918 :
お前には休みやらん:03/08/23 23:25 ID:lE6mzljZ
>>917 スゲエな。
こんなデンパ嫌韓に遭遇するとはおもわんかった。
バカを無視する奴はみんな半島人か。
なんだっけ、
ちょっと前に須加バカが半島人だってカミングアウトしてたよ。
須加バカにそういってやんなよ。
そんでバカ同士ケンカしな(w
919 :
アオリスギタカオル ◆zxp0MsqFoQ :03/08/23 23:30 ID:O2u786L5
>>918 彼は思想的な活動をしてるわけじゃないからね。
いい奴だよ。
カキコミもしっかりしてる。
このスレでも武士道をきちんと理解している。
おまえのカキコミは、明らかな思想破壊の臭いがぷんぷんする。
おまえの民族のために活動してんだろ。
おまえが書き込めば書き込むほど、ボロがでてるぞ。
で、何ならってんだ?
>>898 切手は切るモンじゃなくて貼るものだからな。
>>905 ふざけちゃいけない。
武士(たけし)はまだ日本に住んでいるぞ。
全国のタケシ君に謝りなさい。
と、冗談はさておいて、いわゆる武士の死生観というのは禅が発祥なのだろうか?
禅的解釈で剣を扱う者の心構えを説いたのは柳生だけれども、柳生自体、禅を修めた
後に剣を大成させた訳では無く、剣を大成させた後で禅によって剣を語ったに過ぎない。
むしろ剣とか槍とかを持った戦いの中で怯めば討たれる者多く、命を捨ててかかった者が
むしろ命を拾うということを経験的に知ることになり、そこに禅の教えとの共通点を
見いだしたがゆえに、禅を取り込み、剣を持つ者としての心構えを説くときに利用した
というだけではなかったのだろうか?
江戸に至り、戦国の気風が消え、実際の戦場に立つことの少なくなった武士に
その精神を説くとき非常に禅の教えが都合が良かった、と言うことのような気がする。
「刃の下は地獄なれ、一歩踏み込めば極楽と知れ」だったかね?
921 :
お前には休みやらん:03/08/23 23:43 ID:lE6mzljZ
>>919 思想破壊ってなんだよ?
お前は儒教も知らない禅も知らない
挙げ句武士道の具体的な例として挙げた葉隠もまともに読んだことがない(w
少しも日本のことも武士道のことも知らないで、
理詰めと問いつめられると幼児化する。
それを指摘すると今度は「思想破壊」だと?
議論になんの関係もない質問を無視してれば外国人だと決めつける。
誰から見てもお前はデンパだよ。
>で、何ならってんだ?
空手だよ。だからなんだってんだ?
俺が何を習っていようとお前がデンパなのは揺るがないよ。
じゃあ、訊くが、お前は葉隠も読んだことがないくせになんで葉隠を知ってるような顔をしつづけられるんだ?
あまりにも破廉恥じゃないか?
お前のどこに死ぬ覚悟で生きている姿勢があるんだ?
口ばっかりじゃねえか。発言に一つも責任が感じられないんだよ。
お前がかなりムキになっているのはわかるよ。それこそお前が嫌いそうな半島人のメンタリティに酷似している
そんんあお前は今後一切、間違っても
>これからは、絶対に日本民族はそんな事を許しません。よく覚えておきなさい。
なんて、日本の代表ヅラすんなよ。
922 :
アオリスギタカオル ◆zxp0MsqFoQ :03/08/23 23:46 ID:O2u786L5
>>921 ボクは言いたい事言ったからもう良いです。
後は読んでる人が判断しますからね。
ふーん、テコンドーならってるんだー!やっぱりねー。
(^。^)
923 :
お前には休みやらん:03/08/23 23:47 ID:lE6mzljZ
>>920 たけしくんごめんなさい。
>後に剣を大成させた訳では無く、剣を大成させた後で禅によって剣を語ったに過ぎない。
>江戸に至り、戦国の気風が消え、実際の戦場に立つことの少なくなった武士に
>その精神を説くとき非常に禅の教えが都合が良かった、と言うことのような気がする。
同意。
語るツール・思想として、禅のほうが先に存在していたことを前提として。
禅が分かるなら承知と思うが、いたる道はいくつもあり、武をその手段とした柳生が武道の元祖と思う。
ただし、これは武芸者・武術者の技術を道禅とした「武道」であって「武士道」ではない。
924 :
お前には休みやらん:03/08/23 23:48 ID:lE6mzljZ
>>923 あくまで、武士の「死生観」のみについての話だから。
武道、或いはその精神に関してはそうかもしれないが、そういった柳生の
やり方に反発していたと思われる小野派一刀流の存在も在った。
そう考えると小野は当時としては古くさい古武士的存在と映っていたのかもしれないが
幕末まで名流として残っていたことを考えると、こういった考え方を支持した者もかなり
多かったと言えるかもしれない。
というか、武を嗜む事=武士の努めであるわけだから
武士道の範疇に入ってて当たり前。
武道における心構えも武士の戦いにおける心構えそのもの。
武蔵の武士道
武士におゐては、道さまざまの兵具をこしらゑ
兵具しなじなの徳をわきまへたらんこそ
武士の道なるべけれ
武士は文武二道といひて、二つの道を嗜む事、是道也
縦ひ此道ぶきようなりとも、武士たるものは
おのれおのれが分際程は、兵の法をばつとむべき事なり
大形武士の思ふ心をはかるに、武士は只死ぬるといふ
道を嗜む事と覚ゆる事の儀也
死する道におゐては、武士ばかりにかぎらず
出家にても、女にても、百姓以下に至る迄、義理を知り
恥を思ひ、死する所を思ひきる事は、其差別なきもの也
武士の兵法を行なう道は、何事におゐても人にすぐるる
所を本とし、或は一身の切合に勝ち、或は数人の戦いに勝ち
主君の為、我身の為、名を上げ身を立てんと思ふ
是、兵法の徳をもつてなり
ただし、兵法自体が一つの独立した道として捉える事が
出来るから、武道になっただけ。
武道≒武士道。
その違いは、武士か武士でないかの違いのみ。
忠義のみでは、その区別はできない。
戦前までの武道家を見れば、それが良く分かる。
>>926 多分
>>923の感じている武道とは違うでしょう。
彼の言う所の武道は禅を突き詰めた所にある境地へ至る道具として、武をたまたま
選んだという意味だと思う。
それは、茶の道でも華道でも構わないと言う感じでしょう。
武士の道は禅的境地を目指しているとは自分には思えないな。
人間形成を主に置いたのが武道、己の役割と其処にある美学とに掛けるのが武士道
という気がするよ。
ただ、戦いを前にしたときの心構えは武道も武士道も変わりないと思う。
>>927 >ただ、戦いを前にしたときの心構えは武道も武士道も変わりないと思う。
そうなのだが、それが武道武士道混同の元かと。
丸腰の人間を刀で背後から斬るって武士道的にOKなのでつか?
930 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/25 06:01 ID:MXrl/8Se
アオリスギタカオルってのは酷いバカだな
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/25 06:50 ID:ZOXvOIFc
>929
決闘なら卑怯
戦なら丸腰の相手が間抜け
暗殺なら正統
以上
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/25 07:58 ID:AFdy/ZZJ
武道の心構えは相手を傷つけずに勝つだろ
武士は家族や民を守る為に殺すだろ
価値観が違うのだよ
933 :
柔道ももも ◆3Pc3vtGjEo :03/08/25 07:59 ID:mwLbf4TT
平和な時代の武士ってやっぱ公務員だったの?
934 :
夕立:03/08/25 09:40 ID:l0uPGxIb
935 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/25 09:52 ID:ytDmcUUj
>>934 勘違いしてる師範は多いけど
そうあるべきだと思うよ
術と道の違いは殺法への考え方の違いでしょ
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/25 13:17 ID:MXrl/8Se
>>935 激しく同意。
格板時代ならともかく、今どきの武道板で武道と武士道を同じだと思っている人がいるとは驚き。
やっぱ夏だから?
>>935 それだけじゃ区別できないと思うけどな
結局、武士か武士でないかだけの違いだろう
武士道と武道の違いは
かくれがとたのむはよしや 兵法の
あらそひごとはむよう成けり
とあるように、術の時代にもこういう考えはあるし
_____殺刀
|
活剣 |
|_________ 人 _____
|
| 活剣
|___ 殺刀
殺刀と活剣のせめぎあい
これが武道だと思うけどね
あぁ、おもいっきりズレてる
上の図は卍という事で・・・
真ん中に人、上下に殺刀、左右の活剣です
_____殺刀
|
活剣
|_________ 人 _____
|
| 活剣
|___ 殺刀
これでどうだ
意地でw
殺刀__
|
活剣
_________ 人 _____|
|
活剣 |
|___ 殺刀
;y=ー(゚д゚)・∵. ターン・・・
まあ・・・意味は分かって貰えると思うんで・・・
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/25 15:53 ID:MXrl/8Se
>>937 禅によって体系づけられた武士道の心構えは、
武士道でなくても、禅の影響を受けたものであれば何にでも当てはまるし(道がつくもの)、
その死生観は武士道だけのものじゃない。
武士でない人がそういう心構えについて語るとき、武士でもないのにあえて武士道を持ち出す必要がどこにあるんだろう?
だって、武士である心構えを、自分が武士じゃないくせに語るって、胡散臭いよ。
武士って生まれ持った身分だろ?今、武士っていないだろ。心はサムライとか言うのは自分を特別だと思いたいからだろうけどさ。
そんなの華道やってないのに華道の心構え語るのと同じ。
武道の元である武術は武士であるなしに関係ない。誰でもやれる。武術やったからって武士になれるわけじゃない。
よって武道≠武士道
>>933-934 やっぱり公務員でしょ。
勘定方とか色々な役割の武士が居たから憲兵とか一括りには出来ないよ。
ところで江戸時代、武士が武道として剣術を習っていたとしても、事が在れば
役目としてその剣を人を殺すのに使っただろう。
(もっとも武士の道の下に武道を置いただけという見方も出来る)
また、捕手柔と呼ばれるものは人の殺傷を目的としないが、あくまで人間形成の
為ではなく、捕縛といった実利を追求したものだ。
強いて言うなら武術と武道の違いは殺法に対する考え方ではなくて殺生に対する
考え方の違いでしょう。
武術はその術自体を追求するのが目的なのに対し、武道は術を追求する中での
人間形成を目的とすると言ったところか。
それから
武道は理念。
武士道は、他律にせよ自律にせよ武士に課せられた行動規範。
てのはどうですか?
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/25 16:23 ID:MXrl/8Se
>>941 俺が言ってるのは、殺す、活かすだけでは兵法、武芸と武道は
区別できませんよ、”武士か武士でないか”その部分こそが
武士道の範疇に入る武芸、兵法と武道を区別できる
大きな部分ですよって事なんだが、分かんないかい?
あと、死生観について語ってるかな?俺
それから武道ってのは、争う心、和の心の
せめぎあいですよって言ってるんだが
あの図の言葉の意味の説明
人=心、殺刀=人と争おうとする心、活刀=人と和する心
つまり、技を通じて、人間形成をしていくものが
武道だと言ってるんだが・・・
>武士でない人がそういう心構えについて語るとき
>武士でもないのにあえて武士道を持ち出す
>必要がどこにあるんだろう?
ん?役になる教えがあるなら、その部分は持ち出すべき
だと思うが
それを持ち出してきて、昇華したのが武道だと思うんだがw
>>941 >武士である心構えを、自分が武士じゃないくせに語るって、胡散臭いよ。
これについてはそうは思わない。
封建社会に於いて武士はその社会の秩序と安定を考え、実際にそれを果たすという
生業に就いていた。
社会を考える上で武士の心構えを語ることは、武士以外の者についても自分達の
生活に関わるものであったのだからそれ程おかしくはないだろう。
封建社会ですらそうなのだから、一人一人に権利と義務を与えられている現代に於いて
社会との関わりを考えるとき、武士道を考え語ることは無益とは言えないと思うよ。
947 :
アオリスギタカオル ◆zxp0MsqFoQ :03/08/25 22:37 ID:iXBMH03p
>>945 >技を通じて、人間形成をしていくものが
>武道だと言ってるんだが・・・
これはこれで素晴らしい物だと思うけど、武道である必要は無いようにも思います。
高校野球なども、野球技術習得を通じて、豊かな人間形成を行うと言ってますし。
あえて極端に分けるなら、
武術というのは、人を殺傷する技術。
武道、武士道とは人を殺傷する技術をいつ、何の為に用いるのか、用いるべきなのかと言う部分までを説いているのではないでしょうか。
武道なら正義と言う言葉でそれを表し、武士道は大義と言う言葉で表していると思います。
人の命の使い方を教える、崇高な思想ではないでしょうか。
948 :
945:03/08/25 22:45 ID:AFdy/ZZJ
武士において
忠がないのに
大義は生まれない
忠がないのになんの為に死ぬんだよ
>>947 >技を通じて、人間形成をしていくものが
>武道だと言ってるんだが・・・
>これはこれで素晴らしい物だと思うけど、武道である必要は無いようにも思います。
だから、たまたま其処へ向かうのに使ったのが武術だったというだけなんでしょう。
茶を使えば茶道、花を使えば華道ということでは。
日本では野球も「野球道だ」とか言う人も昔は居たし・・・
人の生を考えるということも茶道などでは「一期一会」という言葉を通して教えられている
ように思うけれども、これも「人の命の使い方を教える」と言うことと共通している
様に感じます。
951 :
アオリスギタカオル ◆zxp0MsqFoQ :03/08/25 23:42 ID:iXBMH03p
>>950 茶道では、人殺しを訓練する事は無いと思います。
武道を用いる場合、相手を殺す事も自分が殺される事もあります。
一生直らない怪我をさせる場合も、スル場合もあるでしょう。
それらの可能性がありながらも、武術を用いる状況を規定しているのが武道、武士道ではないでしょうか。
野球で、茶道で事故の為に死傷者が出る事は有るかもしれません。
しかし死傷者を出すのが目的になっている物と、一緒には出来ないと思います。
相手を殺し、命を奪う。殺されるかも知れないが、立ち向かう。
観念論ではなく、実行する実力を養っている武道、武士道とは意味合いが違うと思います。
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 02:37 ID:5zBpvITK
>>951 >相手を殺し、命を奪う。殺されるかも知れないが、立ち向かう。
立ち向かわないのも武術であり武道です。
猪突猛進しない、無分別に戦わない、そのための心構えが武術であり武道です。
戦う選択しかないのは、武術武道の理念から離れます。
953 :
。:03/08/26 03:28 ID:jVYfeI1Y
あなたのご職業は?と聞かれて「武士です!」と答えられない人は
武士道無いだろ・・・。
居合とか教えて飯くってる人は『教師』とか『インストラクター』なわけ
でしょう。
廃藩置県と四民平等で武士はいなくなったと言って良いと思うのだが、
武士道とか言うとかっこいいから徴兵とかで便利だったんでしょう。
イマジネーションというか、かっこいい男、「漢」が武士道になっていると
思う。潔いとか、根性あるとか、武士の情けとか、何というか、武士が
重きを置いた価値観というか理念を大切にするのが武士道かな。
>>951 >相手を殺し、命を奪う。殺されるかも知れないが、立ち向かう。
これは武道を習ったことの無い者にも有り得ますよ。
親が子を守ろうとするとき、或いは他人が危難を迎えているとき、たとえ敵わなくとも
何とかしようと行動する人は居ます。
このような人は何故そのような行動を取るのでしょうか?
結局は、人の生とはどのようなものなのか、世の中に於いて人とはどう在るべきなのか
という問い掛けをしているということ、人間形成を目的とするということでは他の道と
違いは無いと思います。
ただ、武道は人の生死をより身近に感じ、考える事により上記の事柄を成すという
という点では他の道とは違うでしょうね。
以前に禅という言葉が出てましたが、例えれば武道は動禅とでも言えるんじゃないですか。
まあ、要するに貴方が言っているのは目的に至る幾つもの道を見て、隣の道と違うと
言っているように自分には感じられますが、どうですか?
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 07:28 ID:5zBpvITK
>>954 >以前に禅という言葉が出てましたが、例えれば武道は動禅とでも言えるんじゃないですか。
然り。
武道はまさに道禅。
武道とは禅の一つとして開かれた。
「道場」とは菩提樹の下のことであり仏法の修行場のこと。
ここでは「道」とは方法のことを指し、なんの方法かと言えば禅の方法だ。また、悟りそのものを意味する。
例えば武士道、
少し前に話題に上った葉隠だが、
葉隠には「長け高き心」という言葉が出てくる。
そもそも「長け高き心」は藤原定家らによって見つめられた和歌の極上の心のことだ。
それを山本常朝は「奉り置きたる此の身」が秘める「忍ぶ恋」の様相に見た。
『葉隠』聞書二には、こんなふうにある。
「恋の至極は忍恋と見立て申し候。逢ひてからは、恋の長けが低し。一生忍びて思ひ死にするこそ、恋の本意なれ」。
さらに「打見たる所に(一見しただけで)、其の人々の長け分の威が顕るるなり」とも言った。
これは和歌でいうなら、「無心」に対するに「有心」ということ。
「無心」からもう一度「有心」に進めることが定家の真骨頂だ。
つまり、山本常朝の武士道は、歌道や芸道の極みを引用し、それを重ねているわけだ。
果たして武士道の心構えとは他の道と比べてそんなに特別なものなのだろうか?
>>951 武道や禅に対する理解が足りないから武道と武士道とごっちゃにしているんじゃないですか?
956 :
アオリスギタカオル ◆zxp0MsqFoQ :03/08/26 08:01 ID:d8JaHg4f
>>954 武道の”道”は武術をいかに用いるかを説いているだけで、人間形成を説いているわけではありません。
空手に先手なしとか、精力善用とかありがますが、これは術の使用方法を説いているに過ぎません。
その中で、豊かな人間形成が行われる事もあるというだけではないでしょうか。
>親が子を守ろうとするとき、或いは他人が危難を迎えているとき、たとえ敵わなくとも
>何とかしようと行動する人は居ます。
>このような人は何故そのような行動を取るのでしょうか?
その方の人間性の問題だと思います。
>人間形成を目的とするということでは他の道と違いは無いと思います。
茶道も人間形成を目的としているのではなく、茶の湯という技術を用いていかに人をもてなすかを説いているのではないでしょうか。
それを行っていると、豊かな人間性がはぐくまれるというだけで。
自分を豊かな人格にしようとして茶の湯をするのではなく、どうやって相手を喜ばすか?の為に茶の湯をやるのが本来のように感じます。
茶道は専門ではないので、そのように感じているというだけですが。
>まあ、要するに貴方が言っているのは目的に至る幾つもの道を見て、隣の道と違うと
>言っているように自分には感じられますが、どうですか?
警察官が柔道ではなく、茶道を取り入れないことからも道の目的そのものが違うと考えています。
957 :
アオリスギタカオル ◆zxp0MsqFoQ :03/08/26 08:03 ID:d8JaHg4f
>>952 もちろんそうです。
戦う、戦わないの基準が武道の”道”の部分だと思います。
958 :
くらげ:03/08/26 08:11 ID:JdBuOu98
>>956 まぁ、そんなに反発しないで。道徳の『道』でもあるんですよ。
教訓を見出だそうとするのは日本人の習性でしょ。
たかが遊びのベースボールも野球道にしちゃうし。
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 08:15 ID:rW2vkRgu
道ってのは道教のもの
武道ってのは最近できたもの
自分の創造で言葉を適当に理解してはだめだよ
動禅や道をもちいて先人が守って来たのは武術
それを時代に合っていないとして否定したのが武道
また武士道と武道の近藤ですか?
961 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 08:23 ID:8zVGnAbb
>>959 きみは器量が狭いね。
なんでもかんでも自分のパラダイムに照合しないと気がすまないの?
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 08:30 ID:rW2vkRgu
器量もなにも
歴史がめちゃくちゃだろ
武術として積み上げたものを戦後否定して
武道として技を失伝させて組直してるのだよ
それを忘れて禅だの道だのは話にならならないだろ
963 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 08:45 ID:r+gxeeWI
>>963は、標本箱に採集された虫の死骸ばかりじゃなくて、
生きている虫も観察したらいいんじゃないかな。
武士道に於いて決してしてはならぬことってある?
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 11:52 ID:5zBpvITK
>>962 >歴史がめちゃくちゃだろ
>武術として積み上げたものを戦後否定して
>武道として技を失伝させて組直してるのだよ
おいおい
歴史がめちゃくちゃなのは君だろう。
>道ってのは道教のもの
剣禅一如を知らないのか?
>>956 >武道の”道”は武術をいかに用いるかを説いているだけで、人間形成を説いているわけではありません。
>空手に先手なしとか、精力善用とかありがますが、これは術の使用方法を説いているに過ぎません。
あなたは武道をとても中途半端に解釈していると思いますよ。
というか、本当に武道やっているんですか?
966 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 12:05 ID:5zBpvITK
>>957 >戦う、戦わないの基準が武道の”道”の部分
その程度の理解なんですか?
では例えば、それが武道の「道」の部分だとすれば、
武術はどうなるんですか?
逃げたり、戦うとも戦わないとも分からない態度をとったりするのも「武術」ですよ。
「道」に対するあなた程度の理解でも、戦う選択肢しかないというあなたの言う「武士道」とは違いませんか?
これは武術と武道に共通しつつも、あなたの言う「武士道」とは相反するものではないですか?
967 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
>>956 >自分を豊かな人格にしようとして茶の湯をするのではなく、どうやって相手を喜ばすか?の為に茶の湯をやるのが本来のように感じます。
これはまた珍解釈ですね。
そこで終わっていては茶道ではなく、おもてなし「術」でしょう。「道」である必要がありません。
日本人ならこの程度のことは常識だと思いますが、失礼ですが外国のかたですか?武士道に関しても外国人から見た憧れに近い感覚をお持ちのようですね。