【あれが】剣道の国際化、是か非か?【一本!?】

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参考になると重いますが・・剣道範士 昨年亡くなられた井上正孝先生の著書より
「残心」よりインタビューを抜粋します。

Q:「あてっこ剣道」と言う言葉がありますが、昔と違ってきて、試合で勝つ為の技
ばかりになってしまって、いわゆる日本刀で切るような技がなくなってきたと
指摘する人が多いです。そのことに関してどう思われますか?

A(井上先生):竹刀の操法と刀の操法が違うわけではないのです。
すりあげ技にしても抜き技にしても根本の原理は変わらない。
得物がちがうだけです。ただ昔は、斬ったらへその位置まで切り上げろ。
と言う真剣勝負の精神はありました。明治の終わりから大正の初期でも
そうでなければ剣道でないという気持ちはあったんです。ところが、これは
大変勉強になったことですが高野先生(剣道をつくった先生)はよくこう言い
ました。「新聞を巻いてやれる剣道でなければダメだ」「剣道は割り箸でも
やれるんだ」と。私は学生時代はその意味がよくわからなかったのですが今は
わかります。剣道は相手の隙を打つものだ、と言うことなんです。強く打つとか
一刀両断ということよりも相手を攻めておいつめてできた隙をさっと打つ。
そういう打ちを求めるのが剣道だと。だから今の剣道だって、審判がそれを
ちゃんと見極めれば立派になるんです。山岡鉄舟は自分の流儀を無刀流と言っている
でしょう。心刀、つまり心の刀で切るから無刀流であると。私はやっとこのごろ
その言わんとするところが分かって来ましたけれど、もちろん若い人はそんなこと
がわかるはずがない。だから、まず、審判員や指導者がそういうことを教えなければ
いけない。
4781:04/01/10 15:23 ID:qnZb8RT2
Q:(今の試合は)軽い打突はとらないように、本当にしっかりした技をとろう、
という意思統一があるようです。

A:高野先生がおっしゃるように、剣道というのは、強い技だから一本、では
ないんです。軽くてもいい。気合が入って機会をとらえていれば一本です。
拳にちょっと当たった打ちでも、ハッとした隙を見事にとらえていて「まいった」
というような打ちはあります。相手が構えを崩していないところに、いくら力を
こめて打っても一本ではありません。どういう機会に打ったのか、どういう隙を
打ったのかと言うことが大事で、そこを見極めるのが審判です。
審判や審判を指導する人がもうすこし勉強しなければいけない。