211 :
愛の松明:
小濱先生。初めまして。
私はある街で合氣道の稽古を日々研鑽しているものです。
私は小濱先生のことはネット上で知りました。
素晴らしい指導者であると思っております。(正直、お師匠と呼ばせて頂きたいほどです)
昨今、日本中のあらゆる場所でカルチャーセンターなるものが氾濫していて、「稽古」と
いう概念が「Lesson」という言葉に置き換えられている感がありますが、私はそれを
嘆かわしい文化の衰退だと思っております。
たんなる言葉の問題として片づける人もあるかもしれませんが、武道(否、人間活動の全て)
にとりまして言葉で表現することの重要性は人類の行く末において重要だと思うのです。
つまり、あまりにの外来語が氾濫する中において合氣道の本来の礼節や謙譲の美徳等が希薄
になりつつあるわけです。
つまり、指導者としての師範がたんなるインストラクターといった認識になってしまっている
ことに大きな憤りと危機感を覚えております。
師範に内緒で他の合氣道場に通っていて知らんぷりしている者のおります。
これは感謝報恩の気持ちが日本人のメンタリティの中から削除されつつあるという
危機感・恐怖感なのです。
小濱先生、こんな混沌とした世の中ではありますが、こんな世相だからこそ、
本当に素晴らしい人材の育成を合氣道という場を通して実現して行きたいと存じます。
これからもよろしくお願いします。
212 :
小濱:03/07/02 21:37 ID:9fMvdNlI
愛の松明さん今晩わ。
道場というものの認識等については指導者の世代が変わればこうなってしま
うのかと愕然としたのはインターネットの世界です。
私が初段二段程度の人はお断りと言うことは、他の合氣道の技術が「交流」
にはならずかえって彼らの今までの身に付いた技術が崩れることを危惧した
からです。
>師範に内緒で他の合氣道場に通っていて知らんぷりしている者のおります
私からいえば論外です。きちんとお話しして許してくれるのであれば行けば
良いと思いますが、内緒で後で他の人からお聞きになれば「ここに来なくて
いいですよ。そちらで修行なさればいいです。」とその人の師範は仰ると思
います。
私独自の考えかもしれませんが私の技術は打突を含めて私の技術体系で完結
しています。そこに異種の技術が入れば武の素養、才能のある人であるなら
良いのですが稽古に来られる人達は普通の人達ですので簡単に崩れて使いも
のにならなくなります。
あえて内緒で他の合氣道にいかれる方に私の技術を伝える気持ちもありませ
んし、技術の崩れを是正する気持ちもありません。
私は私の合氣道であり、一緒に求める道を修行する人達が仲間です。
「勝手におやりになりなさい」というしかありません。
又、メールでお話致しましょう。
213 :
愛の松明 ◆HfD2XMemw6 :03/07/02 21:57 ID:0NLC6jAn
小濱先生
ありがとうございます。
先生のお言葉でさらに我が意を得ました。
正直嬉しく、また、さらなる研鑽をしなければと言う意欲が出て参りました。
これ以降はメールにてお話しさせて下さい。
ありがとう存じました。
合掌