IBF日本について

このエントリーをはてなブックマークに追加
478元関係者
中座してしまい大変、失礼いたしました。余計なことですが、私なんかの
投稿にでも関心を抱いてくださる方々がおられるとは嬉しい驚きです。
ここを知ってから数ヶ月ですが、罵詈雑言の類が多く、書き込みなどを
躊躇していましたが、これからは、僅かではありますけれども、
ボクシング界内部の不正、腐敗を暴露したいと思います。
何よりも命を賭けている選手と、汗を流しながら報われることが
あまりにも少ないトレーナー達の為に。
さて安田選手ですが、年が明けて98年1月、注目を集めた飯泉選手
の登場です。試合の順番としてはセミファイナル、メインは安田対
バロンなんですが、設置されているカメラも来場している観客も取材者
も皆、飯泉が目当てです。(安田はこの事が非常に不満だったようです)
バロンなんですが(しかし凄いリングネームですね)その昔ツダの
杉本光一と試合もしましたし元はランカーです。でも10年以上練習も
していない人間ですよ、よくそんなのを引っ張り出してきたもんです。
安田でなくとも怒りますよね。
それと当日の試合はライト級の契約ウェートということでしたが、
バロンはハカリに乗っていません。私などは100グラム単位で体重を
目測できますが、163−5センチで67、8キロは、あった筈です。
リングにバロンが登場してガウンを脱ぐと場内の至る所から失笑が
もれました。試合の内容はというと、コミックショーとしかいえない
ものでした。安田は体を作って試合に臨んだにも関わらず、相手の
ヒドイありさまによって自分までもが笑い者にされたことで、すっかり
フテクサレテいました。相手のセコンドに掴みかかろうとして、
レフェリーに制止されたり。結局、途中でストップが掛かり試合終了と
なりましたが、これを機に池田氏に対する信頼を失いI.B.F.を
去ることとなりました。
しかしプロスポーツ選手というものは一種、或る意味での自己暗示を
必要とするものですが安田の場合は暗示を超えて妄想になってしまい
ーーI.B.F.タイトルを取って次ぎはナジームハメドとの
チャンピオンファイトや、俺のライバルはハメドや、その後に坂本
の挑戦を受けたってもええなーーと私にアツッポク語ってくれました。
とにかくバロンとの試合後、すっかり被害妄想に囚われた安田は、
自分が練習をしているJ.B.C.傘下のジムの選手、トレーナー達、
その他関係者達にやたらにインネンを付けてはカラミまくりケンカを
売りまくり一時は西日本協会の会合の中で(安田の会場出入り禁止)
が話し合われる程でした。その後自称ライバルとして坂本選手の元へ
押しかけたのは皆さんもご存知だとは思います。
かなり冗長かつマトマリのない書きこみで失礼しました。