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名無しさん:
をしていたら赤ちゃんができた。その赤ちゃんを巡るこの混乱(一般的モラルか?)と、その小学生の心の成長を
描いたものである。残念ながら、私はしっかりと全てを読んだわけではない。読めないのである。腹が立ってしかたがないのである。往年の映画「禁じ
られた遊び」を下敷きにしたい映画監督やプロデューサー、もちろん作者も、この映画を「芸術」と称するのであろうが、私は認めない。子供の好奇心
と、それに伴う責任の重さを実感させる題材にはあまりに不適切である。その好奇心と責任は、子供が環境から徐々に学ぶことであり、その意味で子供
の心の発育は環境が作っていくと考えるからである。当然ながらそれを整えていくのは周囲の大人の問題である。だからこそ「情報」を「欲しい」のか
「必要ない」のかをしっかりと教えていくのが、教育であり、しつけである、という意見には私も賛成である。そしてその環境整備に親は腐心している
。そこに投げ込んだ石のつもりならば、それはあまりに乱暴に過ぎる。学校で、公園で、そして今は一般化した携帯のメールで、小学生の言葉で語られ
るこの映画の話題を想像してほしい。文化人が思うほど子供は成熟してはいない。むしろ一部を抽出して興味本位に騒ぐだけである。だからこそ、この
映画を一般の映画館で上映することによる影響を、私は憂うのである。そこに深遠なテーマが含まれ、なんらかの提起であったとしても、私には、この
映画が「有害情報」にしか思えないのである。「しっかりと読んでから文句を言え。」そのお叱りもごもっともだとは思う。教育の現場にいる私のエゴ
も承知である。それでも敢えて私は言いたいのである。「この映画はR指定にすべきである」と。そして「あなたはこれを子供に見せたいですか?」
と。そう思っていたら、同じようなご意見のブログを見つけたので紹介します。これがまともな大人(母)の意見であると思います。13歳という性交合
意年齢以下は、合意があっても性虐待でこれを重罰化する動きは国際的な流れだ。いままで問題になってきたのは主人公の年齢が、性交合意年齢(13歳
)に達し、かつ18歳未満である合法の範囲のものでこれらに対する批判なら、主観的な道徳的観点からのヒステリーだと揶揄できるけどこの映画に関す
る批判には、正当性がある。