少林寺拳法と北禅(2)

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782名無しさん@お腹いっぱい。
とっても元気なホムペを見つけてしまった。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/7438/nisesyourin.htm
「だから少林寺拳法じゃねえってば!!」

〜前略〜
その証拠は技法上のものなどいくらでも出てくるがまずいちばん簡単なものを挙げよう。
それは少林寺拳法では「愛」が語られているということである。なぜならば「愛」は
仏教では男女間の性愛や執着などを表し、否定的に捉えている。
〜中略〜
つまり宋道臣は平気で「キリストの愛」を説いていることになるのだ。それはまた嵩山
少林寺で「禅宗」を学んだどころか仏教思想に触れたことすらないということである。
〜後略〜
783名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/26 02:17 ID:4B9p1KFE
ちなみに開祖は自信が嵩山少林寺で禅宗を学んだなんてどこにも書いてないと思う・・・
このコンテンツのほかの内容も全て激しい思い込みからの曲解なのだけれど、
ただ一つ、上に引用した「愛」の用法には私も少々引っかかるものがあったので
またちょっとだけお勉強してみた。

すると、伝統的な仏教用語の中にも「愛」を慈悲に近い意味で使っている例が
いくつか有ることがわかった。
例えば有名どころでは「和顔愛語」が無量寿経とかいう浄土系のお経に
出てきたりする。
もちろん力愛不ニの「愛」は与える愛だと言うことなので、意味としては慈悲と考えて
間違いないはずだけど、その使用法も実は無理やりというわけではない、みたいな。

参考URL
http://www2s.biglobe.ne.jp/~posteios/PROJ_C023.htm