◆そろそろ糸井重里に引導を渡そう◆

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116糸井
>>114 とうとうバレましたか。ヴァカなご本人です(笑)。
2ちゃんでボクが叩かれていると聞いて、
最初のうちは傍観者に徹するつもりだったんですが、
見ているうちにいてもたってもいられなくなり「煽り」という形で参戦してしまいました。
叩かれる本人が出てくるほど興を削ぐことはないのでしょうが、
ま、こういうのもありですよね? 夏の珍事ってことで(笑)。
それにしても2ちゃんねらーのみなさんがボクのことを「おじさん」だとすぐに
見抜いてしまわれたのにはオドロキました。
ふつう公の場では発言者というものは、まず「名前」があって、
そのあとに「発言」があり、そして「責任」を問われるものなのですが、
その場合だと「名前」に「責任」があるのか「発言」に「責任」があるのかわからなくなってしまいますよね。
けど2ちゃんねるというこの匿名空間においては、まず「発言」がある。
「名前」は所詮、無きに等しいし、コテハンというものもあるようですが、
それだって「名前」と「顔」が一致しないかぎり効力を発揮しません。
というわけで2ちゃんねるは「発言」への直接の「責任」が問われるわけです。
しかし、それがすんなりいくかというとそうではない。
それがおもしろいところですね。
「発言」と「発言」のぶつかりあい、というものはどうやら気味が悪いものらしい。
ヒトは「名前」と「名前」じゃなければ落ち着かないようです。
ヒトというのはどうやら純粋に「発言」を批評することができない生き物なのですね。
どうしてもその「名前」の正体のほうに気が向いてしまう。
誰がどんなヒトがこんな「発言」をしたのか、というわけです。
2ちゃんで行われていることは、デジタル上のアナログへの退行、とでも呼べるようなもので、
ボクとしてはそれがたいへん興味深かった。
たぶんこのボクの「発言」もボクの「名前」の正体探しを「煽る」だけで、
結局「発言」そのものは無視されちゃうのでしょうけど(笑)。