合気道植芝盛平先生と大本出口王仁三郎師

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139名無しさん@お腹いっぱい。
浅○はクニトコタチノカミのことを、縄文時代の末期、日本民族に追い
やられたアイヌ民族の亡霊が血迷ってかかったのだ、と言明しています。
つまり、怨念の記録が○○教のお筆先≠ナす。サニワができない
ばかりに、多くの信奉者がそれを崇め奉っています
http://homepage1.nifty.com/sengabou/file3.htm
の<サニワの実践>より
140139:04/09/07 23:55 ID:wnGofo82
鎮魂帰神なんかやる必要ないよ >>138に書いたサイトに
あるようにお天道様を拝んで普通に生活すればいい。
おかしな霊術なんか本来人間には必要ない
141夏宇宙:04/09/08 00:15 ID:TPKycga3
>>139

だからそれはもともと兄の正恭の説で勅使河原大鳳という人が
半可通なんだだけなんだよね。
たんなる反大本の人の一方側の意見にすぎないわけ。
142名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/08 00:31 ID:S9pVoL9t
縄文末期に日本民族ですか? んな馬鹿な。
143夏宇宙:04/09/08 01:07 ID:TPKycga3
>>141

勅使河原大鳳と相曽誠治とね。

こんな話、合気道や植芝さんと関係ないけど。
144三宮 ◆VEvuCdt1BQ :04/09/08 11:24 ID:z/KlmpKW
天の星がひとつ落ちてもだめである。
大神の営みの力が減る。
みんなのおかげによって、
みんなの呼吸によって、
日月星辰はおろかすべての働きは存在し、
そして常にその働きによって生かされているのである。
これは感謝のほかはない。
合気は感謝の勤めであります。
「武産合気」

こういう合気道のイメージの壮大さ、明るさが無条件に好きです。
と合気道に戻す話もしてみる。^^;
145名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/08 20:09 ID:mt4HETUk
>>138

植芝盛平先生は、それでも、武田惣角先生には一生師弟の礼を尽くされたとの事です。
146名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/08 20:50 ID:E8CdmZqc
(合気道に関係なく申し訳ないが)
親大本も反大本もどちらも一方的側の意見だわな
兄の正恭の説であるソースは?
それと半可通でない夏宇宙さんに是非聞きたいが
何故クニトコタチノカミなど言う神典にも無い神
がナオに掛かったのだろうか?
147名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/08 20:58 ID:E8CdmZqc
異言を発したり、お筆先などと言う自動書記したりするのは
真の神懸りではないよ。
世のため人のため一心不乱に行動している時に超人的な
働きをするのが真の神懸り 鎮魂帰神法なんて不要。
 
148名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/08 23:47 ID:mt4HETUk
出口王仁三郎師は通常生活を送りながら「神がかり」になっていたそうですよ。
一般大本信徒より
149夏宇宙:04/09/09 23:53 ID:ljDxeSwd
>>147

現在では霊術や帰神法は王仁三郎聖師が禁止しているので誰もやってないけど。

>世のため人のため一心不乱に行動している時に超人的な働きをするのが真の神懸り 

それと同じことを王仁三郎聖師は四大綱領(祭・教・貫・造)や、
四大主義(清潔・楽天・進展・統一)で教えていますよ。

王仁三郎聖師が植芝さんに植芝さんの武道を「合気武術」と呼ぶように
薦めたのも同じことでしょう。
150夏宇宙:04/09/09 23:54 ID:ljDxeSwd
『武の真人』の「合気道主 植芝盛平先生御口述」より

私は、十五歳の頃から武道に志し、諸国の剣道柔道の師を歴訪した。
そして、どの流儀も二、三ヶ月でその極意を会得してしまった。

しかし、自分の意にみつるような武道の神髄を伝授してくれた人
は一人もなかった。そこで数々の宗教の門をたたいたが、ここでも
具体的な答えはだされなかった。

その後、大本教の出口王仁三郎聖師のもとで十年間下座の行を修めた。
その間に教団の決められた講義は特別に受けなかったが、聖師の側近に
坐って、お話しを聞いているだけで、なにか交流するものがあって、
種々と自然に私自身の中に入っていた。

ところが大正十年の春だったと思う。私が一人で逍遥していると、
突然、天地が動揺して、大地から黄金の気がふきあがり、私自身も
黄金体と化したような感じがした。

それと同時に心身共に軽くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、
この宇宙を創造された神の心が、はっきり理解できるようになった。

その瞬間、私は「武道の根源は、神の愛━万有愛護の精神━である」と
悟り得て、法悦の涙がとめどなく頬を流れた。

そのとき以来、私は、この地球全体が我が家、日月星辰はことごとく
我がものと感じるようになり、眼前の地位や、名誉や、財宝は勿論の
こと、強くなろうという執着も一切なくなった。
151夏宇宙:04/09/09 23:57 ID:ljDxeSwd
武道とは、腕力や凶器をふるって相手の人間を倒したり、原子兵器などで
世界を破滅に導くことではない、真の武道とは、宇宙をととのえ、世界の
平和をまもり、森羅万象を正しく生産し、まもり育てることであると、
私は悟った。

すなわち、武道の鍛錬とは、森羅万象を正しく産み、守り、育てる神の力
を、我が心身の内で鍛錬することであると、私は悟った。

大天主皇大御神(もとつみおやすめおおかみ━主神・天之御中主神のこと)
の「愛」の心から、光と熱がほとばしり出て、偉大な力を生ずる。
この大神の御はたらきが、すなわち武産(たけむす)である。
これを速武産大神(はやたけむすおおかみ)ともよぶのである。

この速武産大神こそ、大天主皇大御神の「愛」の御はたらきの現れとして、
大宇宙の森羅万象を産み出す現象そのものであり、同時にまた、大宇宙をも
破壊し得る力をもつ原子の活動そのものである。

またこの武産(たけむす)の武道こそ、天地人和合せしめる神の愛の大道なのである。

「合気」という言葉は、昔からあるが、「合」は「愛」に通じるので、私は、自分の会得
した独特の道を「合気道」とよぶことにした。したがって、従来の武芸者が口にする合気
とは、その内容が根本的に異なるのである。

152夏宇宙:04/09/10 01:10 ID:WLfE7t5m
さてと植芝さんや合気道には直接は関係ない話ですみませんが146の
名無しさんの質問に答えましょうか。

>>146
>兄の正恭の説であるソースは?

アイヌの酋長というよりコタン村の村長ね。

浅野和三郎の兄の海軍中将の浅野正恭が柳田国男の「忘れられた民族」と
いう講演を聴講していた会場で見かけたらしい。

出口直とアイヌ民族を結びつけるのは浅野和三郎主催の心霊科学研究会の
機関誌の『心霊界』誌上に兄の浅野正恭が連載した「心霊上からみた大本教」
によるそうです。

よって浅野和三郎の「審神者の能力」とは関係なし。

ちなみに王仁三郎は「アイヌこそ真の日本人だ。彼等は情が深い」と賞賛して
いますが、すれっからしの多いわれわれ和人(シャモ)には耳の痛い話ですね(笑)

153745:04/09/10 01:19 ID:KgPnMtw9
夏宇宙さん!

それって大本が「アイヌ文化保存」に力を入れていることの理由のひとつですか?
大本本部には訊いてなんだけど。
154夏宇宙:04/09/10 02:20 ID:WLfE7t5m
>>146の四大綱領の「貫」は「慣」に訂正です。
すみません。

>>153
宗教版の大本スレの745さんですか。

>それって大本が「アイヌ文化保存」に力を入れていることの理由のひとつですか?

そうじゃないでしょうか。
王仁三郎聖師は戦前にアイヌ部落を訪問して記念写真をとっていますよね。
155夏宇宙:04/09/10 03:06 ID:WLfE7t5m
>>146
>それと半可通でない夏宇宙さんに是非聞きたいが何故クニトコタチノカミなど
言う神典にも無い神がナオに掛かったのだろうか?

筆先や『大本神諭』には「クニトコタチノカミ」なんて表現はあまりなく
《国常立尊・命(クニトコタチノミコト)》が多いですがね。
『霊界物語』にはあるけど。

貴方のいうことがわかりにくいのだけど・・・・。
もしかして神典の一つである『古事記』の《国之常立神(クニノトコタチノカミ)》と
違うからいけないということかな?「之(ノ)」がないからだめだということ???

出口直開祖に懸かった神霊は《艮の金神》であって直や神霊自身は自分を審神して
くれる人をずっと待っていたわけで、《艮の金神》を《国常立尊(クニトコタチノミコト)》
とした審神者は王仁三郎聖師だから、王仁三郎聖師に従っているんでしょうけど。

ところで『日本書記』を貴方は神典とは考えてないのですか?
『日本書記』に《国常立尊》はありますけど。
『日本書記』は漢文で書かれていて《国常立尊》の訓読は人や時代によって違いまして、
たとえば現在の岩波文庫の『日本書記』などでは《国常立尊》に(クニノトコタチノミコト)の
振り仮名を振っていますけど、
出口直開祖の実家の桐村家の遠祖で京都の吉田神社を創建した四条山陰中納言の子孫の
吉田家からでた怪物・吉田兼倶の吉田神道などで有名な中世の神道の世界では《国常立尊》は
(クニトコタチノミコト)と訓読されることが多かったでしょうし、
同じ出口家の伊勢神道の出口延佳(でぐちのぶよし)の『陽復記』の現代語訳本をむかし読んだ
ことがありますけど《国常立尊》は(クニトコタチノミコト)と訓読されていました。
156夏宇宙:04/09/10 03:12 ID:WLfE7t5m
神道のことは一般の国民程度の知識しかなく半可通ですけど、『古事記』が神道の世界で
重要視されるようになったのは本居宣長以降じゃないのではないでしょうか?

神社神道の世界でも祭神を《国常立尊(クニトコタチノミコト)》としているところも多くありますし、
木曾の御嶽山信仰が元になった教派神道の御嶽教の祭神も《国常立尊(クニトコタチノミコト)》
ですけど。
下のサイトによると御岳神社の扁額は出口王仁三郎の実父で明治維新の時の官軍の総大将で
神祇への信仰の厚い有栖川熾仁親王の筆らしいですね。

http://www.dynax.co.jp/sinsen/culture/jinjya/j_ontake.html

157夏宇宙:04/09/10 03:43 ID:WLfE7t5m
>>155
「日本書記」は「日本書紀」の変換ミスです。すみません。
158名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/10 11:09 ID:976Hdl/d
夏宇宙さんは本部信者ですか?
159夏宇宙:04/09/12 00:40:27 ID:XqII6vO7
>>158
>夏宇宙さんは本部信者ですか?

違いますけど。大本本部の信者ではありません。
貴方はどうですか?

>>155
「四条山陰中納言」は「四条山蔭中納言」に訂正です。
ケアレスミスが多いですね。すみません。
山蔭中納言は日本料理の祖で有名だそうです。
160夏宇宙:04/09/12 01:50:20 ID:XqII6vO7
文字どおり、九死に一生をえ得た満蒙行から帰還━正確にいえば送還であり、
とくに保釈出獄の身も王仁三郎師は帰国後ただちに収監され取り調べをうける
━をして、開祖はふたたび綾部での武道と農耕の生活に戻ったが、

「以前よりもずっと物腰に柔らかみがつき、ほう、死線を越えるとこうも人格
が大きくなるものかと、ひそかに感嘆したものです。たとえば私などがお宅を
訪ねての帰りしな、何気なくすッと下駄をそろえ直してくださるのです。
すでに武道で一家を成したかたがですよ。とにかくよく気がつくというにか、
相手の立場や気持ちをすべて見通されたような振る舞いをされるようになったのです。
受け身の態度に見えるけれど、こちらは先手々々をとられるようで、以前よりかえって
恐ろしく感じるようになりましたな」
 
とは、大国以都雄氏の思い出である。

(後の故大国美都雄。出口王仁三郎聖師の側近で大本宣伝使。大本の最長老・最高幹部
 であった。第三次大本事件以後は大本四代教主の出口直美女史の大本信徒連合会顧問)
161夏宇宙:04/09/12 01:53:21 ID:XqII6vO7

植芝翁 道歌
 
 真空の空(くう)のむすびのなかりせば 合気の道は知るよしもなし
 
 合気にてよろず力を動かし 美しき世と安く和すべし
 
 天地に気むすびなして中に立ち 心がまえはやまびこの道
 
 合気とは万(よろず)和合の力なり たゆまずみがけ道の人々
 
 合気とは愛の力の本にして 愛はますます栄えゆくべし
 
 まねきよせ風をおこしてなぎはらい ねり直しゆく神の愛気に
 
 正勝(まさかつ)吾勝(あがつ)御親心(おおみごころ)に合気して
 すくい活かすはおのが身魂ぞ
 
 以上『合気道開祖植芝盛平伝』植芝吉祥丸・編著より
162夏宇宙:04/09/14 23:37:59 ID:kONo5wIl
出口延佳(のぶよし)は伊勢外宮の神官で古事記の校訂本を出版したり、外宮に豊宮崎文庫という
図書館を創設したりして、古典の保存に功績があります。当時の学者では「最も古典に通じた」そ
うです。

出口(度会)延佳 『陽復記』より

抑(ソモソモ)我国(ワガクニ)のおこりを尋るに、太虚(タイキョ)の中に一(ヒト)つのもの
あり、形(カタ)ち葦芽(アシカビ)の萌出(モヘイデ)たるごとし。則化(スナワチケ)して神
となる。国常立尊(クニトコタチノミコト)と申奉(タテマツ)る。

神道と云いふは人々日用(ニチヨウ)の間(アイダ)にあり

江戸時代中期の伊勢神宮の神道学者であった度会延佳の著した「陽復記」の中の一節です。玉串を
ささげたり、祝詞を読んだりする神社などの祭りの場での儀式は、もちろん神道の一事であって、
最も大切なことです。しかし、このことばかりを神道だと思っていては、大空を小さな管の穴から
のぞいているようなものです。管の穴から見えるのは空にはちがいないけれども、それだけではあ
まりにも狭い部分しか見えません。ほんとうの大空はもっともっと広大な範囲に広がっています。
神道も同様であって、人々の日常生活の中にあって、一事も神道でないというものはありません。
親が子をいつくしむ時は、その親が神道の心で子を思っているのであり、子が親に孝をつくす時は
、子は神道の心で親に対しているのです。日常生活にあっては、手を挙げるのにも、足を運ぶのに
も何一つ神道でないというものはないというのが度会延佳の説くところです。神の道は特殊な道で
はありません。一日一日を神のみ心にかなっているかどうか、反省し、精進するのが神道に生きる
人の心がまえでしょう。神社や神棚に鏡を置くことは、このことを示唆しているとも言えましょう


「神道名言集」のホームページよりコピペです。

出口王仁三郎聖師の「愛善の道」の教えと同じですね。
植芝さんの「武産(たけむす)合気」の精神も同じことではないでしょうか? 

163夏宇宙:04/09/15 02:07:16 ID:HAu/BA+K
>>146
と、いうことで>>155>>156,>>162にてまず《国常立尊(クニトコタチノミコト)》の神名が
大本だけじゃなく伝統的なものであることを確認しまして、次は出口聖師が『古事記』
にある《国之常立(クニノトコタチ)》の神名表記も嫌っている訳ではなく使用して
いるのを紹介しましょう。

まずこれは初期の大日本修斎会の会則の第三条です。

本会斎殿ニハ会祖創設ノ由緒ニ依リ、宇宙万有ノ主宰ニ坐ス天之御中主神、
国之常立尊ヲ始メ天神地祇八百万神ヲ奉斎ス。

これは天之御中主神と対(つい)にしてあわせている表現でしょうか。
そういえば『古事記』の《国之常立神》も《天之常立神》と対になっていますね。

それと『霊界物語』に掲載している祝詞にも《国之常立(クニノトコタチ)》の
神名を使っています。

これは現在の国学院大学の前身で明治天皇の師範を勤めた実父有栖川宮熾仁親王の父、
有栖川宮幟仁(たかひと)親王を総裁(今の学長)に戴いて明治15年に設立された
皇典講究所を出口王仁三郎聖師が首席で卒業したとかの時の卒業制作がもとになって
いるらしいですけど。
164夏宇宙:04/09/15 02:26:13 ID:HAu/BA+K
『霊界物語』第六十巻 善言美詞より
◆祝詞(のりと)
掛巻も畏き大本大御神の宇豆の大前に、慎み敬ひ恐み恐みも白(まを)さく。
大地(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は。
天地初発之時(あめつちなりいでしとき)より、
国之常立尊(くにのとこたちのみこと)の堅磐に常磐に鎮り居坐(ゐま)して。
国の本国(もとくに)浦安国(うらやすくに)と愛給(めでたま)ひ守賜(まもりたま)ひて、
□怜(うまら)に委曲(つばら)に開給(ひらきたま)ひし国にし有(あ)れば。
皇大神(すめおほかみ)の天(あめ)の石位(いはくら)放(はな)ち、
天の八重雲(やへくも)を伊都(いづ)の千別(ちわき)に千別(ちわき)て、
天降(あまくだ)り給ひてより動く事無く変(かは)る事無(ことな)く。
人の心は直(なほ)く正しく、山川は清く潔(さや)けく。
顕見(うつしき)蒼生(あをひとぐさ)の食(くひ)て活くべき稲種(いなだね)は、
大御神(おほみかみ)の大御言(おほみこと)以(も)て天(あめ)の邑君(むらぎみ)を
定給(さだめたま)ひ。天(あめ)の狭田(さだ)長田(ながた)に植ゑしめ玉ひし稲を、
天津御饌(あまつみけ)の遠御饌(とほみけ)と赤丹(あかに)の穂に
聞食(きこしめし)詔給(のりたま)ひ授(さづ)け賜(たま)ひて。
大地主神(おほとこぬしのかみ)は五百津斎鋤(いほついむすき)を採(と)りて、
高田(たかた)窪田(くぼた)を耕(たがや)し賜(たま)ひ、水分神は水を撒(ま)かしめ、
埴安神(はにやすのかみ)は真埴(まはに)を肥やし。
大歳(おほとし)の神は蝗(いなむし)を攘(はら)ひ。
秋の足穂(たりほ)の八束穂(やつかほ)の、重穂(いかしほ)に成(なし)幸給(さきはへたま)ひ。
夏冬の暑さ寒さも和らかに、悪しき疫(やまひ)少なく。
打見(うちみ)る嶋(しま)の崎々(さきざき)、掻見(かきみ)る磯の隈々(くまぐま)。
常世乃波(とこよのなみ)の重浪(しきなみ)依来(よせき)て、
生(いき)と生(い)き住(すみ)と住む人の悉(ことごと)。
高きも卑(ひく)きも老も若きも嬉しみ尊み。遠津御神(とほつみかみ)の敷坐(しきま)す島
の八十島(やそしま)は。天の壁立極(かべたつきは)み、国の退立限(そぎたつかぎ)り。
狭(さ)き国(くに)は広(ひろ)く峻(さか)しき国は平(たひら)けく。
青雲の靉(たなび)く極(きは)み、白雲の墜居向伏限(おりゐむかふすかぎ)り。 
《以下略》