竜明宏老師の台湾拳法スタイル

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1石神井公園
練馬の拳法家”竜明宏”先生の技術を忘れてしまうのは惜しい!!
と思う人、元弟子だった人!!ネタ下さい
2名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/06 01:30 ID:+k323IFL
0さんですか?
3名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/06 01:42 ID:3Rv0b6jc
しかし弟子なりが活動してないなら、一代で終わってるかも。
活動してるんですか?
まずはタイトルの竜明宏氏のプロフ希望。
40です:02/04/06 07:31 ID:wyyvM4B/
2 :・・・です(笑)

3 :活動してるんですか?>>それがわかんないんだよなー
竜明宏氏は・・日本人ですが親が台湾で精糖工場を経営していたため台湾で育ちました
小柄で病弱だったため、近隣の武術家”陳金獅”とゆう人物から拳法を学びます
ただこの”拳法”は少林拳と言っておきながら台湾古来の拳法だったようで、名称に矛盾があります

技術として白鳥(パク)、猿(エン)、蛇(ダ)、象(ショウ)、鶴(カク)、虎(トラ)の像形拳
刀から作られた双刀技、肘攻撃の猿臂、掌打を多用する梅花、蓮受けとゆう防御法がでてくる太祖、
台湾在来の拳法で貫手、を多用する有無拳(ウボー拳)、あと竜氏創作のナイハンチ、パッサイがあります
そして非常に完成度の高い散打技術があります。
陳先師は非常に体格の大きい人物でしたが、(師兄弟も同様)竜氏は小柄であったため
自分で創意工夫した技術を発展させました。
喧嘩好きで動きが素早く豪快な性格でしたが今から9,10年まえに死去されました
練馬の石神井公園で多数の弟子を育てましたが・・・其処から先はどうなったかわかりません

5名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/09 01:28 ID:GN0euAPz
強そうだったけどヘンクツじいさんで地元からはヒンシュク買ってた。
「ふぁかかアリア(バカかあれは)」とか他流を批判しまくってた。
6劉家成:02/04/09 03:02 ID:vTak7MWR
私が龍先生から指導を受けていたのは約20年前の2〜3年で、
練馬の石神井公園ではなく、当初は方南町の公園で個人指導。
あとから杉並区の和田掘公園(地元の人は大宮公園と呼ぶ)
でした。その後、石神井公園で指導されていたのでしょうか?

たしか、太さ1,5センチ、長さ50センチほどで両端にスッポ抜け防止と
重りの役目をするボルトを付け、それを両手に持ってバトンのように使う
盤羅(ばんら)棒という変わった棒術や、釵やヌンチャクもありました。
特に抜手技や擒拿術はとても優れていて実践的だったと記憶しています。
初見氏の弟子なんかも熱心に練習に来ていましたね。。

当時、高校生の娘さんがいましたが、彼女が伝承してる可能性もありますね。。
(その可能性は極めて低いですが。。)あと、龍先生の愛弟子だった春日氏・・
彼は呉一味から嫌がらせを受けて、その後、吉祥寺の家から行方不明です。
7名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/09 03:26 ID:rOD+ufGX
しかし凄い人もいたもんなんですね〜。
地方在住者で全然、知らなかった。
呉一味の嫌がらせ・・・全くロクでもないなぁ。
行方不明ってーーー穏やかでないなぁ。
8名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/09 03:43 ID:u1tTEC9Y
通称「大宮公園のじいさん」と呼ばれていました。
やはり動きや技は見事なもので弟子も強そうでした。
いかにも中国と言う雰囲気の練習でした。
でも当時60くらいなのに、70以上に老けて見えました。
痰を吐くとニコチンのようなまっ茶色で、健康状態は
優れないようでした。
9名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/17 01:42 ID:OylX471D
age
10名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/17 16:58 ID:UqmvD0Wu
「空手なんて、あんな角張ってて役に立つか!」とか、
「本なんて見てやってモノになるか、モノに!」とかいってて、
「わしゃ本も出した事あるんじゃケケケ!」とか言って
結構面白くてかわいいじいさんでした。
11名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/07 14:07 ID:888CBPIl
あげ
12竜明広:02/05/11 17:27 ID:/uNbceGV
首を梅花でバクーンと打つんじゃ!!
13竜明広:02/05/11 22:57 ID:yHbdbSZh
わしゃぁ、ちょっと駅前でぜんざい食ってくるから・・・
練習しとれよ
14名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/19 23:01 ID:2TLqVPcF
ん?
500円スレの続きですか?
15名無しさん@お腹いっぱい。
あげ〜