1 :
無名草子さん :
2012/01/04(水) 15:19:54.35
2 :
無名草子さん :2012/01/04(水) 15:22:29.47
3 :
無名草子さん :2012/01/04(水) 15:56:55.94
4 :
無名草子さん :2012/01/04(水) 16:06:59.38
なんで過去ログが29巻目からなんだよ。
5 :
無名草子さん :2012/01/04(水) 16:40:34.51
連投君が自分の好きなようにやっているからw
6 :
無名草子さん :2012/01/04(水) 17:42:21.11
オホーツク街道では、ずいぶん京大考古学教室の悪口を書いていたと思ったら、 新聞記者時代の同教室の印象が非常に悪かったみたいですね。樋口隆康さんが 司馬さんから聞いた話として、そんなことを書いておられました。
第1章 門出の花 冒頭の源爺ちゃんと乙女のやりとりが、物語全体の明色を象徴しています。 いっきに引き込まれます。
8 :
無名草子さん :2012/01/04(水) 19:05:47.30
14歳で剣術道場に通い始める前は劣等生だった竜馬。劣等生のあんた方が主人公に 同一化できるような見事な気配りですな。
9 :
無名草子さん :2012/01/04(水) 19:09:05.89
ビーケーワンで司馬遼太郎買ったら、督促状来て、死にたいわ。あああ 司馬遼太郎なんて古本でよかったのに、糞ポンのせいで。
鋳掛屋お馬の母親が坂本家の女中をしていたとはビックリ仰天。 よさこい節で有名なお馬と純信の恋愛だけど、実はお馬は純信より20歳も歳下。 現代だったら、純信のロリコン野郎!変態!氏ね!と罵倒される恋愛でしょうな。
竜馬とお田鶴さまが出会う岡崎ノ浦とは、現在の地名でいうと鳴門市撫養町岡崎のことである。 岡崎の地名も残っているから間違いではないが、他の司馬作品では岡崎ノ浦という名称は あまり使われない。空海の風景では撫養湊、播磨灘物語や街道をゆくでも撫養港だった。
すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、龍馬の最初の江戸行きの旅に 溝渕広之丞は一切登場しません。
長崎に亀山社中ができた頃になって、「実は龍馬の最初の江戸行きの旅で一緒だった 溝渕広之丞が・・・」てな感じで出てくるからいいじゃん。許してやれ。
坂の上の雲はなんでセックスしてないの
第2章 お田鶴さま お田鶴さま登場。美人設定です。お馬も美人だったし、あとで出てくるお徳も美人です。 娯楽小説の決まり事とはいえ、みんな土佐一の美人と言われていて、たれが一番なのかわかりません。
お田鶴さまは平井加尾をモデルにしていると言われるが、家老の妹なのでほぼ別人と考えたほうがいい。 なおこの小説内での兄とされている福岡宮内は実在の人物なので勘違いしないように。 福岡孝茂(宮内)は明治39年まで生きのびている。80歳で死亡。
竜馬が読んでいた韓非子の解釈について、小高坂塾の池次作が竜馬の個性的な 解釈に驚いたという話をお田鶴さまがしている。前章では池次作の塾は車瀬にある とされていた。小高坂にあったのは竜馬を落第させた楠山庄助塾である。
この章の最後のところ、高麗橋で竜馬は何者かに命を狙われる。実は土佐藩のお馴染みの 人物なのであるが、誰であるかは翌日の連載を読まないとわからない。 美人の次には殺陣。娯楽時代小説の王道をいっていますな。
坂雲の主役・真之の孫娘が亡くなったね。合掌
第3章 江戸へ この章のように東海道の宿場がたくさん出てくるところなど、初期作品らしいですね。 後期の司馬さんは自分で旅をするようになりますが、初期作品では主人公の旅が 多く描かれます。
天満八軒家から三十石船で伏見へゆくシーンは、上方武士道の「淀の水車」を彷彿させるな。
枚方の“くらわんか船”は、胡蝶の夢でも出てきた。
寝待ノ藤兵衛や信夫左馬之助を実在した人物だと思っちゃう読者もいるんだな。 少し慣れるとネーミングと物語の内容から即座に架空の人物だとわかるようになるよ。
信夫左馬之助は、吉田宿で挨拶をしたとき竜馬が無愛想だったというだけで、竜馬に遺恨を もつようになる。怖いね、こういう人は。
その吉田宿(豊橋)で一時竜馬と離れた寝待ノ藤兵衛は、夕暮村(いむれむら)という所で 竜馬に追いつく。この夕暮村、現在は豊橋市飯村町という町名に変わっている。 飯村と書いて“いむれ”と読むのは昔のまま。 この夕暮村の土橋というのを、地元の方は殿田橋ではなかろうか、と言っておられる。
>>26 それ蓼の双葉。生えたばかりの芽蓼なので薬味に仕える。藤兵衛が食っていたのは成長した葉っぱ。
ふつう苦くて食えない。
>>24 竜馬って人柄は島倉伊之助とたいしてかわんないよね。行儀や挨拶がまともにできない。
なのに一方は人気者で、他方は嫌われ者。なんでこうなるの?
龍馬じゃなくて竜馬だから
角行の成り駒が“竜馬”と言ってそれに合わせて実際にいた龍馬をモデルに竜馬を創作してるのを忘れちゃいかん
>>28 竜馬には持って生まれた運の強さがある。ペリー来航の年に江戸へ出府し、大政奉還直後に死ぬ。
幕末の重要事件をほぼ網羅できる一生だ。しかも明治維新を見ることなく死んだという悲劇性もある。
カネのかかる戊辰戦争の戦闘シーンを省けるから、映画やドラマにしやすいしな。
第4章 千葉道場 武市半平太、桶町千葉親子の登場。そしてペリー来航です。
土佐藩の若い侍たちの楽しそうな“ふとん蒸し”のシーンを読んでいると、 “ふとん蒸し”をイジメや殺人にしか用いない、ゆとりのバカさ加減がつくづく嫌になる。
35 :
無名草子さん :2012/01/05(木) 16:41:14.18
秋山成勲ヌルヌル事件は、もしかして「竜馬がゆく」がヒントなんですか?
半平太は竜馬より6つも年上なんだよな。中年になれば、6歳ぐらいの年齢差は 気にしないで友達になれると思うが、20代だと6歳の年齢差は大きいよな。 友達感覚はもてないだろう。先輩・後輩だよ。
その半平太の二人目の剣術師匠・麻田勘七は、小野派一刀流です。 岡田以蔵も麻田勘七に師事しました。その後、半平太も以蔵も鏡心明智流に 鞍替えします。
竜馬とさな子が初めて稽古試合をした日、重太郎は松平上総介の家に行っていた。 この松平上総介は長沢松平家の第18代当主・忠敏である。つまり、松平忠輝の直系の子孫。
竜馬とさな子が噂していた「二月の地震」とは、嘉永2年2月2日とめでたくも2が3つ並んだ 嘉永小田原地震のことである。マグニチュードは6.5。この地震での津波はなかった。
最初に黒船に乗り込んだ浦賀奉行所与力・中島三郎助永胤は、長崎海軍伝習所の第二期生 であるから、胡蝶の夢にも登場する(名前だけ)。榎本武揚と同期である。函館戦争で戦死。
43 :
無名草子さん :2012/01/05(木) 18:19:50.77
>>38 忠輝の姉か妹が婿を取って御家を再興したんだから傍系の子孫だろうw
45 :
無名草子さん :2012/01/06(金) 11:23:16.32
ビブリオ古書堂の中に、唯一のミステリー「豚と薔薇」を紹介していたが、 当時、あの後書きの書き方が問題にならなかったのか。 まだ、不安定な時期だったのに、あそこまで書けるなんて。
第5章 黒船来 藩邸の命令で品川陣屋の警備につく竜馬。ところが竜馬は陣屋を抜け出して浦賀へ向かいます。
ここは原作・司馬遼太郎としていない映画やドラマでも真似されるところだな。
“チンチンのねむりをさますエロビデオ たった四本で夜も眠れず”
上喜撰の商品名は、平安時代の歌人・喜撰法師に因んでいる。喜撰法師が茶の産地である 宇治に住していたことから。
51 :
無名草子さん :2012/01/06(金) 15:58:42.44
伊之助が友人の芋を断りもなしに喰ったら嫌われたのに、竜馬が半平太の餅を食っても 嫌われないのはなぜなんですか?
第6章 朱行燈 お冴登場。
信夫左馬之助が京にいたころ柳馬場綾小路下ルの柳心館にいたという叙述は、 うなづけるというか、ニヤニヤできるな。
54 :
無名草子さん :2012/01/06(金) 16:25:35.04
京の柳馬場綾小路下ルで「柳心館」という町道場をひらいていた一刀流の剣客・渡辺一郎 (旧幕時代は渡辺篤)は、自分が竜馬を殺したと自白した人。「竜馬がゆく」のあとがきに 詳細が書かれている。
竜馬と左馬之助が決闘した薪河岸は、神田松住町にあった。現在は神田二丁目。
>>52 お冴は、名前とはうらはらに冴えないキャラだったよね。父の仇を討つ殊勝な
心がけの娘だと思っていたら、登場したとたんに淫乱キャラと判明。
竜馬の顔を見るたびに「オマンコしようよ」ばかり。
竜馬の童貞を奪うならば存在価値もあろうが、それもなし。
最期は竜馬が高知へ帰省して留守中にコレラで死亡。
それも、藤兵衛による事後報告のみ。
「風神の門」の小若ほどにはひどくないけど、存在意義のようわからんキャラだった。
青春小説だから性欲の問題は避けて通れない。お冴でそこに踏み込もうとしたんだろうが、 さな子、お田鶴、乙女といった他の女性キャラの出来が良すぎて、比較すると、お冴はパッ としないんだよな。「難波村の仇討ち」のお妙のようなちゃっかりした娘でもないし、中途半端で つまらんかったな。濡れ場もたいしたことないし。
以上連投自演である。
そろそろ別の司馬スレを建てようかと思うんだが ここは連投君の個人スレになってしまってるし
第7章 二十歳 竜馬と桂小五郎の出会いの章です。
》正月から年号も嘉永から「安政」に変わり・・・ 何度も繰り返すようだが、1854年の11月27日までは嘉永7年。 安政元年は、その後の1ヶ月余りだ。
相州宮田村の長州陣地の剣術試合に登場する長州・土州の剣士たちは、ほぼ 史実どおりです。
日根野愛馬と平尾五八は、なんか怪しいな。
三浦富士のある牛込村で竜馬と小五郎が出会ったというのは、創作だからな。 わかっちゃいるんだろうが、このシーンはその後の映画・ドラマで散々真似された。 おかげで史実だと思い込んでいる竜馬ヲタの多いこと、多いこと。わろたワ。
>>64 長州藩士の財満新三郎は上士なので、絵堂の戦いでは俗論党政府軍の兵として出陣し、
奇兵隊に殺されている。花神にその話が出てくるよ。
斉藤弥九郎の息子の斉藤新九郎。読者は覚えておいでであろうか。 何度も名前が変わった斉藤道三が一時期斉藤新九郎と名乗っていたことを。
>>63 嘉永7年11月4日に発生したのに安政の大地震とは、これいかに・・・
まあ、これは司馬さんの責任じゃないけど。
71 :
無名草子さん :2012/01/07(土) 18:23:45.23
>>70 安政大地震は安政2年10月の地震をいうから、一般のネーミングは問題ないんだよ。
それなのに、前年11月の地震を、司馬さんが“いわゆる安政の大地震”と言ったものだから
紛らわしくなっている。
もっとも、あとで“安政二年の大地震ほどにはいたらなかった”と気づいてはおられるんだが。
第8章 淫蕩 サブタイトルどおりの内容です。
仇の信夫左馬之助が会津へ去ったとはいえ、藤兵衛はお冴を売春宿から落籍せたんだろう? お冴は会津まで左馬之助を追って仇を討てる自由の身なんだよ。京から江戸へは仇を追えて も、江戸から会津へは仇を追えない理由はなんなんだ?
>>73 龍馬とセクロスしたかった。それしか頭になかった。
父が殺され、弟が死んでも、それについて、お冴の口から何か申し述べたことはない。
>>71 地震の規模としては、嘉永7年11月のほうが大きい。マグニチュード8.4だから。
しかし、震源地は江戸ではなくて東海と南海(2つきた)。
藤田東湖が圧死した安政2年10月の江戸安政大地震は、マグニチュード6.9。
江戸が直撃されたので、映画やドラマではこちらの地震が有名。
しかし、お冴を死なせるならば、この地震だよな。龍馬の江戸不在中にコレラで死ぬ というのはいただけない。作者もお冴というキャラが気に入らなかったんじゃないかな?
新選組が出て来たのも安政の大地震で多くの会津藩士を亡くしたからってのもあるんだよな
なーるほど。このスレ有意義だなw
79 :
無名草子さん :2012/01/08(日) 19:00:33.27
龍馬の初体験にひっかけて「甲子夜話」に出てくる加藤清正の初陣の話が書かれている。 龍馬の初体験は地震に邪魔されたかたちで終わったが、その地震で妻恋坂下手代町に 火の手が上がったという叙述がある。妻恋坂という地名は艶めいて、淫蕩のサブタイトル にピッタリだが、付近に加藤清正の銅像がある。
80 :
無名草子さん :2012/01/09(月) 13:51:09.36
第9章 寅の大変 サブタイトルの寅の大変とは、安政南海地震のことです。
>>71 東海・南海連動型の大地震なんで、安政2年の江戸地震と合わせて「安政の大地震」と呼ぶ
のが専門家の間でも定着しているらしい。
この地震を契機に嘉永から安政に改元した当時の人々の気持ちを慮るならば、嘉永南海地震
と呼ぶのが相応しいとは思うが、定着している用語なんで変更すると混乱するな。
東海の人が何軒倒壊したんだと訊くと、南海の人が何回起きれば気が済むんだと云った。 江戸の人は、もうえーどと云った。
赤づら馬之助(新宮馬之助)登場。 稼業の焼継屋(やきつぎや)というのは、割れた茶碗や瀬戸物類を接着して再生する リサイクル業者。うるしで接着したり、白玉粉と呼ばれるもので接着し加熱して焼き直した。
お冴とやるのを躊躇した竜馬が、それまで挨拶をしたこともない岩本のお徳と初体験。 それもお田鶴さまへ夜這いをかける道すがら、馬之助に声を掛けられて、急遽初体験 の相手をお徳に変更ときた。なんなんじゃ?
第10章 悪弥太郎 竜馬の帰郷は長引き、安政3年夏まで高知に滞在しました。江戸へ出府する竜馬は 権平に頼まれ井ノ口村の牢屋に監禁された岩崎弥太郎に面会します。
竜馬と弥太郎の出会いについては、この小説では特にドラマらしきものはない。 権平兄の言うところでは、坂本家と岩崎家は「薄い縁」があるそうである。なんのこっちゃ?
司馬さんは、安芸郡の郡奉行所の所在地を「田野浦」にしているが、田野浦で検索すると 四万十市(むかしの中村市)の田野浦ばかり出てくる。 安芸郡田野町の浦ということである。 奉行所は、現在の高知県立中芸高等学校の校地にあった。
後日の竜馬と弥太郎の関係を考えて、弥太郎が脱藩した竜馬を追跡してくる前に、 一度二人の顔合わせをしておくべきだと思って、無理にここに挟んだような章だな。
>>76 それにコレラの流行は安政5年だからな。江戸での流行は同年7月。物語は現在安政3年だろう。
お冴をコレラで死なせちゃいかんよなw
第11章 江戸の夕映え 安政3年秋、江戸に帰ってきた竜馬。特にこれといった事件もないために、会津にいた 信夫左馬之助を再び本所鐘ノ下の玄明館に戻して竜馬を襲わせています。 その年の暮、父親の八平さんがお亡くなりになります。
寝待ノ藤兵衛がお冴の遺体を葬ったという深川万年町の恵然寺は、現在、寒光寺と 名称を変えている。もっともお冴の墓がないことは云うまでもない。
千葉重太郎さんが「自分も講武所に出仕することになった」と言っているけど、 重太郎さん、法螺吹いているよね。
>>90 そこの間違いは、胡蝶の夢で訂正しているから、許してやれよ。
第12章 安政諸流試合 安政4年10月に行われた土佐鍛冶橋藩邸での試合と、同年冬に行われたアサリ河岸桃井 道場での試合の模様です。
斎藤道場の猛者として桂小五郎が挙げている斎藤誠助、斎藤幾之助、斎藤四郎助 という人物が、たれだかわかりません。
弥九郎先生のご子息のうち剣名が高いのは、長男の新太郎と三男の歓之助だけどね。
>>98 創作といわれている安政諸流試合の出場者のなかに斎藤誠助らがいるんだよ。
100
剣名を上げた桂小五郎を藩邸に招いて剣技を披露させた大名が二人登場する。 大村純熈は、胡蝶の夢で伊之助が平戸へ向かうべく西彼杵半島を旅している途中で、 松林飯山の名前が登場した余談で出てきた。松林飯山は、大村藩の藩儒である。 壬生藩主の鳥居忠挙も、同じく胡蝶の夢の松本良順の江戸城初登城の際に登場した。 当時は若年寄であった。
森要蔵の子息を森寅雄と書いているが、子息は虎尾である。寅雄は曾孫。 余談で登場する昭和9年5月の昭和天覧試合で優勝した野間恒が森要蔵の 曾孫というのは誤りではないが、ほかの曾孫に森寅雄というのがいた。 野間恒の従兄弟に当たる。野間恒は天覧試合で、この従兄弟の寅雄に 勝って優勝したのである。
上田馬之助について詳しく知りたい奴は、司馬の短篇『斬ってはみたが』を読め。 馬之助が主人公だ。
第13章 若者たち 安政5年9月、竜馬は江戸での剣術修行を終了し帰国の途につきます。 ちょうど同じ時期に安政ノ大獄が始まりました。
講武所に士官することが決まっていた千葉重太郎は、この正月、鳥取藩池田家の 剣術指南役に迎えられることになり、どういうわけか喜んでいた。幕臣よりも陪臣 のほうが嬉しいらしい。
井伊直弼を大老に就任させる裏工作をした松平伊賀守とは、松平忠固である。 忠固は井伊を傀儡にして堀田正睦を失脚させようとしたが、それが井伊にバレて 堀田とともに免職、蟄居を命じられた。
108 :
無名草子さん :2012/01/11(水) 12:57:07.53
この章あたりから徐々に政治に関する余談が増えてくるね。政治に無知な 竜馬に武市が解説するという形をとってはいるが、政治的傾斜の強い武市 に解説させると客観性を書くから筆者が説明しようとしゃしゃり出てくるw
タウンゼント・ハリスの対日強硬態度に関して、「単におどしではなく、事実去年 の九月、英国は清国を攻めて広東を焼き払っている」という叙述がある。 ハリスの話は安政3年であるが、ここを基準にして「去年」ではなくて、武市が竜馬 に解説をしている安政5年を基準にした「去年」である。とすると、安政4年のアロー 号事件で広東が焼かれた話をしていることになる。
110 :
無名草子さん :2012/01/11(水) 13:04:55.13
アロー戦争は1856年(安政3年)じゃないの?
>>110 1860年まで続いている。あしかけ5年の戦争だ。これで中国の半植民地化が決定的になった。
幕末モノ時代小説を読んでいると、阿片戦争(1840年終了)が攘夷運動に与えた影響を云々
することがあるが、阿片戦争で危機感をもった日本人は先覚者数名だろう。実際には、第二次
アヘン戦争と呼ばれるアロー号事件の影響が絶大だ。
それも情報に明るいエリートだけだな。庶民の攘夷はペリーの砲艦外交に対する幕府の 弱腰が契機だな。
桂小五郎と富子の結婚について、桂はにやけ、竜馬はうらやましがっているが、 実はこの結婚は3ヶ月で終了した。富子が桂家になじめず、3ヶ月で実家に帰った。
ほう。桂さんも最初の結婚は失敗でしたか。
やり逃げ結婚ウマイです
第14章 旅と剣 剣術修行を終え江戸を旅立った竜馬の道中記です。この章は近江の石部宿まで。 三条家の公家侍・水原播磨介と道連れになったために安政ノ大獄に巻き込まれて しまった竜馬です。
竜馬が宿泊した掛川の旅籠・捻金屋は、上方武士道で高野少将も泊まっている。 後者では“ねじ金屋”と表記されていた。
東海道の宿場は司馬の初期作品で舞台になることが多い。この章で登場した宿場は 他作品でも、以下の章で出てきている。 小田原宿……上方武士道27「お坊主脅し」 興津宿………上方武士道24「興津の女」 岡部宿………風神の門12「ちちろ斬り」 掛川宿………上方武士道23「やくざと武士」
竜馬と播磨介は、掛川の下俣村の戸神明神の参道で井伊侍に襲われる。 戸神明神は現在は利神社という。江戸時代は「戸神大明神」と称していた。
竜馬が桑名で泊まった旅籠・京屋小兵衛は実在した旅籠である。 藤枝梅安は、「梅安乱れ雲」の“凶刃”の章で、桑名の京屋小兵衛宿において 焼蛤と蛤入り湯豆腐を食している。
123 :
無名草子さん :2012/01/11(水) 17:30:05.92
>>122 京屋小兵衛は竜馬一行に挨拶に出ています。翌朝、竜馬が鹿田伝兵衛宅から
戻ってみると京屋小兵衛はいなくなっていて、「宿の女主人」が出てきました。
一夜のうちに社内クーデターが起きて、小兵衛は退任させられたんですか?
まさかwww
桑名の鹿田伝兵衛は架空の人物。大河ドラマでは田崎潤だった。
四日市の赤堀は、上方武士道でも出てきたな。この小説にも出てくる銭亀橋で 門兵衛が素焼きの鈴に入った手紙を女に手渡される。この小説では「銭がめ橋」 になっている。
石薬師宿、亀山宿は、上方武士道の「ゆすり公家」の舞台になった宿場。 高野少将らが長逗留した宿場は、庄野ノ宿。 なお亀山藩の石川家というのは、石川数正の子孫の家。
亀山市に海善寺というお寺はあるが、海善寺川という川はない。 もしかすると海善寺の付近を流れる椋川がそうなのかもしれない(確証なし)。
水口宿で水原播磨介は与力・渡辺金三郎に捕縛される。 水口宿については、上方武士道の「竜法師の人怪」を参照。泥鰌汁についても 詳しく書かれている。この小説では、どじょう汁になっている。
渡辺金三郎の暗殺には岡田以蔵もかかわっていると伝えられている。
>>130 武市の『在京日記』には、他の12名の土佐藩士の名前は書かれているが、
岡田以蔵の名は出てこないぞ。
132 :
無名草子さん :2012/01/12(木) 15:18:40.34
水原播磨介は安政5年の水戸藩への孝明天皇の密勅、いわゆる戊午の密勅に 関連した文書を江戸から京へ運ぶという役割だった。上方武士道の高野少将の 役割も、これに絡めれば面白くなったのにな。高野少将の場合、何をしに江戸へ 向かったのかが不明だったw
第15章 京日記 京都に到着した竜馬はお田鶴さまと再会しますが、猿の文吉に不審人物として 目をつけられます。
>>132 三条屋敷の近くに高野少将の屋敷もあると書かれています。
前章から本章にかけて、竜馬を安政ノ大獄にからめてゆくあたりは、流れが自然でいいな。
目明し文吉を登場させて竜馬とからめる。このへんが上手い。文吉なら読者の想像力の範囲 におさまるが、間部詮勝や長野主膳と竜馬をからめるとしらけるからな。
文吉の出身地は御菩提池村。これを“みぞろがいけむら”と読むんだな。初めて知った。
深泥池といえばロジャ・メイチン君だな。
竜馬とお田鶴さまが再会した吉田山は、司馬作品によく出てくる。 風神の門では、菊亭晴季の別荘があって隠岐殿が借りていた。紅葉屋敷といっていたかな?
ふたりが再会した智福院は、現在、吉田神社に移され天満宮と呼ばれている。
第16章 風雲前夜 安政5年秋に高知城下に帰郷した竜馬。この章は、文久元年の土佐勤王党の結成 までの3年間が語られます。盛りだくさんの内容です。
土佐に帰った竜馬がまず始めたのが学問。河田小竜登場。 河田小竜とともに薩摩の洋式工場を視察した砲奉行の池田観之助は、 歓之助が正しい。
饅頭屋長次郎登場。長次郎は河田小竜の下で蘭学を学んでいた。 ちなみに男一匹ガキ大将のまんじゅう屋藤助も高知の人。
>>117 ポジ・ネガっつーか左右が逆なんだわな。
ポール・マッカートニーのハイ・ハイ・ハイの日本盤シングルの写真と同じ。左右がイギリスと逆。
続いて永福寺門前事件。一般には井ノ口村事件という。 中平忠一郎と衆道関係にあった美少年・宇賀某とは宇賀喜久馬のことである。 18歳で殺されている。たいへん美少年であったそうである。
明けて安政7年は、3月18日に万延元年になる。 桜田門外ノ変は、竜馬が山北村の乙女を訪ねていたところへ、馬で駆けつけた武市 半平太が知らせるという芝居仕立で語られる。乙女夫婦はその直前まで夫婦喧嘩を していた。 後期作品ではめっきり少なくなる芝居仕立の物語展開がまだまだ豊富に読めるのが 「竜馬がゆく」の良いところである。
水戸藩の遊説者・住谷寅之介を接待した話は、この作品をずいぶん前に読んだ俺なのに、 明瞭に記憶していた。初読のときは爆笑したよ。 二読目の今回は、川久保為助を川久保為之介と書き違えていることに気づいてしまったけど。
明けて万延2年。文久元年になるのは、2月19日からである。 土佐勤王党の結成。
153 :
無名草子さん :2012/01/16(月) 12:05:55.10
>>13 司馬は第一回目の江戸行きの道中を溝渕広之丞と同道したとは書いていないよ。
第二回目の江戸滞在のとき土佐藩邸で竜馬と広之丞が一緒だったとしている。
第17章 待宵月 前章では桜田門外ノ変が起こり、サブタイトルどおり風雲前夜でしたが、 本章は十五夜の前夜、待宵月です。
下の才谷屋のお美以(17歳)登場。美人ということだ。 武市の妻・富子も美人設定。 乙女姉すらそこそこの美人という設定だ。次々に美女が登場する。 土佐は日本有数のブスの産地ということを忘れないでもらいたい。
広末涼子可愛いと思うが
>>146 >一般には井ノ口村事件という。
井ノ口村は岩崎弥太郎の出身地。この事件が起きたのは高知城下の井口村。
竜馬が薄野で襲われた。襲撃者の中に乾退助がいる。 小学生の俺でも、こりゃウソやろと思った。 板垣退助は当時100円札の人だった。
吉田東洋暗殺の主唱者は、この小説では那須信吾ということになっている。
第18章 頑固家老 前半は吉田東洋の履歴が語られますが、後半は前章の続き、つまり那須信吾が 竜馬と半平太を相手に東洋暗殺の必要を述べる場面の続きです。
吉田東洋は酒癖の悪い松下嘉兵衛の頭をポカリと殴ったために4年間の蟄居を 命じられた。その場所が長浜村と書かれている。現在は高知市長浜町になっていて 近くにハルウララで一躍有名になった高知競馬場がある。
吉田東洋と後藤象二郎が親戚であることはしばしば語られるが、正確にいうと 東洋の妻の琴子が象二郎の叔母。姻戚だ。血のつながりはない。
第19章 萩へ 「萩へ」というタイトルですが、その道中で立ち寄った丸亀でのお話です。
中だるみの章です。お初(17歳)という女性を登場させる必要があったのでしょうか? お初は気丈でしっかり者かと思いきや、竜馬と別れる前にはメソメソと泣き出したり、 一貫しない性格で、読んでいてイライラしました。
前々章で下の才谷屋のお美以(17歳)を食わなかった。次に那須信吾を出して 暗殺の話を始めた。「おい、17歳を喰うんじゃないのか?」というご要望にお応え して、お初を出した。もちろん据え膳です。
おそらくこの章だけの使い捨てだろうと予想されるキャラばかりで構成された章 であることがミエミエなんで読む気力が失せるんだろうな。
おまいらのように恋愛に縁のないやつには、人気のないところなんだろうなw お初の淡い恋心は、一般にはけっこう人気がある。
土器徳というやくざ者が登場するが、「花の生涯」にも土器徳という名前のやつが出ていた。
169 :
無名草子さん :2012/01/17(火) 07:33:43.77
>>127 違う。数正ではない。叔父の石川家成の系統です。
>>167 お田鶴さま付きの老女の名前が「はつ」なんだよな。お田鶴さまが三条家に行った
とたんにフェイド・アウトした。
お初はこの章だけの使い捨てだから、それほど目立たないが、お冴はあれだけ 引っぱった後にコレラで死亡だから、なんとか使い道を考えてもらいたかったな。 そもそも信夫左馬之助が仇だったはずなのに、彼との関係はほとんど述べられず、 いつのまにか信夫は竜馬を付け狙うようになっていた。ここもヘンだな。
>>171 おりょうの妹が借金の質に取られた話のところで、金貸しのやくざ者が出てくるが、
京出身のお冴を金貸しの妾にして竜馬と再会させれば面白かったのにね。
信夫左馬之助も新撰組じゃなくて、金貸しの用心棒でよかったのに・・・
そんなことしたら金貸し組織の内部で仇討ちをやってしまうがなw
お徳はもっといらなかったな。竜馬の童貞を喰うためにのみ登場した変なキャラ。
第20章 希望 丸亀を去った竜馬は、松山から廻船で長州の三田尻港へ向かいます。 ここで年が改まり文久二年。萩で久坂玄瑞に会った竜馬は、脱藩を考え始めます。
第五十章のサブタイトルも「希望」なんだよな。同じ小説内で二度も出てくる。
おまいらがキャラの使い捨てを嫌うもんだから、梶取の七蔵が船頭に出世して再登場したw
和船の役職のうち胴間というのが出てくる。掌帆長の意味らしい。 胴の間というのは和船の中央部の意味だが、そこに帆柱があったため、掌帆長を胴間 と呼ぶようになったのだろうか。
>>180 胴間声の語源も、和船の胴間からじゃないかな?
胴間で帆の上げ下げの仕事をするときは大声を張り上げないと、水夫どうしで
会話ができないから(ソースなし)。
七蔵の台詞に出てくる“じゃがたら”とはインドネシアのジャカルタのこと。 ジャガイモは、略さずに云うと“じゃがたら芋”。 ジャガイモの原産地は、ペルー・ボリビアの標高4000mにあるティティカカ湖周辺で あるが、大航海時代に世界に広まり、日本へは蘭船がもたらした。
住吉丸は屋代島の沖合いで黒船とすれ違う。 屋代島とは、周防大島の正式名称である。他の司馬作品では周防大島と 表記されることが多い。
久坂玄瑞と寺島忠三郎、登場。
龍馬伝の久坂玄瑞は変態っぽいキャラにされていたな。 芥川賞受賞の田中慎弥みたいだった。
>>188 伊之助(司馬凌海)って、こういうやつだったのかと、分かったような気がした。
クロパ貯金
第21章 土佐の風雲 文久2年、島津久光が上洛の途につきます。それに触発されたのか、吉田東洋の 暗殺を急ぐ武市半平太。竜馬は彼らと袂を分かち脱藩を考え始めます。
武市が抱き込んだ土佐藩の保守派・山内民部は容堂の実弟。22歳。
東洋暗殺計画は三回あったようで、この章では失敗した第1回と第2回の顛末が 記されている。 第1回の暗殺者・岡本佐之助は岡本八之助のことである。
第22章 脱藩 吉田東洋の暗殺と竜馬の脱藩が語られます。 竜馬の佩刀・陸奥守吉行に関連して、唐突に次姉・お栄が登場します。
東洋暗殺者のひとり安岡嘉助の名前は、翔ぶが如くの第38章「肥後荒尾村」で、 熊本県令の安岡良亮を紹介するところで出てきたが、安岡良亮と親戚ではない。
お栄の自刃は痛ましいな。坂本竜馬という英雄を世に出すための犠牲として 美談のように書かれているが、自分のために姉が死んだと思うと、もう故郷に 帰れないわな、現代の感覚だと。
竜馬の脱藩の道は、半月後に那須信吾が歩んだ道と同じではないかとされている。 信吾は脱藩の行程を、実兄の浜田金吾に手紙で知らせている。 この浜田金吾が、田中光顕の父である。
お冴って一体なんのためにいるのこいつ
第23章 追跡者 脱藩した龍馬は長州へ向うが、訪ねるべき吉村寅太郎は京都義挙に備えて 上方に上った後だった。大坂に着いた竜馬を待ち受けるのは、下横目の 岩崎弥太郎と井上佐一郎。そして、岡田以蔵による井上暗殺。
弥太郎の妻・お喜勢(17歳)の出身地を改田村としているが、里改田村の間違い。
井上佐一郎暗殺に加わった田内喜多治は、武市半平太の実弟である。
井上暗殺に加わった勤王派の下横目・吉永亮吉は吉永良吉で探すと見つかるよ。
京都義挙に備えて大坂の薩摩藩邸に詰め掛けた清河八郎らを足止めした 知恵者・堀次郎は、何度も改名している。明治後は伊地知貞馨の名で知られる。
井上佐一郎は住吉陣営に福富健次を訪ねるが、この福富健次、安政諸流試合において 桂小五郎に負けている。
「象二郎、おまん1時間で8回オナニーしたちゅうて自慢しとったが、容堂公は9回 したちゅう話じゃ」 「退助、大殿様はテッィシュで拭く15分をロスタイムに算入したっちゅ話じゃ。実質 75分で9回じゃきに。わしゃきっかり60分で8回。わしの勝ちじゃ」 象二郎は不敵な笑みを浮かべた。
否定的な奴 というかアンチ大杉ねぇ?
オナニーは人生のロスタイムだ。
第24章 寺田屋騒動 サブ・タイトルどおりの内容。お登勢の見せ場でもあります。
》産寧坂の土は、赤埴の壺のように赤い。 “埴(はに)”は、赤い粘質の火山灰沃土で、土器の製造に使われる。 つまり赤土のこと。 なお、東京の赤羽は、この赤土を意味する赤埴(あかはに)が地名の語源 ではないかと一般的にいわれている。
寺田屋事件で殉難した薩摩藩士たちを詠ったとされる “咲いた桜に なぜ駒つなぐ 駒が勇めば 花が散る”は、 龍馬の作であると司馬さんはおっしゃっているが、デタラメ。 伊勢の民謡で龍馬の時代よりずっと前からある歌である。
三本木の妓楼で、新七は妓を組み伏せ抱いていた。そこへ橋口吉之丞が駆けつけた。 「宿の者、たれぞおるか」 へっ、と手代だ出てきた。 「どなたさまでござりまする」 「二階に薩摩の有馬新七がおろう。同藩の橋口が、童貞を捨てにまいった、と云って くれんか」 「へへっ」 手代が階段をかけあがった。 階上。―― 「なにィ?童貞の橋口どんが来たと?すぐ、ここへ呼べ」 「しかし、お客さまはおとりこみ中。よろしいのでございますか?」 「橋口は童貞を捨てにまいったのだ。この妓とすぐにでもやりたかろう」 「しかし、お客さまのモノが妓の中に…」 「よいわ。橋口、橋口、橋口。オイごと刺せ、オイごと刺せ」
面白いw、もっとやれ
止まってるか?
219 :
無名草子さん :2012/01/30(月) 21:07:48.85
220 :
無名草子さん :2012/02/01(水) 20:22:16.05
まだ〜? 俺はもう蛤御門ノ変のあたりを読んでいるんだけど・・・
第25章 流転 清河八郎、登場。なんと竜馬とともに江戸へ旅をします。 土佐で政権を奪取した半平太は、竜馬と入れ違いに上洛します。
半平太とかテロリストだろ
223 :
無名草子さん :2012/02/04(土) 17:54:39.22
竜馬と清河八郎が酒を酌み交わした料亭<よしや>は現存する店である。 現在は余志屋の店名で営業している。
嘉永5年の四万十川堤防工事の話が、この章で出てくる。 工事の奉行を務めた池田虎之進は、井口村刃傷事件の池田寅之進と同姓同名なんだが、 同一人物なのであろうか?
竜馬は、割烹よしやの払いを、清河八郎から分捕った財布でするのだが、 こんなことをすれば伊之助よりも嫌われるよな。
竜馬のほうが伊之助よりも数倍嫌われることをしているわけだ。伊之助は 友人の焼き芋を勝手に食ったにすぎない。 結局、周囲の反応が暖かいか冷たいかの違いで、竜馬がゆくと胡蝶の夢は 正反対の小説になった。現実世界で竜馬のように他人に嫌われないように しようと思えば、きめ細かな気配りが必要なんだろうが、小説では簡単にできるからな。
俺は竜馬嫌いw
竜馬は自己中
>>226 人物固有の性格よりも、周囲の反応でキャラが決まるということだな。
禁門の政変で没落した三条家とお田鶴さまを助けるために、龍馬が乾退助の 懐から財布を強奪した。そんなことをされても退助はにやけた笑いで許すもんな。 信じられん。
龍馬じゃねーよ竜馬だよw 龍馬がそんなキチガイみたいなことするわけねーしwwww
項羽と劉邦を読んでるけど、 「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」 って言葉がしっくり来るね。 劉邦が勝てた理由は良くわからないけど、項羽が負けた理由は良くわかる。
233 :
無名草子さん :2012/02/12(日) 17:48:52.75
引越し中。 本日、司馬遼太郎全集の引越しも無事終了した。
234 :
無名草子さん :2012/02/12(日) 20:45:00.92
司馬遼太郎程の作品を書く人でも、自分は学究肌の運動苦手タイプって言うのが、何かおかしいな。 自分が出来ないことを、作品では書くのかな。作家とは、そういうものなのか
>>232 劉邦が勝てた理由は簡単じゃない?
・関中の穀倉地帯を抑え、補給を確実にした
・反楚の諸侯との連携に成功
・韓信の中原平定により楚の背後に大勢力圏誕生
>>234 運動は苦手ではないよ
何をやっても二流と自己評価していたけど
若いころは結構外向的なバンカラ少年
本の虫ではあったけどネクラではない
劉邦が勝てた理由がよくわからないとかいう人は読解力記憶力のない人なんだろう 司馬遷はちゃんと書いてるよ
>>235 ショウカや韓信がなんで劉邦に尽くしたのかが良くわからないんだよ。
劉邦を見限ってもっと有能な将の所に行きそうなものだけど。
もう少し大人になれば分かると思う それが年を取っていく人間の醍醐味だ
241 :
無名草子さん :2012/02/18(土) 09:14:40.90
今日は菜の花忌シンポジウムがある
9時をお知らせします。
>>231 龍馬は超美化されてるが実際は悪い意味で乱臣賊子ギリギリやぞ。
当たり屋いろは丸事件では紀州藩の責任者切腹させてるし
勝海舟門下の頃に暗殺に参加してるし
形勢不利になると海軍操練所の運営資金横領して脱走するし
銀座押さえちまえば慶喜の奴手も足も出ませんぜとか言ったり
大政奉還失敗したらキリスト教徒を扇動して暴動起こさせましょうとか言ってるし。
高杉晋作的だよね
龍馬が横領して逃げた話は松浦玲「坂本龍馬」に載ってたな。 龍馬、近藤長次郎、高松太郎の三人で分担してやった計画的な犯行。 勝には友人の敵討ちや脱藩赦免で援助してもらいまくったのに恩知らずだな龍馬w これを境に勝とは縁が切れた 銀座を〜とかキリスト教徒を〜とかは佐々木高行への手紙とか佐々木の昔日談とかに出てくる。 佐々木は武市存命の頃から勤王党に協力してくれた貴重な上士。 龍馬が人を斬った話は勝の日記と海援隊士の回顧談にあるわ 当然竜馬と龍馬は別人なんだが、これ分かんない人が未だに多い。
「竜馬」は龍馬をモデルにした架空の人物だからな
司馬竜馬のおかげでこれだけ有名になったわけだし、 TVドラマの龍馬も大概だし、もう本当の龍馬なんてもうどうでもいいんだろう
竜馬がゆくのエピソードを史実と勘違いして 芝居の脚本を書くような阿呆もいたらしく、 司馬さんはかなり怒ったこともあったらしい
司馬も大概ホラ吹きだけどな 「竜馬」を引き合いに出す輩の胡散臭いこと あんな歴史ファンタジーラノベ鵜呑みにしてバカじゃないのかと 言ってる人がいたなw 青年漫画の世界だよな、エロあり、立身出世あり
架空の人物「竜馬」による幕末ラノベですから
小説家なんだからホラ吹きというのは 褒め言葉だよな。
>>203 史実では龍馬も吉村虎太郎と同様、伏見義挙に参加するため脱藩したんだけど
司馬が主人公をガセ情報(※島津久光の上洛は倒幕の挙兵とかいうやつ)に踊らされて
ムダに脱藩するアホの子にはしたくなかったため改変された部分だねw
結局龍馬も最終的には浪士が群れても大したことはできないという現実を認識し
武市と同様、土佐24万石を率いて行動すべしという結論に落ち着く。
254 :
無名草子さん :2012/02/20(月) 02:17:34.71
実際の坂本龍馬もある程度その時代の有名人なんだし 小説の主人公として多少脱却があっても別にいいんじゃないの? 人間ってのは暗殺された→もし生きていたら って感じの人間に弱いからな ロマンだよロマン
まあな 作り話と現実の区別がつかないのがアホなだけで
しょせん龍馬なんて小説やドラマにしか出てこない人だからフィクションバリバリでいいんだよ
はじめから架空人物でやりゃーよかったんじゃね
引き立て役にされた武市の路線を龍馬が後から踏襲している部分も多い。 薩長連合、挙藩勤王、王政復古とかがそう。 司馬にディスられたおかげで武市は乃木並みのイメージダウン被ったな。 以蔵関連とか特にw
所詮はフィクションだからね 実際は反政府クーデターの下っ端
下っ端でもなくね
明治になっても龍馬生きてたら評価も定まるんだがなw
冷静に評価すると使い捨ての駒だったよね 藩士じゃないから汚れ仕事を押し付けられたというか、 そういうことくらいしか役に立たなかったというか・・・
>>258 以蔵の伝記が某所で連載されてるがかなり普通の人だった
それを踏まえると人斬り以蔵は武市にも以蔵にも失礼な内容だったな
坂本家を継いだ龍馬の甥っ子達が龍馬の夢だった北海道開拓やってたがダメだった 長生きしたらどうだったろうなあ
西南戦争に便乗して土佐で反乱
267 :
無名草子さん :2012/02/20(月) 23:34:41.74
まぁ、海援隊の延長で総合商社つくって坂本財閥総帥になってそうだな それか海軍の夢に戻って帝国海軍育成のカリスマにでもなるか 北海道開拓に力入れて、黒田清隆みたいな存在になっているかもな
>>265 子孫の本読んだことあるけど昔の開拓は本当に厳しいね
今は札幌にいるけど
>>264 実際の以蔵は普通の郷士だったし
武市からは親戚同様の扱いされて可愛がられてたんだってね。
天誅の実態は集団リンチで「人斬り」って名称は後世の創作で作られたもの。
最後は拷問ですぐ自白して仲間が大ピンチに陥ったから毒殺が検討されはしたけど実行されることは無く
獄中書簡には以蔵が同志への不義を反省していると出てくる。
岡田以蔵を貧困層で騙され利用されって設定にしたのは社会主義思想に関心のあった戯曲家真山青果の影響。 坂本龍馬が平等主義者に描かれるのも真山青果の書いた演劇台本が元ネタ。
なるほど だが小説なら269みたいなのは面白くないから、司馬は270を採用したわけか
岡田以蔵が不憫すぎる 子孫は名誉毀損で司馬子孫を訴えるべき
>>273 まぁ今は佐藤健のファンからの花でお墓埋まってるけどね
275 :
無名草子さん :2012/02/21(火) 21:54:48.58
司馬遼太郎の幕末西国偏重史観を伊東潤という歴史小説家が指摘している
松平容保が主役の短編も書いてるじゃん
誰その泡沫小説家 > 伊東潤
>>273 それいったら武市もバリバリに名誉棄損被ってて不憫過ぎるw
「竜馬がゆく」鵜呑みにした幕末ファンに小者扱いされーの
「人斬り以蔵」鵜呑みにした以蔵ファンに叩かれーの
以蔵の墓の参拝者ノートに龍馬伝で武市を逆恨みした以蔵ファンが武市のバカアホ死ねとか書いてるらしい
そもそも以蔵が酒色に溺れたせいで龍馬の所ほっぽり出されて犯罪者にまで落ちぶれ捕まり
拷問でバンバン自白し仲間を無駄死にさせたせいで
維新後顕彰を拒否られて悪目立ちしてた所が作家のインスピレーションを刺激したのだろう
「人斬り以蔵」の異常者扱いも酷いが、史料上は別の意味で最悪な人物なんだよ以蔵ってのは
なんであれ司馬一族が一番ウマウマしている状況は間違いなし
まさに司馬懿仲達
司馬って前妻の息子と微妙な仲じゃなかったっけ
>>278 以蔵の墓前祭で講演してくれって龍馬記念館の学芸員に声が掛かったが
本当にロクな逸話がないので最初は断ろうとしたそうな。
岡田家親族の手前、とても言えないような話は伏せて講演したんだってさ。
司馬の功罪はデカイなw
まあ歴史小説を何の疑いもなくそのまま史実だと信じ込む方にも問題あるがw
>>281 司馬 息子
とかで検索すると色々な話が出てくるよ
ま、クリエイターに人徳求めちゃいかんという話やね
検索して出て来る話は基本フィクションだけどね 実際の長男は数年前まで小学校の校長先生で財団の理事もしていた
司馬といえばトラックで買い付けた大量の資料本の話が有名だが これも購入したからといって別に全部目を通したわけじゃないだろう。 あと一次史料の類いは意外と調べてないらしい。
>>283 ネットの話を鵜呑みにしちゃうとか、まだまだ子供だな
>>285 うろおぼえだが、
小説家にとって必要なのは史実を積み重ねる作業ではなく想像力を刺激する材料を探すこと、
みたいなことを本人がエッセイで書いてたね
ネットの話を鵜呑みなんてまだ可愛い 世の中に司馬史観をまんま鵜呑みにしてる人間がどれほど多い事か これだけ力のある小説家がもっと左寄りな事書いてたら恐ろしいことになってた
>>287 だから生きている頃は坂の上の雲の映像化は許さなかったんだろ
第26章 生麦事件 サブ・タイトルどおりの内容。攘夷家に変身した千葉重太郎が、竜馬に勝海舟暗殺の 話を持ちかける。
生麦事件の遭難者のひとりボロデール夫人は巨乳らしい(未確認情報)。
確認しろ急げ
司馬の罪は歴史観をおかしな風に歪めていることだ 有名大学の教授が司馬史観全開であちこちのメディアに露出するのだから困ったもんだよフントに 最初はあんなラノベみたいな小説www的な扱いだったのが いまや学術書がわりで歴史業界の権威なんだもの
そりゃ物語のほうが人の頭にのこるからね 実際の歴史より
>>293 司馬が歪めたというよりそれ以前の歴史観がマルクス史観のせいでめちゃくちゃにされてたから
(遠山茂樹『昭和史』とか井上清『日本の歴史』とか)それに比べればはるかにリアリティがあるとい
うのが当時の読書人の評価。歴史家ではなく小説家という立場も歴史論争の矢面に立たされずに
済んで好都合だった。
竜馬がゆく8巻読み終えました 文字数が少ないこともあり、スラスラ読めて尚且つ面白かった 創作の部分、これいらんだろ!ってのも多々思ったけど まぁ、熱中して読めて楽しかったわ 次は飛ぶが如くか峠でも読もうかな
史観を歪めたのは戦後の教育方針のせいもあるし、司馬だけに責を負わせるのはなあ
>>295 歴史を歪めたのはアカだわな。
司馬生存中は、マルクス史観よりもはるかに風通しのよい史観だったので
マルクス史観にうんざりしていた人々には歓迎された。
死後の司馬史観批判というのが、いまひとつピンとこない。
生存中はあまり批判されていなかったのに死んだとたんにやりだすというのも
姑息だと思うし。
>>298 >生存中はあまり批判されていなかったのに死んだとたんにやりだすというのも
>姑息だと思うし。
自分のパンツをオークションに出しても誰も見向きもしないが、
有名人のパンツなら高値がつくということだろう。
司馬は大御所だったから生前は批判しにくかったのってのもある
名を売るためには大物に食らい付くのが最も効率がいい 小判鮫的な生き方ではあるが
司馬存命中から司馬批判はあったよ ただ黙殺されて話題にならなかっただけ 戦後ってのは自虐史観だから 司馬みたいに昭和初期=陰惨で最悪な時代、てのは味付けとしてはすごく食べやすかったし受け入れられてた 教育界はもともと左寄りの人が多いから特に ところが今みたいに「ちょっと自虐教育も度が過ぎてるんじゃね?」 っていう反動が来ると、司馬批判がある程度共感されるようになって目立つようになった、ってだけのこと
司馬は右からも左からも叩かれて 右からも左からも持ち上げられたよ。 左寄りの人は、司馬は日露戦争を礼賛してると叩き、 例の教科書の藤岡信勝などは、自虐史観に 対抗する存在として司馬を持ち上げた。
せやな
せやろか。
第27章 勝海舟 勝海舟登場。竜馬と重太郎は洋夷かぶれの勝を斬ろうと赤坂元氷川下の勝に屋敷に 出向きますが、竜馬は唐突に勝に弟子入りしてしまいます。あっけにとられる重太郎 というお馴染みの場面です。
この章で昭和軍閥の神国思想が語られる。近現代史に関する司馬史観が語られた のは、これが最初ではなかろうか。ここで語られていることは、晩年の「この国のかたち」 まで一貫している。
初期の伝奇小説タッチも、このあたりから影をひそめてくるな。 この先にもチャンバラ・シーンがあるにはあるが、初期とは雰囲気が違ってくる。
勝海舟のトラウマ 9歳の頃、狂犬に睾丸を噛まれて70日間生死の境をさまよっている(「夢酔独言」)。
片金の田中裕二は離婚したが、勝海舟は同じく片金でも、正妻との間に2人、 妾に9人も子供を産ませている。むかしの人はエライ。
海舟は伯父の男谷精一郎から剣術の初歩の手ほどきを受けたと書かれている。 この男谷精一郎、この小説の第12章「安政諸流試合」にも男谷下野守の名で 登場している。男谷信友。
海舟が通った島田虎之助の道場があった浅草新堀は、第4章の地震の話のところで 出てきた大きな鯉が取れたという場所である。
修行中、海舟は王子権現までダッシュしたと書かれているが、正確には牛島神社まで ダッシュしていた。海舟自身がそのように書いているから司馬が間違えたのではないが、 浅草からの距離を考えれば、牛島神社だろう。牛島神社は王子神社(権現)の分社。 なお、海舟が禅の修業をしたという弘福寺は、牛島神社の裏手にある。
咸臨丸が日本に帰ってきたのは万延元年5月5日であるが、浦賀では毎年5月5日に 咸臨丸フェスティバルが行われている。
316 :
無名草子さん :2012/02/25(土) 17:13:45.00
>>315 去年の5月5日は、東日本大震災チャリティーイベント開催のため、5月14日に変更された。
竜馬と重太郎が勝海舟を待ち伏せた本願寺橋って今はないのか? 築地本願寺近くの橋といえば勝鬨橋なんだが。
念のために説明しておくが、翔ぶが如くに出てきた地方官会議が行われた場所は、 浅草本願寺(東本願寺系)。築地本願寺は西本願寺系。
>>317 勝鬨橋は隅田川の橋だよ。小説に出てくる本願寺橋、安芸橋などは、明治まで存在した
築地川の橋梁。築地川は現在は埋め立てられてない。
海舟の私塾の代講をしていた杉亨二は長崎出身であるが、福山藩主・阿部正弘の侍講。
__( "''''''::::. --;;;; ______,,,,,,---'''''''"""" ヽ ゛゛:ヽ. ::::::::"""" ・ . \::. 丿 ::::::: ..........::::::::::::彡''ヘ::::....ノ ::::::::::;;;;;,,---""" ̄ ^`` /  ̄ ̄ \ /:::::::: : ヽ |::::: :: ヘ ← 一般の男性 ヽ:::::: :::.. ノ \::::::: /\:::;;;;;;__ ノ __( "''''''::::. --;;;; ______,,,,,,---'''''''"""" ヽ ゛゛:ヽ. ::::::::"""" ・ . \::. 丿 ::::::: ..........::::::::::::彡''ヘ::::....ノ ::::::::::;;;;;,,---""" ̄ ^`` / /:::::::: : |::::: :: ← 勝海舟 ヽ:::::: : \::::::: /
>>321 高橋是清は勝逸子を美人であったと書き残しているが、
俺には田中真紀子にしか見えない。
高橋是清はちょっとオカシイ人だからw
>>276 松平容保もたいがい美化が激しい。司馬のお陰様だな。
まあ司馬の会津取材の案内を勤めたのが、会津の悲劇は原爆投下と同レベルという
問題発言で知られる宮崎十三八だったんで色々吹き込まれたんだろうけど。
松平容保が龍馬暗殺命令を京都見廻組に出したっぽい。 佐々木只三郎の兄貴が容保の側近で兄貴の子孫は遺言からどうもそのようだと考えてるそうだ。 結構前のBS歴史館に出てた。
街道をゆく、今まで読まず嫌いだったけど面白いな 15巻くらいまで一気に読んでしまった。 ところで作中で風景に合わないコンクリート建築物を嫌っていたが 司馬遼太郎記念館はどういう皮肉なんだろう・・・
>>326 維新後賊軍の汚名を晴らすべく皇国史観に寄り添い
戦後は都合悪くなったそれを司馬史観にすり替えた過程が
神戸大だかの助教授によって「会津という神話」という本にまとめられている。
そのへんを踏まえて王城の守護者読むと面白い。
TBS版「坂本竜馬」の勝海舟役・滝田栄は合ってないな。
第27章 伯楽 勝海舟に弟子入りした竜馬は、築地軍艦操練所の教官たちの知遇を得ます。 後半は攘夷督促のため江戸に下向した武市半平太との再会です。
軍艦操練所でジョン万次郎に会う。 漂流していた万次郎を救助したのはジョン・ハウランド号であると書かれている。 このジョン・ハウランド号のホィットフィールド船長のつけたジョン=マンという ニックネームがジョン万次郎の名前の由来である。
岡本健三郎とともに竜馬を捕縛しにやってきた南馬太郎の詳細は不明であるが、 気になる人物がいた。文久3年生まれの六代目・竹本土佐太夫(義太夫節)の 本名が南馬太郎。土佐出身である。もしかすると本作の南馬太郎の子かもしれない。
>>334 しかし、土居熊蔵と茨木兎毛はオリキャラくさいからなー。南馬太郎も適当につけた名前が
たまたま竹本土佐太夫の本名と同姓同名だったという可能性もある。
>>328 初期の頃は、やたら日本列島改造に怒ってるよね
また怒ってるよって感じ
お田鶴様も創作キャラだしな 子孫と名乗る人物と会ったとか言う話はなんだったんだ
妄想だよw
340 :
無名草子さん :2012/02/28(火) 15:40:17.31
全集3巻の尾崎秀樹氏の解説では、桂浜の坂本竜馬像は「当時早稲田大学の学生だった 入交好脩が建立した」と書かれているが、兄の入交好保と勘違いされている。
>>341 対談集『土地と日本人』を現在書いていたら、間違いなく取り上げられるネタだな。
とある龍馬の脱藩ルート本も 汚職起こした市職員が関連してて色々怪しい代物らしい。
小山ゆうの『お〜い竜馬』って、よく特徴つかんでるよね
347 :
無名草子さん :2012/02/29(水) 15:36:53.22
司馬遼太郎に関連したエッセイにしばしば登場するバー・クールというのは、 いまでもあるのですか?
>>347 検索したけどなかった。大阪府茨木市にバー・クールというのはあったが、関係は不明。
第29章 嵐の前 柳橋の川長における薩長の不穏な空気と、長州と土佐の喧嘩である梅屋敷事件に ついて語られています。この章から文久3年(竜馬29歳)になりますが、上記のふたつ の事件はともに文久2年。回想のかたちで語られています。
>>351 ご指摘、ありがとうございました。第28章の間違いです。
桜田門外ノ変の報に接した西郷が陰毛を引き抜きあたりに撒き散らしたというのは 史書にあるのだが、川長で陰毛を蝋燭の火で焼いたというのは創作なのかな? 大久保の畳まわしは史実なんだけど。
そのとき小野雅司のちんこが立った。
「長州藩のお歴々も、薩摩の者も、よう見てくだされ。オイの余興はこれでごわす」
と、股間をもそもそたくしあげて一物をとりだし、芸者の足でマッサージをさせはじめた。
芸ともいえぬこの余興のばかばかしさに、一時はどうなるかと思われた一座の空気
もひときわ静まったという。
【東京】「自分にそういう趣味あり儲かると思った」 足で下半身をマッサージする「足責めクラブ」摘発 経営者男(66)ら3人を逮捕
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1330485358/
梅屋敷事件で周布政之助を斬ると騒ぎ出した土佐藩士についての補足 山地忠七・小笠原唯八・乾退助については、おおかたの読者がご存知であろう。 林亀吉・・・明治政府はイカルス号事件について再調査をした(明治元年8月)。 その再調査にあたったのが、大隈八太郎と林亀吉。 諏訪助左衛門・・・この小説には登場しなかったが、例の井口村刃傷事件で池田寅之進の 弟・忠次郎の遺体を現場から移動させることを禁じた役人。
井口村刃傷事件って「竜馬がゆく」何巻何P?
>>357 全集で読んでいますので、巻数とページはわからないのですが、「風雲前夜」という章に出て
きます。単行本だと1巻、文庫だと2巻あたりでしょうか。
ちなみに、司馬さんは「永福寺門前事件」と云われております。
>>330 TBS版の「坂本竜馬」では、那須信吾が、天誅組の変ではなくて、蛤御門の変で敗走中
に淀川で死ぬんだよね。
∧-─-、 / ─ \ / (●) ゙i < | (、_,.)''ー 、 | ゙i(●) ) /`) ) / よい子のみんな。いい子にしてるかい? \ ヽ `ニ´ノ/ `''ーr -一''゙i (⌒`:::: ⌒ヽ ヽ:::: ~~⌒γ⌒) ヽー―'^ー-' 〉 │
第30章 海へ 小笠原長行と勝海舟の大坂行きに随って順動丸で航海する竜馬。 海舟は大坂から江戸に帰る途中、下田で山内容堂に会い、竜馬の脱藩の罪を許してもらいます。 京で武市半平太と再会する竜馬。武市は相次ぐ天誅事件の黒幕になっていました。
長野主膳の妾の子として紹介されている多田帯刀は、舟橋聖一著『花の生涯』のヒロイン 村山たかの子。
武市半平太が拠点にしていた旅籠・丹虎は、四国屋とも云う。 池田屋ノ変のとき新撰組は近藤隊と土方隊に分かれ、土方隊ははじめ四国屋に 向っていた。武市関連では丹虎と呼ばれ、新撰組関連では四国屋と呼ばれること が多いが、同一の旅籠である。
やってるな。望月亀弥太も出てきたな。
>>359 TBS版の「坂本竜馬」では、西郷隆盛を評した言葉「小さく叩けば小さく鳴り、
大きく叩けば大きく鳴る」を勝海舟が竜馬にしているが、史実は逆だよな。
竜馬の西郷評を海舟が書きとめ、「評するも人、評さるるも人」と二人を褒めている。
TBSの坂本竜馬で十朱幸代さんが演じている役柄は、誰が見ても「竜馬がゆく」の お田鶴さんなんですが、どうしてアキヨという名前なんですか?
>>358 どうもありがとう。
あの時龍馬はホントは土佐にいなかったんだけどねぇ。
>>369 あるんかいw
行きたいな…
でも京都の料亭とか敷居跨げない><
>>370 10,000円(通常平均)
6,000円(宴会平均)
5,000円(ランチ平均)
5,000円のランチってすごいな。
第31章 京の春 寺田屋のおりょう登場です。
岡田以蔵を護衛にした勝海舟は、二条城から宿舎への帰途、攘夷浪人に襲撃されます。 その場所を、“土地で通称「押堀川町」といった”書かれておられますが、現在は押堀町 と呼ばれているようです。
新宮馬之助より千屋寅之助の方がイケメンだと思う
司馬氏は千葉さな子を定吉の長女としているが、次女とする史料もあるな。 姉は千葉里幾、妹は千葉幾久。
>>378 千葉さな子の幼名は、竜馬の姉と同じ。乙女らしい。
>>380 寺田屋の菊を一本残らず切り取って枕を作った場面で竜馬はぶち切れたが、
読者もぶち切れるよな。俺もお竜は嫌い。
竜馬が火事場で助けたおりょうの弟・楢崎次郎のその後 父・楢崎将作死去により楢崎家没落後、一時、粟田口の寺に預けられましたが、 坂本龍馬によって救われ、その身柄を坂本龍馬の書簡によると、「人にあづけ」られたといいます。 その後の消息などは不明です。
すでにお気づきの読者も多いと思うが、竜馬はこの章でお田鶴さまとやろうと 思えばやれた。
>>384 前回寝てるのに今回寝なかったのはよっぽどユルマンだったのかな?
おりょうの母親が登場するが名前は書かれていない。楢崎貞という。
>>386 楢崎将作の未亡人としか紹介されていませんね。「未だ亡くなっていない人」って
ひどい言葉だなと思っていましたが、背景には儒教があるらしいです。
儒教では夫が死ねば妻も殉死しなければならなかったらしい。「あそこの嫁さん、
まだ死んでねーぞ」ということで未亡人と罵られたそうな。
>>387 父親の妻妾を子が相続するモンゴルよりはマシ。
楢崎将作の長男・楢崎太郎は、別名を黒沢直次郎ともいう。 竜馬が土佐藩船夕顔丸で京都へ上る際これに同行し、竜馬や長岡謙吉と共に 材木商酢屋へ投宿している。 当時、14歳だった同家の中川嘉兵衛は、後年、楢崎太郎を「少し威張り人なりし」と評している。
392 :
390 :2012/03/02(金) 18:57:22.37
べつに君江がブスだとは言っていない。
間崎哲馬は早漏
この章は、この後、竜馬が越前福井にまで行く。松平春嶽に神戸海軍塾の設立費用 を借りるためだ。もりだくさんな章なので、続きは明日。
おりょうは感じ悪いよな 維新後は酒かっ喰らいながらおちぶれて 「あたしは坂本権平と乙女にいびり出されたんですお佐那は誰にでも色目使う超ビッチでした」とか 人の悪口言って暮らす生活とか最高に性格ブス
>>397 反魂香にあった話だっけ?
おさな殿はちゃんと自活してどっかの殿様からも誉められていたと云うのに
どこで差が付いた。
>>395 奉行所に預けたその海軍塾運営資金を
龍馬が横領して逃げるわけですね
401 :
400 :2012/03/03(土) 11:52:01.27
橋の向こうに見える商店街は龍馬通りという。
竜馬と藤兵衛は、越前福井に入り、城下の大和町の「たばこや」という旅館に投宿して いるが、現在、福井市に大和町という町はない。福井県大野市には大和町がある。
第32章 神戸海軍塾 文久3年5月、神戸軍艦操練所が開校されました。前半は、後に海援隊の隊員と なる人々の紹介。後半は、大坂に舞台を移し、竜馬が兜惣助を成敗します。
伊達藤二郎と対立していた紀州藩家老・水野土佐守とは、水野忠央である。
兜惣助や乾十郎は初読のときはオリキャラだと思っていた。挿話の内容が 最初期のチャンバラものっぽい。
>>411 そこに登場する人物の名はオリキャラみたいなのが多いな。康成達倫の康成の
姓などは珍しい。
道頓堀の鳥毛屋は、元治2年1月8日、新撰組の谷万太郎ら4名が大坂のぜんざい店 石蔵屋を急襲して、土佐の大利鼎吉を斬殺した事件に登場する。長州に潜伏していた 田中光顕らの浪士が、大坂城を焼き討ちにしようと企てていたが、彼らは道頓堀の 鳥毛屋を拠点として準備を重ね始めていた。
新撰組はうんこ組
第33章 物情騒然 土佐では間崎哲馬・平井収二郎・弘瀬健太の切腹、長州では下関戦争。 物情騒然とは、その意味です。
信夫左馬之助が新撰組の隊士として登場する。 お冴は期待はずれに終わったものの、登場する前はちょっとは期待できた。 信夫左馬之助は、ただウザい。
>>417 信夫左馬之助だけがチャンバラ期のキャラクターなんで、浮いているんだよな。
信夫左馬之助が渡辺一郎の柳心館出身ということは、連載開始当初は 左馬之助も竜馬暗殺団の一員にするつもりだったのだろうか。結局、暗殺 にかかわることなくフェイド・アウトしたが。
ここにも、三上ヶ岳(大峰山系)山頂の1000年消えていない灯明の話が出てきた。 この話は『歴史の中の日本』の中の随筆「山伏の里」等々で頻出。
第34章 東山三十六峰 清河八郎暗殺事件と信夫左馬之助に命を狙われる竜馬の話です。
清河の横浜外人居留地焼打計画のための資金提供を強要された伊勢屋四郎兵衛は、 回向院に鼠小僧次郎吉の墓を建てた人物。ただし先代か先々代の四郎兵衛。
同じく資金を強要された伊勢屋善兵衛は、満州某重大事件(張作霖爆殺事件)を 帝国議会で追及した田渕豊吉代議士の先祖。
同じく資金を強要された坂倉清兵衛は、記録の残る中で最初に御用盗の被害に遭遇した商人
板倉勝静に清河八郎を売った金子与三郎は、出羽上之山藩の儒者としか紹介 されていないが、後日、同藩の家老になった金子清邦のことである。
高橋泥舟は、旗本・山岡正業の次男。母方の高橋家の養子となった。 生家の妹がむかえた婿が山岡鉄舟で、泥舟の義弟になる。
清河八郎が懐にしていた「尊皇攘夷発起」という同志の連名帳に記されていた 住谷寅之助は、この小説の第18章に登場した住谷寅之介と同一人物である。 土佐国境の立川口で竜馬ら三名の土佐郷士がもてなした、あの人物である。
益田右衛門介は、第7章「二十歳」では、長州藩士と土佐藩士の剣術試合の場面で 登場した。今後の活躍が期待されるような書き方であったが、あのとき以降、名前が 紹介されるだけの存在になる。
このスレでも度々指摘されていた西郷隆盛に関する問題のある叙述があるのは、この章である。 禁門の政変のところでは、司馬氏もさすがに西郷を登場させてはいないが、この章の西郷に 関する叙述を読むと、あたかも西郷が京にいたように思える。 西郷が二度目の遠島を許されて歴史に再登場するのは、蛤御門ノ変の直前(元治元年3月)である。
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>>429 西郷隆盛が、(長州藩は、新幕府をつくる野心があるのではあるまいか)と本気で疑った
のも、この頃であった。場所はもちろん沖永良部島の独房の中である。
>>328 「街道をゆく」面白いよな〜。俺は正式に数えた訳ではないが8〜9割がた読んで、
更にトイレに置いて直腸さんと肛門さんが働いているうちに読み返している。
この本を読んで目からうろこだった事がいくつあったか数え切れない。
確定申告が終了次第、竜馬がゆくを再開
街道を行くは全く読んだことが無いんだが、どうなん 第一巻から順にでなくとも、適当に面白そうな巻からでも読める?
街道を行くって当時の売れっ子作家であろう司馬遼太郎が かなりその土地土地でむかついた人々について公開処刑しちゃってるよね 某お寺の住職に「桜を見せてくれ」って言ったら「拝観させてくれと言え」と言われたとかw 逆に褒めてる場合もあるし、旅館なんかはそれをネタに今も商売してるところもあるね
うちのところの温泉街は農協ご用達のように書かれたよw
当然、市では全力でスルー。で、今はというと廃業する旅館が相次いでるわ。
>>435 特に前の巻が前提となることはない。
前提となる場合は必ず余談として説明がある。
>>436 司馬さんが嫌がるのに九十九島の見物に連れて行った須田さんの友人(肥前の諸街道)
司馬さんが嫌がるのに後南朝の話題しか持ち出さない同行者(熊野か十津川)
女子大生グループをしつこくナンパしようとした男子学生グループ(西南諸島)
司馬が禅宗を叩いたことを逆恨みした大徳寺の坊さん
これらが記憶に残っているな。コテンパンに叩かれていた。
禅宗については、京都で記者として宗教関係の取材してる時に、 禅宗の僧侶から相当いやな目にあったらしいね。禅は天才のためのもので、 たいていは人格歪めちゃうから、禅僧は若い頃はともかく中年以上は…ってたまに書いているね。 越前の諸道では永平寺について、開祖道元の教えに背いてすぐ俗化したとか、 須田さんが道元好きなので永平寺に寄ろうとしたら商業主義的な門前の様子や観光客に 恐れをなして寄らずに去ったとか書いてあった。それはまあ良いとして、 白山神社についてはもう、歴史上に何の価値も残さない寄生虫のような存在で 戦国時代に一向一揆に焼き討ちされて良い気味だみたいな感じに書いてあった。 ちなみにその旅行当時に、戦前に皇国史観で天下を取った平泉澄(平泉寺=白山神社の息子)は まだ存命で現地に住んでいると聞いた、と少し触れている。長生きだったんだな。
越前のすしがうまそうだった
>>439 平泉澄の再評価ってありうるかなあ
右に振れる以前は実証主義の研究家として優秀で網野善彦にも影響与えたらしいけど
悪役だった平泉成は、最近いい人として再評価されているがな。
第35章 京の政変 文久3年8月18日の禁門の政変です。竜馬はこの政変にかかわりがありませんので、 すべて伝聞で語られます。
その前に、薩摩藩が御所乾御門の警備から外される契機になった 朔平門外の変(姉小路少将暗殺事件)が語られる。
田中新兵衛とともに逮捕された仁礼源之丞は脱走したため、明治後も生き延び ました。明治後の名は仁礼景範海軍中将。上野の西郷さんとともにいる犬の モデルは、西郷隆盛の愛犬ツンではなく、仁礼景範の飼い犬であったことが、 翔ぶが如くの第3章「鍛冶橋」に記されています。
すげーどうでもいい 重箱の隅にあるような部分が無いのが司馬小説の魅力だと俺は思ってる
こいつ何年も前からこういう誰も聞いてない歴史おたくの 知識自慢みたいな書いてない?正直死んで欲しいんだけど
七卿のその後 東久世通禧・・・胡蝶の夢・第40章「横浜」 伊之助が佐藤泰然を訪ねて横浜へ来たときの横浜総督 壬生基修・・・翔ぶが如く 紀尾井坂の変において大久保を待ち伏せていた島田一郎らが潜伏していたのが 壬生基修邸の庭 四条隆謌・・・大楽源太郎の生死 久留米へ逃亡した大楽源太郎を追捕する巡察使が四条隆謌
>>438 須田画伯が落ち込んでいる。なぜかというと、画伯の尊敬する画壇の先輩が、
息子を大学に裏口入学させた(らしい)からである。とも書いていた。
分かる人には誰だか薄々わかるだろうし、須田さんも気まずいんじゃないかと思った。
第36章 江戸の恋 禁門の政変、天誅組の変と騒がしい世間を尻目に、竜馬さんは恋愛ですと・・・ 実は神戸軍艦操練所で使用する軍艦を調達に江戸まで出向いたのです。
恋愛はどうでもいいから戦をやれよ
道頓堀の鳥毛屋は、兜惣助退治のところ(32章)でも登場した。 なんだか初めて出てきたような書き方なので気になる。
456 :
無名草子さん :2012/03/16(金) 03:02:40.23
人間というもの は良くね
竜馬は鳥毛屋で天誅組ノ変の詳細を知る。ただし、この小説には詳細は書かれていない。 参加した土佐人の名前が羅列されているが、その中の伊吹周吉は生き延びた。 のちに海援隊の石田英吉となる人物である。
458 :
無名草子さん :2012/03/16(金) 13:29:17.51
それと土居佐之助は、平井収二郎・加尾兄妹の従兄弟だな。
葛目清馬は、楠目清馬と書くのが一般的だな。
「田所騰太郎の次に書いとる人物の名やがな、活字が潰れとって見えへんねん。 せや、・・・なんとか目清馬や。なんて書いてんねん」 「こちらの本も同じ版ですから、やっぱり活字が潰れてますね。えーと、クスメじゃ ないでしょうか」 「・・・えっ、くずめ・・・、くずめやな。ほな、そうしとこ」
軍艦操練所教授の面々の名が羅列されているが、そのうち伴鉄郎は伴鉄太郎で 検索しないとヒットしない。
思い出せないのでお助けください たしか剣豪の話だったと思うのですが、エキセントリックな人種が多い 武芸者の中で、常識あるまともな人 と書かれていた人物が思い出せません。 それ故に、世に名前が広がらなかったようなことも書いてあった気がします。 漠然としてますが、よろしくお願いします。
第37章 惨風 武市半平太と岡田以蔵が死ぬ回です。 竜馬は江戸から神戸に帰ってきていますが、土佐城下で進行するこれらの事件 にかかわれるはずもなく、すべて伝聞です。
揚屋は、江戸時代に江戸の伝馬町牢屋敷内にあった特別な牢房のことらしいんだが、 土佐にもあったんだな。
466 :
無名草子さん :2012/03/17(土) 16:03:38.88
>>465 岩神主一郎は、その古沢迂郎の兄だよ。古沢家の長男ながら、本家筋にあたる岩神家
を継いだ。
古沢迂郎の詩の少し前に自宅謹慎等の軽い罪に問われた古沢八左衛門ら「その他末輩」の名前が 羅列されているが、古沢迂郎を含めて、すべて佐川城主・深尾鼎(土佐藩家老)の家臣。
468 :
旧石器人 :2012/03/17(土) 16:33:37.90
昨日、打製石器を作った。石刃(blade)だ。思ったより、よく切れる。
>>462 世に名前が広がらなかった人なのでしたら、よくわかりません。
>>463 半平太が死んだんだから、メアド欄のagiはやめろよ。
斬首者名簿に出てくる村田忠三郎と久松喜代馬は、井上佐一郎殺害事件の容疑。 この小説の23章「追跡者」で詳述されている。
474 :
旧石器人 :2012/03/18(日) 18:21:57.26
竪穴住居の側溝は深くしておけよ。雨天のとき、その効果がわかるから。
武市半平太の遺骸を担いで武市家まで帰った人々について 多田鉄馬・・・多田哲馬の誤植 西山直次郎・・・西山志澄。維新後、平井加尾と結婚。
中央大学法学部教授であった武市楯夫は、生前、武市半太の子であることを学生に公言していた。
第38章 片袖 藩の召喚命令に応じなかった竜馬は、再び脱藩の身分になりました。 江戸から練習艦・観光丸を回航してくる竜馬たち。さな子の告白は、竜馬に蹴られて しまいました。
千屋寅之助は、「陸にいるときは千屋寅之助、海にいるときは菅野覚兵衛になる」は、 法則化していいですか?
ほっといてくれ
同時期に連載されていた「燃えよ剣」の主人公・土方歳三と竜馬がすれ違うシーンは、 ほほえましいな。
沖田総司は、いまでも美少年に描くイラストが多いな。
>>482 「燃えよ剣」で司馬が美男子設定にしてしまったから。
“角力をとろう”と通行人を誘うシバテンの話は、寺田寅彦の「重兵衛さんの一家」という 随筆にも出てくる。『寺田寅彦随筆集 第1巻」(岩波文庫)所収。
蝦夷地屯田兵の話のところで安岡斧太郎が登場するのだが、ふたつほど前の章で 天誅組ノ変の話をして、そこでも安岡斧太郎の名前が出てきたので、ちょっと変な感じ。
蟠龍丸はもともと英国のビクトリア女王のバカンス用の大型ヨットで砲門も4つしかなかった。
観光丸引渡しのところで登場する佐賀藩士・秀島藤之助は、 司馬の短篇「アームストロング砲」の主人公。
>>479 同一の章内では、人物名は統一したほうがいいと思います。
胴衣の片袖をもらったぐらいで、婚約者だと信じたなんて、切ないのう。
>>491 竜馬も罪作りだよね。ギョーザの皮とかにすればよかったのにね。
龍馬が千葉家のコネを利用するために 適当な事言ったのを千葉家の人が真に受けちゃたって説もある。 ほんで千葉家から坂本家に問い合わせがあって 龍馬が乙女から「お佐那って誰?」と聞かれて「いまの平井々」の手紙になると。
翔ぶが如くの大河ドラマ見始めたけど面白いな 誤解を恐れずに言えば、原作より面白い
翔ぶが如く というタイトルに反して、地を這うが如くの物語展開だからな
日テレ「田原坂」はひどいな。大河の構成のダイジェスト版であることに加え、 ヒットした「白虎隊」のセルフ・カバーのような作品。
>>496 高品格の永田熊吉はよかったが、うつ病っぽい坂本竜馬はダメというか、
信じられないキャスティングだったな。
第39章 元治元年 馬関海峡で外国艦船を砲撃する長州藩に対し、列強が反撃の企てをしているという噂が 幕府の耳に入ります。彼らを説得するため勝海舟は竜馬を伴って長崎へ行きます。
勝と竜馬は伊万里湾から上陸して陸路長崎へ向う。 伊万里湾にも天然記念物カブトガニが生息しているそうな。
伊万里湾は、日本最大のカブトガニの生息・繁殖地だ。くやしいな、笠岡市民w
501 :
笠岡市民 :2012/03/21(水) 15:19:31.57
どうでもいいよ。液体スープは召し上がる直前に入れるから。
元亀元年に初めてポルトガル船が長崎に来航したと書いているが、誤り。 正確には、元亀2年4月27日である。
勝海舟暗殺の密命をおびて長崎に潜入していた長州藩士4名について 小田村文助・・・楫取素彦の名が有名。維新後、群馬県令。 玉木彦助・・・玉木文之進の長男。つまり、吉田松陰の従弟。
505 :
無名草子さん :2012/03/22(木) 01:25:29.36
上海のユダヤ拠点をスルーして 日本人を撹乱させて真実がなにだかわからなくさせる係り
サーバ監視中
第40章 防長二州 池田屋ノ変および蛤御門ノ変にいたる長州の動きを、来島又兵衛と高杉晋作を 中心に描いています。竜馬は望月亀弥太を送り出すところでちょっとだけ登場 します。
当時の長州は狂っているから計画が混沌としているな。 民主党のマニフェストのようなもんだ。 島津久光暗殺計画、京都占拠計画、いずれも未遂に終わっている。
>>508 長州発狂の原因のひとつであるロシア軍艦対馬占領事件について、時間を遡って
ここで述べたのは正解だな。
はげてるな
宍戸九郎兵衛[宍戸真澂]はこの小説に登場した頃は60歳なので“老人”と表現 するのは正しいが、政争の外にいる好々爺のように描かれているが、それは間違い。 国学を学んだ熱心な尊皇家である。
こののち新撰組に捕まって拷問される古高俊太郎の父親は、山科毘沙門堂門跡の寺侍 だったようだ。本作品の初めのころの主要登場人物・お冴の父親・山沢右近と同じ身分。 知り合いであった可能性がきわめて高いが、そのことについては何も触れられていない。
>>514 お冴を生かしておけば、色々面白いストーリーが作れたのにな。もったいない。
第41章 池田屋ノ変 盛り上がってまいりましたが、主人公・坂本竜馬は江戸へ行き、この時期上方に おりません。すべて伝聞で進行します。
“六日の菖蒲、十日の菊” 時機に遅れて役に立たないこと。五月五日の端牛の節句に用いる菖蒲は六日では間に合わないし、 九月九日の重陽の節句に用いる菊は十日ではもう遅い。
25日のクリスマス・ケーキのようなものか?
それ、おまいだろw
山崎蒸は、この時期から、大坂の法駕籠で三岡八郎と会っていたのだろうか?
「法駕籠のご寮人さん」はつまらん。話題にすんな。
一凡夫としてつくづく思うんだが、司馬さんて本当に凄い人だな 膨大な資料を漁って、各地にも旅して、これだけの作品を遺して 一凡夫たる、現時代向けに読みやすく小説化された作品を読むのですら結構な時間がかかると言ふに
小説家・歴史家として華々しく成功して、 世間からのやっかみも増えて苦労したはず。
うーん・・・司馬遼太郎はそういうやっかみは弱者の感情として切り捨てそう
やっかみよりも虚名に戸惑ってたようだ ほら、司馬さんの読者ってビジネスマンとかが多いじゃない パーティとか出ると讃美の目で見られたり 大衆作家としてはファン層の社会的地位が高かったからな インテリ講談とか言われてたね
>>524 いつも風邪に悩まされているエッセイがあったよね。バンダナを首に巻くようになってから
ひかなくなったが、それ以前は皮膚の下にすっぱい牛乳がたまったみたいにボーッと
していたと書いていた。微熱に悩まされていたんだろうな。運動不足の人にありがち
な症状だけど、そういう状態でこの仕事量。あのエッセイを読んで、ますます驚いた。
第42章 流燈 蛤御門ノ変の章です。竜馬には直接かかわりがありませんので、伝聞で話は進みます。
「竜馬、正直に答えてくれ」 「なんちゃ?」 「おまえは、この小説の脇役だな?」
531 :
無名草子さん :2012/03/24(土) 17:07:55.97
司馬遼太郎は日本をバカにしてるようなことばかり書いていたの?
太平洋戦争とか昭和をバカにしてたかな 割りと頭ごなしに
実はこの章には竜馬とさな子の終生の別れのシーンがある。 先の「片袖」の章が終生の別れのほうがよかったな。 なんだか蛇足的な別れになった。
玄関へ出てみると、近所の土州藩邸から駈けつけてきた檜垣清治である。 「どうした」 「まだ知りなさらんか。京師三条小橋池田屋にて、同志ことごとく落命しましたぞ。 北添佶摩も望月亀弥太も、…(中略)…本山七郎、石川潤次郎……たちも」 「おちつけ。本山七郎は、北添佶摩が脱藩中に名乗っておった変名じゃきに、 シバ天を二度も殺しちゃいかんぞな。怒るぞな」
>>534 檜垣清治は、坂本竜馬関係では間抜キャラだからなw
536 :
無名草子さん :2012/03/24(土) 18:14:56.09
537 :
無名草子さん :2012/03/27(火) 17:04:49.22
538 :
無名草子さん :2012/03/27(火) 17:05:49.74
682 :心得をよく読みましょう:2012/03/27(火) 16:56:51.18 ID:QuvK7kTS 済み
サーバ監視中
540 :
無名草子さん :2012/03/27(火) 20:51:38.71
男山八幡宮の評定に集まった長州藩士のうち、宍戸左馬介は左馬之介の誤植。 なお、第40章「防長二州」では宍戸九郎兵衛の名前で登場している。同一人物である。
蛤御門ノ変は、主人公が無関係だから、いま読むと盛り上がらないな。 事件をよく知らなかった初読のときは、この小説でそれを知ったという喜びで 面白く読めたが、二読目となると主人公が出てこないのに長くやるなよ、 と思ってしまう。
司馬作品では、来島又兵衛を狙撃したのは川路利良になっているな。 翔ぶが如くでもそうだった。他では「会津藩士に撃たれた」というのも よく見かけるんだが、どっちが正しいのだろう?
第43章 変転 蛤御門ノ変の影響で、勝と神戸海軍塾も微妙な立場になってきます。 危険な京に潜入して西郷吉之助と面談する竜馬。
勝の若党の新谷道太郎の話で、文久元年(1861年)6月、西郷が奄美大島に 流されていた当時に勝が尋ねて一泊し懇談した、というものがあるが、一般には 万延元年(1860年)6月の話である。
西郷隆盛が奄美に島流しされていたときの島女房の名前が“お菊”になっている。 一般には、愛子である。ドラマでは愛加那の名が使われることが多い。 なお、西郷と愛加那の間に生まれた子が“菊”次郎である。
元治元年9月に西郷と会談した勝海舟は、列藩同盟を説いたとあるが、奥羽越列藩同盟 と紛らわしいので、雄藩連合というのが一般的である。
ボンタンアメと兵六餅は姉妹だったのか・゚・☆・゚:*(感´∀`激)*:゚・☆・゚・
男の兵六に姉妹はないだろうよ。
第44章 菊の枕 勝先生は江戸召喚、神戸の海軍塾は閉鎖。竜馬は海援隊構想を薩摩藩の西郷・小松 に談じるため京へ向います。
おりょうが作ると言い出した菊の枕の材料にするため寺田屋の菊を切ったのは 小者の忠吉である。ちなみに、文久2年の寺田屋事件で、寺田屋へ乗り込んだ 奈良原喜八郎が使った太刀は、肥前忠吉であった。
>>554 観賞用の希少な菊だな。やはりおりょうは基地外。
また信夫左馬之助に襲われるわけだが、彼の登場場面だけが別の小説みたいな 感じがするね。
第45章 摂津神戸村 ついに神戸海軍塾解散の日をむかえました。練習艦観光丸を幕吏に引き渡す竜馬。 その間、生田の生島四郎大夫の屋敷では、おりょうとお田鶴さまが鉢合わせになる という事件が起きます。
ついこのあいだ練習艦を入手するために、さかんに神戸と江戸を往復していたと思ったら、 もう解散か。あっけないな。
創立と解散だけが詳しく描かれて、その間は、長州藩をめぐる京の動きばかりを 追っかけていたからな。神戸海軍塾って、いったい何やってたん?てな感じだ。
海援隊の連中の操船技術について読者が信頼をおけないのも、海軍塾の調練の 様子が描かれていないからだよな。禁門の政変から蛤御門ノ変まで、ずっと 長州をやっていた。竜馬といえば神戸を留守にすることが多く、江戸のさな子と恋愛 してるし。
順動丸の森与左衛門と、生島屋敷の女中のさちは、NHKの「竜馬がゆく」では 配役が振られていたようだが、誰が演じたかについては誰も覚えていない。
第46章 薩と長 第一次長州征伐であります。
安治川尻の船番所を守っていた一柳藩については、「俄―浪華遊侠伝」に詳しい。
薩摩藩の大坂中屋敷があったのは江戸堀五丁目でいいと思うが、ほかに三丁目説も ある。その場所は現在“江戸堀やまぐち”という料亭になっている。ここでも薩長同盟が 成立したわけである。
征長総督を決める話に登場する大名は、尾張侯・慶勝以外は名前が記されていない。 次のようになる。 紀伊権中納言・・・・・・・・・・・・徳川茂承 信州松本:松平丹後守・・・・松平光則 日向延岡:内藤備前守・・・・内藤政挙
569 :
無名草子さん :2012/03/31(土) 18:01:15.18
>>567 現在は江戸堀に五丁目がなくなっていて、その場所が三丁目になっているということだよ。
この章では、大坂の薩摩藩邸(蔵屋敷)が三つ紹介されている。 土佐堀2丁目に上屋敷、江戸堀5丁目に中屋敷、立売堀西之町に下屋敷。 以下の文章は、どのように解釈すればよいのだろうか? かれ(西郷)は、「坂本サンがきたら、よかぐあいにもてなして賜ッせ」と土佐堀藩邸 の者に言いふくめ、自分は高麗橋の藩邸を宿とした。
>>570 そこはおかしいね。江戸堀も立売堀西之町も高麗橋から遠い。
しいて言えば、3つのなかでは土佐堀がもっとも高麗橋に近い。
第一次征長の結果、俗論党政府ができるが、みずからは“正義派”、敵対勢力は “俗論派”とするネーミング・センスの幼稚なことw
第47章 元治の暮 前半は乙女姉さんの離婚の話、後半は高杉晋作の功山寺挙兵について語られています。
竜馬が唄っている“さんさ時雨か 萱野の雨は”は、宮城県の民謡。 『さんさ時雨』は、伊達軍が蘆名氏を滅ぼした勝ち戦の後、 伊達軍の将兵によって作られ、歌われたとされる。
三条実美ら五卿の周辺にいた土州人の名が羅列されているが、変名や改名が多くて 紛らわしい。整理しておく。 後藤深蔵・・・上田宗児 真田四郎・・・窪田真吉 三瀬深造・・・木村弁之進 細木元太郎・・・細木核太郎 細川左馬助・・・池内蔵太
細木元太郎は、すぐ前の「薩と長」の章では、細木核太郎と書かれているな。 読みは両方とも「もとたろう」。史料にも両方ある。 細川左馬助は、この章のほんの数行後に話題になる池内蔵太と同一人物。 筆者は気づいていない。
578 :
無名草子さん :2012/04/03(火) 13:49:37.01
>>575 日テレ「白虎隊」の神保修理の結婚式で、森繁久彌が歌っていたな。
白虎隊はドラマとしてはシリーズ中最高の出来ばえなんだが、 桂小五郎と沖田総司が千葉道場で同門であった設定等おかしなところもある。
「どこかで見たことがあるなあ」 「千葉道場で…」 「おお、そうじゃった。同門のよしみで忠告しておくが…(略)」
第48章 戦雲 前半が絵堂の戦い、後半は小栗構想に関する章です。
慶応元年正月と書かれているが、4月6日までは元治2年である。
膺懲隊とは、第二奇兵隊の別名である。
前章も本章も、竜馬はずっと土佐堀の薩摩大坂蔵屋敷に滞在している。 つまり、物語の内容はすべて伝聞である。
横須賀造船所に関しては、三浦半島記の「小栗の話」に詳しい。
小栗忠順の少年時代の挿話が書かれてある。そこに出てくる播州林田藩建部邸跡地は 現在豊島区駒込にある染井霊園になっている。
まさか二頭波の意匠に波しぶきが五つ描かれてあるところから、 五頭波と云われたわけではないと思うが・・・
第49章 薩摩行 亀山社中設立準備のため鹿児島へ行く竜馬です。
薩摩についての説明のなかで、回想のかたちで薩英戦争が語られる。 弁天砲台の成田彦十郎は、ここでは敵の旗艦ユリアラス号を大破した 英雄のように描かれているが、胡蝶の夢の第16章「小さな航海」では、 操艦の下手くそな第二次海軍伝習生(長崎)として登場する。
加治屋町に西郷の屋敷があるように書かれているが、西郷は青年時代までを加治屋町 で過ごしたにすぎない。貧乏な西郷家では加治屋町の屋敷を売って、この当時は 甲突川対岸の上之園に住んでいた。 なお西郷屋敷として観光スポットになっているのは、明治になってから住んだ武村の屋敷である。
西郷の夫人という謎の人物が登場するが、西郷が糸子と結婚したのは慶応元年 である。現時点は慶応元年5月であるが、ここまで上方にいた西郷はどのように して糸子と結婚したのであろうか?
>>592 婚姻届にはんこを押して区役所に郵送したんじゃないか?式は後回しにしたんだよ、きっと。
∧-─-、 / ─ \ / (●) ゙i < | (、_,.)''ー 、 | ゙i(●) ) /`) ) / そろそろお待ちかねの“猫のくそ小路”の話をしようよ \ ヽ `ニ´ノ/ `''ーr -一''゙i (⌒`:::: ⌒ヽ ヽ:::: ~~⌒γ⌒) ヽー―'^ー-' 〉 │
歩けば猫の糞だらけで、必ず猫のうんこを踏んじゃうので、高山彦九郎が 猫の糞小路を名づけた。
>>595 ボケ。高山彦九郎は野間原の関所で追い返されて薩摩に入国できんじゃったと
書いてあろうがの。
597 :
無名草子さん :2012/04/04(水) 16:57:51.01
京都の錦小路を糞小路とも言うな。錦小路には薩摩藩邸があるから、そこからきたのか?
>>597 京都の錦小路の由来は、そうではない。宇治拾遺物語の記述によると、平安時代は
具足小路と呼ばれ、その後なまって糞小路となり、勅命で四条通をはさんで南隣の
綾小路通にちなんで錦小路に改められたという。
599 :
598 :2012/04/04(水) 17:00:32.62
薩摩国鹿児島城下加治屋町猫之薬小路が変化して猫之糞小路になった。
かつて街道を歩いていて難渋したのが、用便のことであった。筆者は須田さんのように 野糞に慣れていないために、宿に着くまで我慢しつづけたこともあった。最近は、コンビニ やスーパー・マーケットがいたるところにあって、ずいぶん便利になったものである。 「お客さま」 スーパーで用便を終えて駐車場を歩いていたら、店員に呼び止められた。 「うんこなさるためにだけ、当店にお立ち寄りになりましたでしょう?」 「い、いや、…その、す、するめを買おうと思いましてん。好みの硬いやつがなかったもん で、その…」 「お隠しにならなくてもけっこうですよ。うんこでしょう、司馬さん?」 筆者は返す言葉を失った。 「とがめだてしようというんじゃないんですよ。チャック下がったままですよ」
>>591 「竜馬がゆく」執筆時点では、薩摩に関する知識がちょっと弱いんだよな。
じっくり薩摩を調べたのは「翔ぶが如く」の前だろうな。
数章先にも、「蛤御門ノ変当時、西郷は島流しにされていた」という叙述が
出てくるよ。
第50章 希望 鹿児島から長崎を経て下関へ。亀山社中の設立、薩長同盟締結にむけて始動。 やっと坂本竜馬の出番がやってまいりました。ここまで長かった。
竜馬が久留米を通過するので「久留米 竜馬」で検索したら「東久留米の坂本龍馬」を 勝手に名乗るばぶれもん関連のページばかり出てきた。うぜーよ、おまい。
一般のネット・ユーザーの迷惑になるから、勝手に歴史上の人物の名を名乗るなよな。
俺は○○の坂本竜馬などと自称するやつは、どういう神経をしてんだろうな。
俺は○○のアラン・ドロンと言ったらギャグにしかならないのにな。
大宰府滞留中の三条実美と竜馬の会見は博多仁輪加のようだった、と書いて あるので博多仁輪加を調べようとしたら、博多の仁輪加というゲイバーが出てきた。 今日はいかん。やめた。
竜馬に瘧の症状が出た馬関の旅籠・綿屋弥兵衛の主人・綿屋弥兵衛は、 白石正一郎の番頭でもあった。 内藤史朗が「東天紅の海 〜綿屋弥兵衛の御一新〜」という小説を書いている。
竜馬の瘧の治療をした多田某の名前はわからない。竜馬の手帳に多田某としか 記されていないからである。多田某の住所は、長府金屋町。現在は山口県下関市長府金屋町。
バブレモンちゃなんぞなもし
613 :
無名草子さん :2012/04/06(金) 15:11:12.22
広戸甚助の手引きで但馬出石に潜伏中の桂小五郎の身の回りの世話をした 甚助の妹スミは、当時13歳である。
日向の国 兎ノ浦 とはどこにあるのでしょうか。 司馬遼太郎の竜馬がゆく 第6巻「希望」に出てきます。 西郷隆盛が中岡慎太郎とともに鹿児島から「日向兎ノ浦」から 「豊後佐賀関(大分市佐賀関半島)」に寄港した、と書いてあります。
駆け出しの新聞記者だったころの司馬遼太郎氏が 夕刊の大阪新聞トップに「東西両本願寺が合併か」という特ダネを書き、 大騒ぎになったことがある。
とりあえずや ワシは次のGWに久しぶりに西に帰省するさかいに、モノのついでに、なんですわ 近鉄の小阪やか八戸ノ里やかのあたりにある司馬サンの博物館に一遍行って見よ思てるんやが すでに行った奴おる? どないやった?
第51章 三都往来 前章のラストで西郷が下関を素通りして暗礁にのりあげたかに見えた薩長同盟で ありますが、竜馬はめげません。下関、京都、長崎を忙しく往来して、桂小五郎を 京都に引っ張り出すことに成功します。
お元とうまくち
>>621 住宅地にあるから散歩がてらいったら
膨大な蔵書が展示されてるけど手にとって読めるわけじゃない、見るだけ
図書コーナーみたいなのもないし、まあ1回行けば十分だな
帰りは司馬さん行きつけの喫茶店で一服
井上聞多の袖解橋遭難事件。祗園の芸妓・(中西)君尾のプレゼントした鏡が 懐中にあったために井上は一命をとりとめた。 その後、君尾は品川弥次郎の子を産む。
>>626 藩の公金で酒をくらい芸妓に子を産ませる。勤王派は、こういう話ばかりだな。
反吐が出る。氏ねや。
こういう糞どもをヒーローにして物語を作ろうという発想が理解できん。
会津は涙が出るが、薩長土肥は反吐が出る。
>>626 井上を治療した人物・所郁太郎を主人公にした小説に「美濃浪人」があるね。
井上・伊藤が大宰府で会った薩摩藩士・篠崎彦十郎は、慶応3年暮の三田藩邸 焼打事件で戦死する。胡蝶の夢の第33章「西の風」を参照せよ。
「ゲベール」とはオランダ語で「小銃」を意味する。 「ゲベール銃」を翻訳すると「小銃銃」となる。
>>629 一方会津藩も天皇への忠義やら徳川への恩義がどうたら言いながら
裏では幕府から警備任された北海道・日本海側の一部の土地を
プロイセンに売り飛ばすかわりに協力要請〜とリアル売国やらかしてたり
官軍憎しが高じて進軍先の寺の菊の紋を罰印で潰して賊軍ぶりを遺憾なく発揮したりしてた
王城の守護者は「会津の悲劇は原爆レベル」の問題発言で知られる
郷土史家が司馬を激しくバックアップした作り話、アレ嘘だからw
>>625 結局、そないワザワザ行くほどのモンでも無いっちゅうことなんかの
司馬博物館は
あえて行ったとしても、せいぜい小一時間で見て回れる程度のモンなんかの
636 :
無名草子さん :2012/04/12(木) 16:04:26.25
胡蝶丸は、竜馬がはじめて鹿児島を訪問したときに乗船した船
いぼの三七は昭和43年の「竜馬がゆく」では田中春男(56)が演じた。
薩摩の輸送船・翔鳳丸は、後日、阿波沖海戦で自爆した船
桜島丸条約の第二条に出てくる寺内信左衛門とは、新宮馬之助の別名である。 このところこの小説への登場が少なくなっていたが、別名を使っていたのである。
阿弥陀寺の伊藤助大夫は、伊藤助太夫の誤植である。
お元と竜馬の接吻 蘭和辞典「ズーフ・ハルマ」では、オランダ語のキュス[kus]に長崎方言の「ウマクチ」 という語を当てている。
アオモチは長崎方言では恋人を意味するが、小田原方言ではカワハギを意味する。
>>646 このぶさいくな顔で羽織の紐を振り回して、周囲につばきを飛び散らしていたら
絶対に嫌われるよな。
胡蝶の夢の伊之助のほうがよっぽどいいやつに思える。
>>650 唾を飛び散らすワザは、顔がどうであれ嫌われる。
>>637 売国奴が悲劇だの何だのほざいて忠義ヅラしてるのは
ヘドがでるような行いじゃないのかね?www
最近ようやく「街道をゆく」を読み始めた ドッサリあるから読み応えがあっていいなコレ
656 :
無名草子さん :2012/04/13(金) 16:35:24.27
第52章 秘密同盟 慶応2年正月21日。薩長同盟の成立です。
海援隊の下関支店にある自然堂の扁額を書いた書家の岡三橋は、 永井荷風の幼少年期の習字の先生でもある。
筑前福岡藩の勤王派粛清について触れられているが、平野国臣の名前が出てこないな。
>>659 竜馬は人間よりも猿に近いよな。どこが龍じゃ?
>>660 平野国臣は、元治元年7月20日に死んでいる。生野の変の後、京の六角獄舎に
拘禁されていた。蛤御門の変の際の火事で獄舎に火が及び、囚人が脱走して
治安を乱すことを恐れた京都所司代配下の役人が囚人の処刑を決断、
他の30名以上の囚人とともに斬首された。享年37。
幕末の兵庫警備は、漫才コンビがやっていたんだな。
薩長同盟締盟の薩摩側代表のひとり家老・桂右衛門とは、桂久武のことである。 西南戦争の薩軍兵站責任者で城山で戦死するから、「翔ぶが如く」には最後まで 登場する。西郷が奄美へ流されていたとき桂も奄美へ左遷されていた。
日本テレビの「田原坂」では竜雷太が演じていたな
>>667 宮内庁にある「薩長同盟裏書」の原本も、時々公開されるよ。
一昨年はNHK大河ドラマ「龍馬伝」で、龍馬が裏書きをするシーンの放映直後というタイミング
で公開された。
薩長会盟の席で「形見桜」という琵琶曲を演奏した児玉半蔵は、明治の薩摩琵琶の第一人者と 書かれているが、ネットではほとんどヒットしない。大河ドラマ「花神」では役者が宛がわれていた。
第53章 伏見寺田屋 寺田屋事件です。
受験日本史で寺田屋事件といえば、文久二年の薩摩藩士の殉難事件のほうだな。 竜馬のほうが映画・ドラマではお馴染みなんだが、こっちは別の呼び方にしてもらい たいな。できれば事件そのものを忘れてもいいと思う。おれ竜馬が嫌いだし。
おりょうが駆け込んだ伏見薩摩藩邸跡は、現在、清酒月桂冠の工場である。
>>41 『 Beyond the Missouri Sky 』 と 『 What's It All About 』を聞き比べると一目瞭然。
『 Beyond the Missouri Sky 』 のベースって、ギタリストが6弦・5弦で出しているベース音と違いがない。
芸も何もない。ボンボボンだもん。
>>671 大人数で囲んでおいて、たった二人を捕縛できないとは、情けなさすぎる。
まあ、この間抜たちのおかげで竜馬はヒーローになれたのかもしれんがな。
>>671 俺もパっと思いつくのは「おいごと刺せ!」のほうだな
両方とも寺田屋事件で合ってるらしいが
薩摩・・・寺田屋騒動
竜馬・・・寺田屋遭難、と呼び分けるようだ
「いま海援隊のなかで」 と、陸奥がきいた。 「両刀を脱しても食えるものはたれとたれでしょう」 「二人しかいないな」 陸奥は息をのんだ。 「たれとたれです」 「君と僕さ」 竜馬は刀の手入れをしながらなにげなくいったが、陸奥は、かれの親方でもあり 師でもある竜馬が自分を買いかぶっているのが怖くなってきた。 「海が荒れてきたな。ウン、落雷か」 遠くで雷鳴が聞こえた。陸奥は卓の下に身を隠して耳をふさいだ。 「どうしたのだ、陸奥?」 「雷が怖いんです」
旧暦の正月23日といえば、一年でいちばん寒い頃だろうに。 裸のおりょうさん、乙。
第54章 霧島山 竜馬とおりょうは傷養生のために鹿児島の塩浸温泉へゆきます。
薩長の仲立ちをした竜馬のことを“月下氷人”と言っているが、不勉強なことに 知らなかった。以下のような意味らしい。 意 味: 男女の縁をとりもつ人。仲人。 解 説: 「月下老人」と「氷人」との二つの故事をふまえた合成語。 唐の時代、韋固(いこ)が月明かりの下で不思議な老人から未来の妻を予言されたという故事から。 また、晋の時代の令孤策(れいこさく)が、占いの名人に「氷の上に立って下にいる人と話した」という 夢を占ってもらったところ、「結婚の世話をする前ぶれだ」と言われ、その通りになたという故事から。
薩艦・三邦丸は、サンポウマルではなくミクニマルと読むらしい。
この章で出てくる塩浸温泉も、少し前に登場した山口郊外の湯田温泉も、 竜馬が浸かった湯ということを宣伝文句にしているらしい。竜馬の名は多くの 日本人が知っているので仕方のないことだと思うが、なんか情けない。 地元の偉人をたたえろよ。
竜馬とおりょうの霧島登山のくだりで映山紅が出てくる。「映山紅」と書いて キリシマツツジと読むが、霧島に行かないと見れない植物ということではない。 「江戸名所図会」のつつじの名所案内に「映山紅」と書いてキリシマとふりがな を振ってあるから、江戸時代には他地方でも植えられていたのだろう。
ワイル・ウエフ号を売ったプロシャ商人チョルティは、いくら探しても出てこない。 実在した人物だとは思うが・・・。
ワイル・ウエフ号遭難事件の生き残り、浦田運次郎は、いろは丸が明光丸と衝突した事故 の際、当番士官として艦上にいた佐柳高次と同一人物である。この小説では注意書きが ないため別人と思っている読者も多いと思う。
ワイル・ウエフ号と並航していたユニオン号の艦長・中村四郎(長州人)は、 函館戦争のときの甲鉄艦(ストーン・ウォール・ジャクソン号)の艦長である。
兄ちゃん、オテントサマ丸ってホンマにあったん
あったんじゃねーか
第55章 碧い海 第二次長州征伐に備えて下関に向う亀山社中ですが、おりょうの希望で長崎に立ち寄ります。 饅頭屋長次郎の切腹が回想で語られます。
関雄之助[沢村惣之丞]を紹介するところで、竜馬とともに宮野野関を越えて脱藩した とある。間違いではないが、宮野野関を越えれば伊予国に出てしまいそうな感じに読める。 宮野野関から土佐と伊予の国境まではもう少し歩かねばならない。
正確に云うと、土佐と伊予の国境である韮ヶ峠を越えて、伊予国に"脱藩"したんだよな。 檮原町宮野々は通過しただけ。
》今でも長崎には乱暴者を指して「亀山の白袴」という言葉が残っている。 この小説が書かれた昭和40年前後であればいざしらず、いまの長崎市民で 乱暴者を指して「亀山の白袴」という者はいない。
第56章 海戦 第二次長州征伐の戦闘を、この章で一気にやりますが、竜馬主人公の本作では 小倉口の亀山社中の戦いが中心です。長州藩の戦いについて詳しくは、 「世に棲む日日」「花神」の該当箇所をお読みください。
697 :
無名草子さん :2012/04/18(水) 13:12:35.71
宣戦布告の使者・石坂武兵衛は、エトロフ会所でゴローニンと折衝した石坂武兵衛正直 の子孫かいね?
幕軍の大島上陸のところに登場する八雲丸は、松江藩の鉄船で当時の新鋭艦。 本作品の第39章「元治元年」に、ちょっとだけ登場している。
旭日丸(アサヒマル)は、水戸藩。こちらは帆船。第16章「風雲前夜」で、水戸藩を少し馬鹿に したような感じですでに紹介されている。
大村益次郎の台詞「大島は捨てます」は、むかし松村邦洋がモノマネしていた。
中ノ関の問屋口港で高杉晋作が訪れた貞永文右衛門は、貞永庄右衛門となっている 史料もある。
「知られざる幕末の志士 山田顕義物語」というドラマがあるらしい。 知っている人は知っているし、知らない人は見ない。
小倉口におけるユニオン号の戦いを小判鮫にたとえている。 ちなみに、「サメ」の名がついてはいるが、サバやカジキなどが属すスズキ目の仲間である。
第57章 厳島 将軍家茂の病没を機に幕長戦争は止戦へ。軍使として勝海舟は厳島へ行きます。
天堂晋助も行ったんだろう?
徳川慶喜の長州大討込の呼号って、民主党みたいですね。
外国奉行の池田筑後守とは池田長発(ながおき)のこと。詳しくは、この国のかたち所収の 「巴里の廃約」を参照せよ。
芸州藩の辻将曹はたいていこの名前で出てくるが、辻維岳の名で登場することもある ので注意が必要である。
止戦協約のために厳島に来た長州藩士5名のうち長松幹は祐筆である。
が、竜馬は、議論の勝ち負けということをさほど意に介していないたちであるようだった。 むしろ議論に勝つということは相手から名誉を奪い、恨みを残し、実際面で逆効果になる ことがしばしばあることを、この現実主義者は知っている。 以上は、松本清張氏の議論を念頭においての余談である。
第58章 男ども 前半は九州諸藩をビジネスで結びつけようとする竜馬の活躍、後半は三条制札場事件 が語られます。
肥前大村藩の渡辺昇は大佛次郎の鞍馬天狗のモデルと云われているが、 大佛次郎本人がそのように述べたわけではなく俗説であるという意見もある。
とんま天狗が大村崑であることは、争いがない。
とんとんとんまの天狗さん ♪
政権交代直後の民主党は、とんまな天狗さんだったな。
乞食に変装していた新撰組隊士・橋本会助は、新選組血風録の第7話「胡沙笛を吹く武士」 の主人公である。
718 :
無名草子さん :2012/04/19(木) 15:05:20.79
>>717 もうひとりの乞食変装者・鹿内薫も、同作品に登場するね。
>>716 現在は天狗の鼻が折れただけで、とんまであることは以前と同様
第59章 窮迫 長崎へ帰った竜馬は、金もない、船もないという貧乏人になりました。 溝淵広之丞と再会した竜馬。思わぬところから亀山社中に救いの手がさしのべられます。
溝淵広之丞と再会したのは本当だが、この小説では溝淵は初登場だ。
溝淵が通っていた西古川町の柴田英学塾とは、柴田昌吉の英学塾。 中江兆民も通っていた。
,.、ゝ 〜-≦仁 、f巛彡vy ヾ /^ ⌒ゝ巛彡 ヽ 〃 イ巛彡 > / _ _,,,,,,_ ソ巛彡 彡 .|!_ニ_ ".━- 》巛彡 < | ∫从Y 彡 ', 、_,,_ ∬_ノ 〆 ', _ _ ミ三从 ' ご”'' ィ彡 |≪ 中江のにいさん、煙草を買うてきておおせ ヽ ,;彡' |三ヽ ,ィヘ'''''''' ´ /三三ニ、 _,.イ三|!ミ /三三三三ヽ イ三三/!| /三三三三三三≧、 /三三三| |` イ/三三三三三三三三≧、 /三三三三.! \ / /三三三三三三三三三三ト, /三/∧三三ソ / /三三三三三三三三三三三ト, ノ 三V/ 三三|/ /〃三三三三/⌒|三三三三三|
後藤象二郎の上海行きにはジョン万次郎も同行している。ここで買った船が夕顔丸。
アーミスティ号という船が登場するがアーミスティス号(のちの千歳丸)のことであろうか? 江戸幕府が計画した中国との貿易の試験船に用いられた。そのときの船長は沼間平六郎。 翔ぶが如くでおなじみの沼間守一の養父である。
728 :
無名草子さん :2012/04/19(木) 17:55:04.93
>>727 所有者がリチャードソンなんでアーミスティス号だね。
上海 - 長崎の定期航路に就航していたから、高杉晋作が上海へ渡ったのも、この船。
しかし誤植が多いな。
前章の補足
三条制札事件には8名の土佐浪士が関係しているが、そのなかのひとり
宮川助五郎は、澤穂希によく似た女と写真に写っているやつだ。
>>516 参照。
731 :
無名草子さん :2012/04/20(金) 12:26:17.13
7歳年長の溝淵広之丞に対する竜馬の口のききかたが尊大すぎる。ありゃないわな。
>>731 幕末モノの場合、勤王浪士はみな親友扱いされるんだよな。身分差を無視するのは
創作上やむをえないとしても、年齢差や交友関係の粗密は、もう少し丁寧に書いても
いいと思うがな。どいつもこいつもみな親友になってしまう。
733 :
無名草子さん :2012/04/20(金) 15:26:12.65
>>731 陸奥陽之助は竜馬よりも年下だ。陸奥の溝淵に対する言葉遣いは、もっとひどいぞ。
この年齢差を意識したのか、竜馬の溝淵への呼びかけ方が、「溝淵のおんちゃん」と いう風に変化してくるよ。
第60章 清風亭 土佐藩の仕置家老・後藤象二郎が亀山社中に急接近。援助を申し出ます。 場所は大浦お慶の屋敷内にある清風亭です。
高橋勝右衛門は、岩崎弥次郎の姉の子。つまり、弥太郎の従兄弟。
後藤がキネプルから購入したエンピール銃とは、エンフィールド銃のこと。 イギリスのエンフィールド造兵廠で開発された前装式の小銃。輸入された当初は その弾丸の構造からミニエー銃と呼ばれていたが、フランス製のミニエー銃と 区別するためにエンピール銃と呼ばれるようになった。日本陸軍はこの呼称で 呼んでいた。
ついでに説明しておくが、スナイドル銃はエンフィールド銃を後装式に改造したもの。 なお、司馬さんは、ミニエー銃とスナイドル銃がごっちゃになっていることが多いの で注意が必要である。
>>739 司馬遼太郎さんは帝国陸軍の少尉殿だぞ。言葉が過ぎる。
「翔ぶが如く」あたりになると、ミニエー銃とスナイドル銃の区別は正確になさっている。 政府軍は後装薬莢式のスナイドル銃なので強く、薩軍は前装式のミニエー銃なので 弱かったという具合にね。 しかし、初期作品でゲベール銃とミニエー銃を比較する叙述では、ミニエー銃を スナイドル銃と勘違いされているのでは?と思わせる部分はあるな。
これに対して、お元が着ていた郡内縞の大筋に秩父裏の袷というのは、 郡内織と秩父織の袷で、簡単にいうと粗末な着物ということだ。
第61章 お慶 陸奥陽之助は、大浦慶の男妾になってカネ工面。亀山社中は大極丸を手に入れます。
陽之助よ、おとこ妾を恥じるな。 大隈さんが三助になってお慶の背中を流していなければ、早稲田大学もなかった かもしれない。
大極丸の元の船名をウイルウエイフ号(Wild Wave)とする史料もあるようだが、 司馬さんは通説に従い、先に沈没したウイルウエイフ号とは別の船としている。
アメリカの南北戦争が原因で世界的に綿が品薄になり価格が高騰したとある。 竜馬はこれに目をつけ関西の安い綿を横浜へ運んで大儲けを企むわけだが、 我々の日本史の知識によると、幕末には英国がインド産の安い綿を大量に日本 へ輸出し、国産の綿は価格面で太刀打ちできなくなった、と記憶しているのだが、 違ったっけ?
安政の不平等条約によって関税は幕府が自由に決められなかったんだろう? 国産の綿で儲けられるか?
儲けたいのなら、綿よりも、絹のほうがいいんじゃないのか? 幕末の日本の輸出品といえば、生糸と茶であると習ったわけだが。
幕末、綿作では食っていけなくなったから、茶作に転業した農民は多かったな。
「おやじ、綿を売ってもらいたいんだ」 「そんなもん、どうすんだ?」 「横浜へ持って行って大儲けだ。儲けは折半。どうだ、おやじ、ひとくち乗らないか」 「おまえ、名前はなんて言うだ?」 「土佐脱藩、坂本竜馬」 「あほうか、おまえは?綿なんかねえ。あんなもん儲かんねぇんで、三年前にやめた。 ほれ、いまは茶しか作ってねー。こん村で綿を買おうちゅうたって、誰も作ってねーだ。 無駄口たたいてねーで、帰った、帰った。仕事のじゃまだべ」
>>753 南北戦争によって世界的に綿が品薄になり価格が高騰したというのは本当だよ。
それゆえ日本の綿も外国資本によって買い占められた。
>>756 綿作の中心地は「菜の花の沖」で述べられているように近畿地方なんだが、金肥
の高騰により綿作から転業してゆく農家が多かったのは事実だ。しかし、まだ外国
資本が買いあさるだけの生産量はあったんだろうね。
竜馬のやったことは、そういう外国人の猿真似。どうもこいつだけは好きになれない。
高知市や長崎市が竜馬で観光客を呼ぶのはまだわかるが、竜馬とかすかな 関わりしかない地方までが竜馬で客を呼び込もうとしている現状を見ていると さらに竜馬が嫌いになる。もっと地元の偉人を大切にしろよ。
>>731 田中光顕が俺たちは皆年齢差あってもオンシ・オイラで気軽にやり取りしたもんだよとか言ってたぞ。
竜馬が偉そうなDQNに見えるのは司馬のせい。
第62章 海援隊 慶応3年3月。約規が決まり、海援隊発足です。
海援隊といえば贈る言葉
その前に孝明帝崩御を中岡慎太郎が伝えに来る。いつもなら長々とやりそうな感じ なんだが、ここはアッサリ。
五箇条の御誓文の起草過程については、受験日本史では、 坂本竜馬(船中八策) →由利公正 →福岡孝弟 の流れで覚える。 これだけを覚えていると、竜馬と福岡孝弟は仲良しなんだと思っちゃうよな。 この小説の福岡孝弟は嫌なやつなんで、初読のときはオヤッ?と思った。
俺たちはきちんと孝悌で覚えたものだが、ゆとりは孝弟でもいいみたいだな。 しかし、[福岡孝弟は「福岡孝悌」とも表記される人物で・・・]という言い草には抵抗があるな。
第63章 弥太郎 土佐商会設立のために福岡藤次とともに長崎へやってきた岩崎弥太郎の話です。
開成館の国産方差配役で弥太郎の上司であった山崎昇六は、第60章「清風亭」では 山崎直之進の名前で登場していた。同一人物である。
小谷耕蔵は次章に出てくるいろは丸の船長になる人物である。この小説では、 いろは丸の名誉船長・国島六左衛門の名前は登場するが、小谷耕蔵は無視 されていたような気がした。これから確認する。
>>769 衝突の後も、航海長の佐柳と機関長の腰越が騒ぐだけで、小谷の名前はまったく
出てこないよな。
第64章 いろは丸 いろは丸と明光丸の衝突事故の顛末がくわしく語られます。
》(いろは丸の)船尾に、美女の彫像がついている。航海安全の守り神だという。 「アビソという名の美女です」と売主のボードウィンは言っているが、アビソという 名前の女神はいない。 Avisoは固有名詞ではなく、フランス語で「通報艦」という意味の普通名詞である。
ちなみに、司馬さんのネタ本は豊川渉の『いろは丸終始顛末』な。
アビソは船とや ♪
遅まきながら気がついたんだけど、この小説は、小曾根英四郎が小曾根家の当主 の扱いになっていないか?
>>775 そんな感じがするな。小曾根家の当主が直々にいろは丸の会計官(事務長)に
なっている。しかしながら、小説では事務長の英四郎はいろは丸に乗船して
いないように読める。事務長が乗船しないというのもへんだな。
いろは丸の購入資金は、薩摩藩から出たんだろう?お慶のからみ方が微妙な 感じで書かれてあるんだよな。
航海長の佐柳高次は、沈没したワイル・ウエフ号の生き残りなんだが、 そこは無視されているな。
しかし、おまいらは竜馬が海難事故に遭遇したというだけで楽しいのか? 理解できん。
竜馬ブームは、公家さんが入った風呂の残り湯を薬代わりに飲んだエピソードに近い。 喜ぶのは薩長連合と大政奉還ぐらいにしとけや。
竜馬は、面白くないのに売れてしまう本、CD、映画、その他諸々の商品みたいなんだわな。
ところで、海音寺潮五郎って人が司馬遼太郎よりも文章がうまくておすすめ、 とか言われたんだけど、この人の代表作ってなによ?
>>784 武将列伝かな
あとは幕末の薩摩物と言えば海音寺ってぐらい薩摩物が多い
YouTubeのSeals & Croftsの動画が大量に削除されていて気分が悪いので、 本日はお休み。
第65章 中岡慎太郎 サブ・タイトルは「中岡慎太郎」になっていますが、このところ竜馬が海援隊設立から いろは丸事件に没頭していて京都の情勢が手薄になっていたので、中岡を狂言回し にして中央の政治状況を語っています。後半は岩倉具視について詳しく語られます。
慶応2年暮の孝明帝崩御・兵庫開港問題にまで遡っているな。
中岡の大宰府への旅に同行した長州藩士・井原某は、井原主計のこと。 清水某は不明。
岩倉村の岩倉具視を中岡が訪ねる際に同行した前田雅楽は、天誅組の変の際、 天誅組を逆賊とする令旨を持参して十津川郷士を説得した前田雅楽。
岩倉村への道中に出てくる田中村は、現在は上京区田中。二条城、御所の近く。
岩倉村に近い狐坂は、現在、京都マラソン最大の難関といわれている。
岩倉村蟄居中の父・具視に川魚を釣って献じていた周丸と千代丸の兄弟。 千代丸が岩倉具経であることは確定だが、周丸はよくわからなかった。 おそらく岩倉具定ではないかと思われる。
周丸は岩倉具視じしんの幼名でもあるな。
そろそろ終盤だな。早く竜馬が死ねばいいのに。
こうして見てくると、竜馬はいろは丸を沈めたり、天誅騒ぎに巻き込まれたり していて(イカルス号事件)、政治以外のことで忙しいんだよな。
ちょこっと顔を出すだけで、肝心なところは、中岡・西郷・大久保・後藤らがやっている。 大政奉還直後というタイムリーな時期に暗殺されていなかったら、ヒーローにはなって いなかっただろうな。
戊辰戦争をカットできる。蛤御門の変を除くとエキストラは少なくてすむ。 その蛤御門の変も、禁門の政変と同じ日に撮影できる。 あとはチャンバラだけだから、竜馬は、低予算でも映画化しやすいよな。
おまいらほんと竜馬が嫌いだなw
>>800 アイデアを出すだけなら誰でもできる。アイデアを実現するために各方面に
頭を下げて回るのがたいへんなわけだ。竜馬はそれをしない。時々宴会
でおちゃらけをやって他人を笑わすだけ。典型的な宴会お祭り男。
革新的なアイデアを出すことは、そうそう誰にでも出来ることじゃないと思うぞ あと、アタマを下げたかどうかは知らんが、各方面への働きかけは結構やったんとちゃうん竜馬も お祭り男であることは否定はせんが
第66章 都大路 この章にも竜馬は登場しません。四侯会議と薩土同盟が、中岡と容堂を 中心に語られます。
中岡が翠紅館へ行く道で見る翠巒とは、みどり色の連山の意である。 巒の文字が?にならなかったので、つい嬉しくなって書き込んでしまった。 なお、高崎高校文化祭は、翠巒祭という。以上、余談である。
808 :
無名草子さん :2012/04/28(土) 19:05:41.77
司馬先生の竜馬がゆくに、翠紅館は現在料亭になっていると書かれてあるのですが、 どこですか?ゴールデン・ウィークでお休みなんで、質問していいですか?
翠紅館が沢野定七氏の所有に帰したのは、大正四年である。不覚にも筆者は同氏 について知るところがなかったが、他作品の調べものをしているときに偶然同氏の 名前を発見した。大正十二年の神戸新聞によると日本商業銀行の監査役をしておら れたようである。
中岡が陸援隊設立資金を借りた板倉筑前介は、別名を淡海槐堂という。 龍馬が中岡慎太郎と近江屋で暗殺されたときに部屋にあった寒椿と白梅図の掛軸「梅椿図」は、 槐堂が龍馬の誕生祝いに自ら描いたものである。
815 :
無名草子さん :2012/04/28(土) 19:51:54.87
>>522 「法駕籠のご寮人さん」ではそうなっているが、あれはデタラメとわかって書いているから。
「竜馬がゆく」では、三岡は鳥羽伏見の戦いの後に京都へ来たと書かれている。
歯痛の容堂を診察した戸塚文海は、将軍慶喜の侍医だよな。 容堂の侍医のような書き方をしていたような気がしたが。
「胡蝶の夢」の戸塚文海は、松本良順が江戸に帰った後の長崎医学伝習所を滅茶苦茶 にした嫌な人物のように描かれていたな。
820 :
無名草子さん :2012/04/30(月) 15:04:09.87
>>816 文庫7巻を読むと、容堂の侍医を書いてありますね。
四侯会議の最中だったので、慶喜が自分の侍医を差し下して
容堂を診察させたのでしょうか?
岩倉具視の屋敷を監視していた別手組の若林亀三郎以下八名というのが登場する。 別手組は、元来は外国奉行支配下にあって外国人居留地の警備に当たっていた 居留地警察である。
土佐へ帰る中岡慎太郎の送別宴のために明保野亭に参集した土佐藩士 のなかに島村寿之助がいる。武市半平太が自刃した第37章「惨風」で 登場した。武市の隣家に住んでいた勤王党の同志である。永蟄居の刑 に処せられていたが、慶応3年大赦により釈放され、この時期は京都 留守居役であった。
第67章 船中八策 いろは丸事件も一段落して、大政奉還に向けて始動する竜馬です。
夕顔丸の船長・由比畦三郎[直枝]は、この小説にもちょくちょく登場している 由比猪内直春の息子。
この章からラストまではけっこう面白いんだが、こうなってくると寝待の藤兵衛や お田鶴さまは不要になってくるし、おりょうでさえ出番がなくなるんだよな。
信夫左馬之助は、かなり早い時期にフェイド・アウトしたな。この先も名前すら出てこない。
夕顔丸は下関を過ぎた岩見島あたりで座礁する。岩見島は江戸時代までの呼称で あって、現在は祝島という(山口県熊毛郡上関町祝島)。
>>826 水原播磨介が登場していた頃とは別の小説のような気がするな。
スフィンクスの謎の「夜には三つ足で歩くもの」の意味を知らなかったが、 人間は晩年(老年)に杖をつくから三つ足、という意味なんだな。
>>831 夜はちんこが立つから三つ足だと思っていたのか?
女は人間じゃないのか?
>>830 水原播磨介のネーミングは、前章で登場した板倉筑前介(淡海槐堂)がヒントなのかね。
公家に仕えた侍という身分も同じだし。
そうかもしれんな。それと水原播磨介の登場場面が連載された昭和38年の レコード大賞が、水原弘の「黒い花びら」なんだ。
第68章 夕月夜 大政奉還実現のため、後藤象二郎は高知の容堂の説得に向かい、竜馬は京で 薩摩藩の要人の説得に東奔西走します。
お登勢は、この章が最後のお勤め。
お登勢さんは二番目ぐらいにエロい
河原町三条車道の酢屋は、伏見の寺田屋とともに、幕末の面影を残す数少ない史跡。
この章の中盤は、佐佐木三四郎の話ばかりだ。福岡藤次にくらべるとずっと扱いがよい。
鹿持雅澄の妻を、司馬さんは、武市半平太の父・正恒の姉としているが、妹の誤り。 名を菊子と云い、半平太の叔母になる。
鹿持雅澄の弟子数人の名が羅列されている。南部厳男は南部甕男によく似た名前で あるが誤植ではなく実在した別人である。
東山の会会堂という料亭の場所は見つけられなかった。この名前は田中光顕日記で 見たことがある。そこでは「東山の会々樓」となっている。
「昨夜、東山の料亭で酒を飲んだら、背中が痒くていかん」 「どこの店じゃ?」 「会会堂」
>>843 この章の最後に出てくる福岡藤次とお加代(山猫)も、翁の日記の同じ箇所に出てくるね。
>>840 福岡藤次には龍馬暗殺疑惑もあるからな。主犯ではないが。
連休で帰阪したついでに、小阪の司馬遼太郎記念館に行ってきた。 恒久展示は実質的に「大書架」だけだった。 しかし、その膨大な蔵書も、手に取ることはおろか、地下一階以外のフロアからは近づくこととて出来ず、 上の方の書棚にどんな本が置いてあるのか視認することも出来んかった。 どないもこないもしゃあないので、内心札幌時計塔と高知播磨屋橋に列したったw
848 :
無名草子さん :2012/05/02(水) 08:56:47.48
>>847 一度行きたいと思っていたけど、たいしたことなさそうなんで
止めるかな
>>846 福岡藤次とお加代の挿話は、中岡の苦労と書いているともいえそうだが、
福岡藤次の醜聞を晒しているともいえそうだ。こういう事例は尊攘派の
志士には枚挙に暇がないのに、福岡藤次の場合だけ醜聞にされている。
よっぽど嫌いなのかな。
維新前にはたいした働きがないのに維新後栄達した人物は福岡だけでは なかろうに、こてんぱんに叩かれているな。
福岡孝悌は、受験日本史における重要性と、小説・ドラマにおけるブザマさのギャップ にとまどう人物だな。
852 :
無名草子さん :2012/05/03(木) 14:50:15.54
福田定一著『サラリーマンの金言』の数編を雑誌で読んだけど、そこそこ面白い。 復刻すればいいのに。
>>849 福岡藤次の恋敵・島津伊勢は、薩長同盟のところでも登場したけど、
名前はわからんのか?
>>852 文体が話し言葉風で落語のようなリズムがあるな。
日常会話のなかでは頻繁に使用するが文章にするときは滅多に使わない 日本語というのがあって、「サラリーマンの金言」はそういう言葉を駆使して 書かれている。
>>852 僕が読んだのは月刊誌『プレジデント』の1997年3月臨時増刊『司馬遼太郎がゆく』に
掲載された5編だな。プレジデントの1997年4月号には、これとは別に8編が収められて
いるらしい。『名言随筆サラリーマン』は全部で46編あるそうで、できれば全部読んで
みたいね。
第69章 陸援隊 前半は陸援隊隊長代理になる那須盛馬[片岡和利]の話。 後半は竜馬が枳殻邸に乗り込み、大目付・永井主水正に大政奉還を説く話です。
高速バス事故の話じゃないのか
陸援隊の屯所になった土佐藩白川陣営は、吉田山の近くにあった。 吉田山は「風神の門」で隠岐殿が京の拠点にしていた紅葉屋敷(菊亭晴季の別荘) があった場所。
陸援隊隊士・大江卓の紹介がわずかにある。ここではマリア・ルーズ号事件における 清国人奴隷232人の解放が紹介されている。「胡蝶の夢」では穢多非人の解放に 貢献したことが紹介されていた。
中岡が会った芸州藩士・船越洋之助(のちに衛)は、大村益次郎の門弟。 「花神」の主要登場人物。
アナルをかいた指を匂ってみたくなるのは人の性(さが)である。
田中顕助・那須盛馬とともに脱藩した橋本鉄猪の明治後の名前を 大橋慎蔵としているが、ふつうは大橋慎三である。
山崎喜都真は、この小説では十津川の山中にいる那須盛馬を迎えに行くだけの 人物であるが、維新後はドイツに留学して西洋の製紙技術を伝えた。そちらの方面 で有名な人物である。
山崎喜都真の十津川への道中に「五条」という地名が登場するが、正確には 奈良県五條市のことである。
中井庄五郎は、陸奥陽之助を主人公にした「花屋町の襲撃」(『幕末』所収)に 脇役として登場する。
例によってなんだが、この章の竜馬、幕府の大目付に対して態度がでかい。 いつものことながら気にくわない。
竜馬を読んでいると、いい気になるなクソッタレという気分になるな。
那須盛馬と中井庄五郎が新撰組と闘った話がやけに長い。 「新撰組血風録」の候補になったが、独立の短篇にすほどには面白みのない話 なんで、ここに入れたという感じ。
ときたま、この脱線には何か意味があるんか?と思える脱線だあるよね。
那須盛馬はここまでこの小説に二度名前が出てきている。その他大勢と名前が羅列されて いるだけだがな。ここで那須盛馬にたくさんページを費やしても、この先は登場シーンがない んだよね。余計な脱線のような気がした。
宮川助五郎を詳しくやればよかったのにね。暗殺された当日、竜馬と中岡は 宮川を匿う話をしていたんじゃなかったっけ?
宮川助五郎の場合、いっしょに写真に写っている澤穂希によく似た女が誰なのか すごく気になるしな。
第70章 横笛丸 大政奉還実現のために奔走する竜馬は、ふって湧いたようなイカルス号事件の 処理に時間を奪われます。サブ・タイトルの横笛丸は、少し前まで大極丸と呼ばれて いた海援隊の船で、事件の翌日、容疑者の海援隊士がこの船に乗って長崎を出港 したため容疑が深まりました。
オットセイ
この小説では竜馬は事件当夜は京にいるので、事件内容はあまり詳しく書かれていない。 詳細は「慶応長崎事件」という短篇でどうぞ。
岡本健三郎は、28章「伯楽」以来久々の登場なんだが、以前登場のときは あだ名はオカケンだったのに、本章では馬健になっている。
大坂留守居役の石川石之助は名前しか出てこない。竜馬や佐佐木とやりとりをするのは 添役の山田喜内だ。 石川石之助は武市半平太の取調べに当たった役人であるが、武市は石川を次のように 評している。 「石川という奴、実に愚人」 「頗る愚人、笑うべき口上多し」 「石奸は愚人にて、こちから色々問い落とし見れど(吉田東洋暗殺)のことは、きっと確証なし。ただ窮しおる模様なり」
>>883 龍馬伝の第23話「池田屋に走れ」に出ていた。
885 :
無名草子さん :2012/05/05(土) 17:08:16.77
松平春嶽が竜馬の依頼をうけて山内容堂へ手紙を書いたというのは本当なんですか?
春嶽が容堂にイカルス号事件処理に関する忠告書をしたためたのは史実だが、 書かせたのは将軍慶喜。
郷士坂本権平弟に何ができるかw
イカルス号の水兵を殺したら、英国公使パークスが怒るす。
枝川は、かつて存在した武庫川の支流で、現在は存在しない。 現在の甲子園球場あたりにあったと思われる。
竜馬が西宮を通過する際、蛤御門ノ変に敗れて武庫川まで落ちてきた長州兵と姫路藩兵 とのやりとりが記されている。長州の使者時山直八に対して「我藩西宮ヲ守ル若シ強テ通過 セントナラハ我亦一戦ヲ辞センヤ然レトモ間道ヲ行クアラハ我之ヲ問ハス」と間道通過を黙認 した姫路藩士は塩沢元長である。
埋め立てられた川や二級河川を書かれても地元の人間以外にはわからんだろう。 西宮の東川や夙川などは、どぶ川じゃねーかよ。
竜馬は兵庫で枡屋という旅籠に泊まる。この旅籠が実在したのか否かについては 筆者は確かめることができなかった。 なお、H15.1.13放送の『水戸黄門』第31部第十二話「商売繁盛笹もってこい・兵庫」に おいて、祭礼のため宿がいっぱいで途方に暮れていた一行に声をかけてくれた娘お糸が 連れて行ったのが枡屋という旅籠だった。この枡屋、五年前に商売をやめ店は荒れ放題。 黄門さまの尽力によって枡屋は復活するのであるが、竜馬が泊まったのは、この枡屋 である。
土佐へ向う竜馬が乗船したのは薩摩汽船の三邦丸である。おりょうと新婚旅行で鹿児島へ 行ったときにも乗船した船ですが、竜馬君は三邦丸を見ても感慨にふけったりしません。
三邦丸の船長は井上新左衛門ですが、同姓同名が新撰組隊士のなかにも おりますので注意が必要です。
須崎港に薩摩藩船・夕顔丸が停泊しています。先に竜馬が京に向うときに乗船し 船中八策を練り上げた船ですが、竜馬君はそんな感慨にふけったりはしません。
殺されたイカルス号の水兵ロバート・フォードは左翼であったため、ロバート・レッドフォード というあだ名を仲間の水兵に付けられていた。
「街道を行く」を最近チラホラ読み始めた。 昭和40年代にして既に、随所で近代化を嘆いているのが面白い。 いわく「昭和30年代以降の日本と言うのは実に工業化と商業主義の蔓延により云々カンヌン」と しかし、今やその昭和30年代がノスタルジーの対象になってることを思うと、ナンだ。 結局、人それぞれ世代それぞれ「旧き良き日々」というのを抱えており、それと比較して「だから今は・・・」 と嘆く風潮は、タヴン大昔からありこれからもずっと繰り返されて行くのだろう
お田鶴さまの妹・おいいが登場した。実在の有無を調べたが判明しなかった。
福岡宮内の小者・久万吉が登場した。 お田鶴さま付の老女はつは、あれからどうしているのだろうか。
パークスを威嚇するために乾退助以下の迅衝隊の面々が海岸で示威行動をしている。 そこに迅衝隊の士官の名前が羅列されているが、そのなかのいく人かを紹介する。 片岡健吉…立志社のメンバー。のちに衆議院議長を務める。 司馬作品では、翔ぶが如くの第8章「好転」の山県有朋についての余談のなかで、 山県が明治20年に作った保安条例によって逮捕・投獄された人物として登場する。
二川元助は維新後は阪井重季と名乗った。陸軍中将、貴族院議員。 長女・夏子は、物理学者・寺田寅彦の最初の妻である。
山地忠七は、日清戦争で活躍した独眼流・山地元治中将である。 この小説では第29章「嵐の前」で台詞付きで登場したので活躍するのかと 思っていたら、その後音沙汰なく、久々に登場したこの章では、その他大勢 とともに名前羅列グループに格下げされた。 長州藩家老の益田右衛門介と似たような運命を、この小説のなかでたどった 人物である。
祖父江可成は戊辰戦争で各地を転戦し、会津で負傷している。その戦闘において 軍監・小笠原唯八は戦死している。会津の狙撃部隊の中に山本八重子(のちの新島八重、 新島襄の妻)がいたらしいが、八重子の撃った銃弾が祖父江可成や小笠原唯八に 命中したわけではない。
>>906 大山巌も北出丸からの射撃で右足貫通銃創を受け後送されているな。
ドラマにするなら山本八重子が大山巌を負傷させたことにするのが
面白いのかもな。
北村長兵衛は、明治初年に征韓論を推進するため別府晋介とともに朝鮮に 渡海し実地調査に当たった軍人。翔ぶが如くの中でくどいほど述べられる。
>>900 いまの小学生は、2LDKのマンションでゲームばかりやっていた時代を
懐かしむのかなー?
第71章 朱欒の月 イカルス号事件の続きです。舞台は高知から事件の現場である長崎へ移ります。 サブ・タイトルの朱欒の月は、竜馬が長崎で見た月が朱欒色をしていたというところ からとられています。
石田英吉の長崎丸が鹿児島へ事件の容疑者・佐々木栄を迎えにゆく叙述があるが、 佐々木は鹿児島から横笛丸で長崎に帰ってきている。 前章では佐々木は薩摩の胡蝶丸で鹿児島へ行ったことになっていた。また、本章でも、 横笛丸はイカルス号事件の翌日、長崎港外で半日の練習航海をして長崎へ帰ったこと になっている。ここは明らかにおかしい。書き直した方がいい。
>>911 死んだ作家がどうやって書き直すんだ?バカ?
石田英吉が伊吹周吉の変名を用いていたことが、この章でやっと明らかにされる。 第37章「江戸の恋」で天誅組の隊士の名前が羅列されている箇所では、単に 伊吹周吉とのみ書かれていた。
>>911 慶応3年9月2日の日付からして、鹿児島から呼び戻したのが横笛丸だというのは
正しいのだろうな。その前に書かれた横笛丸が長崎港外で練習航海をしたという叙述と、
佐々木栄が胡蝶丸で鹿児島へ行ったという叙述がおかしいんだと思う。
>>915 風説を信じたパークスの勘違いが、そのままこの小説に反映しているから、
おかしなことになっているんだ。後日他の史料からパークスの勘違いに気づい
たときには遅かったということ。
>>768 山崎昇六は、この章にも登場する。弥太郎とともに竹島に渡っている。
63章では上司であった山崎昇六であるが、71章では弥太郎の下僚になっている。
>>917 すこし前まで上司であった人間を下僚にして、しかも一緒に竹島へ渡る。
仲良しだったんだろうね。
三邦丸の艦上から竜馬に声をかけた町田民部の名は久成。 叔母は小松帯刀の妻の小松千賀。「龍馬伝」では、ともさかりえが演じた。
戸田雅楽の維新後の名は、尾崎三良。翔ぶが如くの84章「夏めく」で、維新直後の官吏 の典型例として詳しく書かれている。
>>921 「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄は、三良の女婿だな。
佐佐木三四郎を診察した蘭医マンセヘルドーって誰だろう?
>>923 たぶんオランダ語の読みが正確じゃないんだろうね。
>>857 その雑誌には、古本屋のオヤジさんの追悼文も載っていたよ。
「注文しておいた史料が、まだ届いてへんで?あれ、どしたんや?」と夜中に電話が
かかってくることがしばしばだったと書かれていた。もうあの電話がかかってこない
と思うと寂しいと言っていたが、時間帯を考えるとホッとしていたのかもしれんな。
>>925 その雑誌には、マゴセイギという人が「竜馬がゆく」が大好きだという文章を寄稿している。
第72章 浦戸 イカルス号事件も一段落。大政奉還実現のため京へ向う竜馬。 途中、下関と高知に立ち寄ります。
銅像の除幕式に参列した駆逐艦・浜風は、戦艦大和と共に沈没した浜風 ではない。その一代前の磯風型駆逐艦の浜風である。 同駆逐艦は、大演習時に波浪により艦橋破壊、司令が殉職する事故を起こす。 1935年4月1日、除籍。
>>930 竜馬にかかわるとろくなことはないな。千葉さな子さんのように気の毒な駆逐艦。
大監察・本山只一郎は、29章「嵐の前」に登場している。文久3年の蒲田梅屋敷事件 のところだ。長州の周布政之助が容堂を誹謗したとかで土佐の上士が騒いだ事件。
竜馬が宿泊した吸江近辺は、かつて吸江十景と呼ばれる景勝の地であったらしいが、 埋め立てによって現在は見るかげもないそうである。
大監察・森権次も武市半平太の審問に当たっている。
>>883 の石川石之助の場合と異なり、武市の評価は高い。
「森は静かに事を分け、折々言うなり」
竜馬が買った7連発のライフル銃とは、スペンサー銃のこと。 ライフルというのは砲身内の施条により砲弾に回転を加えるライフリングの技術 を用いた銃のこと。一般名詞。
普通名詞だろ。
竜馬は種崎村の小川亀次郎を訪ねる。種崎は現在キャンプ場や海水浴場のある 行楽地になっているが、宝永大地震のときは高さ23mの津波に襲われ、草木一本 残らない甚大な被害に遭っている。
日根野道場の師範代だった土居揚五郎は、第1章「門出の花」以来久々の登場。 剣術修行のため江戸に赴く竜馬を、みんなで領石まで見送ったね。楽しかった。
望月清平は、この作品では今回が初めての登場。望月亀弥太の実兄。 近藤勇の伝言を後藤象二郎に伝えるショボイ役で登場しているが、竜馬 との手紙のやり取りも多く、かなり親しかったものと見られる。
>>939 映画やドラマでは、竜馬は西郷や桂のような他藩人と親友にされることが
多いが、本物の親友(竹馬の友)は無視される傾向にあるな。
観ている側の知名度の高さで友人関係を決める手法は、そろそろ飽きた。
他藩人で数回会ったにすぎない人物どうしをドラマで親友にされているとガクッときて 続きを見る気がしなくなる。
竜馬は、かなり革新的な人間やったかも知れんが、 ツモの悪さだけはホンマどないしょうも無いな やっと船手に入れた思たらすぐ沈むしw
第73章 草雲雀 慶応三年十月十三日。将軍慶喜が二条城で大政奉還を諮問した日です。
後藤象二郎の大政奉還工作と並行して、岩倉の倒幕謀議も進行しています。 錦旗の意匠考案者・玉松操は、司馬遼太郎の短篇「加茂の水」の主人公でも あります。
京に入った品川弥二郎を薩人に変装させるため、薩人の好んだ呉絽の羽織 を着せたら、どこから見ても薩人に見えた旨の叙述がある。 呉絽はオランダ語のゴロフ・グレンという毛織物。略さずに書くと、呉絽服連。 ごつごつした生地なので、帯地や火消装束に用いられたのは知っているが、 薩人は、こんなものをほんとうに羽織にしたのだろうか?
>>946 戊辰戦争で使用された陣羽織には、呉絽服連(ゴロフクレン)のものがある。
日常着用する羽織は、どうだろうね。
竜馬の寄寓先が、材木屋から近江屋になるのが、この章。
寝待ノ藤兵衛はフェイド・アウト。相撲の藤吉が竜馬の身の回りの世話をする。
>>837 お登勢は、この章にも登場するよ。
永井尚志が宿所にしていた京都所司代十本屋敷という屋敷が登場するが、 おそらく千本屋敷の誤り。
「新官制擬定書」に関する竜馬のエピソードは、竜馬人気の大きな要因であるが、 司馬さんは坂崎紫瀾の『維新土佐勤王史』をベースにしているので、その後の研究 で、「新官制擬定書」に竜馬自身の名前があった事実は書かれていない。
「新官制擬定書」の原本は残っていない。もっとも古い写しは『尾崎三良自叙略伝』であるが、 これによると、同書の作成者は戸田雅楽(尾崎三良)で、竜馬の名前も新政府の吏僚として 書き込まれていた。後日消したのは坂崎紫瀾。「世界の海援隊でもやるさ」も、坂崎紫瀾の創作。
人気者に暴露記事はつきもので、あと味の悪いものもけっこうあるが、 竜馬の場合、暴露記事も面白く読める。俺は竜馬が嫌いだ。 ただし竜馬は悪くないんだよな。後世の人間が騒ぎすぎ。竜馬暗殺の 黒幕を語らせると100人ぐらいいるんじゃないか?とほうもないこじつけ で誰でも黒幕にされる。それぐらい竜馬は人気がある。 信長と竜馬は飽きた。あちこち出すぎ。
大政奉還の後、竜馬が「この公のためなら…」と慶喜の心中を思って泣くシーンも大嫌い。
第74章 近江路 いよいよ最終章です。竜馬が死にます。
倒幕の密勅が降下されたのも、慶喜が大政奉還の上表文を上奏したのも、 慶応3年10月14日なんだが、どういうわけだかこの小説では15日。
>>952 この小説では陸奥陽之助の談話として「世界の海援隊」の話が出てくるけれど、
それが坂崎紫瀾の創作ということですか?
>>958 そこまでは調べていませんが、竜馬がなりたかったのは参議です。
かりに創作でなくても現代だったら嫌われるだろうな。 大ヒットを飛ばした武田鉄矢がレコード大賞を受賞したが、これを辞退して 「おれは世界の海援隊でもやります」って言ったら、嫌われるだろうが。
小松帯刀について何か書くときも、「龍馬を超えた男」のことわり書がいるのか。プッ。
竜馬を越えるヒーローを作り出せないおのれらの非力さを示すことになるだけなのにな。
未発に終わったが岩倉邸を襲撃するという噂のあった井田五蔵は、本作品の 56章「海戦」に登場している。長州征伐の小倉口の戦いで幕軍にいた。
竜馬の福井への旅。31章「京の春」でも福井へ旅しており、その時(文久3年)にも、 たばこ屋という旅籠に泊った。 31章「京の春」では、たばこ屋は大和町にあると書かれていたが、本章では山町 にあると書かれている。足の生えた旅籠なのであろう。
本書では煙草屋と書かれているが、これだと検索してもヒットしない。 読者には是非とも莨屋で検索していただきたい。
その太政官札を引き受けた大坂の商人・鴻池善右衛門は、実はこの小説の 第9章「寅の大変」ですでに登場済みである。 竜馬が童貞を捨てた相手・お徳は、鴻池善右衛門に見初められ、その妾に なっている。面白い巡り合わせである。
>>971 は伊藤甲子太郎としているが、おそらく伊東甲子太郎の誤りである。
伊東甲子太郎が暗殺された油小路事件については、司馬の『新選組血風録』に 「油小路の決闘」に詳しい。
竜馬と中岡の暗殺当日近江屋に同席していた岡本健三郎は、亀田屋のお高と 逢引するために近江屋を離れたために難を免れた。 相撲の藤吉には恋人がいなかったために巻き添えをくらって殺された。 童貞はつらい。
竜馬は突如、中岡をみて笑った。澄んだ、太虚のようにあかるい微笑が、 中岡の網膜にひろがった。 「慎ノ字、おれは脳をやられている。もう、いかぬ。」 それが、竜馬の最後のことばになった。言いおわると最後の息をつき、 倒れ、なんの未練もなげに、その霊は天にむかって駈けのぼった。 天に意思がある。 としか、この若者の場合、おもえない。 天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、 その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。 この夜、京の天は雨気が満ち、星がない。 しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、 そして未来へ押しあけた。 ―― 完 ――
979 :
野だいこ :2012/05/10(木) 20:20:45.54
竜馬さんが歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけたでげす。
ひとりで世界の天を支えている神アトラスみたいでカッコいいですね、竜馬さん。
戦後復興を成し遂げ高度成長をすると、こういう神話が書けるんだよ、諸君。
まあ不朽の名作なんだろう。時代小説であるにもかかわらず、まばゆいばかりに 高度成長期を象徴している。羽織の紐をぐるぐる回して唾を飛ばしても、他人に 嫌われることなんてありえないという自信。対内的には公害たれ流し、対外的には ダンピングと批判されてもへっちゃらで突き進んでいった当時の日本そのまま。
やっと終わったのか