>>731 笑える人はいいね。俺は、作者の健康状態が心配になったよ。
1月号のその部分を読んでから、連載を読み続けるを断念した。
扈一族を皆殺しにしたのは梁山泊というデマもひどかったが、金国が宋を侵略するのは
許せるのに、岳飛が抗金を唱えるのは欺瞞だという花飛麟には、それ以上に呆れたよ。
楊令もそれを否定はしていない。国がどうあるべきかについて絶対に正しい考えというもの
はないと、岳飛や花飛麟よりも自分は一段高い見地から考えていると自慢していただけだ。
わが心の故郷はモスクワとか言っちゃって、ソ連軍に侵略されることを真剣に望んでいた
日本の詩人もいたりしたんだよな、むかしは。ほんにキチガイ。
花飛麟は、そのあたりがモデルなのかね?
「俺の親父は、密州の塩職人だった。役人が横流しをした塩の罪を被せられて、首を刎ねられた」
笑って済ますことができないような、切実な響きがあった。阮小五は、じっと魯智深と名乗る坊主を
見つめた。
「なあ、阮小五。その役人は、俺の親父を殺すと、よく決心されたと思う。そこに、俺たちが入る余地は
なかった。孤独なんてもんじゃなかったはずだ」
「塩職人に横流しの罪を被せて、首を刎ねるなんていう決定は、俺らが立入ることができないところで、
されたことだ。役人がそれを決める時、孤独だった。それは、当たり前だと思う。孤独にしてしまったかも
しれない、と悩むのは、傲慢だって気もする」
阮小五は、豚の腿の部分に食らいついた。
「やっぱり、おまえに言ってよかった」
魯智深が顔をあげ、大きく息をついた。
「密州の塩役人は、天下を取るだろうか、魯智深?」
「そんなことを考えるのも、傲慢だった。天下を取る人間は、自分でも意識しないまま、大きくなる。桁はずれ
に大きくなるもんだ。あの塩役人は、俺の親父を含む二十数名の塩職人を皆殺しにした。役人は、俺たちが
どうこう言えないほどに、大きくなった。もう、手が届かないよ」
皆殺しにした相手が、たかだか生女真の統治に服そうとしない熟女真、岳家軍の統治に服さず
税を納めなかった民というところが、根拠薄弱なんだろうな。
たとえば、日本の戦国時代の小説で、主人公の領主が、叔父か兄弟に所領を押領されたとする。
主人公は戦に勝って所領は奪い返したが、肉親の情から叔父・兄弟を殺すことまではできない。
そのような状況下で、主人公が老臣に勧められ、肉親を殺す決断をしたという物語なら、孫範と
徐史の会話は感動的になるのではないか?
税を納めない百姓を殺したのでは、ドラマにはなりにくい。実際には戦国時代に、そのような事件
は多いのだが、ドラマ化は困難だ。とくに北方水滸伝のストーリーの流れの中では、挿入しにくい
エピソードだろうな。
それを、童貞にむかって「ソープへ行け」と言ってしまう手軽さで、民の皆殺しをさせたことに反発
があるのだろう。物語として練られていない。感動どころか、不快感しかない。
それでも、こんな楊令や岳飛を、「理想を述べるだけではない現実的な政治家」だとして誉めそやす
馬鹿な読者もいる。この馬鹿どもが目を覚ますまで、この件は叩き続ける。
皆殺しにされた民の側にも、ずる賢くて、いやらしいところがあるという描写を事前にすればよかった。
読者がそれなりの嫌悪感を殺された民に感じるようになっていれば、岳家軍の皆殺しも、大きな非難
の対象にならんよ。皆殺しにされた民については、まったく描写抜きだ。描写されないと、民は善良と
いう推定を受けるよ。読者は自らを「民」と自覚しているから、小説の中に出てくる「民」には同情的だ。
なにか楊令や岳飛の口ぶりを聞いていると、彼らは、民を自己と対立する物としか捉えていないね。
自分も「民」の中から出てきた人間だという自覚がない。
左翼が人民を語るときは、いつもそうだ。この思い上がりこそ、左翼が嫌われる最大の理由なんだけどね。
世間に向かってメッセージを発することのできる左翼の人は、恵まれた立場にあるんだよ。
あんたらが、民を自己と対立する物としか捉えていないのを聞いたり、読んだりすると、吐き気がするんだよ。
――わが社に就職を希望する理由をお聞かせください。
「交易と兵站の仕事をしたかったんです」
――兵站?うちは商社なんで兵站はやっていませんが。
「そうなんですか?楊令伝を読んでいると、交易と兵站は同じようなものだと思うのですが」
――どうして、そう思うの?
「兵站は“買った”物を前線の部隊に輸送する仕事でしょう。交易だって“買う”じゃないですか」
――それはそうですが。。。
「だから、楊令伝では、兵站担当が、みんな交易をやっていますよ」
――そうなんですか。ま、いいでしょう。
「内定、いただけますよね?」
――後日、連絡いたします。
就活君は、面接室を出た。
――彼、どこの大学?
――( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
――うそでしょうww
>>256 性格を変えて面白くなったキャラが、ひとりもいないんだわな。
屈折した武松は個性的だったが、過去を払拭した後の武松は、粗暴なだけの月並みなおっさん。
競輪場やパチンコ屋のお客のなかに、掃いて捨てるほどいる。
性格変更後の呉用は、変ったというよりも、何もしていない。なるほど好々爺っぽくはなったが、
武松や王定六が山中で出会った老人と同じで、チョイ役で登場すれば印象に残るが、出番の
多い重要キャラが、こんなに何もしないというのはダメだろう、という感じ。
楊令は、どこが変ったのか、よくわからなかった。梁山泊へ復帰した後は、他の将校や兵と歓談
するようになったと書いてあったが、それ以前は、ヒキコモリだったということなんだろうか?
あらゆるエピソードは、楊令がすぐれた人物であることを証明するために作られているようなんだが、
これだと楊令を好きになれない読者は、読むのをやめるほかないわな。
そのようにさせないために、いろんなタイプのキャラを出すのじゃないかと思うのだがな。
岳飛などは、民を殺戮するという楊令と同じ立場に立たされた。楊令と同じことをやったのだが、
楊令は成功者、岳飛は失敗者のように描かれている。
趙林や馬麟は、いくら頑張っても楊令のようになれない二流の人。費保や狄成は、「楊令すごい」と
言うだけのファンクラブ。阿呆らしくて、読めません。
水滸伝の梁山泊は、宋を倒すために集結した男たちの物語だった。
楊令伝の梁山泊は、単なる楊令ファン・クラブ。
人間誰しもご贔屓にする他人というものはあるけれど、タレントの追っかけをやっている
熱心なファンのようにはなりたくない。そういう人々とは一線を画した生き方をしたいのな。
だから、楊令ファン・クラブの生態を描いた物語などは、読みたくもない。
まして、楊令は犯罪者。つい最近も英国人女性英語講師を殺した馬鹿のファンというものが
発生してワーワーキャーキャー騒いでいたらしいが、そういう人間の生態を描いてもらっても、
読む気は起きないのよ。
「楊令殿はすごい」の連呼が典型だけど、この小説は、自画自賛をしている場面が多すぎる。
それが、読むのが嫌になる理由のひとつな。
楊令の作った新しい国を誰も褒めてくれないので、作中で杜興や岳飛に褒めさせる。
「実にいい国」「夢のような国」「きらびやかな国」
まるで子ども相手にインチキ商品を売っているテキヤの口上のようだよ。
むかし放課後の小学校の校門近くで、テキヤのおっさんは、「実にいい玩具」「夢のような玩具」
「きらびやかな玩具」という口上で、30円ぐらいの玩具を売っておったわ。
そういえば「美しい国」なんてのもあったな
内容的に水滸伝ほどの興奮度はないだろうなというのは、ある程度覚悟していた。
だけど、文章までが、こんなに読みにくくなるというのは、ちょっと意外でしたね。
北方謙三というのはコンパクトに引き締まった文章だと思っていたが、楊令伝は、回を追うごとに
冗長になってきた。三国志の頃なら2行で済ませていたところが、10行ぐらい費やしている感じ。
とくにドウカン・ファイトの後は、その傾向が著しくて、内容以前に、文章で疲れてしまう。
10頁ほど読んでも、話が先に進んでいないような印象のところが多すぎる。
ここ数回は10行ほど読むと、続きを読むのが大儀になるのな。
それと、「幻に負けた」だの「自分に負けた」だの、抽象的でわかりにくい議論を延々と続ける。
はっきり言って、何の話をしているのか、サッパリわかりません。
こういうのを読んでいると、高校の国語の授業における生徒の発言を聞いているようなんだよ。
事態を率直に眺めると、皆殺しをやり、無理な徴兵を繰り返した岳飛が、民の叛乱に負けただけでしょうが。
「微妙なところだな。商いを、国がやる。国のありように、馴染むのかな、それは」
「少なくとも、不正は起きない」
「どうして、そんなことが言える?宋が同じことをしても、不正は起きないと言い切れるのか?」
「この楊令がいるから、不正は起きない」
「民は殺されることがあっても、不正は起きないというのか」
「そうだ」
「生意気なやつだな。おまえの物言いを聞いていると、殺したくなる」
「俺を殺せば、黒騎兵は抜けられる」
楊令の喋り方が、陰気で高圧的で横柄な割りには、会話内容が小学生みたいなんで、
ギャグ漫画になっているんだよね。次の会話を読んでくれ。1月号の419頁だ。
(商人)「しかし、四百で買った物を、五百で売っておられる」
(楊令)「確かに。しかし、それが商いでしょう」
商いの一方の主体が、梁山泊という国家なので、(消費)税収益のほかに利潤があることを説明する
会話なのだが、こういうのを会話でやるのは、どうなんだろうな。馬鹿に見える。簡単なことなので、
視点人物は事前に調査しておいて、自分の頭で読者に説明しろや。
楊令は、梁山泊がやっている商いを、いずれは商人がやると言っている。
そのときは、1割の税収のみになり、2割の利潤は梁山泊の収入にならなくなるが、交易で財政を
立てている現在の梁山泊が、3分の1の収入になっても、やっていけるのか?
なんか馬鹿馬鹿しいにも程があるんだが。
「実にいい国」「夢のような国」「きらびやかな国」と作中人物に言わせると、読者も釣られて、
同じように「実にいい国」「夢のような国」「きらびやかな国」と思ってくれると考えたの?
それは、あまりに他人を舐めすぎているよ。世間って、そんなに馬鹿じゃないよ。
こういう自画自賛が増えると、「作者は、いったい何をあせっているんだ」と思われるだけよ。
どのような国にすれば、読者が「実にいい国」「夢のような国」「きらびやかな国」と思って
くれるかを熟慮して、作品の中に、具体的にその姿を提示しないと、逆に腹が立ってくる。
誰だって、他人(この場合は作者な)の自慢話を聞くのは、嫌だろう?
他人の自慢話を聞くぐらい、時間の無駄だと思うことは、ほかにない。
自慢話や法螺話をしたければ、クラブかバーかスナックかキャバクラでやれば?
そこは、客からカネを取って、愚にもつかない自慢話や法螺話を、お世辞を言いつつ
聞いてくれるところだから。
小説を売るというのは、その正反対よ。こっちが、客だ。
パッとしない主役になってしまった楊令に申し訳ないという義務感からなのか、続編に期待していた
読者を十分満足させられなかったことへの慙愧の念からなのか、最後に楊令に一花さかせて
やろうと一所懸命頑張っておられるのは、よくわかる。
しかし、楊令伝のつまらなさは、作者の能力の劣化とか、過密なスケジュールで執筆時間が十分
とれなかったという主観的な事情によるものではないと思う。
物語には客観的に適当な長さというものがあるのだ。
なるほど楊令が世に出たのは、水滸伝の18巻なので、楊令の一代記を書こうと思えば、水滸伝と
同じ長さの物語を書けなくはないだろう。しかし、李富や史進は、水滸伝の1巻から出っぱなしなのだ。
それが楊令というスーパーヒーローの登場によって、みんな物語の中で、居場所をなくしているのだ。
楊令伝で、そこそこの働きをしたのは、童貫と方臘ぐらいであって、他のキャラは、どれもこれも居場所
がないのだ。立ち位置の明確でない大量のキャラが液状化したように、物語の中で浮遊しているから、
面白くならないのだ。それもこれも、客観的に適当な長さを超えてしまった小説の中に、他のすべての
キャラを見下してしまう楊令殿を、後半になって投入したことによる。
つまらなさの原因が楊令の存在にあることは、一目瞭然なので、このまま続けても楊令は晒し者になる
だけだろうと思う。もうやめた方がいい。
北方謙三の書くものなら何でも好きだという作家固有のファンもいるんだろうが、三国志や水滸伝や史記
のように古典をタイトルに冠した作品だと、原典のファンも読むからな。
楊令が嫌われる最大の理由は、皆殺しや強盗をしたからではなく、前作の水滸伝で108人がやってきた
ことを否定したところにあると思う。
あんたらは甘ちょろいから童貫に負けた。俺は負けない。そのために、民の皆殺しだって平気でやる。
新しい国づくりは俺一人がやる。賛同できなければ、新しい頭領を決めてくれ。俺は、新しい国ができるまでは
頭領をやるが、できたら頭領を辞める。おまえらは俺と違って馬鹿だから、ひとりで決めるな。多数決で決めろ。
まあ、水滸伝19巻かけてやってきたことを全否定。要するに、宋江の志を実現するためには、梁山泊の108人
では無理で、俺のような優秀な頭領がいないとダメなんだと言っているだけ。
これで腹を立てずに読めというのは無理。
北方水滸伝はスタート時は、典型的エンタメ小説だった。腐敗した権力を民が倒すという構造も
そうだが、文体も古典的時代小説を踏襲していた。林冲の従者は、「あっし」という一人称で喋って
いる。どうぞ皆様、この小説で楽しんでくださいという謙虚さがあったな。
6巻あたりで魯智深が「権力奪取はきれいごとだけでは無理」ということを言い始めてから、「俺が
おまえらに教えてやろう」という、あつかましさが出てきた。
それでも50代の作者なんで、読んでいるやつはほとんど年下だから、それほど腹も立たない。
また、作中人物の晁蓋・宋江・魯智深等も、そこそこの年配なので、彼らが「教えてやろう」という
態度で読者に臨んでも腹は立たない。
ところが、楊令伝では、21歳の楊令というキャラを通じて、「俺が教えてやろう」という話になってきた。
腹が立たないやつはいない。
岳家軍の孫範と徐史が、民の皆殺しをする決意をした岳飛を褒め称えるシーンは、きわめて
不愉快だ。民は、蚊取り線香で殺される蚊か?
幻王のときもそうだが、殺された民には、死という制裁を用いるだけの罪科がない。
どうも恣意的な殺戮の決断ができる人物でなければ、頭領になれないといわれているようで不愉快だ。
もう少し創作上の工夫はできなかったのだろうか。
忠臣蔵でたとえると、いきなり吉良邸討入のシーンから始まった芝居のようなもの。討入のシーンだけ
見ると、屈強な48人の武士が屋敷に無断で押し込み、1人の老人を殺したにすぎない。
その前段に、浅野の殿様が切腹するというドラマがあるから、討入のシーンで観客は赤穂浪士を応援する。
孫二娘や武松の殺人は、討入シーンから始まった忠臣蔵のようなもの。
幻王の皆殺しは冒頭にショッキングな事件を持ってくるという作劇上の必要があったから、説明が後付け
になるのはやむをえない。しかし、岳家軍の皆殺しの前段で、岳家軍の徴税吏員が叛乱を起こした荘
の過激派に殺害された等の工夫ができたのではないか?
>「約30年前、本を出し始めた当時は何がハードボイルドか分からず、
>『俺が書くのがハードボイルドだ』と答えていた。
>謎を殴り合いなどの肉体で解決する小説を書いてきたのは、
>それが人間のリアリティーだと思うから」
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20100323bk15.htm?from=yolsp 楊令伝の作者は、こんなことを考えている人なんだな。
やっぱり頭ではなくて、かかとで考えて書くんだ。
そうであるなら、「幻に負けた」とか「自分に負けた」などの小理屈をひねりまわすのは
よした方がいい。
高校の現国の時間に、予習してきていない生徒に小説の感想を述べさせると、たいがい
こんな風に発言する。「主人公の弱さ」「主人公は自分に負けた」「主人公は強くて弱い」
北方水滸伝の成功は、原典のキャラに魅力があったから面白かったのか、そうではなくて
北方謙三の文才ゆえに面白かったのかという二者択一を迫られる問題ではない。
水滸伝という素材を選択して料理した北方謙三の才能に負うところが圧倒的に大だと思うのだが、
楊令伝のオリキャラの魅力のなさを見るとき、原典の果たした役割もまた大きい。
ところが楊令伝を読んでいて鼻につくのは、原典のキャラに魅力があったから水滸伝が
面白かったわけじゃないんですよ、ということを必死で証明しようとしているように見受けられるところ。
邪推かもしれないが、楊令と原典キャラの扱いの差を見ていると、ついそんな風に思ってしまう。
結果的には、楊令を持ち上げれば持ち上げるほど、物語はつまらなくなっている。
最近はめったに読まない楊令伝であるが、手許にころがっているすばるをペラペラめくって楊令登場
シーンを読んでいると、1週間ぐらい怒りがおさまらなくて、文句を言いたくなるな。
つまらんから、もう読むのも、書き込むのも、やめようよ。
42章〜44章を読んでみたが、ずっと同じことばかり書いてある。
すばるの最新号を読めば、新しいネタも出るかもしれん。
過去の叙述との矛盾を探せば、いくらでも出てくる小説なんでな。
しかし、それをやるのも疲れた。
1頁も読まないうちに飽きてしまって、続きが読めないというのが大きな理由だ。
続きが読めないというのは、不可抗力になりつつある。
754 :
1/3:2010/04/06(火) 16:58:35
あまり長いと賞味期限が切れるわな。
方臘戦を挟んで、梁山泊と童貫が闘うというところまでは、誰しも予想する展開なんで、
安定感のあるストーリーだ。まあ、5巻までに片付けていれば、面白くなっていただろう。
ダラダラと長すぎたので、面白くなくなったけど。
楊令による小さな梁山泊宣言は、物語がつまらなくなりますよ宣言といって過言でない。
梁山泊が旧宋の地方軍を傘下に収めて、中国の北半分を領有するという発想に至らなかった
のは残念でならない。「天下という魔物」で述べられた読者批判(おそらく当スレに対する批判)は、
的外れ。俺たちは、中国の北半分が「小さな梁山泊」だと思っているんでな。楊令伝の梁山泊の
小ささは、意味のない小ささなんだ。その後、楊令が商いによる中華の統一を打ち出すが、
そのここと現在の梁山泊の領地の小ささは、どういう関係があるのだ?どうして商いによる中華
の統一にとって、現在の領土が理想的なのだ?
755 :
2/3:2010/04/06(火) 16:59:45
宋の正統は南宋で続いている。梁山泊が楊令伝のように小さくなってしまうと南宋の存在意義すらなくなる。
梁山泊と青蓮寺は、水滸伝からずっと対立していた間柄なんだ。続編でも国境を接して、
対峙する関係に立たなければならない。宋禁軍を倒した戦果が、現在の領土というのは、不自然
すぎるし、他の領域を金軍が支配してゆく経過の描写も、お粗末すぎるし、何よりも、楊令が金軍
の進攻に関心をもたないのが不自然すぎる。
阿骨打が死んで、金軍との関係は切れたのではなかったのか?切れた軍が付近に進攻してきて
関心を持たない馬鹿がおるか?
諸国濫立する華北に、史実どおり斉国が誕生したが、5巻の梁山泊による領地獲得と同じような
蛇足的な誕生で、面白くも糞もない。その間、もっぱら国家としての岳家軍ばかり描いていた
というのも、史実を知らない読者に誤解を与えただけ。
756 :
3/3:2010/04/06(火) 17:01:14
税が安くなって喜ぶのは高額納税者だけであって、納税などしたことのない学生読者にとっては
ピンとこない話だよ。貧乏人の俺にとっても、税率の話なんてどうでもいい。
そこから、安い税率を補うための交易の話が延々と続くが、いつの間にか交易の道は商人に
払い下げる話になってくる。領土は小さいが、商いで中華を統一するというのも、わかのわからん
話だ。自国の領地以外に軍を置かない梁山泊が、どうやって他国の民に梁山泊と同じ富を保障する
つもりなんだろう。もう迷走以外の何者でもない。
内政をやるならやるで、最低限、ドウカン・ファイトが終了した時点までには、統一的な構想を用意
しておくべきだったのではなかろうか?とにかく右往左往して理解しにくい話が、ダラダラと続いて
いるとしか思えない。
税や財政ひいては財源確保のための交易の話は、不要だったな。
もしやるのなら、12世紀の宋・金の政治・経済をバッチリ調べてからやるべきだ。
楊令伝で描かれている世界は、現代でもないし、12世紀の中国でもない。共産主義の革命で
ないことをアピールするために、最近は、大商人を勃興するブルジョアジーになぞらえ、近代
市民革命前夜のヨーロッパを連想させる部分すら現れた。
こういう無国籍な国家を舞台にして、経済・財政の話をされても、歴史の勉強にもならんし、現代
の問題を考える上でも、何の参考にもならない。
妄想をクドクドと聞かされているだけで、時間の無駄。
<水滸伝>文庫1巻・278頁
いまも王倫が襲うのは、大商人の荷が多かった。役人と結託して得た利。一応の理屈は通っている。(朱貴)
<楊令伝>2巻259頁
「略奪は?」
「弁解する気は、ありません。生女真から搾り取った富を、熟女真から取り返しているだけなのですが」(楊令)
・・・ここまでは、大商人とは腐敗役人と結託して国の利を貪る者という位置づけだった。強盗されて当然の人。
<楊令伝>すばる1月号・420頁
「不正とみなしたのは、国です。王黼という宰相の名で、すべてを不正とみなしました。営々として蓄えたもの
までです」「南宋は、われわれの父祖の、血と汗で建国されたようなものなのです。倉に溢れる銀と言っても、
それは三代も四代もかけて蓄えられたものです」
・・・突然、大商人が古典的時代劇の相模屋さんではなくて、被害者の立場に変更された。それまでの、
朱貴、楊令その他の梁山泊の人々の認識不足だったと理解すればよろしいのでしょうか?
>>750 幻王や岳飛や孫範と同一化して、彼らが民を皆殺しにするシーンを読んでいる読者がいるのか
と想像すると恐ろしいね。戦争映画で作戦を検討している軍人のシーンには、すっと同一化できる。
兵といえども民なのだから、同様なおぞましさがあってもいいはずなんだが、不思議なことに
まったく感じない。むしろ勇ましい気分になって同一化できる。
それが民の殺戮となると、おぞましさしか感じられないね。
世間の誰もが忌み嫌う“弱い者いじめ”だからかね?こういうのが好きな人って、幼児殺しや
小動物殺しのグロ写真をニタニタしながら眺めているんだろうね。気持ち悪。死ねちゃ!!!!!!!!!!
>>758 >朱貴、楊令その他の梁山泊の人々の認識不足だったと理解すればよろしいのでしょうか?
単なるご都合主義だと理解しておいて下さい。
それから、わかりきった質問は、二度としないでください。
楊令伝の会話シーンと同じになってしまいますので。
「幻王の略奪によって、熟女真の商人は、死んだのです。大商人と言われる者は、ほとんど死に
ました。商人として、死んだという意味ですが。ご存知でしたか、楊令殿?」
「なんとなく、知っています。しかし、生女真から搾り取った富を、不正蓄財していたのですから、
それを幻王に摘発されたのは、自業自得でしょう」
「不正とみなしたのは、幻王です。阿骨打という帝の名で、すべてを不正とみなしました。営々として
蓄えたものまでです」
「利について、不正か不正でないかの線引きは、非常に難しい。国の都合で決められたりもする
のでしょう」
「金国は、われわれの父祖の、血と汗で建国されたようなものなのです。倉に溢れる銀と言っても、
それは三代も四代もかけて蓄えられたものです」
「不正ではなかった、と主張したいのですか?」
「そうじゃ、楊令。いや、幻王。わしは、貴様を殺すために、ここまでやってきたのじゃ」
習泥忽は、懐刀を取り出した。梁山泊の聚義庁では、帯剣が禁じられていた。楊令は、帝にでも
なったつもりか。習泥忽の剣は、聚義庁に入る前に、警護の兵が取り上げた。
しかし、安道全は、袖に隠せるほどの、小さく、切れ味のいい刃物を多く揃えていた。湯隆が打った
刃物だ。習泥忽は、それを取り出した。
「死ね、楊令」
習泥忽の刀が、楊令の喉を掻き切った。そして、心の臓を、深く貫いた。
ひとつだけ訊いていいですか?
楊令伝というのは、矛盾した部分、不整合な部分を見つけてゲラゲラ笑うための小説なんですか?
最近、矛盾・不整合を楽しむ小説のように思えてならないのですけど。
矛盾部分を突かれるのは、「楊令殿、すごい」の部分がつまらないから、それへのあてつけです。
「楊令殿、すごい」の部分は、日常生活でたとえると、結婚式の仲人のスピーチ。
「楊令君は、子午山大学を優秀な成績で卒業いたしまして、超優良企業の梁山泊産業に入社し、
若干18歳で林冲騎馬隊の隊長に抜擢されました。その後、女真商事に出向して、そこでは
民を皆殺しにして、手の届かないほどの大きな人物になられました。その実績を買われ、楊令殿
は21歳という若さで梁山泊産業に社長に就任されたのであります」
日常生活で出くわす出来事の中でも、この結婚式のスピーチほどつまらないものはない。
出席者が興味があるのは、披露宴の料理だけだ。それが美味ければ、みんな「いい結婚式だったね」
と言うのだ。楊令伝という小説は、この糞つまらんスピーチを延々と続けている小説。
面白いわけがない。
「楊令殿、すごい」は、小説でいちばんやってはならないことをやっているような気がするね。
小説を読んでいて登場人物や作者に親近感を抱くネタは、成功談ではなく、失敗談の方だよね。
昨夜読んだ小説の主人公は16歳の少年で、彼には好意を寄せる女性がいて、彼女の前で
いい恰好をしようとするが、女性の方ではその行動が気味が悪くて戸惑っているという内容のもの。
こういう失敗談は誰にでも一つや二つはあって、数年は思い出すと恥ずかしいのだけれど、
もう数年すると、若気の至りで楽しい思い出。似たような体験のある読者なら、その登場人物や
作者に強いシンパシーを抱く。
それに限らず、自分の知る他人の性格や言動にそっくりなものを小説の中で見出すと、楽しくなるものだ。
小説によっては、日常ほとんど体験できないような事件や人物を解き明かしてゆくものもあって、それは
それで面白い。でも、楊令伝は、両者のうちの、どっちをやりたいのかわからないのな。
自分の体験に照らして「こういうこともあるよね」とシンパシーを寄せる部分は皆無だ。かといって、民の
皆殺しをした幻王や岳飛が、僕たちが日常出会えないような人物として描かれているかといえば、そうでもない。
いかにも普通の人っぽい楊令や岳飛が、民を皆殺しにして、大きな人物になったと言われる不可解な物語。
どうも、民を皆殺しにすることと、童貞を捨てることとを、混同しているような気がしてならない。
成功談、失敗談でいうと、好感をもたれるストーリーは以下のとおり。
成功談―謙虚な人物が成功する話。うさぎとカメのカメ。蟻とキリギリスの蟻。
失敗談―傲慢でナルシストな嫌な人物が失敗する話。うさぎとカメのうさぎ。蟻とキリギリスのキリギリス。
楊令伝は、このセオリーの反対をやっている。1冊完結の短い小説で、実験的にやったのなら、
「面白くなかったけれど、まあいいか」で済ますことができる。あるいは、天才作家が
いて、このような非常識な題材であっても、感動的な物語に仕上げるのかもしれない。
(まあ、いないだろうが)
しかし、楊令伝の続編。前作を読んだ読者の予想を根底から覆すような非常識な物語の転換は
慎まなければならない。
これは幻王に民の殺戮をやらせたことが悪いといっているのではない。その幻王のストーリーが、
直接、楊令を梁山泊の頭領に迎えるストーリーにつながったことが不可解なのだ。
燕青が代弁した言い訳で、幻王の殺戮・略奪は正当化されていない。
最近の楊令伝は、第1巻の幻王の殺戮はなかったこととして物語を進めているような気がしてならない。
よそで書かれている読者の感想文を読んでも、楊令の話題には触れないように、という気配が見えるな。
まあ、楊令が好きだという読者は稀だろう。楊令から連想される人物は、オウムの麻原、秋葉原無差別殺傷
事件の加藤、チロを殺処分されて元厚生次官を逆恨みした小泉・・・、この程度か。
どうみてもまともな人間じゃない。
楊令伝を読みつづけている読者であっても、楊令はつまんないが、方臘と童貫がいたからという感想が多い。
このスレも、童貫戦死後、罵倒一色のようになった。楊令の登場機会が増えるだけで面白くないからな。
唯一の頼みの綱は岳飛だったのだが、1月号の楊令と岳飛の対話で、明確に、岳飛は楊令の下位にいる
人物ということになった。もう罵倒する以外にすることのない小説になってしまったな。
,j;;;;;j,. ---一、 ` ―--‐、_ l;;;;;;
{;;;;;;ゝ T辷iフ i f'辷jァ !i;;;;; 清濁併せ呑む人物は大人物・・・
ヾ;;;ハ ノ .::!lリ;;r゙
`Z;i 〈.,_..,. ノ;;;;;;;;> そんなふうに考えていた時期が
,;ぇハ、 、_,.ー-、_',. ,f゙: Y;;f. 俺にもありました
~''戈ヽ `二´ r'´:::. `!
清濁併せ呑む人物を大人物と考えるのは、世代的特質なので、まあ許してやれ。
読者の中にも、そう思っている人が多い。つい20年ほど前までの小説や映画では、
清濁併せ呑む黒幕の大人物というものが、頻繁に登場していた。
現実世界でも、そのような人物を待望する妄想が蔓延していた。
外交機密費の明細をすべて公にできないあたりに今も名残があるが、それを扱う
政治家に「清濁併せ呑む人物」を待望する庶民の声は、ここ10年ばかりで消滅したな。
「ソープへ行け」の感覚が、恐竜クラスの古さなんだな。童貞であることを自慢する時代になって
しまっている。まあシャレなんだろうが。草食系男子という言葉も、すっかり定着してしまったし。
ただ、そんな弱々しい男にも飽きてしまったという声も、他方にはある。
そんな御時世の中で、水滸伝・楊令伝に期待されたのは、むかしのジョン・ウェインや
チャールトン・ヘストンや三船敏郎のような男くさいキャラの活躍だったんだよな。
それを考えると、民の虐殺・強盗・女を攫う楊令・岳飛は不要だった。
ジョン・ウェインやチャールトン・ヘストンは、そんなことはやらんから。
771 :
無名草子さん:2010/04/07(水) 15:33:06 BE:4871567399-2BP(261)
楊令伝そのものには、もうまったく興味がなくなってしまって、どのような終わり方をしようが
どうでもいい。興味深いのは、文庫化された楊令伝の巻末の解説に、どんなことが書かれるかだよな。
これは、いまから楽しみで仕方ない。
直截に面白くない原因を分析してくれる解説を期待しているが、業界人どうしの人間関係も
あるだろうから、奥歯にモノが詰まったような口調で称賛する解説が主流になるのだろうか?
こんな楊令伝でも絶賛するバカ解説をゲラゲラ笑いながら読んでみたいという気もする。
真面目に言うと、この作品を面白く読み解くためのヒントがあれば参考にしたいと思っているが、
いまのところ、自分でも思いつかないし、他人の感想からヒントを得たこともない。
水滸伝は連載開始早々に多くの批評が寄せられ、多くは絶賛していた。俺も、水滸伝は面白いと
思ったから、絶賛している批評に反感を覚えたことがない。ネットで公開されていたプロの批評も
多かったけど、楊令伝は素人の感想文以外は、あまりないね。
高い評価をしている感想文に心を打つような内容はまったくない。遠慮がちではあるけれど、楊令伝は
面白くないですね、ということを理由を付して書いている感想文は、こころを打つ。
楊令伝を読みながら、相槌を打つような箇所がまるでないので、批判的な感想ばかりをネットで探す
毎日になってしまったなー。
同じ作家の同じ小説を長期間にわたって読んでいることからくる“飽き”があるんだろうな。
飽きて文句ばかりを言っている連中は、水滸伝も楊令伝も、連載を通じて読んでいる
奴が多いんじゃないの?毎月1回必ず北方謙三の水滸伝を読む。それが10年続いている。
まあ、飽きるわw
山岡荘八の「徳川家康」も長いが、文庫化されたものを一気に読んだから、飽きはこなかった。
北方水滸伝には文庫から入ったという読者は、文庫を一気に読んで、引き続き3ヶ月に1度の
単行本なんで、まだ飽きてないんだろう。
ちょいと他の北方スレを読んでいて目にとまったのだが、
楊令伝の戦の場面には、「魚鱗や鶴翼」の文字すら出てこなくなっているんじゃないか?
楊令伝をもう長く読んでいないから、記憶違いかもしれないが、水滸伝までは、頻繁に
出てきていたような気がする。
それと、三国志では「枚(ばい)を噛む」も、戦場の必須アイテムだったのだが、楊令伝では
出てきていないんじゃないか?
「枚を噛む」が出てこなくなった理由が、前から気になっていたんだよな。
他の歴史小説では、枚を噛むのは、もっぱら馬。
北方作品では、もっぱら人なんだ。馬には草鞋を穿かせて足音は消していたが。
俺は戦国時代の戦にそんなに詳しくないが、常識的には、他の作家のように、
馬に枚を噛ませるのが正しいと思う。
人間は自分の意思で声を出すことを我慢できるが、馬には人間のような意思がない。
なぜ人が枚を噛み、馬が噛まないのか、不思議だった。
いずれにしても、このような近代以前の戦に特有のテクニカル・タームが出てくると、
時代小説を読んでいるという気分を味わえたよな。楊令伝は、それらテクニカル・ターム
が著しく少ない。
>>774 連載開始直後の対談で、「文体が変りましたね」という質問に対して、「中学生の読者もいる
から、彼らにもわかりやすいように書いていたら、そうなった。意識して文体を変えたつもり
はない」というお話だった。
だが、中学生ぐらいになると、時代小説特有のテクニカル・タームを使ってやった方が、彼ら
も喜ぶと思う。
邪推かもしれないが、俺は、この作品が世界の児童文学として、世界中の幼児の心に灯火
をつけることを予想されて、テクニカル・タームを使用することを極力避けられているのだと思う。
世界各国の言語に翻訳された楊令伝は、難しいテクニカル・タームもないから、世界の児童
に読まれる。世界の児童は、楊令殿や岳飛のように大きな人物になるべく、無差別に民を
虐殺しはじめる。世界は幼児による虐殺の阿鼻叫喚の中で、美しく生まれ変わるんだよ。
楊令や岳飛の皆殺しは、昨日も言われていたが、作劇上の拙さが目立つ。
たとえば、Aという人物がBを散々挑発したとする。Bは我慢に我慢を重ねていたが、
Aがいつまでも挑発をやめないので、とうとう我慢しきれなくなって、Aに反撃を始めた
とする。そのとたんにAは怯んだ。テレビ・カメラが、Bが反撃を始めた瞬間から撮影
を開始したとする。観ている人は、Bが一方的にAを攻撃しているように見える。
小説で、あえてこういう作劇をするときはどういうときか。読者にBを嫌ってもらいたい
ときではないかな?楊令伝は、楊令や岳飛を嫌ってもらいたいとしか思えないんだ。
とてもじゃないが、楊令や岳飛が大きな人物になったとは思えないぞ。
そうではないだろう。先に熟女真や納税をしない民が、楊令や岳飛を挑発していたというのなら、
吉良に挑発されて殿中で刀を抜いた浅野と同じになってしまう。それだと当たり前すぎる。
そういう筋書きで浅野を応援するような(作者に言わせれば)愚劣で陳腐な物語にはしたくないんだよ。
先に熟女真や納税をしない民が楊令や岳飛を挑発したわけでもないのに、楊令や岳飛は皆殺しを
始める。我々のようなブルジョア刑法と常識を信じる愚劣な庶民であれば、楊令や岳飛を狂人だと思うだろう。
ところが、忠臣蔵と違って高邁な物語である楊令伝では、そのような楊令や岳飛は、人物が大きくなる。
忠臣蔵を信奉する愚劣な庶民を覚醒させ、楊令伝の高邁な物語世界へ導こうという意図なんじゃないか?
ブルジョア刑法と常識を信奉していたのでは、楊令伝の高邁な物語世界は理解できないんだよ。
吐き気がするわ。
そもそも、人物が大きくなったということは、作者が作中で説明すべきことじゃないんだよ。
読者が、どのように感じるかという問題であって。
読者の反応を見て、楊令は大きくなったと説明を積み重ねると、ますます人物が小さくなった
ように思える。
初登場時に20歳だったキャラが、40歳になり、能力や言葉遣いに重厚さが加わってくると、
人物は大きくなったように見える。
楊令伝は、そういう簡単な成長描写ですら上手くいっていない。
初登場時19歳の史進は、40歳の史進よりも、はるかに立派な人物に見える。
楊令のように初登場時に7歳ぐらいだと、成長を描くのは、史進以上に難しい。
子役時代のイメージが強烈だと、何歳になっても、子役時代のイメージが抜けないからな。
まあ、頭領なんかにすべきじゃなかったよ。非常な困難に挑戦して轟沈したな。
もう、やる気がないんだろうよ。
水滸伝の前半には、年配のキャラクターが大勢いる。彼らの性格・言動との均衡をとれば足りること。
人物の成長を描くのが、それほど難しいことだとは思えない。
武松、呉用、宣賛、杜興・・・。どのキャラを見ても、王倫に劣るよ。
王倫は猜疑心の強い小人物だが、少なくとも人前での振る舞いは、楊令伝の梁山泊の連中よりも
品があった。見た目の品格というのも、人物を大きく見せる上では重要な要素だと思うよ。
史進など現代日本のふざけた高校生にしか見えない箇所が多々あった。
まじめにやってもらいたかったね。
奇抜なことをやって、新しい創造物が生み出されることは、よほどの僥倖に恵まれないと、
ありえない。ほとんど偶然の産物といってよい。
あらゆる面で常識はずれなことをやれば、物語の隅々まで常識はずれなものになる。
常識はずれをやれば、論理必然、常識はずれな物語になるということだ。
それ以上、付け加える論評のないのが楊令伝。
19歳の頃すぐれた青年であったならば、40歳になればもっとすぐれた人物になる。
そのようにならないのなら、小説らしく、彼が人生を踏み外すことになったイベントを設ければいい。
そのような事情がないのなら、順当に成長するのが普通の小説だ。
常識はずれなことばかりするな。
愚か者どもは自己の惨めな人生を振り返り、さも論評であるかの如く書き込む。
>>759 楊令が殺戮・略奪をした刑法犯だから、嫌われているということじゃないよな。
ルパン三世も、ボニーとクライドも、強盗だ。ルパンは事後強盗の場合が多いが。
「俺たちに明日はない」を観ているときは、警察に追われたボニーとクライドが、逮捕
されればいいのにと思っている人はいない。これは、青蓮寺の残党狩りにあった梁山泊
の逃亡者を読んでいるときも同じだ。日常生活では「強盗は逮捕されるべき」と思っている
普通の人が、物語の中では、犯罪者を応援しているのだ。倒錯しているが、面白い物語だと、
観客・読者は、それが当たり前だと思ってしまう。だから、楊令も、殺戮・略奪をしたがゆえに、
嫌われているのではない。理由は他にあるんだろうな。
ひとことでいうと、楊令伝は面白くない物語なんだな。だから、読者は、日常生活における
自分のままでいる。それで、殺戮・略奪をした楊令は、死ねばいいのに、と思ってしまう。
どこが面白くないかを探ってゆくと、楊令が出すぎたオリキャラだからということになるのかなぁ。
北宋末〜南宋初の歴史の中で、楊令の異物感は目障りなんだろう。
オリキャラが活躍する時代小説で、他に歴史上の高名な人物が登場する場合、オリキャラの
身分は低く設定される。もちろん、彼は剣の達人である等有能な人間ではあるのだが、
歴史上の高名な人物を凌ぐということはない。凌いでしまうと、「じゃあ、なんでそのオリキャラ
の名が歴史に残らなかったの?」という不自然さがあって、物語に対する興味を失うからだ。
むかし、次のような忠臣蔵を読んだことがある。
赤穂浪士の企てに共鳴したオリキャラが登場した。堀部安兵衛の飲み友達程度の出番だったら
我慢できるが、そのオリキャラの出番が非常に多い。剣術は安兵衛以上の達人。しかし、赤穂藩士
ではないから、討入には参加できない。それなのに、陰に陽に赤穂浪士の手助けをする。
要するに、暇人だな。ところが、物語の重要な局面になると、このオリキャラが大石の窮地を救ったり
する。そのような重要な役割を何度も果たす。読み終わってみると、このオリキャラがいなければ、
大石らは討入などできなかったよな、という感想を読者はもつ。
オリキャラがここまで活躍すると、赤穂浪士は、まるで木偶。なんか、赤穂浪士をバカにするために
この小説を書いたのだろうかと思ってしまう。
そのオリキャラを楊令、赤穂浪士を梁山泊の旧同志と考えてもらえば、楊令伝のつまらなさは、
一目瞭然。
青蓮寺はオリキャラ。読者は大して能力は高くないと思っているが、物語の中では有能という
ことになってる。原典には登場しない有能なオリキャラ青蓮寺が、楊令ほどに目障りだったかというと、
そんなことはない。「裏の組織」だったからだ。目障りにならないような工夫をしていたのだ。
楊令伝でも、この手法を用いるべきだったな。梁山泊は斉になる。頂点には旧宋官僚の清流派
である劉豫を頂くという形式にする。実権は梁山泊が握ってもいいだろう。しかし、金や宋の一派
と共同して作った国なので、楊令の独裁ということにはならんがな。
史実の斉は、叛徒の集団を取り込んでいたという記録が残っているから、斉の中の梁山泊というのは、
歴史小説ファンの空想力の範囲内にある。楊令伝の人口500万人の梁山泊国のような異物感
はなかっただろうな。
民を皆殺しにすると、人物が大きくなって、天下を狙える人物になれる理由がよくわかりません。
>国公立の幼稚園に通う子どもを持つ保護者に「理想の子ども像」を聞いたところ、
>「人に迷惑をかけない」のほか「礼儀作法をわきまえる」「ルールや決まりを守れる」という項目で、
>「そう思う」「ややそう思う」と答えた保護者が合わせて98〜99%に上った。
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20100408013.html 楊令伝嫌いの理由は、案外、このあたりにあるのかもね。
「人に迷惑をかけない」・・・民を殺す、強盗、誘拐は、迷惑そのもの。ほぼ100%の保護者が嫌う。
「礼儀作法をわきまえる」・・・史進が嫌われる理由。
「ルールや決まりを守れる」・・・楊令伝の非常識な展開が嫌われる理由。
>一方、「リーダーシップをとれる」は合わせて54%、「人より秀でたところがある」は同じく59%だった。
楊令の長所は、世間ではあまり重視されていないんだわな。
>>771 楊令伝の文庫巻末の解説は、楊令伝は面白くないから読むな、とか書かないだろうよw
同時代の書評で、作品をこきおろすようなものは少ない。
公正な評論が出てくるのは、文庫が完結して数年経ってからじゃないか?
もっとも、最近の出版事情だと、文庫が出てから数年も人々の記憶に残るものは少ない。
結局、君が望んでいるような、楊令伝がつまらない原因を分析してくれるような書評は
現れないと思っていた方がいいんじゃない。
レコードや映画は、発表後かなりの期間が経過しても、CDやDVDで製品化されることがある。
その発売に際して評論したものを読むと、内容を公正に判断できることもある。
初めて発売されたときには書けなかった不満などを読んで、他人も自分と同じような感想を
もっていたんだな、ということがわかると嬉しいよね。初めて購買者の本音が聞けるのは、
ずいぶんと時間が経ってからだね。
>>787 自分の子が、「人より秀でたところがある」子に育ってほしいと願う親が59%だから、
楊令殿のように何をやっても一番という子を望む親は、いないだろうな。
楊令殿も一芸に秀でているだけなら、そんなに嫌われていなかっただろう。
自分が楊令殿と同じ万能の天才だと思っている自己肥大した阿呆は、小学校
低学年にしかいないだろう。アホクサ。それが殺人・強盗・誘拐をする。
もう絶対に同一化できないキャラだわな。
>>786 北方謙三以外にはわかる人がいませんので、楊令伝を繰り返し読んで下さい。
ひょっとすると、恋愛に悩んでいる童貞に、「ソープへ行け」と言ったときと同じ軽い気持ちで、
「天下を取りたければ、皆殺しをやれ」と言ったのかもしれません。
いずれにしても、我々正常な感覚の人間には計り知れない深い哲学があるものだと思われます。
楊令伝のように、多数の登場人物が出てくる小説で、楊令殿のような何でも一番の
キャラがいると、他のキャラとの共棲が難しい。現に、梁山泊の新旧のメンバーは、
全員魅力がなくなってしまった。楊令殿のキャラをこのように設定するのなら、楊令殿
の出番が5割以上の短い小説にまとめるべきだよね。そうではなくて、魅力のなくなった
他のキャラにも十分な出番を与えるから、糞おもしろくない。
「青臭い議論だけで、宋を倒せるのでしょうか、晁蓋殿?皆殺しです。抗う者は、兵であろうが民で
あろうが皆殺しです」
楊令は、杯を置いて酒を注いだ。酒といっているが、中身は水だった。
「青臭いか。私は、そうは思わないな。正しいことを言ったら青臭く聞こえるほど、この世は濁り、汚れ
ている。違うかな?」
「梁山泊軍は、宋軍に勝てません」
「それだけで片付けるのか。清河も濁る。しかし魚は生きる。当たり前のことだ。問題は、濁った水が
腐りかかっていることだと、私は思う。腐った水の中で、魚が生きられるか?」
「魚は皆殺しにすればよいのです」
「殺すために、殺したか」
「まさしく」
「梁山泊軍が、再結集する」
「頭領かどうかはべつとして、俺はいま、梁山泊軍に戻ろうとは考えていませんよ」
「誰も戻れとは言っていない。私が女真の地にわざわざ来たのは、一生梁山泊に戻るなと、おまえに
伝えるためだ」
台詞の言葉遣いだけでも、丁寧なものに変えてもらいたいね。
<水滸伝>
・「上申書のことで、高大尉に責められていたのですか、王師範?」(林冲)
・「母に苦労をかける、愚かな息子です。老いた日々を、静穏に暮らさせてやるのが、私の夢でありましたのに」(王進)
・「幼いころより、祖父に教えられました。剣は父に教えられましたが、自分には合っておりません。・・・」(薛永)
<楊令伝>
・「おう、宣賛。おまえだって、帝がいて、廷臣がいてって国しか、考えていなかったろう」(史進)
・「そうだ。こいつは、鼠みたいに隠れていやがった」(李俊)
・「おい、女。俺を、誰だと思ってる?」(戴宗)
793 :
一/二:2010/04/08(木) 17:29:44
右肩を突かれた。胸も、鳩尾も。
楊令はうずくまり、息を整えるために、しばらくじっとしていた。自分が泣いていることに、
はじめて気づいた。涙は、顎の先から乾いた地面に滴っている。
「民を皆殺しにしたことを謝罪したくないのか、楊令?」
楊令は、無言で頷いた。
「なぜだ?」
「俺は、男だから」
「男か、おまえは。魯智深が言ったように、ただのけものの雄ではないのか?民を殺し、財産
を奪う。子午山に来る前の鮑旭と、どこが違うのだ?」
「男に、なりたい」
794 :
二/二:2010/04/08(木) 17:30:04
肚の底から、声が出ていた。男になりたい。ほとんど、叫びに近かった。
「わかった。いまから、おまえがやるべきことを言う。幻王が女真の地で行った殺戮、略奪を
三十頁かけて反省しろ。自分の行いが間違っていたと、悔い改めよ。それが終れば、朝食を
摂ってよい。謝罪をしないおまえは、食い物を食える身分ではない。穀物は、農民の労働に
よって得られたものだ。それがわからないのならば、いますぐ、死ね」
「はい」
「慌てることはない。おまえは若く、時はまだ充分すぎるほどある」
795 :
1/2:2010/04/08(木) 18:25:28
【*本文】
「おい、カク瑾。熟女真の女の件は、上手く隠せたんだろうな」
楊令は、手にしていた鞭で、カク瑾の額を殴った。また、酔っている。カク瑾は、逃げ出したい
気分になった。いつまで、この糞バカタレに仕えなければならないのだろう。楊令伝のような
糞小説など、早く連載打ち切りになればいい、とカク瑾は思った。
気の小さい楊令は、攫って手篭めにした熟女真の女のことで、読者の不興をかっていることが
気になって仕方ないのだ。
「完顔成には、一生かかっても使い切れないほどの金銀を握らせました。あの女は、楊令殿を
慕っているのだと、次の巻で偽証するはずです」
「北方も、ちゃんと口裏を合わせるのだろうな」
「大丈夫です」
796 :
2/2:2010/04/08(木) 18:25:41
それでも不安なのか、楊令は、いつもの貧乏ゆすりを始めた。
気の小さい男だ。カク瑾は、楊令をあざ笑いたい気分になった。
「もとはといえばカク瑾、おまえが悪い。おまえは、俺が女を囲っている生女真の村を読者に紹介し、
女を囲っているのは楊令殿だけで、自分はそんなことはしていないと喋った」
しかし、それが真実だった。楊令の見境のない下半身には、カク瑾はほとほと手を焼いていた。
楊令伝の他の登場人物を買収して偽証をさせることが多くなった。そのため、交易で蓄えた金銀が、
もうすぐ底をつく。蒋敬は、いつも肩を落として、嘆いていた。
「楊令殿。そろそろ税率を五割に引き上げないと、梁山泊は…」
「わかっておるわ」
楊令の貧乏ゆすりは、いちだんと激しくなった。
「私は心配なのだ、史進殿」
「お気遣いをいただいて申し訳ないのですが、梁山泊は私が守ります」
「そうではない。私が心配なのは、史進殿のことだ」
「私をですか?」
「もう十年になるかな、水滸伝を読み始めて。十年前、史進殿の戦はこれほどうまくなかった。しかし、
なにか不思議なところがあった。そうだな、男が立っているという感じとでも言うのかな。決して戦に
負けていなかった」
戦がうまくなったからどうだと言うのだ、と史進は思った。十年戦をやり続ければ、誰でもうまくなる。
「いまは、馬だけが走っている、という感じなのだよ。楊令伝を読んでいても、史進殿をあまり感じない。
極端に言うと、いないような感じがしてしまうのだな」
不意に、心のどこかを刺されたような気分になった。いないとはどういうことだ、と言い返そうとしても、
口が開かなかった。
水滸伝の1巻を読み返していると、楊令伝が稀に見る糞小説になってしまったのが、よくわかるな。
ガキが夏休みの宿題で書いてきた作文みたいだ。とくに登場人物の言葉遣いの悪さには辟易する。
>>790 民の殺戮を何かのメタファーを捉えることは無理だろう。この小説は、ここまでリアルに徹して
書かれてきた。額面どおりに受け取るべきだな。
そうすると、北宋の文治主義、南宋の宋学のイメージと適合しにくくなってくる。
また、読んでいる21世紀の日本の読者は、生まれたときから、ずっと文明国で暮らしている。
いきなり旧共産圏で起きたようなエピソードを持ち出されても、理解に苦しむわな。
>>790 次郎長三国志や忠臣蔵では、次郎長や大石のリーダーシップの素晴らしさを読みたいのではなく、
二十八人衆や四十七士の銘々伝が読者のお目当て。
水滸伝も、同様の系譜に属する物語。原典が、108人集結までは面白いのに、終結後はとたんに
つまらなくなるのは、銘々伝が尽きるからにほかならない。
北方水滸伝も、この点では、原典を越えることができなかったな。張清ほか二名を残して、105人が
出尽くしたあたりから、失速は始まった。しかし、原典では好漢が方臘戦でまとめて死んでいったのに
対し、北方水滸伝では戦死場面を5巻〜19巻に分散させたので、原典後半のつまらなさは免れた。
楊令伝では、せっかく梁山泊が一度崩壊したのだから、梁山泊に再結集してくる新旧のキャラの
銘々伝を丁寧にやるべきだった。これがなかった。
さらに、新旧の全キャラの能力を、一足飛びに超えてしまった万能の楊令殿という設定がまずかった。
これによって、梁山泊には誰一人として魅力的な人物がいなくなってしまった。呉用が良くなったと褒める
人もいるが、あれは梁山泊の呉用ではなくて、方臘軍の趙仁。呉用は梁山泊のためには、何もしていない。
楊令伝で目立ったキャラといえば、童貫軍の将軍・将校や、燕軍や金軍や方臘軍の人間ばかり。
楊令殿ひとりを能力の高い人にしてしまったために、ほかのメンバーは魅力がなくなってしまった。
水滸伝では頭領の宋江が主人公ではなく、組織である梁山泊が主役という感じだったな。
複数人の協力によって、仕事を成し遂げるところが、読者に受けたのだと思う。
典型的なのが、第2巻の梁山泊奪取。中心人物は林冲だったが、計画を練ったの呉用。
医者、薬師、漁師、食堂の親父、王倫の部下、できたばかりの致死軍・・・。各人が各人の特技
を生かして協力し、ひとつの仕事を成し遂げる過程を読むのが楽しかったのだろう。
楊令伝には、この楽しさがない。
まあ、次郎長や大石の戦闘力が最強であるなら、子分の戦闘シーンで興奮することはできないわな。
常に次郎長や大石が闘えば、勝利の確率は高くなるならな。
誰一人として楊令に意見できない絶対君主なんで、誰も何も言わない。最近になって、李媛や宣賛が
意見を言い始めたが、数ヵ月後には楊令の意見が正しかったことを悟るという展開になるので、
「楊令殿はすごい」を証明するエピになっているだけ。
能力は楊令以下でも、人柄で勝負するという手もあったが、これもうまくいっていない。杜興ばかりが
その役割を担わされていたが、水滸伝序盤の晁蓋・宋江・盧俊義・魯智深と比較すると、魅力はない。
それ以前に、杜興の喋っている日本語が、よく理解できない。
楊令をすごい人にしたい意図が理解できなくて、薄気味の悪い小説なんだわな。
とにかく楊令のやることには、一点の誤りもあってはならない、すべて正しくなければ
ならない、そういう書き方がなされているように思える。
楊令の名を小説のタイトルに使ってしまったので、楊令がもっとも目立つキャラになる
のは当然だと思う。だが、もっとも魅力的な人物であれば足りるわけであって、能力的に
他のすべてのキャラを凌駕する必要はないし、まったく過ちを犯さないキャラにする必要
もない。
>>801 そもそも楊令伝のキャラには、「医者、薬師、漁師、食堂の親父、王倫の部下、できたばかりの致死軍・・・」
というような個性がないから、ドラマを作りようがないんだよ。全部、軍人というカラーしかない。
点数で表現して、80点の軍人、50点の軍人という能力値だけがある。
闘う以外に能がなく、その戦いも、どれも同じにならざるを得ない。
元官軍の将軍が官軍と戦うとか、元王倫の部下が王倫殺害に協力するというドラマが作れないんだ。
さらに、いつのまにか敵も味方も精鋭だけになり、山賊がヘボな地方軍と闘う、旅の途中で少人数の一行が
官軍に包囲されて山に篭る、そんな個性的な戦いも作れなくなった。
楊令伝の童貫軍は、梁山泊戦で多くの優秀な将兵を失い、方臘戦でも傷ついたのだから、もっとヘボ軍隊
にしてもよかったな。水滸伝の童貫戦で戦死した同志を今になっても称えることをするのなら、あの戦いを
最後の精鋭どうしの戦いと位置づけ、楊令伝の戦いは、精鋭は少数で、人数ばかりが多いヘボが闘っている
という位置づけでもよかった。精鋭インフレはつまらん。
物語創作のベースにある発想が、高度成長期の右肩上がり。
ここは古臭くて笑えるところだわな。
初めは少人数で単純な戦をしている梁山泊が徐々に大きく強くなる。
出てくる敵も最初は地方軍で弱いが、徐々に強くなって、最後は最強の童貫。
最強のものを出したのなら、それをピークに斜陽してゆけばよいのだ。
童貫は水滸伝ラストですでに50代半ば。楊令伝では歳をとり弱くなっているのが自然。
しかし、楊令伝になっても、ひたすらに右肩上がりの発想。精強です。もうすぐ北宋滅亡なのにw
童貫軍の兵数を減らすというのが、方臘戦を始めさせた梁山泊の戦略だった。
童貫軍は方臘戦で傷ついた。ところが、その後のドウカン・ファイトでは、
童貫軍の兵数は増強されていた。飽きもせず右肩上がり。しかも精強。
精強のシンボルは騎馬隊。この騎馬隊の増えること、増えること。
最強と最強の戦いで、楊令殿が勝利。楊令殿、すごい。単細胞で笑えるわww
戦ばかりで読者が飽きると思われたのか、楊令の新しい国づくりが始まった。
これがまた最悪w
まあ小さい梁山泊というのは理解できなくはないが、境界線をバッチリ引いて、外の住民は一切
受け入れませんという息苦しさ。そのくせ、岳飛には、楊令殿の新しい国は、漢民族には限らず
誰でも受け入れる素晴らしい国と、大法螺を吹いているしww
税金が安ければ民は喜ぶだろうという発想が、素朴すぎて、泣けてくるなー。
梁山泊のおかげで戦が増えて、喜んでられないぞと思っている民もいるだろう。
変人の頭領が周囲の国々との協調を一切考慮しないので、梁山泊国が袋叩きにされないかと
不安を抱えている民の多いだろうね。
「だけど税率が安いのだから、喜べ、おまいら」と、無邪気な楊令殿。
807 :
候真:2010/04/09(金) 15:50:32
黒騎兵は楊令殿を殺さないと抜けられなかったのですけれど、梁山泊国も、楊令殿を殺さないと
抜けられないのですか?
>>806 まあドウカン・ファイトが終ってからの楊令の国づくりの話は、中高生の妄想レベルに落ちてしまったな。
もうやめりゃいいのw
俺は性欲に負けやすい中高生だったので、楊令殿のような妄想を抱く暇がなかった。
弁当箱のフタの裏側にくっついた海苔を剥がしながら、昼休みに楊令殿のような妄想をしていた中高生
がいたのかと思うとキモいな。
809 :
無名草子さん:2010/04/09(金) 16:01:12
北宋が滅んで金が華北を征服するという史実を、物語の背景として扱うだけなら、梁山泊と宋以外の
登場人物を、たくさん出す必要はなかったんだよな。しかも、耶律越里と斡離不の従兄弟関係とか、
劉彦宗と韓伯竜の師弟関係などは、まったく不要。こういう関係を出したはいいが、エピソードに昇華
できないので、唖然とするようなくだらないネタで落とし前をつけた。
このあたりは、読んでいて情けなかったね。
そうそう、耶律越里と斡離不の従兄弟関係は、完全スルーだったな。韓伯竜についてのみだ、くだらない
落とし前をつけたのは。
韓伯竜と韓世忠の異母兄弟関係なども不要。韓伯竜が入山前の人脈を生かして情報収集にも能力
を発揮し、韓世忠について詳細な報告を聚義庁に提出する。そこで、史進が、
「ずいぶんと韓世忠について詳しいんだな。ひょっとして腹違いの兄弟じゃないのか?
親父によく聞いてみろよ、韓伯竜w」という冗談で流せば足りる程度のネタだわ。
姓が同じ人物を見つけると、無理やり親族関係に持ち込んでしまう、現在の傾向は悲しいね。
「異母兄弟といっても、むこうは覚えていないでしょう」
「師弟関係といっても、むこうは覚えていないでしょう」
と、エピソードに発展しませんよという、念を押してはいたがな。
だったらわざわざ兄弟や師弟にする必要はない。
意外に物知りな韓伯竜ということにしてやればいいじゃないか。
まあ、楊令殿よりも物知りがいると、楊令殿の頭領の地位が脅かされるのではないかと
心配でならないのだろうがw
∧_∧! / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__( ;´Д`)__< 楊令殿の頭領の地位が脅かされるのではないかと思うと、夜も寝むれません
| 〃( つ つ | \_______
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\ |______|
結局、戦をやって勝ったり負けたりしているだけの小説だな。
親族関係を複雑にして、それが次の展開に影響するのかと思わせるだけの叙述を
挟んで、戦の合間をもたせている。それと、食事とセックス。
替天行道には宋を倒した後の新しい国づくりのことが書かれてあったということで、楊令殿
はせっせと国づくり。宋を倒したはいいが、その後にどんな国を作るかを考えていたのは、
実は楊令殿だけでしたというオチ。他の同志は、子ども扱い。なーんにも考えていなかった馬鹿。
華北を制圧する大きな国を作るのはめんどくせーし、史実厨に斉との矛盾を突かれるのが
めんどくせーから、小さな梁山泊にする。
反対する連中は、同じ民族が一つの国を作らなければならないというテーゼは欺瞞にすぎない
と批判。それに気づかない岳飛も、馬鹿扱い。
勝手にやってろ。
物語の肝の筈の楊令の成長の過程の苦しみが描かれてなくて、
オレは苦しんで略奪とかしちゃったけど、お金儲けの国が心に光りを当てたぜ!の事後報告だもんな…
楊令の視点が初めて出てきたのが、梁山泊に復帰してから、かなり時間が経っていた。
幻王時代の殺戮・略奪のことを、そろそろ読者が忘れたかなと思われる時期だった。
であるから、幻王時代の苦しみなどは、読者にまったく伝わっていない。
すべて他人視点で幻王を客観的に描いたので、楊令が心底正しいと信じて殺戮・略奪
をしたようにも取れるし、虚勢を張っているようにも思える。
苦しんでいたようには見えない。女を攫って、気持ちのいいことをしていたからな。
二つに村に女を囲っていたと書いてあったから、最低ふたりはいるということだろう。
後付けで、恋愛だったように変更するなよ。
第3巻で王進と再会したとき、楊令は「自分は間違ったことはしていない」と言った。
師弟再会の場面では、弟子は本音を述べるというのが暗黙のルールなので、この
発言によって、楊令は正しいと信じるところを行ったのだと思った。
また、同じような状況にあった岳飛が、皆殺しをすることによって「本物の花」になった
と言ったから、幻王の場合も、これと同様なんだと思った。つまり、確信犯。
>>720 楊志殺害シーンをドラマチックに盛り上げたのが白嵐という犬の存在だな。
白嵐の嗅覚というものが存在しなければ、楊志一家は安全な場所にいたわけだ。
楊志一家の密会は曹正が宰領して安全な場所を選んでいた。
さしもの青蓮寺でも、密会場所を突き止めることができなかったのだ。
ところが馬桂は白嵐を楊令に近づけ、暗殺に利用した。
犬と少年の友情という無垢なものを、凶器に転換したのだ。
この瞬間、楊志一家の安全は脅かされ、ドラマはスリリングに盛り上がる。
また、暗殺団の卑怯な手口に、読者の怒りがわいてくる。
作者は、このような結末から逆算して、白嵐という犬を登場させて、楊令に近づけた。
王和が偶然、楊志に会いに行く楊令と済仁美を見つけて、跡をつけて殺しただけなら、
楊志殺害シーンは、あんなに盛り上がってはいないよな。
まあ、この程度の細工はしてもらわないと、ドラマは盛り上がらないよ。
楊令伝には、結末から逆算して事前に細工を施すという工夫がまったく見られない。
とりあえずキャラをばら撒いておいて、兄弟だ、師弟だと、後付けの関係をつけるが、
それが生かされた例がない。出たとこ勝負。
それどころが、登場人物を新たに出すことそれ自体を、イベントと勘違いしている節がある。
個性も魅力もない人物の数だけ増やしても、物語の筋が見えにくくなるだけ。
それとも、自分の描き出す人物は、すべからく魅力的だとでも思っているのだろうか?
勘違いも甚だしい。
文句ばかり言っている連中は、楊令伝の見方が甘いと思う。
もちろん俺も、北方水滸伝は面白く、楊令伝がつまらないという結論に異議はない。
しかし、原典を思い出してみろ。
原典も108人が結集するまでは面白く、その後は面白くない。
楊令伝は、そういう原典に忠実なだけだ。
そういや、原典が決定的に面白くなくなるのが、招安を受けてからだよな。
招安によって物語が180度転換する。その後は、退屈な戦ばかり。
楊令伝で物語を180度転換するエピソードは、幻王の民の殺戮だ。
ここから、楊令伝は決定的に面白くなくなる。退屈な戦ばかりの小説になる。
まあ全巻つまらないということになるが。
それなのに、楊令伝は10巻完結予定を延長して15巻にした。
ここも、原典の100回本が、120回本に延長されたのと同じだな。
つまり、20回増やして、糞面白くもない田虎戦と王慶戦を増補した原典。
楊令伝も、糞面白くもないガクヒ・ファイトを増補する。
>>820 >個性も魅力もない人物の数だけ増やしても、物語の筋が見えにくくなるだけ。
原典の70回以降が、そうなっているから、踏襲しているだけだと思う。
遼、田虎、王慶、方臘のところで登場するキャラは、石宝を除くと、
どれも楊令伝のキャラのように、無個性で魅力がまったくないからね。
小説の良し悪しというのは相対評価だから、比較の対象になる有名作家の有名作品があって、
それを凌駕しているときに、あとから執筆された新作が高く評価されるだけだろ。
「三国志」と「水滸伝」は、吉川英治のものが最も有名だけど、それが少し古くなってきた。
それ以降の作品も、基本的に吉川英治の真似っこの同系列作品。
(別系列のもあるが、大作ではないため、吉川英治のものと比較してもらえなかった)
北方謙三は、大幅に違った。しかも面白かった。だから高い評価を得た。
楊家将などは、日本に比較すべき作品がないため、いまいち盛り上がらない。
作品中の国名と人名を三国志のものと入れ替えると、三国志と勘違いしてしまいそうな作品。
楊令伝も比較の対象となるべき古い大作がない。続編であることから、北方水滸伝と比較
されるだけだ。だから評判が悪い。
北方三国志は、各パーツの叙述をコンパクトにして、原典の冗長な部分を割愛した。
割愛した部分を正史の情報に入れ替えたような作品なので、好感をもたれたのだろうな。
オリキャラも登場したが、楊令のように出すぎたオリキャラはいなかった。
楊令伝は正反対で、正史の情報が少ないのに、各パーツの叙述が冗長。
しかも、楊令殿だ。
三国志でたとえると、後漢を倒した陳礼が、税率1割だ、交易だ、自由市場だと騒いでいる
作品。同時代に生きた曹操や孔明が聞けば、「こいつ狂人か?」と思えるようなことをしている。
時代小説・歴史小説の最低限のルールは、形だけでもいいから、舞台となっている時代の
制約を見せることだと思う。全面的に時代の制約の下に物語を置くと、書きたいことが書けなく
なるから、形式的な部分だけでいい。
三国志や水滸伝は、まあまあそのルールが守られていた。戦のシーンなどは、かなり慎重に
時代の制約を遵守していた。
楊令伝は、ほぼ全面的に無視だ。こういうことをやりたいのなら、近未来小説でやれよ。
肚が立つだけだから。
率直に言うと、楊令伝のような時代小説もどきが増えてほしくないのな。
理想を言うと、絶滅してもらいたいんだがね。
日本ミステリー文学大賞を受賞されたことだし、そろそろあちらの世界に帰ってもらいたいのね。
こんなルール無視の作品で荒らすのならばね。
>>826 最低限のルールというのならば、もっと緩やかな基準でもいいよ。
せめて「むかし」を思わせる描写を、ちょこっと挟んでもらえばいい。
フィクションを読むのは、旅行と同じで、日常と違う世界で遊びたいわけだ。
時代小説一般に対して求められているのは、「むかし」だろう。
正確に12世紀の中国でなくてもいいから、「むかし」を思わせる描写を入れてくれ。
水滸伝シリーズは、キューバ革命が俺様に夢を与えていた頃の話を書きたいのかも
しれないが、そこばかりを書いていると、露骨に戦後日本になってしまうがな。
夜間、会話する登場人物のいる部屋の窓から、蛍の飛ぶのが見える。
梁山泊の誰かが農民の暮らしを視察する。あぜ道に蛙がいる。蜻蛉が飛んでいる。
その程度でいいんだがな。
むかしはよく見かけたけど、最近はあまり見なくなった動植物。
ハードボイルド小説というのは、動植物が出てこない小説のことなのか?
あの長ったらしい会話や、長ったらしい戦の描写をやるスペースをちょっとだけ割いて、
もう少し他のものにも目配りをしてみてくれ。
ほんと殺伐としていて味もそっけもない文章になってしまっている。
殺戮がなくて、食事をしていても、殺伐としているのだ。
ちょっとでいいから、出てくる人物の周辺の様子にも気を配ってくれんか。
核戦争によって地球上にわずかな人類しか残っていない近未来に、廃墟になった街で、
その僅かに残った人類が戦っている映画が、いっとき流行ったな。
西部劇が流行らなくなった頃に、そういうのが流行った。
ロケーションは廃墟だから、殺伐としていて見るところがない。低予算で製作するには
もってこいだったのだろう。近未来だから時代考証もへったくれもない。奇抜な恰好をした
人物たちが闘っていたよ。
楊令伝を読んでいると、それを思い出す。
隊商が移動するシーンで風景が出てきても、情景を想像する手がかりがごくわずかしかない。
『森の中。時々、木の枝が顔を打つ。・・・ 森を抜けた。小さな岩山を迂回すると、草原の中に
火がいくつか見えた』
こんな感じだから、自分の体験の引きだしから、スッと情景が出てこない。
したがって、殺伐とした風景になる。
また、視点人物の目の前に風景があっても、遠くから風景を写しているように見える。
上記の一節だと、『木の枝が顔を打つ』だけは、枝が目の前に見える。しかし、他は全部遠景だ。
まあ、風景は無いに等しい。
>>833のいう映画はTV用の低予算映画だが、一時期、外国でたくさん作られたね。
俺も楊令伝を読んでいると、そんな廃墟の風景しか目に浮かばない。
風景の描写が少ないのは、ずっとそうだ。
熟読玩味したくなるような引き締まった文章であれば、それらの短い風景の描写から
想像をめぐらす楽しみもあった。
いまのように、とてつもなく長い会話や、戦闘描写が続く中で、たまに風景の描写が
出てきても、誰も情景を想像するようなことはせんだろう。
>>775 ついこのあいだまで、専門の学者が絶賛するような小説を、中学生が平気で読んで
楽しんでいたわけじゃない。わざわざ中学生にもわかりやすく、なんてことを考える
必要はないんじゃない?
新ネタが皆無といっていいほどにないよな。
小さな梁山泊を作って、物語の展開上面白くないだろうという批判を浴び、
それに反論する。
馬鹿みたいなことをして、批判され、反論するというだけの小説になっている。
それがネタといえばネタ。それで頁を埋めているようなもんでねぇ?
北方水滸伝を熟読すれば、発展させてもよいネタは、ずいぶん拾えると思うのだがな。
聞煥章と扈三娘ネタのように。もっともこれはくどかったがな。
ムルハーンのおばさんが喜ぶからだろう。
>>822 各巻の感想文を読むと、戦のある巻が人気があり、ない巻は盛り上がりに欠けるという
パターン化したものが多い。まんざらウソでもないんだろうが、何度も同じような戦で
飽きないのだろうか。俺は、水滸伝ラストの童貫戦以降、面白い戦を読んだ覚えがない。
楊令伝の童貫戦は、戦死者確認のために流し読みしていただけだ。
一騎討ちばかりの原典との比較で面白い戦だと思っていただけなんだよな。
北方本のほうが組織立った動きをするから。
騎馬隊ばかりになってきてから、つまらなくなった。
「レッドクリフ」で騎馬隊が歩兵にやられているシーンは痛快だった。
楊令伝の反対のことをしている映画や小説は面白いな。
それと、ネットで楊令伝をこきおろしている感想を読むのも好きだ。
「そばにいろ、張平」
寝言のように、楊令は呟く。
「俺が眠るまで、躰に触れていてくれ。おまえの陽根を、俺に押しつけていろ」
「楊令殿。眠くなってきました」
「ともに、眠ろう」
それ以上、言葉は出なかった。
深い眠りだった。
「楊令殿」
張平は、躰を起こそうとした。なにか、おかしい。温もり。それが、どこにあるのか。
上体を、やっと起こした。
濡れた掌が、赤かった。なんなのか、しばらく張平はそれを見つめていた。それから、そばで寝ている
楊令に眼をやった。
腹が裂け、はらわたが躰に絡みついていた。一部は、張平の男根にも巻きついたようになっている。
顔は、赤い。人の顔ではない。いや人の顔だが、皮を全部剥ぎ取られ、赤い肉が露出しているのだ。
楊令の顔を覆っていた陰惨な火傷の痕が、みごとになくなっていた。
「綺麗な顔になられました、楊令殿」
楊令殿には、めいっぱいグロい死に様を望みたいな。
「この国は、民のための国だ、と思うことにします。苦しむ、民のための国だと。苦しむ
のは当たり前でも、他国に苦しめられはしない国。俺はいま、そう思っています。そして
これまで、そんな国があったためしはない。俺は傭兵のようになるのでしょうが、抗金
という、絶対に譲れないものは持っているつもりです。花飛麟殿は、どう思われる?」
「岳飛殿の言われることが、当たり前のようでいて、欺瞞に満ちていると思いますね。
当たり前のことをやって、この国は駄目だったのです。誰も、きちんと治めることは
できなかったのです。天下を求めることは、欺瞞の中にいる自分を肯ずることです」
間が抜けた答えであることはわかっていて、言ったのだ。抗金を唱えることが、論理
必然、天下を求めることと繋がるわけではない。ドイツに占領されたフランスのレジス
タンスが天下を求めていたのではないことなど、説明するまでもないのだ。
しかし、ここで喋るあらゆることで、岳飛はなにかを測ろうとするに違いなかった。
間が抜けているが馬鹿ではなく、いかにも左翼っぽいので扱いにくい。楊令殿の部下は
その程度がいいのだ。
時々出てくる楊令伝中の論理の飛躍というのは、いったいどうして生じるのだろう?
あなた、見えない敵と闘っていませんか?
宋の野党である梁山泊と、外国の金が共同で斉を建国する。中華の北半分は斉だ。
南半分は、かつての与党の南宋。
斉と南宋は国境を接して対峙する。
斉は南宋に戦で勝ち、常に優勢。
そのうち協力関係にあった金国の影響を排除して真の独立を勝ち取ろうとする。
金国はそれを許さない。結局、金国と南宋が裏で同盟を結び、斉を滅ぼす。
金、斉、南宋に、現代の国や政党を当てはめると、現代に似たような状況を見出せて、
面白いドラマになったではないか。シンプルでわかりやすいし。
楊令伝の梁山泊国は、複雑すぎてサッパリわからん。
すばるだけだと地図がないから、梁山泊がどこにあるかもよくわからず、どの程度の広さかも
わからない。岳家軍や張家軍もそうだった。
それに、最近やけに地名が細かい。単行本でも、細かな地名までは地図に載せられないんじゃ
ないのか?
チベットを除く現在の中国の領土を、金、斉、南宋の三つに分けるのが、もっともシンプル
でわかりやすいねん。
2対1で、1の国が負ける。
斉は金と梁山泊が共同して作るから、最初は南宋が劣勢や。
最後は金と南宋が同盟して斉をつぶし、史実に戻る。
梁山泊国だ、岳家軍だ、張家軍だ、その他に斉だとぐちゃぐちゃやっているから、サッパリ
わからんね。
三国志の領土関係は、すごく複雑だけど、あれはメジャーな物語で、誰でも知っているから、
問題なく、複雑な領土関係をそのまま小説でやればいいんだ。
フィクションの楊令伝で、史実以上の複雑な領土関係を作って、どうするの。
しかも、地図のないすばるで、どこにどの国があるのか、金と南宋以外は、わからないよ。
中国史が好きで、水滸伝から読んでたけど
まさか楊令伝が、こんなに続くとはおもわなんだ。
3巻で止まってたけど、また読み始めようかなと思ってる。
しかし、この楊令伝て、水滸伝みたいな三大演技とかと違って
どういう視点で読めば良いのか分からない。
荒筋も知らないし。どうなるんだろう・・どういう気持ちで読めば良いのかな。
で、岳飛伝とも繋がるんだよな。どこでかな・・ややこしいな。
>>851 史実は背景として出てくるだけなんで、知らなくても大丈夫。
戦をやって勝ったり負けたりしているだけの小説。
あとは楊令がおよそ12世紀とは思えない現代的な話をグチャグチャやっているだけ。
もっとも、僕は、そこが不満なんだけどね。
史実は物語の中に取り込まなかったというよりも、取り込めなかったという感じ。
徐絢という梁山泊の女間者が宗沢に接近するというエピもあったけど、彼女も
史実とフィクションの橋渡しはしていない。侯真とセックスをしていただけ。
岳飛・韓世忠・張俊・劉光世は登場するけれど、史実の彼らとはまったくの別人で、
99%フィクション。阿骨打の息子の斡本・兀朮・訛里朶も同様で、史実とは似ても
似つかない人々。だいいち金軍の騎馬隊がとくに強いわけではなく、梁山泊や宋の
騎馬隊が強いのだから、史実もへったくれもない小説。
靖康の変は、作者も歴史を勉強していないわけではないですよ、という申し訳程度に
出てくる。ほぼ李富が一人で語っただけの内容。こういうところに登場人物を配して
ドラマを作ろうという気配すらない。史実は背景として軽く流していれば充分という認識
なのだろう。つまり、日本の捕物帖のような歴史認識。
捕物帖は平時が舞台だから、そのような歴史認識で十分なんだろうな。
しかし当時の風俗に関しては、ちきんと時代考証をしているぞ。
楊令伝は、わざわざ歴史の変動期を選んで舞台としたのだから、捕物帖
のように歴史は単なる背景という認識では駄目だと思うけどね。
しかも、経済や財政について言及するのら、それらについての時代考証
は十分準備すべきだったのではないかと思うがね。時代も国籍もないテキトーな
舞台で、楊令が好き勝手をほざいているドラマに、どういう魅力があるというのだろうか?
人気のない楊令殿が交易の話を始めても盛り上がらないね。
蒋敬の発案で、蒋敬が楊令に進言して、梁山泊の交易が始まった
という展開なら、評価は違ってきていたかもな。
>>852 オリキャラが多すぎたというか、オリキャラ比率が高すぎた。
方臘軍は比較的原典の著名キャラで固められていたが、それ以外はオリキャラばかり。
一人一人をじっくり描く時間があるならそれでもいいが、わずかな登場時間しかないのに
オリキャラばかりだと、まず覚えてもらえない。
水滸伝の何恭や蒼英は出番が少なかったが、オリキャラ比率が低かったので覚えて
もらえた。
岳家軍などは、どうせ名前だけ借用なんだから、オリキャラじゃなくて「岳飛伝」に出てくる
人物にすればよかったね。「岳飛伝」なんて日本人は知らないだろうからオリキャラにしておけ
というのは乱暴。岳飛の部下の各人を描くことのできるスペースを考えると、名前は付いて
いても匿名キャラと同じ。史伝に登場する人物だと知ってる人はいるし、知らなくても後日の
読書につながる。史伝のエピソードを引用する時間がないからオリキャラにしたのかもしれ
ないが、多少なりともエピソードを引用していれば、楊令伝も面白くなっていたんじゃない?
金軍がいちばんひどかった。途中から史実キャラも出てきたけど、最初は阿骨打しかいなかった。
水滸伝で副官をしていた完顔成すら、第2巻には出ていなかった。
選りによって唐昇と許貫忠を金軍にスカウトするという不可思議な展開。
唐昇やら許定というのは、弱い官軍を象徴する人物。
後で、董万、趙安、宿元景、童貫と徐々に強いのが出てくるから、カス同然の人物なんだよな。
どうして使い回すのかな?
>>857 >唐昇やら許定というのは、弱い官軍を象徴する人物。
違う。水滸伝の前半は、地方軍に優秀な将軍・将校がいて、禁軍が腐敗の温床、宋のお荷物。
水滸伝の後半とは、評価が正反対なんだよ。
関勝が梁山泊に入山するまでは、そうせざるをえなかった。
859 :
無名草子さん:2010/04/12(月) 13:11:47
梁山泊には秦明・花栄・朱仝・雷横・呼延灼等、官軍出身者が多かったからな。
しかしそういう御都合主義をぬけぬけと活字にできるというのが信じられないのな。
史実重視の歴史小説であれば、正確を期するために、調べながら書くというのは当たり前。
長くなればなるほど、「調べながら書く」の必要性は高くなる。
ところで、調べる史料というのは一つではないわけだから、幾つもの史料を調べているうちに、
人物に対する評価が変化してくることはある。そういう長篇歴史小説は、何本も読んだし、
作者が誠実であればあるほど、そのような事態は不可避になってくるだろうな、と読者も許容
する。
しかし、水滸伝・楊令伝は、高校世界史レベルの史実については嘘は書かないという程度の
歴史濃度の小説で、基本的にはフィクション。登場人物についても、名前を借用するだけで
自由に書ける架空の物語だ。張俊が斉の将軍になったようにな。
このような架空の物語であれば、事前に矛盾なきようドラマを構成できるはずだし、矛盾が生じても
事後のフォローは簡単なはず。史実を基準にしないのだから、およそ矛盾が生じる余地のない
物語なはずだ。調性もテンポの決めないフリー・ジャズのような小説だからな。
どうして矛盾が生じるのだ?
扈一族を梁山泊が皆殺しにしたというデマは、仔細に読んで見ると、水滸伝の当該記述を
知らずに、そのように書いたといわけじゃないだろう。矛盾ではないんだよ。
楊令伝の叙述を使った壮大なデマだ。
同じく自作ではあっても、水滸伝は糞扱いよ。
楊令殿さえ立派な人物だと読者が思ってくれれば、それでいいんだろう。
狂気を感じるね。
でも、どうして楊令殿がすごい人でないと駄目なの?
この小説の根本の疑問は、そこでしょう。
・スポーツの試合を見て、「いい試合だったなー」と思う。
・職人さんの手作業の素晴らしさに感動する。
・年間の売上が一気に2倍になった会社をすごいなーと思う。
他者を見ていて、「すごいなー」と思うのは、その程度のことだし、それ以上だと滑稽でしかないんだよね。
そのスポーツ選手が、人口500万人の国の元首になったり、そうなるために、民を皆殺しにしたり、
女を攫って手篭めにしたりしないと、「すごいなー」と思わないのだろうかね?
なにか人間とか世間とかを勘違いしていないか?
楊令でいえば、有能な幻王軍の司令官で十分。それ以上の能力の付与は、楊令の人格を滑稽にしている
だけだわ。まして、そのような手の届かないような大きな人物になるために、殺人・強盗・誘拐をしなければ
ならない、というのは狂っていると思わんのか?
ハードボイルド小説が流行ったのも、理解できなくはないんだ。
学校の先生が読めと勧める戦前の名作は、登場人物が悩んだり、迷ってばかり
というのが多い。
ところが、自分たちの日常を振り返ってみると、悩みや迷いはあるけれど、年がら年中
悩んだり、迷ってはいないからな。「おかしだろう、むかしの小説」と思ってしまうんだわ。
戦後はそうでない小説が増えたし、ハードボイルド小説もそのひとつだわな。
ところが、迷わない・悩まないがエスカレートして、情操欠如の人物を祭り上げるようになって
は駄目なんだろうな。情操欠如は、迷わない・悩まないとは、性質の異なる話で、読者は
明確に区別しているからな。
あとから、楊令にも眠れない夜があっただろう、みたいなことを岳飛が言ったじゃないか。
>>865 それは、ほんとうに後から書いたことだ。
幻王軍の戦が苛烈で、敵兵を皆殺しにしていただけならば、岳飛に言われるまでもなく、
読者だって、「楊令にも眠れない夜があっただろう」と理解しただろうよ。
しかし、幻王は、それだけではなく、民を皆殺しにし、強盗をはたらき、女を攫った。その女のうちの
数名は、幻王自身が慰み者にしていた。
つまり、「楊令、どうしちゃったんでしょうね?二竜山の山賊のようになってしまいましたね。主人公が
こんな風になっちゃって、この小説は、この先どうなるんでしょうね?興味があったら、1680円払って
次の巻を読みましょうね。80円は消費税ですから国庫に納めますよ。ここから取材費は落とせません
から」みたいな読者の興味を引き出そうとしたんじゃない?
それが、4巻で、「楊令殿は、変った」だ。ふざけるなよ。
>>864 太原府戦で、陶宗旺が敵兵を溝に埋めて埋葬している場面などは、そのあたりのことを、
きちんとわきまえていたんだがな。
水滸伝の終盤、血涙を書き始めたころからかな。もう馬を走らせる以外何も書けなくなった。
ドラマ不在。
>>863 楊令ひとりが好き勝手に自分の作りたい国を作れるように、梁山泊の将兵は大量に
死んでいったのか?少なくとも、水滸伝を読んでいるときは、「楊令に新しい国を作らせる
ために、俺は闘うんだ」と言っていた奴は、ひとりもいないぞ。
それから、帝が存在するかしないかは、さして重要なことではない。帝であろうが総書記
であろうが、専制国家であるかないかが問題だろう。
専制国家であるという点では、北宋よりも梁山泊の方がタチの悪い国だとは思わんか?
どうして国が商いをすれば、腐敗は生じないといえるのか?専制国家は必ず腐敗する。
楊令を批判する信頼できる常設キャラを置かなかったのが、この小説がつまらなくなった
原因だろうな。力ずくで「おまえらを楊令のファンにしてやる」と力んでいるだけなんで、
読者の気持ちは楊令から離れてゆくばかりだよ。
政治をどのようにやるかについては、いろんな考えがありますからね、という台詞を楊令
に言わせるのはおかしい。もっとも偏ったことをしている張本人が、悟ったような口ぶりはよせ。
世俗を離れた王進のような立場の人間を、楊令批判の常設キャラにすればよかったな。
楊令がやっていることは、かなり偏った立場の人間にしか受け入れられないので、
世間の一般常識を代表するようなキャラに、常時楊令を批判させていなければ、
常識的な読者は、読みつづけることはできないよ。
童貫や岳飛も、楊令を批判する立場になく、どちらも楊令に憧れているという設定だ。
もうつまらなくなるように物語を進めようとしているとしか思えない。
>>868 >国が商いをすれば、腐敗は生じない
この楊令の台詞は謎だったよな。
役人と商人は別人格なのに、結託して腐敗が生じることがある。
同一人格だと、結託する必要すらなく、いっそう容易に腐敗が生じやすいと考えるのが常識。
きちんと常識に立脚して考えてもらわんと、読んでいて首をひねることばかりだ。
放火を用いない皆殺しは、皆殺しをしたつもりになっているだけですからwww
非常識ではなく、考えが浅いのだろう。
水滸伝の1巻で、林冲が、李富に疑われないように、鋭くはないが馬鹿ではなく、そこそこに
欲があって扱いやすい人間を演じていた。丁寧にキャラを作っていたね。
いまは注意深くキャラを作っている暇がないんだよ。
水滸伝に登場していた20代・30代のキャラと、楊令伝の40代〜60代のキャラを比較して
みろよ。後者は、中学生にしか見えない。
水滸伝時代の童貫も、政事について、けっこうまともなことを言っていた。
それに輪をかけたのが楊令。
このシリーズは単純すぎて嫌なんだ。戦闘力が高ければ、他のすべての
能力も優れている。
水滸伝の途中までは、そんなことはなかった。
>>864 邵房殺しも、情操欠如シーンの典型だな。かなり後になって邵房が青蓮寺の間者であることが
判明したが、李富が邵房を羌肆の後の軍の隊長にするつもりだったというところを読んで、あと
付けの言い訳だと思った。梁山泊にいたころの邵房からは、王和や高廉のような風格は感じら
れなかったからな。
なんのために、あんな糞つまらんシーンを挟むのだろう?
不良少年が、剃り込みを入れて、悪い目つきで他人を睨みつけるのと、同じ心境なんだろう。
>ただ、阮小七は深く潜れたのだ、と張順は言った。梁山湖に潜って、よく魚を獲っていたからだ。
>張順は、深くない長江に潜っていた。
梁山湖は深く、長江は浅いという認識でおられるようだが、そうだろうか?
まず、長江は、少々内陸に入っても大型の船が通れるほどの幅と深さがあり、
武漢までは5000トンクラスの船が入る。
さらに上流の三峡地域では幅が狭い分深さが大変なもので、
100メートルを越す場所もある。
なお、梁山湖は黄河の氾濫で、宋代になくなっている。まあ、氾濫でなくなるような深さということだ。
朱貴が管理する船着場から金沙灘へは浅瀬が多いため、小舟ですら、複雑な経路を辿らなければ
ならなかったことは、北方水滸伝に詳しく叙述されている。
【審議中】
∧,,∧ ∧,,∧
∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` ) 長江が浅い???
| U ( ´・) (・` ) と ノ
u-u (l ) ( ノu-u
`u-u'. `u-u'
879 :
無名草子さん:2010/04/12(月) 16:50:50
また文句ばかり言っているのか?一日平均30個も、よく文句が出てくるなw?
>自尊心が毀れてしまうと、どこか憐れな人間になる。相手は公孫勝であろうが喬道清で
>あろうが、自分をみとめさせようとするのだ。
精神医学的な「自尊心」とは、いわゆるプライドや傲慢、自惚れ、驕りとは異なるもので、
その意味での自尊心であれば、それが毀れると、自身の能力に自信がもてなくなり、
いわゆる鬱病患者になる。自分をみとめさせようとすることはないと思う。
いわゆるプライドや傲慢、自惚れ、驕りの意味で、「自尊心」を用いているなら、それが毀れて
いないときこそ、自分を認めさせようとするはずである。
「自尊心が毀れてしまうと、自分をみとめさせようとする」という命題は、意味不明。
「はじめは、こういう国を作るつもりではなかった、ということですか?」
「そのつもりになれば、できるものか、国というのは?」
「さあ」
「やるべきことを、やる。ひとつずつだ。それが積み重なって、国というものはできてしまう」
「楊令殿が、国づくりのために初めにされたひとつとは何ですか?」
「熟女真を皆殺しにすることだ。それをしないと、手が届かないほどの大きな人間になれない」
「それから」
「強盗。国を作るには莫大な金が必要だ」
「そして」
「女を攫って手篭めにした。権力を得たと実感できる瞬間が、これだ。岳飛、女は攫ったことが
あるか?」
「いいえ」
戦人と書いて、「いくさびと」と読ませるのだが、「いくさ」という訓読みには抵抗があるね。
「いくさ」の語源は、矢を射ること。たぶん開戦の合図である矢合わせ。「いく」が射るで、「さ」は矢。
中国には、矢合わせの伝統はない。
元寇のとき、日本の兵が矢合わせをするのを見て、敵は笑ったそうだ。
敵は、いきなり攻めてきた。
中国を舞台にした小説で、「いくさ」の語は適当ではない。
>戦人なのだな。岳飛殿を見ていると、その言葉がぴったりです」
語源的にも岳飛が「いくさびと」と呼ばれることはありえないが、主観的に思い入れのある
言葉を多用して、それに自分で創作したキャラをあてはめるという癖が好きじゃない。
中国の戦記を日本人に伝えるのなら、日本人に理解できる範囲で、中国で発達した観念で
可能な限り説明すべき。理解しにくいところは解説を加えるという方法がある。
いずれにしても、日本で独自に発達した「いくさ」という観念で、中国人の軍人を表現する
というのは、いかがなものだろうか?本末転倒。
おいおい、楊令伝は中国の戦記じゃないから、そこまで厳格に考える必要はないよ。
しかしフィクションであるとしても、登場人物は数名を除き、全員中国人。
多少は中国らしさを感じさせないと、読む気が起きない。
外国らしさを感じさせるには、その外国で独自に発達した観念を用いること、これが
第一。それから、美術や衣裳や楽器や詩文や風景に、その国独特のものがあれば、
それを物語の中に織り込む。
三国志では、船の形状の描写などで、中国らしさを伝えていたよ。
楊令伝で、そういう努力をしている?
代りに答えてやる。まったく、していない。
楊令伝がここまで反発を食らうのは、隅から隅まで、「俺様がいちばん」で貫かれて
いるからだよ。中国の物語ならば、可能な限り、中国らしさを文面で伝えないと、舐め
とんのか、ということになるよね。
まして、楊令伝は、水滸伝の続編。可能なかぎり、水滸伝らしさ(この場合、北方水滸伝
でいい)を伝えないと、なめとんのか、ということになるよね。
俺様がいちばん。俺様が考える国とは、こうだ。わかったか。よく、読め。
どーでもええですわ、そんなこと。
そのうち、イギリスに住む仏教徒の物語とか、グリーンランドに住むアフリカ象の物語を
おやりになるんでしょうよ。俺様が、いちばん。
>「もうひと泳ぎだ、波涛児」
>あだ名で言われた。自分でつけたあだ名で、誰も呼んでくれなかった。
あだ名の意義:本名とは別に、その人の容姿や性質などの特徴から、他人がつける名。ニックネーム。あざな。
自分でつけるあだ名というものは、ない。
>>881 低脳な奴ほど弱いものを暴力で痛めて優越感を感じるんだろうな。
楊令って低脳にしか見えないもの。
親玉が低脳だから、子分もキチガイだらけ。
洞宮山に勝手にやってきた梁山泊は、そこに自分たちの隠れ家を作る。
元からいた村人は、洞宮山を出ることを禁じられる。
どうしても出て行きたいという奴は、孫二娘に殺される。
キチガイ集団だわ。誰がこんな小説を面白いと思って読むというの?
人口500万人の国を作っても、地下組織であった時代の癖が抜けないのだろうな。
国を作ってやった最初の仕事が戸籍の調整。国境を固めて、外からの民の移住は
厳しく禁じる。洞宮山の悲劇を思い出して、気分が悪くなるな。
楊令伝は、10数巻読んで、共鳴できる箇所が一箇所もなかったという点で、稀有な小説だと思う。
その原因は、幻王の殺戮・略奪によって、梁山泊の正悪を180度逆転させたことだろうな。
林冲・魯智深・曹正らのプロフィールは、北方水滸伝の世界にのめり込む上で、非常に
重要なエピソードだった。妻・父親・兄という肉親を殺された怒りから、彼らが叛乱に立ち
上がるというエピは、読者がもし彼らと同じ立場だったらどうするか、という観点から考えた
場合、怒りという点で彼ら梁山泊のメンバーに強い共感を呼び起すもので、読者自身も
梁山泊の兵になったような気分で、水滸伝を読むことができた。
楊令伝は、180度逆さま。いつ楊令の暗殺を計画する熟女真の被害者が立ち上がるのだろうと、
そればかりを心待ちにしている。
姿の見えない小説世界で読者の共感を呼び起すには、読者の感情に訴えかけるという
手法は重要だよな。喜怒哀楽で作中人物と同一化できれば、自然にその人物を応援する。
反対に生理的に嫌悪された楊令を頭領に迎えた梁山泊など、皆殺しに会って全員死ねば
いいのにと思う。当然でしょう。
喜怒哀楽で左右される小市民的な世界から、一段高い地平に出ようとして、失敗した小説
なんだわな。水滸伝の冒頭から、そのような色調で物語が進行していれば問題はなかった
わけだが、途中から変更した。林冲・魯智深・曹正らの身の上に起きた事件が、楊令によって
熟女真の身の上に起きた。物語は前半と後半で矛盾を拡大するばかり。正と反は止揚する
ことができても、正と邪、善と悪は止揚しようがない。
読めば読むほど楊令が憎くなる。もう終了したほうがいいね。
途中からの変更というのが、まずいんだろうな。
>>734のような、水滸伝序盤の名場面と、楊令伝の糞場面を繋げて読むと、
ギャグにしかならない。
書けば書くだけ矛盾が増えるということよ。
その矛盾を隠蔽するために、「民を平気で殺せる人物が大人物になる」といった詭弁
を弄する。軍政下の民を圧殺したような政権が、後世の人々から称賛された例を、
いまだ俺は知らないのだが、そのような政権の指導者は大人物だったのか?
嘘を垂れ流すのも、いいかげんにしろよ。
「楊令殿にとって、国とはなんですか?」
「自分にとって、国とはなんだ。そう考えている間は、迷った。結論を出して迷い、考え直し、
また結論を出す。つまり、結論ではないのだな。民にとって国とはなんだ、と考えはじめて、
あまり迷わなくなったような気がする」
「民は、国が恣意的に殺戮できる存在ですからね」
「そうだ。逆らう民は、皆殺しにすればよいのだ。迷うことが、なにもない」
楊令と岳飛が、国とはなんだ、民とはなんだ、というような会話をしているところを読むと、
反吐が出そうだわな。偉そうに。むなくその悪い。
>漢民族は、ほかの民族を受け入れず、この広い国土を自らのものにしようというのですか。
広い国土を有する国は、他民族の武力による侵略を常に甘受しなければならないという理由
がよくわからない。1月号の花飛麟の発言を何度読んでも、そのようにしか読めない。
敵の飛車が角行を取りにきたので、角行の前にいた金将をヨコに避けて、どうぞ角行をお取り
くださいと言っているようにしか読めない。
それとも、漢民族は、元々宋の領内にいた契丹や女真を北に追っ払ったというのだろうか?
岳飛が、花飛麟の言葉を聞いて、謙遜して「俺が単純な男に見えるのだろうな、花飛麟殿には」
と答えると、花飛麟は、「そうじゃない。漢民族の中に、違う国がある。それを認めることで、新しい
なにかがはじまる、と考えられないのですか」と切り返すんだ。
それまで、他民族国家を称揚していた花飛麟が、唐突に、漢民族内の一部を切り取った梁山泊
の話にもってゆく。理解不能。
901 :
無名草子さん:2010/04/13(火) 14:21:02
左翼はどうして“民族”という言葉に過剰反応するのですか?よくわかりません。
>漢民族は、周辺の他の民族より、圧倒的に人数が多い。だからいつも正しいのだという考えは、
>歴史の中で何度も否定され続けてきました。その愚をくり返さない試みは、むしろあるべきだろう、
>と思います。
岳飛は漢民族が正しく、女真族が誤っているとは、ひとことも言っていない。
金国は、宋金同盟を一方的に破棄して、宋を侵略したのだ。
宋の禁軍は、宋金同盟に忠実に、金国の敵である遼軍(燕と名を変えていたが)
と闘ったのだ。そうしたら、宋が梁山泊軍と闘っている隙に、金は開封府を攻めたのだ。
宋が女真を圧迫した事実はないのだ。むしろ女真を圧迫していた契丹と戦ったのだ。
こういう事実を無視して、国際化・他民族国家の話にすりかえ、抗金を唱える岳飛が
非難される理由はないのだ。
そんなことをしている暇があるのなら、民を殺戮した楊令を殺してくれ。
殺された民には、一民族一国家も、他民族国家もないのだ。
死んでいるのだから。
なんか必死に書いているのはわかるのだが、もう少し考えてから書けよw
背景となる事実関係とかけ離れているし、議論の筋が支離滅裂で、読んでいて意味が
わからん。趙仁が童貫軍を迎え撃つために、長江の北へ信徒の軍を渡渉させたのと
同じような展開になっているぞ。
呼延灼や宣賛が阿呆のように書かれたのは、年長者を阿呆にすることで、楊令=頭領の
正統性を根拠づけるためだと思っていたが、それも怪しくなってきたな。
花飛麟は、楊令のやっていることを正当化しようとして、阿呆なことを言っている。
杜興の長ったらしい台詞が支離滅裂・意味不明で理解しにくかったが、
杜興が高齢でボケてきたという演出ではなかったのかもしれん。
若い花飛麟も、杜興の台詞に負けず劣らず、サッパリわからんことを
ほざいている。
杜興は高齢でボケ、花飛麟は低学歴で込み入った議論が苦手ということじゃないか?
花飛麟は山中で虎をはじめとする獣と闘って武術を磨いていた。学問はしていないはずだ。
北方水滸伝のような高学歴者ばかりの時代が、特異な時期だったんだよ。
青蓮寺は全員科挙の合格者。軍人は武挙合格者。
長い台詞を喋っても、読者に意味が通じた。
梁山泊には科挙合格者はいないが、樊瑞や朱貴でさえ科挙の受験生だったから、
半数は高学歴だったのだろう。宋江や晁蓋や李応は科挙を受験したわけではないが、
保正という合格者を多数輩出した階級だ。
あとの半分は、文字も読めない将校だった。楊令伝で、彼らの代表的人物として
花飛麟を描いたのだろうな。花飛麟の言っていることがサッパリわからないのは
同感だが、それは演出だよ。だって、梁山泊の将校の半数は、文字が読めない。
文字の読めない奴は、筋道の立った議論をするのが苦手。
>>900 考えて書いていない。フィーリングだけで書いている。
読者に自分の主張を伝えたいのではなく、それっぽい会話になっていればいい。
その程度にしか考えていないんだろう。
いくらリアリティを追求したいといっても、現実世界によくいる頭の悪い奴を
小説の中にそのまま登場させて、支離滅裂な議論をさせていたのでは、
読者は困惑するよな。
「民族ではなく、民。俺は、楊令殿が言われることを、そんなふうに理解しましたよ。
ですから、楊令殿も、熟女真だけを皆殺しにされたことを反省しておられます。
生女真も、契丹も、漢民族も、皆殺しにしなければならないのです」
岳飛 女真族が宋金同盟を一方的に破棄して宋を武力で侵略した →抗金を主唱する
花飛麟 漢民族は他民族を受け入れなければならない
→女真の侵略後、数年を経過しただけなのに、漢民族が女真族を武力で排除
することは正しくない →侵略を受け入れるべきである
→岳飛が謙遜すると、そうではない、漢民族の中に違う国を認めることで
新しいなにかがはじまると考えられないのかと反論にならない反論
楊令も、花飛麟の主張を聞いた後で、「もういい。梁山泊はこうだ、というだけの話になる。金の侵略
を許さないという考え方も、あっていいのだろう」と言っている。
やはり、侵略する相手の意思は尊重されなければならなのだろうな。外国の侵略を排除するような
偏狭な考えは駄目なんだよw
民の皆殺し →肯定
外国の侵略 →肯定
>金は、どういう国なのですか。女真族がいて、契丹族がいて、渤海の民もいる。漢民族だけが
>人と言っている岳飛殿と較べて、はるかに他を受け入れていると言えるでしょう。
熟女真を皆殺しにして、受け入れている?
契丹の叛乱の鎮圧で、宋への進攻が困難になった時期があったのに、契丹を受け入れている?
武力で屈服させているといわないか?
次は、漢民族に屈服しろ、ということか?
それと女真族と渤海族を区別しているようだが、同じくツングース系の民族であり、少なくとも、
契丹の統治下では、渤海国の遺民は、女真と総称されていたわけで、区別する必要があるのだろうか?
915 :
無名草子さん:2010/04/13(火) 16:04:18
>>914 金国内における渤海人の存在は、女真族と区別しないといけないよ。
四代皇帝完顔亮の母は、渤海の女性を迎えた、阿骨打は渤海人張浩を新しい首都北京建設責任者に
登用する、といった文脈で、女真と渤海は区別して史書に記録されている。
>あと二年、女真の地に留まりたかった。それは、楊令の抱いていた欲と言ってよかった。
>二年あれば、女真の地での戦を、思い描いた通りに終息させることができたかもしれない。
中国には当時でも1億を越える人口がいたと思うのだが、その歴史を、楊令殿ひとりが
きり回すのですか。なんとも、すごいお人ですね。
晁蓋も、宋江も、童貫も、李富も、みんな馬鹿に見えてしまいますね。
こういう人物を読んで、楽しいと感じる読者というのが存在するのですか。
いやー認識不足でした。
こんなことができるのは、ショッカーぐらいだよね。そのショッカーだって、世界を
征服するといいながら、いつも日本でチョコマカしている。
楊令殿は、二年あれば、女真の地での戦を、思い描いた通りに終息させるのですか。
そりゃーすごい。
二年で女真の地での戦を終息させ、中国全土の民に、富むということがなにかを、
楊令殿はお伝えになられるのですね。
フランス文庫を読んでオナニーをしている僕には、想像もできないような、きらびやか
な世界です。
そうなんですか。中国全土の民に、富むということがなにかを、お伝えになられるのですか。
すごい。
/....::::::: ''''::. l |
/ ...................::::::: ノノ
ノ ....:::::::::::::::::;;.=={彡' ∧
ノ .::: ...::::ゝ_,..-'‐‐-- /∧ヽ
_,.-'"_, ....:::;-''" _______// ,,,ヽヽ____
`ー-/ .:::::::/ \ヽ ̄,, ; ;;  ̄/〈
/.:: .::::::/ _,,.ゝゝ;;,, ,, ,,;; '< ヽ__
/ ..:: ..::/ ,.',ニ=''",,,,,.. "'ヾ,,,,,,;;' ;;:..`ー-‐}
ノ..: ,.: .::::/ //;''";:______,.-‐-、 ''' ,.-、__,,,;;;;/
〃....::: ...::::| // ;;: / -===、,,_ `'" _,.==j; |
_,.;' ...:::丿l // ;;: /l ,.rt=;y,`''" /,.t=y‐ }l| |
.....:::::/ l //,,;' /l|  ̄~ i:: ̄~ ll| l'
...../ l ヾ、,,,.ヽl! ;::. l| l
/ ヽ ヾ、;;: ヽ ''" l l'
ヽ ヾ、 ;,ヽ _,,.-‐一,. |l_l' しかし、夢が実現していくだろうという
ゝ ヾ、_,.ゝ '''"'' ::::/〈 手応えもある。
//ヾニ〃ヽ_ .::/ヾ丶
// l〃 `ー-- _____,,::シヾ:::ヾヽ
// 〃 \ ノ/ \ ヾヽ
// 〃 \ // \ ヾヽ
///〃 \ / / 〃\`ー=ニ二
乃木大将の代りに、楊令殿が第三軍を率いていれば、旅順要塞は、一日で陥落したでしょうね。
すごい。楊令殿、すごい。
<1月号402頁>
梁山泊には、一割の税が落ちればいい。船と車輛の、輸送の儲けがあればいい。
・・・船と車輛の、輸送の「経費を賄う」儲けがあればいいという意味なんだろうな。
いずれにしても、1割の税があれば、輸送経費を賄えるということだ。
しかし、農民から徴税した1割の税は、すべて貯蓄されるんだよな。国家経費
は交易によって賄うという話だった。船と車輛の、輸送の儲けに当てていたのでは、
国家経費は、どこから出てくるんだ?
<一月号419頁>
「一割の税です」「しかし、四百で買った物を、五百で売っておられる」「確かに。
しかし、それが商いでしょう」
・・・402頁では1割の税で輸送経費をまかない、それ以上の利益はいらないような口調だったのに、
さらに2割の利益が出ている。これは、楊令が囲っている女へのお手当てになるのか?
>>921 >梁山泊には、一割の税が落ちればいい。船と車輛の、輸送の儲けがあればいい。
「儲け」と言っているのだから、2割の粗利で「船と車輛の、輸送」経費を賄うということじゃないのか?
梁山泊には、一割の税が落ちればいい。「それに加えて」船と車輛の、輸送の儲けがあればいい、
と言えばわかりやすかったのだと思う。
それでもいいが、そうすると、1割の税で、梁山泊はすべての国家経費を賄わなければならなくなるぞ。
交易の輸送経費ですら、2割の粗利をすべて充当しないと賄えないのに、
国家経費を1割の税で賄えるのか?
商社の輸送経費の金額と、国の予算額とを比較してみてくれないか?
あとは、君のかかとで、しっかり考えてくれ。
商品原価=8割 2割の輸送費
┝━━━━━━━━━━━━━━━━┿━━━┿━┥
88彡ミ8。 /)
8ノ/ノ^^ヾ8。( i )))
|(| ∩ ∩|| / / <1割の税が国家経費
从ゝ__▽_.从 /
/||_、_|| /
/ (___)
\(ミl_,_(
/. _ \
/_ / \ _.〉
/ / / /
(二/ (二)
すごい楊令殿。1割の税で、中国全土の民に、富むということがなにかを、お伝えになってください。
梁山泊は、毎年、税収の1600%の赤字でも、耐えてみせます。
五年生から、やり直せよwwwwwwww
ディテールを書くようになってから、ほんとつまんないな。
盧俊義の闇塩の道は、全貌を知るのが盧俊義のみで、断片は見せていたが、読者にも
全貌は伝えられなかった。ミステリアスなところが、かえって梁山泊を運営する資金を
十分に稼いでくれているのだろうと想像させた。
ディテールを書くといっても、調べあげたディテールではない。
想像だけでディテールを書いている。こういうのは、よした方がいい。
自信過剰なのか、むこう見ずなのか知らないが、ディテールを書くと、
一目瞭然、「そりゃ無理でしょ、先生」というのがわかってしまうからね。
サラリと読み流せば問題点に気づくこともないが、そういう小説が増える
ことは望ましいことではない。
またディテールの内容が、全然つまんないし、勉強にもならなし、こうして
非常識な点を探して笑う以外に価値のない叙述なんで、ほんとやめたほうがいい。
>>916 楊令殿の自己肥大というのは、児童マンガの系譜だよな。
もっとも、児童マンガの主人公は、正義感にあふれ、年長者の言うことは素直に聞く。
下に自己肥大症候群の定義をコピペしておいた。なんと楊令殿にピッタリすることか。
「自己肥大症候群」
自己中心的で万能感を持ち他を見下す、一方で傷つきやすく他を怨む。
簡単に人を殺し、思うに任せねば安易にリセットする(「楊令殿は変った」)。
他からの攻撃や批判中傷には傷つくが、反省もなく相手を怨む。
それで、詰まり読む価値はあるか?買う価値はある?
明日から、自己肥大症候群の症例を、楊令殿の言動から探ってみる。
・自己中心的
・万能感を持つ
・他を見下す
・簡単に人を殺す
・思うにまかせぬときは安易にリセットする
・他からの攻撃・中傷には傷つくが反省もなく相手を怨む
>>932 >簡単に人を殺し、思うにまかせぬときは安易にリセットする。
ここは、ひとつの文章で読むから、笑えるのだ。二つの要素に分けてはならない。
>>931 水滸伝から読み始めるのが一般的だろうから、勢いで楊令伝も読み始める人もいるだろう。
好きなところでやめればいい。俺は4巻でやめた。
岡田尊司氏による「自己肥大症候群」の五つの特徴
1.現実感の希薄さ = ファンタジー世界にどっぷり浸かったり現実性を欠いた願望や空想に向かいやすい傾向
2.幼児的な万能感
3.罪悪感の欠如と他者に対する現実的な共感の乏しさ
4.突発的に過激な行動に走ること = 突然暴走を始めると、取り返しのつかないクラッシュまで突き進んでしまう
5.非常に傷つきやすいこと = 些細な傷つきに対しても激しい怒りを生じ、それを鎮めるために仕返しや復習をしようとする傾向
まあ、政治家を目指す人間は、みな少なからず自己肥大しているからな。
楊令と岳飛が、民をどうする、国をどうするという話をしているところを読むと、
そんな感じがするね。
だが、岳飛や李富や粘罕には、誇大自己症候群の傾向は感じられないね。
>>935の五大特徴は、こわいぐらいに、楊令殿にピッタリだ。
水滸伝、とくにその前半は、典型的エンタメ小説だった。楊令伝は、どうも調子が違うのは、
病人を主人公にしていたからなんですね。
でも何か、物凄い批評家ばっかだな。
歴史的事実に基づいてという人は良いけど
人格否定とか、小説で一々してたら疲れるなあ
言論の自由を行使する割りに、言論封鎖してるというか。
最近、こういう病気の青少年による犯罪が増加したな。
それを踏まえて楊令伝を書いたのならば、卓見といえるのだが、
楊令を梁山泊の頭領にするというのは、どんなものだろうな。
社会の側からする楊令に対する反動によって、最終的に楊令が
潰れてしまわないと、物語として完結しないと思う。
犯罪を奨励するような小説は、社会に受け入れられないだろうからな。
楊令伝のストーリーだと、最後に楊令が潰れてしまわないと、物語が完結した感じがしないな。
梁山泊に復帰した3〜4巻の間に、幻王時代の楊令を払拭してしまうようなイベントがなかった
から。3巻では王進に向かって「自分は何も間違ったことはしていない」と言っていたし、梁山泊
の連中が4巻で「楊令殿は変った」というほどには、読者には変ったように見えなかった。1巻の
楊令がそのまま連続しているだけ。楊令が他の人とよく会話をするようになったということが他人
の口から語られ、それで「変った」ことにされたのだが、その後に発作は起きるし、誇大自己症候群
の症状に変化が生じたとは思えなかった。
「現実感の希薄さ」
= ファンタジー世界にどっぷり浸かったり、現実性を欠いた願望や空想に向かいやすい傾向
楊令ひとりの発案で作られた梁山泊国が、まさに楊令の「現実感の希薄さ」の表れ。
作中でも、杜興や宣賛や岳飛から、楊令の国は「夢のようだ」と盛んに言われている。
楊令自身も、そのように認識している。
読者から見ると、楊令の作った国は、国籍や時代を感じさせないもので、実在感がない。
水滸伝といえば宋代を舞台にした物語で、ここまでずっとそのつもりで読んできたから、
楊令のファンタジー世界には、ついてゆけない。早くこの小説が終了すればいいのにと
思う最大の理由になっている。
>>931 楊令の新しい国、とくに交易に関するディテールは、ギャグとして楽しめる。
マジで笑える。
「幼児的な万能感」
= 自己中心的で、万能感を持ち、他を見下す傾向
まさしく楊令のキャラクターそのもの。新しい国づくりのプランは、楊令ひとりが決めた。
こういう国を作ると宣言し、嫌なら俺は頭領を辞めると言う。他人の異なる意見とのすり合わせ
をして協調と妥協の上に物事を進めていこうという気持ちはまったくない。
女真にいたときも、阿骨打が楊令に逆らうならば、阿骨打とでも闘うという姿勢を見せていた
ことは、蔡福と阿骨打が証言していた。女真の地を訪ねてきた燕青や呉用とも、ことごとく対立。
他人の意見をひとつでも「そうですね」と認めたためしがない。
他を見下す傾向は、ウリ殿との対話の後に楊令が呟いた「参考になる話は何もなかった。ウリ殿
の言ったことは、俺は全部知っている」に典型的に表れている。
また、城郭の攻撃に関しては、孫子のセオリーすら無視する傲慢ぶり。先人の知恵から何かを
学ぼうという意思は、まったくない。自分は生まれながらの天才で、孫子こそ自分にひざまずくべき
であると考えているのであろう。
新しい国を作っている間は楊令が独裁するが、自分が頭領を辞めた後は、多数決で物事を決する
以外にないだろうというあたりにも、楊令の他人を見下す傾向が表れている。
長年交易をやってきたウリ殿を馬鹿にするわりには、楊令の始めた交易の内実は、
ど素人の発想としか思えないんだがな。
商品原価が8割で、2割の儲けはすべて輸送費。外税の1割で国家を運営という話は、
まあ小学生の発想だわな。
「突発的に過激な行動に走ること」
= 突然暴走を始めると、取り返しのつかないクラッシュまで突き進んでしまう傾向
= 簡単に人を殺し、思うにまかせぬときは安易にリセットする
幻王時代の殺戮・略奪が、まさにこれ。
梁山泊に復帰してからも、童貫軍10万の陣に、単騎で突入するなどの過激な行動が目立つ。
自己肥大そのものは、精神異常でも何でもなく、自分の身近にも、そんな人物がいるよと、
心当たりのある読者も多いだろう。
しかし、楊令殿が異常なのは、それが過激な行動となって表れるところ。
精神異常というのは、それが原因で、自己または他者が苦しむこと。楊令殿は、他者を苦しめて
いたし、岳飛の証言によれば、「楊令も眠れぬ夜を送っていただろう」と苦しんでいたいうことで
あるから、まさしく精神異常者である。
>>944 あそこを読むと、続けて読むのがバカバカしくなるな。あれを見過ごせるのは、
ボサーっとした高校生以下だけだろう。
「罪悪感の欠如と他者に対する現実的な共感の乏しさ」
楊令が、幻王の殺戮・略奪について、その師である王進に語った言葉が、すべて。
「自らを、恥じてはおりません」(3巻198頁)
何の罪もない民を、女も子どももなく無差別に殺し尽くす。それが、熟女真を平定するための
見せしめという理由で。熟女真を庇った正義感あふれる契丹人の役人、軻輔の父も、
見せしめのために殺された。
これで、「自らを、恥じてはおりません」という罪悪感の欠如が、誇大自己症候群の症状である。
そして、楊令は殺された民に対する同情心のかけらもない。これは言うまでもないことであるが。
誇大自己症候群というキーワードを見つけてくれた人、ありがとう。
いままで、どうして自分は、こんなに楊令が嫌いなのか、その理由がよく
わからなかったのです。楊令が精神の病気をもった人であることがわかって、
いままでモヤモヤしていたものがスッキリしました。
やっと楊令伝という不可解な小説を理解する手がかりを掴めたような気がします。
「非常に傷つきやすいこと」
= 些細な傷つきに対しても激しい怒りを生じ、それを鎮めるために仕返しや復讐をしようとする傾向
すでに水滸伝19巻のラストに、楊令の誇大自己症候群の症例は現れていた。
<19巻347頁>
「その童貫に、伝えろ」
楊令は、旗竿を放り出し、吹毛剣を抜いた。踏み出すと、戟を構えた兵はみんな退いた。
「この楊令は、鬼になる。魔神になる。そうして、童貫の首を奪る。この国を、踏み潰し、滅ぼす。
いつの日か、おまえの眼の前にこの楊令が立っていると、童貫に伝えろ」
単に戦に負けただけなのに、「魔神になる。この国を踏み潰す」とまでの激しい怒りを発するのは異常。
方臘信者の殺戮に疲れた童貫元帥が、「楊令と闘いたい」と言っていたのとは、対照的である。
┌┬┬┬┐
―――┴┴┴┴┴―――――、
/.  ̄ ̄ ̄//. ̄ ̄| || ̄ ̄ ̄||| ̄ || __________
/. ∧// ∧ ∧| || ||| || /
[/____(゚_//[ ].゚Д゚,,) ||___||| || < 楊令君を迎えに来ました
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lO|o―o|O゜.|二二 開|.|封 精神病院 ||
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昨日から、楊令=自己肥大症候群の話題をやっている人さ、
それ事実だから、シャレになってないよw
>>947 魯智深は、燕青の生い立ちを聞いた後で、この国にはお前の兄弟(似たような生い立ちの子ども)が
多いなと同情していた。
鮑旭を子午山へ連れて行って王進に再教育を頼んだのも、他者に対する共感なんだろうな。
楊令に関しては、そのような言動は、皆無だな。
他者に対する共感・いたわり・思いやりを持たない人物を描いて、それを通常の人よりも、大きな人物
と言っているわけだが、首をひねらざるを得ない。
でも楊令殿は、自分が中国最大の知性だと思っているんだよな。
中国全土の民に、富むということがなにかを、伝えようとしているw
キチガイほど自分がまともに見えるからあら不思議w
>中国全土の民に、富むということがなにかを、伝えようとしているw
西域から運んできた玉が、高価な値でたくさん売れたと、楊令も呉用も喜んでいたよな。
中国全土の民は、十分に富むということがなにかを、知っているんじゃないの?
貧乏なら高価な玉など買えないよ。
昭和の日本の様々な風景を、時系列ではなくて、ランダムに小説の中に放り込むから、
わけがわかんなくなるんだわな。楊令伝は、元来十二世紀の中国の話だし。
それに、不人気の楊令殿の人気を回復するため、最近は、信長人気にすがりつこうと
しているように見える。
部屋の隅で、母と娘が抱き合って、黒騎兵の襲撃に怯えていた。
「若い娘は、連れてゆけ」
「母親は、どうします?」
カク瑾が言い終わる前に、楊令は、母親を刺し殺していた。
「若い娘以外は、例外なく皆殺しだ」
立ち上がった楊令は、床の上で泣き声を上げていた赤ん坊の頭を、踏み潰した。即死である。
脳漿が流れ出ていた。
先ほどの若い娘を、黒騎兵が担ぎ上げて、表の荷車に乗せた。娘の着物の裾が割れて、
肉づきのよい太腿が垣間見えた。
「大きくなった」
「確かに、大きくなられました」
カク瑾が、楊令の股間を覗き込んで、そう言った。
「違う。俺の人物が大きくなったということだ。カク瑾、こんな無慈悲な皆殺しが、晁蓋殿や宋江殿
にできたと思うか?俺は、あの二人を抜いた。もう手が届かないぐらいに、俺は大きくなった」
>>948 >>951 自己肥大という言葉は昔から知っていたが、病名としては、誇大自己症候群というのが定着
したみたいだな。オウムの麻原などが、その典型例とされている。このスレの意見と同じだ。
「鮑旭殿のように、経験で指揮官がつとまることもある。花飛麟や呼延凌のように、天賦を感じさせる者もいる」
「秦容は?」
「どちらでもないな」
「何を言っておられるのか、さっぱりわかりません。経験もなく、天賦もなければ、箸にも棒にもかからない
ということになりませんか、楊令殿?」
これが楊令伝の特徴なのだ。非常識な言い方をしては、なにか深い意味があるのではないか、と読者に
考えさせる。その実、なにも深い意味はない。楊令の台詞は、論理的には完璧に破綻しているのだ。
しかし、大人に較べると国語力の劣る中学生は、このような没論理な問答を、意味深長な問答として
喜ぶ傾向がある。
そもそも楊令のキャラクターからして、そうなのだ。常識的には犯罪者を大きな人物と考える馬鹿はいない。
でも、楊令は作品の中で、大きな人物と言われる。中学生は、錯乱するのだ。しかし、常識に欠けた中学生は、
「そうか、こういう人物が、大きな人物なのか」と、自分の判断に疑念を抱きつつも、常識とは異なる判断を
した自分に陶酔することがある。何しろ反抗期である。大人の常識をすべて疑ってかかりたい年頃なのである。
ゲバ棒君は、反抗期の少年の心理を掴むのが得意なんだね。
しかし、どうして「物資の集散に梁山泊が不可欠」ということになったのだ?
それまで宋には商業がなかったのか?
>物資を集積させて、梁山泊以外の地域を、物不足に陥らせるという狙い
梁山泊の人口 500万人
それ以外の地域の人口 9500万人
どれだけ集積すればいいんだ?
だいいち運送費は売価の2割なんだろう?集積するだけで大金がいるぞ。その資金力はあるのか?
売価の外税1割しか税収はないんだぞ。しかも、税収はすべて国家経営の費用だ。
まあ、後で商品を売却して運送費は回収するのだろうが、回収するまでの運転資金が底をつくのでは
ないか?融資を受けるにしても、国家が交易をしている梁山泊では、民間資本が育ってないだろう?
梁山泊がくるまでは、単なる農村だろうが。どうやるねん?
領内からの買い入れなら信用取引もあるが、領外の商人はサイトの長い信用取引
には応じないだろう。梁山泊軍は負け知らずなんで、そこそこには信用があるとしても、
人口500万人の国にしては大きすぎる軍隊を持ってる。破綻は目に見えているから、
領外の商人は信用取引には応じない可能性が高い。
そうなると仕入れ代金の決済ができなくて、梁山泊は破産だろうよ。
物資を集積するだけのカネがあるのかね。
童貫戦の後も戦つづきだよ。しかも、農民からの税収はすべて備蓄に回し一切手を
つけない。交易への課税で国を回している。売却利益の2割は輸送費だからな。
物資を集積するカネはないだろうよw
ウルトラマンが壊した建物・道路の損害の賠償は誰がするのか、みたいな話はよせよ。
そういうことを考えないのが、児童文学だ。
>>958 楊令は実はバカだから、いつも「どちらでもないな」の台詞でお茶を濁しているよ。
燕青と「酒の味・水の味」論議をしているときも、「幻王の味は酒でも水でもない」と言った。
岳飛と花飛麟が抗金について議論しているときも、国をどうするかについては色んな
考えがあるで議論を切った。
自分には定見がないくせに、他人には賢いと思ってもらいた奴が、よく使う手だよ。
「どちらでもないな」
965 :
無名草子さん:2010/04/14(水) 15:46:27
早く死ねばいいのにな。糞楊令。
>>965 要約すると言いたいことはそれしかないのだが、それだけで1000まで行くと荒らしと
認定されるから、グダグダと理屈を述べている。
人気作品の続編というのは、通常、前作より劣る。小説でも映画でも、だいたいそうだ。
前作が大長編小説である場合、作者がネタを使い果していることが多いから、とりわけ
続編はつまらなくなる。
水滸伝の童貫戦で連環馬を再度登場させたことを見ればわかると思うが、もう水滸伝
の終盤で、ネタは使い果していたんだよ。
前作と同一傾向の作品を作るとすれば、楊令伝が面白くなくなることは宿命づけられていた。
それでも、あえて続編を書く。つまらなさを回避するには、同じ傾向の作品にしないこと。
俺は、史実を調べ尽くして、その中にフィクションの梁山泊の人物を注入してゆく準備が
できたので、続編執筆を決意したのかと思った。連載開始前のすばるの特集で、「すべて
の準備はできた。あとは書くだけだ」というキャッチ・コピーに騙されたのな。
フタを明けてみれば、なんのことはない、ただのつまらん続編よ。しかも前作の濃密な叙述に
較べると、3〜4倍は文章を水増しして、グダグダと書いている。まれに見る愚作だ。
続編なんだから、前作の錚々たる登場人物に遠慮して、スケール・ダウンした物語にする
という選択肢もあったんだろうな。
金・宋・方臘を史実どおりに動かして、梁山泊は一箇所に集結せず、少人数ごとに、各陣営
に陣借りして闘う、というのでもよかった。むしろ、そっちの方が「すごい楊令殿」がいなくて、
面白くなっていただろうと、いまにして思う。
ところが、作者が考えたのは、前作をスケール・アップすることだった。役者が前作よりも劣る
のに、スケール・アップは無理なんだ。しかしそれをやろうとする。
方策は楊令をすごい人にすることだった。主役のスケール・アップで、なんとか打開できないか。
でも、そのすごい楊令殿は、読者の目には精神異常者にしか見えなかった。誇大自己症候群。
そんな魅力のない楊令が、自己中心的に進行させる物語が面白いはずがない。
その他の主要登場人物については、彼らにどのような役割を果たさせるかすら考えていなかった。
いや、考えたというほどに興味深い活躍をした旧キャラがひとりもいなかったという方が正確だな。
とりわけ梁山泊の他のメンバーは楊令殿に奴隷の如くひれ伏すだけの役割。
アラーの神を崇める古代エジプトの庶民にしか見えなかったな。
これが楊令伝のすべて。
残念でした。
>誇大自己症候群の原因は、幼少時に溺愛され、その後見捨てられる体験をしたような、
>「溺愛と愛情不足の並存」した生育環境に生じやすいらしい。
>一見、恵まれた家庭で育った「王子様」が、やがて周囲の期待に添えない現実に直面したときに陥ったりする。
楊志と済仁美は楊令を溺愛していたな。その後、秦明夫婦に育てられるが、ここで秦明・公淑に
秦容が生まれたことで、「見捨てられる体験」をした。子午山に追っ払われたからな。
また、子午山という恵まれた家庭で育った「王子様」が、林冲騎馬隊隊長という梁山泊のエース・ポジション
を任されながら、童貫軍に敗れた。つまり、周囲の期待に添えない現実に直面したのだな。
症状だけでなく、原因の面から考えても、間違いなく誇大自己症候群ですね。
役人による腐敗のない国を作りたいというだけなら、一般庶民の願いと同一だから、
楊令は嫌われていなかっただろうな。
「中国全土の民に、富むということがなにかを、教えたい」
ここまで考えると、キチガイだわ。余計なおせっかいだから、やめてくれと言いたくなる。
作者は常に、こういう言動をする人物の側からしか考えないようだな。
楊令に殺された熟女真の側の物語が、楊令伝に欠如していたようにな。
「中国全土の民に、富むということがなにかを、教えたい」と楊令に言われたら、
「余計なおせっかいだから、死んでくれ」と言い返したくなるだろう?
それが理解できないか?
★
>>970あたりで次スレ用意し誘導すべし.。
お願いいたします。
>>970 作品の中でも、梁山泊国が安い税率になったのに、民(読者)が喜ばないのは
どうしてだろう、みたいな叙述があったな。
敵を攻撃する、腐敗した政権を倒す、悪者を殺す、このような能動的な
行動であれば、読者は作品に同一化するんだよ。
ところが、受動的に、積極国家の受益者の立場に立たされても、読者は喜ばんよ。
余計なお世話だと思う。作品中の民と同一化して、安い税率を喜んだり、富むという
ことがなにかを伝えていただいてありがとう、とは思わない。
そんなことを考える人間を、こいつ何様のつもりだ、と思ってしまう。
そこのところが理解できないようじゃ・・・・・・・
973 :
970:2010/04/14(水) 16:57:21
>>971 俺は、もう次スレは不要だと思っているんだ。
楊令殿の病名が明らかになったから、この小説が読者に与える不愉快の原因が
明確になった。納得できる答えが出たから、もうこのスレは不要だと思う。
>>972 誇大自己症候群の人物と、ひょんなことから数時間を過さなければならないハメになったとする。
自己中の奴って、そばにいるだけでうんざりするよね。偉そうで。
小説だって同じなんだわ。
誰が、そんな嫌な小説を、自分の方から身近に近づけるか?
おっしゃりたいのは、そういうことですよね。童貫です。
> 誇大自己症候群の人は、一見すると「いい人」にみえたり、とても真面目で控えめな印象を
>与えたりすることも多い。第一印象では、一般の人は欺かれがちである。逆に、好印象を
>もってしまうことも多い。カリスマ性という点では、誇大自己症候群の人は、優れた素質を
>もっている場合もあるので、魅了されてしまうこともある。
18巻で梁山泊に来た楊令は、まさしく「いい人」に見えたな。
楊令伝でも、梁山泊の面々には、「すごい」と言われている。
間違いなく、誇大自己症候群だな。
>「気まぐれに、考えや決定がころころ変わる。だが、相手が決めることは好まず、自分が決定権をもとうとする」
これも、誇大自己症候群の特徴のひとつに挙げられている。
>>935の岡田尊司氏の「誇大自己症候群」(ちくま新書/206頁)
>>973 同感
こんな糞面白くない小説のスレが長々と続いた理由は、つまらなさの原因を特定する決め手
がなかったからなんだわな。
楊令=誇大自己症候群で特定できた。もう次スレはいらないね。
そうだな。楊令が普通の人間だと思っていたから、腹が立った。
しかし、病気なら怒ってもしかたない。もういいな。
>>972 登場人物の視点で書いてあるから、たとえば、楊令が呉用その他の作中人物を相手に
話していると、そんなに腹が立たない。
ところが、楊令が一人語りで、民に富むということがなにかを伝えよう、というように民を相手に
語り始めると、読者に直接話し掛けられているようで、腹が立つんだよ。
まあ楊令が頭領になる年齢が若すぎたということだろう。
晁蓋や宋江ぐらいの年齢であれば、慈父のような優しさで若い兵士に話しかけても
サマになる。
しかし楊令の若さでそんなことをすれば、オカマに見えるだけだ。
楊令を頭領らしく見せようと思えば、万能の天才にするしかなかった。
それだけでは足りなくて、非情なまでに決断力のある人間というキャラにしたかったのだろう。
しかしそれを表現するエピソードとして、民の殺戮・強盗・女攫いは不適切だった。
そういうことでねぇ?
>>975 それは、誇大自己症候群の人の中にも、病気を克服して、いい方向に転化させた人もいる
という例として挙げられているんだよ。ガンジーなどな。
楊令の場合は、克服していない。「楊令殿は変った」と、いいかげんに誤魔化しただけだ。
楊令がいつどのようにして変ったのかは、明らかでない。
ヒキコモリ楊令が梁山泊という大組織の中に出てきただけ、という感じしかなかったな。
幻王ネタというのも、緻密に練られたネタという感じはしないな。
幻王=楊令=呉乞買というところが重要なのかという思わせぶりもあったが、
結局、そこはどうでもよかった。
最近になって、幻王の「幻」ばかりが強調されて、闘っているときの自分は幻だ
と思いたい。自分は平和を愛する、とわけのわからんことを言い出す。
ほんと、「気まぐれに、考えや決定がころころ変わる。だが、相手が決めることは
好まず、自分が決定権をもとうとする」
王でもないのに、幻王と名乗るところだけで、十分自己肥大。
そのくせ帝は大嫌い。
葉敬の荘をもっときちんと描いていけば、面白くなっていたんだろうがな。
中国の王朝というのは村々の上に乗っかって収奪をしていただけ。
その収奪に村々も参加するために、科挙の制度があり、村から有力官人
が出ると、それにぶらさがった。
祝家荘がそうなろうとしていた。楊令の誇大妄想を聞いている暇があったら、
中国社会のベースになる地縁・血縁団体の生態を描いた方が、多少とも
読んで役立つ小説になっていただろうにな。
>>980 楊令の年齢からすれば、若き先鋒の将である方が、どんなにキャラが引き立ったことか。
頭領にするなど愚の骨頂。
小さな梁山泊しか作れない弱小軍団を組織して、そのとおりの小さな梁山泊を建国したのでは
面白くない。
金軍の力を利用して、帝には劉豫を立て、梁山泊が斉を作るべきだったね。
本来、梁山泊は帝を否定したいわけだが、現実的には帝政を採用しなければ民を統治できない
という妥協を受け入れれば、楊令も多少は利口に見えたのに。
南宋と広大な前線で対峙するから、必要なときに、戦の場面を挟むのも容易になる。
岳飛に馬泥棒をやらせるという、原典的(マンガ的)展開を用いる愚を冒すこともない。
いいこと尽くめだよね。
商品原価が8割、輸送費が2割というバカみたいな話も読まずにすんだし。
南宋も、史実で活躍する人物を新たに登場させるよりは、長く出ていて読者に馴染みのある
李富にやらせた方が、読者にわかりやすいという判断だったのかな?
そもそも史実キャラが登場するのを嫌うような人は、時代小説を読まないと思うんだがね。
反対に、オリキャラの李富がそこまででしゃばると、物語に対する興味が失せてしまう。
暗号解読をしているのがお似合いの小役人で、童貫禁軍が活躍するようになってからは、
実質青蓮寺は何もしていない。水滸伝の後半では、大きく評価を落とした、また落とすように
描かなければならなかった青蓮寺だ。
それが、南宋建国とはおそれいった。やめてくれよw
>>975 殺人・傷害といった過激な行動に出なければ、病気じゃないよ。
>>980 項羽が旧蓁の兵を20万だか30万だか生き埋めにしたエピソードは、面白かったけどな。
項羽を嫌うどころか、項羽の特徴の一つとして、好意的に受け入れることができた。
当時の流浪する軍団の発生史をきちんと説明してあったから、項羽が皆殺しをした理由
が理解できたことと、描写方法がいかにも劇中の人物という客観手法だったことで、
殺戮の悲惨さよりも、人物の長所・短所を知るという読者の知的興味に訴えたからだろうな。
幻王の場合、読者の痴れ者的興味に訴えたので、ソッポをむかれてしまいましたね。
現在は読んでいなくて、むかし読んでいただけなのに、これほどまでにおまいらを憤慨
させる楊令の破壊力は、すさまじいなw
ハードボイルドな主人公というのは、せいぜい探偵・刑事どまりじゃないとな。
水滸伝でいえば、致死軍・青蓮寺の手の者どまり。
人口500万人の国家の元首がハードボイルドだとマンガにしかならん。
993 :
無名草子さん:2010/04/14(水) 18:44:48
で、まだ、このスレ、続けるのか?もうやめんか?
>>943 >自分は生まれながらの天才で、孫子こそ自分にひざまずくべきであると考えているのであろう。
楊令は陰性だから何をやっても嫌われるんだよ。
「国盗り物語」の松波庄九郎は、孫子どころか、神仏に向かって自分のために働けと命じて
いたが、読んでいて嫌悪感はなかったね。それどころか、その台詞が気に入ってしまった。
庄九郎は陽性なので、そんなエピソードが愛嬌になってしまう。
もっとも当時俺は中学生だったので、もしかすると、現在の中学生は楊令をそのように読んでいる
のかもしれんがな。
歳をとると人物の好悪も違ってくる。「イージーライダー」のラストで主人公を鉄砲で撃ち殺す
田舎のおっさんは、若い頃はひどい奴だと思ったが、歳をとってから見ると、あの場面が痛快で
しかたない。「やれやれ!あと100発、銃弾を撃ち込め!」と思ってしまう。
>>982 そのあたりは、韓世忠と韓伯竜を、あとから兄弟にしたのと同じ発想だわな。
楊令=呉乞買を統合する符牒として幻王が必要だったのに、幻の字ズラだけから、
新しい意味を与えたという感じがする。
だから新しい意味づけを読んでも、面白くもなんともない。
等身大の楊令人形が発売されたら、ぜったいに買おうと思っています。
楊令の顔にうんこしてやりたいです。
>>993 もうすぐ13巻が発売になる。その部分は、すばるで読んだ。といっても、半分読むと
後半が読みたくなくなるような内容だった。作品がつまらないのか、俺が飽きたのかは
わからないが、とにかくそんな状況だ。すばる2月号以降(14巻収録分)は読んでいない。
もう読んで面白いとか面白くないといった状態ではなく、読みつづけるのが大儀になって
いる。あくまで俺の主観の話だがな。
すでに読んだ部分を仔細に検証すれば、つっこみどころは多い。とくに交易の部分。
しかしあまりにつっこみどころが多いと、やる気をなくすものだ。
もう終了でいいね。
総論的な話題になると、ほぼ幻王時代の楊令に話題が集中する。
重複した内容のレスが多い。
リアルタイムの話題がないなら、もう終了でいいよ。
北方スレは他にもあるから、連載中の楊令伝について話題にしたい人は、
そこでやればいいし。
終了に賛成
1000 :
無名草子さん:2010/04/15(木) 13:40:10
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