★オゲレツ盗作屋・田口ランディ監視スレPart4★

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496中条省平その3
 新作の『アンテナ』は、『コンセント』とはまったく関係のない物語だが、この二つの小説はコンセントのようにつながりあっている。
 じっさい、『コンセント』では、ある女性の狂気の発作に関連して、樹木は宇宙から電波を集める「世界のアンテナ」だというメタファーが記されていたし、新作『アンテナ』には、「男の妄想に感応して、セックスによって他者を癒す売春婦」の登場する『コンセント』という小説のことが語られている。そして、そうした感応力を持ち、みずから「コンセント」と称する人間のホームページの話が出てくるのだ。
 物語の構造においても、『アンテナ』は『コンセント』によく似ている。
 主人公の「僕」は二十三歳で、十五年前に、二歳年下の妹、真利江が突然消えてしまうという事件を経験している。そのせいで、母親は新興宗教に夢中になり、それから数年後に、父親は脳溢血で死んでしまう。真利江のいなくなった後にできた弟は現在、十四歳になる。その弟は精神に異常をおこし、「アンテナが震える」といいながら、錯乱状態におちいる。これを契機に、僕は真利江の失踪の謎に真剣に向きあおうとする。
『アンテナ』は『コンセント』と同じく、妹/兄が突然不可解な失踪/死を遂げ、残された兄/妹がその死の謎を考えるという、ミステリー的な近似の構造をもっている。弟/兄が精神異常を病むという重要なディテールも同一であり、SM的なセックスのかたちや、シャーマンの憑依現象に寄せる関心も共通している。
 さらに重要なのは、『コンセント』の結末にいきなり登場した売春婦が、『アンテナ』ではSMクラブの女王ナオミなる人物に変奏され、妄想による癒しというテーマが豊かな細部をもって描きだされていることである。    、
『コンセント』の結末の、ただの思いつきのような売春婦の登場が、『アンテナ』のナオミの布石であるとしたら、田口ランディのしたたかな計算に舌を巻くほかない。洩れ聞くところによれば、『コンセント』と『アンテナ』はさらに三部作に拡大する予定だという。『コンセント』と『アンテナ』は五カ月たらずのインターヴァルで刊行されているが、来春には完結編が読めるのだろうか。いまから楽しみである。
『アンテナ』の終わり近くにはこんな言葉が書かれている。
「真利江が本当に僕らの中で死んだ時、真利江はようやく僕らと同じ時間を生きるようになった。/人は死によって再生する。そう思えた。/死が生と同義であるなら、死者もまた生者と同義なのだ」
 いずれにしても、この言葉が、『コンセント』や「ひきこもりの心象風景」と同じ、深い場所から発されていることにはみじんの疑いもない。