【マジレス】玄和会・南郷継正・正統本スレ【望ム】

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850名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/18 00:48 ID:iE+gCPmZ
>>843

>>836の内容は、瀬江氏自身がいっていることだよ。
851名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/18 00:56 ID:F1hShmP3
>>849
写真に分度器って、おまえやっぱりバカだな。
おまえの「下段払い」が脳内だって話をしてんだよ。
いいから、>>802の腕の形を説明してみろよ。w
骨なし人間でなくてもできるかどうか、具体的にな。w
852名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/18 01:11 ID:F1hShmP3
>>849
レスねーなあ。読んでるんだろ?
今頃、真っ赤になって、ブルブル震えながら反論考えてるだろうけど、
玄和空手がどうとかじゃなくて、

 >>802 の 腕 の 形、 書 け よ 

 い い な ?

もう眠いから寝るわ。
2、3日後くらいには、読んでやるから。
853峰流婆:04/04/18 12:22 ID:w32tomXd
>>846
本当にアタマの悪い、おおっと、失礼、硬い方ですね。
あなたは、例のアンチさんですか?

>見事に「技術論」で答えられず、一般論」でしか説けないと言われていますが・・・

この場合、上記の一連の「下段払い論争」や、>>841の私のレスを読んでいただければ、
まともな理解力のある人なら、すぐに解るはずです。
>>812で、私が「『一般論』でしか説けない」と言った場合の「一般論」とは、断じて「一般論による『一般論』」ではなく、
「一般論を土台とした『技術論』」のことです。

もうウンザリしてきたから、簡潔に述べますが、私が相手をしたアンチ氏は、とにかく「一般論から切り離した『技術論』」=この場合は、「『下段払い』とは、即ー『前蹴り』に対応するためだけのものであり、
それ以外ではない」という、「『技術論』のための技術論」に固執した人だったので、
そうした人に、前述の「一般論を土台とした『技術論』」など、理解できようはずもない、という意味です。

(つづく)



854峰流婆:04/04/18 13:16 ID:w32tomXd
>>846
>また何故その形なのか?に関しては全く答えていない=技術論を説いていない事実は
>変わっていませんよ。
それは、どういうことですか?

「下段払い」は、たとえば>>694等で述べられているようなものが「理想的」だとでも、
おっしゃるんですか?
では、まず、>>839の私のレスを丹念に読み返してでください。
ここに
>「中世以前の沖縄で、手(テイー)と呼ばれてていた、民族文化的段階」→「中国拳法が導入され、『唐手』として本格的に技が体系化されていった時代」
>→「大正時代の、本土上陸時代。名称も『空手』に統一されていった時代」→「本土、世界への普及時代」
>→「現在」

とあるでしょう?
その際、松涛館等の、現在でも最も標準的とされる流派が、今につながる「下段払い」を
創出したのは、おそらく「大正期の、空手の本土上陸時代」だったと思われます。
その時に当時、日本本土で主流的立場にあった武道、剣道の立ち方、技術論等を導入して、
あの「下段払い」が編み出されたものと考えます。
当然、玄和会もその技のルーツは「松涛館」、「和道流」等にあるのですから、そこから南郷先生が自分の理論に基づいて、
精密かつダイナミックに創り上げたのが、現在の玄和会の「下段払い」だと思います。
(つづく)








855峰流婆:04/04/18 13:23 ID:w32tomXd
何度も述べているように、「下段払い」とは、「あらゆる手技の基本」という観点に立てば、
「直接的に『前蹴り』に対応しやすい」という即物的な目的のみにより、その形までも「クセのある」=「他の技への汎用性のないもの」
にしてしまって良いはずがありません。

今度は私から質問させていただきたいです。
空手の「試合」、「組み手」、「闘い」の中においては、
「『前蹴り』をさばくシチュエーション」というものは、決していちばん頻度の高い動きではありません。
それなのに、玄和会はもちろん、何故、協会やフルコンの流派でさえも、「下段払い」を「基本の基本」として設定しているのか?

この現実を説明してください。

>>847
>それは南郷氏の自己紹介ですね。
>著書を読んだ人なら批判しか書いていない事は知っています。

どこがです?
学問の世界では、自説を述べるにあたり、先行諸説を叩き台として使う、
ということは常道ですよ。
南郷先生も、他流派、他の武道家の著作等を批判した後、必ず自説を展開している、と思うのですが、
南郷先生の著作をどう読んだら、そういう解釈が出てくるのか、理解に苦しみます。



856818=821:04/04/18 13:32 ID:iE+gCPmZ
>南郷先生の著作をどう読んだら、そういう解釈が出てくるのか、理解に苦しみます。

結局、「吾人は己が能力の範囲内でしか事物を理解できない」ということですよ。
コトワザレベルでいうと、「ねこに小判」「ぶたに真珠」。
857名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/18 15:37 ID:hW4wkq7Y
廻蹴が出来ないんだけど、いい鍛錬方法ない?
体は柔らかいんだけど・・
858名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/18 18:16 ID:8ggaFBoU
「青は藍より出て藍よりも青し」ってコトワザがあるだろ?弟子は師匠よりも大きく
成長しなければならないって意味だよな?

あんまり師匠が高すぎると、なかなか難しいもんだけどな。
859名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 00:34 ID:NaLNfHMt
>>853
>>812で、私が「『一般論』でしか説けない」と言った場合の「一般論」とは、
>断じて「一般論による『一般論』」ではなく、「一般論を土台とした『技術論』」のことです。

またまた傑作な論が展開しましたね。
国語のレベルの話なのですが「一般論を土台とした『技術論』」は当然一般論ではなく技術論です。
上記のあなたの反論は、

『私の言う「一般論」とは、「技術論」のことです。』

と言っているんですよ。

嘘を嘘で塗り固めようとしても必然的に破綻するものですね。
860名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 00:35 ID:NaLNfHMt
>>855
>玄和会もその技のルーツは「松涛館」、「和道流」等にあるのですから、

一言で空手といっても様々な流派があるように、下段払いも玄和と他の流派が全て
同じではありません。一見同じように見えても玄和のように横に払うような動きを
排除しているところの方が少ないでしょう。
論点はそこなので、論のすり替えは無駄です。

だいたい他流の技を峰流婆さんはちゃんと調べたことが無いでしょう。
技の開始、終わった形が同じでも動きの中身は同じでは無いのですよ?

また他流派と同じだったら玄和も同じでいいとはなりません。
玄和では全ての技を措定し直したと教科書でも言っているのですから、歴史を盾に技の不合理を
正当化することはできません。
散々他流派を批判してきながら、都合の悪い事は「他流派と一緒なので問題ない」とは
恥を知らないと言うべきでしょう。

というわけで>>854での『歴史的にそうだから』では
>>846の何故その形なのか?に関しては全く答えていない=技術論を説いていない事実は
変わっていません。
『一般論が技術論』などという錯乱した論を展開する峰流婆さんには分からないかもしれませんが。

質問にちゃんと答えてから自分の質問をしましょう。
861名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 00:36 ID:NaLNfHMt
>>855
>何度も述べているように、「下段払い」とは、「あらゆる手技の基本」という観点に立てば、
>「直接的に『前蹴り』に対応しやすい」という即物的な目的のみにより、その形までも「クセのある」=「他の技への汎用性のないもの」
>にしてしまって良いはずがありません。

玄和の下段払いが他流のそれに対してクセが無い、あるいは汎用性があるという根拠は全く
立証されていません。何度も述べられているのは「そうだから」だけです。
まともな「技術論」で証明してください(一般論じゃ駄目ですよ)。

>>南郷先生も、他流派、他の武道家の著作等を批判した後、必ず自説を展開している、と思うのですが、

自説というのは何時説かれたのでしょう?
武道の理論ぐらいしかまともに論を説いたものは無いですよ。
それもどれほど意味があったのかは疑問ですが。
その論の実証として空手で何ができたのか説明できますか?
862峰流婆:04/04/19 08:09 ID:gEK7YVo2
仕事前にカキコと。
>>859-860
残念ながら、あなたの問いには全て答えています。それも、例を挙げ、言葉を換え何度も何度も。
私の過去ログを読めば、第三者には解るはずです。

失礼ながら、あなたはホントに、こちらが感心するほど典型的なア○マの悪い人ですね・・・。
それも、自然成長的にそうなった、というよりは、まるで「ア○マを悪くするぞ!!」と必死に積極的に努力してそうなった、
としか思えないほどの見事さです。

何度も言うように、「ボクシング」の技術論であれば、即物的な技の分析のみにより、あなたの好きな「技術論による『技術論』」を説くことも
ある程度は可能かと思いますが、「空手」の場合はそうはいきません。
必ず、「『歴史性』という『一般性』をふまえた上での『技術論』」にしかなりません。
そういうわけで、言うこべきことは全て言ったので、これ以上述べることはなにもありません。


















863峰流婆:04/04/19 08:10 ID:gEK7YVo2
>質問にちゃんと答えてから自分の質問をしましょう。

あなたも、人を批判するからには、こちらの質問に答えてください。そこからでないと、話はまったく進展しません。

>自説というのは何時説かれたのでしょう?
>武道の理論ぐらいしかまともに論を説いたものは無いですよ。

ここまで来てると、最早、「処置なし」ですな・・・。


864峰流婆:04/04/19 09:52 ID:gEK7YVo2
時間ができたから、急遽補足。
>>861
>玄和の下段払いが他流のそれに対してクセが無い、あるいは汎用性があるという根拠は全く
>立証されていません。

このことも、まともな理解力、推察力のある人なら、私の書いた過去ログを読んで、少し考えれば解るはずですが、
アンチ氏の独創的にして驚異的な「知性」に敬意を表し、アンチ氏のレベルで説くことにします。

まず、「玄和会の『下段払い』は、玄和会の他の『手技』の中で最も構造が単純で、
それゆえ初心者にとっては、いちばん形のとり易い技だ」、ということは、もうこちらがイヤになるほど述べました。
では、アンチ氏がお好きな即物技術論レベルで、「下段払い」を他の手技と比較した場合、
どういう「共通性」=「汎用性」が浮かび上がってくるか、「具体的に」見てみます。
(つづく)
865峰流婆:04/04/19 10:18 ID:gEK7YVo2
その場合、「前屈立ち」をとって技を出す、という前提で「上段上げ受け」、「外受け」、「内受け」、
「順突き」、「逆突き」等の中にも見受けられる「共通の動き」とは、以下のようなものです。

1、「丹田から下」=「土台」は、「技」を出す間、常に不動。

2、拳をしっかり握り、拳頭に意識を込め、その「拳頭の意識」で以って「技」を運ぶ。
  1と同様に、「技」を出す間は「拳」は常に不動。

3、「極め」の瞬間、若干だけ「土台全体」に意識と力がこもるようにする。
   あるいは、「技」が正しく極まるからこそ、「土台」が固まる。

4、引き手をしっかり取る。その際、もちろん引き手も拳頭の意識で動かし、固めた拳も常に不動。
  「技」は、「技」を出す方の「拳の意識」同様、引き手の力によっても運ばれるようにする。
  逆に言えば、「引き手」の強さこそを、技の破壊力の根源にするようなイメージで「引き手」を取る。

(つづく)




866峰流婆:04/04/19 11:03 ID:gEK7YVo2
「下段払い」を基礎とした個々の技に、これだけの共通性がある、ということは、
前述したように個々の技と技とが、相対的かつ、有機的なつながりを持っている、ということです。

では逆に、そうした技と技の間の、あくまで「運動上」の、という意味でのみですが、「差異」とはなにか、
と言いますと、それは技の軌跡とその際の手の位置のみ、ということになります。

では、他流派はどうかと言えば、たとえば私が習ったことのある松涛館では、そうしたことは教えられませんでした。
あくまで「受け技」は「受け技」として、個々のものに「共通性」など厳密には求められず、
「手」の動かし方の指導も、あくまで「こぶし」=「漠然と握られた拳骨」が単位であり、
ついぞ「『拳頭の意識』における各技の統合」という発想には、お目にかかれませんでした。
練習を見学をさせてもらったことのある、いくつかの「フルコン」、「寸止め」の各流派も、
似たようなものか、あるいはもっと「技術論」がないか、でした。

以上のことが、アンチ氏のおっしゃる<玄和の下段払いが他流のそれに対してクセが無い、あるいは汎用性があるという根拠>
にあたります。
ばぜなら、何回も述べたように、玄和会にあっては「下段払い」こそが、その構造の単純さと、
習得の容易さゆえにそうした「各技」の「基本」として想定されているからです。

私の回答は以上です。
>>860
>質問にちゃんと答えてから自分の質問をしましょう。

では、アンチ氏にあらためて再度質問させていただきます。

「空手」の実技現象レベル、「自由組手」、「試合」等においては、「相手の『前蹴り』を受ける」という機会は、
決して最も頻度の高いシチュエーションではありません。
それなのに、何故、「前蹴りを受ける技」である「下段払い」が、寸止め、フルコン、伝統派を問わず、
ほとんどの流派において「基本の基本」として設定されているのですか?
お答えください。
それと、ご自分の発言に自信があるのでしたら、コテハンを持たれてはいかがですか?
誰のレスか判らないので、紛らわしくて仕方ありません。
867名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 12:15 ID:UF2KLpW2
>>862
>私の過去ログを読めば、第三者には解るはずです。

玄和信者以外分からないと思いますよ。
あなたは一般路、技術論のレベルの区別と連関がつかないのに、南郷著書の切り貼り、当てはめ
で論を展開していると錯覚しているだけです。
まず、事実を先入見無しに見て論理を導き出すという基本が無く、玄和の一般論という教理に事実
を当てはめるという、一番やってはならないことをやっています。
だから下段払い自体からはなにも技術が説けないのです。

それだけならまだ『実力が無い』だけで済むのですが、『自分はできている』と錯覚している、
させるのが玄和の共通する一大欠陥です。
これがあなたの言う『まるで「ア○マを悪くするぞ!!」と必死に積極的に努力してそうなった、
としか思えないほどの見事さ』ということです。
868名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 12:16 ID:UF2KLpW2
>>863
>>武道の理論ぐらいしかまともに論を説いたものは無いですよ。
>ここまで来てると、最早、「処置なし」ですな・・・。

>>742の方が言っているように南郷氏の著作は「大事な問題はいずれダイナミックにお見せする」
等の予告編ばかりなのは事実です。
つまり著作の中で自ら「未だ論理体系を書いていない、これか書きます」と言っているのです。
峰流婆さんには書いていないものが見えているのですから、峰流婆さんの妄想ということでしょう。

>>865
単純に教科書の焼き直し、現象としてある下段払いの説明で論理ではありません。
論理は構造なので、下段払いは攻撃技に対してこう受ける構造になっていると-説けないのは
峰流婆さんには構造が書けない=理論が分からないということです。
869名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 12:17 ID:UF2KLpW2
>>866
>以上のことが、アンチ氏のおっしゃる<玄和の下段払いが他流のそれに対してクセが無い、あるいは汎用性があるという根拠>

が「『拳頭の意識』における各技の統合」という発想」ですか?
>>865で説かれたのは単なる共通する現象を説明したに過ぎず、なんの構造も持っていません。
そもそも『拳頭の意識』における各技の統合」とは拳頭に意識を込めて技を出す、引き手を取る
という注意点レベルの話なのでしょうか?
だとすると、一般的な空手で普通にいわれる事で、その表現が玄和的に厳密でなかっただけです。
=技術論が無いとはなりません。
峰流婆さんの「『拳頭の意識』における各技の統合」の空手においてどのような効用があるのか、
構造的に=論理的に具体を踏まえて説いてみてください。

まぁ、峰流婆さんの論の流れを見ると、苦し紛れに新論をでっち上げているというところなので、
無理だとは思いますが。

>決して最も頻度の高いシチュエーションではありません。

それは嘘です。
特に玄和会においては前蹴りは最も使われる技でしょう。
最初の前提からして間違っていますよ。
870名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 12:59 ID:WvQOQDXD
私はあまり長い文章を読むのが苦手なのですが、仕事の合間に頭の中をよぎる
原風景がありました。

私に下段払いを教えてくれた先生の下段払いは何か外側から大きく払っていま
したよ。当然拳頭の意識は素晴らしく集中してましたけどね。でも、あの下段
払いを今、真似してみると肩甲骨あたりにもポイントがある気がします。

その人は指導局員でしたけどね。あれを見たとき確かに松涛館とは随分違うと
感じたことを思い出しましたよ。もう具体のレベルで玄和を思い出すことなん
て二十年近くないものですから。

確かに誰がどういうレベルで発言してるかは書き込みだけでは理解しがたいで
すからね。顔を見たとたん「そうだったんですか〜!!」なんてこともありえ
ますからね。

私も推理小説が好きだったんですよ。
871峰流婆:04/04/19 13:23 ID:gEK7YVo2
早くもレスがついている、と・・・。
>>867-869さん。
あなたは、例のアンチさんですか?
いずれにしても、お寄せくださった三つのレスを拝見する限り、
共通した傾向が見られますね。
それは、事象の一部を拡大解釈して、「あなたは解っていない」で済まし、
ご自分ではなんらの自説も述べていらっしゃらない、ということです。
まず、>>868ですが、
>>>742の方が言っているように南郷氏の著作は「大事な問題はいずれダイナミックにお見せする」
>等の予告編ばかりなのは事実です。

出ると思いました・・。これは、「武道講義」以降の傾向としては、たしかに認めます。
指摘しておかなかったこちらも悪いのでしょうが、この板が「武道板」であることを考慮して、
私は、南郷先生がこと「武道」に関して述べた著作について主に述べています。
それらが果たしておっしゃるように「予告編」ばかりでしょうか?

デビュー作「武道の理論」、武道とおしての教育論、上達論等を初学者向けに説いた「武道への道」、
「武道の理論」の発展版との言うべき「武道の復権」、武道指導者たる者のあり方、教育法、理念等を論じた「武道修行の道」、
そして、その他の武道書・・・。
これらの中で、果たして「武道」が説かれていないでしょうか?

たしかに一般論レベルの理論が、しつこ過ぎるほど繰り返されている部分がある、というのは見て取れますが、
中身はそれぞれのテーマに応じて、自説を説いた際に出てくるであろう反論を先回りして指摘し、
それに答える、という形でまさに「武道の理論」が、一般論レベルではほぼ完璧に完成されている、
と思うのですが、それは私だけでしょうか?
(つづく)



872峰流婆:04/04/19 13:25 ID:gEK7YVo2
デビュー作「武道の理論」、武道とおしての教育論、上達論等を初学者向けに説いた「武道への道」、
「武道の理論」の発展版との言うべき「武道の復権」、武道指導者たる者のあり方、教育法、理念等を論じた「武道修行の道」、
そして、その他の武道書・・・。
これらの中で、果たして「武道」が説かれていないでしょうか?

たしかに一般論レベルの理論が、しつこ過ぎるほど繰り返されている部分がある、というのは見て取れますが、
中身はそれぞれのテーマに応じて、自説を説いた際に出てくるであろう反論を先回りして指摘し、
それに答える、という形でまさに「武道の理論」が、一般論レベルではほぼ完璧に完成されている、
と思うのですが、それは私だけでしょうか?

南郷先生の「武道に関する理論」で、不備があると言うのなら、そこを具体的に指摘していただきたい、
と思います。

学問とは、まず一般論から始まる(哲学の歴史等を参考にしてください。)という事実を踏まえたら、
当然まずは一般論から述べざるを得ないので、武道に関する南郷先生の著作
が一般論的に過ぎる、という批判は当たらないと思います。
なにせ、南郷先生以前に「武道の理論」を説いた(あるいは説けた)人間はいないのですから。
(つづく)


873峰流婆:04/04/19 13:37 ID:gEK7YVo2
さらに、そうした一般論自体が嫌いだ、苦手だ、という人は、
単におおよそ論理思考が苦手な、学問に向いていない人だ、というに過ぎません。(つづく)



874峰流婆:04/04/19 13:52 ID:gEK7YVo2
>>869
>峰流婆さんの「『拳頭の意識』における各技の統合」の空手においてどのような効用があるのか、
>構造的に=論理的に具体を踏まえて説いてみてください。

私のいままでのレスを読んで、それをご自分の頭の中で再構成して、
それでも解りませんか?
ならば、あなたの論理能力の方に問題があります。

>>866で私は、
>「下段払い」を基礎とした個々の技に、これだけの共通性がある、ということは、
>前述したように個々の技と技とが、相対的かつ、有機的なつながりを持っている、ということです。

と述べました。ここをまさにあなたは「論理で」見ようとせず、>>867にあるように、

>まず、事実を先入見無しに見て論理を導き出すという基本が無く、玄和の一般論という教理に事実を当てはめるという、一番やってはならないことをやっています。
>だから下段払い自体からはなにも技術が説けないのです。

と考えているなら、それこそまさに、「私(=峰流婆)が、いつも玄和会の教条の方を事実の方に押し付けている」
とあなたの方が先入観をもって見ている、というに過ぎません。
(つづく)



875峰流婆:04/04/19 14:13 ID:gEK7YVo2
>>869
>峰流婆さんの「『拳頭の意識』における各技の統合」の空手においてどのような効用があるのか、
>構造的に=論理的に具体を踏まえて説いてみてください。

まず「易から難」は、何事においても人間のやることであれば、上達論の基本でしょう?

ところで、「下段払い」はどういう技か?
これは、もういやになるほどに述べたように、「攻撃・防禦を問わず、空手の中のあらゆる技の中で、構造が最も単純で、
それゆえ基本技である。」という観点に立てば、当然、この技を最も最初に習得すれば、
あとに続く技がを、攻撃・防禦技を問わずこの技の発展技として覚えられる、
各技が、相互に断絶された関係にあるのではなく、まさに、相互発展的に上達できる、
ということです。

いうまでもなく、初心者にとって技は、「形をとる」ことから始めなければならないが、
同時に初心者ほど「形」が崩れ易く、憶えがたいものです。

そうしたときに、これは上級者にも当てはまりますが、覚えようとする技の「下級技」をすでに身に付けていると、
どれだけ楽か、ということです。
これは、たとえば数学でいえば、「ピタゴラスの定理」を学習する際、「二次関数」の知識は直接には必要ないが、
あらかじめ知っておくことが、「ピタゴラスの定理」理解に、はたして役立たないか、どうか、考えていただければいいことです。
(つづく)

876峰流婆:04/04/19 14:25 ID:gEK7YVo2
>>869

それは嘘です。
>特に玄和会においては前蹴りは最も使われる技でしょう。
>最初の前提からして間違っていますよ。

ここにも、あなたの拡大解釈をするクセが見受けられます。
私は、>>866で、玄和会のみの話をしているのではない、
全ての空手流派について訊いているのです。

たしかに玄和会では「前蹴り」はひんぱんに使われますが、はたして他流派でも事情は同じでしょうか?

>「前蹴りを受ける技」である「下段払い」が、寸止め、フルコン、伝統派を問わず、ほとんどの流派において「基本の基本」として設定されているのですか?

という疑問は、「前提自体が間違っている」のでしょうか?

以上、連続投稿、乱文、誤字、誤記をみなさまにお詫びして、
とりあえず失礼します。




877峰流婆:04/04/19 14:32 ID:gEK7YVo2
>>875に付記。

ちなみに私は、白帯時代、「突き」の形がなかなか取れなかったとき、
「急がば回れ」と、ひたすら「下段払い」の練習をしたら、
「突き」がかなり上達した、という経験があります。
878名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 15:28 ID:mX3Eahrn
何故だ?
879名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 17:48 ID:NaLNfHMt
>>871
>これらの中で、果たして「武道」が説かれていないでしょうか?

またまた話がすり替わっています。峰流婆さんは論理が本当に苦手ですね。
ただ「武道」を説いただけではコラムかエッセイです。

>>872
>南郷先生の「武道に関する理論」で、不備があると言うのなら、そこを具体的に指摘していただきたい、

書いてないものの不備を指摘する事はできません。無いのですから。
せめて〜では〜論を発表したくらいは書いてもらわないと指摘のしようが無いでしょう。

>当然まずは一般論から述べざるを得ないので、武道に関する南郷先生の著作
>一般論的に過ぎる、という批判は当たらないと思います。

まずは一般論からは結構ですが、その後が展開されなければ「まず」ではなく「それだけ」です。
「一般論的に過ぎる」という批判は当然過ぎるでしょう。
880名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 17:50 ID:NaLNfHMt
>>872
>なにせ、南郷先生以前に「武道の理論」を説いた(あるいは説けた)人間はいないのですから。

その「武道の理論」は本物だったのでしょうか?
偽物でもハッタリでも言えばいいという問題ではないでしょう。
その理論の実践、実証を事実から検討しなければ、その論理の価値はありません。
南郷理論の結果はどうであったとお考えですか?>峰流婆さん

>>873
>さらに、そうした一般論自体が嫌いだ、苦手だ、という人は、
>単におおよそ論理思考が苦手な、学問に向いていない人だ、というに過ぎません。

このスレッドで「一般論が嫌い」などと論を好き嫌いのレベルで語ったのは峰流婆さんだけです。
ご自分でも論理思考が苦手だと分かっていたのは少し見直しました。
881名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 17:52 ID:NaLNfHMt
>>874
>私のいままでのレスを読んで、それをご自分の頭の中で再構成して、それでも解りませんか?

南郷玄和会お得意の責任転換はもう結構ですから、具体的にどこで「構造」を説いたか示してください。
峰流婆さんと違って無いものを構成するのは危険だと思っていますので。


>>875
>これは、もういやになるほどに述べたように、「攻撃・防禦を問わず、空手の中のあらゆる技の中で、構造が最も単純で、
>それゆえ基本技である。」という観点に立てば、当然、この技を最も最初に習得すれば

防御技として問題があるという問いに、あなたは何度も「習得が楽だから」というオウムのような、
国語の成績悪かったんですか?とい聞きたくなるような繰り返ししかしていません。
例え習得が難しくても「命がけの戦い」において必要なものをレベルダウンさせていいわけが
ありません。難しいものを段階を踏んで覚えさせることと、技を覚えやすく崩してしまうのは
違います。
そして、肘をもっと開きながら払うより、前腕を落とすような玄和の軌跡にした方が習得しやすい
という根拠はなんら示されていません。

繰り返しはご苦労様ですが、中身のある進歩した繰り返しをしないと、峰流婆さんは成長しませんよ。
882名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 17:53 ID:NaLNfHMt
>>877
>たしかに玄和会では「前蹴り」はひんぱんに使われますが、はたして他流派でも事情は同じでしょうか?

またまた話がズレてます。玄和の話をしているんですが?まぁ、大目にみて一応答えます。
横蹴り、回し蹴り等の技は近代になってできたのですから、それまでの空手では前蹴りが
中心に使われていたわけです。

また、あなたが例にだした平安(玄和1,2等)は沖縄で旧制中学の体育の授業用に創られたのが
始まりです。
那覇手の代表型三戦は内受け、首里手の代表型内範置も、背刀受け、内受けが中心であること
からも「前提自体が間違っている」と言えます。

自分の知っている狭い範囲を空手全体だと拡大解釈する峰流婆さんの欠点は直りませんね。
883名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 17:54 ID:NaLNfHMt
>>877
現役時代よほど腕の運動性が悪い人だったのですね。
「拳を飛ばす感覚が掴めなかったが、下段払いの下に飛ばす感覚で分かった」ならまだ分かるの
ですが「突きの『形が取れない』」のを下段払いでできるようになったとは・・・
ひたすらラジオ体操をすれば蹴りも良くなったと思いますよ。

峰流婆さん珍妙な論理構造は、珍妙な身体経験に根ざしていたのですね。
884峰流婆:04/04/19 19:21 ID:gEK7YVo2
>>879
>またまた話がすり替わっています。峰流婆さんは論理が本当に苦手ですね。
>ただ「武道」を説いただけではコラムかエッセイです。

何故です?
あなたのおっしゃていることが、サッパリ解りません。
南郷先生の著作に書かれている内容が、「論理」の体裁をなしていない、とでも言うのですか?
人を批判しておいて、自分はまったく中身を言わない。
毎度恒例のあなたお得意の、「言ったもの勝ち」ですね。

>書いてないものの不備を指摘する事はできません。無いのですから。

またお得意の、珍妙な解釈能力発揮ですな。
言うまでもなく、私は南郷先生の書いたものの「中で」、その論理の破綻があるなら、指摘して下さい、
ということを述べているので、「何」が「ない」とあなたが言うのか意味不明です。
(つづく)


885峰流婆:04/04/19 20:09 ID:gEK7YVo2
>>879
>「一般論的に過ぎる」という批判は当然過ぎるでしょう。

その「一般論」を説くのが、どれだけ大変か解らないのですか?
なにしろ、先生の専門である「武道」は、読者には全く馴染みのない世界ですので、
その世界の特殊性のあり方を説明しながら、立論しなければならないのです。
これは数学の学者が、数学の専門家しか読まない学術誌に、数式にあふれた論文を載せることとは違うのですよ。
主に文系のインテリが読む雑誌に、ほぼ「言語『のみ』」によって、武道の世界を論述するのです。
それだけでも、著作が十冊くらいかかっても、おかしくはありません。

さらに学問の世界とは、事象をあるがままに(=現象するままに)客観的に叙述するところだとお思いですか?
それでは、ただのモノ研究です。
学問とは、一見偶然的なものの中から「必然性」を見出し(ヘーゲル)、それを一般法則として位置付けること、
当然、叙述も一般論に始終します。
「でも、たとえば物理学の本などでは、説明が素人にはトンチンカンな特殊用語で埋まっているではないか」
などという反論があるかもしれませんが、それは「物理学」という「個別科学の一分野」における「個別理論」だというに過ぎません。

この場合を南郷先生の事例に当てはめると、、「学一般」の中から、「物理学」が対象とするものの「特殊性」を明らかにし、
さらにその中から「物理法則一般」を抽出し、法則化するというものであり、
その時点で、並みの学者の数倍の時間、労力、努力が必要だったということです。

なぜなら、すでに学問の世界で「物理学」という「個別性」=「市民権」を獲得しているある分野に、
物理学の論文を載せる、というものではなく、まず自分が、「『物理学』とは何か」を理解し、
人に「『物理学とは、こういう世界だ」という説明を学的レベルでなし、そして初めて「『物理学』の法則」を発表する、
という作業にかかるのです。
(つづく)


886峰流婆:04/04/19 20:28 ID:gEK7YVo2
独りでこれだけのことをやってのけたので、その「一般論」の先にゆく「個別理論」=「たとえば『空手論』、『合気道論』」
等を発表するのは、出版社である三一書房が健在だったうちには、間に合わなかったか、
あるいは、南郷氏があえて発表しなかったか、でしょう。

武道板でこの話題は振りたくなかったが、「哲学」という学問が、古代ギリシアで発祥し、
まずその「学」の対象が「万物の根源、『アルケー』という一般性」だったのに、それが個別にして全体性の学、「『哲学』の中の『経済学』、『地質学』」というように
「おのおのの学問の実体性」がアリストテレスにより形成されるまで、三百年近くかかっています。

それだけに、

>「一般論的に過ぎる」という批判は当然過ぎるでしょう。

という指摘は、あまりに「時代性」=「歴史性」というものをわきまえない、
「現代人の倣岸」とでも言うべきものです。
(つづく)



887峰流婆:04/04/19 20:44 ID:gEK7YVo2
>>880
>その「武道の理論」は本物だったのでしょうか?
>偽物でもハッタリでも言えばいいという問題ではないでしょう。
>その理論の実践、実証を事実から検討しなければ、その論理の価値はありません。
>南郷理論の結果はどうであったとお考えですか?>峰流婆さん

これもまた、即物的なあなたらしい感想です。
南郷理論が、あなたが
>偽物でもハッタリでも言えばいいという問題ではないでしょう。
と言うほどインチキなものだと言うのなら、せめてその根拠を南郷先生の著作の中から指摘していただきたいと
思います。
玄和会は、たしかに組織としてはかなり弱体化していると思いますが、
現代武道界の中で、「技の創出と使用」という概念を浸透させたり、そもそも「武道」などという、一般人から見てゲテモノ的な
ブラック・ボックスを、あくまで「科学的に」捉えようとする態度を常識化させた、
等の功績はあると思います。
いずれにせよ、玄和会はまだその「学問の世界」等において、全体像を完全には見せていないので、
現在において「総括」を迫る必要はないと思います。
(つづく)
888峰流婆:04/04/19 21:16 ID:gEK7YVo2
>>881
>防御技として問題があるという問いに

私は逆に、あなたがおっしゃるように、何故わざわざ「下段払い」を替えなければいけないのか、
その理由の方が理解できません。
あなとレスを読んでも、あなたがしきりに主張する「下段受け」とやらは、いったいどういう構造の技なのか、
よく理解できませんが、現在ではその防禦技が、空手界の主流であり、その技を習得した人たちが、
なんらかの成果をあげた、とでも言うのですか?
それにあなたの個人的経験による「納得」以上の意味があったのですか?
>>882
>那覇手の代表型三戦は内受け、首里手の代表型内範置も、背刀受け、内受けが中心であること
>からも「前提自体が間違っている」と言えます。
>自分の知っている狭い範囲を空手全体だと拡大解釈する峰流婆さんの欠点は直りませんね。

それはあくまで、伝統派の一部のみでしょう。
私は、>>876で、
>「下段払い」が、寸止め、フルコン、伝統派を問わず、ほとんどの流派において「基本の基本」として設定されているのですか?
と述べている通り、「空手界全体の流派」を問題にしています。

南郷先生や三浦、滝村氏は、「人の言うことに、独自の珍妙な解釈を加えて、物事を解った気になっているバカも多い」
というようなことも言ってましたが、
自分の知っている狭い範囲を空手全体だと拡大解釈するあなたの欠点は直りませんね。
(つづく)







そうした事実は、寡聞にして存じません。
889峰流婆:04/04/19 21:36 ID:gEK7YVo2
>>880
>このスレッドで「一般論が嫌い」などと論を好き嫌いのレベルで語ったのは峰流婆さんだけです。
>ご自分でも論理思考が苦手だと分かっていたのは少し見直しました。

このスレには、直接自分で言わなくても、明らかに理屈っぽい展開が嫌いな人たちが
若干見受けられます。
彼らの主張の大部分は、「飛翔隊はK−1に出ろ」というようなものですが・・・。

直接的に書かれた文章からしか、物事を判断できず、「行間を読む」「文脈から、本質を見出す」
という能力が欠落しているということを、あなたはご自分でも自覚なさっているということが判って、
少しあなたを見直しました。

>>883
私はたしかに玄和会時代には、かなり運動能力は悪いほうでしたが、
その原因の一つは、「いつも肩が力み過ぎる」でしたので、前述の「下段払い」の訓練により、
そのクセはだいぶ抜けて、突き技も上達したというわけです。

ホントにアラ探しの好きな方ですね。
お仕事は、「電気機器の不良品チェック」などが向いているかもしれませんね。


890マスク・ザ・レッド:04/04/19 21:56 ID:H1HrZCVP
 今日はひさびさ残業に追われず、ちょっとだけ時間がとれました(^^)
すでに過去のログを読み返す気力も体力のないのでいくつかだけ。

>854の峰流婆さんの書き込みの、
>松涛館等の、現在でも最も標準的とされる流派が、今につながる「下段払い」を創出したのは、おそらく「大正期の、空手の本土上陸時代」だったと思われます。
 に、ついてですが、大正〜昭和初期に確定したのは、「空手の稽古体系」だと自分は考えています。
下段払いそのものは、船越先生の師匠である、糸洲・安里両先生の時代やその前の時代と比べても、それほどの変化はないのではないかと考えます。
(土台となる「立ち方」はかなり変化しましたが....)

>何故、協会やフルコンの流派でさえも、「下段払い」を「基本の基本」として設定しているのか?
>この現実を説明してください。
 名無しさんは答える気がないようですので一空手指導者としてとりあえず代理で(横レスですが)答えます(^^;)
 考えられる答えは、やはり動作が一番単純で、かつ初心者でも力強い技を出し易いからでしょう。
 っつーか名無しさん、このくらいは答えてあげてください。先に進まないので(^^;)
ミネルバさんの質問にまったく答えず揚げ足取りばかりされるのは、横から読んでいて正直辟易します(^^;)
 ミネルバさんに敵対(?)してる名無しさんも、いろいろ良い発言もされているのですが、如何せん話を堂々巡りしたがる癖があるように見受けるのですが....お互い、建設的に行きましょう。
(って、残業に追われて自分に至っては、まるきりみんなについていけず申し訳ありませんm(__)m)
891マスク・ザ・レッド:04/04/19 21:57 ID:H1HrZCVP
>882の名無しさんへ
>横蹴り、回し蹴り等の技は近代になってできたのですから、それまでの空手では前蹴りが中心に使われていたわけです。
 「首里手」なら正解の書き込みですが、「那覇手」においては横蹴りは得意技です。(但し、下段への膝関節蹴り)
 正確に書かれるなら、「中段への横蹴り」とした方がよろしいかと。

>那覇手の代表型三戦は内受け
 那覇手三戦の受けを「内受」と表記する点から見て、882の名無しさんは松濤館流ですね?
 剛柔流の型の動作を表記されるなら、「外受(松濤館流内受)」又は「横受」と表記されるべきかと。
>自分の知っている狭い範囲を空手全体だと拡大解釈する
 は、882さんにも当てはまりますね。
(南郷先生でも、玄和会の独自の流派としての空手論と空手一般論をごちゃまぜにして論じているのは結構見受けますが....)

 いや、自分はあんまり「揚げ足取り」は好きではありません。
が、882さんが、けっこう良い書き込みもされるのに、あまりにミネルバさんへの個人攻撃に熱心なもので、冷静になって欲しいと思い書き込みました。
 ぜひ、揚げ足取りでなく、冷静かつ論理的な「批判」をしていただければ、と。
892マスク・ザ・レッド:04/04/19 22:23 ID:H1HrZCVP
>峰流婆さんへ&討論している名無しさんへ

>私の過去ログを読めば、第三者には解るはずです。
 少なくとも、自分にはミネルバさんの書き込みは(全部でなくとも)理解できます。
 第三者からみて、話をややこしくしているのは名無しさんのほうかと存じます。

>失礼ながら、あなたはホントに、こちらが感心するほど典型的なア○マの悪い人ですね・・・。
 ミネルバさん、話が遅々と進まず、イラついているのは解りますが、くれぐれも感情的にならずに話を進めましょう....

 ところで、自分からミネルバさんに質問ですが、玄和会では、下段払いを修得させるにあたり、「拳頭に意識を集中させる」という点に興味を持ちました(特に865の1〜4の段階の2)
 ところで、自分は、沖縄空手の道場において、
道場生同志が、「背腕、外受、下段払」をワンセットとし、お互いの腕をぶつけあって修練する姿に感銘したことがあります。
 腕と拳に意識を持たせる方法として、自分は即物的に、「実際に物を打つ」方が手っ取り早いと(^^;)考えるものですが。
ミネルバさん自身、古流沖縄の様な鍛錬方をどう捉えますか?
893名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 22:31 ID:8z9jJ+aM
>>891
>南郷先生でも、玄和会の独自の流派としての空手論と空手一般論をごちゃまぜにして
>論じているのは結構見受けますが

私もそう思う。一般論ばかりで具体的ではないなどという声も聞こえるが、私の場合は
「空手道綱要」を含めて非常に具体的であるが、それは真の一般論=すべての武術・す
べての流派に通底する論ではないと感じている。

実践家には直接は関係ないけどね。
894峰流婆:04/04/19 22:38 ID:gEK7YVo2
マスク・ザ・レッドさん。
有益な情報をありがとうございました。
やっと、言葉の通じる人間に出逢った気分です。

ところで、マスクさんが以前、手に入らないと嘆いていた南郷先生の著作ですが、
私はいままで数冊、新古書店等で格安で見かけました。(一冊、百円とか)

マメにそうした店を覗くか、あるいは玄和会の会員の人の中には、
「興味があるのは、空手だけ。南郷理論には関心ない」
という者がけっこう多いので、そうした人と友達になったら、
本を譲ってくれるかもしれません。

それでは、みなさん。おやすみなさいです。
またいずれ。
895マスク・ザ・レッド:04/04/19 22:47 ID:H1HrZCVP
>言うまでもなく、私は南郷先生の書いたものの「中で」、その論理の破綻
があるなら、指摘して下さい、
 自分は論理も理論も苦手なのでなんともかんとも(^^;)
 が、技術面からはツッコミようがあるので、ミネルバさんに答えていただければありがたい点がいくつか。
1:南郷先生は、「空手の技=当て身技」「柔道の技=投げ技」と規定しているフシがありますが、
柔道を研究すれば、「柔の形」「講道館護身術」における蹴りや突き
空手を研究すれば、各種型に秘められた関節技・投げ技
に、気付かぬはずはありません。
 南郷先生は、それらの技法に気付かなかったでしょうか?あるいは無視したのでしょうか?
2:南郷先生の著書では、剣については、遠く宮本武蔵の話題まででてきますが、柔術分野に関しては、どうも「講道館柔道」より古い武道を研究した感じが見られません。
 少なくとも柔術を研究すれば、現存最古の竹内流は無視できないはずですし、竹内流の「小太刀・棒・剣・縄」等の存在に気付かぬはずもありません。
それら、「一見専門外にみえるが、その流派として欠かせないもの」
に、気付かなかった、または無視されたのは何故でしょうか?
 もしもミネルバさんがご存じでしたらお答え下さい。
または、ミネルバさんの個人の見解でも結構です。
896名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 07:30 ID:2fquFjek
鋭いとこ来ましたね。私の学んでいる柔術も投げ・関節だけでは語れませんか
らね。竹内流よりは随分と新しいものですけれども、それでも剣術や他の武器
術あっての柔術ですからね。

それに関しては南郷氏は確か「徒手武術は歴史的には武器術の十分なる発展の
後に出てきた」とかだけ書いていたと思いましたが・・・・?

ただ、私が思うに「武道への道」や「空手道綱要」に論述された個別武道の説
明はその歴史性・発展過程をはらんでいない論であると思われる。

つまり形而上学的ということです。論としても形而上学的であるし、現実的に
も突き蹴りだけの空手、関節技だけの合気道、投げ技だけの柔道というのは中
々ない特殊な存在だと思います。個別武道の分類をその個別武技の種類による
ものとするのではなく、歴史に問うことが弁証法的であり、学問的だと思われ
る。
897名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 07:53 ID:2fquFjek
>ホントにアラ探しの好きな方ですね。
>お仕事は、「電気機器の不良品チェック」などが向いているかもしれませんね。

峰流婆氏、スレの流れを見ている者は誰もあなたを咎めないでしょうが、イラ
イラするのは良くないですよ。
まあ、沖縄空手の座破仁吉先生も製品の欠陥がすぐに見えてしまうところから
品質管理部門に移動されたなんていう話があるから、アンチ氏にとっては、
褒められたと解釈してもいいのかも知れませんが。
898名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 12:15 ID:GhRL5xas
>>884
>南郷先生の著作に書かれている内容が、「論理」の体裁をなしていない、とでも言うのですか?

「論理」の『体裁』の話だったんですか?
確かに他者批判の中の『論理』は説いていますが、それだけでは「武道の『理論』」とは
言えないし『武道論』として完成しているはナンセンスでしょう。

>言うまでもなく、私は南郷先生の書いたものの「中で」、その論理の破綻があるなら、指摘して下さい、

「武道の理論」における「技の使用と創出」が理論としてはあると思います。
他には批判以外ほとんど見あたらないので、何かあるなら教えてください。

>>885
>さらに学問の世界とは、事象をあるがままに(=現象するままに)客観的に叙述するところだとお思いですか?
>>867で私は『まず、事実を先入見無しに見て論理を導き出すという基本』と言っています。

峰流婆さん、なりふり構わず話をねつ造するようになりましたね。

>主に文系のインテリが読む雑誌に、ほぼ「言語『のみ』」によって、武道の世界を論述するのです。

どこに書くのであろうが武道論として間違っていたなら意味はありません。
大変だったと言われても「お疲れ様でした」くらいの話です。
899名無しさん@お腹いっぱい。
>>886
>あるいは、南郷氏があえて発表しなかったか、でしょう。

現実に発表もされていないものが「ある」とする根拠は何ですか?
無いものを「完成している」などと言うのは無責任ですよ。

>「おのおのの学問の実体性」がアリストテレスにより形成されるまで、三百年近くかかっています。

また玄和独特の大言壮語で話を誤魔化すやり方ですね。
下段払いの構造すらまともに説けない者が「アリストテレス」が分かるはずもないし、
突然武道板でアリストテレスとか言い出す事自体がお笑いです。

>>887
>ブラック・ボックスを、あくまで「科学的に」捉えようとする態度を常識化させた、
>等の功績はあると思います。

どう贔屓目に見積もってもそれくらいですね。
峰流婆さんの南郷氏の評価は不当に高いと思います。客観的以上に信仰的な先入見があるとしか思えません。