956 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/08/31 23:15 ID:hthSotB0
さて、光の速さを超える情報の伝達はありえませんが、
その<光を発する装置の操作をまさにこれから行うよ>という情報が
光が放たれる前に、つまり時系列的に単純に「時前に情報が届く」のであるなら
タイミングをも予知して、先に充分な対策や始動が可能ではあるワケでして、
問題はやはり、ナニを時前に察知したのかという点にあります。
957 :(A'×')∬本屋さん ◆caBOOK.ejo :03/08/31 23:34 ID:5620MmOz
彡つ
し〃'×') ワーイ♪
958 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/08/31 23:54 ID:hthSotB0
今日はもう眠いのでこれぐらいにしときまつが、
例によって氣とか意とかの用語には流派間で意味の広さや内容に差があり、
まして合気道でいうところの気とはかなり違うことが確認されています。
私の話はあくまで私の師伝と私の悟った境地に過ぎないのであり、
他者を否定するものでも他派でそのまま通用する保証も無いことを
あらかじめお断りしておきます。
基本的に「氣」は「意」がつかさどるものであることはすでに語ってきたとおりですが、
果たして氣や意の正体は何か?具体的な存在なのか?というディープな話題は避けてきたのです。
ここでも語れる範囲でしか語れませんが、少し触れておいたほうが、
後々サロンのためになるかと思い、書くことにしまスタ。
本質論の前に現象面から、特に今話題の情報の伝達における媒体として観察した場合について
お話していこうかと。
959 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/01 00:15 ID:imySJV2I
その伝播のスピードについて言及するなら、
実は氣の空間における速度は非常に遅いものであります。
例えていうなら(ここにヒントがありまくりますが)
ヒトの体温だのオナラ(笑)のニオイだのが伝わるような遅々としたスピードです。
しかし、一旦その空間が氣で満たされると、
その満たされている状況を利用した情報や性質の伝達は早くなります。
また電流はある単一の電子が電線の端から端まで移動しているのではなく
電線の端の電荷に加減が生じると、反対側の端にもそれを補う変化が生じるということに
非常に似た現象が「氣」で満たされた空間や物体に起こります。
一方、「意」の速さというものは光の速度に等しいのではないかとされる解釈と、
哲学的には光の速さを凌駕しているという解釈もあります。
某師の有名なセリフ「月に想いをはせる我々の念(意)は光のスピードより早い」や
過去にも未来にも想いをはせる人間の思考そのものに関する解釈です。
まぁ、そのような話はディープ過ぎるので、ここでは氣よりは速い、とだけにとどめておきましょう。
とにかく氣と意を明確に別物として扱わない限り、
世に氣の実験、測定と称して行われているものに関して、
実は意の実験、測定を行ってしまっていることと、氣そのものとの扱いを混同しているが故に
正しい結論が導けなくて、「トリック」「気のせいではないか」とか否定する方向に傾いてしまうことが多いのです。
とりあえず、時前に察知したナニについては、受け取り手の能力についても言及しなければ始まらないとはいえ、
大きく2つに分けると「そこに満たされた氣を察知」「相手の意を察知」になるのです。
※号砲の音だとかその光だとかは一応ここでは「時後」の扱いです。
963 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/01 10:20 ID:ej6EjIZH
氣の正体を電気だとか磁気だとか熱だとか科学が解明している物質や現象に当てはめるのは
科学的に正しい手法であるようでいて、しかし認識の方向性としては正しくない、と言えるのです。
いままで科学の正しさを前面に出して語ってきた猫だニャンが宗旨変え?
いえいえ。そうではありませぬ。
元来「氣」とはその言葉を生み出した現象・状態=まさに氣そのもの、
その意味合いは、実体の無い概念ではなく、
科学がなかった、あるいは実体を科学的に解明できなかった時代に
氣という概念を用いることで、
現象を説明しえたいくつかの当時の学問や
人々の認識にとって
まさに必要とされ、必然的に導かれた根源的な概念なのです。
すなわち東洋、いや中国→日本には氣という概念が先にあって
後に作られた言葉・発見された理論や物質としての各々に
<雰囲気><電気><磁気><気体>などの言葉があてがわれ、
それらに<氣>という文字が入っているのは、
それらがまさに「氣の一側面を現すもの」「氣に似た性質を持っているもの」として
適合するからそう名付けられたのに他ならないのです。
このことは当たり前のことのようですが、あえて改めて抑えておきたいところです。
例えば「氣の正体は電気である」という前に、電気という単語が生まれたのは
<エレキテル>とは科学的には〜であり
それは我々が知るところの氣のようなものである。これを「電気」と呼称する。
という認識だったのではないかと。
964 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/01 14:04 ID:ej6EjIZH
で、氣の科学的正体を探る作業は人体科学とか学会の連中にお任せ(笑)しといて、
我々形意拳の門人としては、先人が氣をどのように認識し、
どのように活用することで実力UPや実戦に役立ててきたのか、
それを継承理解して身につけることが一、
その上でなおその正体が「気になったら(笑)」大学の研究室に引き籠ればオッケーでしょう。
さて氣というものは意につかさどられ、逆に力をつかさどるものであることを
すでに内三合の教えによって学んだわけです。
力というのはもちろん物理エネルギーですから、
氣の働くところに振動やら熱やらニオイやら静電気やら磁気やら光やら音やらが発生したり変化して当たり前です。
要は場の空気が変わるわけです。これはさしてトレーニングされていなくとも感じることができるもので、
しかし氣そのものを感知しているのではなく、氣によって変化の起きた、そこにある空気や情報といったものを
遅れて読み取っていることになります。これでは「遅すぎる」のです。
965 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/01 14:45 ID:ej6EjIZH
俗に氣感などと称してワークショップその他で行われている
「掌と掌の間にフワフワした氣を感じる」とかの類は
すでに氣が引き起こした物理現象としての熱や静電気や磁気だったりする場合いと
本当に氣としての交感作用が働いている場合との区別がつきにくいものです。
なまじナニかを感じてしまうと「おぉこれが氣かっ!」と勘違いして、
武術の本質から離れていってしまうケースが多いのです。
966 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/01 15:09 ID:ej6EjIZH
参考までに…
時間の経過とともにだんだん強まるような「氣感らしきもの」は
氣の引き起こした結果としての現象を感じている場合がほとんどです。
それに対してリアルタイムにガラッと変化する感覚(熱→冷など)は
本物に近いと言えましょう。
それらは直接神経系に作用しますから、背筋がゾッとしたり、
血の気が引いたりする時と同様、明確であり、
コントロールされているものは一点に集中していたりと具体性があります。
氣は意によってつかさどられ、意の作用の結果としての氣が具現化し、
それ=氣を感じることは、意を感じることよりもたやすいのです。
それは
力が氣によってつかさどられ、氣の作用の結果としての力が具現化し、
それ=力(熱・静電気・圧力…)を感じることは、氣を(直接の氣感として)感じることよりもたやすいことに全く同じです。
その最も身近な例は視線です。
視線は、その焦点となっているポイントへの意識の集中、すなわち意の作用そのものですから、
その結果、そのポイントには氣感が発生します。それを感じることを「視線を感じる」というのです。
鋭い視線なら、具体的に見られているポイントがわかるのです。
もしも掌と掌の間で氣感らしきものを感じられる、というヒトは、
自分自身の視線を掌に送る=掌の一点を見つめて、
そのポイント=見る位置をずらしてみるとよいでしょう。
徐々に現れる熱感などよりも明確で、リアルタイムの反応が得られるかどうかです。
967 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/01 15:16 ID:ej6EjIZH
そしてすぐに確認できることですが、
視線(目で見ている焦点)そのものが氣感を引き起こしているのではなく、
視線にのせた「意」こそがそれを引き起こしているということになります。
今度は見つめるポイントをうごかさないで、意識だけを動かしてみるのです。
例えば右手を見つめながら左手に意識を向けるのです。
するとあたかも左手を見つめたときのような氣感が発生するのです。
968 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/01 15:23 ID:ej6EjIZH
ところがこれは意が引き起こした氣感であって
意そのものではない…
つまりどのような意であるか=相手がナニを考えているかまでは
とてもではありませんが、読み取れないのです。
せいぜい、いやらしい視線を感じるとか殺気を感じるとかが関の山です。
もっとも2chには電波なヒトがたくさんいて、
相手がナニを考えているかを察知するぐらい朝飯前なのかもしれませんがね(笑
970 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/02 00:59 ID:kcgVDiTg
晩安。
意の正体の話はこれまたディープなので、とりあえずほっときまして、
俗に「透視」「内視」などと称されている、身体内部を凝視するかのごとき
意識のおき方=身体内部を意識する、ってやつについても同様です。
意識をそこに向ければ、氣感を得ることができます。
「丹田を意識する」だの「軸を作る」だの「チャクラが…」だの「ディレク…(笑)」だのみな同じです。
意識をそこに向けなければ意識できないし、
そこに意識を集中させれば結果的に氣が現象化し、気によって熱だの圧だのが現象化するのです。
問題は、
丹田に意識を向けた結果得られる氣感と、
氣沈丹田が出来るようになり、それを実感できるということは、
全く違うものである、ということです。
小周天の道順にそって意識をグルグルまわして氣感の移動を得られても、
それは本物の小周天ではない、ということです。
意識を向けるポイントを単に移動して任脈と督脈をなぞっただけに過ぎません。
しつこいようですが、
意が作用すると氣が生成消失加減変化するのが理ですから、そこに氣感を感じて当たり前なんです。
しかしそれが氣を目的にそってコントロールしたり生成したこととイコールとは限らないのです。
もちろん、この目的となるポイントに意識を向け、感じることが、
入口であったり、功を練ることの助けになったり、センサーやアンテナ機能を果たすことは言うまでもありません。
973 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/02 01:14 ID:kcgVDiTg
昨今は情報が氾濫し、ヨガでも武術でも、やがて到達すべき身体感覚について
無責任に公開され、垂れ流されるような時代になりました。
昔は秘伝とされていたものが、です。
高いお金を払ったり、苦しい修行を何年も続けたり、師の信頼をかちとらなければ
決して得られなかったようなものが、安易に手に入るようになったのです。
みなさんにとっては一見ウレシイことのようですが、
実は正解を先に知っているということが、
かえって修行の成就の妨げになっているケースが多いということも
しっかり認識し、常に自分を戒め、自門自答していかなければならないでしょう。
人間の想像力というか、妄想力というものはハンパなパワーではありません。
ありえないことをも想像捻出し、偽りの虚構、あるいは闇の世界へと
いくらでも堕ちてイクことが可能なほど「自由」なんです。
974 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/02 01:21 ID:kcgVDiTg
ましてやナニかを感じたり見たりしちまったがために思わず
「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!」
っと喜んでそれを鵜呑みにしてしまうと、
思わぬ落とし穴が待っているのです。
極論、予備知識が一切無く、氣を感じるトレーニングなど一切せず、
まず正しい姿勢・動作を黙々と数年かけて師父に仕上げていただいたほうが、
将来必要となる内勁・内氣を正しく早く身につけることが可能だったりします。
977 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/02 01:38 ID:kcgVDiTg
ただし、武術には救いがあります。
それは
結局身体を動かして実践し、技がかかり、威力が出て、相手に勝つことができないなら
それは武術ではありえないのだから、妄想の虚構など所詮長続きしないということです。
最も最近は5年10年とまがい物を信じつづける被害者も多いようですが…
978 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/02 01:48 ID:kcgVDiTg
形意拳も、なまじ武芸から道芸への昇華、内家拳としての確立など、
一線を超えて進化してきてしまったが故の問題を抱える流派になってしまったことは事実でしょう。
だからこそ、
ウチの師父は常に過酷な現実としての肉体的苦行を肯定し、
非科学的な表現を忌み嫌ったのです。
981 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/02 12:23 ID:l6KN3VBV
少しお話を前に戻しまして…
氣が空間を満たした場合のことについて。
ヒト独りその場に居るだけで、意の働きを営む人間がソコに存在するだけで、
氣は生成し、集中し、あるいは拡散していきます。
※意の働きにせよ、氣の働きにせよ「集中と拡散」は大事なキーワードになります。
站椿を長時間やる理由のひとつは、その空間を意図した状態の氣で満たすことにあります。
特に屋外で自然の中で練ることができなくて、
部屋の中やコンクリートで覆われた樹木一つない公園などで行う場合は
カナーリ必然となるのです。
さて、空間がおのれの氣で満たされる、ということのみなら、
自分を中心に生成したものがジワジワ拡散していった結果か、
あらゆる方位・距離に対し、アンテナのごとく自分の意識を向けて張り巡らせた結果いたるところに氣が生成変化したのか
その複合か、ということになります。
対戦相手と対峙したなら、相手の意につかさどられた氣と自分の発した氣が干渉してその場の空気が出来上がります。
そこに審判がいれば、観客の視線が集中すれば、その舞台が大きければ大きいほど、
そこに出来上がる「場」の密度・エネルギーポテンシャルは変ってきます。
それを上手く利用する選手、プレッシャーに負ける選手、
一切を遮断して平常心・日頃の実力をそのまま出すことに専念する選手、など様々です。
983 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/02 12:44 ID:l6KN3VBV
また身体外部に一切氣を漏らすことなく行動することも可能です。
さて
まずは空間が氣で満たされた場合に限ってお話すると、
これはもうお風呂に入っているようなもので、
そこに何かを投げ込むと水面には波紋が広がりますし、
水中で腕をかくと水が動くことによりその圧を身体で感じたり、
水中を音や光が伝わるような性質と同様、屈折や反射に似たことも起きます。
もちろん直接光に作用する物理現象ではありませんが、
ヒトが大きく見えたり小さく見えたり、その位置に居る様に思えて実際にはわずかにズレていたりなどと
<感じてしまう>理由がそこにあります。
それらは皆<氣のせい>なんです(笑。
984 :名無しさん@お腹いっぱい。 :03/09/02 12:53 ID:NQ3XJ7i6
おあとがよろしいようで(ぇ
985 :(A'×')∬本屋さん ◆caBOOK.ejo :03/09/02 13:41 ID:QoeG5S+c
勉強になるなぁ.....。
結局僕、ずーっと内気のことばっか考えてて。こっちはいわゆる今の生理学
なんかでどうにか解釈出来そうな領域だし。反面、外気のことってあんまり
探究して来なかったんですよね....。そっちはもう、逆にあんまり考えたり
人に話すのは避けて来たというか。神秘主義一辺倒の自派にウンザリだったと
いうか。
986 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/02 15:04 ID:l6KN3VBV
そう、外氣の話をしてるのは、
神秘主義とか宗教とか気功とかヨガとかそういうものと形意拳は違うものです、と。
たとえ将来科学が完璧に解明して繋がりがわかったとしても
形意拳(や太極拳や八卦掌)は、あくまで独自に(ま、道教との関わりは否定しませんが)
意や氣を捉えてきたのであり、
その成果は内三合の教え、明暗化三層の教えに反映され、全体として形意拳そのものを成している、
ということを理解していただき、その他と区別したいからなのです。
987 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/02 15:13 ID:l6KN3VBV
外気といえば現代では気功治療が有名ですが、
気功なんてものは私が武術をはじめたころにゃありませんでした。
気功師なんて職業は比較的新しいモノなんでつ。
この気功師でさえ、意と氣の区別がいいかげんだったりして…
外気放射とか患者を遠隔コントロール(患者の背後から氣を送って腕をうごかすとか)するとか
いろいろな技を使っていますよね。あれは一体何なのかと。
988 :名無しさん@お腹いっぱい。 :03/09/02 15:24 ID:/m13Ssh/
一体なんなの!?
教えて!意なのね!?
989 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/02 16:39 ID:l6KN3VBV
本来意念を自在に操って氣をコントロールできるレヴェルの高い方なら、
パフォーマンス的なことは蛇足でしかありません。
患者の自然治癒力を呼び覚ますような刺激を与えるために意念を用いれば充分でしょう。
外気放射で治療するなどと言いますが、氣を放射すれば当然熱感や静電気感で
「ナニか効いてる気がする」程度のことをありがたがっても仕方ありません。
そしていわゆる氣を送るだの通すだのは、受け取り手にその能力が無ければ
たいした効果が期待できないのは、氣でヒトを吹っ飛ばすパフォーマンスと全く同じ理屈です。
従って、まずは氣に感応し、受け入れ、通りがよい体質になるように患者を鍛えることが必要になり、
外気放射に感応したりキャッチボール的な訓練が必要となるのです。
ここでも氣に直接感応できなくとも患者と気功師の間にジワジワと氣が満たされた後は
「なんだか暖かいものをだんだん感じるようになりました先生!」
みたいなことになって後ろから手で<あおがれる>と
「先生わかります!これが気ですね」と温度上昇した空気の流れ=風を感じて
つられて自分の腕を動かしてみたりして、ご満悦の患者さん。
この程度の茶番劇もカナーリあったりします。
本物であれば…前にも書きましたが、相手の神経系に直接作用しますから、
事故などで後天的に神経が通わなくなった肢体不自由者の機能回復に関しても、
時間をかければすこしずつであっても結果が出る場合があるのです。
ただ現場の方に言わせると、何のパフォーマンスもしないで治療して直すと、
本当に先生のおかげで治ったのではないのではないかと疑われたりして、
「何もしないのに1回数千円も取られた」とか悪口を言う酷いヒトもいるので、
対策のために敢えて本来は不用な氣感を味わせてやったり
パフォーマンスチックなことを披露する場合もあるとか?
991 :名無しさん@お腹いっぱい。 :03/09/02 17:03 ID:GyoRhmCy
>>974 ちょっと、失礼。
ここの16を書いた者でつけど。
あらゆるものからの解放☆新体道・・・
http://sports.2ch.net/test/read.cgi/budou/1062213602/ 「そういうこと」ではないかとおそれているのですが。
他人のことだから、ほっときゃいいかもしれんけど、こわい。
ご意見もとむ。
992 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/02 17:41 ID:l6KN3VBV
で、コレで書くのは4度目くらいになるかと思いますが、
氣で相手を吹っ飛ばそうとか、意念を用いてフェイントとか、が通用するのは、
あくまで相手に感応能力があって、かつ自分よりレベルの低い相手にしか通用しませんから、
そんなものを奥義だとか高級技法だとかありがたがっているようではもはや武術ぢゃないのでつ。
ましてや意を持たない、気の作用が現象化しない、マネキン人形が相手の場合は、
意念を用いて引進落空でころがしたり、
手も触れないで氣のパワーで数メートル吹っ飛ばすことなんかできないんですから。
993 :名無しさん@お腹いっぱい。 :03/09/02 17:45 ID:NQ3XJ7i6
>>992 >意念を用いて引進落空でころがしたり、
>手も触れないで氣のパワーで数メートル吹っ飛ばす
んと、人間相手だとできるんですかね、猫さんとかは?
994 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/02 17:52 ID:l6KN3VBV
>あらゆるものからの解放☆新体道
青木センセがどんだけ凄いか、んなもん知らんけど、
あらゆるものからっつーのはありえないよね。
新体道を修行しなけりゃそうならないんだったら、
<新体道の修行>からだけは開放されないんだよね。
俺お題目が武術から超越しちゃってるのヤなのね。武道ってのはみんなそう。
開放やら能力開発のための殺傷術ぢゃないのよ。
純粋に制敵殺傷の威力や効率の追求が主体なのな。武術は。
副産物をありがたがる氣は全く無し。副産物から宗教とかひけらかすヒトはきらいでつ。
997 :猫だニャン ◆lKnekodaJo :03/09/02 18:11 ID:l6KN3VBV
993
>>意念を用いて引進落空でころがしたり
太極拳のセンセならやる人ゴロゴロいると思われ。
条件が整ってリャできます罠。
>>手も触れないで氣のパワーで数メートル吹っ飛ばす
んなもんやりません。