★オゲレツ盗作屋・田口ランディ監視スレPart4★

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184無名草子さん
自分じゃあ、これだけDQNブリを晒しておきながら、
人のこととなると、徹底的に叩く。最新の日記では湯河原町立図書館館長がメタクソだ。
すっかり有名人気取りで講釈たれるのもいいけど、人の面子なんかまるっきり考えてナイ。

6月25日 もういいかげんにしてくれっ。
(略)
 そうこうしているうちに、来客。誰かと思って出てみると、湯河原町図書館の館長さんとのこと。
 いきなり来るなよ。来宅するなら電話くらいしろよ。しかし相手はまったく意に介せず「うちが、この下なんで」と言う。ご近所だからって、仕事の用事で来るならアポを取ってくれ〜。
 実は以前に、湯河原の友人が「田口ランディさんていう作家さんが住んでいるので、図書館に本を置いてください」と頼んでくれたのだ。そしたら、その返事が「本人が献本してくれるなら、すぐに置いてあげるけど、リストがたまってるから当分ムリ」と返事をされたそうである。
 別に私は献本するのはかまわないのだが、そんなこと言われてまで頼んで本なんか置いてもらいたくねえや、と思った。
 ところが、つい最近、電話がかかってききて「湯河原町の図書館だけど講演をお願いしたい」と言うのである。本も置いてくれない図書館で講演をやる義理はないので「嫌です」とお答えした。以来、連絡もなかったのが、今日、いきなり館長さんと名乗る人がやって来て、またしても「講演をお願いしたい」と言うのである。いきなり電話もなしに家にやって来て……である。
 うーん。でも、もしかして地方というものはこういうものなのか……。私は、なんでお断りしたか、その理由を説明したが「私は最近、館長になったばかりなんで」とのこと。そうか、昔のことは知らないってわけね。ま、それはそうかもしれない。
185つづき:2001/07/06(金) 11:27
「で、私の本はお読みになったことがありますか?」
と伺ったら、館長さんは口ごもって、
「今、読んでいるところで……。なにしろ図書館の本はすぐ借りられてしまうので、自分で買うしかないかなと思っているとこです」
 買ってくれよ、おいおい。私はだんだんと脱力してきた。
「あのですね、講演依頼なさるなら、せめて私の本の代表作くらいは読んで、それで講演してほしいテーマなど考えて、まずは手紙で、ご連絡くださるのが常識ってもんですよ」
 なんで、私がこんなこと教えなくてはならないのか。
「手紙ですか……」
「そうです。手紙にですね、感想と、お世辞でもいいから大変おもしろかった、とか褒めて、そして、つきましてはこういうテーマでお話ししてほしいけれど、もしいまご興味のあるテーマがおありならおまかせいたします。とか書くんですよ。それで、ちゃんと、講演してほしい日時を第3希望くらいまで設定して、講演料を明記して、そのうえで、後日、お電話にてご連絡させていただきますのでご検討ください、って書いて、それから電話するんですよ。これはね、私だけじゃなくて、誰かに講演依頼をするときの最低限の礼儀です。覚えておいた方がいいですよ」
「金額ね、なるほど」
 いったい、私は何者だ〜。なんでこんなことレクチャーしてんだよ。それでも、館長さんはピンと来ないらしい。そこで、たまたま来ていた朝日カルチャーセンターの講演依頼の書類を見せてあげた。
186つづき:2001/07/06(金) 11:29
「こういう風に、書式と、直筆の手紙とをつけるんですよ」
「はあはあ、なるほど、わかりました」
 それから、彼は、朝日カルチャーの講演依頼を眺めながら、こう呟いたのだった。
「やっぱり、忙しくなっちゃったんですね……」
 私はなんだかクラクラした。だんだん私が一般人じゃなくなってるのか、もしかしてこの館長さんのような反応こそが普通で、私の感覚が「著名人化」しているのか。 いや、違う。と私は再び思い返した。私は高校生の頃に、市の図書館に詩人の新谷かずえさんが呼ばれて講演をして、そのときに詩を朗読したことがある。あれは20年以上前のことだが、その時の図書館長の対応を覚えている。とても立派だった。子供心にも人との接し方の基本を垣間見た。

 この館長さんは、とてもイイヒトなんだろうなと思えた。決して悪人ではない。むしろ朴訥で好感がもてる。が、それは隣人としてであって、文章を書いたりする私としては、この対応は納得ができない。私のことを知りもしないで、書いたものを読みもしないで「売れているみたいだし、近所だから」と安易に講演など依頼され、しかも、突然に家に来られたりしては迷惑もいいところなのだ。
(略)
 いろんな人に会って、いろんな依頼を受けるけど、一番困るのは「自分の都合で依頼している」という自覚がない人だ。「これを田口さんに頼むのは、自分の都合なのだ」という自覚がないと、相手に厄介をかけているという発想には絶対にならない。自分の都合を認識していない人は、結局、「誰かのために自分もやらされているのだ」と心のどこかで思っている。だから責任感がないし、熱意もない。そして礼儀もないのだ。
http://www.chikumashobo.co.jp/web/taguchi/t010625.html