水滸伝の登場人物は、数は多かったけれど、世代的にうまくバラけていて、飽きがこなかった
といえるな。楊令伝は、特定世代に重要人物が集中しすぎている。
とくに楊令と同世代に集中していて、この世代の書き分けが上手くいっていない。
水滸伝では、この世代は登場していても、成長するまでは、あまり書かなかった。
史進のような、とりわけ強い奴は例外だがな。
阮小七は、第1巻で登場したが、活躍するのはずっと後のことで、若い間は、目立つことはない。
鄭天寿や楊春も同様。
目立ったとしても、三国志の王安のように、弱いがゆえに悲劇のヒーローになった奴はいる。
若い奴の扱いは、こんなものだろう。
ところが、楊令伝の若い連中は、どれもそこそこに強くなる。三国志の陳礼のように、その成長
過程を克明に描けば、強さに説得力がある。しかし、楊令伝では、陳礼のように一人に集中して
若い奴を成長させるのではなく、集団で数名を成長させたために、結局、強い奴は生まれつき
強いという根拠に頼らざるを得なかった。生まれつきですべてが決まるのなら、小説を読む必要
がなくなってしまう。生まれつき愚鈍な奴は、小説を読んでも、何のヒントも得られないからな。