輪島ジム 21

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595名無しさん名無しさん@腹打て腹。
「新京の病院」
昭和20年8月20日頃。満洲の新京の町病院の玄関で騒ぎがあった。
「大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりながら玄関に出て見て驚いた。
12〜3歳の少女から20歳ぐらいの娘が10名程タンカに乗せられて運ばれていた。
それはまともに上から見ることの出来る姿ではなかった。
その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。
大腿部は血がいっぱいついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが聞きとれない。
次の女性はモンペだけをはぎとられて下の部分は前者と同じだが、
下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。

次の少女は乳房を切られて、片目を開けたままであったから死んでいるのかもしれない。
次もその次も、ほとんど同じ姿である。
一週間、私はこの病院にいて毎日毎日この光景を見て、その無惨、残酷さに敗戦のみじめさを知った。
銃で撃たれて死ぬのは苦痛が一瞬であるが、自分の体重の3倍以上もある
毛むくじゃら男数名になぶられた少女や娘等はどんな苦しみであったろうか。
女医さんに聞いたことだが、「10名に2、3名は舌を噛んで死んでいるんです。
また何名かの方は胸を圧縮されて息絶えている人がありました」と語られたことを想い出す。」
(「されどわが満州」)