北方水滸伝・楊令伝を語ろう第四十六章

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736無名草子さん
皆殺しにされた民の側にも、ずる賢くて、いやらしいところがあるという描写を事前にすればよかった。
読者がそれなりの嫌悪感を殺された民に感じるようになっていれば、岳家軍の皆殺しも、大きな非難
の対象にならんよ。皆殺しにされた民については、まったく描写抜きだ。描写されないと、民は善良と
いう推定を受けるよ。読者は自らを「民」と自覚しているから、小説の中に出てくる「民」には同情的だ。

なにか楊令や岳飛の口ぶりを聞いていると、彼らは、民を自己と対立する物としか捉えていないね。
自分も「民」の中から出てきた人間だという自覚がない。
左翼が人民を語るときは、いつもそうだ。この思い上がりこそ、左翼が嫌われる最大の理由なんだけどね。
世間に向かってメッセージを発することのできる左翼の人は、恵まれた立場にあるんだよ。
あんたらが、民を自己と対立する物としか捉えていないのを聞いたり、読んだりすると、吐き気がするんだよ。