サンフットってなんだべさ?パート10

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282オレンジ・タイチ
 みなさん、新年あけましておめでとうございます。

   コンシー・ファッチョイ!  シンニェン・ハオ!

 ゆうべ、また来ると言い残しつつ、温泉ランドでK−1vs猪木軍を見たあとまた温泉
つかって、そのまま仮眠室でまたねてしまった・・・。
 ここは、八王子の駅前に最近できた天然温泉ランド・ビルです。昨日にひきつづき、ネキサとここに
いりびたってます。・・・・まあ、ふだんトラックで寝泊りしてるんだし、正月くらいは羽をのばさんと・・・。
マンションもどってもおれのテレビ、ビデオしか映んないんだもんね・・・。
283オレンジ・タイチ:02/01/01 09:22 ID:1z8KQuzp
さて、K−1vs猪木軍の試合、ふだん格闘技雑誌の写真でしか見られない有名選手の
動きを見れて非常に興味ぶかかった。(フルタチ・イチローの選手の神経逆撫で寸前の辛口、選手紹介には苦笑したが・・・)



さて、昨日の試合、やはりダントツですごかったのはプロレス・キラーのミルコ・クロコップだった。
あの強さは、雑誌の写真ではやはり、つたわりきれないね・・・。けた違いの強さだった・・・。

シリル・アビディ対ドン・フライは試合前から、筋肉の絶対量に差がありすぎるので、アビディがかわいそう
だと思っていたが、前半、絶対絶命の寝技からのがれたところは、おどろきだった・・・。
ただ右目がパンチで腫れてふさがってしまい、再開後はあっさりタックルからうつぶせでマウントとられてタップしていたが・・・。
しかし、アビディのふたりの幼子の映像とか見せられてたから、かわいそうだった・・・。
ルールで目を狙うのは反則にすべきだと思う。
 もし、あれが原因で網膜剥離にでもなったら彼の選手生命はどうなってしまうのだろう?
無責任に過激さをもとめるファンにも責任があるとおもう。

 わたしの意見は、目に障害をおわせる攻撃は、人道にもとるので厳重に管理すべきだ・・・
というのがわたしの見解である。
284オレンジ・タイチ:02/01/01 09:42 ID:1z8KQuzp
 さて、各試合中もっとも世間からはブーイングをあびていたのは高田であるが、
目先の現象しか追い求めない、格闘技ファンにとっては、彼の試合は毎度、歯がゆい試合のように
見えるかもしれない・・・。


 たしかに、「マーシャル・アーツ的対応」としては、そのとうりなのだが、あれは
「ソーシャル・アーツ的対応」としては、極意に達した動きである。
サンフットの理想とする「相抜け(敵にうたれず敵うたず)」の境地とは、実は昨日の高田
の動きに近いものである。

 もちろん、観客にしてみれば退屈極まりない、こしぬけどうしのフェイントのかけあいのように
しか、見えないかもしれない・・・。

 しかし・・・、である。舞台を試合場から、実社会のトラブルの場におきかえてみよう。
ソーシャル・アーツは、なるたけまわりから「ケンカに見えない闘いかた・・・」をベストとする。
 もちろん、あっさりカタをつけてなにごともなかったようにおさめるのも、ひとつの理想だが、
あいてとの、コミュニケーションとして、あいてのエネルギーを消耗させながら、「なぜ、おまえが
まちがっているのか?」を結果として、悟らせる・・・つまり、負の感情エネルギーを昇華させて、
やるソーシャル・アーツ的対応のひとつのパターンに近かったのである。(もっとも、あと2ラウンド
はやらせるべきで中途半端ではあったが・・・)
 そして、ソーシャル・アーツの場合、まわりからみても、あそんで、じゃれあっているかのようにしか見えない場合がある。
これが、観客第一主義のマーシャル・アーツと、あいての昇華させる武道「ソーシャル・アーツ」の違いである。
285オレンジ・タイチ:02/01/01 09:46 ID:1z8KQuzp
ただ、ソーシャル・アーツは基本的に一対一のもので、対複数の護身術としては
マーシャル・アーツ的対応と、状況判断、タンカによる、まわりとのかけひきなどの、
マーシャル・アーツを併用しながらの口をつかったソーシャル・アーツ的対応が重要となる。

要は、なるたけ、非暴力、なるたけ、省エネルギーに、いさかいを収めるのがソーシャル・アーツ
の法則である。
286オレンジ・タイチ:02/01/01 09:52 ID:1z8KQuzp
・・・なんて、えらそうなこと言ってるけど、オレもまだまだ理想には程遠いんだけどね・・・。(笑)
ふだんの練習では、昨日の子安選手のようにおしこまれることもあるし・・・。

 つまり、ソーシャル・アーチストでもふだんから練習としてはマーシャル・アーツに親しんでおくことは大切なことだということだ。
ようは、格闘技を身につけつつも、実社会の護身として、もちいるときは、あいてを傷つけないように用いることが大切だ・・・ということだ。
 そして、相手を制するだけではなくて、相手をおもいやり、なぜ相手がそうしているのかを判断する能力が大切である。