北方水滸伝・楊令伝を語ろう第四十六章

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679無名草子さん
多くの民を殺した人物が、大人物として作中で称賛されるというのが、理解不能なんだよな。
食糧の生産高が低かった古代において、自己が支配する民を食わせるために、他の集団を
戦で破って追っ払う、あるいは殺し尽くして食糧を独占する頭領というのはいたろう。
支配されている民は、頭領のおかげで食わせてもらっているから、頭領を称賛するわな。
古代でなくても、他の集団よりも、より豊かな生活をするために、他の集団と戦い、利益を独占
すれば、勝利した頭領は称賛されるだろう。自己の集団の生存を脅かす他の集団に勝利した
場合も同様。しかし、楊令伝の皆殺しは、性質が違う。
楊令や岳飛の民の皆殺しというのは、どうやら権力の本質というものが、一部の領民を皆殺し
にすることによって、他の領民が恐怖心から、その権力に反抗しなくなる、ということを言いたい
らしい。そのためには、自分と同じ人間を殺すという不道徳の壁を乗り越えなければならない。
その苛烈な決断をした者のみが頭領である、ということを言いたいみたいだ。
そうは思わん。
その論法でいくと、徽宗は腐敗しているだけで民を殺していないから、つまらない頭領ということ
になってしまう。梁山泊の乱、方臘の乱をはじめ、各地で叛乱が相次いだからな。