今日はもう眠いのでこれぐらいにしときまつが、
例によって氣とか意とかの用語には流派間で意味の広さや内容に差があり、
まして合気道でいうところの気とはかなり違うことが確認されています。
私の話はあくまで私の師伝と私の悟った境地に過ぎないのであり、
他者を否定するものでも他派でそのまま通用する保証も無いことを
あらかじめお断りしておきます。
基本的に「氣」は「意」がつかさどるものであることはすでに語ってきたとおりですが、
果たして氣や意の正体は何か?具体的な存在なのか?というディープな話題は避けてきたのです。
ここでも語れる範囲でしか語れませんが、少し触れておいたほうが、
後々サロンのためになるかと思い、書くことにしまスタ。
本質論の前に現象面から、特に今話題の情報の伝達における媒体として観察した場合について
お話していこうかと。
その伝播のスピードについて言及するなら、
実は氣の空間における速度は非常に遅いものであります。
例えていうなら(ここにヒントがありまくりますが)
ヒトの体温だのオナラ(笑)のニオイだのが伝わるような遅々としたスピードです。
しかし、一旦その空間が氣で満たされると、
その満たされている状況を利用した情報や性質の伝達は早くなります。
また電流はある単一の電子が電線の端から端まで移動しているのではなく
電線の端の電荷に加減が生じると、反対側の端にもそれを補う変化が生じるということに
非常に似た現象が「氣」で満たされた空間や物体に起こります。
一方、「意」の速さというものは光の速度に等しいのではないかとされる解釈と、
哲学的には光の速さを凌駕しているという解釈もあります。
某師の有名なセリフ「月に想いをはせる我々の念(意)は光のスピードより早い」や
過去にも未来にも想いをはせる人間の思考そのものに関する解釈です。
まぁ、そのような話はディープ過ぎるので、ここでは氣よりは速い、とだけにとどめておきましょう。
とにかく氣と意を明確に別物として扱わない限り、
世に氣の実験、測定と称して行われているものに関して、
実は意の実験、測定を行ってしまっていることと、氣そのものとの扱いを混同しているが故に
正しい結論が導けなくて、「トリック」「気のせいではないか」とか否定する方向に傾いてしまうことが多いのです。
とりあえず、時前に察知したナニについては、受け取り手の能力についても言及しなければ始まらないとはいえ、
大きく2つに分けると「そこに満たされた氣を察知」「相手の意を察知」になるのです。
※号砲の音だとかその光だとかは一応ここでは「時後」の扱いです。
ではまた明日。おやすみなさいでつ。
>猫ださん。
ああぁ、なんか凄く良く分かるぅ.....。「気配が飛んで来て伝わる」んじゃなく。
まず「向き合った二人の間に『ある関係/空気』が成立する」と。「それ」が意に
応じて変化する、と。これ正しいスカ?
イヤしかし凄いな....。コレ、恐らくサロン全編中で一番価値のあるトピックスになるんじゃ
なかろか。諸氏に感謝感謝.......。世界陸上のドラエモン選手にも感謝。君がコースで
「ごろん」してくれなかったら、この展開は無かったかも.....。