129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
>>46 帰神には必ず正邪高低を見分ける審神が必要。
因みに出口の弟子だった審神・浅野和三郎は大本を離れた後に
出口ナオに憑かった霊は艮の金神(スサノオノミコト)などではなく
アイヌの酋長の霊だろうと審神した。
古神道の勅使河原大鳳の本にもその辺の暴露話は書いてある
130 :
三宮 ◆VEvuCdt1BQ :04/09/06 07:33 ID:yKEvTBBc
サニワってその場でするものだろう?
大本にいたときはサニワの能力がなくて、大本を出てからサニワの能力を授かったのか?
それとも、大本ではサニワをしていなかったのか?
サニワしたけど嘘をいって平然としてたのか?
サニワできんけど嘘をいって平然としてたのか?
いずれにしても信頼できるものとは言えまい。
>>124 部外者だから、別にどうでもいいといえばいいんだが。
人の信仰心逆撫でするような書き込みは好かんな。
「社会的ステータス」というのが何を指していっているかは知らんが、
知名度でいえば、宗教界の中の大本は、武道界の中の合気会と、
どっこいどっこいか大本の方が知名度高いでしょう。
新興宗教といえば、犯罪報道された一部カルトを除けば、
現代では真っ先に思い浮ぶのは、与党「公明党」を擁している創価学会、
戦前では、大本です。
日蓮系以外の新興宗教の多くは大本がルーツですしね。
かたや合気道といっても「合気道ってどんなことするんですか?」と聞き返えされることしばしば。
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/06 19:56 ID:Q5dOtpTr
三宮さん。
大本を擁護してくれてありがとう。
信者が少ないのが、引け目になっていたんだけど
合気道、大本ともに栄えていきましょう。
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/06 20:45 ID:jRmg3Fwr
九鬼神道を修業したかったけど、まあ同系列だし、大本を修業する。
九鬼神伝を修業したかったけど、まあよく似たものだし、大東流を修業する。
合気道って、無外流居合と無外流剣術みたいなものでしょ?
いい加減といえばいい加減でしょ。
大東流やりたかったけど、似たものだと勘違いして合気道を始めた僕。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/06 23:22 ID:yyzWljSN
>>130 王仁三郎の弟子だったから当然大本にいた頃から沙庭してた。
浅野の審神師としての能力の高さは荒深道斉が証言してるよ
>>134 どの程度本気で言ってるのか?(あるいはネタか?
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/07 22:22 ID:x7rSkBx5
ネタじゃないの。
137 :
夏宇宙:04/09/07 22:27 ID:zva9U7Kr
>>129 アイヌの酋長の話は浅野和三郎の兄の浅野正恭が
民俗学者の柳田国男の講演に来ていたアイヌの酋長の
顔が色白の出口直に似ていたことから考えたことで
浅野和三郎の審神者の能力とは関係ないけど。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/07 22:47 ID:x7rSkBx5
>>133 合気道と大統流とは似て非なるものですね。
140 :
139:04/09/07 23:55 ID:wnGofo82
鎮魂帰神なんかやる必要ないよ
>>138に書いたサイトに
あるようにお天道様を拝んで普通に生活すればいい。
おかしな霊術なんか本来人間には必要ない
141 :
夏宇宙:04/09/08 00:15 ID:TPKycga3
>>139 だからそれはもともと兄の正恭の説で勅使河原大鳳という人が
半可通なんだだけなんだよね。
たんなる反大本の人の一方側の意見にすぎないわけ。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/08 00:31 ID:S9pVoL9t
縄文末期に日本民族ですか? んな馬鹿な。
143 :
夏宇宙:04/09/08 01:07 ID:TPKycga3
>>141 勅使河原大鳳と相曽誠治とね。
こんな話、合気道や植芝さんと関係ないけど。
144 :
三宮 ◆VEvuCdt1BQ :04/09/08 11:24 ID:z/KlmpKW
天の星がひとつ落ちてもだめである。
大神の営みの力が減る。
みんなのおかげによって、
みんなの呼吸によって、
日月星辰はおろかすべての働きは存在し、
そして常にその働きによって生かされているのである。
これは感謝のほかはない。
合気は感謝の勤めであります。
「武産合気」
こういう合気道のイメージの壮大さ、明るさが無条件に好きです。
と合気道に戻す話もしてみる。^^;
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/08 20:09 ID:mt4HETUk
>>138 植芝盛平先生は、それでも、武田惣角先生には一生師弟の礼を尽くされたとの事です。
(合気道に関係なく申し訳ないが)
親大本も反大本もどちらも一方的側の意見だわな
兄の正恭の説であるソースは?
それと半可通でない夏宇宙さんに是非聞きたいが
何故クニトコタチノカミなど言う神典にも無い神
がナオに掛かったのだろうか?
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/08 20:58 ID:E8CdmZqc
異言を発したり、お筆先などと言う自動書記したりするのは
真の神懸りではないよ。
世のため人のため一心不乱に行動している時に超人的な
働きをするのが真の神懸り 鎮魂帰神法なんて不要。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/08 23:47 ID:mt4HETUk
出口王仁三郎師は通常生活を送りながら「神がかり」になっていたそうですよ。
一般大本信徒より
149 :
夏宇宙:04/09/09 23:53 ID:ljDxeSwd
>>147 現在では霊術や帰神法は王仁三郎聖師が禁止しているので誰もやってないけど。
>世のため人のため一心不乱に行動している時に超人的な働きをするのが真の神懸り
それと同じことを王仁三郎聖師は四大綱領(祭・教・貫・造)や、
四大主義(清潔・楽天・進展・統一)で教えていますよ。
王仁三郎聖師が植芝さんに植芝さんの武道を「合気武術」と呼ぶように
薦めたのも同じことでしょう。
150 :
夏宇宙:04/09/09 23:54 ID:ljDxeSwd
『武の真人』の「合気道主 植芝盛平先生御口述」より
私は、十五歳の頃から武道に志し、諸国の剣道柔道の師を歴訪した。
そして、どの流儀も二、三ヶ月でその極意を会得してしまった。
しかし、自分の意にみつるような武道の神髄を伝授してくれた人
は一人もなかった。そこで数々の宗教の門をたたいたが、ここでも
具体的な答えはだされなかった。
その後、大本教の出口王仁三郎聖師のもとで十年間下座の行を修めた。
その間に教団の決められた講義は特別に受けなかったが、聖師の側近に
坐って、お話しを聞いているだけで、なにか交流するものがあって、
種々と自然に私自身の中に入っていた。
ところが大正十年の春だったと思う。私が一人で逍遥していると、
突然、天地が動揺して、大地から黄金の気がふきあがり、私自身も
黄金体と化したような感じがした。
それと同時に心身共に軽くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、
この宇宙を創造された神の心が、はっきり理解できるようになった。
その瞬間、私は「武道の根源は、神の愛━万有愛護の精神━である」と
悟り得て、法悦の涙がとめどなく頬を流れた。
そのとき以来、私は、この地球全体が我が家、日月星辰はことごとく
我がものと感じるようになり、眼前の地位や、名誉や、財宝は勿論の
こと、強くなろうという執着も一切なくなった。
151 :
夏宇宙:04/09/09 23:57 ID:ljDxeSwd
武道とは、腕力や凶器をふるって相手の人間を倒したり、原子兵器などで
世界を破滅に導くことではない、真の武道とは、宇宙をととのえ、世界の
平和をまもり、森羅万象を正しく生産し、まもり育てることであると、
私は悟った。
すなわち、武道の鍛錬とは、森羅万象を正しく産み、守り、育てる神の力
を、我が心身の内で鍛錬することであると、私は悟った。
大天主皇大御神(もとつみおやすめおおかみ━主神・天之御中主神のこと)
の「愛」の心から、光と熱がほとばしり出て、偉大な力を生ずる。
この大神の御はたらきが、すなわち武産(たけむす)である。
これを速武産大神(はやたけむすおおかみ)ともよぶのである。
この速武産大神こそ、大天主皇大御神の「愛」の御はたらきの現れとして、
大宇宙の森羅万象を産み出す現象そのものであり、同時にまた、大宇宙をも
破壊し得る力をもつ原子の活動そのものである。
またこの武産(たけむす)の武道こそ、天地人和合せしめる神の愛の大道なのである。
「合気」という言葉は、昔からあるが、「合」は「愛」に通じるので、私は、自分の会得
した独特の道を「合気道」とよぶことにした。したがって、従来の武芸者が口にする合気
とは、その内容が根本的に異なるのである。
152 :
夏宇宙:04/09/10 01:10 ID:WLfE7t5m
さてと植芝さんや合気道には直接は関係ない話ですみませんが146の
名無しさんの質問に答えましょうか。
>>146 >兄の正恭の説であるソースは?
アイヌの酋長というよりコタン村の村長ね。
浅野和三郎の兄の海軍中将の浅野正恭が柳田国男の「忘れられた民族」と
いう講演を聴講していた会場で見かけたらしい。
出口直とアイヌ民族を結びつけるのは浅野和三郎主催の心霊科学研究会の
機関誌の『心霊界』誌上に兄の浅野正恭が連載した「心霊上からみた大本教」
によるそうです。
よって浅野和三郎の「審神者の能力」とは関係なし。
ちなみに王仁三郎は「アイヌこそ真の日本人だ。彼等は情が深い」と賞賛して
いますが、すれっからしの多いわれわれ和人(シャモ)には耳の痛い話ですね(笑)
153 :
745:04/09/10 01:19 ID:KgPnMtw9
夏宇宙さん!
それって大本が「アイヌ文化保存」に力を入れていることの理由のひとつですか?
大本本部には訊いてなんだけど。
154 :
夏宇宙:04/09/10 02:20 ID:WLfE7t5m
>>146の四大綱領の「貫」は「慣」に訂正です。
すみません。
>>153 宗教版の大本スレの745さんですか。
>それって大本が「アイヌ文化保存」に力を入れていることの理由のひとつですか?
そうじゃないでしょうか。
王仁三郎聖師は戦前にアイヌ部落を訪問して記念写真をとっていますよね。
155 :
夏宇宙:04/09/10 03:06 ID:WLfE7t5m
>>146 >それと半可通でない夏宇宙さんに是非聞きたいが何故クニトコタチノカミなど
言う神典にも無い神がナオに掛かったのだろうか?
筆先や『大本神諭』には「クニトコタチノカミ」なんて表現はあまりなく
《国常立尊・命(クニトコタチノミコト)》が多いですがね。
『霊界物語』にはあるけど。
貴方のいうことがわかりにくいのだけど・・・・。
もしかして神典の一つである『古事記』の《国之常立神(クニノトコタチノカミ)》と
違うからいけないということかな?「之(ノ)」がないからだめだということ???
出口直開祖に懸かった神霊は《艮の金神》であって直や神霊自身は自分を審神して
くれる人をずっと待っていたわけで、《艮の金神》を《国常立尊(クニトコタチノミコト)》
とした審神者は王仁三郎聖師だから、王仁三郎聖師に従っているんでしょうけど。
ところで『日本書記』を貴方は神典とは考えてないのですか?
『日本書記』に《国常立尊》はありますけど。
『日本書記』は漢文で書かれていて《国常立尊》の訓読は人や時代によって違いまして、
たとえば現在の岩波文庫の『日本書記』などでは《国常立尊》に(クニノトコタチノミコト)の
振り仮名を振っていますけど、
出口直開祖の実家の桐村家の遠祖で京都の吉田神社を創建した四条山陰中納言の子孫の
吉田家からでた怪物・吉田兼倶の吉田神道などで有名な中世の神道の世界では《国常立尊》は
(クニトコタチノミコト)と訓読されることが多かったでしょうし、
同じ出口家の伊勢神道の出口延佳(でぐちのぶよし)の『陽復記』の現代語訳本をむかし読んだ
ことがありますけど《国常立尊》は(クニトコタチノミコト)と訓読されていました。
156 :
夏宇宙:04/09/10 03:12 ID:WLfE7t5m
神道のことは一般の国民程度の知識しかなく半可通ですけど、『古事記』が神道の世界で
重要視されるようになったのは本居宣長以降じゃないのではないでしょうか?
神社神道の世界でも祭神を《国常立尊(クニトコタチノミコト)》としているところも多くありますし、
木曾の御嶽山信仰が元になった教派神道の御嶽教の祭神も《国常立尊(クニトコタチノミコト)》
ですけど。
下のサイトによると御岳神社の扁額は出口王仁三郎の実父で明治維新の時の官軍の総大将で
神祇への信仰の厚い有栖川熾仁親王の筆らしいですね。
http://www.dynax.co.jp/sinsen/culture/jinjya/j_ontake.html
157 :
夏宇宙:04/09/10 03:43 ID:WLfE7t5m
>>155 「日本書記」は「日本書紀」の変換ミスです。すみません。
夏宇宙さんは本部信者ですか?
159 :
夏宇宙:04/09/12 00:40:27 ID:XqII6vO7
>>158 >夏宇宙さんは本部信者ですか?
違いますけど。大本本部の信者ではありません。
貴方はどうですか?
>>155 「四条山陰中納言」は「四条山蔭中納言」に訂正です。
ケアレスミスが多いですね。すみません。
山蔭中納言は日本料理の祖で有名だそうです。
160 :
夏宇宙:04/09/12 01:50:20 ID:XqII6vO7
文字どおり、九死に一生をえ得た満蒙行から帰還━正確にいえば送還であり、
とくに保釈出獄の身も王仁三郎師は帰国後ただちに収監され取り調べをうける
━をして、開祖はふたたび綾部での武道と農耕の生活に戻ったが、
「以前よりもずっと物腰に柔らかみがつき、ほう、死線を越えるとこうも人格
が大きくなるものかと、ひそかに感嘆したものです。たとえば私などがお宅を
訪ねての帰りしな、何気なくすッと下駄をそろえ直してくださるのです。
すでに武道で一家を成したかたがですよ。とにかくよく気がつくというにか、
相手の立場や気持ちをすべて見通されたような振る舞いをされるようになったのです。
受け身の態度に見えるけれど、こちらは先手々々をとられるようで、以前よりかえって
恐ろしく感じるようになりましたな」
とは、大国以都雄氏の思い出である。
(後の故大国美都雄。出口王仁三郎聖師の側近で大本宣伝使。大本の最長老・最高幹部
であった。第三次大本事件以後は大本四代教主の出口直美女史の大本信徒連合会顧問)
161 :
夏宇宙:04/09/12 01:53:21 ID:XqII6vO7
植芝翁 道歌
真空の空(くう)のむすびのなかりせば 合気の道は知るよしもなし
合気にてよろず力を動かし 美しき世と安く和すべし
天地に気むすびなして中に立ち 心がまえはやまびこの道
合気とは万(よろず)和合の力なり たゆまずみがけ道の人々
合気とは愛の力の本にして 愛はますます栄えゆくべし
まねきよせ風をおこしてなぎはらい ねり直しゆく神の愛気に
正勝(まさかつ)吾勝(あがつ)御親心(おおみごころ)に合気して
すくい活かすはおのが身魂ぞ
以上『合気道開祖植芝盛平伝』植芝吉祥丸・編著より
162 :
夏宇宙:04/09/14 23:37:59 ID:kONo5wIl
出口延佳(のぶよし)は伊勢外宮の神官で古事記の校訂本を出版したり、外宮に豊宮崎文庫という
図書館を創設したりして、古典の保存に功績があります。当時の学者では「最も古典に通じた」そ
うです。
出口(度会)延佳 『陽復記』より
抑(ソモソモ)我国(ワガクニ)のおこりを尋るに、太虚(タイキョ)の中に一(ヒト)つのもの
あり、形(カタ)ち葦芽(アシカビ)の萌出(モヘイデ)たるごとし。則化(スナワチケ)して神
となる。国常立尊(クニトコタチノミコト)と申奉(タテマツ)る。
神道と云いふは人々日用(ニチヨウ)の間(アイダ)にあり
江戸時代中期の伊勢神宮の神道学者であった度会延佳の著した「陽復記」の中の一節です。玉串を
ささげたり、祝詞を読んだりする神社などの祭りの場での儀式は、もちろん神道の一事であって、
最も大切なことです。しかし、このことばかりを神道だと思っていては、大空を小さな管の穴から
のぞいているようなものです。管の穴から見えるのは空にはちがいないけれども、それだけではあ
まりにも狭い部分しか見えません。ほんとうの大空はもっともっと広大な範囲に広がっています。
神道も同様であって、人々の日常生活の中にあって、一事も神道でないというものはありません。
親が子をいつくしむ時は、その親が神道の心で子を思っているのであり、子が親に孝をつくす時は
、子は神道の心で親に対しているのです。日常生活にあっては、手を挙げるのにも、足を運ぶのに
も何一つ神道でないというものはないというのが度会延佳の説くところです。神の道は特殊な道で
はありません。一日一日を神のみ心にかなっているかどうか、反省し、精進するのが神道に生きる
人の心がまえでしょう。神社や神棚に鏡を置くことは、このことを示唆しているとも言えましょう
。
「神道名言集」のホームページよりコピペです。
出口王仁三郎聖師の「愛善の道」の教えと同じですね。
植芝さんの「武産(たけむす)合気」の精神も同じことではないでしょうか?
163 :
夏宇宙:04/09/15 02:07:16 ID:HAu/BA+K
>>146 と、いうことで
>>155や
>>156,
>>162にてまず《国常立尊(クニトコタチノミコト)》の神名が
大本だけじゃなく伝統的なものであることを確認しまして、次は出口聖師が『古事記』
にある《国之常立(クニノトコタチ)》の神名表記も嫌っている訳ではなく使用して
いるのを紹介しましょう。
まずこれは初期の大日本修斎会の会則の第三条です。
本会斎殿ニハ会祖創設ノ由緒ニ依リ、宇宙万有ノ主宰ニ坐ス天之御中主神、
国之常立尊ヲ始メ天神地祇八百万神ヲ奉斎ス。
これは天之御中主神と対(つい)にしてあわせている表現でしょうか。
そういえば『古事記』の《国之常立神》も《天之常立神》と対になっていますね。
それと『霊界物語』に掲載している祝詞にも《国之常立(クニノトコタチ)》の
神名を使っています。
これは現在の国学院大学の前身で明治天皇の師範を勤めた実父有栖川宮熾仁親王の父、
有栖川宮幟仁(たかひと)親王を総裁(今の学長)に戴いて明治15年に設立された
皇典講究所を出口王仁三郎聖師が首席で卒業したとかの時の卒業制作がもとになって
いるらしいですけど。
164 :
夏宇宙:04/09/15 02:26:13 ID:HAu/BA+K
『霊界物語』第六十巻 善言美詞より
◆祝詞(のりと)
掛巻も畏き大本大御神の宇豆の大前に、慎み敬ひ恐み恐みも白(まを)さく。
大地(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は。
天地初発之時(あめつちなりいでしとき)より、
国之常立尊(くにのとこたちのみこと)の堅磐に常磐に鎮り居坐(ゐま)して。
国の本国(もとくに)浦安国(うらやすくに)と愛給(めでたま)ひ守賜(まもりたま)ひて、
□怜(うまら)に委曲(つばら)に開給(ひらきたま)ひし国にし有(あ)れば。
皇大神(すめおほかみ)の天(あめ)の石位(いはくら)放(はな)ち、
天の八重雲(やへくも)を伊都(いづ)の千別(ちわき)に千別(ちわき)て、
天降(あまくだ)り給ひてより動く事無く変(かは)る事無(ことな)く。
人の心は直(なほ)く正しく、山川は清く潔(さや)けく。
顕見(うつしき)蒼生(あをひとぐさ)の食(くひ)て活くべき稲種(いなだね)は、
大御神(おほみかみ)の大御言(おほみこと)以(も)て天(あめ)の邑君(むらぎみ)を
定給(さだめたま)ひ。天(あめ)の狭田(さだ)長田(ながた)に植ゑしめ玉ひし稲を、
天津御饌(あまつみけ)の遠御饌(とほみけ)と赤丹(あかに)の穂に
聞食(きこしめし)詔給(のりたま)ひ授(さづ)け賜(たま)ひて。
大地主神(おほとこぬしのかみ)は五百津斎鋤(いほついむすき)を採(と)りて、
高田(たかた)窪田(くぼた)を耕(たがや)し賜(たま)ひ、水分神は水を撒(ま)かしめ、
埴安神(はにやすのかみ)は真埴(まはに)を肥やし。
大歳(おほとし)の神は蝗(いなむし)を攘(はら)ひ。
秋の足穂(たりほ)の八束穂(やつかほ)の、重穂(いかしほ)に成(なし)幸給(さきはへたま)ひ。
夏冬の暑さ寒さも和らかに、悪しき疫(やまひ)少なく。
打見(うちみ)る嶋(しま)の崎々(さきざき)、掻見(かきみ)る磯の隈々(くまぐま)。
常世乃波(とこよのなみ)の重浪(しきなみ)依来(よせき)て、
生(いき)と生(い)き住(すみ)と住む人の悉(ことごと)。
高きも卑(ひく)きも老も若きも嬉しみ尊み。遠津御神(とほつみかみ)の敷坐(しきま)す島
の八十島(やそしま)は。天の壁立極(かべたつきは)み、国の退立限(そぎたつかぎ)り。
狭(さ)き国(くに)は広(ひろ)く峻(さか)しき国は平(たひら)けく。
青雲の靉(たなび)く極(きは)み、白雲の墜居向伏限(おりゐむかふすかぎ)り。
《以下略》
夏宇宙さん、長く大量に有難うございます(久々に来てビックリ!)
よくわかりました。
国之常立のような高位の神が人間にしかもお筆先などで
掛かるのかはこの際置いといて、「我は丑寅の金神」と自称するのも
えらく大言壮語(邪神界の特徴)だと思うのですがどう思われますか?
陰陽道の艮の金神が国之常立なら妻神の裏鬼門坤の金神は出口聖師
の小松林之命になるんですか?(変性女子と自称してたし)
そうすると大将軍や歳徳神は何の神々なんでしょうか
ナオ教祖が生きていれば聞きたかったです
>>165 横レスですが、これ以上続けるなら、
宗教板のネタではありませんか?
167 :
夏宇宙:04/09/18 22:39:43 ID:4W/od4wF
>>164の聖師の祝詞はまず農業の大切さと豊かな実りをもたらせてくれる存在である
神への感謝が伝わってくると思いますが、これは出口聖師が水呑百姓の子供として育ち、
大本には開教以来天産物自給の思想から農本主義的な教風があり、昭和二年一月には
亀岡の中矢田に大本理想社農園をつくって自ら範を示していることにも表れています。
中矢田の農園は第二次大本事件中には出口一族の自給生活の拠り所になりました。
戦後出口聖師はここを雛形に自分の最終的な理想である「愛善苑」を興しました。
植芝さんも武道家と言われるより「私は百姓をやっておりまして」が口癖で農事は
人の生活の根本であるという信念のもとに自給自足と「武農一如」の思想が身上で
あり、その生活を実践するためと戦時下に当時の軍国主義と自分の「武の道」が違う
ということを表すためか「神隠れ」といって茨城県の岩間の里に合気神社と道場や
農場を造り合気道の根拠地としての「合気苑」を構想しました。
出口聖師と植芝さんの行動がいかに期を一つにし哲学や理想が同じであることが
分かるでしょうね。
植芝さんは「武道と宗教は同じである」と言っているそうです。
おい、いまテレ朝でネオ麦やってるぞ
腕立てひとつしないで「筋力はいらないでちゅ〜」っていってる唾棄すべき
カルト・合気道の使い手がおばさんを殺させたネオ麦の問題やってるぞ!
しかもそれを恥とせず「護身」「仕方がない」と徹底的に擁護し、新庄市民並みの
負の結束力を見せたカルト・合気道についての事件だ。
二度と起こしてはいけない武道愛好家の恥としてよく見ておこう!
169 :
146、147:04/10/15 23:19:37 ID:98KHtT14
夏宇宙さん 秋になったから消えたのかな
>>165について答えて貰えませんかage
170 :
夏宇宙:04/10/16 04:54:31 ID:bDJoCUIu
>>169 あっ、はい。スレ違いになると指摘されたので。
聖師によれば天国は夏だそうなので秋や冬になっても消えませんよ(笑)
夏生まれだし。
まず誰よりも自分にそのような大それた神さまがお懸かりになるわけがないと
疑ったのは出口直開祖ですし、それに当時の民間で祟り神と恐れられていた鬼
門の金神よりもっとありがたそうな神名で現われるのじゃないでしょうか?
邪神なら。
陰陽道あたりについては半可通ですが方位や金神の忌避にかんしては陰陽道の
正統の宗家の加茂家や阿部家は迷信に過ぎないと反対していたそうですが。
吉備真備の帰朝と一緒に大陸から邪霊の金毛九尾が渡来したとか、
『金鳥玉兎集』あたりの内容には出口聖師は批判的です。本来正神であるのに
邪神たちの宣伝の働きによって日本の民間では鬼門裏鬼門の祟り神と忌み嫌わ
れるようになったそうです。
「大本」の神話では正神である国祖国常立尊は悪霊に御魂を曇らされた八百万
の神々の悪の多数決によってご引退のやむなきにいたり、地球の丑寅(東北)
にあたる日本列島に霊を留めさせられたので「艮の金神」と呼ばれたというこ
とです。
悪盛んにして天に勝つ。ここに国祖は神議りに議られ、暴悪な邪神どもに髪を
ぬかれ、手足を切られ、骨を断たれ、筋をちぎられ、よってたかって残酷な処
刑を甘んじて受けられる。しかしいかに邪念を凝らしてみても、国祖の威霊も
で滅ぼすことはできない。元の霊身に立ち返った国祖は一人高天原を去ってい
く。その背に悪に染まった神々は煎り豆を投げつけて呪いの言葉を叫びました
「煎り豆に花が咲くまで、この世に入るべからず」
その日は節分(季節の変わり目)だったということです。
171 :
夏宇宙:04/10/16 05:00:04 ID:bDJoCUIu
それから三千年(悠久の長きの意)の月日のあいだを国祖はくやし残念の思い
でこの世を影から守護してきましたが、影からの守護はそれだけのことこのま
までは世は元の泥海になるというところまで堕落してきたので明治二十五年の
節分前後に世の変わり目にわざと極貧などの苦労をさして身魂をみがきあげた
出口直開祖に懸かられて、
三千世界いちどにひらく梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。
須弥仙山に腰をかけ、鬼門の金神まもるぞよ。
と御復活されたということになります。
妻神の裏鬼門の金神は豊雲野尊になります。ちなみに豊雲野も現在の『古事記
』では「トヨクモノ」と振り仮名がふってあるものがあると思いますが戦前発
行の僕がもっている『古事記』では「トヨクモヌ」となっています。『霊界物
語』では「トヨクモヌ」です。記紀の訓読は時代や人によって違うのがわかり
ます。
「大本」では国祖国常立尊や伊邪那岐尊や天照大御神を厳の御魂とよばれ、尊
称し出口直開祖の本霊もその系統で、豊雲野尊や伊邪那美尊や素盞鳴尊を瑞の
御魂と尊称し出口王仁三郎聖師もそうです。
小松林尊も素尊の分霊で瑞霊です。
植芝盛平さんも素盞嗚尊に縁のふかい紀州の熊野神社の申し子として生まれ
瑞霊素盞嗚尊に対する信仰の深い人でしたね。
加茂家や阿部家→賀茂家や安部家に訂正です。すみません。
有難うございました 炒り豆の花 (炒った豆に花は咲かない)
出口和明氏の著作名にもありましたね
>>170 >>171を読みましたが、やはりお筆先、自動書記などで真正
の高位の神が掛かるとは思えませんね 是非聞きたいのですが
夏宇宙さんは本当に自動書記で正神が懸かると思います?
出自が怪しいとよく言われる本田流鎮魂帰神法で正神界の霊が懸かると
思います?人間が恣意的にそんな事で霊を憑依させて正神界の霊は
懸からないと思いますよ 幽斎なんて不要でしょ。
それと立替立て直し宗教で一つだけ気に入らないのは皆、教派神道
団体を作ってしまう事ですね 本来の神道は信者と非信者に垣根を
作らない、言挙げしない、教義を持たない、素朴でもっと優れた信仰形態
(宗教ではない)なのに。信仰に団体、組織は不要ですからね。
173 :
夏宇宙:04/10/17 00:06:51 ID:jNFK1d6t
>>172 出口直と王仁三郎はついては僕は信じますよ。世の変わり目に現われた神人であり
あのような形ではもう神様は誰にも懸からないでしょうけど。
実際に植芝盛平翁のような天才(真に日本の歴史に残る偉人)を「大本」は生み
出していますし。(講道館の嘉納治五郎が彼こそ真の柔術家だと評価した)
歴史は王仁三郎の預言どおりに動いている。
世の変わり目に神人は現われるわけで孝明天皇が幕末の京都の動乱の中で王仁三郎も
評価している黒住教の神人・黒住宗忠や宗忠の弟子の赤木忠春を信用して危機を
逃れたことは有名ですね。
本田流鎮魂帰神法を信じられないといっても一度は浅野和三郎の審神能力を
評価していたのに矛盾しているのではないかな?
浅野和三郎は本田流帰神法を否定していないのでは。
出口直開祖は現界の人間的には無学の田舎のおばあさんでくず買いのおばあさんの
いうことを当時の人々が誰も信用しないので自動書記の形になったのだけど、
黒住教の黒住宗忠の太陽が体の中入り天照神と同魂同体になったという天命直授
だって神人合一のことでしょう。
「天照神と同魂同体になった」ということだけでも普通の神社神道とずれていく。
出口直開祖のこととは直接は比べられないけど。
例えば神功皇后と武内宿禰の話とか和気清麿の神託とか伝説に残っているし、
王仁三郎は『古事記』の稗田阿礼は単なる昔話や伝承を伝えただけじゃなくて
天津金木や天津菅曽をつかって神託を受けた人物としています。
つまりそういう意味では『古事記』は言挙げされたものということもできます。
同じ意味では祝詞だって言挙げじゃないのですかね。
「大祓詞」にある天津金木や天津菅曽をどうおもっていますか?これらは人為的に
神意を問うものではないのかな。これらについての伝承でさえとぎれていたのを
復活させたのが近代の神道霊学です。
174 :
夏宇宙:04/10/17 00:08:22 ID:jNFK1d6t
本田親徳は南洲西郷隆盛や蒼海副島種臣とかの一流の人物にも信用された人だし、
副島種臣は本田翁の弟子ですが司馬遼太郎によれば菅原道真以来の学にある
大政治家だそうです。空海以上の一流の書家という評価もある。
なんども言っているように出口聖師は本田流の帰神法は聖人や神人しか通用
しないといっているように禁止しています。
たとえば司馬遼太郎の小説の『坂の上の雲』の主人公の一人の秋山真之なども
大本にきて帰神法を実践しましたが野天狗がかかり偽予言を口走ったりして
騒動になりました。当時の社会的エリートでさえそうですからいかに今が
「獣の世」なのかわかるでしょう。
そういう理由で王仁三郎は大正十年の第一次大本事件前には帰神法を禁止し
ています。当時の帰神法自身は近代日本の無神論無霊魂論の風潮のなかで人々に
神霊や霊魂の実在を実感させたということでは過渡期の歴史として評価して
いますが。
175 :
夏宇宙:04/10/17 00:12:22 ID:jNFK1d6t
「大本」の場合は信仰的には世界や日本の雛型としての役割があるからまた
別ですけどいったい神道のなにを想定しているのやらわかりません。
「神社本庁」だってれっきとした団体や組織ですよ。
明治神宮が独立したんでしたっけ。靖国神社は独立した宗教法人でしたね。
縄文時代やアイヌの素朴な信仰とはちがうわけですよね。
伊勢神宮だって「講」ということで多くの団体を抱えこんでいますし、
出雲大社の伝統的な社家の千家さんでさえ「大社教」という形で教派神道の
団体をつくらなければならなかった近代日本の現実があります。
現在の神社神道だって歴史的にかなり人為的にできたものなのは否定できないで
しょう。
たとえば顕祭の祭式でも拍手の回数でさえ全国の神社で違っていたのに
二拍手に統一させたとか祭式を簡素化し、近代になって多く古式の祭事の伝承が
途切れたところがあると聞いたときがあります。
(拍手は大本や出雲大社では神霊には四拍手、大本では祖霊には二拍手)
「高天原」を古事記に書いてあるとおりに「たかあまはら」というだけで現在
の神社神道界の「たかまがはら」と違うわけで浮いてしまうとかいろいろ理由
がありますよ。
神様の「存在」を信じるには言葉は要らないという意味ならわかりますけど。
一霊四魂や霊魂にたいするや認識や目に見えない霊界に関しては言葉にして
教えるしかないでしょう。
信仰が神さまとの一対一と言うことでしたら賛成ですね。
大祭などで多勢で祝詞を捧げる時でも、神様は祭主の声しか聞いてないと
王仁三郎は教えています。祝詞は祭主の個人名で捧げます(祭主○○○○ィ曰さく)
また宣伝使は一人旅とも言っています。
王仁三郎という神人の啓示を「個」として信じて「個」として活動しているわけです。
何を貴方が信じようと自由ですが植芝さんや僕は王仁三郎を信じているわけですね。
176 :
夏宇宙:04/10/17 01:09:57 ID:jNFK1d6t
今月発売の『合気ニュース』誌からかって愛善苑宣伝使の出口和明さんが
連載していた講座が再録されているそうです。
和明さんは若い頃に戦後植芝盛平翁が大本にくる度に盛平翁に捕まって
霊界物語や言霊学の話につき合わされたといっていましたね。
まだ若くて王仁三郎の教えは通じていなくて言霊学の話などちんぷん
かんぷんだったといっていました。
盛平翁は王仁三郎の孫の中で一番王仁三郎に似ていた和明さんをなにかと
目をつけていたのかもしれませんね。
出口王仁三郎の宇宙観 出口和明談
大本教は盛平翁の思想、技に大きな影響を与えたといわれていますが、
今回は王仁三郎の孫・和明氏から宇宙観をわかりやすく解説していた
だきました。合気ニュース102号より106号に掲載された記事から抜粋
最編纂し、数回連載の予定。
盛平翁の理念、技を理解する一助としていただきたいと思います。
177 :
夏宇宙:04/10/17 08:59:01 ID:jNFK1d6t
明治十五年・各地の神社が国営・公営の施設となったため、布教の禁止が
決められた。出雲国造はこれに対抗する策として「新宗教法人・出雲大社教」
を設立する。出雲大社に残されていた古式参拝様式などは、この法人にコピー
され保存されたため、他の神社のように失われてしまわずに現在に伝えられたのだ。
出雲関係のページにこんなことが書いてありました。
明治十五年には布教の禁止(言挙げの禁止)の他にも神官が葬祭に係わる
ことを禁止したため神葬祭が近代日本で神前結婚式ほどには広まらず、
日本人の葬式を仏教の坊さんがほぼ独占する現状につながりましたね。
独自の神葬祭をするだけでも教団化が必要だったかも戦前は。
教派神道の多くは明治十五年の教導と神官の兼職の禁止の政策によって
教団化した歴史があります。
つまり「言挙げ」しないというのはかなり人為的なことみたい。
また近代日本では神社合資政策という悪政策によって多くの由緒ある神社や
国民の産土神社が権力やえせ神主たちの恣意によって統廃合され滅ぼされま
したね。
博物学者の南方熊楠はその反対運動をしたことで有名ですが同じ田辺出身で
南方さんと親交のあった植芝さんがその侍大将として反対運動に大活躍した
ことは忘れることはできないことです。
植芝さんは当時のことを振り返って「わしはあの時、生まれてはじめて国事
に奔走しとるのじゃという欣快を味わったものじゃ。熊楠爺さんは偉いお方
じゃった」と語っています。
僕が尊敬する偉大な「言挙げ」の一つです。
他板から飛んできました。
夏宇宙さんの研鑽ぶりには感嘆しました。
すごいですね。
武道のことはわかりませんのでこの後はROMにしておきます。
武道の方で滝行をする人もいますよね。
すごい滝に入るそうです。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/01 00:04:12 ID:oS0hzpBw
age
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/14 01:30:20 ID:+c1fC0NM
age
181 :
夏宇宙:04/11/15 21:03:24 ID:n5A74lFt
伊勢信仰にしても「伊勢御師」というような人たちの宣伝によって全国に広まった
ところもあるし、
熊野信仰にしても時宗の遊行僧もあるけど熊野比丘・比丘尼たちの「言挙げ」
によって広まったんですけどね。
>武道の方で滝行をする人もいますよね。
>すごい滝に入るそうです。
武道の修行は厳しいですね。
182 :
夏宇宙:04/11/15 21:04:40 ID:n5A74lFt
━━その頃は、大本教の信者におなりになったんですね。いまは?
(略)
植芝 いまは平信徒の仲間にいれておいてくれるんですよ。
大本教というのは大いなる民主主義ですね。
出口王仁三郎先生ぐらい偉い人は知らんね。
あの方は大いなる民主主義者です。
共産党とまちがわれたことがいくらもあります。
大した人物ですよ。あの方に教えられたのは言霊学です。
これは習ったんじゃないですよ。
そばにおって自然に覚えてしもうたんです。
【『週間読売』(昭和三十一年五月二十七日号)掲載の会見より】