1 :
無名草子さん:
日本文学の名作揃い
2 :
無名草子さん:2010/09/19(日) 00:26:53
一寸ばかり芸術的な、一寸ばかり良心的な……。要するに、一寸ばかり、といふことは
何てけがらはしいんだ。
体力の旺盛な青年は、戦争の中に自殺の機会を見出だし、知的な虚弱な青年は、抵抗し、
生き延びたいと感じた。まことに自然である。平和な時代であつても、スポーツは
青春の過剰なエネルギーの自殺の演技であるし、知的な目ざめは、つかのまの解放へ
急がうとする自分の若い肉体に対する抵抗なのだ。それぞれの資質に応じ、抵抗が勝つか、
自殺が勝つかである。
三島由紀夫「急停車」より
3 :
無名草子さん:2010/09/19(日) 00:27:51
戦争は畢竟するに、生ける著名な将軍のためのものではなく、死せる無名の若い兵士たちの
ものなのである。あとにのこされた母や恋人の悲嘆のためのものではなく、
死んでゆく若者自身のエゴイズムのためのものなのである。愕(おどろ)くべきことだが、
人間の歴史は、青春の過剰なエネルギーの徹底的なあますところのない活用の方途としては、
まだ戦争以外のものを発明してはいない。
一刻のちには死ぬかもしれない。しかも今は健康で若くて全的に生きてゐる。かう感じることの、
目くるめくやうな感じは、何て甘かつたらう! あれはまるで阿片だ。悪習だ。
一度あの味を知ると、ほかのあらゆる生活が耐へがたくなつてしまふんだ。
三島由紀夫「急停車」より
4 :
無名草子さん:2010/09/19(日) 00:28:58
小説家における人間的なものは、細菌学者における細菌に似てゐる。感染しないやうに、
ピンセットで扱はねばならぬ。言葉といふピンセットで。……しかし本当に細菌の秘密を
知るには、いつかそれに感染しなければならぬのかもしれないのだ。そして私は感染を、
つまり幸福になることを、怖れた。
若さはいろんなあやまちを犯すものだが、さうして犯すあやまちは人生に対する
礼儀のやうなものだ。
青年の文学的な思ひ込みなどは下らんものだ。実際下らんものだ。
三島由紀夫「施餓鬼舟」より
5 :
無名草子さん:2010/09/19(日) 00:29:38
死の近い病人が無意識に死の予感にかられて、自分を愛してくれる人たちを別れ易くして
やるために、殊更自分を嫌われ者にする、といふ言ひつたへには、たしかに或る種の真実がある。
病苦や焦燥のためだけではなくて、病人のつのる我儘には、生への執着以外の別の動機が
ひそんでゐるやうに思はれる。
三島由紀夫「貴顕」より
女方こそ、夢と現実との不倫の交はりから生れた子なのである。
三島由紀夫「女方」より
6 :
無名草子さん:2010/09/19(日) 10:45:39
『奇蹟』は何と日常的な面構へをしてゐたらう!
君は見神者の疲労つて奴を知つてるか。神がかりの人間は、神が去つたあとで、
おそろしい疲労に襲はれるんださうだ。それはまるでいやな、嘔吐を催ほすやうな疲労で、
眠りもならない。神を見た人間は、視力の極致まで、人間能力の極致まで行つてかへつて来る。
ほんの一瞬間でも、そのために心霊の莫大なエネルギーを費つてしまふ。
僕が『天の手袋』と呼んでゐるものを君は識つてゐる筈だ。天は、手を汚さずに僕等に
触れる為めに、手袋をはめることが間々あるのだ。レイモン・ラディゲは天の手袋だつた。
彼の形は手袋のやうにぴつたりと天に合ふのだつた。天が手を抜くと、それは死だ。
……だから僕は、あらかじめ十分用心してゐたのだつた。初めから、僕には、ラディゲは
借りものであつて、やがて返さなければならないことが分つてゐた。……
生きてゐるといふことは一種の綱渡りだ。
三島由紀夫「ラディゲの死」より
7 :
無名草子さん:2010/09/19(日) 10:47:25
寡黙な人間は、寡黙な秘密を持つものである。
恋人同士といふものは仕馴れた役者のやうに、予め手順を考へた舞台装置の上で
愛し合ふものである。
善意も、無心も、十分人を殺すことのできる刃物である。
三島由紀夫「日曜日」より
占領時代は屈辱の時代である。虚偽の時代である。面従背反と、肉体的および精神的売淫と、
策謀と譎詐の時代である。
三島由紀夫「江口初女覚書」より
潔癖な人間には却つて何事もピンセットで扱ふことに習熟したやうな或る鷹揚さ、
緩慢さが備はるものだ。
罪といふものの謙遜な性質を人は容易に恕(ゆる)すが、秘密といふものの尊大な性質を
人は恕さない。
三島由紀夫「果実」より
8 :
無名草子さん:2010/09/19(日) 10:52:27
世間といふものは、女と似てゐて案外母性的なところを持つてゐるのである。それは
自分にむけられる外々(よそよそ)しい謙遜よりも、自分を傷つけない程度に中和された
無邪気な腕白のはうを好むものである。
強欲な人間は、よくこんな愛くるしい笑ひ方をするものである。強欲といふものは
童心の一種だからであらうか。
よく眠る人間には不眠をこぼす人間はいつでも多少芝居がかつた滑稽なものに映る。
三島由紀夫「訃音」より
9 :
無名草子さん:2010/09/19(日) 10:53:55
蘭陵王は必ずしも自分の優にやさしい顔立ちを恥ぢてはゐなかつたにちがひない。むしろ
自らひそかにそれを矜つてゐたかもしれない。
しかし戦ひが、是非なく獰猛な仮面を着けることを強ひたのである。しかし又、蘭陵王は
それを少しも悲しまなかつたかもしれない。或ひは心ひそかに喜びとしてゐたかもしれない。
なぜなら敵の畏怖は、仮面と武勇にかかはり、それだけ彼のやさしい美しい顔は、傷一つ
負はずに永遠に護られることになつたからである。
私は、横笛の音楽が、何一つ発展せずに流れるのを知つた。何ら発展しないこと、これが重要だ。
音楽が真に生の持続に忠実であるならば、(笛がこれほど人間の息に忠実であるやうに!)、
決して発展しないといふこと以上に純粋なことがあるだらうか。
何時間もつづけて横笛を練習すると、吐く息ばかりになるためであらうか、幽霊を見るさうだ。
三島由紀夫「蘭陵王」より
10 :
無名草子さん:2010/09/19(日) 19:55:55
女の部屋は一度ノックすべきである。しかし二度ノックすべきぢやない。さうするくらゐなら、
むしろノックせずに、いきなりドアをあけたはうが上策なのである。女といふものは、
いたはられるのは大好きなくせに、顔色を窺はれるのはきらふものだ。いつでも、的確に、
しかもムンズとばかりにいたはつてほしいのである。
日本の女が全部ぬかみそに手をつつこむことを拒否したら、日本ももうおしまひだ。
ウソの友情より、本当の憎悪のはうが美しい。
女同士の喧嘩の場合は、打たれた女より、打つた女のはうが百倍も可哀想な女なのよ。
日本人のくせに髪を赤毛に染めてゐたりする女を見ると、唾を引つかけてやりたくなる。
当事者といふものは、物事の表面にごく見易くあらはれてゐる異常さに、なかなか
気がつかないものである。
思つてることが、しらない間に独り言になつて出るといふことほど、わびしい老いの兆はないな。
三島由紀夫「複雑な彼」より
11 :
無名草子さん:2010/09/19(日) 19:56:30
ドライ・マルティニの好きな顔といふのがあるのである。油断ならぬ顔つきの人間にそれが多い。
テキサスあたりの大男で、人のいい顔をした人物が、オールド・ファッションドなんかを
呑むのと対蹠的だ。
緑は顔いろをわるく見せるが、もともとわるい人の顔色はよく見せる。
とても面白いと思つて見た映画は、二度見てはいけないんです。
思ひ出といふのは、もう固まつた美術品みたいなものなんです。もう誰も手を加へることの
できない、完成品の美なんです。
心といふものは地図に似てゐる。
高低がある。山がある。川がある。等高線がある。
山の高みに達すると、のびやかな平野の眺めがひらけ、今までの苦しい登り道を忘れさせる
やうな、愉しい下り坂がはじまる。
そこに又、湖がある。池がある。川がある。あるひは谷間がある。
三島由紀夫「複雑な彼」より
12 :
無名草子さん:2010/09/19(日) 19:57:04
縁は引力よりも偉大かもしれん。これは、もう決められてゐることで、ほとんど引力を
感じないでも、すこぶる深い縁といふものもあるんだから。
僕はアル中の女とボクシング・ファンの女は、心の底から大きらひだ。どつちも
フラストレーションの固まりの、ひどく下品な女なんだ。
戦つてもゐない女が、生意気に、ひまつぶしにスリルと興奮を求めて、ボクシングが
好きになるといふことはゆるせないんだよ。それは絶対に下品だからな。
私が恋してゐるのは、お父様が決して認めようとなさらないやうな、《複雑な彼》なのです。
いつでも歴史を動かすのは個人なんだよ。それも一人の青年の力なんだよ。『関係ナイ』と
思つてゐるのは、自ら、関係を持たうとしないだけのことで、もし一人の青年が身を挺すれば、
アジアを救ふことができるのだ。
三島由紀夫「複雑な彼」より
13 :
無名草子さん:2010/09/20(月) 00:12:15
佃煮や煮豆の箱がいつぱい並んでゐる。福神漬のにほひがする。そぼろ、するめ、わかめ、
むかしの日本人は、粗食と倹約の道徳に気がねをして、かういふちつぽけな、あたじけない
享楽的食品を、よくもいろいろと工夫発明したものである。
正義を行へ、弱きを護れ。
自分が若いころ闊歩できなかつた街は、何だか一生よそよそしいものである。
とにかく人生は柔道のやうには行かないものである。人生といふやつは、まるで人絹の
柔道着を着てゐるやうで、ツルツルすべつて、なかなか業(わざ)がきかないのであつた。
人生つて、右か左か二つの道しかないと思ふときには、ほんの二三段石段を上つて、
その上から見渡してみると、思はぬところに、別な道がひらけてるもんなのよ。さうなのよ。
人間には、自由だけですまないものがある。古い在り来りな、束縛を愛したい気持もある。
三島由紀夫「につぽん製」より
14 :
無名草子さん:2010/09/20(月) 00:13:26
娘の父親にとつては、この世に一般論などといふものはあるべきではなかつた。心の奥底で
娘を手離したくないと思つてゐる父親の気持から、オールド・ミスにならぬうちに誰かに
早く呉れてやりたいと思つてゐる父親の気持まで、無数のニュアンスの連鎖があつて、
どこからが一般論で、どこからがさうでないとは云へなかつた。又、見様によつては、
世の父親のすべての心には、右の両極端の二つの気持が、それぞれの程度の差こそあれ、
混在してゐる筈であつた。
怖ろしい巨犬には、正面から向つて行けばいいのである。
あまり完璧に見える幸福に対して、人は恐怖を抱かずにはいられないものなのであらうか?
人間の心といふ奴は、とにかく、善意だけではどうにもならん。善意だけでは、……人生を
煩はしくするばかりだとわかつてゐてもね。
三島由紀夫「夜会服」より
15 :
無名草子さん:2010/09/20(月) 00:14:33
人間は誰でも、(殊に男は)自然にこれこれの人物になるといふものではない。目標があり、
理想像があればこそ、それに近づかうとするのである。
幸福といふものは、そんなに独創的であつてはいけないものだ。幸福といふ感情はそもそも
排他的ではないのだから、みんなと同じ制服を着ていけないといふ道理はないし、
同じ種類の他人の幸福が、こちらの幸福を映す鏡にもなるのだ。
隔意を抱くといふことは淋しいことである。しかも、愛情のために隔意を抱くといふことは、
まるで愛するために他人行儀になるやうなもので、はじめから矛盾してゐる。
結婚とは、人生の虚偽を教へる学校なのであらうか。
現代では万能の人間なんか、金と余裕の演じるフィクションにすぎないんだ。
三島由紀夫「夜会服」より
16 :
無名草子さん:2010/09/20(月) 00:15:56
人間つて誰でも、自分の持つてゐるものは大切にしないのぢやないかしら。
…誰でも、手に入れたものは大したものだと思はなくなる傾きがあるのぢやないかしら。
あなたは女がたつた一人でコーヒーを呑む時の味を知つてゐて?
今に知るやうになるわ。お茶でもない、紅茶でもない、イギリス人はあまり呑まないけれど、
やはりそれはコーヒーでなくてはいけないの。それはね、自分を助けてくれる人は
もう誰もゐない、何とか一人で生きて行かなければ、といふ味なのよ。
黒い、甘い、味はひ、何だかムウーッとする、それでゐて香ばしい味、しつこい、
諦めの悪い味。……
三島由紀夫「夜会服」より
17 :
無名草子さん:2010/09/20(月) 00:17:06
さびしさ、といふのはね、絢子さん、今日急にここへ顔を出すといふものではないのよ。
ずうーつと、前から用意されてゐる、きつと潜伏期の大そう長い、癌みたいな病気なんだわ。
そして一旦それが顔を出したら、もう手術ぐらゐでは片附かないの。
私、何で自分がさびしいのか、その理由を探さなくては気がちがひさうだつた。あなた方の
結婚が、はつきりその理由を与へてくれたやうに思ひ込んでしまつた。でも、私つてバカなのね。
さびしさの本当の深い根は自分の中にしかないことに気がつかなかつたの。
鳥のゐない鳥籠は、さびしいでせう。でも、それを鳥籠のせゐにするのはばかげてゐるわね。
鳥籠をゴミ箱へ捨ててもムダといふものね。鳥がゐないことには変りがないんですから。
三島由紀夫「夜会服」より
18 :
無名草子さん:2010/09/20(月) 12:22:29
期待してゐる人間の表情といふものは美しいものだ。そのとき人間はいちばん正直な
表情をしてゐる。自分のすべてを未来に委ね、白紙に還つてゐる表情である。
羞恥がなくて、汚濁もない少女の顔ほど、少年を戸惑はせるものはない。
自分の尊敬する人の話をすることは、いはば初心(うぶ)なフランスの少年が女の子の前で
ナポレオンの話をするのと同様に、持つて廻つた敬虔な愛の告白でもあるのだ。
三島由紀夫「恋の都」より
19 :
無名草子さん:2010/09/20(月) 12:28:13
本当のヤクザといふものは、チンピラとちがつて、チャチな凄味を利かせたりしないものである。
映画に出てくる親分は大抵、へんな髭を生やして、妙に鋭い目つきをして、キザな仕立の
背広を着て、ニヤけたバカ丁寧な物の言ひ方をして、それでヤクザをカモフラージュした
つもりでゐるが、本当のヤクザのカモフラージュはもつとずつと巧い。
旧左翼の人に、却つて、如才のない人が多いのと同じことである。
自分の最初の判断、最初のねがひごと、そいつがいちばん正しいつてね。なまじ大人になつて
いろいろひねくりまはして考へると、却つて判断をあやまるもんだ。
婿えらびをする能力といふものは、もしかしたら、三十五歳の女より、十六歳の少女のはうが、
ずつと豊富にもつてゐるのかもしれないんだぜ。
後悔ほどやりきれないものはこの世の中にないだらう。
三島由紀夫「恋の都」より
20 :
無名草子さん:2010/09/21(火) 00:45:17
外で威張つてゐる女ほど、どこかに肉体的劣等感を持つてゐる。
外人の男たちの、鶏みたいな、半透明な血の色の透けてみえる、ひどく老化の早い、汚ならしい肌。
動物的といふ見地から言つたら、こんな西洋人より、日本の若い男のはうが、ずつと
動物的な美しさを持つてゐる。つまり動物的なしなやかさと、弾力と、無表情な美しさとを。
愛される人間の自己冒涜の激烈なよろこびは、どこまで行くかはかり知れない。
愛する人間は、どんな地獄の底までもそれを追つかけて行かなければならないのだ。
三島由紀夫「肉体の学校」より
21 :
無名草子さん:2010/09/21(火) 00:46:05
つまらない機能上の男らしさにこだはつてゐる男のうち、性的魅力のこれつぽちもない哀れな
情ない男が、心の中では彼を少しも愛してゐない女の上に立つて、どんな男性的行動に
いそしまうが、それが一体何だらうか。
男にしろ、女にしろ、肉体上の男らしさ女らしさとは、肉体そのものの性のかがやき、
存在全体のかがやきから生れる筈のものである。それは部分的な機能上の、見栄坊な
男らしさとは何の関係もない。そこにゐるだけで、そこにただ存在してゐるだけで、
男の塊りであるやうな男は、どんなことをしたつて、男なのである。
三島由紀夫「肉体の学校」より
22 :
無名草子さん:2010/09/23(木) 23:35:03
矜りのない人間に自殺は出来ない。同様に傷つけられた自負心は人をたやすく死へ
みちびき入れるものである。
「幸福」などといふ怖るべき観念が人心に宿つて殺人罪を使嗾(しそう)する結果にならぬやう、
私は一社会人の立場に立つて衷心より切望する次第である。
三島由紀夫「幸福といふ病気の療法」より
人生といふものはまるで脈絡もない条理もない感動に充ちてゐる、感動は私たちの心の
トンネルを通過する急行列車のやうに過ぎてゐるのだ、何も残らない、永久に感動する心は
永久に純潔な心だ。
心の共有とはなんといふ容易な事柄でせう。黙つてさへゐれば人間の心は永久に一人一人の
共有物でありませう。黙つてさへゐれば思ふままに相手を創造することができます。
相手は私の中で創造られ、私に似て来ます。本当の真実は孤独なものです。愛のためなら
何故真実が要りませう。愛はいつでも真実を敵に廻すべきではないでせうか。
三島由紀夫「舞台稽古」より
23 :
無名草子さん:2010/09/23(木) 23:35:32
待つといふ感情は微妙なものです。それは人の生活に、落着かない不満足な感じと同時に、
待つことそれ自身の言ふにいはれぬ甘美な満足をもたらすからです。
明日の遠足がよいお天気であるやうにとねがふ子供は、その明日がお天気であつただけで、
もはや遠足そのものの与へる愉しみの十中八九を味はひつくしてゐるのです。よいお天気の
朝を見ただけで、彼の満足の大半は、成就されたも同じことです。
仏の花を買ひにゆくといふ殊勝な用事を彼にうちあけることが、私には何故かしら
嬉しかつたのです。私は悪戯をする子供の気持よりも、修身のお点のよいことをねがふ
子供の気持のはうが、ずつと恋心に近いことを知るのでした。まして恋といふものは、
そつのない調和よりも、むしろ情緒のある不釣合のはうを好くものです。
三島由紀夫「不実な洋傘」より
24 :
無名草子さん:2010/09/23(木) 23:36:08
絶望は卑怯な方法である。目前の不幸なり困難なりにぶつかつて絶望するとき、人は
もし絶望しなかつたら更にぶつかつたであらう一層大きな不幸や困難から身を守るのだ。
絶望する者は結局、不幸や困難を愛することを知らないのだ。そして絶望と妥協した範囲だけの
不幸や困難を愛するのだ。そのとき彼は、絶望そのものにだけは絶望しえない自分を
見出だすだらう。なぜなら絶望といふ前提をとり除いたら彼の現在の存在理由はなく、
また同時に絶望によつてしか現在の存在理由を失はしめえないと考へるとき、彼は新たな
第二の絶望のために何らかの行動の原理をたのまざるをえないだらう。それが他ならぬ
希望ではあるまいか。
この世のありとあらゆる不幸と困難を心から愛し、あらゆる不幸と困難に対して扉を
とざすことのないものこそ、希望と憧憬、この生への意慾の二つの美しい支柱である。
人間もまた向日葵のやうにたえず太陽のはうへ顔を向けてゐたいと希ふものだ。夜のあひだ
向日葵は夢みてゐる。それは夜になれば太陽の光が彼の内面にだけ差し入つて来るからだ。
三島由紀夫「人間喜劇」より
25 :
無名草子さん:2010/09/23(木) 23:36:33
目前の汚れた小さな水たまりに目を奪はれて、お前も海の水の青さを疑つてはならないぞ。
どんな世の中にならうとも、女の美しさは操の高さの他にはないのだ。男の値打も、
醜く低い心の人たちに屈しない高い潔らかな精神を保つか否かにあるのだ。さういふ
磨き上げられた高い心が、結局永い目で見れば、世のため人のために何ものよりも役立つのだ。
人の心はいつかは太陽へ向ふやうに、神がお定め下すつたのだからな。
不幸や悲しみの滅びないことを信じる人だけが、幸福も滅びないことを知ることができる
わけなのね。
何もかも失くした時こそ、何もかも在りうる時なのです。
人が自分のことでない喜びをよろこんでゐる表情ほど美しいものはありませんね。
三島由紀夫「人間喜劇」より
26 :
無名草子さん:2010/09/23(木) 23:37:11
自分の不幸だけを忘れようとするのは烏滸(をこ)のわざですよ。もしあなたが不幸に
会はれたら世界中の不幸を忘れてしまふ覚悟をなさることです。私のことなんぞ当分
お考へになるには及びません。又いつかきつとお考へになる時は来るのですから。そして
一旦世界中の不幸を忘れる必要に迫られた人だけが、世界中の不幸の慰め手になることが
できるのです。それを不幸への愛と呼びませうかね。愛するためにはまづ忘れることが必要です。
あなたは希望をお忘れにならぬ。これは若い人として美しいことです。しかし希望を
お忘れになつたときに、あなたの希望への愛も本当に生きてくるでせう。それは絶望を
忘れた人の、絶望への愛と似通つて来ます。ともかくお生きなさい。そしてお忘れなさい。
それが愛するといふことです。
どんな世の中が来ようとも誠実と愛とは貴く、情熱は美しいものだと頑固に疑はない。
そのどれもが人間にだけ出来るものなのだから。
三島由紀夫「人間喜劇」より
27 :
無名草子さん:2010/09/23(木) 23:55:11
夥しい薔薇は衰へた高貴な詩人の顔へ花冠を向けてゐた。彼らの本質を歌ひ、彼らの存在の
核心を透視した不朽の詩人の顔に向つてゐた。被造物のうちでも最も精妙な最も神秘な
美しい存在が、この詩人の何ものも希はない深い無為の瞳の澄明の前に、われにもあらず
嘗て己れの秘密を売つたのであつた。薔薇はリルケの美しい詩のなかで裏返された
いたましい喪失の存在に化した。それは認識の手によつてではなく、運命を共有する一つの
宇宙的な魂の手で、あばかれた羞恥と苦痛なのである。苦痛の思ひ出は、微風のやうに繁みを
ゆるがした。薔薇は詩人にその名を呼ばれたものの受苦の上に、詩人をも誘はうと試みた。
リルケの瞳は、恰かもまどろんでゐると見える見事な一輪の薔薇にとどまつた。
葉は蝕まれてゐず、咲具合も頃合である。花弁は深く包まれてゐてしかも艶やかに
倦(たゆ)げである。心もち重みにうなだれ、リルケの目に対してゐた。
三島由紀夫「薔薇」より
三島ばっかりw
29 :
無名草子さん:2010/09/24(金) 16:28:38
私にとつては、美はいつも後退りをする。かつて在つた、あるひはかつて在るべきであつた
姿しか、私にとつては重要でない。鉄塊は、その微妙な変化に富んだ操作によつて、
肉体のうちに失はれかかつてゐた古典的均衡を蘇らせ、肉体をあるべきであつた姿に
押し戻す働らきをした。
あらゆる英雄主義を滑稽なものとみなすシニシズムには、必ず肉体的劣等感の影がある。
英雄に対する嘲笑は、肉体的に自分が英雄たるにふさはしくないと考へる男の口から出るに
決まつてゐる。
私はかつて、彼自身も英雄と呼ばれてをかしくない肉体的資格を持つた男の口から、
英雄主義に対する嘲笑がひびくのをきいたことがない。シニシズムは必ず、薄弱な筋肉か
過剰な脂肪に関係があり、英雄主義と強大なニヒリズムは、鍛へられた筋肉と関係あるのだ。
なぜなら英雄主義とは、畢竟するに、肉体の原理であり、又、肉体の強壮と死の破壊との
コントラストに帰するからであつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より
30 :
無名草子さん:2010/09/24(金) 16:31:00
敵とは、「見返す実在」とは、究極的には死に他ならない。誰も死に打ち克つことが
できないとすれば、勝利の栄光とは、純現世的な栄光の極致にすぎない。
私の文体は対句に富み、古風な堂々たる重味を備へ、気品にも欠けてゐなかつたが、
どこまで行つても式典風な壮重な歩行を保ち、他人の寝室をもその同じ歩調で通り抜けた。
私の文体はつねに軍人のやうに胸を張つてゐた。そして、背をかがめたり、身を斜めにしたり、
膝を曲げたり、甚だしいのは腰を振つたりしてゐる他人の文体を軽蔑した。
姿勢を崩さなければ見えない真実がこの世にはあることを、私とて知らぬではない。
しかしそれは他人に委せておけばすむことだつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より
31 :
無名草子さん:2010/09/24(金) 16:32:22
私が求めるのは、勝つにせよ、負けるにせよ、戦ひそのものであり、戦はずして敗れることも、
ましてや、戦はずして勝つことも、私の意中にはなかつた。一方では、私は、あらゆる
戦ひといふものの、芸術における虚偽の性質を知悉してゐた。もしどうしても私が戦ひを
欲するなら、芸術においては砦を防衛し、芸術外において攻撃に出なければならぬ。
芸術においてはよき守備兵であり、芸術外においてはよき戦士でなければならぬ。
「武」とは花と散ることであり、「文」とは不朽の花を育てることだ、と。そして不朽の
花とはすなはち造花である。
かくて「文武両道」とは、散る花と散らぬ花とを兼ねることであり、人間性の最も相反する
二つの欲求、およびその欲求の実現の二つの夢を、一身に兼ねることであつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より
32 :
無名草子さん:2010/09/24(金) 16:35:48
かつて向う岸にゐたと思はれた人々は、もはや私と同じ岸にゐるやうになつた。すでに
謎はなく、謎は死だけになつた。
私が幸福と呼ぶところのものは、もしかしたら、人が危機と呼ぶところのものと同じ地点に
あるのかもしれない。言葉を介さずに私が融合し、そのことによつて私が幸福を感じる
世界とは、とりもなほさず、悲劇的世界であつたからである。
われわれは「絶対」を待つ間の、つねに現在進行の虚無に直面するときに、何を試みるかの
選択の自由だけが残されてゐる。いづれにせよ、われわれは準備せねばならぬ。この準備が
向上と呼ばれるのは、多かれ少なかれ、人間の中には、やがて来るべき未見の「絶対」の絵姿に、
少しでも自分が似つかはしくなりたいといふ哀切な望みがひそんでゐるからであらう。
もつとも自然で公明な欲望は、自分の肉体も精神も、ひさしくその絶対の似姿に近づきたいと
のぞむことであらう。
三島由紀夫「太陽と鉄」より
33 :
無名草子さん:2010/09/24(金) 16:38:11
七生報国や必敵撃滅や死生一如や悠久の大義のやうに、言葉すくなに誌された簡素な遺書は、
明らかに幾多の既成概念のうちからもつとも壮大なもつとも高貴なものを選び取り、
心理に類するものはすべて抹殺して、ひたすら自分をその壮麗な言葉に同一化させようとする
矜りと決心をあらはしてゐた。
もちろんかうして書かれた四字の成句は、あらゆる意味で「言葉」であつた。しかし
既成の言葉とはいへ、それは並大抵の行為では達しえない高みに、日頃から飾られてゐる
格別の言葉だつた。今は失つたけれども、かつてわれわれはそのやうな言葉を持つてゐたのである。
私の幼時の直感、集団といふものは肉体の原理にちがひないといふ直感は正しかつた。
肉体は集団により、その同苦によつて、はじめて個人によつては達しえない或る肉の高い
水位に達する筈であつた。そこで神聖が垣間見られる水位にまで溢れるためには、個性の
液化が必要だつた。のみならず、たえず安逸と放埒と怠惰へ沈みがちな集団を引き上げて、
ますます募る同苦と、苦痛の極限の死へみちびくところの、集団の悲劇性が必要だつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より
34 :
無名草子さん:2010/09/24(金) 16:41:43
私には地球を取り巻く巨きな巨きな蛇の環が見えはじめた。すべての対極性を、われとわが尾を
嚥(の)みつづけることによつて鎮める蛇。すべての相反性に対する嘲笑をひびかせてゐる
最終の巨大な蛇。私にはその姿が見えはじめた。
相反するものはその極致において似通ひ、お互ひにもつとも遠く隔たつたものは、ますます
遠ざかることによつて相近づく。蛇の環はこの秘義を説いてゐた。
私は肉体の縁(へり)と精神の縁、肉体の辺境と精神の辺境だけに、いつも興味を
寄せてきた人間だ。深淵には興味がなかつた。深淵は他人に委せよう。なぜなら深淵は
浅薄だからだ。深淵は凡庸だからだ。
縁の縁、そこには何があるのか。虚無へ向つて垂れた縁飾りがあるだけなのか。
三島由紀夫「太陽と鉄」より
35 :
無名草子さん:2010/09/24(金) 16:43:56
地球は死に包まれてゐる。空気のない上空には、はるか地上に、物理的条件に縛められて
歩き回る人間を眺め下ろしながら、他ならぬその物理的条件によつてここまでは気楽に昇れず、
したがつて物理的に人を死なすこときはめて稀な、純潔な死がひしめいてゐる。人が素面で
宇宙に接すればそれは死だ。宇宙に接してなほ生きるためには、仮面をかぶらねばならない。
酸素マスクといふあの仮面を。
精神や知性がすでに通ひ馴れてゐるあの息苦しい高空へ、肉体を率いて行けば、そこで
会ふのは死かもしれない。精神や知性だけが昇つて行つても、死ははつきりした顔を
あらはさない。そこで精神はいつも満ち足りぬ思ひで、しぶしぶと、地上の肉体の棲家へ
舞ひ戻つて来る。彼だけが昇つて行つたのでは、つひに統一原理は顔をあらはさない。
二人揃つて来なくては受け容れられぬ。
ほんのつかのまでも、われわれの脳裡に浮んだことは存在する。現に存在しなくても、
かつてどこかに存在したか、あるひはいつか存在するであらう。
三島由紀夫「太陽と鉄」より
36 :
無名草子さん:2010/09/24(金) 16:48:02
私はそもそも天に属するのか?
さうでなければ何故天は
かくも絶えざる青の注視を私へ投げ
私をいざなひ心もそらに
もつと高くもつと高く
人間的なものよりもはるか高みへ
たえず私をおびき寄せる?
均衡は厳密に考究され
飛翔は合理的に計算され
何一つ狂ほしいものはない筈なのに
何故かくも昇天の欲望は
それ自体が狂気に似てゐるのか?
私を満ち足らはせるものは何一つなく
地上のいかなる新も忽ち倦(あ)かれ
より高くより高くより不安定に
より太陽の光輝に近くおびき寄せられ
何故その理性の光源は私を灼き
何故その理性の光源は私を滅ぼす?
三島由紀夫「イカロス」より
37 :
無名草子さん:2010/09/24(金) 16:49:00
眼下はるか村落や川の迂回は
近くにあるよりもずつと耐へやすく
かくも遠くからならば
人間的なものを愛することもできようと
何故それは弁疏(べんそ)し是認し誘惑したのか?
その愛が目的であつた筈もないのに?
もしさうならば私が
そもそも天に属する筈もない道理なのに?
鳥の自由はかつてねがはず
自然の安逸はかつて思はず
ただ上昇と接近への
不可解な胸苦しさにのみ駆られて来て
空の青のなかに身をひたすのが
有機的な喜びにかくも反し
優越のたのしみからもかくも遠いのに
もつと高くもつと高く
翼の蝋の眩暈と灼熱におもねつたのか?
三島由紀夫「イカロス」より
38 :
無名草子さん:2010/09/24(金) 16:50:22
されば
そもそも私は地に属するのか?
さうでなければ何故地は
かくも急速に私の下降を促し
思考も感情もその暇を与へられず
何故かくもあの柔らかなものうい地は
鉄板の一打で私に応へたのか?
私の柔らかさを思ひ知らせるためにのみ
柔らかな大地は鉄と化したのか?
堕落は飛翔よりもはるかに自然で
あの不可解な情熱よりもはるかに自然だと
自然が私に思ひ知らせるために?
空の青は一つの仮想であり
すべてははじめから翼の蝋の
つかのまの灼熱の陶酔のために
私の属する地が仕組み
かつは天がひそかにその企図を助け
私に懲罰を下したのか?
私が私といふものを信ぜず
あるひは私が私といふものを信じすぎ
自分が何に属するかを性急に知りたがり
あるひはすべてを知つたと傲(おご)り
未知へ
あるひは既知へ
いづれも一点の青い表象へ
私が飛び翔たうとした罪の懲罰に?
三島由紀夫「イカロス」より
39 :
無名草子さん:2010/09/25(土) 11:38:44
かけまくもあやにかしこき
すめらみことに伏して奏(まを)さく
今、四海必ずしも波穏やかならねど
日の本のやまとの国は
鼓腹撃壌(こふくげきじやう)の世をば現じ
御仁徳の下(もと)、平和は世にみちみち
人ら泰平のゆるき微笑みに顔見交はし
利害は錯綜し、敵味方も相結び、
外国(とつくに)の金銭は人らを走らせ
もはや戦ひを欲せざる者は卑劣をも愛し、
邪まなる戦ひのみ陰にはびこり
夫婦朋友も信ずる能(あた)はず
いつはりの人間主義をなりはひの糧となし
偽善の茶の間の団欒は世をおほひ
力は貶(へん)せられ、肉は蔑(なみ)され
若人らは咽喉元をしめつけられつつ
怠惰と麻薬と闘争に、
かつまた望みなき小志の道へ
羊のごとく歩みを揃へ
快楽もその実を失ひ
信義もその力を喪ひ、魂は悉く腐蝕せられ、
三島由紀夫「悪臣の歌」より
40 :
無名草子さん:2010/09/25(土) 11:39:06
年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をば、
道徳の名の下に天下にひろげ
真実はおほひかくされ
道ゆく人の足は希望に躍ることかつてなく
なべてに痴呆の笑ひは浸潤し、
魂の死は行人の顔に透かし見られ、
よろこびも悲しみも須臾(しゆゆ)にして去り
清純は商(あきな)はれ、淫蕩は衰へ、
ただ金(かね)よ金よと思ひめぐらせば
金を以てはからるる人の値打も、
金よりもはるかに卑しきものとなりゆき、
世に背く者は背く者の流派に、
生(なま)かしこげの安住の宿りを営み、
世に時めく者は自己満足の
いぎたなき鼻孔をふくらませ、
ふたたび衰弱せる美学は天下を風靡し、
陋劣(ろうれつ)なる真実のみがもてはやされ、
三島由紀夫「悪臣の歌」より
41 :
無名草子さん:2010/09/25(土) 11:39:31
人ら四畳半を改造して
そのせまき心情をキッチンに磨き込み
車は繁殖し、無意味なる速力は魂を寸断し、
大ビルは建てども大義は崩壊し
窓々は欲球不満の蛍光灯にかがやき渡り、
人々レジャーへといそぎのがるれど
その生活の快楽には病菌つのり
朝な朝な昇る日はスモッグに曇り、
感情は鈍磨し、鋭角は磨滅し、
烈しきもの、雄々しき魂は地を払ふ。
血潮はことごとく汚れて平和に温存せられ
ほとばしる清き血潮はすでになし。
天翔(あまが)けるもの、不滅の大義はいづくにもなし。
不朽への日常の日々の
たえざる研磨も忘れられ、
人みな不朽を信ぜざることもぐらの如し。かかる日に、
――などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。
三島由紀夫「悪臣の歌」より
42 :
無名草子さん:2010/09/25(土) 11:39:51
かけまくもあやにかしこき
すめらみことに伏して奏(まを)さく。
かかる世に大君こそは唯御一人
人のつかさ、人の鑑(かがみ)にてましませり。
すでに敗戦の折軍将マッカーサーを、
その威丈高なる通常軍装の非礼をものともせず
訪れたまひしわが大君は、
よろづの責われにあり、われを罰せと
のたまひしなり。
この大御心(おほみこころ)、敵将を搏(う)ちその卑賤なる尊大を搏ち
洵(まこと)の高貴に触れし思ひは
さすがの傲岸をもまつろはせたり。
げに無力のきはみに於て人を高貴にて搏つ
その御けだかさはほめたたふべく、
わが大君は終始一貫、
暴力と威武とに屈したまはざりき。
和魂(にぎみたま)のきはみをおん身にそなへ
生物学の御研究にいそしまれ、
その御心は寛厚仁慈、
なべてを光被したまひしなり。
三島由紀夫「悪臣の歌」より
43 :
無名草子さん:2010/09/25(土) 11:40:11
民の前にお姿をあらはしたまふときも
いささかのつくろひなく、
いささかの覇者のいやしき装飾もなく
すべて無私淡々の御心にて
あまねく人の心に触れ、
戦ひのをはりしのちに、
にせものの平和主義者ばつこせる折も
陛下は真の人の亀鑑、
静かなる御生活を愛され、
怒りも激情にもおん身を委(ゆだ)ねず、
静穏のうちに威大にましまし
御不自由のうちに自由にましまし
世の範となりぬべき真の美しき人間を、
世の小さき凹凸に拘泥なく
終始一貫示したまひき。
三島由紀夫「悪臣の歌」より
44 :
無名草子さん:2010/09/25(土) 11:43:46
つねに陛下は自由と平和の友にましまし、
仁慈を垂れたまひ、諸人の愛敬を受けられ
もつとも下劣なる批判をも
春の雪の如くあはあはと融かしたまへり。
政治の中心ならず、経済の中心ならず、
文化の中心ならず、ただ人ごころの、
静止せる重心の如くおはし給へり。
かかる乱れし濁世(ぢよくせ)に陛下の
白菊の如き御人柄は、
まことに人間の鑑にして人間天皇の御名にそむきたまはず、
そこに真のうるはしき人間ありと感ぜらる。
されどこはすべて人の性(さが)の美なるもの、
人のきはみ、人の中の人、人の絶巓(ぜつてん)、
清き雪に包まれたる山頂なれど
なほ天には属したまはず。すべてこれ、
人の徳の最上なるものを身に具(そな)はせたまふ。
――などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。
三島由紀夫「悪臣の歌」より
45 :
無名草子さん:2010/09/25(土) 11:44:06
かへりみれば陛下はかの
人間宣言をあそばせしとき、
はじめて人とならせたまひしに非ず。
悪しき世に生(あ)れましつつ、
陛下は人としておはしませり。
陛下の御徳は終始一貫、人の徳の頂きに立たせたまひしが、
なほ人としてこの悪しき世をすぐさせ給ひ、
人の中の人として振舞ひたまへり。
陛下の善き御意志、陛下の御仁慈は、
御治世においていつも疑ふべからず。
逆臣侫臣(ねいしん)囲りにつどひ、
陛下をお退(さが)らせ申せしともいふべからず。
大事の時、大事の場合に、
人として最良の決断を下したまひ、
信義を貫ぬき、暴を憎みたまひ
世にたぐひなき明天子としてましましたり。
これなくて、何故にかの戦ひは
かくも一瞬に平静に止まりしか。
されどあへて臣は奏す。
――などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。
三島由紀夫「悪臣の歌」より
46 :
無名草子さん:2010/09/25(土) 11:44:25
陛下の大御代(おおみよ)はすでに二十年の平和、
明治以来かくも長き平和はあらず、
敗れてのちの栄えといへど、
近代日本にかほどの栄えはあらず。
されど陛下の大御代ほど
さはなる血が流されし御代もなかりしや。
その流血の記憶も癒え
民草の傷も癒えたる今、
臣今こそあへて奏すべき時と信ず。
かほどさはなる血の流されし
大御代もあらざりしと。
三島由紀夫「悪臣の歌」より
47 :
無名草子さん:2010/09/25(土) 11:44:42
そは大八洲(おほやしま)のみにあらず
北溟(ほくめい)の果て南海の果て、
流されし若者の血は海を紅(くれな)ゐに染め
山脈を染め、大河を染め、平野を染め、
水漬(みづ)く屍は海をおほひ
草生(くさむ)す屍は原をおほへり。
血ぬられし死のまぎはに御名を呼びたる者
その霊は未だあらはれず。
いまだその霊は彼方此方(かなたこなた)に
むなしく見捨てられて鬼哭(きこく)をあぐ。
神なりし御代は血潮に充ち
人とまします御代は平和に充つ。
されば人となりませしこそ善き世といへど
――などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。
三島由紀夫「悪臣の歌」より
48 :
無名草子さん:2010/09/25(土) 11:45:01
御代は血の色と、
安き心の淡き灰色とに、
鮮やかに二段に染め分けられたり。
今にして奏す、陛下が人間(ひと)にましまし、
人間として行ひたまひし時二度ありき、
そは昭和の歴史の転回点にて、
今もとに戻すすべもなけれど、
人間としてもつとも信実、
人間としてもつとも良識、
人間としてもつとも穏健、
自由と平和と人間性に則つて行ひたまひし
陛下の二くさの御行蔵あり。
(されどこの二度とも陛下は、
民草を見捨てたまへるなり)
一度はかの二、二六事件のとき、
青年将校ども蹶起(けつき)して
重臣を衂(ちぬ)りそののちひたすらに静まりて、
御聖旨御聖断を仰ぎしとき、
陛下ははじめよりこれを叛臣とみとめ
朕の股肱(ここう)の臣を衂りし者、
朕自ら馬を進めて討たんと仰せたまひき。
三島由紀夫「悪臣の歌」より
49 :
無名草子さん:2010/09/25(土) 11:48:29
重臣は二三の者、民草は億とあり、
陛下はこの重臣らの深き忠誠と忠実を愛でたまひ
未だ顔も知らぬ若者どもの赤心のうしろに
ひろがり悩める民草のかげ、
かの暗澹たる広大な貧困と
青年士官らの愚かなる赤心を見捨て玉へり。
こは神としてのみ心ならず、
人として暴を憎みたまひしなり。
されど、陛下は賢者に囲まれ、
愚かなる者の血の叫びをききたまはず
自由と平和と人間性を重んぜられ、
その民草の血の叫びにこもる
神への呼びかけをききたまはず、
玉穂なすみづほの国の
荒れ果てし荒蕪(くわうぶ)の地より、
若き者、無名の者の肉身を貫きたりし
死の叫びをききたまはざりき。
三島由紀夫「悪臣の歌」より
50 :
無名草子さん:2010/09/25(土) 11:48:55
かのとき、正に広大な御領の全てより、
死の顔は若々しく猛々(たけだけ)しき兵士の顔にて、
たぎり、あふれ、対面しまゐらせんとはかりしなり。
直接の対面、神への直面、神の理解、神の直観を待ちてあるに、
陛下は人の世界に住みたまへり。
かのときこそ日本の歴史において、
深き魂の底より出づるもの、
冥人の内よりうかみ出で、
明るき神に直面し、神人の対話をはかりし也。
死は遍満し、欺瞞をうちやぶり、
純潔と熱血のみ、若さのみ、青春のみをとほして
陛下に対晤(たいご)せんと求めたるなり。
されど陛下は賢き老人どもに囲まれてゐたまひし。
日本の古き歴史の底より、すさのをの尊(みこと)は
理解せられず、聖域に生皮を投げ込めど、
荒魂(あらみたま)は、大地の精の血の叫びを代表せり。
このもつとも醇乎たる荒魂より
陛下が面をそむけたまひしは
祭りを怠りたまひしに非ずや。
――などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。
三島由紀夫「悪臣の歌」より
51 :
無名草子さん:2010/09/25(土) 11:49:13
二度は特攻隊の攻撃ののち、
原爆の投下ののち終戦となり、
又も、人間宣言によりて、
陛下は赤子を見捨てたまへり。
若きいのちは人のために散らしたるに非ず。
神風(かみかぜ)とその名を誇り、
神国のため神のため死したるを、
又も顔知らぬ若きもの共を見捨てたまひ、
その若きおびただしき血潮を徒(あだ)にしたまへり。
今、陛下、人間(ひと)と仰せらるれば、
神のために死にしものの御霊(みたま)はいかに?
その霊は忽(たちま)ち名を糾明せられ、
祭らるべき社もなく
神の御名は貶(へん)せられ、
ただ人のために死せることになれり。
三島由紀夫「悪臣の歌」より
52 :
無名草子さん:2010/09/25(土) 11:49:34
人なりと仰せらるるとき、
神なりと思ひし者共の迷蒙はさむべけれど、
神と人とのダブル・イメーヂのために生き
死にたる者の魂はいかにならん。
このおびただしき霊たちのため
このさはなる若き血潮のため
陛下はいかなる強制ありとも、
人なりと仰せらるべからざりし也。
して、のち、陛下は神として
宮中賢所(かしこどころ)の奥深く、
日夜祭りにいつき、霊をいつき、
神のおんために死したる者らの霊を祭りておはしませば、
いかほどか尊かりしならん、
――などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。
三島由紀夫「悪臣の歌」より
53 :
無名草子さん:2010/09/25(土) 11:49:53
陛下は帽を振りて全国を遊行しし玉ひ、
これ今日の皇室の安寧のもととなり
身に寸鉄を帯びず思想の戦ひに勝ちたまひし、
陛下の御勇気はほめたたふべけれど、
もし祭服に玉体を包み夜昼おぼろげなる
皇祖皇宗御霊の前にぬかづき、
神のために死せる者らをいつきたまへば、
何ほどか尊かりしならん。
今再軍備の声高けれど、
人の軍、人の兵(つはもの)は用ふべからず。
神の軍、神の兵士こそやがて神なるに、
――などてすめろぎは人間(ひと)となり玉ひし。
三島由紀夫「悪臣の歌」より
54 :
無名草子さん:2010/09/28(火) 12:19:36
僕は空を飛ぶのに、思想と肉体と両方で飛びたかつたんだ。
足さへ折らなけりや、今ごろは派手な海軍将校さ。……自爆さ……ドドーン、キュウ……
特攻精神の権化になつてるよ、今ごろは。特攻隊といふもの、あれがわれわれの唯一の
青春なんだからな。……今の時代でいちばんアルトハイデルベルヒ的な青春は特攻隊にしか
ないんだからな。……これはまあ、俺も承認する事実だよ。時代の宿命みたいなものだもの。
どうして飛行機を作るより、飛行機に乗りたいとばかり思ふんだらう。弾丸の中をくぐる生活、
それしか安全な生活はないやうな気が僕はするんだ。かうしてただ何かを待つてゐるほど、
危険なことはないやうな気がするんだ。
動いてゐない人間の顔つて、何て醜いんだらう。動いてゐない水のおもてとおんなじなんだ。
頑固で、貧しくて、固くて。
人間、憎しみといふ感情を忘れてゐるときほど、素直になれることはない。
三島由紀夫「魔神礼拝」より
55 :
無名草子さん:2010/09/28(火) 12:19:53
共産主義は資本主義経済内部の一現象にすぎん。資本主義に出来たおできみたいなものだな。
いづれは凹まなければならんものだ。あれは「理想」といふものぢやない。
君にはわからない。おほぜいの盲人の中で、自分一人目がさめてゐると感じることが
どんな苦しみだか。気違ひの中で自分一人が正気だと感じ、大ぜいの馬鹿の中で自分一人が
利巧だと感じること、こいつは決して永保ちのする感じ方ぢやない。もし永保ちすれば、
それは偽物だね。
理想に殉ずるといふことは美しいことだ。
人間が作つたものは、大きければ大きいほど、広ければ広いほど、高ければ高いほど、
不安定になつてしまふ。
がむしやらにうどんを呑み込むやうに時間といふ奴をつるつる呑み込んで、いつか
そのうちに顎の下に山羊みたいなまつ白な毛が生えてくるのを待てばいいのさ。
人生といふ奴は毛生え薬だ、同時に脱毛剤さ。
三島由紀夫「魔神礼拝」より
56 :
無名草子さん:2010/09/28(火) 12:27:40
これ貼ってる奴ってニート?気持ち悪いなあ
57 :
無名草子さん:2010/09/28(火) 21:10:11
雪の中に、処女(をとめ)の肌のやうな花々が咲いてゐる。その雪の花は百合といふのだ。
百合は聖なる処女を意味する。更に、嬰子のやうな純潔な心を意味する。汝らはそれに
接吻するであらう。その夜、聖なる命が世に放たれるのだ。
いとしい娘よ。そなたは未だ持つてゐるだらう。わしのやつた五つの宝石函を。
その一つは、海のなかゝら、人魚たちが捧げ持つて来る真珠で満たされてゐる。
それらは、女たちの心をうつし取るたからだ。それらは牛乳の風呂で浴(ゆあ)みする
女の肌に似てゐる。牛乳の風呂で浴みする若い女の乳房のやうだ。真珠を月に向つて
透かして見るがよい。そなたの希ふ女の像や心が、その表面に映るであらう。それは殆ど、
三百を数へることだらう。そなたのまるい、すべすべした肩は、真珠が大変よくうつるだらう。
真珠は、なべての悲しみや、希ひをやぶられた女の秘かな歯噛みや、清純な諦めなどを
現はしてゐる。だから、真珠の曇りは清い曇りなのだ。
三島由紀夫「路程」より
58 :
無名草子さん:2010/09/29(水) 12:25:41
僕たちにおそろしい妄想を見せるのは臆病といふ病気ですよ。僕たちを縛つてゐるのは
僕たち自身ぢやありませんか。みんな仮の名に、仮の姿におびえてゐるんです。
幸福な思ひ出は不幸な思ひ出よりも人を臆病にさせるものなのよ。
三島由紀夫「灯台」より
太七:船軍で攻められては
源五:たちまち雑魚の佃煮で
弥三:茶漬にして喰はるるまで
岩次:胃の腑の地獄の三丁目
玉市:鱗で涙が
一同:拭かれうか。
人は最期の一念によつて生(しやう)を引く。ふたたび波の越えざる隙に、とくとく
追ひつき奉らん。
三島由紀夫「椿説弓張月」より
59 :
無名草子さん:2010/09/30(木) 10:51:18
女はシャボン玉、お金もシャボン玉、名誉もシャボン玉、そのシャボン玉に映つてゐるのが
僕らの住んでゐる世界。
女の目のなかにはね、ときどき狼がとほりすぎるんだよ。
女の批評つて二つきりしかないぢやないか。「まあすてき」「あなたつてばかね」
この二つきりだ。
子供が生れる。こんなまつ暗な世界に。おふくろの腹の中のはうがまだしも明るいのに。
なんだつて好きこのんで、もつと暗いところへ出て来ようとするんだらう。
三島由紀夫「邯鄲」より
60 :
無名草子さん:2010/09/30(木) 10:58:13
恋と犬とはどつちが早く駆けるでせう。
さてどつちが早く汚れるでせう。
恋愛といふやつは本物を信じない感情の建築なんです。
笑ひなさい! いくらでも笑ひなさい! ……あんた方は笑ひながら死ぬだらう。
笑ひながら腐るだらう。儂はさうぢやない。……儂はさうぢやない。笑はれた人間は
死にはしない。……笑はれた人間は腐らない。
今の世の中で本当の恋を証拠立てるには、きつと足りないんだわ、そのために死んだだけでは。
三島由紀夫「綾の鼓」より
61 :
無名草子さん:2010/09/30(木) 11:05:04
むかし俗悪でなかつたものはない。時がたてば、又かはつてくる。
私を美しいと云つた男はみんな死んぢまつた。だから、今ぢや私はかう考へる。
私を美しいと云ふ男は、みんなきつと死ぬんだと。
どんな美人も年をとると醜女になるとお思ひだらう。ふふ、大まちかひだ。美人は
いつまでも美人だよ。今の私が醜くみえたら、そりやあ醜い美人といふだけだ。
一度美しかつたといふことは、何といふ重荷だらう。そりやあわかる。男も一度戦争へ行くと、
一生戦争の思ひ出話をするもんだ。
人間は死ぬために生きてるのぢやございません。
僕は又きつと君に会ふだらう、百年もすれば、おんなじところで……。
もう百年!
三島由紀夫「卒塔婆小町」より
62 :
無名草子さん:2010/09/30(木) 11:13:33
お嬢さま、色恋は負けるたのしみでございますよ。
あたしあなたの、その不死身が憎らしいの。誰も愛さないから、誰からも傷を負はない。
お母様がさういふあなたをどんなに憎んでどんなに苦しんで来たか、よくわかつたわ。
苦しみを知らない人にかかつたら、どんな苦しみだつて、道化て見えるだけなのよ。
三島由紀夫「只ほど高いものはない」より
63 :
無名草子さん:2010/09/30(木) 11:17:57
人生のいちばんはじめから、人間はずいぶんいろんなものを諦らめる。生れて来て何を
最初に教はるつて、それは「諦らめる」ことよ。そのうちに大人になつて不幸を幸福だと
思ふやうになつたり、何も希まないやうになつてしまふ。
幸福つて、何も感じないことなのよ。幸福つて、もつと鈍感なものよ。
幸福な人は、自分以外のことなんか夢にも考へないで生きてゆくんですよ。
一分間以上、人間が同じ強さで愛しつづけてゆくことなんか、不可能のやうな気が
あたしにはするの。愛するといふことは息を止めるやうなことだわ。一分間以上も息を
止めてゐてごらんなさい、死んでしまふか、笑ひ出してしまふか、どつちかだわ。
愛するといふことは、息を止めることぢやなくて、息をしてゐるのとおんなじことよ。
三島由紀夫「夜の向日葵」より
64 :
無名草子さん:2010/09/30(木) 11:20:56
恋愛といふやつは、単に熱なんです。脈搏なんです。情熱なんていふ誰も見たことのない
好加減な熱ぢやない、ちやんと体温計にあらはれる熱なんです。
恋愛といふのは、数なんです。それも函数(かんすう)なんです。五なら五、六なら六だけ
生へ近づく、それと同時に、おなじ数だけ死へ近づくといふ、函数なんです。
夜の空に太陽を探しだすのはむづかしい。向日葵が戸惑つてゐるのも無理はない。
……しかし夜は長くない。いづれ朝が来る。向日葵は朝になればにつこりする。
三島由紀夫「夜の向日葵」より
65 :
無名草子さん:2010/09/30(木) 11:29:26
あなたらしさつていふものは、あなたの考へてゐるやうに、人が勝手にあなたにつけた
仇名ぢやない。人が勝手にあなたの上に見た夢でもない。あなたらしさつていふものは、
あなたの運命なんだ。のがれるすべもないものなんだ。神さまの与へた役割なんだ。
人のために生きるのが偶像の運命ですよ。
あたくしは人造真珠なの。どこまで行つてもあたくしは造花なの。もしあたくしが豚だつたら、
真珠に嫉妬なんか感じはしないでせう。でも、人造真珠が自分を硝子にすぎないとしじゆう
思つてゐることは、豚が時たま自分のことを豚だと思つたりするのとは比べものにはならないの。
大丈夫よ、自分を本当の真珠だと信じてゐれば、硝子もいつかは真珠になるのよ。
三島由紀夫「夜の向日葵」より
もう一度仰言つて下さい。「許しませんよ」ああ、それこそ貴婦人の言葉だ。生れながらの
けだかい白い肌の言はせる言葉だ。私はその言葉が好きです。どうかもう一度……
三島由紀夫「朝の躑躅」より
66 :
無名草子さん:2010/10/02(土) 11:39:19
今日(10月2日)から「川端康成と三島由紀夫展」
鎌倉文学館で12月まで開催
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
昭和20年3月、川端康成は、20歳の三島由紀夫から最初の小説集『花ざかりの森』を贈られ礼状を認めます。
そして、終戦をはさんだ翌年の1月、三島は原稿を携え川端を訪ねました。川端はそれを読み雑誌「人間」に推薦、三島は本格的に文壇デビューします。
そこから、三島が亡くなるまで24年にわたり二人は深く交流しました。本展では、二人の交流の軌跡を多彩な資料でご紹介します。
鎌倉文学館は鎌倉市長谷。下記にアクセス
http://www.kamakurabungaku.com/info/index.html (月曜休館)
67 :
無名草子さん:2010/10/02(土) 11:39:50
関連イベント
○文学講演会
10月26日 午後一時〜三時
場所 鎌倉生涯学習センターホール
川端香男里(川端記念館理事長)
松本 徹(三島記念館館長)
事前に申し込み(定員280名)
○伝統へ、世界へ 文学講座
11月5日 午後一時〜二時半
場所 鎌倉生涯学習センターホール
講師 佐藤秀明(近畿大学教授、文藝評論家)
事前申し込み(定員280名)
申し込み方法 官製はがき、メール、FAXに郵便番号、住所、氏名、電話番号、参加人数を書いて、鎌倉文学館「文学講演会」「文学講座」係まで。
はがき 248−0016 鎌倉市長谷1−5−3 鎌倉文学館
メール
[email protected] FAX (0467)23−5952
68 :
無名草子さん:2010/10/02(土) 16:57:03
いろんな感情の中に、同時にあたくしが居ます。いろんな存在の中に、同時にあたくしが
居たつて、ふしぎではないでせう。
高飛車な物言ひをするとき、女はいちばん誇りを失くしてゐるんです。女が女王さまに
憧れるのは、失くすことのできる誇りを、女王さまはいちばん沢山持つてゐるからだわ。
昼のあとに夜が来るやうに、苦しみはいづれ来ますわ。
六条:どうしてこの世に右と左が、一つのものに右側と左側があるんでせう。今あたくしは
あなたの右側にゐるわ。さうすると、あなたの心臓はもうあたくしから遠いんです。
もし左側にゐるとするわ。さうすると、あなたの右の横顔はもう見えないの。
光:僕は気体になつて、蒸発しちまふほかはないな。
六条:さうなの。あなたの右側にゐるとき、あたくしにはあなたの左側が嫉ましいの。
そこに誰かがきつと坐るやうな気がするの。
三島由紀夫「葵上」より
69 :
無名草子さん:2010/10/04(月) 15:54:47
贅沢や退屈のしみこんだ肉は、お酒のしみこんだ肉と同じで、腐りさうでなかなか腐らない。
希んだものが、もう希まなくなつたあとで得られても、その喜びは無理矢理自分に言つて
きかせるやうなものなんです。
人間つて決して不幸をたのしみに生きてゆくことなんかできませんのね。
目には目を、歯には歯を、さうして、寛大さには寛大さを。
人を恕すといふことは、こんなことだつたのか。こんなに楽なことだつたのか。……
そしてこんなに人間を無力にするものなのか。
世の中つて、真面目にしたことは大てい失敗するし、不真面目にしたことはうまく行く。
三島由紀夫「白蟻の巣」より
70 :
無名草子さん:2010/10/04(月) 15:58:32
凍てたる轍は危なやなう。
蹄は裂けて痛やなう。
もうおお、鼻輪は血ゆゑに濡れたわなう。
もうおお、なう、もうおお、なう。
三島由紀夫「室町反魂香」より
猿源氏:…輿の内なる上臈を、一目見しより恋となり、あけくれ思ひ煩ひて、心もそぞろの
呼び声が、かくの始末にござりまする。
海老名:ウム、そんなら恋の病ゆゑ。
猿源氏:ハイ面目次第もござりませぬ。
海老名:これはまたおやぢにも似ぬ不甲斐のないせがれぢや。折ふし教へおきたるとほり、
恋の手引は、ナウ、それ敷島の道ぢや。物の本にも、「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女(をとこをうな)の仲をも和らげ」とある。老いたりといへどもこの海老名、
せがれが恋歌の仲立は、胸三寸にあるわいやい。
猿源氏:チエエ忝(かたじけな)い、おやぢどの。なあみだぶつ。なあみだぶつ。
したが相手は雲の上人、こなたは卑しき鰯売、叶はぬ恋となりにけるかな。
三島由紀夫「鰯売恋曳網」より
71 :
無名草子さん:2010/10/05(火) 10:35:35
あたしも暴力はきらひだわ、でも女はか弱いものなのよ。か弱いものが暴力をもつのは
合理的なことだわ。象はおとなしいけど、蜂はすぐ刺すでしよ。
三島由紀夫「溶けた天女」より
残酷だつて思ふのは人間だけだよ。小鳥だつて、花だつて、樹だつて、もつと残酷な世界に
しづかに生きてゐるんだ。ごらん、むかうの松林、樹といふ樹が、海風にさらされて、
ものも云はずに、しづかに立つてゐる。あの樹があんなに静かな様子をしてゐるのは、
人間よりももつと残酷な心を隠し持つてゐるからかもしれないんだ。それといふのも、
心なんかを想像してみるからなんだよ。心が在ると思ふからだよ。心がなければ、
残酷さなんて生れないんだ。
三島由紀夫「三原色」より
72 :
無名草子さん:2010/10/05(火) 10:37:07
朝は、朝はなあ、自炊の朝飯を喰つて、軽い体操をして、晴れた日には、灯台の前の
空地の旗竿に、WAYの旗をあげる。W……A……Y。『汝の愉快なる航海を祈る』か。
朝風に旗がひらひらする。一寸した幸福。旗つてやつは、風がはらむと、幸福らしくなる。
しかし弔旗つてやつもあつたな。まあ、どつちでもいいや。幸福でも不幸でも、
旗つてやつは、感情に訴へるよ。心なんてあんなものだ。風をはらめば、ひらひら、ひらひら。
風がなければ死んでしまふ。内容は風だけなんだ。それだけなんだ。
三島由紀夫「船の挨拶」より
死といふやつは、当り籖(くじ)のやうに身をひそめてゐるんです。
三島由紀夫「大障碍」より
73 :
無名草子さん:2010/10/05(火) 10:39:42
悲しい気持の人だけが、きれいな景色を眺める資格があるのではなくて? 幸福な人には
景色なんか要らないんです。
朝子:お答へにならないところを見ると、それが秘密だからといふばかりでなく、前以て
人に知られたくないやうな、花々しい立派なお仕事なのね。
久雄:とんでもない。恥知らずのやる仕事です。
朝子:殿方が命をかけてやらうとなさつてゐることを、御自分で卑下なすつたりしては
いけません。世間がどんな目で見ようと、よしんば法律の罪だらうと。
久雄:ではこれだけ申します。仰言るとほり僕は命を賭けてゐます。明日の太陽を仰げるか
どうかわかりません。しかしそれは無意味な行為で、歴史に小さな汚点(しみ)をつける
だけのことでせう。
三島由紀夫「鹿鳴館」より
74 :
無名草子さん:2010/10/05(火) 10:42:04
政府の大官や貴婦人方のお追従笑ひは、条約改正どころか、かれらの軽侮の念を強めて
ゐるだけだ。よろしいか、朝子さん。私は外国を廻つて知つてをるが、外国人は自尊心を
持つた人間、自尊心を持つ国民でなければ、決して尊敬しません。壮士の乱入は莫迦げた
ことかもしれん、しかし私はそれで政府に冷水を浴びせ、外国人に肝つ玉の据つた日本人も
ゐるぞといふところを見せてやれば、それで満足なのだ。
清原:あなたの髪、……この黒い髪、……会はないでゐた二十年といふもの、夜の闇が
夜毎に染めて、ますます黒く、ますます長く、ますますつややかになつたこの黒髪……。
朝子:この髪の夜は長くて、夜明けはいつ来るとも知れません。髪がすつかり白くなり、
私が女でなくなるときに、曙がその白髪を染めるのですわ。悩みもない、わづらひもない、
その一日に何もはじまる惧(おそ)れのない曙が。
三島由紀夫「鹿鳴館」より
75 :
無名草子さん:2010/10/05(火) 10:44:04
骨肉の情愛といふものは、一度その道を曲げられると、おそろしい憎悪に変はつてしまふ。
理解の通はぬ親子の間柄、兄弟の間柄は他人よりも遠くなる。
政治とは他人の憎悪を理解する能力なんだよ。この世を動かしてゐる百千百万の憎悪の
歯車を利用して、それで世間を動かすことなんだよ。愛情なんぞに比べれば、憎悪のはうが
ずつと力強く人間を動かしてゐるんだからね。
花作りといふものにはみんな復讐の匂ひがする。絵描きとか文士とか、芸術といふものは
みんなさうだ。ごく力の弱いものの憎悪が育てた大輪の菊なのさ。
この世には人間の信頼にまさる化物はないのだ。
政治の要請はかうだ。いいかね。政治には真理といふものはない。真理のないといふことを
政治は知つてをる。だから政治は真理の模造品を作らねばならんのだ。
三島由紀夫「鹿鳴館」より
76 :
無名草子さん:2010/10/05(火) 10:47:01
僕の考へる旅はますます美しい、ますます空想的なものになつたんです。つまり汽車だの
船だのが要らない旅になつたんです。この虚偽に充たされた国にゐて、僕があるとき、
海のむかうの、平和で秩序正しく、つややかな果物がいつも実つて、日がいつも照り
かがやいてゐる国のことを心に浮べたとき、汽車だの船だのは、もう僕にはまだるつこしい。
僕がさういふ国を心に浮べたとき、まさにその瞬間からですよ、僕がもうその国に
居るのでなくては、その瞬間から、僕の空想してゐた果物の香りが現実の香りになり、
僕の夢みてゐた日光が頭の上にふり注いで来るのでなくては。……それでなくては、
もう間に合はないんです。
お嬢さん、教へてあげませう。武器といふものはね、男に論理を与へる一番強力な
道具なんですよ。
三島由紀夫「鹿鳴館」より
77 :
無名草子さん:2010/10/05(火) 10:49:21
朝子:清原さんの仰言るやうに、あなたは成功した政治家でいらつしやる。何事も
思ひのままにおできになる。その上何をお求めになるんです。愛情ですつて?
滑稽ではございませんか。心ですつて? 可笑しくはございません? そんなものは
権力を持たない人間が、後生大事にしてゐるものですわ。乞食の子が大事にしてゐる
安い玩具まで、お欲しがりになることはありません。
影山:あなたは私を少しも理解しない。
影山:ごらん。好い歳をした連中が、腹の中では莫迦々々しさを噛みしめながら、
だんだん踊つてこちらへやつて来る。鹿鳴館。かういふ欺瞞が日本人をだんだん賢くして
行くんだからな。
朝子:一寸の我慢でございますね。いつはりの微笑も、いつはりの夜会も、そんなに
永つづきはいたしません。
影山:隠すのだ。たぶらかすのだ。外国人たちを、世界中を。
朝子:世界にもこんないつはりの、恥知らずのワルツはありますまい。
三島由紀夫「鹿鳴館」より
78 :
無名草子さん:2010/10/05(火) 17:53:38
他者との距離、それから彼は遁れえない。距離がまづそこにある。そこから彼は始まるから。
距離とは世にも玄妙なものである。梅の香はあやない闇のなかにひろがる。薫こそは
距離なのである。しづかな昼を熟れてゆく果実は距離である。なぜなら熟れるとは距離だから。
年少であることは何といふ厳しい恩寵であらう。まして熟し得る機能を信ずるくらゐ、
宇宙的な、生命の苦しみがあらうか。
一つの薔薇が花咲くことは輪廻の大きな慰めである。これのみによつて殺人者は耐へる。
彼は未知へと飛ばぬ。彼の胸のところで、いつも何かが、その跳躍をさまたげる。
その跳躍を支へてゐる。やさしくまた無情に。恰かも花のさかりにも澄み切つた青さを
すてないあの蕚(うてな)のやうに。それは支へてゐる。花々が胡蝶のやうに飛び立たぬために。
三島由紀夫「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」より
79 :
無名草子さん:2010/10/06(水) 18:24:06
三島由紀夫が存命なれば、必ずや京都大学学術出版会から上梓された傑作大事典
『西洋古典学事典』を愛読して、大勢の識者たちに買って読むように推薦するだろう
これは絶対に間違いないぞ。
請け合ってもいい。
80 :
無名草子さん:2010/10/07(木) 03:21:02
さすれば私も早速に買ひ求めませうぞ。
81 :
無名草子さん:2010/10/07(木) 14:28:11
あの慌しい少年時代が私にはたのしいもの美しいものとして思ひ返すことができぬ。
「燦爛とここかしこ、陽の光洩れ落ちたれど」とボオドレエルは歌つてゐる。「わが青春は
おしなべて、晦闇の嵐なりけり」。少年時代の思ひ出は不思議なくらゐ悲劇化されてゐる。
なぜ成長してゆくことが、そして成長そのものの思ひ出が、悲劇でなければならないのか。
私には今もなほ、それがわからない。誰にもわかるまい。老年の謐かな智恵が、あの秋の末に
よくある乾いた明るさを伴つて、我々の上に落ちかゝることがある日には、ふとした加減で、
私にもわかるやうになるかもしれない。だがわかつても、その時には、何の意味も
なくなつてゐるであらう。
三島由紀夫「煙草」より
82 :
無名草子さん:2010/10/07(木) 14:31:06
往時より、月を見て暮らした人、透視術に淫した人は、疲労困憊して狂気か死への途を
辿るといはれる。さやうな疲れは人間の能力を超えたものへの懲罰であり、同時に深く
人性の底に根ざした疲れである。
死すべき時は選びえずともどうして死所を選びえぬことがあらう。
三島由紀夫「中世」より
夢想は私の飛翔を、一度だつて妨げはしなかつた。
夢想への耽溺から夢想への勇気へ私は出た。……とまれ耽溺といふ過程を経なければ
獲得できない或る種の勇気があるものである。
最早私には動かすことのできない不思議な満足があつた。水泳は覚えずにかへつて来て
しまつたものの、人間が容易に人に伝へ得ないあの一つの真実、後年私がそれを求めて
さすらひ、おそらくそれとひきかへでなら、命さへ惜しまぬであらう一つの真実を、私は
覚えて来たからである。
三島由紀夫「岬にての物語」より
83 :
無名草子さん:2010/10/07(木) 19:11:49
王子をゆりうごかした愛は、合(みあは)しせんと念(おも)ふ愛であつた。鹿が狩手の矢も
おそれずに牝鹿が姿をかくした谷間へと荊棘(いばら)をふみしだいて馳せ下りる愛であり、
つがひの鳩を死ぬまで森の小暗い塒(ねぐら)にむすびつける愛であつた。その愛の前に
死のおそれはなく、その愛の叶はぬときは手も下さずに死ぬことができた。王子も亦、
死が驟雨のやうにふりそそいでくるのを待つばかりである。どのみち徒らにわたしは死ぬ、
と王子は考へた。死をおそれぬものが何故罪をおそれるのか?
この世で愛を知りそめるとは、人の心の不幸を知りそめることでございませうか。
わが身の幸もわが身の不幸も忘れるほどに。
三島由紀夫「軽王子と衣通姫」より
84 :
無名草子さん:2010/10/07(木) 19:16:43
たとひ人の申しますやうに恋がうつろひやすいものでありませうとも、大和の群山(むらやま)に
のこる雪が、夏冬をたえずうつりかはりながら、仰ぐ人にはいつもかはらぬ雪とみえますやうに、
うつろひやすいものはうつろひやすいものへとうけつがれてゆくでございませう。
恋の中のうつろひやすいものは恋ではなく、人が恋ではないと思つてゐるうつろはぬものが
実は恋なのではないでせうか。
はげしい歓びに身も心も酔うてをります時ほど、もし二人のうちの一人が死にその歓びが
空しくなつたらと思ふ怖れが高まりました。二人の恋の久遠を希ふ時ほど、地の底で
みひらかれる暗いあやしい眼を二人ながら見ました。あなたさまはわたくし共が愛を
信じないとてお誡(いまし)め遊ばしませうが、時にはわれから愛を信じまいと
力(つと)めたことさへございました。せい一杯信じまいと力めましても、やはり恋は
わたくし共の目の前に立つてをりました。
三島由紀夫「軽王子と衣通姫」より
85 :
無名草子さん:2010/10/07(木) 19:18:16
わたくし共の間にはいつも二人の仲人、恋と別れとが据つてをります。それは一人の仲人の
二つの顔かとも存ぜられます。別れを辛いものといたしますのも恋ゆゑ、その辛さに
耐へてゆけますのも恋ゆゑでございますから。
自在な力に誘はれて運命もわが手中にと感じる時、却つて人は運命のけはしい斜面を
快い速さで辷りおちつゝあるのである。
女性は悲しみを内に貯へ、時を得てはそれを悉く喜びの黄金や真珠に変へてしまふことも
できるといふ。しかし男子の悲しみはいつまで置いても悲しみである。
凡ては前に戻る。消え去つたと思はれるものも元在つた処へ還つて来る。
三島由紀夫「軽王子と衣通姫」より
86 :
無名草子さん:2010/10/07(木) 19:20:45
やさしい心根をもつゆゑに、人の冷たい仕打にも誠実であらうとする。誠実は練磨された。
ほとんど虚偽と見まがふばかりに。
事件といふものは見事な秩序をもつてゐるものである。日常生活よりもはるかに見事な。
三島由紀夫「サーカス」より
美しい女と二人きりで歩いてゐる男は頼もしげにみえるのだが、女二人にはさまれて
歩いてゐる男は道化じみる。
三島由紀夫「春子」より
若い女といふものは誰かに見られてゐると知つてから窮屈になるのではない。ふいに体が
固くなるので、誰かに見詰められてゐることがわかるのだが。
三島由紀夫「白鳥」より
87 :
無名草子さん:2010/10/07(木) 19:23:21
中世欧羅巴(ヨーロッパ)の騎士たちは戦争のみならず日常生活の随所に織り込まれる
決闘によつてたえず生命の危険にさらされてゐた。それは古今東西変はらない女たるものの
天賦の危険、即ち貞操の危険と相頡頏するものであつた。つまり男女の危険率が平等であつたのだ。
さういふ時、女は自分の貞操を、男が自分の生命を考へるやうに考へただらうと思はれる。
貞操は自分の意志では守りがたいもので、運命の力に委ねられてゐると感じたに相違ない。
また貞操は貞操なるが故に守らるべきものではなく、それ以上の目的の為には喜んで
投げ出されるべきであつた。と同時に、男がつまらない意地や賭事に生命を弄ぶことが
あるやうに、女もそれ以外に賭ける財産がないではないのに、一番見栄えのする貞操を、
軽い手慰みに賭けて悔いないこともあつたにちがひない。その勇敢、その勇気が、かくして
時には異様に荘厳な光輝を放つたことがあつたかもしれない。……
余裕は反省を絞め殺してしまふものだ。
三島由紀夫「夜の仕度」より
88 :
無名草子さん:2010/10/08(金) 19:48:04
若いやつの死だけが、豪勢で、贅沢なのさ。だつてのこりの一生を一どきに使つちやふんだ
ものな。若いやつの死だけが美しいのさ。それはまあ一種の芸術だな。もつとも自然に
反してゐて、しかも自然の一つの状態なんだから。
デカダンばつかりですからね。それにみんな半病人ですから、自分の個体の存続にばかり
気をとられて、国の永遠の生命といふものを見失つてますからな。
喜んで国のために死ぬといふことと、真理探究とは、両立すると俺は思つてゐる。
人間つて、自分が思ひ込んだとほりのものになるものでねえ。ジャン・コクトオが面白い
ことを言つてゐる。「ヴィクトル・ユウゴオは、自らヴィクトル・ユウゴオだと信じた
狂人だつた」と。諸君はひよつとすると、自ら無気力だと信じてゐる狂人なんぢや
ありませんかね。
日本が敗けたことが何ともないのか。だから俺はインテリがきらひなんだ。きんたまの
ない男をインテリといふんだよ。きんたまがあつたら、祖国が野蛮人の前に膝を屈するのを
黙つて見てゐられるか。
三島由紀夫「若人よ蘇れ」より
89 :
無名草子さん:2010/10/08(金) 20:51:42
金閣寺の吃音の主人公がどもっている時の心理描写が見事。三島が吃音者だとは聞いてないが…。吃音の経験があったのでは?
90 :
無名草子さん:2010/10/09(土) 00:19:23
主人公のような吃りの経験はなかったそうですけど、青白く痩せていたために同級生に「アオジロ」と
からかわれていた経験から様々な屈辱の想像が描写できたのでは?
インポテンツの体験は実体験のようですよ。
91 :
無名草子さん:2010/10/09(土) 20:04:06
ねえ、人間つて、待つたり待たせたりして生きてゆくものぢやない?
愛はみんな怖しいんですよ。愛には法則がありませんから。
三島由紀夫「班女」より
大切なのは今といふ時間、今日といふこの日だよ。その点では遺憾ながら、人のいのちも
花のいのちも同じだ。同じなら、悲しむより楽しむことだよ。
楽しみといふものは死とおんなじで、世界の果てからわれわれを呼んでゐる。その輝やく声、
そのよく透る声に呼ばれたら最後、人はすぐさま席を立つて、出かけて行かなくちやならんのだ。
相容れないものが一つになり、反対のものがお互ひを照らす。それがつまり美といふものだ。
陽気な女の花見より、悲しんでゐる女の花見のはうが美しい。
三島由紀夫「熊野」より
92 :
無名草子さん:2010/10/09(土) 21:51:42
ひとりひとりの胸にそんなにまで切ない憧れをのこして行つたかなしみは、その哀しみのゆゑに
はるかな、たとしへもなく美しい悔いを悼歌のやうにかなでた。だれが悔いる責を負ふ人で
あつたらう。さうした悔いのなかには、ねぎごとに似たふしぎな美しさが聳えだしたと、
そんな風に人はだれにむかつて云はう――。
三島由紀夫「世々に残さん」より
年齢はいつも橋であると同時にそれの架る谷間でもある。昔の彼は谷底を見ずに飛越す。
今のエスガイは飛越さうとする時に谷底を見る。しかし可能性の限局ではないのだ。
エスガイは可能性の輪のなかへ入つたのだ。はじめて彼は可能性を己が所有とした。
昔の彼であつたなら、それを彼が、可能性の虜になつてゐる。としか信ぜぬやうな仕方で、
エスガイは輪へ踏み入ることにより、真に輪の外へ出るのではないのか。
三島由紀夫「エスガイの狩」より
93 :
無名草子さん:2010/10/09(土) 21:53:17
接吻をしようと決心した男が、恋文ひとつ書く勇気もないといふことほど滑稽な矛盾が
あらうかしら。事実僕は、小説を読んでも、一人の蕩児が手れん手くだを用ひて遂に女を
ものにする筋より、夢のやうな衝動に襲われた女が見も知らぬ男の頸にすがりつくやうな
場面の方に惹かれがちな年頃であつた。
小説の主人公は一度はかならずさういふ女にめぐりあつて仮の契を結ぶ。しかし実際の
人生で、男がまづめぐりあふ女は、そんな女であることは滅多にないのだ。若い女は
自分の清純をこそねがへ、相手の男の清純をそれほどねがひはしない。これは当然でもあり、
矛盾でもある。
三島由紀夫「恋と別離と」より
お嬢さん方、詩人とお附き合ひなさい。何故つて詩人ほど安全な人種はありませんから。
三島由紀夫「接吻」より
「彼女の死を選択したことは、よく考へてみると、俺自身の死を選択したことでもあつたのだ。
人生よ、さらば!」
――つまりこれが失恋自殺といふ奴である。
三島由紀夫「哲学」より
94 :
無名草子さん:2010/10/09(土) 21:54:47
抑々(そもそも)人間性の底には或るどうにもならない清純さが存在するのであります。
古代人がこれについて深く思ひを致したならば恐らく神性と名付けるでありませう。
かゝる清純さは、本能的なもの無意志的なものと固く結びついてをるのでありまして、
或る時は社会的拘束の凡て、――就中(なかんづく)道徳的準縄の凡てをも、やすやすと
超越し逸脱し得るやうに考へらるゝのであります。さればこそそれは恒常の人間生活の
評価の前に立つ時、殆んど清純と反対の評語――邪悪、破廉恥、厚顔、淫乱、等の汚名をば
浴びせらるゝことを寡(すくな)しとしませぬ。
実に純粋とは、青春の苦役でもあるのであります。
三島由紀夫「贋ドン・ファン記」より
95 :
無名草子さん:2010/10/09(土) 21:55:39
われらが一ト度幸福のなかへ入ると、何をしようと幸福の方でわれらを捕へて放さぬやうに
みえる。しかしわれらの意識せぬ別の力が、いつのまにかわれらを幸福から放逐して
くれるのである。
花には心がある。万象の心の中でも人の心に最も触れやすい心は之である。人が花を
愛づる時、花がなぜその愛に応へ得ぬことがあらう。花の愛は人に愛の誠を教へた。
女には婦徳を、男には平和を。光源氏が世にありし頃、女はなほ花と分ちがたい名を
持ち心を持つてゐた。恋歌は花をうたふ風体の上乗なるものであつた。しかも四時の花は
天候や季節に左右されることなく、極寒の梅も手に触るればあたゝかに、大暑の百合も
人の心に涼風を通はす。
三島由紀夫「菖蒲前」より
96 :
無名草子さん:2010/10/09(土) 21:56:55
否、所謂(いはゆる)花の心は花にもなく人にもない。花を見、且つは触れ、且つは
そを愛でて歌詠む時、人の魂はあくがれ出で花のなかへはひつてゆく。花へはひつた人の心は
水に映れる月のやうに、漣が来れば砕けるが月が傾けば影も傾く。その間に目に見えぬ
糸があり、月と潮の満干のやうな黙契があると思ふのは、誤ち抱いた妄想にすぎぬ。
人の心が人の心のまゝになることに何の不思議があらう。鏡の影が像の儘(まま)に
動くとてなど怪しむことやある。花の心は人の心の分身である。人の心が立去るとき
花にも心は失はれる。
苦しみをはじめて得た人はなほその苦しみを味方に引入れて共に住むことを知らない。
その敵たらんと好んで力(つと)め、苦しみは益々耐へがたいものになる。
三島由紀夫「菖蒲前」より
97 :
無名草子さん:2010/10/10(日) 16:19:47
誰だつて空想する権利はありますわ。殊に弱い人たちなら。
余計なことを耳に入れず、忌はしいものを目に入れないでおくれ。知らずにゐず、
聴かずにゐたい。俺の目に見えないものは、存在しないも同様だからさ。
夢をどんどん現実のはうへ溢れ出させて、夢のとほりにこの世を変へてしまふがいい。
それ以外に悪い夢から治ることなんて覚束ない。さうぢやないこと?
喜んだ顔をしなくてはいけないから喜び、幸福さうに見せなくてはいけないから幸福に
なつたのよ。いつまでも羽根のきれいな蝶々になつてゐなくてはならないから、蝶々に
なつたのよ。
一度枯れた花は二度と枯れず、一度死んだ小鳥は二度と死なない。又咲く花又生れる小鳥は、
あれは別の世界のこと、私たちと何のゆかりもない世界のことなのよ。
淋しさといふものは人間の放つ臭気の一種だよ。
三島由紀夫「熱帯樹」より
98 :
無名草子さん:2010/10/10(日) 20:37:37
世界といふものはね、こぼれやすいお皿に入つてゐるスープなの。みんなして、それが
こぼれないやうに、スープ皿のへりを支へてゐなければなりませんの。
僕はどこまでも行くんだよ。たくさんの雲が会議をひらいてゐるあの水平線まで……。
人間の住む屋根の下では、どんなことでも起るんだよ。
飲みのこしたコーヒーはだんだん冷えて、茶碗の底に後悔のやうに黒く残るの。それは
苦くて甘くて冷たくて、もう飲めやしないの。コーヒーは美味しいうちに飲んで、さうね、
何もかも美味しいうちに飲み干して、それから、「おはやう」を言ふときのやうに元気に、
「さよなら」を言はなければ……。
三島由紀夫「薔薇と海賊」より
99 :
無名草子さん:2010/10/10(日) 20:38:37
帝一:「さよなら」を言ふときも、「おはやう」を言ふやうに朗らかに、つて君言つたよね。
楓:ええ。
帝一:牛乳配達も来ない朝、窓のカーテンの隙間に朝の光りが、金いろの若草が生ひ
茂つたやうに見えもしない朝、鷄といふ鷄は殺されて時も告げない朝、……もし今が
朝だつたら、そんな朝だもの。どうして「おはやう」つて言ふだらう。そんな朝には誰だつて、
「さよなら」つて言ふだらう。さうして殺された鷄のために泣くだらう。
楓:ちらばつた血まみれの羽が、朝風にひらひら飛んでも、朝が来れば私たちは、
「おはやう」と言はなくては。
三島由紀夫「薔薇と海賊」より
100 :
無名草子さん:2010/10/10(日) 20:40:11
定代の幽霊:薔薇は枯れることがございません。
勘次の幽霊:この世をしろしめす神様があきらめて、薔薇に王権をお譲りになつた。
定代の幽霊:これがそのしるしの薔薇、
勘次の幽霊:これがその久遠の薔薇でございます。
定代の幽霊:薔薇の外側はまた内側、
勘次の幽霊:薔薇こそは世界を包みます。
定代の幽霊:この中には月もこめられ、
勘次の幽霊:この中には星がみんな入つてをります。
定代の幽霊:これがこれからの地球儀になり、
勘次の幽霊:これがこれからの天文図になるのでございます。哲学も星占ひも、みんな
この凍つた花びらのなか、緋いろの一輪のなかに在るのでございます。
三島由紀夫「薔薇と海賊」より
101 :
無名草子さん:2010/10/11(月) 16:13:47
複雑な事情などといふものは、みんなただのお化けなのですわ。本当は世界は単純で
いつもしんとしてゐる場所なのですわ。少なくとも私はさう信じてをります。ですから
私には、闘牛場の血みどろの戦ひのさなかに、飛び下りて来て平気で砂の上を、不器用な
足取で歩いてゆく白い鳩のやうな勇気がございます。私の白い翼が血に汚れたとて、
それが何でせう。血も幻、戦ひも幻なのですもの。私は海ぞひのお寺の美しい屋根の上を
歩く鳩のやうに、争ひ事に波立つてゐるお心の上を平気で歩いて差上げますわ……。
この世の終りが来るときには、人は言葉を失つて、泣き叫ぶばかりなんだ。たしかに僕は
一度きいたことがある。
背広といふ安全無類の制服、毎日毎日のくりかへしの生活に忠実だといふ証文なんですね。
三島由紀夫「弱法師」より
102 :
無名草子さん:2010/10/11(月) 16:15:05
僕の魂は、まつ裸でこの世を歩き廻つてゐるんだよ。四方に放射してゐる光りが見えるでせう。
この光りは人の体も灼くけれど、僕の心にもたえず火傷をつけるんです。ああ、こんな風に
裸かで生きてゐるのは実に骨が折れますよ。実に骨が折れる。僕はあなた方の一億倍も
裸かなんだから。……ねえ、桜間さん、僕はひよつとすると、もう星になつてるのかもしれないんです。
川島:われわれはみんな恐怖のなかに生きてゐるんだよ。
俊徳:ただあなた方はその恐怖を意識してゐない。屍のやうに生きてゐる。
俊徳:みんな僕をどうしようといふんだらう。僕には形なんか何もないのに。
級子:形が大切なんですよ。だつてあなたの形はあなたのものぢやなくて、世間のものですもの。
三島由紀夫「弱法師」より
103 :
無名草子さん:2010/10/11(月) 16:15:34
年齢が何だつて言ふんです! 年齢が! 年齢といふものはね、一筋の暗闇の道なんです。
来し方も見えず、行末も見えない。だからそこには距離もないし、止つてゐるも歩いてゐるも
同じこと、進むのも退くのも同じこと、そこでは目あきも盲らになり、生きてゐる人間も
亡者になり、僕同様杖をたよりに、さぐり足でさまよつてゐるにすぎないんです。
赤ん坊も老人も青年も、つまりは同じ場所で、じつと身を寄せ合つてゐるのにすぎない。
夜の朽木の上にひつそりと群れ集まつてゐる虫のやうに。
三島由紀夫「弱法師」より
104 :
無名草子さん:2010/10/11(月) 16:16:25
僕はたしかにこの世のをはりを見た。五つのとき、戦争の最後の年、僕の目を炎で灼いた
その最後の炎までも見た。それ以来、いつも僕の目の前には、この世のをはりの焔が
燃えさかつてゐるんです。何度か僕もあなたのやうに、それを静かな入日の景色だと
思はうとした。でもだめなんだ。僕の見たものはたしかにこの世界が火に包まれてゐる
姿なんだから。
(中略)
世界はばかに静かだつた。静かだつたけれど、お寺の鐘のうちらのやうに、一つの唸りが
反響して、四方から谺(こだま)を返した。へんな風の唸りのやうな声、みんなでいつせいに
お経を読んでゐるやうな声、あれは何だと思ふ? 何だと思ふ? 桜間さん、あれは
言葉ぢやない、歌でもない、あれが人間の阿鼻叫喚といふ奴なんだ。
僕はあんななつかしい声をきいたことがない。あんな真率な声をきいたことがない。
この世のをはりの時にしか、人間はあんな正直な声をきかせないのだ。
三島由紀夫「弱法師」より
105 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 11:59:49
占領とは何だ。占領とはつまり、自分の国の幻滅のありたけをその国へ持ち込んで、
そこで幻滅のない国を夢みることだよ。
しばらく物を云はないで。……その窓にあなたのきれいな横顔がある。実に贅沢で、
豪華な横顔ですよ。あれだけの戦争を、いつときのシャワーみたいにくゞり抜けてきて、
日本の古い歴史の高価で淫蕩な血を伝へて本当の東洋の貴婦人らしいあなたの横顔がある。
伊津子:あなたは小さなかはいゝ箱庭を手にお入れになつたのね。でもさうやつて、
人を命令して従はすのつて、すてきでせうね。人をだましたり、人と相談したりして、
結局自分の思ふところへ引張つてゆくといふのは……何だか卑怯みたいね。
エヴァンス:それが民主々義といふもんです。
神様を信じてゐて悪いことをするはうが、信じてゐないでするよりもすてきぢやなくて。
三島由紀夫「女は占領されない」より
106 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 12:02:31
私、占領された日本の男の人たちから、「占領された」つていふ悲しい顔をとつてあげたいの。
哀れな、卑屈な、不如意な男の人たちの顔を、みんな私の顔みたいに、明るくて、呑気で、
のびのびした顔にしてあげたいの。だつて女といふものは、やすやす占領なんかされて
ゐないんですもの。
日本といふ国は、占領軍がゐたつてゐなくたつて、蜘蛛の巣におつこちた蝶みたいに、
何一つ思ひ切つたことはできないやうになつてるんだ。
僕のたくさんの上官も、その上に威張り返つてゐるマッカーサーも、いや、最高政策を
刻々ワシントンから指令して来るあのオールマイティの連合国委員会も、何一つ、誰一人、
絶対の意志と絶対の権力を持つてゐるやつはゐないんだ。すべては世界の潮流のまゝに
流されてゐる木切なんだ。大きい木切も、小さい木切も。……ごらん。夜の海のまつくらな面が、
ふくらんだり退いたりしてゐる。潮の流れが沖のとほくのはうからすべてを支配してゐる。
それに従つて木切は動く。そして自分で動いたと思つてゐる。……僕も木切にすぎない。
さうして君も……。
三島由紀夫「女は占領されない」
107 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 12:03:39
エヴァンス:僕は一生わすれないだらう。
伊津子:私のことは忘れてもいいわ。たのしさだけはおぼえてゐてね。
エヴァンス:何もかも、僕は一生わすれないだらう。年をとると、何もかもがたのしい
夢のやうに思へてくるだらう。占領政策だの、焼趾だの、革新党内閣だのはみんな
忘れられて、広重の描いたやうな小さな可愛らしい日本だけが残るだらう。それだけが
僕の一生の夢、小さな幸福の思ひ出になるだらう。
伊津子:そのときなら私も安心して、絵の中の女になるでせう。白髪のおばあさんに
なつたときの私なら、喜んで今の私を、絵の中の女だと思ふでせう。
三島由紀夫「女は占領されない」より
不満といふものはね、お嬢さん、この世の掟を引つくりかへし、自分の幸福を
めちやめちやにしてしまふ毒薬ですよ。
自然と戦つて、勝つことなんかできやしないのだ。
三島由紀夫「道成寺」より
108 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 12:18:42
どうして作者が主人公を救つたりする必要があるんです、そのためにたとへ地獄へ落ちようと。
安物の小説家は、安手な救済を用意します。あれは安い麻薬です。小説の中に
「生きるための手引」なんぞを上手に織り込みます。あれは売薬の広告です。……もちろん
小説を書くといふこと、実在のまねをして人をたぶらかすこと、それは罪だと私は知つてゐます。
だからせめて私は、救済のまねごとまでは遠慮したんです。
私がまねようとした実在、その結果世間の人がみんな信じるやうになつた実在、あの
五十四人の女に愛された光といふ人間は、はじめからそこらにある実在とはちがつて
ゐたんです。どうちがつてゐたか? どうしてそれが特別の実在だつたか? それは
月のやうな実在で、いつも太陽の救済の光りに照らされて輝いてゐた。だから女たちは
その輝やきに魅せられて彼を愛した。彼に愛されれば、自分も救はれるやうな気がしたからです。
三島由紀夫「源氏供養」より
109 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 12:19:01
いいですか。私のしたことはといへば、この救済の光りだけを存分に利用しておいて、
救済は否定したといふことなの。これが天の妬みを買つたんです。そんじよそこらの実在と
安手な救済との継ぎはぎ細工なら、天は笑つて恕すでせうに、私の場合は恕せませんでした。
何故つて光のやうな人間こそ、天が一等創りたい存在だからです。救済の輝やきだけを
身に浴びて、救済を拒否するやうな人間こそ。……わかりますか。天はそれを創りたくても
創れない。何故なら光の美しさの原因である救済を天は否定することができないからです。
それができるのは芸術家だけなんですよ。芸術家は救済の泉に手をさし入れても、
上澄みの美だけを掬ひ取ることができる。それが天を怒らせるのよ。
三島由紀夫「源氏供養」より
110 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 12:23:12
光:僕はもう夢は怖くない。
看護婦:葵さんは夢に殺されたんですよ。
光:僕は男だ。
看:お気をつけなさい。真夜中にでる幽霊なんかは、知れたものですわ。もつと怖ろしいのは
午後の幽霊なのよ。こんな、何とも云へない退屈な、いい日和の、いつまでもつづきさうに
思へる午後、それは突然現はれるの。午後の幽霊……それに会ふときがあなたの本当の
敗北の時、でもその時こそあなたの本当に自由になる時かもしれないわ。いづれにせよ、
あなたはもうぢきそれにお会ひになるでせう。
光:(時計を見て)さア、もう君は病院へかへらなきやならん時間だぞ。
看:(立上つて)あなたが時間を知らせて下さることはないのよ。
光:(立上つて)I just remembered something funny …………
三島由紀夫「LONG AFTER LOVE」より
111 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 12:24:02
今急に俺の家の猫がペンキ壷を引つくりかへしたやうな気がしたのだ。
それも私の罪ぢやないのさ。私の知つたことぢやないのさ。さつきお前さんが恋人たちを見て、
星だの大空だのと愚にもつかぬことを言つた、それとおんなじ気持に溺れて、いい気持で
死んで行つたんだよ。恋が自然にその身を滅ぼし、夢みただけの報いをうけ、私が手を
下すまでもなく、……さうさ、行き倒れの酔つぱらひの上に雪が静かにふりつむやうに、
やつらの上に死がふりつんだ。
(強く)……私に何の科があるものかね。私の顔の美しさから、つまらぬ幻を引き出して、
その報いに死んだだけのことだもの。それ以来私は、私の顔を美しいといふ男は、きつと
死ぬもんだと思ふやうになつたんだ。
三島由紀夫「LONG AFTER LOVE」より
112 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 21:09:48
私は物と物とがすなほにキスするやうな世界に生きてゐたいの。お金が人と人、物と物、
あなたと私を分け隔ててゐる。退屈な世界だわ。さうぢやなくつて?
きれいな顔と体の人を見るたびに、私、急に淋しくなるの。十年たつたら、二十年たつたら、
この人はどうなるだらうつて。さういふ人たちを美しいままで置きたいと心(しん)から思ふの。
年をとらせるのは肉体じやなくつて、もしかしたら心かもしれないの。心のわづらひと
衰へが、内側から体に反映して、みにくい皺やしみを作つてゆくのかもしれないの。
だから心だけをそつくり抜き取つてしまへるものなら……。
ダイヤでもサファイアでも、宝石の中をのぞいてごらんなさい。奥底まで透明で、
心なんか持つてやしないわ。ダイヤがいつまでも輝いてゐていつまでも若いのはそのせゐよ。
三島由紀夫「黒蜥蜴」より
113 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 21:10:18
小さいときから、宝石のやうに大事にされ、可愛がられて育つてきて、私、買はれるより
盗まれるのを夢みるやうになつたんだわ。
私を欲しがる人は、盗むくらゐの熱がなくつちやいや。厚い硝子の窓に守られ、
天鵞絨(ビロード)の台座に据ゑられた私を、硝子ごしにのぞいて通る人の目の中に、
諦らめや怒りや尊大な強がりや、さういふものが浮ぶのを見るのに飽きて、私はいつか
勇敢な泥棒の目ばかりを待ちこがれるやうになつたんだわ。
若くてきれいな人たちは、黙つてゐるはうが私は好き。どうせ口を出る言葉は平凡で、
折角の若さも美しさも台なしにするやうな言葉に決つてゐるから。あなたたちは着物を
着てゐるのだつて余計なの。着物は醜くなつた体を人目に隠すためのものだもの。
恋のためにひらいた唇と同じほど、恋のためにひらいた一つ一つの毛穴と、ほのかな産毛は
美しい筈。さうぢやなくて? 恥かしさに紅く染つた顔が美しいなら、嬉しい恥かしさで
真赤になつた体のはうがもつときれいな筈。
三島由紀夫「黒蜥蜴」より
114 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 21:10:34
宝石には不安がつきものだ。不安が宝石を美しくする。
人間は眠る。宝石は眠らない。町がみんな寝静まつたあとでも、信託銀行の金庫の中で、
錠の下りた宝石箱の中で、宝石たちはぱつちりと目をひらいてをる。宝石は絶対に夢を
見ないのだ。ダイヤモンドのシンジケートが、値打ちをちやんと保証してくれてゐるから、
没落することもない。正確に自分の値打ち相応に生きてる者が、どうして夢なんか見る
必要があるだらう。あーあ。なあ、さうだらう、早苗? 夢の代りに不安がある。これは
ダイヤモンドの持つてる優雅な病気だ。病気が重いほど値が上る。値が上るほど病気も重る。
しかもダイヤは決して死ぬことができんのだ。……あーあ。宝石はみんな病気だ。
お父さんは病気を売りつけるのだ。澄んだ、光つた、純粋な小さな病気を。透明な病気、
青い病気、緋いろの病気、紫いろの病気。
三島由紀夫「黒蜥蜴」より
115 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 21:11:07
危機といふものは退屈の中にしかありません。退屈の白い紙の中から、突然焙り出しの
文字が浮び上る。
犯人が黒い色で考へるところを僕が白い色で考へて、一枚の写真のやうに、ぴつたり
絵柄が合ふところまで行ければね。なかなかさうは行きません。これだけ沢山の事件を
くぐつて来たのに、犯罪といふものには、僕にどうしてもわからない部分が必ずある。
或る難事件が起るたびに、僕は自分が犯人であつたらなあと思ひますよ。僕が犯人なら
何でも知つてゐて、解けない謎はない筈ですから。だから僕は一心に犯人をまねる。
犯人の考へたやうに考へ、行つたやうに行はうとして精魂を傾ける。……しかしもう一歩の
ところで、惜しいかな、僕は犯人になりきれない、何かが心の中で僕の邪魔をして……。
犯罪といふものには、何か或る資格が要るのです。いいですか。犯人自身にもしかと
つかめない或る資格が。
どんな卑俗な犯罪にも、一種の夢想がつきまとつてゐる。
三島由紀夫「黒蜥蜴」より
116 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 21:11:45
明智:…今発射したところで、射的の人形のやうに忽ち夜が倒れて、そのむかうから朝の
太陽が顔を出す筈もありません。このピストルはただ夢み、常識を逸脱し、一つのことを
待つてゐるのです。一つのこと、つまり、夜がはつきり脈を打ち、体温を帯び、徐々に
動物特有の匂ひを得て、一人の人間の姿に固まつて現はれる瞬間を。
緑川夫人:それでそれがあらはれたら、あなたは法律の名に於て発射なさる……。
明智:いいえ。夢想の名に於て。われわれ私立探偵の役割が刑事とちがふのはそこなんです。
夢想で夢想を罰する。犯罪の持つてゐる夢の要素を、僕の理智のゑがく夢で罰する。
それ以外に何の生甲斐があるでせう。
今の世の中ぢや。善いことといふのはみんな多少汚れてらあね。だからあんた方は
汚れた善いことの味方だから、いつまでもぱつとしないんだよ。そこへ行くと明智先生は
ちがふわね。あの先生はこの世の中で成り立たないやうな善と正義の味方らしいわ。
三島由紀夫「黒蜥蜴」より
117 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 23:55:55
トリックはなるたけ大胆で子供らしくて莫迦げてゐたはうがいいんだわ。大人の小股を
すくふには子供の知恵が必要なんだ。犯罪の天才は、子供の天真爛漫なところをわがものに
してゐなくちやいけない。さうぢやなくて?
私は子供の知恵と子供の残酷さで、どんな大人の裏をかくこともできるのよ。犯罪といふのは
すてきな玩具箱だわ。その中では自動車が逆様になり、人形たちが屍体のやうに目を閉じ、
積木の家はばらばらになり、獣物たちはひつそりと折を窺つてゐる。世間の秩序で
考へようとする人は、決して私の心に立入ることはできないの。……でも、……でも、
あの明智小五郎だけは……
三島由紀夫「黒蜥蜴」より
118 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 23:56:28
黒蜥蜴:あのときのお前は美しかつたよ。おそらくお前の人生のあとにもさきにも、お前が
あんなに美しく見える瞬間はないだらう。真白なスウェータアを着て、あふむき加減の
顔が街灯の光りを受けて、あたりには青葉の香りがむせるやう、お前は絵に描いたやうな
「悩める若者」だつた。つややかな髪も、澄んだまなざしも、内側からの死の影のおかげで、
水彩画みたいなはかなさを持つてゐた。その瞬間、私はこの青年を自分の人形にしようと
思つたんだわ。
黒蜥蜴:…その夜のうちに、お前は私の人形になる筈だつた。……でも、どうでせう。
気がついてからのお前の暴れやう、哀訴懇願、あの涙……
雨宮:それを言はないで……。
黒蜥蜴:お前の美しさは粉みぢんに崩れてしまつた。死ぬつもりでゐたお前は美しかつたのに、
生きたい一心のお前は醜くかつた。……お前の命を助けたのは情に負けたんぢやないわ。
命を助けてくれれば一生奴隷になると言つたお前の誓ひに呆れたからだわ。
三島由紀夫「黒蜥蜴」より
119 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 23:56:48
今日も何事もなく日が沈む。この大都会、白蟻に蝕まれたやうに数しれない犯罪に
蝕まれたこの大都会に日が沈むんだ。殺人、強盗、誘拐、強姦……、言葉にしてみれば
他愛もないんだが、みんなその一つ一つに人間の知恵と精力と、怒りと嫉妬と、欲望と
情熱がせめぎ合つてゐる。その一つ一つが狂ほしい道に外れた人間の、それでも全身的な
表現なのだ。こいつのどこから手をつけたらいい? 依頼主か。こりやあ自分のことしか
考へない。犯罪の本質にいつも向き合つて、その焔の中の一等純粋なものを身に浴びなければ
ならないのは僕なのだ。僕には犯罪の全体が見える。それはたえず営々孜々とはげんでゐる
世界一の大工場みたいなものだ。ほとんど無数の工員。昼夜兼帯の作業。あの夕映えを
見てゐると、その工場のものすごく巨大な熔鉱炉のあかりみたいな気がする。……今ごろ
黒蜥蜴はどうしてゐるだらうか?
三島由紀夫「黒蜥蜴」より
120 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 23:57:25
今の時代はどんな大事件でも、われわれの隣りの部屋で起るやうな具合に起る。どんな
惨鼻な事件にしろ、一般に犯罪の背丈が低くなつたことはたしかだからね。犯罪の着てゐる
着物がわれわれの着物の寸法と同じになつた。黒蜥蜴にはこれが我慢ならないんだ。
女でさへブルー・ジーンズを穿く世の中に、彼女は犯罪だけはきらびやかな裳裾を
五米(メートル)も引きずつてゐるべきだと信じてゐる。……さういふ考へは、僕にも
分らんことはないよ。
僕の惚れ方は相手の手も握らずに、相手をぎりぎりの破局まで追ひつめることしかない。
これほど清潔でこれほど残酷な恋人はないだらう。僕のやさしさは、相手を破滅させる
やさしさで、……これがつまり、あらゆる恋愛の鑑なのさ。
三島由紀夫「黒蜥蜴」より
121 :
無名草子さん:2010/10/12(火) 23:58:00
明智:この部屋にひろがる黒い闇のやうに
黒蜥蜴:あいつの影が私を包む。あいつが私をとらへようとすれば、
明智:あいつは逃げてゆく、夜の遠くへ。しかし汽車の赤い尾灯のやうに
黒蜥蜴:あいつの光りがいつまでも目に残る。追はれてゐるつもりで追つてゐるのか
明智:追つてゐるつもりで追はれてゐるのか
黒蜥蜴:そんなことは私にはわからない。でも夜の忠実な獣たちは、人間の匂ひをよく
知つてゐる。
明智:人間たちも獣の匂ひを知つてゐる。
黒蜥蜴:人間どもが泊つた夜の、踏み消した焚火のあと、あの靴の足跡が私の中に
明智:いつまでも残るのはふしぎなことだ。
黒蜥蜴:法律が私の恋文になり
明智:牢屋が私の贈物になる。
黒蜥蜴&明智:そして最後に勝つのはこつちさ。
三島由紀夫「黒蜥蜴」より
122 :
無名草子さん:2010/10/13(水) 00:00:36
この「エヂプトの星」はかうして私の手に渡つて、私の胸にかがやいてゐるのに、
露ほども私に媚を売らうとしない。女王さまの胸につけられてもきつとさうだらう。
宝石は自分の輝きだけで充ち足りてゐる透きとほつた完全な小さな世界。その中へは誰も
入れやしない。……持主の私だつて入れやしない。……人間も同じこと。私がすらすらと
中へ入つてゆけるやうな人間は大きらひ。ダイヤのやうに決して私がその中へ入つて
ゆけない人間。……そんな人間がゐるかしら? もしゐたら私は恋して、その中へ入つて
行かうとする。それを防ぐには殺してしまふほかはないの。……でも、もしむかうが
私の中へ入つて来ようとしたら? ああ、そんなわけはないわ。私の心はダイヤだもの。
……でももしそれでも入つて来ようとしたら? そのときは私自身を殺すほかはないんだわ。
私の体までもダイヤのやうに、決して誰も入つて来られない冷たい小さな世界に変へて
しまふほかは……
三島由紀夫「黒蜥蜴」より
123 :
無名草子さん:2010/10/13(水) 00:00:50
明智:君は……
黒蜥蜴:捕まつたから死ぬのではないわ。
明智:わかつてゐる。
黒蜥蜴:あなたに何もかもきかれたから……
明智:真実を聴くのは一等辛かつた。僕はさういふことに馴れてゐない。
黒蜥蜴:男の中で一等卑劣なあなた、これ以上みごとに女の心を踏みにじることはできないわ。
明智:すまなかつた。……しかし仕方ない。あんたは女賊で、僕は探偵だ。
黒蜥蜴:でも心の世界では、あなたが泥棒で、私が探偵だつたわ。あなたはとつくに
盗んでゐた。私はあなたの心を探したわ。探して探して探しぬいたわ。でも今やつと
つかまえてみれば、冷たい石ころのやうなものだとわかつたの。
明智:僕にはわかつたよ。君の心は本物の宝石、本物のダイヤだ、と。
黒蜥蜴:あなたのずるい盗み聴きで、それがわかつたのね。でもそれを知られたら、
私はおしまひだわ。
明智:しかし僕も……
黒蜥蜴:言はないで。あなたの本物の心を見ないで死にたいから。……でもうれしいわ。
明智:何が……
黒蜥蜴:うれしいわ。あなたが生きてゐて。
三島由紀夫「黒蜥蜴」より
124 :
無名草子さん:2010/10/13(水) 11:52:28
森:…やつぱりこんなに月の明るい静かな秋の夜だつた。兵隊たちは忍び足で、まつ白な
月かげに剣附鉄砲を光らせて、浜づたひにやつて来たのだ。クウ・デタ。失敗したにしろ、
栄光にみちた言葉だ。とにかく十・一三事件はすばらしい事件だつた。わしはその二年前、
大蔵大臣に任ぜられて、時の内閣に列なつたときよりも、十・一三事件に狙はれたときのはうが、
もつと高い栄光の絶頂に立つてゐたのだ。
豊子:いつもそれを仰言るのね。そのときは慄へていらしたくせに。
森:わしが怖がつたの怖がらなかつたのといふことは問題ぢやない。狙はれたといふことだけが
重要なんだ。暗殺者に、それも一個中隊の叛乱軍に狙はれる。これこそ政治家の光栄の
絶頂だ。よくも狙つてくれたものだ。あの若い兵隊たちの鼻の上には、いつも憎いわしの
銅像が、国賊の銅像、資本家どもの守り神の銅像が、のしかかつて笑つてゐたのだ。
あの一人一人の兵隊の鼻の上に、昼となく、夜となく……。あとでそれを思ふと、わしは
喜びでぞくぞくしたもんだ。
三島由紀夫「十日の菊」より
125 :
無名草子さん:2010/10/13(水) 11:52:44
あのころ上層部の生活のちよつとした動きまでが、下級将校の耳にピリリと伝はつた。
同じ血潮の夢をゑがきながら、あんなにまで老人と若者がお互ひに近づいたことはなかつた。
あいつらは知つてゐた、百梃の機関銃の前には内閣も大銀行もフェルトの帽子のやうに
脆いことを。あいつらは一寸それを頭にのつけて洒落てみたいと思つたのだ。実に
若者らしい夢だつた。そのためには老衰した水つぽい血がほんのすこし流れればよかつたのだ。
……それでもお父さんは殺されはしなかつたぞ! 若者たちの夢を裏切つてやることが、
大人たちのつとめだからだ。いや、そんなに固苦しくいふことはない。わしはやつらの夢を
愛してゐたから、するりと身をよけて遠くのはうから、やつらの夢を嘲笑つてやることも、
同じやうに愛してゐたわけだ。……わかるかね、豊子。……十六年前の今夜、白刃と
ピストルと機関銃とに取り巻かれてゐた輝やかしいわしが、今夜はかうして、不恰好な
トゲだらけのサボテンに囲まれてゐる。……いいかね。これが人生といふものだ。
三島由紀夫「十日の菊」より
126 :
無名草子さん:2010/10/13(水) 11:52:59
怨みは時が積れば忘れもしようが、一旦人に施した恩は忘れようとしたつて忘れられる
ものぢやない。
稲妻のやうにあの事件が、青い光りをここの御家族へ投げ入れます。……あの晩、はつきり
申し上げますわ、私は旦那様の妻でした。誰も否定できませんわね、旦那様。あの晩私は、
この身一つであなたに歓びを与へ、この身一つであなたのお命を助けようとしてゐる
完全無欠な妻でした。
歴史といふ奴はごみための封印さ。たつた一行書き直しても、封印が破けてしまふ。
そしてそこから数しれない怪物が、翼をひろげて飛び出すのだ。
酔つぱらひの介抱役がいつも介抱するめぐり合はせになるやうに、一度人助けをしたら
どこまでも人を助ける羽目になるものかしら? 私はゆうべ今さらながら、しみじみと
感じたの。助けた人間と、助けられた人間とは、決してわかり合ふことなんかない。
それは王様と乞食みたいに、別々の世界にとぢこめられた人間なんだつて。
三島由紀夫「十日の菊」より
127 :
無名草子さん:2010/10/13(水) 11:53:15
重高:菊さん、死んだやつはみんな仕合せだ思はないかね。こんな澄んだ秋の朝空には、
死んだ奴らの霊が喜々として戯れてゐる。空は奴らの霊でひしめいてゐる。満員の
高架鉄道みたいに。しかし肩をすり合はせ、肱をすり合はせてゐても、奴らは厭ぢやない。
個体といふものがなくなつて、透明な全体の中に溶け合つてゐるからだ。……われわれのやうに、
生きてゐるといふことは、つまり何ものかに嘲られてゐるといふことだ。その大きな
嘲笑ひの前には、われわれはちつぽけな虱(しらみ)だよ。
菊:さういふ考へ方もございませうね。しかし生れついての虱だつたら、そんな風に
考へることはございますまい。
豊子:あ、男がコートを草に敷いて、女と並んで座つたわ。女の肩に手をかけた。……
女の肩にはどうしても男の固い重い掌が要るんだわね。恋が女の制服なら、男の重い掌は
そのいかつい肩章なのね。あの掌から女の体に伝はつて来るもの、あれは濃い葡萄酒を
血のなかへ注ぎ込むやうなものだわね。
垣見:さあ、どうでございませうか。ずいぶん感じの鈍い女も沢山をります。
三島由紀夫「十日の菊」より
128 :
無名草子さん:2010/10/13(水) 11:55:32
豊子:…時折風に乗つて、あの若い動物たちの麝香の匂ひがここまで伝はる。若いの。
どれもこれもみな若い。あの若さが潮風みたいに、当つてゐるときは気がつかなくても、
あとでひりひりするいやな痛みをこちらの肌に残すの。若いといふことがどうしてそんなに
偉いんでせう。
垣見:第一腰が痛みません。関節が痛みません。それだけでも大したことでございます。
豊子:若いといふことは非難や中傷とおんなじで、人を陥れる働らきをするんだわ。
若さといふものは陰謀なんだわ。悪辣な陰謀なんだわ。さうでなければ、「私たちは若い」
と語つてゐる男や女の目が、あんなにお互ひに素速い親密な目くばせをすることなんか
できない筈だわ。
垣見:陰謀なんて、そりやあ御思ひすごしでございませうな。強ひて云へば、同盟といふ
やうなものかもしれません。いづれにしましても、あんまりお金には縁のない同盟なんでして。
三島由紀夫「十日の菊」より
129 :
無名草子さん:2010/10/13(水) 11:55:50
菊:醜い裏切りが美しい犠牲に、化けられるとでも仰言るんですか。助けられた人が
助ける人に成り変れるとでもお思ひなんですか。いいえ、決してそんなことが……
重高:今度は俺が君の確信をこはす番だ。一生のうちにたつた一瞬かもしれないが、
人間はその役割を交換することができるんだ。それができなかつたら、人生に一体何の
値打がある。その一瞬が今朝来たんだ。
重高:…今しがたわかつたんだ。津波はあの海から起るのぢやない。津波は或る朝、
俺の中の死んだ海から、来る日も来る日もいくら釣糸を垂れても魚一つかからない死んだ
海の只中から、突然起るんだと。それがわかつたんだ! 菊さん、津波は今起つたんだよ、
疑ひやうもなく。
三島由紀夫「十日の菊」より
130 :
無名草子さん:2010/10/13(水) 11:56:05
森:…ところでわしにも、お前の知らない思ひがあつたのだ。例の事件の只中に、
わしがその抜け穴から逃げ出して、暗い山道を駆けてゐたために、つひに見ることの
できなかつたのが心残りの……。
菊:何をでございます。
森:お前のそのときの輝やくばかりの裸をだよ。
菊:え?
森:ここにお前のその裸が、百年に一度とないほどの歴史の光りに照らしだされたお前の
裸が、倒れた記念碑のやうに横たはつてゐたのだなあ。兵隊たちの吐きかけた唾のおかげで、
ますます誉れを高めたその美しい裸が。……菊、われわれはそのときこそ一心同体だつたんだ。
罵られ、唾を吐きかけられながら、誰も犯すことのできなかつたその神々しいほどの女の裸は、
正に絶頂に達したわしの栄光の具体的なあらはれだつたのだ。お前の裸がわしの栄光であり、
わしの栄光がお前の裸だつたのだ。……しかし残念なことに、わしはそれを見なかつた。
十六年間、このベッドを見るたびに、ここにわしはその夜のお前の寝姿を思ひ描いた。
本当だよ、菊、本当だよ。
三島由紀夫「十日の菊」より
131 :
無名草子さん:2010/10/14(木) 11:10:12
狸の銀:心づくしの狸汁で、帰りを待つが子分のつとめ、けふの狸はどうぢや知らぬ。
こりや上乗の狸ぢやわい。
鴉の権:肌あたたむる狸汁
梟の八:おんなじ肌のぬくもるにも
狐の拳:女と狸ぢや大きな相違
熊の胆:都恋しき朝夕なれど
狸の銀:ここの稼ぎもやめられぬ。
鴉の権:ハテ親分はもう帰られさうなものぢやなア。
鴉の権:蝦蟇丸(がままる)親分の
子分一同:おかへりだわい。
鴉の権:シテ今宵の首尾は?
蝦蟇丸:獲物も獲物、二つとない品ぢや。花嫁御寮を連れて戻つたわ。
鴉の権:見れば姿もあでやかに、月にたたずむ姫御前は、まことに菩薩か天人か、
拝んだだけで身がとろける。これは結構なお土産を、ヘイありがたう存じまする。
蝦蟇丸:たはけめ、貴様にやるものか。
鴉の権:そんならどなたの
子分一同:花嫁御寮か。
蝦蟇丸:わしのぢやわい。
鴉の権:モシ親分、それではすみますまい。
蝦蟇丸:何がすまぬ。
鴉の権:ぢやと申して、
蝦蟇丸:シーッ。
子分一同:ヘーイ。
三島由紀夫「むすめごのみ帯取池」より
132 :
無名草子さん:2010/10/14(木) 11:10:29
菊姫:こりや何の羹(あつもの)ぢやわいなア。
蝦蟇丸:腹中を温むるに、これに如(し)くものなしと古伝の羹、まづ召されい。
菊姫:何やら茶めいたものなれど
鴉の権:ハイ狸汁でござりまする。
菊姫:ヒエエ、狸ぢやとエ。
蝦蟇丸:コリャ姫の御気色直さんため、いつもの踊りを早う早う。
子分一同:ヘーイ。
蝦蟇丸:踊りのあとは盃事、用意の盃、早う持て。
狸の銀:ハア。
菊姫:いかい武張つたお盃、こりや又何のお盃事かいなう。
蝦蟇丸:言はずと知れた、三三九度ぢやわえ。
菊姫:山賊(やまだち)にも似ぬよい殿御と、思ひ定めて来し身なれば、今さらおどろく
いはれもなけれど、夫婦の固めの盃に、無粋な衆の列座もいかが、皆の衆退らしやんせ。
鴉の権:女房気取でぴんしやんと
梟の八:都をしばらく見ぬうちに
狐の拳:とんと近ごろの姫御前は
熊の胆:蓮葉なものでは
子分一同:あるめいか。
蝦蟇丸:何をつべこべ。退れ。退れ。
子分一同:ヘーイ。
三島由紀夫「むすめごのみ帯取池」より
133 :
無名草子さん:2010/10/14(木) 11:10:48
今宵は望(もち)の橋渡り、七つの橋を願事(ねぎごと)の、心づくしに綿帽子、
三々九度も夢ならず。されどきびしき掟には、
かたき掟も守るべし。お供したやと心せく、二人を尻目にみなはただ、呆然として欲気なく、
小弓は色香も置きわすれ、お座敷がへりの空腹を、勝手馴れたる居催促。
月に芒(すすき)や猫じやらし、猫に小判と言ふものの、小判はほしや、老いづけば、
金よりほかにたよる瀬もなし、お金、お金、お金、お金ほしやの、お月さま。
金と意気地とどつちが大事、それもこの世はあなたまかせの、旦那次第や運次第、
松の太夫の位がほしや、春と秋との踊りにも主役になりたや、お月さま。
忘られぬ、ぬしが面影、映し画よりも、うつつに見たるお座敷で、二言三言交はせしが、
シネマスコープの恋となり。今は何でもハッピー・エンドがわが願ひ、恋よ恋、恋、
映し画になすな恋とは思へども、恋の成就を、お月さま。
三島由紀夫「舞踊台本 橋づくし」より
134 :
無名草子さん:2010/10/14(木) 14:19:37
僕は社会をひつくりかへすために陰険な策謀をめぐらしたり、無辜(むこ)の市民を傷つけるやうな計画を立てたり、
日本の歴史と文化の伝統を破壊しようと企てたり、そのために友を裏切り、恩人を裏切り、目的のためには
手段をえらばぬと云つた、さういふ連中を憎みます。一市民として憎みます。これが僕の信念です。
全学連の女の子が、われわれに怒鳴つた言葉はこたへたなあ。今でもときどき思ひ出しますよ。女子学生がですよ。
かりにも教養のある女子学生がかう言つたのです。「そんな顔でお嫁が来ると思ふか。もつと心を入れかへて
勉強しろ。バカ。無智。人殺し」つて。われわれの親は貧乏で、心を入れかへて勉強しようにも、大学へ
進めなかつたんですからね。
…まあ、女子学生にそこまで言はせた、大きな国際的陰謀があるわけですよ。
三島由紀夫「喜びの琴」より
135 :
無名草子さん:2010/10/14(木) 14:19:54
国際共産主義の陰謀ですよ。あいつらは地下にもぐつて、世界のいたるところで噴火口を見つけようと窺つて
ゐるんです。世界中がこの火山脈の上に乗つかつてゐるんです。もしこの恣まな跳梁をゆるしたら、日本は
どうなります。日本国民はどうなります。日本の歴史と伝統と、それから自由な市民生活はどうなります。
われわれがガッチリ見張つて、奴らの破壊活動を芽のうちに摘み取らなければ、いいですか、いつか日本にも
中共と同じ血の粛正の嵐が吹きまくるんです。
地主の両足を二頭の牛に引張らせて股裂きにする。妊娠八ヶ月の女地主の腹を亭主に踏ませて踏ませて殺す。
あるひは一人一人自分の穴を掘らせて、生き埋めにする。いいかげんの人民裁判の結果、いいですか、中共では
十ヶ月で一千万以上の人が虐殺された。一千万といへば、この東京都の人口だ。それだけの人数が、原爆や
水爆のためぢやなくて、一人一人同胞の手で殺されたのだ。それが共産革命といふものの実態です。それが
革命といふものなんです。こんなことがわれわれの日本に起つていいと思ひますか。
三島由紀夫「喜びの琴」より
136 :
無名草子さん:2010/10/14(木) 14:20:12
片桐:……考へてみろよ。二・二六事件の将校は英雄になつたが、彼らに射たれて死んだ警官は名前も忘れられ、
ただガラスのケースの中の英雄になつた。俺たちは永遠の脇役で、権力と叛逆者の板ばさみになつて、
つまらない人間のためにも身を捨てるんだ。そのとき残るのは何だと思ふ。同じ立場の俺たちの信頼だけだ。…(中略)
瀬戸:…警察官も一つの職業だよ。人を疑ふのが商売で、それに徹すりやいいんだ。疑つてるうちに、カンも
発達してくる。さうすりや、疑はないでいいことと、疑ふべきことの区別がついてくる。善良な市民に迷惑を
かけるおそれもなくなる。実績も上つてくる。さうなるための第一歩は、まづ何でも疑つてかかることだ。
人を見たら泥棒と思へ、さ。まづそこからはじめるんだ。さうして疑ふ技術を洗煉するんだ。人を信じるだの
信頼するだのつて、耳や目が遠くなつてからでもゆつくりできるぜ。
三島由紀夫「喜びの琴」より
137 :
無名草子さん:2010/10/14(木) 14:20:27
野津:この雪の中のあちこちで、毛唐や三国人があひかはらず、悪事をたくらんで動きまはつてゐる。
堀:しかし管内には麻薬犯罪がなくて助かるよ。
野津:白い悪魔の粉のごとく、麻薬のごとく雪はふる、か。
俺はストライキのことしか知らないが、群衆心理つてのは怖ろしいもんだぜ。一人がワッと叫ぶと、みんな
その気になつちまふんだ。まあ、いはば、蕁麻疹みたいなもんだ。それに乗せられるのも一時はいい。一時は
いいが、気をつけろよ。手綱を引きしめるのを忘れるなよ。こんな説教みたいなことは言ひたくないが、
君はまだ若いんだし、今日の午すぎからでも、急にそんな人気者にならないとも限らんし、今のうち言つて
おくのがいいと思ふんだ。マスコミちふのは軽薄だからな。ぽんと乗せて、ぽいと捨てる、そりやあよつぽど
気をつけなくちやいかんぜ。
三島由紀夫「喜びの琴」より
138 :
無名草子さん:2010/10/14(木) 14:20:42
はじめから憎んでゐたものが憎らしいのは当り前の話さ。……なあ、片桐、思想といふのは、いろんな形をとるものさ。
あるときはライオンの。あるときは可愛い小鼠の。憎むんだから、そいつから目を離さず、そいつの千変万化の
変身にあざむかれず、この世界のあらゆるものにそいつの影を見つけ、花にも自転車にも雲にも小さなマッチ箱にも、
怠りなくそいつの影を読みとらなければならないんだ。それには力が要る。綿密な注意が要る。そりやあ物事を
本当に信じるのとほとんど同じくらゐ力の要る仕事だ。
やはりお前は裏切られた怒りを選ぶのか。そんならこの傷は手ひどく祟るぞ。一生痛みつづけるぞ。それも
みんなお前の罪なんだ。思想よりも人間を選んだお前の罪なんだ。こんなまちがひは若い栗鼠しかやらない。
くるみとゴルフのボールをまちがへるやうなことは、公安のおまはりは決してやつてはならんことだ。
三島由紀夫「喜びの琴」より
139 :
無名草子さん:2010/10/14(木) 14:22:31
俺はな、ずうーつと前からよ、ずうーつと前から松村を臭いと思つとつたよ。あいつと佐渡との関係も臭いと
睨んどつたよ。カンだな。永年のカンちふものは怖ろしいよ。あいつの目つきから、顔つきから、何から何まで
気に入らない。何かよくわからないが、プーンとアカの匂ひがしとつたんだね。垢の匂ひか。まあ、おんなじ
やうなもんさ。アカは匂ひを立てよるよ。腐つた魚みたやうな。お前、留置場の匂ひを知つとるだろ。あれだ。
はじめから暗い場所へ入るやうにできてる人間は、さういふ匂ひを立てる。今ごろ松村は、いちばん自分の匂ひに
ぴつたりの場所にゐるわけだよ。さうだよ。なあ。
三島由紀夫「喜びの琴」より
140 :
無名草子さん:2010/10/14(木) 14:22:49
片桐:あなたきこえるんですね。あの琴が。
川添:きこえるとも。たしかにきこえる。
片桐:実は、僕にもきこえるんです。……どうです。あの澄んだ、静かな、心の休まるやうな
やさしい音楽。
川添:お前もきこえるのか。
片桐:さうです。今きこえはじめたんです。しかし今、僕は一寸ミスをやりました。
川添:ミスつて?
片桐:うつかり同僚に「あれがきこえるか」つて訪ねてしまつたんですよ。どうやら
やつらにはきこえないらしいんです。自分一人にきこえるんだつたら、それを秘密にして
おくべきですね。
川添:わしはみんな喋つちまふ。だから莫迦にされるんだ。
片桐:あ、きこえる。きこえる。みんなにはきこえないんだ。
川添:わしら二人だけだ、この世界に。
片桐:いつかみんなにきこえるやうになりませんかね。
川添:無理だらう。わしはどれだけみんなに宣伝したか。何しろ天からまつすぐに、
澄み切つた琴の音が落ちてくるんだから。
三島由紀夫「喜びの琴」より
141 :
無名草子さん:2010/10/16(土) 11:22:21
この世の絶頂の倖せが来たとき、その幸福の只中でなくては動かぬ思案があるのです。
その思案は波間をかすめる太刀魚の背鰭のやうに、幸福の海へ舟出をしてゐる時でなくては
見えないのです。
一つの建築が一つの夢になり、一つの夢が一つの現実になる。さうやつて巨大な石と
おぼろげな夢とは永遠の循環をくりかへすのだ。
今の王様にとつては、ただこのお寺の完成だけがお望みなのだ。そしてお寺の名も、
共に戦つて死んだ英霊たちのみ魂を迎へるバイヨンと名づけられた。バイヨン。王様は
あの目ざましい戦の間に、討死してゐればよかつたとお考へなのだらう。
この世のもつとも純粋なよろこびは、他人のよろこびを見ることだ。
三島由紀夫「癩王のテラス」より
142 :
無名草子さん:2010/10/16(土) 11:22:36
私の前にはただ闇があるだけ。色もない。形もない。死も私にははじめて会つたやうな
気がしないだらう。なぜならそれは、この世と一トつづきの闇に他ならぬからだ。
精神は必ず形にあこがれる。
崩れたもの、形のないもの、盲ひたもの、……それは何だと思ふ。それこそは精神のすだただ。
おまへが癩にかかつたのではない。おまへの存在そのものが癩なのだ。精神よ。おまへは
生れながらの癩者だつたのだ。
何かを企てる。それがおまへの病気だつた。何かを作る。それがおまへの病気だつた。
俺の舳(みよし)のやうな胸は日にかがやき、水は青春の無慈悲な櫂でかきわけられ、
どこへも到達せず、どこをも目ざさず、空中にとまる蜂雀のやうに、五彩の羽根をそよがせて、
現在に羽搏いてゐる。俺を見習はなかつたのが、おまへの病気だつた。
青春こそ不滅、肉体こそ不死なのだ。……俺は勝つた。なぜなら俺こそがバイヨンだからだ。
三島由紀夫「癩王のテラス」より
143 :
無名草子さん:2010/10/16(土) 11:24:02
豊:美濃子! 俺の気持がわからないのか。
美濃子の声:いけません。いけません。あなたの気持などを仰言つては。
豊:美しい美濃子! 俺の二十歳の生涯に、君ほど美しい人は見たことがない。
ある日、天から降つた花びらのやうに、君の清らかな姿は、俺の瞼に落ちかかり、
俺の目をふさいでしまつた。それからといふものは、世界は俺にとつては一片の花びらだつた。
世界は君の姿の形、一片の花びらの形になつた。美濃子! 君のおかげで、意味あるものは
意味を失ひ、とるにたらぬものが香りを放つた。むかしは荒野が俺の住家、今はその住家が
いとはしい、君のやさしい顔の小函、それを夜も昼も家に飾つて、眺めあかして暮らすので
なくては、美濃子、俺の住家はもう墓場だ。それがなくては俺は屍、その小函だけで
世界の幸が買へるのだ。美濃子、君が好き、君が好き、君が好きだ。
美濃子の声:私を好いてはいけません。
豊:なぜだ。
美濃子の声:私たちは結ばれない星の下に生れたのです。
三島由紀夫「美濃子」より
144 :
無名草子さん:2010/10/16(土) 16:49:33
女の貞淑といふものは、時たま良人のかけてくれるやさしい言葉や行ひへの報いではなくて、
良人の本質に直に結びついたものであるべきだといふことですわ。蝕まれた船は蝕む虫と、
海の本質を頒け合つてゐるのですわ。
女が男にだまされることなんぞ、一度だつて起りはいたしません。
私がずつと前からアルフォンスを知つてゐたといふ気持は、ひつくりかへりはいたしません。
あの人に急に尻尾が生えたり、角が生えたりしたわけではないのですもの。私はともすると
あの人の陽気な額、輝く眼差の下に隠されてゐた、その影を愛してゐたのかもしれませんの。
薔薇を愛することと、薔薇の匂ひを愛することと分けられまして?
三島由紀夫「サド侯爵夫人」より
145 :
無名草子さん:2010/10/16(土) 16:49:49
幸福といふのは、何と云つたらいいでせう。肩の凝る女の手仕事で、刺繍をやるやうな
ものなのよ。ひとりぼつち、退屈、不安、淋しさ、物凄い夜、怖ろしい朝焼け、さういふものを
一目一目、手間暇をかけて織り込んで、平凡な薔薇の花の、小さな一枚の壁掛を作つて
ほつとする。地獄の苦しみでさへ、女の手と女の忍耐のおかげで、一輪の薔薇の花に
変へることができるのよ。
サン・フォン:…奥様、快楽にだんだん薬味が要るやうになると、人は罰せられた子供の
たのしみを思ひ出し、誰も罰してくれないのを不足に思ふやうになります。ですから
見えない主に唾を引つかけ、挑発し、怒りをそそり立てようと躍起になるのでございます。
それでも神聖さは怠けものの犬です。日向に寝そべつて昼寝に耽り、尻尾を掴まうが、
髭を引張らうが、吠えることはおろか、目をひらいてさへくれません。
モントルイユ:あなたは神を怠けものの犬だと仰言るのね。
サン・フォン:ええ、それも老いぼれた。
三島由紀夫「サド侯爵夫人」より
146 :
無名草子さん:2010/10/16(土) 16:50:08
恥ずかしさの底にゐるときには、同情のやさしい心持も残つてはをりません。同情は
上澄みで、心が乱れれば、底の澱が湧き昇つて上澄みを消してしまふ。
想像できないものを蔑む力は、世間一般にはびこつて、その吊床の上で人々はお昼寝を
たのしみます。そしていつしか真鍮の胸、真鍮のお乳房、真鍮のお腹を持つやうになるのです、
磨き立ててぴかぴかに光つた。あなた方は薔薇を見れば美しいと仰言り、蛇を見れば
気味がわるいと仰言る。あなた方は御存知ないんです。薔薇と蛇が親しい友達で、夜になれば
お互ひに姿を変へ、蛇が頬を赤らめ、薔薇が鱗を光らす世界を。兎を見れば愛らしいと仰言り、
獅子を見れば怖ろしいと仰言る。御存知ないんです。嵐の夜には、かれらがどんなに血を
流して愛し合ふかを。神聖も汚辱もやすやすとお互ひに姿を変へるそのやうな夜を
御存知ないからには、あなた方は真鍮の脳髄で蔑んだ末に、さういふ夜を根絶やしにしようと
お計りになる。でも夜がなくなつたら、あなた方さへ、安らかな眠りを二度と味はふことは
おできになりません。
三島由紀夫「サド侯爵夫人」より
147 :
無名草子さん:2010/10/16(土) 16:50:25
ルネ:私が人間の底の底、深みの深み、いちばん動かない澱みへだけ、顔を向けてきたのは
本当だわ。それが私の運命でした。
アンヌ:だからそれには思ひ出はないわ。あるのは繰り返し、それだけだわ。
ルネ:私の思ひ出は虫入りの琥珀の虫。あなたのやうに、折にふれては水に映る影ではないわ。
さう、あなたはうまいことを言つた。私の思ひ出は、いつも必ず私の邪魔をするの。
この世で一番自分の望まなかつたものにぶつかるとき、それこそ実は自分がわれしらず
一番望んでゐたものなのです。それだけが思ひ出になる資格があり、それだけが琥珀の中へ
閉ぢ込めることができるのよ。それだけが何千回繰り返しても飽きることのない、
思ひ出の果物の核(さね)なのだわ。
あなたは神の釣人の糸にかかつた魚です。何度か鉤(はり)をかけられて遁れながら、
あなたは実のところ、いづれは釣り上げられることを御存知だつた。浮世の水にかがやく
鱗を、神の御目(おんめ)のきびしい夕日のうちに、身もだえして閃めかせながら、
釣り上げられるのを望んでおいでだつた。
三島由紀夫「サド侯爵夫人」より
148 :
無名草子さん:2010/10/17(日) 23:12:41
人間はみんなこの地球の上の居候さ。
……ほら、二階の窓があきます。喪服の老夫人が謡をうたつてゐます。あれは日本の悲しみと
過去の象徴なの。あそこから死と思ひ出の歌がひびいて来ます。それから……ほら、
中二階の茶室の障子があきます。静かな中年の夫婦がお茶のお点前をしてゐます。あれが、
何もかも忙しさの中に見失ふ年ごろの人たちに、静けさの意味を教へるんですわ。ええ、
もちろんお客様はいつでもあの部屋へ行つて、お茶を習ふことができます。……今度は……
ほら、向うの橋から、凛々しい若者がやつて来ました。あれこそ日本の雄々しい若さ、
それもつつしみ深い、礼儀正しい若さの姿ですわ。日本の青年はみんな全学連に入つて
ゐたり、町角で女の子をからかつてゐるわけぢやありません。もしお客様がお望みなら、
あの人はよろこんで弓の手ほどきをするでせう。どう? これが私たちの独特のホテルの
おもてなしなのよ。
三島由紀夫「恋の帆影」より
149 :
無名草子さん:2010/10/17(日) 23:13:03
この左手が春の橋、私たちのくぐつてきたあの橋が夏の橋、家のうしろに秋の橋と冬の橋が
あつて、家のまはりがみんなああいふ低い粗末な橋に囲まれて、だからむかしこの邸は、
四つ橋屋敷と呼ばれてゐましたの。(中略)
梅さんの操るこの小さな和船、そして今にも落ちさうな朽ちかけた小さな橋、それだけが
この家と外界をつなぐよすがなんです。舟が沈み、橋が朽ちたら、ここは外界から
ぱつたりと縁を絶たれ、ここにあるすべてが本当の夢になるんです。今いらしたせまい川を、
梅さんの小舟が、まるで体をすりつけて甘える小猫みたいに、あやめのまじる川岸の草に、
船ばたをこすりつけながら来たでせう。あれでなくてはいけないんだわ。両側の岸から
さし交はす枝々が、たえず木影を舟に辷らせ、ときどき真菰(まこも)の草むらから
かはせみが翔つ。それでなくてはいけないんだわ。ここではすべてが何かから護られ、
じつと大人しく日本の美しさの中に閉ぢこもつてゐることができるんです。帆舟なんて、
ざわざわと風にはためく帆舟なんて、決してそんなものが……。
三島由紀夫「恋の帆影」より
150 :
無名草子さん:2010/10/17(日) 23:13:28
お客とは何ぞや。それは不幸な、いらいらした、始終幸福を求めてゐる人たちなのです。
ホテルの窓の数ほどに沢山な苦情の種子を見つけ、自分がホテルからどの程度に重んじられて
ゐるかを気にし、水道の出が一寸わるくても、ドアの鍵の具合が一寸わるくても、忽ち
そのホテルを三流ホテルときめつけます。それといふのも、偶然の故障などといふものを
お客はみとめず、それをすべて自分が軽んじられてゐる証拠だと思ひ込むからです。
何故自然をありのままに売物にできないんです。私たちの自然な日本人の生活を、
不自由は百も承知で、そのまま売物にできないんです。
みゆき:私たちは世界に対して閉ざされた宝石になるのですね。日本の美しさと艶やかさを、
氷の中の花にしてしまひ、誰にも手を触れさせないで、誰にも微笑を向けて暮すんですね。
正:それこそ姉さん、あなたにぴつたりのホテルですよ。
三島由紀夫「恋の帆影」より
151 :
無名草子さん:2010/10/17(日) 23:13:47
みゆき:…本当の姉弟がこんなことをするかしら? 本当の弟がこんな風に姉さんの胸を
探るかしら? 本当の姉弟がこんな風に? 今、喜死鳥(かはせみ)が立つたわ、青い
羽根をかがやかせて。ああ、私たちは何度もここへ帰つてくる。そこでは世間は嘘の鎧で
しつかりと私たちを護つてくれ、その中で私たちの体は虹のやうに融ける。嘘は私たちの
ことぢやない。嘘はただ世間が私たちにくれた免罪符だわ。それをまちがへちやいけないわ。
正:なぜあなたは自由が欲しくないんだ。なぜ曇つたままの鏡が好きで、それを拭き取らうと
しないんだ。
みゆき:七色の滴に覆はれた鏡のはうが、ずつときれいに映るからだわ。女には正確な
鏡なんか要らないのよ。
正:今なら僕たちはみんなに大事に護られてきた嘘の温室の硝子屋根を打ち割つて、
公然と……
みゆき:公然と、何をするの?
正:結婚することだつてできるんだ。
みゆき:結婚? まあ、いやだ、そんな下品なこと。
三島由紀夫「恋の帆影」より
152 :
無名草子さん:2010/10/17(日) 23:14:26
がまがへるの目には、がまがへるが美しいし、俺の目には、こんなおかちめんこが美しいのさ。
地球の目には月が美しく、月の目には地球が美しい。宇宙に鏡があれば地球もその
あばた面の美に目ざめ、ほかのあばた面の星を探しに出かけるだらう。思想家には眼鏡が
美しく、芸術家にはお金が美しい。
あの方を見ると、すべてが救はれ、あの方と話してゐるあひだは、どんな曇りの日にも
青空が見え、雨の夜にも月がかがやくんです。遠くからあの方の紺絣のお姿、弓を手にした
凛々しいお姿を見ただけでも、一日の仕合せが買へるのです。そんな安い私の仕合せなのに、
私の苦しみと不幸はもつと安くて、ほとんど只みたいに無尽蔵に湧いて来ます。同じ水から
生れたものでも、仕合せは虹、不幸は霧、虹はつかのまに消えてしまふのに、霧は全部を
包んでしまふ。……それといふのも、どうしたらあの方に愛されるか、私にはわからない
せゐなんだわ。
三島由紀夫「恋の帆影」より
153 :
無名草子さん:2010/10/17(日) 23:17:56
啓夫人:今ごろ、あの子は嵐の荒れ狂ふ湖へ、あてどもなく漕ぎ出してゐるんだわ。
啓:罪のない者は美しく死なせてやれ。罪を重ねた奴には、そんな死に方はできやしない。
どうせ脳溢血か胃癌がオチさ。……それに罪のない者がゐなかつたら、あいつらの純白の
カンヴァスがなかつたら、絵具と絵筆はどうして暮したらいいんだね。私たちはその
カンヴァスをいつも探してゐたんぢやないのかね。そして今夜やつとそれを探し当てたんぢや
ないのかね。
みゆき:私は知つてゐます。私たちのことを告げ口されたら、きつとあの娘は死ぬでせう。
それはあの娘が純なばかりでなく、あなたにははつきり女を死なせるだけの力があるわ。
女の私の言ふことだから、まちがひがない。どう? これで満足が行つたでせう。
正:だから僕は……
みゆき:お待ちなさい! さうやつて立上がるあなたは滑稽だわ、啓様の言ふやうに、
自分の己惚れの、自分の魅力のおそろしい結果をたしかめるために、いそいそと
出かけてゆく滑稽な男だわ。
正:ちがふ!
三島由紀夫「恋の帆影」より
154 :
無名草子さん:2010/10/17(日) 23:24:12
みゆき:…死ぬわ、あなたもあの娘も、助けようとする力が殺す力になり、お互ひが
生きようとして沈め合ふわ。ああ! 溺れた人のおそろしい力、何か別の力がのりうつり、
底のはうから手助けでもしてゐるやうな、あの夢の中で胸を押へる夢魔よりも非情な力、
あれに取り縋(すが)られたらもうおしまひだわ。死ぬわ、いいえ、あなた一人だけでも。
嵐の中をさすらひ求め、叫ぶ声も涸れ、漕ぐ腕も萎え、舟はまるで茶碗の底へ銀の匙のやうに
らくらくと沈む。あなたは溺れるわ。溺れるわ。水があなたの内側まで充たさうと、
外側からひしめき合つて雪崩れ込む。わかつてゐるの? 水は人の外側から、人が浮ぶのを
支へてゐるのにすぐ倦きる。湖の水は人の内側にあこがれる。そこにどんなに美しい、
どんなに暖かい、水のねぐらがあるかを知りたいんだわ。水は自分の古い親戚の、
海のやうに塩辛い人間の血に、その暖かいねぐらで直に会ひたいんだわ。だから勢ひ込んで、
軍隊のやうに、水はあなたの中へ攻め寄せる。息を追ひ出し、息よりももつと濃い命で
あなたを充たし、……さうしてあなたを自分のものにするために。
三島由紀夫「恋の帆影」より
155 :
無名草子さん:2010/10/18(月) 16:07:20
自ら奏でる楽の音(ね)が、月影のやうに湖のお顔に注ぐと、きらめく漣のやうなその微笑が
現はれる。すべては音楽の霊妙な作用なんだ。水は音楽だ。だから彼女はそれを支配する。
人間の体は水でできてゐる。だから彼女はそれを支配して、それは音楽に変へてしまふ。
血は水でできてゐる。だからそれを支配して、血は音楽に変つてしまふ。
璃津子:このさき日本はどうなるのでせう。
経広:僕たちは、つてききたいのではない?
璃津子:その二つは同じことだわ。
経広:さうだね。同じことだ。
璃津子:お国の右の腕が痛むと
経広:僕たちの右腕も痛むのだ。そしてあの海のかなたへまで晴れやかにひろげられた
お国の裳裾が引き裂かれると
璃津子:私たちも引き裂かれるのだわ!
経広:その引き裂かれた絹の叫びが
璃津子:かうしてゐても海のむかうからきこえてくるわ。……もしかすると、日本は
負けるのではないかしら。
経広:それは世界が夜になることだ。この世でもつとも美しい優雅なものが土足に
かけられることになるのだよ。そんなことにさせてはいけない。
三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
156 :
無名草子さん:2010/10/18(月) 16:07:45
経広:海が僕を惹き寄せる。何故だか知れない。絶望と栄光とが、押し寄せる海風のなかに
いつぱいに孕まれてゐる。かうして海から来る風に顔をさらしてゐると、絶望と栄光の砂金が
いつぱい詰つた袋で頬桁を張られてゐるやうな気がする。なぜ、又、いつから海が僕を
非難するやうになつたのか。
君にも話したね。中等科のころまでは、僕は新聞の貨物船の広告を見て夢を描くのが
大好きだつた。寄港地の名前はみな宛字の漢字で書いてあつた。新嘉坡(シンガポール)、
波斯湾(ペルシャわん)、亜歴山(アレクサンドリア)、……僕はそのへんな漢字の
どれもが読めるのが得意だつた。貨物船と近東風の月夜と、ペルシャ湾の毛足の長い
絨毯のやうな重い夕凪とが、海への僕の憧れのすべてだつた。それほどやさしい海が、
いつから僕の頬桁を張り、僕を非難するやうになつたのか。
三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
157 :
無名草子さん:2010/10/18(月) 16:08:02
経広:わかつてゐる。海が死と絶望と栄光の金の食器を、敷きつめた青い波のテーブル・
クロースの上に満載して、僕の着席を待つて向うから、用意を整へ、しづしづと近づいて
来てからといふものだ。その食卓には今潮の中から引き揚げられたばかりの珊瑚が山と
積まれ、熱帯の積乱雲が飾り立てられてゐる。御紋章つきの金のコンポートには、
色さまざまな熱帯の果物が盛り上げられてゐる。そして僕がその一つを口に入れれば、
それは死なのだ。これほど飢ゑてゐながら、僕が食卓に就かないのを海は非難してゐる。
僕の飢ゑの烈しさを誰よりもよく知つてゐるのは、海だ、おそらく君よりも。
璃津子:女はみんな知つてゐるわ、どんな女でも、男の方のさういふ飢ゑを鎮めることは
できないのを。
三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
158 :
無名草子さん:2010/10/18(月) 16:08:38
悲しみのあまりだつて? 人はさう言ふ。悲しみは慰められても、悲しみよりもつと遠くへ
行つた人間に、人の慰めなんぞが追ひつくものか。
生きてゐる間は若様でした。私は自分の卑しさのすべてをかけて、あの子を若様と呼びました。
……今はちがひます。あの子は死ぬと同時に、青い空の高みからまつしぐらに落ちてきて、
ここへ、ここへ、この血みどろの胎の中へ、もう一度戻つて来たのですわ。もう一度私の
賎しい温かい血と肉に包まれて、苦しい名誉や光栄に煩はされることのない、安らかな
眠りをたのしみに戻つて来たのですわ。今こそ私はもう一度、ここにあの子のすべてを
感じます。あの子の眼差、あの子の微笑、あの子のしつかりした手足をこの中に。
三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
159 :
無名草子さん:2010/10/18(月) 16:09:08
経隆:経広はおそらく知つてゐたらう、自分の小さな死は無益(むやく)であり、たとへ
その死を何万と積み重ねても狂瀾を既倒に回(めぐ)らす由もないことを。しかし又
知つてゐたらう、このやうな御代に生き御代に死んで、すでに閉じられようとしてゐる
大きな金色の環へ鋳込まれて、永遠に歴史の中を輝やかしく廻転してゆくその環の一つの
粒子になることを。身を以て空にかけた悲しみの虹の、一つの微粒子になることを。
……どんな苦しい戦況であらうと、経広は男として満ち足りて死んだ筈だ。
おれい:まるでその場に居合はせたかのやうに。あの子の肌が割けた痛みの万分の一も
御存知でないあなたが。
経隆:苦しみをこえる矜りといふものがあるのだ。たとへば木は大地につながつてゐる。
それは苦しみだ。痛みだ。しかし梢にかかる白い雲は青空に属してゐる。私たちはその
美しい横雲と樹木とを、いつも一つの絵のなかに見るではないか。
三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
160 :
無名草子さん:2010/10/18(月) 16:11:42
……しかし私が気が狂つてゐたとすると、それはどんな狂気だつたのだらう。果して
私自身の狂気だつたらうか。それともはるかかなたから、思召しによつて享けた狂気だつたか。
たとへ私が狂気だつたにせよ、あの狂気の中心には、光りかがやくあらたかなものがあつた。
狂気の核には水晶のやうな透明な誠があつた。
翼を切られても、鳥であることが私の狂気だつたから、その狂気によつてかるがると私は
飛んだ。……今はどうだ。お前は私が正気になつたといふかもしれない。私にはわからない。
自分が今なほ狂気か正気かといふことが、自分にはわからう筈がない。只一つわかることは、
その正気の中心には誠はなく、みごとに翼は具へてゐても、その正気は決して飛ばない
といふことだ。あたかも醜い駝鳥のやうに。私は知らず、少なくともお前たちみんなは
駝鳥になつたのだよ。
三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
161 :
無名草子さん:2010/10/18(月) 16:11:59
光康:…もう時代は変つて、手袋を裏返しにしたやうに、すべては逆になつたのに。
経隆:写真の陰画が陽画になつただけかもしれない。絵はもともと一つなのだ。
海と雲とは一色(ひといろ)の重い苦患に融け合ひ、沖に泊つてゐる外国の船の白い船腹を、
苦痛にむきだした白い鮮やかな歯のやうに見せてゐる。日本の船はどこにも見えぬ。
日本の船は悉く沈んでしまつた。
経広があこがれたのは決してこんな海ではなかつた。ただあいつの死の刹那に、海が
青かつたことを私は祈る。あいつのためには、海は晴れやかに青く輝き、そこにこそ
誉れの火柱は高くあがり、若者のおびただしい血潮は、透かし見られる朱い珊瑚礁のやうに
亜熱帯の海を染めなした。あの島をめぐる海は、経広の最後の日に、雲の影一つないほど
晴れ渡つてゐたことを私は祈る。あいつは朱雀家の代々が使はなかつた黄金造りの太刀の、
明るい花やかな朱いろの下緒(さげを)のやうな死を選んだと思ひたい。
三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
162 :
無名草子さん:2010/10/18(月) 16:12:16
なぜといへ、それを最後に、日本は敗れ、滅びたからだ。古いもの、優雅なもの、
潔らかなもの、雄々しいものは、悉く滅びたからだ。かつて気高く威光さかんであつた
一帝国は滅びたからだ。もつとも艶やかな経糸(たていと)と、もつとも勇ましい
緯糸(よこいと)とで織られてゐた、このたぐひまれな一枚の美しい織物は、血と火の
苦しみのうちに、涜され、踏みにじられ、つひには灰になつた。歴史の上で誰も二度と
ふたたび、同じ見事な織物を織り成すことはできまい。
すべては去つた。偉大な輝やかしい力も、誉れも、矜りも、人をして人たらしめる大義も
失はれた。この国のもつとも善いものは、焼けた樹々のやうに、黒く枯れ朽ちて、
死んでしまつた。
三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
163 :
無名草子さん:2010/10/18(月) 16:12:38
雪がふつて来たな。
この浄らかな冷たさ、雪はすべてを和める力だが、それといふのも、すべての身を一様に
慄(ふる)へさすからだ。雪は女神に似てゐる。冷たく、美しく、矜り高く、残酷な
女神に似てゐる。その女神の冷たい嫉妬のおかげで、夏のかがやかしい日々は消されてしまつた。
璃津子:滅びなさい。滅びなさい! 今すぐこの場で滅びておしまひなさい。
経隆:(ゆつくり顔をあげ、璃津子を注視する。……間。)
どうして私が滅びることができる。夙うのむかしに滅んでゐる私が。
三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
164 :
無名草子さん:2010/10/21(木) 13:49:58
戦後の頽廃は、すでに戦時中銃後に兆してゐたのだ。戦後のあのもろもろの価値の顛倒は、
卑怯者の平和主義は、尻の穴より臭い民主主義は、祖国の敗北を喜ぶユダヤ人どもの陰謀は、
共産主義者どもの下劣なたくらみは、悉くその日に兆してゐたのだ。ああ、金色の
ヴァルハラの広場に、ヴァルキュリーたちによつて運ばれた、気高い戦場の勇士たちの
亡骸は、ひとたび霊に目ざめるや、祖国ドイツのこの有様をのぞみ見て、いかに万斛の涙を
流したことであらう。楯の格天井、鎧の椅子は、卓上の焔に照り映えて、悲嘆の響きを
鏘然(さうぜん)と高鳴らせたことであらう。
もう貧血症の、屁理屈屋の教授連は一切要らん。銃一つ持てないほど非力だから、我身
可愛さにヒステリックな平和主義の叫びをあげる、きんたまを置き忘れたインテリは一切要らん。
少年に向つて亡国の教へを垂れ、祖国の歴史を否定し歪曲する非国民教師どもは一切要らん。
三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
165 :
無名草子さん:2010/10/21(木) 13:52:40
レーム:…俺は、お前が腐敗と反動の後釜を継ぐのには反対だぞ。折角俺たちの力で一新した
この新らしいドイツを裏切つて、買弁資本家やユンカー一族、保守派の老いぼれ政治家や
老いぼれ将軍、将校クラブで俺を鼻であしらつた貴族出身の無能な士官たち、革命や
民衆のことを一度も考へたことのないあの様子ぶつたプロシア国軍の白手袋たち、朝から
ビールとじやがいものおくびをしてゐる布袋腹のブルジョアども、官僚といふあの
マニキュアをした宦官ども、……あんな連中の上にのつかつて、あんな連中にへいこらしながら、
シーソオ・ゲームに憂身をやつして、お前が大統領になるなら反対だぞ。断乎として反対だぞ。
俺が腕づくででも止めてみせる。
ヒットラー:エルンスト!
レーム:きけ。俺はお前に大統領になつてほしいと思つてゐる。心からさう思つてゐる。
しかし、それには力を協せて、この腐つた土地の上のごみ掃除をやつてのけてからだ。
軍部が何だ。口だけではおどしをきかせるが、軍服の中身はからつぽの、あんな金ぴかの
案山子(かかし)のどこが怖い。
三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
166 :
無名草子さん:2010/10/21(木) 13:54:40
クルップ:雨になつたやうだ。
ヒットラー:大した雨ではない。妙なことだ。私が演説をしたあとではきつと雨になる。
クルップ:君の演説が雲を呼ぶのだらう。
ヒットラー:雨が広場を黒く濡らした途端に、どのベンチからも人影が消えてしまつた。
何といふ無趣味ながらんとした広場だらう。人つ子一人ゐない。ついさつきまでここを
群衆が埋めて、とどろく歓声と拍手で熱してゐたとはとても思へない。演説のあとの
広場といふものは、発作のあとの狂人の空白のまどろみのやうだ。どこまで行つても
人間は人間を傷つける。どんな権力の衣にも縫目があつてそこから虱が入る。クルップさん、
絶対に誰からも傷つけられない、どこにも縫目も綻びもない、白い母衣(ほろ)のやうな
権力はないものですかね。
クルップ:なければ君が誂へたらよい。
ヒットラー:あなたがその仕立屋になつてくれませんか。
クルップ:それには寸法をとらなくてはね。ヒットラー:どうでした?
クルップ:残念ながら、まだちと寸法が足りないやうだ。
三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
167 :
無名草子さん:2010/10/21(木) 13:56:47
クルップ:仕立屋といふのは慎重なもんだよ、アドルフ。仕払つてもらふ宛てがなければ、
おいそれと着物も仕立てられない。仕立ててあげたいのは山々だが、寸が足りなくては
芸術的満足が得られない。それに仕立ててあげたものを、快適に着てもらはなくては
つまらない。ゆるやかに、楽々と、まるで着てゐるかゐないか本人にもわからぬやうな、
そんな着方をしてもらはなくては。……私は窮屈なチョッキは上げたくない。狂人に
狭窄衣を着せるのとはちがふんだから。
ヒットラー:もし私が狂人だとしたら……
クルップ:私も何度かさういふ経験を持つてゐる。自分を狂人だと思はなければとても
耐へられぬ、いや、理解すらできない瞬間にぶつかる場合は……
ヒットラー:さういふ場合は?
クルップ:自分ではない他人をみんな狂人だと思へばよいのだ。
ヒットラー:クルップさん、ひとつ私に狂人用の窮屈なチョッキを誂へてくれませんか、
両手を拘束されて人を傷つけることはできないが、又決して人から傷つけられることもないやうな……
三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
168 :
無名草子さん:2010/10/21(木) 13:58:38
レーム:…生れ落ちてから薬や医者には縁のない、永遠の若い鋼の体、このレーム大尉の
体が病気になるつて?
ヒットラー:だから……
レーム:誰がそんなことを信ずるものか。俺を傷つけることができるのは弾丸だけさ。
といふよりは俺の体の鋼鉄が、いつか俺を裏切つて、同じ仲間の鉄の小さな固まりを、
俺の体内へおびき寄せるとき。さうだ、鉄と鉄とが睦み合ふために、引寄せ合つて
接吻するとき、そのときだけだ、俺が倒れるのは。しかしそのときも、俺が息を引取るのは
ベッドの上ではない。
ヒットラー:さうだな、勇敢なエルンスト、いくら大臣になつても、お前はベッドの上で
死ぬやうな男ではない。しかし、ともあれ、お前は仮病を使つて、声明書と共にその旨を
発表するのだ。一、二ヶ月の療養ののち、再起と共に突撃隊を以前よりも精鋭な軍隊に
叩き上げると約束するのだ。
レーム:しかし誰がそれを信じる。
ヒットラー:信じられないからこそ、隊員みんなは信じるだらう。つまり、こいつは、
よほど已むを得ない事情だといふことを。
三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
169 :
無名草子さん:2010/10/21(木) 14:02:25
レーム:…書類を喰つて生きのびた年寄の山羊どもが、首を長くしてお前の餌を待つてゐる。
お前はサインをのたくつて日々をすごす。剣を揮ふ腕の力は見捨てられたままになつてゐる。
権力とは何だ。力とは何だ。それはただサインをする蒼ざめた指さきの細い細い筋肉の
運動にすぎなくなつたのだ。
ヒットラー:それ以上は言はなくてもわかつてゐる。
レーム:だから、友よ、だから言ふのだ。お前の権力がその指さきの運動にではなく、
遠くからお前の一挙一動を憧れの眼差で見戍つて、素破といふときはためらひなく命を
投げ出す覚悟の若者たちの、逞しい腕の筋肉にあることを忘れるな。どんなに行政機構の
森深く踏み迷つても、最後に枝葉を伐つて活路を見出すには、夜明けの色の静脈と共に
敏感に隆起する力瘤だけがたよりなのだ。どんな時代にならうと、権力のもつとも深い
実質は若者の筋肉だ。それを忘れるな。少なくともそれをお前のためにだけ保存し、
お前のためにだけ使はうとしてゐる一人の友のゐることを忘れるな。
三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
170 :
無名草子さん:2010/10/21(木) 14:04:00
ヒットラー:レームが羊ですつて? あいつがきいたらどんなに怒るか。
クルップ:羊でなくても、レーム君が抱いてゐるのは群の思想さ。さうではないかね。
しかしレーム君と別れたあとの、君の暗い額にひらめいたのは、羊でもなければ牧羊犬でもない。
それこそ嵐そのもの、さう言つては持ち上げすぎなら、暗くはためく嵐の予兆そのもの
だつたのだ。峯々を稲妻の紫に染め、世界を震撼させ、人々の活きた魂を電流をとほして
一瞬のうちに、黒い一握の灰に変へてしまふ、あの嵐の兆そのものだつた。君はおそらく
自分ではさう感じはしなかつたらう。
ヒットラー:あのとき、私は怖れてゐた。迷つてゐた。悲しんでゐた。それだけです。
クルップ:人間の感情を持つてゐることを、いくら総理大臣だつて恥ぢるには及ばない。
ただ、人間の感情の振幅を無限に拡大すれば、それは自然の感情になり、つひには摂理になる。
これは歴史を見ても、ごくごくわづかな数の人間だけにできたことだ。
ヒットラー:人間の歴史ではね。
三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
171 :
無名草子さん:2010/10/21(木) 14:06:00
シュトラッサー:…歌はもうあの鋭い清らかな悲鳴と共通な特質を失つてしまつたのです。
死者の目に映る遠い青空は、変革の幻であつたのに、今、青空は洗濯の盥の水にちりぢりに
砕けてしまつた。あらゆる煙草は、耐へがたい訣別の甘いしみとほるやうな味をなくして
しまつた。
(中略)
どこかで遠い昔に嗅ぎ馴れた腐敗の匂ひ、落葉のなかで、猟犬が置き忘れた獲物の鳥が
腐つてゆくときの、森の縞目の日光をかすかに濁らすやうな独特な匂ひ。いたるところで、
その腐敗の匂ひが、人々の指先の感覚を、癩病やみのやうに鈍麻させてゆく。かつて
闇のなかで道しるべの火のやうに敏感に方角を知らせた指は、今では小切手に署名をするのと、
女の体をこじあけるのにしか使はれなくなつた。脱落、脱落、目に見えない透明な日々の脱落、
この感覚を、レーム君、君だつてつぶさに味はつて来た筈だ。
三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
172 :
無名草子さん:2010/10/21(木) 14:08:05
シュトラッサー:もう一度革命をやらなければならぬ、と君が考へてゐることを私は知つてゐる。
ところで、私も、もう一度革命をやらなければならぬ、と考へてゐる。二人で話し合ふ
話題には、事欠かぬ筈ぢやないか。
レーム:しかし、方法がちがふ。目的もちがふ。
シュトラッサー:鏡をのぞいてみるやうに、君の右は私の左だ。しかし私の右は君の左だ。
だから却つて鏡を打ち破れば、われわれはぴつたり合ふかもしれないのだ。
シュトラッサー:君はすでに病気になつたのだらう、さつきも言つてゐたやうに。
信頼といふ病気にかかつたのだ。
レーム:殺されるのか、処刑されるのか。
シュトラッサー:おそらくその両方だらう。君は拷問に耐へる自信があるか?
レーム:誰があんたをそんなひどい目に会はさうといふんだね、心配性の弱虫君。言つて
ごらん、そいつの名を言ふのが怖いのかね。言つただけで呪ひがかかるとでもいふのかね。
シュトラッサー:アドルフ・ヒットラー。
三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
173 :
無名草子さん:2010/10/21(木) 14:10:28
レーム:…友愛、同志愛、戦友愛、それらもろもろの気高い男らしい神々の特質だ。
これなしには現実も崩壊する。従つて政治も崩壊する。アドルフと俺とは、現実を
成立たせるこの根本のところでつながつてゐるんだ。おそらくあんたの卑しい頭では
わかるまい。
われわれの住むこの地表はなるほど固い。森があり、谷があり、岩石に覆はれてゐる。
しかしこの緑なす大地の底へ下りてゆけば、地熱は高まり、地球の核をなす熱い
岩漿(マグマ)が煮え立つてゐる。この岩漿こそ、あらゆる力と精神の源泉であり、この
灼熱した不定形なものこそ、あらゆる形をして形たらしめる、形の内側の焔なのだ。
雪花石膏(アラバスター)のやうに白い美しい人間の肉体も、内側にその焔を分ち持ち、
焔を透かして見せることによつてはじめて美しい。シュトラッサー君、この岩漿こそ、
世界を動かし、戦士たちに勇気を与へ、死を賭した行動へ促し、栄光へのあこがれで
若者の心を充たし、すべて雄々しい戦ふ者の血をたぎらせる力の根源なのだ。
三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
174 :
無名草子さん:2010/10/21(木) 14:13:48
ヒットラー:…いつかあなたは言はれましたね。自分自身を嵐と感じることができるか
どうか、つて。それは何故自分が嵐なのかを知ることです。なぜ自分がかくも憤り、なぜ
かくも暗く、なぜかくも雨風を内に含んで猛り、なぜかくも偉大であるかを知ることです。
それだけでは十分ではない。なぜかくも自分が破壊を事とし、朽ちた巨木を倒すと共に
小麦畑を豊饒にし、ユダヤ人どものネオンサインにやつれ果てた若者の顔を、稲妻の閃光で
神のやうに蘇らせ、すべてのドイツ人に悲劇の感情をしたたかに味はせようとするのかを。
……それが私の運命なのです。
ヒットラー:あの銃声が、クルップさん、ドイツ人がドイツ人を射つ最後の銃声です。……
これで万事片附きました。
クルップ:さうだな。今やわれわれは安心して君にすべてを託することができる。
アドルフ、よくやつたよ。君は左を斬り、返す刀で右を斬つたのだ。
ヒットラー:さうです。政治は中道を行かなければなりません。
三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
175 :
無名草子さん:2010/10/26(火) 00:41:15
われわれのひそかな願望は、叶へられると却つて裏切られたやうに感じる傾きがある。
少女の驕慢な心は、概ね不測の脆さと隣り合せに住んでをり、むしろ脆さの鎧である。
空想といふものは、一種専制的な秩序をもつてゐる。
三島由紀夫「遠乗会」より
人生経験は多くの場合恋愛に一定の理論を与へるが、人は自分の立てた理論を他人に
強ひこそすれ、自分は又してもその理論に背いて躓(つまづ)くのを承知で行動する。
生活とは凡庸な発見である。いつもすでに誰かが先にしてしまつた発見である。
お互ひが見えてゐて見えない。手をのばせば触れることができて触れ合はない。ところが
さういふ理想的な「他人」はこの世にはないのだ。滑稽なことだが、屍体にならなければ、
人は「親密な他人」になれない。
吝嗇といふものは一種の見張りであり、陰謀であり、結社であり、油断のならない正義の
熱情である。
絶望的な浪費癖にくらべると、吝嗇は実に無我で謙遜である。
三島由紀夫「牝犬」より
176 :
無名草子さん:2010/10/26(火) 20:04:25
一つの戯曲が現はれ、その上演が決定されると、配役の決定を待つ俳優たちは、自分の発見し、
自分に最適と思はれる一つの役を、現実に生活しはじめるのである。
夕方になると気がふさぐのは、人間だつて鳥だつて獣だつておんなじですわ。それをね、
仰々しく虚無だの絶望だのつて、可笑しうございますわ。もしかすると人間特有の感情なんて、
みんながさう思つてゐるものの百分の一ぐらゐしかないのかもしれないわ。自然の感情が
いちばん大きいんだ、と私思ひましてよ。あるときは自分がお猿になつたり、また
あるときは鳩になつたり……
人間の感情に絶対的な権力をもつてゐる男が、やはり人間の感情の持主だといふことは
変なことである。
三島由紀夫「女流立志伝」より
177 :
無名草子さん:2010/10/26(火) 20:05:30
芝居といふものは大奥のやうな秘密主義の上に築かれてゐる。なぜ秘密にするのかといふと
大した理由はない。秘密は芝居のたのしみの歴然たる一部なのである。芝居の当事者は、
子供にやるお年玉を新年まで見つけられないやうに戸棚の奥に隠しておく親の心理で
行動するのであるが、お年玉をのぞかうと一生懸命になる子供をあざむくたのしみは、
いざ手渡されてみてそのお年玉の貧弱さにおどろく子供の失望とは、全く無関係に発展する。
劇場といふところは、大きな向日葵のやうなものである。舞台はいつも太陽のはうへ、
観客のはうへ顔を向けてゐる。花弁も、雄しべも、雌しべも、その炎えるやうな黄いろも、
すべてが観客席へ向つてひらいてゐる。楽屋や事務所は、茎であり、あるひは根である。
とはいふものの見えない糸がいつもそれらの部屋の貌(かほ)を観客席のはうへ向けて
ゐるせゐで、さういふ部屋にゐるときも、俳優たちが、ふと壁のはうを気にする仕草を
見せるのを、見てゐるのはたのしいものである。
三島由紀夫「女流立志伝」より
178 :
無名草子さん:2010/10/27(水) 10:38:38
過ちといふものは、美しいものが期待に反して犯す醜行のことである。
美貌といふものは、停車場や博物館と同様に共有物であり公的な存在なのである。それを
私することは公的の福祉に反することであり、停車場を買ひ占めようとするやうなものである。
各界の名士といふ人種が一堂に会する眺めは、一種奇怪である。彼らは要するに、
カメラマンに「自然な姿態」をとられるのに馴れた人種であるから、その言はうやうない
「自然な」態度には、どうすれば見物人から餌をもらへるかをよく知つてゐる動物園の
熊に似た超然ぶりが見られるのである。見物人を意識してゐない動物が、一匹でも動物園に
ゐたらお目にかかりたい。
名士は大抵「殿下」とか「閣下」とか「先生」とかいふ源氏名のついた娼婦であつて、
莫迦に忙しい口ぶりの男は二流であり、莫迦にゆつくりした喋り方をする男は一流である。
彼らは日常の多忙のために生理的な速度に変調を来して、道を歩くやうな歩度の喋り方は
出来なくなつてゐるので、彼らのお喋りは、自動車に乗つてゐるか、それとも興に乗つて
ゐるかどちらかであつた。
三島由紀夫「家庭裁判」より
179 :
無名草子さん:2010/10/27(水) 10:39:40
美人の定義は沢山着れば着るほどますます裸かにみえる女のことである。
女の涙といふものは世間で最もやりきれないものの一つであるが、小鳥がとまつたかと
見る間に生む美しい空いろの卵のやうに、こんな風に涙がこぼれるのをみると、右近の心は
甚だ痛んだ。
良人は大ていのことを座興と思つてゐてよい特権をもつものである。
三島由紀夫「家庭裁判」より
久一にとつて馬ほど愛すべき安全な玩具はなかつた。やさしい動物である。傷つきやすい
心を持ち、果敢な勇気を持ち、同時に怠けものの心と臆病さとを持つた動物である。
血走つた目はたまには、敵意や蔑みをあらはしこそすれ、一度忠誠を誓つた乗手のためには、
人間も及ばなぬ献身のまことを示した。
よく云はれることだが、サラブレッドの名馬は宛然一個の美術品である。
三島由紀夫「鴛鴦」より
不道徳も清潔な限り美しいものである。
三島由紀夫「修学旅行」より
180 :
無名草子さん:2010/10/27(水) 10:41:56
妹の死後、私はたびたび妹の夢を見た。時がたつにつれて死者の記憶は薄れてゆくもので
あるのに、夢はひとつの習慣になつて、今日まで規則正しくつづいてゐる。
私たちの憐れみの感情は、何かしら未知なもの、不可解なものに対する懸橋なのである。
それらのものに私たちは憧憬によつてつながり、あるひは憐れみによつてつながる。
憧憬と憐れみとは、不可解なものに対する子供らしい柔かな感情の両面だつた。
よく遠くの森で梟(ふくろふ)が鳴く声を、寝床のなかで耳をすましてきいてゐると、
子供の私は動物界の自由に対する童話的な憧れの気持と、暗い森の奥の木の洞から目を
丸くみひらいて歌ひつづけてゐなければならないあの小さな「生あるもの」への憐れみの
気持とを、併せ感じた。
霊魂といふものに、やはり生の形を与へないことには、私たちの想像の翼は羽搏かないの
かもしれない。
三島由紀夫「朝顔」より
181 :
無名草子さん:2010/10/27(水) 10:43:03
悲哀が人を愉しませてゐるさまは気味のわるいものである。
「泥棒! 泥棒!」かういふ呼称は本当は妙である。「大臣! 大臣!」とよぶときは、
相手の大臣を呼ぶにすぎないだらう。しかし「泥棒!」とよぶときに、われわれは
不特定多数の意見、乃至は輿論(よろん)に呼びかけてゐるのである。
小肥りのした体格、福徳円満の相、かういふ相は人相見の確信とはちがつて、しばしば
酷薄な性格の仮面になる。独逸の或る有名な殺人犯は、また有名な慈善家と同一人で
あることがわかつて捕へられた。彼はいつもにこやかな微笑で貧民たちに慕はれてゐた。
その貧民の一人を、彼はけちな報復の動機で殺してゐたのである。彼は殺人と慈善との
この二つの行為のあひだに、何らの因果をみとめてゐなかつた。
大ていわれわれが醜いと考へるものは、われわれ自身がそれを醜いと考へたい必要から
生れたものである。
三島由紀夫「手長姫」より
182 :
無名草子さん:2010/10/28(木) 12:28:14
まことに海も山も時であつた。人の目に映つたこの世のさまざまな事象は、一旦記憶の世界へ
投げ込まれるや、時の秩序に組み入れられた存在に他ならぬ。そこにあるものは、時の海、
時の山脈に他ならぬ。波はもはや浜辺に打ち寄せてゐる青い海水ではない。時の水に
充たされた海には、時の潮(うしほ)が時のつきせぬ波を波立ててゐるにすぎない。
そのとき海が却つてその本質を、その流転の本質を露(あら)はにするのである。
人間もまた時間の形をしてゐる。これだけが人間のほぼ確実な信頼するに足る外形である。
この世には自分の形を忘れることのできる人とできない人との二つの種族がある。
三島由紀夫「偉大な姉妹」より
183 :
無名草子さん:2010/10/28(木) 12:29:32
歌舞伎役者の顔こそ偉大でなければならない。大首物の役者絵は、悉く奇怪な偉大さを
持つた顔を描いてゐる。その偉大さには一種の不均衡と過剰がある。拡大された感情、
誇張された悲哀を包むその輪廓は、均斉を保たうがためにこの悲哀や歓喜の内容に戦ひを
挑んでゐる。美の伝達力として重んぜられたこの偉大さは、歌舞伎が考へたやうな美の
必然的な形式なのである。そこでは美と偉大の結婚は世にも自然であつた。美が一個の
犠牲の観念であり、偉大が一個の宗教的観念となることによつて、この婚姻が成り立つた。
大首物の錦絵の顔は、偉大に蝕まれた美のあらはな病患を語つてゐる。
もし罪といふものがあるなら、それは罪の行為が飛び去つたあとの真白な空白にすぎぬだらう。
罪ほど清浄な観念はないだらう。
三島由紀夫「偉大な姉妹」より
184 :
無名草子さん:2010/10/28(木) 19:52:26
相似といふものは一種甘美なものだ。ただ似てゐるといふだけで、その相似たものの
あひだには、無言の諒解(りようかい)や、口に出さなくても通ふ思ひや、静かな信頼が
存在してゐるやうに思はれる。
葉子ははじめ入らないつもりでゐたが、杉男が入るといふので、その真似をしたのである。
少女はかういふ咄嗟の場合にも好きな人の模倣を忘れない。模倣が少女の愛の形式であり、
これが中年女の愛し方ともつとも差異の顕著な点である。
この翼さへなかつたら彼の人生は、少なくとも七割方は軽やかになつたかもしれないのに。
翼は地上を歩くのには適してゐない。
三島由紀夫「翼」より
人間の野心といふものは衆にぬきん出ようとする欲望だが、幸福といふものは皆と同じに
なりたいといふ欲求だ。
三島由紀夫「クロスワード・パズル」より
185 :
無名草子さん:2010/10/28(木) 19:54:51
彼は青年にならうといふころ、皮肉(シニシズム)の洋服を誂へた。誰しも少年時には
自分に似合ふだらうと考へる柄の洋服である。次郎はしばらくこの新調の服を身に纏つて
得意であつた。……やがてこの服が自分に少しも似合はないことに気付いた。ある朝
街角の鏡の中で、女が新らしい皺を目の下に見出して絶望するやうに。……いや、この比喩は
妥当でない。次郎は皮肉の洋服が彼の年齢の弱味を隠すあまりに、年齢に対して彼が
負うてゐる筈の義務をも忽(ゆるが)せにさせることを覚つたのである。今年の夏にいたつて、
皮肉は彼の滑稽さを救ふどころか、もつと性悪な滑稽さに、つまりあらゆる感情を
笑殺してきたので滑稽の仮面を被つた八百長の感情しか生れて来ないといふ滑稽さに、
彼を陥れつつあるのをまざまざと見たのである。
次郎は黙視を学んだ。滑稽であるまいとしても詮ないことだ。彼自身の滑稽さを恕(ゆる)す
ところから始めねばならぬ。われわれ自身の崇高さを育てようがためには、滑稽さをも
同時に育てなければならぬ……。
三島由紀夫「死の島」より
186 :
無名草子さん:2010/10/28(木) 19:56:12
風景もまた音楽のやうなものである。一度その中へ足を踏み入れると、それはもはや透明で
複雑な奥行を持つた一個の純粋な体験に化するのである。
『目くばせをしたぞ』と次郎は自分の舟がその間を辷りゆきつつある二つの小島を仰ぎ
見ながら呟いた。『たしかに今、この二つの島は目くばせをした。島と島とが葉ごもりの
煌めきで以て目くばせをするのを僕は今たしかに見たぞ。……それもその筈だ。彼らには
僕たち人間の目が映すもののすがたが笑止と思はれるに相違ない。彼らこそこの水上の風景が
虚偽であることを知つてゐる。島と島との離隔は仮の姿にすぎず、島といふその名詞でさへ
架空のものにすぎないことを知つてゐる。水底の確乎たる起伏だけが真実のものだといふ
ことを知つてゐる。僕たちの目が現象の世界をしか見ることが出来ないのを、彼らは
目まぜして嗤(わら)つてゐるのだ』
三島由紀夫「死の島」より
187 :
無名草子さん:2010/10/28(木) 19:57:06
…今、次郎は音楽が、……生れながらに完全な形式をそなへた存在が……、彼を訪れる姿を
見たのである。
『形式とは』と次郎は考へた。『僕にとつては残酷さの決心だつた。しかしあの島の形式の
優美なことは、およそ僕の決心と似ても似つかない。ああ、あの島は形式の美徳で僕を
負かす。あれは僕の内部へ優雅な行幸(みゆき)のやうに入つて来る。……』
『あの雨上りの街路のやうな小島は、その街路を雨後に這ひ出した甲虫のやうなつややかな
乗用車が連なつて疾駆することもなく、永遠に人の住まない空つぽな街の街路であるに
とどまるだらう』――次郎は遠ざかる島影を見ながら、かう心に呟いた。『きつとさうだらう。
人間の関与を拒むやうな美が、愛の解熱剤として時には必要だ』――それは葡萄に手の
届かなかつた狐の尤もらしい弁疏(べんそ)であつた。
三島由紀夫「死の島」より
188 :
無名草子さん:2010/10/29(金) 12:39:30
愛とは目的をもたない神秘的な洞察力がわれわれを居たたまれなくさせる感情のやうにも
思はれ、一個の想像力のやうにも思はれ、本質的に一つの「解釈」にすぎないやうにも思はれる。
三島由紀夫「椅子」より
よその女の美貌に同意する義務は、どこの奥さんにだつてない筈だ。
コンパスで描いたやうに丸い。口があどけなくて、目は清らかである。悪いことを何にも
知らないやうなかういふ顔ほど、男の目から見て神秘的に見えるものはない。
三島由紀夫「金魚と奥様」より
一度男の目が決して自分を見ないと決めてしまつてから、人生はどんなに生き易くなつた
ことだらう! 彼女は男の教授にでも、づけづけとものを言ふ。相手に彼女の「性」を
感じさせないのをむしろエチケットと思つてゐるからで、世間が考へるやうに、老嬢は
必ずしもわれしらず中性化してゐるのではない。
三島由紀夫「二人の老嬢」より
189 :
無名草子さん:2010/10/29(金) 12:40:38
一部の大人が考へてゐるやうに、戦後の青年が一人残らず十代で童貞を失つてゐるなどといふ
莫迦げた憶測は、事実から遠いものだ。どんな時代だつて、青春の生きにくさは、
外部よりも内部にあるのだ。今日のやうに、青春を妨げる外部の障害の多い時代には、
内部の障害を気にしないでゐられるので、童貞を失はないまじめな青年の数は却つて
多いといふ逆の理窟だつて成立つ筈だ。
大体甘い物語には甘い考へがつきものなのは已むをえない。狂気といふものがもしこんなに
甘い物語を生むものなら、正気の僕たちは、正気では考へられない甘い空想を、それに
はなむけすべきではなからうか? それとも君は、僕の話が嘘つぱちだと云ふのぢやあるまいね。
三島由紀夫「雛の宿」より
190 :
無名草子さん:2010/10/30(土) 10:17:10
われらの死後も朝な朝な東方から日が昇つて、われらの知悉してゐる世界を照らすといふ
確信は、幸福な確信である。しかしそれを確実だと信じる理由がわれわれにあるのか?
次郎は愕然と、自分の周囲を見まはした。舟の影一つ見えない海、右方の湾、その彼方の
おぼろげな岬のさま、こんな風景もまた次郎がこれを見てゐないときには、変貌しないと
誰が断言できよう。
認識の中にぬくぬくと坐つてゐる人たちは、いつも認識によつて世界を所有し、世界を
確信してゐる。しかし芸術家は見なければならぬ。認識する代りに、ただ、見なければならぬ。
一度見てしまつたが最後、存在の不確かさは彼を囲繞(ゐねう)するのだ。
「僕は生れてからただの一度も退屈したことがないんだ。それだけが僕の猛烈な幸運なんだ」
三島由紀夫「旅の墓碑銘」より
191 :
無名草子さん:2010/10/30(土) 10:22:01
「なぜ作中人物に自分の名前なんか使ふのさ」
「自分の名前は他人の所有物だからさ」
「言葉がすでに他人の所有物だ。それなら『私』だつていいぢやないか」
「なるほど言葉はみんなの共有物だが、『私』といふ言葉はもつとも仮構の共有物だと
思はないかね。誰も僕のことを、『おい、私』なんぞと呼びはしない。決してさう呼ばれない
といふ安心が、『私』の思ひ上りになり、はては権利になる」
「…君の思念の成立ちを描いて、誰がそれを君の思念だと保証するんだ」
「僕の思念、僕の思想、そんなものはありえないんだ。言葉によつて表現されたものは、
もうすでに、厳密には僕のものぢやない。僕はその瞬間に、他人とその思想を共有して
ゐるんだからね」
「では、表現以前の君だけが君のものだといふわけだね」
「それが堕落した世間で云ふ例の個性といふやつだ。ここまで云へばわかるだらう。
つまり個性といふものは決して存在しないんだ」
三島由紀夫「旅の墓碑銘」より
192 :
無名草子さん:2010/10/30(土) 10:26:31
「しかし世界の旅へ出たときに、君は肉体を同伴して行かなかつたとは云ふまいね」
「当り前さ。肉体は個性より何百倍も重要だからね。僕は旅行鞄を忘れて行つても、
肉体を忘れて行くことはなかつたね」
「肉体には個性はないかね」
「肉体には類型があるだけだ。神はそれだけ肉体を大事にして、与へるべき自由を
節約したんだ。自由といふやつは精神にくれてやつた。こいつが精神の愛用する手ごろの
玩具さ。……肉体は一定の位置をいつも占めてゐる。世界の旅でいつも僕を愕かせたのは、
肉体が占めることを忘れないこの位置のふしぎさだつた。たとへば僕は夢にまで見た
希臘(ギリシャ)の廃墟に立つてゐた。そのとき僕の肉体が占めてゐたほどの確乎たる
僕の空間を僕の精神はかつて占めたことがなかつたんだ」
「つまり精神には形態がないんだね」
「さうだよ。だから精神は形態をもつやうに努力すべきなんだ」
三島由紀夫「旅の墓碑銘」より
193 :
無名草子さん:2010/10/30(土) 10:34:56
「…結局、君は人間を見ないで、物質を見てきたやうな塩梅だね」
「考へても見たまへ。この地球の裏側に一つの町があつて、そこに人間たちの無数の
生活がある。僕は物を言はない人間の生活といふものが、物質のやうに謙虚なことを
学んだんだ」
「君は生命に触れなかつたのか」
「君はその指でもつて生命に触れるとでも言ひたげだね。猥褻だね。生命は指で触れる
もんぢやない。生命は生命で触れるものだ。丁度物質と物質が触れ合ふやうにね。それ以上の
どんな接触が可能だらう。……それにしても旅の思ひ出といふものは、情交の思ひ出と
よく似てゐる。事前の欲望を辿ることはもうできない代りに、その欲望は微妙に変質して
また目前にあるので、思ひ出の行為があたかも遡りうるやうな錯覚を与へる」
どうしても理解できないといふことが人間同士をつなぐ唯一の橋だ。
本当の若者といふものは、かれら自身こそ春なのだから、季節の春なぞには目もくれないで
ゐるべきなのだ。
三島由紀夫「旅の墓碑銘」より
194 :
無名草子さん:2010/10/30(土) 10:38:46
「あれこそは正に、人間が人間を見る目つきだつたね」と私は言つた。
次郎は酒を一口ふくんで、笑つて言つた。
「正確に言へばかうさ。あの娘は僕たちが人間であることを、僕たちの人間的な感情を
期待したのさ。他人の目といふやつはもつと清潔さ。相手を物質としか見ないものな。
ところで、他人の目といふやつは、思ふほどザラにはないね。われわれを睨んでゐたときの
彼女の目に似た目なら、われわれの周囲にいくらでも見つかるけどね。家族の目、恋人の目、
仇敵の目、友人の目、愛犬の目、僕らに対して無関心になりたがつてゐる人々の目、
みんなこれだ。それから戦争中、電車の中で空襲警報が鳴りでもしたら、満員の乗客が、
全部あんな目つきでお互ひを見たもんだ。
戦争時代の思ひ出つて全く妙だね。他人が一人もいなかつた。他人らしい清潔な表情を
してゐるのは、路傍にころがつた焼死死体だけだつた」
三島由紀夫「旅の墓碑銘」より
195 :
無名草子さん:2010/10/30(土) 10:58:19
どんな死でもあれ、死は一種の事務的な手続である。
一人死んでも、十人死んでも、同じ涙を流すほかに術がないのは不合理ではあるまいか?
涙を流すことが、泣くことが、何の感情の表現の目安になるといふのか?
われわれには死者に対してまだなすべき多くのことが残つてゐる。悔恨は愚行であり、
ああもできた、かうも出来たと思ひ煩らふのは詮ないことであるが、それは死者に対する
最後の人力の奉仕である。われわれは少しでも永いあひだ、死を人間的な事件、人間的な
劇の範囲に引止めておきたいと希(ねが)ふのである。
記憶はわれわれの意識の上に、時間をしばしば並行させ重複させる。
三島由紀夫「真夏の死」より
196 :
無名草子さん:2010/10/30(土) 10:59:33
事実らしさといふことを超えて事実がありうるのはふしぎなことだ。子供が一人海で溺れれば、
誰しも在りうることと思ひ、事実らしいと思ふであらう。しかし三人となると滑稽だ。
しかし又、一万人となれば話は変つてくる。すべて過度なものには滑稽さがあるが、
と謂つて大天災や戦争は滑稽ではない。一人の死は厳粛であり、百万人の死は厳粛である。
一寸した過度、これが曲者なのである。
悲嘆の博愛を信じろと云つても困難である。悲しみは最もエゴイスティックな感情だからである。
自分たちは生きてをり、かれらは死んでゐる。それが朝子には、非常な悪事を働らいて
ゐるやうな心地がした。生きてゐるといふことは、何といふ残酷さだ。
彼女はもう一度、駅前の飲食店の赤い旗や、墓石屋の店先に堆く積まれた花崗岩の純白に
きらめく断面や、その煤けた二階の障子や、屋根瓦や、暮れなづむ空の陶器のやうな
燈明な青を見た。すべてのものがこんなにはつきり見えると朝子は思つた。この残酷な
生の実感には、深い、気も遠くなるほどの安堵があつた。
三島由紀夫「真夏の死」より
197 :
無名草子さん:2010/10/30(土) 11:00:39
あれほどの不幸に遭ひながら、気違ひにならないといふ絶望、まだ正気のままでゐる
といふ絶望、人間の神経の強靭さに関する絶望、さういふものを朝子は隈なく味はつた。
(中略)われらを狂気から救ふものは何ものなのか? 生命力なのか? エゴイズムなのか?
狡さなのか? 人間の感受性の限界なのか? 狂気に対するわれわれの理解の不可能が、
われわれを狂気から救つてゐる唯一の力なのか? それともまた、人間には個人的な不幸しか
与へられず、生に対するどんな烈しい懲罰も、あらかじめ個人的な生の耐へうる度合に於て、
与へられてゐるのであらうか? すべては試煉にすぎないのであらうか? しかしただ
理解の錯誤がこの個人的な不幸のうちにも、しばしば理解を絶したものを空想するに
すぎないのであらうか?
事件に直面して、直面しながら、理解することは困難である。理解は概ね後から来て、
そのときの感動を解析し、さらに演繹して、自分にむかつて説明しようとする。
三島由紀夫「真夏の死」より
198 :
無名草子さん:2010/10/30(土) 11:01:55
われわれの生には覚醒させる力だけがあるのではない。生は時には人を睡(ねむ)らせる。
よく生きる人はいつも目ざめてゐる人ではない。時には決然と眠ることのできる人である。
死が凍死せんとする人に抵抗しがたい眠りを与へるやうに、生も同じ処方を生きようと
する人に与へることがある。さういふとき生きようとする意志は、はからずもその意志の
死によつて生きる。
朝子を今襲つてゐるのは、この眠りであつた。支へきれない真摯、
固定しようとする誠実、かういふものの上を生はやすやすと軽やかに跳びこえる。もちろん
朝子が守らうとしたものは誠実ではない。守らうとしたのは、死の強ひた一瞬の感動が、
意識の中にいかに完全に生きたかといふ試問である。この試問は多分、死もわれわれの
生の一事件にすぎないといふ残酷な前提を、朝子の知らぬ間に必要としたのである。
男性は通例その移り気に於て女性よりも感傷的なものである。
三島由紀夫「真夏の死」より
199 :
無名草子さん:2010/10/31(日) 19:07:44
常套句を口にする男は馬鹿に見えるだけだが、女の場合、それは年齢よりももつと美を
損なふのだ。
われわれ男性は、男のピアニストがどんなに偉くなり、男の政治家がどんなに成功しようと
放置つておくが、ただ同性だからといふ理由で、女の社会的進出をむやみと擁護したり
尻押ししたりする婦人たちがゐる。フランスの或る女流作家が、現代社会では、男性が、
男及び人間といふ二つの領域に采配をふるつてゐるのに、女性は、女といふ領域だけしか、
自分のものにしてゐないと云つてゐるのは正しい。
惚れない限り女には謎はないので、作為的な謎を使つて惚れさせようといふつもりなら、
原因と結果を取違へたものと言はなくてはならない。
外国にゐて日本人の男女が演ずる熱情には、何か郷愁とはちがつた場ちがひな、いたましい
ものがある。
三島由紀夫「不満な女たち」より
200 :
無名草子さん:2010/11/02(火) 10:52:43
ついこの間も、寿産院事件があり、引きつづいて帝銀事件があつた。どちらの事件にも、
彼は別に関係がなかつた。当り前のことだ。一雄はそれを新聞で読んだだけだ。しかし
舞台上の事件と観客とが絶対に関係がないと言ひ切れるだらうか。
なんとなく、みんなが顔色のわるい顔をして、十分いきいきと、たのしくてたまらないやうに
暮してゐた。どんな行為にでも弁疏の自由があつた。辷り台を辷り下りるとき、子供は
どんなにうれしさうな顔をするか。辷り下りるといふことは素晴らしいことなのにちがひない。
重力の法則、この一般的な法則のなかで人は自由になる。その他の個別的な法則はどこかへ
飛んで行つてしまふ。
無秩序もまた、その人を魅する力において一個の法則である。それと絶縁して、その
自由だけをわがものにすることはできないだらうか?
人々は好い気になつて、悪い酒を呑んでは抒情的になつてゐた。メチール・アルコホル入りの
ウイスキイのおかげで、死んだり盲になつたりする人が大ぜいゐた。
三島由紀夫「鍵のかかる部屋」より
201 :
無名草子さん:2010/11/02(火) 10:53:47
彼のまはりにはあけつぴろげな誘惑があつた。自殺するのはほんたうに簡単だ。自殺をすれば、
国民貯蓄課の属官たちはかう言ふにちがひない。『前途有為な青年がどうして自殺なんか
するのだらう』前途有為といふやつは、他人の僭越な判断だ。大体この二つの観念は必ずしも
矛盾しない。未来を確信するからこそ自殺する男もゐるのだ。朝のラッシュ・アワーの
電車に揉まれてゐて、一雄は誰も叫び出さないのをふしぎに思ふことがあつた。自分の体さへ
思ふままにならない。他人の圧力から、自分の腕をどうにか引つこ抜いて、背中の痒いところを
掻くことさへできない。誰もこんな状態を、秩序の状態だとは思はないだらう。しかし
誰もそれを変改できない。満員電車のなかの、押し黙つた多くの顔の底に、ひとつひとつ
無秩序が住んでゐて、それがお互ひに共鳴し、となりの男の無礼な尻の圧力を是認して
ゐるのだ。ああいふ共鳴は、一度共鳴してしまつたら、とても住みよくなるのだ。
三島由紀夫「鍵のかかる部屋」より
202 :
無名草子さん:2010/11/02(火) 10:55:20
鍵のかかる音、あの輪郭のくつきりした小さな音を、一雄は自分の背後に聴いた。
『何て女だ』……彼は別に嘔気(はきけ)もしなかつた。レコードを替へるふりをした。
彼の背後で、そのとき外界が手ぎはよく、遮断された。
まだ宵の口だつた。彼の外界は、その鍵の音で、命令され、強圧され、料理されてしまつた。
途方もなく連続してゐたもの、たとへば、よく清涼飲料の商標にある、若い女が罎の口から
呑んでゐるその罎のレッテルに、また若い女が罎の口から呑んでゐる絵があり、その絵の中の
罎のレッテルにまた若い女が罎の口から呑んでゐる絵のある、(一雄の住んでゐる現実は
さういふ構造をもつてゐた、)無限につながつた現実の連鎖が、小気味よく絶たれてしまつた。
罎のレッテルの中の罎の、そのレッテルの中の罎の、そのレッテルの中の罎の、最後の
レッテルは空白になつた。彼は息がつけた。そしてのろのろと上着を脱いだ。
そのとき女のはうが鍵をかけたといふことはたしかに重要だつた。
三島由紀夫「鍵のかかる部屋」より
203 :
無名草子さん:2010/11/02(火) 10:56:25
一雄は呑み干したココアの茶碗を置いた。雨は小降りになぞなつてゐなかつた。駅へ
下りてゆく人影が少くなつた。土曜日の午後がはじまつてゐた。『土曜日は人魚だ』と
一雄は思つた。『半ドンの正午のところをまんなかに、上半身は人間で、下半身は魚だ。
俺も魚の部分で、思ひきり泳いでいけないといふ法はないわけだな』
彼女はうるさいほど度々鏡を見た。何かの奇蹟で自分の知らない間に美人に変貌してゐるかも
しれないと思つて、一雄は醜い女もきらひではなかつた。本当に男を尊敬できるのは、
劣等感を持つた女だけだ。
女を抱くとき、われわれは大抵、顔か乳房か局部か太腿かをバラバラに抱いてゐるのだ。
それを総括する「肉体」といふ観念の下(もと)に。
犬だつて女のやうな表情をうかべることがある。むかし一雄が飼つてゐたジョリイはよく
こんな顔をしたものだ。
三島由紀夫「鍵のかかる部屋」より
204 :
無名草子さん:2010/11/02(火) 10:57:26
この世には無害な道楽なんて存在しないと考へたはうが賢明だ。
国民の自覚、といふ言葉で、誰も吹き出さなかつたのはふしぎだつた。「国民」とか
「自覚」とかの言葉には、場末で売つてゐる平べつたいコロッケ、藷(いも)と一緒に
古新聞の切れつぱしなんぞの入つてゐる冷たいコロッケのやうな、妙にユーモラスな
味はひがある。
地位を持つた男たちといふものは、少女みたいな感受性を持つてゐる。いつもでは困るが、
一寸した息抜きに、何でもない男から肩を叩かれると嬉しくなるのだ。
彼はふと自分が流行歌手になつてゐるところを想像した。マドロスの扮装をし、ドーランを塗り、
にやけた表情をする。この空想が彼を刺戟した。歌うたひにはみんな白痴的な素質がある。
歌をうたふといふことは、何か内面的なものの凝固を妨げるのだらう。或る流露感だけに
涵(ひた)つて生きる。そんなら何も人間の形をしてゐる必要はないのだ。この非流動的な、
ごつごつした、骨や肉や血や内蔵から成立つたぶざまな肉体といふもの。これが問題だ。
三島由紀夫「鍵のかかる部屋」より
205 :
無名草子さん:2010/11/02(火) 10:59:41
廿九歳まで童貞でゐられるとはすばらしい才能だ。世界の半分を無瑕(むきず)でとつておく。
それまで女をドアの外に待たして、ゆつくり煙草を吹かしたり、国家財政を研究したり
してゐたのだ。
決して急がない男がゐるものだ。世間で彼は「自信のある男」と呼ばれる。蝿取紙のやうに
ぶらぶら揺れて待つてゐる。人生が蝿のやうに次々とくつつくのだ。かういふ男はどんなに
蝿を馬鹿と思ひ込んで、一生を終るだらう。事実は、蝿取紙に引つかからない利口な蝿も
ゐることはゐるのだが。
不死は、子や孫にうけつがれるなんて嘘だ。不死の観念は他人にうけつがれるのだ。
三島由紀夫「鍵のかかる部屋」より
206 :
無名草子さん:2010/11/02(火) 16:07:41
安里は自分がいつ信仰を失つたか、思ひ出すことができない。ただ、今もありありと
思ひ出すのは、いくら祈つても分かれなかつた夕映えの海の不思議である。奇蹟の幻影より
一層不可解なその事実。何のふしぎもなく、基督の幻をうけ入れた少年の心が、決して
分れようとしない夕焼の海に直面したときのあの不思議……。
安里は遠い稲村ヶ崎の海の一線を見る。信仰を失つた安里は、今はその海が二つに割れる
ことなどを信じない。しかし今も解せない神秘は、あのときの思ひも及ばぬ挫折、たうとう
分かれなかつた海の真紅の煌めきにひそんでゐる。
おそらく安里の一生にとつて、海がもし二つに分かれるならば、それはあの一瞬を措いては
なかつたのだ。さうした一瞬にあつてさへ、海が夕焼に燃えたまま黙々とひろがつてゐた
あの不思議……。
三島由紀夫「海と夕焼」より
207 :
無名草子さん:2010/11/02(火) 16:10:05
われわれの内的世界と言葉との最初の出会は、まつたく個性的なものが普遍的なものに
触れることでもあり、また普遍的なものによつて練磨されて個性的なものがはじめて所を
得ることでもある。
「彼女が僕の額をとても美しいつて言つてくれるんだ」(中略)
『ずいぶんおでこだな』と少年は思つた。少しも美しいといふ感想はなかつた。
『僕だつてとてもおでこだ。おでこは美しいといふのとはちがふ』
――そのとき少年は何かに目ざめたのである。恋愛とか人生とかの認識のうちに必ず
入つてくる滑稽な夾雑物、それなしには人生や恋のさなかを生きられないやうな滑稽な
夾雑物を見たのである。すなはち自分のおでこを美しいと思ひ込むこと。
もつと観念的にではあるが、少年も亦、似たやうな思ひ込みを抱いて、人生を生きつつ
あるのかもしれない。ひよつとすると、僕も生きてゐるのかもしれない。この考へには
ぞつとするやうなものがあつた。
三島由紀夫「詩を書く少年」より
208 :
無名草子さん:2010/11/03(水) 17:49:45
固さは脆さであります。
思想は多少に不拘(かかはらず)、暴力的性質を帯びるものである。
腕力こそは最初の思想である。もし腕力が最初に卵の殻を割らなかつたら、誰が卵を
食用に供しうるといふ思想を発明しえたでありませう。
三島由紀夫「卵」より
高位の貴婦人であらうと、女である以上、愛されるといふことを抜きにしたいかなる権力も
徒である。
一体女には、世を捨てると云つたところで、自分のもつてゐるものを捨てることなど
出来はしない。男だけが、自分の現にもつてゐるものを捨てることができるのである。
三島由紀夫「志賀寺上人の恋」より
健康で油ぎつた皮膚の人間には、みんな蠅のやうなところがある。蠅は腐敗を好むほど
健康なのだ。
貧乏には独特の匂ひがある。貧しい人たち同士はそれで嗅ぎわけるのだ。
三島由紀夫「水音」より
209 :
無名草子さん:2010/11/03(水) 17:53:59
この世界には何かが欠けてゐる。たとしへなく大きなもので、しかも目に見えないものが
欠けてゐる。根本的な条件が欠けてゐるのだ。
銹(さ)びた鉄の水呑場は大そう高く、小さな男の児は母親に体をもちあげてもらつて、
足を宙に浮かして水を呑まねばならない。小さなとんがらかした唇が、不安定な様子で、
小まめに吹き出てゐる水に近づく。水は外れて、鼻孔に入つてしまつた。男の児は泣き出した。
こんな重大な蹉跌には、誰だつて泣くだけの値打がある。
自動車博覧会の雑沓の只中に、誰の才覚でこんな硝子の小さな箱が設けられたのだらう。
誰の才覚で、その硝子の内側に水が注がれ、金魚が放り込まれたのだらう、無意識の善意とか、
無意識の悪意とかいふものは本当にある。さういふものが考へつくのは、いつもかうしたことだ。
三島由紀夫「博覧会」より
210 :
無名草子さん:2010/11/03(水) 20:35:46
日本でも天の宇受売の命(うずめのみこと)がさうであるが、古来、踊りをやる人には、
多少常規を逸したところがある。かのイサドラ・ダンカンも、ギリシアを訪れて、アテネの
ゼウス神殿オリュンピエイオンで、突如として古代の霊感に搏たれ、月明りの下に全裸の姿で
一人踊り狂つたと伝へられる。
三島由紀夫「芸術狐」より
戦前でも、ダム工事のための資金は、主としてアメリカの外資によつてゐたことを知つて
ゐる人は案外すくない。戦前から電力会社は、ダム建設のために一億数千万弗(ドル)の
社債を、アメリカへ売りに行つてゐたのである。
三島由紀夫「山の魂」より
職人気質(かたぎ)といふものは今もあり、かういふ人たちの廉恥心、実直、正直、仕事熱心、
寡黙、仕事の出来栄えについての良心、などの美徳は、今も決して衰へてゐるのではない。
この物語の不幸は、ある女が、さういふ美徳を疑つてかかつたことから起つたのである。
だからわれわれは、もうなくなつてしまつたと世間で思はれてゐる美徳をも、信じるやうに
しなければならない。
三島由紀夫「屋根を歩む」より
211 :
無名草子さん:2010/11/03(水) 20:37:12
映画の世界ほど、無意味な不公平の横行してゐるところはあるまい。外の世界なら、
多かれ少なかれ、伎倆の相違でランクがつけられ、羨望と嫉妬も、みんな身から出た錆だと
思ふほかはない。
映画の世界の不公平は、もつと絶対的なのである。かりに容貌の美醜でランクがつけられると
するなら、これは或る意味では才能と同じやうに、天賦のものだから文句のつけやうがない。
しかし映画界でスタアと下積みとを分けるものは、決して容貌の美醜や、肉体の優劣ではない。
もし諸君が撮影所へゆき、撮影現場を見学して、主役の男女優からしばらく目を外らし、
セットのかげで待機してゐる大部屋の人たちに目をそそげば、主役以上の美男美女を
わけなく発見するにちがひない。が、その人たちの多くは、一生はかない夢を抱いて、
埋もれてしまふ人たちなのである。
たとへばハリウッドの一映画会社で、個性的な顔のスタアが売り出されたとする。そのとき
セットのかげには、そのスタアによく似てゐるが、容貌も肉体もずつとすぐれた無名俳優が
かくれて歯ぎしりしてゐると思つていい。
三島由紀夫「色好みの宮」より
仮説の墓場だな
213 :
無名草子さん:2010/11/05(金) 11:33:58
女の踝が美しいのは、このいかにも慎みのない突起が、なめらかな脚のつづきに現はれて、
そこで突然動物的なものを感じさせるからだらう。
ヤクザ特有の死に関する単純な投げやりな見解、真情を隠して抵抗する可愛い女、それらは
身についた卑俗と卑小の独特の詩を荷つてゐる。凡庸さを一寸でも逸脱したら忽ち失はれる
やうな詩が、かういふ物語の中にはこもつてゐる。天才に禍ひあれ。この種の詩は決して
意識されてはならず、看過されるときだけ薫りを放つのだ。そして大多数の映画は
すばらしいことに、すべてを看過しながら描写してしまふ。
三島由紀夫「スタア」より
214 :
無名草子さん:2010/11/05(金) 11:35:14
「霧の夜道に青い灯に、
別れた瞳が気にかかる」
この種の凡庸と卑俗の詩は、言葉の置き換へのゆるされない厳然たる存在だといふことに
誰が気づくだらう。人がかういふ詩の存在を許すのは、それらが紋切型で無力で蜉蝣のやうに
短命だと思つてゐるからだ。ところが永生を約束されてゐるのは実はこれのはうで、
悪が尽きないやうに、それは尽きない。鱶(ふか)のお腹についてゐる小判鮫のやうに、
それはどこまでも公式の詩のお腹について泳ぐのだ。それは創造の影、独創の排泄物、
天才の引きずつてゐる肉体だ。安つぽさだけの放つ、ブリキの屋根の恩寵的な輝き、
うすつぺらなものだけが持つことのできる悲劇の迅速さ、十把一からげの人間だけが見せる、
あの緻密な念の入つた美しさと哀切さ。愚昧な行動だけがかもし出す夕焼けのやうな
俗悪な抒情。……すべてこれらのものに守られ、これらの規約に忠実に従つた、この種の
物語を僕はとても愛する。
三島由紀夫「スタア」より
215 :
無名草子さん:2010/11/05(金) 11:36:24
幸福がつかのまだといふ哲学は、不幸な人間も幸福な人間もどちらも好い気持にさせる力を
持つてゐる。
「見られる」といふことがどういふことか、世間の人にいくら説明しても無駄だと思ふ。
正に「見られる」といふ僕らの特質が、僕らを世間から弾き出し、世外の人にしてしまふ
原因だからだ。
僕は、一緒に寝てくれといふ女より、どこかで自涜してゐる女のはうが、はるかに
好きなことはたしかである。僕が本当のラヴ・シーンと考へるものはこれしかない。
スタアはあくまで見かけの問題よ。でもこの見かけが、世間の『本当の認識』の唯一つの
型見本、唯一つの形にあらはれた見本だといふことを、向う様も十分御存知なんだわ。
世間だつて、結局認識の源泉は私たちの信仰してゐる虚偽の泉から汲んで来なければ
ならないことを知つてるの。ただその泉には、絶対にみんなの安心する仮面がかぶせて
なければ困るのよ。その仮面がスタアなんだわ。
三島由紀夫「スタア」より
216 :
無名草子さん:2010/11/07(日) 23:08:35
女が生活に介入してくることによつて、人は煩瑣(はんさ)を愛するやうになる。
男女関係は或る意味では極めて事務的なたのしみだ。
男を事務的な目附で眺めることができるのは既婚の女の特権である。公私混同には
持つてこいの特権だ。
幸福の話題は罪のやうに人を疲らせる。
悪徳の虚栄心が悪徳そのものの邪魔立てをする。「魂の純潔」なるものを保たせようと
するならば、少くとも青年には、美徳の虚栄心よりも悪徳の虚栄心の方が有効なのである。
曇つた空を見てゐると、人間の習慣とか因襲とか規則とかいふものはあそこから落ちて
来たのではないかと思はれるのである。曇つた日は曇つた他の日と寸分ちがはない。
何が似てゐると云つて、人間の世界にはこれほど似てゐるものはない。人はこんな残酷な
相似に耐へられたものではない。
三島由紀夫「慈善」より
217 :
無名草子さん:2010/11/07(日) 23:09:42
いちばん高貴で美しい「忘却」といふ作用がいちばん醜くて愚劣な「習慣」といふ作用と
いつも結びついてゐること以上の不合理はない。
戦争が道徳を失はせたといふのは嘘だ。道徳はいつどこにでもころがつてゐる。しかし
運動をするものに運動神経が必要とされるやうに、道徳的な神経がなくては道徳は
つかまらない。戦争が失はせたのは道徳的神経だ。この神経なしには人は道徳的な行為を
することができぬ。従つてまた真の意味の不徳に到達することもできぬ筈だつた。
絶対に無道徳な貞節といふものが可能ではあるまいか。絶対に道徳を知らないで道徳に
奉仕することができはすまいか。無道徳といふ無限定が、その無限定のために、やすやすと
不徳乃至(ないし)道徳といふ限定に包まれうるものならば、象が大きすぎるといふ理由で
鼠に負けるならば。
三島由紀夫「慈善」より
218 :
無名草子さん:2010/11/08(月) 14:55:41
不吉な宝石によつて投げかけられる凶運の翳といふものを人々はもはや信じまい。尤も
さういふ不信が現代の誤謬でないとは誰も言へまい。現代人は自分の外部に、すべて内部の
観念の対応物をしかみとめない。宝石などといふ純粋物質の存在をみとめない。しかし
人間の内部と全く対応しない一物質を、古代の人たちは物質と呼ばずに運命と呼んだのでは
なからうか。精神のうちでも決して具象化されない純粋な精神が、外部に存在して、
ただ一つの純粋物質としてわれわれの内部を脅やかすに至つたのではあるまいか。
死、生、社会、戦争、愛、すべてをわれわれは内部を通じて理解する。しかし決して
われわれの内部を通過しないところの精神の「原形」が、外部からただ一つの純粋物質として
われわれを支配するのではあるまいか。ともすると宝石は、精神の唯一の実質ではなからうか。
三島由紀夫「宝石売買」より
219 :
無名草子さん:2010/11/08(月) 14:58:43
報いとは何だらう。そんなものがあつてよいだらうか。報いといふ考へ方は、いま悪果を
うけてゐる者が、むかしの悪因の花々しさに思ひを通はす、殊勝らしい身振にすぎぬではないか。
貴族とは没落といふ一つの観念を誰よりも鮮やかに生きる類ひの人間であつた。たとへば
「出世」といふ行為を離れてはありえぬ「出世」といふ観念を人は純粋に生きることが
できないが、そこへゆくと、没落といふ観念はもともと没落といふ行為とは縁もゆかりも
ないものなのである。没落を生きてゐるのではなく、「失敗した出世」を生きてゐることに
ならう。没落といふ観念を全的に生きるためには、決して没落してはならなかつた。
落下の危険なしにサーカスは考へられないが、本当に落ちてしまつたらそれはもはや
サーカスではなくて、一つの椿事にすぎないのと同じやうに。
三島由紀夫「宝石売買」より
220 :
無名草子さん:2010/11/08(月) 15:01:11
女性のもつ人道的感情はきはめて麗はしいもので、多くの場合、審美的でさへあるのである。
「素敵な指環ですね」――指環に見入つてゐる彼の顔を何の気なしに見上げた久子は、
それかあらぬか、居たゝまれない羞恥を感じた。女の宝石をほめるのは、面と向つて
その体をほめるやうなものではなからうか。宝石への誉め言葉が時あつてふしぎな官能の
歓びを女に与へるのはそのためだ。
この青年が持してゐる幸子の男友達にふさはしい軽薄な態度は、決して真底から軽薄に
なる筈もないといふ自信をもつた人間のそれかもしれない。さう久子は考へてみた。
そのせゐでこの人は自分の軽薄さを実に軽薄に扱ふ術を心得てゐる。真底から軽薄な人間の
遠く及ばない完全無欠な軽薄さだ。つまり真底から軽薄な人間は自分の軽薄さの自己弁護に
ついてだけは真剣にならざるをえないのだから。その範囲で彼の軽薄さは不完全なものに
ならざるをえないのだから。
三島由紀夫「宝石売買」より
221 :
無名草子さん:2010/11/08(月) 15:03:09
「僕にはね、観崇寺さん、五千円といふ名の方がずつと美しく感じられるのです。値踏み
といふ行為が、人間にできるいちばん打算のない行為だとわかつて来ましたのでね。
打算のない愛情とよく言ひますが、打算のないことを証明するものは、打算を証明する
ものと同様に、『お金』の他にはありません。打算があつてこそ『打算のない行為』も
あるのですから、いちばん純粋な『打算のない行為』は打算の中にしかありえないわけです。
夜があつてこそ昼があるのだから、昼といふ観念には『夜でない』といふ観念が含まれ、
その観念の最も純粋な生ける形態は夜の只中にしかないやうに、又いはば、深海魚が陸地に
引き揚げられて形がかはつてゐるのに、さういふ深海魚をしか見ることのできない人間が、
夜の中になく夜の外にある昼のみを昼と呼び、打算の中になく打算の外にある『打算なき行為』
だけを『打算なき行為』とよぶ誤ちを犯してゐるわけなのです」
三島由紀夫「宝石売買」より
222 :
無名草子さん:2010/11/08(月) 15:04:36
「さうして値踏みといへば、五千円といふまちがへやうもない名前をつけてやる行為です。
世間一般でよぶ鷲の剥製といふ名の代りに、値踏みをする人は五千円といふ特別誂への名で
よびかけます。すると鷲の剥製は、魔法の名で呼ばれたつかはしめの鳥のやうに歩き出して
彼に近づいてくるのです。
動機は何でも結構。たはむれの動機でも、自分の財布と睨めつくらをした上でも、明日の
利潤を胸算用したあげくでも、何でも結構。ただ五千円といふ名はあらゆる動機を離れて
鷲の剥製の属性になつてしまつたのです。人形に魂を吹き入れて『立て!』といふとき、
魔女たちはこれに似た感情を味はひはしないでせうか。人は値踏みによつてのみ対象に
生命を賦与(あた)へることができるのです。これ以上打算のない行為があるでせうか」
三島由紀夫「宝石売買」より
223 :
無名草子さん:2010/11/08(月) 15:09:12
「何度失敗してもまた未練らしく試みられて際限がないあの錬金術同様に、打算のない
行為といふものは、何度失敗しても飽きることなく求められて来ました。はじめそれは
精神の世界で探されました。宗教がさうですね。お互ひが真に孤独でなければ出来ない行為は、
精神の世界では、愛がその最高のものであり、もしかしたら唯一のものかもしれません。
そこで打算のない行為の原型が愛に求められました。しかし残念なことに、愛は対象の
属性には決してなりえないといふ法則が発見されたのです。これがつまり基督の昇天です。
彼の愛は人間の属性になるには耐へなかつた。孤独の属性になるには耐へなかつた。
そこで人々は精神に代つて『打算のない行為』を演じてくれるものを鉦や太鼓で探し
まはりました。ある古伝説の残してくれた証拠によれば、それは物質だといふのですが、
誰もまだそれがお金だといふことははづかしくて言へないのです。尊敬してゐるものを
褒めるといふ芸当はなかなか出来るものではありませんからね」
三島由紀夫「宝石売買」より
224 :
無名草子さん:2010/11/08(月) 15:14:55
「どうしてそんなにお儲けになりたいの」
「儲けるといふことはお金から『必要さ』といふ弱点を除いてくれますから」
「『必要さ』はお金の弱点ではございませんわ」
「…わたくし共は子供のときから、この世のお金といふものが、たつた一つの宝石を
買ふためにあるのだといふことを知つてをりました。宝石を買ふために、どんな僅かな
お金もわたくし共には必要で、その必要なことがお金を美しくしてゐると考へてゐました。
ですからこの宝石を売ることは、世の中からもう一度あの美しいお金をとりもどす
ためなのよ。…」
「もつとお怒りなさい。牧原君が許婚だなんて嘘でせう」
「あら、あたくしそんなに嘘つきにみえまして? 嘘つきにみえる方が正直にみえるより
得ではなくつて? だつて安心して本当のことが言へますもの。…」
三島由紀夫「宝石売買」より
225 :
無名草子さん:2010/11/08(月) 20:43:16
郁子の死は法会に集つた人々の心のなかに広野の景観に似たゆたかな眺めを与へはじめてゐた。
死といふ事実は、いつも目の前に突然あらはれた山壁のやうに、あとに残された人たちには
思はれる。その人たちの不安が、できる限り短時日に山壁の頂きを究めてしまはうと
その人たちをかり立てる。かれらは頂きへ、かれらの観念のなかの「死の山」の頂きへ
かけ上る。そこで人たちは山のむかうにひろがる野の景観に心くつろぎ、あの突然目の前に
そそり立つた死の影響からのがれえたことを喜ぶのだ。しかし死はほんたうはそこからこそ
はじまるものだつた。死の眺めはそこではじめて展(ひら)けて来る筈だつた。光に
あふれた野の花と野生の果樹となだらかな起伏の景観を、人々はこれこそ死の眺めとは
思はず眺めてゐるのだつた。
三島由紀夫「罪びと」より
226 :
無名草子さん:2010/11/09(火) 15:56:49
世間といふものは、女と似てゐて案外母性的なところを持つてゐるのである。それは
自分にむけられる外々(よそよそ)しい謙遜よりも、自分を傷つけない程度に中和された
無邪気な腕白のはうを好むものである。
巌(いはほ)のやうな顔が愛くるしい笑ひ方をした。強欲な人間は、よくこんな愛くるしい
笑ひ方をするものである。強欲といふものは童心の一種だからであらうか。
残り惜しさの理由は、使ひ慣れたといふ点にしかない。しかしかけがへのない感じは、
これだけの理由で十分であつた。おそらくこれ以上の理由は見つかるまい。
田舎の有力者ほどひがみやすい人種はないのである。
よく眠る人間には不眠をこぼす人間はいつでも多少芝居がかつた滑稽なものに映る。
死のしらせは同情より先に連帯的な或る種の感動で人を結ぶものである。
三島由紀夫「訃音」より
227 :
無名草子さん:2010/11/09(火) 15:57:45
少年といふものが彼らの年齢特有の脆弱さを意識して反対の「粗雑さ」に憧れる傾向を、
亘理は冷眼視してゐるやうに思はれるのだつた。彼はむしろ脆弱さを守らうとしてゐた。
自分自身であらうとする青年は青年同士の間で尊敬される。しかし自分自身であらうと
する少年は少年たちの迫害に会ふのである。少年は一刻でも他の何物かであらうと
努力すべきであつた。
三島由紀夫「殉教」より
下手な恋文しか書けない人に、『恋文を書く必要がない』といふ幸福を一生あたへ
つづけること、それが結婚生活といふものなのですからね。
男は女と別れたら、よし御夫婦でも、女を自分の『昔の女』とか『別れた妻』とか
『昔の恋人』とかいふ別の新鮮な偶像に仕立てて、そのコッピーをちやんと自分のところに
とつておかうとする甘つたるい欲望から脱けきれないものです。
三島由紀夫「親切な男」より
不安は奇体に人の顔つきを若々しくする。
三島由紀夫「毒薬の社会的効用について」より
三島なんて粗大ゴミじゃないですか
229 :
無名草子さん:2010/11/10(水) 11:22:02
女を知らない体がどうして不幸なものですか。わたしの体を知つた男はみんな不幸になる
ばかりだわ。わたしお兄様をお可哀想になんて言へないことよ。
三島由紀夫「家族合せ」より
精力はともすると物憂げな外見を装ひたがるものである。
同情といふ感情は一種の恐怖心で、自分に大して関係のないものが関係をもちさうに
なるのを惧(おそ)れるあまり、先手を打つて、同情といふ不良導体でつながれた関係を
もたうとする感情だ。
事件といふものが一種の古典的性格をもつてゐることは、古典といふものが年月の経過と
共に一種の事件的性格を帯びるのと似通つてゐる。事件も古典と同じやうに、さまざまの
語り変へが可能である。
三島由紀夫「親切な機械」より
どんな卑近な情熱でも、そこには何らかの自己放棄を伴ふものだ。
良心は人を眠らせないが、罪は熟睡させるのである。
三島由紀夫「孝経」より
230 :
無名草子さん:2010/11/10(水) 17:06:48
「莫迦な女ですね」――伊原を殊更薄暗い壁際の椅子へ導きながら曽我が言つた。彼の
煙草を持つ指は脂(やに)のためにほとんど瑪瑙いろになつて、しじゆう繊細に慄へてゐた。
「自分を莫迦だと知つてゐるだけになほ始末がわるい。女といふものは、自分を莫迦だと
知る瞬間に、それがわかるくらゐ自分は利巧な女だといふ循環論法に陥るのですね」
かういふ小説風な物言ひに伊原は苛々した。下手な絵描きに限つて絵描きらしく見えることを
好むものである。
そのさなかにゐては軽蔑をしか彼に教へなかつたあの人たちの身の持ち崩し方が、かうして
思ひ出すと、古代彫刻のトルソオの美しさだけは確かに保つてゐたやうに思はれて来る。
闊葉樹の落葉をさはやかに踏みしだきながら、彼は靴底の舗道に崩れる枯葉の音に
焔のやうな・何かしら燃え上るものの響を聞いた。しかし彼の意固地な厚い脣が抵抗して
呟いた。
『いや、あそこには魔がゐる。魔はやさしい面持でわれわれに誘ひをかける。だが彼らが
住むことのできるのは夜に於てだけだ……』
三島由紀夫「魔群の通過」より
231 :
無名草子さん:2010/11/10(水) 17:10:49
中年の女といふものは若い女を見るのに苛酷な道学者の目しか持たぬ点に於て女学校の
修身の先生も奔放な生活を送つてゐる富裕な有閑マダムもかはりはない。
「厭世的な作家?」――伊原には自分を楽天的な事業家と言はれたやうにそれが響いて
聞き咎めた。「そんなものはありはしないよ。認められない作家はみんな厭世家だし、
認められた作家は長寿の秘訣として厭世主義を信奉するだけだ。とりたてて厭世的な
作家なんてありはしない。彼らとてオレンヂは好きなんだ。オレンヂの滓(かす)が
きらひなだけだ。この点で厭世家でない人間があるものかね」
曽我はいかにも俗物を嘲笑ふらしいヒロイックな表情で伊原の顔を見つめてゐたが、
その濡れた脣の少年のやうな紅さが、今はじめて見るもののやうに伊原の目を見張らせた。
それはこの間接照明の思はせぶりな暗さの中で、何か紅い貴重な宝石のやうに燦めいてゐた。
三島由紀夫「魔群の通過」より
232 :
無名草子さん:2010/11/10(水) 20:45:16
神さまが仰言いました。
「ここまで他人に荒されちや大変だ。わしはだから人間世界へ電報を打たうと思ふんぢやよ。
『わしはもう居ない。わしはもう決してどこにも存在しない』とね」
三島由紀夫「天国に結ぶ恋」より
野外演習の払暁戦で、富士の裾野に身を伏せてながめやつた箱根の山々の稜線の薄明を
思ひ出した。明星が消え残つてゐた。それは事実、ふしぎに大きく、ふしぎにかがやかしく
見えた。ピタゴラスが言つたといふ「天体の奏でる微妙な音楽」の、最後までかすかに
尾を引く嚠喨(りうりやう)たる笛の音のやうなかがやきであつた。
名人は演能のさなかにも、幾度かこの星のやうな笛の音を美しい仮面の下からきくのであらう。
それは薄明の山上にあるやうに、老いた名人の感官に、大きな、身近な、手をのばせば
とどく星の存在を、たえず触知させてゐるにちがひない。
三島由紀夫「星」より
堕落したつもりで彼は一向に堕落してゐなかつた。一人の女しか知らないことがどうして
堕落であらう。
三島由紀夫「退屈な旅」より
233 :
無名草子さん:2010/11/10(水) 20:46:19
『女御がみまかつてから、私は蝉の抜殻のやうだ』と帝は考へられた。『何ものも私を
慰めないし、何ものも私を力づけない。この地上で確かなものといつたら、それは何なのだ。
人間が三度三度食事をするといふことか? 地上の確かさはそれに尽きるのか?
それだのに、さういふ確かさうなものを見、その確かさに安心してゐる人たちを見ると、
私は笑ひたくなる。女御がゐたときは一刻も永遠のやうに思はれた。幸福な一刻だつたからだ。
今でもやはり、永遠のやうに思はれる一刻がある。不幸な一刻、退屈な耐へがたい一刻だからだ。
してみると、時といふもの、私たちの生きてゐることの唯一の仕方がない理由といふものも、
こんなにあやふやな当てにならないものであらうか? 「時」は私たちの生きてゐることの
徒(あだ)な所以(ゆゑん)をいひきかせるために流れてゐるのであらうか?
三島由紀夫「花山院」より
いつもカウンターにいる支配人は哀しげな目をした中年の男で、腹に割腹の痕があった。
この男は見るからに、何を書いてもまずうまく伝わらないないというタイプだった。
そういうタイプのまさに標本みたいな男だった。
まるで淡い青インクの溶液に一日漬けておいてから引っ張り上げたみたいに、
彼の存在の隅々に失敗と敗退と挫折の影が染みついていた。
ガラスの箱に入れて、学校の理科室に置いておきたくなるような男だった。
「何を書いても上手く伝わらない男」という札をつけて。
235 :
無名草子さん:2010/11/11(木) 11:54:20
繁子は明けがたまでこの二つの床のどちらにも落着けず、たえず枕と寝床とをとりかへながら
眠りを待つた。しかし一人で二つの床に寝ることはだれにもできない。目をさまして繁子が
毎朝かたはらに見出すものが、寝乱れた、しかも墓のやうに冷たく空しい「もう一つの床」で
あつても致方はなかつた。
不快な予感のやうな目覚めである。朝は怖ろしかつた。それは病人にとつての夜のやうな
朝だつた。繁子は残酷な忌はしい夢からさめた。口の中が血の匂ひでいつぱいのやうに
感じられた。悪夢の中の流血の印象が口にのこつたのではあるまいか。さうではなかつた。
月のもののその日には、繁子はさういふ感じがして目をさますのが常だつた。その日一日は
何を喰べても血の味がした。
――引揚の酸鼻な光景を目にして以来、自分の部屋には赤いものを一切置かせぬほど
過敏になつた繁子なのに、夢の中での流血は容赦もなかつた。奉天で際会した終戦から
内地へかへるまでの異様な情景を、夢は執拗にくりかへした。
三島由紀夫「獅子」より
236 :
無名草子さん:2010/11/11(木) 11:59:14
八月末にソヴィエトの軍隊が入つて来た。(中略)寿雄夫妻は親雄を抱いて安奉線に乗つて引き揚げの旅についた。
その列車が匪賊に襲はれたのが、宮原といふ駅の附近だ。逃げ場を失つた乗客たちは、
荒野のそこかしこに水を湛へてゐる窪地へ下りた。それらの沼には葦に似て丈の高い草が
群生して水面一米突(メートル)の叢を諸所に浮かべてゐるので、水に体をひたせば
身は隠せた。(中略)
沼は依然森閑としてゐた。しかしおそらく水面から首だけ出してゐた数人の死傷者は声を
立てるひまもなしに沈んだのである。五十米足らず離れた向うの叢から荒い波紋がひろがり、
そのあたりの水が紅潮したのでもそれがわかる。雨に濡れた煉瓦の色だ。――そのとき
沼の遠い周辺に三四人の狙撃兵が姿をあらはした。次の銃声のまへに笑ひ声に似た鋭い悲鳴が
遠くで起つた。こんな風にして鴨猟のスポーツが、それこそ本物の阿鼻叫喚がはじまつた。
襲撃がをはつて、朝まだきに走り出した列車の一隅に腰を下ろして、あの惨劇の行はれた
沼沢地のかがやきを背後に見たとき繁子は失神した。
三島由紀夫「獅子」より
彼は何らかの情熱が働らかないところではおそろしく不手際になる男だつた。繁子に
冷たくなるにつれて彼の不手際な一面が押し出されて来るので、繁子はむしろさういふ
八方破れの彼に愛を感じだした。それは矛盾にみちた悲劇的な愛だつた。彼の巧みな
手れん手くだに乗ぜられた女が、やがて彼の愛が冷め、その冷めた愛を糊塗しようとする
彼の手くだの巧みさを見たとしたら、おそらく興ざめて別離はたやすくなるにちがひない。
しかし愛の冷却に伴ふさまざまな困難を一つとして切抜けかねる彼の意外な不器用さが、
女のなかに母性的な別種の愛をめざめさせ、それがますます別離を困難にすることは
ありうることだ。
嫉妬は透視する力だ。
「君にとつて大事なことは僕が恒子さんを愛してゐるかどうかといふ問題だらう。それに
比べれば一緒の宿に泊つたといふ事実が一体何だらう」
「愛の問題ではないのです。女には事実のはうがもつと大切です」
三島由紀夫「獅子」より
「…奥さん、あなたの悩みも亦季節のやうなものであります。烈しい夏のやうなものです。
夏の日照が秋の稔りを約束します。そして稲の一ト穂一ト穂は、自分一人がさうした
烈しい日光に焼かれてゐると思つてゐるが、実は誰もがさうなのです。この季節の中では
人は凡て不幸になります。あなたの悩みもその稔りある不幸の一つの形にすぎないのです」
「でもこの苦しみは私のものです。他の誰のものでもありません」
「御自分の苦しみをそんなに大事にしてはなりません」
「それは私に『生きてゐる勿(な)』と仰言ることでございます」
皮肉は何といふ美味なつまみものであらう。殊に酒精分の強い洋酒の場合は。
凡て悪への悲しげな意慾が完全に欠如してゐるこのやうな人間、(それこそ悪それ自体)が
地上から滅び去るとはどんなによいことであらう。さういふ善意が滅びることは、どれほど
地上の明るさを増すことだらう。
三島由紀夫「獅子」より
239 :
無名草子さん:2010/11/11(木) 12:11:13
椅子から体がずり落ちて床に倒れた。生きてゐる間は巧く隠し了せてゐたこの女の地声が
いよいよ聴かれるのだ。それはゲエといつたりウーフといつたりウギャアといつたりする
声である。乳房や頬や胴を猫のやうに椅子の脚や卓の脚にすりつける。顔に塗りたくつた
真蒼な白粉が彼女によく似合ふ。彼女は頭を怖ろしい音を立てて床へぶつける。白い太腿が
蜘蛛のやうな動きで這ひまはつてゐる。そこにじつとりとにじみ出た汗は、目のさめる
やうな平静さだ。
――彼女と卓一つへだてて彼女の父も、熱心に同じ踊りを踊り狂つてゐるのだつた。彼の
呻き声は笑ひ声と同様に無意味である。「苦悩する人」といふ凡そ場ちがひの役処を彼が
引受けてゐるのは気の毒だ。仔犬のやうな目を必死にあいたりつぶつたりしてゐるが、
一体何が見えるといふのか。彼自身の苦悩でさへもう見えはせぬ。彼は口から善意の
固まりのやうな大きな血反吐をやつとのことで吐き出して眠りにつく。さうでもしなければ
安眠できまいといふことを彼はやうやく覚つたのである。
――繁子は毒の及ぼす効力をこのやうにまざまざと想像することができた。
三島由紀夫「獅子」より
240 :
無名草子さん:2010/11/11(木) 12:15:04
「良人を苦しめる」といふことが、いつしかその原因も目的も忘れられて、彼女にとつては
生れながらにもつてゐた一つの思考のやうに思はれた。だからそれは容易に彼女の自己抛棄を
可能にした。道徳的な顧慮も亦、きはめて愛とよく似た構造をもつこの自己抛棄の前に
崩れ去つた。良人を苦しめるためになら、彼女自身のあらゆる喜び(そのなかには良人から
何らかの形で今尚享けてゐる喜びも入るのだが)を犠牲にしても悔いてはならない。
それは一種の道徳律に似てゐるのだ。なぜならそれは平気で彼女の本然の欲求を踏み躙つて
ゆくからだつた。
しかしこのやうな繁子の不埒な生き方は、見やうによつては最も危険のすくないそれかも
しれぬのである。危険なのは「幸福」の思考ではあるまいか。この世に戦争をもたらし、
悪しき希望を、偽物の明日を、夜鳴き鶏を、残虐きはまる侵略をもたらすものこそ
「幸福」の思考なのである。繁子は幸福には目もくれなかつた。その意味で彼女は
もう一つの高度の安寧秩序に奉仕してゐたのかもしれなかつた。
三島由紀夫「獅子」より
241 :
無名草子さん:2010/11/12(金) 11:53:38
表現といふことは生に対する一つの特権であると共に生に於ける一つの放棄に他ならぬこと、
言葉をもつことは生に対する負目(ひけめ)のあらはれであり同時に生への復讐でも
ありうること、肉体の美しさに対して精神の本質的な醜さは言葉の美のみがこれを
償ひうること、言葉は精神の肉体への郷愁であること、肉体の美のうつろひやすさに
いつか言葉の美の永遠性が打ち克たうとする欲望こそ表現の欲望であること、――かうした
さまざまな判断を次郎は事もなげに採集した。彼は肉体を鍛へるやうに言葉を鍛へた。
文体に意を須(もち)ひ、それが希臘彫刻の的確な線に似ることを念願とした。
古代彫刻の青年像に見られる額から鼻へかけてのなだらかな流線は、自然そのままの
模写ではない。いはばそれは自然がわれわれにむかつて約束してゐる美の具現である。
本当の意味での創造である。すべての自然のなかには創造されたいといふ意志、深い
祈念をこめた叫びがある。
三島由紀夫「火山の休暇」より
242 :
無名草子さん:2010/11/12(金) 11:54:41
…この刹那の落日は彼を感動させたのである。
『われわれの生も……』と次郎は考へた。『われわれが考へるよりはもつと壮大であり、
想像と思念と行動が及ぶかぎりをこえて壮麗なものであるにちがひない。さればこそ
それは現実ではないんだ。さればこそそれは表現を要求するんだ。この廻りくどい緩慢な
行為を要求するんだ。表現によつて、われわれは生へ還つてゆく。芸術家が死のあとまでも
生きのこるのはそのためだ。しかも表現といふ行為は、芸術家の生活は、何といふ緩慢な
死だらう。精神が肉体を模倣し、肉体が自然を模倣する、つまり自然を――死を模倣する。
自然は死だ。そのとき芸術家は死の限りなく近くに、言ひかへれば、表現された生の
限りなく近くにゐるのだなあ。芸術家にとつては、だから絶望は無意味だ。絶望する暇が
あつたら、表現しなければならぬ。なぜかといつて、どんな絶望も、生を前にして表現が
感じなければならぬこの自己の無力感、おのれの非力を隅々まで感じるこの壮麗な歓喜と
比べれば何ほどのことがあらう。……』
三島由紀夫「火山の休暇」より
243 :
無名草子さん:2010/11/12(金) 11:55:40
それにしても、火山は休んでゐるのに、次々と自殺者が船に乗つて、はるばる東京から
この島まで来て、噴火口に身を投ずるのは何故であらう。火山は休業中だ。地獄へ行つても
休業中といふ札が貼つてあるかもしれない。地獄の大通りを歩いて行つても、酒屋も
理髪店もホテルも八百屋も魚屋も公会堂も劇場も、ことごとく休業中といふ札を戸口に
貼つてゐるかもしれない。死んだ人間は、休業中の火山へとびこんで、休業中の地獄へ
行つて、休業中の大通りを歩いて、結局どこまで行つても泊めてもらふことができない
かもしれない。さて、それから先、どこへ行けばよいのであらう。……それにもかかはらず、
空虚な火口へ身を投ずるために、次々と、人は船に乗つてここの島を訪れるのである。
結局、地獄はなくなつたのではなからうか。現代の地獄は、地獄が存在しないことでは
あるまいか。現代の怖ろしい特質はここにあるのではなからうか。さもなければあれほど
人々が地獄を呼び求め、ありもせぬ地獄を翹望(げうばう)する気持が次郎にはわからない。
三島由紀夫「火山の休暇」より
244 :
無名草子さん:2010/11/15(月) 15:48:08
極端に自分の感情を秘密にしたがる性格の持主は、一見どこまでも傷つかぬ第三者として
身を全うすることができるかとみえる。ところがかういふ人物の心の中にこそ、現代の
綺譚と神秘が住み、思ひがけない古風な悲劇へとそれらが彼を連れ込むのである。彼の
固く閉ざされた心の暗室は、古い物語にある古城や土牢の役割をつとめる。彼と他人との
間の心の溝は、古(いにし)への冒険者が泳ぎわたつた暗い危険な堀割ともなるであらう。
外的な事件からばかり成立つてゐた浪漫的悲劇が、その外的な事件の道具立を失つて、
心の内部に移されると、それは外部から見てはドン・キホーテ的喜劇にすぎなくなつた。
そこに悲劇の現代的意義があるのである。
確信がないといふ確信はいちばん動かしがたいものを持つてゐる。
三島由紀夫「盗賊」より
245 :
無名草子さん:2010/11/15(月) 15:53:40
男には屡々(しばしば)見るが女にはきはめて稀なのが偽悪者である。と同時に真の偽善者も
亦、女の中にこれを見出だすのはむつかしい。女は自分以外のものにはなれないのである。
といふより実にお手軽に「自分自身」になりきるのだ。宗教が女性を収攬しやすい理由は
茲(ここ)にある。
彼は年齢の効用を弁へてゐなかつた。女の心に全く無智な者として振舞ひながらその心に
触れてゆくやり方は青年の特権であるべきなのに。
愛といふものは共有物の性質をもつてゐて所有の限界があいまいなばかりに多くの不幸を
巻き起すのであるらしい。彼は虔(つつ)ましく自分の愛だけを信じてゐるつもりだつた。
かくしてしらぬまに、彼が美子の中に存在すると仮定してゐる彼への愛の方を、もつと
多量に信じてゐたのだ。
ある人にあつては独占欲が嫉妬をあふり、ある人は嫉妬によつて独占欲を意識する。
三島由紀夫「盗賊」より
246 :
無名草子さん:2010/11/15(月) 15:59:01
嫉妬こそ生きる力だ。だが魂が未熟なままに生ひ育つた人のなかには、苦しむことを知つて
嫉妬することを知らない人が往々ある。彼は嫉妬といふ見かけは危険でその実安全な感情を、
もつと微妙で高尚な、それだけ、はるかに、危険な感情と好んですりかへてしまふのだ。
我々が深部に於て用意されてゐる大きな変革に気附くまでには時間がかかる。夢心地の裡に
汽車を乗りかへる。窓の外に移る見知らぬ風景を見ることによつてはじめて我々は汽車を
乗りかへたことに気附くのである。……さうした意味の風景を今彼は見てゐるのではなからうか。
それは直接にのぞくよりも、もつと的確に内部をのぞかせる。否彼が見てゐるのは彼の
内部に他ならぬかもしれないのだ。
ある動機から盗賊になつたり死を決心したりする人間が、まるで別人のやうになつて
了ふのは確かに物語のまやかしだ。むしろ決心によつて彼は前よりも一段と本来の彼に
立還るのではないか。
三島由紀夫「盗賊」より
247 :
無名草子さん:2010/11/15(月) 16:04:40
死を人は生の絵具を以てしか描きだすことができない。生の最も純粋な絵具を以てしか。
たとひ自殺の決心がどのやうな鞏固(きようこ)なものであらうと、人は生前に、一刹那でも
死者の眼でこの地上を見ることはできぬ筈だつた。どんなに厳密に死のためにのみ
計画された行為であつても、それは生の範疇をのがれることができぬ筈だつた。してみれば、
自殺とは錬金術のやうに、生といふ鉛から死といふ黄金を作り出さうとねがふ徒(あだ)な
のぞみであらうか。かつて世界に、本当の意味での自殺に成功した人間があるだらうか。
われわれの科学はまだ生命をつくりだすことができない。従つてまた死をつくりだすことも
できないわけだ。生ばかりを材料にして死を造らうとは、麻布や穀物やチーズをまぜて
三週間醗酵させれば鼠が出来ると考へた中世の学者にも、をさをさ劣らぬ頭のよさだ。
三島由紀夫「盗賊」より
248 :
無名草子さん:2010/11/15(月) 20:06:51
皮肉な微笑は、かへつて屡々(しばしば)純潔な少女が、自分でもその微笑の意味を
知らずに、何の気なしに浮かべてゐることがあるものだ。
いかに純潔がそれ自身を守るために賦与した苦痛の属性が大きからうと、喜びの本質を
もつた行為のなかで、その喜びを裏切ることが出来るだらうか。清子が無知だからといふ
ことは言訳にならない。無知はこのやうな時にこそ本然の智恵のかがやきを放つ筈だ。
手を握られた清子の眉にあらはれたのは、前よりも確実な、およそ喜びのもたらす苦痛とは
縁のない苦痛だつた。もつとも端的に男の矜りを傷つけるやうな苦痛だつた。
周囲の人々は明秀をがんじがらめにしてゐるつもりで、彼の形骸をがんじがらめにして
ゐるのだつた。彼は別の場所に立つて、彼の宿命を彼自身の手で選んだのである。いはば
人は死を自らの手で選ぶことの他に、自己自身を選ぶ方法を持たないのである。生を
選ばうとして、人は夥しい「他」をしかつかまないではないか。
三島由紀夫「盗賊」より
249 :
無名草子さん:2010/11/15(月) 20:17:07
自殺しようとする人間は往々死を不真面目に考へてゐるやうにみられる。否、彼は死を
自分の理解しうる幅で割切つてしまふことに熟練するのだ。かかる浅墓さは不真面目とは
紙一重の差であらう。しかし紙一重であれ、混同してはならない差別だ。――生きて
ゆかうとする常人は、自己の理解しうる限界にαを加へたものとして死を了解する。
このαは単なる安全弁にすぎないのだが、彼はそこに正に深淵が介在するのだと思つてゐる。
むしろ深淵は、自殺しようとする人間の思考の浮薄さと浅墓さにこそ潜むものかもしれないのに。
人間の想像力の展開には永い時間を要するもので、咄嗟の場合には、人は想像力の貧しさに
苦しむものだつた。直感といふものは人との交渉によつてしか養はれぬものだつた。
それは本来想像力とは無縁のものだつた。
私は生きてゐるうちはあの人を愛することを止めることはできません。この愛の貴重さが
はつきりとわかるだけに、私はもう、生きてゐることの夥しい浪費に耐へられなくなりました。
死といふことは生の浪費ではありませんわね。死は倹(つま)しいものです。
三島由紀夫「盗賊」より
250 :
無名草子さん:2010/11/15(月) 20:22:33
「何のために生きてゐるかわからないから生きてゐられるんだわ」――彼女は寧ろ
かう言ひたかつたのだ。『私と藤村さんとは何のために生きてゐるかはつきり知つて
しまつたから死ぬのだが、もしかしたらそれが現在の刻々を一番よく生きてゐる生き方かも
しれない』と。
ふと目をあげて明秀が見たのは、柔らかに白い清子の咽喉元だ。さすがに明秀も胸の
をのゝきを止めえなかつた。清子に別れに来たあの日、彼はそれを美しと見たではないか。
解けない算術を彼は繰り返した。その白い咽喉+銀の短刀。それが=血潮と死、といふ風に
どうしてならうか。白と銀とからいかにして赤が生れえよう。彼女はこの算術を誤つたのでは
なからうか。
勝気な眉をあげて清子は明秀の愕いた様子をにこやかに眺めてゐた。彼女は殉教者のやうに
矜り高くみえた。彼女のなかには明秀が今まで知らずにゐたもう一つの建築が聳えだした。
夕日の地平線にけだかい伽藍が立ち現はれて来るやうに。
三島由紀夫「盗賊」より
251 :
無名草子さん:2010/11/15(月) 20:27:51
清子をしてこのやうな優雅な凶器を自分の咽喉へあてがはうとさせた殆ど原始的な諸力こそ
明秀が冀(こひねが)ひ待ち希んでゐたものではなかつたか。その力を何の気なしに
すらすらと己が身に宿してゐる清子その人が、彼には嫉(ねた)ましくさへ思はれた。
所詮清子は女なのだ。何気なく何物かを宿し、その宿したものに対して忠実なのは女だ。
彼女の矜りの表情は彼女の知らないところに由来してゐる。
夏は、退屈な近代人に僅かながら物語的な熱情をよびさます。一時の仮のそれにせよ、
別離は物語的感情である。もう一寸のところで可能になりさうな事柄を可能にして
くれる作用が潜んでゐるやうに感じられる。
必要に迫られて、人は孤独を愛するやうになるらしい。孤独の美しさも、必要であることの
美しさに他ならないかもしれないのだ。
三島由紀夫「盗賊」より
252 :
無名草子さん:2010/11/15(月) 20:38:10
地球といふ天体は喋りながらまはつてゐる月だつた。喋りつづけてゐるおかげで、人間は
地球がもうすつかり冷却して月とかはりなくなつてゐることに気附かない。しかも
地球といふ天体は洒落気のある奴で、皆が気附かなければそれなりに、そしらぬ顔をして
廻りつづけてゐるのだつた。
彼らがひつきりなしに喋つてゐるのも、畢竟、生からのがれようとしての悪あがきだ。
彼らは正に生きてゐる。しかもたえず生の偸安をしか思ひめぐらさない。生を避けることに
よつて生に媚態を呈してゐるこんな生き方は、時としてあの古代の牧歌に歌はれた少女の
媚態のやうに、うひうひしく美しく見えることがないではない。
決して生をのがれまいとする生き方は、自ら死へ歩み入る他はないのだらうか。生への
媚態なしにわれわれは生きえぬのだらうか。丁度眠りをとらぬこと七日に及べば死が
訪れると謂はれてゐるやうに、たえざる生の覚醒と生の意識とは早晩人を死へ送り込まずには
措かぬものだらうか。
莫迦げ切つた目的のために死ぬことが出来るのも若さの一つの特権である。
三島由紀夫「盗賊」より
253 :
無名草子さん:2010/11/17(水) 13:29:35
不在といふものは、存在よりももつと精妙な原料から、もつと精選された素材から成立つて
ゐるやうに思はれる。楠といざ顔をつき合はせてみると、郁子は今までの自分の不安も、
遊び友達が一人来ないので歌留多あそびをはじめることができずにゐる子供の寂しさに
すぎなかつたのではないかと疑つた。
凡庸な人間といふものは喋り方一つで哲学者に見えるものだ。
どこかひどく凡庸なところがないと哲学者にはなれない。
手もちぶたさになつた沢田が炬燵の柱を指で叩きだした。いつのまにか郁子も亦、自分の指が
同じやうに炬燵の柱を叩いてゐるのに気づいて、すこし熱くなつた指環の感じられる指を
炬燵蒲団からさりげなく抜いた。
若さといふものは笑ひでさへ真摯な笑ひで、およそ滑稽に見せようとしても見せられない
その真摯さは、ほとんど退屈にちかいものと言つてよろしく、中年よりも老年よりも遥かに
安定度の高い頑固な年齢であつた。
三島由紀夫「純白の夜」より
254 :
無名草子さん:2010/11/17(水) 13:32:34
明治時代にはあだし男の接吻に会つて自殺を選んだ貞淑な夫人があつた。現代ではそんな
女が見当らないのは、人が云ふやうに貞淑の観念の推移ではなくて、快感の絶対量の
推移であるやうに思はれる。ストイックな時代に人々が生れ合はせれば、一度の接吻に
死を賭けることもできるのだが、生憎今日のわれわれはそれほど無上の接吻を経験しえない
だけのことである。どつちが不感症の時代であらうか?
どんな女にも、苦悩に対する共感の趣味があるものだが、それは苦悩といふものが本来
男性的な能力だからである。
秘密は人を多忙にする。怠け者は秘密を持つこともできず、秘密と附合ふこともできない。
秘密を手なづける方法は一つしかない。すなはち膝の上で眠らせてしまふ方法である。
感情には、だまかしうる傾斜の限度がある。その限度の中では、人はなほ平衡の幻影に
身を委す。といふよりは、傾斜してみえる森や家並の外界に非を鳴らして、自分自身が
傾きつつあることに気がつかない。
三島由紀夫「純白の夜」より
255 :
無名草子さん:2010/11/17(水) 13:36:24
粗暴な快楽が純粋でないのは、その快楽が「必要とされてゐる」からであり、別の微妙な
快楽は、不必要なだけに純粋なのだ。
貞淑といふものは、頑癬(たむし)のやうな安心感だ。彼女は手紙といいあひびきといい、
あれほどにも惑乱を露はにした一連の行動を、あとで顧みて、何一つ疾(や)ましいところは
ないのだと是認するのであつた。彼女は冷静に行動し、何一つ手落ちがなかつたことを
自分に言ひきかせながら、或る日のこと楠と気軽に接吻した。
不安はむしろ勝利者の所有(もの)だ。連戦連勝の拳闘選手の頭からは、敗北といふ一個の
新鮮な観念が片時も離れない。彼は敗北を生活してゐるのである。羅馬(ローマ)の格闘士は、
こんな風にして、死を生活したことであらう。
恋愛とは、勿論、仏蘭西(フランス)の詩人が言つたやうに一つの拷問である。どちらが
より多く相手を苦しめることができるか試してみませう、とメリメエがその女友達へ
出した手紙のなかで書いてゐる。
三島由紀夫「純白の夜」より
256 :
無名草子さん:2010/11/18(木) 19:22:02
頽廃した純潔は、世の凡ゆる頽廃のうちでも、いちばん悪質の頽廃だ。
愛の奥処には、寸分たがはず相手に似たいといふ不可能な熱望が流れてゐはしないだらうか?
この熱望が人を駆つて、不可能を反対の極から可能にしようとねがふあの悲劇的な離反に
みちびくのではなからうか? つまり相愛のものが完全に相似のものになりえぬ以上、
むしろお互ひに些かも似まいと力め、かうした離反をそのまま媚態に役立てるやうな心の
組織(システム)があるのではないか? しかも悲しむべきことに、相似は瞬間の幻影のまま
終るのである。なぜなら愛する少女は果敢になり、愛する少年は内気になるにせよ、
かれらは似ようとしていつかお互ひの存在をとほりぬけ、彼方へ、――もはや対象のない
彼方へ、飛び去るほかはないからである。
旅の仕度に忙殺されてゐる時ほど、われわれが旅を隅々まで完全に所有してゐる時はない。
三島由紀夫「仮面の告白」より
257 :
無名草子さん:2010/11/18(木) 19:24:09
……下手なピアノの音を私はきいた。
(中略)
そのピアノの音色には、手帖を見ながら作つた不出来なお菓子のやうな心易さがあり、
私は私で、かう訊ねずにはゐられなかつた。
「年は?」
「十八。僕のすぐ下の妹だ」
と草野がこたへた。
――きけばきくほど、十八歳の、夢みがちな、しかもまだ自分の美しさをそれと知らない、
指さきにまだ稚なさの残つたピアノの音である。私はそのおさらひがいつまでもつづけ
られることをねがつた。願事は叶へられた。私の心の中にこのピアノの音はそれから五年後の
今日までつづいたのである。何度私はそれを錯覚だと信じようとしたことか。何度私の理性が
この錯覚を嘲つたことか。何度私の弱さが私の自己欺瞞を笑つたことか。それにもかかはらず、
ピアノの音は私を支配し、もし宿命といふ言葉から厭味な持味が省かれうるとすれば、
この音は正しく私にとつて宿命的なものとなつた。
三島由紀夫「仮面の告白」より
258 :
無名草子さん:2010/11/18(木) 19:25:53
想像しうる限りの事態が平気で起るやうな毎日なので、却つてわれわれの空想力が貧しく
されてしまつてゐた。たとへば一家全滅の想像は、銀座の店頭に洋酒の罎がズラリと並んだり、
銀座の夜空にネオンサインが明滅したりすることを想像するよりもずつと容易いので、
易きに就くだけのことだつた。抵抗を感じない想像力といふものは、たとひそれがどんなに
冷酷な相貌を帯びようと、心の冷たさとは無縁のものである。それは怠惰ななまぬるい精神の
一つのあらはれにすぎなかつた。
かへりの汽車は憂鬱だつた。駅で落ち合つた大庭氏も、打つてかはつて沈黙を守つた。
皆が例の「骨肉の情愛」といふもの、ふだんは隠れた内側が裏返しにされてひりひり
痛むやうな感想の虜になつた体だつた。おそらくお互ひに会へばそれ以外に示しやうのない
裸かの心で、かれらは息子や兄や孫や弟に会つたあげく、その裸かの心がお互ひの無益な
出血を誇示するにすぎない空しさに気づいたのだつた。
三島由紀夫「仮面の告白」より
259 :
無名草子さん:2010/11/18(木) 19:27:04
驟雨がやみ、夕日が室内へさし入つた。
園子の目と唇がかがやいた。その美しさが私自身の無力感に飜訳されて私にのしかかつた。
するとこの苦しい思ひが逆に彼女の存在をはかなげに見せた。
「僕たちだつて」――と私が言ひ出すのだつた。「いつまで生きてゐられるかわからない。
今警報が鳴るとするでせう。その飛行機は、僕たちに当る直撃弾を積んでゐるのかも
しれないんです」
「どんなにいいかしら」――彼女はスコッチ縞のスカアトの襞を戯れに折り重ねてゐたが、
かう言ひながら顔をあげたとき、かすかな生毛(うぶげ)の光りが頬をふちどつた。
「何かかう……、音のしない飛行機が来て、かうしてゐるとき、直撃弾を落してくれたら、
……さうお思ひにならない?」
これは言つてゐる園子自身も気のつかない愛の告白だつた。
三島由紀夫「仮面の告白」より
260 :
無名草子さん:2010/11/18(木) 19:28:16
ロマネスクな性格といふものには、精神の作用に対する微妙な不信がはびこつてゐて、
それが往々夢想といふ一種の不倫な行為へみちびくのである。夢想は、人の考へてゐるやうに
精神の作用であるのではない。それはむしろ精神からの逃避である。
半月形の襟で区切られた彼女の胸は白かつた。目がさめるほどに! さうしてゐる時の
彼女の微笑には、ジュリエットの頬を染めたあの「淫らな血」が感じられた。処女だけに
似つかはしい種類の淫蕩さといふものがある。それは成熟した女の淫蕩とはことかはり、
微風のやうに人を酔はせる。それは何か可愛らしい悪趣味の一種である。たとへば赤ん坊を
くすぐるのが大好きだと謂つたたぐひの。
私の心がふと幸福に酔ひかけるのはかうした瞬間だつた。すでに久しいあひだ、私は
幸福といふ禁断の果実に近づかずにゐた。だがそれが今私を物悲しい執拗さで誘惑してゐた。
私は園子を深淵のやうに感じた。
三島由紀夫「仮面の告白」より
261 :
無名草子さん:2010/11/18(木) 19:30:02
私は体を離して一瞬悲しげな目で園子を見た。彼女がこの時の私の目を見たら、彼女は
言ひがたい愛の表示を読んだ筈だつた。それはそのやうな愛が人間にとつて可能であるか
どうか誰も断言しえないやうな愛だつた。
傷を負つた人間は間に合はせの繃帯が必ずしも清潔であることを要求しない。
潔癖さといふものは、欲望の命ずる一種のわがままだ。
好奇心には道徳がないのである。もしかするとそれは人間のもちうるもつとも不徳な
欲望かもしれない。
少女時代から彼女の自慢話が私は好きだつた。謙遜すぎる女は高慢な女と同様に魅力の
ないものである。
人間の情熱があらゆる背理の上に立つ力をもつとすれば、情熱それ自身の背理の上にだつて、
立つ力がないとは言ひ切れまい。
三島由紀夫「仮面の告白」より
262 :
無名草子さん:2010/11/20(土) 09:16:34
263 :
無名草子さん:2010/11/20(土) 15:59:26
素足で歩いては足が傷ついてしまふ。歩くためには靴が要るやうに、生きてゆくためには
何か出来合ひの「思ひ込み」が要つた。
悦子は明日に繋ぐべき希望を探した。何か、極く小さな、どんなありきたりな希望でもよい。
それがなくては、人は明日のはうへ生き延びることができない。明日にのこつてゐる
繕ひものとか、明日立つことになつてゐる旅行の切符とか、明日飲むことにしてある罎の
のこりの僅かな酒とか、さういふものを人は明日のために喜捨する。そして夜明けを
迎へることを許される。
……雲がとほりすぎる。野面が翳つて、風景はまるで意味の変つたものになる。……人生にも、
一見、存在しさうに思はれるこの種の変化。ほんのちよつと眺め方を変へただけで、
人生が別のものにもなりうるやうなかうした変化。悦子は居ながらにしてかういふ変化が
可能であると信ずるほどに傲慢だつた。所詮人間の目が野猪の目にでも化(な)り変ること
なしには仕遂げられないこの種の変化。……彼女はまだ肯(うべな)はうとしない。
われわれが人間の目を持つかぎり、どのやうに眺め変へても、所詮は同じ答が出るだけだ
といふことを。
三島由紀夫「愛の渇き」より
264 :
無名草子さん:2010/11/20(土) 16:07:39
何もかも見かけの世の中だ。平和も見かけなら不景気も見かけ、してみれば、戦争も
見かけなら好景気も見かけ、この見かけの世界で多く人が生死してをる。人間だから
生死は当然のことです。これは当然のことだ。しかしこんな見かけだけの世界では、
そこに命を賭けるに足るものが見つからない。さうでせう、『見かけ』に命を賭けては
道化になる。しかも私といふ人間は命を賭けねば仕事のできない男です。いや、私ばかりが
さうなのぢやない。苟(いやしく)も仕事をしようとすれば、命を賭けずに本当の仕事が
できるものではない。私はさう思ひます。
生れのよい人間は滅多に風流になんぞ染つたりはせぬものだ。
われわれはむしろ、自分が待ちのぞんでゐたものに裏切られるよりも、力(つと)めて
軽んじてゐたものに裏切られることで、より深く傷つくものだ。それは背中から刺された
匕首(あいくち)だ。
三島由紀夫「愛の渇き」より
265 :
無名草子さん:2010/11/20(土) 19:28:42
人生が生きるに値ひしないと考へることは容易いが、それだけにまた、生きるに値ひしない
といふことを考へないでゐることは、多少とも鋭敏な感受性をもつた人には困難であり、
他ならぬこの困難が悦子の幸福の根拠であつた。
この世の情熱は希望によつてのみ腐蝕される。
ある人たちにとつては生きることがいかにも容易であり、ある人にとつてはいかにも困難である。
人種的差別よりももつと甚だしいこの不公平に、悦子は何ら抵抗を感じなかつた。
『容易なはうがいいにきまつてゐる』と彼女は考へた。『なぜかといへば、生きることが
容易な人は、その容易なことを生きる上の言訳になどしないからだ。それといふのに、
困難のはうはすぐ生きる上の言訳にされてしまふ。
三島由紀夫「愛の渇き」より
266 :
無名草子さん:2010/11/20(土) 19:35:12
生きることが難しいなどといふことは何も自慢になどなりはしないのだ。わたしたちが
生の内にあらゆる困難を見出す能力は、ある意味ではわたしたちの生を人並に容易にする
ために役立つてゐる能力なのだ。なぜといつて、この能力がなかつたら、わたしたちに
とつての生は、困難でも容易でもないつるつるした足がかりのない真空の球になつてしまふ。
この能力は生がさう見られることを遮(さまた)げる能力であり、生が決してそんな風に
見えては来ない容易な人種の、あづかり知らぬ能力であるとはいへ、それは何ら格別な
能力ではなく、ただの日常必需品にすぎないのだ。人生の秤をごまかして、必要以上に
重く見せた人は、地獄で罰を受ける。そんなごまかしをしなくつても、生は衣服のやうに
意識されない重みであつて、外套を着て肩が凝るのは病人なのだ。私が人より重い衣裳を
身にまとはなければならないのは、たまたま私の精神が、雪国に生れてそこに住んでゐるからの
ことにすぎぬ。私にとつて生きることの困難は、私を護つてくれる鎧にすぎないのだ』
三島由紀夫「愛の渇き」より
267 :
無名草子さん:2010/11/20(土) 19:45:24
下から上を見たときも、上から下を見たときも、階級意識といふものは嫉妬の代替物に
なりうるのだ。
人生には何事も可能であるかのやうに信じられる瞬間が幾度かあり、この瞬間におそらく人は
普段の目が見ることのできない多くのものを瞥見し、それらが一度忘却の底に横たはつたのちも、
折にふれては蘇つて、世界の苦痛と歓喜のおどろくべき豊饒さを、再びわれわれに向つて
暗示するのであるが、運命的なこの瞬間を避けることは誰にもできず、そのために
どんな人間も自分の目が見得る以上のものを見てしまつたといふ不幸を避けえないのである。
偏見でない道徳などといふものがあるだらうか?
あまりに永い苦悩は人を愚かにする。苦悩によつて愚かにされた人は、もう歓喜を疑ふことが
できない。
嫉妬の情熱は事実上の証拠で動かされぬ点においては、むしろ理想主義者の情熱に近づく
のである。
衝動によつて美しくされ、熱望によつて眩ゆくされた若者の表情ほどに、美しいものが
この世にあらうか。
三島由紀夫「愛の渇き」より
268 :
無名草子さん:2010/11/20(土) 23:12:02
ぺらいコピペしか無い糞スレ乙
269 :
無名草子さん:2010/11/21(日) 00:08:12
ああ、誰のあとをついて行つても、愛のために命を賭けたり、死の危険を冒したりすることは
ないんだわ。男の人たちは二言目には時代がわるいの社会がわるいのとこぼしてゐるけれど、
自分の目のなかに情熱をもたないことが、いちばん悪いことだとは気づいてゐない。
退屈する人は、どこか退屈に己惚れてゐるやうなところがあるわ。
夫婦と同様に、清浄な恋人同志にも、倦怠期といふものはあるものだつた。
「しかし狩人は義士ぢやございません」と黒川氏は、にこにこしながら言つた。「狩人の
ねらふのは獣であつて、仇ではございません。獲物であつて、相手の悪意ではございません。
熊に悪意を想像したら、私共は容易に射てなくなります。ただの獣だと思へばこそ、
追ひもし、射てもするのです。昆虫採集家は害虫だからといふ理由で昆虫を、つかまへは
いたしますまい」
三島由紀夫「夏子の冒険」より
270 :
無名草子さん:2010/11/22(月) 12:57:09
感傷といふものが女性的な特質のやうに考へられてゐるのは明らかに誤解である。
感傷的といふことは男性的といふことなのだ。それは単純で荒削りな男が自分の心に
無意識に施す粉黛である。
われわれは、なかなかそれと気がつかないが、自分といちばん良く似てゐる人間なるがゆゑに、
父親を憎たらしく思ふのである。
男性は本質を愛し、女性は習慣を愛するのだ。
凡ゆる愛国心にはナルシスがひそんでゐるので、凡ゆる愛国心は美しい制服を必要とする
ものらしい。
客観的幸福などといふものはそもそも言葉の矛盾である。
経済学の学説なんぞといふものは、どつちみち如意棒のやうなもので、エイッと声をかけて、
耳へ入るだけの小ささに変へてしまへばやすやすと握りつぶせるのである。そもそも
唯物論は、『金で買へないものは何もない、どんな形の幸福も金で買へる』といふ
資本主義的偏見の私生児なのである。
物質は決して人間の幸福に役立たぬ。
三島由紀夫「青の時代」より
271 :
無名草子さん:2010/11/22(月) 12:58:22
戦争といふ奴は、人間の背丈を伸ばしもしなけりやあ縮めもしないからね。
戦争も平和もいろんな悪意と善意のこんぐらかつた状態で、善悪どつちが勝つたといふことも
ありはしない。悪意がうまく使はれれば平和になるし、下手に使はれれば戦争になるだけだ。
男が金をほしがるのはつまり女が金をほしがるからだといふのは真理だな。そのためにも
まづわれわれは、生きなければならん。
感動すまいとする分析家は、感動以上の誤りを犯す場合がままあるのだ。
近代が発明したもろもろの幻影のうちで、「社会」といふやつはもつとも人間的な幻影だ。
人間の原型は、もはや個人のなかには求められず社会のなかにしか求められない。
原始人のやうに健康に欲望を追求し、原始人のやうに生き、動き、愛し、眠るのは、
近代においては「社会」なのである。新聞の三面記事が争つて読まれるのは、この原始人の
朝な朝なの生態と消息を知らうとする欲望である。つまり下婢にだけ似つかはしい欲望である。
そしてその出世の野心は、たかだか少しでも主人に似たいといふ野心にすぎない。
三島由紀夫「青の時代」より
272 :
無名草子さん:2010/11/22(月) 13:01:29
過度の軽蔑はほとんど恐怖とかはりがない。
インフレーション以来、あらゆる価値は名目的なものになり、小金をもつてゐれば誰でも
社長や専務になれ、女は毛皮の外套さへもつてゐればみんな上流の奥様でとほり、世間は
かうした仮装に容易に欺されることを以て一種の仮想の秩序を維持して来たのであつた。
だから演技による瞞著(まんちやく)は今の社会に対する礼法(エチケット)である。
人助けは実に気持のよいものであり、殊に利潤の上る人助けと来たらたまらない。
人間、正道を歩むのは却つて不安なものだ。
すべての人の上に厚意が落ちかかる日があるやうに、すべての人の上に悪意が落ちかかる
日があるものだ。
人間の弱さは強さと同一のものであり、美点は欠点の別な側面だといふ考へに達するためには、
年をとらなければならない。
三島由紀夫「青の時代」より
273 :
無名草子さん:2010/11/22(月) 13:02:37
『人間的な遣り方といふものは』と誠は考へた。『人に馬鹿にされまいといふ馬鹿げた
用心から、完全に免かれた一部分を生活のなかにもつことだ』
あなたはせいぜい人生を馬鹿にしてゐるつもりでゐるが、人生が悪戯つ子をゆるすやうに
微笑を以てあなたを恕(ゆる)してゐることに気がつかないんです。さういつまでも人間を
愛さないで生きてゆけるものぢやありませんよ。愛される危険を避ける道は、愛することの
ほかにはないからね。
忘れる才能をもつた人は、はじめから物事を考へてやつたりしはいたしません。さういふ
人たちは目的よりはやく行為を忘れ、行為のむかう側でいつも昼寝をしてゐられるおかげで、
よく太つて真赤な頬をしています。
しばしば人を愛してゐることに気がつくのが遅れるやうに、われわれは憎悪の確認についても、
ともするとなほざりな態度をとる。さういふときわれわれは自分の感情の怠惰を憎らしく
思ふのである。
確かに人間の存在の意味には、存在の意識によつて存在を亡ぼし、存在の無意識あるひは
無意味によつて存在の使命を果す一種の摂理が働らいてゐるにちがひない。
三島由紀夫「青の時代」より
274 :
無名草子さん:2010/11/30(火) 12:56:35
初江は気がついて、今まで丁度胸のところで凭れてゐたコンクリートの縁が、黒く
汚れてゐるのを見た。うつむいて、自分の胸を平手で叩いた。ほとんど固い支へを隠して
ゐたかのやうなセエタアの小高い盛上りは、乱暴に叩かれて微妙に揺れた。新治は感心して
それを眺めた。乳房は、打ちかかる彼女の平手に、却つてじやれてゐる小動物のやうに見えた。
若者はその運動の弾力のある柔らかさに感動した。はたかれた黒い一線の汚れは落ちた。
若者は彼をとりまくこの豊饒な自然と、彼自身との無上の調和を感じた。彼の深く吸ふ息は、
自然をつくりなす目に見えぬものの一部が、若者の体の深みにまで滲み入るやうに思はれ、
彼の聴く潮騒は、海の巨きな潮(うしほ)の流れが、彼の体内の若々しい血潮の流れと
調べを合はせてゐるやうに思はれた。新治は日々の生活に、別に音楽を必要としなかつたが、
自然がそのまま音楽の必要を充たしてゐたからに相違ない。
悪意は善意ほど遠路を行くことはできない。
三島由紀夫「潮騒」より
275 :
無名草子さん:2010/11/30(火) 13:00:17
新治が女をたくさん知つてゐる若者だつたら、嵐にかこまれた廃墟のなかで、焚火の炎の
むかうに立つてゐる初江の裸が、まぎれもない処女の体だといふことを見抜いたであらう。
決して色白とはいへない肌は、潮にたえず洗はれて滑らかに引締り、お互ひにはにかんで
ゐるかのやうに心もち顔を背け合つた一双の固い小さな乳房は、永い潜水にも耐へる
広やかな胸の上に、薔薇いろの一双の蕾をもちあげてゐた。
「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」
少女は息せいてはゐるが、清らかな弾んだ声で言つた。裸の若者は躊躇しなかつた。
爪先に弾みをつけて、彼の炎に映えた体は、火のなかへまつしぐらに飛び込んだ。次の刹那に
その体は少女のすぐ前にあつた。彼の胸は乳房に軽く触れた。『この弾力だ。前に赤い
セエタアの下に俺が想像したのはこの弾力だ』と若者は感動して思つた。二人は抱き合つた。
少女が先に柔らかく倒れた。
「松葉が痛うて」
と少女が言つた。
三島由紀夫「潮騒」より
276 :
無名草子さん:2010/11/30(火) 13:10:24
この乳房を見た女はもう疑ふことができない。それは決して男を知つた乳房ではなく、
まだやつと綻びかけたばかりで、それが一たん花ひらいたらどんなに美しからうと
思はれる胸なのである。
薔薇いろの蕾をもちあげてゐる小高い一双の丘のあひだには、よく日に灼けた、しかも
肌の繊細さと滑らかさと一脈の冷たさを失はない、早春の気を漂はせた谷間があつた。
四肢のととのつた発育と歩を合はせて、乳房の育ちも決して遅れをとつてはゐなかつた。
が、まだいくばくの固みを帯びたそのふくらみは、今や覚めぎはの眠りにゐて、ほんの
羽毛の一触、ほんの微風の愛撫で、目をさましさうに見えるのである。
俺はあの船の行方を知つてゐる。船の生活も、その艱難も、みんな知つてゐるんだ。
男は気力や。気力があればええのや。
三島由紀夫「潮騒」より
277 :
無名草子さん:2010/12/01(水) 16:56:11
『眠れる美女』
芸術か、エロかって所、実に、女の体がせんさいに描かれてある。俺が今、ここで寝たら、若いからか、禁を破るだろう。
森田必勝「高校時代から浪人時代にかけて読んだ小説の読書ノート」より
278 :
無名草子さん:2010/12/02(木) 20:09:53
女はあらゆる価値を感性の泥沼に引きずり下ろしてしまふ。女は主義といふものを全く
理解しない。『何々主義的』といふところまではわかるが、『何々主義』といふものは
わからない。主義ばかりではない。独創性がないから、雰囲気をさへ理解しない。
わかるのは匂ひだけだ。
女のもつ性的魅力、媚態の本能、あらゆる性的牽引の才能は、女の無用であることの証拠である。
有用なものは媚態を要しない。男が女に惹かれねばならぬことは何といふ損失であらう。
男の精神性に加へられた何といふ汚辱であらう。
最上の逃避の方法は、相手に出来るだけ近づくことである。
あらゆる文体は形容詞の部分から古くなると謂はれてゐる。つまり形容詞は肉体なのである。
青春なのである。
三島由紀夫「禁色」より
279 :
無名草子さん:2010/12/02(木) 20:19:07
風呂に入るときに腕時計を外して入るやうに、女に向ふときは精神を外してゐないと、
忽ち錆びて使ひものにならなくなりますよ。それをやらなかつたので、私は無数の時計を
失くして、一生、時計の製造に追ひ立てられる始末になつたのです。錆時計が二十個
集まつたので、今度全集といふやつを出しました。
打算は愛によつて償はれると考へるのが青年の確信ですね。計算高い男ほど自分の純粋さに
どこかでよりかかつてゐるものです。
絶望は安息の一種である。
死人の目で見たときに、現世はいかに澄明にその機構を露はすことか! 他人の恋情は
いかにあやまりなく透視できることか! この偏見のない自在の中で、世界はいかに
小さな硝子の機械に変貌することか!
三島由紀夫「禁色」より
280 :
無名草子さん:2010/12/02(木) 20:24:52
窓の外から眺める他人の不幸は、窓の中で見るそれよりも美しい。不幸はめつたに窓枠を
こえてまでわれわれにとびかかつてくるものではないからである。
決定的な瞬間といふものは、心の傷に対して医薬のやうに働らく場合がある。
本当の美とは人を黙らせるものであります。
美といふものは手を触れたら火傷をするやうなものだ。
「でも先生は若さがおきらひだ」
悠一はさらに断定的にさう言つた。
「美しくない若さはね。若さが美しいといふのはつまらぬ語呂合せだ。私の若さは醜く
かつたんだ。それは君には想像も及ばないことだ。私は生まれ変りたいと思ひつづけて
青春時代をすごしたからな」
「僕もです」
と悠一がうつむいたままふと言つた。
「それを言つてはいけない。それを言ふと、君はまあいはば禁忌を犯すことになるんだ。
君は決してさう言つてはならない宿命を選んだんだ。…」
三島由紀夫「禁色」より
281 :
無名草子さん:2010/12/02(木) 20:31:34
男の目の中に欲望を見出す時ほど、女がおのれの幸福に酔ふ時はない。
思想を抱いてゐる男は、女の目にはもともと神秘的に見えるものである。女は死んでも
「青大将は俺の大好物だ」なんぞと言へないやうに出来てゐるからである。
家庭といふものはどこかに必ず何らかの不幸を孕んでゐるものだ。帆船を航路の上に
押しすすめる順風は、それを破滅にみちびく暴風と本質的には同じ風である。家庭や家族は
順風のやうな中和された不幸に押されて動いてゆくもので、家族をゑがいた多くの名画には、
華押のやうに、ひそんだ不幸が手落ちなく一隅に書き込まれてゐる。
人の不幸は何程かわれわれの幸福である。激しい恋愛の時々刻々の移りゆきではこの公式が
一等純粋な形をとる。
感情の或る種の詭計(きけい)の告白に当つて、女が示す放恣な陶酔の涙ほど、人の心を
うごかすものはない。
三島由紀夫「禁色」より
282 :
無名草子さん:2010/12/02(木) 20:40:50
様式は芸術の生れながらの宿命である。作品による内的経験と人生経験とは、様式の
有無によつて次元を異にしてゐるものと考へなくてはならぬ。しかし人生経験のうちで
作品による内的経験にもつともちかいものが唯一つある。それは何かといふと、死の
与へる感動である。われわれは死を経験することができない。しかしその感動はしばしば
経験する。死の想念、家族の死、愛する者の死において経験する。つまり死とは生の唯一の
様式なのである。
芸術作品の感動がわれわれにあのやうに強く生を意識させるのは、それが死の感動だから
ではあるまいか。
表現といふ行為は、現実にまたがつて、そいつに止(とど)めを刺し、その息の根を止める行為だ。
女が髭を持つてゐないやうに、彼は年齢を持つてゐなかつた。
ナルシスは、その並々ならぬ誇りのために、却つて不出来な鏡を愛する場合がある。
不出来な鏡は少なくとも嫉妬を免れしめる。
三島由紀夫「禁色」より
283 :
無名草子さん:2010/12/03(金) 12:43:26
彼女は自分が死ぬためには、すでに死についてあまりに多く考へすぎたことを感じてゐた。
かう感じだしたとき、人は死を免れる。といふのは、自殺はどんな高尚なそれも低級なそれも、
思考それ自体の自殺行為であり、およそ考へすぎなかつた自殺といふものは存在しない。
愛さないで体を委すといふことが、男にはあんなに易しいのに、女にはどうして難しいの
だらう。なぜそれを知ることが、娼婦だけにゆるされてゐるのだらう。
どんな思想も観念も、肉感をもたないものは、人を感動させない。
『君は僕が好きだ。僕も僕が好きだ。仲良くしませう』――これはエゴイストの愛情の
公理である。同時に、相思相愛の唯一の事例である。
しかしいつも勝利は凡庸さの側にある。
三島由紀夫「禁色」より
284 :
無名草子さん:2010/12/03(金) 12:54:30
褒められた女は、精神的に、ほとんど売淫の当為を感じる。
女は決して征服されない。決して! 男が女に対する崇敬の念から凌辱を敢てする場合が
ままあるやうに、この上ない侮蔑の証しとして、女が男に身を任す場合もあるのだ。
愛する者はいつも寛大で、愛される者はいつも残酷さ。
人間をいちばん残酷にするのは、愛されてゐるといふ意識だよ。
現代では、われわれの教養の中から、かつてあれほど精細を極めてゐた悪徳に関する教養が、
根こそぎ葬り去られてしまつた。悪徳の形而上学は死んでしまひ、その滑稽さだけが残つて
笑ひものにされてゐる。(中略)
それは崇高なものが現代では無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力があるといふ、浅墓な
近代主義の反映ではありませんかね。
三島由紀夫「禁色」より
285 :
無名草子さん:2010/12/03(金) 13:07:24
精妙な悪は、粗雑な善よりも、美しいから道徳的なのです。古代の道徳は単純で力強かつたから、
崇高さはいつも精妙の側にあり、滑稽さはいつも粗雑の側にあつた。ところが現代では、
道徳が美学と離れた。道徳は卑賎な市民的原理によつて、凡庸と最大公約数の味方をします。
美は誇張の様式になり、古めかしくなり、崇高であるか、滑稽であるか、どちらかです。
この二つは、現代では、同じものをしか意味しません。…無道徳な似非(えせ)近代主義と
似非人間主義が、人間的欠陥を崇拝するといふ邪教を流布した。近代の芸術は、ドン・
キホーテ以来、滑稽崇拝のはうへ傾いてゐます。
人間性を引合ひに出さなければ自分が人間であるといふめども掴めないなんて、これこそ
倒錯そのものぢやありますまいか。本当は、人間が人間である以上、世間でふつうさうして
ゐるやうに、人間以外のもの、神だとか、物質だとか、科学的真理だとかを援用したがるはうが、
もつとずつと人間的ではありますまいか。
三島由紀夫「禁色」より
286 :
無名草子:2010/12/03(金) 13:38:51
開館25周年記念特別展
川端康成と三島由紀夫 伝統へ、世界へ 関連イベント
文学講座 ☆現在受付中☆
「三島由紀夫の近代能楽集 ― 表現者と演出家の視点から」
とき…12月7日(日) 13:00〜14:30まで
ところ…鎌倉文学館 講座室
講師…十二代目結城孫三郎(結城座代表)、松本修(演出家、劇団MODE主宰)
事前申込制 12月1日 午前9時から電話受付。先着順。
www.kamakurabungaku.com/
287 :
無名草子さん:2010/12/03(金) 19:11:19
醒めることは、更に一層深い迷ひではないのか。どこへ向つて、何のために、われらは
醒めようと望むのか。人生が一つの迷妄である以上、この錯雑した始末に負へない迷妄のうちに、
よく秩序立ち論理づけられた人工的な迷妄を築くことこそ、もつとも賢明な覚醒ではないのか。
青春の死の耐へがたさに比べれば、肉体の死が何程のことがあらうか。多くの青春が
さうであるやうに、(何故かといふと青春を生きることはたえざる烈しい死であるから)
かれらの青春もいつも新たな破滅を夢みてゐた。死に臨んで美しい若者は莞爾たる筈であつた。
思想ははじめから、肉体の何らかの誇張の様式なのだ。大きな鼻を持つた男は、大きな鼻
といふ思想の持ち主であり、ぴくぴく動く耳を持つた男は、従つてまた、どう転んでみても、
畢竟するに、ぴくぴく動く耳といふ独創的な思想の持ち主である。
生活を侮蔑することによつて生活を固執すること、この奇妙な信条は、芸術行為を無限に
非実践的なものにしてしまふ。芸術によつて解決可能な事柄は存在しない。
三島由紀夫「禁色」より
288 :
無名草子さん:2010/12/03(金) 19:17:47
俊輔の孤独は、それがそのまま深い制作の行為になつた。彼は夢想の悠一を築いた。
生に煩はされず、生に蝕まれない鉄壁の青春。あらゆる時の侵蝕に耐へる青春。
青春の一つの滴のしたたり、それがただちに結晶して、不死の水晶にならねばならぬ。
青春が無意識に生きることの莫大な浪費。収穫(とりいれ)を思はぬその一時期。生の破壊力と
生の創造力とが無意識のうちに釣合ふ至上の均衡。かかる均衡は造型されなければならぬ。……
愛は絶望からしか生まれない。精神対自然、かういふ了解不可能なものへの精神の運動が
愛なのだ。
精神はたえず疑問を作り出し、疑問を蓄へてゐなければならぬ。精神の創造力とは疑問を
創造する力なんだ。かうして精神の創造の究極の目標は、疑問そのもの、つまり自然を
創造することになる。それは不可能だ。しかし不可能へむかつていつも進むのが精神の方法なのだ。
精神は、……まあいはば、零を無限に集積して一に達しようとする衝動だといへるだらう。
三島由紀夫「禁色」より
289 :
無名草子さん:2010/12/03(金) 19:21:21
美とは到達できない此岸(しがん)なのだ。さうではないか? 宗教はいつも彼岸を、
来世を距離の彼方に置く。しかし距離とは、人間的概念では、畢竟するに、到達の可能性なのだ。
科学と宗教とは距離の差にすぎない。六十八万光年の彼方にある大星雲は、やはり、到達の
可能性なのだよ。宗教は到達の幻影だし、科学は到達の技術だ。
美は、これに反して、いつも此岸にある。この世にあり、現前してをり、確乎として手に
触れることができる。われわれの官能が、それを味はひうるといふことが、美の前提条件だ。
官能はかくて重要だ。それは美をたしかめる。しかし美に到達することは決して出来ない。
なぜなら官能による感受が何よりも先にそれへの到達を遮げるから。希臘人が彫刻でもつて
美を表現したのは、賢明な方法だつた。(中略)
此岸にあつて到達すべからざるもの。かう言へば、君にもよく納得がゆくだらう。美とは
人間における自然、人間的条件の下に置かれた自然なんだ。人間の中にあつて最も深く人間を
規制し、人間に反抗するものが美なのだ。精神は、この美のおかげで、片時も安眠できない。……
三島由紀夫「禁色」より
290 :
無名草子さん:2010/12/03(金) 19:25:36
「この世には最高の瞬間といふものがある」――と俊輔は言つた。「この世における精神と
自然との和解、精神と自然との交合の瞬間だ。
その表現は、生きてゐるあひだの人間には不可能といふ他はない。生ける人間は、その瞬間を
おそらく味はふかもしれない。しかし表現することはできない。それは人間の能力をこえてゐる。
『人間はかくて超人間的なものを表現できない』と君は言ふのか? それはまちがひだ。
人間は真に人間的な究極の状態を表現できないのだ。人間が人間になる最高の瞬間を
表現できないのだ。
芸術家は万能ではないし、表現もまた万能ではない。表現はいつも二者択一を迫られてゐる。
表現か、行為か。愛の行為でも、人は行為を以てしか人を愛しえない。そしてあとから
それを表現する。
しかし真の重要な問題は、表現と行為との同時性が可能かといふことだ。それについては
人間は一つだけ知つてゐる。それは死なのだ。
三島由紀夫「禁色」より
291 :
無名草子さん:2010/12/03(金) 19:28:19
死は行為だが、これほど一回的な究極的な行為はない。……さうだ、私は言ひまちがへた」
と俊輔は莞爾とした。
「死は事実にすぎぬ。行為の死は、自殺と言ひ直すべきだらう。人は自分の意志によつて
生れることはできぬが、意志によつて死ぬことはできる。これが古来のあらゆる自然哲学の
根本命題だ。しかし、死において、自殺といふ行為と、生の全的な表現との同時性が
可能であることは疑ひを容れない。最高の瞬間の表現は死に俟たねばならない。
これには逆証明が可能だと思はれる。
生者の表現の最高のものは、たかだか、最高の瞬間の次位に位するもの、生の全的な姿から
αを差引いたものなのだ。この表現に生のαが加はつて、それによつて生が完成されてゐる。
なぜかといへば、表現しつつも人は生きてをり、否定しえざるその生は表現から除外されてをり、
表現者は仮死を装つてゐるだけなのだ。
三島由紀夫「禁色」より
292 :
無名草子さん:2010/12/03(金) 19:34:25
このα、これを人はいかに夢みたらう。芸術家の夢はいつもそこにかかつてゐる。
生が表現を稀(うす)めること、表現の真の的確さを奪ふこと、このことには誰しも
気がついてゐる。生者の考へる的確さは一つの的確さにすぎぬ。死者にとつては、われわれが
青いと思つてゐる空も、緑いろに煌めいてゐるかもしれないのだ。
ふしぎなことだ。かうして表現に絶望した生者を、又しても救ひに駆けつけて来るのは
美なのだ。生の不的確に断乎として踏みとどまらねばならぬ、と教へてくれる者は美なのだ。
ここにいたつて、美が官能性に、生に、縛られてをり、官能性の正確さをしか信奉しないことを
人に教へるといふ点で、その点でこそ正に、美が人間にとつて倫理的だといふことが
わかるだらう」
三島由紀夫「禁色」より
293 :
無名草子さん:2010/12/05(日) 21:04:57
女はたえず美しいと言はれてゐることを、決してうるさくは感じないのである。
実際、美といふものは、崇拝と信仰によつて、はじめて到達しうるものかもしれない。
男の天才、女の美貌、これこそは神様のさづかりもので、あだやおろそかにはできんのだよ。
天才といふやつは、自分で自分が思ふやうにならず、この世の通常ののぞみは全部捨て
なければならん宿命に生まれついてゐる。美人も同様に不自由な存在なのさ。自分で
自分の美に一生奉仕しなければならんのだ。
美に対する女性の感受性は、凡庸でなければならなかつた。機関車を美しいと思ふやうでは
女もおしまひである。女にはまた、一定数の怖ろしいものがなければならず、蛇とか毛虫とか
船酔とか怪談とか、さういふものは心底から怖がらなければならぬ。夕日とか菫の花とか
風鈴とか美しい小鳥とか、さういふ凡庸な美に対する飽くことのない傾倒が、女性を真に
魅力あるものにするのである。
三島由紀夫「女神」より
294 :
無名草子さん:2010/12/05(日) 21:06:01
何も人形のやうな美だけが美しいといふのではないが、個性美は飽きの来るものである。
もつとも大切なのは優雅だ。女の個性が優雅をはみ出すと大てい化物になつてしまふ。
一芸に秀でることはもつとも禁物だつた。美といふものは本来微妙な均衡の上にしか
成立たないものだから。
女をわれわれが美しいと思ふのは、欲望があるからですよ。ほんたうに欲望を去つて、
なほかつ女が美しく見えるかどうか、僕には、はなはだ疑問なんです。自然とか静物なら
美しさがよくわかるし、その美しさは多分贋物ぢやないでせう。しかし女はね。
僕はいはゆる美人を見ると、美しいなんて思つたことはありません。ただ欲望を感じるだけです。
不美人のはうが美といふ観念からすれば、純粋に美しいのかもしれません。何故つて、
醜い女なら、欲望なしに見ることができますからね。
三島由紀夫「女神」より
295 :
無名草子さん:2010/12/05(日) 21:07:57
実に神秘なことだが、美といふものは第三者から見て快いのみならず、美しい者のお互に
とつても快いのである。お互が自分の美しさを知つてゐても、鏡によらずしてはそれを
見ることができないといふのは宿命的なことだ。自分が美しいといふ認識は、たえず自分から
逃げてゆくあいまいな不透明な認識であつた。結局この世では他人の美がすべてなのだ。
女の人には、自分で直観的に見た鏡が、いちばん気に入る肖像画なんです。それ以上の
ものはありませんよ。
四方八方を火にかこまれて、君は氷になつてれば大丈夫だと思つてゐるんでせう。
考へちがひも甚だしい。氷は火に溶かされてしまふんですよ。どんな厚い氷だつて。
いいですか。火に対抗するのには氷といふのはまちがひですよ。火には火、もつと強い、
もつと猛烈な火になることです。相手の火を滅ぼしてしまふくらいな猛火になることですよ。
さうしなければ、あなたの方が滅びます。
一つの悪い評判といふものは、十の悪い評判とつながつてゐるものなんです。
三島由紀夫「女神」より
296 :
無名草子さん:2010/12/06(月) 18:06:10
祖父は私慾のない人だつたが、たとへ単なる私慾も、程度が強まり輪郭がひろがれば、
人間のふしぎな本能から、無私の要素を含まずにはいられない。同時に無私の情熱も、
ちよつと弛んだ刹那には私慾に似るのだ。昇は祖父のうに自己放棄の達人を見た。
『しかし集中といふことは、夢中になるといふことぢやない。問題は持続だ……』
祖父は目的を弁(わきま)へなかつたが、自分の効用はいつも自覚してゐた。箒が、
「自分は物を掃くためにある」と確信してゐるあひだは、どんなことをしたつて箒は孤独に
ならない。
『孤独といふやつがいけない。空間的に結びつきのない人間が、時間的に持続するわけがない。
俺は何に結びつくことができるだらう』
まだ持たないものを思ひ描くことは人を酔はせるが、現に持つてゐるものはわれわれを
酔はせない。もし酔ふとしても、それは人工的な酔ひである。
しかしそもそも性慾とは、人間を愛することであらうか?
三島由紀夫「沈める滝」より
297 :
無名草子さん:2010/12/06(月) 18:07:29
負と負を掛けて正になる数式のやうに、退屈した人間とのお喋りだけが、退屈した人間を、
正にその退屈から救ふのかもしれない。
誰をも愛することのできない二人がかうして会つたのだから、嘘からまことを、虚妄から
真実を作り出し、愛を合成することができるのではないか。負と負を掛け合はせて正を
生む数式のやうに。
遊び飽いた人間といふものには、一種独特の匂ひがある。遊び人同士はお互ひの嗅覚で
すぐそれを嗅ぎあてる。
なるほどあの文面には、やさしい真実を述べた部分もあつた。しかしそんな部分だけを
信じようといふ甘さは、もう俺にはない。信じるなら、仕方ないから、丸ごと信じなくちや。
なるほど、女の真実を信じることと、女の嘘を信じることは、まるきり同じことなんだ。
われわれは何も恋文の巧さに動かされはしない。われわれを動かすのは概してありきたりな、
しかし虚飾のない手紙である。
三島由紀夫「沈める滝」より
298 :
無名草子さん:2010/12/06(月) 18:08:28
技術がもし完全に機械化される時代が来れば、人間の情熱は根絶やしにされ、精力は無用の
ものになるだらうから、科学技術の進歩にそそがれる情熱や精力は、かかる自己否定的な
側面をも持つてゐる。しかし幸ひにして、事態はまだそこまでは来てゐない。
ダム建設はこのやうな意味で、一種の象徴的な事業だと思はれた。われわれが山や川の、
自然のなほ未開拓な効用をうけとる。今日では幸ひに、われわれ自身の人間的能力である情熱や
精力の発揮の代償としてうけとるのだ。そして自然の効用が発掘しつくされ、地球が滓まで
利用されて荒廃の極に達するまでは、人間の情熱や精力は根絶やしにはされまいといふ確信が
昇にはあつた。
ダム建設の技術は、自然と人間との戦ひであると共に対話でもあり、自然の未知の効用を
掘り出すためにおのれの未知の人間的能力を自覚する一種の自己発見でなければならなかつた。
三島由紀夫「沈める滝」より
299 :
無名草子さん:2010/12/06(月) 20:13:02
あの幸福な予定調和を失ひ、人間主義の下における使命感と分業の意識を失つた技術は、
孤独になりながらも、今日ではエヴェレスト征服にも似たかうした人間的な意味をもつ
やうになつた。
盲目になれる才能、……内に発見するためには盲目にならなければならない。昇は
「集中の才能」と云はうとして、さう云つたのであつた。彼はしかし見るだけの人間が、
決して行為しないのを知つてゐた。
昇はといへば、田代はその母親が子供に遠慮して恋を諦らめたときの絶望を、すこしも
斟酌してゐないのにおどろいた。どんな種類の愛情でも必ずエゴイズムの形をとる。
悲劇を演じるやうな見かけを持つて生れなかつた男が、悲劇を演じなければならないとは、
本当の悲劇である。
素朴な感情には本来素朴な表現形式がそなはつてゐるものである。
三島由紀夫「沈める滝」より
300 :
無名草子さん:2010/12/06(月) 20:16:18
夕食後のストーヴのまはりのひとときは、朝から電灯をつけて暮す暗い一日のうちでも、
一等心のやすまる時刻である。にせものの夜の中から、本当の夜がはじまる。電灯のあかりは、
煌めきを増し、暖かみを帯びる。時折あけられる石炭の投入口から、のぞかれるストーヴの
焔は、新鮮な懐かしい火の色をしてゐる。
公衆を前にして自分の役を演ずることは容易ではないが、却つて孤独のはうがわれわれを、
われとわが役の意識せざる俳優にしてしまふのに力がある。
女たちの纏ふものは、みんな、藻だの、鱗だの、海に似たものを思ひ出させると昇は思つた。
しかし漂つてゐるのは磯の香ではない。ものうげな、濃密な、甘くて暗い匂ひである。
夜の匂ひといふよりは、女たちの時刻、午後の匂ひである。
「あなたはダムでした。感情の水を堰(せ)き、氾濫させてしまふのです。生きてゐるのが
怖ろしくなりました。さやうなら。顕子」
三島由紀夫「沈める滝」より
301 :
無名草子さん:2010/12/06(月) 20:18:40
どんな分野にも、陰惨なほど真摯な権威者といふものが居り、金魚のことなら世界的権威で
あつたり、楔形(せつけい)文字についてはその人にきかなければならないと云ふやうな
人がゐる。普遍的であるべき科学的技術の世界にもさういふ人がゐて、神秘な力で、
ほかの人たちの上に、卓越してゐるのを見るのはふしぎなことである。
こんな種類の人間を押し進めてゆく情熱には、何か最初に、最低の線でしか社会と
つながるまいとする決意があつて、結果的には心ならずも、最高の線で社会とつながつて
しまふやうになるものだ。昇の途方もない明るさと朗らかさには、拒絶の身振に似たものがあつた。
出来上つてみると、岩壁の屏風を左右に控へたこの百五十米(メートル)の高堰堤は、
工事に携はらない人の心にも、当然の威圧感と一緒に、一種の解放感を与へずには措かなかつた。
時として精神の解放には、巨人的なもの、威圧的なもの、精神をほとんど押しつぶすやうな
ものが必要である。
「丁度俺の立つてゐるこの下のところに小さな滝があつたんだ」
三島由紀夫「沈める滝」より
302 :
無名草子さん:2010/12/07(火) 19:58:34
過度の男らしさといふものは、女には通じないものである。
敏夫は妹思ひ、妹は兄思ひで、ほとんど一心同体でした。一人が家出すれば、もう一人も
きつと家出したでせうし、敏夫が三津子に同情して家出したのやら、その反対やら、まるで
わかりませんわ。あの兄妹は、兄妹といふより恋人同士でした。そりやあお互ひに好き合つて
ゐました。あんな愛情は、きつと自分でも知らずに、血のつながつてゐないといふことの
ふしぎな直感から、生れたものにちがひありませんわ」
「でもあの二人は、永久にそれを知らずにすぎてしまふわけですわね。又いつか日本へ
かへつて、私たちの前に現はれでもしない限り」
「永久にですわね、先生。永久に兄妹の愛に終つてしまふんですわね。世界中で一等
愛し合つてゐる二人なのに、恋人にもなれず、夫婦にもなれずに」
「永久に清らかな愛のままで。……でもそれが不幸でせうか」
「さあ、不幸か幸福かそれはわかりません」
三島由紀夫「幸福号出帆」より
303 :
無名草子さん:2010/12/10(金) 11:47:57
どんな不キリョウな犬でも、飼ひ馴れれば、可愛くなる。
幸福といふものは、どうしてこんなに不安なのだらう!
実際的な話かい? 民法第三部にみんな書いてあるよ。法律が全部で、人間は種々さまざまさ。
誰も他人に忠告なんて与へられやしないよ。だから法律が、結局、人間生活のすべてなんだ。
はじめ思想や主義を作るのは男の人でせうね。何しろ男はヒマだから。高倉さんだつて
うちの会長ですものね。でもその思想や主義をもちつづけるのは女なのよ。女はものもちが
いいんですもの。それに女同士では、義理も人情もないから、友達づきあひなんてことを
考へないですむもの。
人間には憎んだり、戦つたり、勝つたり、さういふ原始的な感情がどうしても必要なんだ。
君たちのは温室の中の愛だよ。そんなものは今夜捨ててしまへ。
三島由紀夫「永すぎた春」より
304 :
無名草子さん:2010/12/10(金) 11:49:18
毎日通る町の一軒が火事で焼け、やがて新築されても、その間の変化を全然気づかずに
毎日歩いてゐる人がある。元一氏の心境もこれに近かつたらう。しかるに宝部夫人は、
毎日同じ着物をつづけて着たことはなく、毎月同じ髪型をしてゐることはなかつたのである。
宝部夫人はそのことに多大の不服をとなへるわけでもなかつた。美しい身なりをして、
美しい顔で町を歩くことは、一種の都市美化運動だとでも考へてゐるらしく、それ以上の
野心は持たなかつた。
現実といふものは、袋小路かと思ふと、また妙な具合にひらけてくる。
自分が小説的事件の渦中に入つてしまふと、小説家ほど無力なものはない。
大体この「雲の上人」は、他人の心なんかわからない人間だつた。さういふ人間が小説を
書きだすとは不思議なことだが、おそらく他人の心のわかりすぎる人間は、小説なんか
書かないのであらう。
三島由紀夫「永すぎた春」より
305 :
無名草子さん:2010/12/10(金) 11:50:34
家といふものは威張つて立つてゐても、案外脆くて、どこか一ヶ所を引張ると、他愛なく
ガラガラと崩れて来るものだつた。家が崩れるときに、青空にモウモウと上る土埃は、
彼ら少年に、自分たちの破壊の力を確信させた。建設よりも破壊のはうが、ずつと自分の
力の証拠を目のあたり見せてくれるものだつた。
皆が等分に幸福になる解決なんて、お伽噺にしかないんですもの。でも私、いつか兄も、
幸福になつてほしいと本気で思つてゐるの。
あつちには病人がをり、こつちにはもう数週間で結婚する二人がゐる。人生つてさうしたもんさ。
さうして朝は、誰にとつても朝なんだ。
他人のことを考へることが、私たちのことを考へることでもあるのね。
「兄さんにすまない、なんて言ひつこなしだな」
「さうだわ。誰にもすまないなんて思はない。幸福つて、素直に、ありがたく、腕いつぱいに
もらつていいものなのね」
三島由紀夫「永すぎた春」より
306 :
無名草子さん:2010/12/10(金) 12:50:17
現代においては、何の野心も持たぬといふことだけで、すでに優雅と呼んでもよからうから、
節子は優雅であつた。女にとつて優雅であることは、立派に美の代用をなすものである。
なぜなら男が憧れるのは、裏長屋の美女よりも、それほど美しくなくても、優雅な女のはうで
あるから。
あふれるばかりの精力を事業や理想の実現に向けてゐる肥つた醜い男などは何といふ滑稽な
代物であらう。みすぼらしい風采の世界的学者などは何といふ珍物であらう。仕事に
熱中してゐる男は美しく見えるとよく云はれるが、もともと美しくもない男が仕事に
熱中したつて何になるだらう。
女に友情がないといふのは嘘であつて、女は恋愛のやうに、友情をもひた隠しにして
しまふのである。その結果、女の友情は必ず共犯関係をひそめてゐる。
どんな邪悪な心も心にとどまる限りは、美徳の領域に属してゐる。
どんな驚天動地の大計画も、一旦心が決り準備が整ふと、それにとりかかる前に、或る休息に
似た気持が来るものである。
個性を愛することのできるのはむしろ友情の特権だ。
三島由紀夫「美徳のよろめき」より
307 :
無名草子さん:2010/12/10(金) 12:54:53
嫉妬の孤立感、その焦燥、そのあてどもない怒りを鎮める方法は一つしかなく、それは
嫉妬の当の対象、憎しみの当面の敵にむかつて、哀訴の手をさしのべることなのである。
はじめから、唯一の癒やし手はその当の敵のほかにはないことがわかつてゐる。自分に
傷を与へる敵の剣にすがつて、薬餌を求めるほかはないのである。
われわれが未来を怖れるのは、概して過去の堆積に照らして怖れるのである。恋が本当に
自由になるのは、たとへ一瞬でも思ひ出の絆から脱したときだ。
節子は考へはじめた。考へること、自己分析をすること、かういふことはみんな必要から
生れるのだ。
この世で一等強力なのは愛さない人間だね。
肉体の仕業はみんな嘘だと思つてしまへば簡単だが、それが習慣になつてしまへば、
習慣といふものには嘘も本当もない。精神を凌駕することのできるのは習慣といふ怪物だけ
なのだ。あなたも男も、この怪物の餌食なんだよ。
三島由紀夫「美徳のよろめき」より
308 :
無名草子さん:2010/12/10(金) 14:37:49
道徳は、習慣からの逃避もみとめないが、同時に、習慣への逃避も、それ以上にみとめて
ゐないのだ。道徳とは、人間と世界のこの悪循環を絶ち切つて、すべてのもの、あらゆる瞬間を、
決してくりかへされない一回きりのものにしようとする力なのだ。檻は二の次だ。ただ
人間は弱いから、こんな力をわがものとするために、どうしても檻を必要とするのだが、
世間ではこの檻だけを見て、檻の別名を道徳だと思つたりしてゐる。
習慣のおのおのの瞬間を、一回きりのものにすること、……ああ、倉越さん、私はことさら
あなたに難題を吹きかけてゐるのぢやない。ただ、この世界がいつまでもつづき、今日には
明日が、明日には明後日が永遠につづき、晴れたあとには雨が来、雨のあとには太陽が
照りかがやくといふ、自然の物理的法則からすつかり身を背けることが大切なのだ。
自然の法則になまじ目移りして、人間は人間であることを忘れ、習慣の奴隷になるか
逃避の王者になるかしてしまふ。自然はくりかへしてゐる。一回きりといふのは、人間の
唯一の特権なのだ。
三島由紀夫「美徳のよろめき」より
309 :
無名草子さん:2010/12/10(金) 14:40:18
快楽はたしかにすばらしいものだ。思ふ存分しつくし、味はひつくすべきものだ。
さういふ快楽を知つてゐるとあなたはお言ひだらうが、明日を怖れてゐる快楽などは、
贋物でもあり、恥づべきものではないだらうか。
習慣からのがれようとする思案は、陰惨で、人を卑屈にするばかりだが、快楽を捨てようと
する意志は、人の矜りに媚び、自尊心に受け容れられやすい。
男は、一度高い精神の領域へ飛び去つてしまふと、もう存在であることをやめてしまへる!
女が一等惚れる羽目になるのは、自分に一等苦手な男相手でございますね。あなたばかりでは
ありません。誰もさうしたものです。そのおかげで私たちは自分の欠点、自分といふ人間の
足りないところを、よくよく知るやうになるのでございます。女は女の鑑(かがみ)には
なれません。いつも殿方が女の鑑になつてくれるのですね。それもつれない殿方が。
三島由紀夫「美徳のよろめき」より
310 :
無名草子さん:2010/12/10(金) 14:42:04
情に負けるといふことが、結局女の最後の武器、もつとも手強い武器になります。情に
逆らつてはなりません。ことさら理を立てようとしてはなりません。情に負け、情に溺れて、
もう死ぬほかないと思ふときに、はじめて女には本来の智恵が湧いてまゐります。
一等怖れなければならないのは女たちのひそひそ話で、それに女は女の悩みを尊敬して
をりませんから、あなたのどんなまじめなお悩みも、お笑ひ草にされてしまひます。
それに奥様、女は恋に敗れた女に同情しながら、さういふ敗北者の噂をひろげるのが
大そう好きで、恋に勝つてばかりゐる女のことは、『不道徳な人』といふ一言で片附ける
だけなのでございます。いはば、さういふ勝利者は抽象的な不名誉だけで事がすみ、
細目にわたる具体的な不名誉は、お気の毒にも、不幸な敗北者の女が蒙ることになるのです。
世間を味方につけるといふことは奥様、とりもなほさず、世間に決して同情の涙を求めない
といふことなのです。
三島由紀夫「美徳のよろめき」より
311 :
無名草子さん:2010/12/10(金) 14:45:26
秘密といふものはたのしいもので、悩みであらうが喜びであらうが、同じ色に塗りたくつて
しまひます。それに国家の機密なぞは平気で洩らしませうが、自分の秘密を大事に固く
守ることは、女にとつてはそれほど難事ではありません。
惚れすぎて苦しくなり、相手をむりにも軽蔑することで、その恋から逃げようとするのは、
拙ない初歩のやり方です。万に一つも巧くはまゐりません。ひたすらその方をうやまひ、
尊敬するやうになさいまし。お相手がどんなに卑劣な振舞をしても、なほかつ尊敬するやうに
なさいまし。さうしてゐれば、とたんにお相手はあなたの目に、つまらない人物に見えて
まゐります。
ただ盲目であるときはまだ救はれ易い。本当に危険なのは、われわれが自分の盲目を
意識しはじめて、それを楯に使ひだす場合である。
苦痛の明晰さには、何か魂に有益なものがある。どんな思想も、またどんな感覚も、
烈しい苦痛ほどの明晰さに達することはできない。よかれあしかれ、それは世界を直視させる。
三島由紀夫「美徳のよろめき」より
312 :
無名草子さん:2010/12/11(土) 11:58:30
吃りが、最初の音を発するために焦りにあせつてゐるあひだ、彼は内界の濃密な黐(もち)から
身を引き離さうとじたばたしてゐる小鳥にも似てゐる。やつと身を引き離したときには、
もう遅い。なるほど外界の現実は、私がじたばたしてゐるあひだ、手を休めて待つてゐて
くれるやうに思はれる場合がある。しかし待つてゐてくれる現実はもう新鮮な現実ではない。
私が手間をかけてやつと外界に達してみても、いつもそこには、瞬間に変色し、ずれて
しまつた、……さうしてそれだけが私にふさはしく思はれる、鮮度の落ちた現実、半ば
腐臭を放つ現実が、横たはつてゐるばかりであつた。
何か拭ひがたい負け目を持つた少年が、自分はひそかに選ばれた者だ、と考へるのは、
当然ではあるまいか。この世のどこかに、まだ私自身の知らない使命が私を待つてゐるやうな
気がした。
三島由紀夫「金閣寺」より
313 :
無名草子さん:2010/12/11(土) 12:01:32
彼女は捕はれの狂女のやうに見えた。月の下に、その顔は動かなかつた。
私は今まで、あれほど拒否にあふれた顔を見たことがない。私は自分の顔を、世界から
拒まれた顔だと思つてゐる。しかるに有為子の顔は世界を拒んでゐた。月の光りはその額や
目や鼻筋や頬の上を容赦なく流れてゐたが、不動の顔はただその光りに洗はれてゐた。
一寸目を動かし、一寸口を動かせば、彼女が拒まうとしてゐる世界は、それを合図に、
そこから雪崩れ込んで来るだらう。
私は息を詰めてそれに見入つた。歴史はそこで中断され、未来へ向つても過去へ向つても、
何一つ語りかけない顔。さういふふしぎな顔を、われわれは、今伐り倒されたばかりの
切株の上に見ることがある。新鮮で、みづみづしい色を帯びてゐても、成長はそこで途絶え、
浴びるべき筈のなかつた風と日光を浴び、本来自分のものではない世界に突如として
曝されたその断面に、美しい木目が描いたふしぎな顔。ただ拒むために、こちらの世界へ
さし出されてゐる顔。……
三島由紀夫「金閣寺」より
314 :
無名草子さん:2010/12/11(土) 12:07:04
鈍感な人たちは、血が流れなければ狼狽しない。が、血の流れたときは、悲劇は終つて
しまつたあとなのである。
夜空の月のやうに、金閣は暗黒時代の象徴として造られたのだつた。そこで私の夢想の金閣は、
その周囲に押しよせてゐる闇の背景を必要とした。闇のなかに、美しい細身の柱の構造が、
内から微光を放つて、じつと静かに坐つてゐた。人がこの建築にどんな言葉で語りかけても、
美しい金閣は、無言で、繊細な構造をあらはにして、周囲の闇に耐へてゐなければならぬ。
金閣はおびただしい夜を渡つてきた。いつ果てるともしれぬ航海。そして、昼の間といふもの、
このふしぎな船はそしらぬ顔で碇を下ろし、大ぜいの人が見物するのに委せ、夜が来ると
周囲の闇に勢ひを得て、その屋根を帆のやうにふくらませて出航したのである。
私が人生で最初にぶつかつた難問は、美といふことだつたと言つても過言ではない。
三島由紀夫「金閣寺」より
315 :
無名草子さん:2010/12/11(土) 12:11:09
父の顔は初夏の花々に埋もれてゐた。花々はまだ気味のわるいほど、なまなましく生きてゐた。
花々は井戸の底をのぞき込んでゐるやうだつた。なぜなら、死人の顔は生きてゐる顔の
持つてゐた存在の表面から無限に陥没し、われわれに向けられてゐた面の縁のやうなもの
だけを残して、二度と引き上げられないほどの奥のはうへ落つこちてゐたのだから。
物質といふものが、いかにわれわれから遠くに存在し、その存在の仕方が、いかにわれわれから
手の届かないものであるかといふことを、死顔ほど如実に語つてくれるものはなかつた。
対面などではなく、私はただ父の死顔を見てゐた。
屍はただ見られてゐる。私はただ見てゐる。見るといふこと、ふだん何の意識もなしに
してゐるとほり、見るといふことが、こんなに生ける者の権利の証明でもあり、残酷さの
表示でもありうるとは、私にとつて鮮やかな体験だつた。
三島由紀夫「金閣寺」より
316 :
無名草子さん:2010/12/11(土) 12:29:07
私といふ存在から吃りを差引いて、なほ私でありうるといふ発見を、鶴川のやさしさが私に教へた。
私はすつぱりと裸かにされた快さを隈なく味はつた。鶴川の長い睫にふちどられた目は、
私から吃りだけを漉し取つて、私を受け容れてゐた。それまでの私はといへば、吃りで
あることを無視されることは、それがそのまま、私といふ存在を抹殺されることだ、
と奇妙に信じ込んでゐたのだから。
私は今でもふしぎに思ふことがある。もともと私は暗黒の思想にとらはれてゐたのではなかつた。
私の関心、私に与へられた難問は美だけである筈だつた。しかし戦争が私に作用して、
暗黒の思想を抱かせたなどと思ふまい。美といふことだけを思ひつめると、人間はこの世で
最も暗黒な思想にしらずしらずぶつかるのである。人間は多分さういふ風に出来てゐるのである。
三島由紀夫「金閣寺」より
317 :
無名草子さん:2010/12/11(土) 12:32:22
京都では空襲に見舞はれなかつたが、一度工場から出張を命ぜられ、飛行機部品の発注書類を
持つて、大阪の親工場へ行つたとき、たまたま空襲があつて、腸の露出した工員が担架で
運ばれてゆく様を見たことがある。
なぜ露出した腸が凄惨なのだらう。何故人間の内側を見て、悚然として、目を覆つたり
しなければならないのであらう。何故血の流出が、人に衝撃を与へるのだらう。何故人間の
内臓が醜いのだらう。……それはつやつやした若々しい皮膚の美しさと、全く同質の
ものではないか。……私が自分の醜さを無に化するやうなかういふ考へ方を、鶴川から
教はつたと云つたら、彼はどんな顔をするだらうか? 内側と外側、たとへば人間を
薔薇の花のやうに内も外もないものとして眺めること、この考へがどうして非人間的に
見えてくるのであらうか? もし人間がその精神の内側と肉体の内側を、薔薇の花弁のやうに、
しなやかに飜へし、捲き返して、日光や五月の微風にさらすことができたとしたら……
三島由紀夫「金閣寺」より
318 :
無名草子さん:2010/12/11(土) 21:10:09
『金閣と私との関係は絶たれたんだ』と私は考へた。『これで私と金閣とが同じ世界に
住んでゐるといふ夢想は崩れた。またもとの、もとよりのもつと望みのない事態がはじまる。
美がそこにをり、私はこちらにゐるといふ事態。この世のつづくかぎり渝(かは)らぬ
事態……』
敗戦は私にとつては、かうした絶望の体験に他ならなかつた。今も私の前には、八月十五日の
焔のやうな夏の光りが見える。すべての価値が崩壊したと人は言ふが、私の内にはその逆に、
永遠が目ざめ、蘇り、その権利を主張した。金閣がそこに未来永劫存在するといふことを
語つてゐる永遠。
天から降つて来て、われわれの頬に、手に、腹に貼りついて、われわれを埋めてしまふ永遠。
この呪はしいもの。……さうだ。まはりの山々の蝉の声にも、終戦の日に、私はこの
呪詛のやうな永遠を聴いた。それが私を金いろの壁土に塗りこめてしまつてゐた。
三島由紀夫「金閣寺」より
319 :
無名草子さん:2010/12/11(土) 21:13:13
戦争に敗けたからと云つて、決して私は不幸なのではなかつた。しかし老師のあの満ち足りた
幸福さうな顔は気にかかつた。
私は禅僧にも肉体のあることがふしぎでならなかつた。老師が女遊びをし尽したのは、
肉体を捨離して、肉を軽蔑するためだつたと思はれる。それなのに、その軽蔑された肉が
思ふまま栄養を吸つて、つやつやして、老師の精神を包んでゐるのはふしぎに思はれる。
よく馴らされた家畜のやうな温順な、謙譲な肉。和尚の精神にとつては、まさに妾のやうな
その肉……。
私にとつて、敗戦が何であつたかを言つておかなくてはならない。
それは解放ではなかつた。断じて解放ではなかつた。不変のもの、永遠なもの、日常のなかに
融け込んでゐる仏教的な時間の復活に他ならなかつた。
『世間の人たちが、生活と行動で悪を味はふなら、私は内界の悪に、できるだけ深く
沈んでやらう』
三島由紀夫「金閣寺」より
320 :
無名草子さん:2010/12/11(土) 21:16:41
「君は、未来のことに、何の不安も希望も持たへんのか?」
「持つてないんだ、何も。だつて、持つてゐて何になるんだ」
かう答へた鶴川の語調には、わづかな暗さも、投げやりな調子もなかつた。そのとき稲妻が、
彼の顔だちの唯一の繊細な部分である細いなだらかな眉を照らし出した。床屋がさうするままに、
鶴川は眉の上下を剃らせるらしかつた。そこで細い眉はいよいよ人工的に細く、眉の
はづれの一部に、剃りあとの仄かな青い翳を宿してゐた。
私はちらとその青さを見て、不安に搏たれた。この少年は私などとはちがつて、生命の
純潔な末端のところで燃えてゐるのだ。燃えるまでは、未来は隠されてゐる。未来の灯芯は
透明な冷たい油のなかに涵つてゐる。誰が自分の純潔と無垢を予見する必要があるだらう。
もし未来に純潔と無垢だけしか残されてゐないならば。
三島由紀夫「金閣寺」より
321 :
無名草子さん:2010/12/11(土) 21:20:06
雪は私たちを少年らしい気持にさせる。
雪に包まれた金閣の美しさは、比べるものがなかつた。この吹き抜けの建築は、雪のなかに、
雪が吹き入るのに委せたまま、細身の柱を林立させて、すがすがしい素肌で立つてゐた。
どうして雪は吃らぬのか? と私は考へた。それは八つ手の葉に障(さや)るときなど、
吃つたやうに降つて、地に落ちることもあつた。しかし遮ぎるもののない空から、流麗に
落ちてくる雪を浴びてゐると、私の心の屈曲は忘れられ、音楽を浴びてゐるやうに、私の
精神はすなほな律動を取戻した。
事実、立体的な金閣は、雪のおかげで、何事をも挑みかけない平面的な金閣、画中の金閣に
なつてゐた。両岸の紅葉山の枯枝は、雪をほとんど支へ得ないで、その林はいつもよりも
裸かに見えた。をちこちの松に積む雪は壮麗だつた。池の氷の上にはさらに雪がつもり、
ふしぎにつもらぬ個所もあつて、白い大まかな斑(まだ)らは、装飾画の雲のやうに大胆に
ゑがかれてゐた。
三島由紀夫「金閣寺」より
322 :
無名草子さん:2010/12/12(日) 20:22:40
肉体上の不具者は美貌の女と同じ不敵な美しさを持つてゐる。不具者も、美貌の女も、
見られることに疲れて、見られる存在であることに飽き果てて、追ひつめられて、
存在そのもので見返してゐる。見たはうが勝なのだ。
滑稽な外形を持つた男は、まちがつて自分が悲劇的に見えることを賢明に避ける術を知つてゐる。
もし悲劇的に見えたら、人はもはや自分に対して安心して接することがなくなるのを
知つてゐるからだ。自分をみじめに見せないことは、何より他人の魂のために重要だ。
そもそも存在の不安とは、自分が十分に存在してゐないといふ贅沢な不満から生まれるもの
ではないのか。
不安もない。愛も、ないのだ。世界は永久に停止してをり、同時に到達してゐるのだ。
この世界にわざわざ、「われわれの世界」と註する必要があるだらうか。俺はかくて、
世間の「愛」に関する迷蒙を一言の下に定義することができる。それは仮象が実相に
結びつかうとする迷蒙だと。
三島由紀夫「金閣寺」より
323 :
無名草子さん:2010/12/12(日) 20:28:59
戦争中の安寧秩序は、人の非業の死の公開によつて保たれてゐたと思はないかね。
死刑の公開が行はれなくなつたのは、人心を殺伐ならしめると考へられたからださうだ。
ばかげた話さ。空襲中の死体を片附けてゐた人たちは、みんなやさしい快活な様子をしてゐた。
人の苦悶と血と断末魔の呻きを見ることは、人間を謙虚にし、人の心を繊細に、明るく、
和やかにするんだのに。俺たちが残虐になつたり、殺伐になつたりするのは、決して
そんなときではない。俺たちが突如として残虐になるのは、たとへばこんなうららかな
春の午後、よく刈り込まれた芝生の上に、木洩れ陽の戯れてゐるのをぼんやり眺めてゐる
ときのやうな、さういふ瞬間だと思はないかね。
世界中のありとあらゆる悪夢、歴史上のありとあらゆる悪夢はさういふ風にして生れたんだ。
しかし白日の下に、血みどろになつて悶絶する人の姿は、悪夢にはつきりした輪郭を与へ、
悪夢を物質化してしまふ。
三島由紀夫「金閣寺」より
324 :
無名草子さん:2010/12/13(月) 12:16:06
隈なく美に包まれながら、人生へ手を延ばすことがどうしてできよう。美の立場からしても、
私に断念を要求する権利があつたであらう。一方の手の指で永遠に触れ、一方の手の指で
人生に触れることは不可能である。人生に対する行為の意味が、或る瞬間に対して忠実を誓ひ、
その瞬間を立止らせることにあるとすれば、おそらく金閣はこれを知悉してゐて、わづかの
あひだ私の疎外を取消し、金閣自らがさういふ瞬間に化身して、私の人生への渇望の虚しさを
知らせに来たのだと思はれる。人生に於て、永遠に化身した瞬間は、われわれを酔はせるが、
それはこのときの金閣のやうに、瞬間に化身した永遠の姿に比べれば、物の数でもないことを
金閣は知悉してゐた。美の永遠的な存在が、真にわれわれの人生を阻み、生を毒するのは
まさにこのときである。生がわれわれに垣間見せる瞬間的な美は、かうした毒の前には
ひとたまりもない。それは忽ちにして崩壊し、滅亡し、生そのものをも、滅亡の白茶けた
光りの下に露呈してしまふのである。
三島由紀夫「金閣寺」より
325 :
無名草子さん:2010/12/13(月) 12:20:15
禅は無相を体とするといはれ、自分の心が形も相もないものだと知ることがすなはち見性だと
いはれるが、無相をそのまま見るほどの見性の能力は、おそらくまた、形態の魅力に対して
極度に鋭敏でなければならない筈だ。形や相を無私の鋭敏さで見ることのできない者が、
どうして無形や無相をそれほどありありと見、ありありと知ることができよう。かくて
鶴川のやうに、そこに存在するだけで光りを放つてゐたもの、それに目も触れ手も触れる
ことのできたもの、いはば生のための生とも呼ぶべきものは、それが喪はれた今では、
その明瞭な形態が不明瞭な無形態のもつとも明確な比喩であり、その実在感が形のない虚無の
もつとも実在的な模型であり、彼その人がかうした比喩にすぎなかつたのではないかと思はれた。
たとへば、彼と五月の花々との似つかはしさ、ふさはしさは、他でもないこの五月の突然の
死によつて、彼の柩に投げこまれた花々との、似つかはしさ、ふさはしさなのであつた。
三島由紀夫「金閣寺」より
326 :
無名草子さん:2010/12/13(月) 12:26:54
狂人でなければ企てられない行為を罰するためには、事前にどうやつて狂人を嚇かすべきか。
おそらく狂人にしか読めない文字が必要になるだらう。……
柏木を深く知るにつれてわかつたことだが、彼は永保ちする美がきらひなのであつた。
たちまち消える音楽とか、数日のうちに枯れる活け花とか、彼の好みはさういふものに限られ、
建築や文学を憎んでゐた。彼が金閣へやって来たのも、月の照る間の金閣だけを索めて
来たのに相違なかつた。それにしても音楽の美とは何とふしぎなものだ! 吹奏者が成就する
その短かい美は、一定の時間を純粋な持続に変へ、確実に繰り返されず、蜉蝣のやうな短命な
生物をさながら、生命そのものの完全な抽象であり、創造である。音楽ほど生命に似たものは
なく、同じ美でありながら、金閣ほど生命から遠く、生を侮蔑して見える美もなかつた。
そして柏木が「御所車」を奏でをはつた瞬間に、音楽、この架空の生命は死に、彼の醜い
肉体と暗鬱な認識とは、少しも傷つけられずに変改されずに、又そこに残つてゐたのである。
三島由紀夫「金閣寺」より
327 :
無名草子さん:2010/12/13(月) 12:30:20
柏木が美に索めてゐるものは、確実に慰藉ではなかつた! 言はず語らずのうちに、
私にはそれがわかつた。彼は自分の唇が尺八の歌口に吹きこむ息の、しばらくの間、
中空に成就する美のあとに、自分の内飜足と暗い認識が、前にもましてありありと新鮮に
残ることのはうを愛してゐたのだ。美の無益さ、美がわが体内をとほりすぎて跡形もないこと、
それが絶対に何ものをも変へぬこと、……柏木の愛したのはそれだつたのだ。美が私にとつても
そのやうなものであつたとしたら、私の人生はどんなに身軽になつてゐたことだらう。
……柏木の導くままに、何度となく、飽かずに私は試みた。顔は充血し、息は迫つて来た。
そのとき急に私が鳥になり、私の咽喉から鳥の啼声が洩れたかのやうに、尺八が野太い音の
一声をひびかせた。
「それだ」
と柏木が笑つて叫んだ。決して美しい音ではないが、同じ音は次々と出た。そのとき私は、
わがものとも思はれぬこの神秘な声音から、頭上の金銅の鳳凰の声を夢みてゐたのである。
三島由紀夫「金閣寺」より
328 :
無名草子さん:2010/12/13(月) 12:36:03
美といふものは、さうだ、何と云つたらいいか、虫歯のやうなものなんだ。それは舌にさはり、
引つかかり、痛み、自分の存在を主張する。たうとう痛みにたへられなくなつて、歯医者に
抜いてもらふ。血まみれの小さな茶いろの汚れた歯を自分の掌にのせてみて、人は
かう言はないだらうか。『これか? こんなものだつたのか? 俺に痛みを与へ、俺に
たえずその存在を思ひわづらはせ、さうして俺の内部に頑固に根を張つてゐたものは、
今では死んだ物質にすぎぬ。しかしあれとこれとは本当に同じものだらうか? もしこれが
もともと俺の外部存在であつたのなら、どうして、いかなる因縁によつて、俺の内部に
結びつき、俺の痛みの根源になりえたのか? こいつの存在の根拠は何か? その根拠は
俺の内部にあつたのか? それともそれ自体にあつたのか? それにしても、俺から
抜きとられて俺の掌の上にあるこいつは、これは絶対に別物だ。断じてあれぢやあない』
三島由紀夫「金閣寺」より
329 :
無名草子さん:2010/12/13(月) 17:40:44
あの山門の楼上から、遠い神秘な白い一点に見えたものは、このやうな一定の質量を
持つた肉ではなかつた。あの印象があまりに永く醗酵したために、目前の乳房は、
肉そのものであり、一個の物質にしかすぎなくなつた。しかしそれは何事かを愬へかけ、
誘ひかける肉ではなかつた。存在の味気ない証拠であり、生の全体から切り離されて、
ただそこに露呈されてあるものであつた。
まだ私は嘘をつかうとしてゐる。さうだ。眩暈に見舞はれたことはたしかだつた。だが
私の目はあまりにも詳さに見、乳房が女の乳房であることを通りすぎて、次第に無意味な
断片に変貌するまでの、逐一を見てしまつた。
……ふしぎはそれからである。何故ならかうしたいたましい経過の果てに、やうやくそれが
私の目に美しく見えだしたのである。美の不毛の不感の性質がそれに賦与されて、乳房は
私の目の前にありながら、徐々にそれ自体の原理の裡にとぢこもつた。薔薇が薔薇の原理に
とぢこもるやうに。
三島由紀夫「金閣寺」より
330 :
無名草子さん:2010/12/13(月) 17:48:08
私には美は遅く来る。人よりも遅く、人が美を官能とを同時に見出すところよりも、はるかに
後から来る。みるみる乳房は全体との聯関を取戻し、……肉を乗り超え、……不感の
しかし不朽の物質になり、永遠につながるものになつた。
私の言はうとしてゐることを察してもらひたい。又そこに金閣が出現した。といふよりは、
乳房が金閣に変貌したのである。
「又もや私は人生から隔てられた!」と独言した。「又してもだ。金閣はどうして私を
護らうとする? 頼みもしないのに、どうして私を人生から隔てようとする? なるほど
金閣は、私を堕地獄から救つてゐるのかもしれない。さうすることによつて金閣は私を、
地獄に堕ちた人間よりもつと悪い者、『誰よりも地獄の消息に通じた男』にしてくれたのだ」
「いつかきつとお前を支配してやる。二度と私の邪魔をしに来ないやうに、いつか必ずお前を
わがものにしてやるぞ」
声はうつろに深夜の鏡湖池に谺(こだま)した。
三島由紀夫「金閣寺」より
331 :
無名草子さん:2010/12/13(月) 17:54:30
総じて私の体験には一種の暗合がはたらき、鏡の廊下のやうに一つの影像は無限の奥まで
つづいて、新たに会ふ事物にも過去に見た事物の影がはつきりと射し、かうした相似に
みちびかれてしらずしらず廊下の奥、底知れぬ奥の間へ、踏み込んで行くやうな心地がしてゐた。
運命といふものに、われわれは突如としてぶつかるのではない。のちに死刑になるべき男は、
日頃ゆく道筋の電柱や踏切にも、たえず刑架の幻をゑがいて、その幻に親しんでゐる筈だ。
音楽は夢に似てゐる。と同時に、夢とは反対のもの、一段とたしかな覚醒の状態にも似てゐる。
音楽はそのどちらだらうか、と私は考へた。とまれ音楽は、この二つの反対のものを、
時には逆転させるやうな力を備へてゐた。そして自ら奏でる「御所車」の曲の調べに、
時たま私はやすやすと化身した。私の精神は音楽に化身するたのしみを
知つた。柏木とちがつて、音楽は私にとつて確実に慰藉だつたのだ。
三島由紀夫「金閣寺」より
332 :
無名草子さん:2010/12/13(月) 21:26:51
光りの遍満のうちを金いろの羽を鳴らして飛んできた蜜蜂は、数多い夏菊の花から一つ選んで、
その前でしばらくたゆたうた。
私は蜂の目になつて見ようとした。菊は一点の瑕瑾(かきん)もない黄いろい端正な花弁を
ひろげてゐた。それは正に小さな金閣のやうに美しく、金閣のやうに完全だつたが、決して
金閣に変貌することはなく、夏菊の花の一輪にとどまつてゐた。さうだ、それは確乎たる菊、
一個の花、何ら形而上的なものの暗示を含まぬ一つの形態にとどまつてゐた。それは
このやうに存在の節度を保つことにより、溢れるばかりの魅惑を放ち、蜜蜂の欲望に
ふさはしいものになつてゐた。形のない、飛翔し、流れ、力動する欲望の前に、かうして
対象としての形態に身をひそめて息づいてゐることは、何といふ神秘だらう! 形態は
徐々に稀薄になり、破られさうになり、おののき顫(ふる)へてゐる。それもその筈、
菊の端正な形態は、蜜蜂の欲望をなぞつて作られたものであり、その美しさ自体が、
予感に向つて花ひらいたものなのだから。今こそは、生の中で形態の意味がかがやく瞬間なのだ。
三島由紀夫「金閣寺」より
333 :
無名草子さん:2010/12/13(月) 21:32:09
形こそは、形のない流動する生の鋳型であり、同時に、形のない生の飛翔は、この世の
あらゆる形態の鋳型なのだ。……蜜蜂はかくて花の奥深く突き進み、花粉にまみれ、酩酊に
身を沈めた。蜜蜂を迎へ入れた夏菊の花が、それ自身、黄いろい豪奢な鎧を着けた蜂のやうに
なつて、今にも茎を離れて飛び翔たうとするかのやうに、はげしく身をゆすぶるのを私は見た。
私はほとんど光りと、光りの下に行はれてゐるこの営みとに眩暈を感じた。ふとして、又、
蜂の目を離れて私の目に還つたとき、これを眺めてゐる私の目が、丁度金閣の目の位置に
あるのを思つた。それはかうである。私が蜂の目であることをやめて私の目に還つたやうに、
生が私に迫つてくる刹那、私は私の目であることをやめて、金閣の目をわがものにしてしまふ。
そのとき正に、私と生との間に金閣が現はれるのだ、と。
三島由紀夫「金閣寺」より
334 :
無名草子さん:2010/12/13(月) 21:36:36
……私は私の目に還つた。蜂と夏菊とは茫漠たる物の世界に、ただいはば「配列されてゐる」に
とどまつた。蜜蜂の飛翔や花の揺動は、風のそよぎと何ら変りがなかつた。この静止した
凍つた世界ではすべてが同格であり、あれほど魅惑を放つてゐた形態は死に絶えた。
菊はその形態によつてではなく、われわれが漠然と呼んでゐる「菊」といふ名によつて、
約束によつて美しいにすぎなかつた。私は蜂ではなかつたから菊に誘(いばな)はれもせず、
私は菊ではなかつたから蜂に慕はれもしなかつた。あらゆる形態と生の流動との、あのやうな
親和は消えた。世界は相対性の中へ打ち捨てられ、時間だけが動いてゐたのである。
永遠の、絶対的な金閣が出現し、私の目がその金閣の目に成り変るとき、世界はこのやうに
変貌することを、そしてその変貌した世界では、金閣だけが形態を保持し、美を占有し、
その余のものを砂塵に帰してしまふことを、これ以上冗(くど)くは言ふまい。
三島由紀夫「金閣寺」より
335 :
無名草子さん:2010/12/14(火) 10:59:34
この黒い尨犬は、かうした人ごみを行き馴れてゐるとみえ、華美な女のコートの間に
軍隊外套もまじる行人の足もとを、巧みにすり抜けてあちこちの店先に立ち寄つた。
犬は聖護院八ツ橋の昔にかはらぬ土産物の店の前で匂ひを嗅いだ。店のあかりのために
犬の顔がはじめて見えたが、片目が潰(つひ)え、潰えた目尻に固まつた目脂と血が
瑪瑙のやうである。無事なはうの目は直下の地面を見てゐる。尨犬の背のところどころが
引きつつて、それらの硬ばつた毛の束が際立つてゐる。
何故犬が私の関心を惹いたのか知らない。多分この明るい繁華な町並とはまるで別の世界を、
犬が頑なに裡に抱いて、さまよつてゐるのに惹かれたのかもしれない。嗅覚だけの暗い世界を
犬は歩いてをり、それは人間どもの町と二重になつて、むしろ灯火やレコードの唄声や
笑ひ声は、執拗な暗い匂ひのために脅やかされてゐた。なぜなら匂ひの秩序はもつと
確実であり、犬の湿つた足もとにまつはる尿の匂ひは、人間どもの内蔵や器官の放つ微かな
悪臭と、確実に繋がつてゐたからだ。
三島由紀夫「金閣寺」より
336 :
無名草子さん:2010/12/14(火) 11:04:37
あらゆるものが一瞬一瞬に私の内に生起し、又死に絶えた。あらゆる形をなさない思想が、
と云はうか。……重要なものが些末なものと手をつなぎ、今日新聞で読んだヨーロッパの
政治的事件が、目前の古下駄と切つても切れぬつながりがあるやうに思はれた。
私は一つの草の葉の尖端の鋭角について永いあひだ考へてゐたこともある。考へてゐたと
いふのは適当ではない。そのふしぎな些細な想念は決して持続せず、生きてゐるとも
死んでゐるともつかぬ私の感覚の上に、リフレインのやうに執拗に繰り返して現はれたのである。
なぜこの草の葉の尖端が、これほど鋭い鋭角でなければならないのか。もし鈍角であつたら、
草の種別は失はれ、自然はその一角から崩壊してしまはねばならないのか。自然の歯車の
極小のものを外してみて、自然全体を転覆させることができるのではないか。そして
その方法を、私は徒らにあれこれと考へたりした。
三島由紀夫「金閣寺」より
337 :
無名草子さん:2010/12/14(火) 11:08:53
私は永いあひだ黙つてゐて、かう言つた。
「私をもうお見捨てになるのとちがひますか」
老師は即答しなかつた。やがて、
「さうまでして、まだ見捨てられたくないと思ふか」
私は答へなかつた。しばらくして、我知らず、吃りながら別事を言つた。
「老師は私のことを隅々まで知つてをられます。私も老師のことを知つてをるつもりで
ございます」
「知つてをるのがどうした」――和尚は暗い目になつた。「何にもならんことぢや。
益もない事ぢや」
私はこの時ほど現世を完全に見捨てた人の顔を見たことがない。生活の細目、金、女、
あらゆるものに一々手を汚しながら、これほどに現世を侮蔑してゐる人の顔を見たことがない。
……私は血色のよい温かみのある屍に触れたやうな嫌悪を感じた。
そのとき、自分のまはりにあるすべてのものから、しばらくでも遠ざかりたいといふ痛切な
感じが私に湧き起つた。老師の部屋を辞したのちも、たえずそれを考へたが、この考へは
ますます激しくなつた。
三島由紀夫「金閣寺」より
338 :
無名草子さん:2010/12/14(火) 11:13:46
「どこかへ、ぶらつと旅に出たいんだ」
「帰つて来るのか」
「多分……」
「何から遁れたいんだ」
「自分のまはりの凡てから逃げ出したい。自分のまはりのものがぷんぷん匂はしてゐる無力の
匂ひから。……老師も無力だ。ひどく無力なんだ。それもわかつた」
「金閣からもか」
「さうだよ。金閣からもだ」
「金閣も無力かね」
「金閣は無力ぢやない。決して無力ぢやない。しかし凡ての無力の根源なんだ」
「君の考へさうなことだ」
と柏木は、歩道を例の大袈裟な舞踏の足取で歩きながら、ひどく愉快さうに舌打ちした。
私は自分の思想に、社会の支援を仰ぐ気持はなかつた。世間でわかりやすく理解されるための
枠を、その思想に与へる気持もなかつた。何度も言ふやうに、理解されないといふことが、
私の存在理由だつたのである。
三島由紀夫「金閣寺」より
339 :
無名草子さん:2010/12/14(火) 11:16:42
初冬の曇つた空の下に、冷たい微風が塩気を含んで、ひろい軍用道路を吹き通つてゐた。
海の匂ひといふよりは、無機質の、錆びた鉄のやうな匂ひがしてゐた。町の只中へ、深く
導かれてゐる運河のやうな狭隘な海、その死んだ水面、岸に繋がれたアメリカの小艦艇、
……ここにはたしかに平和があつたが、行き届きすぎた衛生管理が、かつての軍港の
雑然とした肉体的な活力を奪つて、街全体を病院のやうな感じに変へてゐた。
私はここで海と親しく会はうとは思はなかつた。ジープがうしろから来て面白半分に、
私を海へ突き落すかもしれなかつた。今にして思ふのだが、私の旅の衝動には海の暗示があり、
その海はおそらくこんな人工的な港の海ではなくて、幼時、成生岬の故郷で接してゐたやうな、
生れたままの姿の荒々しい海であつた。肌理の粗い、しじゆう怒気を含んでゐる、あの
苛立たしい裏日本の海なのであつた。
だから私は由良へ行かうとしてゐた。
三島由紀夫「金閣寺」より
340 :
無名草子さん:2010/12/14(火) 11:20:14
それは正しく裏日本の海だつた! 私のあらゆる不幸と暗い思想の源泉、私のあらゆる醜さと
力との源泉だつた。海は荒れてゐた。波はつぎつぎとひまなく押し寄せ、今来る波と
次の波との間に、なめらかな灰色の深淵をのぞかせた。暗い沖の空に累々と重なる雲は、
重たさと繊細さを併せてゐた。
突然私にうかんで来た想念は、柏木が言ふやうに、残虐な想念だつたと云はうか?
とまれこの想念は、突如として私の裡に生れ、先程からひらめいてゐた意味を啓示し、
あかあかと私の内部を照らし出した。まだ私はそれを深く考へてもみず、光りに搏たれたやうに、
その想念に搏たれてゐるにすぎなかつた。しかし今までつひぞ思ひもしなかつたこの考へは、
生れると同時に、忽ち力を増し、巨きさを増した。むしろ私がそれに包まれた。その想念とは、
かうであつた。
『金閣を焼かなければならぬ』
三島由紀夫「金閣寺」より
341 :
無名草子さん:2010/12/14(火) 11:27:56
なぜ私が金閣を焼かうといふ考へより先に、老師を殺さうといふ考へに達しなかつたのかと
自ら問うた。
それまでにも老師を殺さうといふ考へは全く浮ばぬではなかつたが、忽ちその無効が知れた。
何故ならよし老師を殺しても、あの坊主頭とあの無力の悪とは、次々と数かぎりなく、
闇の地平から現はれて来るのがわかつてゐたからである。
おしなべて生(しやう)あるものは、金閣のやうに厳密な一回性を持つてゐなかつた。
人間は自然のもろもろの属性の一部を受けもち、かけがへのきく方法でそれを伝播し、
繁殖するにすぎなかつた。殺人が対象の一回性を滅ぼすためならば、殺人とは永遠の
誤算である。私はさう考へた。そのやうにして金閣と人間存在とはますます明確な対比を示し、
一方では人間の滅びやすい姿から、却つて永生の幻がうかび、金閣の不壊の美しさから、
却つて滅びの可能性が漂つてきた。人間のやうにモータルなものは根絶することが
できないのだ。そして金閣のやうに不滅なものは消滅させることができるのだ。どうして人は
そこに気がつかぬのだらう。私の独創性は疑ふべくもなかつた。
三島由紀夫「金閣寺」より
342 :
無名草子さん:2010/12/14(火) 17:03:52
『金閣が焼けたら……、金閣が焼けたら、こいつらの世界は変貌し、生活の金科玉条は
くつがへされ、列車時刻表は混乱し、こいつらの法律は無効になるだらう』
再び私を、生活の魅惑、あるひは生活への嫉視が虜にしようとした。金閣を焼かずに、
寺を飛び出して、還俗して、私もかういふ風に生活に埋もれてしまふこともできるのだ。
……しかし忽ち、暗い力はよみがへつて私をそこから連れ出した。私はやはり金閣を
焼かねばならぬ。別誂への、私特製の、未開の生がそのときはじまるだらう。
小刻みにゆく塩垂れた帯の背を眺めながら、母を殊更醜くしてゐるものは何だと私は考へた。
母を醜くしてゐるのは、……それは希望だつた。湿つた淡紅色の、たえず痒みを与へる、
この世の何ものにも負けない、汚れた皮膚に巣喰つてゐる頑固な皮癬(ひぜん)のやうな希望、
不治の希望であつた。
三島由紀夫「金閣寺」より
343 :
無名草子さん:2010/12/14(火) 17:09:40
そのころ火は火とお互ひに親しかつた。火はこのやうに細分され、おとしめられず、いつも
火は別の火と手を結び、無数の火を糾合することができた。人間もおそらくさうであつた。
火はどこにゐても別の火を呼ぶことができ、その声はすぐに届いた。寺々の炎上が失火や
類火や兵火によるものばかりで、放火の記録が残されてゐないのも、たとへ私のやうな男が
古い或る時代にゐたとしても、彼はただ息をひそめ身を隠して待つてゐればよかつたからなのだ。
寺々はいつの日か必ず焼けた。火は豊富で、放恣であつた。待つてさへゐれば、隙を
うかがつてゐた火が必ず蜂起して、火と火は手を携へ、仕遂げるべきことを仕遂げた。
金閣は実に稀な偶然によつて、火を免れたにずぎなかつた。火は自然に起り、滅亡と否定は
常態であり、建てられた伽藍は必ず焼かれ、仏教的原理と法則は厳密に地上を支配してゐた。
たとへ放火であつても、それはあまりにも自然に火の諸力に訴へたので、歴史家は誰もそれを
放火だとは思はなかつたのであらう。
三島由紀夫「金閣寺」より
344 :
無名草子さん:2010/12/14(火) 17:18:20
「俺は君に知らせたかつたんだ。この世界を変貌させるものは認識だと。いいかね、
他のものは何一つ世界を変へないのだ。認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、
変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、さうして永久に変貌するんだ。
それが何の役に立つかと君は言ふだらう。だがこの生を耐へるために、人間は認識の武器を
持つたのだと云はう。動物にはそんなものは要らない。動物には生を耐へるといふ意識なんか
ないからな。認識は生の耐へがたさがそのまま人間の武器になつたものだが、それで以て
耐へがたさは少しも軽減されない。それだけだ」
「生を耐へるのに別の方法があると思はないか」
「ないね。あとは狂気か死だよ」
「世界を変貌させるのは決して認識なんかぢやない」と思はず私は、告白とすれすれの危険を
冒しながら言ひ返した。「世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない」
三島由紀夫「金閣寺」より
345 :
無名草子さん:2010/12/14(火) 17:32:17
趙州の言はうとしたことはかうだ。やはり彼は美が認識に守られて眠るべきものだといふことを
知つてゐた。しかし個々の認識、おのおのの認識といふものはないのだ。認識とは人間の
海でもあり、人間の野原でもあり、人間一般の存在の様態なのだ。彼はそれを言はうと
したんだと俺は思ふ。君は今や南泉を気取るのかね。……美的なもの、君の好きな美的なもの、
それは人間精神の中で認識に委託された残りの部分、剰余の部分の幻影なんだ。君の言ふ
『生に耐へるための別の方法』の幻影なんだ。本来そんなものはないとも云へるだらう。
云へるだらうが、この幻影を力強くし、能ふかぎりの現実性を賦与するのはやはり認識だよ。
認識にとつて美は決して慰藉ではない。女であり、妻でもあるだらうが、慰藉ではない。
しかしこの決して慰藉ではないところの美的なものと、認識との結婚からは何ものかが生れる。
はかない、あぶくみたいな、どうしやうもないものだが、何ものかが生れる。世間で
芸術と呼んでゐるのはそれさ。
「美は……美的なものはもう僕にとつては怨敵なんだ」
三島由紀夫「金閣寺」より
346 :
無名草子さん:2010/12/15(水) 11:02:04
火の幻にこのごろの私が、肉慾を感じるやうになつてゐたと云つたら、人は信じるだらうか?
私の生きる意志がすべて火に懸つてゐたのであれば、肉慾もそれに向ふのが自然ではなからうか?
そして私のその欲望が、火のなよやかな姿態を形づくり、焔は黒光りのする柱を透かして、
私に見られてゐることを意識して、やさしく身づくろひをするやうに思はれた。その手、
その肢、その胸はかよわかつた。
私はたしかに生きるために金閣を焼かうとしてゐるのだが、私のしてゐることは死の準備に
似てゐた。自殺を決意した童貞の男が、その前に廓へ行くやうに、私も廓へ行くのである。
安心するがいい。かういふ男の行為は一つの書式に署名するやうなもので、童貞を失つても、
彼は決して「ちがふ人間」などになりはしない。
私の足は捗らなくなつた。思ひあぐねた末には、一体金閣を焼くために童貞を捨てようとして
ゐるのか、童貞を失ふために金閣を焼かうとしてゐるのかわからなくなつた。そのとき、
意味もなしに「天歩艱難」といふ高貴な単語が心に浮び、「天歩艱難々々々々」と
くりかへし呟きながら歩いた。
三島由紀夫「金閣寺」より
347 :
無名草子さん:2010/12/15(水) 11:06:28
薔薇の棘に指先を傷つけられたのが死の因(もと)になつた詩人のことが思ひ浮んだ。
そこらの凡庸な人間はそんなことでは死なない。しかし私は貴重な人間になつたのだから、
どんな運命的な死を招き寄せるか知れなかつた。指の傷は幸ひに膿を持たず、けふは
そこを押すと微かに痛むだけであつた。
五番町へ行くにつけても、私が衛生上の注意を怠らなかつたのは云ふまでもない。前日から、
顔を知られてゐない遠い薬屋まで行つて、私はゴム製品を買つておいた。粉つぽいその膜は
いかにも無気力な不健康な色をしてゐた。昨夜私はそのひとつを試してみた。茜いろの
クレパスで戯れに描いた仏画や、京都観光協会のカレンダーや、丁度仏頂尊勝陀羅尼のところが
あけられてゐる経文の禅林日課や、汚れた靴下や、笹くれ立つた畳や、……かうしたものの
只中に、私のものは、滑らかな灰いろの、目も鼻もない不吉な仏像のやうに立つてゐた。
その不快な姿が、今は語り伝へにだけ残つてゐるあの羅切といふ兇暴な行為を私に思ひ起させた。
三島由紀夫「金閣寺」より
348 :
無名草子さん:2010/12/15(水) 11:10:12
女は立上つて、私のそばへ来て、唇をまくり上げるやうに笑つて、私のジャンパアの腕に
少し触つた。
暗い古い階段を二階へのぼるあひだ、私はまた有為子のことを考へてゐた。何かこの時間、
この時間における世界を、彼女は留守にしてゐたのだといふ考へである。今ここに
留守である以上、今どこを探しても、有為子はゐないに相違なかつた。彼女はわれわれの世界の
そとの風呂屋かどこかへ、一寸入浴に出かけてゐるらしかつた。
私には有為子は生前から、さういふ二重の世界を自由に出入りしてゐたやうに思はれる。
あの悲劇的な事件のときも、彼女はこの世界を拒むかと思ふと、次には又受け容れてゐた。
死も有為子にとつては、かりそめの事件であつたかもしれない。彼女が金剛院の渡殿に
残した血は、朝、窓をあけると同時に飛び翔つた蝶が、窓枠に残して行つた鱗粉のやうなものに
すぎなかつたのかもしれない。
三島由紀夫「金閣寺」より
349 :
無名草子さん:2010/12/15(水) 11:18:21
私の現実生活における行為は、人とはちがつて、いつも想像の忠実な模倣に終る傾きがある。
想像といふのは適当ではない。むしろ私の源の記憶と云ひかへるべきだ。人生でいづれ私が
味はふことになるあらゆる体験は、もつとも輝やかしい形で、あらかじめ体験されて
ゐるといふ感じを、私は拭ふことができない。かうした肉の行為にしても、私は思ひ出せぬ時と
場所で、(多分有為子と)、もつと烈しい、もつと身のしびれる官能の悦びをすでに
味はつてゐるやうな気がする。それがあらゆる快さの泉をなしてゐて、現実の快さは、
そこから一掬の水を頒けてもらふにすぎないのである。
たしかに遠い過去に、私はどこかで、比(なら)びない壮麗な夕焼けを見てしまつたやうな
気がする。その後に見る夕焼けが、多かれ少なかれ色褪せて見えるのは私の罪だらうか?
三島由紀夫「金閣寺」より
350 :
無名草子さん:2010/12/15(水) 11:24:14
寺のかへるさ、私は今宵の買物について考へた。心の躍るやうな買物である。
刃物と薬とを、私は万一あるべき死の仕度に買つたのであるが、新らしい家庭を持つ男が何か
生活の設計を立てて、買ふ品物はさもあらうかと思はれるほど、それは私の心を娯しませた。
寺へかへつてからも、その二つのものに見飽かなかつた。鞘を払つて、小刀の刃を舐めてみる。
刃はたちまち曇り、舌には明確な冷たさの果てに、遠い甘味が感じられた。甘みはこの
薄い鋼の奥から、到達できない鋼の実質から、かすかに照り映えてくるやうに舌に伝はつた。
こんな明確な形、こんなに深い海の藍に似た鉄の光沢、……それが唾液と共にいつまでも
舌先にまつはる清冽な甘みを持つてゐる。やがてその甘みも遠ざかる。私の肉が、いつか
この甘みの迸りに酔ふ日のことを、私は愉しく考へた。死の空は明るくて、生の空と
同じやうに思はれた。そして私は暗い考へを忘れた。この世には苦痛は存在しないのだ。
三島由紀夫「金閣寺」より
351 :
無名草子さん:2010/12/15(水) 11:35:27
……曇つた空からにじみ出た陽が、むしあつい靄のやうに古い町並に立ちこめてゐた。
汗はひそかに、私の背に突然冷たい糸を引いて流れた。大そう倦(だる)かつた。
菓子パンと私との関係。それは何だつたらう。行為に当面して精神がどれほど緊張と集中に
勇み立たうが、孤独なままに残された私の胃が、そこでもなほ、その孤独の保証を求める
だらうと私は予想してゐた。私の内蔵は、私のみすぼらしい、しかし決して馴れない飼犬の
やうに感じられた。私は知つてゐた。心がどんなに目ざめてゐようと、胃や腸や、これら
鈍感な臓器は、勝手になまぬるい日常性を夢みだすことを。
私は自分の胃が夢みるのを知つてゐた。菓子パンや最中を夢みるのを。私の精神が宝石を
夢みてゐるあひだも、それが頑なに、菓子パンや最中を夢みるのを。……いづれ菓子パンは、
私の犯罪を人々が無理にも理解しようと試みるとき、恰好な手がかりを提供するだらう。
人々は言ふだらう。『あいつは腹が減つてゐたのだ。何と人間的なことだらう!』
三島由紀夫「金閣寺」より
352 :
無名草子さん:2010/12/15(水) 11:54:35
禅海和尚はさうではなかつた。彼が見たまま感じたままを言つてゐることがよくわかつた。
彼は自分の単純な強い目に映る事物に、ことさら意味を求めたりすることはなかつた。
意味はあつてもよく、なくてもよい。そして和尚が何より私に偉大に感じられたのは、
ものを見、たとへば私を見るのに、和尚の目だけが見る特別のものに頼つて異を樹てようとは
せず、他人が見るであらうとほりに見てゐることであつた。和尚にとつては単なる主観的世界は
意味がなかつた。私は和尚の言はんとするところがわかり、徐々に安らぎを覚えた。
私が他人に平凡に見える限りにおいて、私は平凡なのであり、どんな異常な行為を敢てしようと、
私の平凡さは、箕に漉(こ)された米のやうに残つてゐるのだつた。
私はいつかしら自分の身を、和尚の前に立つてゐる静かな葉叢の小さな樹のやうに思ひ做した。
「人に見られるとほりに生きてゐればよろしいのでせうか」
「さうも行くまい。しかし変つたことを仕出かせば、又人はそのやうに見てくれるのぢや。
世間は忘れつぽいでな」
三島由紀夫「金閣寺」より
353 :
無名草子さん:2010/12/15(水) 11:57:37
「人の見てゐる私と、私の考へてゐる私と、どちらが持続してゐるのでせうか」
「どちらもすぐ途絶えるのぢや。むりやり思ひ込んで持続させても、いつかは又途絶えるのぢや。
汽車が走つてゐるあひだ、乗客は止つてをる。汽車が止ると、乗客はそこから歩き出さねば
ならん。走るのも途絶え、休息も途絶える。死は最後の休息ぢやさうなが、それだとて、
いつまで続くか知れたものではない」
「私を見抜いて下さい」とたうとう私は言つた。「私は、お考へのやうな人間ではありません。
私の本心を見抜いて下さい」
和尚は盃を含んで、私をじつと見た。雨に濡れた鹿苑寺の大きな黒い瓦屋根のやうな沈黙の
重みが私の上に在つた。私は戦慄した。急に和尚が、世にも晴朗な笑ひ声を立てたのである。
「見抜く必要はない。みんなお前の面上にあらはれてをる」
和尚はさう言つた。私は完全に、残る隈なく理解されたと感じた。私ははじめて空白になつた。
その空白をめがけて滲み入る水のやうに、行為の勇気が新鮮に湧き立つた。
三島由紀夫「金閣寺」より
354 :
無名草子さん:2010/12/15(水) 12:01:17
私は口のなかで吃つてみた。一つの言葉はいつものやうに、まるで袋の中へ手をつつこんで
探すとき、他のものに引つかかつてなかなか出て来ない品物さながら、さんざん私をじらして
唇の上に現はれた。私の内界の重さと濃密さは、あたかもこの今の夜のやうで、言葉は
その深い夜の井戸から重い釣瓶のやうに軋りながら昇つて来る。
『もうぢきだ。もう少しの辛抱だ』と私は思つた。『私の内界と外界との間のこの
錆びついた鍵がみごとにあくのだ。内界と外界は吹き抜けになり、風はそこを自在に
吹きかよふやうになるのだ。釣瓶はかるがると羽搏(はばた)かんばかりにあがり、
すべてが広大な野の姿で私の前にひらけ、密室は滅びるのだ。……それはもう目の前にある。
すれすれのところで、私の手はもう届かうとしてゐる。……』
私は幸福に充たされて、一時間も闇の中に坐つてゐた。生れてから、この時ほど幸福だつた
ことはなかつたやうな気がする。……突然私は闇から立上つた。
三島由紀夫「金閣寺」より
355 :
無名草子さん:2010/12/15(水) 12:05:32
そのとき私は最後の別れを告げるつもりで金閣のはうを眺めたのである。
金閣は雨夜の闇におぼめいてをり、その輪郭は定かではなかつた。それは黒々と、まるで
夜がそこに結晶してゐるかのやうに立つてゐた。瞳を凝らして見ると、三階の究竟頂に
いたつて俄かに細まるその構造や、法水院と潮音洞の細身の柱の林も辛うじて見えた。
しかし嘗てあのやうに私を感動させた細部は、ひと色の闇の中に融け去つてゐた。
が、私の美の思ひ出が強まるにつれ、この暗黒は恣まに幻を描くことのできる下地になつた。
この暗いうづくまつた形態のうちに、私が美と考へたものの全貌がひそんでゐた。
思ひ出の力で、美の細部はひとつひとつ闇の中からきらめき出し、きらめきは伝播して、
つひには昼とも夜ともつかぬふしぎな時の光りの下に、金閣は徐々にはつきりと目に見える
ものになつた。これほど完全に細緻な姿で、金閣がその隅々まできらめいて、私の眼前に
立ち現はれたことはない。私は盲人の視力をわがものにしたかのやうだ。
三島由紀夫「金閣寺」より
356 :
無名草子さん:2010/12/15(水) 12:42:22
そして美は、これら各部の争ひや矛盾、あらゆる破調を統括して、なほその上に君臨してゐた!
それは濃紺池の紙本に一字一字を的確に金泥で書きしるした納経のやうに、無明の長夜に
金泥で築かれた建築であつたが、美が金閣そのものであるのか、それとも美は金閣を包む
この虚無の夜と等質なものなのかわからなかつた。おそらく美はそのどちらでもあつた。
細部でもあり全体でもあり、金閣でもあり金閣を包む夜でもあつた。
細部の美はそれ自体不安に充たされてゐた。それは完全を夢みながら完結を知らず、次の美、
未知の美へとそそのかされてゐた。そして予兆は予兆につながり、一つ一つのここには
存在しない美の予兆が、いはば金閣の主題をなした。さうした予兆は、虚無の兆だつたのである。
虚無がこの美の構造だつたのだ。そこで美のこれらの細部の未完には、おのづと虚無の
予兆が含まれることになり、木割の細い繊細なこの建築は瓔珞(やうらく)が風に
ふるへるやうに、虚無の予感に慄へてゐた。
三島由紀夫「金閣寺」より
357 :
無名草子さん:2010/12/15(水) 12:45:42
その美しさは儔(たぐ)ひなかつた。そして私の甚だしい疲労がどこから来たかを私は
知つてゐた。美が最後の機会に又もやその力を揮つて、かつて何度となく私を襲つた無力感で
私を縛らうとしてゐるのである。私の手足は萎えた。今しがたまで行為の一歩手前にゐた私は、
そこから再びはるか遠く退いてゐた。
『私は行為の一歩手前まで準備したんだ』と私は呟いた。『行為そのものは完全に夢みられ、
私がその夢を完全に生きた以上、この上行為する必要があるだらうか。もはやそれは
無駄事ではあるまいか。
柏木の言つたことはおそらく本当だ。世界を変へるのは行為ではなくて認識だと彼は言つた。
そしてぎりぎりまで行為を模倣しようとする認識もあるのだ。私の認識もこの種のものだつた。
そして行為を本当に無効にするのもこの種の認識なのだ。してみると私の永い周到な準備は、
ひとへに、行為をしなくてもよいといふ最後の認識のためではなかつたか。
三島由紀夫「金閣寺」より
358 :
無名草子さん:2010/12/15(水) 12:48:26
見るがいい、今や行為は私にとつては一種の剰余物にすぎぬ。それは人生からはみ出し、
私の意志からはみ出し、別の冷たい機械のやうに、私の前に在つて始動を待つてゐる。
その行為と私とは、まるで縁もゆかりもないかのやうだ。ここまでが私であつて、
それから先は私ではないのだ。……何故私は敢て私でなくなろうとするのか』
金閣はなほ耀やいてゐた。あの「弱法師」の俊徳丸が見た日想観の景色のやうに。
俊徳丸は入日の影も舞ふ難波の海を、盲目の闇のなかに見たのであつた。曇りもなく、
淡路絵島、須磨明石、紀の海までも、夕日に照り映えてゐるのを見た。……
私の身は痺れたやうになり、しきりに涙が流れた。朝までこのままでゐて、人に発見されても
よかつた。私は一言も、弁疏の言葉を述べないだらう。
三島由紀夫「金閣寺」より
359 :
無名草子さん:2010/12/15(水) 12:52:12
……さて私は今まで永々と、幼時からの記憶の無力について述べて来たやうなものだが、
突然蘇つた記憶が起死回生の力をもたらすこともあるといふことを言はねばならぬ。
過去はわれわれを過去のはうへ引きずるばかりではない。過去の記憶の処々には、数こそ
少ないが、強い鋼の発条(ばね)があつて、それに現在のわれわれが触れると、発条は
たちまち伸びてわれわれを未来のはうへ弾き返すのである。
身は痺れたやうになりながら、心はどこかで記憶の中をまさぐつてゐた。何かの言葉が
うかんで消えた。心の手に届きさうにして、また隠れた。……その言葉が私を呼んでゐる。
おそらく私を鼓舞するために、私に近づかうとしてゐる。
言葉は私を、陥つてゐた無力から弾き出した。俄かに全身に力が溢れた。とはいへ、
心の一部は、これから私のやるべきことが徒爾だと執拗に告げてはゐたが、私の力は
無駄事を怖れなくなつた。徒爾であるから、私はやるべきであつた。
一ト仕事を終へて一服してゐる人がよくさう思ふやうに、生きようと私は思つた。
三島由紀夫「金閣寺」より
360 :
無名草子さん:2010/12/16(木) 11:22:41
窓の外に自動車の音がする。道の片側に残る雪を蹴立てるタイヤのきしみがきこえる。
近くの塀にクラクションが反響する。……さういふ音をきいてゐると、あひかはらず
忙しく往来してゐる社会の海の中に、ここだけは孤島のやうに屹立して感じられる。
自分が憂へる国は、この家のまはりに大きく雑然とひろがつてゐる。自分はそのために
身を捧げるのである。しかし自分が身を滅ぼしてまで諫めようとするその巨大な国は、
果してこの死に一顧を与へてくれるかどうかわからない。それでいいのである。ここは
華々しくない戦場、誰にも勲(いさを)しを示すことのできぬ戦場であり、魂の最前線だつた。
麗子が階段を上つて来る足音がする。古い家の急な階段はよくきしんだ。このきしみは懐しく、
何度となく中尉は寝床に待つてゐて、この甘美なきしみを聴いたのである。二度とこれを
聴くことがないと思ふと、彼は耳をそこに集中して、貴重な時間の一瞬一瞬を、その
柔らかい蹠が立てるきしみで隈なく充たさうと試みた。さうして時間は燦めきを放ち、
宝石のやうになつた。
三島由紀夫「憂国」より
361 :
無名草子さん:2010/12/16(木) 11:27:36
中尉の目の見るとほりを、唇が忠実になぞつて行つた。その高々と息づく乳房は、山桜の花の
蕾のやうな乳首を持ち、中尉の唇に含まれて固くなつた。胸の両脇からなだらかに流れ落ちる
腕の美しさ、それが帯びてゐる丸みがそのままに手首のはうへ細まつてゆく巧緻なすがた、
そしてその先には、かつて結婚式の日に扇を握つてゐた繊細な指があつた。指の一本一本は
中尉の唇の前で、羞らふやうにそれぞれの指のかげに隠れた。……胸から腹へと辿る天性の
自然な括れは、柔らかなままに弾んだ力をたわめてゐて、そこから腰へひろがる豊かな曲線の
予兆をなしながら、それなりに些かもだらしなさのない肉体の正しい規律のやうなものを
示してゐた。光りから遠く隔たつたその腹と腰の白さと豊かさは、大きな鉢に満々と
湛へられた乳のやうで、ひときは清らかな凹んだ臍は、そこに今し一粒の雨粒が強く
穿つた新鮮な跡のやうであつた。影の次第に濃く集まる部分に、毛はやさしく敏感に叢れ立ち、
香りの高い花の焦げるやうな匂ひは、今は静まつてはゐない体のとめどもない揺動と共に、
そのあたりに少しづつ高くなつた。
三島由紀夫「憂国」より
362 :
無名草子さん:2010/12/16(木) 11:37:45
麗子は良人のこの若々しく引き締つた腹、さかんな毛におほはれた謙虚な腹を見てゐるうちに、
ここがやがてむごたらしく切り裂かれるのを思つて、いとしさの余りそこに泣き伏して
接吻を浴びせた。
横たはつた中尉は自分の腹にそそがれる妻の涙を感じて、どんな劇烈な切腹の苦痛にも
堪へようといふ勇気を固めた。
かうした経緯を経て二人がどれほどの至上の歓びを味はつたかは言ふまでもあるまい。
中尉は雄々しく身を起し、悲しみと涙にぐつたりした妻の体を、力強い腕に抱きしめた。
二人は左右の頬を互ひちがひに狂ほしく触れ合はせた。麗子の体は慄へてゐた。汗に
濡れた胸と胸とはしつかりと貼り合はされ、二度と離れることは不可能に思はれるほど、
若い美しい肉体の隅々までが一つになつた。麗子は叫んだ。高みから奈落へ落ち、奈落から
翼を得て、又目くるめく高みへまで天翔つた。中尉は長駆する聯隊旗手のやうに喘いだ。
……そして、一トめぐりがをはると又たちまち情意に溢れて、二人はふたたび相携へて、
疲れるけしきもなく、一息に頂きへ登つて行つた。
三島由紀夫「憂国」より
363 :
無名草子さん:2010/12/16(木) 20:20:19
進み出る次郎の足取に、さはやかな覇気のあふれてゐるのを木内は読みとる。次郎の紺の袴は
風を孕み、擦り足の正しい波動を伝へて、まつすぐに動いてくる。
木内はかうして自分に立ち向つてくる若さを愛する。若さは礼儀正しく、しかも兇暴に
撃ちかかつて来て、老年はこちらにゐて、微笑しながら、じつと自信を以て身を衛る。
青年の、暴力を伴はない礼儀正しさはいやらしい。それは礼儀を伴はない暴力よりももつと悪い。
この同じ時間の枠のなかで、白髪を面に隠した老いと、赤い頬を面に隠した若さとが、
寓話的な簡素のうちに、はつきりと相手を敵とみとめる。それはまるで、こんぐらかつた、
余計な夾雑物にみちた人生を、将棋の簡浄な盤面に変へてしまつたかのやうだ。何もかも
漉(こ)してしまつたあとには、これだけが残る筈だ。すなはち或る日、はげしい夕陽のなかで、
老年と青年がきつぱり刃先を合せて対し合ふといふこと。
三島由紀夫「剣」より
364 :
無名草子さん:2010/12/16(木) 20:26:23
木内は何の支点にも支へられずに、ほとんど空中に浮んでゐる。
「ヤア!」
と次郎は烈しい気合をかけた。ぢりぢりと右へまはつた。
木内はどの角度から見ても同じ面をあらはす透明な角錐みたいに見える。そこにも入口がない。
さらに右へまはる。それから急激に左へまはる。そこにも入口がない。次郎は自分の
透明さに対する屈辱を感じる。
木内は彼のその焦燥のむかうでゆつたりと寝そべつてゐる。昼寝をしてゐる大きな藍いろの
猫みたいに。
次郎は隙をみつけることを断念する。自分の焦燥が相手の隙を自分の目に見せないのだらうと
感じる。相手の完璧さは完璧さの仮装であり、完璧さに化けてゐるのだ。この世に
完璧なものなんぞあらう筈はない。
次郎は次第に、身のまはりに薄氷(うすらひ)がはりつめてきて、それがいつかは身動きも
できなくなるほど、肩を肱を、しつかりと氷に閉ざしてしまふやうな
気がする。時を移せば移すほどさうなる。全身の力を爆発させて、その氷を破らなければならぬ。
三島由紀夫「剣」より
365 :
無名草子さん:2010/12/16(木) 20:30:21
次郎の面紐の紫が、あでやかに舞ひ上る。彼の力が伸びる。躍動と掛け声とが、
放鳩(はうきう)のやうに、押しこめられてゐた籠から、突然羽撃いて立つ。
そのすばらしい速度を縫つて、次郎の竹刀は一瞬のうちに摺り上げられ、彼の頭上には、
赤く灼けた鉄を撃ち下ろすやうに、木内の竹刀の物打がしたたかに落ちる。
反抗したり、軽蔑したり、時には自己嫌悪にかられたりする、柔かい心、感じ易い心は
みな捨てる。廉恥の心は持ちつづけてゐるべきだが、うぢうぢした羞恥心などはみな捨てる。
「……したい」などといふ心はみな捨てる。その代りに、「……すべきだ」といふことを
自分の基本原理にする。さうだ、本当にさうすべきだ。
生活のあらゆるものを剣に集中する。剣はひとつの、集中した澄んだ力の鋭い結晶だ。
精神と肉体が、とぎすまされて、光りの束をなして凝つたときに、それはおのづから
剣の形をとるのだ。
三島由紀夫「剣」より
366 :
無名草子さん:2010/12/16(木) 20:34:22
強く正しい者になることが、少年時代からの彼の一等大切な課題である。
少年のころ、一度、太陽と睨めつこをしようとしたことがある。見るか見ぬかの一瞬のうちの
変化だが、はじめそれは灼熱した赤い玉だつた。それが渦巻きはじめた。ぴたりと静まつた。
するとそれは蒼黒い、平べつたい、冷たい鉄の円盤になつた。彼は太陽の本質を見たと思つた。
……しばらくはいたるところに、太陽の白い残影を見た。叢にも。木立のかげにも。
目を移す青空のどの一隅にも。
それは正義だつた。眩しくてとても正視できないもの。そして、目に一度宿つたのちは、
そこかしこに見える光りの斑は、正義の残影だつた。
彼は強さを身につけ、正義を身に浴びたいと思つた。そんなことを考へてゐるのは、
世界中で自分一人のやうな気がした。それはすばらしく斬新な思想であつた。
三島由紀夫「剣」より
367 :
無名草子さん:2010/12/16(木) 20:38:44
「又かといふだらうが」と木内は、肘掛椅子に身を埋めたまま、両手で手拭を絞るやうな
所作をしながら、「剣は結局、手の内にはじまつて手の内に終るな。俺が三十五年、
剣道から学んだことはそれだけだつた。人間が本当に学んで会得することといふのは、
一生にたつた一つ、どんな小さいことでもいい。たつた一つあればいいんだ。
この手の内一つで、あんな竹細工のヤハな刀が、本当に生きもし、死にもする。これは
実にふしぎな面白いことだ。しかし一面から見れば、地球を廻転させる秘法を会得したのも
同じことだ、と俺は思ふんだよ。
むかしから、左手の握り具合は唐傘をさしたときと同じ、右手は丁度鷄卵を握つた気持、
といふんだが、いかなるときも左手に唐傘をさして右手に卵を握つてゐられるかね。
まあ実際にさうしてみてごらん。三十分もたてば、傘は放り出す、卵は握り潰す、といふのが
オチだらうからね」
幸福なんて男の持つべき考へぢやない。
三島由紀夫「剣」より
368 :
無名草子さん:2010/12/17(金) 20:06:11
アメリカ特有の匂ひ、衛生的な薬品の匂ひと甘いしつこい体臭とを五分五分にまぜあはせた
やうな匂ひが店内に充ちてゐた。ほとんど中年以上の女客が、濃い口紅を塗り、威丈高な
目つきをして、大きな菓子やオープン・サンドウヰッチと取り組んでゐた。これだけ
騒々しい店なのに、着飾つた一人一人の孤独な女たちの食慾にはひどくしめやかなものが
あつた。しめやかな、淋しい、沢山の消化器の儀式のやうだ。
三島由紀夫「魔法瓶」より
この世界の愚劣を癒やすためには、まづ、何か、愚劣の洗滌が要るのだ。藷たちが愚劣と
考へることの、一生けんめいの聖化が要るのだ。あいつらの信条、あいつらの商人的な
一生けんめいさをさへ真似をして。
とにかくジャックはもう治つたのだ。彼が自殺すれば、それと同時に、あのいぎたない
藷たちの世界も滅びるだらうと思つてゐたのはまちがひだつた。彼が意識を失つて病院へ
運ばれ、やがて意識を取り戻してまはりを見廻したとき、藷たちの世界は依然いきいきとして
彼を取巻いてゐた。……あいつらが不治ならば、こつちが治つてやるほかはない。
三島由紀夫「葡萄パン」より
369 :
無名草子さん:2010/12/17(金) 20:07:23
雅子の涙の豊富なことは、本当に愕くのほかはない。どの瞬間も、同じ水圧、同じ水量を
割ることがないのである。明男は疲れて、目を落して、椅子に立てかけた自分の雨傘の末を見た。
古風なタイルのモザイクの床に、傘の末から黒つぽい雨水が小さな水溜りを作つてゐた。
明男はそれも、雅子の涙のやうな気がした。
彼は突然、勘定書をつかんで立上つた。
一見、大噴柱は、水の作り成した彫塑のやうに、きちんと身じまひを正して、静止して
ゐるかのやうである。しかし目を凝らすと、その柱のなかに、たえず下方から上方へ
馳せ昇つてゆく透明な運動の霊が見える。それは一つの棒状の空間を、下から上へ凄い速度で
順々に充たしてゆき、一瞬毎に、今欠けたものを補つて、たえず同じ充実を保つてゐる。
それは結局天の高みで挫折することがわかつてゐるのだが、こんなにたえまのない挫折を
支へてゐる力の持続は、すばらしい。
三島由紀夫「雨のなかの噴水」より
370 :
無名草子さん:2010/12/18(土) 15:59:17
すべては孔雀のせゐなのだつた! あれは実に無意味な豪奢を具へた鳥で、その羽根の
きらめく緑が、熱帯の陽に映える森の輝きに対する保護色だなどといふ生物学的説明は、
何ものをも説き明しはしない。孔雀といふ鳥の創造は自然の虚栄心であつて、こんなに無用に
きらびやかなものは、自然にとつて本来必要であつた筈はない。創造の倦怠のはてに、
目的もあり効用もある生物の種々さまざまな発明のはてに、孔雀はおそらく、一個の
もつとも無益な観念が形をとつてあらはれたものにちがひない。そのやうな豪奢は、多分
創造の最後の日、空いつぱいの多彩な夕映えの中で創り出され、虚無に耐へ、来るべき闇に
耐へるために、闇の無意味をあらかじめ色彩と光輝に翻訳して鏤(ちりば)めておいた
ものなのだ。だから孔雀の輝く羽根の紋様の一つ一つは、夜の濃い闇を構成する諸要素と
厳密に照合してゐる筈だ。
三島由紀夫「孔雀」より
371 :
無名草子さん:2010/12/18(土) 16:04:35
上尾筒には灰と茶の貝殻のやうな紋様が重なつてをり、それはあたかも、多くの貝を
引きずつた長い海藻を束ねたかに見えた。しなやかでこんもりした体躯。すべてが尾へ向つて
流れる羽毛の、一分の隙もない秩序。……それらが孔雀に、緑光を放つてふくらむ川を
断ち切つたやうな形を与へてゐたが、いふまでもなく、その川は、エメラルドの河床を
流れる瀬が日を浴びた姿であつて、煌く川面は日光の激しい圧迫と河床の緑柱石の烈しい
矜持との間に立ち、その燦たる緑の表面自体が、はかりしれぬ財産の反映であり、又、
反映にすぎなかつた。
『俺の美は、何といふひつそりとした速度で、何といふ不気味なのろさで、俺の指の間から
辷り落ちてしまつたことだらう。俺は一体何の罪を犯してかうなつたのか。自分も知らない
罪といふものがあるのだらうか。たとへば、さめると同時に忘れられる、夢のなかの
罪のほかには』
三島由紀夫「孔雀」より
372 :
無名草子さん:2010/12/18(土) 18:01:25
人間が或る限度以上に物事を究めようとするときに、つひにはその人間と対象とのあひだに
一種の相互転換が起り、人間は異形に化するのかもしれない。
時代がどうあらうと、社会がどうあらうと、美しい景色を見て美しい歌を作れ、といふ考へを
支へるには、女なら門院のやうな富と権勢、男なら梃でも動かない強い思想、といふものが
必要なのではないだらうか。
人間の醜い慾の争ひをこえてまで顕現する美は、あるひは勝利者の側にはあらはれず、
敗北者や滅びゆく者の側にだけこつそりと姿を現はすのかもしれない。
誰の身の上にも、その人間にふさはしい事件しか起らない。
三島由紀夫「三熊野詣」より
大体無教育な人間にむかつても、相手に準じて程度を下げた会話をしないといふ私の流儀は、
人から厭味に思はれたことも屡々だが、私は私で自分の流儀の正しさを信じてゐる。
それは却つて相手の胸襟を容易に披かせ、その中に思ひがけない共通の知識を発見させて
喜ばせることもできるのだ。
三島由紀夫「月澹荘綺譚」より
373 :
無名草子さん:2010/12/19(日) 19:35:41
……今、四海必ずしも波穏やかならねど、
日の本のやまとの国は
鼓腹撃壌(こふくげきじやう)の世をば現じ
御仁徳の下(もと)、平和は世にみちみち
人ら泰平のゆるき微笑みに顔見交はし
利害は錯綜し、敵味方も相結び、
外国(とつくに)の金銭は人らを走らせ
もはや戦ひを欲せざる者は卑劣をも愛し、
邪まなる戦(いくさ)のみ陰にはびこり
夫婦朋友も信ずる能(あた)はず
いつはりの人間主義をたつきの糧となし
偽善の団欒は世をおほひ
力は貶(へん)せられ、肉は蔑(なみ)され、
若人らは咽喉元をしめつけられつつ
怠惰と麻薬と闘争に
かつまた望みなき小志の道へ
羊のごとく歩みを揃へ、
快楽もその実を失ひ、信義もその力を喪ひ、
魂は悉(ことごと)く腐蝕せられ
年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をば、
道徳の名の下に天下にひろげ
真実はおほひかくされ、真情は病み、
道ゆく人の足は希望に躍ることかつてなく
なべてに痴呆の笑ひは浸潤し
魂の死は行人の顔に透かし見られ、
よろこびも悲しみも須臾(しゆゆ)にして去り
三島由紀夫「英霊の声」より
374 :
無名草子さん:2010/12/19(日) 19:39:09
清純は商はれ、淫蕩は衰へ、
ただ金(かね)よ金よと思ひめぐらせば
人の値打は金よりも卑しくなりゆき、
世に背く者は背く者の流派に、
生(なま)かしこげの安住の宿りを営み、
世に時めく者は自己満足の
いぎたなき鼻孔をふくらませ、
ふたたび衰へたる美は天下を風靡し
陋劣(ろうれつ)なる真実のみ真実と呼ばれ、
車は繁殖し、愚かしき速度は魂を寸断し、
大ビルは建てども大義は崩壊し
その窓々は欲求不満の蛍光灯に輝き渡り、
朝な朝な昇る日はスモッグに曇り
感情は鈍磨し、鋭角は磨滅し、
烈しきもの、雄々しき魂は地を払ふ。
血潮はことごとく汚れて平和に澱み
ほとばしる清き血潮は涸れ果てぬ。
天翔(あまが)けるものは翼を折られ
不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑(あざわら)ふ。
かかる日に、
などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし
三島由紀夫「英霊の声」より
375 :
無名草子さん:2010/12/19(日) 20:56:23
この日本をめぐる海には、なほ血が経めぐつてゐる。かつて無数の若者の流した血が海の
潮(うしほ)の核心をなしてゐる。それを見たことがあるか。月夜の海上に、われらは
ありありと見る。徒(あだ)に流された血がそのとき黒潮を血の色に変へ、赤い潮は唸り、
喚(おら)び、猛き獣のごとくこの小さい島国のまはりを彷徨し、悲しげに吼える姿を。
それを見ることがわれらの神遊びなのだ。手を束(つか)ねてただ見守ることがわれらの
遊びなのだ。かなた、日本本土は、夜も尽きぬ灯火の集団のいくつかを海上に泛(うか)ばせ、
熔鉱炉の焔は夜空を舐めてゐる。あそこには一億の民が寝息を立て、あるひはわれらの
知らなかつた、冷たい飽き果てた快楽に褥(しとね)を濡らしてゐる。
あれが見えるか。
われらがその真姿を顕現しようとした国体はすでに踏みにじられ、国体なき日本は、
かしこに浮標(ブイ)のやうに心もとなげに浮んでゐる。
あれが見えるか。
三島由紀夫「英霊の声」より
376 :
無名草子さん:2010/12/19(日) 21:00:49
われらには、死んですべてがわかつた。死んで今や、われらの言葉を禁(とど)める力は
何一つない。われらはすべてを言ふ資格がある。何故ならわれらは、まごころの血を
流したからだ。
今ふたたび、刑場へ赴く途中、一大尉が叫んだ言葉が胸によみがへる。
『皆死んだら血のついたまま、天皇陛下のところに行くぞ。而(しかう)して死んでも
大君の為に尽すんだぞ。天皇陛下万歳。大日本帝国万歳』
そして死んだわれらは天皇陛下のところへ行つたか? われらの語らうと思ふことは
そのことだ。すべてを知つた今、神語りに語らうと思ふのはそのことだ。
しかしまづ、われらは恋について語るだらう。あの恋のはげしさと、あの恋の至純について
語るだらう。
大演習の黄塵のかなた、天皇旗のひらめく下に、白馬に跨られた大元帥陛下の御姿は、遠く
小さく、われらがそのために死すべき現人神のおん形として、われらが心に焼きつけられた。
神は遠く、小さく、美しく、清らかに光つてゐた。われらが賜はつた軍帽の徴章の星を
そのままに。
三島由紀夫「英霊の声」より
377 :
無名草子さん:2010/12/19(日) 21:06:07
われらが国体とは心と血のつながり、片恋のありえぬ恋闕(れんけつ)の劇烈なよろこび
なのだ。さればわれらの目に、はるか陛下は、醜き怪獣どもに幽閉されておはします、
清らにも淋しい囚はれの御身と映つた。
われらはつひに義兵を挙げた。思ひみよ。その雪の日に、わが歴史の奥底にひそむ維新の力は、
大君と民草、神と人、十善の御位にましますおん方と忠勇の若者との、稀なる対話を
用意してゐた。
思ひみよ。
そのとき玉穂なす瑞穂の国は荒蕪の地と化し、民は餓ゑに泣き、女児は売られ、大君の
しろしめす王土は死に充ちてゐた。神々は神謀りに謀りたまひ、わが歴史の井戸のもつとも
清らかな水を汲み上げ、それをわれらが頭(かうべ)に注いで、荒地に身を伏して泣く
蒼氓に代らしめ、現人神との対話をひそかに用意された。そのときこそ神国は顕現し、
狭蠅なすまがつびどもは吹き払はれ、わが国体は水晶のごとく澄み渡り、国には至福が
漲る筈だつた。
三島由紀夫「英霊の声」より
378 :
無名草子さん:2010/12/20(月) 10:29:06
われらは陛下が、われらをかくも憎みたまうたことを、お咎めする術とてない。
しかし叛逆の徒とは! 叛乱とは! 国体を明らかにせんための義軍をば、叛乱軍と呼ばせて
死なしむる、その大御心に御仁慈はつゆほどもなかりしか。
こは神としてのみ心ならず、
人として暴を憎みたまひしなり。
鳳輦(ほうれん)に侍するはことごとく賢者にして
道のべにひれ伏す愚かしき者の
血の叫びにこもる神への呼びかけは
つひに天聴に達することなく、
陛下は人として見捨てたまへり、
かの暗澹たる広大なる貧困と
青年士官らの愚かなる赤心を。
わが古き神話のむかしより
大地の精の血の叫び声を凝り成したる
素戔嗚尊(すさのをのみこと)は容れられず、
聖域に馬の生皮を投げ込みしとき
神のみ怒りに触れて国を逐(お)はれき。
このいと醇乎たる荒魂より
人として陛下は面をそむけ玉ひぬ。
などてすめろぎは人間となりたまひし
三島由紀夫「英霊の声」より
379 :
無名草子さん:2010/12/20(月) 10:37:47
われらは最後の神風たらんと望んだ。神風とは誰が名付けたのか。それは人の世の仕組が
破局にをはり、望みはことごとく絶え、滅亡の兆はすでに軒の燕のやうに、わがもの顔に
人々のあひだをすりぬけて飛び交はし、頭上には、ただこの近づく滅尽争を見守るための
精麗な青空の目がひろがつてゐるとき、……突然、さうだ、考へられるかぎり非合理に、
人間の思考や精神、それら人間的なもの一切をさはやかに侮蔑して、吹き起つてくる救済の
風なのだ。わかるか。それこそは神風なのだ。
われらは兄神のやうな、死の恋の熱情の焔は持たぬ。われらはそもそも絶望から生れ、
死は確実に予定され、その死こそ『御馬前の討死』に他ならず、陛下は畏れ多くも、
おん悲しみと共にわれらの死を喜納される。それはもう決まつてゐる。われらには恋の
飢渇はなかつた。
われらの熱情は技術者の冷静と組み合はされ、われら自身の死の有効度のための、精密な
計算に費やされてゐた。われらは自分の死を秤にかけ、あらゆる偶然の生を排して、その
こまかい数値をも、あらかじめ確実に知らうとしてゐた。
三島由紀夫「英霊の声」より
380 :
無名草子さん:2010/12/20(月) 10:42:31
われらはもはや神秘を信じない。自ら神風となること、自ら神秘となることとは、さういふ
ことだ。人をしてわれらの中に、何ものかを祈念させ、何ものかを信じさせることだ。
その具現がわれらの死なのだ。
しかしわれら自身が神秘であり、われら自身が生ける神であるならば、陛下こそ神であらねば
ならぬ。神の階梯のいと高いところに、神としての陛下が輝いてゐて下さらなくてはならぬ。
そこにわれらの不滅の根源があり、われらの死の栄光の根源があり、われらと歴史とを
つなぐ唯一条の糸があるからだ。そして陛下は決して、人の情と涙によつて、われらの死を
救はうとなさつたり、われらの死を妨げようとなさつてはならぬ。神のみが、このやうな
非合理な死、青春のこのやうな壮麗な屠殺によつて、われらの生粋の悲劇を成就させて
くれるであらうからだ。さうでなければ、われらの死は、愚かな犠牲にすぎなくなるだらう。
われらは戦士ではなく、闘技場の剣士に成り下るだらう。神の死ではなくて、奴隷の死を
死ぬことになるだらう。……
三島由紀夫「英霊の声」より
381 :
無名草子さん:2010/12/20(月) 10:47:18
……かくてわれらは死後、祖国の敗北を霊界からまざまざと眺めてゐた。
今こそわれらは、兄神たちの嘆きを、我が身によそへて、深く感ることができた。兄神たちが
あのとき、吹かせようと切に望んだものも亦、神風であつたことを。
あのとき、至純の心が吹かせようとした神風は吹かなかつた。何故だらう。あのときこそ、
神風が吹き、草木はなびき、血は浄められ、水晶のやうな国体が出現する筈だつた。
又われらが、絶望的な状況において、身をなげうつて、吹かせようとした神風も吹かなかつた。
何故だらう。
日本の現代において、もし神風が吹くとすれば、兄神たちのあの蹶起の時と、われらの
あの進撃の時と、二つの時しかなかつた。その二度の時を措いて、まことに神風が吹き起り、
この国が神国であることを、自ら証する時はなかつた。そして、二度とも、実に二度とも、
神風はつひに吹かなかつた。
何故だらう。
われらは神界に住むこと新らしく、なほその謎が解けなかつた。
三島由紀夫「英霊の声」より
382 :
無名草子さん:2010/12/20(月) 10:52:07
月の押し照る海上を眺め、わが肉体がみぢんに砕け散つたあたりをつらつら見ても、なぜ
あのとき、あのやうな人間の至純の力が、神風を呼ばなかつたかはわからなかつた。
曇り空の一角がほのかに破れて、青空の片鱗が顔をのぞかすやうに、たしかにこの暗い人間の
歴史のうちにたつた二度だけ、神の厳(いつく)しきお顔が地上をのぞかれたことがある。
しかし、神風は吹かなかつた。そして一群の若者は十字架に縛されて射たれ、一群の若者は
たちまち玩具に堕する勲章で墓標を飾られた。何故だらう。
兄神たちも、われらも、一つの、おそろしい、むなしい、みぢんに砕ける大きな玻璃(はり)の
器の終末を意味してゐた。われらがのぞんだ栄光の代りに、われらは一つの終末として
記憶された。われらこそ暁、われらこそ曙光、われらこそ端緒であることを切望したのに。
何故だらう。
何故われらは、この若さを以て、この力を以て、この至純を以て、不吉な終末の神に
なつたのだらう。曙光でありたいと冀(ねが)ひながら、荒野のはてに、黄ばんだ一線に
なつて横たはる、夕日の最後の残光になつたのだらう。
三島由紀夫「英霊の声」より
383 :
無名草子さん:2010/12/20(月) 10:56:46
かくて幣原は、改めて陛下の御内意を伺ひ、陛下御自身の御意志によつて、それが
出されることになつた。
幣原は、自ら言ふやうに『日本よりもむしろ外国の人達に印象を与へたいといふ気持が
強かつたものだから、まづ英文で起草』したのである。
……今われらは強ひて怒りを抑へて物語らう。
われらは神界から逐一を見守つてゐたが、この『人間宣言』には、明らかに天皇御自身の
御意志が含まれてゐた。天皇御自身に、
『実は朕は人間である』
と仰せ出されたいお気持が、積年に亘つて、ふりつもる雪のやうに重みを加へてゐた。
それが大御心であつたのである。
忠勇たる将兵が、神の下された開戦の詔勅によつて死に、さしもの戦ひも、神の下された
終戦の詔勅によつて、一瞬にして静まつたわづか半歳あとに、陛下は、
『実は朕は人間であつた』
と仰せ出されたのである。われらが神なる天皇のために、身を弾丸となして敵艦に命中させた、
そのわづか一年あとに……。
あの『何故か』が、われらには徐々にわかつてきた。
三島由紀夫「英霊の声」より
384 :
無名草子さん:2010/12/20(月) 11:00:30
陛下の御誠実は疑ひがない。陛下御自身が、実は人間であつたと仰せ出される以上、その
お言葉にいつはりのあらう筈はない。高御座にのぼりましてこのかた、陛下はずつと人間で
あらせられた。あの暗い世に、一つかみの老臣どものほかには友とてなく、たつた
お孤(ひと)りで、あらゆる辛苦をお忍びになりつつ、陛下は人間であらせられた。
清らかに、小さく光る人間であらせられた。
それはよい。誰が陛下をお咎めすることができよう。
だが、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだつた。何と云はうか、
人間としての義務(つとめ)において、神であらせられるべきだつた。この二度だけは、
陛下は人間であらせられるその深度のきはみにおいて、正に、神であらせられるべきだつた。
それを二度とも陛下は逸したまうた。もつとも神であらせられるべき時に、人間に
ましましたのだ。
三島由紀夫「英霊の声」より
385 :
無名草子さん:2010/12/20(月) 11:04:02
一度は兄神たちの蹶起の時、一度はわれらの死のあと、国の敗れたあとの時である。
歴史に『もし』は愚かしい。しかし、もしこの二度のときに、陛下が決然と神にましましたら、
あのやうな虚しい悲劇は防がれ、このやうな虚しい幸福は防がれたであらう。
この二度のとき、この二度のとき、陛下は人間であらせられることにより、一度は軍の魂を
失はせ玉ひ、二度目は国の魂を失はせ玉うた。
御聖代は二つの色に染め分けられ、血みどろの色は敗戦に終り、ものうき灰いろはその日から
はじまつてゐる。御聖代が真に血にまみれたるは、兄神たちの至誠を見捨てたまうたその日に
はじまり、御聖代がうつろなる灰に充たされたるは、人間宣言を下されし日にはじまつた。
すべて過ぎ来しことを『架空なる観念』と呼びなし玉うた日にはじまつた。
われらの死の不滅は涜された。……
三島由紀夫「英霊の声」より
386 :
無名草子さん:2010/12/20(月) 11:08:18
「ああ、ああ、嘆かはし、憤ろし」
「ああ」
「ああ」
「そもそも、綸言(りんげん)汗のごとし、とは、いづこの言葉でありますか」
「神なれば勅により死に、神なれば勅により軍を納める。そのお力は天皇おん個人の
お力にあらず、皇祖皇宗のお力でありますぞ」
「ああ」
「ああ」
「もしすぎし世が架空であり、今の世が現実であるならば、死したる者のため、何ゆゑ
陛下ただ御一人は、辛く苦しき架空を護らせ玉はざりしか」
「陛下がただ人間(ひと)と仰せ出されしとき
神のために死したる霊は名を剥脱せられ
祭らるべき社(やしろ)もなく
今もなほうつろなる胸より血潮を流し
神界にありながら安らひはあらず」
三島由紀夫「英霊の声」より
387 :
無名草子さん:2010/12/20(月) 11:12:55
日本の敗れたるはよし
農地の改革せられたるはよし
社会主義的改革も行はるるがよし
わが祖国は敗れたれば
敗れたる負目を悉く肩に荷ふはよし
わが国民はよく負荷に耐へ
試練をくぐりてなほ力あり。
屈辱を嘗めしはよし、
抗すべからざる要求を潔く受け容れしはよし、
されど、ただ一つ、ただ一つ、
いかなる強制、いかなる弾圧、
いかなる死の脅迫ありとても、
陛下は人間(ひと)なりと仰せらるべからざりし。
世のそしり、人の侮りを受けつつ、
ただ陛下御一人(ごいちにん)、神として御身を保たせ玉ひ、
そを架空、そをいつはりとはゆめ宣(のたま)はず、
(たとひみ心の裡深く、さなりと思すとも)
祭服に玉体を包み、夜昼おぼろげに
宮中賢所のなほ奥深く
皇祖皇宗のおんみたまの前にぬかづき、
神のおんために死したる者らの霊を祭りて
ただ斎き、ただ祈りてましまさば、
何ほどか尊かりしならん。
などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。
などてすめろぎは人間となりたまひし。
などてすめろぎは人間となりたまひし。
三島由紀夫「英霊の声」より
388 :
無名草子さん:2010/12/20(月) 18:10:01
小説を書いて世に売るといふのは、いかにも異様な、危険な職業だといふことを、私は時折
感ぜずにはゐられない。私は言葉を通じて、何を人の心へ放射してゐるのであらうか?
芸術家にはたしかに、酒を売る人に似たところがある。彼の作品には酒精分が必要であり、
酒精分を含まぬ飲料を売ることは、彼の職業を自ら冒涜するやうなものである。つまり
酩酊を売るのである。正常な人間は、それが酒であることを知つて買ひ、一夜の酔をたのしみ、
酔が醒めれば我に返る。しかし、かういふことがありうる。酒と知らずに、有益な飲料だと
思つて買つて、その結果、馴れない酒のために悪酔をするといふこと。あるひは、はじめから、
正常でない人間がこれを買つて、一定の酒精分からは思ひもかけないほどの怖ろしい結果を
惹き起すこと。……
小説を読むことは孤独な作業であり、小説を書くことも孤独な作業である。活字を介して、
われわれの孤独が、見も知らぬ他人の孤独の中へしみ入つてゆく。
三島由紀夫「荒野より」より
389 :
無名草子さん:2010/12/20(月) 18:11:09
あいつが机の抽斗(ひきだし)をあければ、そこからも孤独がすぐ顔をのぞかせた。そして
孤独と共に、そこにはいつも私がゐたのだ。
――一体、あいつはどこから来たのだらう。警官はもちろん私にあいつの住所などを
告げなかつた。
しかし、だんだんに私には、あいつがどこから来たのか、その方角がわかるやうな気が
しはじめた。あいつは私の心から来たのである。私の観念の世界から来たのである。
あいつが私の影であり、私の谺(こだま)であるのは確かなことだが、私の心はといへば、
あいつの考へるほど一色ではなかつた。小説家の心は広大で、飛行場もあれば、中央停車場も
ある。中央駅を囲んで道路は四通八達し、ビル街もあれば、商店街もある。並木路もあれば、
住宅地域もある。郊外電車もあれば、団地もある。野球場もあれば、劇場もある。そして
その片隅のどんな細径も私は諳んじてをり、私の心の地図はつねづね丹念に折り畳まれて
しまつてゐる。
三島由紀夫「荒野より」より
390 :
無名草子さん:2010/12/20(月) 18:12:29
しかしその地図は、私がふだん閑却してゐる広大な地域について、何ら誌すところがない。
私はその地域を閑却し、そこへ目を向けないやうにして暮してゐるが、その所在は否定できない。
それは私の心の都会を取り囲んでゐる広大な荒野である。私の心の一部にはちがひないが、
地図には誌されぬ未開拓の荒れ果てた地方である。そこは見渡すかぎり荒涼としてをり、
繁る樹木もなければ生ひ立つ草花もない。ところどころに露出した岩の上を風が吹きすぎ、
砂でかすかに岩のおもてをまぶして、又運び去る。私はその荒野の所在を知りながら、
つひぞ足を向けずにゐるが、いつかそこを訪れたことがあり、又いつか再び、訪れなければ
ならぬことを知つてゐる。
明らかに、あいつはその荒野から来たのである。……
その意味は解せぬが、あいつは私に、本当のことを話せ、と言つた。そこで私は、
本当のことを話した。
三島由紀夫「荒野より」より
391 :
無名草子さん:2010/12/21(火) 20:21:55
追憶は「現在」のもつとも清純な証なのだ。愛だとかそれから献身だとか、そんな現実に
おくためにはあまりに清純すぎるやうな感情は、追憶なしにはそれを占つたり、それに
正しい意味を索(もと)めたりすることはできはしないのだ。それは落葉をかきわけて
さがした泉が、はじめて青空をうつすやうなものである。泉のうへにおちちらばつて
ゐたところで、落葉たちは決して空を映すことはできないのだから。
わたしたちには実におほぜいの祖先がゐる。かれらはちやうど美しい憧れのやうに
わたしたちのなかに住まふこともあれば、歯がゆく、きびしい距離のむかうに立つてゐる
こともすくなくない。
祖先はしばしば、ふしぎな方法でわれわれと邂逅する。ひとはそれを疑ふかもしれない。
だがそれは真実なのだ。
三島由紀夫「花ざかりの森」より
392 :
無名草子さん:2010/12/21(火) 20:38:16
今日、祖先たちはわたしどもの心臓があまりにさまざまのもので囲まれてゐるので、
そのなかに住ひを索めることができない。かれらはかなしさうに、そはそはと時計のやうに
そのまはりをまはつてゐる。こんなにも厳しいものと美しいものとが離ればなれになつて
しまつた時代を、かれらは夢みることさへできなかつた。いま、かれらは、天と地がはじめて
別れあつた日のやうなこの別離を、心から哀しがつてゐる。厳しいものはもう粗鬆な
雑ぱくな岩石の性質をそなへてゐるにすぎない。それからまた、美は秀麗な奔馬である。
かつて霧ふりそそぐ朝のそらにむかつて、たけだけしく嘶くまゝに、それはじつと制せられ
抑へられてゐた。そんな時だけ、馬は無垢でたぐひなくやさしかつた。
真の矜恃はたけだけしくない。それは若笹のやうに小心だ。そんな自信や確信のなさを、
またしてもひとびとは非難するかもしれぬ。しかしいとも高貴なものはいとも強いものから、
すなはちこの世にある限りにおいて小さく、いうに美しいものから生れてくる。
三島由紀夫16歳「花ざかりの森」より
393 :
無名草子さん:2010/12/21(火) 20:41:22
わたしはわたしの憧れの在処を知つてゐる。憧れはちやうど川のやうなものだ。川の
どの部分が川なのではない。なぜなら川はながれるから。きのふ川であつたものは
けふ川ではない。だが川は永遠にある。ひとはそれを指呼することができる。それについて
語ることはできない。わたしの憧れもちやうどこのやうなものだ、そして祖先たちのそれも。
ああ、あの川。わたしにはそれが解る。祖先たちからわたしにつづいたこのひとつの黙契。
その憧れはあるところでひそみ或るところで隠れてゐる。だが、死んでゐるのではない。
古い籬(まがき)の薔薇が、けふ尚生きてゐるやうに。祖母と母において、川は地下を
ながれた。父において、それはせせらぎになつた。わたしにおいて、――ああそれが
滔々とした大川にならないでなににならう、綾織るものゝやうに、神の祝唄(ほぎうた)のやうに。
三島由紀夫16歳「花ざかりの森」より
394 :
無名草子さん:2010/12/21(火) 20:49:52
そこからは旧い町並がひとめにみわたされた。町のあちらに疎らな影絵の松林がみえ、
海が、うつくしく盆盤にたたへたやうにしづかに光つてゐた。小手鞠の花のやうなものが
二つ三つちらばつてゆるやかに移つてゆくとみえたのは白帆であつた。
老婦人は毅然としてゐた。白髪がこころもちたゆたうてゐる。おだやかな銀いろの縁をかがつて。
じつとだまつてたつたまま、……ああ涙ぐんでゐるのか。祈つてゐるのか。それすら
わからない。……
まらうどはふとふりむいて、風にゆれさわぐ樫の高みが、さあーつと退いてゆく際に、
眩ゆくのぞかれるまつ白な空をながめた。なぜともしれぬいらだたしい不安に胸がせまつて。
「死」にとなりあはせのやうにまらうどは感じたかもしれない、生(いのち)がきはまつて
独楽(こま)の澄むやうな静謐、いはば死に似た静謐ととなりあはせに。……
三島由紀夫16歳「花ざかりの森」より
395 :
無名草子さん:2010/12/22(水) 16:32:56
苦悩や青春の焦燥を恥ぢるあまり、それを告白せぬことに馴れてしまつて、かれらは極度に
ストイックになつた。かれらは歯を喰ひしばつてゐた。実に愉しげな顔をして。この世に
苦悩などといふものの存在することを、絶対に信じないふりをしなくてはならぬ。白を
切りとほさなくてはならぬ。
あの一面の焼野原の広大なすがすがしい光りをいつまでもおぼえてゐて、過去の記憶に
照らして現在の街を眺めてゐる。きつとさうだ。……君は今すつかり修復された冷たい
コンクリートの道を歩きながら、足の下に灼けただれた土地の燠の火照りを感じなくては、
どことなく物足らず、新築のモダンな硝子張りのビルの中にも、焼跡に生えてゐた
たんぽぽの花を透視しなくては、淋しいにちがひない。でも君の好きなのはもう過去のものと
なつた破滅で、君には、その破滅を破滅のままに、手塩にかけて育て、洗ひ上げ、
完成したといふ誇りがある筈だ。
世界が必ず滅びるといふ確信がなかつたら、どうやつて生きてゆくことができるだらう。
三島由紀夫「鏡子の家」より
396 :
無名草子さん:2010/12/22(水) 16:36:20
「…君は過去の世界崩壊を夢み、俺は未来の世界崩壊を予知してゐる。さうしてその二つの
世界崩壊のあひだに、現在がちびりちびりと生き延びてゐる。その生き延び方は、卑怯で
しぶとくて、おそろしく無神経で、ひつきりなしにわれわれに、それが永久につづき永久に
生き延びるやうな幻影を抱かせるんだ。幻影はだんだんにひろまり、万人を麻痺させて、
今では現実と夢との堺目がなくなつたばかりか、この幻影のはうが現実だと、みんな思ひ
込んでしまつたんだ」
「あなただけがそれを幻影だと知つてゐるから、だから平気で嚥み込めるわけなのね」
「さうだよ。俺は本当の現実は、『崩壊寸前の世界』だといふことを知つてゐるから」
「どうして知つたの?」
「俺には見えるんだ。一寸目を据ゑて見れば、誰にも自分の行動の根拠が見えるんだよ。
ただ誰もそれを見ようとしないだけなんだ。俺にはそれを見る勇気があるし、それより先に、
俺の目にありありと見えて来るんだから仕方ない。遠い時計台の時計の針が、はつきり
見えてしまふみたいに」
三島由紀夫「鏡子の家」より
397 :
無名草子さん:2010/12/22(水) 16:45:14
詩才の欠如は人の信用を博する早道である。
どんなに辛苦を重ねても、浅い夢しか見ない人は浅い生をしか生きることができない。
狂人がある程度自分を狂人だと知つてゐるやうに、嫌はれるタイプの男は、ある程度、自分が
嫌はれることを知つてゐるのだが、狂人がさういふ自己認識にすこしも煩はされないやうに、
嫌はれてゐるといふ認識にすこしも煩はされないことが、嫌はれ型の真個の特質なのである。
人体でもつとも微妙なものは筋肉なのである!
思想は筋肉のやうに明瞭でなければならぬ。内面の闇に埋もれたあいまいな形をした
思想などよりも、筋肉が思想を代行したはうがはるかにましである。なぜなら筋肉は厳密に
個人に属しつつ、感情よりもずつと普遍的である点で、言葉に似てゐるけれど、言葉よりも
ずつと明晰である点で、言葉よりもすぐれた「思想の媒体」なのである。
三島由紀夫「鏡子の家」より
『僕は詩人の顔と闘牛士の体とを持ちたい』と切に思つた。素朴さ、荒々しさ、野蛮、
などの支へが今の自分にすつかり欠けてゐるのを知つた。真に抒情的なものは、詩人の
面立(おもだち)と闘牛士の肉体との、稀な結合からだけしか生れないだらう。
今ただ一つたしかなことは、巨きな壁があり、その壁に鼻を突きつけて、四人が立つて
ゐるといふことなのである。
『俺はその壁をぶち割つてやるんだ』と峻吉は拳を握つて思つてゐた。
『俺はその壁を鏡に変へてしまふだらう』と収は怠惰な気持で思つた。
『俺はとにかくその壁に描くんだ。壁が風景や花々の壁画に変つてしまへば』と夏雄は
熱烈に考へた。
そして清一郎の考へてゐたことはかうである。
『俺はその壁になるんだ。俺がその壁自体に化けてしまふことだ』
『この世は必ず破滅にをはる。しかもその前に、輝かしい行動は、一瞬々々のうちに生れ、
一瞬々々のうちに死ぬ』
三島由紀夫「鏡子の家」より
399 :
無名草子さん:2010/12/22(水) 19:51:02
芸術的才能といふものの裡にひそむ一種の抜きがたい暗さを嗅ぎ当てる点では、世俗的な
人たちの鼻もなかなか莫迦にしたものではない。才能とは宿命の一種であり、宿命といふものは
多かれ少なかれ、市民生活の敵なのである。それに生れつき身にそなはつたものだけで
人生を経営してゆくことは、女や貴族の生き方であり、市民の男の生き方ではなかつた。
どう時代が移らうとも、日本経済には不変の法則があり、いはば奇癖があつた。好況のときには
好い気持になつて使ひ果し、不況になるとヒステリックに貿易振興を叫び出すのであつた。
会社のタイム・レコーダアを莫迦らしいと思はない人が、どうして結納の三往復を
莫迦らしいなどと言ふことができよう。
女の裸体は猥褻なだけさ。美しいのは男の肉体に決まつてゐるさ。
神聖なものほど猥褻だ。だから恋愛より結婚のはうがずつと猥褻だ。
人は信じた思想のとほりの顔になる。
三島由紀夫「鏡子の家」より
400 :
無名草子さん:2010/12/22(水) 19:52:33
どこの社会にも、誰が見ても不適任者と思はれる人が、そのくせ恰(あた)かも運命的に
そこに居据つてゐるのを見るものだ。
権力や金に倦き果てた老人のたしなむ芸術には、あらゆる玄人の芸術にとつて必須な、
あの世界に対する権力意志が忌避されてゐる。
芸術作品とは、目に見える美とはちがつて、目に見える美をおもてに示しながら、実は
それ自体は目に見えない、単なる時間的耐久性の保障なのである。作品の本質とは、
超時間性に他ならないのだ。
「……そこでは毎晩刃傷沙汰が起り、悲劇が起り、本当の恋の鞘当、本当の情熱、――ええ、
どんな俗悪な情熱でも、あなたがたの物知り顔よりは高級ですもの、――さういふ本当の情熱、
本当の憎しみ、本当の涙、本当の血が流れなくちやいけませんの」
男の精神的天才が決して女に理解されないやうに、男の肉体的天才も、女に理解されない
やうにできてゐる。
三島由紀夫「鏡子の家」より
401 :
無名草子さん:2010/12/22(水) 19:54:33
ひどい暮しをしながら、生きてゐるだけでも仕合せだと思ふなんて、奴隷の考へね。
一方では、人並な安楽な暮しをして、生きてゐるのが仕合せだと思つてゐるのは、動物の
感じ方ね。世の中が、人間らしい感じ方、人間らしい考へ方をさせないように、みんなを
盲らにしてしまつたんです。
真暗か壁の前をうろうろして、せいぜい電気洗濯機やテレヴィジョンを買ふ夢を見る。
明日は何もないのに明日をたのしみにする。
通例、愛されない人間が、自ら進んで、ますます愛されない人間にならうとするのには
至当の理由がある。それは自分が愛されない根本原因から、できるだけ遠くまで逃げようと
するのである。
金でたのしみが買へないと思つてゐるのは、センチメンタルな金持だけです。
三島由紀夫「鏡子の家」より
402 :
無名草子さん:2010/12/22(水) 20:29:08
天才とは美そのものの感受性をわがものにして、その類推から美を造型する人であつた。
かういふ手がかりが正にあの喜悦であつて、美にとつては、世界喪失は苦悩ではなくて
生誕の讃歌のやうなものなのだ。そこでは美がやさしい手で規定の存在を押しのけて、
その空席に腰を下ろすことに、何のためらひもありはしないのだ。いひかへれば天才の
感受性とは、人目にいかほど感じ易くみえようと、決して悲劇に到達しない特質を荷つて
ゐるのである。
『一人ぐらしの女が何の感情にも溺れないで生きてゐるといふのは大したことだわ』
と鏡子は自讃する。それといふのも、彼女はあらゆる情念と感覚を野放しにしておいて、
一切の軛を課さないでゐるからである。
ああ、他人こそ、犠(にへ)であり、かけがへのない実在なのだ。
『僕は死ぬだらう。血はどこまで高く吹き上がるだらう? 自分の血の噴水を、僕ははつきり
この目でたしかめることができるだらうか』
三島由紀夫「鏡子の家」より
403 :
無名草子さん:2010/12/22(水) 20:30:14
他人の情念にしろ、希望にしろ、他人にあんまり興味を持ちすぎることは危険です。それは
こちらが考へもせず、想像もしないところへまで引きずつてゆき、つひには『他人の希望』の
代りに、『他人の運命』を背負ひ込む羽目になります。私たちは想像力と空想力だけで
我慢したはうがよささうですわ。それから先は宿命の領地なんです。
美しい者にならうといふ男の意志は、同じことをねがふ女の意志とはちがつて、必ず
『死の意志』なのだ。これはいかにも青年にふさはしいことだが、ふだんは青年自身が
恥ぢてゐてその秘密を明さない。
男の断末魔の手がつかむものが、星に充ちたがらんとした夜空や、荘厳な重い塩水に充ちた
海ではなくて、腰紐だの、長襦袢だの、まとはりつく髪だの、なよやかなパンティだので
あるといふことは、男の生涯のひとりぽつちの永い戦ひの記憶をすつかり台無しにして
しまふだけだ。
三島由紀夫「鏡子の家」より
404 :
無名草子さん:2010/12/22(水) 20:41:02
鏡子は大袈裟に、一つの時代が終つたと考へることがある。終る筈のない一つの時代が。
学校にゐたころ、休暇の終るときにはこんな気持がした。充ち足りた休暇の終りといふものが
あらう筈はない。それは必ず挫折と尽きせぬ不満の裡に終る。――再び真面目な時代が来る。
大真面目の、優等生たちの、点取虫たちの陰惨な時代。再び世界に対する全幅的な同意。
人間だの、愛だの、希望だの、理想だの、……これらのがらくたな諸々の価値の復活。
徹底的な改宗。そして何よりも辛いのは、あれほど愛して来た廃墟を完全に否認すること。
目に見える廃墟ばかりか、目に見えない廃墟までも!
峻吉は不幸や不運を明るく眺め変へたり、一旦挫折した力の方向をやすやすと他へ転じようと
したりする、あの人生相談的な解決を憎んだ。決して悔悟しない人間になることが必要だ。
ちつぽけな希望に妥協して、この世界が、その希望の形のままに見えて来たらおしまひだ。
三島由紀夫「鏡子の家」より
405 :
無名草子さん:2010/12/22(水) 20:55:01
健康な青年にとつて、おそらく一等緊急な必要は『死』の思想だ。
青年にとつて反抗は生で、忠実は死だ。これはもう言ひ古されたことだ。ところで
青年にとつて、反抗が必要なのと同じくらい、忠実も必要で、美味しくて、甘い果実なんだ。
人間は自分の運命を選ぶものであつて、自分に似合ふ着物を着、自分に似合ふ悲劇を招来する。
死は常態であり、破滅は必ず来るのだ。
一つの思想が死ぬやうに見えても必ずよみがへり、一つの理想主義が死に絶えて又
新らしい形でよみがへる。しかも思想と思想は、殺し合ふことしか考へないのである。
が、清一郎は感じてゐた。これら再生の神話そのもの、復活の秘義そのものが、まぎれもない
世界崩壊の兆候なのだ、と。
人生といふ邪教、それは飛切りの邪教だわ。私はそれを信じることにしたの。生きようと
しないで生きること、現在といふ首なしの馬にまたがつて走ること、……そんなことは
怖ろしいことのやうに思へたけれど、邪教を信じてみればわけもないのよ。
三島由紀夫「鏡子の家」より
406 :
無名草子さん:2010/12/23(木) 10:33:08
神秘が一度心に抱かれると、われわれは、人間界の、人間精神の外れの外れまで、一息に
歩いて来てしまふ。そこの景観は独自なもので、すべての人間的なものは自分の背後に、
遠い都会の眺めのやうに一纏めの結晶にかがやいて見え、一方、自分の前には、目の
くらむやうな空無が屹立してゐる。(中略)
一度かういふ世界の果て、精神の辺境に立つたものなら、探検家や登山家もおそらく
さうだらうが、きはめて自然に、自分を人間の代表だと感じるだらう。神秘家たちの確信も
それと似たものだ。なぜならその場所で目に映る人間の姿とては、自分以外にはないからだ。
僕は画家だから、その地点を、魂などとは呼ばず、人間の縁と呼んでゐた。もし魂といふものが
あるなら、霊魂が存在するなら、それは人間の内部に奥深くひそむものではなくて、
人間の外部へ延ばした触手の先端、人間の一等外側の縁でなければならない。その輪郭、
その外縁をはみ出したら、もはや人間ではなくなるやうな、ぎりぎりの縁でなければならない。
三島由紀夫「鏡子の家」より
407 :
無名草子さん:2010/12/23(木) 10:34:31
僕はありありと目に見える外界へ進んで行つた。その道をまつすぐ歩いてゆく。すると
当然のやうに、僕は神秘にぶつかつた。外部へ外部へと歩いて行つて、いつのまにか、
僕は人間の縁のところまで来てゐたのだ。
神秘家と知性の人とが、ここで背中合せになる。知性の人は、ここまで歩いてきて、
急に人間界のはうへ振向く。すると彼の目には人間界のすべてが小さな模型のやうに、
解釈しやすい数式のやうに見える。世界政治の動向も、経済の帰趨も、青年層の不平不満も、
芸術の行き詰りも、およそ人間精神の関与するものなら、彼には、簡単な数式のやうに
解けてしまひ、あいまいな謎はすこしも残さず、言葉は過度に明晰になる。……しかし
神秘家はここで決定的に人間界へ背を向けてしまひ、世界の解釈を放棄し、その言葉は
すみずみまでおどろな謎に充たされてしまふ。
三島由紀夫「鏡子の家」より
408 :
無名草子さん:2010/12/23(木) 10:47:56
でも今になつてよく考へると、僕は結局、知性の人でもなく、神秘家でもなく、やはり
画家だつたのだと思ふ。過度の明晰も、暗い謎も、どちらも僕のものではなかつた。
人間の縁のところまで来たとき、僕は人間界へ背を向けることもできず、又人間界へ皮肉な
冷たい親和の微笑を以て振返つて君臨することもできず、ひたすら世界喪失の感情のなかに、
浮び漂つてゐたのだと思ふ。
僕の目は鎮魂玉に集中することはできず、おそるおそる周囲の闇のなかを見まはした。
するとそこには、同じ死と闇のなかに、世界喪失の感情に打ち砕かれて、漂つてゐる多くの
若者たちの顔が見えた。ここまで歩いてきたのは僕一人ではなかつた。そのなかには
血みどろな死顔も見え、傷ついた顔も、必死に目をみひらいてゐる顔も見えた。……
三島由紀夫「鏡子の家」より
409 :
無名草子さん:2010/12/23(木) 10:48:48
花は実に清冽な姿をしてゐた。一点のけがれもなく、花弁の一枚一枚が今生まれたやうに
匂ひやかで、今まで蕾の中に固く畳まれてゐたあとは、旭をうけて微妙な起伏する線を、
花弁のおもてに正確にゑがいてゐた。(中略)
僕は飽かず水仙の花を眺めつづけた。花は徐々に僕の心に沁み渡り、そのみじんも
あいまいなところのない形態は、弦楽器の弾奏のやうに心に響き渡つた。
そのうちに僕は何だか、自分を裏切つてゐるやうな気がした。これは果して霊界の贈り物だらうか。
霊界のものが、これほど疑ひのない形象の完全さで、目の前に迫ることがあるだらうか。
すべて虚無に属する物事は、ああも思はれかうも思はれるといふ、心象のたよりなさによつて
世界が動揺する、その只中に現はれるものではないだらうか。僕の目が水仙を見、これが
疑ひもなく一茎の水仙であり、見る僕と見られる水仙とが、堅固な一つの世界に属してゐると
感じられる、これこそ現実の特徴ではないだらうか。するとこの水仙の花は、正しく
現実の花なのではないか。
三島由紀夫「鏡子の家」より
410 :
無名草子さん:2010/12/23(木) 11:13:05
さう考へた僕は、一瞬言はうやうない気味のわるさにかられて、花を寝床の上に放り出さうと
したくらゐだ。僕にはその花が急に生きてゐるやうに感じられたのである。
……僕にはその花が急に生きてゐるやうに感じられた。それはただの物象でもなく、ただの
形態でもなかつた。おそらく中橋先生に言はせたら、僕はその瞬間、清らかな白い水仙の花を
透視して、透明になつた花の只中に花の霊魂を見たのだつたらう。永い艱苦の果てに先生が
竜を見たやうに、僕は水仙の霊魂を見たのだ、と先生は言つただらう。
しかし、僕の心はそのときはつきり、こんな考へから遠ざかつてゐた。もしこの水仙の花が
現実の花でなかつたら、僕がそもそもかうして存在して呼吸してゐる筈はないと考へられた。
僕は片手に水仙を持つたまま寝床から立つて、久しくあけない窓をあけに行つた。(中略)
風の加減で、雑多な物音もまじつてきこえる。すべてが今朝は洗はれてゐるやうに見える。
三島由紀夫「鏡子の家」より
411 :
無名草子さん:2010/12/23(木) 11:17:06
僕は君に哲学を語つてゐるのでもなければ、譬へ話を語つてゐるのではない。世間の人は、
現実とは卓上電話だの電光ニュースだの月給袋だの、さもなければ目にも見えない遠い国々で
展開されてゐる民族運動だの、政界の角逐だの、……さういふものばかりから成り立つて
ゐると考へがちだ。しかし画家の僕はその朝から、新調の現実を創り出し、いはば現実を
再編成したのだ。われわれの住むこの世界の現実を、大本のところで支配してゐるのは、
他でもないこの一茎の水仙なのだ。
この白い傷つきやすい、霊魂そのもののやうに精神的に裸体の花、固いすつきりした緑の葉に
守られて身を正してゐる清冽な早春の花、これがすべての現実の中心であり、いはば
現実の核だといふことに僕は気づいた。世界はこの花のまはりにまはつてをり、人間の集団や
人間の都市はこの花のまはりに、規則正しく配列されてゐる。世界の果てで起るどんな現象も、
この花弁のかすかな戦(そよ)ぎから起り、波及して、やがて還つて来て、この花蕊に
ひつそりと再び静まるのだ。
三島由紀夫「鏡子の家」より
川端作品の抜粋まだー
413 :
無名草子さん:2010/12/23(木) 20:37:47
ヤーサンアリ・クーワバッタで良ければ
414 :
無名草子さん:2010/12/24(金) 11:41:43
さまざまなものが蓄積されて人間が大をなし、成長してゆくといふのは嘘のやうに思はれる。
人間とはただ雑多なものが流れて通る暗渠であり、くさぐさの車が轍(わだち)を残して
すぎる四辻の甃(いしだたみ)にすぎないやうに思はれる。暗渠は朽ち、甃はすりへる。
しかし一度はそれも祭の日の四辻であつたのだ。
「衣装がちがふだけで、中味はちつとも昔とかはつてゐやしませんよ。若い人は自分にとつて
はじめての経験を、世間様にもはじめての経験だととりちがへる。どんな無軌道だつて
昔とおなじで、ただ世間のやかましい目が昔ほどぢやないから、無軌道も大がかりになつて、
ますます人目につくことをしなくちやならなくなるんです」
今、世に時めいてゐる人たちは、無礼な冗談や狎(な)れすぎた振舞をもむしろ面白がるが、
かつて世に栄えて隠棲してゐる人たちにとつては、同じ冗談も矜りを傷つけられる種子に
なるのだ。そんな老人相手には、ひたすら聴き役にまはるに限る。そして柔らかな会話で
按摩をし、むかしの権力がふたたびその座に花やいでゐるやうな錯覚を起させるのだ。
三島由紀夫「宴のあと」より
415 :
無名草子さん:2010/12/24(金) 11:42:38
若い男は精神的にも肉体的にもあんまり余分なものを引きずつてゐて、特に年上の女に
対しては己惚れが強くて、どこまでつけ上るかわからない。
女から見ると、男の精神と肉体のアンバランスのみつともなさは、男自身よりも先鋭に
目に映るものだ。
「面倒臭い」。それは明らかに、老人の言葉だつた。
死んだやうな生活といきいきした思想とが、どうして同居してゐることができよう。
かづが今やその人たちの一族に連なり、その人たちの菩提所にいづれ葬られ、一つの流れに
融け入つて、もう二度とそこから離れないといふことは、何といふ安心なことだらう。
何といふ純粋な瞞着だらう。かづがそこへ葬られるときこそ、安心が完成され、瞞着が
完成される。それまでは世間はいかにかづが成功し、金持になり、金を撒かうと、本当に
瞞されはしないのだ。瞞着で世間を渡りはじめ、最後に永遠を瞞着する。これがかづの
世間へ投げる薔薇の花束である。……
三島由紀夫「宴のあと」より
416 :
無名草子さん:2010/12/24(金) 11:46:42
……要するに芸者のやるやうなことをすることだつた。その大仰な秘密くささも情事に
似てゐて、政治と情事とは瓜二つだつた。
しかし人間は墓の中に住むことはできない。
ひたすら民衆を利用しようとするかづの単純な偽善的な遣口は、ふしぎなことに彼らに
愛される大きな理由になつた。かづが打算と考へてゐるものは一種の誠意、とりわけ
民衆的な誠意であり、動機がどうあらうとも、献身と熱中は、民衆に愛される特性だつた。
自然なものしか人の心を搏ちませんよ。
政治家の目からは選挙区の景色はどこも美しく見えなければならず、自然を美しく眺めるには
政治家でなければならない。それは収穫されるべき果物の、みずみずしさと魅惑に充ちてゐる筈だ。
かうして展望することは政治的な行為であつた筈だ。展望し、概括し、支配するのは政治の
仕事である。
本当の権謀術数は、絹のやうな肌ざわりを持つべきであるのに、佐伯のそれはたかだか人絹だつた。
空虚に比べたら、充実した悲惨な境涯のはうがいい。真空に比べたら、身を引き裂く
北風のはうがずつといい。
三島由紀夫「宴のあと」より
417 :
無名草子さん:2010/12/24(金) 11:47:56
いつもかづの頭に閃くのは、雪後庵の再開といふ金文字だつた。それが絶望的であり
不可能であることは動かしやうがない。かづはそれをよく知つてゐる。よく知つてゐるけれど、
曇り空の一角に白金のやうに輝いてゐる小さい太陽へ、たえずかづの目は惹きつけられる。
不可能といふことがその輝きの素なのである。それは輝いてゐる。美しく天空に懸つてゐる。
何度目を外らしてもその輝きへ目が行くのも、それが不可能だからなのだ。そしてちらと
そこへ目が行つたが最後、他所はすべて闇としか思はれなくなつてしまふ。
理想のちらつかせる奇蹟への期待も、現実主義の惹起する奇蹟への努力も、政治の名に於て
同一なのかもしれない。
何によらず男の目が不可能に惹きつけられて光つてゐるときには、それを愛情のしるしと
考へてよかつた。
かづは自分の活力の命ずるままに、そこに向つて駈けて行かねばならぬ。何ものも、
かづ自身でさへも、この活力の命令に抗することはできない。しかもさうしてかづの活力は、
あげくの果てに、孤独な傾いた無縁塚へ導いて行くことも確実なのである。
三島由紀夫「宴のあと」より
418 :
無名草子さん:2010/12/24(金) 12:15:08
「いつはりならぬ実在」なぞといふものは、ほんたうにこの世に在つてよいものだらうか。
おぞましくもそれは、「不在」の別なすがたにすぎないかもしれぬ。不在は天使だ。
また実在は天から堕ちて翼を失つた天使であらう、なにごとにもまして哀しいのは、
それが翼をもたないことだ。
そこはあまりにあかるくて、あたかもま夜なかのやうだつた。蜜蜂たちはそのまつ昼間の
よるのなかをとんでゐた。かれらの金色の印度の獣のやうな毛皮をきらめかせながら、
たくさんの夜光虫のやうに。
苧菟はあるいた。彼はあるいた。泡だつた軽快な海のやうに光つてゐる花々のむれに足を
すくはれて。……
彼は水いろのきれいな焔のやうな眩暈を感じてゐた。
ほんたうの生とは、もしやふたつの死のもつとも鞏(かた)い結び合ひだけからうまれ出る
ものかもしれない。
三島由紀夫「苧菟と瑪耶」より
419 :
無名草子さん:2010/12/24(金) 12:20:05
蓋をあけることは何らかの意味でひとつの解放だ。蓋のなかみをとりだすことよりも
なかみを蔵つておくことの方が本来だと人はおもつてゐるのだが、蓋にしてみれば
あけられた時の方がありのまゝの姿でなくてはならない。蓋の希みがそれをあけたとき
迸しるだらう。
ひとたび出逢つた魂が、もういちどもつと遥かな場所で出会ふためには、どれだけの苦悩や
痛みが必要とされることか。魂の経めぐるみちは荊棘(けいきよく)にみたされてゐるだらう。
まことや、あららかな影の思ひ出の死は、死がかなたの死のなかへ誘ひよせつゝいつか
それと結合してうみ出す至高の生にくらべれば、おろかしい偽りの姿にすぎぬかもしれぬ。
なぜなら死とは、この世に於てよりもより勁(つよ)くあの世にあつて結び合ふことが
たやすいから。……
平岡公威(三島由紀夫)17歳「苧菟と瑪耶」より
420 :
無名草子さん:2010/12/24(金) 12:25:05
苧菟は手紙をかいた。彼はそれをふだんつかはない抽出(ひきだし)のおくふかく納れておいた。
なぜといつて無くなるはずのないものがなくなること、――あの神かくしとよばれてゐる神の
ふしぎな遊戯によつて、そんな品物は多分、それを必要としてゐるある死人のところへ
届けられるのにちがひない、と苧菟は幼ないころから信じて来たから。彼はそれを待つた、
この唯一の発信法を。
星をみてゐるとき、人の心のなかではにはかに香り高い夜風がわき立つだらう。しづかに
森や湖や街のうへを移つてゆく夜の雲がたゞよひだすだらう。そのとき星ははじめて、
すべてのものへ露のやうにしとゞに降りてくるだらう。あのみえない神の縄につながれた絵図の
あひだから、ひとつひとつの星座が、こよなく雅やかにつぎつぎと崩れだすだらう。
星はその日から人々のあらゆる胸に住まふだらう。かつて人々が神のやうにうつくしく
やさしかつた日が、そんな風にしてふたゝび還つてくるかもしれない。
平岡公威(三島由紀夫)17歳「苧菟と瑪耶」より
421 :
無名草子さん:2010/12/24(金) 15:30:36
いくら乱れた世の中でも、一本筋の通つたまじめな努力家の青年はゐるもんだよ。
結婚といふものは長い事業だからね。地道に着々と幸福を築いてゆける相手を探さなくちやいかん。
よくこんな経験があるものだ。十年も二十年も前に、たとへばピクニックに行つて、一人だけ
群を離れて、小滝や野の花の茂みのある静かな一劃に出てしまふ。そのとき何となく、
意味もなく口をついて出た言葉が、十年後、二十年後になつて、何かの瞬間に、再びふつと
口をついて出てくるのだ。すると永年小さな謎の蕾として眠つてゐたその言葉が、今度は
急速に花をひらき、意味を帯び、人生のその瞬間を決定する、とりかへしのつかない重要な
言葉になつてしまふのだ。
結婚して一ヶ月もたてば、大した苦労を嘗めなくても、女は十分現実を知つたといふ自信を
持つやうになる。
一等怖ろしいのは人間の言葉の魔力である。証拠らしい証拠がなくても、耳に注がれる言葉の
毒は、たちまち全身に廻つてしまふ。
三島由紀夫「お嬢さん」より
422 :
無名草子さん:2010/12/24(金) 15:35:50
玉のやうな男の児。「玉のやうな」とは何と巧い形容だらうと一太郎は思つてゐた。
明るい薔薇いろをした堅固な玉。弾む玉。野球のボールのやうに力強く飛びまはる玉。
それは飛び出して、ころころ転がつて、両親や祖父母の膝の上へ跳ね上り、笑ふ玉、喜ぶ玉、
きらきらした国旗の旗竿の玉のやうに青空に浮び上り……、それを見るだけでみんなに
幸福な気持を起させるのだ。
人の心といふものは、一定の分量しか入らない箱のやうなものである。
あなたはお嬢さんだわ。本当に困つたお嬢さん、私の妹だつたら、お尻にお灸をすゑてやるわ。
どうしてあなたは叫ばないの? 泣かないの? 吼えないの? 思ひ切つて、景ちやんの顔に
オムレツでもぶつけてやらないの? 花瓶を叩き割らないの? お宅の硝子窓だつて、
ずいぶん割り甲斐があるぢやない? あなたのヤキモチは小細工ばかりで醜いわ。そんなの、
ほんとに女の滓だわ。
三島由紀夫「お嬢さん」より
423 :
無名草子さん:2010/12/25(土) 11:15:11
本来決してここにあるべきではなかつた物質、この世の秩序の外にあつて時折その秩序を
根底からくつがへすために突然顕現する物質、純粋なうちにも純粋な物質、……さういふものが
きつとスパナに化けてゐたのだ。
われわれはふだん意志とは無形のものだと考へてゐる。軒先をかすめる燕、かがやく雲の
奇異な形、屋根の或る鋭い稜線、口紅、落ちたボタン、手袋の片つぽ、鉛筆、しなやかな
カーテンのいかつい吊手、……それらをふつうわれわれは意志とは呼ばない。しかし
われわれの意志ではなくて、「何か」の意志と呼ぶべきものがあるとすれば、それが
物象として現はれてもふしぎはないのだ。その意志は平坦な日常の秩序をくつがへしながら、
もつと強力で、統一的で、ひしめく必然に充ちた「彼ら」の秩序へ、瞬時にしてわれわれを
組み入れようと狙つてをり、ふだんは見えない姿で注視してゐながら、もつとも大切な瞬時に、
突然、物象の姿で顕現するのだ。かういふ物質はどこから来るのだらう。多分それは
星から来るのだらう、と獄中の幸二はしばしば考へた。……
三島由紀夫「獣の戯れ」より
424 :
無名草子さん:2010/12/25(土) 11:19:55
幸二は思つた。僕が本当に見たかつたのはその歓喜ではなかつたか? それなしに、どうして
こんな半歳にわたる自己放棄と屈辱のかずかずがありえたか?
幸二が正に見たかつたのは、人間のひねくれた真実が輝やきだす瞬間、贋物の宝石が
本物の光りを放つ瞬間、その歓喜、その不合理な夢の現実化、莫迦々々しさがそのまま
荘厳なものに移り変る変貌の瞬間だつた。さういふものの期待において優子を愛し、優子の
守つてゐた世界の現実を打ち壊さうと願つたのだから、それが結果として逸平の幸福に
なつても構はない筈だつた。少なくとも幸二は何ものかのために奉仕したのだ。
しかし実際に幸二が見たのは、人間の凡庸な照れかくしと御体裁の皮肉と、今までさんざん
見飽きたものにすぎなかつた。彼は計らずも自分が信じてゐた劇のぶざまな崩壊に立ち会つた。
『そんなら仕方がない。誰も変へることができないなら、僕がこの手で……』
支柱を失つた感情で、幸二はさう思つた。何をどう変へるとも知れなかつた。しかし着実に
自分が冷静を失つてゆくのを彼は感じた。
三島由紀夫「獣の戯れ」より
425 :
無名草子さん:2010/12/25(土) 11:24:19
『あのとき俺は、論理を喪くしたぷよぷよした世界に我慢ならなかつたんだ。あの豚の
臓腑のやうな世界に、どうでも俺は論理を与へる必要があつたんだ。鉄の黒い硬い冷たい
論理を。……つまりスパナの論理を』
又、
『あの日の夕方、優子が酒場でかう言つたつけ。《そんなときにあの人の平然とした顔を
見たら、もうおしまひだ》つて。あのスパナの一撃のおかげで、俺はわざわざ、彼らを
《おしまひ》にすることから救つたんだ。……』
幸二は清の単純な抒情的な魂を羨んだ。硝子のケースの中の餡パンのやうに、はつきりと
誰の目にも見える温かいふつくらした魂。刑務所の庭にも清の語つたのと同じやうな花園が
あつた。受刑者たちが手塩にかけて育ててゐるその花園を、幸二は手つだはなかつたけれど、
遠くから愛してゐた。ひどく臆病に、迷信ぶかく、痛切に、しかもうつすらと憎んで。
……彼も亦、金蓮花の卑俗な鬱金いろに心をしめつけられた思ひ出を持つてゐた。しかし
清とちがつて、幸二は決してこの種の思ひ出を語らないだらう。
三島由紀夫「獣の戯れ」より
426 :
無名草子さん:2010/12/25(土) 11:38:57
正直を言ふと、俺はかうも考へたよ。俺があんたの頭をスパナでぶちのめしたおかげで、
あんたの思想は完成し、あんたの生きてる口実が見つかつたんだ、と。人生とは何だ?
人生とは失語症だ。世界とは何だ? 世界とは失語症だ。歴史とは何だ? 歴史とは失語症だ。
芸術とは? 恋愛とは? 政治とは? 何でもかんでも失語症だ。それでみんな辻褄が合ひ、
あんたが前から考へてゐたことが、ここですつかり実を結んだのだ、と。
草門家はあんたの中のからつぽな洞穴を中心にして廻りはじめた。座敷のまんなかに深い
空井戸が口をあけてゐる家といふものを想像してみるといい。空つぽな穴。世界を呑み込んで
しまふほど大きな穴。あんたはそれを大事に護り、そればかりか、穴のまはりに優子と俺を
うまい具合に配置して、誰も考へつきさうもない新らしい『家庭』を作り出さうといふ気に
なつた。空井戸を中心にしたすてきな理想的な家庭。あんたが俺の隣りへ寝室を移したときに、
『家庭』はいよいよ完成に近づきだしてゐたわけだ。
三島由紀夫「獣の戯れ」より
427 :
無名草子さん:2010/12/25(土) 11:41:22
やがて三つの空つぽな穴、三つの空井戸が出来上り、それらが傍もうらやむ仲の良い幸福な
家庭を築き上げる。それには俺も誘惑を感じる。すんでのところで手を貸したくなつたりもする。
やらうと思へば事は簡単だからだ。俺たちが苦悩を捨て、自分たちの中にもあんたと同じ寸法の
穴をうがち、あんたの見てゐる前で、俺と優子が、何の煩らひもなく、獣の戯れみたいに
一緒に寝ればそれですむんだから。あんたの見てゐる前で、快楽の呻きをあげ、のたうちまはり、
あげくのはては鼾をかいて眠つてしまへばいいのだから。
しかし、俺にはそれはできない。優子もできない。わかるか? あんたの思ふ壺にはまつて、
幸福な獣になるのが怖いから、俺たちには決してできない。しかも、いやらしいことに、
あんたはそれを知つてゐるんだ。
三島由紀夫「獣の戯れ」より
428 :
無名草子さん:2010/12/25(土) 21:44:07
修一はこんなに明るい女たちのざわめきをはじめてきいたやうな気がした。それは彼の家庭では
決してきかれない明るい花束のやうな笑ひ声で、きいてゐるだけで体がほてるやうな気がした。
女たちの笑ひさざめく声といふのは、どうしてこんなにたのしいのだらう。湖の上に洩れて
映る大きな旅館の宴会の灯のやうだ。そこでは地上の快楽が、一堂に集まつてゐるやうに
見えるのだ。
小説家の考へなんて、現実には必ず足をすくはれるもんだ。
四十歳を越すと、どうしても人間は、他人に自分の夢を寄せるやうになる。
俺は猛烈な嫉妬を感じた。自分の小説の登場人物に嫉妬を感じる小説家とは、まことに
奇妙な存在だ。
こんなときに限つてバスはなかなか来ず、寒気は靴下にしみ入り、美代は修一に会ふ前は
つひぞ感じたことのない孤独に包まれた。はじめて彼を見たのも、この停留所だつた。
その白いスウェーターの腕。……恋をすると、人間は一そう一人ぼつちになるものだらうか。
三島由紀夫「愛の疾走」より
429 :
無名草子さん:2010/12/25(土) 21:48:07
寒い川岸に立つて見てゐた美代は、こんな荒つぽい男たちの友情に充ちたやりとりのなかで、
修一がみんなに愛されていきいきと働らいてゐる、決して暗くない生活の実感を、この手に
つかんだやうな気がした。ひよつとすると、あんなに近代的な明るい自分の職場のはうに、
機械にふりまはされて暮さなければならぬ現代の暗さが、顔をのぞけてゐるやうな気がした。
生活の幸福とはどういふことだらうか。
美代は、丁度その時間にそこで作業が行はれてゐず、魚の腹から卵をしぼり出す残酷な仕事を
見ないですんだのを喜んだ。
『でも、卵……卵……卵……。男たちがこんな仕事をしてゐる!』
彼女は何だか自分が魚になつたやうな、ひどく恥かしい感じがした。自分も一人の女として、
冬からやがて春へと動いてゆく、自然の大きな目に見えない流れに、否応なしに押し流されて
ゆくのだと思ふと、しらない間に野球帽も手拭もとつて、寒さのために赤い活気のある
頬をした修一の横顔を、じつと眺めてゐるのが、何だか眩しくなつた。
三島由紀夫「愛の疾走」より
430 :
無名草子さん:2010/12/26(日) 17:51:56
『信じられないやうな幸福だ。僕があの人に愛されてゐる。湖のむかうの美しい娘に』
彼は夢うつつの中で、結氷した湖が向う岸とこちらの岸とをつなぎ、夢がそのまま結氷して
堅固な現実の姿をとつた様を思ひゑがいた。彼があんなに切なく考へた距離は、見かけの
ものにすぎなかつた。それから彼があんなに怖れた、美しい娘とぶざまな自分との対比も、
心配したほどのものでもなかつた。二つの決して触れ合はなかつた世界が溶けあつて、
接吻を交はしたのだ。
『実際この世界には何てふしぎなことがあるものだらう』
闇の中に美代の美しい唇だけが、氷つた湖を駈けてくる一点の炎のやうに近づいた。
『あれは僕におやすみを言ふために駈けて来るんだ。あの小さな炎の近づいてくる速さ。
スケートよりも速い』
炎はたうとう近づいて彼の唇を灼いた。
『おやすみ』
幸福な若者は眠りに落ちた。
三島由紀夫「愛の疾走」より
431 :
無名草子さん:2010/12/26(日) 20:06:14
本当に愛し合つてゐる同士は、「すれちがひ」どころか、却つて、ふしぎな糸に引かれて
偶然の出会をするもので、愛する者を心に描いてふらふらと家を出た青年が、思ひがけない辻で
パッタリその女に会つた経験を、ゲエテもエッカーマンに話してゐるほどだ。
クライマックスといふものは、いづれにせよ、人をさんざんじらせ、待たせるものだ。
第一の御柱は崖のすぐ上辺まで来てゐるのに、ゆつくり一服してゐて、なかなか「坂落し」は
はじまらなかつた。
女といふものはな、頭から信じてしまふか、頭から疑つてかかるか、どつちかしかないものだな。
どつちつかずだと、こつちが悩んで往生する。漁も同じだ。『今日はとれるかな、
とれないかな』……これではいかん。必ず大漁と思つて出ると大漁、からきしダメだらうと
思つて出ると大漁、全くヘンなものだ。こつちが中途半端な気持だと、向うも中途半端に
なるものらしい。全くヘンなものだ。
三島由紀夫「愛の疾走」より
432 :
無名草子さん:2010/12/27(月) 11:32:53
美代はされるままになつてゐて、決して起き上らうとしなかつた。修一はだんだん心配に
なつてきた。
しかし突然、美代は両手で自分の顔をおほひ、体を斜めにして、修一の腕をのがれた。
修一はおどろいてその顔を眺め下ろした。美代は泣いてゐた。
声は立てなかつたが、美代は永久に泣きつづけてゐるやうで、その指の間から、涙が嘘のやうに
絶え間なくこぼれおちた。顔をおほつてゐる美代の指は、華奢な美しい女の指とは言へなかつた。
意識してかしないでか、美代は自分の一等自信のない部分へ、男の注視を惹きつづけて
ゐたことになる。
それは農村で育つたのちに、キー・パンチャーとして鍛えられた指で、右手の人差し指と
中指と薬指、なかんづく一等使はれる薬指は、扁平に節くれ立つて、どんな優雅な指輪も
似合ひさうではなかつた。
しみじみとその指を眺めてゐた修一は、労働をする者だけにわかる共感でいつぱいになつて、
その薬指が、いとほしくてたまらなくなり、思はず、唇をそれにそつと触れた。
三島由紀夫「愛の疾走」より
433 :
無名草子さん:2010/12/27(月) 11:35:25
はるか富士の山頂が、遠く霞んで山峡に顔をのぞけてゐる。……
美代はいつのまにか泣きやんでゐたが、まだ手を顔から離さず、さつきのままの姿勢で、
微動もしなかつた。ときどきブラウスの胸が大きく波打つた。
もともと口下手の修一は、こんなときに余計なことを言ひ出して、事壊しになるやうな羽目には
陥らなかつた。彼は子供が好奇心にかられて菓子の箱をむりやりあけてみるやうに、
かなり強引な力で、美代のしつかりと顔をおほつてゐる指を左右にひらいた。
涙に濡れた美しい顔が現はれた。しかし崩れた泣き顔ではなくて、涙のために、一そう
剥き立ての果物のやうな風情を増してゐた。修一はいとしさに耐へかねて、顔を近づけた。
するとその泣いてゐた美代の口もとが、あるかなきかに綻んで、ほんの少し微笑したやうに
思はれた。
それに力を得て、修一は強く、美代の唇に接吻した。
三島由紀夫「愛の疾走」より
434 :
無名草子さん:2010/12/27(月) 11:39:21
……美代はこの唇こそ、永らく待ちこがれてゐた唇だと、半ば夢心地のうちに考へた。
もう何も考へないやうにしよう。考へることから禍が起つたのだ。何も考へないやうにしよう。
……こんな場合の心に浮ぶ羞恥心や恐怖や、果てしのない躊躇逡巡や、あとで飽きられたら
どうしようといふ思惑や、さういふものはすべて、女の体に無意識のうちにこもつてゐる
醜い打算だとさへ、彼女は考へることができた。純粋になり、透明にならう。決して
過去のことも、未来のことも考へまい。……自然の与へてくれるものに何一つ逆らはず、
みどり児のやうに大人しくすべてを受け容れよう。世間が何だ。世間の考へに少しでも
味方したことから、不幸が起つたのだ。……何も考へずに、この虹のやうなものに全身を
委せよう。……水にうかぶ水蓮の花のやうに、漣(さざなみ)のままに揺れてゐよう。
……どうしてこの世の中に醜いことなどがあるだらうか。考へることから醜さが生れる。
心の隙間から醜さが生れる。心が充実してゐるときに、どうして、この世界に醜さの
入つてくる余地があるだらうか。
三島由紀夫「愛の疾走」より
435 :
無名草子さん:2010/12/27(月) 11:42:35
……今まで誰にも触れさせたことのない乳房を、修一の大きな固い掌が触つた。この人は
怖れてゐる。慄へてゐる。どうして悪いことをするやうに慄へてゐるのだらう。……
この太陽の下、花々の間、遠い山々に囲まれて、悪いことを人間ができるだらうか。……
美代の心からは、人に見られる心配さへみんな消え失せてゐた。世界中の人に見られてゐても、
今の自分の姿には、恥づべきことは何一つないやうな気がした。……
それでゐて、美代の体が、やさしく羞恥心にあふれてゐるのを、修一は誤りなく見てゐた。
丈の高い夏草の底に埋もれて、彼女はそのまま恥らひのあまり、夏の驟雨のやうに地面に
融け込んでしまひさうだつた。
二人とも人生ではじめての経験だつたのに、これだけ感情の昂揚してゐたことで、すべては
流れるやうに進んで、短かい間に、空もゆらめくやうな思ひは終り、修一は美代の純潔の
しるしを見て、歓びの叫びをあげたい気持になつた。
三島由紀夫「愛の疾走」より
436 :
無名草子さん:2010/12/27(月) 11:49:58
美代ちやん、恋愛と結婚を写真機にたとへると、かういふことだ。シャッターを押すだけなら
誰にもできる。しかしいい写真が出来上るには、はじめの構図の決め方、距離や絞りの
合はせ方、光線の加減、又あとには現像密着の技術も要る。それも何度もやつてみて
馴れられるものならいいが、ズブの素人を連れて来て、一ぺんコッキリの勝負をさせるのだから
危ないものだ。そこでシャッターを押す前に、できるだけ念入りに、絞りを合はせたり、
光線の具合をしらべたり、距離を測つたりする必要があるんだよ。このごろみたいに
オートマばやりだと、それはそれでいいかもしれないが、それだつて構図だけはオートマぢや
行かないからね。
俺が二人の仲を割いたやうな形になつたのも、結局二人のためを思つたからだ。もしさうでなくて、
初恋がすらすらと結ばれたら、そんな夫婦の一生は、箸にも棒にもかからないものになる。
人間は怠け者の動物で、苦しめてやらなくては決して自分を発見しない。自分を発見しないと
いふことは、要するに、本当の幸福を発見しないといふことだ。
三島由紀夫「愛の疾走」より
437 :
無名草子さん:2010/12/27(月) 15:43:49
『俺には何か、特別の運命がそなはつてゐる筈だ。きらきらした、別誂への、そこらの
並の男には決して許されないやうな運命が』
僕たちにできないことは、大人たちにはもつとできないのだ。この世界には不可能といふ
巨きな封印が貼られてゐる。それを最終的に剥がすことができるのは僕たちだけだといふことを
忘れないでもらひたい。
彼らは危険の定義がわかつてゐないんだ。危険とは、実体的な世界がちよつと傷つき、
ちよつと血が流れ、新聞が大さわぎで書き立てることだと思つてゐる。それが何だといふんだ。
本当の危険とは、生きてゐるといふそのことの他にはありやしない。生きてゐるといふことは
存在の単なる混乱なんだけど、存在を一瞬毎にもともとの無秩序にまで解体し、その不安を
餌にして、一瞬毎に存在を造り変へようといふ本当にイカれた仕事なんだからな。こんな
危険な仕事はどこにもないよ。存在自体の不安といふものはないのに、生きることがそれを
作り出すんだ。
大義とは? それはただ、熱帯の太陽の別名だつたかもしれないのだ。
三島由紀夫「午後の曳航」より
438 :
無名草子さん:2010/12/27(月) 15:48:43
ところでこの塚崎竜二といふ男は、僕たちみんなにとつては大した存在ぢやなかつたが、
三号にとつては、一かどの存在だつた。少くとも彼は三号の目に、僕がつねづね言ふ世界の
内的関聯の光輝ある証拠を見せた、といふ功績がある。だけど、そのあとで彼は三号を
手ひどく裏切つた。地上で一番わるいもの、つまり父親になつた。これはいけない。
はじめから何の役にも立たなかつたのよりもずつと悪い。
いつも言ふやうに、世界は単純な記号と決定で出来上つてゐる。竜二は自分では知らなかつた
かもしれないが、その記号の一つだつた。少くとも、三号の証言によれば、その記号の
一つだつたらしいのだ。
僕たちの義務はわかつてゐるね。ころがり落ちた歯車は、又もとのところへ、無理矢理
はめ込まなくちやいけない。さうしなくちや世界の秩序が保てない。僕たちは世界が
空つぽだといふことを知つてるんだから、大切なのは、その空つぽの秩序を何とか保つて
行くことにしかない。僕たちはそのための見張り人だし、そのための執行人なんだからね。
三島由紀夫「午後の曳航」より
439 :
無名草子さん:2010/12/27(月) 15:57:22
血が必要なんだ! 人間の血が! さうしなくちや、この空つぽの世界は蒼ざめて枯れ果てて
しまふんだ。僕たちはあの男の生きのいい血を絞り取つて、死にかけてゐる宇宙、
死にかけてゐる空、死にかけてゐる森、死にかけてゐる大地に輸血してやらなくちや
いけないんだ。
あの海の潮の暗い情念、沖から寄せる海嘯(つなみ)の叫び声、高まつて高まつて砕ける
波の挫折……暗い沖からいつも彼を呼んでゐた未知の栄光は、死と、又、女とまざり合つて、
彼の運命を別誂へのものに仕立ててゐた筈だつた。世界の闇の奥底に一点の光りがあつて、
それが彼のためにだけ用意されてをり、彼を照らすためにだけ近づいてくることを、
二十歳の彼は頑なに信じてゐた。
夢想の中では、栄光と死と女は、つねに三位一体だつた。しかし女が獲られると、あとの
二つは沖の彼方へ遠ざかり、あの鯨のやうな悲しげな咆哮で、彼の名を呼ぶことはなくなつた。
自分が拒んだものを、竜二は今や、それから拒まれてゐるかのやうに感じた。
三島由紀夫「午後の曳航」より
440 :
無名草子さん:2010/12/27(月) 16:10:48
彼はもう危険な死からさへ拒まれてゐる。栄光はむろんのこと、感情の悪酔。身をつらぬく
やうな悲哀。晴れやかな別離。南の太陽の別名である大義の叫び声。女たちのけなげな涙。
いつも胸をさいなむ暗い憧れ。自分を男らしさの極致へ追ひつめてきたあの重い甘美な力。
……さういふものはすべて終つたのだ。
灼けるやうな憂愁と倦怠とに湧き立ち、禿鷹と鸚鵡にあふれ、そしてどこにも椰子!
帝王椰子、孔雀椰子。死が海の輝やきの中から、入道雲のやうにひろがり押し寄せて来てゐた。
彼はもはや自分にとつて永久に機会の失はれた、荘厳な、万人の目の前の、壮烈無比な死を
恍惚として夢みた。世界がそもそも、このやうな光輝にあふれた死のために準備されて
ゐたものならは、世界は同時に、そのために滅んでもふしぎはない。
血のやうに生あたたかい環礁のなかの潮、真鍮の喇叭の響きのやうに鳴りわたる熱帯の太陽。
五色の海。鯨。……
誰も知るやうに、栄光の味は苦い。
三島由紀夫「午後の曳航」より
441 :
無名草子さん:2010/12/28(火) 21:02:48
まやかしの平和主義、すばらしい速度で愚昧と偸安への坂道を辷り落ちてゆく人々、
にせものの経済的繁栄、狂ほしい享楽慾、世界政治の指導者たちの女のやうな虚栄心……
かういふものすべては、仕方なく手に委ねられた薔薇の花束の棘のやうに彼の指を刺した。
あとで考へればそれが恩寵の前触れであつたのだが、重一郎は世界がこんな悲境に陥つた責任を
自分一人の身に負うて苦しむやうになつた。誰かが苦しまなければならぬ。誰か一人でも、
この砕けおちた世界の硝子のかけらの上を、血を流して跣足で歩いてみせなければならぬ。
一人の人間が死苦にもだえてゐるとき、その苦痛がすべての人類に、ほんのわづかでも
苦痛の波動を及ぼさないとは何事だらう! こんな肉体的苦痛の明確な個人的限界に
つきあたると、重一郎は又しても深い絶望に沈んだ。どうしてあの原子爆弾の怖ろしい
苦痛ですら、個人的な苦痛に還元され、肉体的な体験だけで頒(わか)たれることに
なつたのだらう。あの原爆投下者の発狂の原因は、彼にはありありとわかるやうな気がした。
三島由紀夫「美しい星」より
442 :
無名草子さん:2010/12/28(火) 21:09:24
いやが上にも凡庸らしく、それが人に優れた人間の義務でもあり、また、唯一つの自衛の
手段なのだ。
今や人類は自ら築き上げた高度の文明との対決を迫られてをり、その文明の明智ある支配者と
なるか、それともその文明に使役された奴隷として亡びるか、二つに一つの決断を迫られてゐる。
アメリカは、広島への原爆の投下によつて、自らの手を汚しました。これは彼らの歴史の
永久に落ちぬ汚点となりました。
北方の人間のしつこい「進歩的」思想や、さういふものは猥雑でしかなかつた。彼が興味を
寄せるのは、個人的醇化、例外的な夢、反時代的な確証に尽きてゐた。彼があるべきだと
考へるものは、決してこの世に存在しない。しかし何かが存在しないなら、それが
存在するべきだつた。これは美の倫理であり、芸術の倫理でもある筈だつたが、彼が芸術家で
なかつたら、どうすればよいのか? すでに存在してゐるものに存在への夢を寄せ、それらを
二重の存在に変へてしまひ、すべてを二重に透視すればよいのだ。
肉の交はりはそもそも心の交合の模倣であり、絶望から生れた余儀ない代償ではないだらうか。
三島由紀夫「美しい星」より
443 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 11:08:52
偶然といふ言葉は、人間が自分の無知を湖塗しようとして、尤もらしく見せかけるために
作つた言葉だよ。
偶然とは、人間どもの理解をこえた高い必然が、ふだんは厚いマントに身を隠してゐるのに、
ちらとその素肌の一部をのぞかせてしまつた現象なのだ。人智が探り得た最高の必然性は、
多分天体の運行だらうが、それよりさらに高度の、さらに精巧な必然は、まだ人間の目には
隠されてをり、わづかに迂遠な宗教的方法でそれを揣摩してゐるにすぎないのだ。宗教家が
神秘と呼び、科学者が偶然と呼ぶもの、そこにこそ真の必然が隠されてゐるのだが、天は
これを人間どもに、いかにも取るに足らぬもののやうに見せかけるために、悪戯つぽい、
不まじめな方法でちらつかせるにすぎない。人間どもはまことに単純で浅見だから、
まじめな哲学や緊急な現実問題やまともらしく見える現象には、持ち前の虚栄心から喜んで
飛びつくが、一見ばかばかしい事柄やノンセンスには、それ相応の軽い顧慮を払ふにすぎない。
かうして人間はいつも天の必然にだまし討ちにされる運命にあるのだ。
三島由紀夫「美しい星」より
444 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 11:13:32
なぜなら天の必然の白い美しい素足の跡は、一見ばからしい偶然事のはうに、あらはに
印されてゐるのだから。
恋し合つてゐる者同士は、よく偶然に会ふ羽目になるものだ。それだけならふしぎもないが、
憎み合つてゐて、お互ひに避けたいと思つてゐる同士も、よく偶然に会ふ羽目になるものだ。
この二例を人間の論理で統一すると、愛憎いづれにしろ、関心を持つてゐる人間同士は
否応なしに偶然に会ふといふことになる。人間の論理はそれ以上は進まない。しかし
われわれ宇宙人の鳥瞰的な目は、もつと広大な展望を持つてゐる。そこから見ると、関心を
抱き合ひつつ偶然に会ふ人の数とは比べものにならぬほど、人間どもは、電車の中、町中で、
何ら関心を持ち合はない無数の他人とも、時々刻々、偶然に会つてゐるのだ。おそらく
一生に一度しか会はない人たちと、奇蹟的にも、日々、偶然に会つてゐるのだ。ここまで
ひろげられた偶然は、もう大きな見えない必然と云ふほかはあるまい。仏教徒だけが
この必然を洞察して、『一樹の蔭』とか『袖触れ合ふも他生の縁』とかの美しい隠喩で
それを表現した。
三島由紀夫「美しい星」より
445 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 11:22:53
そこには人間の存在にかすかに余影をとどめてゐる『星の特質』がうかがはれ、天体の
精妙な運行の、遠い反映が認められるのだ。実はそこには、それよりもさらに高い必然の
網目の影も落ちかかつてゐるのだが……。
この地球の無秩序も、全然宇宙の諧和と異質なものではないのだから、われわれは絶望的に
なることは一つもない。
このごろ私にはやうやくわかりかけて来たのだが、かつてあれほど私を悩ました地上の人々や
事物のばらばらな姿は、天の配慮かもしれないのだ。といふのは、宇宙的調和と統一の時が
近づくに従つて、天の必然が白熱した機械のやうに昂進し、そのことが却つて、人間の考へる
論理的必然的聨関ではどうにも辻褄の合はぬほど、玩具箱を引つくりかへしたやうな状態を
地上に作りだしてしまつたにちがひないのだ。そのためわれわれも身のまはりにたえず
注意を払つて、一見ばかばかしい偶然の発生を記録しておいたはうがいい。小さな事物の
つまらない偶然の暗号が、これから地上には加速度にふえて行くだらうと私は見てゐる。
三島由紀夫「美しい星」より
446 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 11:27:43
去年の薔薇は丸く小さく、死んだ睾丸のやうであつた。かぼそく風に揺れる枝頭にあつて、
乾き果てた花弁が時折灰のやうに崩れるために、崩れた残りの花弁はジグザグの縁をしてゐた。
羽黒はその花弁に手をふれて、さらにその縁を欠いた。すると、指はほとんど力を入れて
ゐないのに、薔薇は壊れて彼の指紋をこなごなの砕片でまぶした。
生きながら焚刑に処されて、形を保つたまま灰になつた薔薇、……悪の美しい二重の形態。
――羽黒は確信してゐた。この世の形態はみんないつはりであり、滅亡でさへ形態をもち、
その形態にあざむかれてゐると。
実際、人類の滅亡を惹起するのに、彼は力を用ひる必要があるだらうか。今しがた彼の指が、
かすかに触れるばかりで崩壊した薔薇のやうに、人間の世界も潰(つひ)え去るのでは
なからうか。いや、すでにそれは死に絶え、ただ形態だけを保つてゐるのではなからうか。
……こんな考へが時折心に兆すと、羽黒はいそいで邪念としてそれをしりぞけた。こんな
考へこそ彼の使命を等閑(なほざり)にさせるものだ。
三島由紀夫「美しい星」より
447 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 12:10:29
死は今や美しい雲の形で地球人を取り巻いてゐた。夕空に映える高い紅や紫の雲は、みんな
有毒だつた。見えない死のたえまない浸潤。あの空のはるか高みにふりまかれた毒が、
地に降りて、野菜や牛乳を通して、人間の骨の奥につひに宿りを定める春が来てゐた。
幽暗な棲家を求めて、地上のかがやかしい田園の動植物の体をかいくぐつて、倦まない旅を
つづける微細な死は、いよいよ居を定めると、生きてゐる人間たちに、その肉体の不朽な
部分の本質を、すなはち骨の本質を高らかに告げ知らせるのだ。死ぬまでは閑却されてゐた
人間の骨が、生きながら喇叭のやうに歌ひだすのだ。それらの死は、日を浴びた美しい野菜畑や、
緑の森と小川を控へた牧場や、すべて花と蜜蜂にあふれた風景の只中からやつてくる。
ピクニックの人々は、自然の中にこまかく織り込まれた死と呼応して、自分たちの中の骨が
歌ひだすのを感じるにちがひない。人間に不朽なものは骨だけであり、死の灰は肉を
滅ぼしこそすれ、骨の美しく涸れた簡素なすがたは、永久に失はれることがない、と。
三島由紀夫「美しい星」より
448 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 12:21:51
かつて叫ばれた八紘一宇といふ言葉は、かかる文明史的予言であつたものを、軍閥に利用されて、
卑小な意味に転化されたのだ。
世界連邦はいつかは樹立されなければならないが、世界連邦の理念は、国際連合的な
悪平等の上に立つてにつちもさつちも行かなくなるやうなものではなく、文明史的潮流の
予言的洞察の上に立ち、日本といふ個と、世界といふ全体との、お互ひがお互ひを包み込む
やうな多次元的綜合(!)に依るべきである。
人間には三つの宿命的な病気といふか、宿命的な欠陥がある。その一つは事物への
関心(ゾルゲ)であり、もう一つは人間への関心であり、もう一つは神への関心である。
人類がこの三つの関心を捨てれば、あるひは滅亡を免れるかもしれないが、私の見るところでは、
この三つは不治の病なのです。
三島由紀夫「美しい星」より
449 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 12:26:31
おわかりですか。私はひいては天体としての地球の物的性質、無機物の勝利といふことを
言つてゐるのです。いくら人間が群をなして集まつても、宇宙法則の中で『生命』といふものが
例外的なものにすぎないといふ無意識の孤独感は拭はれず、人間はとりわけ物に、無機物に
執着します。金貨と宝石とは人間の生命と生活に対する一等冷淡な対立物であるにもかかはらず、
さういふ物質をとらへて、人間的色彩をこれに加へ、人間的臭気をこれに与へることに
人々は熱中して来ました。そのうちに人間は物に馴れ親しみ、物の運動と秩序のなかに、
人間の本質をみつけ出すやうにさへなつたのです。そして有機物にすら、生きて動いてゐる
猫にすら、人間の惹き起す事件にすら、いや、人間そのものにすら、物の属性を与へなくては
安心できぬやうになつた。物の属性を即座に与へることが事物に完結性の外観をもたらし、
人間が恒久性の観念と故意をごつちやにしてゐる『幸福』の外観をもたらすからです。
三島由紀夫「美しい星」より
450 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 12:40:03
かやうに人間の事物への関心は、時間の不可逆性からつねに自分を救ひ出さうとする欲求で、
三十年前にロンドンで買つた傘を愛用してゐる紳士も、今年の夏の流行の水着を身につける女も、
三十年間にしろ、一ヵ月にしろ、その時間を代表する物質に自分を閉じ込めて安心するのです。
物質に対する人間の支配は、暗々裡に、いつも物質の最終的な勝利を認めてきた。さうで
なかつたら、どうして地球上に、あんなに沢山、石や銅や鉄のいやらしい記念碑や建築物や
お墓が残つてゐる筈がありませう。さて、そこで人間は、最後に、物質の性質をある程度
究明して、原子力を発見したのです。水素爆弾は人間の到達したもつとも逆説的な事物で、
今人間どもは、この危険な物質の裡に、究極の『人間的』幻影を描いてゐるのです。
水素爆弾が、最後の人間として登場したわけです。それはまるで、現代の人間が、自分たちには
真似もできないが、現代の人間世界にふさはしい人間は、かうあらねばならぬといふ絶望的な
夢を、全部具備してゐるからです。
三島由紀夫「美しい星」より
451 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 12:55:45
性慾は実は人間的関心ではないのです。それは繁殖と破壊の間から、世界の薄明を覗き見る
行為です。
彼らはみな、苦痛が決して伝播しないこと、しかも一人一人が同じ苦痛の『条件』を
荷つてゐることを知悉してゐるのです。
人間の人間に対する関心は、いつもこのやうな形をとります。同じ存在の条件を荷ひながら、
決して人類共有の苦痛とか、人類共有の胃袋とかいふものは存在しないといふ自信。……
女が出産の苦痛を忘れることの早さと、自分が一等難産だつたと信じてゐることを、あなたも
よく承知でせう。すべては老い、病み、さうして死ぬのに、人類共有の老いも病気も死も、
決して存在しないといふ個体の自信。
政治的スローガンとか、思想とか、さういふ痛くも痒くもないものには、人間は喜んで
普遍性と共有性を認めます。毒にも薬にもならない古くさい建築や美術品は、やすやすと
人類共有の文化的遺産になります。しかし苦痛がさうなつては困るのです。大演説の最中に
政治的指導者の奥歯が痛みだしたとき、数万の聴衆の奥歯が同時に痛みだしては困るのです。
三島由紀夫「美しい星」より
452 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 19:38:12
いくら握手したところで黒人の胃袋が白人の胃袋に、同じ胃痛を伝播する心配がないならば、
握手ぐらゐのことが何の妨げになるでせう。世界共和国の思想には、かうしてどこか不感症の、
そのくせ異様に甘い、キャンディーのやうなところがあります。ところで、世界共和国は早晩、
その基礎理念に強ひられて、おそろしい結末に立ちいたるのです。それが人間の存在の条件の
同一性の確認にはじまつた以上、その共同意識は、だんだん痛みや痒みや空腹の孤立状態に
耐へられなくなる。歯の痛い人間にとつては、世界共和国なんか糞くらへといふものだ。
世界共和国の中で自分一人老いてゆくことは何だか不公平なやうな気がしてくる。どうして
若いぴちぴちした連中に、自分の老いを伝播させてやることができないのか。人間どもは
自分が一旦拒否した共有を、いつまでも叛逆罪の中に閉じこめておくことに耐へられない。
世界共和国の人民は、同時に生れ、同時に老い、同時に滅びるべきではないのか。もし
存在の条件の同一性が、この厖大な国家の唯一の理念であるならば、国家はいつかその明証を
提示しなければならない。
三島由紀夫「美しい星」より
453 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 19:49:06
神のことを、人間は好んで真理だとか、正義だとか呼びたがる。しかし神は真理自体でもなく、
正義自体でもなく、神自体ですらないのです。それは管理人にすぎず、人知と虚無との
継ぎ目のあいまいさを故ら維持し、ありもしないものと所与の存在との境目をぼかすことに
従事します。何故なら人間は存在と非在との裂け目に耐へないからであるし、一度人間が
『絶対』の想念を心にうかべた上は、世界のすべてのものの相対性とその『絶対』との間の
距離に耐へないからです。遠いところに駐屯する辺境守備兵は、相対性の世界をぼんやりと
絶対へとつなげてくれるやうに思はれるのです。そして彼らの武器と兜も、みんな人間が
稼いで、人間が貢いでやつたものばかりです。
傭兵たちは何千年の間よく働らいてくれましたから、人間は彼らへの関心を失ふことがなかつた。
スコラ派の哲学者などにいたつては、人間は贋の有限的存在で、真の存在は神だけだと
ほざいてゐたくらゐです。
三島由紀夫「美しい星」より
454 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 19:53:53
神への関心のおかげで、人間はなんとか虚無や非在や絶対などに直面しないですんできました。
だから今もなほ、人間は虚無の真相について知るところ少なく、虚無のやうな全的破壊の原理は
人間の文化内部には発生しないと妄信してゐる人間主義の愚かな名残で、人知が虚無を
作りだすことなどできないと信じてゐます。
本当にさうでせうか? 虚無とは、二階の階段を一階へ下りようとして、そのまますとんと
深淵へ墜落すること。花瓶へ花を活けようとして、その花を深淵へ投げ込んでしまふこと。
つまり目的も持ち、意志から発した行為が、行為のはじまつた瞬間に、意志は裏切られ、
目的は乗り超えられて、際限なく無意味なもののなかへ顛落すること。要するに、あたかも
自分が望んだがごとく、無意味の中へダイヴすること。あらゆる形の小さな失錯が、同種の
巨大な滅亡の中へ併呑されること。……人間世界では至極ありふれた、よく起る事例であり、
これが虚無の本質なのです。
三島由紀夫「美しい星」より
455 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 19:57:53
科学的技術は、ふしぎなほど正確に、すでに瀰漫してゐた虚無に点火する術を知つてゐます。
科学的技術は人間が考へてゐるほど理性的なものではなく、或る不透明な衝動の抽象化であり、
錬金術以来、人間の夢魔の組織化であり、人間どもが或る望まない怪物の出現を夢みると、
科学的技術は、すでに人間どもがその望まない怪物を望んでゐるといふことを、証明して
みせてくれるのです。そこで、人間をすでにひたひたと浸してゐた虚無に点火される日が
やつてきました。それは気違ひじみた真赤な巨大な薔薇の花、人間の栽培した最初の虚無、
つまり水素爆弾だつたのです。
しかし未だに虚無の管理者としての神とその管理責任を信じてゐる人間は、安心して水爆の
釦を押します。十字を切りながら、お祈りをしながら、すつかり自分の責任を免れて、
必ず、釦を押します。
どつちへ転んでも、三つの関心のどれを辿つても、人間どもは必ずあの釦を押すやうに
できてゐるのです。
三島由紀夫「美しい星」より
456 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 20:09:40
平和は自由と同様に、われわれ宇宙人の海から漁られた魚であつて、地球へ陸揚げされると
忽ち腐る。平和の地球的本質であるこの腐敗の足の早さ、これが彼らの不満のたねで、
彼らがしきりに願つてゐる平和は、新鮮な瞬間的な平和か、金属のやうに不朽の恒久平和かの
いづれかで、中間的なだらだらした平和は、みんな贋物くさい匂ひがするのです。
人類はまだまだ時間を征服することはできない。だから人類にとつての平和や自由の観念は、
時間の原理に関はりがあり、その原理によつて縛られてゐる。時間の不可逆性が、人間どもの
平和や自由を極度に困難にしてゐる宿命的要因なのです。
もし時間の法則が崩れて、事後が事前へ持ち込まれ、瞬間がそのまま永遠へ結びつけられるなら、
人類の平和や自由は、たちどころに可能になるでせう。そのときこそ絶対の平和や自由が
現前するでせうし、誰もそれを贋物くさいなどと思ふ者はをりません。
三島由紀夫「美しい星」より
457 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 20:13:55
私が彼らの想像力に愬(うつた)へようとしたやり方は、破滅の幻を強めて平和の幻と同等にし、
それをつひには鏡像のやうに似通はせ、一方が鏡中の影であれば、一方は必ず現実であると
思はせるところまで、持つて行く方法でした。空飛ぶ円盤の出現は、人間理性をかきみだす
ためだつたし、理性を目ざめさせるにはその敵対物の陶酔しかないことを、理性自体に
気づかせるのが目的であつた。そしてわれわれの云ふ陶酔とは、時間の不可逆性が崩れること、
未来の不確実性が崩れること、すなはち、欲望を持ちえなくなること、――何故なら
人間の欲望はすべて時間が原因であるから――、これらもろもろの、人間理性の最後の
自己否定なのでした。人間の純粋理性とは、経験を可能にする先天的な認識能力のすべてを
云ふのださうで、人間の経験は欲望の、すなはち時間の原則に従つて動くからです。
私は未開の陶酔を人間どもに教へようとしたのでした。そこでこそ現在が花ひらき、
人間世界はたちどころに光輝を放ち、目前の草の露がただちに宝石に変貌するやうな陶酔を。
三島由紀夫「美しい星」より
458 :
無名草子さん:2010/12/29(水) 20:19:59
私が私の予見を語らないのは、それが語られると同時に、地球の人類の宿命になつて
しまふからだ。
動いてやまない人間を静止させるのが私の使命だとしても、それを宿命の形で静止させるのを
私は好まない。あくまで陶酔、静かな、絶対に欲望を持たない陶酔のうちに、彼らを
休らはすのが私の流儀なのだ。
人間の政治、いつも未来を女の太腿のやうに猥褻にちらつかせ、夢や希望や『よりよいもの』への
餌を、馬の鼻面に人参をぶらさげるやり方でぶらさげておき、未来の暗黒へ向つて人々を
鞭打ちながら、自分は現在の薄明の中に止まらうとするあの政治、……あれをしばらく
陶酔のうちに静止させなくてはいかん。
人間を統治するのは簡単なことで、人間の内部の虚無と空白を統括すればそれですむのだ。
人間といふ人間は、みんな胴体に風のとほる穴をあけてゐる。そいつに紐をとほしてつなげば、
何億人だらうが、黙つて引きずられる。
三島由紀夫「美しい星」より
459 :
無名草子さん:2010/12/30(木) 12:35:26
歴史上、政治とは要するに、パンを与へるいろんな方策だつたが、宗教家にまさる政治家の
知恵は、人間はパンだけで生きるものだといふ認識だつた。この認識は甚だ貴重で、どんなに
宗教家たちが喚き立てようと、人間はこの生物学的認識の上にどつかと腰を据ゑ、健全で
明快な各種の政治学を組み立てたのだ。
さて、あなたは、こんな単純な人間の生存の条件にはつきり直面し、一たびパンだけで
生きうるといふことを知つてしまつた時の人間の絶望について、考へたことがありますか?
それは多分、人類で最初に自殺を企てた男だらうと思ふ。何か悲しいことがあつて、彼は
明日自殺しようとした。今日、彼は気が進まぬながらパンを喰べた。彼は思ひあぐねて自殺を
明後日に延期した。明日、彼は又、気が進まぬながらパンを喰べた。自殺は一日のばしに
延ばされ、そのたびに彼はパンを喰べた。……或る日、彼は突然、自分がただパンだけで、
純粋にパンだけで、目的も意味もない人生を生きえてゐることを発見する。
三島由紀夫「美しい星」より
460 :
無名草子さん:2010/12/30(木) 12:39:18
自分が今現に生きてをり、その生きてゐる原因は正にパンだけなのだから、これ以上
確かなことはない。 彼はおそろしい絶望に襲はれたが、これは決して自殺によつては
解決されない絶望だつた。何故なら、これは普通の自殺の原因となるやうな、生きて
ゐるといふことへの絶望ではなく、生きてゐること自体の絶望なのであるから、絶望が
ますます彼を生かすからだ。
彼はこの絶望から何かを作り出さなくてはならない。政治の冷徹な認識に復讐を企てるために、
自殺の代りに、何か独自のものを作り出さなくてはならない。そこで考へ出されたことが、
政治家に気づかれぬやうに、自分の胴体に、こつそり無意味な風穴をあけることだつた。
その風穴からあらゆる意味が洩れこぼれてしまひ、パンだけは順調に消化され、永久に、
次のパンを、次のパンを、次のパンを求めつづけること。生存の無意味を保障するために、
彼らにパンを与へつづけることを、政治家たち統治者たちの、知られざる責務にしてしまふこと。
しかもそれを絶対に統治者たちには気づかせぬこと。
三島由紀夫「美しい星」より
461 :
無名草子さん:2010/12/30(木) 12:50:23
この空洞、この風穴は、ひそかに人類の遺伝子になり、あまねく遺伝し、私が公園のベンチや
混んだ電車でたびたび見たあの反政治的な表情の素になつたのだ。
こいつらは組織を好み、地上のいたるところに、趣きのない塔を建ててまはる。私はそれらを
ひとつひとつ洞察して、つひには支配者の胴体、統治者の胴体にすら、立派な衣服の下に
小さな風穴の所在を嗅ぎつけたのだ。
今しも地球上の人類の、平和と統一とが可能だといふメドをつけたのは、私がこの風穴を
発見したときからだつた。お恥かしいことだが、私が仮りの人間生活を送つてゐたころは、
私の胴体にも見事にその風穴があいてゐたものだ。
私は破滅の前の人間にこのやうな状態が一般化したことを、宇宙的恩寵だとすら考へてゐる。
なぜなら、この空洞、この風穴こそ、われわれの宇宙の雛形だからだ。
地上の政治家が、たとへ悪の目的のためにもせよ。みんな結託することができる瞬間には、
すでに地上の平和は来てゐるのです。
三島由紀夫「美しい星」より
462 :
無名草子さん:2010/12/30(木) 12:55:24
人間が内部の空虚の連帯によつて充実するとき、すべての政治は無意味になり、反政治的な
統一が可能になる。彼らは決して釦を押さない。釦を押すことは、彼らの宇宙を、内部の
空虚を崩壊させることになるからだ。肉体を滅ぼすことを怖れない連中も、この空虚を
滅ぼすことには耐へられない。何故ならそれは、母なる宇宙の雛形だからだ。
愛と生殖とを結びつけたのは人間どもの宗教の政治的詐術で、ほかのもろもろの政治的詐術と
同様、羊の群を柵の中へ追ひ込むやり方、つまり本来無目的なものを目的意識の中へ追ひ込む、
あの千篇一律のやり方の一つなのだね。
皮肉なことに愛の背理は、待たれてゐるものは必ず来ず、望んだものは必ず得られず、
しかも来ないこと得られぬことの原因が、正に待つこと望むこと自体にあるといふ構造を
持つてゐるから、二大国の指導者たちが、決して破滅を望んでゐないといふことこそ、
危険の最たるものなのだ。彼らが何ものかを愛してゐる以上、望まないものは必ず来るのだ。
三島由紀夫「美しい星」より
463 :
無名草子さん:2010/12/30(木) 13:02:14
気まぐれこそ人間が天から得た美質で、時折人間が演じる気まぐれには、たしかに天の最も
甘美なものの片鱗がうかがはれる。それは整然たる宇宙法則が時折洩らす吐息のやうなもの、
許容された詩のやうなもので、それが遠い宇宙から人間に投影されたのだ。人間どもの宗教の
用語を借りれば、人間の中の唯一つの天使的特質といへるだらう。
人間が人間を殺さうとして、まさに発射しようとするときに、彼の心に生れ、その腕を突然
ほかの方向へ外らしてしまふふしぎな気まぐれ。今夜こそこの手に抱くことのできる恋人の
窓の下まで来て、まさに縄梯子に足をかけようとするときに、微風のやうに彼の心を襲ひ、
急に彼の足を砂漠への長い旅へ向けてしまふ不可解な気まぐれ。さういふ美しい気まぐれの
多くは、人間自体にはどうしても解けない謎で、おそらく沢山の薔薇の前へ来た蜜蜂だけが
知つてゐる謎なのだ。何故なら、こんな気まぐれこそ、薔薇はみな同じ薔薇であり、目前の
薔薇のほかにも又薔薇があり、世界は薔薇に充ちてゐるといふ認識だけが、解き明かすことの
できる謎だからだ。
三島由紀夫「美しい星」より
464 :
無名草子さん:2010/12/30(木) 13:12:01
私が希望を捨てないといふのは、人間の理性を信頼するからではない。人間のかういふ
美しい気まぐれに、信頼を寄せてゐるからだ。あなたは人間どもは必ず釦を押すと言ふ。
それはさうだらう。しかし釦を押す直前に、気まぐれが微笑みかけることだつてある。
それが人間といふものだ。
人間の理性にはもう決断の能力はないのだよ。釦を押す能力があるだけだ。確信を以て、
冷静に、そして白痴のやうに。
…私が今度は、人間の五つの美点、滅ぼすには惜しい五つの特質を挙げるべき番だと思ふ。
実際、人間の奇妙な習性も多々あるけれど、その中のいくつかは是非とも残しておきたく、
そんな習性を残すためだけに、全人類を救つてもいいといふほど、価値あるものに私には
思はれる。
だが、もし人類が滅んだら、私は少なくとも、その五つの美点をうまく纏めて、一つの
墓碑銘を書かずにはゐられないだらう。この墓碑銘には、人類の今までにやつたことが
必要且つ十分に要約されてをり、人類の歴史はそれ以上でもそれ以下でもなかつたのだ。
その碑文の草案は次のやうなものだ。
三島由紀夫「美しい星」より
465 :
無名草子さん:2010/12/30(木) 13:15:48
『地球なる一惑星に住める
人間なる一種族ここに眠る。
彼らは嘘をつきつぱなしについた。
彼らは吉凶につけて花を飾つた。
彼らはよく小鳥を飼つた。
彼らは約束の時間にしばしば遅れた。
そして彼らはよく笑つた。
ねがはくはとこしへなる眠りの安らかならんことを』
これをあなた方の言葉に飜訳すればかうなるのだ。
『地球なる一惑星に住める
人間なる一種族ここに眠る。
彼らはなかなか芸術家であつた。
彼らは喜悦と悲嘆に同じ象徴を用ひた。
彼らは他の自由を剥奪して、それによつて辛うじて自分の自由を相対的に確認した。
彼らは時間を征服しえず、その代りにせめて時間に不忠実であらうと試みた。
そして時には、彼らは虚無をしばらく自分の息で吹き飛ばす術を知つてゐた。
ねがはくはとこしへなる眠りの安らかならんことを』
三島由紀夫「美しい星」より
おいおい、 三島由紀夫ばっかりじゃないかwwww
そんなに書き込むんだったら、青空形式にしてupしてくれや
ところで三島の「金閣寺」って作品読んでるんだけど、
この作品は、三島にとってどんな位置づけの作品なの?
何これ?三島由紀夫って変な文章だねw
どんな人か良く知らないけど、もしかして山下清ちっくな人?
468 :
無名草子さん:2010/12/30(木) 20:02:22
>>466 自身の戦中、戦後の精神史を暗喩、作品化した重要なものの一つだと思いますよ。
469 :
無名草子さん:2010/12/30(木) 20:29:27
私も亦、進歩の妄説にたぶらかされてゐる人間を危ぶんではゐるが、人間自体は決して
そんな風には生れついてゐないのだ。人間の操縦する宇宙船が、どこへ向つて進むかは
私は知つてゐる。あれは宇宙の未来の暗黒へ勇ましく突き進んでゆくかのやうに見えるが、
実は同時に、人間が忘れてゐる過去の記憶の深淵へまつしぐらに後退してゆくのだ。
あれは人間の未知の経験への冒険といふだけではなく、諸民族の暗い果てしれぬ原初的な
体験の再現を目ざしてゐるのだ。人間の意識にとつて、宇宙の構造は、永遠に到達すべき場所と、
永遠に回帰すべき場所との二重構造になつてゐる。それはあたかも人間の男にとつての女が、
母の影像と二重になつてゐるのと似てゐる。
人間は前へ進まうとするとき、必ずうしろへも進んでゐるのだ。だから彼らは決して
到達することも、帰り着くこともない。これが彼らの宇宙なのだから、われわれがそれに
怖ぢて、われわれの宇宙の受ける損害をあれこれと心配することはないのだ。
三島由紀夫「美しい星」より
470 :
無名草子さん:2010/12/30(木) 20:38:43
今、あなたと私との間を流れてゐるこの時間は、紛れもない『人間の時』なのだ。破滅か
救済かいづれへ向つてゐようと、未来は鉄壁の彼方にあつて、こちらには、すべてに
手つかずの純潔な時がたゆたうてゐる。この、掌の中に自在にたはめられる、柔らかな、
決定を待つていかやうにも鋳られる、しかもなほ現成の時、これこそ人間の時なのだ。
人間はこれらの瞬間々々に成りまた崩れ去る波のやうな存在だ。未来の人間を滅ぼすことが
できても、どうして現在のこの瞬間の人間を滅ぼすことができようか。
私は人間が現在を拒否し、人間の時を自ら軽視し、この貴重な宝をいつもどこかへ置き忘れ、
人間の時ならぬ他の時、過去や未来へ気をとられがちなのを戒めるために、地球へやつて
来たやうなものだ。それといふのも、この現在の人間の時に、私はゆたかな尽きせぬ泉を
認めるからだ。なるほど人類は、私の与へるべき陶酔をまだ知りはしない。しかし、この現在に、
この人間の時に、その時にだけ、私のいはゆる『陶酔』の萌芽がひそんでゐることを私は
見抜いたのだ。
三島由紀夫「美しい星」より
471 :
無名草子さん:2010/12/30(木) 20:43:47
第一に、どんな種類の救済にも終末の威嚇がつきものだが、どんな威嚇も、人間の楽天主義には
敵ひはしないのだ。その点では、地獄であらうと、水爆戦争であらうと、魂の破滅であらうと、
肉体の破滅であらうと、同じことだ。本当に終末が来るまでは、誰もまじめに終末などを
信じはしない。
第二に、人間は全然、生きたいといふ意志など持つてゐないことだ。生きる意志の欠如と
楽天主義との、世にも怠惰な結びつきが人間といふものだ。
『ああ、もう死んでしまひたい。しかし私は結局死なないだらう』
これがすべての健康な人間の生活の歌なのだ。町工場の旋盤のほとり、物干場にひるがへる
白いシャツのかげ、ゆきかへりの電車の混雑、水たまりだらけの横丁、あらゆる場所で
間断なく歌はれる人間の生活の歌なのだ。
こんな人間をどうやつて救済する。やつらはつるつるした球体で、お前のひよわな爪先に
引つかけられたりすることは、金輪際あるまい。
三島由紀夫「美しい星」より
472 :
無名草子さん:2010/12/30(木) 20:48:38
人間の思想は種切れになると、何度でも、性懲りもなく、終末を考へ出した。人間の歴史が
はじまつてから、来る筈の終末が何度もあつて、しかもそれは来はしなかつた。しかし
今度の終末こそ本物だ。何故なら、人間の思想と呼ぶべきものはみんな死んでしまつたからだ。
人類は失語症になつた。世界には死の兆候が彌漫してゐる。思想の衣裳は悉く腐れ落ち、
人間は裸かで宇宙の冷たさに直面してゐる。
神々が死に、魂が死に、思想が死んだ。肉体だけが残つてゐるが、それはただの肉体の
形をした形骸だ。そして奴らは、自覚症状のない死苦に犯されてゐる。苦しみもなく、
痛みもなく、何も感じられないといふこの夕凪のやうな死苦。
終末といふものは、かういふ状況の上へ、夜のやうに自然に下りて来る。柩はすでに
出来てゐる。柩布が覆ひかぶさつてくるのは、時を得て、誰の目にも自然にだ。
世界中にひろがる屍臭、死に先立つ屍臭に気づいてゐないのは、当の人間たちだけだ。
三島由紀夫「美しい星」より
473 :
無名草子さん:2010/12/30(木) 20:59:45
仮りの肉体の衰滅が、どうしてこんな恐怖やおそろしい沈鬱な感情をのしかからせてくるのか、
重一郎にはどうしてもわからなかつた。人間は死の不可解に悩むのだらうか。彼は死の
恐怖の不可解、死の影響力の不可解に愕いてゐたのである。
彼は人間が幸福や永生をねがつて、考へ出したいろんな象徴を思ひうかべた。祝寿の象徴、
紅と白の水引、のびやかに飛翔する鶴、海のきはに海風に押しまくられて傾いてゐる松、
打ちあげられたさまざまの海藻、そのあひだにうづくまる巨大な亀、……彼らはそれらの
属目の事物から、時間に対するつかのまの勝利と、繁殖による永遠の連鎖を夢みたのだ。
死は沖のとほくから重い瞼をあげて睨んでゐたが、これらの祝寿の象徴にかこまれた明るい汀は
人間の領域だつた。
いくたびの夜をくぐり抜けて、又しても人間どもは、この明るい汀に集ひ、いくたび同じ歌を
歌はうとするか、はかり知れない。重一郎は自分の悪液質の乾いた手を眺めながら、
生きてゆく人間たちの、はかない、しかし輝かしい肉を夢みた。
三島由紀夫「美しい星」より
474 :
無名草子さん:2010/12/30(木) 21:03:04
一寸傷つけただけで血を流すくせに、太陽を写す鏡面ともなるつややかな肉。あの肉の外側へ
一ミリでも出ることができないのが人間の宿命だつた。しかし同時に、人間はその肉体の
縁(へり)を、広大な宇宙空間の海と、等しく広大な内面の陸との、傷つきやすく揺れやすい
「明るい汀」にしたのだ。その内面から放たれる力は海をほんの少し押し戻し、その薄い皮膚は
又、たえまない海の侵蝕を防いでゐた。若い輝かしい肉が、人間の矜りになるのも尤もだつた。
それは祝寿にあふれた、もつとも明るい、もつとも輝かしい汀であるから。
重一郎を置きざりにして人間が生きつづけることは、もとより彼の予見に背いた事態では
あつたが、疑ひもなく、白鳥座六十一番星の見えざる惑星から来た、あの不吉な宇宙人たちの
陰謀に対する、重一郎の勝利を示すものでもあつた。犠牲といふ観念が彼の心に浮んだ。
宇宙の意志は、重一郎といふ一個の火星人の犠牲と引きかへに、全人類の救済を約束してをり、
その企図は重一郎自身には、今まで隠されてゐたのかもしれないのだ。
三島由紀夫「美しい星」より
475 :
無名草子さん:2011/01/04(火) 13:07:51
『仏教といふのは妙なもんだ』と岡野は考へてゐた。『慈眼で見張れば、湖上の船も難から
救はれるといふ考へなんだ。こんな死んだ金いろの目で』
見るといふことは岡野にとつて、本来、残酷さの一部だつたが、
「遠くひろがる湖面には、
帆影に起る喜悦の波。
払暁の町はかなたに
今花ひらき明るみかける」
などといふ彼の好きなヘルダアリンの詩句も、この千体仏の暗い金の重圧、慈悲による、
見ることによる湖の支配の前に置かれては、たちまち力を喪ふやうに思はれた。
ハイデッガーのいはゆる「実存(エクジステンツ)」の本質は時間性にあり、それは本来
「脱自的」であつて、実存は時間性の「脱自(エクスターゼ)」の中にある、と説かれてゐるが、
エクスターゼは本来、ギリシア語のエクスタテイコン(自己から外へ出てゐる)に発し、
この概念こそ、実存の概念と見合ふものである。つまり実存は、自己から外へ漂ひ出して、
世界へひらかれて現実化され、そこの根源的時間性と一体化するのである。
三島由紀夫「絹と明察」より
476 :
無名草子さん:2011/01/04(火) 13:09:06
全然愛してゐないといふことが、情熱の純粋さの保証になる場合があるのだ。
善意や慈善は、必ず人の心に届くのだ。あるときは日光のやうにまつすぐに、あるときは
蜜蜂に運ばれる花粉のやうに、さまざまの迂路をゑがいて。
ヨーロッパの個人主義は悲惨を極め、パリの街頭を、助ける人もなく、よろめき歩く老人の
数の夥しさは彼を怒らせた。『嫁はんは一体何をしとるんや』黒衣の老婆が片手に杖をつき、
片手は建物の壁に縋(すが)つて、口のなかで何事か呟きながら、一歩一歩、定かならぬ歩を
運ぶ有様は、彼には人間世界の終焉と感じられ、その呟く言葉はきつと経文にちがひないと
思はれた。
若さが幸福を求めるなどといふのは衰退である。若さはすべてを補ふから、どんな不自由も
労苦も忍ぶことができ、かりにも若さがおのれの安楽を求めるときは、若さ自体の価値を
ないがしろにしてゐるのである。そして若くして年齢のこの逆説を知ることが、人間に必須な
教養といふものだつた。
三島由紀夫「絹と明察」より
477 :
無名草子さん:2011/01/04(火) 13:10:08
その理法を司る駒沢の立場は、時には日照りが望まれてゐるときに雨を降らせ、雨が
乞はれてゐるときは日照りをつづけたりせねばならず、目先だけでは理解されやうもないが、
いつも遠い調和へ目を放つて、そのときの理解をたのしみに暮すほかはなかつた。
サークル活動は風紀を紊(みだ)し、文化的なたのしみは青年を腑抜けにし、その害毒は
いづれも年配になればわかることだが、彼は自由の意味もわからぬ年ごろに自由を与へたり
することが、自然に反する行ひだと知つてゐた。
彼は無知を弾劾し、忘恩をののしり、この世に正義が行はれなくなつたことを大声で
慨(なげ)いた。いやらしい黴菌が若い者の心に巣喰ひ、美しい情誼を足蹴にかけさせ、
腐敗と怠惰が世界中にはびこり、謙虚が色褪せ、女の股倉が真黒になり、懐疑と反抗が
男の叡智を曇らせ、喰つたものはみんな洟汁と精液になり、勤勉は嘲られ、誠意はそしられ、
嘘の屁と欺瞞のげつぷをところかまはずひり出し、ために健全な母親の乳房も爛れてしまふ。
さういふペストが、つひに駒沢紡績をも犯したのだ。
三島由紀夫「絹と明察」より
478 :
無名草子さん:2011/01/04(火) 13:10:44
あんたらは、はいはいと女子(おなご)の言ふなりになつたわけか。わしはやるべきものと
やらいでええものとを弁へてをつたが、あんたらにはその弁へがつかんのや。自由やと?
平和やと? そないなこと皆女子の考へや。女子の嚔(くさめ)と一緒や。男まで嚔をして、
風邪を引かんかつてええのや。
駒沢の考へる家族とは、愛などを要せずに、そこに既に在るものだつた。はじめから
一続きの紙に、どうして愛などといふ糊が要るだらうか。
男が自由や平等や平和について語るのは、自らを卑しめるもので、すべて女の原理の借用に
すぎぬといふこと。少しでも自尊心のある男なら、自由や平等や平和の反対物、すなはち
服従や権威や戦ひについて語るべきだといふこと。男があんなことを言ひ出したとたんに、
女にしてやられ、女の代弁者として利用されるやうになるといふこと。……
三島由紀夫「絹と明察」より
479 :
無名草子さん:2011/01/04(火) 13:11:13
かれらも亦、かれらなりの報いを受けてゐる。今かれらは、克ち得た幸福に雀躍(こをどり)して
ゐるけれど、やがてそれが贋ものの宝石であることに気づく時が来るのだ。折角自分の力で
考へるなどといふ怖ろしい負荷を駒沢が代りに負つてやつてゐたのに、今度はかれらが肩に
荷はねばならないのだ。大きな美しい家族から離れ離れになり、孤独と猜疑の苦しみの裡に
生きてゆかなければならない。幸福とはあたかも顔のやうに、人の目からしか正確に
見えないものなのに、そしてそれを保証するために駒沢がゐたのに、かれらはもう自分で
幸福を味はうとして狂気になつた。さうして自分で見るために、ぶつかるのは鏡だけだ。
血の気のない、心のない、冷たい鏡だけ、際限もない鏡、鏡……それだけだ。
『それもええやらう。苦労するだけ苦労したらええ。その先に又、おのづから道がひらけて
来るのや』
そして存分に、悲しさうに吠えるがよい! 人間どもは昔からさうして吠えてきたし、
今後もそのやうに吠えつづけるだらう。だから駒沢は、自分をも含めて、かれらをみな恕す。
三島由紀夫「絹と明察」より
480 :
無名草子さん:2011/01/04(火) 13:13:24
彼は米国で見た北斎を思ひ浮べたが、北斎は風景ばかりか人間まで怖ろしいほどよく知つてゐた。
それを存分に描いて後世に伝へ、外国人にまで愛された。何といふ相違だらう。駒沢はそれを
知つてゐるといふことを、北斎同様、公然と示したのであるが、一人は栄光にかがやき、
一人はそのために悲境に陥つた。駒沢は画家ではなかつたのだから、その秘密を公言すべきでは
なかつたのだ。北斎にしろ広重にしろ、あんなに逆巻く波や噴火する山や横なぐりの雨を描き、
そこに小さく点綴される人間の貧しい重い労働を描き、それをすべて世にも幸福な色彩で
彩つたのだが、駒沢のやつたことも同じで、
『結局お前らはみんな幸福なんや』
と言ひつづけて来たのだつた。色彩は罰せられず、言葉は罰せられるのは何故だらう。
だが今、彼を嘘つきと言ひ、不正直と言ひ、狂人と言ひ、悪徳資本家と言ひ、企業を
私物化した時代おくれの石頭と言つた、すべての人を彼は恕す。
三島由紀夫「絹と明察」より
481 :
無名草子さん:2011/01/04(火) 13:14:19
かれらの憎悪と、それに触発された駒沢の憎悪が、今はからずも、一会社の枠をこえて、
『四海みな我子やさかいに……』
といふ心境に彼を辿りつかせた。それこそは正に、彼が彦根の署長室から立ち去つてゆく
大槻の白いシャツの背に見出したものだつた。
やがてかれらも、自分で考へ自分で行動することに疲れて、いつの日か駒沢の樹てた美しい
大きな家族のもとへ帰つて来るにちがひない。そここそは故郷であり、そこで死ぬことが
人間の幸福だと気づくだらう。再び人間全部の家長が必要になるだらう。……
駒沢の伝染(うつ)す死は、必ずしも肉体的な死ばかりではあるまい。岡野の心のほんの
一小部分でもそれに犯されたら、彼の得る利得はただ永久に退屈な利得につらなり、
彼の思想はただ永久に暗い深所の呟きにをはつて、二度とその二つが輝やかしく手を握ることは
ないだらう。……
へんな、いつはりのよみがへりの時代がはじまつてゐた。
三島由紀夫「絹と明察」より
482 :
無名草子さん:2011/01/06(木) 13:31:22
知れば知るほど、人間の性の世界は広大無辺であり、一筋縄では行かないものだといふ感を
深くする。性の世界では、万人向きの幸福といふものはないのである。
無関心を装ふつつぱり合ひ、女同士の牽制などは、却つて特殊な感情を育てやすい。
柔らかな、むしろ仄暗い光線のなかで、何事かを語りだす麗子の唇。それを見るたびに、
私は人間のふしぎといふものを思はずにはゐられない。それは色彩の少ない部屋の中に、
小さな鮮やかな花のやうに浮んでゐるが、それが語りだす言葉の底には、広漠たる大地の
記憶がすべて含まれをり、かうした一輪の花を咲かすにも、人間の歴史と精神の全問題が、
ほんの微量づつでも、ひしめき合ひ、力を貸し合つてゐるのがわかるのである。
嘘つきの常習犯ほど却つて、自分の喋つてゐることが嘘か本当か知らないのではあるまいか?
一瞬の直感から、女が攻撃態勢をとるときには、男の論理なんかほとんど役に立たないと
言つていい。
三島由紀夫「音楽」より
483 :
無名草子さん:2011/01/06(木) 13:33:42
このごろは民主主義の世の中で、何でも子供の意志を尊重することになつてるが、いくら
成人式をやつたつて、二十代はまだ人生や人間に対して盲らなのさ。大人がしつかりした判断で
決めてやつたはうが、結局当人の倖せになるんだ。むかしは、お婿さんの顔も知らずに
嫁入りした娘が一杯ゐるのに、それで結構愛し合つて幸福にやつて行けたもんだ。今は
女のはうから何だかんだと難癖をつけて、親のはうもそれに同調し、結局それで娘の幸福を
とりにがしてしまふ。
それは偶然といふよりは必然の出会である。海風と、幸福な人たちの笑ひさざめく声と、
ふくらむ波のみどりとの中で、ただ一つたしかなことは、不幸が不幸を見分け、欠如が欠如を
嗅ぎ分けるといふことである。いや、いつもそのやうにして、人間同士は出会ふのだ。
三島由紀夫「音楽」より
484 :
無名草子さん:2011/01/06(木) 13:34:29
精神分析学は、日本の伝統的文化を破壊するものである。欲求不満(フラストレーション)
などといふ陰性な仮定は、素朴なよき日本人の精神生活を冒涜するものである。人の心に
立入りすぎることを、日本文化のつつましさは忌避して来たのに、すべての人の行動に
性的原因を探し出して、それによつて抑圧を解放してやるなどといふ不潔で下品な教理は、
西洋のもつとも堕落した下賤な頭から生まれた思想である。特にお前は、ユダヤ的思想の
とりことなつた軽薄な御用学者で、高く清い人間性に汚らしい卵を生みつける銀蠅のごとき男だ。
くたばつてしまへ!
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」といふ諺が、実は誤訳であつて、原典のローマ詩人
ユウェナーリスの句は、「健全なる肉体には健全なる精神よ宿れかし」といふ願望の意を
秘めたものであることは、まことに意味が深いと言はねばならない。
精神分析学者には文学に関する豊富な知識も必要だ。
三島由紀夫「音楽」より
485 :
無名草子さん:2011/01/06(木) 15:50:22
精神分析がはやつてゐる理由がよくわかりますね。それはつまり、多様で豊富な人間性を
限局して、迷へる羊を一匹一匹連れ戻して、劃一主義(コンフォーミズム)の檻の中へ
入れてやるための、俗人の欲求におもねつた流行なんですね。
人間は、どんなバカでも『お前を盲らにしてやるぞ』と言はれれば反撥する程度の自尊心は
あるから、テレビのコマーシャルをきらふけれど、『お前の目をさまさせてやる』と
言はれて不安にならぬほどの自尊心は持たないから、精神分析を歓迎するわけですね。
男性の不能の治療は、無意識のものを意識化するといふ作業よりも、過度に意識的なものを
除去して、正常な反射神経の機能を回復するといふ作業のはうが、より重要であり、より
効果的であると思はれる。
見かけは恵まれた金持の息子でありながら、人生は貧乏人さへ知らない奇怪な不幸を
与へることがある。
三島由紀夫「音楽」より
486 :
無名草子さん:2011/01/06(木) 15:55:16
女の肉体はいろんな点で大都会に似てゐる。とりわけ夜の、灯火燦然とした大都会に似てゐる。
私はアメリカへ行つて羽田へ夜かへつてくるたびに、この不細工な東京といふ大都会も、
夜の天空から眺めれば、ものうげに横たはる女体に他ならないことを知つた。体全体に
きらめく汗の滴を宿した……。
目の前に横たはる麗子の姿が、私にはどうしてもそんな風に見える。そこにはあらゆる美徳、
あらゆる悪徳が蔵(かく)されてゐる。そして一人一人の男はそれについて部分的に探りを
入れることはできるだらう。しかしつひにその全貌と、その真の秘密を知ることはできないのだ。
われわれは誰が何と言はうと、愛が人間の心にひらめかす稲妻と、瞥見させる夜の青空とを、
知つてをり、見てゐるのである。
どんな不まじめな嘘の裏にも、怖ろしい人間性の問題が顔をのぞかせてゐる。
神聖さと徹底的な猥雑さとは、いづれも「手をふれることができない」といふ意味で似てゐる。
強度のヒステリー性格は、受動的に潜在意識に動かされるだけではなく、無意識のうちに
識閾下の象徴を積極的に利用する。
三島由紀夫「音楽」より
487 :
無名草子さん:2011/01/06(木) 15:57:43
精神分析を待つまでもなく、人間のつく嘘のうちで、「一度も嘘をついたことがない」
といふのは、おそらく最大の嘘である。
ひとたび実存主義的見地に立てば、「正常な」人間の実存も、異常な人間の実存も、
「愛の全体性への到達」の欲求においては等価であるから、フロイトのやうに、一方に
正常の基準を置き、一方に要治療の退行現象を置くやうな、アコギな真似はできない筈である。
つまりそれはあまりにも、科学的実証主義のものわかりのわるさを捨てすぎたのである。
社会構造の最下部には、あたかも個人個人の心の無意識の部分のやうに、おもてむきの
社会では決して口に出されることのない欲望が大つぴらに表明され、法律や社会規範に
とらはれない人間のもつとも奔放な夢が、あらはな顔をさし出してゐる。
神聖さとは、ヒステリー患者にとつては、多く、復讐の観念を隠してゐる。
三島由紀夫「音楽」より
488 :
無名草子さん:2011/01/07(金) 10:31:58
「文は人なり」とは、まことに怖ろしい格言です。
五十歳にもなれば、人生は、性欲とお金だけで、「純粋な心の問題」は、それが満たされた
あとでなくては現はれるはずもないのです。
ところどころ、何のことかわからないことを入れるのが、ファン・レターの秘訣です。
本当に「おはやう」といふのにふさはしい唇を持つた若い女性は、人の目をさまさせますよ。
私は結婚しても、あの手紙だけはとつておきたいやうな気がするの。
「おはなはん」ぢやないけれど、三十年たち、四十年たつて、自分の若いころの魅力的な姿を
思ひ出すには、やつぱりどんなよく撮れた写真よりも、他人の言葉のはうがリアリティが
あるにちがひないから。
そもそも、助け合ひなどといふことは貧乏人のすることで、その結果生まれる裏切りや
背信行為も、金持ちの世界とはまるでちがひます。金持ちの裏切りは、助け合ひなどといふ
バカな動機からは決して起りません。
三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
489 :
無名草子さん:2011/01/07(金) 10:32:22
毅然としてゐる。青年らしい。ちつとも女々しいところがない。ちつともメソメソした
ところがない。――これが借金申し込みの大切な要素です。人は他人のジメジメした心持ちに
対してお金を上げるほど寛大ではありません。
女の子から、「ちよつとイカスわね」と言はれれば、うれしいにきまつてゐるが、男は
軽率に自分の男性的魅力を信じるわけにはいきません。
女の子といふものは、妙に、男の非男性的魅力に惹かれがちなものだからです。
女は自分のことばかりにかまけて、男をほめたたへる、といふ最高の技巧を忘れ、あるひは
怠けてゐる。
大ていの女は、年をとり、魅力を失へば失ふほど、相手への思ひやりや賛美を忘れ、しやにむに
自分を売りこまうとして失敗するのです。もうカスになつた自分をね。
あらゆる男は己惚れ屋である。
三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
490 :
無名草子さん:2011/01/07(金) 10:32:44
脅迫状は事務的で、冷たく、簡潔であればあるだけ凄味があります。
第一、感情で脅迫状を書くといふのはプロのやることではありません。卑劣に徹し、
下賤に徹し、冷血に徹し、人間からズリ落ちた人間のやる仕事ですから、こちらの血が
さわいでゐては、脅迫状など書けません。
便せんをすかしてみて、そこに少しでも人間の血の色がすいて見えるやうでは、脅迫状は
落第なのです。
この世に生命を生み出す女つて、何てふしぎなものでせう。世の中でいちばん平凡なことが、
いちばん奇跡的なのだ。
女の人は、肉体的なことしかわからないのではありませんか?
西洋人はすべて社交馴れしてゐますから、社交は、建て前が大切だといふ第一原則を守ります。
招待を断わるには、「のがれがたい先約があつて」といふ理由だけで十分で、その内容を
説明する必要はありません。たとひ、ひと月前、ふた月前の招待であつても、さういふ理由で
かまひません。
三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
491 :
無名草子さん:2011/01/07(金) 10:33:05
男が「結婚してくれ」と言ふときには、彼のはうに、彼女を迎へ入れるに足る精神的物質的
社会的準備が十分整つてゐるのが理想的です。
人生は一つの惰性なのかもしれません。
恋愛にとつて、最強で最後の武器は「若さ」だと昔から決まつてゐます。
ともすると、恋愛といふものは「若さ」と「バカさ」をあはせもつた年齢の特技で、
「若さ」も「バカさ」も失つた時に、恋愛の資格を失ふのかもしれませんわ。
人間はいくつになつても感傷を心の底に秘めてゐるものですが、感傷といふのは
Gパンみたいなもので、十代の子にしか似合はないから、年をとると、はく勇気がなくなる
だけのことです。
本当に死ななくても、愛しあふ恋人同士は毎晩心中してゐるのだと思ひます。
僕は演劇は民衆の心に訴へかけ、民衆の魂に火をつけるのでなくては意味がないと思ひます。
三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
492 :
無名草子さん:2011/01/08(土) 01:01:54
あらゆる投書狂、身の上相談狂は自分の告白し、あるひは主張してゐることについて、
内心は、本当の解決など求めてゐはしませんし、また何かの解決を暗示されても、それを
心から承服したりはしません。
この身の上相談の女性もさうですが、世間の人はだれでも、彼女のことに関心を持つて
くれるのが当たり前だ、といふ錯覚におちいつてゐます。
私たちには、何もそんな関心を持つ義務はないのだし、未知の人が死んでも生きても、
別に興味はないのですが、彼女は、自分に対する熱烈な興味は、他人も彼女に対して
同じやうに持つはずだと信じてゐる。
身の上相談の手紙は一見、内容がどれほど妥当でも、全部がこのまちがつた思ひ込みの上に
築かれたお城なのですから、もし彼女がこの基本的な思ひちがひに気がつけば、ほかの
あらゆる人生問題は片づくかもしれないのに、永遠にそこに気がつかないといふところに、
大悲劇があるのです。
つまり、見知らぬ他人に身の上相談なんかするといふ行動それ自体に、彼女の人生を
悩み多くする根本原因がひそんでゐるといへませう。
三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
493 :
無名草子さん:2011/01/08(土) 01:02:20
ヒステリーの女は絶対に、自分のヒステリーは自分のせゐぢやないと信じてゐるわ。
子供を重荷と感じて、自分たちの自由と快楽をいつまでも追はうとするのは、末期資本主義的
享楽主義に毒された哀れな奴隷的感情だと思ふんだ。
だれでも、自分とまつたく同じ種類の人間を愛することはできませんものね。
罪もない相手を悲境に陥れるといふのは、一見、悪魔的ふるまひとも思へますが、もともと
恋に善悪はない。
自分の感情にそむいては、何ごとも成功するものではありません。
テレビでいちばん美しいのは、やつぱり色彩漫画で、宇宙物なんかの色のすばらしさは、
ディズニー・ランドそつくりですが、ディズニーはなんで死んだのでせう。
こんなことを言つてるとキチガヒみたいだけど、テレビばつかり見てると、どうしても
世界中のことがみんな関係があるやうな気がしてきます。テレビの前で食べてる甘栗は、
中共から輸入されたものだらうし、君の妊娠だつて、思はぬことで、何か世界情勢と
関係があるかもしれません。
三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
494 :
無名草子さん:2011/01/08(土) 01:02:47
大体、頭のいい友だちを求める人たちは、よほど頭がわるい連中なんだわ。心を打ち明け合つて
安心なのは、それによつて相手が、はじめてバランスがとれたと感じるやうな友だちなのだわ。
といふのは、頭のよい友だちはふだんから頭で優越感を持つてゐるところへ、そんな告白を
きかされて、感情でも優越感を持つてしまふでせうに、頭のわるい友だちなら、ふだんの
知的な劣等感を感情の優越感で補はれたと思つて、うれしがるでせう。うれしがつて本当に
心からの親切を尽くすでせう。さういふ友だちが大切なのだわ。
恋は愉しいものではなくて、病気だわ。いやな、暗い発作のたびたびある、陰気な慢性の
病気だわ。恋が生きがひだなんていふ人がゐるけれど、とんでもないまちがひで、悪だくみの
はうが、ずつと生きがひを与へてくれます。恋が愉しいなんて言つてゐる人は、きつと
ひどく鈍感な人なのでせう。
三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
495 :
無名草子さん:2011/01/08(土) 01:03:10
何かほしいときだけ甘つたれてくる猫たちの媚態は、あまりにも無邪気な打算がはつきり
してゐて、かはいらしい。
男は別に人格者の女を求めるわけではなく、人間のもろもろの悪徳が、小さな、かはいらしい
ガラス張りの箱の中に、ちんまりと納まつてゐるのを見るのが、安心であり、うれしくもあり、
かはいらしくもある。そこが男の愛の特徴です。
他人の幸福なんて、絶対にだれにもわかりつこないのです。
私は手紙の第一要件だけを言つておきたい。
それは、あて名をまちがひなく書くことです。これをまちがへたら、ていねいな言葉を
千万言並べても、帳消しになつてしまひます。
姓名を書きまちがへられるほど、神経にさはることはありません。
三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
496 :
無名草子さん:2011/01/08(土) 01:03:32
手紙を書くときには、相手はまつたくこちらに関心がない、といふ前提で書きはじめ
なければいけません。これがいちばん大切なところです。
世の中を知る、といふことは、他人は決して他人に深い関心を持ちえない、もし持ち得ると
すれば自分の利害にからんだ時だけだ、といふニガいニガい哲学を、腹の底からよく
知ることです。
手紙の受け取り人が、受け取つた手紙を重要視する理由は、
一、大金
二、名誉
三、性欲
四、感情
以外には、一つもないと考へてよろしい。このうち、第三までははつきりしてゐるが、
第四は内容がひろい。感情といふからには喜怒哀楽すべて入つてゐる。ユーモアも入つてゐる。
打算でない手紙で、人の心を搏つものは、すべて四に入ります。
世の中の人間は、みんな自分勝手の目的へ向かつて邁進してをり、他人に関心を持つのは
よほど例外的だ、とわかつたときに、はじめてあなたの書く手紙にはいきいきとした力が
そなはり、人の心をゆすぶる手紙が書けるやうになるのです。
三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
497 :
無名草子さん:2011/01/11(火) 12:31:33
世界が意味があるものに変れば、死んでも悔いないといふ気持と、世界が無意味だから、
死んでもかまはないといふ気持とは、どこで折れ合ふのだらうか。
死体つて、何だか落ちてこはれたウイスキーの瓶みたいぢやないか。こはれれば、中身が
流れ出すのは当たり前だ。
あの美しい欅の梢が、夕空の仄青い色を、精妙無類に、丁度夕空へ投げかけた投網のやうに
からめ取つてゐるのは、そもそも何故だらう。自然は何でこんなに無用に美しく、人間は
何でこんなに無用に煩はしいのだらう。
これからはもう物事をあんまり複雑に考へるのは止しになさるんですね。人生も政治も案外
単純浅薄なものですよ。もつとも、いつでも死ねる気でなくては、さういふ心境には
なれませんがね。生きたいといふ欲が、すべて物事を複雑怪奇に見せてしまふんです。
三島由紀夫「命売ります」より
498 :
無名草子さん:2011/01/11(火) 12:32:43
自殺……。
そこまで考へると、彼は何か知れず、精神的な吐き気を感じた。
一度失敗してゐるだけに、自殺だけは、どう考へても億劫な気がした。折角自堕落な
いい気持になつてゐるときに、つい目と鼻の先にあるタバコをとりに立つ気がどうしてもしない。
十分タバコを喫みたい気はあるのだが、ここから手をのばしても届かないことのわかつて
ゐるタバコをとりに立つことが、何だか故障した自動車の後押しをたのまれるほど、
しんどい仕事に思はれる。それがつまり自殺なのだ。
羽仁男は今の今まで休養するつもりだつたのが、また、をかしなものに巻き込まれ
かかつてゐる自分を感じた。世界は多分雲形定規のやうな形をしてゐるのだらう。地球が
球形だといふのはおそらく嘘なのだ。それは、一つの辺がいつのまにか妙にひねくれて
内側へ曲つてゐたり、かと思ふと、まつすぐな一辺が突然断崖絶壁になつたりするのである。
人生が無意味だ、といふのはたやすいが、無意味を生きるにはずいぶん強力なエネルギーが
要るものだ、と羽仁男はあらためて感心した。
三島由紀夫「命売ります」より
499 :
無名草子さん:2011/01/11(火) 12:34:07
多分、羽仁男のやうな男は、一つのことからのがれても、また別の「同類」に会ふやうに
運命づけられてゐるのかもしれない。孤独な人間はお互ひの孤独を、犬のやうにすぐ
嗅ぎわけるのだ。
無意味はヒッピーたちの考へるやうな形で人間を犯して来るのでは決してない。それは絶対に、
新聞の活字がゴキブリの行列になつてしまふ、ああいふ形で来るのだ。
シャム猫の鼻先に、シャベルでミルクをやつて、呑まうとするとシャベルをはね上げて、
猫の顔をミルクだらけにしてしまふこと。
彼の空想裡できはめて重要だと思はれたこの儀式は、日本の政治経済すべてにとつても
重要なのにちがひなかつた。つまり、一国の閣議はさうしてはじまるべきだつたし、
安保条約問題もさうして解決されるべきだつた。一匹の高慢ちきな猫の、思ひもかけぬ
不面目によつて、われわれは、猫を飼つてゐるといふことの意味を、よくよく知ることが
できるのだ。
三島由紀夫「命売ります」より
500 :
無名草子さん:2011/01/11(火) 12:35:22
つまり、羽仁男の考へは、すべてを無意味からはじめて、その上で、意味づけの自由に
生きるといふ考へだつた。そのためには、決して決して、意味ある行動からはじめては
ならなかつた。まづ意味ある行動からはじめて、挫折したり、絶望したりして、無意味に
直面するといふ人間は、ただのセンチメンタリストだつた。命の惜しい奴らだつた。
戸棚をあければ、そこにすでに、堆(うづたか)い汚れ物と一緒に、無意味が鎮座して
ゐることが明らかなとき、人はどうして、無意味を探究したり、無意味を生活したりする
必要があるだらう。
人の命を買ふ人間、しかもそれを自分のために使はうといふ人間ほど、不幸な人間はない。
何の組織にも属さないで、しかも命を惜しまない男もゐるといふことを知らなくちやいかん。
それはごく少数だらう。少数でも必ずゐるんだ。
命を売るのは君の勝手だよ。別に刑法で禁じてはゐないからね。犯人になるのは、命を買つて
悪用しようとした人間のはうだ。命を売る奴は、犯人ぢやない。ただの人間の屑だ。
それだけだよ。
三島由紀夫「命売ります」より
501 :
無名草子さん:2011/01/15(土) 20:26:08
前景の兵隊はことごとく、軍帽から垂れた白い覆布と、肩から掛けた斜めの革紐を見せて
背を向け、きちんとした列を作らずに、乱れて、群がつて、うなだれてゐる。わづかに左隅の
前景の数人の兵士が、ルネサンス画中の人のやうに、こちらへ半ば暗い顔を向けてゐる。
そして、左奥には、野の果てまで巨大な半円をゑがく無数の兵士たち、もちろん一人一人と
識別もできぬほどの夥しい人数が、木の間に遠く群がつてつづいてゐる。
前景の兵士たちも、後景の兵士たちも、ふしぎな沈んだ微光に犯され、脚絆や長靴の輪郭を
しらじらと光らせ、うつむいた項や肩の線を光らせてゐる。画面いつぱいに、何とも云へない
沈痛の気が漲つてゐるのはそのためである。
すべては中央の、小さな白い祭壇と、花と、墓標へ向つて、波のやうに押し寄せる心を
捧げてゐるのだ。野の果てまでひろがるその巨きな集団から、一つの、口につくせぬ思ひが、
中央へ向つて、その重い鉄のやうな巨大な環を徐々にしめつけてゐる。……
古びた、セピアいろの写真であるだけに、これのかもし出す悲哀は、限りがないやうに思はれた。
三島由紀夫「春の雪」より
502 :
無名草子さん:2011/01/15(土) 20:26:40
女がとんだあばずれと知つたのちに、そこで自分の純潔の心象が世界を好き勝手に描いて
ゐただけだと知つたのちに、もう一度同じ女に、清らかな恋心を味はふことができるだらうか?
できたら、すばらしいと思はんかね? 自分の心の本質と世界の本質を、そこまで鞏固に
結び合せることができたら、すばらしいと思はないか? それは世界の秘密の鍵を、
この手に握つたといふことぢやないだらうか?
歌留多(カルタ)の札の一枚がなくなつてさへ、この世界の秩序には、何かとりかへしの
つかない罅(ひび)が入る。とりわけ清顕は、或る秩序の一部の小さな喪失が、丁度時計の
小さな歯車が欠けたやうに、秩序全体を動かない靄のうちに閉じ込めてしまふのが怖ろしかつた。
なくなつた一枚の歌留多の探索が、どれほどわれわれの精力を費させ、つひには、
失はれた札ばかりか、歌留多そのものを、あたかも王冠の争奪のやうな世界の一大緊急事に
してしまふことだらう。彼の感情はどうしてもさういふ風に動き、彼にはそれに抵抗する術が
なかつたのである。
三島由紀夫「春の雪」より
503 :
無名草子さん:2011/01/15(土) 20:27:03
夢のふしぎで、そんなに遠く、しかも夜だといふのに、金と朱のこまかい浮彫の一つ一つまでが、
つぶさに目に泛ぶのです。
僕はクリにその話をして、お寺が日本まで追ひかけてくるのは別の思ひ出でせう、と笑ふのです。
そのたびに僕は怒りましたが、今では少しクリに同感する気になつてゐます。
なぜなら、すべて神聖なものは夢や思ひ出と同じ要素から成立ち、時間や空間によつて
われわれと隔てられてゐるものが、現前してゐることの奇蹟だからです。しかもそれら三つは、
いづれも手で触れることのできない点で共通してゐます。手で触れることのできたものから、
一歩遠ざかると、もうそれは神聖なものになり、奇蹟になり、ありえないやうな美しい
ものになる。事物にはすべて神聖さが具はつてゐるのに、われわれの指が触れるから、
それは汚濁になつてしまふ。われわれ人間はふしぎな存在ですね。指で触れるかぎりのものを
涜(けが)し、しかも自分のなかには、神聖なものになりうる素質を持つてゐるんですから。
三島由紀夫「春の雪」より
504 :
無名草子さん:2011/01/15(土) 20:27:29
夢とちがつて、現実は何といふ可塑性を欠いた素材であらう。おぼろげに漂ふ感覚ではなくて、
一顆の黒い丸薬のやうな、小気味よく凝縮され、ただちに効力を発揮する、さういふ思考を
わがものにしなくてはならないのだ。
法律学とは、まことにふしぎな学問だつた! それは日常些末の行動まで、洩れなく
すくひ上げる細かい網目であると同時に、果ては星空や太陽の運行にまでむかしから
その大まかな網目をひろげてきた、考へられるかぎり貪欲な漁夫の仕事であつた。
何故時代は下つて今のやうになつたのでせう。何故力と若さと野心と素朴が衰へ、
このやうな情ない世になつたのでせう。
一瞬の躊躇が、人のその後の生き方をすつかり変へてしまふことがあるものだ。その一瞬は
多分白紙の鋭い折れ目のやうになつてゐて、躊躇が人を永久に包み込んで、今までの紙の表へ
出られぬやうになつてしまふのにちがひない。
三島由紀夫「春の雪」より
505 :
無名草子さん:2011/01/15(土) 20:29:11
あたかも俥は、邸の多い霞町の坂の上の、一つの崖ぞひの空地から、麻布三聨隊の営庭を
見渡すところへかかつてゐた。いちめんの白い営庭には兵隊の姿もなかつたが、突然、
清顕はそこに、例の日露戦没写真集の、得利寺附近の戦死者の弔辞の幻を見た。
数千の兵士がそこに群がり、白木の墓標と白布をひるがへした祭壇を遠巻きにして
うなだれてゐる。あの写真とはちがつて、兵士の肩にはことごとく雪が積み、軍帽の庇は
ことごとく白く染められてゐる。それは実は、みんな死んだ兵士たちなのだ、と幻を見た瞬間に
清顕は思つた。あそこに群がつた数千の兵士は、ただ戦友の弔辞のために集つたのではなくて、
自分たち自身を弔ふためにうなだれてゐるのだ。……
幻はたちまち消え、移る景色は、高い塀のうちに、大松の雪吊りの新しい縄の鮮やかな麦色に
雪が危ふく懸つてゐるさま、ひたと締めた総二階の磨硝子の窓がほのかに昼の灯火を
にじませてゐるさま、などを次々と雪ごしに示した。
三島由紀夫「春の雪」より
506 :
無名草子さん:2011/01/16(日) 15:21:22
百年たつたらどうなんだ。われわれは否応なしに、一つの時代思潮の中へ組み込まれて、
眺められる他はないだらう。美術史の各時代の様式のちがひが、それを容赦なく証明してゐる。
一つの時代の様式の中に住んでゐるとき、誰もその様式をとほしてでなくては物を見ることが
できないんだ。
様式のなかに住んでゐる人間には、その様式が決して目に見えないんだ。だから俺たちも
何かの様式に包み込まれてゐるにちがひないんだよ。金魚が金魚鉢の中に住んでゐることを
自分でも知らないやうに。
貴様は感情の世界だけに生きてゐる。人から見れば変つてゐるし、貴様自身も自分の個性に
忠実に生きてゐると思つてゐるだらう。しかし貴様の個性を証明するものは何もない。
同時代人の証言はひとつもあてにならない。もしかすると貴様の感情の世界そのものが、
時代の様式の一番純粋な形をあらはしてゐるのかもしれないんだ。……でも、それを
証明するものも亦一つもない。
三島由紀夫「春の雪」より
507 :
無名草子さん:2011/01/16(日) 15:21:53
ナポレオンの意志が歴史を動かしたといふ風に、すぐに西洋人は考へたがる。貴様の
おぢいさんたちの意志が、明治維新をつくり出したといふ風に。
しかし果してさうだらうか? 歴史は一度でも人間の意志どほりに動いたらうか?
たとへば俺が意志を持つてゐるとする……それも歴史を変へようとする意志を持つてゐるとする。
俺の一生をかけて、全精力全財産を費して、自分の意志どほりに歴史をねぢ曲げようと努力する。
又、さうできるだけの地位や権力を得ようとし、それを手に入れたとする。それでも歴史は
思ふままの枝ぶりになつてくれるとは限らないんだ。
百年、二百年、あるひは三百年後に、急に歴史は、俺とは全く関係なく、正に俺の夢、理想、
意志どほりの姿をとるかもしれない。正に百年前、二百年前、俺が夢みたとほりの形を
とるかもしれない。俺の目が美しいと思ふかぎりの美しさで、微笑んで、冷然と俺を見下ろし、
俺の意志を嘲るかのやうに。
それが歴史といふものだ、と人は言ふだらう。
三島由紀夫「春の雪」より
508 :
無名草子さん:2011/01/16(日) 15:22:13
俺が思ふには、歴史には意志がなく、俺の意志とは又全く関係がない。だから何の意志からも
生れ出たわけではないさういふ結果は、決して『成就』とは言へないんだ。それが証拠に、
歴史のみせかけの成就は、次の瞬間からもう崩壊しはじめる。
歴史はいつも崩壊する。又次の徒(あだ)な結晶を準備するために。歴史の形成と崩壊とは
同じ意味をしか持たないかのやうだ。
俺にはそんなことはよくわかつてゐる。わかつてゐるけれど、俺は貴様とちがつて、
意志の人間であることをやめられないんだ。意志と云つたつて、それはあるひは俺の
強ひられた性格の一部かもしれない。確としたことは誰にも言へない。しかし人間の意志が、
本質的に『歴史に関はらうとする意志』だといふことは云へさうだ。俺はそれが『歴史に
関はる意志』だと云つてゐるのではない。意志が歴史に関はるといふことは、ほとんど
不可能だし、ただ『関はらうとする』だけなんだ。それが又、あらゆる意志にそなはる
宿命なのだ。意志はもちろん、一切の宿命をみとめようとはしないけれども。
三島由紀夫「春の雪」より
509 :
無名草子さん:2011/01/16(日) 15:24:36
聡子と自分が、これ以上何もねがはないやうな一瞬の至福の裡にあることを確かめたかつた。
少しでも聡子が気乗りのしない様子を見せれば、それは叶はなかつた。彼は妻が自分と同じ夢を
見なかつたと云つて咎め立てする、嫉妬深い良人のやうだつた。
拒みながら彼の腕のなかで目を閉ぢる聡子の美しさは喩へん方なかつた。微妙な線ばかりで
形づくられたその顔は、端正でゐながら何かしら放恣なものに充ちてゐた。その唇の片端が、
こころもち持ち上つたのが、歔欷(きよき)のためか微笑のためか、彼は夕明りの中に
たしかめようと焦つたが、今は彼女の鼻翼のかげりまでが、夕闇のすばやい兆のやうに
思はれた。清顕は髪に半ば隠れてゐる聡子の耳を見た。耳朶にはほのかな紅があつたが、
耳は実に精緻な形をしてゐて、一つの夢のなかの、ごく小さな仏像を奥に納めた小さな珊瑚の
龕のやうだつた。すでに夕闇が深く領してゐるその耳の奥底には、何か神秘なものがあつた。
その奥にあるのは聡子の心だらうか? 心はそれとも、彼女のうすくあいた唇の、潤んで
きらめく歯の奥にあるのだらうか?
三島由紀夫「春の雪」より
510 :
無名草子さん:2011/01/16(日) 15:24:56
清顕はどうやつて聡子の内部へ到達できるかと思ひ悩んだ。聡子はそれ以上自分の顔が
見られることを避けるやうに、顔を自分のはうから急激に寄せてきて接吻した。清顕は
片手をまはしてゐる彼女の腰のあたりの、温かさを指尖に感じ、あたかも花々が腐つてゐる
室のやうなその温かさの中に、鼻を埋めてその匂ひをかぎ、窒息してしまつたらどんなに
よからうと想像した。聡子は一語も発しなかつたが、清顕は自分の幻が、もう一寸のところで、
完全な美の均整へ達しようとしてゐるのをつぶさに見てゐた。
唇を離した聡子の大きな髪が、じつと清顕の制服の胸に埋められたので、彼はその髪油の香りの
立ち迷ふなかに、幕の彼方にみえる遠い桜が、銀を帯びてゐるのを眺め、憂はしい髪油の匂ひと
夕桜の匂ひとを同じもののやうに感じた。夕あかりの前に、こまかく重なり、けば立つた
羊毛のやうに密集してゐる遠い桜は、その銀灰色にちかい粉つぽい白の下に、底深く
ほのかな不吉な紅、あたかも死化粧のやうな紅を蔵(かく)してゐた。
三島由紀夫「春の雪」より
511 :
無名草子さん:2011/01/17(月) 11:40:42
貧しい想像力の持主は、現実の事象から素直に自分の判断の糧を引出すものであるが、
却つて想像力のゆたかな人ほど、そこにたちまち想像の城を築いて立てこもり、窓といふ窓を
閉めてしまふやうになる傾きを、清顕も亦持つてゐた。
聡子はそのころふさふさと長い黒いお河童頭にしてゐた。かがみ込んで巻物を書いてゐるとき、
熱心のあまり、肩から前へ雪崩れ落ちる夥しい黒髪にもかまはず、その小さな細い指を
しつかりと筆にからませてゐたが、その髪の割れ目からのぞかれる、愛らしい一心不乱の横顔、
下唇をむざんに噛みしめた小さく光る怜悧な前歯、幼女ながらにすでにくつきりと遠つた
鼻筋などを、清顕は飽かず眺めてゐたものだ。それから憂はしい暗い墨の匂ひ、紙を走る筆が
かすれるときの笹の葉裏を通ふ風のやうなその音、硯(すずり)の海と岡といふふしぎな名称、
波一つ立たないその汀から急速に深まる海底は見えず、黒く澱んで、墨の金箔が剥がれて
散らばつたのが、月影の散光のやうに見える永遠の夜の海……。
三島由紀夫「春の雪」より
512 :
無名草子さん:2011/01/17(月) 11:40:58
われわれは恋しい人を目の前にしてさへ、その姿形と心とをばらばらに考へるほど愚かなのだから、
今僕は彼女の実在と離れてゐても、逢つてゐるときよりも却つて一つの結晶を成した月光姫を
見てゐるのかもしれないのだ。別れてゐることが苦痛なら、逢つてゐることも苦痛でありうるし、
逢つてゐることが歓びならば、別れてゐることも歓びであつてならぬといふ道理はない。
さうでせう? 松枝君。僕は、恋するといふことが時間と空間を魔術のやうにくぐり抜ける秘密が
どこにあるか探つてみたいんです。その人を前にしてさへ、その人の実在を恋してゐるとは
限らないのですから、しかも、その人の美しい姿形は、実在の不可欠の形式のやうに
思はれるのですから、時間と空間を隔てれば、二重に惑はされることにもなりうる代りに、
二倍も実在に近づくことにもなりうる。……
優雅といふものは禁を犯すものだ、それも至高の禁を。
三島由紀夫「春の雪」より
513 :
無名草子さん:2011/01/17(月) 11:44:27
彼はまぎれもなく恋してゐた。だから膝を進めて聡子の肩へ手をかけた。その肩は頑なに拒んだ。
この拒絶の手ごたへを、彼はどんなに愛したらう。大がかりな、式典風な、われわれの
住んでゐる世界と大きさを等しくするやうなその壮大な拒絶。このやさしい肉慾にみちた肩に
のしかかる、勅許の重みをかけて抗(はむか)つてくる拒絶。これこそ彼の手に熱を与へ、
彼の心を焼き滅ぼすあらたかな拒絶だつた。聡子の庇髪の正しい櫛目のなかには、香気に
みちた漆黒の照りが、髪の根にまで届いてゐて、彼はちらとそれをのぞいたとき、月夜の森へ
迷ひ込むやうな心地がした。
清顕は手巾から洩れてゐる濡れた頬に顔を近づけた。無言で拒む頬は左右に揺れたが、
その揺れ方はあまりに無心で、拒みは彼女の心よりもずつと遠いところから来るのが知れた。
清顕は手巾を押しのけて接吻しようとしたが、かつて雪の朝あのやうに求めてゐた唇は、
今は一途に拒み、拒んだ末に、首をそむけて、小鳥が眠る姿のやうに、自分の着物の襟に
しつかりと唇を押しつけて動かなくなつた。
三島由紀夫「春の雪」より
514 :
無名草子さん:2011/01/17(月) 11:45:18
雨の音がきびしくなつた。清顕は女の体を抱きながら、その堅固を目で測つた。夏薊の
縫取のある半襟の、きちんとした襟の合せ目は、肌のわづかな逆山形をのこして、神殿の
扉のやうに正しく閉ざされ、胸高に〆めた冷たく固い丸帯の中央に、金の帯留を釘隠しの
鋲のやうに光らせてゐた。しかし彼女の八つ口や袖口からは、肉の熱い微風がさまよひ出て
ゐるのが感じられた。その微風は清顕の頬にかかつた。
彼は片手を聡子の背から外し、彼女の顎をしつかりとつかんだ。顎は清顕の指のなかに
小さな象牙の駒のやうに納まつた。涙に濡れたまま、美しい鼻翼は羽搏いてゐた。そして
清顕は、したたかに唇を重ねることができた。
急に聡子の中で、炉の戸がひらかれたやうに火勢が増して、ふしぎな焔が立上つて、双の手が
自由になつて、清顕の頬を押へた。その手は清顕の頬を押し戻さうとし、その唇は押し
戻される清顕の唇から離れなかつた。濡れた唇が彼女の拒みの余波で左右に動き、清顕の唇は
その絶妙のなめらかさに酔うた。それによつて、堅固な世界は、紅茶に涵された一顆の
角砂糖のやうに融けてしまつた。そこから果てしれぬ甘美と融解がはじまつた。
三島由紀夫「春の雪」より
515 :
無名草子さん:2011/01/17(月) 11:45:38
あの花々しい戦争の時代は終つてしまつた。戦争の昔話は、監武課の生き残りの功名話や、
田舎の炉端の自慢話に墜してしまつた。もう若い者が戦場へ行つて戦死することは
たんとはあるまい。
しかし行為の戦争がをはつてから、その代りに、今、感情の戦争の時代がはじまつたんだ。
この見えない戦争は、鈍感な奴にはまるで感じられないし、そんなものがあることさへ
信じられないだらうと思ふ。だが、たしかに、この戦争がはじまつてをり、この戦争のために
特に選ばれた若者たちが、戦ひはじめてゐるにちがひない。貴様はたしかにその一人だ。
行為の戦場と同じやうに、やはり若い者が、その感情の戦場で戦死してゆくのだと思ふ。
それがおそらく、貴様をその代表とする、われわれの時代の運命なんだ。……それで貴様は、
その新らしい戦争で戦死する覚悟を固めたわけだ。さうだらう?
三島由紀夫「春の雪」より
516 :
無名草子さん:2011/01/17(月) 12:11:41
繁邦は思つてゐた。人間の情熱は、一旦その法則に従つて動きだしたら、誰もそれを
止めることはできない、と。それは人間の理性と良心を自明の前提としてゐる近代法では、
決して受け入れられぬ理論だつた。
一方、繁邦はかうも思つてゐた。はじめ自分に無縁なものと考へて傍聴しはじめた裁判が、
今はたしかに無縁なものではなくなつた代りに、増田とみが目の前で吹き上げた赤い
熔岩のやうな情念とは、つひに触れ合はない自分を、発見するよすがにもなつた、と。
雨のまま明るくなつた空は、雲が一部分だけ切れて、なほふりつづく雨を、つかのまの
孤雨に変へてゐた。窓硝子の雨滴を一せいにかがやかす光りが、幻のやうにさした。
本多は自分の理性がいつもそのやうな光りであることを望んだが、熱い闇にいつも
惹かれがちな心性をも、捨てることはできなかつた。しかしその熱い闇はただ魅惑だつた。
他の何ものでもない、魅惑だつた。清顕も魅惑だつた。そしてこの生を奥底のはうから
ゆるがす魅惑は、実は必ず、生ではなく、運命につながつてゐた。
三島由紀夫「春の雪」より
517 :
無名草子さん:2011/01/17(月) 12:12:12
海はすぐそこで終る。これほど遍満した海、これほど力にあふれた海が、すぐ目の前で
をはるのだ。時間にとつても、空間にとつても、境界に立つてゐることほど、神秘な感じの
するものはない。海と陸とのこれほど壮大な境界に身を置く思ひは、あたかも一つの時代から
一つの時代へ移る、巨きな歴史的瞬間に立会つてゐるやうな気がするではないか。そして本多と
清顕が生きてゐる現代も、一つの潮の退き際、一つの波打際、一つの境界に他ならなかつた。
……海はすぐその目の前で終る。
波の果てを見てゐれば、それがいかに長いはてしない努力の末に、今そこであへなく
終つたかがわかる。そこで世界をめぐる全海洋的規模の、一つの雄大きはまる企図が徒労に
終るのだ。
……しかし、それにしても、何となごやかな、心やさしい挫折だらう。波の最後の
余波(なごり)の小さな笹縁は、たちまちその感情の乱れを失つて、濡れた平らな砂の鏡面と
一体化して、淡い泡沫ばかりになるころには、身はあらかた海の裡へ退いてゐる。
三島由紀夫「春の雪」より
518 :
無名草子さん:2011/01/17(月) 12:12:29
あの橄欖(オリーブ)いろのなめらかな腹を見せて砕ける波は、擾乱であり、怒号で
あつたものが、次第に怒号は、ただの叫びに、叫びはいづれ囁きに変つてしまふ。大きな
白い奔馬は、小さな白い奔馬になり、やがてその逞しい横隊の馬身は消え去つて、最後に
蹴立てる白い蹄だけが渚に残る。
退いてゆく波の彼方、幾重にもこちらへこちらへと折り重つてくる波の一つとして、白い
なめらかな背(せびら)を向けてゐるものはない。みんなが一せいにこちらを目ざし、
一せいに歯噛みをしてゐる。しかし沖へ沖へと目を馳せると、今まで力づよく見えてゐた渚の
波も、実は稀薄な衰へた拡がりの末としか思はれなくなる。次第次第に、沖へ向つて、
海は濃厚になり、波打際の海の稀薄な成分は濃縮され、だんだんに圧搾され、濃緑色の
水平線にいたつて、無限に煮つめられた青が、ひとつの硬い結晶に達してゐる。距離と
ひろがりを装ひながら、その結晶こそは海の本質なのだ。この稀いあわただしい波の重複の
はてに、かの青く凝結したもの、それこそは海なのだ。……
三島由紀夫「春の雪」より
519 :
無名草子さん:2011/01/17(月) 12:15:00
本多は、頭のよい青年の逸り気から、やや軽んずるやうな口調で断定した。
「それは生れ変りの問題とはちがひます」
「なぜちがふ」とジャオ・ピーは穏やかに言つた。「一つの思想が、ちがふ個体の中へ、
時を隔てて受け継がれてゆくのは、君も認めるでせう。それなら又、同じ個体が、別々の
思想の中へ時を隔てて受け継がれてゆくとしても、ふしぎではないでせう」
「猫と人間が同じ個体ですか? さつきのお話の、人間と白鳥と鶉と鹿が」
「生れ変りの考へは、それを同じ個体と呼ぶんです。肉体が連続しなくても、妄念が
連続するなら、同じ個体と考へて差支へがありません。個体と云はずに、『一つの生の流れ』と
呼んだらいいかもしれない。
僕はあの思ひ出深いエメラルドの指環を失つた。指環は生き物ではないから、生れ変りはすまい。
でも、喪失といふことは何かですよ。それが僕には、出現のそもそもの根拠のやうに思へるのだ。
指環はいつか又、緑いろの星のやうに、夜空のどこかに現はれるだらう」
三島由紀夫「春の雪」より
520 :
無名草子さん:2011/01/17(月) 12:15:23
本多はその言葉を聴き流しながら、さつきジャオ・ピーが言つたふしぎな逆説について思ひに
耽つてゐた。たしかに人間を個体と考へず、一つの生の流れととらへる考へ方はありうる。
静的な存在として考へず、流動する存在としてつかまへる考へ方はありうる。そのとき
王子が言つたやうに、一つの思想が別々の「生の流れ」の中に受けつがれるのと、一つの「生の流れ」が別々の
思想の中に受けつがれるのとは、同じことになつてしまふ。生と思想とは同一化されてしまふ
からだ。そしてそのやうな、生と思想が同一のものであるやうな哲学をおしひろげれば、
無数の生の流れを統括する生の大きな潮の連鎖、人が「輪廻」と呼ぶものも、一つの思想で
ありうるかもしれないのだ。……
それは正しく琴だつた! かれらは槽の中へまぎれ込んだ四粒の砂であり、そこは
果てしのない闇の世界であつたが、槽の外には光りかがやく世界があつて、竜角から雲角まで
十三弦の弦が張られ、たとしへもなく白い指が来てこれに触れると、星の悠々たる運行の音楽が、
琴をとどろかして、底の四粒の砂をゆすぶるのだつた。
三島由紀夫「春の雪」より
521 :
無名草子さん:2011/01/17(月) 12:15:42
……いつか時期がまゐります。それもそんなに遠くはないいつか。そのとき、お約束しても
よろしいけれど、私は未練を見せないつもりでをります。こんなに生きることの有難さを
知つた以上、それをいつまでも貪るつもりはございません。どんな夢にもをはりがあり、
永遠なものは何もないのに、それを自分の権利と思ふのは愚かではございませんか。
私はあの『新しき女』などとはちがひます。……でも、もし永遠があるとすれば、それは
今だけなのでございますわ。
清顕は皆に背を向けて、夕空にゆらめき出す煙のあとを追ひながら、沖の雲の形が崩れて
おぼろげなのが、なほ一面ほのかな黄薔薇の色に染つてゐるのを見た。そこにも彼は聡子の影を
感じた。聡子の影と匂ひはあらゆるものにしみ入り、自然のどんな微妙な変様も聡子と
無縁ではなかつた。ふと風が止んで、なまあたたかい夏の夕方の大気が肌に触れると、
そのとき裸の聡子の肌がそこに立ち迷つて、ぢかに清顕の肌に触れるやうな気がした。
少しづつ暮れてゆく合歓(ねむ)の樹の、緑の羽毛を重ねたやうな木蔭にさへ、聡子の断片が
漂つてゐた。
三島由紀夫「春の雪」より
522 :
無名草子さん:2011/01/18(火) 11:01:00
「君はのちのちすべてを忘れる決心がついてゐるんだね」
「ええ。どういふ形でか、それはまだわかりませんけれど。私たちの歩いてゐる道は、
道ではなくて桟橋ですから、どこかでそれが終つて、海がはじめるのは仕方がございませんわ」
彼はかねて学んだ優雅が、血みどろの実質を秘めてゐるのを知りつつあつた。いちばんたやすい
解決は二人の相対の死にちがひないが、それにはもつと苦悩が要る筈で、かういふ忍び逢ひの、
すぎ去つてゆく一瞬一瞬にすら、清顕は、犯せば犯すほど無限に深まつてゆく禁忌の、
決して到達することのない遠い金鈴の音のやうなものに聞き惚れてゐた。罪を犯せば犯すほど、
罪から遠ざかつてゆくやうな心地がする。……最後にはすべてが、大がかりな欺瞞で終る。
それを思ふと彼は慄然とした。
「かうして御一緒に歩いてゐても、お仕合せさうには見えないのね。私は今の刹那刹那の
仕合せを大事に味はつてをりますのに。……もうお飽きになつたのではなくて?」
と聡子はいつものさはやかな声で、平静に怨じた。
「あんまり好きだから、仕合せを通り過ぎてしまつたのだ」
と清顕は重々しく言つた。
三島由紀夫「春の雪」より
523 :
無名草子さん:2011/01/18(火) 11:02:32
落着き払つたこの老女の、この世に安全なものなどはないといふ哲学は、そもそも保身の
自戒であつた筈が、それがそのまま自分の身の安全をも捨てさせ、その哲学自体を、冒険の
口実にしてしまつたのは、何に拠るのだらう。蓼科はいつのまにか、一つの説明しがたい快さの
虜になつてゐた。自分の手引で、若い美しい二人を逢はせてやることが、そして彼らの
望みのない恋の燃え募るさまを眺めてゐることが、蓼科にはしらずしらず、どんな危険と
引きかへにしてもよい痛烈な快さになつてゐた。
この快さの中では、美しい若い肉の融和そのものが、何か神聖で、何か途方もない正義に
叶つてゐるやうに感じられた。
二人が相会ふときの目のかがやき、二人が近づくときの胸のときめき、それらは蓼科の
冷え切つた心を温めるための煖炉であるから、彼女は自分のために火種を絶やさぬやうになつた。
相見る寸前までの憂ひにやつれた頬が、相手の姿をみとめるやいなや、六月の麦の穂よりも
輝やかしくなる。……その瞬間は、足萎えも立ち、盲らも目をひらくやうな奇蹟に充ちてゐた。
三島由紀夫「春の雪」より
524 :
無名草子さん:2011/01/18(火) 11:02:57
実際蓼科の役目は聡子を悪から護ることにあつた筈だが、燃えてゐるものは悪ではない、
歌になるものは悪ではない、といふ訓(をし)へは綾倉家の伝承する遠い優雅のなかに
ほのめかされてゐたのではなかつたか?
それでゐて蓼科は、何事かをじつと待つてゐた。放し飼の小鳥を捕へて籠へ戻す機会を
待つてゐたとも云へようが、この期待には何か不吉で血みどろなものがあつた。蓼科は毎朝
念入りに京風の厚化粧をし、目の下の波立つ皺を白粉に隠し、唇の皺を玉虫色の京紅の照りで
隠した。さうしてゐながら、鏡の中のわが顔を避け、中空へ問ふやうなどす黒い視線を放つた。
秋の遠い空の光りは、その目に澄んだ点滴を落した。しかも未来はその奥から何ものかに
渇いてゐる顔をのぞかせてゐた。……蓼科は出来上つた自分の化粧をしらべ直すために、
ふだんは使はない老眼鏡をとりだして、そのかぼそい金の蔓を耳にかけた。すると老いた
真白な耳朶が、たちまち蔓の突端に刺されて火照つた。……
三島由紀夫「春の雪」より
525 :
無名草子さん:2011/01/18(火) 11:03:36
聡子は意外なことを言つた。
「私は牢に入りたいのです」
蓼科は緊張が解けて、笑ひだした。
「お子達のやうなことを仰言つて! それは又何故でございます」
「女の囚人はどんな着物を着るのでせうか。さうなつても清様が好いて下さるかどうかを
知りたいの」
――聡子がこんな理不尽なことを言ひ出したとき、涙どころか、その目を激しい喜びが
横切るのを見て、蓼科は戦慄した。
この二人の女が、身分のちがひもものかは、心に強く念じてゐたのは、同じ力の、同じたぐひの
勇気だつたにちがひない。欺瞞のためにも、真実のためにも、これほど等量等質の勇気が
求められてゐる時はなかつた。
蓼科は自分と聡子が、流れを遡らうとする舟と流れとの力が丁度拮抗して、舟がしばらく
一つところにとどまつてゐるやうに、現在の瞬間瞬間、もどかしいほど親密に結びつけられて
ゐるのを感じた。又、二人は同じ歓びをお互ひに理解してゐた。近づく嵐をのがれて頭上に
迫つてくる群鳥の羽搏きにも似た歓びの羽音を。
三島由紀夫「春の雪」より
526 :
無名草子さん:2011/01/18(火) 11:08:54
「ぢやあ、気をつけて」
と言つた。言葉にも軽い弾みを持たせ、その弾みを動作にも移して、聡子の肩に手を置かうと
思へば置くこともできさうだつた。しかし、彼の手は痺れたやうになつて動かなかつた。
そのとき正(まさ)しく清顕を見つめてゐる聡子の目に出会つたからである。
その美しい大きい目はたしかに潤んでゐたが、清顕がそれまで怖れてゐた涙はその潤みから
遠かつた。涙は、生きたまま寸断されてゐた。溺れる人が救ひを求めるやうに、まつしぐらに
襲ひかかつて来るその目である。清顕は思はずひるんだ。聡子の長い美しい睫は、植物が
苞をひらくやうに、みな外側へ弾け出て見えた。
「清様もお元気で。……ごきげんよう」
と聡子は端正な口調で一気に言つた。
清顕は追はれるやうに汽車を降りた。折しも腰に短剣を吊り五つ釦の黒い制服を着た駅長が、
手をあげるのを合図にして、ふたたび車掌の吹き鳴らす呼笛がきこえた。
かたはらに立つ山田を憚りながら、清顕は心に聡子の名を呼びつづけた。汽車が軽い
身じろぎをして、目の前の糸巻の糸が解(ほど)けたやうに動きだした。
三島由紀夫「春の雪」より
527 :
無名草子さん:2011/01/18(火) 11:09:50
「お髪を下ろしたのね」
と夫人は、娘の体を掻き抱くやうにして言つた。
「お母さん、他に仕様はございませんでした」
とはじめて母へ目を向けて聡子は言つたが、その瞳には小さく蝋燭の焔が揺れてゐるのに、
その目の白いところには、暁の白光がすでに映つてゐた。夫人は娘の目の中から射し出た
このやうな怖ろしい曙を見たことはない。聡子が指にからませてゐる水晶の数珠の一顆一顆も、
聡子の目の裡と同じ白みゆく光りを宿し、これらの、意志の極みに意志を喪つたやうな幾多の
すずしい顆粒の一つ一つから、一せいに曙がにじみ出してゐた。
聡子は目を閉ぢつづけてゐる。朝の御堂の冷たさは氷室のやうである。自分は漂つてゆくが、
自分の身のまはりには清らかな氷が張りつめてゐる。たちまち庭の百舌がけたたましく啼き、
この氷には稲妻のやうな亀裂が走つたが、次には又その亀裂は合して、無瑕になつた。
剃刀は聡子の頭を綿密に動いてゐる。ある時は、小動物の鋭い小さな白い門歯が齧るやうに、
ある時はのどかな草食獣のおとなしい臼歯の咀嚼のやうに。
三島由紀夫「春の雪」より
528 :
無名草子さん:2011/01/18(火) 11:10:15
髪の一束一束が落ちるにつれ、頭部には聡子が生れてこのかた一度も知らない澄みやかな
冷たさがしみ入つた。自分と宇宙との間を隔ててゐたあの熱い、煩悩の鬱気に充ちた黒髪が
剃り取られるにつれて、頭蓋のまはりには、誰も指一つ触れたことのない、新鮮で冷たい
清浄の世界がひらけた。剃られた肌がひろがり、あたかも薄荷を塗つたやうな鋭い寒さの
部分がひろがるほどに。
頭の冷気は、たとへば月のやうな死んだ天体の肌が、ぢかに宇宙のかう気に接してゐる感じは
かうもあらうかと思はれた。髪は現世そのもののやうに、次々と頽落した。頽落して無限に
遠くなつた。
髪は何ものかにとつての収穫(とりいれ)だつた。むせるやうな夏の光りを、いつぱい
その中に含んでゐた黒髪は、刈り取られて聡子の外側へ落ちた。しかしそれは無駄な収穫だつた。
あれほど艶やかだつた黒髪も、身から離れた刹那に、醜い髪の骸(むくろ)になつたからだ。
かつて彼女の肉に属し、彼女の内部と美的な関はりがあつたものが残らず外側へ捨て去られ、
人間の体から手が落ち足が落ちてゆくやうに、聡子の現世は剥離してゆく。……
三島由紀夫「春の雪」より
529 :
無名草子さん:2011/01/18(火) 11:10:34
ああ……「僕の年」が過ぎてゆく! 過ぎてゆく! 一つの雲のうつろひと共に。
すべてが辛く当る。僕はもう陶酔の道具を失くしてしまつた。物凄い明晰さ、爪先で弾けば
全天空が繊細な玻璃質の共鳴で応じるやうな、物凄い明晰さが、今世界を支配してゐる。
……しかも、寂寥は熱い。何度も吹かなければ口へ入れられない熱い澱んだスープのやうに熱く、
いつも僕の目の前に置かれてゐる。その厚手の白いスープ皿の、蒲団のやうな汚れた鈍感な
厚味と来たら! 誰が僕のためにこんなスープを注文したのか?
僕は一人取り残されてゐる。愛慾の渇き。運命への呪ひ。はてしれない心の彷徨。あてどない
心の願望。……小さな自己陶酔。小さな自己弁護。小さな自己偽瞞。……失はれた時と、
失はれた物への、炎のやうに身を灼く未練。年齢の空しい推移。青春の情ない閑日月。
人生から何の結実も得ないこの憤ろしさ。……一人の部屋。一人の夜々。……世界と
人間とからのこの絶望的な隔たり。……叫び。きかれない叫び。……外面の花やかさ。
……空つぽの高貴。……
……それが僕だ!
三島由紀夫「春の雪」より
530 :
無名草子さん:2011/01/18(火) 11:10:57
――さうして、寝苦しい夜をすごして、二十六日の朝になつた。
この日、大和平野には、黄ばんだ芒野に風花が舞つてゐた。春の雪といふにはあまりに淡くて、
羽虫が飛ぶやうな降りざまであつたが、空が曇つてゐるあひだは空の色に紛れ、かすかに
弱日が射すと、却つてそれがちらつく粉雪であることがわかつた。寒気は、まともに雪の
降る日よりもはるかに厳しかつた。
清顕は枕に頭を委ねたまま、聡子に示すことのできる自分の至上の誠について考へてゐた。
本多は、決して襖一重といふほどの近さではないが、遠からぬところ、廊下の片隅から一間を
隔てた部屋かと思はれるあたりで、幽かに紅梅の花のひらくやうな忍び笑ひをきいたと思つた。
しかしすぐそれは思ひ返されて、若い女の忍び笑ひときかれたものは、もし本多の耳の迷ひで
なければ、たしかにこの春寒の空気を伝はる忍び泣きにちがひないと思はれた。強ひて抑へた
嗚咽の伝はるより早く、弦が断たれたやうに、嗚咽の絶たれた余韻がほの暗く伝はつた。
今、夢を見てゐた。又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で。
三島由紀夫「春の雪」より
531 :
無名草子さん:2011/01/20(木) 11:49:58
本多にとつて青春とは、松枝清顕の死と共に終つてしまつたやうに思はれた。あそこで
凝結して、結晶して、燃え上つたものが尽きてしまつた。
もろもろの記憶のなかでは、時を経るにつれて、夢と現実とは等価のものになつてゆく。
かつてあつた、といふことと、かくもありえた、といふことの境界は薄れてゆく。夢が現実を
迅速に蝕んでゆく点では、過去はまた未来と酷似してゐた。
ずつと若いときには、現実は一つしかなく、未来はさまざまな変容を孕んで見えるが、
年をとるにつれて、現実は多様になり、しかも過去は無数の変容に歪んでみえる。そして
過去の変容はひとつひとつ多様な現実と結びついてゐるやうに思はれるので、夢との堺目は
一そうおぼろげになつてしまふ。それほどうつろひやすい現実の記憶とは、もはや夢と
次元の異ならぬものになつたからだ。
きのふ逢つた人の名さへ定かに憶えてゐない一方では、清顕の記憶がいつも鮮明に呼び
起されるさまは、今朝通つた見馴れた町角の眺めよりも、ゆうべ見た怖ろしい夢の記憶のはうが
あざやかなことにも似てゐた。
三島由紀夫「奔馬」より
532 :
無名草子さん:2011/01/20(木) 11:50:20
そこでは、本多の耳朶を搏つ「裂帛の」気合は、わづかな裂け目から迸つた少年の魂の
火のやうにきこえてきた。(中略)
それは時といふものが人の心に演じさせるふしぎな真剣な演技だつた。過去の銀にかけた
記憶の微妙な嘘の銹を強ひて剥がさずに、夢や願望の入りまじつた全体の姿を演じ直して、
その演技をたよりに、むかしの自分も意識してゐなかつたもつと深い本質的な自分の姿へ
到達しようとする試みだつた。かつて住んでゐた村を、遠い峠から望み見るやうに、そこに
住んだ経験の細部は犠牲にされても、そこに住んだことの意味は明らかになり、住んでゐた間は
重要なことに思はれた広場の甃の凹みも、遠目にはそこの水たまりの一点の煌きだけに
よつて美しい、何らこだはりのない美になるのであつた。
飯沼少年が最初の雄叫びをあげた瞬間に、かうして三十八歳の裁判官は、その叫び自体が
矢尻のやうに少年の胸深く刺つて残つてゐる、鋭いささくれた痛みにまですぐに思ひ至つた。
三島由紀夫「奔馬」より
533 :
無名草子さん:2011/01/20(木) 11:50:35
乙女たちは、鼈甲色の蕊をさし出した、直立し、ひらけ、はじける百合の花々のかげから
立ち現はれ、手に手に百合の花束を握つてゐる。
奏楽につれて、乙女たちは四角に相対して踊りはじめたが、高く掲げた百合の花は危険に
揺れはじめ、踊りが進むにつれて、百合は気高く立てられ、又、横ざまにあしらはれ、会ひ、
又、離れて、空をよぎるその白いなよやかな線は鋭くなつて、一種の刃のやうに見えるのだつた。
そして鋭く風を切るうちに百合は徐々にしなだれて、楽も舞も実になごやかに優雅であるのに、
あたかも手の百合だけが残酷に弄ばれてゐるやうに見えた。
……見てゐるうちに、本多は次第に酔つたやうになつた。これほど美しい神事は見たことが
なかつた。
そして寝不足の頭が物事をあいまいにして、目前の百合の祭ときのふの剣道の試合とが混淆し、
竹刀が百合の花束になつたり、百合が又白刃に変つたり、ゆるやかな舞を舞ふ乙女たちの、
濃い白粉の頬の上に、日ざしを受けて落ちる長い睫の影が、剣道の面金の慄へるきらめきと
一緒になつたりした。……
三島由紀夫「奔馬」より
534 :
無名草子さん:2011/01/20(木) 11:50:56
水平線上で海と空とが融け合ふやうに、たしかに夢と現実とは、はるか彼方では融け合つて
ゐることもあらうが、ここでは、少なくとも本多その人の身のまはりでは、人々はみんな
法の下にをり、又、法に護られてゐるにすぎなかつた。本多はこの世の実定法的秩序の
護り手であり、実定法はあたかも重い鉄の鍋蓋のやうに、現世のごつた煮の上に押しかぶさつて
ゐたのである。
『喰べる人間……消化する人間……排泄する人間……生殖する人間……愛したり憎んだり
する人間』
と本多は考へてゐた。それこそ裁判所の支配下にある人間だつた。まかりまちがへばいつでも
被告になりうる人間、それこそは唯一種類の現実性のある人間だつた。嚏をし、笑ひ、
生殖器をぶらぶらさせてゐる人間、……これらが一つの例外もなしにさういふ人間であるならば、
彼が畏れる神秘はどこにもない筈だつた。よしんばその中に一人ぐらゐ、清顕の生れ変りが
隠れてゐても。
三島由紀夫「奔馬」より
535 :
無名草子さん:2011/01/20(木) 11:51:16
それにしても、本多は何と巧みに、歴史から時間を抜き取つてそれを静止させ、すべてを
一枚の地図に変へてしまつたことだらう。それが裁判官といふものであらうか。彼が
「全体像」といふときの一時代の歴史は、すでに一枚の地図、一巻の絵巻物、一個の死物に
すぎぬではないか。『この人は、日本人の血といふことも、道統といふことも、志といふことも、
何もわかりはしないんだ』と少年は思つた。
『全体像だつて』勲は先程の手紙の文句を思ひ出して、ちよつと微笑した。『あの人は
火箸が熱くて触れないといふので、火鉢だけに触らうとしてゐるんだ。しかし火箸と火鉢とは
どこまでもちがふんだがなあ。火箸は金、火鉢は瀬戸物。あの人は純粋だけど、瀬戸物派なんだ』
純粋といふ観念は勲から出て、ほかの二人の少年の頭にも心にもしみ込んでゐた。勲は
スローガンを拵へた。「神風連の純粋に学べ」といふ仲間うちのスローガンを。
三島由紀夫「奔馬」より
536 :
無名草子さん:2011/01/20(木) 16:18:00
純粋とは、花のやうな観念、薄荷をよく利かした含嗽薬の味のやうな観念、やさしい母の胸に
すがりつくやうな観念を、ただちに、血の観念、不正を薙ぎ倒す刀の観念、袈裟がけに
斬り下げると同時に飛び散る血しぶきの観念、あるひは切腹の観念に結びつけるものだつた。
「花と散る」といふときに、血みどろの屍体はたちまち匂ひやかな桜の花に化した。純粋とは、
正反対の観念のほしいままな転換だつた。だから、純粋は詩なのである。
すべての屈折した物言ひ、註釈、「しかしながら」といふ考へ、……さういふものは勲の
理解の外にあつた。思想はまつ白な紙に鮮やかに落された墨痕であり、謎のやうな原典であつて、
飜訳はおろか、批評も註釈もつきやうのないものだつた。
爆弾は一つの譬(たと)へさ。神風連の上野堅吾が、主張して容れられなかつた小銃と
同じことだ。最後は剣だけだよ。それを忘れてはいけない。肉弾と剣だけだよ。
三島由紀夫「奔馬」より
537 :
無名草子さん:2011/01/20(木) 16:18:25
勲のはうへ向けた目は、やさしく、母性的な慈愛に潤んで、夜の庭の濡れた草木のどこかに
潜んでゐる血の夕映えの残滓を探るやうに、彼を見るとも、彼の背後の庭を見るともない
遠い視線になつた。
「悪い血は瀉血(しやけつ)したらいいんだわ。それでお国の病気が治るかもしれない。
勇気のない人たちは、重い病気にかかつたお国のまはりを、ただうろうろしてゐるだけなのね。
このままではお国が死んでしまふわ」
神風連が戦つたのは、ただ軍隊を相手といふわけではありません。鎮台兵の背後にあつたものは、
軍閥の芽だつたんです。かれらは軍閥を敵として戦つたんです。軍閥は神の軍隊ではなく、
神風連こそ陛下の軍隊だといふ自信を持つてゐたからです。
勲は自分の言葉が未熟なことをよく承知してゐたが、志がその未熟を補つて、焔のやうに
相手の焔と感応することをも信じてゐた。とりわけ今は夏だつた。毛織物のやうな厚い重い
息苦しい熱気の裡に対坐してゐて、何かが爆ければ忽ち火が移り、何もはじまらなければ
そのまま熔けた金属のように、あへなく融け消えてしまひさうに思はれた。
三島由紀夫「奔馬」より
538 :
無名草子さん:2011/01/21(金) 11:27:42
涙は危険な素質である。もしそれが必ずしも理智の衰へと結びついてゐないとしたら。
壁には西洋の戦場をあらはした巨大なゴブラン織がかかつてゐた。馬上の騎士のさし出した
槍の穂が、のけぞつた徒士の胸を貫いてゐる。その胸に咲いてゐる血潮は、古びて、
褪色して、小豆いろがかつてゐる。古い風呂敷なんぞによく見る色である。血も花も、
枯れやすく変質しやすい点でよく似てゐる、と勲は思つた。だからこそ、血と花は名誉へ
転身することによつて生き延び、あらゆる名誉は金属なのである。
その御目と勲の目が、一瞬、ごく古い鉄の鈴が永らく鳴らずに錆びついてゐたものが、
何かの震動によつて舌がほぐれて、正に鳴らんとして鈴の内側に触れるやうに、触れ合つた。
そのとき宮の御目が何を語つたか勲にもわからなかつたし、宮御自身も御存知ではなかつたで
あらう。しかしその一瞬に交はされたものは、並の愛情を超えたふしぎな結びつきの感情で、
宮の動かぬおん瞳には、何か遠来の悲しみが刹那に迸つて、勲の火のやうな注視を、宮は
その悲しみの水で忽ち消されたやうに思はれた。
三島由紀夫「奔馬」より
539 :
無名草子さん:2011/01/21(金) 11:28:03
「はい。忠義とは、私には、自分の手が火傷をするほど熱い飯を握つて、ただ陛下に
差し上げたい一心で握り飯を作つて、御前に捧げることだと思ひます。その結果、もし陛下が
御空腹でなく、すげなくお返しになつたり、あるひは、『こんな不味いものを喰へるか』と
仰言つて、こちらの顔へ握り飯をぶつけられるやうなことがあつた場合も、顔に飯粒を
つけたまま退下して、ありがたくただちに腹を切らねばなりません。又もし、陛下が
御空腹であつて、よろこんでその握り飯を召し上つても、直ちに退つて、ありがたく腹を
切らねばなりません。何故なら、草莽の手を以て直に握つた飯を、大御食として奉つた罪は
万死に値ひするからです。では、握り飯を作つて献上せずに、そのまま自分の手もとに
置いたらどうなりませうか。飯はやがて腐るに決まつてゐます。これも忠義ではありませうが、
私はこれを勇なき忠義と呼びます。勇気ある忠義とは、死をかへりみず、その一心に
作つた握り飯を献上することであります」
三島由紀夫「奔馬」より
540 :
無名草子さん:2011/01/21(金) 11:28:23
「罪と知りつつ、さうするのか」
「はい。殿下はじめ、軍人の方々はお仕合せです。陛下の御命令に従つて命を捨てるのが、
すなはち軍人の忠義だからであります。しかし一般の民草の場合、御命令なき忠義はいつでも
罪となることを覚悟せねばなりません」
「法に従へ、といふことは陛下の御命令ではないのか。裁判所といへども、陛下の裁判所である」
「私の申し上げる罪とは、法律上の罪ではありません。聖明が蔽はれてゐるこのやうな世に
生きてゐながら、何もせずに生き永らへてゐることがまづ第一の罪であります。その大罪を
祓ふには、涜神の罪を犯してまでも、何とか熱い握り飯を拵へて献上して、自らの忠心を
行為にあらはして、即刻腹を切ることです。死ねばすべては清められますが、生きてゐるかぎり、
右すれば罪、左すれば罪、どのみち罪を犯してゐることに変りはありません」
三島由紀夫「奔馬」より
541 :
無名草子さん:2011/01/21(金) 11:28:43
同志は、言葉によつてではなく、深く、ひそやかに、目を見交はすことによつて得られるのに
ちがひない。思想などではなく、もつと遠いところから来る或るもの、又、もつと明確な
外面的な表徴であつて、しかもこちらにその志がなければ決して見分けられぬ或るもの、
それこそが同志を作る因に相違ない。
寡黙と素朴と明快な笑顔は、多くの場合、信頼のおける性格と、敢為の気性と、それから
死を軽んずる意気とのあらはれであり、弁舌、大言壮語、皮肉な微笑などはしばしば怯惰を
あらはしてゐた。蒼白や病身は、或る場合には、人を凌ぐ狂ほしい精力の源泉だつた。
概して肥つた男は臆病でゐながら慎重を欠き、痩せて論理的な男は直観を欠いてゐた。
顔や外見が実に多くのことを語るのに勲は気づいた。
勲は綱領を作らなかつた。あらゆる悪がわれわれの無力と無為を是認するやうに働らいて
ゐる世なのであるから、どんな行為であれ、行為の決意が、われわれの綱領となるであらう。
三島由紀夫「奔馬」より
542 :
無名草子さん:2011/01/21(金) 16:49:09
「どうしてみんな帰らんのだ。これだけ言はれても、まだわからんのか」
と勲は叫んだが、これに応ずる声は一つもなく、しかも今度の沈黙はさつきのとは明らかに
ちがつて、何かの闇の中から温かい大きな獣が身を起したやうな感じのする沈黙だつた。
勲はその沈黙に、はじめてはつきりした手応へを感じた。それは熱く、獣臭く、血に充ち、
脈打つてゐた。
「よし。それぢや、のこつた君らは、何の期待も希望も持たずに、何もないかもしれない
ところへ命を賭けようにいふんだな」
「さうです」
と一人の凛々しい声がひびいた。
芦川は立上つて、勲へ一歩歩み寄つた。ずつと顔を寄せなくては見えないほどの闇の中で、
芦川の涙に濡れた目が迫つて来て、涙が咽喉に詰つた、ひどく低い野太い声でかう言つた。
「僕も残ります。どこへでも黙つてついて行きます」
「よし、では神前に誓ひ合はう。二拝二拍手。それから俺が誓ひの言葉をのべる。一つづつ
みんなで唱和してくれ」
勲、井筒、相良とのこる十七人の柏手が、闇の海に白木の船端を叩くやうにあざやかに
整然と響いた。
三島由紀夫「奔馬」より
543 :
無名草子さん:2011/01/21(金) 16:49:30
勲がかう唱へた。
「ひとつ、われらは神風連の純粋に学び、身を挺して邪神姦鬼を攘(はら)はん」
一同の若々しい声が唱和した。
「ひとつ、われらは神風連の純粋に学び、身を挺して邪神姦鬼を攘はん」
勲の声は、おぼろげな白い社の御扉にぶつかつて反響し、強い深い、悲壮な胸腔から、
若さの夢幻的な霧が噴き上げられるやうに聴かれた。空にはすでに星があつた。市電の響きが
遠く揺れた。彼は重ねて唱へた。
「ひとつ、われらは莫逆の交はりをなし、同志相扶(あひたす)けて国難に赴かん」
「ひとつ、われらは権力をねがはず立身をかへりみず、万死以て維新の礎とならん」
――誓がすむとすぐ、一人が勲の手を握つた。双の手を重ねて握つたのである。それから
二十人がこもごもに手を握り合ひ、又、争つて勲の手を握つた。
目が馴れて、ものの文目が明らかになりかけた星空の下で、手は次々とまだ握らぬ手を求めて、
あちこちでひらめいた。誰も口をきかない。何か言へば軽薄になるからである。
三島由紀夫「奔馬」より
544 :
無名草子さん:2011/01/22(土) 12:10:33
心の一部はすでにそれが誰であるかを認めてゐる。しかし心の大部分が、今しばしそれが
誰であるかを認めぬままに、保つておきたいと望んでゐる。幽暗に泛ぶ女の顔にはまだ名が
つけられず、名に先立つ匂ひやかな現前がある。それは夜の小径をゆくときに、花を見るより
前(さき)に聞く木犀の香りのやうなものである。勲はさういふものをこそ、一瞬でも永く
とどめておきたい心地がしてゐる。そのときこそ、女は女であり、名づけられた或る人では
ないからだ。
そればかりではない。それは、秘し匿された名によつて、その名を言はぬといふ約束によつて、
あたかも隠された支柱で闇に高く泛んだ夕顔の花のやうに、一そうみごとな精髄に化してゐる。
存在よりもさきに精髄が、現実よりもさきに夢幻が、現前よりもさきに予兆が、はつきりと、
より強い本質を匂はせて、現はれ漂つてゐるやうな状態、それこそは女だつた。
勲はまだ女を抱いたことがなかつたけれども、かうして、いはば、「女に先立つ女」を
ありありと感じるときほど、自分も亦、陶酔の何たるかを確かに知つてゐると強く感じる
ことはなかつた。
三島由紀夫「奔馬」より
545 :
無名草子さん:2011/01/22(土) 12:10:55
大正初年の、思ふがままに感情の惑溺が許された短い薄命な時代の魁であつた清顕の一種の
「英姿」は、今ではすでに時代の隔たりによつて色褪せてゐる。その当時の真剣な情熱は、
今では、個人的な記憶の愛着を除けば、何かしら笑ふべきものになつたのである。
時の流れは、崇高なものを、なしくづしに、滑稽なものに変へてゆく。何が蝕まれるのだらう。
もしそれが外側から蝕まれてゆくのだとすれば、もともと崇高は外側をおほひ、滑稽が
内奥の核をなしてゐたのだらうか。あるひは、崇高がすべてであつて、ただ外側に滑稽の塵が
降り積つたにすぎぬのだらうか。
清顕において、本当に一回的(アインマーリヒ)なものは、美だけだつたのだ。その余のものは、
たしかに蘇りを必要とし、転生を冀求(ききう)したのだ。清顕において叶へられなかつたもの、
彼にすべて負数の形でしか賦与されてゐなかつたもの……
もう一人の若者の顔は、夏の日にきらめく剣道の面金を脱ぎ去つて、汗に濡れ、烈しく息づく
鼻翼を怒らせ、刃を横に含んだやうな唇の一線を示して現はれた。
三島由紀夫「奔馬」より
546 :
無名草子さん:2011/01/22(土) 12:13:55
蔵原は何かこの国の土や血と関はりのない理智によつて悪なのであつた。それかあらぬか、
勲は蔵原についてほとんど知らないのに、その悪だけははつきりと感じることができた。
ひたすらイギリスとアメリカに気を兼ねて、一挙手一投足に色気をにじませて、柳腰で歩く
ほかに能のない外務官僚。私利私慾の悪臭を立て、地べたを嗅ぎ廻つて餌物をあさる巨大な
蟻喰ひのやうな財界人。それ自ら腐肉のかたまりになつた政治家たち。出世主義の鎧で
兜虫のやうに身動きならなくなつた軍閥。眼鏡をかけたふやけた白い蛆虫のやうな学者たち。
満州国を妾の子同然に眺めながら、早くも利権あさりに手をのばしかけてゐる人々。……
そして広大な貧窮は地平の朝焼けのやうに空に反映してゐた。
蔵原はかういふ惨澹たる風景画の只中に、冷然と置かれた一個の黒い絹帽(シルク・ハット)だつた。
彼は無言で人々の死を望み、これを嘉してゐた。
悲しめる日、白く冷え冷えとした日輪は、いささかの光りの恵みも与へることができず、
それでも、朝毎に憂はしげに昇つて空をめぐつた。それこそは陛下の御姿だつた。誰が再び、
太陽の喜色を仰がうと望まぬ筈があらうか?
三島由紀夫「奔馬」より
547 :
無名草子さん:2011/01/22(土) 12:17:06
勲の百合は?
留守中に捨てられたりせぬやうに、彼はそれを一輪差に活けて、硝子の戸のついた本棚の中に
納めてゐた。はじめは毎日水を換へてゐたのが、このごろは忘れて、水換へを怠つてゐることを
勲は愧(は)ぢた。観音開きの硝子戸をあけ、数冊の本を引き出して覗き込んだ。百合は
闇のなかにうなだれてゐる。
灯火に引き出された百合の一輪は、すでに百合の木乃伊(ミイラ)になつてゐる。そつと指を
触れなければ、茶褐色になつた花弁はたちまち粉になつて、まだほのかに青みを残してゐる茎を
離れるにちがひない。それはもはや百合とは云へず、百合の残した記憶、百合の影、不朽の
つややかな百合がそこから巣立つて行つたあとの百合の繭のやうなものになつてゐる。
しかし依然として、そこには、百合がこの世で百合であつたことの意味が馥郁と匂つてゐる。
かつてここに注いでゐた夏の光りの余燼をまつはらせてゐる。
勲はそつとその花弁に唇を触れた。もし触れたことがはつきり唇に感じられたら、
そのときは遅い。百合は崩れ去るだらう。唇と百合とが、まるで黎明と尾根とが触れるやうに
触れ合はねばならない。
三島由紀夫「奔馬」より
548 :
無名草子さん:2011/01/22(土) 12:17:28
勲の若い、まだ誰の唇にもかつて触れたことのない唇は、唇のもつもつとも微妙な感覚の
すべてを行使して、枯れた笹百合の花びらにほのかに触れた。そして彼は思つた。
『俺の純粋の根拠、純粋の保証はここにある。まぎれもなくここにある。俺が自刃するときには、
昇る朝日のなかに、朝霧から身を起して百合が花をひらき、俺の血の匂ひを百合の薫で
浄めてくれるにちがひない。それでいいんだ。何を思ひ煩らふことがあらうか』
神が辞(いな)んでをられるのではない。拒否も亦、明瞭ではないのである。
それは何を意味するのだらうと勲は考へた。今ここに、いづれも廿歳に充たない若さに
溢れた者どもが、熱烈にきらめく注視を勲の一身に鍾(あつ)め、その勲は高い絶壁の上の
神聖な光りを見上げてゐる。事態はここまで迫り、機はここまで熟してゐる。何かが
現はれねばならぬ。しかも、神は肯ふとも辞むともなく、この地上の不決断と不如意を
そのまま模したやうに、高空の光りのなかで、神の御御足(おみあし)からなほざりに
脱げた沓のやうに、決定は放棄されてゐるのである。
三島由紀夫「奔馬」より
549 :
無名草子さん:2011/01/22(土) 12:17:51
勲の心には暗い滝が落ちた。自尊心がゆつくりと切り刻まれてゐた。彼が今差当つて大切にして
ゐるのは自尊心ではなかつたから、それだけに見捨てられてゐる自尊心が、紛らしやうのない
痛みで報いた。その痛みの彼方に、雲間の清澄な夕空のやうな「純粋」が泛んでゐた。
彼は祈るやうに、暗殺されるべき国賊どもの顔を夢みた。彼が孤立無援に陥れば陥るほど、
あいつらの脂肪に富んだ現実性は増してゐた。その悪の臭ひもいよいよ募つてゐた。こちらは
いよいよ不安で不確定な世界へ投げ込まれ、あたかも夜の水月(くらげ)のやうになつた。
それこそ奴らの罪過だつた、こちらの世界をこんなにあいまいなほとんど信じがたいものに
してしまつたのは。この世の不信の根は、みんな向う側のグロテスクな現実性に源してゐた。
奴らを殺すとき、奴らの高血圧と皮下脂肪へ清らかな刃がしつかりと刺るとき、そのとき
はじめて世界の修理固成が可能になるだらう。それまでは……。
三島由紀夫「奔馬」より
550 :
無名草子さん:2011/01/24(月) 13:52:33
明るい軽信の井筒、小柄で眼鏡をかけた機敏な相良、東北の神官の息子でいかにも少年らしい芦川、
寡黙でしかも剽軽なところのある長谷川、律儀で絶壁頭の三宅、昆虫のやうな暗い固い乾いた
顔つきの宮原、文学好きで天皇崇敬家の木村、いつも激してゐながら黙りこくつてゐる藤田、
肺疾ながら岩乗な肩幅を持つた高瀬、柔道二段で柔和に見える大男の井上、……これが
選り抜かれた本当の同志だつた。死を賭するといふことが何を意味するか知つてゐる若者たち
だけが残つたのだ。
勲はそこに、この薄暗い電灯の下、黴くさい畳の上に、自分の焔の確証を見た。頽(くづ)れ
かけた花の、花弁は悉く腐れ落ちて、したたかな蕊だけが束になつて光りを放つてゐる。
この鋭い蕊だけでも、青空の眼を突き刺すことができるのだ。夢が痩せるほど頑なに身を
倚せ合つて、理智がつけ込む隙もないほどの固い殺戮の玉髄になつたのだ。
三島由紀夫「奔馬」より
551 :
無名草子さん:2011/01/24(月) 13:52:50
佐和は壁に向つて、猫のやうに背を丸めて身構へた。
見てゐる勲は、さうして体ごとぶつかる前には、いくつもの川を飛び越えて行く必要があらうと
察した。人間主義の滓が、川上の工場から排泄される鉱毒のやうに流れてやまぬ暗い小川を。
ああ、川上には昼夜兼行で動いてゐる西欧精神の工場の灯が燦然としてゐる。あの工場の廃液が、
崇高な殺意をおとしめ、榊葉の緑を枯らしたのである。
さうだ。跳込み面だ。竹刀をかざした体が、見えない壁をしらぬ間につきぬけて、向う側へ
出てゐるあれだ。感情のすばらしい迅速な磨滅が火花を放つ。敵は当然のやうに、刃の先に、
重たく、自分から喰ひついて来る筈だ。藪を抜けておのづから袂についたゐのこづちのやうに、
暗殺者の着物にはいつのまにか血が点々とついてゐる筈だ。……
左翼の奴らは、弾圧すればするほど勢ひを増して来てゐます。日本はやつらの黴菌に蝕まれ、
また蝕まれるほど弱い体質に日本をしてしまつたのは、政治家や実業家です。
恋も忠も源は同じであつた。
三島由紀夫「奔馬」より
552 :
無名草子さん:2011/01/24(月) 13:55:02
勲たちの、熱血によつてしかと結ばれ、その熱血の迸りによつて天へ還らうとする太陽の結社は、
もともと禁じられてゐた。しかし私腹を肥やすための政治結社や、利のためにする営利法人なら、
いくら作つてもよいのだつた。権力はどんな腐敗よりも純粋を怖れる性質があつた。野蛮人が
病気よりも医薬を怖れるやうに。
『何故なんだ、何故なんだ』と勲は歯噛みをして思つた。『人間にはどうしてもつとも
美しい行為が許されてゐないんだ。醜い行為や、薄汚れた行為や、利のためにする行為なら、
いくらでも許されてゐるといふのに。
殺意の中にしか最高の道徳的なものがひそんでゐないことが明らかな時、その殺意を
罪とする法律が、あの無染の太陽、あの天皇の御名によつて施行されてゐるといふことは、
(最高の道徳的なもの自体が最高の道徳的存在によつて罰せられるといふことは、)一体
誰がことさら仕組んだ矛盾だらうか。陛下は果してこんな怖ろしい仕組を御存知だらうか。
これこそは精巧な《不忠》が手間暇かけて作り上げた涜神の機構ではないだらうか。
三島由紀夫「奔馬」より
553 :
無名草子さん:2011/01/24(月) 13:55:22
俺にはわからない。俺にはわからない。どうしてもわからない。しかも殺戮のあと、直ちに
自刃する誓にそむく者は、誰一人ゐなかつた筈だ。さうなつてゐれば、われらは裾の端、
袖の片端でも、あの煩瑣な法律の藪の、下枝の一葉にさへ触れることなく、みごとに藪を
すり抜けて、まつしぐらにかがやく天空へ馳せのぼることができた筈だ。神風連の人々は
さうだつた。もつとも明治六年の法律の藪はまだ疎らだつたにちがひないが……。
法律とは、人生を一瞬の詩に変へてしまはうとする欲求を、不断に妨げてゐる何ものかの集積だ。
血しぶきを以て描く一行の詩と、人生とを引き換へにすることを、万人にゆるすのはたしかに
穏当ではない。しかし内に雄心を持たぬ大多数の人は、そんな欲求を少しも知らないで人生を
送るのだ。だとすれば、法律とは、本来ごく少数者のためのものなのだ。ごく少数の異常な純粋、
この世の規矩を外れた熱誠、……それを泥棒や痴情の犯罪と全く同じ同等の《悪》へ
おとしめようとする機構なのだ。その巧妙な罠へ俺は落ちた。他ならぬ誰かの裏切りによつて!』
三島由紀夫「奔馬」より
554 :
無名草子さん:2011/01/24(月) 14:18:37
香煙が流れてきた。鉦や笛のひびきがして、窓外を葬列が通るらしかつた。人々の忍び泣きの
声が洩れた。しかし、夏の午睡の女の喜びは曇らなかつた。肌の上にあまねく細かい汗を
にじませ、さまざな官能の記憶を蓄へ、寝息につれてかすかにふくらむ腹は、肉のみごとな
盈溢を孕んだ帆のやうである。その帆を内から引きしめる臍には、山桜の蕾のやうなやや
鄙びた赤らみが射して、汗の露の溜つた底に小さくひそかに籠り居をしてゐる。美しく
はりつめた双の乳房は、その威丈高な姿に、却つて肉のメランコリーが漂つてみえるのだが、
はりつめて薄くなつた肌が、内側の灯を透かしてゐるかのやうに、照り映えてゐる。
肌理のこまやかさが絶頂に達すると、環礁のまはりに寄せる波のやうに、けば立つて来るのは
乳暈のすぐかたはらだった。乳暈は、静かな行き届いた悪意に充ちた蘭科植物の色、人々の口に
含ませるための毒素の色で彩られてゐた。その暗い紫から、乳頭はめづらかに、栗鼠のやうに
小賢しく頭をもたげてゐた。それ自体が何か小さな悪戯のやうに。
三島由紀夫「奔馬」より
555 :
無名草子さん:2011/01/24(月) 14:19:00
一寸やはらげれば別物になつてしまひます。その『一寸』が問題なんです。純粋性には、
一寸ゆるめるといふことはありえません。ほんの一寸やはらげれば、それは全然別の思想になり、
もはや私たちの思想ではなくなるのです。
居並ぶ若い被告たちの中でも、とりわけ美しく凛々しく澄んだ勲の目へ、本多は心で呼びかけた。
事件を知つたとき、こよなくふさはしく思はれたその眥(まなじり)を決した目は、ふたたび
この場に不釣合な、ふさはしからぬものに思はれた。
『美しい目よ』と本多は呼んだ。『澄んで光つて、いつも人をたぢろがせ、丁度あの
三光の滝の水をいきなり浴びせられるやうに、この世のものならぬ咎めを感じさせる若者の
無双の目よ。何もかも言ふがよい。何もかも正直に言つて、そして思ふさま傷つくがいい。
お前もそろそろ身を守る術を知るべき年齢だ。何もかも言ふことによつて、最後にお前は、
《真実が誰によつても信じてもらへない》といふ、人生にとつてもつとも大切な教訓を
知るだらう。そんな美しい目に対して、それが私の施すことのできる唯一の教育だ』
三島由紀夫「奔馬」より
556 :
無名草子さん:2011/01/24(月) 20:42:07
現在の日本をここまでおとしめたのは、政治家の罪ばかりでなく、その政治家を私利私慾のために
操つてゐる財閥の首脳に責任があると、深く考へるやうになりました。
しかし、私は決して左翼運動に加はらうとは思ひませんでした。左翼は畏れ多くも陛下に
敵対し奉らうとする思想であります。古来日本は、すめらみことをあがめ奉り、陛下を
日本人といふ一大家族の家長に戴いて相和してきた国柄であり、ここにこそ皇国の真姿があり、
天壌無窮の国体があることは申すまでもありません。
では、このやうに荒廃し、民は飢ゑに泣く日本とは、いかなる日本でありませいか。
天皇陛下がおいでになるのに、かくまで澆季末世になつたのは何故でありませうか。君側に
侍する高位高官も、東北の寒村で飢ゑに泣く農民も、天皇の赤子たることには何ら渝(かは)りが
ないといふのが、すめらみくにの世界に誇るべき特色ではないでせうか。陛下の大御心によつて、
必ず窮乏の民も救はれる日が来るといふのが、私のかつての確信でありました。
三島由紀夫「奔馬」より
557 :
無名草子さん:2011/01/24(月) 20:42:45
日本および日本人は、今やや道に外れてゐるだけだ。時いたれば、大和心にめざめて、
忠良なる臣民として、挙国一致、皇国を本来の姿に戻すことができる、といふのが、私の
かつての希望でありました。天日をおほふ暗雲も、いつか吹き払はれて、晴れやかな
明るい日本が来る筈だ、と信じてをりました。
が、それはいつまで待つても来ません。待てば待つほど、暗雲は濃くなるばかりです。
そのころのことです、私が或る本を読んで啓示に打たれたやうに感じたのは。
それこそ山尾綱紀先生の「神風連史話」であります。これを読んでのちの私は、以前の私と
別人のやうになりました。今までのやうな、ただ座して待つだけの態度は、誠忠の士の
とるべき態度ではないと知つたのです。私はそれまで、「必死の忠」といふことがわかつて
ゐなかつたのです。忠義の焔が心に点火された以上、必ず死なねばならぬといふ消息が
わからなかつたのです。
三島由紀夫「奔馬」より
558 :
無名草子さん:2011/01/24(月) 20:43:12
あそこに太陽が輝いてゐます。ここからは見えませんが、身のまはりの澱んだ灰色の光りも、
太陽に源してゐることは明らかですから、たしかに天空の一角に太陽は輝いてゐる筈です。
その太陽こそ、陛下のまことのお姿であり、その光りを直に身に浴びれば、民草は歓喜の
声をあげ、荒蕪の地は忽ち潤うて、豊葦原瑞穂国の昔にかへることは必定なのです。
けれど、低い暗い雲が地をおほうて、その光りを遮つてゐます。天と地はむざんに分け
隔てられ、会へば忽ち笑み交はして相擁する筈の天と地とは、お互ひの悲しみの顔をさへ
相見ることができません。地をおほふ民草の嗟嘆の声も、天の耳に届くことがありません。
叫んでも無駄、泣いても無駄、訴へても無駄なのです。もしその声が耳に届けば、天は
小指一つ動かすだけでその暗雲を払ひ、荒れた沼地をかがやく田園に変へることができるのです。
三島由紀夫「奔馬」より
559 :
無名草子さん:2011/01/24(月) 20:43:33
誰が天へ告げに行くのか? 誰が使者の大役を身に引受けて、死を以て天へ昇るのか?
それが神風連の志士たちの信じた宇気比(うけひ)であると私は解しました。
天と地は、ただ座視してゐては、決して結ばれることがない。天と地を結ぶには、何か
決然たる純粋の行為が要るのです。その果断な行為のためには、一身の利害を超え、
身命を賭さなくてはなりません。身を竜と化して、竜巻を呼ばなければなりません。
それによつて低迷する暗雲をつんざき、瑠璃色にかがやく天空へ昇らなければなりません。
もちろん大ぜいの人手と武力を借りて、暗雲の大掃除をしてから天へ昇るといふことも
考へました。が、さうしなくてもよいといふことが次第にわかりました。神風連の志士たちは、
日本刀だけで近代的な歩兵営に斬り込んだのです。雲のもつとも暗いところ、汚れた色の
もつとも色濃く群がり集まつた一点を狙へばよいのです。力をつくして、そこに穴をうがち、
身一つで天に昇ればよいのです。
三島由紀夫「奔馬」より
560 :
無名草子さん:2011/01/25(火) 11:09:41
私は人を殺すといふことは考へませんでした。ただ、日本を毒してゐる凶々しい精神を
討ち滅ぼすには、それらの精神が身にまとうてゐる肉体の衣を引き裂いてやらねばなりません。
さうしてやることによつて、かれらの魂も亦浄化され、明く直き大和心に還つて、私共と
一緒に天へ昇るでせう。その代り、私共も、かれらの肉体を破壊したあとで、ただちに
いさぎよく腹を切つて、死ななければ間に合はない。なぜなら、一刻も早く肉体を捨てなければ、
魂の、天への火急のお使ひの任務が果せぬからです。
大御心を揣摩することはすでに不忠です。忠とはただ、命を捨てて、大御心に添はんと
することだと思ひます。暗雲をつんざいて、昇天して、太陽の只中へ、大御心の只中へ
入るのです。
……以上が、私や同志の心に誓つてゐたことのすべてであります。
三島由紀夫「奔馬」より
561 :
無名草子さん:2011/01/25(火) 11:09:58
「僕は幻のために生き、幻をめがけて行動し、幻によつて罰せられたわけですね。……どうか
幻でないものがほしいと思ひます」
「大人になればそれが手に入るのだよ」
「大人になるより、……さうだ、女に生れ変つたらいいかもしれません。女なら、幻など
追はんで生きられるでせう、母さん」
勲は亀裂が生じたやうに笑つた。
「何を言ふんです。女なんかつまりませんよ。莫迦だね。酔つたんだね、そんなこと言つて」
みねは怒つたやうにさう答へた。
酔ひに赤らんだ勲の寝顔は苦しげに荒々しく息づいてゐたが、眠つてゐるあひだも、眉は
凛々しく引締めてゐた。突然、寝返りを打ちながら、勲が大声で、しかし不明瞭に言ふ寝言を
本多は聴いた。
「ずつと南だ。ずつと暑い。……南の国の薔薇の光りの中で。……」
三島由紀夫「奔馬」より
562 :
無名草子さん:2011/01/25(火) 11:10:16
勲は湿つた土の上に正座して、学生服の上着を脱いだ。内かくしから白鞘の小刀をとり出した。
それが確かに在つたといふことに、全身がずり落ちるやうな安堵を感じた。
学生服の下には毛のシャツとアンダー・シャツを着てゐたが、海風の寒さが、上着を
脱ぐやいなや、身を慄はせた。
『日の出には遠い。それまで待つことはできない。昇る日輪はなく、けだかい松の樹蔭もなく、
かがやく海もない』
と勲は思つた。
シャツを悉く脱いで半裸になると、却つて身がひきしまつて、寒さは去つた。ズボンを寛げて、
腹を出した。小刀を抜いたとき、蜜柑畑のはうで、乱れた足音と叫び声がした。
「海だ。舟で逃げたにちがひない」
といふ甲走る声がきこえた。
勲は深く呼吸して、左手で腹を撫でると、瞑目して、右手の小刀の刃先をそこへ押しあて、
左手の指さきで位置を定め、右腕に力をこめて突つ込んだ。
正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕(かくやく)と昇つた。
三島由紀夫「奔馬」より
563 :
無名草子さん:2011/01/26(水) 10:31:35
芸術といふのは巨大な夕焼です。一時代のすべての佳いものの燔祭(はんさい)です。
さしも永いあひだつづいた白昼の理性も、夕焼のあの無意味な色彩の濫費によつて台無しにされ、
永久につづくと思はれた歴史も、突然自分の終末に気づかせられる。美がみんなの目の前に
立ちふさがつて、あらゆる人間的営為を徒爾(あだごと)にしてしまふのです。あの夕焼の
花やかさ、夕焼雲のきちがひじみた奔逸を見ては、『よりよい未来』などといふたはごとも
忽ち色褪せてしまひます。現前するものがすべてであり、空気は色彩の毒に充ちてゐます。
何がはじまつたのか? 何もはじまりはしない。ただ、終るだけです。
そこには本質的なものは何一つありません。なるほど夜には本質がある。それは宇宙的な本質で、
死と無機的な存在そのものだ。昼にも本質がある。人間的なものすべては昼に属してゐるのです。
夕焼の本質などといふものはありはしません。ただそれは戯れだ。あらゆる形態と光りと色との、
無目的な、しかし厳粛な戯れだ。ごらんなさい、あの紫の雲を。自然は紫などといふ色の
椀飯振舞をすることはめつたにないのです。
三島由紀夫「暁の寺」より
564 :
無名草子さん:2011/01/26(水) 12:11:47
社会正義を自ら代表してゐるやうな顔をしながら、それ自体が売名であるところの、
貧しい弁護士などといふのは滑稽な代物だつた。本多は法の救済の限度をよく心得てゐた。
本当のことをいへば、弁護士に報酬も払へないやうな人間に法を犯す資格はない筈なのに、
多くの人々はあやまつて必要から或ひは愚かしさから法を犯すのであつた。
時として、広大な人間性に、法といふ規矩を与へることほど、人間の思ひついたもつとも
不遜な戯れはない、と思はれることもあつた。犯罪が必要や愚かしさから生れがちなら、
法の基礎をなす習俗(ジッテ)もさうだとは云へないだらうか?
時代が驟雨のやうにざわめき立つて、数ならぬ一人一人をも雨滴で打ち、個々の運命の小石を
万遍なく濡らしてゆくのを、本多はどこにも押しとどめる力のないことを知つてゐた。が、
どんな運命も終局的に悲惨であるかどうかは定かではなかつた。歴史は、つねに、ある人々の
願望にこたへつつ、別のある人々の願望にそむきつつ、進行する。いかなる悲惨な未来と
いへども、万人の願ひを裏切るわけではない。
三島由紀夫「暁の寺」より
565 :
無名草子さん:2011/01/26(水) 12:12:04
本多は自分が決して美しい青年ではなかつたことを知つてゐたから、こんな不透明な年齢の
外被が満更ではなかつた。
それに現在の彼は、青年に比べれば、はるかに確実に未来を所有してゐた。何かにつけて
青年が未来を喋々するのは、ただ単に彼らがまだ未来をわがものにしてゐないからにすぎない。
何事かの放棄による所有、それこそは青年の知らぬ所有の秘訣だ。
天変地異は別として、歴史的生起といふものは、どんなに不意打ちに見える事柄であつても、
実はその前に永い逡巡、いはば愛を受け容れる前の娘のやうな、気の進まぬ気配を伴ふのである。
こちらの望みにすぐさま応へ、こちらの好みの速度で近づいてくる事柄には、必ず作り物の
匂ひがあつたから、自分の行動を歴史的法則に委ねようとするなら、よろづに気の進まぬ態度を
持するのが一番だつた。欲するものが何一つ手に入らず、意志が悉く無効にをはる例を、
本多はたくさん見すぎてゐた。ほしがらなければ手に入るものが、欲するが為に手に入らなく
なつてしまふのだ。
三島由紀夫「暁の寺」より
566 :
無名草子さん:2011/01/26(水) 12:12:27
日独伊三国同盟は、一部の日本主義の人たちと、フランスかぶれやアングロ・マニヤを
怒らせはしたけれども、西洋好き、ヨーロッパ好きの大多数の人たちはもちろん、古風な
アジア主義たちからも喜ばれてゐた。ヒットラーとではなくゲルマンの森と、ムッソリーニと
ではなくローマのパンテオンと結婚するのだ。それはゲルマン神話とローマ神話と古事記との
同盟であり、男らしく美しい東西の異教の神々の親交だつたのである。
本多はもちろんさういふロマンティックな偏見には服しなかつたが、時代が身も慄へるほど
何かに熱して、何かを夢見てゐることは明らかだつた。
十九歳の少年が自分の性格に対して抱く本能的な危惧は、場合によつてはおそろしく正確な
予見になる。
狷介な日本、緋縅(ひをどし)の若武者そのままに矜り高く、しかも少年のやうに
傷つきやすい日本は、人に嘲笑されるより先に自ら進んで挑み、人に蔑されるより先に自ら
進んで死んだ。勲は、清顕とはちがつて、正にこのやうな世界の核心に生き、かつ、霊魂を
信じてゐた。
三島由紀夫「暁の寺」より
567 :
無名草子さん:2011/01/26(水) 12:12:49
もし生きようと思へば、勲のやうに純粋を固執してはならなかつた。あらゆる退路を自ら絶ち、
すべてを拒否してはならなかつた。
勲の死ほど、純粋な日本とは何だらうといふ省察を、本多に強ひたものはなかつた。すべてを
拒否すること、現実の日本や日本人をすらすべて拒絶し否定することのほかに、このもつとも
生きにくい生き方のほかに、とどのつまりは誰かを殺して自刃することのほかに、真に
「日本」と共に生きる道はないのではなからうか? 誰もが怖れてそれを言はないが、
勲が身を以て、これを証明したのではなからうか?
思へば民族のもつとも純粋な要素には必ず血の匂ひがし、野蛮の影が射してゐる筈だつた。
世界中の動物愛護家の非難をものともせず、国技の闘牛を保存したスペインとちがつて、
日本は明治の文明開化で、あらゆる「蛮風」を払拭しようと望んだのである。その結果、
民族のもつとも生々しい純粋な魂は地下に隠れ、折々の噴火にその兇暴な力を揮つて、
ますます人の忌み怖れるところとなつた。
いかに怖ろしい面貌であらはれようと、それはもともと純白な魂であつた。
三島由紀夫「暁の寺」より
568 :
無名草子さん:2011/01/26(水) 15:39:45
しかし霊魂を信じた勲が一旦昇天して、それが又、善因善果にはちがひないが、人間に
生れかはつて輪廻に入つたとすると、それは一体何事だらう。
さう思へばさう思ひなされる兆もあるが、死を決したころの勲は、ひそかに「別の人生」の
暗示に目ざめてゐたのではないだらうか。一つの生をあまりにも純粋に究極的に生きようと
すると、人はおのづから、別の生の存在の予感に到達するのではなからうか。
死にぎはの勲の心が、いかに仏教から遠からうと、このやうな関はり方こそ、日本人の
仏教との関はり方を暗示してゐると本多には思はれた。それはいはばメナムの濁水を、
白絹の漉袋(こしぶくろ)で漉したのである。
清顕や勲の生涯が示した未成熟の美しさに比べれば、芸術や芸術家の露呈する未成熟、それを
以てかれらの仕事の本質としてゐる未成熟ほど、醜いものはないといふのが本多の考へだつた。
かれらは八十歳までそれを引きずつて歩くのだ。いはば引きずつてゐる襁褓(むつき)を
売物にして。
さらに厄介なのは贋物の芸術家で、えもいはれぬ昂然としたところが、独特の卑屈さと
入りまじつて、怠け者特有の臭気があつた。
三島由紀夫「暁の寺」より
569 :
無名草子さん:2011/01/26(水) 15:40:01
酒がすこしづつ酢に、牛乳がすこしづつヨーグルトに変つてゆくやうに、或る放置されすぎた
ものが飽和に達して、自然の諸力によつて変質してゆく。人々は永いこと自由と肉慾の過剰を
怖れて暮してゐた。はじめて酒を抜いた翌朝のさはやかさ、自分にはもう水だけしか要らないと
感じることの誇らしさ。……さういふ新らしい快楽が人々を犯しはじめてゐた。さういふものが
人々をどこへ連れて行くかは、本多にはおよそのところがつかめてゐた。それはあの勲の
死によつて生れた確信であつた。純粋なものはしばしば邪悪なものを誘発するのだ。
インドでは無情と見えるものの原因は、みな、秘し隠された、巨大な、怖ろしい喜悦に
つながつてゐた! 本多はこのやうな喜悦を理解することを怖れた。しかし自分の目が、
究極のものを見てしまつた以上、それから二度と癒やされないだらうと感じられた。
あたかもベナレス全体が神聖な癩にかかつてゐて、本多の視覚それ自体も、この不治の病に
犯されたかのやうに。
三島由紀夫「暁の寺」より
570 :
無名草子さん:
成功にあれ失敗にあれ、遅かれ早かれ、時がいづれは与へずにはおかぬ幻滅に対する先見は、
ただそのままでは何ら先見ではない。それはありふれたペシミズムの見地にすぎぬからだ。
重要なのは、ただ一つ、行動を以てする、死を以てする先見なのだ。勲はみごとにこれを果した。
そのやうな行為によつてのみ、時のそこかしこに立てられた硝子の障壁、人の力では決して
のりこえられぬその障壁の、向う側からはこちら側を、こちら側からは向う側を、等分に
透かし見ることが可能になるのだ。渇望において、憧憬において、夢において、理想において、
過去と未来とが等価になり同質になり、要するに平等になるのである。
歴史は決して人間意志によつては動かされぬが、しかも人間意志の本質は、歴史に敢て
関はらうとする意志だ、といふ考へこそ、少年時代以来一貫して渝らぬ本多の持説であつた。
三島由紀夫「暁の寺」より