IBF日本について

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464元関係者
八百長ネタについては、J.B.C.も含めて後ほど、投稿させていただこうと
思っております。
安田選手についてですが、現在は、(これからも)ボクシングには関わっていません。
東京(板橋区だったかな)に住んでいる様です。
彼はI.B.F.JAPANが97年春に活動を再開する際にーー切り札、エースーー
として起用されました。その時点でも充分に日本上位ランカーの力量は備えていました。
表向きには網膜剥離で活動が出来なくなったと云う事ですが(剥離は本当)、
実際に当時のツダジムの力をもってすれば、そんな事には関係無く試合は組めたのです。
あまりの素行の悪さと、しょせんチャンピオンにはなれないだろうと見切られていて
だれも手を差し伸べることなく放置されていたところに池田久氏の大風呂敷に包まれた
ということです。一回目の試合はインドネシア人が相手でしたね。
これは良い内容でした。日本タイトルくらいのレベルでしたね、相手の体格も同じでしたし
ただレフェリーがお粗末すぎて後味の悪いノックアウト勝で終了しました。
二回目の試合はフィリピンのフェザー級の国内下位ランカーでしたが、実際の体格は、
J.フェザーかバンタムといったとこの選手でした。
この相手は巧かったですね。日本タイトルを獲れるくらいのレベルでした。
安田選手のパンチは、全く当らず相手の的確な(ただ単発)パンチを一方的に
もらっていました。それでやってくれたんです、サスガに。
4だったか5ラウンドだったか、安田が猛然とラッシュ開始(一発も当らない)
レフェリーが割ってはいる、(あぁ勝てない相手だからこれでストップにしてしまう)
さすがにそこまでは出来なかったようでスタンディングカウントを取りはじめました
最終ラウンドまでそんな調子で判定は当然、安田選手の勝利です。
二回目の興行ですでに会場にはシラケたムードが漂いはじめました。
I.B.F.JAPANがボクシング界に風穴をあける事を密かに期待していた
関係者は結構いたんですがこの日以降の興行はもう話題になる事も少なくなりましたね
(当日は協栄の金平会長も来賓としてリング上で紹介されていました)
スイマセン、今時間が無いので続きはまた後ほどにさせていただきます。