西城正三最高。

このエントリーをはてなブックマークに追加
1いちファン
ああいう、手数の多いそして足を使える選手、出て欲しいね。
格好も良かったけど、それ以上に勝とうとするスピリットがすごかったね。
日本のボクシング界を沸かせたあのころのような選手がでてきたら、もっと盛り上がるね。
2俺も:2001/04/15(日) 03:20
アントニオゴメスとの試合は壮絶だったけど、一度巻き返したね。
小林弘との試合も良かった。
3名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/15(日) 08:13
ガチンコでは殆ど映ってなかった。
演技が下手なんでカットされたんだろうなぁ〜。
4名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/15(日) 10:45
フィリッピンのべサンテとの試合はすごかった。
今あんな逆転劇演じるボクサーは日本にいない。
5名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/15(日) 11:06
いや、西城はグラスジョーというか、顎を骨折してそれを針金でつな
いでいたのよ。だからなのか、それほど利いていなくとも簡単に倒れ
る傾向があったな。それを補っていたのが、あのフットワークとディ
フェエンスだったのだけど、ピメンテルにKO勝ちしてから、それが
甘くなったな。小林との試合は、今でも俺は西城の勝ちだったと思っ
ている。
6HK:2001/04/15(日) 13:42
あの時代にかなり現在的なスタイルのボクシングは光っていたな。
初期のころのモーションのない右のストレートも良かったけど
左のフックが強かった。ピメンテルを倒したのもこれ。今の日本の選手に足りないのは
西城のようなフットワークのあるラッシュだ。足が手の動きに付いていってるから
いくらでも手が出せた。あんな日本の選手をまた見たい。
7名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/15(日) 13:56
小林戦で、至近距離からのフックのカウンターを
咄嗟のバックステップで威力を殺したシーンは凄かった。
あれほどのステップワークは、以後日本人では見られない。
8ハルチャン:2001/04/15(日) 14:54
トレーナーになってからも(今はジムの会長)選手の心情を読んだ
信望厚いトレーナーだったと協栄ジムの関係者に聞いた。
9名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/15(日) 17:34
まだボクシングファンのなりたての頃だったか、世界戦のゲストでこの人が登場。美男子の面影が残った色眼鏡姿のこの人を見て、「フォーリーブスの元メンバーの人か?」と思った。
10M:2001/04/15(日) 21:09
シンデレラボーイとして一夜のうちにロスで世界チャンピオン。
かなり遊んだらしいが、ロードワークは絶対にやったらしい。スパーリングも試合前は1日に15ラウンドやってた。腰にコブができるほど
筋肉がついた。とボクシング関係者から聞いた。
>>10
>腰にコブができるほど筋肉がついた。とボクシング関係者から聞いた。
その話はゴング増刊号「栄光のフェザー級」からの引用だろ?
関係者から聞いた、とか言わずほんとのことを書こう。
12名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/16(月) 10:47
いや、ごめんご本人やトレーナーからも聞いたことがあるので。>10
13名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/16(月) 10:58
腰にこぶがつくほどの意味がわからん。
14名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/16(月) 19:14
ボクシングがロスでタイトルとったときに比べ、防衛が進むに連れ、変化した。最初のころは連打連打のスムースなパンチの打ち方
だったのが、後になって一発一発強弱をつけて強く打つようになった。また体型も筋肉がついてパンチのある体つきになったようだが、個人的には初期のころの早いストレートを打っていたころが好きだった。
腰にこぶがつくのは病気じゃないの?
16カズ:2001/04/17(火) 00:04
負けたゴメス戦。最初に左のストレートをもらったとき、その強さに驚いたらしい。
左のタイミングと強さで世界のレベルは相手の強さをまざまざと感じてしまうらしい。
あとゴメスの顔が小さくて本当にあてずらかったらしい。
17カズ:2001/04/17(火) 01:01
柴田とチャンピオン同志やって欲しかった。
18カズ:2001/04/18(水) 01:46
柴田対西城やってたらどうなったと思います?
19名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/18(水) 07:16
>>18
両方とも出来にムラのあるタイプだったから何とも言えないな。柴田
はディフェンスが良くないから、西城みたいなタイプは苦手だった。
西城も後期のように打ち合いに応じるようだと、柴田の強打の餌食に
なったような気がする。実力では互角だな。
20名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/18(水) 12:30
なるほど。スリリング。小林との試合以上にスリリングかも。
21名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/18(水) 22:24
>>20
ロイヤル小林では、西城にも柴田にも勝てないな。スピードが違いすぎる。パンチ
が届かないだろう。レベルが違いすぎる。
22ロイヤル小林:2001/04/18(水) 22:35
なめんなよ
23名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/19(木) 21:43
何度でも言う。ロイヤル小林では西城にも柴田にも勝てなかった。関光徳とだっ
たら、アルゲリョと同じように子供扱いだったろうな。ただし、ロイヤル小林以
降、彼を超えるフェザー級の選手が出てきていないのも事実だ。関、西城、柴
田、小林の出た60年代から70年代半ばが日本のフェザー級の最盛期だろう。
24名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/20(金) 01:27
関光徳選手、見た事ないんですけど、強かったのでしょうか。海老原みたいな感じ?
25安達裕美:2001/04/20(金) 01:29
ここにレスしてる人たちっておじさんばっかりなの・・?
26名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/20(金) 08:02
>>24
ちょっと違う。海老原ほどフットワークとコンビネーションで勝負するタイプ
でもなかった。パンチが硬いっていうのが特徴だ。最近のボクサーだと名護を
もう少し手数がでるようにした感じかな。
27名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/21(土) 00:30
柴田対小林弘を見たかった。時代だぶってますよね。カウンターのうまい小林は柴田にとってやりにくい相手だと思うけど。
28名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/21(土) 08:37
>>27
ダブっているけど、小林の方はだいぶ晩年だな。柴田スレでもあったけど、柴田
はジャブの出る相手には弱かった。だから西城とは相性が良くないだろうと思う。
が、小林と柴田が戦ったら、小林は柴田の強打をかわすような試合をするだろう
から凡戦にならざるをえないだろう。
29名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/21(土) 11:41
西城、小林弘、柴田ではどの選手が最も当時世界のでは評価されていたと思いますか?
パンチ力は柴田だと思うけど、バランス(攻めから守り、守りから攻めのタイミングなど)のは西城じゃないかな。あれであごが強かったら
もっと防衛できたのに。まあ柴田にも同じ事がいえるから無い物ねだりはだめでしょうが。
30名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/21(土) 11:51
>>29
難しいな。3人とも外国での実績があったから、今の日本のボクサー
よりはずっと世界的に評価されていたよ。
31名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/21(土) 12:06

いずれも海外遠征やってるからね。
ただ、柴田のサルディバル戦、ベン戦のインパクトは大きいでしょう。
概出だけど、メキシコで「シバタ」ってミドルネーム使う選手あとを
断たないもの!凄いことだよ!
32名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/21(土) 12:21
それはすごい!
ビラフロア戦の勝利も評価高かったの?判定だったからなぁ。
33名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/21(土) 14:29

サイジョウショウゾウと連続で早口で言えません。
シャイジョウショウジョウとか 逝って氏まいます。
34名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/21(土) 14:42
結局,日本でしか試合しないでいろいろと言ってるハタケはダメ王者って事ですか?
35名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/21(土) 15:57
畑山選手はいい選手ですよ。でもできることならアメリカあたりで世界的な選手と戦ってみて欲しい。
相手に合わせてしまうところがあるから、リック選手との試合はイマイチでしたが結構いい試合するとおもうけど。
36名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/21(土) 16:03
畑山もセサール・バサンあたりとやれば勝ち目もあるし、評価も上がる
と思うけどね!
35さんのように認めつつも世界的知名度ある選手との対戦を期待してる
ファン、多いと思うよ。
37名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/21(土) 16:28
ほんとの実力はともかく、海外での知名度は柴田がダントツでしょう。
なんせアメリカなどでもかなりの知名度を誇るサルディバルを敵地で
ギブさせたんだからな。センセーショナルな海外デビューだっただろ
うな、当時は。
あと、エロルデに勝った沼田も忘れちゃいけない。サンディ・サドラー
に勝ったエロルデに勝ってるんだからな。小林に負けてるけど。
西城はハート、ガッツプラス体格だけの選手だと思うが。それほどテク
ニックを持ち合わせてたという印象がない。
俺の印象では、海外での知名度、柴田>西城>沼田=小林、
実力だと、小林>柴田>沼田>西城、って思うけどどうだろうか?
38ハタケいいよ:2001/04/21(土) 16:35
>>33
おもしろい。
>>33
俺もだ・・・・・・。鬱だ氏濃
40名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/21(土) 17:55
>>37
なるほど。自分、やってたんでわかるけど、西城のテクニックは相当なもの。足の位置を変えながら、ラッシュすることによって、パンチの出所を変えたり、
左で目隠しのジャブ出して、左にまわりこんで姿を消して打ったり。ひざを使ってパンチを打っていたので
どこからでも手が出せた。ロスで修行したこともあって、当時では最も完成されたボ
クシングスタイルだったと思う。それがそのまま強いことにはならないけど。
私的にはテクニックは西城=小林>柴田>沼田。
対戦したら小林と西城、小林と沼田は結果が出ているので、他は西城と柴田は西城の判定勝ち。
沼田と西城は西城の判定勝ち。柴田と沼田は柴田のKO勝ち。小林と柴田は柴田の判定勝ちと予想します。
41名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/21(土) 22:41
この間ビデオひっくり返してゴメス戦見たんだけど、1Rからひざががくがくしてたね。
パンチとかじゃなくて減量とかじゃないかな。体も顔の大きさもロスでタイトルとったときと
全然違う。きつかったんじゃないかな。引退の年齢も若かった。
でも死にもの狂いで盛り返す選手っていう選手、西城や大場以後、見かけなくなったね。
渡嘉敷はそんな雰囲気あったけど。時代かな。辰吉だって何か違うじゃない。
42名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/21(土) 23:04
>41
オニがいるぞ(w

43名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/21(土) 23:52
鬼塚はちょっとちがうでしょう。西城は何ラウンドか忘れたけど、ゴメスを思わず蹴ろうとしてた。
それくらい勝負に対する執着心があった。さすがプロ。原田も鬼気迫るものがあったよね。海老原だって
骨折しながら試合を投げなかった。ビラカンポ戦。
44名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 00:15
>>43
いいこと言うね。そうなんだよ、今の日本のボクサーに一番欠けているのは、
ハートだろうね。誰が言ったか忘れたが、Will wins skill. というのが、
ボクシングでは忘れてはいけない鉄則だな。
45名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 00:18
>>40には悪いけど、沼田も柴田には相性の悪いタイプだ。沼田もあれ
で結構パンチあったよ。徐やロハスを一発でKOしているし、柴田が挑
戦する試合でなら逃げ切られた可能性が大だ。沼田が挑戦者なら、キ
ミのいう可能性が高いかも。それと、西城、柴田、小林、沼田はどれ
も実力伯仲だ。コンディションや立場で結果が違うだろう。一戦や二
戦で評価が出来るとは思えないな。
46名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 01:04
なるほど。どうも私のイメージでは沼田は特徴のつかめない選手で、またライトではマンドラモスでしたっけ
早い回で倒されて、アジア系には強いけど中南米系に弱いイメージでまた
強かったシーンを見てないんであまり印象がよくないんですが、そうではないですかね。徐は
強い選手だったらしいですね。沼田の試合もっとじっくり見てみたいですね。といってもビデオこの選手のもの少ないですね。
47名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 01:26
沼田がロハスを倒した右アッパーは凄かったよ。
48名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 01:30
苦し紛れの一発じゃなかったの?とても試合をコントロールしていたようには見えなかった。
49健闘:2001/04/22(日) 03:50
西城小林戦は、今みると小林のワンサイド。特に、小林が眼を切るまでの前半は
子供扱いだよ。西城嫌いではないが、柴田と小林のほうが、はるかに上。
柴田と小林がやったら、想像つかないな。
小林の最後の試合デュランとの試合は、負けたけど、凄い。1Rに、小林の
カウンターでデュランがロープまで吹っ飛んだ。
50名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 09:32
このスレも最高。
朝起きたら、西城が新聞にデカデカと出てた。
シンデレラボーイ
という言葉を初めて学んだのもその時です。
51名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 09:36
>>49
小林のカウンタで、あのデュランがロープに
吹っ飛んだのかあ。そのシーン見てみたいなあ。
小林とデュランが戦ってるということは、
階級が変な気がするけど、どうなの。
52名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 10:04
>>51
デュランの世界初ランクはFe級。マルセルとパナマホープのサバイバル戦
戦って勝利。西城が王者時代に同階級の世界9位あたりにいる。
成長期だったデュランは小林に勝って上のクラスへ進出、世界レベルの
キャリアを積んだと言っていいでしょう。
しかし、若きデュランが西城の王座に挑んでいたらどうなっていただろう!
53名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 10:15
>>52
51だけど、
レスありがとう。
>しかし、若きデュランが西城の王座に挑んでいたらどうなっていただろう!
デュランの勝ちに、決まってるだろ。
君もそう思ってるんだろ、実際のところは。
5452:2001/04/22(日) 10:30
>>51
わははははははははははは!いや、ちょっとは思ってるけどね!
「そしたら5階級制覇だ!」「Jウェルターも今だったら楽々獲って
6階級だ!デラなんてゴミだ!」とかね(ギャハハハハハ)

いくらデュランでも若いときゃ青二才な訳で、マルセルやコバヤチと
やった時はワンツーか中心の荒削りボクサー。西城が絶対負けるとまでは
言えませんが、面白い試合にはなっただろうね!減量苦の西城には
デュランのエネルギッシュな勢いは辛いだろうし。

しかし、当時のランキングを見ると金平会長のマッチメークがいかに
巧妙か良くわかる。レグラをはじめ、強豪揃い。実際に対戦した相手
以外を選んでたら5度防衛は無理だったと思える程。
別に西城の実績を貶めるつもりじゃなくて、金平の神通力を称えたいな!
55名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 10:39
>>49
西城ってのは、意外とスロースターターなんだな。フランキー・クロ
フォードとの二戦なんかが典型。小林は逆。。小林・西城戦も後半は、西城の追い上げが激しくて、テレビでみていた限りでは、西城の
勝ちに見えたね。
5651:2001/04/22(日) 10:40
>>54
でも、K会長ってやばいでしょ。
もう亡くなったから、時効と思うけど、
彼の功績はフィリピーナとロシア女の輸入に
関係あると俺は睨んでいるが、
どう思いますか。彼女たちには相当世話になった。
いつも俺の負け。貯金なくなった。
5754:2001/04/22(日) 10:44
>>55
う〜ん、後半も西城は攻勢点のみで、小林完勝にみえたけどなぁ。
>>56
詳細きぼーんぬ!
58名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 10:58
10Rだったからね。小林のカウンター作戦はうまかった。入ってくる出鼻に左を合わせるのは絶妙。そこでさらに細かいパンチを集めてポイントをとった。
このあたりが、小林のキャリア。しかし西城もまともにはもらっていない。でもラウンドが進むにつれ、それでも出てくる西城に
にさばききれなくなってきていた。西城もクレバーだから、まともにもらわずに、じわじわ後半勝負にいった。
お互いまだ余力を残しながら終了した試合。本当に15Rだったらどっちが勝ったか分からない試合。というところで今日のところはしょうがないと、西城陣営も納得したんじゃないかな。
金平さんのことだから、6、4で小林だったら勝てるとふんでのった試合だと思うよ。
59匿名希望:2001/04/22(日) 11:02
週間文春か新潮に載ってた、みかん疑惑。
それに具志堅とのけんか、そして離別。
ラウンドガールが最初はフィリピーナ。
ふぃりビーナを俺が見たのはそれが最初。
ユーリを無理やり、日本名に改名させた。
確か、ロシア女をラウンドガールにした。
↑これは思い違いかもしれない。
ジムが新宿職安どおり沿いの大久保にある。
それにあの顔だ。確かに、神通力ありそうだ。


60名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 14:02
具志堅とはけんかしたの?でも金平さんのことは悪く言う人はいるけど、結構カポネとかいいながら
認めている人が多かったと思う。ビジネスを含めあれだけのことをできる人はそうはいなかったから、
半分悪く言いながらも、やはり、ある部分は頼りにされてたとこがあるとおもうよ。
61名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 15:55
西城選手と一緒にロスで修行に出かけた人。宮下選手。昔は強打のこの選手は協栄では
期待されており、西城選手も付き添いみたいなもので一緒にロスに行った。
ところが、チャンスをつかんだのが西城選手。時代の流れの読み方がクレバーだったのだろう。
何を隠そうこの宮下選手は後の竹原を輩出した沖ジム会長宮下氏です。
62名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 18:02
西城ストレートパンチャーだったのが、後年はアッパー、フックのほうを頻繁に打つようになったね。
やはり倒すボクシングを狙っていたのかな。柴田が出てきたから比較されるもんね。
63名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 20:19
>>62
同感だね。ピメンテル戦を境に変わったと思う。減量もきつかったのかもしれない。間違いなく、その変化で西城の持ち味は消えたと思ったね。
64名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 21:12
西城といえば手数が持ち味。動きながらあれだけ手が出る選手は日本では珍しい。
全成績中、KOが7回と一発のパンチよりも本来の持ち味は連打だった。
それがピメンテル戦から肩を入れたパンチを打つようになり、パンチは威力を増したが、
ワンテンポ遅れがちになった。このため小林戦も遅れがちのところをジャブでつかれた。
初期のような足を使いながら打っていく、攻めの足の使い方は、ひざと腰が強くないとできないから、減量で
つかれてできなくなったんだろう。
65名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 21:12
age
66名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/22(日) 23:51
小林とデユランの試合をみると、小林は強いことがわかる。押し込まれていたが、下がるとき絶対に
ズルズルと後退しない。かならず相手に合わせて、または相手が打ち終わった後に、体勢が崩れかけても
左のフックと右のクロスを放っていた。これが案外デユランの顔面を捉え、時にはカウンターになって、デユランをぐらっとさせる場面をつくっていた。
さすがに最後は連打でかわすまもなく横転させられたが、デユランとその陣営の肩車での大喜びの表情を見れば、いかに小林が中南米で評価が高かったかがわかる。
エルネストマルセルはデユランとやって全く見せ場も作れず、くねくね逃げ回り途中で試合を放棄したことを考えれば、小林はいい選手だとあらためて思った。
67名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/23(月) 10:02
あのころの日本全盛期の日本のチャンプたちは、一流だよ。
戦績が今の日本の選手たちに比べ全然多いのが特徴。西城は試合数それほどじゃないけど。
日本の選手が外国の選手にキャリア勝ちして子供扱いする試合を見てみたい。
68名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/23(月) 11:40
俺は俗に言う“やっぱボクサーはハングリー精神がなければダメ”説肯定派
だが、あのころの人たちは逞しかった。
今の選手は、すべてに当てはまるわけではないが一度いいのを食らっちゃう
とほとんどズルズル。逆転してくれる、っていう期待感を持てない。
でもあの頃の選手たちはピンチになっても「黙って見てろよ!そのうち
ひっくり返してやるからよ!」みたいな気迫があった。そう思わせるだ
けのスタミナ、頑丈さがあったね。
テクニック云々は今の選手のが上回ってるとは思うが、そんなものを凌駕
してしまうだけの「力」が昔の選手にあった。
パンチがなかった、と評される小林、西城なんかも、チャンスになれば
物凄い形相で全力で打ってたけど結構パワフルに見えるパンチ打ってたよ。
69名無しさん名無しさん腹打て腹:2001/04/23(月) 12:32
西城の試合はビデオで1試合しか観たことがない。
しかも、負けた試合。
でも、皆さんの話しは説得力ありますね。
世界戦が15回戦だった頃だし。
70napoles:2001/04/23(月) 17:27
>68
   激しく、同意。素質のわりに根性が無かったのは、青木、沼田、藤だな。
   直ぐ試合を捨てていた。沼田はロハス戦以外は根性の片鱗も見せなかった。
71名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/23(月) 23:14
15回戦っていうのはやっぱりすごいよ。昔の選手は15回戦をフルに生かして戦った。
石松なんかは最初のうちは三味線ひきながら、10回を過ぎたあたりから、相手のパンチがなくなったのを見て
強いパンチを入れていた。その点はずるさをもったボクサーだった。
小林も相手を誘ってはジャブだったり、右のクロスだったり、打ち込んでいた。かけひきがうまかった。
西城はどちらかといえば正統派のところがあったが、前に出ていく形相はすさまじいものがあった。
だから、逆転できたと思う。
72名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/25(水) 01:38
改めて昔の日本選手の質の高さを思わずに入られない。今の世界を目指す日本選手にも是非頑張ってもらいたいけど
時代が変わっちゃったから、仕様がないかな。
73名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/25(水) 02:18
それと昔の実況見ていていつも思うのが、西城含めあのころの選手たちって
インタビューの受け答え見ていても皆、自分の言葉でしっかりやりとりしているね。
今の選手の方がメディア慣れしているはずなのに。畑山とか吉野とか
会話の上手い選手もなかにはいるが、アナウンサーが「あのパンチは手応えありましたか?」
とか聞いてるのに「みなさん、ありがとうございました、頑張ります」とか
勝手に締めちゃう、まともに話せない選手って今の方が多いと思う。
ま、ボクシングの場合他の競技と違ってそういう部分を爆発的エネルギーへと
変換させる要素ってのも確かに必要なんだけれど・・・

74名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/25(水) 10:14
今と昔では世界チャンピオンとしての格が違うから、新聞での扱いも違いますよね。
その分プレッシャーも違うし、チャンピオンとしての重みもおのずからもっていなければならなかったのではないでしょうか。
75名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/25(水) 13:13
アントニオゴメス戦、テレビで見てもすごくパンチが痛そうに見えるのはなぜ?
おれだけか、そう感じるのは?
音響のせいか? ボムとズンとかじゃなく、「バチーン」て感じ。食ったらみるみる顔が腫れそうな
76名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/04/25(水) 22:11
試合後、西城選手は、ゴメスの左は、これまでに出会ったことのないような強さだったとその強さを認めていたらしい。
1Rでこの選手の強さを感じて、覚悟の上で、勝負にいったそうです。セコンドのお兄さんの正右氏が、倒れていく西城選手を
見て試合を止めようとしましたが、西城選手ご本人も試合後にこのシーンを見て、胸が熱くなったようです。
いろんな意味の込められたこの試合は、勝ち負け以上に奥の深さを感じました。
77名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/03(木) 00:50
キックにいったのは余計だった。当時は話題にならなかったの?今で言う異種格闘技戦?
金平氏がマッチメークしたの?
78名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/03(木) 17:07
池袋の本屋にキックの時のビデオ(藤原戦)が売ってたよ。見たくもないから買ってないけど。
それよりも、兄ゴメス戦のビデオがないから見てみたいんだけど、持ってる人いないかな。
79名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/04(金) 23:44
西城に負けたラウルロハス。沼田のJr.ライトの王座に挑んでKO負けに終わったが、
ボディぜめにして横転させた。あの時の沼田の苦しがりようといったら。脇腹のボディで世界チャンピオンを転がすくらいだから、パンチはあったな。
冷静に攻めていたら、
間違いなくロハスの手にタイトルは移動していたことだろう。
80名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/05(土) 14:44
西城vs柴田は当時雑誌で仮想対決でもりあがったみたいだけど、
実現したら面白かったろうな。小林戦以上の試合だったろうな。
皆さんどう思う?私は引き分けであってほしいが。
81名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/05(土) 18:17
千葉真一主演の「直撃地獄拳」って映画に友情出演で出てた
カッコ良かったが、他の奴らがアホなので浮いてしまっていた(w
82名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/05(土) 19:45
寺山修司の映画「ボクサー」に観客席で字幕紹介されてた。
カッコよかった。
83名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/05(土) 21:30
格好いいのは、あくなき勝負への執着心の強い選手であり、それが生き方に出ているからだと思う。
私が西城を格好いいと思うのは、やさ男のように見えて、真のボクサーだったから。
練習、ロードワーク、試合と本当にひたむきだった。また負けず嫌いだった。
華やかにみえて、実は陰での努力が西城をささえていた。そんなに初めから素質に恵まれたわけでなかったのに、ロスでロハスと試合できるようになったのも、
努力とチャンスを逃さない精神からだと思う。
84名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/06(日) 13:16
同感。素質はたいしたことなかったというのは何かで見たな。
急に無名から世界に上り詰めたのは何か特別な理由があったのか?日本での成績も冴えなかった。
85名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/06(日) 22:26
今の西城会長は面白い。
86名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/07(月) 00:19
どんなところが面白いの?>85さん
87名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/08(火) 00:08
べらんめい調で、男っぽいですよね。ギャグが面白いし、いい人。
88名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/08(火) 15:26
西城って引退早かったよね。
(26?7?)
リターンマッチもなかったし。
で、何でキックいったの。
当時フェザー級5回防衛しても、左うちわじゃ
なかったのかなあ。
89名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/08(火) 19:01
予想だけど、ひざが弱っていたと思うよ。西城のボクシングはひざが命。
ゴメス戦見てもちょっとしたパンチでひざが折れていた。
パンチがきくきかない以前にひざに力が入らなかったのではないかと思う。
キックは興行的要素があったからじゃないかな。
9088:2001/05/08(火) 23:24
うーん。
ゴメス戦ってゴング誌で、鼻から血を流してひざまづいてる
写真しか見たことがないんですよね。
なんか、全てには終わりがあるんだなあって、子供心に思った
記憶がある。確か5回KOだったと思うけど、完敗だったんですか?

実は西城は全然僕はリアルタイムではなく、僕が生まれた1週間後に
ロスでタイトル獲ったんです。
後になって知って、適地でチャンピオンになった選手ってトータルでも
わずかだったから凄いと単純に感じた。男前だし。
91名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/08(火) 23:51
アントニオ・ゴメス戦は完敗でしたね。前評の高い指名挑戦者に、
前評通り苦戦、惨敗というパターンだった。
ゴメスは、充実期にあったドワイト・ホーキンス(柴田をKO、
原田と接戦)を最終回KOして引退させており、フェルナンド・
ソテロをTKOして中南米タイトルを獲得、最強の挑戦者との
触れ込みだった。

西城の出来(身体もギスギスで気の毒な程)も悪かったが、相手も
強かったと言うのが素直な印象です。
92名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/09(水) 01:49
もう西城は体の成長と減量のバランスが崩れてしまっていた。こういう選手は
引退が早い。原田も同様。足を使うボクシングっではなくなっていたし、
西城も狙っていた。そこで、まともに左ストレートをくらい、気の強さがあだとなって
打って出て余計にパンチをくった。両者のピーク時だったら、どうかと思うが、このころの西城は日が沈む寸前で、追い込まれて策がなくなって
玉砕せざるをえなかった。
93名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/09(水) 10:53
そういう意味では日本人王者って
だいたい最初の指名試合で予定通り陥落って
パターン多いですね。
リアルタイムでは、具志堅とか渡辺二郎が
例外だが・・・新設クラスが増大した後の
時代とは比較できないですね。(二人ともJクラスだし)
94名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/11(金) 01:59
西城はやはりボクシング界を超えて時代のスターだった。
スター性という意味では日本のボクシング史上のNO.1じゃないかな。
男前だったが、ボクシングに取り組む姿勢は本当にプロフェッショナルだった。
引退したらサインはしないという主義だそうで、格好やみてくれは、ボクシングに関係ない
ないと言い切っていたところが、またすごいところ。
95ブンブン・マンシー二:2001/05/11(金) 16:24
西城のゴメス戦はリアルタイムで見ました。なにしろ子供時分の記憶ではっきりとはしませんが、イチコロってかんじで、
かなり一方的な試合でした。ゴメスのストレートはそんなに早くはなかったけど、タイミングが良かったのでしょうか、
モロあごに命中しちゃいました。あの頃、沼田、小林と続けざまに日本からタイトルが流出し、つらい時期でした。
後から西城のビデオを見ると、見た目のスマートさとは裏腹に、わりとラフなボクシングをするな、と思いました。
大場なんかもそうだけど、攻勢に出たときのファイトは今時のボクサーよりも、猛烈かつラフだった。
96名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/12(土) 00:28
そう思います。西城氏ご本人ともお話したことがありますが、基本的にプロのボクシングは
ハートであり、例えばなりふり構わず(怖がらずに)強気で出ていくスピリッツであり、こういったものが、小手先のテクニックを
封じてしまうのだということです。したがって、こういうものが凄みであり、相手に与える底知れない迫力であり、あのアルゲリョでさえ、
プライアーにいいパンチをあてて、倒そうとおもったら、それがかえって、相手の闘志に火を注ぐ事になり、
物凄い形相で攻勢に転じるプライアーに、戦う意欲を失わされ、試合をあきらめたと語っていました。(ビデオで)
技術のほかにプロボクシングは格闘技であり、相手に与える恐怖心など心理的な見ている側にはよくわからない要素で勝負が決まるのも
たまらない魅力ですね。
97名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/12(土) 02:28
実はパンチ力ってそんなに問題じゃないかもね。
無いよりあった方がいいけど。
98名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/12(土) 16:41
>>97
思い切りってのもあると思うね。ここと言う時に勇気を持って
踏ん張って(踏み込んで)打つ。
西城vsラウル・ロハス戦みて、西城の思い切りの良さに驚いた。
ロハスの出鼻にガツンガツン左フック迎え撃ってるんだもん。
そのせいか、「西城ってパンチあるよな」って感じたな。

ミズスマシのようなフットワークや閃光のようなストレートも
もちろん凄かったが、この左フックに一番インパクトがあった。

「海外だから倒さないと勝てない。玉砕覚悟で攻めます」とか言う
ヤツにこの試合見せたいよ。
自分のボクシングで積極性を増せってコトだね!
99名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/12(土) 23:28
ロハス戦ってビデオでも見れてないのですが、
ジャッジの国籍はどういう配分になっていたのですか?
アメリカ人1人がいたことは憶えてるんですが。

適地KOではなく判定で勝ったということに結構萌える・・
100名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/13(日) 19:10
田村どうしてんだろ?
101名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/13(日) 22:40
99>さん
ダウンも奪ったし、試合終了した瞬間勝ったなという、決定的な試合だったとおもうよ。
身体的にはまだか細かった西城が、若さを生かして、先手先手の攻撃と出鼻をくじくカウンター
でほぼ試合をコントロールしていた。動きが生き生きとしていて躍動感があった。
102名無しさん名無しさん@腹打て腹:2001/05/14(月) 02:30
   お姉〜っ **才
          青春真っっ只中ぁぁぁ〜〜
                              ∽
                           §@_@§

103西城vsロハス審判構成:2001/05/15(火) 02:57
R・ジョン・トーマス(米):11−5
J・ヤング(米):15−3
ルディ・ジョーダン(米):10−5 (ラウンド加点法)
10499:2001/05/15(火) 09:57
おおー。
ホームタウンデシジョンも入り込めぬ完勝ですな!
103さんありがとうございます。
105名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/15(火) 10:38
西城って、ラウンドの残り30秒だけラッシュを
かけるのが作戦だったのよ。審判の印象をよく
するために編み出した戦法なんだ。だから、それが外れると
ひとりボクシングのようにも見えて哀しくなることもあったんだ。
106某ボクサー:2001/05/15(火) 10:49
105>使えるかも
107名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/15(火) 12:09
>105さん
最後の30秒だけというのは、西城の名誉のためにいうけど違う。チャンスがあったらいつでもかさにかかって
ラッシュをかけていた。でなければ1Rチャンスや6Rのダウンもないよ。
とにかくタイトルとった時代は海外旅行なんてほんと限られた人だけしか行けない時代。
そんな時代にロスで精魂込めて練習したから、あれだけのラッシュができたんじゃないかな。
とにかく、パンチが一つ当たれば1Rから怒涛のごとく攻めていた。
上半身が泳ぐほど、攻める意欲に満ちていた。終わった後から、ああだこうだ言えるけど、あの時代で海外で無名から最終的にタイトルもって帰ったっていうのは
本当に大した物。試合後のインタビューで、あの金平会長も涙声。兄の正右氏
の涙。セコンドも含め皆で万歳する姿でビデオが終わる。
108名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/15(火) 14:24
105だけど、大変にすまんことした。すっかり忘れてたけど、
ロハス戦は、ノンタイトルもタイトル戦もテレビでやってない
ので見てないのよ。朝おきたら新聞に「西城正三、フェザー級王者に」
とか出てて、みんなビックリしたのよ。ノンタイトル戦に勝っていた
なんていう情報も入ってないのよ。当時、世界戦の視聴率は50パーセント
超えていたのに、西城正三って名前誰も知らんのよ。夜9時ごろには毎週
ボクシングのテレビやっていたのによ。朝おきたらチャンプになってたから
シンデレラボーイなのよ。30年前は今のように欲しい情報を自分で探せなかった
のよ。日本でクレバーという外来語が使われだしたのは、西城以降なのよ。
現地でそう評価されていたわけよ。でも残り30秒だけラッシュし、それ以外は
アウトボクシングに徹するというのも、ひとつの作戦ではあったのよ。
当時は。
109名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/15(火) 22:13
105だけどさ、ゴメス戦で、もうだめだとみんながあきらめかけた時に、
西城正三は、突然狂ったようにラッシュはじめたのよ。
それで、みんなも狂ったように応援したのよ。ほんの十数秒だったけどね。
それ以外の試合では、ラスト30秒だ、西城っ、いけ、ってテレビに叫べば
必ずラッシュしてくれたのよ。セコンドがラスト30秒で合図してたのは
皆知ってるよ。でも会場がうるさくて聞こえないと困るから、純真な子供達は
みんなテレビに向かって叫んだのよ。西城はその声援に応えてくれるのよ。
ゴメス戦後、西城は消えたのよ。しばらくしてキックに現れたけど、また消えたのよ。
こんどは完全に消えたのよ。そして全身刺青だらけになった彼はやはりボクシング
界に必要なんだと皆が気付いたから、戻ってきてくれたのよ。ハンサム、って言葉は
今は使わないけど、ハンサムな日本人ってのは彼が最初で最後なわけよ。
110名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/15(火) 23:14
刺青って比喩ですよね。彼の体のどこにも刺青はないです。間違える人が
いると困るので念のため。とにかくまだ見ていない方はタイトルとった試合を見て
もらえればいいと思います。それから、負けた試合も見ていただければ
よりわかりやすいと思います。素質が飛びぬけていたわけではなかった若者(当時)
が、努力と精進によっていかに夢をつかんだか、そして、最後に力及ばず敗れていったか。
しかし、負けるという現実をどれだけ必死になってこらえ、拒んだのか。相手にけりをいれそうになったシーンがありましたが、
象徴しています。どれだけ勝ちたかったか。西城がなぜ好きか、それはテクニックやパンチ力を超えた、
若い魂みたいなものと、夢を感じさせてくれるからです。
なかなか、今の時代に目にすることのできない相手に挑む姿勢を感じさせてくれるからです。
試合後リング上で、アナウンサーのインタビューで、まだまだスタミナが足らなかったです。と勝ってなお、語る、勝負や自分に厳しい21才の顔が
誇らしく思えました。
111名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/15(火) 23:28
というわけで、ビデオはどういうものが
出回ってるのですか?
教えていただければ幸いです。
112名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/15(火) 23:47
彼は、アメリカ人が見た最初のクレバーな日本人なのよ。
そのつぎがソニーなのよ。
トヨタやホンダもアメリカからみたらクレージーだったのよ。
野茂やイチロウや新庄は、アメリカ人からみたら、
????なのよ。それを応援してる日本人の姿も????なのよ。
しかし西城の本質は実はクレージーなのよ。だから日本人は惚れるのよ。
113名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/15(火) 23:50
>112さん
もう少しわかりやすくPLZ
すまん。俺は、子供時代の正しい記憶と
大人になってからの妄想がごっちゃになってるのよ。
115名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/16(水) 01:17
ロスのタイトル奪取の時、試合後の感激のリング上で日本テレビの本多当一郎アナが、西城に
インタビューしたとき、兄の正右トレーナーが男泣きするのをみた西城が、よく聞き取れなかったが
多分「泣くなよ、みっともねえだろう」ぐらいの事を言ったように見えた。さらに兄が、
「お母さんに知らせてください」とマイクを通していうと、これもよく聞こえなかったが表情から「かっこわりいから
やめろよ。」くらいの事をいっているように見えた。感激屋の兄と見栄っ張りの弟の感激の場面は
微笑ましく、また海外初のタイトル奪取もものともしない西城の度胸に驚いた。
116名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/16(水) 01:51
解説ファイティング原田、実況本多当一郎で日本テレビで放映したものと
思われます。というのも懐かしの名場面で何年か前にやりましたから。
自分はそれを繰り返し見ています。
117名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/16(水) 10:08
114だけどさ、そのビデオは売ってるのですか。
情報きぼんぬ。
118名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/16(水) 10:17
ばんざーい!と言って見てくださいとアナウンサーに言われて。
2回言うんだよな。
けど、敵地でのタイトル奪取は凄いよね。
119名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/16(水) 10:51
西城の意外な名勝負に誰も言及してないね。
アメリカでタイトルを取った西城が凱旋顔見世興行として
日本ランカー(東洋ランカー?)の選手とノンタイトルをやってるのを・・
試合は西城のパンチが当たらず逆にパンチを貰い西城がダウンするなど
意外な展開が続き、西城もスタミナロスが明らかで西城の負けが濃厚になった。
ところが瀬戸際で西城が突然の猛ラッシュ、3度のダウンを奪い逆転KO勝ち。
西城本人を初め西城陣営はリング上で大泣き、テレビ解説をしていた海老原も
感極まったのか大泣きをしてた。
120名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/16(水) 11:17
>>119
それべサンテ戦のこと?
それならがいしゅつだけど。
日本ランカー???
121名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/16(水) 11:39
>>120
がいしゅつ?どこ?
ベサンテじゃないよ、日本人相手の試合。
122名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/16(水) 12:35
>>121
凱旋帰国してから初防衛戦まで、西城は日本人とやってない。
世界獲ってから初めての日本人相手の試合は、三度目の防衛戦後のライオン山(日本人かな?)
か、彼(ライオン山)が日本人でなければ四度目の防衛戦後の新田勇戦ということになる。
べサンテ戦か、誰かとカン違いしてるようですけど違いますか?
エキジビションですか?
http://www6.plala.or.jp/boxingnet/saijo.html
123名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/16(水) 12:40
天才海老原を発掘した金平氏、打倒原田の夢を海老原につぎ込むが、
ハードパンチャーの宿命により左コブシがずたずたに。その治療費
など多額の借金返済を迫られ、やむなく貨物船で新天地ロスに渡る。
無名の西城が無名のままチャンプになった理由を推理するとこうなる。
以上あくまで推理だ。
12471年5月のWBAフェザー級ランキング:2001/05/16(水) 15:25
C:西城正三(5度防衛)
1位:アントニオ・ゴメス
2位:エデル・ジョフレ
3位:ホセ・レグラ
4位:柴田国明(WBC王者)
5位:ロベルト・デュラン
6位:フランキー・クロフォード
7位:ゴドフリー・スチーブンス
8位:ビセンテ・サルディバル
9位:アーネスト・マーセル(エレネスト・マルセル)
10位:ラウル・クルス
125名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/16(水) 17:19
WBAとWBCの違いって何だっけ。
どっちが新しいんだっけ。どなたか教えて下さい。
126名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/17(木) 10:59
>124
しかし、すっげーメンツだなあ。
127名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/18(金) 01:20
辰吉あたりじゃ、このうちの誰にも勝てないよ。
128名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/18(金) 14:45
>>124
西城vsクルス、ジョフレ、サルディバルなら面白かったかも。
西城vsマルセル、レグラはヤバそう。
西城vsデュランは・・・デュランの未知数の力に期待!(w

ホント、金平サンは良く相手を選んで防衛させたよ!
129名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/18(金) 14:57
マネージャーの腕の見せ所だったんだろうね。選び方によっては3回くらいしか防衛
できなかったかも。これは西城がどうのこうのではなくて、それくらいレベルが高かったってこと。
こんな選手たちと1年に数回にわたり、何年も防衛戦やらされたら命がいくつあってもたまらん。
昔の選手が引退の年齢が早かったのもうなづけるなあ。
130名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/18(金) 16:21
>>122
ライオン山は韓国選手です。
69年のフェリペ・トーレス(メキシコ)戦はノンタイトル10回戦。
3度目の防衛戦を前に、ホノルルで試合するなんて、当時の王者は
逞しかったですねぇ。
2Rに左右ストレートでダウンを奪い、判定勝ち。

金平氏の対戦相手選びは絶妙ですね。一勝一敗のJLピメンテルとは
因縁の対決で盛り上がるし。
当時のランキングに楽な相手なんていないけど、そんな中でも情報を
吟味して選んでいった氏の神通力は、名伯楽の名に相応しい。
西城の実績にケチつける訳でなく、素直にそう思います。
131名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/18(金) 17:56
柏葉守人。西城のように華のあるボクサーだったよね。
名前見るだけで泣けてくるね。スレがないからココに書かせてね。
132名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/18(金) 20:27
>>100
加茂佳子さんのHPで、人生相談やってるよ
133名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/19(土) 01:45
>131さん
そんなに柏葉はいい選手だったの?なけてくる理由が知りたいな。
リアルタイムで見ていないので、ビラフロアに負けた選手のイメージしかないな。
134名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/19(土) 02:21
和製クレイと呼ばれるくらい、賢くていい男だった。
この男ならなんとかしてくれると思わせた。
まだまだやれると思ったけど、網膜剥離で無念の引退は悲しかった。
135名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/19(土) 02:21
スチーブンスが西城がとやったときは
確か1位で指名試合だったよね。
136名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/19(土) 02:26
スチーブンスって強かったっけ?じっさいどうだったの?
あと柏葉ってホラかますので和製クレイじゃなかったのかい?
137名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/19(土) 12:06
柏葉ってビラフロアに足跳ね上げダウン食ってるシーンが印象深い。
あとベンの右フックで顔ゆがませてる写真、凄すぎ。ベストショットだな。

最近の専門誌、ああいう写真ないなぁ。
138名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/20(日) 19:53
私としては減量の心配のないJrライトにあげて、西城に戦ってほしかった。
小林との好試合やその後のRアレドンド、レネバリエントス、沼田らの試合を見ると
(沼田がロハスに追いつめられた試合など)西城も可能性があったのではないかと思ってしまう。
13971年5月のWBC世界Jライト級ランキング:2001/05/21(月) 00:26
C:沼田義明(防衛1)
1位:小林弘(WBA王者)
2位:アントニオ・アマヤ
3位:アントニオ・プド(イタリア)
4位:ファン・ドミンゴ・コラディ(亜)
5位:リカルド・アルレドンド
6位:ルイス・マドリッド(メキシコ)
7位:アーマンド・メンドサ
8位:アルフレド・マルカノ
9位:アンソニー・モロディ
10位:ジェフ・ホワイト(豪)

>>138・・・減量苦から開放された西城に、ロハス戦の動きが
少しでも戻ればチャンスあったと思います。
140名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/21(月) 12:01
このランキング見ると、フェザーのほうが強者が多かったね。
西城もこのウエイトでもできただろうな。これを見るとJrクラスのレベルって
やや低くなったのかなと思っちゃうな。
141名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/21(月) 23:59
西城がゴメスに負けたころのJr.ライトの王者って誰だったかご存知の方いる?
142名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/22(火) 14:02
>>124のメンツが凄過ぎるからなぁ。
柴田のアルレドンド戦なんて見ると、西城もいける気がしますが。
短躯の柴田が上へ行けたんなら骨格でまさる西城も、ってねぇ。
143名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/22(火) 22:32
レナード対ラロンデの解説やってるんだね。
今、見ているんだけど、忘れていた。けど声が小さくて聞きとれない。
144名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/23(水) 00:04
西城氏は普段は巻き舌の江戸っ子言葉でしゃべってるので、解説には不向き。&照れ屋のため
しゃべるのは少してれがはいる。でも普段は面白いし、人を楽しませる能力は最高。
145名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/24(木) 13:33
>>138
なぜFe級タイトル持ったまま上の階級に挑めないんでしょうかねぇ?
興行的には「王者同士の戦い」として話題性あるのに・・・。
146名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/24(木) 17:17
でも、最近のオークラジムはやばくない?会長は教えてないんじゃないの。
147名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/24(木) 20:57
>>141
>西城がゴメスに負けたころのJr.ライトの王者って誰だったか
>ご存知の方いる?

西城vsゴメス戦が昭和46年の9月
小林vsマルカノがS46年の7月
沼田vsアルレドンドがS46年の10月

・・・と言う事でWBAがマルカノ、WBCが沼田〜R・アルレドンド。
148名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/24(木) 21:36
ただし、フェザー級オーバーのウェートで戦った小林戦の出来を
見ても、ロハス戦の再現は難しいと思う。
減量苦でヒザにガタが来ている上に、リキむボクシングが
癖になっている。
絞りに絞って試合を重ねたあとは、階級をポッと上げたからと
いっても身体の張りは戻らない。

もっと早く階級を上げていたら、>>147の頃の王者には互角か
それ以上の戦いが可能だったと思いますが。
149名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/24(木) 22:13
在日・・・
150名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/25(金) 00:48
>149さん
だれのこと?
151名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/25(金) 19:08
>149はネタでしょ。
152名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/28(月) 13:36
マルセルvs西城なんてどうよ?
153名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/29(火) 00:13
うーん難しい試合だ。西城も手数があってもマルセルに当てるのは結構手間取りそう。
あまりスリリングな試合にはなりそうにないね。いずれにしても判定だろうな。
154名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/30(水) 00:04
マルセルよりも、Jrライトのマルカノあたりとやって2階級とってほしかったなあ。
155名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/30(水) 11:48
マルセルVS西城、以外とマルセルTKO勝ちかも。
柴田戦やゴメス戦をリングジャパンで買って見たせいか、俺はマルセルには
「強い」ってイメージがあるな。
>>154
マルカノ挑戦、岩田健二よりは西城の方がチャンスあっただろうね。
156名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/30(水) 12:01
西城VSオリバレス、西城VSアルゲリョなんかも見たかった。
157名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/30(水) 17:31
西城vsオリバレスいいですねぇ。
西城の最晩年の70、71年はオリバレスのバンタム級王者時代。
第二次政権時代のオリバレスなら・・・とも思わせるのだが。
金沢戦のルーベンなら、西城も見せ場は作れるかも・・。

72年3月のWBC世界Jライト級ランキング
C:リカルド・アルレドンド(メキシコ)
1位:ロベルト・デュラン(パナマ)
2位:アルフレッド・マルカノ(WBA王者・ベネズエラ)
3位:沼田義明(日)
4位:ビクトル・エチュガライ(亜)
5位:ウィリアム・マルチネス(ニカラガ)
6位:アントニオ・アマヤ(パナマ)
7位:岡部進(日)
8位:フランキー・オテロ(米)
9位:イサク・マリン(コスタリカ)
10位:フラッシュ・ガレゴ(比)

こんなメンツの中から日本人ばかり選び続けたアルレドンド陣営の
やり方って・・・・犯罪だな。

ちなみに同時期のWBAのライト級王者はブキャナン。1位はデュラン。
二股かけてたのかな?デュラン(w
西城はWBAフェザー級の4位。
158名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/31(木) 01:25
西城vsオリバレスなら西城大いにチャンスありだろうね。自分で追い込まなくても
出てくる相手は得意だったから。カウンターが打てるからね。小林戦もそうだけど、意外に
誘ってカウンター打ってくる選手には苦戦した。オリバレスならヒットアンドアウエイと
カウンター戦法が通用しそう。アルゲリョは厳しいね。自分の距離で試合できそうにない。
159名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/05/31(木) 01:34
西城ならオリバレスに勝てるでしょう。体格、スピードで上回ってるし、スタミナ勝負
になっても西城なら安心。KOできるかどうかは分からんが。物凄い試合になりそう。
フェザーのアルゲリョは強いからなあ。晩年の、ゴメスとやったころなら無理っぽい。
160アカバロ:2001/06/01(金) 06:40
シンデレラボーイとなってからの、凱旋お披露目戦は凄い人気だった。フィリピンのべサンテ戦。確か西城が最初にダウンを奪うが、その後3Rあたりから7Rあたりまで毎回のようにグラスジョーにパンチを貰いダウンを喫していた。 敗色濃厚となったものの8R(?)か怒涛のラッシュで逆転KO。
確か、その日の裏番のテレビ(生)でも『西城選手、勝ったようです。』と言っていたっけ。
記憶曖昧ですが。
161アカバロ:2001/06/01(金) 06:54
べサンテ戦後、初防衛戦の相手は『ベネズエラの猛牛』と謳われた、ペドロ・ゴメス。(アントニオ・ゴメスの兄)。
グラスジョーの西城と中南米の強打者の戦前の予想は、西城不利。
大観衆の声援の下、華麗なフットワークと手数で、判定勝ち。
人気・実力ともに西城時代の到来でした。
162名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/06/02(土) 11:47
そのころのペドロ・ゴメスの戦歴はどうだったんでしょう。
中南米のわれわれ日本人となじみの深い選手と戦っていたのでしょうか、
記録に強い方教えてください。
163ナバレッテ:2001/06/03(日) 01:08
思い出の名勝負で見たけど、ペドロ・ゴメスは、たいした選手じゃなかったと思う。何より、西城戦のウエートが122ポンドでは、J・フェザー級でしょ。パンチもあるようにはみえないし、はっきりいって、西城の防衛戦の相手の中では、最も格下の部類だと思うよ。それより、あの試合で印象に残るのは、西城が目の上に、ばんそうこうを貼っていること?反則じゃなかったのかな?ワセリンをべたべたに塗っていたのかな?どちらにしても反則ですよね?
164名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/06/03(日) 01:22
西城vsサルディバル

統一戦の気運はあったらしいですね。一時の引退〜
復帰後のサルディバルなら勝てるとの金平会長の読み
もあったのでしょう。マネージャー同士、かなり交渉
を煮詰めたらしいが、西城がクロフォードに大苦戦〜
再戦決定したあたりから雲行きが怪しくなり、ゴメス
との指名挑戦を優先させねば剥奪との勧告を受けるに
あたり、完全に消滅した。

西城には、柴田との統一戦、F原田との新旧対決など
話題にあがるカードも交渉されていたが、いずれも実
現には至らなかった。
165ナバレッテ:2001/06/03(日) 02:09
僕、西城対クロフォードの、一戦目見てないんですよ。仙台でやったやつ。当時の世界戦でありがちな、日本人審判の日本人びいきに助けられたような試合だったのかな?でもクロフォードって、ビラフロアには,1RでKOされているんですよね。
166名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/06/03(日) 02:52
西城、練習でカットしたのか腫れ癖ついてたのか
バンソウコウを両目の上に張っての入場、ありま
したね。試合前のルールミーティングで了承とっ
ているのでしょうが、さすがやり手の金平会長で
す。ラウル・ロハス第一戦、ケネディ暗殺の影響
で試合が中止になると勘違いして飲み食いし、契
約ウェート変更を訴えるロハス陣営に「ノー!」
を突きつけた逸話は、マネージャーとしての彼の
偉大さを物語ると確信しました。
167名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/06/03(日) 03:34
スチーブンスは当時1位なれど大した相手とやってないとの評判だった。
ベテランのドン・ジョンソンに勝った星が光る程度か?
ぺドロ・ゴメスの1位も同様。

最後の指名挑戦者アントニオ・ゴメスで真の実力者に当った感じ。
168ナバレッテ:2001/06/03(日) 03:45
今の採点なら、レイ・ベガにも、負けていたとか?顔がボコボコだったんでしょ?
169名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/06/03(日) 15:53
軽いパンチが採点に反映しなかったようですからね。

サルディバルvs西城が消えた時点で浮上したのがサルディバルvs柴田。
そもそも「ノーギャラでもいい」と西城挑戦を熱望していた柴田だが、
西城vsクロフォード〜ゴメス決定とあって、「僕が西城さんに変わって
サルディバルをやっつけてきます」とティファナへ。
170名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/06/03(日) 16:29
>>163 >>165 >>168
かしこいんだろ、
「走りのどこが凄いという訳ではない」はぁ?ハァ?
アホかテメェ、5流厨房が、しねよ
171名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/06/03(日) 23:25
>>163
あの西城の目の上のバンソウコウだけど、あの時代はけっこう貼っている選手
がいたね。藤猛からタイトルを奪ったニコリノ・ローチェなんかもそうだった。
172アカバロ:2001/06/04(月) 05:36
西城対原田の夢の対決

西城は68年9月に世界王座獲得。69年2月に初防衛成功。

一方、原田は68年2月ローズに敗れ世界バンタム級王座没落後、68年6月に世界的強豪、ドワイト・ホーキンス(68年3月に当時21勝無敗15KOのホープ柴田国明に7RKO勝ち)を判定勝ちし、フェザー級世界ランク入り。
その後、68年9月日本王者の千葉信夫に7RKO勝ち、12月に比国のアモロングにKO勝ちし、西城対原田の新旧夢の対決の機運が高まっていた。

しかし、翌69年4月、原田が伏兵のアルトン・コルター(米国)に接戦の末、不覚・痛恨の判定負け。 当時定期番組で週3本はあったテレビ中継でアナウンサー、解説者(フジは郡司信夫さんだったっけ?)が、『あ〜〜、原田判定負けです。これで、西城対原田の夢の対決が遠のいてしまったか。』と放送してました。

その後、原田は69年6月に比国のツムラク戦(判定勝ち)をはさんで、69年7月にシドニーでジョニ−・ファメションに挑戦します。(あの試合は僕は原田の勝利と今も思っています。レフェリーのヤング氏(?)一人のみのジャッジで、原田がダウンを奪ったラウンド(トータル3ラウンド有りで、10−9のワンポイント差しかつけない。 原田が一度スリップ気味に手をついたのをダウンに取られました。)

西城は69年9月にピメンテルを2RKOに葬り、さらに人気が爆発。

因みに柴田は68年3月にホーキンス戦で初敗戦後、2勝1分けを経て、69年1月に韓国の強打者ハーバート康の持つ東洋フェザー級王座挑戦で、6RKO負け。 しかしその後8連勝5KO1分けを経て、70年12月、当時不敗の(36勝25KO)名王者、サルデイバルに敵地でKO勝ち。

当時、ボクシング番組は日テレ・フジ・TBSと週に定期放送があり、西城も柴田も原田もみんな強くてカッコ良かった。 日本ボクシング界の黄金時代でした。
173名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/06/05(火) 12:06
コルター戦の敗北で原田の株は相当落ちたらしいですね。
ファメション戦もあまり期待されていなかったとか。
そこであんな試合をやるのが原田の凄さなんでしょうけど。
174名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/06/05(火) 12:10
西城vsピメンテル戦だかの日テレ放送席に原田がいて、
アナに「原田さんは対戦を噂される、いわばライバルの立場から
解説してください」って言われてましたね。
「対戦するとなると西城の右クロスは要注意ですね?」・・・なんて
向けられてたなぁ。
175アンチ原田:2001/06/05(火) 22:07
西城vs原田

ロハス戦の出来の西城なら完封もあると思うが、3〜5次防衛戦の出来では
意外と右フック食らって苦しいかも・・・。
176名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/06/06(水) 00:35
勝ちを意識して戦ったら西城は一枚上でしょう。
でも防衛を重ねるに連れて、勝ちかた=倒して勝つことに焦点を合わせはじめて、
ゴメスに負けたときも、足を使ってカウンター戦法に徹底していたら、違った結果も
もしかしたらあったかもしれないなと思う。結構あの試合は強敵という前評判もあって、
しかも西城の性格からしても、うまくかわしきろうなどという老獪な戦法は取れなかったんだろうと思う。
5回も防衛すれば、あまりずるい戦術はとれないだろうし、それで勝ったところで、人気はがたおちするんだろう。
177名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/06/06(水) 01:09
西城の早い左フックのカウンターと右のストレートはタイトル取ったころは
素晴らしかった。しかし、小林戦のころは力みがはいって、左右のパンチは迫力満点
だったが、空振りが多かった。インサイドから打つパンチが少なくなって、
ワンテンポ遅れた大きなパンチが多かった。これでは西城の長所が消えてしまう。
178名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/06/07(木) 21:20
>>177
佐瀬稔さんも、そうおっしゃっていましたねぇ。

話は変わるけど
西城さんのお兄さん、キック転向時もセコンド付いてましたね。
藤原戦でタオル投げて批難されてたな。
しかしキック側の人は「あれ以上、数秒でもやらせていたら
ひどい結果になっていただろう。最高のタイミングだった」と
語っていました。

アントニオ・ゴメス戦では何度も倒れる弟に、タオル投入を
願ったものの、エディ氏を始めとする他のセコンドに止められ、
試合終了時は涙でクシャクシャ。
控え室では記者に「出て行け!」を連呼。
肉親がセコンドにつく難しさを考えさせられました。
179173:2001/06/09(土) 12:53
切り札の柴田はハーバート康にKOされ、原田もFe級ではピリッとしない。
西城は減量苦でメロメロ。・・・・人材不足の日本Fe級に比べ、
康を擁する韓国ボクシング界が羨ましい。
・・・なんて悲観記事もあった時代ですが、今から見ると何を贅沢な・・・
って気分ですね!
180名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/06/16(土) 01:00
ビセンテ・デラード(亜)って・・・。
東洋無敵、小林弘〜サルディバルしか負けていない地代の
関光徳に勝ったもう一人の男なんですね。
中南米遠征後、好調の小林弘には負けている。

こういう語られない世界ランカーっているんだなぁ。
181180:2001/06/16(土) 01:17
しまったスレ違いだった
「中年米〜」スレのnapoles氏へのレスだった。

ビセンテ・デラード(亜)、西城と戦ったロハスが
州公認世界タイトルで防衛戦を行なった相手です。
182Sizzler:2001/06/16(土) 01:40
ビセンテで思い出したけどビセンテ・サルディバルという世界的ボクサーは2名いるんですよね。格下の方はビセンテ・ミハレス・サルディバルといってヘススに挑戦したライト級です。
183名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2001/06/16(土) 01:47
ビセンテ・サルディバル(2世)とか書かれてなかったっけ?
青木勝利(二代目)みたいなモンかと思っていましたが・・・。
184名無しさん名無しさん@腹打て腹。
昭和37年3月:関光徳10Rロニー・ジョーンズ(米)
昭和37年4月:チャチャイ・ラムファーパー(タイ)10R関光徳
昭和37年5月:関光徳KO4Rタニー・カンポ(比)
昭和38年12月:関光徳12R徐強一(東洋Fe級王座防衛C)
昭和41年10月:小林弘10R千葉信夫(日本Fe級王座D)
昭和43年2月:斎藤勝男KO8R千葉信夫
昭和43年3月:千葉信夫KO7R青木勝利2代目(日本Fe級王座獲得)
昭和43年9月:ファンティング原田KO7R千葉信夫
昭和44年6月:千葉信夫10Rフェルナンド・ソテロ(メキシコ)
昭和44年7月:ドワイト・ホーキンス(米)KO1R千葉信夫
昭和44年12月:千葉信夫T7RE金弦(韓)
昭和45年3月:千葉信夫12Rハーバート康(東洋Fe級王座獲得)
昭和45年11月:千葉信夫10R三政直
昭和46年2月:アルフレド・マルカノKO6R千葉信夫
昭和46年4月:金弦KO2R千葉信夫(東洋王座失う〜引退)

*金弦の弦は火扁です。