北方水滸伝・楊令伝を語ろう第四十六章

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699無名草子さん
そもそもフィクションの戦にすぎない方臘戦・燕京戦・ドウカン戦の初めから終りまでの顛末
をすべて読みたいと思う人がいるのだろうか?同一の小説の中に、これほどまでに戦を盛り込む
のが妥当であったのか疑問である。慢性的に戦が連続しているという印象しかなく、歴史の流れを
捉えることすら困難だった。とくに雑誌連載を月1回のペースで読んでいる人にはね。
大きな戦闘が慢性的に連続しているので、より小さな戦闘である致死軍と青蓮寺の闘いは、
水滸伝では重要な地位を占めていたが、楊令伝では、すこぶるつまらなかった。
このシリーズは、通常考えられる数以上の人物を登場させることを強いられる
作家にとっては過酷な題材である。水滸伝の1・2巻で登場した個性的なキャラクター50名ほど
で、それ以上キャラを増やさずに最後まで書くことができるものだとしたら、続編の楊令伝も、
さぞや素晴らしい作品になっていたであろう。登場人物のあまりの多さに、続編に至ったときは、
すでに四煎め、五煎めのお茶のような薄味キャラクターしか残っていなかった。これで面白い
作品を書けというのは、作者に酷なような気がする。序盤で登場した朱貴・安道全・林冲・宋江・
晁蓋等々の優良キャラ数十名が長い物語を駆け抜けるのが普通の小説だからな。