1 :
無名草子さん:
2 :
無名草子さん:2010/10/13(水) 19:39:55
売国工作作家
あらすじ読んだらどこかで読んだ気がする、下司安の恋
短編集のどこかにありそう
文春の短編全集にも入ってないね
検索したら松竹新喜劇の藤山寛美の十八番にあるね、下司安の恋
>>8 すると舞台の話を司馬さんが書いたってことかね?
だいぶ過ぎちゃったけど
BS2で街道をゆくの再放送やってるね
毎週木曜日18時〜
11 :
無名草子さん:2010/10/29(金) 01:46:46
司馬さんがすごいのは大局的な歴史観を示してくれた事。
鉄と文明、木と文明、武装農民と鎌倉武士等々。
海外の作家や歴史家には大局的な歴史観を提示する人も多いが、
日本には司馬さん以外にそういう人少ないよね。
瑣末な歴史的事実のみを重箱の隅つつくように永遠議論している。
だから歴史の小説も学校の授業もつまらない。
12 :
無名草子さん:2010/11/07(日) 16:06:08
司馬さんの『妖怪』読みました
大阪の合理的精神のなかで生きた人が
幻想小説を書くものなのかと気になり手をのばしたんですが
思えば、処女作の『ペルシャの幻術師』にも幻想譚の色
の濃い描写もあって、司馬さんが幼少のころに竹内村で過ごした際に
幻術や秘術に関心を向けて育ったことを思えば、不思議ではないのかもしれません
それでも、人のこころが退廃した室町に踊る人間・妖かしを取り上げたにしても
その世相が、発表当時の高度成長期と合わさって一種のリアルさを帯び
たとえ幻想小説の枠であっても、それを為したのは司馬さんのおもしろい業だと感じます
>>11 ここは「永遠議論」ってところにつっこむべきですか?
大げさな持論を振りかざす奴ほど自分の馬鹿さには気付かないというところかな
司馬遼太郎 「歴史のなかの邂逅」(中公文庫)ってエッセイらしいけど、初出なの?
違うよ
「歴史の中の邂逅」は司馬が書いたエッセイのうち、歴史上の人物に関するものだけを集めた本
だから「司馬遼太郎が考えたこと」など、これまでのエッセイ集とダブっている
歴史好きなら後者よりも前者だけ買った方がいいと思うよ、後者は司馬オタ向けだから
もう初出の原稿は残ってないでしょ
本人が習作だと言ってた梟の城以前の小説まで
亡くなった後に出版されちゃってるし
花神
司馬作品のなかで一番の傑作だと思ってる。
読みこなす事が出来れば「翔ぶが如く」も傑作だな
司馬があっちこっち考え考えしながら
書き進める跡を付いていくのが好きな人には
たまらない作品だろう > 翔ぶが如く
飛ぶが如くは半分の長さにすれば傑作になってたと思う
10巻もあるから、作品内容の濃さに満足してても長くて辛かった印象のが上回る
>>24 再読の時は面白いと思う所しか読まない
「坂の上の雲」だとそれやって最終巻がボロボロになった
そうなん?面白いと思うところが俺とは逆なんだね
坂の上の雲は子規が死ぬ辺りまでが一番面白いと思ってるから、1巻2巻を読んだら休止しちゃう事が多い
ちなみに飛ぶが如くは、台湾出兵の後、大久保が清国に直談判に行った辺りが一番面白いなあ
翔ぶが如くは、司馬さん本人も小説の体を成していないと
気にしていたようで、唐突に小説的キャラクタとして
旗本の娘を登場させたりもしたけど、すぐにフェードアウト
しちゃったりと、かなり苦労をしたらしい
担当編集者が書いた本で読んだ話
翔ぶが如くって西郷従道が健気なキャラだなと思ったな
確かにさな子さん的なキャラが出てくるな
戦国モノの方が好きなのは俺だけか…
いや、戦国ものも好きだ
播磨灘物語
新史太閤記
国盗り物語
戦国物は読み出すと止まらんね、幕末物ほど内容も文章も難解じゃないし物語性が強い
尻喰らえ孫市
新史太閤記
夏草の賦
以上の戦国物がお気に入り
功名が辻、梟の城、風神の門も面白いよ
コンプレックスがあった自分にとって、新史太閤記は永遠のバイブルだわ
>>34 世渡りが下手な自分は花神読んで負けそうな自分を奮い立たせてる
花神は、発表当時の昭和のサラリーマンの孤独も反映している。家に居場所がなくて粗大ゴミと呼ばれたりとかしていた。
孤独な蔵六に、たったひとり、自分を理解してくれる「シーボルト・イネ」がいた。
この設定はうまい。
大槻ケンヂは、「竜馬がゆく」をラブコメと喝破した。
「90くんところがったあの頃」角川文庫。
風神の門だとハーレム系か?
主人公がモテモテのスーパーマンだからコメディじゃ無いね
今日は良い兄さんの日
これで連想するのは秋山好古だが
良い文の日だと正岡子規かな
十代〜二十代前半まで この人の小説をむさぼるように読んでたけど、
近年は池波正太郎のほうが好きだな。
歳をとったからか、池波のほうが読んでて楽。
>>40 池波面白いがダイエット中に読むと挫折する
カレーの歌の人やっぱりバカなんだな
年を取ると司馬小説を読むのが辛いのはわかる、
夢や理想に燃えてた頃は司馬のようなグイグイのし上がる感じの小説が好きだったけど、
現実を知る年齢になると池波みたいに完全フィクション小説のが読んでてラクだわ
でも新選組の本なら年を取っても楽しく読める
司馬の作品は本質が明るく健康的だからな
個人的に好きな作品は峠だな
筋肉少女隊(笑)
47 :
無名草子さん:2010/11/27(土) 15:59:46
司馬さんの登場人物は明るいが、その奥に虚無感みたいなのただよっているよね。
明るくズコズコ人生切り開くが、最後諦めて死ぬみないな。
いいふらし団左衛門みたいな男が激しくすきなんだと思う。
48 :
無名草子さん:2010/11/27(土) 23:40:59
このスレの住人は、菜の花の沖・箱根の坂・義経の3作品はどうだったの?
菜の花の沖が一番すき
箱根の坂だな。
刹那的な室町時代の描写がいい。
きもち良や、と藁の中で寝ていたら、妹がはいってきてクロスするとこなんて最高。
義経は普通
菜の花の沖は金兵衛が高田屋をおじゃんにするとかネタバレしてほしくなかった。
箱根の坂が一番好き。
ほんとは妹が好きだし、世間の風潮なんて糞食らえ、天下だって切り取れる早雲が
妹への愛&倫理で自分を押し込め、北条の礎を築き妹の子に尽くすのがたまらん。
箱根の坂はラストの下巻だけが面白かった記憶が
長寿だった早雲の成功は親子二代説がある今だとどうなんだろうなあ
菜の花が一番好きだな、とくに嘉兵衛が淡路島を出てロシアに拿捕される辺りまでが、
たいへん苦労しながらもどんどん成功していくのでとても面白かった
義経は打ち切り感があるからちょっとガッカリした
義経は代表作の一つだろ
政治力のない軍事的天才の話で、まさに真骨頂
打ち切り感だなんて言うけど、あれ以降は書いても義経の悲惨な話ばかりになっちゃうぞ
あっちこっちをたらい回しにされたあげく、殺されちゃうんだから
司馬義経のあのラストは大好きだよ、言いがたい余韻がある
義経の首が頼朝のもとに届き、
「頼朝『これで悪は滅んだ』」
「−悪とは一体なんだろう、義経の死に人々は考え込まざるをえなかった」
箱根の坂は上巻がいい。
虚無感ただよう京都の描写がたまらん。
山中の荷厄介が妹担いで伊勢屋敷に行くまでがハイライトだと思っている。
読後の余韻がつづく司馬作品ってなんだろう。
長編になるほど本編と関係ない余談がはさまり
後半ぐだぐだになるよね。
俺は木曜島の夜会がいい。藤井婦人が忘れられない。
58 :
無名草子さん:2010/12/02(木) 13:37:48
「徳川慶喜」「項羽と劉邦」「翔ぶが如く」を読んだ。
次に読むのは何がいいと思う?
かなり悩んでる。
国盗り物語
にわか
尻くらえ孫市
62 :
無名草子さん:2010/12/02(木) 15:28:46
俄(にわか)とは、江戸時代から明治時代にかけて、宴席や路上などで行われた即興の芝居。
仁輪加、仁和歌、二和加などとも書く。またの名を茶番(ちゃばん)。
内容は歌舞伎の演目の内容を再現したものや、滑稽な話を演じるものがあったようだ。
路上で突然始まり衆目を集めたために、「にわかに始まる」という意味から
「俄」と呼ばれるようになったと伝えられる。
この金、もろうた。
65 :
無名草子さん:2010/12/02(木) 16:46:54
66 :
無名草子さん:2010/12/02(木) 18:36:25
国盗り物語最高傑作だね
関ヶ原も竜馬も燃えよ剣もいいと思ったがこの読みやすさゾクゾク感と言ったらほかにない
みんないろいろだね
花神はすこし重いし、菜の花の沖は途中のロシアの政治事情のとこで挫折しそうになった
梟の城はあまりにも現実感がなさすぎると思った自分
国盗り物語は道三が死ぬ辺りがクライマックスなのが惜しい
信長&光秀編はちと蛇足
70 :
無名草子さん:2010/12/05(日) 16:52:38
菜の花の沖全6巻読了。
71 :
無名草子さん:2010/12/06(月) 09:24:37
質問です
司馬遼太郎のデビュー作はペルシャの幻術師、2作目は戈壁の匈奴
で合ってますでしょうか?
72 :
無名草子さん:2010/12/06(月) 10:45:56
合うてる(オーテル)
ありがとうございます
75 :
無名草子さん:2010/12/06(月) 20:52:50
「街道をゆく」の挿絵の人、須田剋太は「こくた」と読むのかね?
少年時代のニックネームが「須田のカッチャン」なんだから、「かつた」じゃねーの?
76 :
無名草子さん:2010/12/06(月) 20:53:13
「すだかいた」だよ。
ラノベ作家
左翼からはライトノベルに見え、
右翼からはレフトノベルに見える。
それが司馬遼太郎
みんな、坂の上の雲見てる?
あれは来年に完結するのかな、もっとじっくり大河みたいな長期ドラマで作って欲しかったね
自分女なんだが司馬氏の書く竜馬、高杉、土方、石田三成、信長、明智光秀はかっこいいと思う
大村益次郎、河合継乃助、高田嘉兵衛、家康、秀吉はかっこいいとは思えん
そうかぁ俺は太閤記の秀吉大好きなんだけどな
劣等感を前向きの力と愛嬌に変えて猛進するところとか
自分の中の小狡さに気づきながらも一応は誠実であり続けようとするところとか
他人の短所まで愛せる人好きなところとか。
>>82 上段のメンバーは、漫画やゲームでヒーロー化、美形化されてる人ばかりじゃんw
下段はブ男っぽいのばかりだし、分かりやすい人だな
俺もそれちょっと思ったけど、価値観が違うからといって
「分かりやすい人」とまで言うのはどうかな
>>82 私も女だけど蔵六はポケモンのブーバーに似て可愛いと思うよ
>>82だが
漫画は一切読まないし、ゲームもしない
この一年で司馬遼太郎にハマって読んだ結果を言ってる
一番好きだと思うのは石田三成だ
88 :
無名草子さん:2010/12/08(水) 19:21:56
必死w
必死で何が悪い?
漫画も読まなければゲームもしない人ってなんかヤダな
偏見に満ちてそうでさ
パズルゲームはやるよ
マンガ読まなくたって雑誌は読む
腐女子の来る場所じゃない
このコメント見る限り「司馬遼太郎読者は器と了見の狭い奴らばかり」ってことになるぞ
お前らがバカにしてる奴らと、もはやどっこいどっこいなレベル。
そんだけ司馬の登場人物に思い入れがあるなら少しはそこから学べよ。
若いのう
国盗り終わったから播磨灘借りてきた
楽しみだ
読むと強くなる横綱漫画
TBSラジオ23:00〜
嶌信彦のエネルギッシュトーク
嶌信彦/安田佑子
ゲスト:村木嵐(小説家)
松本清張賞を受賞した小説家の村木嵐を迎えての2夜目。
司馬遼太郎さんに手紙を書いて、司馬家11代目最後のお手伝いさんの
顔をも持つ村木に、司馬家での暮らしについて聴いた。
98 :
無名草子さん:2010/12/12(日) 22:56:11
この人、後期の作品はどうだったの?
個人的に箱根の坂はつまらなかったが‥‥
菜の花の沖も退屈だったな
どうなのっていわれてもな、100人いれば100通りの感想があるんだし
ぶつくさ言うより好きな本だけ読みなよ、人生は短いんだ
この人の小説は、前半だけでそれ以降になってくると講釈だからなあ。
小説として読みたい人は、退屈になってくるだろうな。
>>100 いや読んだ人の感想聞いたっていいだろ
どれを選ぶかの参考にするわけだし
104 :
無名草子さん:2010/12/13(月) 21:04:34
>>103 amazonの本のレビューは甘々だからなぁ‥‥
漫画やゲームとか違って
司馬遼太郎の作品読んでるとさかんに「青春」って言葉出てくる
今言わなくなったよね「青春」って
いつからだろ平成になってからか?
アオハルなんて言葉日常で使うか?
使わないだろ
>>104 読みたい本があるならそのほうが良いんじゃね?
読みたくない本があって、その辛口レビューが見たいというのはさすがにひねくれすぎww
「播磨灘物語」もやっぱり「国盗り物語」のあとに読むにはかすんでしまう
「竜馬がゆく」「燃えよ剣」の後に読んでもかすまない
・・・とまでは言い過ぎかもしれないが、「世に棲む日日」は
この頃の司馬作品としては進行がキビキビしてて好き
ひねくれ者の自分は面白くないと言われる司馬作品から
ここが面白いと感じるものを見つけるのが好き
じゃあ国民作家(笑)以外のものを読めばいいのに
国民作家?
播磨灘物語2巻の後半だが、やっぱりいまいち盛り上がらない
早く終わって新史太閤記読みたい
新史太閤記はおもしろいぞ
戦国司馬の中ではベスト1。
わかりやすすぎる。たとえば黒田官兵衛が荒木村重に捕らえられて、のちに解放されたときに会ったのは織田信長ではなく、甥の信澄だった(「播磨灘物語」で正確に記述)。
こういう演出というか改変が多いので注意してよむべし。
なにをいまさら
べつにそういうの、歴史の専門家でもないかぎりどーでもいいし
そんなこと言い出したら『竜馬がゆく』なんて読めたもんではない。
個別のあれやこれやの記述が嘘っ八と言うだけではない。
坂本龍馬が大人物だとするスタンスそのものが丸っ切りの大嘘のコンチキチンだ。
大正期から昭和初期に出てる関連書見ればわかる。
ただの素浪人じゃないか。
勤王の志士の端くれに居てたらしいが、さほど熱心でもなく皆と一緒に行動したわけでもない。
「昭憲皇太后の夢枕」のデッチ上げで名が出たのみ。
薩長仲立ち、船中八策…皆、高知出身者のデッチ上げ。
いやまぁ
>>116も親切に教えてくれたつもりなんだろうから、
そんなに叩かなくても…
新しく司馬読者になった人にとっては新鮮な書き込みなんじゃないかな。
広瀬武夫が親しくしていた、アリアズナはコヴァレフスキー少将の娘じゃなかったしな。
司馬さんの戦国四部作は幕末維新物より何倍も面白い。
同じ架空物語なら半端なのより、徹底的に架空なのがよほど面白い。
それ自体架空物語の「常山紀談」を基本にしてるんだから全く百パーセント講談そのもの。
想像と創造の世界だ。
なお、戦国四部作とは、「国盗り物語」「新史太閤記」「関ヶ原」「城塞」の四作。
箱根の坂、夏草の賦、尻喰らえ孫市、播磨灘物語、覇王の家、巧妙が辻、
をあわせて戦国十作だな
世の中には、「歴史講演会」とか銘うって、「この国のかたち」の内容をそのまんま
喋ってまわっている人もいるんだね。だけど、講演内容をネットに公開するなよな。
文章で検索するとすぐにバレるから。
文春か司馬遼太郎記念館に通報しちゃれ
128 :
無名草子さん:2010/12/25(土) 16:38:12
>>121 それは島田謹二の調べが甘かったという話で、司馬のミスとは言えない
129 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 17:55:23
司馬の記者時代、「歌人川田順の失踪事件を取材して、『老いらくの恋』という見出しを付け流行語になる」
という記事をよく見かける。しかし、調べてみたら、朝日も毎日も、『老いらくの恋』という見出しを付けていたぞ。
産経がまっさきにこの見出しを付けたということなのか?
全集の32巻の年譜に司馬氏の談話が付記されていて、過去を振り返っている。
それによると、川田順失踪事件の記事を書いたのは自分で、老いらくの恋という
見出しを打ったら、それがたちまち流行語になった、という談話が載っていたな。
131 :
無名草子さん:2010/12/30(木) 13:37:35
あけましておめでとう
おめでとう
図書館始まったら播磨灘の3巻借りてくるぞ
>>129 どうせなら紙面登場の先後関係も調べといてくれよw
136 :
無名草子さん:2011/01/12(水) 21:38:22
保守
138 :
無名草子さん:2011/01/18(火) 14:46:00
自分は普通一回読んだら二度と読み返さないタイプなんだけど、
司馬さんのは気が向くと本棚から引っ張り出してくる。
なんか、名言集を読む感じ。
ネタが重複しているところもあるけれど、まったく気にならないね。
話題が豊富で、重複部分がなつかしくさえ感じる。
>>134だが播磨灘の3巻借りてきた
国盗りのあとだからさすがに1,2巻は退屈だった
が、3巻から俄然面白いな
手に汗にぎるってこのことか
最近、「司馬遼太郎のかたち」読んでるんだけど
編集者との内輪話が面白いな
いま「風塵抄」を読んでいる。時事問題にも触れていて、かなり面白い。
143 :
無名草子さん:2011/01/20(木) 15:42:29
風塵抄の一巻の終りあたりから、湾岸戦争、バブル崩壊等々大きな話題が相次いだから、
時事ネタが多くなるね。
司馬
元来、神道は、神名や神体があろうがなかろうが、成立する。
神職が一切洩らさないということも、神道の不文の教義らしい。
矢野祐太郎
そして,矢野氏は,この神宝を拝見させていただけるよう,伊勢神宮に礼を尽くしてかけあった。
その結果,矢野氏の情熱に打たれた当時の伊勢神宮の宮司から,極秘裡に許しを得たのだという。
146 :
無名草子さん:2011/01/23(日) 00:23:46
司馬を読んだ時の、何でもないハズの自分がまるで歴史上の重要人物であるかのような高揚感は何なんだろう。
まさに海音寺が言ってた「この人(司馬)の文章には、人を酔わせるものがしばしばがある」ってことだな
酔っぱらってるうちに自分と小説の主人公の区別がつかなくなるのだろうw
>>146 人間観察の才にずばぬけたものがあるのよ。頭の中で考えただけのそらぞらしい
人物ではなくて、息づかいまで聞こえてきそうなぐらい実在感がある登場人物が多い。
どの人物をみても、身近にいる誰かに似ているような気がする。
歴史の解釈にしても、執筆後の新事実によって覆されたものもあるが、その新事実を
除いて考えると、「なるほど、これはありうる」と納得できるから、古臭さを感じさせない。
ラノベを普段よんでると司馬のレベルでキャラ造形組める奴がいたらなあ
といつもおもうぜ
優秀な奴は本当に少ない
女性とか、今で言うツンデレばっかりなのに
そうと感じさせない人物描写と絡ませ方の上手さがあるよね
誰か・・・知っている人教えてくれ。
淀君の夢の話(秀頼が馬に乗ってるとか)や、
淀君には頼りがいのある男が必要ですなぁっていう医者の診断の話、
どの小説でしたっけか、無性に気になる…。城塞か大阪城の人々のどっちかだと思って
斜め読みしたがみつからーん。
ツンデレの発明者が司馬だからw
>>151 城塞じゃねえかな。長編で読んだ気がするので
>>153 そっか、レスありがとう!本がしぼれて良かった。
しばらく城塞をじっくり読んでみる。
それ、大阪城の人々ではなく豊臣家の人々
うちの親父、79なんだけど司馬は嫌いとまではいかないけど、琴線には響かないらしい。
なんか歴史物は吉川英治で止まってる。
いくら勧めてみてもだめなんだよね、司馬は。
「大坂城の人々」だとラインナップはこう
淀殿
秀頼
千姫
木村重成
大野兄弟
且元
有楽斎
159 :
無名草子さん:2011/01/24(月) 13:05:21
沖田総司を書かせたら右に出るものはいない
>>159 新撰組について書いているとき、あまりの血なまぐささに書くのが嫌になった
と言っていたな。それで、沖田をとびきり明るい性格にした。血なまぐささが
中和されたような気がしたと言っていたのを、どこかで読んだ。
161 :
無名草子さん:2011/01/25(火) 09:40:40
燃えよ剣って、やっぱり必読でしょうか。
血風録は必読
>>161 竜馬がゆくと合わせて読むととても面白く感じた
164 :
無名草子さん:2011/01/25(火) 19:14:04
司馬の新撰組物は最高だね
もっと書いて欲しかった
>>164 「壬生狂言の夜」も新撰組外伝のような作品だけど、主人公の目明し与六という
人物がたいへん味がある。並の作家だったら、「目明し与六」シリーズの連作に
なってたかもしれんな。
燃えよ剣と竜馬がゆくと銀河英雄伝説は多感な時期に読んだから
自分内で別格になっちまってるな
どれも人間が一生懸命生きて突然死んでいくのがすばらしい
何でああうまい死に方かけるのかと思う
対だと項羽と劉邦が俺的最強の中国戦記になるな。
カンシンや張良はいろいろ他でも書かれてるけど司馬のキャラがもっとも面白いな
できれば三国志やってもらいたかった。定番のアレはつまらなさすぎて
>>166 ものすごく同意
項羽と劉邦は面白すぎてそっから一時期中国史ブームがやばかったw
個人的に中国史系もっと書いて欲しかったかもなあ
でも司馬先生が三国志書いたら全部で何巻になったのか気になるところ
どうだろうな、三国志は個人個人の死だったり人情話とかが魅力の話だから、
思い描いた人物像を割り合い客観的にあっさり描いていく司馬の手法では
イマイチ盛り上がらない気がする。
ベタベタした忠義話が苦手な人なのよね
太平記もそうでしょ
朱子学の正閏論は、マルクス主義と同じくらいに嫌いだからな。
それと三国志のキャラは史記のキャラをアレンジしたのも多いから、
同じような作品になったかも知れない。「項羽と劉邦」だけでよかったと思う。
「韃靼疾風録」は、いまいち。
腰の痛みを自覚した時点で精密検査を受けていれば
後10年は寿命が延びたかもしれない。
「この国のかたち」のその後を読んでみたかった気もするが
現在のフヤけた日本を見ずに亡くなった方が幸せだったのかも。
>>171 昨夜、その坐骨神経痛について書かれた「風塵抄」所載の随筆を読んだ。
散歩の途中、自宅から200mの距離が歩けなくて道端にうずくまり、
車で迎えにきてもらった挿話が述べられていたな。
何かの写真で変な座り方しているなと思ったら腰が痛かったんだね。納得
>>172 腰の痛みは腹部大動脈瘤のため神経が圧迫されることが原因だったみたいだね。
よく立ち眩みを起こしたのも同じ原因で、最終的に大出血を起こした時には
瘤の大きさが赤ん坊の頭程にもなっていたらしい。
本人は単なる腰痛だと考えて放置していたのが命取りになった。
また街道が自演してるのかこいつはほんとウザイな
三国志の話があったけどオレは太平洋戦争書いて欲しかったな。
坂の上の雲のあの鮮やかな戦闘描写、人物評で一刀両断しながらあの戦争を通して読みたかった。
播磨灘物語の4巻の真ん中超えたんだが、これだけ前半は退屈で後半から
ガクンと段違いに面白くなる話ってほかにないな
3巻の冒頭から急に目が離せない展開になった
しかし、飛脚が信長の死を知らせに秀吉&官兵衛のとこに来たくだりは読んでてゾクゾクする
後半からがぜん面白くなる話と言えば箱根の坂もそうだったな
前半の新九郎に全然動きが無くて苦痛だったが、後半になって今川家に入り込んでからは八面六臂の活躍で痛快だった
新史太閤記と関ヶ原で司馬の黒田官兵衛は堪能した気分なんだけど
その上播磨灘読んでもおもしろい?
他人の私にあなたか読んでどう感じるかなんてわからないけど、播磨灘は面白いと思うよ
>>179 少なくとも3巻からは突然面白くなる
新史太閤記はこれから読むから比べられんが
箱根の坂も期待しよう
はじめのうちは曾祖父高政、祖父重隆の話が中心だけど、流浪の身から
家を興したご先祖の話も、とても面白いよ。応仁の乱と領国体制成立
以降の戦国時代は小説やドラマになりやすいけど、その間の話はあまり
取り上げられない。でも、そこにすごく関心がある。「国盗り物語」の序盤も
その時代。「箱根の坂」はずばりその時代を捉えている。
“この国のかたち”の“醤油の話”を読んだ。
醤油メーカーのホーム・ページや「食べ物の歴史」の類で醤油の歴史を読んでも
すこしも面白くないし頭にも入らないんだけど、司馬の文章で読むと、どういうわけか
頭にスラスラ入ってくる。不思議だ。
もし司馬が教師だったら、雑談が面白すぎて先に進まないタイプだと思う。
いやいや微妙な脚色がなあ、教育者には不適格でしょ。
やっぱり天性の作家だと思う。
たいしたことない話や人物をあれだけ面白く格好良く描けるんだから。
まあ天才なのは間違いないな
司馬に教師は無理だろ、数学が全く出来ないらしいから試験に受からない
でも司馬さんの実の息子は母親に似たのか小学校の校長先生だったりするんだよな。不思議不思議
村田蔵六はヤンみたいな面白さのある司令官だったな
>>191 蔵六はアスペルっぽいがヤンは結構コミュ力ある。
戦術家としては2人とも天才だと思う。
ヤンとか二人の間でしか通じない人名はやめてくれるか
ヤン、バカーン
やん、ようすてん
最初に読んだ小説が徳富蘆花の「寄生木」で、読後の暗い気分がその後もつきまとい
「殉死」に及んだという話は興味深いな。
殉死を読むと乃木の奥さんは実は心中なんて嫌だとゴネてキレた乃木に殺されたのではと思ってしまう
それじゃあカッコ付かないんで心中に見せかけたのが事実かなとも考えてしまったな
乃木の奥さんって馬鹿息子の教育の件で思案に余って四国の夫の任地まで
相談に尋ねに行っても会ってもらえず追い返されるとか気の毒だな。
奥さんの本音を聞いてみたいところだ。
随想「コラージュの街」で紹介されている玄文叔氏の娘さん、彫刻家の玄美和さん
とおっしゃるのだが、検索してもまったくヒットしない。別の名前で活動中なの?
あるいは他の道に進まれたとか?
司馬さんの父福田是定氏は「北浜の緒方病院の薬局に無給書生としてつとめて」いた
ということなんだが、北浜の緒方というと適塾の後身のことかな?
お父さんは薬剤師なのに理科系方面の才能は受け継がなかったんだね
算数の試験で30点しか取れなくて、お父さんは情けなさそうな顔をしたらしい。
なお、お爺さんも和算で算額を奉納したほどの理系人間。
大学受験するとき、最初から数学は0点しか取れない前提で志望校決めてたなw
第一志望は阪大の理系だったけど諦めたんだよな。
でも小説の中にやたら理系の用語が出てくるところを見ると、
嫌いではないんだろう。むしろある種の憧れをも持ってる希ガス
戦雲の夢読みだした
今んとこ読みやすいな
206 :
無名草子さん:2011/02/04(金) 12:00:29
>>61 ありがとう。
遅くなったけど、今読み終えました。
めっちゃ面白かったです。
>>177 黒田家の初代について、少しわかりづらい叙述があるね。
初代は宗満で、三代目が近江黒田村を離れて備前福岡に行ったという叙述と、
初代は(源)宗清で、六代目の高政が備前福岡に行ったという叙述
が併記されているから、宗満と宗清は別人だと勘違いしてしまう。
実は、黒田宗満と源宗清は同一人物。三代目が流浪したという叙述は誤りで、
六代目の高政が流浪した。
官兵衛の幼少時の学問の師匠圓萬というのは、オリキャラなんだろうな。
「姫路村」の章では、栗山備後を家来にしたのは【官兵衛が二十歳のときである】としている。
次章「彩雲」では、その栗山備後を連れて京へ旅をするが、それが【永禄八年の初春】。
ときに官兵衛19歳である。
そういうやばい叙述もあるが、官兵衛が尾張衆の馬買いを見た場所が、堀川筋
の材木屋の近くの馬市。これなどは、『一遍上人絵伝』で、七条堀川に材木市が
描かれていることに基づくもの。ニクイ。
網干源左衛門って「播磨灘物語」で台詞一回言うだけのオリキャラだと思うんだけど、
現代にも、いるんだよな、なぜだか。
播磨灘物語では官兵衛の妻の名が「おゆう」になっているけど、
光姫または照姫(読みはいずれもテルヒメ)なんで、「おてる」とすべきだな。
おゆうの乳母の名が八寸女(やすめ)で、彼女は播州門徒という設定だ。
司馬さんの先祖は三木城に籠城した播州門徒だったな。
八寸女という名は、数珠の八寸浄土に由来するのかもしれないが、
八寸浄土を制式の数珠とする宗派は、浄土宗と時宗。真宗ではない。
戦雲の夢、なかなか艶っぽいくだりがあって面白い
艶っぽいシーンってみどりさんに読ませて感想を聞いてたんだろうか?
ああ奥さんのことか
いちいち聞かないだろ
>>214 戦雲の夢の濡れ場って、真言立川流っぽくないか?
真言立川流に関してイマイチわからんから判定できない
つーかオルガスムスの瞬間を、仏教用語で表現していたのが「戦雲の夢」じゃ
なかったっけ?
播磨灘物語で、「戦場の真先駈ける日の丸は、赤は瀬兵衛、白は淵兵衝」と人々にうたわれた
中川瀬兵衛清秀の弟淵兵衛の名は重継。
官兵衛が秀吉に姫路城を明渡した後、国府山城の宗円のもとに百姓が六名
つめかけ、黒田氏が姫路を離れないことを誓わされる場面がある。
原典があるのか、創作かはわからないが、そこに登場する六名の苗字は、
いずれも現在まで姫路市に残っている地名だな。
ちなみに、国府寺次郎衛門の苗字は「こおでら」と読む。
官兵衛の祖父重隆は、姫路に移住して後に妻鹿氏から妻を娶ったはずなんだが、
播磨灘物語では、妻子を連れた重隆が、福岡から姫路にやってきたような叙述
だったな。父職隆の隠居城が国府山城(妻鹿城)であることは触れられているが、
そこが職隆の母の出跡であることはスルーしている。
野口城攻めのところで、城主長井四郎左衛門は、美濃の長井氏の岐れであると、
とんでもないデタラメを述べているな。
大江広元の嫡男親広が美濃加納庄の地頭となって長井氏を名乗ったというのは
デタラメ。美濃長井氏は土岐氏の一族。
なお大江親広は、出羽長井(永井)氏の祖。
小早川隆景の根拠地を「沼田(現・広島市内)」としているが、誤り。
たしかに広島市安佐南区にも「沼田」という地名はあるが、小早川氏とは無関係。
小早川氏が根拠地とした沼田庄とは、現在の地名でいうと、広島県三原市本郷町。
ユダヤ御用達売国作家
千種川の河口にあるまちは赤穂。相生に河口はないのだが、江戸時代に川筋が
変化したのだろうか?
228 :
無名草子さん:2011/02/11(金) 16:44:04
「戦運の夢」読み終わったんだが最後のほうで盛親とお里の間の雰囲気が
何かに似てると思ったら「燃えよ剣」の土方とお雪だった
「秋浅く」の章で、宇喜多直家が小早川隆景・吉川元春を謀殺する意図を隠して
岡山(石山城)に招待していると密告した中村三郎左衛門は、三星城主ではない。
三星城主は天正7年宇喜多氏によって滅ぼされた後藤氏。
つ 菜の花
命日なので(‐人‐)
もう15年にもなるのか
そういえば2月だったな。寒かったのでタンタン麺を食っていたとき、テレビのニュースで
死亡を知らせた。
やっぱこれだけの作品残したからストレスで酒やタバコ離せなかったんだろうか
タバコは離せなかったろうが、酒?みじゃないだろ。
酒席でもほとんど何も食べず?まず、専ら話す人だったらしいよ。
偏食のせいで病んでしまったのではないかと推測
21世紀を生きてみる事は叶わなかったな
晩年、オウム真理教に対して、やや抑制が効かなくなったかのような
感情的な文章を残しているし、晩節を汚さずに済んだとも言えるかもしれない
戦雲の夢って面白い?
なんか司馬さんの主人公って無欲だが能力があって人間的に美しいタイプ多くない?
播磨灘の批評がいくらかあるけど、つまらないと言われている前半が俺は大好きだな
。播州の田舎豪族と時世とも呼べる織田家に挟まれて苦悩しているかんべえがなんともいえない。小寺の気持ちもわかるw
前半のクライマックスは個人的に加古川会議だと思う。三浦某の基地外には笑わせて貰った。
爆笑のラジオ聞いた人いる?
司馬特集だったらしいんだけど。
太田はつまらないんで聞きません・・・
>>239 長宗我部盛親が主人公の小説ですね
日本人好みの滅びの美学的な話ですね
史実では大阪城落城の際亡くなったようだが、運良く城を脱出したとの説もあります。
生き延びて、どこかで寺子屋の師匠をしながら余生を送ってほしかったですね、、
明智光秀は、慶長14年(1609)に築城された丹波篠山城を「手に入れ(た)」とされている。
すごい。
>>239 面白いよ。すくなくとも「城塞」の長宗我部盛親よりは、「戦雲の夢」の盛親の
ほうが数倍面白い。
城塞では長宗我部盛親は影が薄かったからね
城方の武将では幸村や又兵衛が目立ってたんでしかたないか、、
司馬遼太郎は上方贔屓だからしかたないが、城方の武将達ってやたらかっこよかった
とくに又兵衛の最後の場面なんか鳥肌が立つくらい感動ものだったね
ところで後藤又兵衛の家系は別所長治の家臣で三木城籠城戦で包囲している羽柴勢の知人に幼い又兵衛を預け
再び城に入り戦死したって書いてあるが、それって史実なのかな?
>>249 異説はあるけど、後藤又兵衛基次の父が、友人であった姫路城代の小寺孝高(官兵衛)に
又兵衛を託して三木城に籠城したという話があります。
又兵衛は、そのまま黒田家に仕えました。
ちなみに、後藤家庶流の又兵衛一家の城は、南山田城(姫路市山田町南山田)です。
淡河城の戦いで、淡河定範が羽柴軍に対して用いた戦術を、司馬さんは陰馬と言っている。
騎手の騎乗していない馬数十頭を敵に向かって放ち混乱させる戦術だ。
淡河定範がこの戦術を羽柴軍に対して用いたことは史書に記されているが、「陰馬」という
言葉は正確なのだろうか?陰馬で検索すると、陰間しかヒットしないんだが。
定範が放った馬は陰間じゃねー。牝馬だ。
定範は混乱する羽柴軍めがけて、かねて集めていた牝馬を秀
長勢のなかに放った。牝馬に反応した牡馬が狂奔したことで
寄せ手は大混乱となった。
当時の戦場を駆ける馬は全部、オス馬ばかり。そこに目を付け
て、この戦場にメス馬5〜60匹を放ったのだ。秀長の武将達
が乗った馬は、メス馬のフェロモンに発情して跳ね回り馬上の
武将は振り落とされ、羽柴軍は大混乱に陥った。
>>249 〈別所長治記〉に、後藤又兵衛の父らしき「後藤又右衛門」という人物が登場してきます。
この人物の名前が「三宅与平次」「三宅与五郎」と読めるようになっています。つまり「後藤又右衛門」
の異名が三宅らしい、後藤又右衛門が三宅に重ねられてしまいます。明智秀満(光春)が三宅弥平次
といったことは確かなので、その子、後藤又兵衛が三宅弥平次秀満だということになりかねません。
明智左馬助と後藤又兵衛は同一というわけではないが、意識的にそう理解されるように誘導されて
いるようです。つまり、いまは何もわかっていない、明智左馬助と後藤又兵衛が、親類だということすら
わかっていないのですから、切り口として、ある程度わかってきた場合は確認として、使えるという話が
撒き散らされているといえます。戦死した後藤又右衛門が本拠としたのが「春日山城」で兵庫県神崎
郡八千草、鍛冶屋村で、近くに山田村もあるようですが、後藤又兵衛はこの春日山城主の家系から
出たといえるようです。まあ「春日」という名前は太田和泉物語の生まれたあとと思われますので、播州
のどこかに本拠をもっていた、そこが春日山城とされたものと思いますが、とにかく三木に、後藤
又兵衛伝説があるのは、三兄弟や、明智と三木別所と関係があることを示していると思います。
なお、三宅与平次は、大村合戦(天正7年9月)で戦死している。
>>250>>253 なかなか詳しい説明かたじけない
わからないからよけいに又兵衛は男のロマンなのかも知れませんね
血風録を再読した。四月にNHKで放送するらしい。
狸が毛を干す話は、毎度不意打ちで本気笑いさせられる。
この人の文体は、上手いのか下手なのか判断つかないのに魅力がある。
読ませるし、人物を匂いたたせる筆力が大抵ではないね。
司馬さんの沖田は大好きだー。
でももうちょっと永倉・斉藤の出番も欲しかったな。
警句とかかっこいいフレーズのセリフを考える能力がすごいよな
歴史小説の皮を被った自己啓発本みたいなところがある
格好いいセリフが多いってのには同意
他の歴史小説作家でセリフが格好いいなと思ったのは隆慶一郎と北方謙三ぐらいだなぁ
「夏が暑いのはあたりまえです」
花神読みたくなったなw
>>255 やるのはいいが。
キャスティングは、アイドルとかアイドル俳優とかやめてほしいな。
無理だろう、最近のNHKはジャニ起用しまくりだし、素材が新選組なら尚更ね・・・
ドラマ坂の上の雲のように充実したキャストは奇跡的だ
土方が永井大、近藤が宅間考行、沖田は辻本祐樹だって。
誰一人知らない。ドラマとか民放は見ないから。
ただ、鴻池の近藤正臣だけは見たい。
BSプレミアムで放送だそうだよ。
俺も近藤正臣以外は知らない。
このスレ50代の人とかいそう
備中日幡城の守将上原元将の根拠地の甲山に、司馬さんは「かぶとやま」とルビを振って
おられるが、地元では「こうざん」と読む。
毛利元就の根拠地である安芸高田市に「甲山(かぶとやま)」という標高445mの山が
あるので、これと混同されたのだろうか?あるいは世羅郡甲山町を、古くは「かぶとやま」
と読んだのだろうか?
なんだ、血風録はBSの番組なのか
そりゃマイナーな人選になるわけだ
永井大も知らないってwww
俺も知らん
でもドラマ坂の上の雲のメインキャストはみんな知ってた
永井大はドラマ「砂の器」のロケで小学生が彼のサイン欲しさに学校サボったエピが微笑ましかったな
永井豪なら知っている。
みなさん人生の折り返しは過ぎましたか?
>>270 墨東綺譚書いた人でしょ
いや〜あの映画は良かった
50代疑惑をかけられてしまったようだが、これでも30代なんだけど。
民放、くだらなすぎて見てられなくなったから流行から完全に見放されてる。
あの可愛い佐藤健くんだって、龍馬伝見て初めて知った。
「龍馬がゆく」は読んでませんが、龍馬伝は龍馬ゆくを借りてた?
ちょっと気にしながら視てたけど、龍馬ゆくは長すぎてどうもな。
羽柴軍に内応したとの疑いをかけられた三沢為虎だが、真相はその兄雲波が
内応していた、というオチになっている。この雲波という人物の存在が確認できない。
>>275 さとう・たけるなら仮面ライダー電王の頃から知ってますが?
>>275 龍馬ゆく読んだの三十代のころだったが
読み始めるとアッと言う間だったよ
読み終わった後の喪失感ハンパなかった
ほぼイッキ読み
燃えよ剣が同時期の作品だったと聞いて驚いたよ
同時代の表と裏じゃねーか 司馬スゲーなと思った
今読んだらまた感じ方違うと思うがどちらも好きな作品
龍馬伝?ケッあんな物と一緒にするな
龍馬を主人公のヒーローにするという時点で
それはもう竜馬がゆくの影響下にある
司馬さんは坂崎紫瀾の影響あっただろうけどね
司馬遼太郎は坂崎に触発されて龍馬がゆくを書いたんだよ
龍馬がゆくはなぜか俺はあまり感動しなかった
他の長編とかは、、たとえば坂の上の雲だとかはおもしろくって一気に読んだんだけどな
他にも龍馬がいまひとつのめり込むことができなかったって人いるのかな?
>>277 健くんを画面でチラ見してなかったら、龍馬伝も観なかったんだよ。
そこはNHKの策略に乗ったw
>>278 そっか。なら30代のうちに読んでみるぜよ。
俺も坂の上の雲読んだ後、竜馬読んだがあまり感動しなかった。。
最後の将軍とか世に棲む日日の方がよっぽど入り込めた。
司馬遼太郎記念館に行ってきた。格安のバスで行ったんで片道の所要時間約10時間
でも行って良かった。俺はファンどころか信者なので本当に涙を抑えるので必死なくらいだった
あと、大阪っていい街だな。
>>279 竜馬がゆくってよりもおーい竜馬のイメージがした
>>285 あれって武田鉄矢が司馬さんがウンザリするほどの信者だから出来たものだし
安国寺恵瓊の頭は前後に長い大頭だったので「鉢開き」のあだ名で呼ばれていたと
書かれてある。調べてみたが、「鉢開き」に大きな頭という意味があるというもの
は見つけられなかった。
手元にある辞書によると、「鉢開き」は「鉢坊主」と同義とあり、「鉢坊主」とは「托鉢を
して金品をもらい歩く(乞食)坊主」のこととある。
茶器にも「鉢開」という利休所縁の銘品があるのだが、恵瓊の頭がその形に似ている
のかと思い調べてみたが、どうもそのようではない。『鉢開』の名は托鉢をして金品を
乞い歩く鉢開き坊主にその姿が似ているところから付けられたとある。
http://syoindo.noblog.net/blog/f/10181243.html 恵瓊は「鉢開き」=乞食坊主と侮辱されたために同僚(毛利家臣)と喧嘩をしたという
ことなんじゃないだろうか?
当時では有能な外交僧が身体的特徴を侮辱されたくらいで
喧嘩をおっ始めたかは謎だけどね
箱根の坂が期待はずれでがっかりした
十一番目の志士とかは面白かったのに‥‥‥
戦雲の夢といい、夏草の賦といい、そんなに有名でないのに面白いな
長編で外れだったなと思うのは、大盜禅師、城を取る話、飛ぶが如く、ひとびとの跫音、だな
前2つは司馬の生前には全集未収録で文庫化もされてなかったのもうなずける出来映え
ひとびとの跫音は小説と言うよりは私小説?司馬にしては異色の作品すぎて面食らった
あと、「空海の風景」で悩んだけど、自分がもう少し歳を取れば傑作に感じる予感がするので評価は保留
ひとびとの跫音は、どこが面白いのか、さっぱりわからんかったなー
司馬さんは、神子田半左衛門正治を伯耆の地侍のような書き方をしている。
尾張の人でしょう?
翔ぶが如くは大久保と川路が面白かった
川路によって東京都の警察は「東京都警察」ではなく「警視庁」という名前になったのが特にな
梟の城途中で挫折した
忍者ものって現実離れしている気がするんだが
>>296 明らかに、非現実的な娯楽作品としての狙いが感じられる作品だから
他の司馬作品と同じ読み方を捨てて、
また別の戦国エンターテイメントくらいな認識で読んでみては?
>>296 忍者モノはJOJOで例えれば第一部とか二部あたりだからな
好ききらいはわかれそうだ
>>296 梟の城 中井貴一かっこ良かったなあ
普段原作読んで映画視たらがっかりするんだが
梟の城は良かったと思う
小学校の頃みたNHK時代劇の風神の門がきっかけで
司馬遼太郎のファンになったオッサンです
しかし司馬は幕末が本領だと思うよ
文春文庫の対話選集って、単行本持ってる人は買わないでいい?
書き下ろしの解説とか後書きとかついてる?
>>296 若い人にはそうかもな。あの作品が出た頃は第二次忍者ブームの頃で、
子供の遊びの中でも、忍者ごっこは大変に人気があった。
当時人気だった忍者俳優牧冬吉のイメージが黒阿弥とかぶってしまう。
僕も若いですけど、梟の城は今流行りの和田竜とか冲方丁と同じ感覚で読めます。
大御所だと他に似ているのは真田太平記とか。
むろん作品の評価ではなく、傾向の話です。
読了
備中高松城攻めから山崎合戦までは、息つく暇もないほどに面白い。
このあたりは余分なフィクションを挿入しなくても、史実が巧く出来すぎている。
自分は幕末よりも戦国の方が面白い
「峠」や「花神」は面白いが重苦しい
今読んでる「夏草の賦」も、「戦運の夢」や「国盗り物語」も重いとは思わん
和田竜は読みやすいね、梟の城はところどころ難しい言葉が出たりわかりづらかったけど、
和田竜は易しくて読みやすいから10代でも気軽に読めると思う
戦国の短篇もすごい面白い
でも久々に幕末ものの「胡蝶の夢」あたり読もうかと思うんだがこれはどう?
「胡蝶の夢」は序盤、伊之助が天然KYのせいで虐められるくだりは読んでてキツいけど、
それを超えれば俄然面白くなるよ
他の作品で言うなら、菜の花の沖みたいな感じ
幕末だと面白さが一番で「竜馬がゆく」を推す息子2人と「燃えよ剣」を推す自分で
去年の大河ドラマは観ていて盛り上がったわ
お前何歳なんだよw
西郷と高杉ぐらいの年齢差じゃね
>>310 今年誕生日迎えれば人間50年まであと1年
313 :
無名草子さん:2011/02/24(木) 00:08:21.07
幕末維新物は司馬さんであれ誰であれ、結局は明治維新を肯定している訣だ。
俺は徹底した幕府方で、維新と西洋化が大っ嫌いだから幕末維新物は読まない。
314 :
無名草子さん:2011/02/24(木) 01:26:58.27
>>308 菜の花の沖か...
それなら途中でダレそうorz
318 :
覇王の家:2011/02/24(木) 19:09:00.82
弘治2年(1556)に駿府から岡崎に帰郷した家康は、ニノ丸の蔵に積み上げられた
米と青銭を鳥居忠吉から見せられる。
「殿が(今川から)独立するときにお使いください」
有名な場面であるが、青銭?
青銭とは、1768年初鋳の寛永通宝四文銭の俗称で、真鍮の含有量が多いため
青みを帯びていたところから、このように呼ばれた。
瀬名姫との結婚は、弘治3年であるが、この本ではなぜか弘治2年1月15日とされている。
>>317 胡蝶の夢は菜の花より短いからそんなにかからなんいじゃね
伊之助を好きになれるかどうかが肝だな、伊之助に同情できれば最後まで読めるが、憎らしくなればキツいかも
新選組も出てくるし、燃えよ剣を読破済みなら読んで損はないよ
あさって図書館行くんだが「新史太閤記」と「功名が辻」どっちにするか迷う
軽さなら巧妙が辻。
有名度で言えば新史太閤記。
「新史太閤記」面白いでー。
「功名が辻」は後味が悪くてイマイチ。
巧妙が辻は、だから幕末で土佐が活発になるのかーみたいな実感わいた。
しかしラストはそれまでの流れとつながりがないわな。
千代はいい人のままで、一豊ひとりが悪い面を背負わされていた。
新史太閤記は面白いんだけど、中途半端に終わってるな。
朝鮮出兵を避けている。
おかしくなった秀吉を描いていない。
>>326 吉川英次の太閤記もそこで終わってたなー
>>326 あのラストから先とか、誰が読みたいねん。
331 :
覇王の家:2011/02/28(月) 17:02:54.31
この作品は、三河衆をモデルとした、田舎者生態学のような書物なので、
事件の年にけっこう誤りが多いのだが、あまり気にならない。
尾張衆…大阪人
駿河衆…京都人
という印象。三河衆は、どこの田舎という特定は難しいが、田中角栄や小沢一郎
を中央政界に送り込んでくる田舎者と思えば理解しやすい。
司馬遼太郎の作品に出てくる女ってなんか妙に可愛いのが多くね?
梟の城の木さるが一番好き
>>332 禿同
まあ初期作品の女性のほうが魅力的だな。
男性の作家の場合、チンコが元気のいい若いときのほうが女性を魅力的に書けるな。
年を取ると興味がなくなるから。
俺は関ヶ原の初芽が好き
城塞のお夏は、小幡勘兵衛ともども、なにをするために出てきたのか、わからなかった。
序盤は元気よく飛び出した感じなんだけど、中盤以降、家康、幸村といった超大物が
直接ストーリーにからんでくると、お夏と勘兵衛の出番がなくなってしまった。
それは司馬さんの小説には良くあること
竜馬の寝待ちの藤兵衛とかどこいったのやら
濃姫も、「夏草の賦」の菜々も、お佐那さまもかわいい
「〜でございましょう」って言い方が品がある
21世紀の女とは大違いだな
言っとくが自分女
国盗りの深芳野も女から見たら同情するがなんかかわいい
国盗りはお万阿がいいなぁ。豊満な感じが目に浮かぶようだ。
341 :
覇王の家:2011/03/02(水) 15:54:34.41
信長の富士山観光旅行の件で出てくる神野ヶ原(かむのがはら)は、
現代の地名でいうと朝霧高原。検索しても神野ヶ原ではヒットしない。
わずかに「神野」の地名で数件ヒットした。
地元は「神野ヶ原」の地名を残すべく、少しは努力せよ。
ついでにいっておく。
天正7年9月、勝頼軍の来襲に肩透かしをくらわせた家康。大井川を
渡り「井籠(色尾)」という在所にたどりつく。現在の地名でいうと島田市
阪本町・船木町周辺であるが、町名としては「井籠(色尾)」の名が
残されていない。しかし、店名・バス停名としてヒットはする。
地元は「井籠(色尾)」の地名を残すべく、少しは努力せよ。
342 :
覇王の家:2011/03/02(水) 18:03:01.12
信長が駿河(富士山見学旅行)へ同行したいという近衛前久に対して、「わごれは
中山道を上れ」と言ったことを、司馬さんはひどい言葉遣いのようにおっしゃって
いるが、そうなんだろうか?
「わごれ」の意味を調べてみると、「わごりょ(和御料)」の音変化だとある。
和御寮とは、「二人称。対等もしくはそれ以下の相手に対して、親しみをもって呼ぶ語。
男女にかかわらず用いる。おまえ」
前の関白・太政大臣にむかって使う語ではないのは確かなのだが、親しみを込めて
使ったと考えられなくもない。少なくとも「わごれ」の語感からイメージできるような
柄の悪い言葉ではないのではなかろうか。
新史太閤記読み始めたが面白いな
サクセスストーリーか
勇気わいてくる
344 :
覇王の家:2011/03/03(木) 19:58:11.19
天正壬午の乱で、家康が古府における宿館にしたという一条信達(の館)って誰なんじゃ?
一条信龍のことか?
期待してなかったからか城を取る話は面白く読めた。
主人公が飄々としていてふてぶてしい、展開も行き当たりばったりで結局最後も上手くいってない。
司馬ってこういう定型にはまらない人や話が好きなんだなあと思った
346 :
覇王の家:2011/03/07(月) 19:50:56.32
読了
最初から最後まで田舎者生態学だった。
司馬の作品は決められた枚数の中で駆け足で鳥瞰してしまう雑誌連載
よりも、好きなだけ余談を入れられる新聞連載の方が面白いな。
この作品は雑誌連載だが、小牧・長久手の戦いは4回ぐらい使って
密度の濃いものになっているから、新聞連載のような迫力があった。
関ヶ原と大坂の陣は単体の作品があるのでスルーだが、朝日姫・大政所
を人質にすることを決めたところでいったん筆を擱き、家康の最期まで
跳ぶ。でも、あまり違和感はない。家康が秀吉の傘下に入ったところで、
この作品の主題が尽きるから、これでいいと思う。
明日から花神読む。先に読んだ父も名作だと言ってたんで楽しみ
花神は大河ドラマが最初だったな
大河ドラマで江をやっているから、豊臣家の人々を読む。
関係なくね?
人が何を読もうが勝手だろwww
関係ないも何も「江」に豊臣秀吉出ているわけなんだが
いちいち独り言を書き込むな
353 :
覇王の家:2011/03/09(水) 15:45:43.53
尾根は丘じゃないじゃん
新史太閤記は本能寺の変サラッとしか触れてないんだな
播磨灘物語のほうが手に汗握る展開で書かれてて面白い
関西大学名誉教授の谷沢永一さん死去 産経新聞「正論」執筆者
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110309-00000531-san-soci 産経新聞「正論」の執筆者で保守派の論客として知られる関西大学名誉教授の谷沢永一(たにざわ・えいいち)さんが
8日、心不全のため兵庫県伊丹市の病院で亡くなった。81歳だった。葬儀・告別式は近親者で行う。
昭和4年、大阪市生まれ。関西大学の在学中に、同人誌「えんぴつ」を主宰し、開高健らが参加。昭和43年に関西大
学文学部教授、平成3年に教授を退き名誉教授に。専門は近代日本文学の書誌学的研究で、書評や社会評論で幅広く活
動。既得権益を守ろうとする人物や行動を、痛烈に批判する舌鋒(ぜっぽう)の鋭さに定評があった。読書家として有
名で自宅に10万冊以上の蔵書があった。バラエティー番組にも出演し、お茶の間にも親しまれた。
本紙「正論」では歴史教科書のあり方などについても厳しく批判した。著書に「完本紙つぶて」(サントリー学芸賞)
、「こんな日本に誰がした」など。
上智大学名誉教授の渡部昇一さんの話 「この30年間、研究会で毎月1回お会いしていた。談論風発、一緒にいてこ
れほど楽しく、教えられる人はいなかった。先月、お弟子さんに口述された丁寧なお手紙をいただいたが、死を覚悟さ
れていた。温容いまだ眼前に浮かび痛惜の念堪え難いです」
>>356 昨日、谷沢永一さんの書いた「現代小説のテーマとしては弱すぎる思いつきを、
時代ものに移しかえたらなんとか格好がつく」を引用させてもらったばかりだ。
ご冥福をお祈りいたします。
P.S. 「名言・随筆サラリーマン」は第2版しかもっていないと何かに書かれていたが、
初版は入手されていたのだろうか。
358 :
覇王の家:2011/03/11(金) 14:07:34.39
谷沢って司馬作品・・・全集もか?の解説をずいぶん書いてたっけ
あと尾崎秀樹も
大盗禅師
仙八の無責任っぷりというか適当すぎる生き様が面白かったんだが
これって作者公認の失敗作扱いなんだなー
「殺生関白」「金吾中納言」「宇喜多秀家」は、司馬の他作品で詳しく書かれていて
目新しいところはない。
「北政所」あたりから面白くなってくる。「大和大納言」の小一郎の臨終場面は、
もらい泣きしてしまったが、それ以上に秀逸なのが、朝日姫と副田甚兵衛を扱った
「駿河御前」だ。これは傑作だ。
「駿河御前」にひきつづき「結城秀康」も好調。
てめえのメモ帳じゃねえんだよ
すっこんでろクソが
365 :
無名草子さん:2011/03/16(水) 13:07:31.27
下品な二人称を使うな。去れ。
一人語りはブログでやれ
「宇喜多秀家」の関ヶ原の戦いのところで、宇喜多軍の侍大将の中に、
本多正重がいる。正重は関ヶ原では東軍。
宇喜多隊にいたのは、本多政重。
司馬さんは、「慶長元年の大地震で伏見城が倒壊した」という表現を使うが、
文禄から慶長への改元は、文禄5年(1596)の10月27日なので、
文禄5年の大地震と言うべきじゃないかね?
そもそも、この大地震を忘れるための改元なんだから。
>>362 大和大納言は小説としては素晴らしい。とくに小一郎が秀吉に「縄のあぶみ」の
想い出ばなしをするところは大好きだ。
ただ、天正13年に大政所が長浜城にいたというのは確かなんだろうか?
長浜城は賤ヶ岳の合戦後は山内一豊の居城になっているんだが。
小一郎が中国大返しに際して、姫路城で留守をしたことになっているのもヘンだな。
播磨灘物語では、ちゃんと山崎合戦で戦っている。
小説なんだから脚色は当然あるでしょ
>>370も、それが悪いと言っているんじゃないと思う。
ここにいる人は司馬作品が好きだよ。といって、史実と違うことを覚えても意味がない。
データベースを修復するための、スキャンディスクをやっていると思ってくれればいい。
新史太閤記そろそろ終わる
面白かったがやっぱり国盗り&関ヶ原の面白さにはかなわない
「八条宮」は、他作品では語られていない人物。ラストの桂離宮と東照宮の対比が鮮やか。
376 :
無名草子さん:2011/03/20(日) 16:07:55.98
講談社文庫の大阪侍読んだんだがこれに収録されてる話ってだいぶ古い作品なのかな
余談の使い方が下手?過ぎて違和感ありまくりなんだが
てかこの作者って余談余談って書くくせに途中で「この物語とは関係ないのでここでは詳しく書かないが」とか言って中途半端なトコで余談書くのやめるのやめてほしいよね(´・ω・`)
>>376 大坂侍の時期だと、まだ余談に入れ方が巧妙じゃないね。
「竜馬がゆく」あたりで確立されたかな。
余談がどうでも「大坂侍」に収録されてるものは全部面白い
「赤尾谷で思ったこと」は、司馬さんの歴史小説執筆の姿勢が説かれていて、
たいへん興味深かった。教科書に載せて多くの人に読んでもらいたい評論だ。
新生児の総数が昭和50年代と比べると半減しているからな。
オマエは本当に自演が好きだな
三度の飯を食うように慈円している。気にするな。
384 :
無名草子さん:2011/03/25(金) 18:56:27.65
北斗の人を買って読みたいんだが
どこにも売ってない…orz
つ「セブンネットショッピング」
387 :
無名草子さん:2011/03/25(金) 19:19:31.05
388 :
無名草子さん:2011/03/25(金) 19:44:25.42
図書館行きゃ全集があるやろ。
峠読んだけど、なんかいまいちやね。小千谷談判とか所々おもしろいけど、全体通すと微妙
花神のほうがおもしろかった
「北斗の人」は講談社文庫と角川文庫の2つから出てるよ、もちろん内容は同じ
391 :
無名草子さん:2011/03/26(土) 13:02:48.72
h t t p : / / m i x i . jp/view_diary.pl?id=1672546283&owner_id=5106091
歴史】拝啓、司馬遼太郎様ゑ 2011年02月12日18:55 司馬遼太郎さん。
あなたは小説家です。ですから、嘘事でも脚色してもいいです。
しかし、題材が歴史である以上、それを実しやかに語るのは如何でしょうか??
「世に棲む日日」の三巻の終盤に、こんな一説があります。
筑前福岡藩黒田家五十二万石というのは日本有数の大藩であったが、加賀
前田家と酷似していて、藩全体が封建体制のなかで一種の無力体質になってい
た。加賀と同様、幕府を恐れることがはなはだしく、新しいことはすべて悪で
あり、御家のためにならないという気風があり、このため幕末の先進藩特有の
洋学や産業、それに勤王思想という新国家論などの面ではあまりふるわず
、月形洗蔵らのほかには、加藤司書、平野国臣らを出したくらいのものであった。
司馬さん、あなたは何の史料を見て、こう判断したのでしょうか?
それとも、あなたが同著で「筑前人は、便佞で精神が凝定しておらない」と評している様に、筑前人が信用なら無い人間の集まりと思ってるからこその先入観ですか?
※便佞…口先は巧みだが、心に誠実さのないこと
392 :
無名草子さん:2011/03/26(土) 13:03:15.57
福岡藩が好きな筑前人として、あなたを論破します。
>筑前福岡藩黒田家五十二万石というのは日本有数の大藩
これは同意です。
>藩全体が封建体制のなかで一種の無力体質になっていた。
無気力の藩が、長州斡旋しますでしょうか?薩長同盟に奔走しますでしょうか?富国強兵を目指し。内乱を回避し「ロシアを目指すべき」と幕府に建白書をだしますでしょうか?
>加賀と同様、幕府を恐れることがはなはだしく
これは見方の違ですが、福岡藩は佐幕。幕命に従うのは当たり前。
基本的には、天幕一致・全国一和は藩是なので。
>新しいことはすべて悪であり、御家のためにならないという気風があり
これは一部の勤王派のみでしょう。
福岡藩は西洋化を推進し、富国強兵を目指しました。
主な実績は、西洋式軍事訓練の導入、蒸気機関船の購入、精練所と反射炉の建設、藩士の洋学教育、オランダ人指導者の登用、蒸気機関の製作、医術学校の創設、種痘の実施、金鉱・炭鉱開発。
福岡藩は外国通の藩です。長崎警備を代々勤め、蘭癖大名を戴いた藩を侮っては困りますよ?と。
393 :
無名草子さん:2011/03/26(土) 13:04:26.74
>このため幕末の先進藩特有の洋学や産業、それに勤王思想という新国家論などの面ではあまりふるわず
……。
勤王思想では、幕末前半を筑前勤王党はリードした雄藩の1つでしょう。
洋学や産業については、瀧田紫城などの洋学者の指導や長溥によって確かな英才
教育を受けてきたからこそ
、明治期になって筑前から豪商や国家主義者を輩出したわけです。また、熟成さ
れた新国家論があり土壌があったから、筑前が大アジア主義や部落解放運動の発
信地になったわけです。
>月形洗蔵らのほかには、加藤司書、平野国臣らを出したくらいのものであった。
早川勇忘れんでくだされw
394 :
無名草子さん:2011/03/26(土) 13:04:55.26
http://mixi.id=5106091 司馬さん、僕は特に「無力体質」というのに憤慨します。
<野村東馬>
君が為 すつる命は 今更に
おしとおもはじ 大和真心
<浦上信儂>
死出の山 越ゆるも君の 為ならば
心いさめる もののふの道
<久野将監>
数ならぬ 我身のいのち 此国の
代りとなりて 果るうれしさ
<加藤司書>
君がため 尽くす真心 今よりは
なおいやまさる 武士の一念
佐幕も勤王も、一生懸命生きたからこそ、国事に奔走したからこそ、この様な辞世を残せるのではないでしょうか?
幕末の福岡藩は激動でした。
激動だったから、明治以降の余震も大きかったのです。
司馬さん、決して「無気力」ではないですよ。
で、司馬さん。
やっぱり福岡がお嫌い??
395 :
無名草子さん:2011/03/26(土) 13:05:47.36
かずま2011年02月12日 19:19
「司馬さんなら仕方ない(笑)」
と思われても仕方ないくらい固定観念というか、独自性が強いというか……
やっぱ小説家なんでしょうね
私は司馬作品とはあまり水が合わず、昔数作品読んだだけで最近はご無沙汰です 笑
たかひろ@黒田武士2011年02月12日 19:22
> かずまさん
でしょうね
思いっ切り贔屓目で書きましたが、司馬さんの意図的な悪意を感じます
また妙なのが湧いてきたなw
春だからか?
とりあず読まずにあぼーんした
>>384 北斗の人はそれほど面白くなかった
買いたかったら書店で注文すれば?
ネットなんてない時代はそうしてた
北斗の人は無味乾燥で全く面白くなかった記憶
最近の西村京太郎本のようなもの
まぁ人それぞれだね、俺は傑作だったと思うよ、何度も読んだし文庫も2回買い換えた
ちなみに今、文庫で買うなら角川文庫のほうが安いよ
読む前は単なる剣豪小説かと思っていたが、そんなんじゃない。
千葉周作が考案した稽古方法を合理主義、周作以前の古武術を難解な術語で
装飾された権威主義と置き換えて読むと、他の司馬作品と同じことを言っている
ことが分かる。
>>398だが「竜馬がゆく」の後に読んだから面白くないのかと思ってた
が同意見いるんだな
逆に「竜馬がゆく」が面白くない。
「竜馬がゆく」が面白くないなんて思うやつがいるのかwww
自分は竜馬がゆく、燃えよ剣、関ヶ原、国盗り物語が4強だな
数年ぶりに「新選組血風録」を読んでいたら、時系列がおかしいものがいくつかあることに今更気付いた。
「鴨川銭取橋」では、武田が斬られた時、斬った斉藤は御陵衛士にいたはず。
「胡沙笛を吹く武士」では、物語が慶応2年2月に鹿内と小つると出会うところから始まるのに、途中で元治元年池田屋事件を経てしまう。
だからどうと言うわけではないが…
>>404 おもしろくなかった。
そんなに大笑いするほどいちゃいけない理由は分からんけど、面白くないものは仕方ない。
へそまがりはいつの時代にもいるもので、
皆が「面白い」「凄い」というものには、アンチもたくさんいるのが普通だから気にするな
俺の4強
花神、世に住む日日、国盗り物語、新史太閤記だな。
竜馬がゆく、燃えよ剣、は十代の頃に夢中で読んだが、
20代後半になった今、読み返してみるとそうでもない。
読んだ年代とかも関係あるかもな。
>>405だが40代になって初めて司馬作品読んだ自分
花神ももちろん面白かったが少し重い
尻くらえ孫市も面白いよ
俺の4強は
竜馬、燃えよ剣、世に棲む日々、峠だな
最近竜馬、世に棲む日々、花神と再読したけどやっぱり竜馬は凄いものがある
司馬キャラの中で好きなのは、村田蔵六と「梟の城」の黒阿弥。
草原の記、新史太閤記、空海の風景、坂の上の雲が4強だな。
キャラは、村田蔵六、吉田松陰、雑賀孫市、河井継之助(ry
司馬は深くない
再読三読は無理なレベル
大衆小説だから面白ければいい
4強なんて制限せずに、「私の司馬小説ベスト10」を書いてってくれ
1 項羽と劉邦
2 国盗り物語
3 新史太閤記
4 峠
5 花神
6 燃えよ剣
7 関ヶ原
8 坂の上の雲
9 胡蝶の夢
10 夏草の賦
くだらん
やめてくれ
キャラがかっこいいのはなんといっても石田三成
「関ヶ原」の大谷吉継がカッコイイ
ベタだが燃えよ剣の土方も
カッコいいって言ったら高杉晋作か石田三成だなー
高田屋カヘエが格好いい、よく死ななかったもんだ
明石屋万吉を忘れんなよ
にわかか
にわかで思い出したんだが、ニカウさんは、いまどうしているのだろう?
428 :
無名草子さん:2011/03/30(水) 00:58:26.99
坂の上の雲
関ヶ原
峠
俺のベスト
八十里 こし抜け武士の 越す峠
「峠」の文字を見るとこの句をパッと思い出してしまう
430 :
古往今来:2011/03/30(水) 19:16:28.09
司馬遼太郎の「文明・文化二分論」は、分析の道具として便利ではあるが、
そのあてはめにおいて無茶なことを言っていることが多い。
「遠藤周作氏『鉄の首枷』について」という評論のなかで次のようなことを
書いている。
“(天正15年の秀吉の禁教令に関して)、カトリックという形であれ、普遍的な
ものが封じられたことは、日本人の世界意識の成長という点で決定的な
マイナスの選択だったのではないか”
カトリック教徒である遠藤周作氏のほうがあわてて、「それなら侵略されて
いたかもしれない」と反論しているが、こちらの言い分のほうが説得力がある。
キリスト教はキリスト教世界では普遍的かもしれないが、イスラム教徒は
決して普遍的なものとは思わないだろう。
432 :
無名草子さん:2011/03/31(木) 08:59:11.75
燃えよ剣を大河でやって欲しい
名作だけど「大河」という感じではないと思う。
「関ヶ原」のストーリーって西暦でいうと何年から始まるの?
秀吉もう死んでる?
死んでない
サンクス
「箱根の坂」の法栄が湯漬けを食べるとき、
「鳴るような男行儀」と描写しているが、
これ、造語だな。グーグルでヒットしない。
司馬さんの文章って造語多くない?ぱっとは思い出せないが、面白い言い回しだな〜と感じたこと何度かある。
昭和初年には日常用語だったが、戦後は使われなくなったという言葉が多いらしい。
「古往今来」の文庫版あとがきにそう書いてあった。
法栄△で済ますよりはるかにマシ
BSプレミアの血風録は、芹沢鴨が近藤・土方をくってない?
時代劇をやる場合、現代人の感覚でキャラを動かすから
なにやっても安っぽい漫画になる。
当時のあの手の男どもが、斬った張ったであんなに眉しかめてたら
何ひとつ出来ないのじゃない?
>>441 芹沢役の俳優のほうが原作の理解力が高いのかもしれないな
司馬さんが新選組の世界を描いたのは今から半世紀も前だから
今世紀に産まれたり育ったりしてる者達では理解し辛いだろうね
444 :
古往今来:2011/04/05(火) 16:56:53.84
“樟の木に夾竹桃の咲きまじり 石垣あをき鹿児島の街”
「鹿児島・知覧の武家屋敷」に出てくる歌です。
与謝野晶子の歌と書いてありますが、与謝野鉄幹の歌でした。
残念。
>>442 ああ、そうゆう解釈もあるのですね。
「悪人」に位置づけきった脚本が
逆にいい味だしてんじゃないのかと思ったけど
俳優自身の解釈も色つやのうちですね。
446 :
古往今来:2011/04/06(水) 15:51:13.55
「今東光氏の昭和三十年前後」
「(昭和28年には)新聞社は、「読売」がまだ(大阪に)進出していなかったのではないか」と
書かれておられるが、株式会社大阪讀賣新聞社は、1952年(昭和27年)11月25日、
大阪府大阪市北区野崎町に於いて「大阪讀賣新聞」の第一号を発刊している。
残念。
名前欄にタイトル入れてる奴はスルーな
「僧兵あがりの大名」
嘉吉3年(1443)10月に五箇関を押領した筒井順秀って誰ですか?
それと、応永27年(1420)に生れた筒井順永が、どうやって応永27年(1420)に興福寺の
寺領を押領するだよ。天才赤ちゃんかよw
. -‐ ― -
/. : : : : : : : : : : : : : : : `: . / ))
/. : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : \__|∠ク
/\ : : : : ヽ : : : : : : : : : : : : : : : : : : 〈 ̄
/ , -‐-` ー‐--\ : : : : ヽ : : : : : : : : : : :ヽ
; `_ー--| : : : : : : : : : : : : :
i ( -、 `ヽ\: : : : : : : : : : : :
| /(_ハ ( - 、 `┤: : : : : : : : |
l : : : :| /(__ハ | : : : : : : : : ′
j 、_nノ, l : : : : | | : : : : : : : /
/ 「 、__nノ \/ ̄ 〈
{ , --、 rく }
、 ┌ -- , { n } _/ /
\ 、 : : : / `ー' ' 人_/
>>449 呼んだ?
` _ ー ´ _ . ´
//¬ァー― /\
/.:://.::::.\ /.:::::::::::ヽ
チャンネル:教育/デジタル教育1
放送日: 2011年4月16日(土)
放送時間:午後2:00〜午後3:00(60分)
TVシンポジウム「司馬遼太郎が伝えた緒方洪庵“無私”の精神」
司馬遼太郎が小学生の教科書に書いた「洪庵のたいまつ」の
「自らの利を顧みず、ひたすら人々のために尽くした」緒方洪庵の尊さと
それを受け継ぐことについて語り合う。
【パネリスト】
東京大学名誉教授…養老孟司
茨城大学准教授…磯田道史
東京大学大学院教授…姜尚中
建築家…安藤忠雄
花神か
なぜ姜に語らせるんだよ
NHKだから仕方がないとは言え
三岸節子に関する随筆がいくつかある。それらの中で述べられている
三岸節子の渡欧と帰国の話。帰路、船で沖縄に近づいたときの描写は、
「翔ぶが如く」の川路利良の帰国の場面によく似ている。
「三岸節子展に寄せて」という文章のなかに、大阪桜橋の“ともゑ”という高級一膳めし屋
が登場するのだが、ご存知の方はいりゃっしゃらないか?昭和30年に存在が確認される
店なので、もうないかもしれないが。
つーか一膳めし屋に、高級と並の区別があるなんて知らなかった。
司馬さんは、『二十一世紀に生きる君たちへ』で、自然といった大いなるものへの畏敬の念を失ったのが二十世紀だったが、君たちは大きな存在への敬意を取り戻し、自己を確立せよ、と仰っていたと思います。
そもそも人間が完全に制御できない原子力を、制御できるという驕りが招いた今回の事態を、司馬さんが生きておられたら、どのように思われるでしょうね。
人間が完全に制御できない原子力を、制御できるという驕りが招いた、なんて考えをもってないんじゃない?
>>457 案外、菅直人とか枝野幸男という三流の政治家がニ流になろうともがいてると評しそう
また名前欄バカか
461 :
「がんばろう神戸」から「がんばって東日本」:2011/04/13(水) 11:46:24.97
「無銭旅行」
リュックサックを「ルック」と表記している。むかしはルックと言っていたのかと
思って調べてみると、以下のようであった。
ドイツ語本来の発音は「ルックザック (Rucksack)」で、「背中袋」の意味である。
日本語で「ルック」が「リュック」になったのは、語源のリュッケン (Rucken、背中)
に引きずられたからとも言われる。
(註)Ruckenの「u」はウムラウト付き。Rucksackの「u」にはウムラウトなし。
司馬遼太郎「樹霊について」に、襍という見慣れない漢字が出てくる。
漢音でザツ、呉音でゾウ(ソウ)と読むらしい。
襍の一文字だと「まじえる、まぜる」という意味だから、「樹霊」という多数の筆者によって
書かれた文章のオムニバスというニュアンスだろう。
俺は初めて見た漢字なんだが、理科系の文献には「襍雑」という熟語がよく出てくる。
《一般的に、画像の再生品質はデコーダのもつ襍雑さ(機能の高さ)に密接に関連しています》
というような文脈で出てくる。意味と読み方がわからない。
襍雑 ←なんて読むんだ。「ざつざつ」か?「ゾウザツ」ではないだろう。「ぞうぞう」か?
雑と襍は同じ字だよ。もうひとつ雜も同じ字。
だから襍雑と書いても、雑々と書いても同じこと。
雑の木印の上の「九」は衣の変形。襍は、「衣+集」で、ぼろぎれをよせ集めた衣のこと。
>>463で<襍雑さ(機能の高さ)>と言っているけど、ボロ切れの寄せ集めが、どうして
機能が高いことになるのかはわからない。
また名前欄のキチガイが増長し出したので、もうここは見ない
死ぬまで無様な公開オナニーしてろ
オマエも十分に入院レベルだよ
465が透明あぼーんされているから、話が見えん。
「山本さんの律義」
横山長知(ながちか)が、賤ヶ岳合戦で戦死したことになっている。
司馬さんによると、出典は五弓久文(雪窓)の「事実文編」だそうだ。
しかし、司馬さん原作のTVドラマ「関ヶ原」では、前田家家老として登場している。
一般の資料でも、横山長知は大坂ノ陣まで生きている。
「奈良法蓮時代・仄聞」
司馬さんは文体がどうのこうのというタイプの作家ではないが、
この作品の文体は非常に美しい。
このスレで時々見かける司馬さんの長男の話って、この記事のことなんだな。
http://www.e-themis.net/feature/read_1006.php 俺は有名人のプライバシーには関心がないから、どうでもいいんだが、以前
から気になっている司馬さんの随筆がある。
「若い訪問客」というのがそれで、この作品の中で、司馬さんは珍しく怒気を
発して与一氏(仮名)という親戚の青年を罵っている。
与一氏の母親というのは、司馬さんが小学生のころ女学生だったというから、
その言葉を信じれば、ほとんど付き合いのない遠縁の青年ということになる。
だが、付き合いのない遠縁の身内であれば、かえって遠慮があって、ここまで
罵れないような気がするのな。随筆では与一氏の訪問目的は明確には書かれて
いないが、なんとなくカネの無心をしにきたような感じだし。
なんか気になる与一氏。
「若い訪問客」が週刊読売に掲載された年…昭和49年
その叙述のなかで与一氏は、「21歳」ということになっている。
つまり与一氏は、昭和27年ないし28年生れということになる。
相模女子大学教授・志村有弘編著による『司馬遼太郎事典』(勉誠出版)には以下の記述があった。
昭和25年(1950)
この年に雅子と結婚し、左京区聖護院川原町に住む。
1952年に長男が誕生するが、'54年2月に協議離婚となり、長男は福田家の両親に預ける。
かれが切り戸から出て行った音とともに、どうにもならない不愉快さが、かれの
置きみやげのように私の体の中に残った。いまもそれがつづいている。始末の
わるいことに、この感情が、かれへの不愉快さというものでは無さそうだということ
である。
司馬氏の長男と“与一氏”の生れた年が偶然符合するというだけで、そこから先は
筆者の推測にすぎない。ただ筆者がはじめて「若い訪問客」を読んだとき、ふだん
の司馬さんにはない激越な表現が多いことに違和感を感じた。
“私がかれを殴らなかったら、私のほうが人非人かもしれない”といった過激な表現
まであるのだ。
たしかに、この随筆のなかの与一氏はでたらめな青年で、第三者から見ても腹立たしいが、
初対面の縁者を殴れるものではないだろう。
与一氏の正体はもしかして〇〇・・・という先入観で読むと、「若い訪問客」の激越な
文章に違和感を感じないのはどうしてだろう?そこにはでたらめな息子を説教する
父親の姿があるのだ。
与一氏には、当時工学部4年の兄がいると書いてある。
別人だろう。
>>475 エッセイだからフィクションがあってはならないという決まりはないよ。
プライベートはどうでもいいなあ
「山姥の家」
戦後日本社会の一側面を面白く捉えている。随筆であるが短篇小説を
読んだぐらいの読みごたえがある。
また司馬さんが現代小説をほとんど書かなかった理由もわかったような
気がした。
それって金太郎の話?
「あとがき―A氏のことども」
A氏と匿名になっているが、著書の「藤原定家研究」が文中で紹介されているから、
「街道をゆく - 播州揖保川・室津みち」で同行した安田章生氏であることは明らか。
誰だかわからないのは、安田章生氏の悪口を言っている「旧制高校時代の友人」
である。安田氏の履歴を調べてみたが、卒業した高校名までは判明しなかった。
「ペルシャの幻術師」のラストでは、シュラブ河が氾濫してメナムの町を洗い流し
廃墟にしてしまう。東日本大震災の後に読むとリアリティが強烈。
ペルシャの幻術師には、実在する地名・人名も登場するが、伝奇小説である
同作品の性格上、作者が創作した人名・地名が多い。以下、読者になじみの
浅いペルシャの固有名詞について解説する。
舞台となる町メナム
タイの河川の名称である。子供のころ学校で習った。ペルシャにはメナムという
町の廃墟は残っていない。なお、メナム河は最近は現地の呼称に従って、
チャオプラヤー川と呼ばれている。メナムはタイ語で<川>を意味する普通名詞
だからである。
プシュト山脈
おそらく架空の地名。ただし、プシュト語という言語はペルシャ近辺に存在し、
プシュト語を話す少数民族パタン人は現存する。司馬さんの大阪外語時代の
知識がデタラメ地名の創作に役立っていると思われる。
シュラブ河
水辺の岩陰に生息する甲殻類の名称。おそらく架空の河川。
クラサン砂漠
架空の砂漠。執筆当時、サングラスのことをグラサンと呼ぶ風習があった。
アラ山脈
実在する。ただしペルシャではなくトルコの山脈である。舞台であるメナム
はペルシャ東部の町なので、アラ山脈は付近にはない。
カヴィール砂漠
実在する。イラン最大の砂漠である。
バークフ
実在する町の名。
美女ナンの従者チャタム
チャタムはニュージーランドの諸島の名称である。
大鷹汗(シンホルハガン)ボルトル
旭烈兀(フラグ)の四男とされているがデタラメ。フラグの四男テクシンは長い闘病の末に病没する。
ボルトルの部将バートル
バートルはモンゴル語で勇者の意味である。
流鏑馬
モンゴル語のヤブサル・メルが語源であるとしているがウソ。
「馬を馳せながら矢を放つ故、やはせむま、略して、やぶさめという也」(伊勢貞丈)
美少女ナンは、インドのナンに由来するんだろうが、
ナンという食べ物はペルシャが発祥でインドに伝わったようだ。
ペルシャ語のナーンはパンという意味。
そういえば昔ペギー葉山が「パンのマーチ」で、パンはエジプト人が
6000年前に発明したと歌っていた。
エジプト→ペルシャ→インドと伝播したな、こいつ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3614999 なお、インドではパンのことをチャパティという。ナンとの違いは、
ナンは小麦粉の生地を発酵させてタンドーリ(釜)で焼くパンだが、
チャパティは、全粒粉(精製していない小麦粉)を使用して、発酵させずに焼いたもの。
要するにチャパティは、具のはいっていないお好み焼きみたいなものですか?
唯一の推理小説にして本人が大嫌いな作品と公言している「豚と薔薇」のあとがきには、
以下のように記されている。
“他人の秘事を、なぜあれほどの執拗さであばきたてねばならないのか、
その情熱の根源がわからない。それらの探偵たちの変質的な詮索癖こそ、
小説のテーマであり、もしくは、精神病学の研究対象ではないか”
昭和33年に松本清張の「点と線」が出版され、推理小説ブームの濫觴が見え始めた時期
の文章である。こんなことを書けば、松本清張が司馬遼太郎を嫌うのも無理はない。
ミステリの世界じゃ珍しくもない感想だよ
清張が取り立てて腹を立てるようなもんじゃない
まーた例の名前欄の人が粘着してるのか、探偵みたいなことはブログに書いてろ
「豚と薔薇」「「古寺炎上」「城をとる話」「大盗禅師」のように全集未収録の作品、
あるいは「道化の青春」「正法の旗をかかげて−ものがたり戦国三河門徒」のように
短篇全集にも収録されなかった作品を、全集補巻という形で出版してください、
文藝春秋社さん。
史実の隠蔽のしかたが巧妙なんだよね。
司馬の文章は決してウソは書いていない。「東京のガス灯」という限定を
施しているからな。
ただ、文脈からすると、川路がパリで瓦斯灯を初めて見て、太政官に献言して、
東京に瓦斯灯をつけたように読める。
しかし、川路が横浜を出港した明治5年9月に、横浜に瓦斯灯がともっている。
川路も工事中の瓦斯灯は見ているかもしれない。
>「ジュウドウじゃ」と、慎吾はいった。
>薩摩音は日本語にめずらしくラリルレロがL音に近い。
>リュウがジュウと聞こえるのである。
>「あ、従道でございますな」ということで、登録されてしまった。
R音のリュウドウ(隆道)をジュウドウ(従道)と聞き違えたという話であるが、
ラリルレロがL音に近いと、ジュウドウと聞こえるものだろうか?
ラリルレロがJ音に近くないとジュウドウ(従道)にならないような気がするが。
実験してみました。
Lyudouと発音したら、「るぅどう」と聞こえるという人が、
5人中5人でありました。
日本史の試験で、西郷従道と解答するところを西郷隆道と書けば、
アウトなんだろうな。
そら、教科書に書いてあるとおりに書かないとな
Vargas Llosaはリョサともジョサとも表記されるな
>>469 戦災にあわなかった古い街並みの小路の奥にある住宅と描写とか、
素晴らしいよな。
山下洋輔のエッセイで、「翔ぶが如く」に自分の曾祖父が出てくるというのを
読んだことがある。今回、再読にあたり、そこを読みのがすまいと思っていたら、
意外に早く、第3章の「鍛冶橋」に登場していた。
明治4年の御親兵の大隊長に川路利良が含まれていなかった。そのことを
西郷に質した山下房親が洋輔の曾祖父だ。
閑所という言葉が出てきますよね。便所のことなんですけど、原義は静かな場所・人のいない場所
らしいです。転じて御所言葉で便所を意味するようになった。
薩摩の郷士である川路が、閑所という言葉を使っていたとも思えないんですけど、閑所という言葉
は古い言葉で、明治初年にまで下れば庶民も一般的に「閑所」という言葉を使ったということでしょうか?
>>494 呼んだ? | ,
∩⊂⊃
⊂´⊃ (´・ω・`)/ , .|
| !⌒!!⌒!つ ,-=-
〔〕 ||,─、(⌒)─、 | |
∧ ∧.|||o (TAMA)(KIN) ||.|
( ゚∀゚ ||| / `ー ´ `ー- /へ
( つ/|||ゝ ∩∧_∧
> / へ゜> ヽ(´∀` )
レ´レ´ 非 ┌┴--っ )
// | [|≡(===◇
( ;><)ハ/Cハ ∧ ∧`(_)~丿
⊂ .)呂~/ . (*‘ω‘ *) |ノ
.) .丿 ⊂ i⊂つ
レ/レ. ( ) 港のヨーコ
. v v 横須賀 造船所〜♪
け?
第5章「征韓論」
西郷が新政府に推挙したという“紀州藩出身で才あまって詐欺漢に
なりかねまじい型の男”とは、津田出。
司馬さんは、他の作品では、津田出をずいぶん褒めておられたが、
ここでは名前を伏せて、くさしている。“西郷は頭をかかえこんで
自分の不明を恥じた”とまで書かれている。ご自分も、西郷と同様の
気持ちだったのだろうか?
東郷平八郎が箕作麒祥の英語塾で学んだとしているが、箕作秋坪の誤りである。
箕作秋坪は維新後、家を長子箕作奎吾にゆずり、学校教育者の養成を目指して、
英学塾「箕作塾三叉学舎」を開設した。その塾から東郷平八郎、原敬、平沼麒一郎らを輩出した。
燃えよ剣
土方の生き様に泣いた。
翔ぶが如くは男ばかり、しかも政治家と軍人ばかり登場するから、
千絵の存在はひきたつね。
それから6年後、美しくなった千絵に、植木職の十蔵が土下座する。
神々しいまでの美しさだったのだ。
511 :
無名草子さん:2011/04/26(火) 19:49:38.44
バカかGoogleは?
ノートブックが壊れてんだろうが。
ノートブックをクリックするとそのページに入れるんだから、
俺が本人だろうが。
アカウントがどうのこうの言っとる場合か?
はよ直せ。
>>511 ブラウザをGoogle Chromeに変更すれば、問題なく使えるよ。
513 :
無名草子さん:2011/05/02(月) 15:48:34.56
大夫殿坂の放尿プレイ
け?
>>512 ブラウザをGoogle Chromeにしても、まだおかしい。前セクションから次セクションに
移動するとき、前セクションに最後に書き込んだ文字が、次セクションに移動したと
同時に消滅する。保存をクリックしてから移動しても同様のエラーが生じた。
Google Chromeを使ってGoogle ノートブックをやると、
名村泰蔵がFusion guitaristのFILEにブックマークされていた。
いやーおどろいた。
名村泰蔵 なむら たいぞう
天保11年11月1日〜明治40年9月6日 (1840〜1907)
長崎生まれ。司法官。オランダ通詞名村八右衛門の養子となり、蘭、英、独、仏語を習得する。
慶応2年(1866)万国博覧会御用掛を命じられ、徳川昭武に随行し渡仏。
維新後は、長崎県上等通弁、仏学局助教などを経て、明治5年(1872)司法省に出仕。
同年、司法卿江藤新平に従い渡欧。各国の法律を調査し、法学者ボアソナードの招聘につとめた。
518 :
無名草子さん:2011/05/02(月) 20:05:32.07
BSの血風録が原作と違いすぎる
司馬が生きていたら東日本大震災をどう描くか興味がある。
征韓論政争に敗れた西郷が帰郷する前、大久保に別れを告げに訪れるシーン。
司馬作品の中でも屈指の名場面だな。
ドラマでの鹿賀丈史の名演もなつかしい。
「それは吉之助どん。おいの知ったこっか。いっでんこいじゃ。いまちゅう大事なときに
おまんさァ、逃げなさる。後始末はおいせなならん。もう、知ったこっか」
Google ノートブック 調子悪い。
あるセクションの最後の1行を消去すると、周辺のセクションの最後の1行(乃至その後半)まで
消去されてしまう。
05 征韓論
西郷隆盛の末弟小兵衛が東郷平八郎に素読を教えたとされているが、にわかに信じがたい。
西郷吉二郎が東郷に習字を教えたという話はあるが、小兵衛と東郷はともに弘化4年生まれで、
年齢が同じ。同級生に素読を教わるというのでは、東郷は相当に頭が悪いことになってしまう。
『西郷は黒のフロックコートに太い白い帯を締め、鬼丸造りの太刀を帯び、悠然と歩いていた。』
明治帝の鹿児島行幸に供奉した西郷の「鬼丸造りの太刀」というのが、よくわからない。
皇室御物である鬼丸国綱のことだろうか?しかし、これを西郷が所持しているはずがない。
岩剣城の戦いで戦死したとされる大山家の先祖大山綱解なる人物は、ネットではヒットしません。
わが国初の鉄砲を使った戦の犠牲者だそうで、大山巌が大砲に興味を持ったのも、この先祖の
影響だそうですが、巌の父は西郷家から大山家に養子に入った人物なので、綱解と巌には
血縁はありません。
「日本は雨が多くて山林の復元力が強いから、
日本では製鉄が盛んになって土地の開墾が進んだ。
朝鮮は乾燥してるから禿山だらけになった」
みたいなことよく書いてるけど、
歴史学的には実証されてるの?
それなら、東南アジアとかは日本以上に森林の復元力高いから、
製鉄も盛んになってないとおかしいと思うんだが。
まず鉄が取れないと製鉄は無理だよね
日本の中世時代は良質な鉄がたくさん取れたそうだけど、当時の東南アジア各国ではどうなのか
そもそも製鉄の技術が東南アジアに伝わっていたのかどうか
鉄器を必要とする時代になっていたのかどうか
他にも調べるべきことがたくさんあると思う
鉄器は昔から東南アジアでも使われているよん
土地の開墾と鉄器とを直結させたその論法に無理があると思う
わたしも翔ぶが如くを読んでいます。濃密解説の続きは今日はなしですか?
『翔ぶが如く』と『世に棲む日々』はタイトル逆にした方が良いと思うのは俺だけか?
『世に棲む日々』という静かな言葉は、下野して隠遁している西郷を彷彿とさせるし、
『翔ぶが如く』というダイナミックな表現は、松陰・高杉の生き様に似つかわしい。
実際、松陰が肥後(だったかな?)へ行く時の手紙に「こけつまろびつ飛ぶがごとく」という一節があるみたいだし。
何かを背負ってじっと耐え忍んでいる西郷の小説に、『翔ぶが如く』という言葉はあまりピンと来ないんだよな。
>>529 《まえがき》に、薩摩人の慣用句「泣こよっかひっ翔べ」が出てくるが、
小説の内容からは、翔んだ感じのするキャラクターがいないよな。
>泣こよっかひっ翔べ
明らかにそういう感じの小説をはじめは目指してたんだろうけど、
書けば書くほど変な方向に行っちゃったんだろうね
結局西郷がどういう人物として描いたらよかったか
それが見えなかったんだろうなあ…司馬自身
最後までわからないままだったんじゃないだろか
薩摩のことは薩摩人にしかわからないよ
司馬が書く前に海音寺師匠が書いて完結させるべきだったな
そうしてくれてれば司馬も飛ぶが如くなんて長編に力を注がずに、他の作品にかかれた筈
>>531 そうなんだよな。
膨大な資料を渉猟したはずの司馬をもってしても「よく分からない」という感じだし、それこそが実像なのかもしれない。
ちなみに、司馬が『翔ぶが如く』の中で、
「幕末の西郷は恐ろしいほどの切れ味を見せたが、明治になってからは稚拙なミスが目立った。なぜだろう、頭ぶつけたからかな?」てなことを書いてたけど、
「単純に、ブレーンが大久保から桐野に変わったからじゃないの?」
と毎回突っ込みながら読んだ。
でも『翔ぶが如く』読んで西郷に興味持ったので、海音寺潮五郎の『西郷隆盛』読んでみようと思う。
535 :
無名草子さん:2011/05/13(金) 07:48:36.70
高杉…雷電の如く
>>533 時間の前後関係がわかりにくい小説だな。「街道をゆく」で時間があちこちに飛ぶのは
慣れているんだけど、一度アウトラインを示した挿話を、他の箇所でより詳しく、あるいは
視点人物を変えて再び語る場面が多い。前回出たときに人物の名前を伏せていること
もあるから、同じ話をしていることにしばらく気づかないこともある。
よく「『竜馬がゆく』はフィクションとして書かれた。だから(龍)ではなく(竜)の字が使われた」という話を聞くけど、
それならなぜ『翔ぶが如く』等、他の小説に少しだけ登場する龍馬にも(竜)の字が使われてるんだろう?
他の作品もフィクションだから
539 :
537:2011/05/14(土) 09:51:27.66
この物語はフィクションにて候
大河ドラマも史実と思って見てる人がいるから困ったもんだ
>>541 流石にお江のアレを史実と勘違いする人がいたら心療内科に連れてくわ
NHKでやってるってだけでそう思いこむ人多いんだわ
だって歴史をきちんと知らないとホントかどうかなんてわからないしね
20代半ばにしか見えない江が本能寺の変ではまだ8歳なんだぞ
あれが8歳に見えたら入院させたほうがいいぞ
>>544 子役を使わないという方針を決めたときに忸怩たる思いはなかったのか。
>>519 >司馬が生きていたら東日本大震災をどう描くか興味がある。
なんとなく想像がつくw
冒頭でタクシーを走らせて、運転手が偶然「会津戦争の生き残り」の子孫で話を聞く。
明治から始まった官僚制と東電の体制を絡める。
日本全国を震撼せしめた、原発の警戒区域で「たれ」も居なくなった海岸に立って一言、
「こんなばかなことがあるか」
キモい
「過震」 死場量多労
>>546 震災跡の凄まじさに怯える須田画伯まで脳内再生された。
須田画伯の絵が下手糞な件
551 :
無名草子さん:2011/05/17(火) 12:00:59.33
553 :
無名草子さん:2011/05/17(火) 22:22:42.85
司馬死姦
司馬師姦
司馬昭説
翔ぶが如くは、同一作品内での小ネタの重複が多いよな。
なんか宮崎八郎のくだりが不自然に長かった記憶が。
左翼的な人権運動に無理矢理スポットを当てたかのような気がする。
実際、西南戦争始まると大した活躍も無く退場。
多分ああいう人物(と運動)が連載当時の流行りだったんだろう。
国民作家ともなると
読み手にこういうアホが混じるのも
しょうがないか
国民作家w
さらに宮崎八郎の名前が出てくるたびに、弟の宮崎滔天の名前が出てきて、
「またかよ〜」と思った。
左翼っていうか明らかに右翼の源流になっていくよね
西郷のもとに集って敗れ去ったいろんな反明治政府勢力って
司馬は維新政府成立後から明治10年頃までの権力世界の群像劇を書きたかったらしいよ。
当初は「英雄たちの神話」という表題で雑誌連載を始めた。
でも書き始めたら江藤新平の部分だけで2000枚を軽く越えてしまったので、
江藤の稿だけまとめ「歳月」にした。
それ以降の神風連や西郷と西南役の部分は「翔ぶが如く」にまとめたが、
最後まで「英雄たちの神話」という標題と構想は司馬の中で生き続けていたらしい。
「翔ぶが如く」あたりからちょっと冗長になってきたんじゃねーの
>>564 以前の余談はまとまりのある話をしていたが、翔ぶが如くでは本編と余談が
分量的に逆転するとともに、重複をいとわずダラダラと書くようになったな。
作者の史観を示すというより、調べたことは何でも書きとどめているという
印象を受ける。
566 :
無名草子さん:2011/05/26(木) 07:32:40.56
余談=枚数稼ぎ
史料べったりの評伝的小説なので、ときたまフィクションが語られると
みょうにくつろぐ。
忠臣蔵の前田善蔵の名前を使ったのは、千絵の仇討ち云々の話と明治6年の
「仇討禁止令」の話が出てくるからかね。
570 :
Da:2011/05/26(木) 21:26:26.19
突然すみません。
一つ急ぎでどうしても知りたいことがありますので、みなさんの力をお貸しください。
司馬遼太郎が大阪府布施警察署竣工時に寄稿した、警察官にまつわる詩かエッセイのようなものがあったと聞いたことがあるのですが、ご存じではないでしょうか。
ご存じの方がおられましたら、その内容を教えてください。
よろしくお願いします。
第13章 廟堂
明治5年6月の明治帝鹿児島行幸の話は、ここまでに4回ぐらい出てきた。
2回は西郷がらみで、もう2回は久光がらみで。
もういいぞ。
他の小説と同じネタが重複しているのはかまわないが、同一作品内の重複
(しかも二度や三度ではない)は疲れるな。
573 :
無名草子さん:2011/05/28(土) 13:41:44.78
「燃えよ剣」の陳舜臣のあとがきってかなり名文じゃね?
解説までキッチリ読み終えると充足して軽く放心状態になる
575 :
無名草子さん:2011/05/28(土) 15:41:35.85
>>573 関係ないが、ブルース・リーの『ENTER THE DORAGON』の邦題は、
当時人気だった『燃えよ剣』を参考にして、『燃えよドラゴン』になったそうだ。
576 :
無名草子さん:2011/05/28(土) 16:39:17.47
なるほど
へえ、ここ見てて初めて役に立った知識だ
TEST
私は中学生から高校生の間、、
父の書斎にあった司馬遼太郎の歴史小説をたくさん読んだ。
とても面白かった。
大学は史学科へ進み、さらに大学院まで進んで歴史を学んだが、
歴史に興味を持たせてくれたきっかけの一つは、
司馬さんのたくさんの歴史小説といえるかもしれない。
確かに司馬さんの歴史小説は面白い。
しかし、歴史を専門に学びはじめたら、
司馬さんの歴史小説にはかなりの間違いがあることを知った。
小説は小説。
まさかお前は司馬遼太郎の歴史小説を読んで歴史を知った気になっていたのか?
と言われれば、中学生・高校生の頃の私はそうでした、と恥ずかしい告白をしなければならない。
たとえば、数年前だっけ、『坂の上の雲』がNHKでTVドラマ化されたけど、
『あの坂の上の雲』にも酷い間違いがいくつかある。
歴史上の人物に対しても、酷い歪曲がある。
ロシアのニコライ2世は非常な親日家だったのに、
なぜ、司馬さんは彼をあんなふうに描写したのか。
面白い小説にするためか。
あるいは、いいかげんな史料を使ったためか。
(司馬さんがいいかげんな史料を使ってしまっていたと見られる作品は、何作もある)
司馬遼太郎の小説では、歴史上の人物が、
ステレオタイプの悪党や小物、馬鹿女、あるいはいい男として描かれている。
小説なんだからいいじゃないか。うん、まあ、そういうことだ。
小説にはニコライ二世の描写はほとんど出てこない
ドラマは見てないけど、歪曲されてるなら
それはドラマの脚色だ
司馬のが小説に過ぎないというのは
あらためて言うまでも無い話だが
いやいや司馬の小説は歴史家に大きな影響を与えてるんだよ。
個々の事実関係ではなく歴史の見方において。
その意味で小説に過ぎないというのは過小評価。
ま、その筆力によってフィクションを事実と誤認させられてしまうことも多いけど。
『坂の上の雲』におけるニコライ2世の評価はネガティブ。
これはちょっと不当な感じだが親日家ってのも無理がある。
どちらでもない、単なる帝国主義者ってのが実像ではないかね。
親日家なら日露戦争前、日本に対してもっと穏健な外交をしたであろう。
断言するけど、歴史家に影響は与えていない
>>579 自分の浅薄な歴史観を司馬のせいにするなよ
ニコライ二世が非常な親日家とかほんとに勉強したのかとw
ニコライにしてみれば日本で殺されそうになったからな
ロシアには無いモノが一杯ある日本という国が好きでも
そこに住む人は微妙でしょ
小説なのに歴史を婉曲とか間違いとか
本人たまらんだろうねw
ただ『坂の上の雲』については当人も事実重視で書いてると表明してるから
事実関係に突っ込みいれるのはいいと思う
よく問題になるのは乃木の扱いだね
小説では愚将だが当時としては常識的な作戦とか
司馬は合理性が大好きで、思想性が大嫌いだからな
乃木みたいなカリスマを胡散くさく書くのはわかる
けど坂の上の雲を書く前は乃木は軍神扱いだったんだから書くのには勇気いったと思うぞ
今なら創価や在日を小説で悪く書くようなもんだ
第17章 右大臣
岩倉具視の人となりを示すエピソードとして明治16年6月の岩倉死亡のシーンが出てくる。
ところがこのエピソード、第10章で出てきたばかり。今回新たに加わった話は、海外にいる
伊藤博文に遺言するつもりだった岩倉だが、伊藤の帰国が間に合わず、岩倉の遺言を
伊藤の代わりに井上馨が聞いたということのみ。それを補足するために同一エピソードを
繰り返したようにすら思える。
589 :
無名草子さん:2011/05/31(火) 17:50:17.48
間違えて、悔しいのかww?
江戸の仇を長崎でとったかw?
Wikiみたいですまんかったww
無教養なやつとは永久に距離を縮めることはできんのよ。
無教養が教養を身につける以外にwww
山口県というのは日本では朝鮮の血液的影響を
もっとも多く受けたものの一つですから、
それももう古代じゃなくて、ごく近代にいたるまで
受けつづけてきたところですから。
そういうことがあって、長州的思考法というのは
ぼくなんかは朝鮮人的なタイプだと思うんです。
司馬遼太郎
で?
司馬は親韓だが注意深く読むと朝鮮批判はかなりの量に及ぶ
曰く汚職体制
曰く差別好き
司馬の朝鮮関係の発言まとめたら面白いね
アジア的停滞ってやつだな
日本はその例外で良かったねっていう史観だもんね
とにかく『翔ぶが如く』は7巻まで頑張れ
7巻の「鹿児島異人館」以降は俺的には『坂の上の雲』を凌駕している
|
\ __ /
_ (m) _ピコーン
|ミ|
/ .`´ \ _________
∧_∧ /俺の名前で本を出しても誰も読まない。
(・∀・∩< そうか、司馬史観を叩けばいいんだ
(つ 丿 \_________
⊂_ ノ
(_)
ご本人が亡くなっているので反撃も受けないから、まさにやりたい放題
生存中に批判したものが、“批判”というんだよな。
現在さかんにやられている司馬史観批判は、法事で仏の悪口を言っているだけ。
それでも「史観」を批判しているものは、まだ国語として正しい。
誤植の類を「司馬史観はおかしい」と言っている連中は、まず国語からやり直した
ほうがいい。
象にたかる蟻みたいなもの
存在が巨大になると、そのおこぼれだけでも
飯が食えちゃうからね
司馬史観も誰かが勝手に言い出したものだぞ
誰が言い出したかは考証の余地があるね
編集者とかが宣伝文句として考え出したんじゃなかったっけ
それが逆に批判的に使われるようになったような
司馬先生ほどの大家になれば毀誉褒貶はあるよね〓
毀誉褒貶というかある種無視されてたかも
松本清張のほうがむしろインテリ好みというか
読者としてではなく批評の対象としてね
清張の本は研究の対象にならん
>>587 乃木批判という程ではないけれど、芥川龍之介は「将軍」の中で世間の風潮に逆らうように乃木を揶揄的に描いている。
既に殉死から10年の歳月を経て軍神としての評価が確固としていた時代でも、乃木を批判的に見る人はいた。
何も司馬が先鞭をつけた訳じゃない。
司馬作品では『草原の記』がお気に入り
ツェべクマさんLOVE☆
>>525 にちゃんねるにありがちだが、低学歴が、無茶な突っ込みいれて
バカをさらす典型だな。
燃料資源のマルサス的限界が、朝鮮半島で起きた、黄河流域で起きた
っていうのは、史学的にきわめて当たり前の話。
ジャレドダイヤモンドの文明崩壊ぐらいよめよ低学歴。
東南アジアは、人口密度的にマルサス的限界にならなかっただけ
人口増加は鉄器で決まるわけじゃない。お前の説はそもそも理論の体を成してないんだよ。
ちなみに、司馬の理論が正しいといってるわけじゃない。司馬の議論は仮説としては完結してるが
お前の珍論は、そもそも立論からして変だという話ね。
|
\ __ /
_ (m) _ピコーン
|ミ|
/ .`´ \ _________
∧_∧ /司馬史観批判に反論できない
(・∀・∩< そうか、批判者を叩けばいいんだ
(つ 丿 \_________
⊂_ ノ
(_)
>>611 で、その「ジャレたダイヤモンドユカイの精神崩壊」とかいう説が、100年後も定説である保証はどこにあるんだ?
てす
>>614 なんでそんな証拠を提出しないといけないのか。
あと、ジャレド・ダイヤモンドのはるか以前から、黄河流域と朝鮮半島北部での燃料枯渇は史学的定説だよ
お前は、あまりにもバカすぎて、どうしようもないね。
昔のネット民って、活字中毒みたいなやつが、読む本無くなってネットのログ読んでたのに
今のにちゃんねらーって、にちゃんねるしか知らないバカの集まりだからなあ
司馬は関西人で、小説の舞台も
関西が多いのになぜ東京弁に
なるのだろうか?
鎌倉幕府いらい
坂東の武者どもが日本各地に散ったので
登場人物は東京弁なのだろうか?
このような疑問を持った人物は
歴史上、後にも先にもいない
といっていい。
いみふ
関西人が主役の小説って少ないんじゃない
英雄はそれぞれのお国の方言で語れってことでしょ
だれかさんの作品みたいに
疑問を持った作家はいたわけだが
ガチ方言で会話されても、読んでる方はストレスだ
多少の公家言葉や長州弁や薩摩弁は出てくるんだからいいだろう
>>616 >なんでそんな証拠を提出しないといけないのか。
なんだ、他人の立てた学説をひけらかしてるだけか。
結局お前は、自身の体系立った思想なんか何もないただの「本読み君」なんだよ。
「誰がこう書いてた」「あの本にはこう書かれている」「こんな学説も知らないのか」etc
偉い学者先生が新説を発表すれば、それに飛び付いてるだけ。知識でもない、単なる情報収集。
情報量の多寡だけで人を評価し、見下している空っぽ人間。
でも、安心しろ。
お前のような「情報と知識をはき違えた、知性のないバカ」って2ちゃんには多いからw
け?
>>622 低学歴特有の珍説開陳www
何にも知らないクズの無知が、論破されて
受け売りがどうのこうのと顔を真っ赤にしながら発狂。
議論のための議論はアホのすること
626 :
無名草子さん:2011/06/10(金) 20:46:08.92
司馬痴漢
>>624 論破って、勘弁してくれよw
まさか俺が
>>525だと思ってるのか?何の関係もないっつーの。文体で分かれよタコ。
だから、お前は頭が悪いって言うのw
もう一度言ってやるよ。お前のは「知識」ではなくただの「情報」。知性のかけらもないアホ。
自分より情報の少ない人間を見下して、悦に入ってる低能。
これからは何か書き込むときはコテハン使えよ。皆、お前のスキルの高い御説を期待してるだろうから。
それくらい出来るよな、高学歴なんだからw
628 :
無名草子さん:2011/06/11(土) 04:00:57.11
>>627 歴史上の定説が云々という話をしてる時に、「知識が-情報が-」と低学歴丸出しの珍論を振りかざして
何かを言った気になってるお前が低能だといってるわけだがww
にちゃんねるでしか通用しない珍論を振りかざして悦に入ってるゴミクズ低学歴。
司馬が小説上で言ってることが歴史上の定説からずれてないっていう話をしてるのに
「それはおまえの説じゃないだろ」って批判してるお前がどれだけ馬鹿だかよく考えてみろ。
釣りにしても馬鹿すぎるだろ
ただ自分は
>>525の仮説は面白いと思ったんだけどな
不足した燃料を求めて民族の大移動が起こってもおかしくないし
司馬自身、朝鮮の森林の枯渇を背景に朝鮮から鉄の民が日本へ
移住したとみなしてたんじゃなかったかな
あれだけ罵倒しといて面白いって・・・
632 :
630:2011/06/11(土) 10:50:30.92
別人です
土木山林関係の仕事してるけど、
>>525の山林の復元力が強いっていうのは合ってるよ
日本は粘土質だから水が土壌に染み込みやすい
大陸は砂地が多いから雨が振ると地表に水が浮いてきて禿山化・砂漠化しやすい
東南アジアは一括りにはできないけど、全体的に養分の少ない赤土地帯が多いとか
あとは人口の問題で製鉄産業が起こりにくかったのかもね
製鉄に必要なマキは一箇所のサイクルの速さが重要だろうから
その点では日本の肥えてる土がいいのかもしれん
634 :
無名草子さん:2011/06/11(土) 20:47:19.34
なんか必要条件と十分条件の区別すらつかないバカが多いなあ
森林資源は、前近代製鉄業の必要条件であっても十分条件ではないということを言ってるだけなんだが
こんな簡単なことすら理解できないらしい。
こんなにキリッが似合うレスも珍しい
人間なんて自分の見たいものしか見ない、聞きたいことしか聞かないものさ
司馬は鉄器の普及を重視しているね
鉄器の農具は土にざくっとはいる。木製農具より深く耕せ沢山の作物が取れる。
それによって人間の欲望が刺激され競争社会へと変貌していく・・・みたいな。
それが日本とアジアの違いを生んだ要因のひとつとか。
第25章 薩南の天
湯田にいた西郷を鹿児島へ呼び出すために使者に立った「島津久光の次子」というのは
誰のことだろう?「島津忠経」と書かれているが、その名で検索してもヒットしない。
玉里島津家を継いだ人物のような書き方がなされているが、玉里島津家第二代当主である
島津忠済は久光の七男である。
明治7年当時、島津忠済は19歳であるから、この状況で登場しても不自然ではないが、
どうして忠経なんだろう?
そういえば跳ぶが如くでは西郷がコテコテの
薩摩弁で分かりにくかったな。
641 :
無名草子さん:2011/06/15(水) 09:22:10.43
子母澤寛のスレも欲しいっす
第27章 私学校
吉野開墾社の監督者の名として、永山盛武、平野正介、児実実直の三人が挙げられている。
永山盛武とは、永山弥一郎の弟休二のこと。
児実実直は誤植。児玉実直のこと。
第27章 私学校
ここにも島津忠経が登場する。
>>638以後の調査により、忠経は忠済とは別人であることが判明した。
横山正太郎(安武)が忠経の学問係であったと司馬は書いている。
645 :
無名草子さん:2011/06/18(土) 11:20:35.29
「〜。」とは言わない
ってどの作品で出てきますか?
実際に目にしたような気はするのですが、どの作品だったか思い出せません
祖先のやってきた行為を
子孫が賠償せねばならないという事はまったくない
みたいな文章をどこかで見たと思うんですが
どこだったかわかる方おしえてください
小説では無かったと思います
647 :
無名草子さん:2011/06/21(火) 22:56:54.22
びびんちょ
春日潜庵について調べていたら、面白い記事があった。
スユニ?テ
(1811-1878) ヒ?ヲフタシ」ス魘?ホシヤ。」オナヤオライ豐ネ、ホソテ。」ヘロフタウリ、ョハキ、ニケヒヒロチ」
ーツタッ、ホツ郢ヒマ「コツ。」ーンソキク蝪「ニ猥ノクゥテホサ」テヨタテー荵ニ。ラ、ハ、ノ。」
ソヘタクム?ャ。ハ、リ、ュ、ネ、ヲ。ヒー?ト、ホサ「、遙「ホゥサヨ、ウ、?ハ、遙」
ソヘタク、ホ・ケ・ソ。シ・ネサ、ヒ。「、゙、コサヨ、ゥ、ニ、隍ネ、、、ヲ、ホ、ヌ、「、?」 、ス、?ヒ、隍テ、ニセュヘ隍ホハク、ナ、
ア、ャ、ヌ、ュ、?ヌ、「、タヲ。」 スユニ?テ、マニサヘ、ュ、?皃ニソヘウハ、ネウリフ荀ホエータョ、マ、ォ、??メウリ、リ、タ、ホ、チ。
「テホシア、ネケヤニー、ホー?ラ、筅ッヘロフタウリ、ヒナセ、ク、ソ。」。ハ。リハコニメマソ。ル、隍遙ヒ 。ハ」ア」ク」ア」ア。チ」キ」ク。。ケセクヘ。ヲフタシ」サツ螟ホシヤ。ヒ
http://www.geocities.jp/nakamura438kaoru/jyouhou/kasugasennann.html
なんなのこの粘着
粘着の意味を辞書で調べてから出直せ。トウジンクソ。
なんなのこのオナニー書き込み
三邦丸も坂本竜馬に関係があるだろう。イカルス号事件の談判の過程で竜馬が土佐へ
帰る場面がある。そのときに竜馬が乗った汽船が三邦丸だよ。
659 :
無名草子さん:2011/06/30(木) 01:21:07.41
>>622 にちゃんねる以外ではまずお目にかかれない珍論だな。
「翔ぶが如く」の神風連のところを読んでいると、イスラム原理主義者のことが
少しわかったような気がする。
司馬作品のすごいところは、それぞれ時代も違えば為した事も違うし、人物説明も違うのに、
読了してからの印象がどの時代のどの人物を描いた作品でもまったく同じところにあることだ。
すなわち「豪快なバカ男はすごい」、この一言だ。
これがすなわち司馬史観なるものの中心であり、
確かに面白いのだが「結局それかよ!」と思ってしまうのも事実だ。
ワンパターンといえばワンパターンなんだな。
それはそうとして、最近気づいたんですが、裸を愛する男というのがいる。
自分も周囲の人間もとにかく裸に近ければ近いほど嬉しいという男は結構いる。
エロイ気持ちとかあったりなかったりするが、とにかく裸が大好きという男。
そしてなんぞしらんがそういう男はたいてい上昇志向が強く、自他のチンコの大きさを気にする。
この「裸チンコ感覚」というものが、男(特におっさん)受けには必要なのではないかと近頃とみに思う。
小池一夫だってゴルゴ13だって島耕作だって最終的にはこのチンコ感覚で描かれている。
司馬遼太郎が過大評価なんじゃないかってぐらい(男、特におっさんに)読み継がれ、
(男、特におっさんに)崇められているのも根底に揺るぎなきチンコ感覚があるからではなかろうか?
女性作家が基本的に男を描けないのは、この裸チンコ感覚を理解していないからだと思う。
実際、創作物でこの裸チンコ感覚を有した女性作品をおれは見たことがない。
逆に言えば男には女の感覚が根本のところで理解できず、
だから男作家は基本的に女が描けないんだろう。
司馬遼太郎なんてまさにそうだ。女が全然描けない。
というか、司馬遼太郎、女が嫌いなんじゃないかと思う。奥さんは大事にしてたようだが。
司馬遼太郎の小説、ホモソーシャルの典型だもんな。
まあそれにしても司馬遼太郎のふかしはすごい。
ホラをつきとおすこと。それが小説家の花道だが、
司馬遼太郎はホラをつきつづけてついに司馬史観などという言葉で呼ばれるようにまでなったんだから、
ホラはホラでも一流のホラふきというべき。
2ちゃんねるに貼る時点で自分の分際を分かってるんだろう
松本龍大臣の暴言。九州人だからとか言ってたが街道をゆくとか対談で語ってた九州人評に当てはまるとおもう。
「ある運命について」の山姥の家という一篇が印象深かった。
これは実在の一奇女を描いて、司馬さんの歴史観察を濃縮したような作品になっていたよ。
>>664 禿同
ヤマンバのダイバちゃんの前半生に、原始採集生活、農耕の始まり、商品経済の興隆を
重ね合わせているところなどは面白かった。
後半は、息子のユキクンを母親にべったりの私物にしようとしているダイバちゃんが描かれ
ていた。戦後日本のダメなところを集約しているようで興味深かったな。
>>666 おまいの言っている関定暉は、陸地測量部の初代地形課長の関定暉だろう。
「翔ぶが如く」に登場するのは陸軍中尉の関定暉。別人だよ。
改めて調べてみました。
>>667さんのおっしゃるとおりのようです。失礼いたしました。
第36章 帰国
大久保利通の北京談判は、英国の駐北京公使ウェードの尽力により成功する。
談判終了後ウェードは本国の外務大臣に談判の経緯を報告する。
その外務大臣は「グービー外務大臣」とあるが、見つけられなかった。
明治7年当時の英国の外務大臣は、ロバート・ガスコイン=セシルである。
もしかすると、セシルの前任者がダービー卿エドワード・スタンレーなので、
英語の原書に書かれていた「ダービー」を「グービー」と読み間違えられたのかもしれない。
第38章 肥後荒尾村
小岱山を居城にしていた小岱八郎行平と書かれておられる。
間違いやすいところであるが、小岱行平ではなく、小代行平が正しい。
第38章 肥後荒尾村
熊本県令安岡良亮の紹介をするのに、安岡嘉助ほか土佐藩出身の四名の安岡姓
の尊攘志士を紹介している。それも、彼ら四名は安芸郡出身で、幡多郡中村出身の
安岡良亮と血縁関係にないということを書くためにだ。
思うに、土佐の安岡ということで、もしかして彼ら四名のうちの誰かと血縁にあるのでは
ないか一応調べてみたんだろうな。
このように調べたことを漏らさず書いてしまうのが、この時期以降の司馬さんの特徴。
もういいです
まだ半分残っています。
質問させてください。
「夏草の賦」の意味って
夏草=生い茂って枯れてしまう主人公そのものを表してるのでしょうか?
それとも小雪が歌った歌(歌としての紹介は無い方)を指してるのでしょうか。
芭蕉の句の「夏草や兵どもが夢の跡」からの連想じゃないかな
珍しく、作中で、あかされていないんだ。
第40章 明治八年・東京
序盤の1〜3章あたりに登場していた沼間守一が再登場する。
元老院の書記官であった中江兆民の同僚の名前と略歴が列挙されている中に
出てくるのであるが、実にあっさりした再登場のしかただ。
山川健次郎が明治8年の東京の様子を語った談話が掲載されている書物を、
司馬さんは、河野桐谷編著「江戸は過ぎゆく」としているが、検索すると
「史談 江戸は過ぎる」という書名だった。
679 :
無名草子さん:2011/07/15(金) 07:34:36.71
司馬さんのは小説とはいえ、
「花神」の益次郎暗殺の黒幕=海江田を思わせる描写は妙に信憑性があるな。
大村の遭難後、大久保利通がまさか貴殿の教唆に発するものではあるまいなと書面で質してきたのにたいし、大村が在京していたことさえ知らなかったと、きっぱりと関与を否定していることを証拠として挙げているが、これは証拠にならないと思う。
第一、居場所をしらないことと暗殺を教唆したかどうかは関係がない。
教唆者は「殺せ」というだけですむ。
暗殺のターゲットを捜し出すのは直接の実行者の仕事なわけだから。
そもそも、「お前がやったのか」ときかれて、「そのとおり」などと答える犯人なんてそうそういないだろう。
680 :
無名草子さん:2011/07/15(金) 07:39:26.69
>>679が見にくくてスマソ。
司馬さんのは小説とはいえ、
「花神」の益次郎暗殺の黒幕=海江田を思わせる描写は妙に信憑性があるな。
海江田の子孫による書籍では、
大村の遭難後、大久保利通がまさか貴殿の教唆に発するものではあるまいなと書面で質してきたのにたいし、
「大村が在京していたことさえ知らなかった」ときっぱりと関与を否定していることを証拠として挙げているが、
これは絶対的な証拠にはならないと思う。
第一、居場所をしらないことと暗殺を教唆したかどうかは関係がない。
教唆者は「殺せ」というだけですむし、
暗殺のターゲットを捜し出すのは直接の実行者の仕事なわけだから。
そもそも「お前がやったのか」ときかれて、
「そのとおり」などと答える犯人なんてそうそういないだろう。
>>679 司馬遼太郎氏は「蔵六殺しの嫌疑をぬぐうために、晩年、みずから口演して『維新前夜・実録史伝』
というものを人に書かせその死後出版させた」(『花神』)と書いておられるが、海江田としては
「吾人先つ自ら隗より始め、併せて同感諸士も亦同く此挙に出んことを冀望」し、多くの実歴談が完成されれば、
複雑だった明治維新の歴史もかなり完全な史料として残されることになると考えたのである。
また、海江田の実歴史伝は、さきにふれたように明治二十五年十月にはすべて出版され、
海江田の死は、出版から十四年後のことなのである。
↑東郷尚武著「海江田信義の幕末維新」(文春新書)の書評
後世の第三者である自分らには真相はよくわからないが、自分らにとっては、中丸忠雄や佐野史郎の
海江田信義が強く刻印されていることは確かだ。
682 :
674:2011/07/15(金) 19:48:17.28
>>675 しっくりきました。ありがとうございます。
夏だし熱い歴史モノを読みたくなったんですが、おすすめを教えて頂けませんか。
国盗り、新史太閤記、関ヶ原、城塞、竜馬がゆく、燃えよ剣、梟の城は読みましたが、
その次に何を読もうか迷ってしまって…
熱いものなら司馬遼太郎じゃなくてもありがたいです。
>>683 ・功名が辻
・坂の上の雲
あたりがお薦めかな。熱いかどうかはわからんが
>>683 まだ風神の門を読んでないな、面白い忍者小説だぜ
他に、尻喰らえ孫市、夏草の賦もお勧め
他の作家も読みたいなら、隆慶一郎がお勧め
一夢庵風流記、影武者徳川家康、吉原御免状など、熱くて格好良くて面白い話ばかり
司馬の余談が本筋より好きなら
海音寺オススメ
武将列伝、悪人列伝は面白いよ
海音寺のは頭悪っぽくてしんどい
688 :
無名草子さん:2011/07/18(月) 11:04:40.35
「世に棲む日日」オススメ
>>683 『島津奔る』は熱いぞ
薩摩の「鬼島津」こと島津義弘の大退却戦
司馬作品からのパクリ疑惑もあったから、『関ヶ原』読んでるなら類似箇所探してみるのもいいかもw
純粋に小説としても面白いぞ
>>687 伝説の対談
司馬 「なぜ信長の鉄砲隊は、岐阜から長篠まで一週間もかかったのでしょうか?」
海音寺「梅雨だったから」
司馬秒殺KO
海音寺も読まずに
司馬を語るのは少し恥ずかしいだろうな
693 :
無名草子さん:2011/07/18(月) 20:31:50.11
せやろか?
694 :
無名草子さん:2011/07/18(月) 22:48:38.87
中公版血風録の表紙カバーの中央の写真は誰?
戦国の島津氏は、鎌倉の武士の習慣をよく遺し、奨励もしていた。陣貝のひびきを
きくと、野良で百姓仕事をしている武士が、田のあぜに立ててある槍と具足をかつぎ、
自宅には戻らずそのまま駆け出すのが作法とされていた。
関ヶ原の前夜なども、上方に動乱ありときいた島津氏の武士たちは、たいていは
聞いたその場所から駆け出し、一騎ずつ九州の山野を駆け、山陽道をかけのぼって
大坂に入ったとされている。
「大坂までの旅費は、どうしたのでしょうか?旅費も田のあぜに置いていたのですか?
旅費は自宅に取りに戻ったのではないでしょうか?」
「筆者はあくまで伝承を書き写しているのでして」
「鹿児島から大坂まで飲まず食わずの野宿の旅ですか?」
「そのような伝承は残っていないようですな」
696 :
無名草子さん:2011/07/19(火) 13:42:04.14
思えば海音寺潮五郎スレはないよね
ちょっと古い作家だし、司馬や吉川ほど売れなかったからかな
武将列伝、悪人列伝あたりは誰が読んでも面白いけど、他にこれといって特筆するような作品がry
つ西郷隆盛
未完の大長編のアレか
あれは翔ぶが如くを読破するよりもキツい
701 :
無名草子さん:2011/07/21(木) 11:24:41.71
つ 慶喜公伝
>>683です。返事が遅くなって申し訳ありませんが、
皆さんおすすめありがとうございました。
『島津奔る』は読んだことあったのですが、詳細な記述の類似に気づかなくても
全体的にかなり『関ヶ原』に似ている印象を受けますねw
山内一豊はあまり好きではないので『功名が辻』は後回し、
まずは『夏草の賦』、『坂の上の雲』、『世に棲む日日』、隆慶一郎『影武者徳川家康』あたりを
読んでいこうと思います。
島津奔る
義弘の異様なほどの神格化に
気持ち悪くなって投げたわ
>>703 3行目が「虫酸走る」だったら綺麗にきまったのに
ここで小ネタ
かつて江田三郎が社会党を離党して社市連(社民連の前身)を作るときに
司馬遼太郎に「息子ほどに年の離れた連中と組んだら良いんじゃないか」とアドバイスされ
管直人たちのグループと組んで新党を立ち上げたという
つまり今の内閣があるのは司馬さんのおかげというか、せいというか・・・
いま坂の上の雲の第4巻を読んでいますが、乃木と伊地知がいかに使えない奴だったかって話がずっと続いて正直読むのしんどくなってますが、
こんな話がどこまで続きますかね。
最後まで
てか坂の上の雲は乃木が武神として崇められてたという予備知識がないと面白くないかもね
でもま、今や乃木希典なんて坂の上の雲を読む人しか知らないほど過去の人になっちゃったな
常識ではないのは確かだな
そうなんですか?
僕はまだ未成年ですけど、生きてきて三回は
乃木希典の英雄視されていた話と(司馬に影響された)愚将ぶりの話と殉死の話のセットを
他人から聞いたことがありますよ。
現在も、知っている人はそこまで少なくないと思うのですが。
読書をする習慣があれば、小中学生の子供でも名前くらいは知っているだろう
そうでなければ、乃木なんて一生知らずに人生を終えるのが普通
夏目漱石は「こころ」で乃木希典の殉死を取り上げている。
森鴎外も乃木の殉死後数日で書き上げた「興津弥五右衛門の遺書」を発表している。
その他乃木の殉死を取り上げた小説は枚挙に暇がない。
おまいら、少しは文学に親しめ。
早朝からパチ屋の前に並んでるようなおっさんに聞いてみろよ
乃木希典という歴史上の人物の名前を知っていますか?と
「こころ」は作品としては失敗作。
「興津弥五右衛門の遺書」は芸術的にもすぐれた小説だ。
第45章 幻影
三浦梧楼と前原一誠が両国中村楼で喧嘩した話は、「明治3年」の鹿児島行幸に
三浦梧楼が供奉して帰京した後のこととされている。
この小説の中で鹿児島行幸については何度も触れられているが、それは明治5年
6月のことである。
ところで、前原一誠は明治5年当時は萩に帰っており、両国で三浦梧楼と喧嘩をする
ことはできない。
明治帝はご苦労にも三浦と前原に喧嘩をさせるために、二度も鹿児島行幸をされた
ことになっている。
中村楼の喧嘩というのは、第4章「情念」で書いた薩摩士族の喧嘩の二番煎じだろうな。
喧嘩の人数も4人とスケール・ダウンしている。
>>717 それを語った当時の観樹将軍は80歳に近い。
内容も山県有朋憎しで貫かれている。
記憶も曖昧だろうし、作為的な話もある。
小楠の友人の勝海舟は、小楠を回顧して語っている。小楠はかつて勝にアメリカの政体は
どういうものか、と質問した。勝は州や合衆国の選挙を説明すると、小楠は即座に、
「それは、堯舜の世ですな」
といって、勝をおどろかした。
「僕は、べつに驚かないですけど」
「勝は小楠のさとりの早さについて語るとき、つねにこの挿話を例にひいたんですよ」
「選挙と堯舜の世は関係ないと思いますけど」
第47章 神風連
前原一誠が明治8年7月に上京した際、木挽町の宿所で神風連の富永守国および
阿部景器に会ったことになっているが誤りである(第44章 密偵)。
本章で前原は萩で前記二名に会っている。こちらが正しい。
熊本洋学校の教師リロイ・ジェーンズは「ラグビー中学」の人格教育を参考にしたと
司馬はいうのだが、ふつうラグビー高校というよな。イギリスにも旧制中学があったのか?
自分の死期がちかいことを知った林桜園は「新開村の神社へゆき、社家屋敷で起居」
したとあるが、太田黒伴雄が神主をしていた新開大神宮のことであろうか?
数ページ後に、新開大神宮の紹介がなされているが、そこでは当該神宮は「内田村」
にあるとされる。現在の地名である熊本市内田町ではなく「内田村」とされていること
からすると、別の神社なのであろうか?
大野鉄兵衛時代の太田黒伴雄の仲間として紹介されている松村大成(兄)と
永鳥三平(弟)は兄弟である。
千絵はどうしたんだろうな。まったく出てこなくなった。明治9年の文明開化の数々を
紹介するあたりは、登場人物の視点で描いた方が間近に感じられるよね。
暇そうな千絵を使えばよかったのに。なんだか年表の羅列のようだった。
>>726 序盤は川路が列車で我慢できずにウンコするとか
千絵を出してきたりとか
ところどころで小説にしようという意思は感じられるけど
結局だらだらと取材結果を書き流したような作品になってしまってるな
西南戦争が始まる頃には、西郷、桐野、篠原がまったく魅力のない人物になっている
ところがつらいな。当初は村田新八を主人公にするつもりだったらしいが、帰国時期が
征韓論による西郷下野後なのと、こいつも西南戦争が始まってからこれといった活躍が
ないから脇役に。野村忍介の登場場面を増やして薩軍首脳に対する批判者にするものの、
時すでに遅し。
>>727 全体の構成は堅牢だよね。そこで読ませているんだと思う。
俺は宮崎八郎の使い方が巧いと思った。彼は征台の役にも出征しているし、
もちろん西南戦争にも従軍している。評論新聞と関わりを持たせて自由民権運動や
地方官会議は宮崎視点で書かれていた。
また、西南戦争の戦場が肥後なので、肥後出身の八郎の話の延長で肥後について
書くあたりも巧いと思った。肥後の五党派は当時の日本の政治状況の縮図のようで
わかりやすかったしね。
集合場所は一党の長老のひとりである愛敬正元の屋敷だった。屋敷は藤崎八幡宮の
裏にあり、熊本鎮台のある熊本城に接していた。
十月二十四日の夜がふけて人通りがまれになったころ、ひとびとは甲冑を背負ったり、
槍をかついだり、あるいは大小のままの姿で、愛敬の屋敷にあつまってきた。
司馬「これだけの人数が一軒の家に集まってくるという異常な事態を、隣接する熊本鎮台では
気づかなかったんでしょうか?」
愛敬「わたくしは藤崎八幡宮の神官ですから、氏子の集まりはしばしばございます。誰も
怪しまないです」
http://www.shinpuren.com/shinpuren-denki.htm
/ 三 o _____
/三ハ ゚ O/ ⌒ ⌒\
// / o( ●) ( ●)>o
( < /二二二) ⌒ (__人__)⌒)二二二)
( 三 \\ // 川川 /:::::::/ | 川川
\三 \\ // /:::::::イ |
\\ ) (_ (:::::::::| | 「竜馬がゆく」は、面白いですか?
ヽ_二二二 二二二 ヽ |)):::ハ |二 ヽ
人 ヽノ \ |イ⌒ti / \\
川川 // \ \. .\ 三 \r--'~フノ ヽ 三\
(二二二/ > ) . .\_ 三_  ̄ ̄ノ\ \ 三_)
// \ |\_  ̄'ブ > ).
ミ/ | _|__ ゙''''゙゙゙ //
ミ/ \__ \ ミ/
/ / / ミ/
// /
/(  ̄)
/ / ̄ ̄
| /
レ
玉砕という言葉が日本で多用される契機は西郷隆盛による
幾歴辛酸志始堅
丈夫玉砕恥甎全
という偶成詩から来ているらしいが、西郷の造り上げた日本陸軍が
この言葉を多用して数十年後に砕け散ってしまったのは皮肉である。
736 :
無名草子さん:2011/07/28(木) 10:30:47.73
坂の上の雲は、第5巻に入りました。
最初の頃の秋山兄弟が立身出世していく様子や
正岡子規が元気だったころは読んでいても
楽しかったのですが、日露戦争に入って
読むペースが遅くなっています。
>>735 玉砕の文字を見るとキンタマが痛くなる。
>>736 初読のときは退屈だったロジェストウェンスキー航海が、二読めのときは楽しかった。
バルチック艦隊の寄港地をネットの画像・動画で確認しながら読みすすめると、
世界一周航海をしているような楽しさがある。
「たとえば多羅尾少尉補がかきあつめた兵たちも、多羅尾の命をきかずに逃げた」
多羅尾進少尉補
与倉知実連隊長が馬丁に変装して熊本城に入場した際、逃げまどう兵をかき集めて
いた滝川大尉とは、滝川忠教大尉のこと。
西南戦争当時は、第3大隊第2中隊長。
歩兵営襲撃時の週番士官の名が福原豊助大尉となっているが福原豊功(とよのり)大尉の
誤り。
>>738 小川又次は日露戦争当時第四師団長なんで「坂の上の雲」にも出てなかったかな。
,.-――――‐ 、
/ ,.-――┴- 、
/ | /: : l、: : : ;l: : : : :\ _ -, -──‐-、
. / :! ./: : :、: :!_\;/ _V\ : |`、 / /: : : : : : : : : \.
〈 ___V: : : :|∧| __`|∨ ./ ' ___: : : : : : : : : ヽ
` ̄丁 |: |:l :| __ 〃⌒V| / /:::::::::::::, '´ ゙̄ヽ: : : : : '.
ヽ|: NV:!〃⌒__ //}| '´ |::::::::::::::{:::::::::::::::}: : : : : :| 「国盗り物語」は面白いですか?
/: :{_|: :|//f´ r‐'了 |:::::::::::::: 、::::::::::ノ: : : : : :|
_/: :/:/ : ト .丶___|::::::| ∨:::::::: '´ ̄: : : : : : : :/
__,/: :_;/: /,.イ⌒ヽ!ヽ:ヘ_::::\__ \'´ : : : : : : : : : : /
|: : : : :/__/: ;.イ:/ ,リ V _ノ´::! ̄::> ¨''¬ー- 、 _____, '´
/: : | ̄ 「: :__∧fニyイ|:〉 Vにう: 〉
. \/ _,|: :|_〉:(/:/ ,Vト-' :|
\/―ヘ《O\___/O〉 ̄
>、O_O,.イ
(/  ̄ ̄|_ノ
前原一誠の逃走コースとして挙げられている石見都野浦が、どうしても見当たりません。
島根県令の佐藤信寛が、前原一誠の捕縛にかかわっている。
言うまでもないが、岸信介・佐藤栄作はその曾孫。
思案橋事件に参加の中根米七は、剣術大師流の指南役であったと書かれているが、
この大師流剣術というのがヒットしない。
書道の大師流(弘法大師)しかヒットせんぞ。
第50章 衝撃
秋月の乱、萩の乱、思案橋事件に続いて、三重県の農民一揆について書かれている。
一般には伊勢暴動といわれる。暴動の中心地安濃郡雲津郷は、現在では津市に編入
され、津市雲出町になっている。
∧_∧ 三=
☆ ( ・∀・ )三= 裏切り者が秋月の乱をネタに
∧ 〃 ノ つ ノつ 三= イベントやるな!
∩(`Д´((⊂ _ _⊂) 三=
\ ⊂ \
ヽ豊津 つ ガッ! >>
(ノ⌒´ >>
秋月の乱は日本史教科書に載っているメジャーなタームである。
豊津(現在はみやこ町に編入)といっても、他地方の人は「どこ、それ?」だから、
秋月の乱を冠にしたイベントをやりたい気持ちはわかる。
ただな、戦勝者の側が敗者の名を冠にしてイベントをやるというのは、異様だな。
九州はテゲテゲだからな。
司馬作品に辻将曹って出てきたっけ?
司馬作品に中島三郎助って出てた?
司馬さんの小説も早く電子書籍化されてほしいな
久しぶりに関ヶ原を読んだけどやはりおもしろい。
多数の武将にそれぞれ性格付けがなされていて、しかもどれもの行動に共感が感じられるようになっている。
これだけの登場人物が出てくる中、これだけのキャラクター作りと心理描写を実現しているところは本当に上手い。
>>758 禿同
司馬さんの戦国モノでは最高傑作だと思う。
昭和初期は日本の歴史と断絶しててキチガイじみてたってよく書いてるけど、
俺は建武の新政の方がよっぽど滅茶苦茶だと思う
>>758>>759 関ヶ原や城塞の群像系戦国モノは素晴らしいが、
個人的には国盗りや太閤記の主人公ものの勢いや躍動感も捨てがたい
共感という点では後者の方が上なんだよね
野村忍介はずっとニンスケと読むのかと思っていたが、オシスケと読むんだな。
>>308,319
胡蝶の夢、 私は社会性ゼロの伊之助が愛おしく思えてすらすら読めました。
司馬遼太郎の伊之助に関する描写も私にはユーモラスに感じられ、ひょっとしたら
司馬氏も伊之助には愛着があったのではないかと勝手に思っていたのですが・・・。
街道を行くシリーズの佐渡島編を手に取ったとき、伊之助やそれに関する史跡に
どれくらい稿を割いているかわくわくしながら読み進めたのに全くありませんでしたOrz。
>>763 まあ音訓的にニンカイさんかオシスケだろうけど昔の人は読み方とか適当だな
伊藤博文をハクブンさんとか言ってる老人が多いように
有識読みとか根拠があるわけじゃなく
読みやすいように読んで意味が通じりゃそれでOKってとこなんだろう
767 :
無名草子さん:2011/08/05(金) 10:01:50.34
司馬痴漢
>>765 関寛斎については街道をゆくの「北海道の諸道」で取り上げてるのにね。
戦国物だと関ヶ原も良いけど
播磨灘物語や覇王の家みたいなちょっと粘着質な作品の方が好きだな
播磨灘は余談だらけで俺好みだったな
覇王の家って、作者が嫌悪してやまない人物を主人公にしちゃったせいで
なんか意味不明な余談と嫌味でおわちゃってるよね
772 :
無名草子さん:2011/08/07(日) 01:56:42.53
個人的には夏草の賦と新説宮本武蔵は駄作だと思う。
夏草の賦も真説宮本武蔵も面白いほうと思うよ
明らかな駄作は大盗禅師だろ
あと好きな人にはすまないが翔ぶが如くの後半もあまりよくないな
読むのは今が3回目だが相変わらず6巻あたりで読むモチベが落ちる
>>774 それ分かる。飛ぶが如くは決して駄作ではないんだけど
後半になると無駄に細かすぎて読んでて面白みがないんだよね。
西郷は全然やる気ないし。
776 :
無名草子さん:2011/08/07(日) 05:35:09.21
>>775 確かに。あんな西郷がやる気ないなんて、思わなかった。あと海音寺
潮五郎の「大久保と西郷」と「翔ぶが如く」を読み比べると、面白いよ。
西郷がやる気がなければ、桐野・篠原を魅力的にすればいいんだけど、
彼らが魅力的なのは2巻あたりまで。西南戦争が始まる頃には、愚将
扱いになっている。
桐野・篠原に対する批判者である野村忍介・永山弥一郎、傍観者的な
村田新八が桐野・篠原に代わって活躍するのかと思いきや、戦闘が
始まると、彼らの出番もそんなに多くない。
史料に忠実に、実際に戦闘した小部隊の隊長クラスがわんさか登場する
けども、永山休二と辺見十郎太以外は、ほぼ初出の人物ばかりで、
出てくると同時にすぐに死んじゃう人物が多い。その数が多すぎて、
混乱しちゃう部分は確かにあるな。
まあ適当に戦闘以外の話を交えているから、かろうじて飽かずに読める。
俺は、「西南戦争小説」読むのは『翔ぶが如く』が初めて(にして唯一)なんで、何もしない西郷のイメージしかない。
ほとんど喋らず何もしない『翔ぶ』の西郷は、なんだか神がかって生き仏のような感じを受けた。
だから逆に、やる気マンマンでボロ負けする西郷のほうが嫌だな。
司馬は、「上京まで企図していながら、わずか熊本で撃退されてしまった薩軍の完敗」を、
いかに西郷の神性を崩さずに描くか腐心した結果、ああいう「動かない西郷」像に行き着いたんだと思う。
作戦を全て桐野・篠原らに丸投げさせることで、前半の「大西郷」のイメージを小説として守ったのではなかろうか。
津本陽の「巨眼の男」によると、西南戦争勃発直前に鹿児島で医師をしていた
ウィリアム・ウィリス邸で英国外交官アーネスト・サトウと西郷の会見が行われた。
このときのサトウの日記によると、西郷は私学校党の護衛20人程を連れて来たが
彼らは西郷の護衛というより監視役だったという。
結局、彼らの妨害で西郷との会見は成果なく終わったのだがサトウの観察が
正しければ西南戦争前夜の西郷がどんな立場だったかが窺われる。
その辺のニュアンスは『翔ぶが如く』でも描かれてるね。
第54章 西郷の下山
明治6年から11年までの政治史を士族の反乱を中心に手際よくまとめているとは思うが、
人名の引用が微細なところにまで及んでいるのは多少うっとうしいな。
西南ノ役の勃発直前、西郷は大隈半島の小根占で猟をしていたのだが、刺客の噂があった
ため、野村忍介は密かに護衛をつける。その護衛が逗留していた小根占の郷士の家が
三軒紹介されている。税所武右衛門家、税所熊助家、森田正之進家なのだが、ここまでは
いらん。護衛者の様子が描かれるわけでもないのに、書いても意味ないと思う。
中原尚雄の伯父と兄の名前も出てくるが、その場面がドラマ仕立てになっているわけでもない。
いらん。
以上5名の名前をネットで検索しても、まったくヒットしない。
野村綱の下船を許可した港の番兵平田宗高とは、近藤勇が板橋で捕縛されたときに、
寛刑を主張した薩摩藩士平田九十郎宗高のことだろうか?
ウィリアム・ウィリスの弟子三田村敏行の兄忠国とは、明治34年に海軍軍医総監になった
三田村忠国と同一人物なんだろうな。
東京獅子23名の名前を羅列したあたりから、マイナー人名をことごとく羅列する
ようになった。それまではわずかにあった主観描写も影をひそめる。
冒頭、主人公のように思われた川路利良も、西南戦争従軍後は客観描写しかない。
川路は西郷と政治的立場は異なるが、郷党の先輩として尊敬しているような描写が
多かったのに、後半は「郷士が城下士から受けた屈辱を忘れるな」の一辺倒になる。
この変化を小説的に描写してもらいたかったな。
主観描写の部分は人物をめまぐるしく変えつつ僅かしかなされないので、みょうに浮いて見える。
海老原穆や千絵のような重要人物も、いつのまにかフェイド・アウト。まあ、これは
初期作品から一貫しているから、慣れたが。
しかし、神風連の野口満雄まで主観描写をいれる必要があったのかな?すぐに登場
しなくなるのに。野口が鹿児島へ行った状況も、佐賀の乱の場合と似ていて、別に
なくてもよかった。
千絵を登場させたときや、野村忍介を大阪へ行かせたあたりなどは、「よーし、ここからは
本気で小説を書くぞ」という意気込みはあったんだろうな。その意気込みは長くは続かない。
ついつい書く時間よりも調べる時間が長くなってしまう。
なにしろ書くことよりも調べることのほうが好き、調べるだけで一生を過ごせたらなんと素敵な
ことかと公言している小説家だからな。
「司馬作品は五分の三から失速する」っていう評にピタリ当てはまってるなw
まあ明治維新の空気や人物は魅力的だから好きな作品ではあるけど
「翔ぶが如く」の初読は大学生のころだったので、前半に登場する人物は
日本史教科書やかつて見たドラマ・小説でおなじみだったが、後半は
「坂の上の雲」に出てきた人物以外はほとんど知らなかったなー。
薩軍の大隊長格の人物も、篠原・村田ぐらいしか知らなかった。
桐野すら知らなかった。前の二人は、日本史の全集ものに写真があった
ので覚えていた。
中村半次郎の名前で幕末モノに出てくるだろうがw
司馬さんの魅力は対談本に尽きる
小説自体が読者に語りかけてくるような文体だしな。
司馬遼太郎が書いたベトナム紀行の中に、戦争中のクーリーの集団の話がある。
集団の中におじいさんがいて、これは外から見ると何の特徴もない老人で、
そのおじいさんだけ働かないで一日中ボヤッとしている。
しかしそういうおじいさんを抱えていることで、その集団は生き生きとしている。
ところがバカな日本人の監督官がいて、この老人は怠けているからけしからんと迫害したらしい。
そうしたらいままでおとなしかったクーリー集団全体は、非常に険悪な空気をかもして反抗した。
このおじいさんというのはどうも天皇なんだな。
こういう天皇の型というのが、東南アジアにはあるのではないか。
だとすると、天皇制というのは中国大陸系のものではなくて、東南アジア系のものかもしれん。
わかりやすさという点では断トツに優れているな。文章がやさしいというだけではなくて、
伝えようとするモノが見えやすい。「あーあ、なるほど」と思わせるものがある。
全集の月報に、司馬さんの文章に続けて、他の人の随筆が二つばかり載っているが、
続けて読むと、司馬さんがいかに文章が巧いかがわかる。
>>778 幕末と明治後の西郷の違いを、明治2年に猟をしていて転倒し頭を強打したことも
関係するのではないかと書かれているな。
その根拠が、一般に知られている史料ではなくて、高城七之丞の孫の高城義之氏
から司馬さんがもらった手紙に書かれている伝承に求めている。
>>788 「燃えよ剣」なんかは後半の失速が逆に加速してるというか悲劇になってて良いんだけどね
うまく言えないけど
第58章 再び異人館
第36章「帰国」では英国の外務大臣がグービーとなっていた。大久保の北京談判の時期なので、
明治7年当時の英国の外務大臣ロバート・ガスコイン=セシルの前任者がダービー卿エドワード・スタンレー
と勘違いして、英語の原書に書かれていた「ダービー」を「グービー」と読み間違えられたのかもしれない、
と推測したことがある。
この章では、そのダービイ外相が登場する。しかし、明治10年(1877)当時の英国外相は、
ダービー伯爵エドワード・ヘンリー・スタンリーではない。第36章の場合と同じく、
ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルである。
>>797 おまいは日本人の書いたwikipediaの「外務英連邦大臣」の項目を見ているだろ。
ありゃ間違えておる。
ロバート・ガスコイン=セシルが外務大臣に就任したのは、1878年だ。
その前任者は第15代ダービー伯爵エドワード・ヘンリー・スタンリーで間違いない。
こいつの親父は有名な首相なんで、検索しても親父(第14代)しか出てこない。
しかし、グービー外相はありえないww
>>795 前にも書いたが、幕末と明治の西郷の違いはやはり、
「ブレーンが大久保から桐野に変わった(大久保と決別した)」ことだと思うが。
西郷は大きなビジョンを示す存在であって、細かい作戦や実務には長けていなかったのでは。
維新の謀略は大部分が大久保の発案だろう。
戊辰の作戦はほとんど大村益次郎だったという。
西南では、軍師になれる野村や村田は蚊帳の外。
こんな単純なことに司馬が気付かず、「明治の西郷は別人のようだ」とか言ってることが一番不思議に思える。
モロ司馬史観だなw
そんな単純なことは、翔ぶが如くにも書いてあっただろ
ちゃんと読めよw
804 :
無名草子さん:2011/08/12(金) 08:26:19.15
翔ぶが如くは長すぎ
世に棲む日日は短すぎ
司馬は吉村昭を恐れていたんじゃないかと最近思うようになった。
中期〜後期に書かれた小説の裏のテーマには評価されずとも社会に滅私奉公する姿をいかに悲壮感なく書くかがあると思うが、
小説の構成としてはいまいち成功していない。
西洋の威容に圧倒されて自信を失った日本人の精神性を理論的に西洋レベルと同等だと証明した正岡子規は、本来なら坂の上の雲の半分くらいを占めていてもいいはずだし。
西郷と大久保についても、資料を読めば読むほど自己を滅して冷徹に目標に向かう薩摩人の姿から離れていくのを止められなかったみたいだし。
この部分で成功したのは花神くらいじゃないだろうか。
その点、吉村昭は題材の重さや主人公が一本気すぎるのを差し引いても、そのテーマを提示する小説において小説上や構成上の失敗が
ほとんどない。「生麦事件」とか「冬の鷹」とか出来がはんぱねえもん。
しかも史観としては完全にアンチ司馬的な、民衆のエネルギーの潮流を評価するタイプだし。
二人とも故人になってしまったが、生前互いをどう評価していたのか知りたい気分。
第60章 宣戦
》 県庁にもどると、構内の長屋で、平版印刷機の機を織るような音がきこえていた。
オフセット印刷の発明は20世紀にはいってからだから、石版印刷(リトグラフ)のことのようだ。
薩軍初期の部隊編成のところで名前の出てくる第七大隊第一小隊長の坂元敬介を読んで、
ふと思い出したのだが、序盤でちょくちょく登場していた警視庁の坂元純熙は征台ノ役後
登場しなくなる。調べてみるとのちに陸軍少将になっている。
第六大隊大隊長の越山休蔵を調べていたら、「越山休蔵は私の女房の曾祖父です」なんて
書き込みを発見した。
http://tamayumi2008.bbs.fc2.com/
ドラマ「田原坂」では、雨に濡れた馬上の村田岩熊の映像をバックに、ナレーターが
“雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂”とやってたけど、あれ違うよね。
田原坂を越すに越されなかった鎮台兵のことを詠ってんだから。
>>806 二人の交流は全然聞かないね
事実として残ってるのは、吉村昭が司馬遼太郎賞を拒否ったことだけ
薩軍先鋒の別府晋介隊が熊本の南方の小川(現在は宇城市小川町)にあるときに、
熊本隊の池辺吉十郎が合流したことになっているが、他の多くの史料では川尻と
なっている。
あげようとした人がいるとしたらそのことがすごい
宮崎駿賞とかあったとしてそれを高畑勲にあげようとは思わないでしょ
薩軍の鹿児島から熊本への行軍コースに登場する多くの地名が、その後の合併により
変化しているので、めぼしいものだけ掲げておく。
市来・・・・・・いちき串木野市
川内・・・・・・薩摩川内市
大口・・・・・・伊佐市
栗野・・・・・・姶良郡湧水町
田町・・・・・・人吉市に編入
小川・・・・・・宇城市小川町
川尻・・・・・・熊本市に編入
815 :
813:2011/08/12(金) 18:50:15.70
>>812 そう考えると悪意のような傲慢さを感じるな
>>805 それは、大山巌にセリフとして言わせているってことかな?
何巻のどの辺りか教えて
自分で探せよ
>>818 俺の記憶では無かったんだけど
本当にあるのか?
台詞ではなかったが、2〜3回は書かれている。幕末の西郷は自分たちが補佐
していたから仕事ができた。維新後は桐野・篠原の輩が自分らに代わった。
司馬さん自身の意見としても、同じようなことは度々述べている。
>>820 なるほど。大山巌が言ってるわけじゃなく?
俺の中では記憶ないんだよね、すまん
『翔ぶが如く』の何巻辺りで出てくるかだけでも教えてもらえたら、ありがたいのだが
5,6巻ぐらいだっけ
征韓論敗北で辞職した時にあったような
そもそもカリスマで無能で大きな器という劉邦的イメージは司馬遼太郎の一貫した西郷観じゃないか
大山巌が「幕末は従道と自分が参謀として西郷を支えていたが、
維新後は云々」と言ってたという記述は、自分も読んだ覚えがある。
>>821 司馬がストーリーの進行とは全く関係なしに、
こういうエピソードを差し挟むことは、司馬の読者ならわかってるでしょ。
何巻に出てくるかは、誰もわからんと思うから、読み直してみれば?
俺は「峠」が好きだな。
主人公の河井継之助は先見の明や武士の域を超えた合理的な思考力がありながら
結局立場的に幕府方につかざるを得ず、それでも開戦となれば全力で戦い敗北する。
個人の能力なんかよりも時勢の勢いが上回ったという革命期の歴史と
自分の置かれている立場の範囲でしか動けない人間の限界を敗北者側からの
視点で上手く悲劇的に描いてる。司馬遼太郎の中でも屈指の名作。
「燃えよ剣」の土方歳三も好きだけど年取ると段々河井の方に惹かれるな。
そこが司馬の魅力かな
社会的強者だけを描いてるわりに敗れていく人間のダンディズムがある
あーそれはあるね。
「関ヶ原」の石田三成なんかはまさにその感じ
第64章 炎上
谷干城長官と樺山資紀参謀長が火災の直前、熊本城内の籠城準備を視察して回る場面
がある。その中に捧安坂が出てくる。棒安坂の誤植である。
与倉知実中佐の夫人・与倉ツル子が二度目の登場である。
第49章「蜂起」のときは与倉鶴子と漢字4文字だった。
同一小説内の人名は統一した表記にしてもらいたい。
熊本城炎上の原因についての三説のうち、放火説について調べていたら、
「旺文社の赤尾文夫社長の愛人は元ロマンポルノ女優の岡本かおりとの説」
にたどりついてしまった。
どういうキーワードで検索したのか忘れてしまったが、たぶん翔ぶが如くで
放火犯人との容疑を受けた薩軍スパイ岡本でひっかかったものと推測する。
熊本城火災の延焼地域について、当時の町名で書かれているため、地元の熊本市民
以外にはわかりづらい。調べられた範囲で、現在の町名を掲げておく。
なお筆者は熊本市民ではないので、勘違いがあるかもしれない。
藪ノ内 …現・城東町
寺原 …坪井5丁目
立町 …坪井4丁目
塩屋町 …新町2丁目
藪ノ内は検索ヒットしなかったが、ほかはすべてヒットした。
通りやバス停の名称として現在も残っている。
>>828 熊本城内に元の家老屋敷があって片山邸というらしいが、ここで熾烈な戦闘があった。
しかし、ここも片山屋敷・片山邸と不統一。
2月21日深夜、隔岡中隊と小島中隊が威力偵察として薩軍駐屯地に接近する。
隔岡中隊…第一大隊第三中隊:隈岡長道大尉
小島中隊…第三大隊第一中隊:小島政利大尉
のことではなかろうか?
歩兵第13連隊に隔岡という中隊長はいない。隈岡長道大尉の誤りだと思う。
もういいです
第65章 肥後の野
》薩軍(篠原の一番大隊)が四方池村から稲束(いねつか)の間をくぐって前進し…
「稲束の間をくぐって」とあるから地名ではなくて普通名詞“稲束”なんだろうな。
ふつう「いねつか」ではなく「いなづか」と読むから、地名かと思った。
加えて、新暦2月22日という真冬の田んぼに、どうして稲束があるのだろう、という
疑問もあって、稲束(いねつか)とは、熊本市内の地名かと思ってしまった。
脱穀後の稲束は、しばらくの間田んぼに積んでおくけど、年内には片付けると思うがな。
肥後の百姓は横着なのか?
【稲刈り中】
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と...,,,)) ( ) ( )( (,,..,,ソ.旦/ ,.-、 ,.-、 ,.-、 /
旦(__) (___丿旦 /. (,■)(,■)(,■) /
/______ /
これ坂上次郎さんでしょ?
てst
>>811 池辺吉十郎は同志1名を連れて、小川宿の別府晋介に会いに行っただけだろう。
熊本隊の兵士600名を連れて合流した地点は川尻だよ。
このことは第66章「二・二二の戦闘」で司馬さんも書いている。
熊本の千反田という地名がしばしば登場するんだが、どこだかわからんな。
司馬さんは高田露の名に「つゆ」とルビを振っておられるが、「あきら」が正しい。
第66章 二・二二の戦闘
》与倉連隊長が庄司副官とともに匍匐しながら・・・
与倉知実連隊長の戦死直前の描写である。
しかしながら、与倉知実連隊長の副官は、徳久蘇八大尉である。
庄司副官とは、第二大隊第三中隊の中隊長・庄司恒胤大尉のことであろう。
第三大隊の副官は、五島中尉で誤りではない。
五島忠顕である。
同じ箇所に出てくる保田中尉という人物が不明。
第67章 二十三日の木葉
田原坂を含む植木から高瀬を通る街道は、西南戦争序盤の戦闘の中心となった街道
であるが、作品中に街道名が示されていない。三池街道という。
木葉の戦いは、山鹿へ向かう別働隊が木葉山の背後から奇襲することによって
局面が大きく旋回し、乃木の14連隊を退却に追い込む。
その別働隊の三人の小隊長は、神宮司助左衛門、嶺崎半左衛門、石原市郎右衛門である。
神宮司助左衛門…元精忠組
嶺崎半左衛門…河野主一郎の兄
第68章 浅き春
宮崎八郎は、陣中でもへっちゃらで高瀬屋のお浪とまぐわうので、同志に不人気で
熊本協同隊の隊長になれなかった、という件は面白かったな。
お浪は当時16歳だったそうだ。
ちなみにドラマ「田原坂」でお浪を演じた戸川京子は自殺した。
もうひとり、宮崎八郎の許婚江上アサについても書かれている。
江上アサの娘がNHK「きょうの料理」でお馴染みの料理研究科江上トミ先生である。
http://sekisyoukan.jp/image/egamitomi.jpg この小説では旧幕臣の娘千絵が八郎といい仲になるのかと思わせるシーンもあったが、
西南戦争勃発後は史実どおりお浪を登場させ、千絵はフェイド・アウトした。
同じく種子島士族・種子島彦之丞は、
種子島鐵也
種子島時康
種子島平蔵
の3人のうちの誰かだと思われる。
/ ̄ ̄ ̄\
/ ´ ` ヽ
/ <○> <○> |
| ゝ │
\ トェェェェェェイ/ 空海の風景は、面白いですか?
ヽ ̄ ̄ ̄l
/ \ ;;;;;;\
/ \ \_
| f\ トェェェイノ  ̄`丶.
| | ヽ__ノー─-- 、_ )
. | | /"" /
| | ,' /
/” ノ | "",'
/ ‘ / | "/
_ノ""/ ,ノ 〈
( 〈 ヽ.__ \
ヽ._> \__)
翔ぶが如くは、戦が始まると盛り上がるな。
西郷暗殺計画が私学校党の捏造か否かをグダグダ書いていたあたりで挫折しそうになるが、
あそこを乗り切ると、一気に面白くなる。
22日の熊本城包囲戦の簡略さに比べ、同日および翌日の植木・木葉の戦いの詳細さは
どうであろう。やはり乃木さんはスターだな。稲佐村では炊事班に殿軍をやらせるなどと
無茶苦茶なことをしているがw
てst
ここ、次は『翔ぶが如く』で別スレ立てた方がいいんじゃないか?
一作品に偏りすぎw
あと1巻で終了するので、我慢してつかーさい。
859 :
無名草子:2011/08/17(水) 12:39:55.66
司馬龍太郎はあくまで小説家。
話を面白くするために忠実をあえて省いたり、
架空の要素をも付け加えたり、
人物の好き嫌いがはっきりしていたりする。
司馬作品を読んだだけで歴史を把握した気になって、
学術資料を読んだり、史跡に訪れたりすることもせず、
歴史上の特定の人物を過剰に持ち上げたり、
逆に歴史上の特定の人物を不当に貶めたりする
「エセ歴史通」が増えたのは哀しいことだね。
司馬作品中のマイナー人名は調べても見当たらないことがあるからストレスがたまる
ことがある。しかし、地名のほうはマイナーであっても、ほとんど探し出せるので、調べ
ていて楽しいな。地名に関しては、司馬さんは、史料丸写しはしていないと思う。
自身で踏査していない地は、必ず地図で確認しているような気がする。
>>854 高瀬の会戦の章で、政府軍本営の南関についての描写に、次のようなものがある。
ただしこの時期、田には朽ちた穂株しかない無愛想な冬田の風景がひろがっているだけだった。
test
第70章 高瀬の会戦
ドラマ「田原坂」では、2月27日の高瀬の会戦で、篠原国幹が西郷小兵衛といっしょに
突撃しているが、篠原は高瀬大橋を抜けずに退却したよな。
また、その場面を乃木希典が双眼鏡で見ているが、乃木は桐野利秋隊に遥拝宮で
蹴散らされている頃だよな。
高瀬会戦の政府軍主力の後軍、近衛第一連隊の大迫大尉とは、
熊本城籠城軍の大迫尚敏少佐の実弟・大迫尚克である。
>>864 知らねーよ いいからとっとと終わらせろ
イヤ、終わるのは「翔ぶが如く」でおんなじ様な書き込みはエンドレスで………
うん。死ぬまでやっているような気がする。
熊本市内の協同隊の拠点として、出町学校だの草場学校だのが無造作で出てくる
のだが、こりゃ何だ?説明もなにもなしに出てくるから、さっぱりわからん。
官が作った小学校なのか、植木学校の分校なのか。
第71章 野の光景
阿蘇一揆で打ち壊された北里村の玉金寺というのが気になって調べてみたが、現存しないようだ。
ギョクキンジと読むのだろうか、まさかタマキンではあるまい。
なお、熊本県阿蘇郡小国郷北里村は、北里柴三郎博士の故郷である。
阿蘇一揆・西南戦争の頃は、東京医学校に在学中。
嫌がってる人がいるのわかっていてこうして平然と続きやってくるところを見るとまあ、
スレッドがつぶれるまでやり続けるのが目的だろうね
すまん。嫌がっていたのかw
喜んでいるとしか思えなかったw
>>760 その時代を実感した人間と
実感してない人間では感じ方が違うのだろう
>>793 項羽と劉邦でも楚人の性情が日本人の性情を
暗喩してるように書いてるから、長江文明や中国江南が
日本と深い関わりがあると推察してたんじゃなかろうか。
>>859 おまえ書いてることが矛盾してるぞ
あくまでも小説家といいながら、
史実を省いたり架空の要素が付け加えたり
人物の好き嫌いを書くのがけしからんと言うのか。
小説の概念が判ってないエセはおまえ。
第72章 地鳴
佐賀を落ち延びた江藤新平は、飫肥の小倉処平を頼る。
江藤に同行した旧佐賀藩士の名が二名挙げられている。
山中一郎と香月奎五郎である。
一般に香月経五郎と書かれているものが多い。
クレヨンしんちゃんの戦国大合戦に出てくる廉姫の名前の元ネタが
司馬遼太郎作品に出てくる「いつもあだ名で呼ばれていて、一度だけ自分で本名を言う少女」だと聞いたんですが
この作品名を誰が教えてください。
吉次越の戦いで、篠原国幹の狙撃を命じた江田少佐とは、江田国通(正蔵)である。
そうですか
河野主一郎は「私の隊が居た所は、出町の加藤清正の墓地のある所なり」と話した
そうだが、加藤清正の墓地は熊本市花園の発星山本妙寺にある。出町とは1km
以上離れている。
》薩軍が持っているコンフィール銃は、硝薬を濡らすと使いものにならなくなる。
薩軍が持っていたというコンフィール銃は辞典にはない。おそらく前装施条のエンフィールド銃
のことを言いたかったものと思われる。
もっとも少し前の章では、政府軍のスナイドル銃は薬莢後装式なので雨に強いが、薩軍は
前装式ミニエー銃なので雨に弱いと書いておられた。
よく嫌がらせが続くものだと
福井県小浜市ではオバマハンバーグやオバマまんじゅうを販売し、米オバマ大統領を応援している。
山鹿に薩軍斬り込み隊が現れたとの誤報にうろたえる矢吹秀一中尉に踏み台にされた
亀岡少尉とは、亀岡泰辰である。
亀田兄弟の妹は兄達にそっくりである。
高瀬の戦いで負傷した乃木に代わって、歩兵14連隊を率いた青山朗大尉は、
第50章「衝撃」にも登場している。
乃木の弟・玉木正誼に洗脳され、 職を辞して前原党に身を投じると言い出し、
乃木連隊長が翻意させるのに苦労した第二大隊長・青山朗大尉である。
高瀬の会戦で大浜津から菊池川を渡河し高瀬で大暴れした浅江直之進は、
第53章「東京獅子」にも登場している。私学校校徒が草牟田火薬庫を襲撃
した時の宿直警官(私学校党)である。
小兵衛のほかに相良吉之助も菊池川を渡河したが、相良吉之助は田原坂
で3月5日に戦死している。
第74章 警視隊
佐川官兵衛の関連で、明治初年の若松県について触れられている。
若松県令として「鷲尾某」と記されているだけだが、この人物は鷲尾隆聚であり、
西南戦争との関係でも重要な人物である。ただし、この作品では、その事歴は触れられていない。
鷲尾隆聚は、明治10年、西郷隆盛と面会して西南戦争を終わらせようと画策し、
後日拘引されている。
佐賀ノ乱に備えて熊本鎮台に向かう山川浩に同道した木村丑徳(山川家書生)は、
柴五郎のいとこ。
3月5日に戦死した相良吉之助隊が、3月11日、円台寺山で戦っている。
おそらく他の者に指揮された旧相良吉之助隊の残兵なのであろうが、
誤解を招く。
>>891 ヒロイン小萩の容姿の描写が、みどり夫人に似ているような気がしてならない。
養父・今井宗休は“美人”と言っているが、葛籠重蔵はそうは言っていない。
目が細く、背が高い。どこにとりえがあるのかわからない女と言っている。
ドラマ「田原坂」では、西郷隆盛の伯父である椎原与右衛門を隆盛の母方の祖父とし、
祖父である椎原権兵衛を隆盛の叔父(伯父ではなく叔父、二重の誤り)としているな。
第75章 激闘
警視庁抜刀隊の大警部:上田良貞が登場する。
前章「警視隊」で園田安賢とともに福岡へ派遣されたことになっている上田良実大警部は
誤植である。上田良貞が正しい。
なお、同じ箇所に登場する警部補・隈元実道は振気流の流祖。
抜刀隊指揮長は、川畑雅長となっているが誤植である。
川畑種長が正しい。
警視庁抜刀隊の指揮官は、「翔ぶが如く」に5名登場しているが、そのうち2名までもが誤植であった。
これはひどい。
抜刀隊を見物にきた会計部の川口とは、
陸軍第1旅団会計部長の川口武定である。
>>901 個人のblogでやるか、翔ぶが如くスレを作ってやってくれないかな?
迷惑すぎる
>>896 いままで黒阿弥は牧冬吉のイメージで読んでいたのだが、今回「梟の城」を再読してみると、
黒阿弥は五尺に満たない小男で、かつ50歳をすぎても童顔であると書いてあった。
映画の火野正平のイメージに近いわ。
「翔ぶが如く」に粘着している人たちは定年退職した暇なオッサンたちか?
読了したらもう二度とここに来るんじゃないぞ
キチガイだな
907 :
無名草子さん:2011/08/22(月) 22:11:56.25
村田蔵六のおでこが広いのは遺伝なんですか?
東郷平八郎の実兄である小倉壮九郎は、種子島の戸長を務めたと書かれているが、
正確には、戸長の上の区長を務めた。
須口(現在は八代市二見洲口町)に上陸した衝背軍のうち警視隊を指揮する三間権少警視
とは、三間正弘のことである。
この作品では既に、第22章「明治七年」と、第50章「衝撃」で登場している。
げんに、永岡の計画では、かれが千葉県に兵をあげれば、同時に新潟県で農民一揆がおこる手はずになっていた。・・・川路は
このにおいを嗅ぐや、機先を制すべく少警視三間正弘に警部以下二百余人の警官を付し、新潟県に急行させた。ひとつには前原が
新潟に上陸するという予報が入ったからでもあるが、ともかく東京からこれだけの大部隊を派遣したのはよほどの規模の一揆がお
こるであろうことを川路は予測したのであろう。(巻7、60P)
司馬さんは、どうしてトンカツが好きなんですか?
914 :
無名草子さん:2011/08/23(火) 16:13:54.78
早く読み終えろよ、うんざりだ
もう読み終わっているよ
第78章 萩原堤
宮崎八郎が戦死する。同志有馬源七なる人物の談話が出てくるが、
有馬源内の誤りである。
この小説でも、第38章「肥後荒尾村」では、ちゃんと有馬源内の名前
で登場している。
>>913 街道をゆくの連載が始まった頃は、トンカツ定食は高級料理だった。
>>919 おそらく寺田屋の変で久光に殺された薩摩藩士・有馬新七と、有馬源内が
ごっちゃになったんだろうなw
第79章 熊本南郊
小川で戦死した元近衛砲兵少佐・児玉八之進の戦死が描かれている。
実はこの人物、すでにこの小説に登場している。
>>642で指摘した児玉実直と同一人物である。吉野開墾社の監督者の名として
紹介されているのだが、その箇所では「児実実直」と誤植されているため、
読者は注意していただきたい。
児玉八之進と田代五郎は、歌人・是枝生胤の塾で同門であったことから
親友になった記されているが、是枝生胤の門人は薩軍には多い。
野村忍介や山野田一輔も、是枝生胤から和歌や国学を習っている。
もういいです
まあ意図的に荒らしてるんだから何言っても無駄さ
やめてくれていうほど嬉々として荒らしてくるぜ
まあこれ以上続くなら削除依頼するように考えた方がいいよ
御船の戦いでは、政府軍は新川水越・隈庄・甲佐という三地点から緑川を渡河したのであるが、
山田顕義の別働第二旅団の渡河点である新川水越を現代の地図で探し出すことができなかた。
そのせいで、薩軍後方陣地である川尻にもっとも近い場所にいたという山川浩少佐の2個中隊
と他の三旅団の位置関係がわからなかった。
ここからは筆者の想像であるが、山田旅団の渡河点である新川水越は、山川少佐が守備して
いた杉島大渡・小岩瀬の渡の近辺なのではあるまいか?
928 :
927:2011/08/24(水) 20:10:53.56
× できなかた
○ できなかった
ふざけろ
ぼくたちは何年生なの?宿題おわったの?
>>927 翌日(4月13日)の戦闘では、山川浩中佐は、中軍(別働第一旅団)の守備位置である隈庄にいるな。
第80章 熊本を去る
>>738で小川又一と誤植の災難に遭った小川又次は、この章では正しく小川又次と
紹介されている。
ところが、あだ名が「今信玄」になっている。
今信玄と呼ばれたのは山梨県出身の田村怡与造である。
小川又次のあだ名は、「今謙信」である。
ちなみに名付け親は、川上操六である。
書き込みのはやきこと風の如く
他人と会話せざること林の如く
ネットで煽ること火の如く
部屋から動かざる事山の如し __
,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、 , -‐、/./.- 、
/ | | ヽ l l ( 火◇風 ノ
/o ̄`ハ._.ゝ===┴=く.ノ- 、 ノ ◇ ◇ (
/o O / l´ ノ ヽ lo ',ヽ ( 山◇ 林 }
\___/. ト、 ● ● ハ ∧ `⌒/7へ‐´
/ ,イ レ_ ( _●_) ミl~T--‐彡 /./
/ ̄ ̄l. 彡、 |∪| ノ'l l::::::::::彡ー7⌒つ、
彡:::::::::::l ト、___ヽノ /| l::::::::::::ミ {,_.イニノ
今信玄 小川又一大尉
薩軍は木山からさらに矢部郷浜町に退却場所を移したが、翔ぶが如く執筆当時の
現町名は上益城郡矢部町になっている。
2005年の合併により、現在は上益城郡山都町浜町になりました。
第81章 過ぎゆく春
4月21日以降の新隊名とその隊長の名前とが正確に対応していないので、あらためて
ここに掲げておく。なお、別府晋介が9名の新隊長のひとりとして掲げられているが、
人吉で負傷療養中なので、常山隊は平野正介が率いている。
奇兵隊:野村忍介 …豊後平定:延岡 …旧山鹿方面軍
振武隊:中島健彦 …鹿児島平定 …旧田原坂方面軍
破竹隊:河野主一郎 …八代襲撃
正義隊:高木七之丞 …八代襲撃 …旧川尻・熊本城包囲軍
行進隊:相良五左衛門 …鹿児島平定 …旧木留方面軍
干城隊:阿多壮五郎 …江代守備 …旧御船方面軍
雷撃隊:辺見十郎太 …大口・出水戦線
鵬翼隊:淵辺群平 …佐敷(現・芦北町)
常山隊:平野正介 …五木口守備
暇人
けっこう西南戦争ってファンがいるんだね。
みんな戦史的なことに詳しいのでビクーリだよ。
正直、田原坂戦のことしか知らなかった。
>>935 平野正介はもともと常山隊の隊長だよ。これは司馬さんが書き落としている。
人吉にやってきた河野主一郎が別府の兵を率いるように西郷に言われるシーンがあるが、
ここで破竹隊の隊長が別府から河野に代わったと見るべきだろうな。
梟の城の渡辺慧はなんのために出てきたのかね。
弱すぐる剣士。
昭和30年代前半は剣豪小説ブームだからな。時代劇も大量に製作されていて、
時代劇=チャンバラだった。
梟の城にも剣豪がひとり欲しかった。
忍者小説だと、隆慶一郎も山田風太郎もなぜか
剣聖>>>忍者>>>剣豪>一般人
だよね
剣豪は超人的な技を持つ忍者に瞬殺されるけど、
剣聖レベルにはなぜか忍者も全く歯がたたない、みたいな。
944 :
無名草子さん:2011/08/26(金) 08:09:41.94
>>944 ブログとかめんどくさそうだから、ここに書く。
飛ぶが如くの人、書き込んでもマイナスな反応しかないのにようやるわ
それが目的なんだろ
948 :
無名草子さん:2011/08/26(金) 21:03:51.31
「翔ぶが如く」の次は「竜馬がゆく」をお願いします
了解しました
竜馬がゆくはほとんどフィクションだし、何をするんだか
てか別に検証スレを立てるか歴史板に行けよ
一般書籍板の作家スレでやるな
アレはだいぶ以前から張り付いて嫌がらせを続けているんだが
知ってる人が全然いないみたいだけどマトモな住人は全て追い出されたんか?
チンコ?
作品について熱く語るのならいいんだけど、ただ検証しているだけだからな
こうも連日、つまらない投稿を自分の日記のように貼り続けていると反感を買うのは分かり切ったことだろうに
自分専用のスレを建てなよ>翔ぶが如くの人
>>955 この先、そうしてみようとは思うが、翔ぶが如くだけはやりかけた仕事なので、
このスレで終了させる。
狂ってる
梟の城で、信長は伊賀者を女子どもを含めひとり残さず殺しつくせ、と命令した
はずなのに、信長自身は伊賀者を使っていたのな。
前田玄以が風間五平の正体を見破るシーンで、信長の回想をしていたが、その
中で信長が伊賀者を使っているシーンが出てくる。
第83章 西郷の日々
飫肥の小倉処平と小村寿太郎の関係を述べる箇所で造船技師・桝木卯平なる人物が
登場するが、桝本卯平の誤りである。桝本卯平について詳しくは、「坂の上の雲」を
参照せよ。
校正とは、ゲラ刷りが執筆者の原稿に忠実に印刷されているかどうか確認することを原則としている。
執筆者の書きまちがいや勘違いによる誤記を正したりすることは、厳密には校正とはいわず、校閲と
呼ばれる。校閲においては、執筆者に確認を求めることが必要となろう。
執筆者がかけだしの小説家であれば、校閲者も書きまちがいの訂正を要求しやすい。ところが、
相手が大物小説家の場合、おいそれと訂正を求めるというわけにはいかない。
その結果が、このスレッドである。
余談がすぎた。
相手がとっくに故人なのを知らないのか
ビルの屋上から下を行く人たちの姿を俯瞰する。俯瞰を完全なものにするには、
その人たちの人生が完結していることが望ましい。
大口の戦い
大口に最初に到着した別働第三旅団の三間少佐とは、三間正弘である。
三間正弘については
>>912も参照せよ。
せめてハンドルつけてほしいものだ
おまえがなー
>>932 小川又次は竹田の戦いの場面でも、今信玄と呼ばれているな。
司馬さんの頭のなかで完璧に定着しているな。
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ) 相手がとっくに故人なのを知らないのか
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
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/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ ) 相手がとっくに故人なのを知らないのか
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
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/ || ̄ ̄|| r( ^ω^ )ノ 相手がとっくに故人なのを知らないのか
|.....||__|| └‐、 レ´`ヽ 相手がとっくに故人なのを知らないのか
| ̄ ̄\三 / ̄ ̄ ̄/ノ´` ♪
| | ( ./ /
___ ♪ ∩∧__,∧
/ || ̄ ̄|| _ ヽ( ^ω^ )7 相手がとっくに故人なのを知らないのか
|.....||__|| /`ヽJ ,‐┘ 相手がとっくに故人なのを知らないのか
| ̄ ̄\三 / ̄ ̄ ̄/ ´`ヽ、_ ノ
| | ( ./ / `) ) ♪
夏目漱石は、まだ生きているんですか?
970 :
無名草子さん:2011/08/27(土) 20:04:39.47
幕末、或る外国人が長崎の商人に
「もし西欧の軍隊が攻めてきたら小部隊でも長崎はすぐ占領されてしまう。
そうしたらどうする?」と問うと、商人は
「それはお上の考えることだからわたしたちは知らない」と応えた、とどこかで書いていた。
たぶんけっこう有名なエピソードだと思うけど、このときの外国人の名前と、この話がでてる司馬遼太郎の作品が
わかったら教えてね。
>>970 長崎海軍伝習所のカッテンディーケだな。作品は思い出せないが、カッテンディーケは
「この国のかたち」「オランダ紀行」・・・その他多くの司馬作品に登場しているから、
何かを読んでいりゃ、どこかで出くわす。
973 :
無名草子さん:2011/08/27(土) 20:40:12.68
≫971 さっそくありがとう。
たしか、テレビの講演でもしゃべってたような気がする。
「太郎の国の物語」だったかな。
「明治という国家」は全集にも収められていて話題になることが多いが、
「昭和という国家」というのもあるんだよな。単行本は買ったが、全集未収録なので
めったに読まない。
ハンドル付けて欲しいというのは専ブラ使えば見ないで済むという意味というか
こいつとは全く会話にならない
>>964 三間正弘は「峠」にも登場するんだが、この作品での扱いは雑だよな。
他作品に出てきた人物は丁寧にフォローする司馬作品にしては珍しい。
なんとなく「峠」の三間正弘だと気づいていないような印象すらある。
「峠」では三間市之進の名前のみで出ていたのかね。
>>976 2ちゃんねるは会話するところではないだろう。
>>975 とっく-に 3 【▽疾っくに】
(副) ずっと以前に。すでに。とうに。
よう、朝鮮人。
なんかちょっとつついただけで品性下劣がダダ漏れしてるねw
982 :
無名草子さん:2011/08/27(土) 21:23:07.38
983 :
無名草子さん:2011/08/27(土) 21:25:15.31
つーかスレ住人をつつくのではなく、1%でもいいから司馬遼太郎に関係の
ある書き込みをしてみれば?
翔ぶが如く以外のレスの応答でも荒らしが関わっていると思うと
気持ち悪くてやり取りしたいとは思わないぞ
ume
これを糞の周りにはクソバエしかたからないクソバエの法則という
988 :
無名草子さん:2011/08/28(日) 08:42:28.03
>>974 「明治という国家」は、テレビの「太郎の国の物語」と同じ内容で、
「昭和という国家」は、やはりだいぶ昔にテレビでやった「雑談・昭和への道」という番組の書籍化。
「昭和〜」のほうは、たぶん「明治〜」が売れたんで後付けで本にしたんじゃないかな?
埋
ダメ
乙
第84章 夏めく
三条実美の子・三条公恭なる人物が登場するが、そのような人物はいない。
似たような名前の人物として東三条公恭がいる。三条実美の兄・三条公睦の
子であり実美の養子となったことがある。ところが実美は、公恭の素行が悪かったため、
これを廃嫡して実子の公美に三条家を相続させることにした。
>>993 三条公恭とは書いてないだろう。よく読め。
「実美の子の公恭」だから、間違いじゃないんじゃない?
祗園の妓楼「井筒」で尾崎三良が実兄らに酒食をふるまう。
祗園の井筒といえば八つ橋本店が有名なんだが、関係があるのだろうか?
>>904 梟の城は8割方登場人物の主観で語られるから、キャラは立ってんだよな。
>>948 梟の城の話題がちょくちょく出てくるので、次は梟の城。続いて上方武士道。
その次は空海の風景。
もういいです
こいつホント嘘つきだね
1000 :
無名草子さん:2011/08/28(日) 16:44:18.95
1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。