>意拳は形意より、浸透する力は出しにくいと思うし、
>一撃で人を撃ち殺せる貫通力も得にくい
御存知の通り、形意の進歩には「明勁・暗勁・化勁」の三段階がありますね。王師の体系は
初めから「暗勁」及び「化勁」を練ろうとしているんです。当然、形意の「明勁」に見られ
るような明確な勁道は外から見て取ることは出来ません。が、その実体は明勁に熟達した
形意の術者が次第にその動きを小さくしていき、もはや跟歩も脊椎のうねりも胸部の開合
すらも判然としなくなり、呼吸のみで打っているが如く見えるようになる、「それ」なので
す。浸透うんぬんは、一度意拳の指導者クラスにヘド吐かされてから言って頂きたいものです。
彼等の発力を疑う向きは、自らの発力とその根本的理解をも否定することになってしまう
んです。ね?これ不毛でしょ?やぶ蛇でしょ?
>(形意と比較して意拳は)瞬時の多方向への攻防はやりやすいと思う。
五行しか練習していない内はそう感じられるやも知れませんね。しかしそれでもなぜ横拳
は正面に打たないのか、五行それぞれに附随する「回身式」の意味するものは何なのかと
いった所を真剣に考えれば、こういう疑問は起こらないハズなんですね。形意ではさらに
十二形・連環拳・雑式捶・八式拳などで様々な方向への技や力の運用法を学び、最終的
には形にすら捕われずにそれを随意に発露する段階を目指します。それは王師の体系の
目指すものと寸分も違わないのです。形意の身体操作を否定して意拳のそれのみを評価
するのは、形意の体系と、そこでの自分の現在地を見失っていることを意味してしまうん
ですよ。ね?これ不毛でしょ?やぶ蛇でしょ?