北方水滸伝・楊令伝を語ろう第四十六章

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764無名草子さん
「楊令殿、すごい」は、小説でいちばんやってはならないことをやっているような気がするね。
小説を読んでいて登場人物や作者に親近感を抱くネタは、成功談ではなく、失敗談の方だよね。
昨夜読んだ小説の主人公は16歳の少年で、彼には好意を寄せる女性がいて、彼女の前で
いい恰好をしようとするが、女性の方ではその行動が気味が悪くて戸惑っているという内容のもの。
こういう失敗談は誰にでも一つや二つはあって、数年は思い出すと恥ずかしいのだけれど、
もう数年すると、若気の至りで楽しい思い出。似たような体験のある読者なら、その登場人物や
作者に強いシンパシーを抱く。
それに限らず、自分の知る他人の性格や言動にそっくりなものを小説の中で見出すと、楽しくなるものだ。

小説によっては、日常ほとんど体験できないような事件や人物を解き明かしてゆくものもあって、それは
それで面白い。でも、楊令伝は、両者のうちの、どっちをやりたいのかわからないのな。
自分の体験に照らして「こういうこともあるよね」とシンパシーを寄せる部分は皆無だ。かといって、民の
皆殺しをした幻王や岳飛が、僕たちが日常出会えないような人物として描かれているかといえば、そうでもない。
いかにも普通の人っぽい楊令や岳飛が、民を皆殺しにして、大きな人物になったと言われる不可解な物語。
どうも、民を皆殺しにすることと、童貞を捨てることとを、混同しているような気がしてならない。