北方水滸伝・楊令伝を語ろう第四十六章

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776無名草子さん
楊令や岳飛の皆殺しは、昨日も言われていたが、作劇上の拙さが目立つ。
たとえば、Aという人物がBを散々挑発したとする。Bは我慢に我慢を重ねていたが、
Aがいつまでも挑発をやめないので、とうとう我慢しきれなくなって、Aに反撃を始めた
とする。そのとたんにAは怯んだ。テレビ・カメラが、Bが反撃を始めた瞬間から撮影
を開始したとする。観ている人は、Bが一方的にAを攻撃しているように見える。

小説で、あえてこういう作劇をするときはどういうときか。読者にBを嫌ってもらいたい
ときではないかな?楊令伝は、楊令や岳飛を嫌ってもらいたいとしか思えないんだ。
とてもじゃないが、楊令や岳飛が大きな人物になったとは思えないぞ。