「赤い糸」は学校教育に有害

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1名無しさん
学校教育に有害な情報を与える「赤い糸」許せません意見を多くお願いします


2名無しさん:2009/01/23(金) 10:39:17
「赤い糸」の映画を見て携帯小説っていう文化に早く廃れてもらいたいと心から思います。ドラマも映画もそれに汚染されていくのが悲しい。携帯小説
って性への興味と傷つく事と死んじゃう事この三つで盛り上がりたい若い子の巣窟。何読んでも同じで最悪。それがどんどんテレビや映画になるのは日
本の制作者の低迷。大世離れな原作を、まんま世に送り出す事はしなかった。つまり、映画はとてもマイルドである。過激なアレもない。しかし中学生
に有害な情報は十分に注いでいる。ご周知の通り、原作は『今の中学生ってここまでアレなの?』の、ド自堕落さがとにかく目に付く。ドラッグやアッ
チ(過激性描写)系の連発。比喩的表現、文脈で人を惹き付ける事もせず、ただもう乾いた表現で、ショッキングな事も加わり、それは覗き見的な、禁
断の世界の興味を引く(多分)。“キワもの”と言って良し。例えば他の作品なら、バンド活動やスポーツの中に青春像を組み込む。“好いた、ハレた”以外にチャンと見せ場を創る。対してこの物語は“恋愛の他に見せ場がな
い”。“ムキ身”のテーマとでも言おうか。ずーっと『好いた、別れた』の世界。それはそれで良いのだが、それだけじゃ話にならない。結果、ドラッ
グやアッチ(過激性描写)系の話で刺激を与える。それが受けた…それだけの事なのだ。『赤い糸』はそうだった。ただし児童ポルノほうはケータイや
インターネットの小説にも大きな影響は与え過激な性描写ものは控えるように警告が出てからは、続編高校生編「赤い糸destiny上・下」「赤い糸preci
ous」完結編では並の大人しい表現に変わってしまっている政府の命令では作者、中宗根泉さんもかなわなかったようだ。『コレって実話って噂』の声
もあるらしいが、どうなんだろう?実話なら、手間のかかる小説にせず、ドキュメントとして発表した方が、よりセンセーショナルだろう。まぁ、そん
なマコトしやかな噂(多分)が出るのも、物語にあまりに空想性がなく、どこかニュースや雑誌で見た程度の“事件”しか起きない為だろう。しかし中
学生がこれほどのことを現実にやるとビッグニュースになり芽衣や他の学校の生徒がかかわっている先生や学校長も首は瞬時に飛んでしまう。これは空
想のファンタジーである「恋空」
3名無しさん:2009/01/23(金) 10:39:53
も現実と書かれていたが倒錯の空想話、ケータイ小説は幼稚園児がセックスして妊娠出産してもこれは実話ですという
バカげたケータイ小説が激増している。ケータイ小説も制限を加える必要がある。まぁ、それは原作の話。今回、フジは映像化にあたってTVドラマを
先行させた。素直に巧いと思う。“原作とは違うピュアな物語にしてます”そう宣言した。これに肩スカシを喰らった人は、もう付き合う必要はない。
キュンときた人は、映画も大丈夫。そういう準備段階を創った。手抜かりないのは、映画はTVドラマを観たくなるような“仕掛け”をしてある。
TVは、各登場人物によりスポットを当て、丁寧に立体的に、同じ話を描くのだ。かつ。 映画の続きを観たい方は、TVの最終話あたりを観て納得する
形。(映画は1つの終わり方がある)“フジは、青少年にドぎついドラマは売りにしません、戦略で勝負します”そんなことはない。中学生のドラッグ
や夜遊び深夜徘徊は十分に有害な情報を与えて過激なドラマになっている。テレビドラマも映画はドぎつさ、過激なアレ(過激な性描写)は全くない。
芽衣、敦史ともに、アバズレなど縁遠く、極めて清純。特に淳史は原作のアツシではなく、真面目で、母の薬物依存に心痛める、等身大の少年である。
だからこそこの2人、微妙なスレ違い、誤解に揺れ動く。しかし中学生の大恋愛自体が中学生の発達段階を無視している。南沢奈央、溝端淳平のイメー
ジも舞台あいさつのラブシーンを生で行いぶち壊した。とても繊細な心の様、それがメインに描かれて行くのだ。お父さん、お母さん方。お子様が『
【赤い糸】を観てくる』と言うとやはり警戒する必要がある。原作が【赤い糸】である以上、薬物シーンや自殺、恋人の暴力といったシーンがある
。それは他の中学生向け映画は見られない過激なものだ。『それでも、まっすぐに生きなきゃ』と言う、若いひたむきさがみられるというバカげたキ
ャッチフレーズまであるのだ。チャンと心救われる映画に仕上っていない有害映画だ。“適度に”危険シーンオンパレードである映画。それが「赤い糸
」だ。原作の毒は抜けても作品の中身が駄作で子供に与える有害情報からは抜け出せていない。これが問題になった。“過激さを抜くなら、【赤い糸】
である必要はないのでは?”
4名無しさん:2009/01/23(金) 10:40:14
そういう疑問が沸いてくる。今作は、原作の流れを“キレイに”さらったダケ、つまりは毒のない【赤い糸】なのだ。ただ
し過激な性描写がないだけである。原作の不快なインパクトを、“揺れ動く心”の描写で補い切れたかと言うと…?である。原作を抑える事を良しと
しながら、なんともジレンマなのだが、つまり、ソッチ(過激な性描写)系ではない強い見所を加えなければ、“この作品でなければ”という、愛
着は沸かない人が多いロリコンと思われる中年のおじさんたちの数が半数を占めた映画館もあった。この原作の映像化そのものに、無理があったの
かも知れない。恋愛模様しか展開されないドラマは、展開のストレートさが目に付く。これが中学生なのかという面が多い本当に刑務所にびち込ん
でやろうかと思うシーンは満載だ『コイツら好いた、ハレたしかないんかい』と。原作の知名度を利用し、“形だけ”の【赤い糸】を、ブームにの
せて創ったそれが真実かも知れないが、とにかく独自性はない。“適度に”だから、それなりの見所もない。淳史の画になるたたずまい。芽衣のク
リクリ目の芯強さも何かアンバランスである、次第に目が行くキャラがへんに描かれている。そして、1992年2月29日と言う特別な日をよりどころに
して、紡ぎ上げていく、現代味のピュアな“想い”はどうか。1992年は阪神淡路大震災があった大変な年で村山内閣が崩御した年なのである。
TVと同じキャストだから、どうなんだろ?と思った役者力も新鮮さに欠ける。とにかく、原作よりもTVドラマが好みの方には、安心して観られ
る作品ではない。映像化にあたり、原作のどぎつさに頼らず、“戦略”は中学生により過激有害情報を注ぎ込んでいる。

5名無しさん
映画にインパクトがない駄作だ