【ツイートで】盗作屋・唐沢俊一124【追討されて】

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101無名草子さん
唐沢に使っている時間なんて、1日数分だからなぁ
それ以外の時間は普通に仕事してるから、そういう煽りを書かれても
実際にそんな時間を費やす人はいないから、痛く感じる人は
検証はんやトンデモ一行知識さん程度じゃないの?

102無名草子さん:2010/02/03(水) 08:23:51
これまで唐沢の著書を読んでいた人こそ無駄な時間を費やしてしまった人では?
103無名草子さん:2010/02/03(水) 08:32:02
>>99
青春て・・・検証はんは三十代、一行さんはいくつか判らないけど、
四十代後半くらい?だぞ。

>>98
唐沢自身が平山氏のことを「師匠」と呼んでるのか?
つくづく師弟関係を自称するのが好きな男だよ。
104無名草子さん:2010/02/03(水) 08:33:41
唐沢俊一がらみで人生の貴重な時間を無駄遣いした人

・大内明日香
・木元俊宏
・おぐりゆか
・唐沢ママン
・唐沢なをき
・ソルボンヌK子
105無名草子さん:2010/02/03(水) 08:37:01
失礼な事を言わないで下さい!
大内明日香さんは唐沢なんかと知り合う前から無駄遣いしっぱなしですよ!
106無名草子さん:2010/02/03(水) 08:51:03
唐沢は自分自身が師匠面できるポジションを目指してたんだろうね。
ここまで能力も人望も無い、と明るみに出た今では望むべくもないか。

>>105
確かにあんなクズはどうでもいいねw
107無名草子さん:2010/02/03(水) 09:49:41
木元辺りの唐沢ベッタリの狂い方を見ていると、オウム真理教の麻原を思い出しちゃう。
どんな事があっても唐沢がその間違った信念を曲げないのもそんな感じかね?
108無名草子さん:2010/02/03(水) 09:55:02
警察組織や、自衛隊、テレビ局、マスコミにまでオウム真理教の信者がいて
情報操作を必死にやり、多くの人を騙し続けていた。
今から考えると、その言動などはトンデモだらけなんだけれど
あの当時は、それなりの知識や地位がある人がホイホイと騙された。
ビートたけし・とんねるず等もその狂いっぷりが理解できず、
面白いキャラだとしてテレビに担ぎ出して、麻原の知名度に貢献して
被害をより大きくしていた。

なんか唐沢俊一という男に同じニオイを感じる。
109無名草子さん:2010/02/03(水) 10:43:37
2008.01.10 http://www.tobunken.com/diary/diary20080110132021.html

>ナショナルがパナソニックに社名変更というニュース。
>ナショナルキッドはどうなる、って言ってる人がマイミクに
>いっぱいいるのが笑える。
>ちなみに、“あかるーいナショナル、あかるーいナショナル……”の
>作詞・作曲は三木鶏郎。ミツワ石鹸の“ワ、ワ、ワー、輪が三つ”
>も三木鶏郎、鐘紡毛糸の“カーンカーン、カネボウ”も三木鶏郎、
>キリンビールの“うちじゅうみんなキリンキリン”も、いや“牛乳石鹸
>よい石鹸”も“ジンジン、仁丹、ジンタカタッタター”も
>“クシャミ三回ルル三錠”もみんな三木鶏郎。
>優れたCMソングに与えられるのが“三木鶏郎広告音楽賞”なのも
>むべなるかな。

という事で三木鶏郎を唐沢が話題にしているんだけど
恐らくこの時、必死に三木鶏郎を検索して日記を書いたんだろうね。
少年時代に鉄人28号の熱狂的ファンで、誰にも負けない鉄人28号ハカセだったと
何かで書いていたし、少し前にこのスレでそれを振りかざしていた嵐もいたけど
三木鶏郎が鉄人28号の主題歌を作詞作曲していた事にちょっとぐらい触れてもいいだろう。
唐沢の裏モノ日記の中で、そこに触れた箇所は1度もない。
110無名草子さん:2010/02/03(水) 12:11:15
今更だが清志郎についての下衆な発言に関しては、はらわた煮えくり返る。
事実誤認&思い込み&知ったかでずいぶんコケにされたもんだぜ!!!!!
ほんとに唐沢って人間がゲスだな!!!!!
111無名草子さん:2010/02/03(水) 12:16:45
1月31日裏モノ日記

>あきらかな台詞抜けや出とちりなど、初日ゆえのグダグダはあったが

ルナの台詞抜けやとちりにはめちゃ寛容なのにね。
おまけに脚本だけいいみたいな酷い言い草。
112無名草子さん:2010/02/03(水) 12:27:19
>>111
日記が更新されたかと思ったら、2008年の1月31日ねw
トツゲキ倶楽部は唐沢がルナを追い出されたら行きそうな劇団と
過去スレで言われてたっけ。
113無名草子さん:2010/02/03(水) 12:53:02
>111
まだうpされてないみたいだけど、閣下のマイミクさんですか?
美味しいネタ、他にないですか?
114113:2010/02/03(水) 12:56:25
orz
115無名草子さん:2010/02/03(水) 13:12:33
”『ライ麦畑でつかまえて』は悪魔の書”っていうのは
ジヒドロオキシジェン全廃運動みたいなものだよなw
”欧米の受刑者の多くはキリスト教徒、キリスト教こそ悪魔の宗教だ”
って主張もどこかでされてそうだな。
116無名草子さん:2010/02/03(水) 13:17:26
CMソングのCDを持っているのだが、
>>109で挙げられてるCMソングはみんな入ってるな。
唐沢も同じようなCDを持ってて、そのライナーノーツを見ながら書いてるんだろう。

検索したら、鉄人28号が三木鶏郎だってわかっちゃうような。
117無名草子さん:2010/02/03(水) 13:21:46
>115
H20、唐沢も書いてるみたいだ。書名は不明

医学都市伝説: 危険!水素含有水あり!
2006年9月30日 ... 唐沢俊一の著書だったかで、アメリカの大学生が「大量に摂取すると浮腫など人体の健康を損ね、反応性が高くetc.etc...というジハイドロオキシジェン(一酸化二水素)という物質がある。この物質の使用に反対をするか」というアンケートを ...
med-legend.com/mt/archives/2006/09/post_948.html
118無名草子さん:2010/02/03(水) 13:26:18
>116
”あ、三木鶏郎だな、とCM見てわかった”のならともかく
そういうことはある程度調べないとわからないわけで、
資料を示さずに列挙するというのは自分の知識を虚偽申告してるようなものだと思う
119無名草子さん:2010/02/03(水) 13:39:26
RC「雨上がりの夜空に」がインポの歌という珍説は、
ネットで歌詞だけ見て書いたんじゃないかと。
120無名草子さん:2010/02/03(水) 13:52:51
中年になって癌で亡くなった事がまず頭にあって
ライブ映像で清志郎が腰を振るアクションを見て
カシャカシャとインポ説が導き出されたのかもね。
121無名草子さん:2010/02/03(水) 13:59:04
>>119
特に、サビの部分「こんな夜に発車できないなんて」だけ読んで
誤解したんだと思う。発車と発射をかけて一人でウケタウケタと
喜んでいたのかも知れない。
122無名草子さん:2010/02/03(水) 14:06:35
>>94
>割と謙虚な書き方だから、貴族風情はあまり感じない。
謙虚な語りの裏に、96の言う「読み手に伝えようという気が薄く」を感じるんだ。
それって分かる奴には分かるっていう貴族風情だと思う。
あの時期に一般には知られることがなかった業界随一の才能
ギタリストの窪田晴男やアニメーターの谷口守泰にハマッてたと察する慧眼からしてそうだ。

>>96
確かにコメントとしちゃそうだが、T岡田のコメを楽しみにしてるおれがいる。
今までのオタ言説上で触れられてないとこに、敢えて触れてるのが分かるんだな。
プロだかアマだか知らんが、唐沢と違って本物感はある。
吉川惣司をあそこまで語る趣味から、次は大隈正秋あたりが出てきそうだな。
ようはブログやってくれw

>>98
だとしても唐沢の「師匠の平山亨」発言にイラっとくるのはおれだけか?
不謹慎だが、いつもの追討が目に浮かぶんでな。

>>99
的外れな煽りだな。嘲笑でも罵倒でもない。110を見ろ。
自分の情熱を傾け、人生の貴重な時間をかけるに十分と認めた故人をネタにされ
上から目線で蔑み罵倒し、自分褒めまで行う唐沢の態度に憤っているのだ。
最低の人間の唐沢に、偉大な清志郎を追悼する資格はねえから。しかも追討だしな。

>>108
オウムって言や、村井は「かもめのジョナサン」を読んでたんだよな。
それで「かもめのジョナサン」を犯罪者の書物と断罪するか?
唐沢のサリンジャー批判はそれと一緒。

>>101
検証なんて、切通に「知的なコラム」とまで評されてんだ。
トンデモ一行知識も検証も町山に労をねぎらわれ感謝されてるし、無駄な時間のわけねえ。
123無名草子さん:2010/02/03(水) 14:21:06
>>122
やだなにこのひとこわい
124無名草子さん:2010/02/03(水) 14:24:40
動物的な縄張り意識で
長文には必ず1行の123みたいなショボイ煽りが即レスされるw

これも2ちゃんの風情
125無名草子さん:2010/02/03(水) 14:25:56
風情じゃなくて様式美だろw
126無名草子さん:2010/02/03(水) 15:06:15
清志郎の件は、渋谷陽一が知ったらなんて書くだろう

まあ、チャボは激怒だろうな
127無名草子さん:2010/02/03(水) 15:12:33
故人叩きバレがここまでTwitterで伝播しちゃうと、もう唐沢お得意の
『オレ様への批判は野暮というもの』は使えないだろうなあw
128無名草子さん:2010/02/03(水) 15:25:22
まあさだまさしがNHKの番組で言ってたけど
ネットの情報なんてそれこそガセばかりなんで
そんなガセの世界の中心でだれそれはガセだ!と叫んでる行為が
時間を有益に使ってる行為とは思えないよな
129無名草子さん:2010/02/03(水) 15:27:44
いや
130無名草子さん:2010/02/03(水) 15:35:25
>>128みたいに啓蒙してやってる体のレスしてる方が時間の無駄だよw

裏モノ日記、このまま一週間遅れで更新していくのか?
どうしても29日の日記を出したくない牛歩戦術みたいだけどw
131無名草子さん:2010/02/03(水) 15:41:06
>>126
> 清志郎の件は、渋谷陽一が知ったらなんて書くだろう
>
> まあ、チャボは激怒だろうな

渋谷陽一のブログ見たら、各社の決算の話ばかりだったwやっぱり社長はつらいのかな

でちょっとググって見たらこんなんあった。音楽音痴(?)の唐沢が何を語ったか。
気になったのが引用中の"長編小説"。
『血で描く』はメディアファクトリーなんだけど
Y氏が移籍したのか、あるいは別の小説企画があったのか。

http://www.tobunken.com/diary/diary20031216000000.html
 昼は兆楽でマーボチャーハン。しかし食欲なく半分残す。1時、東武ホテ
ルでネット配信四コマの契約の件で佐藤WAYA氏などと待ち合わせ。契約
書にハンコ交わして、作品受け渡し、配信開始時期、それから支払い時期な
どの確認。なんやかやあったがやっとスタートしそうで、ひとまずホッとす
る。一旦帰宅、3時、時間割で二見書房Yさん。毎年、暮れになると約束の
長編小説が書けていないことを彼にあやまるのがここ数年の年末恒例みたい
になってしまっている。しかし、山本弘だって『神は沈黙せず』を書き上げ
るのに4年かかった。まだ私は3年だ! と、変なところでイキんだりする。
Yさんと文学論、編集論、それから渋谷陽一論しばし。
132無名草子さん:2010/02/03(水) 15:43:59
>128
ネットに溢れる情報から"真実"を紡ぎだす知的ゲームみたいなものと思えばよいのでは

その辺のことがわからないと"ブ・サ・イ・ク脳"とかいわれちゃうよ
133131:2010/02/03(水) 15:53:15
>131の引用の後に『鉄人28号・ソング・コレクション』について書いてるけど
"三木鶏郎"については記述無し。
>109との関連でちょっと面白いと思ったので追記
134無名草子さん:2010/02/03(水) 15:55:00
>131
唐沢が渋谷陽一論なんてできるの?
サンガイ話の町山氏みたいに相手が詳しくて、また唐沢が
痴呆顔で知ったか相槌打っただけかもw

>128
>ネットの情報なんてそれこそガセばかりなんで

だから小説家イベントのガセ情報なんぞ流す人がいるんですね。わかります。
135無名草子さん:2010/02/03(水) 16:15:22
>ネットの情報なんてそれこそガセばかりなんで

ところが、出版された情報で大量のガセをばらまいていた人がいるわけで
136無名草子さん:2010/02/03(水) 16:21:31
唐沢の日記を読んでいて変な気分になるのが、登場人物に変なニックネームが付いている事が多いという事。
中にはトテカワのように唐沢が勝手に付けて呼んでいる物もあるんだろうけど、
バーバラとかドラゴンとかは、唐沢と関わる前からバーバラだったりドラゴンだったり。
自分の周辺を見渡しても、そんな変なニックネームを付けているヤツはいないよなぁ
結局、唐沢の周囲にはそういう変なヤツが集まる磁場があるって事なのか?
137無名草子さん:2010/02/03(水) 16:28:29
俺の周りは、少なからずいるな・・・
138無名草子さん:2010/02/03(水) 16:45:31
>136
三鷹ういがそんなことしてた、
つーか匿名替わりに変なニックネームを付けてた感じ
それを解読してた人もいたね
139無名草子さん:2010/02/03(水) 16:57:33
こんにちわ、大内明日香です。あたしの事バーバラって呼んでね!



キモッ
140無名草子さん:2010/02/03(水) 17:08:26
夏コミで検証ブログのスペースにそう言って現れたら
評価が凄く上がるだろうな。
”こんにちわ、私のこと知ってるわよね?”で始めればなお良し。
141無名草子さん:2010/02/03(水) 17:10:08
テンプレがあるのかね、あの馬鹿取り巻き連中には(笑)。
142無名草子さん:2010/02/03(水) 17:10:11
>>131
佐藤さんww
143無名草子さん:2010/02/03(水) 17:10:45
>136
オフ会行くとお互い変な名前で呼び合ってて妙な気分になるな
144無名草子さん:2010/02/03(水) 17:17:29
>142
>そこでメディアファクトリーSくんと落ち合い、『血で描く』原稿つけあわせ。

そんな名前のようですね、関係者さんですか?
145無名草子さん:2010/02/03(水) 17:30:56
>>144
佐藤氏が関わっていたのはこっちじゃね?

>ネット四コマを講談社フライデーと提携して連載する件で、
>ネット四コマの(株)スカイバナナN社長とW氏、フライデー編集部と
>打ち合わせ。
ttp://www.tobunken.com/diary/diary20040311000000.html
146無名草子さん:2010/02/03(水) 17:40:52
twitterでのサリンジャー唐沢祭りも一段落したみたいだね。
裏モノ日記が更新されたあとは知らないけど。
147無名草子さん:2010/02/03(水) 18:05:23
2001.12.30 http://www.tobunken.com/diary/diary20011230000000.html

>8時半、お開き。玄関のところで志加吾の発案で私が音頭を取り、三本〆。
>オタクの三本〆でやるべきだった、と後で気がつくがまあいいや。
>それぞれ、まだまだ飲み足りないらしく、二次会だあ、と散っていったが、
>私とK子は早々と帰って寝る。
>やれやれ、今年は間際までいろいろ気にかかることがあって、
>神経を使ったコミケだったが、終わってみれば実にスムーズな展開と進行。
>それにしても、私はこんなことをいったいいくつまで楽しがってやるのだろうか。
>五十になってもやるであろうか。
>まあ、三十のときに今の四十代を予想していなかったのは確かである。


148無名草子さん:2010/02/03(水) 18:11:16
もう楽しくなくなっちゃったのね。
唐沢はいつからコミケ行ってたんだろう
一般で優先的にはいろうとしてもめた様な記述も
どこかにあった様な気がするけど
149無名草子さん:2010/02/03(水) 18:12:54
>142
佐藤さんというのは別件の佐藤WAYA氏のことか。
メディアファクトリーのS氏はまた別か
150無名草子さん:2010/02/03(水) 18:19:12
>>138
青山智樹はダケカンバ氏だった気がする
151無名草子さん:2010/02/03(水) 18:45:48
冬コミは50歳までだったね。
152無名草子さん:2010/02/03(水) 18:47:38
>まあ、三十のときに今の四十代を予想していなかったのは確かである。

五十代でここまで凋落するとは予想できませんでしたなあw
153無名草子さん:2010/02/03(水) 18:51:16
かなり重要な文章の発掘になるかも

日記 :: 2001年 :: 12月 :: 04日(火曜日)
>北海道新聞コラム原稿、最終回書き上げてメール。毎週一回、4ケ月のコラム連載だったが、
>これほどアッという間に終わったという感覚のものも珍しい。
>ヤマトからエヴァまでの、第一次オタク通史といったおもむきのもので、16回もあれば
>十分に概略を述べられるだろうと思ったがこれが大間違い、あれも書かねばこれも足りない
>というばかりで、駆け足どころか超特急で通り過ぎたのみに終わった。
>読んでた方はあまり面白くなかったかもしれない。にも関わらず、書き手としては、
>これまでオタクの成立について言われていた通説とは違った手塚治虫評価や、
>宮崎駿の位置づけなど、改めて執筆してみて自分なりにさまざまな発見があった。
>これはささき氏などの協力も得て、一度ベイシックな通史として
>書き下ろしてみる価値はあるかもしれん、 と思う。

北海道新聞に2001年9月から12月頃、週1回連載16回分
154無名草子さん:2010/02/03(水) 19:00:38
>>153のコラムって何かの単行本に収録されてないのかな?
オタク通史ねえ…
155無名草子さん:2010/02/03(水) 19:27:29
>通説とは違った手塚治虫評価

すげえ読みたいなw
156無名草子さん:2010/02/03(水) 21:20:42
>>153
だいぶ前だけどその記事スレに貼ったよ。
オリジナル捨てちゃったかなー。
157無名草子さん:2010/02/03(水) 21:24:23
>>156
見つからないでもう一回落としてくる。
158無名草子さん:2010/02/03(水) 21:27:00
死亡 唐沢俊郎氏(からさわ薬局会長、評論家・唐沢俊一氏と漫画家・唐沢なをき氏の父)
2001.06.13 北海道新聞夕刊全道 11頁 夕社 (全156字) 

 唐沢 俊郎氏(からさわ・としお=からさわ薬局会長、評論家・唐沢俊一氏と漫画家・
唐沢なをき氏の父)12日午前4時、心筋梗塞(こうそく)のため死去、70歳。東京都出身。
自宅は**市*区*****。通夜は14日午後7時から、告別式は15日午前9時から**市
**区*20*11、てんぱん祈念斎場で。喪主は妻あや子さん。
159153の記事:2010/02/03(水) 21:29:42
*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>1*内向的?*「宮崎事件」が広めた誤解*
2001.09.07 北海道新聞夕刊全道 8頁 カA (全795字) 

 日本にオタクという言葉がマイナスのイメージをもって定着したのは、1988年の宮崎勤事件から
だろう。部屋にビデオを積み上げてアニメを見ることに没頭し、世間とも家族ともほとんどコミュニ
ケーションをとろうとしない犯人像は、世間を震撼(かん)させた。

 どれくらいのマイナスイメージかというと、それ以来、オタクという言葉はNHKでは人を中傷する言葉、
とされ、自らオタクの王様オタキングを名乗る評論家の岡田斗司夫氏が出演したとき、担当者がわざわざ
特別許可をとらなければならないほどであったという。

 とにかくこれで、オタクは人とろくに話ができない、というイメージが広まった。オタクという呼称自体が、
人に話しかけるときに、相手との距離感が保てず、“おたく”という一歩おいた二人称で話しかける、という特徴を
語源とするのである。

 とはいえ、これが大変な誤解であることは、オタクたちの集まりにちょっと顔を出してみれば明らかだろう。
彼らは実に(時にうるさいくらいに)よくしゃべるし、ゲーム、アニメといった、共通の趣味を通じて、交友関係も
幅広い。インターネットを通じて、世界17カ国に友人がいるマンガオタクもいる。

 では、なぜ彼らが、コミュニケーション下手と思われてしまうのか。理由の一つとして、彼らが現代的合理主義者
の典型である、ということがあげられる。情報量が命のオタクにとり、ある特定の分野の知識を徹底して深めるため
には、他の無駄な情報を排除する必要性が生ずるのだ。

 そのため、彼らはご近所のうわさ話や、お天気の話には決してのってこない。そんなことで時間を無駄にすること
に耐えられない。この合理性が、一般から見ると、コミュニケーション能力不足に見えてしまうのである。それまで
周辺の人間関係や地域との結びつきを基準にしてきた日本的社会との軋轢(あつれき)が生じたのも、ある意味無理
はなかったのである。(評論家)
160153の記事:2010/02/03(水) 21:31:37
*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>2*宇宙戦艦ヤマト*初の10代後半向けに熱狂*
2001.09.14 北海道新聞夕刊全道 8頁 カA (全794字) 

 日本のオタク史は事実上、1977年という年から始まる。この年、アニメ映画「宇宙戦艦ヤマト」が公開され、
大ヒットを記録した。これはその3年前にテレビ放映された同名の作品を再編集して、劇場公開版としたものだった
が、テレビ版は放映当時、人気作品「アルプスの少女ハイジ」の裏にぶつかったこともあって視聴率が振るわず、
打ち切りとなってしまった作品だった。ストーリー性などがそれまでのアニメに比べ格段に高度であったことが
わざわいし、それまでアニメの主要視聴者とされていた幼年層に嫌われたのだ。

 ところが、この作品に過激といっていい反応を示したのが、1960年代以降、アニメ番組を基本教養として
育ってきた世代であった。彼らは「ヤマト」放映当時、すでに10代後半になっており、周囲からはそろそろアニメ
(テレビまんが)から卒業しなくてはいけない、と言われる年ごろになっていた。

 しかし、日本で初めて“ものごころついたときからテレビアニメが身近にあった”世代である彼らは、なかなか愛着
あるアニメを捨て去ることができないでいたのだ。とはいえ、すでに精神年齢も十分大人である彼らに、その当時の
他のアニメ作品が、やはり物足りなく見えるのは当然で、彼らはみな、アニメを愛しながらも、それらの作品に
内心、大きな不満を抱いていた。

 そんなとき、ストレートに自分たちの年代を対象にして制作されたアニメ作品が放映されたのである。その興奮は
大きかった。それは「ヤマト」が2クール(26本)で打ち切りになったことでさらに高められ、この作品をこの
まま埋もれさせてはいけない、という焦燥感から、さまざまな手段で再放送の嘆願運動を起こしたり、またファン
活動団体を結成させたりした。それまではほとんど孤独な存在であったオタクたちが、ここで初めて集団行動を
取り、その結果、自分たちと同類の仲間の案外多いことに気がつくのである。(評論家)
161153の記事:2010/02/03(水) 21:33:03
*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>3*「スター・ウォーズ」*待望の公開、黒船の衝撃*
2001.09.21 北海道新聞夕刊全道 8頁 カA (全783字) 

 1977年がオタク元年と呼ばれる、もうひとつの理由が、この年に巻き起こった、映画「スター・ウォーズ」
ブームである。アメリカで空前のメガヒットを記録したこの映画は、それまでSF映画といえば「2001年宇宙の
旅」などを除いて子供だましに過ぎない、と思っていた日本のマスコミを驚かせ、日本にもそのブームが波及した。

 とはいえ、実はこの年には、まだ「スター・ウォーズ」は日本で公開されていないのである。あちらの配給会社の
条件が「収益のあがる夏休みシーズンに公開すること」となっていたため、日本のファンたちは、それからほぼ1年
の間、ごちそうを前におあずけをくった犬のような状態におかれてしまった。

 この1年が、日本のオタク文化の土壌を作りあげることになる。つまり、見たいものが見られないという焦燥感
が、少ない情報をお互いに交換しあって渇きをいやすファン団体を多く設立させたのだ。これらのグループには、
現在活躍しているクリエーターも大勢参加していた。

 それから、ファンたちの飢渇感につけこんだ模倣作品が、その1年の間にやつぎばやに公開された。東宝の「惑星
大戦争」や東映の「宇宙からのメッセージ」などがそれであり、アニメ作品も数多く製作された。あの「宇宙戦艦
ヤマト」の映画版も、このにわかSFブームがなければ公開されたかどうか。

 さらに、おかたいと言われた新聞やNHKなどまでSFを取り上げ、SF作家や漫画家たちは一躍、時の人と
なってマスコミをにぎわした。映画評論家の中には、「スター・ウォーズ」のことばかりあちこちで書いている
ので、「スター・ウォーズ評論家」という肩書をつけられる人までいた。

 前回取り上げたヤマト・ブームがオタク・ムーブメント前夜における「ええじゃないか」騒動だとすれば、この
「スター・ウォーズ」公開は、まさに黒船の来航、ということができるだろう。(評論家)
162153の記事:2010/02/03(水) 21:34:53
*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>4*「怪獣」派*早口で知識ひけらかす*
2001.09.28 北海道新聞夕刊全道 8頁 カA (全795字) 

 オタクとひと口に言っても、そこにはいくつもの派が存在する。中でも濃いとされているのが、怪獣オタクたち
だ。「ゴジラ」や「ガメラ」、それに「ウルトラマン」などを追いかける一派であり、オタクの中ではかなり古く
から存在し、いわば古参派とされている。年齢も他のオタクたちよりいくらか高い。

 最近はアニメやゲームのオタクたちは、いわゆるオタクくささが外見上でも薄れ、ちょっと見には普通の人たちと
区別がつかない。だが怪獣オタクと呼ばれる人々は、何というか、昔ながらの、いかにもオタクという服装や体形を
していることが多く、なかんずく、その話し方のタイプが非常に特殊である。

 とにかく、自分の持っている知識をあらいざらい話しまくるのがパターンで、人がその話を面白いと思うかどうか
などということはほとんど意に介さない。自分だけの世界に閉じこもって早口で話すので、大体、声がうわずり気味
であることが多い。15年くらい前までは、これがオタクの話し方の基本型だったが、今はかろうじて、怪獣オタク
の一派に残っている。“かろうじて”と書いたが、怪獣オタクの集まりなどに行くとまだまだこの話し方が隆盛を極め、
周囲でそういう会話がなされている中に1時間もいると、頭がクラクラしてくる。1回でもこのしゃべり方のオタク
につかまると、一般人は心底へきえきするらしい。オタクが世間での評判を落とした一番の原因は、この特徴ある
しゃべり方にあるのではないか、と思えてくる。

 もちろん、怪獣オタクにも新世代はいるし、最近は女性も非常な勢いで増えている。それは新しいウルトラマン
シリーズが、アイドル系の俳優を起用し、子供と一緒になって番組を見る若いお母さんたちを取り込むことを意識
しているためだが、これらの人びとも、従来の怪獣オタクたちとはあまり交流をしていないようだ。そういう意味
では非常に閉鎖性の強い、特異な集団なのである。(評論家)
163153の記事:2010/02/03(水) 21:36:33
*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>5*怪獣ファンの会合*業界の重鎮集まり25周年*
2001.10.05 北海道新聞夕刊全道 6頁 カA (全772字) 

 前回怪獣オタクのことを取り上げて、オタクの中でもオタク臭が特に濃い一派、と紹介したが、先日、その濃い
人々の中でも特に濃い人々の会に顔を出してきた。

 この会は日本の怪獣映画ファンクラブの集まりの中では老舗(しにせ)で、今年で設立25周年の歴史を持つ。
会合は、第1回から変わっていないという東京の庶民的な(と、いうと体裁がいいがかなり薄汚れた)居酒屋で
行われ、そこに円谷プロの重鎮である光学合成の神様中野稔氏、日本特撮界の主である中野昭慶氏、東宝で後期
ゴジラシリーズのプロデューサーをやり、現在は作家の田中文雄氏、それから初代ゴジラのぬいぐるみの中で操演を
していた中島春雄氏などが出席していた。オタク以外の人にはこう名前を並べられてもわからないだろうが、
これだけの顔ぶれが毎回出席する、というのは、怪獣業界にとっては驚異的なことなのである。

 メンバーの中にはすでに結婚して子供を連れて参加している者もいるが、ほとんどは独身であり、腹も突き出し、
髪も薄くなってきている。そういう男たちが、飽かずにゴジラを語り、特撮を語る。その表情にはこれ以上ない、と
いう感じの至福感があふれている。この空間は一般社会からは完全に隔離されているが、それだけに、時間が
止まったパラダイスのような世界の雰囲気がある。

 連想が突飛(とっぴ)すぎるが、19世紀のイギリスの社交クラブというものが、社会の喧(けん)噪から紳士
たちが逃れて、閉鎖された空間を確保するために作られたことを思うと、その流れの末が日本における、このような
会合であるといえるかもしれないと、ふと思った。もちろん、別の喧噪があふれてはいるけれど。

 とまれ、オタク史などという私のささやかな試みも、ここのメンバーには意味がないことかもしれない。ずっと
同じ環境で四半世紀の間、語り続けているのだから。(評論家)
164153の記事:2010/02/03(水) 21:38:26
*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>6*60年生まれ*高3で元年迎えた最強世代*
2001.10.12 北海道新聞夕刊全道 8頁 カA (全780字) 

 オタクの出現を果たして時代で切れるか、というのはなかなか難しい問題だ。知識というのはさかのぼりが
効くものであり、まして現代のようにビデオソフトなどが充実している時代であれば、20代の若者が昭和
30年代の特撮映画などにむちゃくちゃにくわしくても不思議はない。現にこの欄の筆者なども、デビュー当時、
古いマンガなどの知識がちょっとばかりあったことで、編集者が勝手に50代くらいの人物だろうと想像して、
打ち合わせに行って驚かれたことがよくあった。

 とはいえ、まだ自覚のない子供のころに見たアニメやマンガなどに熱中した記憶を、大人になっても自らの
よりどころにしている、ということをオタクの条件とするならば、確実にオタクは時代で分けることができる。
要するに、アニメやマンガ、特撮などの分野が元気のいい時代に生まれた子供に、オタクになる確率が高いので
ある。

 1960年という時代を試しに例にとってみる。以前に説明したオタク元年(1977年)を、高校3年生と
いう思春期ど真ん中で迎えた世代だ。普通なら、そこで大人への道が開け、一般社会に参加していくべきところを、
オタクの方にスイッチングされた人たちである。オタク関係者の生年リストを見てみると、まさに、この年の生まれ
がやたら多いのである。

 まず、かの「新世紀エヴァンゲリオン」の作者、庵野秀明が60年生まれだ。さらに作家の新井素子、梅原克文。
オタクかどうかわからないが、ミステリー畑の宮部みゆき、綾辻行人も60年生まれである。評論家の竹熊健太郎、
倉坂鬼一郎、精神科医の香山リカ、死体研究で有名な布施英利はれっきとしたオタク。文芸評論家の福田和也も、
オタクにかなりシンパシーを持っているとのことだ。漫画家では荒木飛呂彦、永野護、岩明均、岡野玲子、
高寺彰彦。こう並べると、何か横一線の共通項が見えてくるような気がする。(評論家)
165153の記事:2010/02/03(水) 21:40:10
*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>7*手塚治虫の影響*強烈な熱意が残した「罪」*
2001.10.19 北海道新聞夕刊全道 8頁 カA (全814字) 

 1950年代後半から60年代生まれのオタクを、通称第一世代と呼ぶ。この世代にとって、やはり故・
手塚治虫氏こそが強烈な影響を与えられた人物の代表であろう。彼はもちろん、オタクなどという言葉の出現
するはるか前から漫画家としてトップの位置にいた人だが、その行動や嗜(し)好は、他の同業者の誰(だれ)
よりも、オタク的なのだ。

 例えば、彼はディズニーアニメに傾倒した一時期を持つが、そのときの熱中の仕方は、ちょっと常軌を逸している
といって過言ではない。ディズニー作品「バンビ」が昭和24年(1949年)、東京・有楽町のスバル座で封切り
されたときは、近くのホテルに泊まり込んで、毎日毎日、朝の第1回から最終回までの前売り券を買って一日中、
熱中しながらスクリーンを見つめていたという。しまいに、すべてのセリフや動きを記憶してしまうと、今度は
最前列から後ろの観客席の方をながめ、客がギャグで笑う様子などを見て喜々としていたというのだから
すさまじい。こういう人物に影響を受けた第一世代が、極めてオタク的な人格形成をとげたのも、無理はない気が
するのである。

 もちろん、手塚は単なるオタクではなく、その自分のオタク的趣味をクリエーティブな方向に向けることの
できた天才であった。あこがれのディズニーに続けとばかり、自分でもアニメを製作し、日本初のテレビアニメ
シリーズ「鉄腕アトム」を世に送った。この作品は最高視聴率40パーセントという大成功をおさめたが、手塚自身
が何とか自分の手でアニメをやりたい、という熱意のあまり、製作費を極端に安くすることで企画を通し、このこと
が後々までも、日本のアニメーターたちの労働環境を劣悪なものにする下地となったとされている。現在、日本を
代表するアニメ製作者となった宮崎駿も、その手塚の罪を指摘する1人である。だが、その行動の底には、手塚治虫
の、事業人としてではない、オタク的行動理念があったと見るべきだろう。(評論家)
166無名草子さん:2010/02/03(水) 22:19:10
金玉!
167無名草子さん:2010/02/03(水) 22:21:21
>>158-165乙です。

>とにかく、自分の持っている知識をあらいざらい話しまくるのが
>パターンで、人がその話を面白いと思うかどうかなどということは
>ほとんど意に介さない。自分だけの世界に閉じこもって早口で
>話すので、大体、声がうわずり気味であることが多い。

これ唐沢のダミ声トークそのまんまじゃんw
168無名草子さん:2010/02/03(水) 22:31:02
東京海洋大:准教授ら引き写し論文 「使い回し」と判断、学会掲載中止
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100130dde041040041000c.html
169無名草子さん:2010/02/03(水) 22:31:59
学校辞めてから30余年 今じゃ三流劇団員
満員御礼ウケタウケタ 貰ったギャラが5万円
(サバ云わなくちゃな このヤロー!)

アニドウ辞めて30余年 今じゃしがない盗作屋
コピペやガセを繰り返し 売れた冊数250!
(うひゃあ サバ云わなくちゃな このヤロめ!)

盗作バレて3年目 今じゃパクリの代名詞
検証された本が出て 売れた冊数、俺以上
(羨ましすぎるぜぇ このヤロッ!)

朝日を降りて1年で 今じゃ「熱写」で連載さ
裏モノ日記に書けないが 貰った原稿料が5千円
(あ〜それでも高すぎるか このヤロー!)

夏コミ検証オールスター 今も思うとガクブルで
俺の味方は黄色豚 知られていなくて玉砕さ
(ウヒャヒャヒャ、ありゃダメだよ このヤロ!)

仕事が薄くて困っちゃう 毎日訃報を待っている
興味がないけどとりあえず 不幸な晩年を追討中
(適当コカなくちゃな このヤロー!)

ライター始めて20余年 今日も裏モノ日記にて
夢と訃報と母の室 マッコリ飲んでご満悦

http://www.youtube.com/watch?v=1ugd8_YB5dA
170無名草子さん:2010/02/03(水) 22:48:26
記事乙です!初めて見ました
>>161  
> *<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>3*「スター・ウォーズ」*待望の公開、黒船の衝撃*
> 2001.09.21 北海道新聞夕刊全道 8頁 カA (全783字) 
>
>
>  それから、ファンたちの飢渇感につけこんだ模倣作品が、その1年の間にやつぎばやに公開された。東宝の「惑星
> 大戦争」や東映の「宇宙からのメッセージ」などがそれであり、アニメ作品も数多く製作された。あの「宇宙戦艦
> ヤマト」の映画版も、このにわかSFブームがなければ公開されたかどうか。
>

スターウォーズ 米公開 1977年5月
ヤマト        1977年8月

惑星大戦争      1977年12月
宇宙からのメッセージ 1978年4月

ヤマト映画化までそこに入れるのは一般的な見方?
ちょっと無理無いか?
171153の記事:2010/02/03(水) 22:55:59
*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>8*手塚治虫と止め絵*キャラクター印象づける*
2001.10.26 北海道新聞夕刊全道 10頁 カA (全793字) 

 日本のオタク発生の出発点に手塚治虫の名を置くことには、異論も多い。手塚の名はマンガ史、アニメ史、
SF史、その他の文化に非常に多岐にわたってかかわっており、ことオタクに限ってその元祖的存在と位置
づける意味がないのでは、という意見もある。

 だが、あえて、ここで手塚という存在がなければ、オタク文化というものの、日本における独自性はなかった、
と断言しておきたいと思う。それは、手塚治虫の考案した、ある手法に非常に密接に関係しているのだ。

 前回も触れたが、手塚は自分の手でアニメの製作をやりたいばかりに、「鉄腕アトム」のアニメの製作費を、
極端に安く受けた。そのため、動画の枚数を極端に減らさねばならなくなり、動画の質が非常に粗くなって
しまった。なんとかこの粗さをカバーしなければならない。手塚がそのために考え出したのが、“止め”の多用
だった。“止め”とは、動かない絵をずっと撮影することで、これにセリフと音楽をかぶせる。まあ、紙芝居のような
ものだが、変にギクシャクした動きを見せるよりは、こちらの方がアラは見えにくい。

 苦肉の作ではあったが、手塚自身の回想によれば、こういう窮余の策を善意に解釈し、「歌舞伎の『見得』の応用
による、いかにも日本的で強烈な印象を与える手法と発想」と評価してくれた批評が新聞に載ったという。本人は
さぞ苦笑したことだろう。

 だが、この新聞の評はあながち的外れなことを言っているわけではなかった。まさにこの手法は視聴者に強烈な
インパクトを与え、ことに動かない画面をもたせる声優の力に多くを頼るようになることから、アニメ本来の特質
である動きではなく、キャラクターと声優を視聴者に印象づける結果となった。

 後に起こる1977年からのアニメブームが、実際のところはアニメのキャラクターと声優の人気中心のブーム
だった、その下地は手塚のこの手法が作ったものだったのだ。(評論家)
172153の記事:2010/02/03(水) 22:57:38
*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>9*日本の「アニメ」*アニメーションとは別物*
2001.11.02 北海道新聞夕刊全道 6頁 カA (全781字) 

 アニメーションというのは言うまでもなく、絵を動かす手法のことである。ディズニー以前の時代から、
アニメーション作家たちはキャラクターをどう動かすか、そのテクニックに才能のほとんどを注ぎ込んだと
言っていい。もちろん、作品の評価も、その動きの如何を中心に論じられるものだった。

 ところが、日本のオタク文化発達史の中で最もうとんじられたのが、この動きの要素であった。1980年代の
アニメ雑誌の投稿欄での、若者たちによるアニメ評を見てみると、動きがあまりに丁寧すぎるアニメーション作品
を、一様に「見にくい」「くねくねしていて気持ちが悪い」などと切って捨てている。

 彼らが好んだのは、自分たちが模写しやすい、止めの多く入った作品であり、また、動きを強調する曲線よりは、
シャープな直線を用いたメカニックのデザインの方に賛辞が送られた(「宇宙戦艦ヤマト」のメカは松本零士の原画
を生かした曲線主体のものが最初は多かったが、やがてメカデザイン担当のスタジオぬえのタッチである、直線を
モチーフにしたメカに、次第に移行していく。そして、やがて直線のみで構成されたデザインの「機動戦士
ガンダム」がオタクアニメの決定版として登場する)。

 美少年・美少女を中心としたキャラクター設定と、その声を受け持つ声優、そしてメカニック描写。この3点
セットこそが、アニメーションの略語としてではなく、独自の意味合いを持った<アニメ>を、日本のオタク文化の
基礎にまで成長させた要素だ。いまや、<ANIME>は世界で通用する、オタクが作り上げた日本語なのだ。

 日本におけるアニメを語る際に、多くの識者がおちいるのが、アニメーションとアニメが同一平面上にあるという
誤解である。またその違いを手塚治虫が無意識に育てあげたという事実を忘れている(または最初から気がついて
いない)者がほとんどなのである。(評論家)
173153の記事:2010/02/03(水) 23:00:11
連投規制に引っかかって間があいちゃいました(´・ω・`)

*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>10*ガンダム登場へ*ストーリー性を武器に*
2001.11.09 北海道新聞夕刊全道 6頁 カA (全801字) 

 前回挙げた<キャラ><声優><メカ>というオタク文化の三種の神器は、ヤマト・ブームでオタクの基礎が
固まった1970年代後半のアニメのほとんどに備わっていた。安彦良和(作画)・富野喜幸(演出)という、
後に「ガンダム」を生むコンビによる作品「勇者ライディーン」(75年。富野は前半2クールのみ)は、安彦が
キャラとメカのデザインを担当し、人気声優の神谷明が主人公ひびき洸(あきら)を、ベテランの市川治が美少年の
敵キャラ、プリンス・シャーキンを演じて、それぞれが人気を博した。ことに、市川のストイックな声が印象的
だったシャーキンは、後の「超電磁ロボコンバトラーV」のガルーダ、「超電磁マシーンボルテスV」のハイネルと
いった美形悪役キャラ(声もすべて市川による)の元祖的存在となり、女性ファンたちの圧倒的な支持を受けた。

 一方で日本のアニメは、同時期に「ガンバの冒険」や「母をたずねて三千里」などの名作を生んでいるのだが、
それがオタク文脈で語られるのはまだ少し後になる。79年に第二のエポックとなる「機動戦士ガンダム」が登場
するまでは、ほぼ、この「三種の神器」要素のファンたちによって、アニメ人気は支えられていたと言っていい。
以前に挙げた77年のオタク元年は、まさにそのようなムーブメントの真っ最中だったのである。

 しかしやがて、このブームも爛熟(らんじゅく)し、3つの要素それぞれのファンたちが分裂し、また新たな
分野に進出したりして、オタクの世界を拡大していった。声優はそれまでの陰の声といった立場から大きくその
位置を向上させ、自分のDJ番組を持ったりコンサートを開くまでになり、美形キャラ路線は少し遅れて
「キャプテン翼」(83年)をきっかけに<やおい>という新分野に発展する(これについては後述)。そして、
これらの魅力と、さらにストーリー性という武器をひっさげて「ガンダム」の登場となるのである。(評論家)
174153の記事:2010/02/03(水) 23:02:03
*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>11*ガンダムの衝撃*「ヤマト」超え文化圏確立*
2001.11.16 北海道新聞夕刊全道 8頁 カA (全794字) 

 「機動戦士ガンダム」ブームが最盛期の1980年ごろ、「宇宙戦艦ヤマト」のNプロデューサーが各業界
関係者や主要ファン活動団体に出したダイレクトメールがあり、それには「最近、ヤマトに影響を受けた某SF
アニメが一部で騒がれているようですが、今こそ本家の威力を見せましょう」という内容の激励文(?)が
書かれていた。ガンダムがヤマトから影響を受けていないとは言えないが、しかし、模倣作などとはかけ離れた
作品だ。そこには一世を風靡(ふうび)したヤマトブームが、ガンダムの出現ですでに過去のものとなったあせりが
如実に出ていたと言っていい。

 まさしく、ガンダムはそれまでのオタク史をことごとく塗り替えた。ヤマトはあくまでアニメ人気が中心で、
それに付随する形でオモチャ類や書籍、レコードなどが売れていたにすぎないが、ガンダムの場合は、それらを
統合した一大ガンダム文化圏とでも名付けられる世界を確立したのである。例えばガンダムのプラモデルは
「ガンプラ」と呼ばれて、多くのマニアを生んだ。ガンプラファンの中には、プラモそのものが好きで、アニメの
ガンダムには興味がない、と言う者までいる。それだけ独立性を持った世界なのである。最近ではガンダムの
世界観は遊園地にまで進出し、富士急ハイランド(山梨県)のガンダムライドなどで子供より、その子供を連れて
きている親の世代に人気を呼んでいる。

 こんなガンダムも、79年に始まったその第1作(ファースト・ガンダムと後に称される)のテレビ放映は、
ヤマト同様視聴率不振で悩み続きだったのが面白い。ガンダムの生みの親である富野喜幸氏は、この作品の前に
高畑勲氏と組んだ「母をたずねて三千里」で印象深い演出手腕を見せており、そこでつちかった経験で、人間ドラマ
をSFアニメの中心に置くという離れ業を見せた。それが視聴者を驚愕(きょうがく)させ、いくぶんとまどわせた
のである。(評論家)
175153の記事:2010/02/03(水) 23:03:36
*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>12*成長ドラマに自分を投影*内向的主人公とオタクたち*
2001.11.30 北海道新聞夕刊全道 8頁 カA (全785字) 

 オタクという言葉がまがりなりにもある特定の文化群の総称として使用されるまでに成長した原因のひとつが、
子供向けアニメをいい年になっても見ているなんて、という世間・周囲(ことに親)の目に対するコンプレックス
にあった、ということは確かだろう。そのコンプレックスをバネにして、クリエーター側に回ったオタクの第一世代
は、お子さま向けと呼ばれていたアニメ作品を、「大人の観賞に耐える」作品に育てあげるべく努力していった。

 その第一世代の、いわば輝ける目標だった作品が、「機動戦士ガンダム」である。メカ描写やSF設定の優秀さは
さておき、特にこの作品が高年齢層(つまり、普通アニメを見なくなる10代末から20代)ファンの感性に受けた
のは、主人公アムロ・レイがそれまでのヒーローものとしては例外的に、内向的性格を持つ少年であったということ
だろう。

 それは、成長環境的に外向的になることの難しいオタクたち自身と見事にシンクロし、ストーリーがアムロの
ビルドゥングス・ロマン(主人公の精神的成長を描く作品)として描かれることで、あたかも自分自身が主人公で
あるような一体感を抱かせた。これまで、情報的価値を重んじ、作品にあえて第三者的・客観的な視線を向けていた
オタクたちは、ここに、初めて自分たちと「時代を共にする作品」に出会えたのであった。

 もちろん、ガンダムは突然変異的に生まれた作品ではない。富野喜幸がその7年前(1972年)に演出を担当
した「海のトリトン」(プロデューサーが「ヤマト」のN氏であることも奇遇である)などの作品に、すでに内向的
傾向を持つ主人公像は描かれている。また、この作品を女性ファンが熱烈に支持したことが、男性指向一辺倒だった
アニメ界において、富野に「ひ弱さを持った主人公を登場させれば受ける」という確信を抱かせたのだろう。歴史は
すべて連動しているのである。(評論家)
176153の記事:2010/02/03(水) 23:05:19
*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>13*宮崎駿*自分の色守り通しヒット*
2001.12.07 北海道新聞夕刊全道 6頁 カA (全783字) 

 ガンダムで現在のオタク文化隆盛の、いわば土台を作った富野喜幸(現・由悠季)だが、その後彼が歩んだ道は、
王道と言うよりは自らあちこち迷い道に踏み込んでいくということを繰り返した感があり、現状に安定することを
潔しとしない創作家の業(ごう)とはいえ、その世間での評価には意見の分かれるところがあるのは否めない。

 それに比べ、オタク文化の怒とうの中で自分の作品の色を頑固なまでに守り通し、それでいながら商業ベースに
作品を乗せることにも成功し、ついに世界的名声まで得るに至ったアニメ作家が1人いる。その名は宮崎駿。

 宮崎のアニメ業界デビューは1963年である。大学を卒業して、すぐにアニメーターとして東映動画に入社。
ちなみに、これが東映動画最後の定期採用だったそうだ。つまり、宮崎がこの世界に飛び込んだとき、すでに映画
産業は斜陽化の時代に入っていた。後の宮崎が、日本映画界の救世主のように言われることを考えると運命的だが、
「狼少年ケン」「少年忍者風のフジ丸」といったテレビ用作品の動画を描きながら、彼の中での映画制作への飢渇感
はつのっていった。

 そのあせりが、入社翌年の長編動画映画である「ガリバーの宇宙旅行」(演出・黒田昌郎)への参加のとき、
メーンスタッフでもない身ながら、この映画の最後、宇宙人のお姫さまの人形のような顔が割れて、美しい少女の
素顔が現れる、というアイデアを提案するという、ある意味でさしでがましい行為をさせるに至った。演出の黒田が
これを採用したのは、当時の東映動画が、現場の声をどんどんすくいあげていく、柔軟性に富んだ職場であったこと
の証明だろう。だが、その翌年、会社は制作費のかかりすぎる長編作品の見直し案を提示し、宮崎は組合活動に参加
することでそれに抵抗する。彼の作家としての根幹は、これ以降の会社との闘争の中で形づくられていったので
ある。(評論家)
177153の記事:2010/02/03(水) 23:07:35
*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>14*宮崎駿のブレーク*「一般人」もファン層に*
2001.12.14 北海道新聞夕刊全道 8頁 カA (全803字) 

 宮崎駿本人はいわゆるオタクが大嫌いだ、という。労組上がりの彼にとり、政治意識を持とうとせず、アニメ
とかマンガ、特撮作品ばかりに自己を投入しているオタクたちは、極めてだらしない存在に見えることだろう。
最近の宮崎は子供を自然の中にかえそう、というような発言をしているようで、エコロジカル文化人の一員に
なってしまったようだが、しかし、1970年代末まではアニメ界では地味な実力派演出家、といった程度の
位置づけだった宮崎駿を日本映像作家の第一人者にまで押し上げたのは、やはりエコロジーとは無縁の重度オタク
たちだった。「ルパン三世」「未来少年コナン」等々の代表作品における「動き」の魅力、そして神格化された
「少女」をキーワードにしたストーリー性に、大量生産されるロボット・ヒーローものアニメにないこだわりの
あることを発見し、騒ぎ出したのはオタクたちだったのである。

 古参アニメオタクの集団である「アニドウ」(アニメーション同好会)で、宮崎監督へのインタビューを掲載した
「未来少年コナン」の特集豪華本が制作(79年)され、じわじわとではあったが宮崎アニメの評価は高まって
いった。そしてその人気は映画「ルパン三世/カリオストロの城」でブレークする。

 彼の存在がオタク文化において果たした大きな役割は、オタク的趣味を持つ者の地位を向上させたことにある。
それまで、オタクでないものにとっては、あまりに特殊な用語や表現が飛び交う、理解不能な作品ばかりが
もてはやされ、それが一般社会とオタクたちの間の距離を大きく隔てていたのであるが、宮崎作品のクローズアップ
で、初めて一般の非・オタクの人々にも、その質の高さが納得できるものがあることが確認できたのである。また、
それまでは「やおいマニア」(次回で詳述)など特殊な例を除いて女性人口の少なかったオタク文化圏に、多くの
女性を導いたということも忘れてはいけない功績だろう。(評論家)
178153の記事:2010/02/03(水) 23:10:40
*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>15*やおいと日本文化*女性の性意識まで変容*
2001.12.21 北海道新聞夕刊全道 8頁 カA (全801字) 

 ここまで、アニメについて筆を費やし過ぎたかもしれないが、いま現在のオタク文化の根幹を成しているのは、
ヤマトからエヴァンゲリオンへとつながる空前のアニメムーブメントである。特撮、マンガといった、アニメより
古いジャンルが、結局ジャンル内での熟成でとどまったのに対し、新興のこのジャンルは、新興ゆえの拡散の
エネルギーを持ち、音楽・演劇・現代美術などを含め、あらゆる分野にその影響を及ぼした。アニメの主人公で
美少年・美青年が人気をよんだ現象が、それから十数年の年月をおいて特撮ものにフィードバックし、
「ウルトラマンティガ」「仮面ライダーアギト」などで、若手美形俳優を起用して人気を博するなど、常に現代の
オタク文化はアニメを起点にし、またアニメにけん引されて進化してきた状況がある。

 現在、同人誌マンガや小説の分野で一大勢力を誇っている「やおい」というジャンルも、もとはといえばアニメの
パロディーとして生まれた。アニパロという言葉が一時はやおいと同義であったこともある。アニパロまんがを
指す“やまなし・オチなし・意味なし”の頭文字を組み合わせた呼称、というのが定説のようだが、実際のところは
わからない。要は好きなアニメの男性キャラクター同士を同性愛という設定でくっつけてしまおう、というお遊び
だったが、オタク文化に特有の、仲間内の冗談作品が次第に広がっていき、ついには全国的な市場を得るに至った
典型である。殊に、「キャプテン翼」「聖闘士星矢」という、元ネタに格好な作品のあったこともあり、大げさに
言えば日本女性の性意識を確実に変えたほどの現象として定着した。一見ばかばかしいお遊びだが、これまで性的な
視線を受ける一方であった女性が、逆に男性を性的な欲望をもって見る行為を解禁されたことは、文化史上の大事件
であるとも言える。

 オタクは真正面からでなく、わきの方から、確実に日本文化を変容させているのだ。(評論家)
179153の記事(これでおしまいです):2010/02/03(水) 23:12:30
*<金曜羅針盤 唐沢俊一のやさしいオタク史>16*薄れた異質性*若者世代の共通文化に*
2001.12.28 北海道新聞夕刊全道 6頁 カA (全867字) 

 日本において、オタクという存在が一般人とは異なる特殊な人々、と規定されていた時代は1990年代半ば
まで、とされている。オリジナル・ビデオ・アニメ「おたくのビデオ」(92年)が、日本の中の異人種であった
オタクたち自身によるオタクの姿の戯画化であったのに比べ、テレビ東京系アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」
(95年)は、より深刻に、社会との疎外感を持った少年の心の闇(やみ)を描いて、それがオタクによるオタク
否定と受け取られ社会現象となるほどの反響を呼び、日本においてこの問題が普遍的なものとなっていることを
示した。

 95年にはゲーム「ドラゴンクエスト6」の売上本数が320万本を超え、97年には
「ファイナルファンタジー7」が326万本を記録する。全盛期のピンク・レディーの新曲のレコード売上枚数が
150万枚台であったことを考えると、この数はすでにムーブメントという範疇(はんちゅう)を超え、日本の若者
世代の共通基盤的な文化になっているといえるだろう。すでにゲームはオタクだけのものではない。

 オタク・ムーブメントは、これまで形こそさまざまであれ、すべてが「一般社会から隔絶したところでの趣味」と
いう認識を自らが持つところで成り立ってきた。しかし、自分が際立った存在であるということを示す、その異質性
が薄れていったとき、オタクたちはこれまでのように、日本の大衆娯楽文化をけん引するだけのパワーを発揮しうる
のだろうか。

 オタクを80年代のポストモダン潮流の中に生まれたアダ花的存在と位置づける人もいるが、しかし、彼らも、
今の日本はオタク的価値観抜きでは語れない、という部分では認めている。実のところ、これまで語ってきたオタク
史はオタク前史でしかなく、90年代後半からが、本当のオタク史である、というとらえ方すら可能なのである。
第一次オタク世代は、そろそろ自分たちの生み出したものの総決算を求められているといえるだろう(評論家)

(おわり)
180無名草子さん:2010/02/03(水) 23:19:22
本当にありがとうございました。
で、これを日記で総括したのが>153ということになるんですね。

とりあえずの感想として、手塚の扱いが予想より大幅によかったw

色々突っ込みたいけど、板野サーカスとかどう位置づけるの?
181無名草子さん:2010/02/03(水) 23:20:04
この頃が唐沢テンテーのピークだね。
182無名草子さん:2010/02/03(水) 23:35:07
その新聞連載で第一次オタク世代は総括したって事で、
唐沢俊一もそれをもって幕を下ろせばよかったんだよ。
183無名草子さん:2010/02/03(水) 23:37:02
うpしてくれた方、乙です。
いやホント色々突っ込みたいねw

唐沢はオタクと一般社会をリンクするのが自分の役割とか言ってたくせに
なるほどオタクを突き放した態度が良くわかるなあ。
184無名草子さん:2010/02/03(水) 23:39:41
>唐沢はオタクと一般社会をリンクするのが自分の役割とか言ってたくせに

結局、オタク達が自分の思った通りになびいてくれなかったから
敵対視しはじめたんじゃないの?
185153の記事(これでおしまいです):2010/02/03(水) 23:42:11
第一世代なんて勝手な命名だとおも。
大体「オタク」という言葉がない時代だったんだから。
186無名草子さん:2010/02/03(水) 23:42:29
>184
なるほど、岡田と一緒の幼稚な発想だったのかwタチ悪いなあ。
187無名草子さん:2010/02/03(水) 23:43:01
>>185
あー、やっちゃった。
名前欄入れっぱなし。スマソ。
吊ってくるわ。
188無名草子さん:2010/02/03(水) 23:45:32
やあ、殺人昆虫のみなさん、こんばんは。


さて、いきなりだが、
翻訳家の相原真理子さんを暗殺したね?

まだ裏を取ったわけではないが、あなたがたの仕業の可能性が非常に高いと判断したよ。
例によって、もちろん学会と敵対していたわけでもなんでもない人だね。

まあ、事の真偽はいずれわかるとして、
ますますもって、あなたがた全自動殺人機械の群れを生かしておくわけには行かないね。絶対に。
できる限り急いで、そして拙速ではなく、迅速確実に仕事を進めることにするよ。

我々人間の総力を以て完全に殲滅するよ。
あと8年だからね。腕が鳴るねえ。
189無名草子さん:2010/02/03(水) 23:46:23
あれ、今日は裏モノ日記の更新ないのかな?
なまくらライターは今日もせっせと書き直してると思ってたのに。
190無名草子さん:2010/02/03(水) 23:50:03
やあ、殺人昆虫のみなさん、こんばんは。


さて、いきなりだが、
翻訳家の相原真理子さんを暗殺したね?

まだ裏を取ったわけではないが、あなたがたの仕業の可能性が非常に高いと判断したよ。
例によって、もちろん学会と敵対していたわけでもなんでもない人だね。

まあ、事の真偽はいずれわかるとして、
ますますもって、あなたがた全自動殺人機械の群れを生かしておくわけには行かないね。絶対に。
できる限り急いで、そして拙速ではなく、迅速確実に仕事を進めることにするよ。

我々人間の総力を以て完全に殲滅するよ。
あと8年だからね。腕が鳴るねえ。
191無名草子さん:2010/02/03(水) 23:51:03
裏亭 (5分以内)

・・・いや、まさかねw
192無名草子さん:2010/02/03(水) 23:51:44
>>182
オッ、久々に良い意見が出たな。
この記事を持って総括したということで、このスレも目的を果たしたという事か。
そういう事で、もう終わりだな。

俺ももう疲れた。
193無名草子さん:2010/02/03(水) 23:53:19
>>192
同意

もうこれ以上ネタないよな。
この先続けてもただの言い掛かり。
俺たちが悪役になってしまうからね。
194無名草子さん:2010/02/03(水) 23:54:33
新スレ立ってから何やってんだか(笑)>同意馬鹿明日香
195無名草子さん:2010/02/03(水) 23:57:17
@hazuma ちなみに、いまは一般化している「オタク第一世代」も(これは明確に)ぼくの定義で、
動ポモ出版時には竹熊さんや小谷真理さんから「ぼくたちの世代が第一世代というのはおかしいと思うなあ」とか言われていた。
posted at 01:30:07
196無名草子さん:2010/02/04(木) 00:08:33
>  彼らが好んだのは、自分たちが模写しやすい、止めの多く入った作品であり、また、動きを強調する曲線よりは、
> シャープな直線を用いたメカニックのデザインの方に賛辞が送られた(「宇宙戦艦ヤマト」のメカは松本零士の原画
>を生かした曲線主体のものが最初は多かったが、やがてメカデザイン担当のスタジオぬえのタッチである、直線を
>モチーフにしたメカに、次第に移行していく。そして、やがて直線のみで構成されたデザインの「機動戦士
>ガンダム」がオタクアニメの決定版として登場する)


>直線のみで構成されたデザインの「機動戦士ガンダム」
これって気づかなかった、、、ってフクラハギは?
しかもその後どんどん曲線重視のデザイン増えてない?
ダンバインとかその代表になるのかな?
197無名草子さん:2010/02/04(木) 00:10:15
>196
ガンダム本編だってジオンMSは曲線(曲面)だらけだよねえ。
198無名草子さん:2010/02/04(木) 00:21:49
>>184
岡田は、最初はガイナックスでアマチュアだけどプロみたいに作品作っちゃう自分たちがカッコよい
と言っていて、ガイナックスから追い出されたら、今度は優秀な鑑賞者であるオタクがカッコいいと
言い出して、その位置も危うくなったら、今度はオタクは死んだ!痩せている人は美しいとか言い出
してるんだから、基本は自画自賛な人なんだと思う。

オタク第一世代というのも、自分たちが元祖を名乗りたかっただけだったのだろう。
199無名草子さん:2010/02/04(木) 00:37:47
>198
少なくとも岡田にはゼネプロやガイナックスという形で
独自の道を突き進んで来た功績はあると思うけど、
閣下はねぇ
200無名草子さん:2010/02/04(木) 00:41:03
そうか、岡田はまだ自画自賛できる自信の根拠として成功した経験が
あるわけだ。

唐沢は逆に劣等感に端を発した攻撃性を感じるんだよなあ。
上の方のレスで麻原と似てるって書いてた人いたけど、ホントに
そう思うよ。幸い小物だから何の影響力も無かったけどw