつなんだけど。 唐手とは違い過ぎ。
366 :
GSL ◆C41eDzGMf6 :04/10/26 00:03:09 ID:3KSlns32
いえ、特に深い意味は在りませんが確か元々沖縄での「手」という名称は
武術全般の事を言っていた訳ですよね?
それが、中国より来た拳法を元に、首里/那覇/泊の3か所で発展して、
後にそられの地名が付いてあたかも「手」=「空手」みたいなイメージが定着してしまっている様に思いますが、
元々が武術全般の事を指しているのならば、およそ殆どの国に類似の格闘技が古来より存在している「相撲」コソが土着の「手」と成りませんか?
後に中国より来た拳法にこの沖縄の土着の相撲も何らかの影響を及ばした可能性は在りませんかね?
まあ、そう考えた訳です。
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/26 01:25:20 ID:kdipWCPM
うーん・・・・・そこまで範囲を広げてしまうと返答が難しい。
ただ、「手」というのが武術・格闘技全般を指した言葉であるか
どうかも疑問が残るよ? 武術というより単なる「殴り合いの喧嘩」
に近い意味で使っていたのでは?という話もあるし。
たとえば「ガマク」というのも沖縄ではただ単に腰を意味する
ごく普通の日常用語に過ぎないのに、空手研究家の間では丹田に
近い意味を与えられて一人歩きが始まっているように見受けられる。
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/26 04:06:58 ID:5hItjdTi
まだ続いてるんだね、この話。
空手は「中武の分流」で、到底「日本古来の〜」とか
「日本特有の〜」とは言えないモノでしょ。
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/26 05:21:59 ID:g4CvUeKV
中国の文化が実はインドからの流れだというのは事実なのだが、
多くの日本人は中国はあれもこれもオリジナル、起源だとか錯覚
だからインドって凄い国なんだけど、今がイメージ悪いから、
誰もインド〜中国〜日本って流れでたくさんの文化が生まれていった
事気づかない。文化的に言うと、日本にとっての中国は、中国にとっての
インドなんですよ。
沖縄空手は帯刀者にたいして戦うような造りになってるからね
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/26 15:05:52 ID:/zPs2MZv
>>369 >中国の文化が実はインド
少林拳は禅宗の開祖・達磨が伝えたという説は
史学的にも何の根拠もないファンタジーです。
インドには現在の中国拳術につながるような
武術が過去も現在もありません。
宗道臣や大山倍達が少林寺拳法や
極真空手を権威づけ、中国武術を相対的に
矮小化させたくて口からデマカセを書いただけです。
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/26 16:56:36 ID:5hItjdTi
「空手は中武の分流」っていうと決まって
「中武はインドの分流だ」っていうのが出てくるけど、
言ってて苦しくないのかな?
完全日本オリジナルなんてモノはありえないし、その価値だって微妙でしょうに。
空手を見れば、明らかに格技としても武器術としても
和風の柔や剣術より、中武に近い系統でしょ。
373 :
あの:04/10/26 18:35:04 ID:DZpwh5ty
>>369 小林拳は、崇山小林寺で、中国で土着の武術を組みあわせて作られたものらしいでね。 インド拳法には昔、カラリーパヤットなどがあり、達磨が僧たちに教えたのは、それではないかと言われてます。
>>367 >「手」というのが武術・格闘技全般を指した言葉
それは367さんの好きな研究者が出した答えじゃなかったっけ?
>「ガマク」というのも沖縄ではただ単に腰を意味する
そうらしいけど、その「腰」がさす部分がそもそも沖縄と本土で
部位が微妙に違ってたらしいことを誰か言ってたよ。
本土では骨盤があるところ、沖縄ではウエストの部分まで含む、みたいな。
空手研究者が言ってたことかもしれんけどw
>>372 >完全日本オリジナルなんてモノはありえないし
そこまで解っていながら、
なぜ中武に分流なんて話にもって行きたがるのやら。
とりあえず、いままでの過去レスでも見たらどうだろか。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/10/28 22:10:07 ID:eEDkdO7P
>>370 >沖縄空手は帯刀者にたいして戦うような造りになってるからね
ウソくせー、なーんかウソくせー。ライバル関係とか、まっこうから敵対
したたとかならまだしも、当時の琉球の人にとって薩摩(あえて剣術の流派
はかかない。これ以上仮想的の範囲を限定して狭めれば、よりいっそう不自然
に拍車がかかる)は、敵対という関係ではなく一方的な服従に近かったはず。
刀持ってる武士が仮想的だとして、その剣術使いを一人ぶっ飛ばしたとする。
でも、その後にまってるのは、当人はもとより一族や所属している集落への
厳しいペナルティーが待ってるだけ。つまり戦うだけ損なんだ。
めぼしい記録といったら、泊手の達人クラスが剣術相手に戦った一件くらいだし
倒すことは倒せたが、その後すぐに山(一説には村)に逃げて身を隠してる。
まあ、当たり前っちゃ当たり前だわな。そのまま普通の生活送れるわけ無いし。
唐手が剣術を仮想的にしてるってのは、常識で考えて不自然だろ。仮想的って
よりも、剣術相手にも戦えるが、あくまで仮想とする敵は「素手の人間」じゃない?
もしくは、棒持った人間かな。棒術は琉球の土着の文化として身近にあるし
当時の生活民具はちょっと部品外せば棒として使えるものがあったから、何か
いざこざがあったり、カッとしたときに、武器になりやすい(Or扱いやすい)
のは棒って観点なら、それほど不自然ではない。棒よりも、もっともっと煩累に
喧嘩や暴力などで使われるのは、そりゃやっぱ一番使用頻度の高い「素手」でしょ。
つまりゲンコツで殴りかかる。足で蹴っ飛ばす。一番このシチュエーションが多い。
少なくとも剣術よりずっと多い。なら、何を仮想的としてるかは一目瞭然ではないでしょうか?
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/28 22:57:45 ID:xDOk1kRo
カポエラみたいな歴史があるのかな。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/29 21:38:50 ID:skp0lZWN
ageとくか
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/30 23:30:36 ID:bthRUC+d
ふと思ったんだが
日本は、武士などはいつも帯刀してたし
はたして、素手で戦うという発想があったのだろうか?
まぁ相撲など、見て楽しむような格闘技はあったけど・・・
即ち、柔道や空手などは文明開化の後に普及し始めたのでは?・・・と
>柔道や空手などは文明開化の後に普及し始めたのでは?
全くその通りですが。
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/31 04:46:53 ID:9BcchkLX
空手はラーメンが中華料理だという程度に中国拳術。
湯麺に対して日式麺とか
拳術に対して空手道と
中国では区別して呼ばれてるけど、
世界的には枝葉とか亜流とかバリェーションにしか見えない。
娯楽映画の「ドラゴンへの道」とか「燃えよドラゴン」で
ブルース・リーが空手着を着た悪役を殴り倒しまくるまで
世界はカラテとカンフーの区別が付かなかった。
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/31 14:53:09 ID:ZUliUuer
>>378 >日本は、武士などはいつも帯刀してたし
>はたして、素手で戦うという発想があったのだろうか?
こっちが何も持ってなくて、相手が刀(もしくは木刀とか棒キレとか)で
襲い掛かってきたら、そりゃ潔く死ぬ訳にはいかんし、やっぱ抵抗するよな。
柔術が刀を取ったり押さえたりさばいたりする技が多いのは、やっぱり対剣術
を想定してたからじゃない? 帯刀っていっても、誰でも彼でも刀を腰にして
いるなんてことはなく、むしろ士農工商の割合でいけば、帯刀している人の方
が少ない。そういう人が、教われたとき身近に防げるような道具も武器もなく
(まあ、日本刀の斬撃を防げるようなものは、そうそう身近にはないけど)対処
できるような位置づけとして柔術は発展していったんだと思う。
余談だが、
もし唐手が剣術(薩摩示現流」を仮想敵としてるってんなら「殴る蹴る」などではなく
「極める投げる」などの柔術的な体系になってたハズ。唐手にも投げや関節は多々あれ
ども、柔術と比べたらその投げや関節の割合が少ないのは否めない。やはり唐手が対剣術
を想定してたというのは「うっかり信じちゃいそうな説」だがやはり「不自然だと思う」
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/31 15:37:16 ID:uV2aijnH
武器には武器で戦えと聞いたことが在る。
空手+古武道という事かな?
>>380 それって単に認知度が低かったってだけの話じゃん。
しかも中国が区別して呼んでるなら、それで十分じゃん。
>>381 おれは柔術詳しくないけど、柔術が合戦体術から発達したものという話はよく聞く。
つまり、鎧兜を着けてるから、単純な素手の打撃は効果が小さい。
だから逆技や投げ・絞め等の技術が発達したと。
これに対し空手は鎧兜をつけてる状態ではなく、普段着の闘争を考えていた
のではなかろうか。だからこそ突き蹴りが意味を持つし、相手の攻撃を
ガードするのではなく、そらす、さばく、相手の腕の奥の方で受け、という
技術になっているのではないだろうか。
空手には「手足を剣と思え」という言葉もあるので、武器を意識していたことは確か。
385 :
381:04/11/01 21:02:34 ID:Vgkp/akG
>>384 >空手には「手足を剣と思え」という言葉もあるので、武器を意識していたことは確か
同感。対武器も確実に視野に入れていたと思うし、技術体系に組み込まれていたと思う。
ただ、昨今新垣氏が提唱してる「唐手の仮想敵は薩摩示現流」というのがちょっとひっか
かってね。剣術ともやりあえるけど、それが目的であり目標では無かったと思っただけです。
確かに示現流をピンポイントで敵としたという意味なら、引っかかるね。
でも、空手は全般的な対武器・対剣を考慮に入れていたが、一番身近な(?)
剣術が示現流であっただろうから、対剣の場合、どうしても示現流を参考に
することが多かったという意味だと取れば、おれは納得できるような気がする。
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/03 00:00:25 ID:Wtay/kin
↑みんなアレを忘れてるよ、泊の武士松茂良が抜刀した薩摩藩士と闘って
手拭で刀巻き上げたけど小指の先っちょ落とされたってゆう武勇伝。
松茂良は個人的にそういう戦法を編み出したわけだから、逆にいえば
唐手の技術にはそういう対剣術みたいなものは無かったともいえる。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/03 06:42:06 ID:pAO0P3Mu
古来の日本武道の特徴は体を捻る
動作が無い、逆突きのある空手は外来武道
389 :
ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/11/03 09:15:09 ID:8ZZExO4s
>>388 相撲は投げるとき体捻りまくってますが?
390 :
何故、素手の技が必要か:04/11/03 11:03:26 ID:NCLYEuR8
槍が無くなれば剣で、権が無くなれば手で戦う。
また、試合じゃないんだから、相手は抜刀を待ってくれない。
模造刀で良いから、鞘に収めた状態から一斉のせでやってみ、素手の方が早いから
>>390 >模造刀で良いから、鞘に収めた状態から一斉のせでやってみ、素手の方が早いから
それはあんたの剣がヘボいだけの事なんじゃないか?
392 :
ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/11/03 13:45:46 ID:8ZZExO4s
>>390 >模造刀で良いから、鞘に収めた状態から一斉のせでやってみ、素手の方が早いから
鉄パイプか金属バット持った人間と、一斉のせでやりあってみ。間違いなく骨折するから。
相手がわざわざ鞘から抜いてくれるとでも思ってんのかよ。
鞘の中には重たい鉄の棒が入っている。鞘ついたまま顔面に向けてつっこまれたり
振りかぶって頭フルスイングでナイスショットされても平気ですか?日本刀は斬る
だけが攻撃手段ではありません。槍と一緒で鈍器としての撲殺も可能ですがなにか?
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/03 15:41:01 ID:NCLYEuR8
鞘付きの剣は棒にも劣る。
さらに言うなら、腰に刺してる棒や傍らに置いてる棒を手に取る動作の間に、素手は掴みなり打撃なりの第一打を打つ事が出来る。
動作の数の上で、技量が同じなら素手の方が早い。
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/03 15:44:54 ID:NCLYEuR8
常に棒を手に持ってるという試合的な想定だと、話しは別だけどね。
395 :
ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/11/03 16:03:24 ID:8ZZExO4s
>鞘付きの剣は棒にも劣る。
ガクガクガク(((( ;゚Д゚))))ブルブルブル
>>387 泊手は別に示現流は参考にしてないんじゃないでしょうか(よく知りませんが)?
示現流などの剣術を意識したとされてるのは首里手ですよ?
>>388 首里手には逆突きはないそうですけど?
というか、元々の空手は腰の捻りなどは使わなかったという話が
最近バンバン出てますけど、そういうの知った上で言ってます?
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/12 23:30:02 ID:bzThlV5v
保守
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/13 22:40:20 ID:NJ85Ip0Y
帯刀してるなら鞘は腰に固定されてるので、鞘ごと叩くなんて無理。鞘は木製が基本で、刃の部分は遊びがあるから、腰にささずに持ってたとしても鞘がクッションになって威力減。居合の達人でない限り、いきなり殴りかかられて抜いて応戦は難しい。
ハア?おまえら 沖縄空手が帯刀者を想定した武術だって知らなかったのか?
なんで農具から発展したような武器術があんなにあるのか?
対刀を想定した武器があるのか(特にサイ)考えてみろよ
つーかさお前ら伝統派系の空手やったことないのか?基本的に
素手、投げ、武器の3つから成ってるぞ
常識だと思ってがな俺は
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/18 00:24:38 ID:QM5CQ6yg
↑またこれか。
このサイトって正直、内容がどうかと思う。