北方水滸伝・楊令伝を語ろう第四十六章

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714無名草子さん
すばるの1月号では、武松が藩金連の名を平気で口にした場面がある。そのことが、いいことの
ように書かれている。つまり、楊令殿が武松の拳を斬ったことは、武松の抱える過去の事件への
屈託を断ち切った素晴らしい出来事だったのである。
現実世界では、たしかに、過去に起きたことにいつまでも屈託を抱いているのは、好ましいことで
はないのであろう。
だが、時代劇のキャラクターとしてみた場合、屈託を抱えた人物というのは、いかにも昔の人という
感じが出ていてよいものだ。自分の父母・祖父母の世代を見ていると、屈託が多いような気がする。
武松をはじめとして、楊令伝では一世世代も屈託を捨てた現代的な人柄に描かれ、それが良いこと
のように言われることが多いが、俺は反対である。すこしも昔の人っぽく見えない。数少ない時代
小説的な風味が損なわれてきたような気がしてならない。