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無名草子さん:
「噂の真相」十月号で中森明夫が佐野真一批判をしている。中森は私に好意的
な言及をしているので気がひけるが、同誌コラムとは思えぬまっとうな議論に共感
した。
二月に出た佐野の『だれが「本」を殺すのか』は出版の危機をえぐる好著として
評判になったが、私はそうは思わなかった。しにせ出版社の旧態依然たる独善的
教養主義を批判していながら、自身も現実無視の教養主義にひたりきっている。
典型が、本の情報誌「ダ・ヴィンチ」への悪罵で、「気色悪さに吐き気がしてきた」
などと書く。
「ダ・ヴィンチ」には私も連載しているが(中森はこれを好意的に言及)、もし私が
一読者として同誌を愛読していたら、そりゃ「気色悪い」だろう。女優の書いた軽
エッセイや流行作家の書いた軽ミステリーを月にニ、三冊買う程度の“読書好き”
のOLを中心読者に想定した雑誌である。それを50代のプロの言論人が愛読す
るわけがない。
しかし、プロの言論人が難解な本を読み、高尚な本を書き、それでどうにか生
活できるのは、こうしたOLが月に数度でも本屋に足を運ぶからである。さらに、
彼女らの百人に一人は何かの拍子に佐野の本にも手を伸ばすかもしれない。
出版業界は、こうした文字通りの底辺読者に支えられている。その拡大を義務感
と商魂の二刀流でやる雑誌は、見上げたものだ。
私は、佐野の初出の文章も「プレジデント」誌で読んでいるが、同誌がビジネス誌
をやめて教養劣等感誌に変貌したのかと、奇異に思った。
ついでに言っておくと、中学・高校で授業開始前の十分間に好きな本を読ませる
「朝の読書運動に」自称知識人ほど冷笑的なのが、私には理解できない。むろん
私が高校生なら、朝の読書などすっぽかす。前の晩に十時間かけてニーチェを
読んでいれば、朝は十分間でも寝ていたいからだ。しかし、そのニーチェを文庫
本で安価に読めるのはなぜかとういうことぐらい、高校生の私にもわかっていた
はずだぞ。
(呉智英「産経新聞9月24日」)
朝の読書のために真面目に本を買うバカな大衆がいるから、ニーチェを安く買える
ってことでいいの?落ちがよくわからん。