まあ、次郎長や大石の戦闘力が最強であるなら、子分の戦闘シーンで興奮することはできないわな。
常に次郎長や大石が闘えば、勝利の確率は高くなるならな。
誰一人として楊令に意見できない絶対君主なんで、誰も何も言わない。最近になって、李媛や宣賛が
意見を言い始めたが、数ヵ月後には楊令の意見が正しかったことを悟るという展開になるので、
「楊令殿はすごい」を証明するエピになっているだけ。
能力は楊令以下でも、人柄で勝負するという手もあったが、これもうまくいっていない。杜興ばかりが
その役割を担わされていたが、水滸伝序盤の晁蓋・宋江・盧俊義・魯智深と比較すると、魅力はない。
それ以前に、杜興の喋っている日本語が、よく理解できない。
楊令をすごい人にしたい意図が理解できなくて、薄気味の悪い小説なんだわな。
とにかく楊令のやることには、一点の誤りもあってはならない、すべて正しくなければ
ならない、そういう書き方がなされているように思える。
楊令の名を小説のタイトルに使ってしまったので、楊令がもっとも目立つキャラになる
のは当然だと思う。だが、もっとも魅力的な人物であれば足りるわけであって、能力的に
他のすべてのキャラを凌駕する必要はないし、まったく過ちを犯さないキャラにする必要
もない。
>>801 そもそも楊令伝のキャラには、「医者、薬師、漁師、食堂の親父、王倫の部下、できたばかりの致死軍・・・」
というような個性がないから、ドラマを作りようがないんだよ。全部、軍人というカラーしかない。
点数で表現して、80点の軍人、50点の軍人という能力値だけがある。
闘う以外に能がなく、その戦いも、どれも同じにならざるを得ない。
元官軍の将軍が官軍と戦うとか、元王倫の部下が王倫殺害に協力するというドラマが作れないんだ。
さらに、いつのまにか敵も味方も精鋭だけになり、山賊がヘボな地方軍と闘う、旅の途中で少人数の一行が
官軍に包囲されて山に篭る、そんな個性的な戦いも作れなくなった。
楊令伝の童貫軍は、梁山泊戦で多くの優秀な将兵を失い、方臘戦でも傷ついたのだから、もっとヘボ軍隊
にしてもよかったな。水滸伝の童貫戦で戦死した同志を今になっても称えることをするのなら、あの戦いを
最後の精鋭どうしの戦いと位置づけ、楊令伝の戦いは、精鋭は少数で、人数ばかりが多いヘボが闘っている
という位置づけでもよかった。精鋭インフレはつまらん。
物語創作のベースにある発想が、高度成長期の右肩上がり。
ここは古臭くて笑えるところだわな。
初めは少人数で単純な戦をしている梁山泊が徐々に大きく強くなる。
出てくる敵も最初は地方軍で弱いが、徐々に強くなって、最後は最強の童貫。
最強のものを出したのなら、それをピークに斜陽してゆけばよいのだ。
童貫は水滸伝ラストですでに50代半ば。楊令伝では歳をとり弱くなっているのが自然。
しかし、楊令伝になっても、ひたすらに右肩上がりの発想。精強です。もうすぐ北宋滅亡なのにw
童貫軍の兵数を減らすというのが、方臘戦を始めさせた梁山泊の戦略だった。
童貫軍は方臘戦で傷ついた。ところが、その後のドウカン・ファイトでは、
童貫軍の兵数は増強されていた。飽きもせず右肩上がり。しかも精強。
精強のシンボルは騎馬隊。この騎馬隊の増えること、増えること。
最強と最強の戦いで、楊令殿が勝利。楊令殿、すごい。単細胞で笑えるわww
戦ばかりで読者が飽きると思われたのか、楊令の新しい国づくりが始まった。
これがまた最悪w
まあ小さい梁山泊というのは理解できなくはないが、境界線をバッチリ引いて、外の住民は一切
受け入れませんという息苦しさ。そのくせ、岳飛には、楊令殿の新しい国は、漢民族には限らず
誰でも受け入れる素晴らしい国と、大法螺を吹いているしww
税金が安ければ民は喜ぶだろうという発想が、素朴すぎて、泣けてくるなー。
梁山泊のおかげで戦が増えて、喜んでられないぞと思っている民もいるだろう。
変人の頭領が周囲の国々との協調を一切考慮しないので、梁山泊国が袋叩きにされないかと
不安を抱えている民の多いだろうね。
「だけど税率が安いのだから、喜べ、おまいら」と、無邪気な楊令殿。
807 :
候真:2010/04/09(金) 15:50:32
黒騎兵は楊令殿を殺さないと抜けられなかったのですけれど、梁山泊国も、楊令殿を殺さないと
抜けられないのですか?
>>806 まあドウカン・ファイトが終ってからの楊令の国づくりの話は、中高生の妄想レベルに落ちてしまったな。
もうやめりゃいいのw
俺は性欲に負けやすい中高生だったので、楊令殿のような妄想を抱く暇がなかった。
弁当箱のフタの裏側にくっついた海苔を剥がしながら、昼休みに楊令殿のような妄想をしていた中高生
がいたのかと思うとキモいな。
809 :
無名草子さん:2010/04/09(金) 16:01:12
北宋が滅んで金が華北を征服するという史実を、物語の背景として扱うだけなら、梁山泊と宋以外の
登場人物を、たくさん出す必要はなかったんだよな。しかも、耶律越里と斡離不の従兄弟関係とか、
劉彦宗と韓伯竜の師弟関係などは、まったく不要。こういう関係を出したはいいが、エピソードに昇華
できないので、唖然とするようなくだらないネタで落とし前をつけた。
このあたりは、読んでいて情けなかったね。
そうそう、耶律越里と斡離不の従兄弟関係は、完全スルーだったな。韓伯竜についてのみだ、くだらない
落とし前をつけたのは。
韓伯竜と韓世忠の異母兄弟関係なども不要。韓伯竜が入山前の人脈を生かして情報収集にも能力
を発揮し、韓世忠について詳細な報告を聚義庁に提出する。そこで、史進が、
「ずいぶんと韓世忠について詳しいんだな。ひょっとして腹違いの兄弟じゃないのか?
親父によく聞いてみろよ、韓伯竜w」という冗談で流せば足りる程度のネタだわ。
姓が同じ人物を見つけると、無理やり親族関係に持ち込んでしまう、現在の傾向は悲しいね。
「異母兄弟といっても、むこうは覚えていないでしょう」
「師弟関係といっても、むこうは覚えていないでしょう」
と、エピソードに発展しませんよという、念を押してはいたがな。
だったらわざわざ兄弟や師弟にする必要はない。
意外に物知りな韓伯竜ということにしてやればいいじゃないか。
まあ、楊令殿よりも物知りがいると、楊令殿の頭領の地位が脅かされるのではないかと
心配でならないのだろうがw
∧_∧! / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__( ;´Д`)__< 楊令殿の頭領の地位が脅かされるのではないかと思うと、夜も寝むれません
| 〃( つ つ | \_______
|\ ⌒⌒⌒⌒⌒⌒\
| \ \
\ |⌒⌒⌒⌒⌒⌒|
\ |______|
結局、戦をやって勝ったり負けたりしているだけの小説だな。
親族関係を複雑にして、それが次の展開に影響するのかと思わせるだけの叙述を
挟んで、戦の合間をもたせている。それと、食事とセックス。
替天行道には宋を倒した後の新しい国づくりのことが書かれてあったということで、楊令殿
はせっせと国づくり。宋を倒したはいいが、その後にどんな国を作るかを考えていたのは、
実は楊令殿だけでしたというオチ。他の同志は、子ども扱い。なーんにも考えていなかった馬鹿。
華北を制圧する大きな国を作るのはめんどくせーし、史実厨に斉との矛盾を突かれるのが
めんどくせーから、小さな梁山泊にする。
反対する連中は、同じ民族が一つの国を作らなければならないというテーゼは欺瞞にすぎない
と批判。それに気づかない岳飛も、馬鹿扱い。
勝手にやってろ。
物語の肝の筈の楊令の成長の過程の苦しみが描かれてなくて、
オレは苦しんで略奪とかしちゃったけど、お金儲けの国が心に光りを当てたぜ!の事後報告だもんな…
楊令の視点が初めて出てきたのが、梁山泊に復帰してから、かなり時間が経っていた。
幻王時代の殺戮・略奪のことを、そろそろ読者が忘れたかなと思われる時期だった。
であるから、幻王時代の苦しみなどは、読者にまったく伝わっていない。
すべて他人視点で幻王を客観的に描いたので、楊令が心底正しいと信じて殺戮・略奪
をしたようにも取れるし、虚勢を張っているようにも思える。
苦しんでいたようには見えない。女を攫って、気持ちのいいことをしていたからな。
二つに村に女を囲っていたと書いてあったから、最低ふたりはいるということだろう。
後付けで、恋愛だったように変更するなよ。
第3巻で王進と再会したとき、楊令は「自分は間違ったことはしていない」と言った。
師弟再会の場面では、弟子は本音を述べるというのが暗黙のルールなので、この
発言によって、楊令は正しいと信じるところを行ったのだと思った。
また、同じような状況にあった岳飛が、皆殺しをすることによって「本物の花」になった
と言ったから、幻王の場合も、これと同様なんだと思った。つまり、確信犯。
>>720 楊志殺害シーンをドラマチックに盛り上げたのが白嵐という犬の存在だな。
白嵐の嗅覚というものが存在しなければ、楊志一家は安全な場所にいたわけだ。
楊志一家の密会は曹正が宰領して安全な場所を選んでいた。
さしもの青蓮寺でも、密会場所を突き止めることができなかったのだ。
ところが馬桂は白嵐を楊令に近づけ、暗殺に利用した。
犬と少年の友情という無垢なものを、凶器に転換したのだ。
この瞬間、楊志一家の安全は脅かされ、ドラマはスリリングに盛り上がる。
また、暗殺団の卑怯な手口に、読者の怒りがわいてくる。
作者は、このような結末から逆算して、白嵐という犬を登場させて、楊令に近づけた。
王和が偶然、楊志に会いに行く楊令と済仁美を見つけて、跡をつけて殺しただけなら、
楊志殺害シーンは、あんなに盛り上がってはいないよな。
まあ、この程度の細工はしてもらわないと、ドラマは盛り上がらないよ。
楊令伝には、結末から逆算して事前に細工を施すという工夫がまったく見られない。
とりあえずキャラをばら撒いておいて、兄弟だ、師弟だと、後付けの関係をつけるが、
それが生かされた例がない。出たとこ勝負。
それどころが、登場人物を新たに出すことそれ自体を、イベントと勘違いしている節がある。
個性も魅力もない人物の数だけ増やしても、物語の筋が見えにくくなるだけ。
それとも、自分の描き出す人物は、すべからく魅力的だとでも思っているのだろうか?
勘違いも甚だしい。
文句ばかり言っている連中は、楊令伝の見方が甘いと思う。
もちろん俺も、北方水滸伝は面白く、楊令伝がつまらないという結論に異議はない。
しかし、原典を思い出してみろ。
原典も108人が結集するまでは面白く、その後は面白くない。
楊令伝は、そういう原典に忠実なだけだ。
そういや、原典が決定的に面白くなくなるのが、招安を受けてからだよな。
招安によって物語が180度転換する。その後は、退屈な戦ばかり。
楊令伝で物語を180度転換するエピソードは、幻王の民の殺戮だ。
ここから、楊令伝は決定的に面白くなくなる。退屈な戦ばかりの小説になる。
まあ全巻つまらないということになるが。
それなのに、楊令伝は10巻完結予定を延長して15巻にした。
ここも、原典の100回本が、120回本に延長されたのと同じだな。
つまり、20回増やして、糞面白くもない田虎戦と王慶戦を増補した原典。
楊令伝も、糞面白くもないガクヒ・ファイトを増補する。
>>820 >個性も魅力もない人物の数だけ増やしても、物語の筋が見えにくくなるだけ。
原典の70回以降が、そうなっているから、踏襲しているだけだと思う。
遼、田虎、王慶、方臘のところで登場するキャラは、石宝を除くと、
どれも楊令伝のキャラのように、無個性で魅力がまったくないからね。
小説の良し悪しというのは相対評価だから、比較の対象になる有名作家の有名作品があって、
それを凌駕しているときに、あとから執筆された新作が高く評価されるだけだろ。
「三国志」と「水滸伝」は、吉川英治のものが最も有名だけど、それが少し古くなってきた。
それ以降の作品も、基本的に吉川英治の真似っこの同系列作品。
(別系列のもあるが、大作ではないため、吉川英治のものと比較してもらえなかった)
北方謙三は、大幅に違った。しかも面白かった。だから高い評価を得た。
楊家将などは、日本に比較すべき作品がないため、いまいち盛り上がらない。
作品中の国名と人名を三国志のものと入れ替えると、三国志と勘違いしてしまいそうな作品。
楊令伝も比較の対象となるべき古い大作がない。続編であることから、北方水滸伝と比較
されるだけだ。だから評判が悪い。
北方三国志は、各パーツの叙述をコンパクトにして、原典の冗長な部分を割愛した。
割愛した部分を正史の情報に入れ替えたような作品なので、好感をもたれたのだろうな。
オリキャラも登場したが、楊令のように出すぎたオリキャラはいなかった。
楊令伝は正反対で、正史の情報が少ないのに、各パーツの叙述が冗長。
しかも、楊令殿だ。
三国志でたとえると、後漢を倒した陳礼が、税率1割だ、交易だ、自由市場だと騒いでいる
作品。同時代に生きた曹操や孔明が聞けば、「こいつ狂人か?」と思えるようなことをしている。
時代小説・歴史小説の最低限のルールは、形だけでもいいから、舞台となっている時代の
制約を見せることだと思う。全面的に時代の制約の下に物語を置くと、書きたいことが書けなく
なるから、形式的な部分だけでいい。
三国志や水滸伝は、まあまあそのルールが守られていた。戦のシーンなどは、かなり慎重に
時代の制約を遵守していた。
楊令伝は、ほぼ全面的に無視だ。こういうことをやりたいのなら、近未来小説でやれよ。
肚が立つだけだから。
率直に言うと、楊令伝のような時代小説もどきが増えてほしくないのな。
理想を言うと、絶滅してもらいたいんだがね。
日本ミステリー文学大賞を受賞されたことだし、そろそろあちらの世界に帰ってもらいたいのね。
こんなルール無視の作品で荒らすのならばね。
>>826 最低限のルールというのならば、もっと緩やかな基準でもいいよ。
せめて「むかし」を思わせる描写を、ちょこっと挟んでもらえばいい。
フィクションを読むのは、旅行と同じで、日常と違う世界で遊びたいわけだ。
時代小説一般に対して求められているのは、「むかし」だろう。
正確に12世紀の中国でなくてもいいから、「むかし」を思わせる描写を入れてくれ。
水滸伝シリーズは、キューバ革命が俺様に夢を与えていた頃の話を書きたいのかも
しれないが、そこばかりを書いていると、露骨に戦後日本になってしまうがな。
夜間、会話する登場人物のいる部屋の窓から、蛍の飛ぶのが見える。
梁山泊の誰かが農民の暮らしを視察する。あぜ道に蛙がいる。蜻蛉が飛んでいる。
その程度でいいんだがな。
むかしはよく見かけたけど、最近はあまり見なくなった動植物。
ハードボイルド小説というのは、動植物が出てこない小説のことなのか?
あの長ったらしい会話や、長ったらしい戦の描写をやるスペースをちょっとだけ割いて、
もう少し他のものにも目配りをしてみてくれ。
ほんと殺伐としていて味もそっけもない文章になってしまっている。
殺戮がなくて、食事をしていても、殺伐としているのだ。
ちょっとでいいから、出てくる人物の周辺の様子にも気を配ってくれんか。
核戦争によって地球上にわずかな人類しか残っていない近未来に、廃墟になった街で、
その僅かに残った人類が戦っている映画が、いっとき流行ったな。
西部劇が流行らなくなった頃に、そういうのが流行った。
ロケーションは廃墟だから、殺伐としていて見るところがない。低予算で製作するには
もってこいだったのだろう。近未来だから時代考証もへったくれもない。奇抜な恰好をした
人物たちが闘っていたよ。
楊令伝を読んでいると、それを思い出す。
隊商が移動するシーンで風景が出てきても、情景を想像する手がかりがごくわずかしかない。
『森の中。時々、木の枝が顔を打つ。・・・ 森を抜けた。小さな岩山を迂回すると、草原の中に
火がいくつか見えた』
こんな感じだから、自分の体験の引きだしから、スッと情景が出てこない。
したがって、殺伐とした風景になる。
また、視点人物の目の前に風景があっても、遠くから風景を写しているように見える。
上記の一節だと、『木の枝が顔を打つ』だけは、枝が目の前に見える。しかし、他は全部遠景だ。
まあ、風景は無いに等しい。
>>833のいう映画はTV用の低予算映画だが、一時期、外国でたくさん作られたね。
俺も楊令伝を読んでいると、そんな廃墟の風景しか目に浮かばない。
風景の描写が少ないのは、ずっとそうだ。
熟読玩味したくなるような引き締まった文章であれば、それらの短い風景の描写から
想像をめぐらす楽しみもあった。
いまのように、とてつもなく長い会話や、戦闘描写が続く中で、たまに風景の描写が
出てきても、誰も情景を想像するようなことはせんだろう。
>>775 ついこのあいだまで、専門の学者が絶賛するような小説を、中学生が平気で読んで
楽しんでいたわけじゃない。わざわざ中学生にもわかりやすく、なんてことを考える
必要はないんじゃない?
新ネタが皆無といっていいほどにないよな。
小さな梁山泊を作って、物語の展開上面白くないだろうという批判を浴び、
それに反論する。
馬鹿みたいなことをして、批判され、反論するというだけの小説になっている。
それがネタといえばネタ。それで頁を埋めているようなもんでねぇ?
北方水滸伝を熟読すれば、発展させてもよいネタは、ずいぶん拾えると思うのだがな。
聞煥章と扈三娘ネタのように。もっともこれはくどかったがな。
ムルハーンのおばさんが喜ぶからだろう。
>>822 各巻の感想文を読むと、戦のある巻が人気があり、ない巻は盛り上がりに欠けるという
パターン化したものが多い。まんざらウソでもないんだろうが、何度も同じような戦で
飽きないのだろうか。俺は、水滸伝ラストの童貫戦以降、面白い戦を読んだ覚えがない。
楊令伝の童貫戦は、戦死者確認のために流し読みしていただけだ。
一騎討ちばかりの原典との比較で面白い戦だと思っていただけなんだよな。
北方本のほうが組織立った動きをするから。
騎馬隊ばかりになってきてから、つまらなくなった。
「レッドクリフ」で騎馬隊が歩兵にやられているシーンは痛快だった。
楊令伝の反対のことをしている映画や小説は面白いな。
それと、ネットで楊令伝をこきおろしている感想を読むのも好きだ。
「そばにいろ、張平」
寝言のように、楊令は呟く。
「俺が眠るまで、躰に触れていてくれ。おまえの陽根を、俺に押しつけていろ」
「楊令殿。眠くなってきました」
「ともに、眠ろう」
それ以上、言葉は出なかった。
深い眠りだった。
「楊令殿」
張平は、躰を起こそうとした。なにか、おかしい。温もり。それが、どこにあるのか。
上体を、やっと起こした。
濡れた掌が、赤かった。なんなのか、しばらく張平はそれを見つめていた。それから、そばで寝ている
楊令に眼をやった。
腹が裂け、はらわたが躰に絡みついていた。一部は、張平の男根にも巻きついたようになっている。
顔は、赤い。人の顔ではない。いや人の顔だが、皮を全部剥ぎ取られ、赤い肉が露出しているのだ。
楊令の顔を覆っていた陰惨な火傷の痕が、みごとになくなっていた。
「綺麗な顔になられました、楊令殿」
楊令殿には、めいっぱいグロい死に様を望みたいな。
「この国は、民のための国だ、と思うことにします。苦しむ、民のための国だと。苦しむ
のは当たり前でも、他国に苦しめられはしない国。俺はいま、そう思っています。そして
これまで、そんな国があったためしはない。俺は傭兵のようになるのでしょうが、抗金
という、絶対に譲れないものは持っているつもりです。花飛麟殿は、どう思われる?」
「岳飛殿の言われることが、当たり前のようでいて、欺瞞に満ちていると思いますね。
当たり前のことをやって、この国は駄目だったのです。誰も、きちんと治めることは
できなかったのです。天下を求めることは、欺瞞の中にいる自分を肯ずることです」
間が抜けた答えであることはわかっていて、言ったのだ。抗金を唱えることが、論理
必然、天下を求めることと繋がるわけではない。ドイツに占領されたフランスのレジス
タンスが天下を求めていたのではないことなど、説明するまでもないのだ。
しかし、ここで喋るあらゆることで、岳飛はなにかを測ろうとするに違いなかった。
間が抜けているが馬鹿ではなく、いかにも左翼っぽいので扱いにくい。楊令殿の部下は
その程度がいいのだ。
時々出てくる楊令伝中の論理の飛躍というのは、いったいどうして生じるのだろう?
あなた、見えない敵と闘っていませんか?
宋の野党である梁山泊と、外国の金が共同で斉を建国する。中華の北半分は斉だ。
南半分は、かつての与党の南宋。
斉と南宋は国境を接して対峙する。
斉は南宋に戦で勝ち、常に優勢。
そのうち協力関係にあった金国の影響を排除して真の独立を勝ち取ろうとする。
金国はそれを許さない。結局、金国と南宋が裏で同盟を結び、斉を滅ぼす。
金、斉、南宋に、現代の国や政党を当てはめると、現代に似たような状況を見出せて、
面白いドラマになったではないか。シンプルでわかりやすいし。
楊令伝の梁山泊国は、複雑すぎてサッパリわからん。
すばるだけだと地図がないから、梁山泊がどこにあるかもよくわからず、どの程度の広さかも
わからない。岳家軍や張家軍もそうだった。
それに、最近やけに地名が細かい。単行本でも、細かな地名までは地図に載せられないんじゃ
ないのか?
チベットを除く現在の中国の領土を、金、斉、南宋の三つに分けるのが、もっともシンプル
でわかりやすいねん。
2対1で、1の国が負ける。
斉は金と梁山泊が共同して作るから、最初は南宋が劣勢や。
最後は金と南宋が同盟して斉をつぶし、史実に戻る。
梁山泊国だ、岳家軍だ、張家軍だ、その他に斉だとぐちゃぐちゃやっているから、サッパリ
わからんね。
三国志の領土関係は、すごく複雑だけど、あれはメジャーな物語で、誰でも知っているから、
問題なく、複雑な領土関係をそのまま小説でやればいいんだ。
フィクションの楊令伝で、史実以上の複雑な領土関係を作って、どうするの。
しかも、地図のないすばるで、どこにどの国があるのか、金と南宋以外は、わからないよ。
中国史が好きで、水滸伝から読んでたけど
まさか楊令伝が、こんなに続くとはおもわなんだ。
3巻で止まってたけど、また読み始めようかなと思ってる。
しかし、この楊令伝て、水滸伝みたいな三大演技とかと違って
どういう視点で読めば良いのか分からない。
荒筋も知らないし。どうなるんだろう・・どういう気持ちで読めば良いのかな。
で、岳飛伝とも繋がるんだよな。どこでかな・・ややこしいな。
>>851 史実は背景として出てくるだけなんで、知らなくても大丈夫。
戦をやって勝ったり負けたりしているだけの小説。
あとは楊令がおよそ12世紀とは思えない現代的な話をグチャグチャやっているだけ。
もっとも、僕は、そこが不満なんだけどね。
史実は物語の中に取り込まなかったというよりも、取り込めなかったという感じ。
徐絢という梁山泊の女間者が宗沢に接近するというエピもあったけど、彼女も
史実とフィクションの橋渡しはしていない。侯真とセックスをしていただけ。
岳飛・韓世忠・張俊・劉光世は登場するけれど、史実の彼らとはまったくの別人で、
99%フィクション。阿骨打の息子の斡本・兀朮・訛里朶も同様で、史実とは似ても
似つかない人々。だいいち金軍の騎馬隊がとくに強いわけではなく、梁山泊や宋の
騎馬隊が強いのだから、史実もへったくれもない小説。
靖康の変は、作者も歴史を勉強していないわけではないですよ、という申し訳程度に
出てくる。ほぼ李富が一人で語っただけの内容。こういうところに登場人物を配して
ドラマを作ろうという気配すらない。史実は背景として軽く流していれば充分という認識
なのだろう。つまり、日本の捕物帖のような歴史認識。
捕物帖は平時が舞台だから、そのような歴史認識で十分なんだろうな。
しかし当時の風俗に関しては、ちきんと時代考証をしているぞ。
楊令伝は、わざわざ歴史の変動期を選んで舞台としたのだから、捕物帖
のように歴史は単なる背景という認識では駄目だと思うけどね。
しかも、経済や財政について言及するのら、それらについての時代考証
は十分準備すべきだったのではないかと思うがね。時代も国籍もないテキトーな
舞台で、楊令が好き勝手をほざいているドラマに、どういう魅力があるというのだろうか?
人気のない楊令殿が交易の話を始めても盛り上がらないね。
蒋敬の発案で、蒋敬が楊令に進言して、梁山泊の交易が始まった
という展開なら、評価は違ってきていたかもな。
>>852 オリキャラが多すぎたというか、オリキャラ比率が高すぎた。
方臘軍は比較的原典の著名キャラで固められていたが、それ以外はオリキャラばかり。
一人一人をじっくり描く時間があるならそれでもいいが、わずかな登場時間しかないのに
オリキャラばかりだと、まず覚えてもらえない。
水滸伝の何恭や蒼英は出番が少なかったが、オリキャラ比率が低かったので覚えて
もらえた。
岳家軍などは、どうせ名前だけ借用なんだから、オリキャラじゃなくて「岳飛伝」に出てくる
人物にすればよかったね。「岳飛伝」なんて日本人は知らないだろうからオリキャラにしておけ
というのは乱暴。岳飛の部下の各人を描くことのできるスペースを考えると、名前は付いて
いても匿名キャラと同じ。史伝に登場する人物だと知ってる人はいるし、知らなくても後日の
読書につながる。史伝のエピソードを引用する時間がないからオリキャラにしたのかもしれ
ないが、多少なりともエピソードを引用していれば、楊令伝も面白くなっていたんじゃない?
金軍がいちばんひどかった。途中から史実キャラも出てきたけど、最初は阿骨打しかいなかった。
水滸伝で副官をしていた完顔成すら、第2巻には出ていなかった。
選りによって唐昇と許貫忠を金軍にスカウトするという不可思議な展開。
唐昇やら許定というのは、弱い官軍を象徴する人物。
後で、董万、趙安、宿元景、童貫と徐々に強いのが出てくるから、カス同然の人物なんだよな。
どうして使い回すのかな?
>>857 >唐昇やら許定というのは、弱い官軍を象徴する人物。
違う。水滸伝の前半は、地方軍に優秀な将軍・将校がいて、禁軍が腐敗の温床、宋のお荷物。
水滸伝の後半とは、評価が正反対なんだよ。
関勝が梁山泊に入山するまでは、そうせざるをえなかった。
859 :
無名草子さん:2010/04/12(月) 13:11:47
梁山泊には秦明・花栄・朱仝・雷横・呼延灼等、官軍出身者が多かったからな。
しかしそういう御都合主義をぬけぬけと活字にできるというのが信じられないのな。
史実重視の歴史小説であれば、正確を期するために、調べながら書くというのは当たり前。
長くなればなるほど、「調べながら書く」の必要性は高くなる。
ところで、調べる史料というのは一つではないわけだから、幾つもの史料を調べているうちに、
人物に対する評価が変化してくることはある。そういう長篇歴史小説は、何本も読んだし、
作者が誠実であればあるほど、そのような事態は不可避になってくるだろうな、と読者も許容
する。
しかし、水滸伝・楊令伝は、高校世界史レベルの史実については嘘は書かないという程度の
歴史濃度の小説で、基本的にはフィクション。登場人物についても、名前を借用するだけで
自由に書ける架空の物語だ。張俊が斉の将軍になったようにな。
このような架空の物語であれば、事前に矛盾なきようドラマを構成できるはずだし、矛盾が生じても
事後のフォローは簡単なはず。史実を基準にしないのだから、およそ矛盾が生じる余地のない
物語なはずだ。調性もテンポの決めないフリー・ジャズのような小説だからな。
どうして矛盾が生じるのだ?
扈一族を梁山泊が皆殺しにしたというデマは、仔細に読んで見ると、水滸伝の当該記述を
知らずに、そのように書いたといわけじゃないだろう。矛盾ではないんだよ。
楊令伝の叙述を使った壮大なデマだ。
同じく自作ではあっても、水滸伝は糞扱いよ。
楊令殿さえ立派な人物だと読者が思ってくれれば、それでいいんだろう。
狂気を感じるね。
でも、どうして楊令殿がすごい人でないと駄目なの?
この小説の根本の疑問は、そこでしょう。
・スポーツの試合を見て、「いい試合だったなー」と思う。
・職人さんの手作業の素晴らしさに感動する。
・年間の売上が一気に2倍になった会社をすごいなーと思う。
他者を見ていて、「すごいなー」と思うのは、その程度のことだし、それ以上だと滑稽でしかないんだよね。
そのスポーツ選手が、人口500万人の国の元首になったり、そうなるために、民を皆殺しにしたり、
女を攫って手篭めにしたりしないと、「すごいなー」と思わないのだろうかね?
なにか人間とか世間とかを勘違いしていないか?
楊令でいえば、有能な幻王軍の司令官で十分。それ以上の能力の付与は、楊令の人格を滑稽にしている
だけだわ。まして、そのような手の届かないような大きな人物になるために、殺人・強盗・誘拐をしなければ
ならない、というのは狂っていると思わんのか?
ハードボイルド小説が流行ったのも、理解できなくはないんだ。
学校の先生が読めと勧める戦前の名作は、登場人物が悩んだり、迷ってばかり
というのが多い。
ところが、自分たちの日常を振り返ってみると、悩みや迷いはあるけれど、年がら年中
悩んだり、迷ってはいないからな。「おかしだろう、むかしの小説」と思ってしまうんだわ。
戦後はそうでない小説が増えたし、ハードボイルド小説もそのひとつだわな。
ところが、迷わない・悩まないがエスカレートして、情操欠如の人物を祭り上げるようになって
は駄目なんだろうな。情操欠如は、迷わない・悩まないとは、性質の異なる話で、読者は
明確に区別しているからな。
あとから、楊令にも眠れない夜があっただろう、みたいなことを岳飛が言ったじゃないか。
>>865 それは、ほんとうに後から書いたことだ。
幻王軍の戦が苛烈で、敵兵を皆殺しにしていただけならば、岳飛に言われるまでもなく、
読者だって、「楊令にも眠れない夜があっただろう」と理解しただろうよ。
しかし、幻王は、それだけではなく、民を皆殺しにし、強盗をはたらき、女を攫った。その女のうちの
数名は、幻王自身が慰み者にしていた。
つまり、「楊令、どうしちゃったんでしょうね?二竜山の山賊のようになってしまいましたね。主人公が
こんな風になっちゃって、この小説は、この先どうなるんでしょうね?興味があったら、1680円払って
次の巻を読みましょうね。80円は消費税ですから国庫に納めますよ。ここから取材費は落とせません
から」みたいな読者の興味を引き出そうとしたんじゃない?
それが、4巻で、「楊令殿は、変った」だ。ふざけるなよ。
>>864 太原府戦で、陶宗旺が敵兵を溝に埋めて埋葬している場面などは、そのあたりのことを、
きちんとわきまえていたんだがな。
水滸伝の終盤、血涙を書き始めたころからかな。もう馬を走らせる以外何も書けなくなった。
ドラマ不在。
>>863 楊令ひとりが好き勝手に自分の作りたい国を作れるように、梁山泊の将兵は大量に
死んでいったのか?少なくとも、水滸伝を読んでいるときは、「楊令に新しい国を作らせる
ために、俺は闘うんだ」と言っていた奴は、ひとりもいないぞ。
それから、帝が存在するかしないかは、さして重要なことではない。帝であろうが総書記
であろうが、専制国家であるかないかが問題だろう。
専制国家であるという点では、北宋よりも梁山泊の方がタチの悪い国だとは思わんか?
どうして国が商いをすれば、腐敗は生じないといえるのか?専制国家は必ず腐敗する。
楊令を批判する信頼できる常設キャラを置かなかったのが、この小説がつまらなくなった
原因だろうな。力ずくで「おまえらを楊令のファンにしてやる」と力んでいるだけなんで、
読者の気持ちは楊令から離れてゆくばかりだよ。
政治をどのようにやるかについては、いろんな考えがありますからね、という台詞を楊令
に言わせるのはおかしい。もっとも偏ったことをしている張本人が、悟ったような口ぶりはよせ。
世俗を離れた王進のような立場の人間を、楊令批判の常設キャラにすればよかったな。
楊令がやっていることは、かなり偏った立場の人間にしか受け入れられないので、
世間の一般常識を代表するようなキャラに、常時楊令を批判させていなければ、
常識的な読者は、読みつづけることはできないよ。
童貫や岳飛も、楊令を批判する立場になく、どちらも楊令に憧れているという設定だ。
もうつまらなくなるように物語を進めようとしているとしか思えない。
>>868 >国が商いをすれば、腐敗は生じない
この楊令の台詞は謎だったよな。
役人と商人は別人格なのに、結託して腐敗が生じることがある。
同一人格だと、結託する必要すらなく、いっそう容易に腐敗が生じやすいと考えるのが常識。
きちんと常識に立脚して考えてもらわんと、読んでいて首をひねることばかりだ。
放火を用いない皆殺しは、皆殺しをしたつもりになっているだけですからwww
非常識ではなく、考えが浅いのだろう。
水滸伝の1巻で、林冲が、李富に疑われないように、鋭くはないが馬鹿ではなく、そこそこに
欲があって扱いやすい人間を演じていた。丁寧にキャラを作っていたね。
いまは注意深くキャラを作っている暇がないんだよ。
水滸伝に登場していた20代・30代のキャラと、楊令伝の40代〜60代のキャラを比較して
みろよ。後者は、中学生にしか見えない。
水滸伝時代の童貫も、政事について、けっこうまともなことを言っていた。
それに輪をかけたのが楊令。
このシリーズは単純すぎて嫌なんだ。戦闘力が高ければ、他のすべての
能力も優れている。
水滸伝の途中までは、そんなことはなかった。
>>864 邵房殺しも、情操欠如シーンの典型だな。かなり後になって邵房が青蓮寺の間者であることが
判明したが、李富が邵房を羌肆の後の軍の隊長にするつもりだったというところを読んで、あと
付けの言い訳だと思った。梁山泊にいたころの邵房からは、王和や高廉のような風格は感じら
れなかったからな。
なんのために、あんな糞つまらんシーンを挟むのだろう?
不良少年が、剃り込みを入れて、悪い目つきで他人を睨みつけるのと、同じ心境なんだろう。
>ただ、阮小七は深く潜れたのだ、と張順は言った。梁山湖に潜って、よく魚を獲っていたからだ。
>張順は、深くない長江に潜っていた。
梁山湖は深く、長江は浅いという認識でおられるようだが、そうだろうか?
まず、長江は、少々内陸に入っても大型の船が通れるほどの幅と深さがあり、
武漢までは5000トンクラスの船が入る。
さらに上流の三峡地域では幅が狭い分深さが大変なもので、
100メートルを越す場所もある。
なお、梁山湖は黄河の氾濫で、宋代になくなっている。まあ、氾濫でなくなるような深さということだ。
朱貴が管理する船着場から金沙灘へは浅瀬が多いため、小舟ですら、複雑な経路を辿らなければ
ならなかったことは、北方水滸伝に詳しく叙述されている。
【審議中】
∧,,∧ ∧,,∧
∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` ) 長江が浅い???
| U ( ´・) (・` ) と ノ
u-u (l ) ( ノu-u
`u-u'. `u-u'
879 :
無名草子さん:2010/04/12(月) 16:50:50
また文句ばかり言っているのか?一日平均30個も、よく文句が出てくるなw?
>自尊心が毀れてしまうと、どこか憐れな人間になる。相手は公孫勝であろうが喬道清で
>あろうが、自分をみとめさせようとするのだ。
精神医学的な「自尊心」とは、いわゆるプライドや傲慢、自惚れ、驕りとは異なるもので、
その意味での自尊心であれば、それが毀れると、自身の能力に自信がもてなくなり、
いわゆる鬱病患者になる。自分をみとめさせようとすることはないと思う。
いわゆるプライドや傲慢、自惚れ、驕りの意味で、「自尊心」を用いているなら、それが毀れて
いないときこそ、自分を認めさせようとするはずである。
「自尊心が毀れてしまうと、自分をみとめさせようとする」という命題は、意味不明。
「はじめは、こういう国を作るつもりではなかった、ということですか?」
「そのつもりになれば、できるものか、国というのは?」
「さあ」
「やるべきことを、やる。ひとつずつだ。それが積み重なって、国というものはできてしまう」
「楊令殿が、国づくりのために初めにされたひとつとは何ですか?」
「熟女真を皆殺しにすることだ。それをしないと、手が届かないほどの大きな人間になれない」
「それから」
「強盗。国を作るには莫大な金が必要だ」
「そして」
「女を攫って手篭めにした。権力を得たと実感できる瞬間が、これだ。岳飛、女は攫ったことが
あるか?」
「いいえ」
戦人と書いて、「いくさびと」と読ませるのだが、「いくさ」という訓読みには抵抗があるね。
「いくさ」の語源は、矢を射ること。たぶん開戦の合図である矢合わせ。「いく」が射るで、「さ」は矢。
中国には、矢合わせの伝統はない。
元寇のとき、日本の兵が矢合わせをするのを見て、敵は笑ったそうだ。
敵は、いきなり攻めてきた。
中国を舞台にした小説で、「いくさ」の語は適当ではない。
>戦人なのだな。岳飛殿を見ていると、その言葉がぴったりです」
語源的にも岳飛が「いくさびと」と呼ばれることはありえないが、主観的に思い入れのある
言葉を多用して、それに自分で創作したキャラをあてはめるという癖が好きじゃない。
中国の戦記を日本人に伝えるのなら、日本人に理解できる範囲で、中国で発達した観念で
可能な限り説明すべき。理解しにくいところは解説を加えるという方法がある。
いずれにしても、日本で独自に発達した「いくさ」という観念で、中国人の軍人を表現する
というのは、いかがなものだろうか?本末転倒。
おいおい、楊令伝は中国の戦記じゃないから、そこまで厳格に考える必要はないよ。
しかしフィクションであるとしても、登場人物は数名を除き、全員中国人。
多少は中国らしさを感じさせないと、読む気が起きない。
外国らしさを感じさせるには、その外国で独自に発達した観念を用いること、これが
第一。それから、美術や衣裳や楽器や詩文や風景に、その国独特のものがあれば、
それを物語の中に織り込む。
三国志では、船の形状の描写などで、中国らしさを伝えていたよ。
楊令伝で、そういう努力をしている?
代りに答えてやる。まったく、していない。
楊令伝がここまで反発を食らうのは、隅から隅まで、「俺様がいちばん」で貫かれて
いるからだよ。中国の物語ならば、可能な限り、中国らしさを文面で伝えないと、舐め
とんのか、ということになるよね。
まして、楊令伝は、水滸伝の続編。可能なかぎり、水滸伝らしさ(この場合、北方水滸伝
でいい)を伝えないと、なめとんのか、ということになるよね。
俺様がいちばん。俺様が考える国とは、こうだ。わかったか。よく、読め。
どーでもええですわ、そんなこと。
そのうち、イギリスに住む仏教徒の物語とか、グリーンランドに住むアフリカ象の物語を
おやりになるんでしょうよ。俺様が、いちばん。
>「もうひと泳ぎだ、波涛児」
>あだ名で言われた。自分でつけたあだ名で、誰も呼んでくれなかった。
あだ名の意義:本名とは別に、その人の容姿や性質などの特徴から、他人がつける名。ニックネーム。あざな。
自分でつけるあだ名というものは、ない。
>>881 低脳な奴ほど弱いものを暴力で痛めて優越感を感じるんだろうな。
楊令って低脳にしか見えないもの。
親玉が低脳だから、子分もキチガイだらけ。
洞宮山に勝手にやってきた梁山泊は、そこに自分たちの隠れ家を作る。
元からいた村人は、洞宮山を出ることを禁じられる。
どうしても出て行きたいという奴は、孫二娘に殺される。
キチガイ集団だわ。誰がこんな小説を面白いと思って読むというの?
人口500万人の国を作っても、地下組織であった時代の癖が抜けないのだろうな。
国を作ってやった最初の仕事が戸籍の調整。国境を固めて、外からの民の移住は
厳しく禁じる。洞宮山の悲劇を思い出して、気分が悪くなるな。
楊令伝は、10数巻読んで、共鳴できる箇所が一箇所もなかったという点で、稀有な小説だと思う。
その原因は、幻王の殺戮・略奪によって、梁山泊の正悪を180度逆転させたことだろうな。
林冲・魯智深・曹正らのプロフィールは、北方水滸伝の世界にのめり込む上で、非常に
重要なエピソードだった。妻・父親・兄という肉親を殺された怒りから、彼らが叛乱に立ち
上がるというエピは、読者がもし彼らと同じ立場だったらどうするか、という観点から考えた
場合、怒りという点で彼ら梁山泊のメンバーに強い共感を呼び起すもので、読者自身も
梁山泊の兵になったような気分で、水滸伝を読むことができた。
楊令伝は、180度逆さま。いつ楊令の暗殺を計画する熟女真の被害者が立ち上がるのだろうと、
そればかりを心待ちにしている。
姿の見えない小説世界で読者の共感を呼び起すには、読者の感情に訴えかけるという
手法は重要だよな。喜怒哀楽で作中人物と同一化できれば、自然にその人物を応援する。
反対に生理的に嫌悪された楊令を頭領に迎えた梁山泊など、皆殺しに会って全員死ねば
いいのにと思う。当然でしょう。
喜怒哀楽で左右される小市民的な世界から、一段高い地平に出ようとして、失敗した小説
なんだわな。水滸伝の冒頭から、そのような色調で物語が進行していれば問題はなかった
わけだが、途中から変更した。林冲・魯智深・曹正らの身の上に起きた事件が、楊令によって
熟女真の身の上に起きた。物語は前半と後半で矛盾を拡大するばかり。正と反は止揚する
ことができても、正と邪、善と悪は止揚しようがない。
読めば読むほど楊令が憎くなる。もう終了したほうがいいね。
途中からの変更というのが、まずいんだろうな。
>>734のような、水滸伝序盤の名場面と、楊令伝の糞場面を繋げて読むと、
ギャグにしかならない。
書けば書くだけ矛盾が増えるということよ。
その矛盾を隠蔽するために、「民を平気で殺せる人物が大人物になる」といった詭弁
を弄する。軍政下の民を圧殺したような政権が、後世の人々から称賛された例を、
いまだ俺は知らないのだが、そのような政権の指導者は大人物だったのか?
嘘を垂れ流すのも、いいかげんにしろよ。
「楊令殿にとって、国とはなんですか?」
「自分にとって、国とはなんだ。そう考えている間は、迷った。結論を出して迷い、考え直し、
また結論を出す。つまり、結論ではないのだな。民にとって国とはなんだ、と考えはじめて、
あまり迷わなくなったような気がする」
「民は、国が恣意的に殺戮できる存在ですからね」
「そうだ。逆らう民は、皆殺しにすればよいのだ。迷うことが、なにもない」
楊令と岳飛が、国とはなんだ、民とはなんだ、というような会話をしているところを読むと、
反吐が出そうだわな。偉そうに。むなくその悪い。
>漢民族は、ほかの民族を受け入れず、この広い国土を自らのものにしようというのですか。
広い国土を有する国は、他民族の武力による侵略を常に甘受しなければならないという理由
がよくわからない。1月号の花飛麟の発言を何度読んでも、そのようにしか読めない。
敵の飛車が角行を取りにきたので、角行の前にいた金将をヨコに避けて、どうぞ角行をお取り
くださいと言っているようにしか読めない。
それとも、漢民族は、元々宋の領内にいた契丹や女真を北に追っ払ったというのだろうか?
岳飛が、花飛麟の言葉を聞いて、謙遜して「俺が単純な男に見えるのだろうな、花飛麟殿には」
と答えると、花飛麟は、「そうじゃない。漢民族の中に、違う国がある。それを認めることで、新しい
なにかがはじまる、と考えられないのですか」と切り返すんだ。
それまで、他民族国家を称揚していた花飛麟が、唐突に、漢民族内の一部を切り取った梁山泊
の話にもってゆく。理解不能。
901 :
無名草子さん:2010/04/13(火) 14:21:02
左翼はどうして“民族”という言葉に過剰反応するのですか?よくわかりません。
>漢民族は、周辺の他の民族より、圧倒的に人数が多い。だからいつも正しいのだという考えは、
>歴史の中で何度も否定され続けてきました。その愚をくり返さない試みは、むしろあるべきだろう、
>と思います。
岳飛は漢民族が正しく、女真族が誤っているとは、ひとことも言っていない。
金国は、宋金同盟を一方的に破棄して、宋を侵略したのだ。
宋の禁軍は、宋金同盟に忠実に、金国の敵である遼軍(燕と名を変えていたが)
と闘ったのだ。そうしたら、宋が梁山泊軍と闘っている隙に、金は開封府を攻めたのだ。
宋が女真を圧迫した事実はないのだ。むしろ女真を圧迫していた契丹と戦ったのだ。
こういう事実を無視して、国際化・他民族国家の話にすりかえ、抗金を唱える岳飛が
非難される理由はないのだ。
そんなことをしている暇があるのなら、民を殺戮した楊令を殺してくれ。
殺された民には、一民族一国家も、他民族国家もないのだ。
死んでいるのだから。
なんか必死に書いているのはわかるのだが、もう少し考えてから書けよw
背景となる事実関係とかけ離れているし、議論の筋が支離滅裂で、読んでいて意味が
わからん。趙仁が童貫軍を迎え撃つために、長江の北へ信徒の軍を渡渉させたのと
同じような展開になっているぞ。
呼延灼や宣賛が阿呆のように書かれたのは、年長者を阿呆にすることで、楊令=頭領の
正統性を根拠づけるためだと思っていたが、それも怪しくなってきたな。
花飛麟は、楊令のやっていることを正当化しようとして、阿呆なことを言っている。
杜興の長ったらしい台詞が支離滅裂・意味不明で理解しにくかったが、
杜興が高齢でボケてきたという演出ではなかったのかもしれん。
若い花飛麟も、杜興の台詞に負けず劣らず、サッパリわからんことを
ほざいている。
杜興は高齢でボケ、花飛麟は低学歴で込み入った議論が苦手ということじゃないか?
花飛麟は山中で虎をはじめとする獣と闘って武術を磨いていた。学問はしていないはずだ。
北方水滸伝のような高学歴者ばかりの時代が、特異な時期だったんだよ。
青蓮寺は全員科挙の合格者。軍人は武挙合格者。
長い台詞を喋っても、読者に意味が通じた。
梁山泊には科挙合格者はいないが、樊瑞や朱貴でさえ科挙の受験生だったから、
半数は高学歴だったのだろう。宋江や晁蓋や李応は科挙を受験したわけではないが、
保正という合格者を多数輩出した階級だ。
あとの半分は、文字も読めない将校だった。楊令伝で、彼らの代表的人物として
花飛麟を描いたのだろうな。花飛麟の言っていることがサッパリわからないのは
同感だが、それは演出だよ。だって、梁山泊の将校の半数は、文字が読めない。
文字の読めない奴は、筋道の立った議論をするのが苦手。
>>900 考えて書いていない。フィーリングだけで書いている。
読者に自分の主張を伝えたいのではなく、それっぽい会話になっていればいい。
その程度にしか考えていないんだろう。
いくらリアリティを追求したいといっても、現実世界によくいる頭の悪い奴を
小説の中にそのまま登場させて、支離滅裂な議論をさせていたのでは、
読者は困惑するよな。
「民族ではなく、民。俺は、楊令殿が言われることを、そんなふうに理解しましたよ。
ですから、楊令殿も、熟女真だけを皆殺しにされたことを反省しておられます。
生女真も、契丹も、漢民族も、皆殺しにしなければならないのです」
岳飛 女真族が宋金同盟を一方的に破棄して宋を武力で侵略した →抗金を主唱する
花飛麟 漢民族は他民族を受け入れなければならない
→女真の侵略後、数年を経過しただけなのに、漢民族が女真族を武力で排除
することは正しくない →侵略を受け入れるべきである
→岳飛が謙遜すると、そうではない、漢民族の中に違う国を認めることで
新しいなにかがはじまると考えられないのかと反論にならない反論
楊令も、花飛麟の主張を聞いた後で、「もういい。梁山泊はこうだ、というだけの話になる。金の侵略
を許さないという考え方も、あっていいのだろう」と言っている。
やはり、侵略する相手の意思は尊重されなければならなのだろうな。外国の侵略を排除するような
偏狭な考えは駄目なんだよw
民の皆殺し →肯定
外国の侵略 →肯定
>金は、どういう国なのですか。女真族がいて、契丹族がいて、渤海の民もいる。漢民族だけが
>人と言っている岳飛殿と較べて、はるかに他を受け入れていると言えるでしょう。
熟女真を皆殺しにして、受け入れている?
契丹の叛乱の鎮圧で、宋への進攻が困難になった時期があったのに、契丹を受け入れている?
武力で屈服させているといわないか?
次は、漢民族に屈服しろ、ということか?
それと女真族と渤海族を区別しているようだが、同じくツングース系の民族であり、少なくとも、
契丹の統治下では、渤海国の遺民は、女真と総称されていたわけで、区別する必要があるのだろうか?
915 :
無名草子さん:2010/04/13(火) 16:04:18
>>914 金国内における渤海人の存在は、女真族と区別しないといけないよ。
四代皇帝完顔亮の母は、渤海の女性を迎えた、阿骨打は渤海人張浩を新しい首都北京建設責任者に
登用する、といった文脈で、女真と渤海は区別して史書に記録されている。
>あと二年、女真の地に留まりたかった。それは、楊令の抱いていた欲と言ってよかった。
>二年あれば、女真の地での戦を、思い描いた通りに終息させることができたかもしれない。
中国には当時でも1億を越える人口がいたと思うのだが、その歴史を、楊令殿ひとりが
きり回すのですか。なんとも、すごいお人ですね。
晁蓋も、宋江も、童貫も、李富も、みんな馬鹿に見えてしまいますね。
こういう人物を読んで、楽しいと感じる読者というのが存在するのですか。
いやー認識不足でした。
こんなことができるのは、ショッカーぐらいだよね。そのショッカーだって、世界を
征服するといいながら、いつも日本でチョコマカしている。
楊令殿は、二年あれば、女真の地での戦を、思い描いた通りに終息させるのですか。
そりゃーすごい。
二年で女真の地での戦を終息させ、中国全土の民に、富むということがなにかを、
楊令殿はお伝えになられるのですね。
フランス文庫を読んでオナニーをしている僕には、想像もできないような、きらびやか
な世界です。
そうなんですか。中国全土の民に、富むということがなにかを、お伝えになられるのですか。
すごい。
/....::::::: ''''::. l |
/ ...................::::::: ノノ
ノ ....:::::::::::::::::;;.=={彡' ∧
ノ .::: ...::::ゝ_,..-'‐‐-- /∧ヽ
_,.-'"_, ....:::;-''" _______// ,,,ヽヽ____
`ー-/ .:::::::/ \ヽ ̄,, ; ;;  ̄/〈
/.:: .::::::/ _,,.ゝゝ;;,, ,, ,,;; '< ヽ__
/ ..:: ..::/ ,.',ニ=''",,,,,.. "'ヾ,,,,,,;;' ;;:..`ー-‐}
ノ..: ,.: .::::/ //;''";:______,.-‐-、 ''' ,.-、__,,,;;;;/
〃....::: ...::::| // ;;: / -===、,,_ `'" _,.==j; |
_,.;' ...:::丿l // ;;: /l ,.rt=;y,`''" /,.t=y‐ }l| |
.....:::::/ l //,,;' /l|  ̄~ i:: ̄~ ll| l'
...../ l ヾ、,,,.ヽl! ;::. l| l
/ ヽ ヾ、;;: ヽ ''" l l'
ヽ ヾ、 ;,ヽ _,,.-‐一,. |l_l' しかし、夢が実現していくだろうという
ゝ ヾ、_,.ゝ '''"'' ::::/〈 手応えもある。
//ヾニ〃ヽ_ .::/ヾ丶
// l〃 `ー-- _____,,::シヾ:::ヾヽ
// 〃 \ ノ/ \ ヾヽ
// 〃 \ // \ ヾヽ
///〃 \ / / 〃\`ー=ニ二
乃木大将の代りに、楊令殿が第三軍を率いていれば、旅順要塞は、一日で陥落したでしょうね。
すごい。楊令殿、すごい。
<1月号402頁>
梁山泊には、一割の税が落ちればいい。船と車輛の、輸送の儲けがあればいい。
・・・船と車輛の、輸送の「経費を賄う」儲けがあればいいという意味なんだろうな。
いずれにしても、1割の税があれば、輸送経費を賄えるということだ。
しかし、農民から徴税した1割の税は、すべて貯蓄されるんだよな。国家経費
は交易によって賄うという話だった。船と車輛の、輸送の儲けに当てていたのでは、
国家経費は、どこから出てくるんだ?
<一月号419頁>
「一割の税です」「しかし、四百で買った物を、五百で売っておられる」「確かに。
しかし、それが商いでしょう」
・・・402頁では1割の税で輸送経費をまかない、それ以上の利益はいらないような口調だったのに、
さらに2割の利益が出ている。これは、楊令が囲っている女へのお手当てになるのか?
>>921 >梁山泊には、一割の税が落ちればいい。船と車輛の、輸送の儲けがあればいい。
「儲け」と言っているのだから、2割の粗利で「船と車輛の、輸送」経費を賄うということじゃないのか?
梁山泊には、一割の税が落ちればいい。「それに加えて」船と車輛の、輸送の儲けがあればいい、
と言えばわかりやすかったのだと思う。
それでもいいが、そうすると、1割の税で、梁山泊はすべての国家経費を賄わなければならなくなるぞ。
交易の輸送経費ですら、2割の粗利をすべて充当しないと賄えないのに、
国家経費を1割の税で賄えるのか?
商社の輸送経費の金額と、国の予算額とを比較してみてくれないか?
あとは、君のかかとで、しっかり考えてくれ。
商品原価=8割 2割の輸送費
┝━━━━━━━━━━━━━━━━┿━━━┿━┥
88彡ミ8。 /)
8ノ/ノ^^ヾ8。( i )))
|(| ∩ ∩|| / / <1割の税が国家経費
从ゝ__▽_.从 /
/||_、_|| /
/ (___)
\(ミl_,_(
/. _ \
/_ / \ _.〉
/ / / /
(二/ (二)
すごい楊令殿。1割の税で、中国全土の民に、富むということがなにかを、お伝えになってください。
梁山泊は、毎年、税収の1600%の赤字でも、耐えてみせます。
五年生から、やり直せよwwwwwwww
ディテールを書くようになってから、ほんとつまんないな。
盧俊義の闇塩の道は、全貌を知るのが盧俊義のみで、断片は見せていたが、読者にも
全貌は伝えられなかった。ミステリアスなところが、かえって梁山泊を運営する資金を
十分に稼いでくれているのだろうと想像させた。
ディテールを書くといっても、調べあげたディテールではない。
想像だけでディテールを書いている。こういうのは、よした方がいい。
自信過剰なのか、むこう見ずなのか知らないが、ディテールを書くと、
一目瞭然、「そりゃ無理でしょ、先生」というのがわかってしまうからね。
サラリと読み流せば問題点に気づくこともないが、そういう小説が増える
ことは望ましいことではない。
またディテールの内容が、全然つまんないし、勉強にもならなし、こうして
非常識な点を探して笑う以外に価値のない叙述なんで、ほんとやめたほうがいい。
>>916 楊令殿の自己肥大というのは、児童マンガの系譜だよな。
もっとも、児童マンガの主人公は、正義感にあふれ、年長者の言うことは素直に聞く。
下に自己肥大症候群の定義をコピペしておいた。なんと楊令殿にピッタリすることか。
「自己肥大症候群」
自己中心的で万能感を持ち他を見下す、一方で傷つきやすく他を怨む。
簡単に人を殺し、思うに任せねば安易にリセットする(「楊令殿は変った」)。
他からの攻撃や批判中傷には傷つくが、反省もなく相手を怨む。
それで、詰まり読む価値はあるか?買う価値はある?
明日から、自己肥大症候群の症例を、楊令殿の言動から探ってみる。
・自己中心的
・万能感を持つ
・他を見下す
・簡単に人を殺す
・思うにまかせぬときは安易にリセットする
・他からの攻撃・中傷には傷つくが反省もなく相手を怨む
>>932 >簡単に人を殺し、思うにまかせぬときは安易にリセットする。
ここは、ひとつの文章で読むから、笑えるのだ。二つの要素に分けてはならない。
>>931 水滸伝から読み始めるのが一般的だろうから、勢いで楊令伝も読み始める人もいるだろう。
好きなところでやめればいい。俺は4巻でやめた。
岡田尊司氏による「自己肥大症候群」の五つの特徴
1.現実感の希薄さ = ファンタジー世界にどっぷり浸かったり現実性を欠いた願望や空想に向かいやすい傾向
2.幼児的な万能感
3.罪悪感の欠如と他者に対する現実的な共感の乏しさ
4.突発的に過激な行動に走ること = 突然暴走を始めると、取り返しのつかないクラッシュまで突き進んでしまう
5.非常に傷つきやすいこと = 些細な傷つきに対しても激しい怒りを生じ、それを鎮めるために仕返しや復習をしようとする傾向
まあ、政治家を目指す人間は、みな少なからず自己肥大しているからな。
楊令と岳飛が、民をどうする、国をどうするという話をしているところを読むと、
そんな感じがするね。
だが、岳飛や李富や粘罕には、誇大自己症候群の傾向は感じられないね。
>>935の五大特徴は、こわいぐらいに、楊令殿にピッタリだ。
水滸伝、とくにその前半は、典型的エンタメ小説だった。楊令伝は、どうも調子が違うのは、
病人を主人公にしていたからなんですね。
でも何か、物凄い批評家ばっかだな。
歴史的事実に基づいてという人は良いけど
人格否定とか、小説で一々してたら疲れるなあ
言論の自由を行使する割りに、言論封鎖してるというか。
最近、こういう病気の青少年による犯罪が増加したな。
それを踏まえて楊令伝を書いたのならば、卓見といえるのだが、
楊令を梁山泊の頭領にするというのは、どんなものだろうな。
社会の側からする楊令に対する反動によって、最終的に楊令が
潰れてしまわないと、物語として完結しないと思う。
犯罪を奨励するような小説は、社会に受け入れられないだろうからな。
楊令伝のストーリーだと、最後に楊令が潰れてしまわないと、物語が完結した感じがしないな。
梁山泊に復帰した3〜4巻の間に、幻王時代の楊令を払拭してしまうようなイベントがなかった
から。3巻では王進に向かって「自分は何も間違ったことはしていない」と言っていたし、梁山泊
の連中が4巻で「楊令殿は変った」というほどには、読者には変ったように見えなかった。1巻の
楊令がそのまま連続しているだけ。楊令が他の人とよく会話をするようになったということが他人
の口から語られ、それで「変った」ことにされたのだが、その後に発作は起きるし、誇大自己症候群
の症状に変化が生じたとは思えなかった。
「現実感の希薄さ」
= ファンタジー世界にどっぷり浸かったり、現実性を欠いた願望や空想に向かいやすい傾向
楊令ひとりの発案で作られた梁山泊国が、まさに楊令の「現実感の希薄さ」の表れ。
作中でも、杜興や宣賛や岳飛から、楊令の国は「夢のようだ」と盛んに言われている。
楊令自身も、そのように認識している。
読者から見ると、楊令の作った国は、国籍や時代を感じさせないもので、実在感がない。
水滸伝といえば宋代を舞台にした物語で、ここまでずっとそのつもりで読んできたから、
楊令のファンタジー世界には、ついてゆけない。早くこの小説が終了すればいいのにと
思う最大の理由になっている。
>>931 楊令の新しい国、とくに交易に関するディテールは、ギャグとして楽しめる。
マジで笑える。
「幼児的な万能感」
= 自己中心的で、万能感を持ち、他を見下す傾向
まさしく楊令のキャラクターそのもの。新しい国づくりのプランは、楊令ひとりが決めた。
こういう国を作ると宣言し、嫌なら俺は頭領を辞めると言う。他人の異なる意見とのすり合わせ
をして協調と妥協の上に物事を進めていこうという気持ちはまったくない。
女真にいたときも、阿骨打が楊令に逆らうならば、阿骨打とでも闘うという姿勢を見せていた
ことは、蔡福と阿骨打が証言していた。女真の地を訪ねてきた燕青や呉用とも、ことごとく対立。
他人の意見をひとつでも「そうですね」と認めたためしがない。
他を見下す傾向は、ウリ殿との対話の後に楊令が呟いた「参考になる話は何もなかった。ウリ殿
の言ったことは、俺は全部知っている」に典型的に表れている。
また、城郭の攻撃に関しては、孫子のセオリーすら無視する傲慢ぶり。先人の知恵から何かを
学ぼうという意思は、まったくない。自分は生まれながらの天才で、孫子こそ自分にひざまずくべき
であると考えているのであろう。
新しい国を作っている間は楊令が独裁するが、自分が頭領を辞めた後は、多数決で物事を決する
以外にないだろうというあたりにも、楊令の他人を見下す傾向が表れている。
長年交易をやってきたウリ殿を馬鹿にするわりには、楊令の始めた交易の内実は、
ど素人の発想としか思えないんだがな。
商品原価が8割で、2割の儲けはすべて輸送費。外税の1割で国家を運営という話は、
まあ小学生の発想だわな。
「突発的に過激な行動に走ること」
= 突然暴走を始めると、取り返しのつかないクラッシュまで突き進んでしまう傾向
= 簡単に人を殺し、思うにまかせぬときは安易にリセットする
幻王時代の殺戮・略奪が、まさにこれ。
梁山泊に復帰してからも、童貫軍10万の陣に、単騎で突入するなどの過激な行動が目立つ。
自己肥大そのものは、精神異常でも何でもなく、自分の身近にも、そんな人物がいるよと、
心当たりのある読者も多いだろう。
しかし、楊令殿が異常なのは、それが過激な行動となって表れるところ。
精神異常というのは、それが原因で、自己または他者が苦しむこと。楊令殿は、他者を苦しめて
いたし、岳飛の証言によれば、「楊令も眠れぬ夜を送っていただろう」と苦しんでいたいうことで
あるから、まさしく精神異常者である。
>>944 あそこを読むと、続けて読むのがバカバカしくなるな。あれを見過ごせるのは、
ボサーっとした高校生以下だけだろう。
「罪悪感の欠如と他者に対する現実的な共感の乏しさ」
楊令が、幻王の殺戮・略奪について、その師である王進に語った言葉が、すべて。
「自らを、恥じてはおりません」(3巻198頁)
何の罪もない民を、女も子どももなく無差別に殺し尽くす。それが、熟女真を平定するための
見せしめという理由で。熟女真を庇った正義感あふれる契丹人の役人、軻輔の父も、
見せしめのために殺された。
これで、「自らを、恥じてはおりません」という罪悪感の欠如が、誇大自己症候群の症状である。
そして、楊令は殺された民に対する同情心のかけらもない。これは言うまでもないことであるが。
誇大自己症候群というキーワードを見つけてくれた人、ありがとう。
いままで、どうして自分は、こんなに楊令が嫌いなのか、その理由がよく
わからなかったのです。楊令が精神の病気をもった人であることがわかって、
いままでモヤモヤしていたものがスッキリしました。
やっと楊令伝という不可解な小説を理解する手がかりを掴めたような気がします。
「非常に傷つきやすいこと」
= 些細な傷つきに対しても激しい怒りを生じ、それを鎮めるために仕返しや復讐をしようとする傾向
すでに水滸伝19巻のラストに、楊令の誇大自己症候群の症例は現れていた。
<19巻347頁>
「その童貫に、伝えろ」
楊令は、旗竿を放り出し、吹毛剣を抜いた。踏み出すと、戟を構えた兵はみんな退いた。
「この楊令は、鬼になる。魔神になる。そうして、童貫の首を奪る。この国を、踏み潰し、滅ぼす。
いつの日か、おまえの眼の前にこの楊令が立っていると、童貫に伝えろ」
単に戦に負けただけなのに、「魔神になる。この国を踏み潰す」とまでの激しい怒りを発するのは異常。
方臘信者の殺戮に疲れた童貫元帥が、「楊令と闘いたい」と言っていたのとは、対照的である。
┌┬┬┬┐
―――┴┴┴┴┴―――――、
/.  ̄ ̄ ̄//. ̄ ̄| || ̄ ̄ ̄||| ̄ || __________
/. ∧// ∧ ∧| || ||| || /
[/____(゚_//[ ].゚Д゚,,) ||___||| || < 楊令君を迎えに来ました
||_. * _|_| ̄ ̄ ∪|.|. |ヽ. _|| \__________
lO|o―o|O゜.|二二 開|.|封 精神病院 ||
| ∈口∋ ̄_l__l⌒l_|_____|_l⌒l_||
 ̄ ̄`ー' ̄ `ー' `ー' `ー'
昨日から、楊令=自己肥大症候群の話題をやっている人さ、
それ事実だから、シャレになってないよw
>>947 魯智深は、燕青の生い立ちを聞いた後で、この国にはお前の兄弟(似たような生い立ちの子ども)が
多いなと同情していた。
鮑旭を子午山へ連れて行って王進に再教育を頼んだのも、他者に対する共感なんだろうな。
楊令に関しては、そのような言動は、皆無だな。
他者に対する共感・いたわり・思いやりを持たない人物を描いて、それを通常の人よりも、大きな人物
と言っているわけだが、首をひねらざるを得ない。
でも楊令殿は、自分が中国最大の知性だと思っているんだよな。
中国全土の民に、富むということがなにかを、伝えようとしているw
キチガイほど自分がまともに見えるからあら不思議w
>中国全土の民に、富むということがなにかを、伝えようとしているw
西域から運んできた玉が、高価な値でたくさん売れたと、楊令も呉用も喜んでいたよな。
中国全土の民は、十分に富むということがなにかを、知っているんじゃないの?
貧乏なら高価な玉など買えないよ。
昭和の日本の様々な風景を、時系列ではなくて、ランダムに小説の中に放り込むから、
わけがわかんなくなるんだわな。楊令伝は、元来十二世紀の中国の話だし。
それに、不人気の楊令殿の人気を回復するため、最近は、信長人気にすがりつこうと
しているように見える。
部屋の隅で、母と娘が抱き合って、黒騎兵の襲撃に怯えていた。
「若い娘は、連れてゆけ」
「母親は、どうします?」
カク瑾が言い終わる前に、楊令は、母親を刺し殺していた。
「若い娘以外は、例外なく皆殺しだ」
立ち上がった楊令は、床の上で泣き声を上げていた赤ん坊の頭を、踏み潰した。即死である。
脳漿が流れ出ていた。
先ほどの若い娘を、黒騎兵が担ぎ上げて、表の荷車に乗せた。娘の着物の裾が割れて、
肉づきのよい太腿が垣間見えた。
「大きくなった」
「確かに、大きくなられました」
カク瑾が、楊令の股間を覗き込んで、そう言った。
「違う。俺の人物が大きくなったということだ。カク瑾、こんな無慈悲な皆殺しが、晁蓋殿や宋江殿
にできたと思うか?俺は、あの二人を抜いた。もう手が届かないぐらいに、俺は大きくなった」
>>948 >>951 自己肥大という言葉は昔から知っていたが、病名としては、誇大自己症候群というのが定着
したみたいだな。オウムの麻原などが、その典型例とされている。このスレの意見と同じだ。
「鮑旭殿のように、経験で指揮官がつとまることもある。花飛麟や呼延凌のように、天賦を感じさせる者もいる」
「秦容は?」
「どちらでもないな」
「何を言っておられるのか、さっぱりわかりません。経験もなく、天賦もなければ、箸にも棒にもかからない
ということになりませんか、楊令殿?」
これが楊令伝の特徴なのだ。非常識な言い方をしては、なにか深い意味があるのではないか、と読者に
考えさせる。その実、なにも深い意味はない。楊令の台詞は、論理的には完璧に破綻しているのだ。
しかし、大人に較べると国語力の劣る中学生は、このような没論理な問答を、意味深長な問答として
喜ぶ傾向がある。
そもそも楊令のキャラクターからして、そうなのだ。常識的には犯罪者を大きな人物と考える馬鹿はいない。
でも、楊令は作品の中で、大きな人物と言われる。中学生は、錯乱するのだ。しかし、常識に欠けた中学生は、
「そうか、こういう人物が、大きな人物なのか」と、自分の判断に疑念を抱きつつも、常識とは異なる判断を
した自分に陶酔することがある。何しろ反抗期である。大人の常識をすべて疑ってかかりたい年頃なのである。
ゲバ棒君は、反抗期の少年の心理を掴むのが得意なんだね。
しかし、どうして「物資の集散に梁山泊が不可欠」ということになったのだ?
それまで宋には商業がなかったのか?
>物資を集積させて、梁山泊以外の地域を、物不足に陥らせるという狙い
梁山泊の人口 500万人
それ以外の地域の人口 9500万人
どれだけ集積すればいいんだ?
だいいち運送費は売価の2割なんだろう?集積するだけで大金がいるぞ。その資金力はあるのか?
売価の外税1割しか税収はないんだぞ。しかも、税収はすべて国家経営の費用だ。
まあ、後で商品を売却して運送費は回収するのだろうが、回収するまでの運転資金が底をつくのでは
ないか?融資を受けるにしても、国家が交易をしている梁山泊では、民間資本が育ってないだろう?
梁山泊がくるまでは、単なる農村だろうが。どうやるねん?
領内からの買い入れなら信用取引もあるが、領外の商人はサイトの長い信用取引
には応じないだろう。梁山泊軍は負け知らずなんで、そこそこには信用があるとしても、
人口500万人の国にしては大きすぎる軍隊を持ってる。破綻は目に見えているから、
領外の商人は信用取引には応じない可能性が高い。
そうなると仕入れ代金の決済ができなくて、梁山泊は破産だろうよ。
物資を集積するだけのカネがあるのかね。
童貫戦の後も戦つづきだよ。しかも、農民からの税収はすべて備蓄に回し一切手を
つけない。交易への課税で国を回している。売却利益の2割は輸送費だからな。
物資を集積するカネはないだろうよw
ウルトラマンが壊した建物・道路の損害の賠償は誰がするのか、みたいな話はよせよ。
そういうことを考えないのが、児童文学だ。
>>958 楊令は実はバカだから、いつも「どちらでもないな」の台詞でお茶を濁しているよ。
燕青と「酒の味・水の味」論議をしているときも、「幻王の味は酒でも水でもない」と言った。
岳飛と花飛麟が抗金について議論しているときも、国をどうするかについては色んな
考えがあるで議論を切った。
自分には定見がないくせに、他人には賢いと思ってもらいた奴が、よく使う手だよ。
「どちらでもないな」
965 :
無名草子さん:2010/04/14(水) 15:46:27
早く死ねばいいのにな。糞楊令。
>>965 要約すると言いたいことはそれしかないのだが、それだけで1000まで行くと荒らしと
認定されるから、グダグダと理屈を述べている。
人気作品の続編というのは、通常、前作より劣る。小説でも映画でも、だいたいそうだ。
前作が大長編小説である場合、作者がネタを使い果していることが多いから、とりわけ
続編はつまらなくなる。
水滸伝の童貫戦で連環馬を再度登場させたことを見ればわかると思うが、もう水滸伝
の終盤で、ネタは使い果していたんだよ。
前作と同一傾向の作品を作るとすれば、楊令伝が面白くなくなることは宿命づけられていた。
それでも、あえて続編を書く。つまらなさを回避するには、同じ傾向の作品にしないこと。
俺は、史実を調べ尽くして、その中にフィクションの梁山泊の人物を注入してゆく準備が
できたので、続編執筆を決意したのかと思った。連載開始前のすばるの特集で、「すべて
の準備はできた。あとは書くだけだ」というキャッチ・コピーに騙されたのな。
フタを明けてみれば、なんのことはない、ただのつまらん続編よ。しかも前作の濃密な叙述に
較べると、3〜4倍は文章を水増しして、グダグダと書いている。まれに見る愚作だ。
続編なんだから、前作の錚々たる登場人物に遠慮して、スケール・ダウンした物語にする
という選択肢もあったんだろうな。
金・宋・方臘を史実どおりに動かして、梁山泊は一箇所に集結せず、少人数ごとに、各陣営
に陣借りして闘う、というのでもよかった。むしろ、そっちの方が「すごい楊令殿」がいなくて、
面白くなっていただろうと、いまにして思う。
ところが、作者が考えたのは、前作をスケール・アップすることだった。役者が前作よりも劣る
のに、スケール・アップは無理なんだ。しかしそれをやろうとする。
方策は楊令をすごい人にすることだった。主役のスケール・アップで、なんとか打開できないか。
でも、そのすごい楊令殿は、読者の目には精神異常者にしか見えなかった。誇大自己症候群。
そんな魅力のない楊令が、自己中心的に進行させる物語が面白いはずがない。
その他の主要登場人物については、彼らにどのような役割を果たさせるかすら考えていなかった。
いや、考えたというほどに興味深い活躍をした旧キャラがひとりもいなかったという方が正確だな。
とりわけ梁山泊の他のメンバーは楊令殿に奴隷の如くひれ伏すだけの役割。
アラーの神を崇める古代エジプトの庶民にしか見えなかったな。
これが楊令伝のすべて。
残念でした。
>誇大自己症候群の原因は、幼少時に溺愛され、その後見捨てられる体験をしたような、
>「溺愛と愛情不足の並存」した生育環境に生じやすいらしい。
>一見、恵まれた家庭で育った「王子様」が、やがて周囲の期待に添えない現実に直面したときに陥ったりする。
楊志と済仁美は楊令を溺愛していたな。その後、秦明夫婦に育てられるが、ここで秦明・公淑に
秦容が生まれたことで、「見捨てられる体験」をした。子午山に追っ払われたからな。
また、子午山という恵まれた家庭で育った「王子様」が、林冲騎馬隊隊長という梁山泊のエース・ポジション
を任されながら、童貫軍に敗れた。つまり、周囲の期待に添えない現実に直面したのだな。
症状だけでなく、原因の面から考えても、間違いなく誇大自己症候群ですね。
役人による腐敗のない国を作りたいというだけなら、一般庶民の願いと同一だから、
楊令は嫌われていなかっただろうな。
「中国全土の民に、富むということがなにかを、教えたい」
ここまで考えると、キチガイだわ。余計なおせっかいだから、やめてくれと言いたくなる。
作者は常に、こういう言動をする人物の側からしか考えないようだな。
楊令に殺された熟女真の側の物語が、楊令伝に欠如していたようにな。
「中国全土の民に、富むということがなにかを、教えたい」と楊令に言われたら、
「余計なおせっかいだから、死んでくれ」と言い返したくなるだろう?
それが理解できないか?
★
>>970あたりで次スレ用意し誘導すべし.。
お願いいたします。
>>970 作品の中でも、梁山泊国が安い税率になったのに、民(読者)が喜ばないのは
どうしてだろう、みたいな叙述があったな。
敵を攻撃する、腐敗した政権を倒す、悪者を殺す、このような能動的な
行動であれば、読者は作品に同一化するんだよ。
ところが、受動的に、積極国家の受益者の立場に立たされても、読者は喜ばんよ。
余計なお世話だと思う。作品中の民と同一化して、安い税率を喜んだり、富むという
ことがなにかを伝えていただいてありがとう、とは思わない。
そんなことを考える人間を、こいつ何様のつもりだ、と思ってしまう。
そこのところが理解できないようじゃ・・・・・・・
973 :
970:2010/04/14(水) 16:57:21
>>971 俺は、もう次スレは不要だと思っているんだ。
楊令殿の病名が明らかになったから、この小説が読者に与える不愉快の原因が
明確になった。納得できる答えが出たから、もうこのスレは不要だと思う。
>>972 誇大自己症候群の人物と、ひょんなことから数時間を過さなければならないハメになったとする。
自己中の奴って、そばにいるだけでうんざりするよね。偉そうで。
小説だって同じなんだわ。
誰が、そんな嫌な小説を、自分の方から身近に近づけるか?
おっしゃりたいのは、そういうことですよね。童貫です。
> 誇大自己症候群の人は、一見すると「いい人」にみえたり、とても真面目で控えめな印象を
>与えたりすることも多い。第一印象では、一般の人は欺かれがちである。逆に、好印象を
>もってしまうことも多い。カリスマ性という点では、誇大自己症候群の人は、優れた素質を
>もっている場合もあるので、魅了されてしまうこともある。
18巻で梁山泊に来た楊令は、まさしく「いい人」に見えたな。
楊令伝でも、梁山泊の面々には、「すごい」と言われている。
間違いなく、誇大自己症候群だな。
>「気まぐれに、考えや決定がころころ変わる。だが、相手が決めることは好まず、自分が決定権をもとうとする」
これも、誇大自己症候群の特徴のひとつに挙げられている。
>>935の岡田尊司氏の「誇大自己症候群」(ちくま新書/206頁)
>>973 同感
こんな糞面白くない小説のスレが長々と続いた理由は、つまらなさの原因を特定する決め手
がなかったからなんだわな。
楊令=誇大自己症候群で特定できた。もう次スレはいらないね。
そうだな。楊令が普通の人間だと思っていたから、腹が立った。
しかし、病気なら怒ってもしかたない。もういいな。
>>972 登場人物の視点で書いてあるから、たとえば、楊令が呉用その他の作中人物を相手に
話していると、そんなに腹が立たない。
ところが、楊令が一人語りで、民に富むということがなにかを伝えよう、というように民を相手に
語り始めると、読者に直接話し掛けられているようで、腹が立つんだよ。
まあ楊令が頭領になる年齢が若すぎたということだろう。
晁蓋や宋江ぐらいの年齢であれば、慈父のような優しさで若い兵士に話しかけても
サマになる。
しかし楊令の若さでそんなことをすれば、オカマに見えるだけだ。
楊令を頭領らしく見せようと思えば、万能の天才にするしかなかった。
それだけでは足りなくて、非情なまでに決断力のある人間というキャラにしたかったのだろう。
しかしそれを表現するエピソードとして、民の殺戮・強盗・女攫いは不適切だった。
そういうことでねぇ?
>>975 それは、誇大自己症候群の人の中にも、病気を克服して、いい方向に転化させた人もいる
という例として挙げられているんだよ。ガンジーなどな。
楊令の場合は、克服していない。「楊令殿は変った」と、いいかげんに誤魔化しただけだ。
楊令がいつどのようにして変ったのかは、明らかでない。
ヒキコモリ楊令が梁山泊という大組織の中に出てきただけ、という感じしかなかったな。
幻王ネタというのも、緻密に練られたネタという感じはしないな。
幻王=楊令=呉乞買というところが重要なのかという思わせぶりもあったが、
結局、そこはどうでもよかった。
最近になって、幻王の「幻」ばかりが強調されて、闘っているときの自分は幻だ
と思いたい。自分は平和を愛する、とわけのわからんことを言い出す。
ほんと、「気まぐれに、考えや決定がころころ変わる。だが、相手が決めることは
好まず、自分が決定権をもとうとする」
王でもないのに、幻王と名乗るところだけで、十分自己肥大。
そのくせ帝は大嫌い。
葉敬の荘をもっときちんと描いていけば、面白くなっていたんだろうがな。
中国の王朝というのは村々の上に乗っかって収奪をしていただけ。
その収奪に村々も参加するために、科挙の制度があり、村から有力官人
が出ると、それにぶらさがった。
祝家荘がそうなろうとしていた。楊令の誇大妄想を聞いている暇があったら、
中国社会のベースになる地縁・血縁団体の生態を描いた方が、多少とも
読んで役立つ小説になっていただろうにな。
>>980 楊令の年齢からすれば、若き先鋒の将である方が、どんなにキャラが引き立ったことか。
頭領にするなど愚の骨頂。
小さな梁山泊しか作れない弱小軍団を組織して、そのとおりの小さな梁山泊を建国したのでは
面白くない。
金軍の力を利用して、帝には劉豫を立て、梁山泊が斉を作るべきだったね。
本来、梁山泊は帝を否定したいわけだが、現実的には帝政を採用しなければ民を統治できない
という妥協を受け入れれば、楊令も多少は利口に見えたのに。
南宋と広大な前線で対峙するから、必要なときに、戦の場面を挟むのも容易になる。
岳飛に馬泥棒をやらせるという、原典的(マンガ的)展開を用いる愚を冒すこともない。
いいこと尽くめだよね。
商品原価が8割、輸送費が2割というバカみたいな話も読まずにすんだし。
南宋も、史実で活躍する人物を新たに登場させるよりは、長く出ていて読者に馴染みのある
李富にやらせた方が、読者にわかりやすいという判断だったのかな?
そもそも史実キャラが登場するのを嫌うような人は、時代小説を読まないと思うんだがね。
反対に、オリキャラの李富がそこまででしゃばると、物語に対する興味が失せてしまう。
暗号解読をしているのがお似合いの小役人で、童貫禁軍が活躍するようになってからは、
実質青蓮寺は何もしていない。水滸伝の後半では、大きく評価を落とした、また落とすように
描かなければならなかった青蓮寺だ。
それが、南宋建国とはおそれいった。やめてくれよw
>>975 殺人・傷害といった過激な行動に出なければ、病気じゃないよ。
>>980 項羽が旧蓁の兵を20万だか30万だか生き埋めにしたエピソードは、面白かったけどな。
項羽を嫌うどころか、項羽の特徴の一つとして、好意的に受け入れることができた。
当時の流浪する軍団の発生史をきちんと説明してあったから、項羽が皆殺しをした理由
が理解できたことと、描写方法がいかにも劇中の人物という客観手法だったことで、
殺戮の悲惨さよりも、人物の長所・短所を知るという読者の知的興味に訴えたからだろうな。
幻王の場合、読者の痴れ者的興味に訴えたので、ソッポをむかれてしまいましたね。
現在は読んでいなくて、むかし読んでいただけなのに、これほどまでにおまいらを憤慨
させる楊令の破壊力は、すさまじいなw
ハードボイルドな主人公というのは、せいぜい探偵・刑事どまりじゃないとな。
水滸伝でいえば、致死軍・青蓮寺の手の者どまり。
人口500万人の国家の元首がハードボイルドだとマンガにしかならん。
993 :
無名草子さん:2010/04/14(水) 18:44:48
で、まだ、このスレ、続けるのか?もうやめんか?
>>943 >自分は生まれながらの天才で、孫子こそ自分にひざまずくべきであると考えているのであろう。
楊令は陰性だから何をやっても嫌われるんだよ。
「国盗り物語」の松波庄九郎は、孫子どころか、神仏に向かって自分のために働けと命じて
いたが、読んでいて嫌悪感はなかったね。それどころか、その台詞が気に入ってしまった。
庄九郎は陽性なので、そんなエピソードが愛嬌になってしまう。
もっとも当時俺は中学生だったので、もしかすると、現在の中学生は楊令をそのように読んでいる
のかもしれんがな。
歳をとると人物の好悪も違ってくる。「イージーライダー」のラストで主人公を鉄砲で撃ち殺す
田舎のおっさんは、若い頃はひどい奴だと思ったが、歳をとってから見ると、あの場面が痛快で
しかたない。「やれやれ!あと100発、銃弾を撃ち込め!」と思ってしまう。
>>982 そのあたりは、韓世忠と韓伯竜を、あとから兄弟にしたのと同じ発想だわな。
楊令=呉乞買を統合する符牒として幻王が必要だったのに、幻の字ズラだけから、
新しい意味を与えたという感じがする。
だから新しい意味づけを読んでも、面白くもなんともない。
等身大の楊令人形が発売されたら、ぜったいに買おうと思っています。
楊令の顔にうんこしてやりたいです。
>>993 もうすぐ13巻が発売になる。その部分は、すばるで読んだ。といっても、半分読むと
後半が読みたくなくなるような内容だった。作品がつまらないのか、俺が飽きたのかは
わからないが、とにかくそんな状況だ。すばる2月号以降(14巻収録分)は読んでいない。
もう読んで面白いとか面白くないといった状態ではなく、読みつづけるのが大儀になって
いる。あくまで俺の主観の話だがな。
すでに読んだ部分を仔細に検証すれば、つっこみどころは多い。とくに交易の部分。
しかしあまりにつっこみどころが多いと、やる気をなくすものだ。
もう終了でいいね。
総論的な話題になると、ほぼ幻王時代の楊令に話題が集中する。
重複した内容のレスが多い。
リアルタイムの話題がないなら、もう終了でいいよ。
北方スレは他にもあるから、連載中の楊令伝について話題にしたい人は、
そこでやればいいし。
終了に賛成
1000 :
無名草子さん:2010/04/15(木) 13:40:10
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□□□□■□□□□□□□□■■□□□□□□■■■■□楊令は死ね□
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