「不正ジャッジ」脅迫幹部を実名告発

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3名無しさん名無しさん@腹打て腹。
 松永氏自身も膨大な数の試合で舟橋氏から”不正採点”の指示を受けた。
印象に残っている例として挙げるのが、97年4月のノンタイトル10回戦・A選手vsR選手(フィリピン選手)戦だ。
ジャッジペーパーによると、松永氏は97-95で、他の2人のジャッジも97-96、97-94で地元のA選手を勝たせている。
「舟橋局長から『A選手は負けるわけにはいかない試合だから、3ポイント余分につけるように』と言われました。
試合自体はR選手が圧倒しており、会場からはブーイングも出ました。外国人選手に不利なジャッジを指示されることは
多く、私が担当した試合ではないですが、あるタイトル戦で負けさせられた別の外国人選手には、後日、
『僕はもう1試合ラクに出来る体力が残ってたよ』と笑われました」。
 もう1試合松永氏が挙げるのが、98年6月の10回戦。同じA選手vsM選手戦だ。
「この試合で私は初めて舟橋局長の指示に反旗を翻したんです。A選手を勝たせるよう指示が出たんですが、
実際には終盤、レフェリーストップにならないのが不思議というくらいM選手が圧倒したため、
内容どおり97-98でM選手の勝ちと採点しました。結局、もう一人舟橋局長から指示を受けていた
ジャッジが100-98でA勝ちの採点をし、もう一人のジャッジが96-96と採点したので試合は引き分けに終わりました。
『ドロー』のアナウンスを聞いたとたん、当然自分の勝ちだと思っていたM選手は大声で泣いてリングにうずくまってしまいました。
10回戦の試合ですから、本来、全ラウンド10点満点の採点はありえません。局長の指示とはいえ100点をつけたジャッジには
私も呆れかえりましたね。その後も舟橋氏に逆らった私は00年の試合を最後にジャッジとして呼ばれる事はなくなりました」