剣術は人殺しの技だから
断の言ってることは正しいんじゃない?
うちの流派はそういう方針だけど
601 :
国宗:2005/04/23(土) 22:28:00 ID:nS3iaESM
なるほど。私も自分の流派しか知りませんから、その上での意見として受け止めてください。
602 :
桜田武士:2005/04/23(土) 22:50:24 ID:7wWgOfVV
>>575 居合が自己の内を深める技術とするなら組太刀はそれをそとへ放出する
稽古と言えます。当然そこには居合の質が表れてきますからこの二つは
密接に関係していますし別物ではありません。
それを本当に別物と捉えている流派なら併伝として他流儀の居合をやるか
もしくは居合をまったくやらないかのどちらかでしょう。
603 :
ほにゃらら:2005/04/24(日) 01:31:05 ID:MWjq1Jq6
604 :
ほにゃらら:2005/04/24(日) 02:15:22 ID:MWjq1Jq6
>>596 以前、中山博通師が若い頃に重石を背中に括り付けて型の
修練をしたと聞いた事が有ります。
重石をつけても関係ない正確な動きを練る為だと聞きました。
ただの筋トレとは意味が違ったようです。
軽い剣と重石、二つに共通するのは
どう身体運用法を効率よく身につけるか?では無いでしょうか?
軽い剣での修行は、
>>595での説明が分かり易いと思います。
重石での修行に関しては、限界以上の負荷をかけて無駄な
筋力を使えなくすることで強制的に動きを身につけさせた
のだと思います。
無外流でしたっけ?直神陰流?だったかな?の斬馬刀なんて、
あんなもん筋トレの範疇を超えています。
筋トレとしてやってたら、確実に体を壊します。
二律相反するものが同じものを求めている、
とすると大切なのは、得物のどうこうでは無く(それは、
各流儀にまかせて)その奥にある本質的な動きそのものでない
でしょうか?
・・・と言いたかったんですがね。
ま、いいや!
606 :
名無しさん@一本勝ち:2005/04/24(日) 05:38:22 ID:FubfLUD9
10キロの鉄の棒をブンブン振り回せる奴は、
刀じゃなくて、いざとなったら、その棒で戦ったらいいと思う。
鬼のこん棒みたいにトゲトゲつけたりして。
608 :
497:2005/04/24(日) 08:19:52 ID:DEVhmap8
しばらく傍観してたけど、やはり、ここで剣術をきちんと理解してるのは、
桜田武士さんだけのような気がするな。(独り言)
剣術というのは、そもそも日本刀を扱う技術。(日本刀で人を殺す技術という意味
ではないぞ)
昔の武士ならば腰に二刀を差していた。これをただの飾りにせず正しく扱う技術を
学ぶことが剣術稽古の前提になっているはず。木刀や竹刀は、この真剣を扱う技術
を修得する上で、必要な技術要素を訓練するために補助的に用いられてきたものだ
ったはず。
しかし時代が下って江戸後期になると、武士ばかりではなく、百姓・町民も剣術を
習うようになってきた。彼らは真剣を持っていない。そこで木刀や竹刀が彼らの剣
術稽古の主要道具となってきた。明治維新の廃刀令以降は、この傾向がより顕著に
なってきた。
現存する古流剣術流派の中には、真剣の扱いを取り立てて教授体系の中に含めてい
ない流派も多いが、それはその流派が真剣の扱いを放棄しているのではなく、昔の
武士ならば真剣の扱いに心得があるのは当然と考え、あえて流儀の稽古に含んでい
ないだけだと思う。
609 :
497:2005/04/24(日) 08:20:26 ID:DEVhmap8
だから、自流で真剣を使用しないのは、木刀でも刃筋十分に通せるからだとか、
修練において道具の重さなんてどうでも良いなどという意見は、剣術を相当浅い
レベルでしか捉えていないとしか思えない。
木刀でも刃筋を通せるとか、軽い木刀も重い真剣と同じように扱えるというのは、
真剣を正しく扱える技量を持った者の言葉であり、またそういう技量を持った者で
あったとしても、一般論として木刀・竹刀の修練のみで刃筋を通せるようになると
か、道具の重量はたいした問題でないから軽い木刀の修練だけで重い真剣も扱える
るようになるとかいうのは、無責任な暴言と言わざるを得ないと思う。
剣術は日本刀を扱う技術であるという大前提を踏まえずに、現存する木刀や竹刀で
の稽古方法をもって、それが全てであるような剣術論をぶっても、それは絵に描い
た餅にすぎなくなると思う。
610 :
名無しさん@一本勝ち:2005/04/24(日) 09:41:33 ID:HqGP9xYQ
>それが全てであるような剣術論をぶっても
誰もそんなことは言ってないがw
かなり妄想はいってるね
きみの歴史認識も間違いだらけで涙が出てきたよw
何も習わず普通に手に持った物を振ると
自分の使いやすい体の部位(腕力だけとか)のみ使い振り回しがちになるけど
それは戒められること
重い道具を用いるのはちょっときつめの負荷を掛けることで
全身にその負荷を分散させ全身を用いて振れる様にする狙いがあると思う
重い道具を普段どおりの感覚(腕力だけとかに頼りがち)に振ると
負荷が特定の場所に集中しやすいうえ働いていない体の部分が多く
居付いてしまい動きが途切れ途切れになる
これをうまく有効的な結果が出るように振るのは働けてない部分を動かし
負荷を全身に分担させなければいけない
それに負荷が特定の場所に集まるると体を痛める確率もあがるし
重い道具を振るのは
全体を協調させる、連動させる感覚を身に付けるのにちょうど良いのだ
筋肉の疲労感がどこの部位を使ったか否かを教えてくれるし
うまくいかなければ振れない・・・という目に見える結果が出るから
ただ「重すぎる」道具はいけないと思うが
まあとりあえずゴルフとテニスの本でも読め。
話はそれからだ。
613 :
ほにゃらら:2005/04/24(日) 11:56:37 ID:aI1UW/fl
スンマせん、『博道』でしたね。
>>611 解説ありがとうございます。
ほとんどそれで良いかと思います。
ただ一点付けたしを、
この2つの方法にはもうひとつ、手足の小さな筋群を使えなくさせるという
事もあります。
軽い場合は制御の問題として使えませんが、重い場合は振れるか否かという
問題として使え無いなのだと思います。
ですから、重すぎないと逆に筋トレになります。
(いきなり物凄いものは振れないですし型が崩れますから、それなりのもの
から始めるようですが。)
でないとその重さに筋肉が適応して全身感覚が身につきません。
ある程度の重さで回数を多くして負荷を増やす、と言うのもひとつの方法でしょう。
断さん
極論を言えば断さんの仰っている事はある側面で正しいと思います。
ですが大切なのはそこに到る過程ではないでしょうか?
『5つの動きが出来たら、軽い剣が振れれば』というのはその道に達した方の
言う言葉です。
ここで皆さんが議論していたのは、そこに到るにはどうすれば良いかという
過程の話しだと思うのですが?
497は電波
615 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/04/24(日) 13:50:51 ID:e2OG2qqF
なんか社会の授業中寝てた人がいますね
剣術の前に義務教育受けなおせと
そこに至るには
素振りと形を充分に行えば良い
自問自答しながら繰り返しね
でも、極みなんてあるのかね?
重いのや軽いのは自分の悪い所が良く出るので
個人的には自分の何が悪いかを知るのに便利です
刀の扱いのみが剣術ではなく、根っこには闘争があります
これを自覚できる人間とそれ以外は
形に乗せる思想が違って来ます
616 :
名無しさん@一本勝ち:2005/04/24(日) 14:59:34 ID:l+ovO7MX
ここまで読んできてちょっと疑問におもったのだけど、
いままでの議論で言われている真剣ってのが太刀のことだとすると、
脇差の立場は?
剣術は脇差ではつかえないということ?
なんかデンパと一人よがりの巣窟だなココ(w
昔の剣術スレの残党の溜まり場みたいで笑える。
618 :
575:2005/04/24(日) 19:08:54 ID:8njxKgXU
>>602 桜田さん
居合の質ってそういう意味ですか、失礼しました。
その流派の居合の質がそのまま流派の組太刀の質、見たいな言い方に見えたので。
ただ、居合にしても立っての抜き打ちにしても、実際に斬る動きでは断じてないわけです。
実際は両手で斬りますから。
組太刀と居合も動き自体はぜんぜん違うし、そこに通づる物を見れる人はともかく
初心者が「組太刀に通じるから」と言って居合で型にはまるのはやっぱり成長の阻害だと思う。
動きをプログラムしたら正確に動くロボットと違って、人間は反復しないとできるようになりませんから。
さらにあえて言うと、居合ってのは所詮制限を課して上級なことをやってるだけで
内的鍛錬なら太気拳の立禅の方が(個人的には)優れてると思う。
立禅しながら居合の練習できますし。
私は上の方で型は実戦の雛形だと主張し続けてた者ですが、
組太刀は勝つための剣なので「勝つイメージ」ってのは当然大切だし、イメージどおり足が動くことは大切だし
手と足を別々に動かせることも大切だし、居合見たいに型にはまるだけでは見えてこないことはたくさんあります。
変な話ですが、全身が一致しないとちゃんと抜けない居合は「全身が一致しさえすれば抜ける」けど
全身を別々に動かす必要も生じる組太刀の場合「全身を一致させることしかできない人には絶対出来ない」のです。
逆に全身を別々に使える(ドラムみたいな感じ)なら「同時に動かせば一致する」わけですから。
居合は確かに高度ですが体の使い方に特化しすぎてる面が強すぎです。
世の中には「」付きの言い回しがたくさんありますが
「居合はすべての元となる」ってのもその中のひとつだと思っています。
「」付きの言い回しってのは話半分くらいに考えるのがちょうどいいでしょう。
だから組太刀をやって自分に足りないものが見えて居合をやるのは別に良いですが
居合と組太刀を同じ視点で語るには相当肥えた目と体を持ってないとむりですよ、やっぱり。
620 :
名無しさん@一本勝ち:2005/04/24(日) 21:52:01 ID:l+ovO7MX
>>619 それってそのまま木刀と真剣の違いを気にするなってことにも
解釈できないか?
622 :
フルコン:2005/04/25(月) 01:27:57 ID:O0ctLeaf
ふーん、戦国期は農兵が主力、そいつらが刀や槍を
振り回してた、江戸期になって農民町人が刀を振り回
したわけじゃないが…
刀の重量的軽重よりバランスの問題が振りやすさや、
身体感覚的な軽重に関係すると思うが…
で、最強の古流剣術はなんだろう?
623 :
桜田武士:2005/04/25(月) 02:59:01 ID:i8XPvfXM
>>618 居合の身体操作はそのまま組太刀に応用されます。その応用された運動こそ
対人技能として発揮されるわけです。片手で斬るか両手で斬るかなどは瑣末
なことであるというのは身体操作を考えたらすぐに分かります。居合の初太刀
を型どおりに、まあ例えば横一文字の抜付なんかでも巻き藁程度ならスッパリ
斬れます。よって斬る太刀筋ではないというのは流派にもよりますが、ウチ
に関して言えば正しくありません。居合で学ぶのは斬れる操作です。
バラバラに使う、同時に動かせば一致する、はあまり上手い表現とは
思えません。ピアノなどでもそうですけど、右手五指と左手五指、ペダルと
使いますが色んな操作をバラバラに使いながら一致させるからこそ曲として
聴こえるのです。居合、組太刀においても斬るという目的のために各部に
仕事を分担させて運動を短縮するからこそ、技というレベルで行えるのです。
動作は各部がバラバラに運動するのは居合も組太刀も一緒ですが各部の速度差
や操作量などは各型によってまちまちです。
居合でならうのが斬れない操作なら意味がないでしょう。居合で斬れるのは知ってます。
ただ、実際に斬るときには居合の動きで斬ったりはしない、と言いたいのです。
「組太刀は勝ち方、居合は体の使い方」と言う最初に書いたとおりのことです。
さらに私の主張は「初心者がいきなり居合をやるのはよくない」と言う点がむしろ大きいです。
何度も言いますが組太刀は勝ち方です。大げさに言えばどんなに崩れても勝てばOKです。
たとえば遠い間合いから詰めていって、ちょうどいい間合に入ったときに
たまたま本来の型とは逆の足が出ていたとしても技は出せなければいけません。
実際には上半身と下半身が本当の意味でばらばらでなおかつ
下半身の状態に依らず保たれた軸が出来てないとこんなことは出来ませんが
下手な人でも同じ状況でとりあえず体は動くでしょう。
もう一度言いますが居合は体の使い方です。多少はともかく大幅な崩れは型どころか動きまでを封殺します。
たとえば横一文字の抜き打ちの場合、本来の足とは逆、つまり左足が前に出ている状態だと
絶対に抜けません。鞘のせいで制約が付き、どんな上級者でも物理的に不可能にされているからです。
初心者が動けないのは言うまでもありません。
実際には「特定の状況で全く動けなくなる状態」は作るべきではありません。
居合は明らかに実戦を想定していないのです。
居合は高度ですが、そんなことを言えば素振りだって同じくらい高度で深遠です。
でも素振りが明らかに、初心の人から見ても組太刀の基礎であって
なおかつとりあえず見よう見まねが成立しうる程度には体が動かせるのに対し、
居合が組太刀の基礎であると言うのはそれほど自明ではありません。特に初心者にとって。
初心者にとって見よう見まね程度にすらに動けないと言うのも素振りとは根本的に異なる点です。
通じるものがあるのは事実でしょう。でもそれがピアノとパイプオルガン程度に通じているのか
それともピアノと声楽程度にしか通じていないのかでは大違いではないでしょうか。
625 :
497:2005/04/25(月) 09:41:30 ID:36kma4OQ
624さんは、剣術をやっていないでしょ。
>ただ、実際に斬るときには居合の動きで斬ったりはしない、と言いたいのです。
居合の動きで斬るよ。
そうしなければ居合の意味がない。
>何度も言いますが組太刀は勝ち方です。大げさに言えばどんなに崩れても勝てばOKです。
崩れた勝ちは勝ちとは言えない。
そんな技は、今日勝てても明日は勝てない。
偶然の勝ちを否定して、必然の勝ちを求めるのが剣術の修行だよ。
剣道でも、姿勢が崩れたり残心がとれなかったりしたら、たとえ打突が当たっていても
1本にならないのは、そういう理由から。ここを理解できないと剣道はただの棒遊びに
なってしまう。
>たとえば横一文字の抜き打ちの場合、本来の足とは逆、つまり左足が前に出ている状態だと
>絶対に抜けません。鞘のせいで制約が付き、どんな上級者でも物理的に不可能にされているからです。
左足を出して横一文字に抜く技が居合の基本中の基本にあるのを知らないの?
古流ばかりか、評判のあまり良くない制定形にだってあるぞ。
居合と組太刀、そして剣道も含めて、それぞれが全く違うものだという認識では
剣術は理解できないと思うよ。むしろ三者一体。
626 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/04/25(月) 10:01:07 ID:N9d2TEEW
崩れた技では勝ちは拾えないよ
相手が技術無ければ勝てるかもしれんが
それは勝ちとは言わない
これは剣だけでなく、素手でも一緒、スポーツでもね
後、私は抜き打ちの八割は左足踏み込みなんだが
漫画読み杉の人いますね
627 :
名無しさん@一本勝ち:2005/04/25(月) 10:23:22 ID:Bi9ojBRu
抜き打ちは両者見合ってから戦うときも便利ですか?
628 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/04/25(月) 10:24:53 ID:N9d2TEEW
便利・私は多用する
通じてないのは私の書き方がはしょりすぎな気もしてきました・・・
間合を詰めていく過程というのは、確率的に1/2で「期待しない足」が前にあるわけです。
そのような場合に、その瞬間に足を入れ替えるのもひとつの方法でしょうが、
逆足のまま「同じ型が打てる」ことは出来ても損はありません。
基本的に上半身と下半身が別々に動くことが要求される組太刀では、よほど変な型じゃない限り
これは上級者には造作もないことのはずです。
大げさに書いた崩れると言うのはせいぜいこの程度の意味です。
断じて姿勢がぐにゃぐにゃあたればラッキーでやみくもに剣を出す、なんて意味ではありません。
それに対し居合というか抜刀の場合、「型を固定した場合」下半身が本来と逆だと打てません。
「型を変える必要があります」つまり、抜刀は「足の形で型が制限を受ける」のです。
確かに私は左足前での横一文字払いなんて技は知りませんでしたが、
左足踏み込みの技があることが問題なのではなく、
右足前の型通りに足だけ入れ替えて同じ技が出来ないことが問題なのです。
古流の文脈では剣道はよく非難の対象ですが、実戦の場合切り結び鍔競りはご法度なので
間合をつめて剣を出し合う→勝負が付かない場合いったん離れる→
もう一度つめて剣の出し合い→勝負が付かなければ以下同文
と続きますが、離れる方向は「今まで進んでいた方向」か「型の結果からの自然な方向」
のどちらかです。
前者だとすれ違うことになります。後者だと型次第ですが真後ろが多いかな。
これは「まさに剣道の試合」です。実戦想定だと「剣は相当速く、相手も相当動く」
さらに自分も相当動くので、「崩れた剣」が出来ない人はどうしようもありません。
型の美しさに魅了される気持ちはわかりますが、勝てる型はむしろ汚れた型ですよ。
よほどの技量差がない限り「きれいな型で圧倒的に勝つ」なんて出来ません。
最後に
>居合の動きで斬るよ。
>そうしなければ居合の意味がない。
に関しては、ちゃんと読んでください。私はそのようなことは言っていません。
630 :
初 ◆nrEc92s5Wo :2005/04/25(月) 12:14:07 ID:l2ZROWF1
aという形があったとして、それが状況にあわなければcの形に変化するというということは、うちの流儀では当然なのですが……
抜刀にしても組太刀にしても、それは同じことだと思うのですが……
状況に応じて最善の形を選び、それに従って動くことが剣術でも体術でも普通なのではないでしょうか?
どうして抜刀では形を固定しなければならず、組太刀は固定しなくてもよいのでしょうか? そのあたりが629氏の言いたいことがわからないところです。
組太刀といえど、稽古のうえでは定められた太刀筋があるのではないでしょうか?
定められた太刀筋を変化させ応用して勝つように、抜刀でも定められた太刀筋を変化応用して勝ちを得ます。
上半身と下半身を別々に動かすというのも、よくわからないことではありますが……私の流儀は歩法があってそのうえに身法があると教えられますので、下半身にあわせて上半身は動くとされます。
下半身がaという形に一番近ければ、上半身はaの形を選びます。
抜刀でもそれは同じなのですが、629氏の流儀とは考え方が違うということでしょうね。
631 :
名無しさん@一本勝ち:2005/04/25(月) 12:30:18 ID:LmtLUkom
崩れた形では正しく斬れないのではないでしょうか。
私の流派では剣は力を伝えるものと教えられました。
正しい姿勢から繰り出される力を剣を媒介して敵に伝える。
結果として斬れる。
つまり正しい形で初めて正しく力を伝えられ有効な斬撃となるのであり、
崩れた形で伝えた力ではよくて相打ち、悪ければ斬られる。
そのように思うのですが。
632 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/04/25(月) 12:51:01 ID:N9d2TEEW
>>629 望まない足を前に出す時点で、武道家として未熟
足が逆なだけで抜け無い切れないなら剣を使う者として問題外
足が逆なら、それ用の動きすればいい
形に応用も糞もない、形は形、形通りに動けば対処できない状況などない
もしあるなら、その状況を作らなければいい
鍔ぜり合いが得意な、戦国時代から続く流派も有り
鍔ぜり合いが駄目と言うのは、出所不明の与田
相手が動いた程度で崩れるのは、形を理解出来ていないか
対人練習不足の証拠、相手が動いていた方がむしろ打ち込みやすい
要するに、
>>629はグダグダ言わず練習しろ
633 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/04/25(月) 12:51:55 ID:N9d2TEEW
634 :
名無しさん@一本勝ち:2005/04/25(月) 13:18:04 ID:p6kxJX38
グダグダ言うのは2chではお互いサマ。
635 :
ほにゃらら:2005/04/25(月) 13:38:44 ID:d8rEGBOc
居合は初心者はしない方が良いという意見には賛成ですが、組太刀と居合の
関係について言えば、疑問を感じます。
型の認識が違うのでどうとも言えませんが、組太刀において逆足になっても
技を出すと言うのはどうなんでしょう?
間合いがどうなっていても型どおりに身体を捌かなければその型が伝えよう
としているものが伝わりませんし、手足別々と仰ってましたが、組太刀も
手足の動きを一致させなければ型の動きにはなりえません。
型の動きで無いと言うことは実戦の雛形ですら無い動きと言うことです。
型は型どおりに動かなければならないのは、組太刀も居合同様です。
損では有りませんが、意味も有りません。
636 :
名無しさん@一本勝ち:2005/04/25(月) 13:59:58 ID:iPCBxdoE
俺とお前こそ剣術を真に理解している、
とか吠えてる奴等ってのは、久々に見たな。
まあ、隔離スレとしていいのではないか。
>>629とそれ以外の人で「剣道の防具+臑当(すねあて)」で、竹刀使って剣術の試合すればいいジャン
剣道ルールじゃなくて剣術ルール
投げ有り足払い有りの総合ルールで、竹刀を当てられた方が負け
これでお互いの技術レベルを確認すれば良し
型が型どおりでなくてはいけないとか
馬鹿じゃないの?
639 :
桜田武士:2005/04/25(月) 16:37:46 ID:i8XPvfXM
何やら大方言いたいことが色々な方にすでにレスされているみたいですね。。。
皆さん、暇ですなあw
まあ冗談はさておき、身体操作上横一文字抜付の逆足の使用は身体各部の分離を
より多く要求されます。よってこれは非常に難しい部類の技であると思いますが
だからと言って無いわけではありません。座構えからですら、逆足の抜きという
ものは存在します。より高度に使うことは捌きを磨く上で非常に有意義です。
組太刀については居合の捌きが対人技能として応用されています。
それから組太刀が必ずしも勝ち方であるとは限りません。業の本数の多い流派などでは
段階的に太刀筋や捌き方をいくつかの型に分けて教える内容だったりもしますし、型の
中身も実戦という想定を方便として捉えるようにできている内容の型も多く存在します。
型武術は型から学ぶのが大前提です。その学ぶべき対象を崩してもよい、とするのは
つまりその程度にしかならない、つまりは技になってない内容に終始してしまいます。
ああ、これも上記でレスされてる方がいましたね。
なんだかすでに言われたことを重複して言っているようなので終わります。
640 :
桜田武士:2005/04/25(月) 16:40:02 ID:i8XPvfXM
ところで、私思ったのですが断氏は浅山一伝流を彷彿とさせるレスが
上のどこかにありましたね。さっと目を通している時にそう感じました。
641 :
桜田武士:2005/04/25(月) 17:12:42 ID:i8XPvfXM
ああ、多分浅山一伝流じゃなかったです。はい。
勘違いすいません。なんか他流の特徴と名前が一致しない今日この頃でした。
足が逆になったくらいで刀が抜けないなら、居合は術として存在しなかった(できなかった)
と思う。
2尺五寸でも特に問題なく横一文字が出来るぞ。
うちの業は基本的に左前だ。
ちなみに、組太刀で出足が逆でも平気というのは間違い。
間合いを詰めるというのは自分の優位な体勢&状況を作り上げると言うこと。
それを学ぶ組太刀で、
出足が逆のまま詰め寄られてしまうと言う
相手が優位になる方法をスルーしたらダメだろ。
>古流の文脈では剣道はよく非難の対象ですが、実戦の場合切り結び鍔競りはご法度なので
間合をつめて剣を出し合う→勝負が付かない場合いったん離れる→
もう一度つめて剣の出し合い→勝負が付かなければ以下同文
と続きますが、離れる方向は「今まで進んでいた方向」か「型の結果からの自然な方向」
のどちらかです。
これはたぶん、君の脳内戦闘なので
ちゃんと剣術or居合を学ぶこと。
>大げさに書いた崩れると言うのはせいぜいこの程度の意味です。
崩れ=負けっていうことだ。
崩れたというのは相手に崩されたと言うこと、要するに負け。
確率的に崩れることはあり得ない。
連続書き込みスマンコ>他の人
645 :
剣道疑問子:2005/04/25(月) 20:43:16 ID:0cEHNU2Q
>608(497)剣術というのは、そもそも日本刀を扱う技術。(日本刀で
>人を殺す技術という意味 ではないぞ)
活人剣のレベルに行けるのならともかく,99%は殺人のための技術のあれ
これを修業するのでは?
>しかし時代が下って江戸後期になると、武士ばかりではなく、百姓・町民も
>剣術を 習うようになってきた。彼らは真剣を持っていない。
1尺8寸までは誰でも公に持てたわけです.八九三は長脇差しと称して2尺
以上を差すのが普通でした.
さて新撰組で有名になった天然理心流では,素振り用の木刀は2キロにもな
る太さで,特に柄が太い.実戦では真剣重量と手の内の握力が重要と見たか
らでしょう.他流試合ではすぐに助っ人を呼ぶほど道場剣法は弱かったが,
実戦の活躍は皆さんご存知の通り.
また実戦での強さを実証した薬丸自顕流ではたしか真剣と同様の1キロのゆ
すの木刀で稽古したとか.
1.5キロではまず十中八九片手の居合いどころか両手でも振り回すのは危
うい.
長いほど有利なので(例えば薙刀や槍には全く歯が立たない),3尺3寸と
真剣程度だった長さが大石進の事件いらい皆が長尺竹刀を争って採用したの
で,講武所頭取桃井春蔵が最長3尺8寸と言う取り決めにしたのが現在まで
使われている.
得物の重さと長さはかくも剣術では重要要素とされてきた.
現在の木刀や竹刀の長さや重量はかなり成り行きで決まってきたのでは.
大体にして座る姿勢からの技が最初などと言う居合いは理解できない,
大刀を座敷で差して座るなんてよほど特殊な場合だけだったはず.
646 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/04/25(月) 20:44:41 ID:N9d2TEEW
左足前が苦手なら、左足前にならない用に構えれば
左足が前になる事は有り得ない
左足前にしない用にしていて、左足前になったなら、相手に崩れたと言う事であり、すでに負けている
まあ、左足が前であろうと右足が前であろうと
正しく剣を学んでいれば
個人の得手不得手の範囲の問題に帰結するので
本人の練習不足と言う結論になる
647 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/04/25(月) 20:51:52 ID:N9d2TEEW
重さはたいして降るのに負担にならない
問題は長さとバランス
重い木刀もバランスしだいてどうにでもなる
シンセングミは集団剣術だから、彼らの練習は参考にならない
つーか、君も義務教育からやり直せ
648 :
名無しさん@一本勝ち:2005/04/25(月) 21:00:16 ID:Ciyd4ZYG
>>645 活人剣の意味わかって言っているのかwww
>>645 居合座で刀を差してる状態は当たり前のことだが。
それを正座で稽古して問題でも?
正座の相手にすら勝てない方が悪い。