>>790 次郎長三国志や忠臣蔵では、次郎長や大石のリーダーシップの素晴らしさを読みたいのではなく、
二十八人衆や四十七士の銘々伝が読者のお目当て。
水滸伝も、同様の系譜に属する物語。原典が、108人集結までは面白いのに、終結後はとたんに
つまらなくなるのは、銘々伝が尽きるからにほかならない。
北方水滸伝も、この点では、原典を越えることができなかったな。張清ほか二名を残して、105人が
出尽くしたあたりから、失速は始まった。しかし、原典では好漢が方臘戦でまとめて死んでいったのに
対し、北方水滸伝では戦死場面を5巻〜19巻に分散させたので、原典後半のつまらなさは免れた。
楊令伝では、せっかく梁山泊が一度崩壊したのだから、梁山泊に再結集してくる新旧のキャラの
銘々伝を丁寧にやるべきだった。これがなかった。
さらに、新旧の全キャラの能力を、一足飛びに超えてしまった万能の楊令殿という設定がまずかった。
これによって、梁山泊には誰一人として魅力的な人物がいなくなってしまった。呉用が良くなったと褒める
人もいるが、あれは梁山泊の呉用ではなくて、方臘軍の趙仁。呉用は梁山泊のためには、何もしていない。
楊令伝で目立ったキャラといえば、童貫軍の将軍・将校や、燕軍や金軍や方臘軍の人間ばかり。
楊令殿ひとりを能力の高い人にしてしまったために、ほかのメンバーは魅力がなくなってしまった。